○高田(富之)
委員 この種の問題は、(「強制疎開」と呼ぶ者あり)——こちら側からも出ておりますように、強制疎開その他たくさんある。言ってみれば、全
国民の大部分が何らかの形においてその種の
補償なり報償を要求したい気持にあるところだと思うのです。そういうものとのバランスというものを
考えなければならない。やるべきものはおやりになっていいと思うのです。しかし、やらなくてもいいものまでもやるから、よけいにそういうふうな方面ではいよいよ財政の
立場から見ても抑え切れない、押えなければならないものまでも押えられないというような事態にまで発展すると思うのです。私は、そういうことの軽重というものをお
考えになって
処置をはっきりしていただかないと、これは意外な結果に波及していくというふうに
考えるわけであります。
私はこの際特に申し上げたいのですが、さっき最初にお聞きしました調査の内容というものを見ましても、この期に至って農地改革の
経済的な
政治的な効果がどうであったかといったようなことをあらためて調査をするというようなことは、私は全くいかがかと思う。大体、この問題が起こってきましたそもそもの発端、これはよほど深刻に
考えていただきたいと私は思うのですが、農地改革というもののあの積極的な意義というものを高く評価して、その基礎の上に立ってこそ、すべて今後の農政の前向きの進展というものが期せられる、私はこう
考えるのです。それを、農地改革というものを、非常に間違ったものだった、不当なものだったのだ、こういった
考え方があって、これが終了後十年以上たっておるのに、なおかつそういった
考え方がずっと大きく盛り上がってきているというようなことは、これは、今後の民主的な
国づくりといいますか、大きな国家全体の思想動向から言っても大きい問題だし、農村においては特に新しい発展段階を迎えなければならない現在、これはきわめて憂慮すべき傾向であると思うのです。報償とあなたはおっしゃるのですが、非常に協力してくれて、功績が大であったというようなことになるのかどうか知りませんが、本来、農地改革に
ほんとうに協力をしていただきました地主さんの間からこういう運動は起こっておらないのであります。農地改革のときに、何とかしてあの農地改革を少しでも骨抜きにしよう、少しでも第二次農地改革の
法律をのがれようという非常な抵抗と圧力のあったことは御
承知の
通りです。その圧力の中で、ともかくも、大きな時代の流れ、農民の自覚というものがあってこそ、その第二次農地改革の画期的な
法律が実施できた。これは私に言わしめればまだ不十分な点がずいぶんあったと思うのですが、かなりの程度まで
法律通り実施されたと思うのです。これにあきたりない、これに不満であるというので抵抗してきました一部の勢力が、講和条約が発効後にわかに頭を持ち上げまして、そして今度は公然と農地改革を誹謗するに至った。そして、違憲訴訟を起こし、あるいは農地法の根本改正を要求し、あるいは至るところで農地の取り上げを行なって社会不安をかもした。こういう過程を経ながら、今日このように、結局、
補償の理由はない、
補償はしないという正論を主張してこられた
政府をゆり動かして、そして、ついに、何らかの
措置をしなければならぬ、報償というふうに名前をかえれば何とかいけるだろうというふうなところまで追い込まれてきたという事態を、私は非常に憂慮する。私は単なるこれは地主
補償の問題ではないと思うのです。何で高田はあんな問題をいつまでもごちゃごちゃ言うのかとおっしゃるかもしれませんが、そうではない。今の
政治のあり方、あるいは国政を担当しておる自民党のあり方というものについて、こんなに大きな問題を投げかけておるところは私はないと思う。私はこの点については見解の相違で終わらしたくない。もともと
補償はしないという正論を唱えてこられた岸
総理や、あなたや、それと私どもとの間に見解の相違で別れる理由はないと思うのです。問題は勇気だ。私は、今度の
予算編成の過程において、
大蔵大臣は最後まで徹底的に、そういういわれなき金は組むべきでないという主張をされたものと
考えておりました。
総理もおそらくそうだったろうと思うのです。それが、どたんばに来て、ともかく今日まで長い間働きかけられて、特に自民党の党内にその主導的な圧力グループができてしまった今日においては、いかんともしがたく、ついに何がしかの
予算を組んだ、
予算は組んだけれども、野党の攻撃に何と
答弁していいかわからないために、いろいろ苦心をいたしまして、ただいま私がお聞きしましたようなところをどうやらこうやら格好をつけるためにしてきたというのが事態の真相であることは、私がここで申し上げるまでもなく、
国民がみんな知っております。おそらく、こんな調査を
仰せつけられましても、農業
委員会はやらないでしょう。そんな調査はやらないと、すでに農業
委員会は声明しております。また、これに協力すべき
政府部内におきましても、事務当局においてまゆをひそめない者はございません。良識ある者がこうした圧力に屈しまして、いわれのない、理屈のない、しかもうしろ向きの運動に対して何らかの
措置をしなければならぬということこそ、今の
政府・与党の統制力のなさというか、
政治のあり方における圧力団体の筋を曲げる力の実相というか、非常に好ましからざる姿というものが出ておると私は思うのであります。おそらく、こういうことで名前はかえたけれども、同じくらいの金をやると言えば、これらの団体も満足するでしょう。あるいは、金を削って、名前をかえて、多少出し方を変えて出せば、出したということで一応満足するかもわかりません。しかし、本来ならば、違憲訴訟までもして戦って参りました権利主張であるとすれば、それを否認されて、うるさいからその団体に何か包み金をくれてやればおとなしくするだろう、黙るだろう、——暴力団にあばれられたときに、酒を一升やって、一封包んで、それでおだやかにしろと言うのと同じような
措置であるとするならば、もしすべての団体が正しい主張、正しい
国民世論を盛り上げてきたとするならば、けるでしょう。私は、けるのがあたりまえだと思う。そうでなくて、名前をかえて報償、何でもけっこうということでございましたならば、私の今申しましたそのような金の出し方、そういうような
国民の尊い血税、そんないわれのない金の出し方をすべきではない。
金額はそんなに大した
金額ではないかもしれないけれども、私は、
政治のあり方という点から言って根本的には解せない。これは結局勇気の問題だ。
総理大臣、あなたの決断力がすべてを決定すると私は思います。そういう力があってこそ、こういううしろ向きの運動などを押えて、そして、もっと前向きの農村における新らしい建設というようなことにあなたは指導性を発揮することができるのじゃないか。
私はこの点についてもうこまかいことは申しませんが、本問題の質問を打ち切るにあたりまして、
総理に、その点について、もう少し確信と勇気を持ってこれらの圧力団体の圧力を排除して筋を通すという決意を御披瀝願いたいと思います。