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鶴園哲夫君 私は、従来から大蔵省は、大蔵省の中に床屋さんとか何とかいろいろあるわけですね、食堂とか。大蔵省はそういうところの人を職員としておるわけですよね。公務員としておるわけです。それで、大蔵省の立場からいいますと、おそらく
——大蔵省きょう見えていないので、どうもいないところでまずいのですけれども、私の
考え方としましては、大蔵省として、その床屋さんなり何なり、あるいは食堂なりという人たちを
定員内にしているのはおかしい。だから、これは共済組合でしたほうがいいんじゃないかという
感じをお持ちになったんじゃなかろうかというふうに思うのですよ。で、
問題は、大蔵省にそういう厚生
関係の人たちがいるということと、それから建設省なり、
北海道開発庁なり、そういう現場を受け持って
仕事をしておるところに厚生
関係の職員がおるということは、相当違うんじゃないかというふうに思うわけなんですね。大蔵省の場合は、そういう人たちは
定員内に入っておるわけですね。それをどう処置するかという大蔵省の
考え方で、
北海道開発庁なりあるいはそういうところの厚生
関係の職員を共済組合
運営でやられるということには
問題があるんじゃないかというふうに私は思うわけなんですよ。そこで、それは今大蔵省見えておりませんので何ですが、今まで公務であった、これは国家の
事務であるというふうに見たものをこれは国家の
事務でないというふうにされるわけでしょう。そうですね。共済組合方式でいくということになりますと、国家の
事務ではないということになる。それはどういうような解釈をされるのか。今までは歴然とした国の
事務なんですよ。それが、これからは公務ではないというふうにはっきり割り切られるわけですね。今までそういう厚生
関係の職員というのは間違いもなく国家公務員なんです。その国家公務員を国家公務員でなくするわけですね。これは身分の大きな転換なんですね。それを、まあこれは、二カ月で更新になるんだから、二カ月が切れると公務員でなくなるんだから、切りかえの時期に公務員でなくするんだというお
考えだろうと推察しますが、しかし、もともと、本来
定員化の
問題をお
考えになったのが、そういう二カ月更新だというような形式にとらわれないで、
現実に
実態としての慣行と
業務というものを本旨にして
考えたところに
定員化の
問題があったのですね。ですから今まで国家公務員であったものを国家公務員としなくなるという、それはどういうふうに解釈されるのかですね。
それからもう
一つは、こういう厚生
関係の職員で
定員内に入っている人がおるのですよ、りっぱに。同じ
仕事をしておって
定員内に入っておる。その入っておるのと同じ待遇ができないというのは、どういう理由か。共済組合方式になりますと、これは全然違った職員になるわけですよ。国家公務員じゃなくなる。そういう不平等な扱いを一体やっていいのかどうかという
問題。
それからもう
一つは、
北海道開発庁の三百二名なり、あるいは建設省の現場の八百名近い人たち、こういう厚生
関係の人たちが、共済組合方式になった場合に、おそらく料金を取るでしょう、共済組合ですから。従来、
各省とも、床屋さんなんかは共済組合でやっております。大蔵省は別ですが、
各省とも床屋さんなんかはみな共済組合ですけれども、それ以外の厚生
関係のものを共済組合方式にしますと、これは料金を取るということになってくる。それ相応の料金を取っていかなければならないことになると思うのですよ。そうすると、これは職員全体に及ぼす影響ということが、本人はとにかくとして、非常に大きいわけですね。こういう
問題を私は共済組合方式でやるという
考え方が、どうも理解がつかない。これは
行政管理庁の御
意見じゃないようにも私は受け取ったものですから、
行政管理庁にこういうことを承ってみても仕方がないのですが、最終的な
問題の処理は
行政管理庁ですから、これはどうするかということを伺いたい。どうもこれは共済組合方式でやるよいうことは、大蔵省の床屋さんと違うんですね。その点についてどういうようなお
考えを持っておられるのか伺いたいと思います。