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参考人(八
藤東禧君) ただいま
永岡先年から、英連邦を例にとられまして、世界の国際通信
政策というものと
日本の今後における国際電気通信
政策というものはどうあるか、どう思っておるかというふうなお尋ねがあったんですが、私
ども国際電信電話株式会社の
立場といたしましては、
政策はもとより
政府のお示しになるところでありまして、私から
政策ということについて申し上げるということは分の過ぎたことでもありますし、またできないことでもありますが、しかし、日ごろ国際電気通信業務を通じまして、英連邦はもとより、
東南アジア各国、あるいはいわゆる東側の
人たちと接触をいたしておりますが、その
関係からできました私
どもの現在置かれておる地位というものはどんなものかということを御参考に申し上げさしていただきたいと思います。
事々しく申し上げるわけではないのでありますが、
日本の国際電気通信というものは、明治四年でございまして、デンマークのグレート・ノーザンの極東
進出によりまして、長崎とウラジオが結ばれて初めて世界的に国際電気通信、電報というものが打てるようになった。それから明治年間を通じまして大正初期に至る無線時代が到来するまでは、ほぼグレート・ノーザンまたはコマーシャル・パシフィック等の
外国電気通信
会社の所有しておるケーブルによって
日本は国際電気通信をやっておった。言いかえれば、国際通信は、業務の実態においては、それらの
外国会社の支配と統制のもとにおったということは疑いのないことでありまして、私
どもの諸先輩は、何とかしてこの事態を少しでも有利に解決していこうと、いろいろ
技術方面においてもケーブル
関係の御研究を進められ、業務においても、いろいろな料金その他についても御努力を重ねて参られたのでございますが、幸いにして、大正初頭からでございますが、
一般無線というものが国際電気通信の用に供されるようになって初めて、ケーブルを持っておる国によって、
外国によって支配されるという国際電気通信のあり方から、世界をあげて、まあ完全なる通信――宗主というものを持ったわけでありまして、
日本もそれに基づいて着々と、長波、中波、短波とその歩を進めて参った次第でございまして、その間、たとえば国際
電話会社ができましたり、国際電気通信
会社ができましたり、
政府のいろいろな御
施策によりまして、とにかく
日本が
日本の自主的な
考え方において世界各国と国際電気通信を結ぶということができてきた時代が参ったのでございまして、戦後におきましても、もとよりこの方向には間違いないところでございまして、占領
政策時代の一面においては、占領
政策に支配は受けましたものの、一面においては大いに占領軍を活用いたしまして、再び
日本の国際通信の世界におけるところの自主性、地歩というものの確立にやはり努力して参り、そのためには、思い切って国際電気通信株式
会社という民営形態までも国策としてお取り上げになって今日に至っておるわけでございます。
この間、振り返ってみますると、国際電気通信界におきましては、非常に
技術というものが決定的な力を持っておることが
一つ、いま
一つは、ある国の国際的地位というもの、地理的にも、政治的にも、経済的にも国際的地位というものがその国の国際
政策、通信
政策というものを規定しておる。この二つは、もう何人も疑いのないところでございます。旧型ケーブルを持った国が支配しておる。政治、経済、文化に至るまで影響を持つ。それで今度は、無線時代に入ったならば、各国がおのおの自主的に活発にそれぞれやられております。
ところが、ごく最近のように、いわゆる無線というものが、周波数その他の
関係から、行き詰まり状態になってきて、今後ますます国際
関係が密接になればなるほど、膨大な国際電気通信需要が出てくる。しかも、その膨大な将来予想されるところの国際電気通信需要というものを、今日の短波
技術では十分まかないきれない。これは目に見えておる。たとえば
日本におきましても、すでに諸
先生方にこの席上で大分前に御
説明があったところでございますけれ
ども、
日本すらも、
アメリカとの間にももう電報、
電話が五、六年したら新しい波がなくなるのじゃないかということまで言われる。これは
日本だけじゃない。世界各国を通じての現象であります。
永岡先生が
東南アジアを御視察になった、これらの国のおくれた電気通信事情は、それも
一つにはやはり短波無線というものが
一つの壁というものにぶつかったというところがあるのじゃないか。
そこにまあ現われましたのが、例のコーアクシュアル・ケーブルでありまして、このコーアクシュアル・ケーブルの動きを見ておりますと、
イギリスを除きまして、大体において、前世紀からの、ある帝国が
一つの大きなケーブルを持っておる、それにほかの国が利用させてもらう、したがって、国際電気通信はそのケーブルを持っておる国に支配されるという
考え方から一歩を進めまして、
関係国がおのおの資本も
技術も業務も持ち寄りまして、共同経常的な
考え方でやっていく、ある国の独占的な支配がないところに行こうというのが、大西洋の何本かの国際ケーブルの動き方でございますし、
日本と
アメリカとの間に敷かれます太平洋ケーブルも、その
考え方で行っておるわけでございます。
さて、このケーブル問題いうものは、今後宇宙通信の到来を日前に控えまして、どの緯度宇宙通信並びに血来の短波通信と並行し、からみ合い、総合的な国際通信の
一つの手段としていくかということは、なかなか予断しがたいところでございますが、しかしながら、このコーアクシュアル・ケーブル時代というものに
日本はおくれることなく行こうというのが太平洋ケーブルであったし、先ほど
浅野監理官から
お話ありました
東南アジア・ケーブル問題というものにもからみついてくるものだと思います。ところが、英連邦だけは相変わらず違う。大西洋ケーブルのように幾つかの国が結んでいて、各国共同で経営していこうといういき方と違う。英連邦というのは、
インドあり、セイロンあり、そうしてマレー、
シンガポールあり、ボルネオあり、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、
イギリスというふうな世界全面にわたっていわゆる英連邦の国がある。それらの国を結びつけていく。これは英連邦自体の生きていくための当然の道でもありましょうが、しかも、この
地域的な、政治的な分布というものを利用いたしまして、英連邦ケーブルというものは、すべてこれらの連邦を結びつけていく。他の国のこれに対する資本的参加も経営の参加も許さない。一時代前のあの方針を相変わらず持っておる。これに対して
日本はどう対処するかという問題がここに出てくるわけであります。
私
どもといたしますと、御存じのように、
日本の国際磁気通信というものは、ほとんどが貿易
関係でございます。極東というこの地理的事情からいって、
日本は貿易なくして立たず、文字どおり今の国際通信は貿易通信ということになっておりますが、この
立場からいたしますれば、たとえ英連邦がさような
政策を持って臨んできたとしても、われわれはこの興連邦のそういうケーブルというものを利用する範囲内においては、
日本の利益になる範囲内においては、あるいはやむを得ない範囲内においては、あくまでも提携して利用していこう。一ガ、またその英連邦のケーブル
政策にまかせることができないものにおいては、これは
日本が
東南アジア各国と手を握ってひとつ
東南アジア・ケーブルを持つ、あるいは
アメリカと手を握って太平洋ケーブルを持っていこう、こういう
考えで私
どもは今日まで臨んでおりますが、将来もそのように臨んでいきたいと思っている次第であります。
ただ、
東南アジア・ケーブル問題について申し上げますと、これも私も
商社人でありますので、さようなお国のことを申し上げてどうかわからないのでございますが、なかなか
東南アジア各国と結ぶケーブル
政策というものはむずかしい。英連邦のような同じ連邦の一国が、それぞれみずからのために、共同の利益のために結んでいくという英連邦のケーブル
政策とちょっと違う。
東南アジア諸国の中には中立国もある。その中立国にもいろいろ事情がある。あるいはまたそうでない国も一あり、いろいろとむずかしいのでございまして、英連邦が共同するようなやり方でもって、一挙にはたして
東南アジア・ケーブルができますか、非常にむずかしい。政治的にも、社会的にも、経済的にも、それぞれ
東南アジア各国は非常にむずかしいニュアンスを持ち、いろいろ相違いたしております。と同時に、
欧米各国が相変わらず強烈な過去の影響力というものを今日も、
永岡先生もごらんになったでございましょうが、持っておる。
そこで、こういう
東南アジア・ケーブルの
関係各国が平等な
立場で共同して仕事をしていくという持ち方がなかなかむずかしいのみならず、資本的に非常にまずしい。これらのことがありまして、
東南アジア・ケーブルというものは、
日本と
アメリカがやってみたような、あるいは
アメリカが
イギリス、
ドイツ、フランスその他
ヨーロッパの国とやったみたいになかなか進みにくい。財政的な問題もありますが、同時に政治的な問題もある。現に、先般の束帯
アジア・ケーブル問題の
会議について最後まで出席が不明であったのはカンボジアでございます。エカフェの総会においでになった当時、カンボジアの通信大臣と企画庁大臣に、私はじかにお目にかかって
お話ししたのでありますが、カンボジアは、在来の厳正中立
政策ということから、こういうような国際通信幹線網に結びつくということに対して、なかなか一挙に踏み切れない問題を持っておる。非常に率直に両大臣は私に
お話しになってくれました。
また、
フィリピンの
状況を申しますれば、御存じのように、
フィリピンの国際噴気通信はすべて
アメリカ通信
会社がやっております。ちょうど
日本がグレート・ノーザンによって明治年間国際通信をやっていたように、今日においては
アメリカの通信
会社がすべて国際通信をやっておる。ここで
日本が
東南アジア各国と手をつないでケーブルを引こうと思って持っていくとしたところで、われわれは
アメリカの通信
会社を相手にしていくのか、あるいは
フィリピン政府を相手にしていくのか、
フィリピンは国営もありますから、
政府を相手にしていくのか、なかなか
東南アジア・ケーブルというものは、財政的にも非常に問題がありますし、政治経済的にも非常に問題があるのであります。しかしながら、これは企画庁の大来さんの
お話でありますが、EECにならうべく、もしも
アジア共同体があるとすれば、今後伸びていくとするならば、まずヒストリカル・バイアス、交通通信におけるところのヒストリカル・バイアスを是正しない限りは、AOECと申しますか、
アジア共同体というものはできない。すべて
東南アジアの各国は旧支配国とはよく結びつきがあるが、隣国同士においては全くばらばらになっておる。そういうふうな歴史的な原因によるところの交通通信の現在のあり方というものは、いまだに大きなあとを引いて残されておる。これを打破して、
東南アジア各国が交通通信において結びつかなければ、
アジア経済共同体のごときは、これは望んでも得べからざるものであるというふうなことを言っておるのでありますが、全く私は、この点については、在来の経験から申しまして同感でございます。
今申しましたように、いろいろな問題があるとしても、これを乗り越えて、
アジアなら
アジアというものを結びつける交通通信というものが確立されなければならないと思っております。その一翼をになって、
国際電電会社も、
政府の方針に従って今後ともやって参りたい。
しかし、やはり現実にいって財政的な問題が大きい。これは、先ほど
永岡先生が経済
援助で御
指摘になっておりますが、現に私
たちは、国際
会議において
イギリス代表によってはずかしめられて帰ってきております。と申しますのは、二年前のニューデリーの国際通信幹線
会議におきまして、
イギリス代表から――
日本は今ITVの、国際電気通信連合の計画
委員会に
東南アジア・ケーブル・プランという青写真を出した。これに対して、われわれ英連邦はすでにもう大西洋はできた、今度はカナダからハワイを通ってフィジーへ行って、ニュージーランドヘ行って、ゼッセルトンを通って、マレー、香港まで現実に案ができておる、
日本の案というものはペーパープランだ、われわれのは現実問題である、したがって、国際電気通信連合の計画
委員会としては、
日本のこの案は御撤回になったらいかがですか、というふうな言葉を受けたのであります。暫時の
政府代表その他の御尽力と、
東南アジア関係各国の
協力によりまして、
日本案はぺ一パープランながら今日まで残っております。しかし、それが今後どうなるかということは、先ほどるる申し上げましたいろいろな事情で、
日本として
考えを大きく、深く持っていかない限りは、これは
イギリスにやっていただくより仕方がない、また再び
東南アジアの各国を結びつける通信幹線というものは、
アジア人の手ではなしに、
欧米人の手でもって作ってもらう以外に仕方がない、ということになるかもしれません。これを非常におそれておるのであります。
ただ、この際において大きな問題は宇宙通信であります。この宇宙通信がはたしてどう展開するか、私
たちなかなかわからないのであります。いつ実用化されるか、実用化されてどうなるか。
アメリカの単一通信系でいくのか、あるいは英連邦通信系、東側の通信系、三つの宇宙通信衛星系が併存していくのか、
日本はそのどれにいくのか、後進国はおくれた
技術と少ない資本でどうやって通信衛星をやっていくか、これは今後大きな問題であります。やはり
日本としては、
日本自身の生きていくために、
日本の国際通信綱をあらゆる新しい
技術に結びつけて発展さしていく。同時に、おくれた
東南アジアの友邦国も一緒にひとつ手をひっさげてこれに参加していかなければならぬ、こういうふうに
考えておるわけであります。これが、私
たちが日ごろ仕事をさしていただきます上においての印象でございまして、別段、理論的にも、あるいは統計的にも御証明するというものは今持ってないわけでございますが、私の印象を申し上げてお答えとする次第でございます。