○山内広君 私は、
日本社会党を代表いたしまして、ただいま上程されておりますところの
内閣委員長永山忠則君の
解任決議案に賛意を表明するとともに、その理由を明らかにしようとするものであります。(
拍手)
もとまり私は、
永山忠則君に対しては、個人的には一片の私怨を抱くものでもありません。公人の立場上やむを得ないこととは申せ、私は事ここに至りましたことを真に悲しむものであります。では、
内閣委員長としての
永山忠則君に解剖のメスを加えますことをお許しいただきたいと存じます。
永山君は明治三十年の生まれでありますから、お年はことし六十六歳、それにしてはたいへんにお若くお見受けいたします。宿舎は高輪宿舎でありまして、同僚の申されますところによると、いつも健康に留意されまして、毎日冷水浴を欠かしたことがないそうであります。健全なからだに健全な精神が宿るということで精進されておるとすればけっこうなことでありますけれ
ども、同僚がよく言っておるのでありますけれ
ども、そばに人がおっても平気でじゃあじゃあ水をかぶり、人の迷惑は一向に気にかけない、この態度が
委員長としての彼のこれまでにとった態度にもよくうかがわれるのであります。いまにして思いますと、健康法として冷水浴をやったのではなく、
強行採決の日に備えて、ひそかにスタミナをたくわえておったとも考えられるのであります。(
拍手)
ところで、問題の日の六月二十日でありますが、従来、ほとんど
理事会、
委員会ともに定時に
開会されたことがなかったにもかかわらず、その日だけはどうしたことか、公報によりますと、十時
委員会開会となっておりますので、私
どもは九時四十五分にまいりますと、
委員長は、
委員長席にすでにもうどっかと着席しまして、正面の電気時計を見詰め、
自民党の
諸君も珍しく全員が出席しまして、音なしのかまえといったような静けさの中にありました。このことが収拾のつかない事態に発展しようとは、その瞬間には思い設けなかったのであります。
永山君は、経歴を見ますと、
国会議員に当選七回、そのほか村長に八回、県
会議員が二回、市長等、政治家としての豊富な経験を持つばかりか、教育者として、あるいは学校長としての経験も積まれておるのであります。本来なら、民主主義がすでにからだに染まっているはずの体験の持ち主であるのであります。また、彼のその他の職歴等と考え合わせますと、すでに大臣としての肩書きを持っている人と、私には常識的に考えられるのでありますけれ
ども、彼は、不幸にして、まだその肩書きを持つことができないのであります。その理由を、彼は、党内派閥の犠牲になっているとのみ思い込んでいるのであります。それも、あるいは真実かもしれません。しかし、自分の実力を何ら反省することなく、常に不満不平をかこっておるのであります。彼はこの出世主義に取りつかれまして、出世の糸口が見つかれば、それにもうすがりついてしまう、その機会を逸しまいといった、この気持ちのあらわれ、その執念が、あの二十日の
強行採決となり、党の一部の圧力に屈して、
委員長としての平静さを失ったと判断されるのであります。彼の性格に基因したこととは申しながら、彼の長い政治生命を晩年において一挙に失ったといろことは、本人のためにまことにお気の毒にたえないのであります。(
拍手)
さて、
永山君は昨年の八月に、前
委員長でありました中島茂喜君の後任としてこの重要ないすにつかれました。一見、温厚の人、気の弱い人と、最初は私の目にもそう映ったのでありますけれ
ども、彼の実力をためす第一回目の試金石となりましたのは、いま
田口議員からもお話のありましたとおり、昨年の十二月、いわゆる
石炭国会と呼ばれました四十二
国会において、公務員の
給与関係の
審議にあたりまして、彼はその本性を遺憾なく露呈したのであります。その経過については、もう繰り返すことはいたしませんが、それ以来私
どもは、この
永山さんはなかなか油断のならない人として警戒するようにならざるを得なくなったのであります。
いよいよ本
国会を迎えまして、
内閣委員会の
審議はどうやら順調に進行してまいりました。しかるに六月十八日、
社会労働委員会のあの
混乱が、ここにも波及しまして、事態は急変いたしました。二十日を迎えて、いよいよその最高の事態になったのであります。この際とった
委員長としての
永山君の態度、行動につきましては、
田口議員から詳細御説明がありましたので、私はあえて重複を避けますけれ
ども、ただ、との際
諸君の御理解を深めていただかなければならぬ点があるのであります。当時、
内閣委員会に付託されておりました
案件は、あのいわゆる問題の五つの
法案のほかに、もう二件の
案件があったのであります。したがって、
永山君が早目に全議案を議了したい、そういう気持ちからおやりになったとするならば、この二
法案を加えて、全議案の七
法案をなぜ一挙に解決しようとしなかったのか、この点であります。すなわち、との残された二
法案というのは中小企業省設置
法案、これは
永井勝次郎君外三十名の
提出にかかわるものであります。そのほか、首都建設問題調査会設置
法案、これは中島巖君外十二名
提出のものであります。いずれも、これは
日本社会党議員より提案されたものであります。
永山委員長のとった態度は、まさに自党の
議員の提案にかかわるものならば
強行採決もあえて辞さないけれ
ども、他党のものならばどうなってもいいという、まことに
党利党略以外の何ものでもない。公平な
議事運営を義務づけられておる
委員長としては、全くの欠格者であると断ぜざるを得ないのであります。(
拍手)
さらにもう一点申し上げなければならないことは、
内閣委員会混乱の収拾策として、
議長裁定にも見られるとおり、
建設省設置法の一部
改正と旧
金鵄勲章年金受給者に関する
特別措置法の二案と、その他の三
法案とは確かに若干区別を要する、取り扱い上の性格を異にしておることは私も認めます。前者の二法は、一応は
委員会の
議題に供されたものでありますけれ
ども、後者に至っては全く
議題に供されたととがなかったからであります。かりに五
法案を一括
採決するとしても、
委員長の
発言は当然
議題に供された
建設省設置法の一部
改正案外四
法案と、その主題を
建設省設置法に置くべきことは、いままでの例からもそうであります。当然の私
どもの常識的考え方でもあります。しかるに、あの日あのとき、近くにおった人が耳にいたしましたのは、傍聴席から入ってきた
委員長は、まずその
発言を
国民の、と高く手をあげて、そのあとは
混乱によって全く聞き取れなくなりましたけれ
ども、彼の意識的な意図は明らかに
国民の祝日の
改正案に主目的があり、その他は毒食わばさらまでのさらであることはきわめて明瞭であります。(
拍手)その後マスコミも、
国民の祝日外何件といった表現を用いまして、
国民の祝日の
改正は
自民党は熱心であるけれ
ども、
社会党が反対するので実現ができないといったような巧みなPRに利用しておることはきわめて明瞭であり、
永山君はみずからも進んでこれを利用しようとしたのであります。
永山君をしてこの執念にかり立てた背後の力は一体何でありましょうか。すなわち復古調のムードに便乗して軍国主義の復活をねらう反動勢力を代弁したものであり、彼の持つ思想もファシズム以外の何ものでもないと断ぜざるを得ません。(
拍手)これが
永山君の解任を求める有力な理由の一つであります。
私は
国民のこぞって祝い合えるような建国記念日を持つことには、もとより賛意を表するものでありますけれ
ども、それは敗戦を契機として生まれかわった平和
日本の建設のためにふさわしい、意義のある日であり、平和を求める多くの
日本国民の胸間に触れるものであらねばなりません。(
拍手)しかるに、軍国主義の復活をねらう一部の運動に動かされて、史実に照らしても根拠のない紀元節を、そのまま再現しようとすることには私は断固として反対せざるを得ないのであります。(
拍手)したがって、この建国記念日は、広く
国民の意見を聞き、
国会においても慎重
審議を尽くすべき重要な問題であります。それを
議題にも供せず、したがって何ら
審議にもかけない
議員提出のものを、
混乱、激突のうちに
採決しようとは、真に言語道断といわなければなりません。(
拍手)
国民の祝日は、現在の
国民のみならず、将来にわたる、子孫も末長くともに祝い合えるものであらねばなりません。ここに思いをいたすことなく、
日本の将来の歴史に一大汚点を残すようなことをあえて断行しようとした、ファシズムの手先と成り下がった
永山君を、私
どもは
委員長としていただくことはできないのであります。(
拍手)
次に、
議長の裁定案なるものについても明らかにしておく必要を感ずるのであります。すなわち、
議長は、
委員長が一括
採決したと称する五
法案、
建設省設置法の一部を
改正する
法律案、旧
金鵄勲章年金受給者に関する
特別措置法案の二案は
審議を終わったものとして一括
議題に供し、農林省設置法の一部を
改正する
法律案、防衛庁設置法及び自衛隊法の一部を
改正する
法律案及び
国民の祝日に関する
法律の一部を
改正する
法律案の三案は、
内閣委員会に差し戻しになりました。このことは前にもちょっと触れたとおりであります。一体、前者の二案と後者の三案とは、
審議上いずこにどれだけの違いがあったのでありますか。なるほど、
委員会の
会議録によりますと、
建設省設置法については藤原
議員が二、三分間、旧
金鵄勲章年金受給者に関する
特別措置法案については保科
議員がほんの一言触れでいるのみでありまして、野党たる
社会党はもちろん、民社の
委員もいまだ
質疑はいたしておらないものであります。これらは、
質疑はできなかったものではなく、大体の
審議日程も
話し合いがついておったのでありますが、十八日の社労の
混乱が波及した結果で、一時停滞したのみであります。
内閣委員会関係としては、
委員長さえ冷静であれば、二十日の
内閣委員会の
混乱は十分避け得られる情勢にあったのであります。
議長がこの二
法案の
審議を了したものと考えられたことは、まことに不可解でなりません。(
拍手)後者の三案は、
委員会としては一度も
議題に供されたとともないのですから……