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太田参考人 私、
東京都の副
知事の
太田でございます。本日は、当
特別委員会におきまして、
三宅島の
災害につきましていろいろとこまかい点について御
指導をいただきまして、まことにありがたく存じております。ことに、せんだっては当
特別委員会から
現地の
視察をしていただきまして、ただいま具体的に非常に詳細な御
報告がございましたが、そういう点につきましても、私
ども感謝おくあたわざるところがございます。この点、厚く御礼申し上げます。
実は、この
三宅の
災害の問題でございますが、ちょうど八月二十四日にこの
事故が起こりまして、現在までもう二十日余になるわけでございますが、その間、都といたしましては、
現地の
災害対策本部からの
報告に基づいて急速に各
方面との
連絡を密にいたしまして、
災害救助法の
発動をしていただいて、
島民の
救護の万全を期したわけでございますが、私、二十八日の日に
現地に出向きまして、
避難所の
状況、あるいは
現地の
噴火後のひんぱんに断続的に起こりました
地震の
状況等も
視察をいたしました。この
事態が長く続くならば、これは年寄りあるいは
子供たちの問題を
考慮に入れませんと、島の
中心になって働く
中心人物の
活動を阻害するのではないかというような
感じをもちまして、できるならば
子供たちを島から
離島させるということも
考えなければならないのではないかという点を
考慮いたしまして、帰ってきたわけでございます。その後、今回
海上自衛隊と
海上保安部の御
援助を得たわけでございますが、ちょうど
台風十七号が
日本近海にやって参ります
状況をもかんがみまして、できるならば十七号が接近する前に
学童その他の
疎開をいたさなければならないというふうな
考えからいたしまして、実はこれは三十一日に決定をいたしまして、翌一日には、
海上自衛隊の御後援によって、
館山地区へ千七百人ほどの
老人及び
学童を連れてくるというような
事態になったのでございます。その間、時間がきわめて短かかったために、
現地の
災害対策本部なり、あるいは
住民の方には非常に
お忙しい目をかけたと存じますけれ
ども、しかし、ちょうど二十五日の
噴火が最も盛んなときの
海上の
状態から見ますと、
海上自衛隊なりあるいは
海上保安部からの応援の船舶が島に近寄れないというような
事態があっては、せっかくの
計画もそごになるのではないかというような
考えからいたしまして、急速に行なったわけでございます。その後、先ほど御
報告にもございましたが、九月に入りましてから
地震が軽微になったというような
関係もございまして、島の
住民の
大半も、早く
館山地区に
疎開をしております
子供たちを本島へ引き取りたいという
希望も出まして、ことに十八日から
学校の方は授業を再開したいというような要望もございましたので、
関係方面と
連絡をとりまして、実は今朝の八時くらいから
館山には
海上保安庁から宗谷が出向いていただいておりまして、
館山地区へ
疎開をいたしております千八百名の
老人、
子供をきょうの午後三時くらいまでには
三宅へ帰すという
予定で進めております。それからまた、
東京なりあるいはその他の
地区へ個々に任意に
疎開をされた
家族は、
竹芝桟橋から出帆をいたします東海汽船の藤丸に本日は無料で乗せまして、島の方へ帰すというように
予定を立てまして、本日のうちに、島から離れました
方々はまた
希望に基づいて
もとの
地区へお帰しをするということになっております。
また、
現地のその後の
模様でございますが、せっかくそれだけの人が帰られても、
避難所に充てられた
小学校その他のその後の
状態がどうだかということも
心配いたしたのでありますが、
先ほどお話がありました
伊ケ谷地区を除きまして、ほとんど
大半の
家族は御自分の
住宅へ帰っておられます。従って、
学校再開には差しつかえないというふうに
考えております。
伊ケ谷地区につきましては、
学校は一応開校する、そのかわり、今まで
伊ケ谷小学校に入れておった方、これは主としてがけくずれのおそれがあるために急遽
避難をさせた
方々でございますが、これは一応、
保育所だと存じましたが、そこへかりに入れまして、その後これは必要があるならば急遽
住宅等の手当をいたさなければならない、かように
考えております。
そういうことで、一応、御
心配をいただきました島からの
疎開した
方々は、本日をもちましてまた
もとへ帰るような
状態になっております。
ちょうど
先ほどお話がございました
昭和十五年の
噴火の際に、最後に島の
中心にあります
頂上が大きな
爆発をして前回の
噴火が終息をした、そういう前例を
考えておるのかと思いますが、私
どもが島へ行きましたときの島の
方々の
心配は、とにかくもう一度
頂上の山がぼかんといかなければこれは終わらないのだ、それがいつになるかわからないからということが非常に不安の種のようであったわけでございます。従って、ことに私参りましたときには、
五分おきぐらいに、小さい
地震ではございますが、
人体に感ずるような
地震がありましたので、そんな
関係で
子供たちがおびえて手がつかないというような
状態でありましたので、やはり急速にそういう
子供たちを——これは親元から手放して出てもらうということは何かと
心配の種をふやすことだとは思いましたけれ
ども、やはり一日も早く安全なところへ、たとい十日でも二週間でも手放しておいた方がよかろうという
考えからいたしました。それとまた、これは私
どものきわめて
しろうと考えのラフな
考えでございますが、一応、
噴火後から一カ月くらいは
様子を見なければ将来がわからぬじゃないかというような
感じもいたしましたので、実は今回の
計画は、一応今後九月の二十日過ぎくらいまではこの
状態で進めていかなければいけないのではないかという予想はしておったわけでございます。しかし、九月になりましてからの
地震の起こり
工合等がだいぶ落ちついて参りました。そうすると、住めば都と申しますが、島の
人たちもやはり島へ帰ってまた一日も早く落ちついた
もとの
生活に戻りたいという気持をだいぶ持っておられるようであります。そういうことからいたしまして、本日約千八百名からの
方々をお帰しするという運びになったわけでございます。
これが今までの
状況でございますが、今回の
災害につきましては、都がとりあえず第一線の責任を持ちまして、いろいろと
救護その他の
仕事に従事したわけでございますが、しかし、
政府の各官庁、この
仕事に
関係をお持ちになっておる各省がきわめて好意ある御
援助をしていただきまして、
災害救助法を
中心とした
救護の
実施にあたりまして比較的スムーズに事が運んだということは、ここであらためて
皆様方に御
報告を申し上げまして、心からお礼を申し上げたいと思います。
なお、これからの都の施策あるいはそれに伴いますいろいろな
希望と申しますか、そういう点を、この際、はなはだ勝手でございますが、申し上げさせていただきまして、御
考慮をいただけば幸いだと存じます。それらの点につきましては、先ほど御
報告がございました点と重複することもかなりございますが、あらためてまた私
どもの
考え方を申し上げたいと思います。
まず第一に、
先ほどお話がございました
離島振興に関する問題でございますが、今回の
災害ばかりでなく、
東京都の管轄内にございます伊豆七島の島々に対する
離島推興の促進につきましては、ふだんからいろいろと御
援助をいただいておりますが、やはり今回の
災害にかんがみまして、何しろ、交通機関とすれば、水と上空からの
連絡でなければ工合が悪いという点からいたしまして、港湾設備の急速な改良と、それから現在手をつけ始めておりますけれ
ども、
三宅島の空港設置の問題、これを急速に進めて参りたい、こういう点につきまして特に御
配慮をいただきたいと存じます。
それから、
火山観測の問題でございますが、現在まで
東京都では都費を多少お願いをいたしまして、実は大島の三原山が数年前に
噴火をいたしました、あれから大島の
火山観測をやっております。しかし、
三宅につきましても、前の十五年当時からの実績がございまして、きわめて設備は小さいものとは思いますが、
政府の方で
三宅の方で
観測をしていただいてはおりますけれ
ども、しかし、今回の
地震が起こりました直後において、
三宅に設備してあります機具だけではとうてい正確な
観測ができないということで、ちょうど私が島へ参りました二十八日の朝、急遽、
気象庁の方あるいは大学
方面からの
地震観測関係の機材を陸揚げしていただいて、これから
観測をするところだ、そうすれば、この
観測さえ進めば、大体今後の
地震の起こり方その他について正確な判断ができるというようなお話でございました。そういうことで、今後その
観測の結果を待って
島民の
指導に当たるようにということを、私、
気象庁初め
関係者に言って帰ったわけでございますが、これらの点から
考えまして、
先ほどお話がございましたが、
火山観測の整備については、
三宅の現在の
実情から見ますと、ぜひ相当の経費をつぎ込んでいただいて今後
観測を続けていただきたい、かように
考えております。
それから農林水産
関係の
復旧の問題でございますが、これは現在実は農林部長を
現地に差し向けまして、大体
被害の
状況もこの程度で正確な結論を出す時期ではないかというふうに
考えて、今
調査に出向かせております。先ほどいろいろと御
報告がございましたその数字につきましては、私
どもも支庁から
報告を受けておりますが、なお詳細なデータが出ました際は、農林省当局とも密接な
連絡をとりましていろいろお願いしたいと存じておりますけれ
ども、島の産業の
中心が、薪炭をつくるとか、あるいは
テングサの採集とか、それらのきわめて原始的な農林水産業に限られておりますので、そういう面の
復旧をぜひ一日も早くやっていきたい、かように
考えております。
それから
災害救助法の給与の単価等につきましては、これは厚生省できわめて御好意のある
措置をとっていただいたと思っておりますが、
期間の延長なり、あるいは単価の引き上げ等についても、比較的私
どもの
希望を入れていただきまして、現在までそう支障のない運営ができたと存じます。なお、この単価が百円くらいでは少ないじゃないかというお話ではございましたが、実際はこのほかに各
方面からの寄付その他も相当ございましたので、給与の面におきましては、まあ島と
館山を比べれば、それは
館山の方がずっとよかったわけでございますが、
館山へ行っていた
人たちは、給与の面については不平は起こりませんでした。
それから今後の問題として、
生活保護法の適用の問題、あるいは
失業対策事業の拡張の問題等もございます。この面につきましては、実は
生活保護の対象につきましては、
先ほどお話がございましたように、全
島民の約五%というものが今まで一応被
保護の対象になっておったわけでございますが、今後相当数のものがふえてくるのではないかというふうに
考えますが、一応私
どもは、都の方から社会福祉協議会の方に出しております
世帯更生
資金の貸付を
実施をいたしまして、これによってとりあえずの入用な金についてはまかなわせる——今の基準といたしましては、三人以下の
世帯に対しては四千円、五人以上の
世帯に対して六千円の貸付をいたしまして、とりあえずの困っておる急場をしのがせたいというふうに
考えておりまして、これはもうすでに貸付の事務を開始しております。これは今のところ、三百
世帯として、一
世帯十万円といたしましても三千万円くらいのものでまかなえるのではないかというふうに
考えておりますが、これが一応終わりまして、一わたり行きわたってから、
生活保護の対象がどれほどふえて参るか、これを正確に把握した上でまた
実施して参りたいというふうに
考えております。
それから
失業対策の問題でございますが、現在八月までに都が一応割り当てておりましたのは、月に百四十名内外のものを対象としておったわけでありますが、現在までに失対の
仕事に就労したいという申し出がございましたのは、これは今度の
災害が起こります前、あるいはその直後でございますので、まだ人心が落ちついておりませんから、そう出て参らないと思いますが、百十七名程度でございます。まだ多少の余裕があったわけでございますが、しかし、半面、
噴火による
道路の決壊その他の
復旧工事を失対の方の手を借りてやらせるという面から見れば、今後かなりの需要がふえるわけでございまして、十月以後の
予定としては、一応二百三十名内外のものを割り当てるということで現在
計画をしておるわけであります。この他につきまして、一般の土木の
事業、ことに
道路を
中心とした
仕事につきましては、建設局が今後
中心となりまして進めていきたい。今回の
溶岩の
流出によりまして、全島を循環いたしておりました
道路が、約千六百メートルくらいでございましたか、途絶しております。これは島の今後のため、ことに産業の発展等を期する意味からいきましても、一日も早く
噴火の落ちつき次第整備をいたしまして、
もとの循環
道路程度のものまでに
復旧させなければならぬ、かように
考えております。そういう面からいたしまして、土木
事業、それに伴う
失業対策事業の需要というものは、相当私
どもは重点を置いて
考えて参らなければならない、かように
考えております。
大体私
ども今まで
考えております。また、この際
政府の方におかれましていろいろと御
援助をいただきたいと
考えておりますことは、以上の通りでございます。
なお、
集団移住の問題につきましては、現在島の
人たちがどういう
考えを持っておるか、あるいは今回最も
被害の多い、
溶岩が流れ出した
地区に隣接したところの
住民でそういう
希望が出てくるかどうかということは、いま少しく
事態の推移を見まして、その上で取り上げて参りたい、かように
考えております。
繰り返して申し上げますか、今回の
三宅島の
災害につきましていろいろと御高配をいただきましたことにつきまして、厚く御礼を申し上げたいと思います。
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