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1962-04-27 第40回国会 参議院 大蔵委員会 第30号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年四月二十七日(金曜日)    午前十時五十九分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     棚橋 小虎君    理事            上林 忠次君            佐野  廣君            荒木正三郎君            永末 英一君    委員            大谷 贇雄君            木暮武太夫君            高橋  衛君            西川甚五郎君            林屋亀次郎君            堀  末治君            大竹平八郎君            須藤 五郎君   国務大臣    大 蔵 大 臣 水田三喜男君   政府委員    大蔵政務次官  堀本 宜実君    大蔵省主計局法    規課長     上林 英男君    大蔵省理財局長 宮川新一郎君   事務局側    常任委員会専門    員       坂入長太郎君   説明員    通商産業省企業    局次長     伊藤 三郎君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○産業投資特別会計法の一部を改正す  る法律案内閣提出衆議院送付)   —————————————
  2. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ただいまから委員会を開きます。  産業投資特別会誌法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑のある方は御発言願います。
  3. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 大蔵大臣に若干質問したいと思いますが、実は私は、きょうは産投会計審議に入る初日でもありますので総理大臣出席を要求してお尋ねをしたいと思っておったことがあったのですが、それを大蔵大臣お尋ねをすることにしたいと思います。  その第一点は、このガリオアエロア、いわゆる対日援助の問題について、政府のほうでは、これは債務であるという見解で終始一貫し、今度協定を結んで国会議決を求めておられる。しかし、野党である社会党、それから民社党、共産党をも含めて、これが債務であるかどうか、非常に疑念があるという見解をとっているわけなんです。国内問題と違って、いわゆる対外的な関係の問題でこういうふうにはっきり意見が正反対の立場をとるというふうな状態のもとにおいてこれが国会議決されるということは、これは私は好ましいことではないと思うのです。で、この場合に至るまでに政府としてももっと詳細な従来の経緯等野党側にも示し、そうしてできるだけ意見が接近するような平素からそういう配慮をしておくべき問題でなかったかと思うのですがね。そういう配慮もあまりしないで、ただ債務であるというふうな簡単な国会答弁で押し通してきた。こういうことは今後の外交関係を処理する上に好ましい状態であると考えられないわけですね。そういう点について政府として何らか反省するようなお気持で今はないのかどうかですね、政府としてはこれは債務であるとお考えになっているけれども、やはりこういう問題はもう少し政治的に理解を深めるというふうな措置を国内的にとっておく必要があったのじゃないかというふうに私は考えますので、そういう点を初めにお伺いをしたいと思うのです。
  4. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) この問題は、すでに昭和二十四年の阿波丸協定以来もう国会で正式に論議され、またその後の池田ロバートソン会談というものを機として常に毎国会論議されておって、政府立場はそのつどはっきり国会で明らかにして今日までに及んだ問題でございますが、御承知のように、これが無償で供与されたものではないということは、あらゆる資料いきさつ等から、これは外務委員会責任大臣から今国会を通じても十分説明されていることでございますが、もちろん、確定債務にはなっていなかった問題でございますので、これは両国協定によってきめられ、それが国会承認を得て初めて最後に確定した債務となる問題でございますから、今回協定ができたのを機として、初めてこの問題を処理する委員会ができて、国会承認を願おうという手続を政府がとったといういきさつでございますので、すでにこの問題については長い間論議され、政府側としても別にこれを隠しておって突如出したという問題ではございませんので、私はこの問題についての究明——究明といいますか、政府側説明というものは、少なくとも国民代表の府である国会に対してはもう十分今まで行き届いている問題ではないかと思っております。  で、過般衆議院大蔵委員会論議にもこの問題か出ましたが、まあこれは他日解決を要すると、くれたものではないと、あとでこの金額をきめて処理するという、はっきり表示された物品というものを受け取った内閣は、過去において吉田内閣であり、芦田内閣であり、片山内閣であり、三内閣全部これに関係しておったので、当時、援助物資を受け取るについても、無償でないというはっきり断わり書きをしてある物資をみんな受け取っておるので、歴代内閣もこれは十分承知しておるはずだということを申しましたところ、実は、そういうものを書いたものを受け取っておるのを承知しておるが、承認した意味ではないので、黙殺しながら受け取っておったという説明が、ときの内閣、今の野党でございますが、こういう答弁がございましたが、これは私は相当無理な話で、いやしくも責任を持った政府というものが全部承知でその物資を受け取っておるということから見ましても、債務性があるという点についての疑いは、もう私は実際において与野党ともほんとうはないのじゃないかとすら思っております。
  5. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 この問題が債務であるかあるいは贈与であるかという問題については、これは外務委員会で行なわれておるわけで、当然、外務委員会の私は問題であると思います。だから、この問題についてこの委員会論議する、そういう気持はないわけです。ただ、今日依然として債務でないという意見がいわゆる野党の側から主張されておる。これは事実ですよ、おそらく五日には自然成立する、あるいは四日には議決されるかもしれないのですが、ガリオアエロア債務については議決があるかもしれないが、しかし、そういう今日なお債務であるのかあるいは贈与であるのかというふうな意見に分かれておるということは事実なんですね。これについて、国会でもしばしば論議されていたけれども政府説明では野党側は納得しない、特に日本社会党の場合は、政府の言っておるように債務であるということを了承することができない。こういう事態において結論を出すということは、やはり私は政府の努力が足らなかった、こう言わなければならぬというふうに考えておるわけなんです。そのつど債務であるかどうか、あるいはアメリカとの折衝について国会に正直に報告されておらないと思うのですね。今、お話にあった、池田大蔵大臣の当時に訪米されてロバートソン会談されたその際、対日援助の問題についても話し合いがあったことは事実です。しかし、そういうことについても別に国会で詳細に報告もないし、あるいはまた吉田首相の当時に、吉田首相としては、アメリカに対してこれは債務として返済するという約束をしておる、そういうことについても、大体ほおかぶりをして、これを内々にしておる。こういう態度がやはり今日論議を生んでいるんじゃないかと私は思うんですがね、どうでしょうか。
  6. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) ですから、この初期において、昭和二十五年当時に、この国会において吉田総理が、阿波丸協定ができましたときにも、世上ガリオアエロア無償供与というふうに思っている向きもあるが、事実はそうでないので、この問題も含んで云々という、あの協定のときに特に国会でこの問題の態度をはっきりしているといういきさつもございますので、政府が特にこれを隠したということじゃなく、そういう世上誤解もあるんだから、特にそういう点を無償ではないんだということを国会において説明しているいきさつもございますので、政府としての態度というものは、この点については最初からもう明確になっていたと思います。また、米国側におきましても、しばしばの会合において、無償供与ではむろんないが、ただし全額返済すべしというようなことは言わない、これは両国話し合いによってどれだけの部分を結局返済を要さない、くれるということにして、どれだけの部分を返してもらうかは、今後の折衝できめましょうという態度で、日米両国終始その態度で今日まで来たといういきさつは、これは明瞭でございます。
  7. 大竹平八郎

    大竹平八郎君 ちょっと関連して、今の質問に関連して、大臣に一点ほどお尋ねしたいんですが、この問題については、私もたびたび予算委員会等でいろいろ質問をいたしたんですが、その一番の問題は、池田さんを初め佐藤さん、それからまた水田大蔵大臣、あなた御自身も、米当局と再三交渉に行かれたわけですがね。ところが、幾らお尋ねしても、その各大臣ロバートソン初めいろんな人とお会いになったいきさつというものをちっともはっきり言わないんですね。しかし、今度はこういうような状況になって、すでにもう外務委員会においても、衆議院は通り、それから本院において今審議をしておるわけなんだが、この際ひとつ、まああなた自身だけでなく、佐藤さんとか、あるいは池田さんとかが交渉されたいきさつを、少し詳細にこの際お話しすることはできないんですか。
  8. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) これは別に特別に秘密になっていることではなくて、そのつど折衝された方からの報告はもうあったことと思っています。
  9. 大竹平八郎

    大竹平八郎君 いや、それは寡聞にして、私が質問したときには、外交上の云々というようなことで、こまかい答弁はないんですよ。事務当局でもいいですが、大体ひとつあれを……。
  10. 宮川新一郎

    政府委員宮川新一郎君) 二十八年の十月に、最初池田ロバートソン会談がございまして、その際の交渉の概要は、ガリオアエロア返済問題につきまして交渉を行なう旨意見が一致したということであります。その後、重光・ダレス、藤山・ダレス会談等ございましたが、今大竹委員御指摘の三十三年十月に佐藤大蔵大臣アンダーソン会談いたしまして、佐藤蔵相は、なかなかいろいろ国民感情もあるので、本件を早期解決することはまだ時期尚早であるというような意向を表明いたしております。さらに、引き続きまして三十四年十月、佐藤大蔵大臣アンダーソンIMF総会のときに会談いたしまして、米側は六億四千三百万ドルないし五億五千万ドルの要求を出したようでありますが、それに対しまして、こちらとしては意思表示を避けまして帰ってきておる。今までの大体の大蔵大臣交渉の内容は申し上げたとおりであります。
  11. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私は、こういう交渉経過は率直に報告されておらないと思うんです。交渉経過の中においては、日本政府意向として、二十四年度以前の対日援助については、これはたな上げにしてもらいたいという意向を表明されたことがあると思うんですね。こういう報道があったわけです。そういう問題についても、率直に交渉経過あるいは日本政府考え方というものが国会にも報告されていない。政府は率直でないと私は思うんですがれ。そういう点、大蔵大臣、どうですか。
  12. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) 私は、この問題の交渉が今まで特に隠されておったということはないのじゃないかと、私自身は思っております。と申しますのは、日米交渉の間においての一番の問題は、先般野党側からもだいぶ指摘されましたが、向こう側資料提出というものがないということでございます。どうしても援助総額を私どもは知る必要がありますので、向こう資料を出してほしいと再三要求しましたが、アメリカ側の言い分は、どうせ全部払うのじゃないだろう、またわれわれもそういう取る意思はないんだ、だから、全体の総額のうちどれくらい日本に払ってもらうかということは合理的に最後日米当局できめる問題だから、占領中の古い資料を今みんな出せということは無理だ——米国のどこかの倉庫にあるそうですが、これをやる手間や費用はたいへんなもので、もうそれを出す意味というものはないんだ、どうせ最後確定債務になるときには相当まけて日本払いいい合理的な交渉をしてきめるんだから、全額払うなら全額資料を出す必要はあるが、全額日本で払わないだろうし、われわれも取る意思のないというものに、古い全資料を出すということは無意味だ、というのがアメリカ立場で、ほんとう資料が出てこない、こういうことでございましたので、私どもは、それではやはり国会に対して私ども責任を持てない問題になるので、日本側日本側でそれでは調べざるを得ないというので、長い間かかって司令部が残していった書類を一つ伝票ごとに区分けして、そうして当時の国際価格を、価格のないものはこちらで入れるというようなことをやって、通産省が今日までかかって十七億何千万ドル、これだけは確かに日本側は受け取っておるとわれわれが信じられる数字を日本側で作った、そうして交渉はそれを土台に交渉するという方式をとったということでございますが、そこへ行くまでには、そういう資料の問題の交渉そのほかがございましたので、そういうものを中心の話は、これはたびたびあったと思いますが、要約すれば、向こうはそういう態度で出さなかったというので早期解決は、これはたびたび何会談会談であって、大蔵大臣が行ったときにもなるたけこれを早く解決しようという話が向こうから出ただけでございまして、こちらとしてはまだ資料が整わないので、それにいろいろな関係もあるから、まだ時期が早い、早急にこちらとしてはなかなか解決する態勢にはなれないというようなことで、毎年々々延ばしていて今年まで来たというのがいきさつで、その間に特別の秘密を要する話というものは、いかなるときの会談にも私はなかったと思います。
  13. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 今、大蔵大臣答弁になった問題については、これは後ほど質問をしたいと考えておるのですが、まあ私ども感じからすれば、今日依然として債務であるか、贈与であるか、これは相当意見が分かれておるということは、もう否定することのできない事実だと思いますね。そういう形において、まあ国会で多数をもって議決するということは、何だかあと味の悪いものを残すのじゃないかというふうな感じを持っておることも事実です。  その問題はそれくらいにしておきまして、かりに債務であるというふうに考えた場合ですね、これを、政府産投会計からこの金を支払うと、こういう方針をとっておられます。おそらくこれは、対日援助の見返りとして見返資金特別会計積み立てられて、それが産投会計に引き継がれておるので、まあ産投会計から支払うと、こういうことのようであると思いますが、債務であるということが決定すれば、これは結局国民負担になると思うのですね。結局は日本国負担になるわけです。四億九千万ドルアメリカに支払う、その大部分ドルで支払う、外貨で支払うということになるわけですから、まあ日本政府負担であり、日本国負担である。言い換えれば、国民負担である。もう債務であるということが確定すれば、産投会計から必ずしも支払わなくても、一般会計から支払っても、結論としては同じになるんじゃないですか。特に産投会計から支払わなければならぬという理屈は私はないんじゃないかと思うのですがね。その点、どういうふうにお考えですか。
  14. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) 私も、その点は、そうも言えるのじゃないかと思います。で、一般会計からきれいに国全体の債務と見て払うということも、これは私は差しつかえないことじゃないかと思いますが、ただ問題は、御承知のように、このアメリカ援助物資はどういうふうに処理されたかと申しますと、国民にこれを売ったわけです。売り払い国民にしておりますので、国民、個々の国民から見ますというと、これは一ぺん米国援助物資については自分は金を払って、この物資を手に入れておるということでございますので、そうしますというと、国民は、援助物資を一ぺん自分支払いをしているという事実がございまして、その金と、若干安くしてもらったものを価格政策で補給された、そういういろいろなものが入って、向こうから来た金額に、ドル価格に見合う円は積み立てるという法律がございましたので、そういう金は全部積み立てられておった。その積み立てられておった金の行方というものが今はっきりしているというときでございますので、一ぺん払って積み立ててある金があるのに、これをもう一ぺん自分たちが納めた税金で一括して払うということは、自分は二度の負担を受けていることになりはせぬかと、こういう問題がございまして、またこれを取り上げる人たちも非常に多いのでございまして、いわゆる二重払いになるということは、これは不合理だというような批判というのも、国内に相当あるのが現状でございますので、私どもは、その積み立てた金は別の用途に用いられて、国民経済には役に立っているのだ、もう相当役に立っているのだから、それはそれとしておいて、別に国民共同負担で払ってもいいじゃないかという理屈も成り立つとは思いますが、今申しましたような、一ぺん払っているものをまた自分たち税金を使って払うということの不合理性ということが指摘されている以上は、これははっきり区切りをつけて、一ぺん払っているから、国民税金では二度もこの債務払いませんということを明確にしたほうが、私は国民に対して誤解が避けられるのじゃないか。そういう考えを持ちますというと、積み立ての金が現在資産として四千億なら四千億円残っておる。その四千億円のうちから払うなら、これは一番合理的じゃないか。しかも、その四千億円の金も、いろいろの機関への出資になっておりますので、せっかく出資となって国民経済のために働いている金をここで引き揚げるというよりも、最も影響のない開銀出資部分から出てくる納付金、いわば運用の利益金というもので払えるという方法だったら、一番影響のない払い方になるというふうに考えて、特に産投会計から、開銀から納付されてくるその部分で払うことが、他に影響がなく、一番合理的なものだろう、こういう結論を私どもはつけたわけでございますが、そういうむずかしいことを言わないで、全部この金も、国民経済で、死んでいるのじゃない、役に立っているのだから、国民のためになっているから、別の会計から払ったらどうだというのが、これは御了解願えれば一番すっきりした方法だと思いますが、政府としては、現にあなたが言われるように、債務性の問題というのもいろいろ出ているわけでございますし、特に二度国民に同じ物資についての支払いをさせるなという要望も、これはやっぱり聞かなければならない。誤解を避けて、国民に納得をしてもらなければならない重要な問題だと私ども考えましたので、そういう誤解を避けて、国民にそういう金の中から払うのだ、それならというふうに納得してもらいたいという考えから、特に、いろいろ問題がございましょうが、産投会計のそのもとの積み立てた金の系統の金で払うことが無難だというふうに私ども考えたわけでございます。
  15. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 昭和二十七年度の予算を見ると、あれはたしか平和回復善後処理費の項目で、百十億組まれていますね。その説明を見ると、これは対日援助のいわゆる債務支払い、それは全額債務支払いにはなっておりませんが、とにかく債務支払いのために、債務支払いを予定して、その返済に充てるための金として、予算に百十億組まれているわけです。その当時の政府考えでは、一般会計からこれを支出している、そういう予算を組んでいるわけです。ところが、いよいよこれを支払うことになって、今度は一般会計からはずしまして、産投会計からこれを支払う。政府態度は私は一貫していないと思うのです。どうですか、この点は。
  16. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) それは、前の政府においてはそういう考えがあったかもしれません。今のように、はっきり債務性があり、その解決した場合には、その債務は何から払ってもいいものだという考えがあったかもしれませんが、私のときになりまして、予算委員会におきましても、そういう払い方をすると国民誤解を与えるぞという野党側のいろいろな注文、質問がございましたので、私はその二重払い疑いをかけられるような払い方はしない、国民が十分納得してくれるように、二重払いというような疑念の起こるような払い方はしませんと私は答弁してしまいましたので、特に答弁に忠実のために、どこから見てもそう思われないような払い方を、私どもとしては非常に苦心していろいろその払い方を研究したといういきさつでございます。
  17. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 ですから、政府は当初、やはり一般会計から支払うという考え方を持っておった。ところが、これについていろいろ議論が出てきたので、今度は産投会計から支払う。産投会計から支払えば、それが二重払いにならないのかどうか、私はその点がよくわからないのですが、対日援助による国民に対する払い下げ代金国庫収入になっているのじゃないか、結局は。これは国庫収入になっていないのですか。
  18. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) これは、対日援助見返資金勘定というものの中に積み立てられて今までありました。それがこの会計が廃止されるときに産投会計に大部分が引き継がれた、こういうことになっておりますので、そのときの積立金というものの大部分は現在産投会計の中に移っておる、こういうことになっております。
  19. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 これは国庫収入ではないというのですか、それじゃ。
  20. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) 国庫収入でございます。
  21. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうでしょう。そうすると、産投会計から支払えば二重払いでない、一般会計から支払えば二重払いになるという理屈は、どういうふうになるのですか。
  22. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) 国庫収入ではございますが、その収入国民が払った金を積み立ててあるということでございますので、特に金に糸目をつけた払い方のほうが事態が明瞭になるというだけの関係がございます。もしこれが一般会計に全部積立金が引き継がれて、一般会計会計としてあらためてこの政府の十七機関に、この出資は必要であるというようなことで、一般会計からこの出資が出ておるのでしたら、これは今回のような場合に、一ぺん国民の払った金は一般会計に入れた、だからその一般会計から払うといえば、これははっきりすると思うのですが、一般会計には入れなくて、すぐに産投特別会計にこの金が引き継がれておりますので、その中の資産でこれを払うことのほうが事態が明瞭になるというふうに考えております。
  23. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうすると、大蔵大臣の御意見は、いわゆる対日援助物資国民払い下げて、国民の支払った代金積み立ててきた。その積み立てた金が結局産投会計に入っておるのだから、産投会計から払うのが当然だ、こういう意見になりますね。
  24. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) そうすることが一番支払いとしては支払い源がはっきりする、こういうことでございます。
  25. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは、これは後々質問したいと思っておったんですが、昭和二十四年以前の問題になるわけですが、昭和二十四年以前は見返資金特別会計という制度がまだなかった。したがって、あれはたしか貿易資金特別会計になっておったんじゃないかと思いますが、そこで処理されておる。これは私が申すまでもないことですが、国民に売却して、国民が支払った代金というものは、結局何も積み立てておられない。積み立てはないのです。この詳しいことはあと質問するといたしましても、昭和二十四年以前の対日援助による売却代金、これは結局消えているんですね、ゼロ。これは見返資金特別会計ができたときにも、全然入っておりません。これは詳しいことはあと質問するとして、入っておらない。そうすると、積み立て代金で支払うのだという大蔵大臣答弁ですね、そうすると、二十四年以前は積み立てがないわけです。私の言いたいのは、二十四年以前と二十四年以後とは、大蔵省が提出している資料を見ても、区別しています。今の大蔵大臣答弁から考えて、二十四年以前の対日援助物資代金というのは積み立てがないわけです。そうすると、その分以前は、これは支払うといっても、積み立てた金がないのですから、支払いようが私はないと思うのですが、大臣、どうですか。
  26. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) 以前の援助物資も、国民生活の問題にはりっぱに役に立っていることは事実でございますが、この経理は全部司令部の手で行なわれておったという関係で、その処理が明確に日本側にはわかるようになっておりませんでしたので、その事態を今後改善するというために、援助物資が届いたら、そのドル価格に相当する円を必ず一方に積んでおくという法律によって、自後の援助物資については経理上明確になるという措置をとったわけでございまして、以前には、そういう問題は確かにございます。
  27. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 ですから、昭和二十四年以前の分については、積み立てがなかったわけですね。
  28. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) しかし、積み立てなければ払えないという性質のものじゃなくて、援助は援助でございますが、これは確かに積み立てはなかった。しかし、自後においてははっきり積立金というものがあるということは確かでございますので、ある部分において払うということはやはり、ない部分からは払えませんが、ある部分からは払うというのが、これはまあ合理的だと思います。積み立てがなかったから払うべきものじゃないというのじゃなくて、援助物資債務性を持ったものでございますから、それについて返済をするということは、これは当然でございまして、問題は、額を幾らにしてどう払うかという問題ですが、きまった額はこの自後の積み立て金額内でも十分——現在残っている資産の半分ぐらいをもって払い得る額に縮まってきましたので、前の問題はともかくとしましても、自後積み立てたものの資産の中から払うというだけのことでございます。
  29. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 先ほどちょっと触れましたが、返済交渉の途中において、日本側としては、三十四年度以前の分は、資料も不分明であるし、また国民に売った代金も消えているわけですね、全部。そういう意味で、この分はたな上げにすべきであるという意見アメリカ側に述べたことがあるというのですね。それとの関係はどうですか。
  30. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) それは、司令部が管理しておった時代の実情ということは、アメリカ側も十分承知しておりますので、問題は、援助総額日本で確認し得る援助総額によって、それを大きく交渉によって、俗にいいますと、まけるということになりますか、最も日本で合理的と思われて承知できる金額内で解決しようという向こう態度でございましたし、こちらも全体十七億何千万ドル確かに援助は受けているが、こういう差引勘定で最終の金額をこういうふうにするならばという、相当長い間の交渉で今度のような金額に落ちついたということでございますので、もう今からいろいろのものを一々全部正確には追及できないとしましても、全体の解決から見れば、もうそれ以前の問題というようなものも、事実上は最後解決においては問題にならぬ、解決ということになろうと思います。  ですから、援助総額がやはり一応つかめなければこの問題の交渉としては困る問題でございますが、援助総額日本側で確認する額を土台にするということになった以上は、いろいろの方式で、日本も債権を持っておりますから、日本の主張のものをみんな引いて、ドイツと解決したような方式も取入れて、それよりも有利ないろいろな方式の交渉を私どもがやって、今のようなところへ落ちつけたということでございますので、落ちついた最後金額は、まあアメリカ側の主張の十九億幾らとすれば四分の一、日本の主張の十七億幾らとすれば四分の一以下でございますが、ドイツの解決よりも日本解決のほうが一そう有利な解決になっているということは言えると思います。
  31. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうすると、こういうことですか。まあ二十四年以前の対日援助についてとやかく言わなくっても、総額として四億九千万ドルですか、大体これは対日援助総額の四分の一弱程度になるというので、二十四年以前の問題は政府としてもあまり固執する必要がなかったと、こういう見解ですか。
  32. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) いや、そうでもございませんで、二十四年以前の司令部の管理にあったところの援助物資についても、御承知のように、多年かかって私どものほうでは確認できる限りの努力をして、大体これだけは日本側として確認できるというものを確認しましたので、あとは当然そのうちのどれだけを払えばいいかという交渉に入ったわけでございまして、金額の算定は、外務省から委員会で御説明があったように、いろいろの計算から積み上げて、ああいうふうになっているわけでございますが、しかし、私どもとしては、最後債務がその二十四年から前の金額まで及ぶというような問題になりましたら、これは日本側としてももう一歩のいろいろな検討をしなければならぬという、資料不足の問題についての検討も要するということになろうと思いますが、最後の姿として、二十四年以前がそうこまかいところを一つ一つ検討しなくっても大体済むという数字に落ちついた以上は、まあその程度でやむを得ないということで、とうとう最後まで米国に、最終の向こう側のその当時の資料全額なければ困るということで押し通したわけではございません、向こうがそれに応じませんでしたので。日本側の数字だけで交渉して、二十四年以前の問題は日本だけの数字だけの交渉をしたということでございます。
  33. 大竹平八郎

    大竹平八郎君 関連して。いろいろ大臣から御説明ががあったようですが、それから先ほど宮川局長から各大臣の従来の先方との交渉についてのごく簡単な報告があったわけなんだが、私なんかその報告のうちで知りたいことは、大臣が今総額はわからないから云々と、こういうことをおっしゃったわけですが、総額は私は大体もう国民が払った金額で、大体その全額の全貌というものはわかっていると思うのだ。むしろ、そういうことよりも、これは一体当時としては、水田大蔵大臣自身だって今とはだいぶ考え方が違うのだから、当時として、これははたして一体債務だったろうか、贈与だったろうか、吉田さんの考えですかもしらぬけれども、一般には政府の部内にもそういう空気というものが多かったと思うのですね。したがって、池田さんとか、佐藤さんとか、水田さんとか、各大蔵大臣が先方に行って交渉されたそのいきさつの中に、一体いつごろから政府としては腹をきめて債務だというような気持になって交渉されたのか。さっきの何か三人かそこらの報告があったのだが、そういう点は一体どうなんですか。いつごろからほんとう債務ですと——これはいい悪いは別ですよ。大臣交渉のうちでその交渉がなければならぬはずなんだな。
  34. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) これはもう援助物資をもらうときから、歴代政府は、はっきりくれるものの中に、くれたのじゃないという、あとからこれは返すべきものだという表示をされた物資をみな受け取るのですから、歴代内閣は、これは無償のものと思っていたという事実はありません。ただし、これはあとから解決されるのだから、ほんとう確定債務は幾らになるかと、これはいずれあとのことで、まだわからない。相当部分はこれは無償になるのだろうというくらいの考えで、一応受け取ってもおりますし、この問題に真剣に取り組んではこなかったと思います。また、向こうもそういうのではなかったかと思いますが、阿波丸事件のときからはっきり、これはあとから返すべきものだというので国会答弁のときにも現われて参りましたし、自後いろいろいきさつはあったと思いますが、講和会議のときになって、問題を分けて、この債務処理は別途あとから早急にやろうというような話で講和が成立し、そのあとからほんとう両国責任者同志で、その債務をどうするか解決しようという本格的な話が、講和会議以後に行なわれたというふうに私は聞いております。
  35. 大竹平八郎

    大竹平八郎君 そこで、大臣が当時のいきさつを知らなければ、理財局長からお答え願います。そこで、私は、こういう各大臣が何回も行って、この問題について、最初からしまいまで全部同じじゃなかったと思うし、今大臣答弁から見てもはっきりするのだが、だれの時代に、具体的にいえばだれの大蔵大臣の時代に——債務としてこっちが返済しなければならぬということになったのは、だれの大臣のときですか。
  36. 宮川新一郎

    政府委員宮川新一郎君) ただいま大蔵大臣からお答えがありましたように、当初から債務として心得まして、何らかの処理をしなければならぬというふうに考えておったことは、歴代大蔵大臣さようでございまして、一番それが話が出ましたのは、先ほど大臣が言われましたように、三十四年の阿波丸事件の国会審議の際に吉田総理が言われた、それがはっきり意思表示があった初めでございます。
  37. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それで、対日援助総額が幾らになるかという問題ですね、この問題については資料が出ておるのですが、昭和二十三年度分までは八億四千五百万ドル、それから昭和二十四年度から六年度まで八億四千七百万ドル、この昭和二十四年度から昭和二十六年度のほうは比較的明らかであると思うのですね。ところが、それ以前の対日援助総額というものはどういうふうにして出されたのか、これは私は若干疑問があるわけですが、当時対日援助物資日本に入ってきた場合に、それらの数量だとか価格というものは明確でなかったはずであると思うのですね。それがどうしてそんなにはっきり価格として計算できておるのか、その点が非常に疑問に思いますので、説明を求めたいと思いますが、これは大臣でなくてもけっこうです。
  38. 宮川新一郎

    政府委員宮川新一郎君) これは御承知のように、通産省が算定いたしました数字でございますが、御指摘のように、二十四年三月以前におきましては、商業物資援助物資の区分は明らかにされておりません。そこで、はっきり援助物資と分けるのはなかなかむずかしいのでございますが、連合軍最高司令部の一応残しておきました資料によりまして、援助物資として受領したことが明らかな物資のみを集計して、ただいまお読み上げになりましたような数字にした次第でございます。集計にあたりましてはできる限りその資料を収集したつもりでございますが、何分受領のときより十数年を経過しておりますので、資料の散逸したもの不備のものがありまして、受領したことは確認できるが、援助物資か商業物資か区分の確認の不明のものもあったのでございます。評価につきましては、米側が提示いたしました資料を基礎とすると同時に、IMF統計その他によって妥当と認められる価格を推計いたしております。
  39. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうすると評価ですね、価格の問題ですね、これはIMFのいわゆる国際価格というものから算定した数字と、価格と、こういうことになるのですか。
  40. 宮川新一郎

    政府委員宮川新一郎君) 御指摘のように、IMF統計その他わかり得る資料によりましていろいろ価格がございますが、通産省で積算いたした次第でございます。
  41. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 いろいろな資料といいますが、対日援助物資については価格の表示は私はなかったはずだと思うのですね。いろいろな資料というと、IMFの国際価格以外にどういうものを使ったのですか。
  42. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) 当時為替相場が一本化していませんで、物資別にばらばらであったというようなことから、米国側で表示されておるものもございますので、この物資はこういう計算に米国はなっているというものも参考にしますし、しかしまた、その価格は正当であるかどうかという点について、IMF統計その他から、当時の価格としてはこの物資はこれくらいのドルと見るほうが合理的だというふうに、相当私どものほうではこれだけのものをもらって、これくらいの値段が至当だというような考え方からのいろいろな調整をやっていると聞いておりますが、このやり方その他については、国会ではずっと衝に当たった通産省が御説明をしてくれることに今までなっていまして、委員会ではそうしましたが、これは大蔵省がそのやり方については直接関係していません。
  43. 宮川新一郎

    政府委員宮川新一郎君) 大臣の御答弁に補足して申し上げます。  先ほど申し上げましたように、価格は御指摘のように日本政府に指示されておりませんので、司令部の算定いたしました資料米側の計算資料によって算出したのであります。もう少し具体的に申し上げますと、契約別ファイル中にインボイスが綴られておる場合には、インボイスに記載されておる価格によりました。第二の、司令部商業勘定によって買い付けた後にガリオア資金をもって払い戻されている物資につきましては、バンク・ステートメントに記載されている払い戻し金額によっております。第三の、その他の物資につきましては、米国政府昭和二十九年五月十四日日本政府に提示いたしましたサマリー・オブ・トンネイジ・エンド・バァリュ・オブ・ガリオア・プロキュアメントという資料によりまして算出いたしました価格に運賃、保険料を加味した価格を、IMF発行のインタナショナル・フィナンシャル・スタチックス及び米国のコモジチイ・リサーチ・ビュロー発行のコモジチイ・イヤーブック等によって適当なものであるということを確認の上採用した非常に複雑な計算方法を用いております。
  44. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 もうちょっとわかるように説明してもらわぬと。私、聞いておってもわからぬ。まあそれは別として、その前に先ほどの問題です。この援助物資か一般物資か、その区別がはっきりしたのかしないのか。少なくとも貿易庁で扱った貿易特別会計においては、援助物資であるかあるいは一般物資であるか、これは区別がつかないはずですね。それがどうして後になってそういうことがはっきり区別して調査できたかという問題がまだ残っておると思うのですね。どうしてそれが区別できたか。少なくとも昭和二十四年以前はそういう区別はつかないはずだ。二十四年以後は、これは大体区別がはっきりしてきていると思いますね。しかし、以前は為替は軍が管理しておった。それから、援助物資の売却等は日本政府が国内では処理しておった。しかし、為替レートと国内価格とは全然無縁の関係にあったわけですね。しかも、この援助物資あるいは一般物資の輸入については何らの区別がなかったというのに、今日になってどうして区別がはっきりできるのか。それをはっきり言ってもらいたいと思うのですがね。
  45. 上林英男

    政府委員上林英男君) この問題につきましては、先ほどから御答弁申し上げておりまするように、通産省が一々の資料につきまして当たったわけでございまするが、したがいまして、正確には通産省からお答えいただくほうが適当かと思いまするけれども、具体的にはこれから申し上げまするような方法で、司令部の残置資料をもとにいたしまして一つ一つ通産省が当たったものでございます。それは司令部の残置資料の中で、契約別ファイル中に、陸軍省が各調達実施機関にあてました民間供給計画承認書というものでやっておりますので、それが綴られております場合には、これはガリオアでもって調達された物資であることが明らかでございますので、そういうものを拾ったり、あるいは同じようなパーチェス・コミットメント、すなわち購入回議書と申しますか、そういうものもガリオアの場合にのみ綴られるものでございますから、そういうものがくっついているものを拾い上げる。そういう書類がない場合でありましても、契約別のファイルの中の取引指令書、積荷目録などに同じく陸軍省の民間供給計画を意味しますTOGという記号が付されております。そういう場合には、同様に援助物資として仕訳をいたしたわけでございます。そのほかこういうふうに援助物資として認定した物資につきましても、さらに司令部の商業勘定から外資の支払いがなされていないかどうかということをバンク・ステートメントによりまして再確認をいたします。また、当初商業勘定によりまして払われました場合でも、後日ガリオアの資金をもって払い戻しをしておるということがバンク・ステートメントなどで明らかに確認されるようなものは、これは援助物資として通産省が仕訳をしておる。そういうようなやり方でもって、一つ一つの司令部の残置資料をもとにいたしまして、証拠がございまするものを援助物資として仕訳をしていく、こういうことでございます。
  46. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 一々の書類を見ても、これが援助物資であるか、一般物資であるか、わからないはずです。そういう記入はないはずです。援助物資については、特別な取り扱いをしておらぬのですからね。どうしてわかるか、一々見たってわからぬはずです。わかるというのだったら、その資料を私は持ってきてもらいたいと思う。わからぬはずですよ。
  47. 上林英男

    政府委員上林英男君) 詳しいことは通産省からあるいは御説明をしていただくのが適当かと思いまするけれども。今申し上げましたように、司令部の残置資料の中におきましては、契約別のファイルの中に明らかに民間供給計画というものに基づいてやった、こういうファイルが残っておるものがあるわけでございます。そういうものを、そういうファイルが残っておるもの、あるいは記号によりましてTOGというような記号が付されておりますような場合には、これはやはりガリオア計画のものとしてやられておるということでございまするので、そういう記号などによって確認できるもの、あるいは先ほど申しましたように、一ぺん一般の商業勘定から払われましても、その物資代金を商業勘定から払いまして、後ほどガリオアの金でもって、陸軍省のガリオア予算でもって払い戻しておる。いわば一般商業勘定で立てかえて、後にガリオアで払っておる、こういうことが銀行のステートメントではっきりしておるものがあるわけでございます。そういうものを集計をいたしたわけでございます。
  48. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは、対日援助物資ですね、国民の手に渡るまでにどういう経路を経て、買付からずっと始まって、どういう経路を経て国民に渡ったか、その経路についてひとつ説明をしてもらいたいと思うのですが。
  49. 宮川新一郎

    政府委員宮川新一郎君) まず買付でございますが、援助物資の買付は、ワシントンの米国陸軍省購買契約官によって行なわれました。それから、引き取りにつきましては、援助物資が本邦荷揚げ港に到着する前後に、司令部から、通産省の貿易庁の名の責任におきまして、第八軍の指示によって物資を引き取れという趣旨の引き取り指令書が発せられまして、それに基づきまして第八軍より引き取りが行なわれたのであります。その際、一九四六年十一月十九日付スキャッピンによりまして、品物の検査−検品、検量、検数等によって確認した数量をもちまして受領証を作成されまして、司令部提出されたわけであります。このレシートは輸入貨物入港月報として取りまとめまして、各翌々月の十五日までに司令部提出されまして、見返り資金積み立ての根拠となっておるのであります。  次に、売却でありますが、価格統制下にある物資につきましては、当該物資所管局の割当に基づきまして、物価庁独自の統制価格で売却されておるのであります。それから第二に、そういう物資あるいは価格統制が存在しない物資につきましては、原則といたしまして、当該物資の外貨建価格を基準為替相場で換算しました価格に諸掛り及びその他の必要経費を加算した額を最低予定価格といたしまして、一般競争入札によって売却に付せられた、手続は大体さようなことでございます。
  50. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そこで、対日援助物資の買付ですね、それから日本に入ってくる経過というものは、一般物資、いわゆる商業物資、その間に区別がなかったというふうに考えるのですがね。これは対日援助物資として買付が行なわれた、これは一般商業物資として買付が行なわれるというふうな事情にはなかったと思うのです。同じような手続、経路を経て入ってきているというふうに考えるのですがね。それから、こういう買付の資金ですね、資金はどのようにして調達されたか、それにも区別があったのかないのか。
  51. 上林英男

    政府委員上林英男君) ガリオア物資の資金は、アメリカの陸軍省の予算でございます。したがいまして、援助物資を購入いたしますのは、アメリカの陸軍省の予算を支出いたしまして購入物資を送ってくるわけであります。中には商業勘定で入りました物資を後にガリオアでもって補てんするいわゆるガリオア・コォーディネーションというやり方をやっているものもございますが、それも終局は陸軍省の予算から出るわけであります。商業勘定の輸入と申しますのは、これは別途日本がかせぎました輸出代金の外貨、これは司令部が当時管理しておったわけでありますが、それによって買い付けるものでございますから、これは実体的には明確に区分されていたわけで、あります。ただ、これを日本に持って参りました場合に、日本でもって経理いたしますときに、御存じのように、当時は貿易資金特別会計一本の処理をいたしておったわけでありまして、日本側が受け取りました場合におきましては、これが両者区分されずに経理をされておったわけでございますが、日本の円の段階におきましては、これは一緒に貿易資金特別会計で経理をされておった、こういうことになるわけであります。
  52. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 今おっしゃったように、はっきり区分されておったかどうか、これは疑問があると思うのです。それは対日援助物資の主たる資金は、私は米国陸軍省の予算に組まれておったと思うのです。しかし、この資金と、それから日本が輸出した外貨ですね、これがプールされて、そうして使用されたのじゃないかというふうに考えるわけです。これがはっきり区別されて、日本が輸出によって得た外貨で日本が援助以外の物資を購入するというふうな措置はとられていなかった。当時日本はそれに関係していないのですから、いわゆる総司令部がそれをやっていたのですから、これはそういう区別をしておったという証拠は私はないと思う、どうですか、その点は。
  53. 上林英男

    政府委員上林英男君) 先ほどから御説明申し上げておりますように、援助物資は陸軍省の予算の支出によって買うものでございますが、商業勘定は日本の外貨——もとより司令部が管理をいたしておりましたが、日本のかせぎました外貨で買うものでございますが、これは明瞭に区分されていたものでございます。先ほどから申しておりますように、これが結果的に日本側におきましてはっきりしておりませんのは、それを受け入れました貿易資金特別会計におきましては援助物資と商業物資とが一体として経理をされておったということに基づくものでございます。
  54. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私、ちょうど昼ですから、質問を午後に回しますが、それでは、いわゆる輸出によって得た外貨で、一般商業物資を購入したということであれば、二十四年以前の輸出による外貨、これは六億五千万ドル、それに見合う一般物資が購入された、輸入されたということになるわけですが、そういうことにはなっていないと思うんですね。それなら、それに見合う一般輸入の物資、数量等を示してもらいたいと思うんですね、どれくらい買ったのか。そんなにうまくいくはずがないですよ。これ、午後にしてもらいます。
  55. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) それでは、午後一時まで休憩いたします。    午後零時十二分休憩    ————・————  午後一時三十分開会
  56. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) ただいまから委員会を再開いたします。  午前に引き続き、産業投資特別会計法の一部を改正する法律案を議題といたします。  まず、午前の荒木君の質疑に対し政府側から答弁を願います。
  57. 上林英男

    政府委員上林英男君) 終戦後、昭和二十四年三月までの輸出入の統計につきましては、確たる統計がないわけでございまするが、司令部が作りましたJES統計によりますると、輸出につきましては、御指摘のように、六億五千四百九十九万ドルの輸出があったわけでございます。これに対しまして輸入といたしましては、援助物資輸入を含めまして十七億四千四十万二千ドルの輸入があったわけでございまするが、そのうち商業物資の輸入は五億四千三百九十四万五千ドルで、援助物資の輸入が十一億九千七百四十五万八千ドルということになっておるわけでございます。したがいまして、もし援助なかりせば、二十四年三月末までのわが国の輸出入は十億八千五百四十一万三千ドルの入超になったわけでございまするが、先ほど申しました十一億九千七百万ドル援助物資がありましたので、実質的には一億一千二百万ドルの出超という形態になっておりまして、これに見合いまする外貨は司令部が管理いたしておりましたわが外貨勘定に残っておるということになるわけでございます。
  58. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それで、輸出がこの三年間に一——昭和二十年の九月から二十一、二十二、二十三年ですね、三年余りの間に六億五千万ドル輸出があったわけですが、この間の為替レートですね、どういうふうになっておるか。
  59. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 当時は為替レートはきまっておりませんで、輸出物資につきましては、国内のマル公を基準とした価格貿易資金特別会計が買い上げまして、これを外国へ司令部を通じて輸出をしておったわけであります。したがいまして、輸出のFOBドル価格と貿易商が買い上げました円建の価格と一応関係なくきまっておったわけでございます。輸入につきましても同様でありまして、日本着のCIFのドル価格と国内に貿易資金特別会計が売り払います円建の価格とは関係なく、国内の価格はマル公を基準にして決定されておったわけでございます。
  60. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それで、輸出のほうから伺いたいと思うんですがね、この間三年半の期間にわたりますからね、相当の変動はあったと思うんです。けれども、大体平均して一ドルに対して日本円はどれくらいに計算されておったか、輸出の場合。
  61. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) まず輸出についてでありますが、輸出の六億五千四百万ドル余に対しまして、貿易資金特別会計物資の買い上げのために支払いました金額が約九百六十二億円でございます。したがいまして、九百六十二億円を六億五千四百万ドルで割りますと、一ドル約百四十七円になります。一方輸入につきましては、先ほどの十七億四千万ドルに対しまして、貿易資金特別会計が国内に売り払いました金額が千四百九十五億円、先ほどの十七億四千万ドル余で割りますと、一ドルが約八十六円になる計算でございます。一応当時の平均としましては、輸入につきましては八十六円が一ドル、輸出が百四十七円が一ドルという計算になるのでございますが、御承知のように、終戦直後から二十四年の三月左での間におきまして、円の価値自体が非常に動いておりまして、たとえば軍票の交換比率にしましても、二十五円とか五十円とか百二十五円とかいうふうに動いておりますので、こういう数字を今言いましたような方法で計算いたしまして、それが当時の円・ドルの比率であったということにつきましては疑問があるわけでございますけれども、計算をいたしますと、そういうような数字になるわけでございます。
  62. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 平均をした数値ですね、一ドル八十六円、輸入の場合ですね。輸出の場合が百四十七円、これでもいろいろの問題を推定することができると思うんですがね。  もう一つお伺いしたいのは、それでは二十三年の末ですね、いわゆる三十四年度から見返資金特別会計に入っていくんですが、その直前、二十三年の末における円はどれくらいの、ドルに換算してどういう関係にあったか。
  63. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 二十四年の一月ごろのものでございますが、たとえば綿糸は一ドル二百五十円とか、生糸が四百二十円とか、陶磁器が六百円とか、大体輸出物資でありますが、そういうような円とドルの比率になっておりまするし、輸入のおもな物資で申しますと、食糧は小麦が百六十五円、繊維原料の綿花は国内用が八十円、輸出用が二百五十円、あるいは砂糖が百七十七円というようなふうになっておりまして、物資によりまして円・ドルの比率が異なっておるわけでございます。
  64. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 昭和二十四年度の大蔵省が出した「国の予算」ですね、それによると、今の説明のことが書いてあるわけなんですが、しかし、これを大体平均すると、輸出の場合は一ドル三百四十円、平均して三百四十円。それから、輸入の場合は一ドル百六十円、大体こういう数字が出ておるんです、「国の予算」には、これは間違いないですか。
  65. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 「国の予算」にそういう数字が出ておるのは承知いたしておりますが、実はその平均の取り方が単細な算術平均であったのか、あるいは実際の輸入量なり輸出量に応じて加重平均をしたのか、その辺がちょっとわからないのでございますけれども、おそらく当時としてはそういう数字を計算して出したんであろうというふうに考えます。
  66. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そこで、輸出の場合は一ドル三百四十円、かりにこれが正確な計算であるとして、三百四十円。それから、輸入の場合は一ドル百六十円。そうすると、これは二倍以上の開きがあるわけですね。二倍以上の開きがある。私は、こういうことから、輸出が六億五千万ドルだと言っていますけれども、これがかりに輸出入が同じ為替レートで換算されておったら、少なくとも輸入と同じ為替レートというふうに換算をされておれば、六億五千万ドルは二倍以上に達しておると、そういう計算が出てくるんじゃないかと思うんですがね。少なくとも六億五千万ドルは二・二倍になるか、ちょっとこまかい計算はできませんが、かりに二倍として十三億ドルに相当する。輸入の為替レートに合わしていけばそういうことになるんじゃないかこういうふうに考えられるんですが、どうですか。
  67. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 荒木先生のお話のような計算もできるかと思うのでありますが、一方、私が先ほど申しました輸入についての八十六円、あるいは輸出についての百四十七円というものをとりまして、かりに百四十七円というレートで輸入物資も計算をしたらどうなるかということを計算いたしますと、先ほども言いましたように、十七億四千万ドル余に百四十七円をかけますと三千五百六十四億円余になります。それから、千四百九十五億円を引きますと約一千億になります。一千億というものが輸入の補給金に使われたんじゃないかという計算も出るわけでございますけれども、先ほど申しましたように、計算すればなるということでございまして、実際にそうだということは申し上げかねるわけでございまして、事実輸入補給金の作用もし、輸出補給金の作用もしたというのが実態であろうと考えております。
  68. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 この問題はもう少し私は詳しく質問をしたいと考えておるんですがね。その前に、先ほど質問いたしましたのですが、いわゆる昭和二十年から二十三年までに対日援助物資総額が、この資料によると八億四千五百万ドルですね。この価格はどうして算定したのかいとうことに対しまして、大体は国際価格で計算をしたと、こういう先ほどの説明であったと思うのですが、私はこれを国際価格で計算をするということは、日本にとって非常に不利じゃないかというふうに考えるんですが、この価格あとから推定して出したものでしょう。それは国際価格でこの対日援助物資価格を算定するということは、日本にとって非常に不利である、こういうふうに考えるんですがね。その理由はさっきも説明があったんですが、この対日援助物資日本に入ってくる場合、米国陸軍省の公認を——契約官がアメリカ国内で物資を買い付けて、そうして大体アメリカの船で日本へ運んできて、そうしてこの日本で陸揚げをして、それをいわゆる公団があったんですね、公団に引き渡して、公団を通じて国民に配給された。それは公定価格で配給された。その資金は、実際国民から払った資金は貿易特別会計に納まっていた、こういう経路を私はとっていると思うんですがね。しかし、その際にアメリカで買い付けられた物資というのは、一体どういう性質の物資であったか。大体余剰物資でなかったかと思うんですがね。しかも、その余剰物資でも、アメリカ政府がいわゆる余剰物資として買い上げたものを大体日本へ持ってきたんじゃないかというふうに思われるんですがね。そうすると、この価格決定はそう国際価格で決定するという必要がないんじゃないか。もっと割り引いた値段で算定してしかるべきじゃないか。その理由はほかにもありますが、そういうふうに考えるんですが、どうですか。
  69. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 今回通産省で作業をいたしました場合に、価格についてどういうふうにして計算をしたかと申しますと、今までもたびたびお話がありましたように、当時日本政府アメリカ側に差し出しました受領証は数量だけ記載されておりまして、価格が記載されておりません。それで、価格につきましては、司令部の遺留資料を調べまして、その中にパーチェス・コミットメントがついているのがございます。パーチェス・コミットメントの中に価格、運賃が記載したのがございますので、それはその価格によっておりますが、相当部分はパーチェス・コミットメントにも価格が記載してございません。それにつきましては米側から提示せられました決算ベースの資料がございます。この主要物資別の年度ごとに——、これは米国会計年度でありますが、年度ごとに数量と金額が出ておりますので、それを金額を数量で割りますとロングトン当たりの単価が出て参ります。そのロングトン当たりの単価に運賃を加算したものを計算の基礎としたわけでございます。たとえば小麦で申しますと、昭和二十一年度が百五ドル、あるいは昭和二十二年度が百十五ドルとかいうようなものを計算の基礎に使っておるわけでございます。  この百五ドルなり、あるいは百十五ドルが当時の国際価格に比べてどうであるかと申しますと、二十二年度を例にいたしますと、百十五ドルと計算いたしましたのは、米側の決算資料からはじきました単価は約百ドル五十八セントでございます。この二百ドルに運賃の十四ドル二十四セントを足しまして、ラウンドにして百十五ドルというふうにいたしておりますが、これをIMFなり、あるいはコモジチー・イヤー・ブックの価格と比べますと、IMFの場合には、アメリカの市場価格が九十八ドル八十、あるいはコモジチー・イヤー・ブックでは百一ドルというふうになっております。このIMFの価格なり、あるいはCY——コモジチー・イヤー・ブックの価格は、米国の内陸の価格でございますので、これを日本に持ってくるためには、西海岸の港まで持ってくる内国の運賃と、あるいは積みかえの費用とか手数料、そういうものが加算されまして、それに太平洋を渡る船賃が加算されまして、それが日本着のCIF価格になるわけでございます。したがいまして、九十八ドル八十なり、あるいは百一ドルに、米国の内陸の経費、太平洋の運賃等を加算いたしますと、百十五ドルよりも相当高い価格になろうかと存じます。アメリカの大陸内でどういう経費がかかったか、なかなか的確な資料はございませんが、私ども一応ある程度推定した資料もございますけれども、こまかくなりますのでその数字まで申し上げませんが、そういった内陸経費なり何なり足しますと、日本着の価格は相当高くなっていくというふうに考えます。
  70. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それで、大蔵大臣お尋ねしたいのですが、一九五〇年、アメリカ予算局長官をやっておったドッジ氏、これは日本にやってきたドッジ氏ですが、アメリカの議会で証言をしておるわけなんです。その証言内容は、対日援助の主要な内容をなす食糧と綿花は、いずれも過剰物資である。それから、商品金融会社によってすでに買い上げられているが、これは現行立法によって買わなければならないものである。その限りでは、これは現在も将来も政府支出の増加を意味しない、こういう証言をしているわけなんですね。ということは、日本に送られた対日援助物資の主要な内容である食糧とか、あるいは綿花というものは、アメリカ国内の過剰物資、これはアメリカの国内法によって、過剰生産の場合は価格安定の必要上、アメリカ政府予算をきめて買い上げる制度になっておることは、これはまあ御承知のとおりなんです。それによって、アメリカ政府が商品金融会社を通じて買い上げた、アメリカ政府が買い上げてそれを日本に送ったのだと。だから、これによってアメリカ政府が現在も将来も政府支出の増加を意味しないということをドッジ氏が国会で証言しているわけですね。そういう物資日本に送ってきたわけですね。それをとやかく言うわけではありません。こういう関係から考えると、これを国際価格で今日価格決定するというふうなことは、これは日本としても譲歩し過ぎているのではないか。これは特別な価格決定をする必要があるんじゃないかと、こういうように考えるのです。あるいはこういうことが全体のいわゆる対日援助債務を決定する際において、こういうことが重要な理由になって割引されたのか。これはどういうふうに債務支払いについて影響していますか、過剰物資日本がもらったのだということについてですね。これはどこにも考慮されていないということになれば、当時の国際価格で算定するということは私は納得しないのですがね。
  71. 宮川新一郎

    政府委員宮川新一郎君) 確かにドッジ氏は国会におきまして荒木先生御指摘のような証言をいたしておるのでありますが、これは当時敵国でありましたわが国に対しまして、アメリカの納税者の納得を得るために、特に日本が終戦処理費を負担していることでありますとか、あるいは日本国が非常に窮状になっているというような趣旨から証書いたしたものでございまして、賛成するものではございませんで、同人が同じ場所でガリオアエロア債務であることを証言いたしておるのであります。  それから、余剰物資であるとかそういう点もございましょうが、先ほど大臣がお答えいたしましたように、アメリカの決算ベースによりますと、二十億ドル近い日本に対する援助を四億九千万ドルというようなことで減額されております点を考慮いたしまして、日本が四億九千万ドル債務負担するのはやむを得ないものではないかと、かように考える次第でございます。
  72. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 私も、この対日援助債務なら、これは払うということは私は当然だと思うのです。しかし、債務であるかどうかは私は議論しませんが、ただ債務であると仮定して、それじゃ一体幾らの数量が来て、その金額は幾らになるのだということは、やっぱりしっかりしておく必要があると思うのですね。そういう意味で、アメリカの過剰物資ですね、これは日本だけでなしに、韓国に対しても、それからオーストリア、西ドイツ、世界広範にこれは出ているのではないかと思うのです。韓国とか、オーストリアとか、イタリア、そういうところはもう無償になったわけですね。これらの過剰物資の援助は、ドイツの場合はそういうことにならないで、これはドイツの場合は日本と少し違いますわね。ちゃんと初めから契約をして、そしてこれが債務であるということを確認して出発している。日本の場合はそういう約束も、あまりはっきりした約束もなしでずるずるときている。それで、今日になってその数最、価格等を調べる、こういうことになったわけですが、どうも価格の面では無理があるんじゃないだろうか、国際価格で決定するには無理があるんじゃないかというふうに感じたので、質問をしたのです。これは交渉の際にはどうだったのですか、アメリカとの交渉の際にはですね。
  73. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) この債務総額についての確定をしたいということで、資料の要求をしましたし、また、それに基づいて日本側としては、今のそういう問題の検討とかすべき問題はありますので、これは交渉のときいろいろのことを、私どもとしてもこまかい相当のことを申しておりますので、そのためになかなかこの解決というのは長びいて、御承知のように、長い期間をかかってしまったというのですが、先方の態度は、先ほど申しましたように、終始一貫、そういうこまかいいろいろな点があったとしても、全部払うんではないので、最後のものは合理的に一定額払ってもらうということで折り合いをつけるという方針なんだから、こういうものを一々正確な資料をこちらから出すということは不必要だという態度を一貫しておりました。その途中において向こうから出た金額も、御承知のように、相当大きいものでしたが、このこまかいものをこちらがつつけばそれはそれで認めるが、そのかわり払ってもらう全額についてはこのくらいを予定するというふうに、交渉であるから、そこまでいってこの検討に入っていくほうが、最終的な決定に都合がいいかどうかといいますというと、交渉事でございますので、私どもとしましては、向こうの言うとおり計算を立てて、大きくこれを減額してくれるという方針なら、このこまかい米側の保有する資料提出してくれなくてもやむを得ないという態度になって、それをもとに同国の折衝が行なわれ、妥結したということでございますから、まあ、交渉全体としてはそういう過去のいろいろなものが全部考慮に含まれ、また日本側の債権というものを全体から引いて率をかける問題と、出た数字からネット控除するというようなことを厳密に分けて、この数字に落ちついたということでございまして、交渉の過程におきましては、私ども向こうが出さないという資料をどこまでも要求し、向こうが検討の要なしということをどこまでも追及していくことのほうが、最後において債務が確定する場合に日本側が有利かどうかという問題、そういう問題のために何年か繰り返してきた問題でございますので、今回大局的に日本側の一応確認できる資料に基づいてやるならばということを向こうが応じましたので、向こうの二十億ドルというのじゃなくて、日本側の、さっき通産省側がいろいろ作業しましたこの数字をもとにして、一応今のような妥結というところまでこぎつけたわけでございまして、交渉の過程においては日本側がそういう問題は出すだけはいろいろ出して主張もしましたのですが、先方の態度がそういうこまかいところにいって解決できるもんじゃないと、全体の額を日本の認める額を基礎にして、すでにドイツそのほかも解決しているのだから、そういう解決方法も加えて、合理的な解決をすればいいじゃないかというのが向こう側態度でございましたので、日本側のそういう問題についての主張は十分向こうが知っておりまして、それらも考慮に入れられた最後には解決というふうに私どもは思っております。
  74. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは、さっきの質問に関連するわけですが、昭和二十四年以前のものについてはたな上げをしたほうがいいという議論は私は確かに根拠があると思うのです。政府交渉段階ではこういう主張をせられたのじゃないかと思いますが、せられたという報道があったわけですね。これは相当根拠があるのじゃないかと思うのですが、最終的にはどういうことになりますか、これは。
  75. 水田三喜男

    国務大臣水田三喜男君) 最終的には、日本側の確認した十七億何千万ドルを根拠にして、そうしてまず日本側の主張を相当に取り入れて引くべきものは引く、そうしてそのあとの率をドイツ方式に従って幾らの率でこれを切り捨てるということにして出た金額から、さらに日本側の債権をその金額から控除するという形をとってきめたわけでございます。
  76. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 日本側のこの資料を基礎として、その資料に基づいて交渉を進め、それによって最終的な価格を決定した、こういうお話。しかし、日本側資料は、昭和二十四年以前のものも、こうして八億四千五百万ドルという資料を出しておるわけですね。私はこれを出すということは悪いとは申しませんけれども、さっきも質問しましたように、この間の貿易額が六億五千万ドルです、輸出が。しかも、これは複数為替レートといいますか、品物ごとによるレートというふうな形で行なわれたものを平均して、輸出が一ドル三百四十円になっておるのですね、平均して、輸入の場合は一ドル百六十円ということですね。こういう大きな開きがあるわけです。だから、これを同じレートにして換算した場合に、六億五千万ドルの輸出の価格というものは少なくとも十三、四億ドルになると思うのですね。そういうことになるわけです。これは結局どういうことかというと、日本から非常に安い値段でアメリカに売ったということになるわけですね。少なくとも半額以下の値段でアメリカに輸出した。で、このことによってアメリカの商社というものが——、商社といいますか、アメリカ側自体がもうけておるわけです。利益を得ておるわけです。そうすると、昭和二十四年以前の分はこういう片ちんばな貿易によってアメリカが不当な利益を得ておるということは確かに言い得ると思うのですがれ。どうですかね、大蔵大臣
  77. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 輸入の円・ドル比率と輸出の円・ドル比率は、今お話しのように違っておりますが、その原因として考えられますのは、当時の輸入物資は、食糧とか基礎資料とか、そういうものが大部分でございまして、したがって、当時の価格政策として、食糧とか主要原材料というようなものは比較的割安に国内に売っております。一方、輸出につきましては、雑貨等、そういうものはどうしても手数がよけいかかりますので、買い上げ価格が割高になっております。そういうことから、輸出と輸入の比率に相当差ができてきたのではないかというふうに考えられますが、これはやはり当時の日本の物価体系が国際的な物資体系に比べて不均衡であった。しかも、国内の政策としましては、マル公によりまして、主食とか原材料は安く払い下げをした。輸出品につきましても、マル公を基準にして買い上げをしており出すけれども、やはりその間に工数のよけいかかりますものはどうしても割高にならざるを得ないというような関係から、今申し上げた事情になったというふうに考えておるわけでございます。  実は個々の品目につきまして、日本品がどういうふうに売られておるかという状況を調べたのでございますけれども、相当以前のことでございますので、なかなか資料がございません。先般、衆議院大蔵委員会で井手先生から資料をお出しになりまして、日本のFOB価格アメリカの卸売価格で大体二、三倍になる、注射筒のごときは八倍になるというような資料を御提示になったのでございますが、確かに注射筒の八倍というのは、その資料が基礎になります日銀の資料が正しいとすれば、ちょっと異例であろうと思いますけれども、大体日本のFOB価格アメリカの卸売価格で、二、三倍になるというのは現在でも通例だそうでございます。それから、もう一つ、生糸でございますが、これは二十三年のニューヨークでの日本の生糸の相場でございます。IMF統計によりますと、ボンド当たりCIFで四ドル九十二セントになっおります。これを日本から幾らで積み出したかというFOB価格は、これはJES統計、司令部の経済科学局の統計から計算をしたのでありますが、これは四ドル六十六セントでございます。したがって、四ドル六十六セント、FOBが。CIFではアメリカで四ドル九十二セント、むしろ中間マージンが少な過ぎるような感じもいたします。二十三年では日本のFOB価格が二ドル二セント、これがアメリカのCIF価格では二ドル八十三セントというような例もございます。それから綿糸でございますが、これは昭和二十二年のIMFの統計ですが、イタリアの輸出価格、これはFOBで九十八ドル二十セント、イギリスの輸出価格がFOBで五十五ドル七十セント、それからアメリカの輸出価格FOBがで七十ドル八十セント、それから日本の輸出価格でありますが、これは先ほど申しました司令部JES統計から計算しますと、七十四ドル十セントになっております。二十三年でありますが、これはイタリアの輸出価格が六十六ドル九十セント、イギリスが六十九ドル六十セント、アメリカが七十四ドル九十セント、日本が五十六ドル九十セント、こうなっております。なお、御承知のように、綿糸はいろいろの番手がございますので、これがぴたり同じ規格の同じ品質のものを比較した価格ではございませんので、これだけによって高いとか安いとかは申し上げられませんが、大体同じような似たような番手のものでございますので、まあまあ生糸とか綿糸につきましては、そう買いたたかれておるのではないのじゃないかというふうに見られますが、先ほど申しましたような注射筒のような例は、これはやはり相当買いたたかれておる、前提の資料が事実とすれば、買いたたかれたものもあるというふうに考えられるわけでございます。
  78. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 やっぱり昭和二十四年度に出された「国の予算」、それの説明によると、もし為替レートが単一であって、二十四年四月ですかきめられた三百六十円というふうに単一レートとしてもし実施されておったら、どういうことになるかということを計算しているわけですが、それによると、貿易資金の二十三年度来における損益計算は、複数レートを使っておったために、輸出入の補給金の負担による損失は三千六百十九億円に達している。いわゆる価格差補給金を出しておったわけです。輸出についても輸入についても、そういう複数レートを使っておったということによって負担した損失は三千六百十九億円になっているというわけなんですね。これが全部輸出による損失だとは私は言いませんよ。しかし、このうちの相当部分は割安に輸出しておった、そのために補給金を出した、それによって起こってきた金額が相当部分占めておると私は思うのですが、もしわかっておれば、輸出によって補給した金額は三千六百十九億円のうち幾らであったのか、もしわかっておれはお答え願いたいと思うのですが、相当な額をやっぱり価格差補給金として輸出物資に補給しておったし思います。
  79. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) その「国の予算」の数字でございますが、これも一ドル三百六十円というレートが最初から、終戦後初めからあったと仮定をした場合に、計算上かけていけば出てくるという数字でございます。先ほど申しましたように、円の価値自体が非常に動いておりますので、そういう計算で三千億程度の赤字になったということが言い得るかどうか、非常に疑問なんでございます。輸出の補給金に幾ら使われておったかと。たとえば陶磁器は二十四年一月末で一ドル六百円という比率になっております。セメントが三百二十円という比率になっております。これはセメントのような製品につきましては、比較的マル公で買う石炭とかあるいは石灰石とか、そういうようなものが原料の大部分を占めておりますので、したがって、輸出価格決定の場合の物価庁の査定として比較的割安になっておりますが、陶磁器のように加工度の高いものは、いろいろ当時のやみというようなものも考慮をして、ある程度割高な価格をきめておるわけでございます。それでは、その三百二十円と六百円と比べまして、どれが価格補給金かということになりますと、実はこの計算がちょっとできかねるわけでございます。もともと、終戦後から二十四年の四月までレートがなかったわけでございます。二十三年の終わりごろからプライス・コンピューティング・システムということで 複数レート式なものになったわけでございますけれども、その以前の大半の期間といりものは大津為替レートがなかったということになります。一方、先ほど来申しましたように、円の価値自身が非常に変動をしておるというようなことで、実は幾ら輸出補給金になり、幾ら輸入補給金になったかということは、計算ができないのではないかと考えております。  ただ、個々のものにつきまして例示的に計算をした例はございますが、たとえば、これは三百六十円レートがきまります直前の時期を選びまして、二十四年の二月の小麦について計算をしたわけでございます。当時、これは二十四年の二月、貿易庁は農林省の食糧管理局に小麦を一石当たり二千二百二十四円二十六銭で売却をいたしております。一石二千二百三十四円、一方通産省で今回計算しました二十三年度の小麦は一ロングトン当たり百一ドルで計算をいたしておりますので、これからロングトンを石に直しますと、一石当たり十三ドル六十五セントということになります。これを円とドルの比率をとりますと、一ドル百六十二円九十七銭ということになります。したがって、三百六十円と比べますと、約二百円近くが輸入補給金になっておるということが言い得ると思うのでありますが、個々の品目をとりますとそういう計算が一応できるのでありまするが、全体として輸出補給金が幾らであり輸入補給金が幾らであるかということは、ちょっと計算はできかねるというふうに考えております。
  80. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは、大蔵省にお伺いをいたしますが、昭和二十四年度以前ですね、終戦から昭和二十三年度までのいわゆる輸出入の会計貿易資金特別会計でやっておったと思うのですね。この内容を概略説明願いたいいと思いますが、どういうことになっていますか。これは産投会計の前身が見返資金ですね。その前身が貿易資金特別会計ということになりますから、これは直接つながっている会計ですね。内容的にはその貿易資金特別会計はどういうことになったのか。
  81. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 貿易資金特別会計は通産省で所管しておりましたので、私のほうからお答えいたしますが、二十四年の三月末現在におきまして、現金面でありますが、現金面では支出が三千七十五億円、収入が三千七十一億円でございます。したがいまして、差引四億円の赤字になっております。そのほか一般会計から収入として十億円入っておりますので、それを入れて勘定いたしますと、十四億円の赤字になるわけであります、これは現金面の動きでございますが、一方貿易資金特別会計資産も計算いたしますと、約二十四年の三月末で三百八十億円の資産があったと推定されるわけなんでございます。  なお、二十四年の三月以前の援助物資についてはよくわからぬということを言われますけれども、わからないのは、ドル建で幾ら援助があったかという点が当時はっきりしなかった。先ほど来申し上げましたように、当時、援助物資と商業物資との輸入につきまして区別が日本側には公式に示されていなかった、あるいは価格が示されていなかったというようなことで、不明な点があったわけでございますが、円の経理につきましては全部きちんとしておりまして、会計検査院の検査を経て国会の御承認も得ておるのでございます。
  82. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうすると、貿易資金特別会計は、資産は別として、若干の赤字が出た。これは正常な状態であれば、非常に大きな資金の蓄積ができたはずですね。昭和二十四伊以後は見返資金特別会計ができたために、大体二十四年、二十五年、二十六年の援助物資に相当する円か積み立てられたわけです。大体三千六十五億円ですか、それくらいの金が積み立てられた。大体それと同等な額が貿易資金特別会計積み立てられてしかるべきですね、正常な場合は。ところが、それが赤字になるということは、一体その金はどういうふうに使われたかということですね。これは先ほどの質問の重複になるかもしれませんが、もう一ぺん答えて下さい。
  83. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) お答えいたします。先ほど私が、現金面で四億の赤字、一般会計から十億入っておりますので、合計十四億と申しましたが、一般会計から入っております十億はすでに計算済みでございまして、したがいまして、赤字は四億円でございます。訂正いたします。  次に、ただいま荒木先生の御質問でありますが、二十四年の四月以降は一本レートができておりますので、したがって、援助物資に相当するものが見返資金に積み立てができたわけでございますが、二十四年三月以前は、先ほど来申しましたように、とにかく為替レートがなかったわけでございます。したがって、国内の物価政策、経済政策から輸入物資については割安に売却し、または輸出物資につきましてはそういう物資の性質上どうしても割高に買い上げざるを得なかったということから、輸出の補給金なりあるいは輸入の補給金に使われた。したがいまして、現金面では四億円の赤字、資産としては三百八十億円、そのほかに司令部が管理しておりました外貨勘定があるわけでございます。そういう資産はあったわけでございます。
  84. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 これは結局、アメリカからの対日援助ですね、それを国民に売却して回収した資金ですね。これは結局積み立てられていないために——積み立てられていないというよりも、価格差補給金に使ったために全部使ってしまった、こういうことになるのでしょう。それだけではなしに、価格差補給金については一般会計から相当な支出していますね、毎年。これは大体どれくらいになりますか、その三年間で一般会計から補給している価格差補給金。
  85. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 二十四年の三月以前の一般会計からの価格差補給金のようなものは入っておりません。
  86. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 日銀等から借り入れしていませんか。
  87. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 日銀からの借入金が二百六十億円でございますが、これは二十四年四月以降、貿易資金特別会計の事業費勘定のほうから返済をいたしております借入金がありますので、実資産とは関係はございません。
  88. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうすると、三十三年度についてだけ考えてみても、輸出入についての価格差補給金は約一千億円と推算されていますね。二十三年度分の輸出入についての価格差の補給金ですね、これは約一千億円に上ぼっておるということですね。これは全然一般会計からの支出はないのですか。
  89. 上林英男

    政府委員上林英男君) ただいまの御指摘の価格差補給金は、主として国内物資価格差補給金でございます。ただいまの問題になっております輸出入の価格差の補給金ではないわけでございます。
  90. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 それでは、輸出に対してお尋ねをいたしますが、輸出品については割高に買い上げていますね。さっきお話しになったように、陶磁器等は六百円、皮革類は五百八十円、それから自転車は五百十円というふうに、相当割高で買い上げて、それに輸出の場合はこれをもっと安くした、その差額ですね、その差額は何によってまかなわれたか、操作されたか。これは対日援助の売掛金を全部そこへ投入して、その結果その差額を埋め合わしたということになってはいないのですか。
  91. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 御指摘のように、割高に買い上げた分につきまして、貿易資金特別会計で穴埋めをしておる。その根源としましては、援助物資の売り上げ代金が操作されたということは御指摘のとおりだと思いますが、これは全部ということではありませんで、輸入補給金の作用をしたのもございます。輸出補給金の作用もしたということもあると存じます。
  92. 荒木正三郎

    荒木正三郎君 そうであれば、結局、輸出する場合ですね、割高で買い上げる、そうしてアメリカに持っていく場合は割安でアメリカに売りつけている、その操作を貿易資金特別会計、いわゆる対日援助によって国民に売却した代金で操作している。結局はそれがゼロになったということですね。むしろ赤字が出た、こういうことになるのですから、この昭和二十四年以前の対日援助といりものは、輸出のために——輸出だけではない、輸入もありますけれども、そういうために全部使われてしまった。それで、さっきの話のように、べらぼうに安く売っている。まあ大体二倍、三倍が普通になっておりますね。さっきあげられたように、高いものは九倍になっている。こういう状態で貿易がされたということは、昭和二十四年度以前の分については大体もう相殺されておる、アメリカ日本との間には実質上。そう考えて、たいした狂いはないのじゃないかと思いますがね。どうでしょうか。
  93. 伊藤三郎

    説明員(伊藤三郎君) 輸出品が、先ほど日本のFOB価格に対しまして、アメリカの卸売価格が二、三倍になっておるのが多いと申しましたのは、現在でもそういう状況でございます。当時別に安かったということにはならないのでありますが、特別のものももちろんございますけれども……それから、先ほど私が申しましたように、生糸とか綿糸につきましては、別に買いたたかれていない。外国のものに比べましても、高いものもあれば安いものもあるというような状況でございます。でありますが、国内の物価体系からしまして、陶磁器は一ドル当たり六百円の金を支払い、あるいはセメントは一ドル当たり三百二十円の金を支払うということになりましたのは、当時のわが国の物価体系が国際的に見れば不均衡であったということから出ておることでございます。したがいまして、そういう意味で、輸出補給金に使われたのもあります。一方、輸入補給金に使われた。先ほど、二十四年二月の小麦の例で申しましたように、一ドル当たり百六十二円程度の価格で国内に売っておるわけであります。三百六十円のレートから考えますと、二百円も国内には安く払い下げをしておるというようなことになりますので、輸出補給金、輸入補給金、両方の作用をしたものだというふうに考えます。
  94. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 速記をとめて。   〔速記中止〕
  95. 棚橋小虎

    委員長棚橋小虎君) 速記をつけて。  本日はこれにて散会いたします。    午後二時三十四分散会