運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1962-04-18 第40回国会 参議院 外務委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年四月十八日(水曜日)    午前十一時三十五分開会   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     井上 清一君    理事            鹿島守之助君            木内 四郎君            大和 与一君    委員            杉原 荒太君            苫米地英俊君            永野  護君            佐多 忠隆君            羽生 三七君            森 元治郎君            佐藤 尚武君   国務大臣    外 務 大 臣 小坂善太郎君   政府委員    外務政務次官  川村善八郎君    外務省アジア局    長       伊関佑二郎君    外務省アジア局    賠償部長    小田部謙一君    外務省アメリカ    局長      安藤 吉光君    外務省条約局長 中川  融君    大蔵省理財局長 宮川新一郎君   事務局側    常任委員会専門    員       結城司郎次君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○日本国に対する戦後の経済援助の処  理に関する日本国アメリカ合衆国  との間の協定締結について承認を  求めるの件(内閣提出衆議院送  付) ○特別円問題の解決に関する日本国と  タイとの間の協定のある規定に代わ  る協定締結について承認を求める  の件(内閣提出衆議院送付)   —————————————
  2. 井上清一

    委員長井上清一君) ただいまから外務委員会を開会いたします。  日本国に対する戦後の経済援助処理に関する日本国アメリカ合衆国との間の協定締結について承認を求めるの件、特別円問題の解決に関する日本国タイとの間の協定のある規定に代わる協定締結について承認を求めるの件、以上衆議院送付の両件を便宜一括議題とし、前回に引き続き、質疑を続行いたします。  御質疑のおありの方は、順次御発言願います。
  3. 森元治郎

    森元治郎君 きょうは佐多さんがおやりになる予定だと思うんだが、その前に、どうも参議院ガリオア・エロアタイ特別円審議に対する態度はことに委員長が怠慢だ。一体、こっちに移ったら自然成立だというふうな顔をして、のそっとして時期の来るのを待っているような顔をしていちゃけしからぬと思うんだね。池田総理は来ない。もちろん、本会議があったらやむを得ない。しかし、きょうの向こう委員会には——ガリオア・エロアというのは、この国会の一番大きな問題であるはずだね——大臣向こうに引っぱられる、そうして余った時間にちょっくりとこっちに顔を出す。それを黙っているようでは非常に国民に対して申しわけがないと思うのですよ。必死さが足りないと思う、熱心さが。ほかの大臣でもどんどん引っぱり出してきて、そうして参議院審議をやってもらう。参議院が無用だというような機構改革について話がある折柄、みずから参議院存在価値がないようなことを示す。これは私たちも含めて真剣に考えなければならない問題だと思う。委員長はあと残る日にちも少ないのですから、熱心にひとつやるように、もっと出席して、自民党のほうも選挙運動ばかりやっていないで、出て来てやるというふうにお願いしたいと思います。
  4. 井上清一

    委員長井上清一君) 御指摘の点は十分了解をいたしております。何分会期末でございますので、大臣出席要求は各方面からございますので、委員長といたしましても、非常にその間努力をいたしておりますけれども、十分御期待に沿えない点もあったと思いますが、今後ひとつ十分努力いたして参りたいと思います。
  5. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 委員長、ちょっとお答えしたいと思います。  実は、大和委員から先日御提示のありました辻政信議員の消息に関する件でありますが、お話によりまして、アメリカ政府に対して、辻議員米軍によって後方から射殺されたと、こう言われているという点を確かめてみたわけであります。昨日ライシャワー大使が参りまして、その際、アメリカ政府としても十分調査をしてみた、さようなことはごうまつもないという返事がございました。この段、御報告申し上げます。
  6. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 今の問題、ごうまつもそういう事実はないという結論だけですが、どういうような調べ方をして、どういうあれだから、そういうあれはないということなんですか。
  7. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) アメリカ政府としては、各種の機関を通じて十分に調査したけれども、さようなことはごうまつもない、こういう返事でございました。なお、つけ加えて、これは自分のほうの答えではないけれども、謝南光というそのあげられた人もこれを否定しておるという新聞報道があったことは、大臣承知しておるだろうと、こういう話もありました。
  8. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 ガリオア・エロアについて、政府のほうでは、この債務性を論証する論証の資料としていろいろなものを出しておられるのですが、これらの資料を一応拝見をいたしますと、これはただアメリカ側債務考えているということを一方的に主張しているだけであって、日本側がこれに対して債務であるという了承はしていないし、したがって、債務というものは確定をしていないのだというふうに考えていいのですか。まず、その点から。
  9. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) これは、このガリオアという援助を受けましてですね、先方は債務性があるとこう主張しておる、その根拠を申し上げたわけでございます。したがって、こちらはどうかということでございますが、こちらとしましてはやはりいずれ払うということを申しておるわけでございます。こちらとしての根拠としては、阿波丸了解事項昭和二十四年の国会の御決議に基づきましてアメリカ側協定をいたしました阿波丸協定付属了解事項に、戦後における日本に対する借款及び信用債務であって、そうしてこれがアメリカ側決定によってのみ減額されるものと了解する。債務であると了解する。そしてその債務というものは、アメリカ側決定によってのみ減額されるものとまた了解する。こういうことで、当方もこの債務性というものを認めておる、こういうことであると思います。ただ債務、いわゆる債務負担契約ですね、そういう契約としてはこれはその内容が確定していないものでございますから、これはいずれ外交交渉によって幾ばくを債務とするかということをきめるわけでありまして、すなわち今回の交渉によって御審議をいただいておるこの四億九千万ドルというものを国会で御承認をいただけますれば、これが債務として確定する、こういうことと考えております。
  10. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 この阿波丸協定了解事項をしばしば引用をされるのですが、しかし、了解事項の中には、「占領費ならびに日本国の降伏のときから米国政府によって日本国に供与された借款および信用は、」云々と言っているのですね。借款信用を問題にしているのであって、日本に供与した援助をどうだということは言ってないと思うのですが、その点はどういうふうにお考えになりますか。
  11. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) この点につきましては、当時の吉田総理、当時外務大臣を兼務しておられましたが、参議院におきましてはっきり答えておられます。世上これが、このガリオアその他の援助はもらったものだと考えている者もあるけれども、これはこれに含まれる、「借款及び信用」に含まれるものであるということを言っておられまして、この点は当時はっきりしておるわけであります。  なお、日本側としましては、あのガリオア援助を受けまする際にスキャッピンを受けておるわけでございます。これは資料として御提出申し上げてございますが、例の一八四四Aというのが代表的なものでございますが、まあスキャッピンをたくさん受けておるわけでございます。その中に、タームズ・オブ・ペイメント・アンド・アカウンティングは後日決定される、こういうことが書いてございまして、わが国の歴代の政府としてはそれを承知して、そうして援助物資放出ということを、輸入食糧放出ということを懇請いたしました。そうしてこの援助を受けておる、こういう関係になっておりまするので、この点からも、わが国はこれを債務性あるものと心得ておるということは明らかであるわけでございます。
  12. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 この「借款および信用」の中には対日援助が含まれているのだということを吉田総理答弁をしておられるという話ですが、それは一体いつの答弁を具体的にはさしておられるのですか。
  13. 中川融

    政府委員中川融君) 四月二十七日にこの国会で報告されたわけでありますが、その際に吉田総理大臣が、「これは当り前な話でありまするが、併しこのクレジット、或いはいわゆるガリオア、イロア・ファンド、費用と言いますか、或いは日本に対する棉花その他のクレジットというようなものが、恰かもアメリカ政府から日本が種々常に無償で以て貰っておるような誤解を与えておりまするから、この機会に了解事項として附加えたのであります。」、こういうふうなことを吉田総理大臣が御答弁になっておるのでありまして、したがって、この字句から、やはりこの「借款および信用」の中にはこのガリオアエロア、こういうものが入っておるのであるということがまあ明らかに読みとれるわけでございます。
  14. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 今の吉田総理答弁は、昭和二十四年の四月ですか。
  15. 中川融

    政府委員中川融君) そのとおりでございます。
  16. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 その当時のあれを、もう一ぺんよく答弁は見てみますが、しかし「借款及び信用」と普通に言うときには、そういう対日援助なり何なりという物資あるいはサービスの供給は、普通の用語としては使わない用語のように私たちは思うのですがね。したがって、どうも了解事項の中においてはそれをはっきり出さないでおいて、ただ吉田総理向こうとの間の——あのときはだれでしたか——協定の中でだけ、二人の間で相互に了解をしておいて、そうして国会にそういうただ報告をしっぱなしで、それで日本債務性を負うというようなことになるのは、了解事項解釈としてもおかしいし、それから、まして、その了解事項債務性を負うことには正確にはなっていないので、その後においても、債務性はいまだ確定をしていないのだということは、しばしば政府のほうで言われた点だと思うのですが、その点はどういうふうにお考えですか。
  17. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 債務性確定していないということは政府は一度も言ったことはないので、政府は一貫して債務と心得ておると、こういうことを言っておるわけであります。すなわち、法律的な債権債務関係で、法律的な債務確定しておると、こういうわけではないが、債務性があると、すなわち債務と心得ておるものであると、こういうことを申しておるわけであります。これはもう一貫した政府答弁でございます。  なお、この阿波丸協定につきましては、当委員会委員でいらっしゃいまする佐藤委員から、参議院においては趣旨の御説明がございました。衆議院では、岡崎勝男議員が当時説明したわけであります。その趣旨説明の中にも、これは有効な債務であるということは当然なことであるということを述べております。その「借款及び信用」というものが何であるかということにつきましては、今、中川条約局長から御答弁申し上げたとおり、吉田総理が議場を通じて、当然なことながらガリオアエロアは「借款及び信用」の中に入っておる、これは大部分であるわけでございます、さように答弁をしております。
  18. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そうすると、この債務と心得ているということを言い始めたのはいつなんですか。それから、それはどういう経過でそういうふうに言い出し、そしてその後だんだんどういうふうにその債務性の問題が発展をしてきたのか。その辺の経過をもう少しはっきりさせていただきたいと思います。
  19. 中川融

    政府委員中川融君) やはりちょうど同じころでございますが、昭和二十五年の三月二十七日——一年後でございますが、昭和二十五年三月二十七日に池田大蔵大臣が、これは参議院予算委員会岩間委員の御質問に対しまして、このガリオアエロア債務考えております、ということを池田大蔵大臣答弁されております。大体このころから、この債務と心得ておる、あるいは債務考えておるという意味答弁がはっきり国会の席上で政府側からなされておるのでございます。大体そのころからずっと今日に至るまで、引き続きまして何十回となくこの答え国会で繰り返されておるわけでございます。
  20. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 その点がどうも、政府のほうでは債務と心得ておるというようなことをしばしば言っておられるようですが、あるいは法律的には確定された債務じゃないんだけれども、道義的なものだとか、あるいは独立国民の名誉にかけて、これを債務考えてそういうふうに処理するんだ、というようなことを言っておられますけれども、これは政府がただ一方的にそういうふうに主張しているだけであって、国民なり国会はそのようには了解はしていない、ただ政府にそういうふうに聞かされているにすぎないと、こういうふうに思うのです。で、われわれは、これはやっぱり占領軍事費——占領に伴う軍事費というふうに考えることのほうが正しいので、また事実アメリカ側でもそういうふうな説明をしばしば一方においてはやっている。したがって、日本としては、国民としては、むしろそういうふうに考え、そういうふうに主張すべきであると思うんだが、それが非常にあいまいに付せられたままに、吉田好みの「さむらいの国でござる」ということで、ただ債務性を、債務と心得るというふうなことに主張を、かすかに主張をされていたにすぎないように思う。  そこで一つお尋ねをしますが、ヘーグ条約との関係、これを政府のほうはどういうふうにお考えですか。あの条約によると、むしろ占領に伴ういろいろな経費占領軍自体負担すべきものだと、それから占領地における民生安定その他の経費占領軍負担すべきものだというふうに規定をしていると思うのですが、その辺はどういうふうにお考えになっていますか。
  21. 中川融

    政府委員中川融君) ヘーグ陸戦法規では、その四十三条で、占領軍占領地の公の生活回復するためにできる限りの手段を尽すべきであるという規定がございます。この公の生活回復するためというのはどういうことであるかという点につきましては、大体解釈が一定しておりますところとしては、これは占領前の社会生活というものを大体そのまま回復して踏襲すべきてあるということでございまして、必ずしもこの当時——これは御承知のように一九〇七年にできた条約でございますが、その当時において、今考えられているような、要するに民生回復生活程度維持、こういうような意味でこれが書かれたものではないと考えられておるのでございます。いずれにせよ、この四十三条の規定は、占領軍がこの措置をとる場合においても、これは一つには、でき得る限りということで、必ずしも絶対的な規定ではありません。また第二には、これに必要とした経費占領国そのもの負担するということはどこにもないのでございまして、むしろ全体の関連から見ますと、経費については全然これは別である、むしろ経費については、必要な場合、占領国占領地から税金を取り立てることもできる、あるいはそのほかの課徴金というものを賦課することもできるという規定が四十九条というのにもあるのであります。そういうことからいいましても、金を占領地から取り上げるということは全然別の問題、むしろ占領者は相当自由が認められているのでございます。したがって、四十三条の公の生活回復する場合におきましても、それに要する経費は、この占領地から取り立てるほうがむしろ原則になるのであります。俘虜の給養については、これは俘虜を持っている国のほうが経費を出すというような規定があることから見ましても、その反対解釈といたしまして、むしろ経費については占領地から取り立てるということが認められているということになっているのであります。したがって、無償占領地民生を安定させなければならないという義務は、陸戦法規からは出てこないというのが、やはり法律的な解釈となるわけでございます。
  22. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 その占領地から租税その他を徴収して占領費をまかなうという問題は、それは直接の軍事費その他に関係する問題ではないかと思うのですが、したがって、その問題は終戦処理費との問題にも関連すると思いますので、この点は後ほどお尋ねをしますから、あとに譲っておきますが、いずれにしましても、その第四十三条は、「占領地現行法律尊重シテ成ルヘク公共秩序及生活回復確保スル爲施シ得ヘキ一切ノ手段盡スヘシ」というふうに規定をしているのですから、やはりあの当時必要であった食糧その他は、公共秩序維持する、あるいは生活回復するというような意味必要手段であるから、これは占領軍が当然に負担すべき責任であるというふうに考えることのほうが至当じゃないですか。その点はどういうふうにお考えですか。
  23. 中川融

    政府委員中川融君) その点、ただいま申し上げたとおりと考えておるのでありまして、これはもちろん占領地における公共生活回復するということはでき得る限りやるということが、この四十三条には書いてあるわけでありますが、しかし、それをした場合に、経費負担をどちらがするかということは、この四十三条には直接何も規定していない。むしろ、経費負担は、陸戦法規の全体の書き方から見まして、占領者負担になるという解釈は出てこないというのが至当な解釈であろうと考えております。
  24. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 しかし、国際法は、解放地公共秩序と人民の安全、福祉を守るという軍司令官責任を認めておる。連合軍は軍事的な関心から、補給線兵站予備地の治安と統制のために秩序回復維持を必要としておる。米国軍隊を病気と民間の不安から守るためのみでも占領地での民生品供給は必要であったということをアメリカ自身も言っていると思うのです。そういうふうな考え方からすれば、経費も当然にアメリカが、占領軍負担をすべしという結論が出てくると思うのですが、その点はどういうふうにお考えですか。
  25. 中川融

    政府委員中川融君) ヘーグ陸戦法規及びこの陸戦法規に基づきまして各国が国内規則を作りまして、自分の国の軍隊相手国占領した場合にどういう措置をとるべきかということを規定しておるわけでございますが、アメリカでも、アメリカ軍隊に対してそういう指令書をふだんから出しておるわけでありますが、いずれにせよ、ここに書いてありますことは、占領軍としてするべきことが書いてあるわけでありますが、その占領軍としてするべきことをした結果負担した経費をどうするか、これは大きな意味での占領経費になるわけでございますが、これをどうするかということは、これはまた別のいわば原則があるわけでありまして、大体今まで承認されている国際法原則からいえば、占領した国は占領された国から平和条約の際に占領費を返してもらう、あるいは徴収するということが原則として認められておるわけであります。第一次戦争の結果のヴェルサイユ条約におきましても、この占領地における占領行政費というものは、賠償に先んじての第一次的ないわば権利を連合国としては持っていたわけでありまして、まず占領費を徴収して、それから賠償を要求するというような順序になっていたのであります。今次の戦争の結果のこの占領費につきましても、いろいろ占領費戦敗国負担させるという例は、これは枚挙にいとまないわけであります。したがって、占領軍のやるべき行為とそれに要した費用経費負担、これはやはり別の原則から考えられておるということになると思うのでございます。
  26. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 その、占領軍負担すべき義務とその経費負担とは別だ、経費は被占領地負担をさすべきだ、こういう考え方国際法できまっているというふうなお話のようですが、それはどれをさしてそう言われるのか。
  27. 中川融

    政府委員中川融君) これは慣習的にそういうことが非常に多く行なわれるということでございます。もちろん、占領費についても必ずしも全部これを戦敗国負担させないこともあるわけでありまして、日本の場合におきましても、平和条約十四条におきまして、直接の占領軍事費というものはアメリカがそれに対して請求権を放棄しておることは御承知のとおりでございます。しかしこの平和条約書き方の通例といたしましては、占領費というものは大体戦敗国負担させることが多いということは言えるのでありまして、それから見ましても、はっきり特に条約、たとえば陸戦法規等で、経費負担占領国負担するのだということが書いてある場合は別でありますが、それ以外の場合には、経費負担については、今の一般的な国際慣例原則によって処理するということになると思うのでございます。もちろん、それが占領をする国のほうで徴収しないこともできるわけでありますが、徴収しようと思えば徴収することができるというのが慣習法上のいわば原則であろうと考えるわけでございます。
  28. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 今対日平和条約との関係が出たのですが、対日平和条約では、むしろ債務の問題が論議には出たのかもしれないけれども、これは何ら規定はしてないというふうに見るのが至当だと思うのですが、その点はどういうふうにお考えですか。
  29. 中川融

    政府委員中川融君) 現在問題になっておりますガリオアエロア返済の点につきましては、御指摘のように、対日平和条約自体には何ら規定がございません。その意味では、佐多先生の言われたとおりであります。
  30. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そうすると、その以前から、昭和二十四年阿波丸協定あたりから債務と心得ると吉田総理は言っており、しかもそれは講和条約で最終的にはきめられるであろうというようなことも言っておりながら、講和条約のときもそれがきめられなかったというのは、どういう事情に基づくものですか。
  31. 中川融

    政府委員中川融君) 講和条約の際にきめるのは確かに一つの方法であったわけでございますが、その際、講和条約の際にきめるべくまだ日本アメリカとの間の話し合いが熟していなかったということもあるかと思います。それからもう一つには、講和条約ではっきり原則をきめますと、その原則どおりにいわば返済を実施しなければいけないわけでありまして、それは必ずしも日本のためにも利益でなかったということもございます。また第三に、それは日米間のいわば問題でありまして、講和条約のように五十ヵ国を相手とする条約の中に規定することが必ずしも適当でないという点があったと思うのであります。いずれにせよ、講和条約では直接の規定はなく、講和後の話し合いに残されたわけであります。
  32. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 終戦処理費との関係ですが、一体終戦処理費というのは総額正確には幾らになるのですか。
  33. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 総計五千百六十八億四千八百万円であります。
  34. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 この二十八年度までで五千百六十八億四千八百万円、これはドルに直すと幾らになりますか。
  35. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 約五十四億ドルでございます。
  36. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 五十四億ドルというのは各年度別にはどうなりますか。これはレートはどういうふうにし……。
  37. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 当時の各年度換算率はいろいろ種々ございますので、大蔵省資料によりますと、二十年から二十一年にかけましてはレートが十五円でございます。二十年から二十一年にかけまして、最初の十八ヵ月が十五円、最後の一ヵ月が五十円でございます。
  38. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そうすると、そのレートで二十一年度三百七十九億というのは、ドルにして幾らになりますか。
  39. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 二十年から二十一年度のうち、最初の十八ヵ月がレートが十五円でございまして、円貨にいたしまして三百五十九億三千三百六十……。
  40. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 ドルに直して二十年度幾ら二十一年度幾ら、二十二年度幾ら、二十三年度幾ら、各年度別だけでいいです。
  41. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 失礼いたしました。二十年から二十一年の最初の十八ヵ月の分が二十三億九千五百五十七万ドルでございます。それからその年間の最後の一ヵ月が三千九百九十二万ドルでございます。それから二十二年度が十二億八千二百五十七万ドル、二十三年度が、これはレートが変わっておりますので二つに分けまして、最初の三ヵ月が五十円レートで五億三千七十五万ドルでございます。それから最後の九ヵ月が、レートが二百七十円に上がっておりますので、二億九千四百八十六万ドルでございます。二十四年度もさらに二回レートが変わっておりまして、最初の一ヵ月が同じくレートが二百七十円で三千七十五万ドル、残りの十一ヵ月がレートが三百六十円でございまして、ドル換算二億五千三百七十六万ドル、二十五年は一ヵ年、以下ずっと三百六十円のレートでございまして、二十五年が二億七千三百四十二万ドル、二十六年度が二億五千八百七十二万ドル、二十七年度が四千八百四万ドル、二十八年度が三十一万ドル。千ドル以下を削りました。それで総計が、先ほど申し上げましたように、円貨にいたしまして、五千百六十八億四千八百四十六万円に対しまして、五十四億八百七十一万ドルということに相なっております。
  42. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 五十四億八百万ドル、そうすると、これはさらに後ほど聞きますけれども、今一応聞いておきたいのですが、日本援助された金額はドルにして総額幾らですか。
  43. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 米側の決算ベーシスによりますと、お手元に差し上げました資料にありますとおり、約十九億五千万ドルでございます。それから通産省が残置資料その他の諸資料に基づきまして対日援助と認められるものを総計いたしました、いわゆる通産省で作りました日本側の総額資料は十七億九千万ドルでございます。
  44. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 向こうから対日援助としてもらったのが十九億ドルとかあるいは十七億ドルとかいうことが言われている。それに比較して、こちらで終戦処理費として負担をしたものが五十四億ドル、非常に日本側は多額な終戦処理費負担している。この対日援助をやる場合に、アメリカの陸軍がその経費国会に請求をしたとき、これはドッジが予算局長のときもそうだったと思うのですが、あるいは陸軍次官その他も、日本は対日占領費を、日本占領費を、終戦処理費を非常に多額に負担をしているので、若干の対日援助をやったってこれは何ら日本に対するプラスになっていないのだ、差引するとむしろ日本のほうが非常にマイナスで、負担をより多くしているのだ、それだけに、逆に言えば、アメリカ側負担は非常に軽くなっているのだということをドッジ自身が、あるいはアメリカの陸軍次官その他がしばしば説明していると思うのです。そういう点を考慮すると、どうもこの援助債務であるとしてこれを日本から払わなければならないという感じは出てこないと思う。それらの点を外務大臣はどういうふうにお考えになるか。
  45. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) この点については、日本と同様に、連合国に対して旧敵国である、すなわちドイツの例があると思うのでありますが、ドイツは一九五一年に協定を結びまして、支払いをもうほとんど完了いたしておるのであります。ドイツの場合は、終戦処理費を百二十七億ドル払っている。しかも約三十億ドル援助を受けて、そのうち十億ドルを払うということをきめて支払いを続けておるわけであります。日本の場合は五十四億ドル払ったわけでありますが、このドイツが百二十七億ドル払い、しかもガリオアエロアあるいはECAの援助を含めて十億ドルのものを払っている。それから見ますれば、日本だけが免責されるということは、この予算が同一の陸軍予算から出ているその性質から見て、日本だけの特異なステーツを主張することは困難かと思います。
  46. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 政府は、外務大臣は、ドイツの例をしばしば出されるのですけれども、ドイツの場合には、今ちょっとお話しがありましたように、初めから債務として確定した協定を結んでいるわけですね、初めから。そうじゃないですか。日本の場合には、今も債務として確定をしていないのですから、まだそういうものがきめられていない。その点では、ドイツの場合と日本の場合とは非常に違うのではないか。
  47. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) これは他の機会にもお答えしたことでございますけれども、ドイツの場合は占領地区がいろいろ分れておったわけでございます。ドイツには敗戦当初統一政府がなかった。地方政権であったわけです。したがって、一九四九年にアデナウアー政権ができて、これとの間に統一的な、今までの債務を引き継ぐという意味において、債務性のあるものを引き継ぐという意味において協定を結んだわけであります。五一年に協定を結んで、五十三年から支払いを始めた、こういう状況でございます。  日本の場合は、これはずっと統一的な政府があったわけで、その政府が出しているレシートですね、この援助物資は受けるけれども、この計算あるいは支払い額というものは後日決定するという請求書そのものは、これは新たに協定を結ばなくてもずっとそのまま継続しているわけです。その点は違うわけです。したがって、この処理の態様というものが違う。これはもう当然なことだと思います。
  48. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 先ほど援助総額の問題が出ましたが、アメリカ側は十九億ドルですか、日本側は十七億ドルというふうに、援助総額自体が食い違っているのですが、これは今度の協定を結ばれるまでずっと食い違ったまま、援助総額については食い違ったままになっているのか。何か両方から統一した援助の総額の確定があったのか、その辺はどういうふうになっておりますか。
  49. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) これはアメリカ側は十九億五千四百万ドル支払ったということを言っているわけでございます。しかし、われわれの側からすれば、やはり日本国民の納得を得る必要から、やはり確たる、われわれのほうから見て、これだけもらったという証拠が必要である、こういうことで主張いたしまして、まあ司令部が残置いたしました資料に基づいて十七億九千万ドルというものを出したわけであります。この差は依然としてあるわけでございます。しかし、これについて、それじゃ双方で資料を突き合わせようということになりますと、アメリカ資料というものはカンサス州の陸軍省の書庫に入っておる。それを全部突き合わせて見るということになるわけです。そこで一分一厘、その金額をきめたら、それによって日本側が全部払うということなら、その調査をすることも必要だろうけれども、日本側がどうしても聞かなくて、日本の持っている資料でやる、こう主張するならば、ひとつ日本資料によってその金額をきめることにアメリカは異議がない、こういうことになったわけなんでございます。この点は、西独の場合に比べますと非常に有利といいますか、われわれのほうが条件がいいというふうに思われるのであります。西独のほうは、アメリカの決算ベース、アメリカが支出したと言っているベースによって、そのまま三分の一を支払う方式をやっているわけでございます。その点は違うわけでございます。
  50. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 どうも西独の場合に比べて有利になっているかどうかは非常に問題だと思うのですが、今お話にもあったように、債務援助総額については協定に明記することができなかった。ドイツの場合にはそれは異論なしにちゃんと明記し得るような金額でもあったわけです。ところが、日本の場合には今お話にあったように、総額自体が両方で確定のできないような不明確なものであったわけです。その不明確なものを債務として引き受けるというのだから、西独より有利であったというようなことは少しも言えないと思うのですが、その点はあるいは意見の相違になりますから、これ以上申しませんが。それでは、その総額からすでに食い違っているのですが、一体これが債務であるというようなことに心得るというようなふうに考えておられたのか。だんだん債務として確定をしなければならなくなった。これは日本アメリカの間にしばしばいろいろな交渉があった結果だと思うのですが、平和条約が結ばれてから後、一体この問題について日米の間でどういうやりとりが行なわれ、どういう経緯によって今みたような総額がだんだん固まってきたのか、その点を少し御説明願いたい。
  51. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 先ほどの点ですが、西独の場合、アメリカの支出ベースをそのままのんだということは、何も双方の資料が合致したからのんだのではない。アメリカの言うとおり、ひとつあれは援助を受けて、おかげでドイツは復興したんだから、アメリカのプレッシングというものを受けて西独は復興した。そのことに謝意を表して、そのまま先方の言う金額をのむと、こういうことになったというふうなことが実情であるようです。私ども十分先方に確かめてみたわけでございます。さらにそのとき、なおフランスとイギリスについても、やはり援助を受けまして、これは返済するということになって協定を結んだわけですが、これは双方とも七五%を返すということになりましたので、アメリカの三三・一七八という返済率は非常に有利であるということになるわけでございまして、何も受取総額のチェックを強く主張しなかったというのが実情のようでございます。  それから戦後の交渉でございまするが、一番はっきりとこれを言っておりますのは、その前からもあったのでございますが、これはあとで政府委員から補足させまするが、重光さんが外務大臣のときにアメリカに行かれて共同声明を出しておられるわけです。このガリオアの支払いの解決を急ごうということを合意しておられまして、それに基づいて昭和三十年に日米間でガリオアの公式の交渉をやっておるわけです。その前にも岡崎さんの時代にそういう話があったり、あるいは池田さん、現総理が大蔵大臣時代にロバートソンとの会談でその話が持ち出されたというような経緯はあるわけでございます。実は、その後にも政府責任者が参りますたびに、アメリカからはこの支払いということの話が出ておったわけでございますが、日本とすれば、あの金が有効に日本経済を伸ばすために使われておるのでございますから、なるたけ先へ送ったほうがいいという意見もございまして、いろいろこのアメリカ側の要望に対して言を左右にしておったというのが実際であるわけでございます。
  52. 森元治郎

    森元治郎君 関連。大臣その……。
  53. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) ちょっと訂正させていただきますが、私は重光さんの共同声明が二十九年というふうに申し上げましたが、これは三十年で、公式会談はその前の二十九年に持たれております。これは順序が逆になっております。訂正させていただきます。
  54. 森元治郎

    森元治郎君 大臣、有名な「債務と心得る」というこの言葉ですな。これでここまで押してきたわけだ。ほかに表現もあったんだろうが、自民党は一たん言い出した以上は何でもこれで押し切ってきたけれども、こういう言葉は国内消費用だと思うので、一体アメリカとの取引の話し合いの中で、公式、非公式の中で、本件ですな、この問題、一体「債務と心得る」と言ったことがあるかどうか。文書があるなら非常にありがたいんですがね。アメリカ側に対して、これを処理したいと言ってきたときに、これは「債務と心得る」と入っておるドキュメントがないかどうか。何と表現をしてこれを書いておるのか。長ったらしく、日米間の戦後の対日援助処理に関する何とかと言っておるのか。
  55. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 今の御質問は、アメリカに「債務と心得る」と言ったような文書を出したことがあるかというような御質問かと思いまするが、アメリカとの交渉におきましてはガリオアエロア、要するに対日援助処理について話をしよう。セッツルメントということでずっと話をしてきております。この「債務と心得る」ということは、先ほども大臣が申されましたとおり、このガリオアというものは債務性があるものである。スキャッピン、あるいは当時の諸声明、あるいは決定等によりまして、他日何らかの形で処理しなければならない。もっと具体的に申しますと、支払い条件及びその精算は後日決定するという、そういう了解のもとにわれわれも受け取ったものでございますので、将来時が来れば、支払い条件あるいは支払い金額、支払い方法等諸条件を協定いたしまして、その上で確定債務になるべき性質のものである。そういった、いわゆる債務性のあることを、濃いことを、「債務と心得る」という表現をもってされたわけでございます。アメリカに対してそういったような文書を出したことはございません。
  56. 森元治郎

    森元治郎君 一番初めに向こうから話があったときに、これが処理について話をしたいと言ってきたとき、順序としてそのときに、これはわがほうとしては債務と心得ておるので話に乗りましょうと、こういうことを言わなくちゃ話がつながらないように思うんだが、当然、払うものであるかどうかの前に、まず心得ておる態度で返事をしたはずだと思う。黙っていると、初っぱなから払うということで交渉することになる。債務性の厚薄、あるなし、そういうことは一切抜きにしても、当然払うんだという態度で初っぱなから話したんではないと思う。単にセッツルメントだけの言葉じゃないと思う。
  57. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 昭和二十七年の十月にマーフィー駐日アメリカ大使から岡崎大臣に、ガリオア処理について話し合いをしようということを言って参りました。こちらもガリオア処理問題について話し合いをいたしましょうといったような表現で、その話がなされたわけです。
  58. 森元治郎

    森元治郎君 そうすると、こっちの返事も、それを受けて、セッツルメントという字で答えているんですか。
  59. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 日本側といたしましては、岡崎大臣からは、合衆国が日本に対して行なった戦後の経済援助に関するすべての事項について、両政府が早期に協定交渉を行なうという日本国政府了解を通報いたします、というような表現をいたしております。
  60. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 その返事でも明瞭ですが、占領中は、これに対する態度をむしろ明らかにしなかった。当時池田大蔵大臣はしばしば答弁しましたけれども、この性質については態度を明らかにしなかったということが事実だったんじゃないかと思う。ただ、平和条約を署名して帰って来て、羽田の飛行場で、これは債務であるから今後考えなければならないんだということをあのときに言って、実は僕らは非常にびっくりしたという記憶を持っているんです。アメリカ側から言って来たのは、今もお話しのとおりに、一九五一年、昭和二十六年講和会議のときにアメリカ側から、この支払いをどういうふうにするんだということで関心を示された。しかし、このときには日本側は何らそれに応じていない。ただ、向こうから非常に熾烈な要求と関心が示されるということを感得して帰って来たというだけにすぎなかった。あくる年の五二年、二十七年、今お話がありましたが、私の記憶では、四月、向こうから、アメリカ側から返済を求められた、こういうふうに思っているんですが、その辺のいきさつはどういうふうにあなた方しておられますか。
  61. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 私の先ほど申しましたとおり、初めてその申し入れがございましたのは二十七年の十月でございます。
  62. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そのあくる年の二十八年、五三年、池田・ロバートソン会談が行なわれているようですが、この池田・ロバートソン会談のときには、この問題はどういうふうに扱われたか。
  63. 中川融

    政府委員中川融君) この際は、一九五三年の十月でございますが、池田・ロバートソン会談におきましては、向こうからは、このガリオアエロアは早く片づけてもらいたいという注文があったわけでありますが、それに対して池田さんのほうは、日本としてはこれ以外にもいろいろの返済の問題があるので、このガリオアエロアだけを取り上げて早く解決するというわけにはいかない、しかしながら池田さんとしては、日本政府にこの問題を報告して、そうして日本アメリカとの間でこの問題の解決のためにひとつ会談を行なうということを日本政府に進言しよう、そしてこの問題が早く片づくことを希望する、こういうことを言われたのであります。
  64. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) なお、この件につきましては、当時共同声明が出ている次第であります。
  65. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 どういう共同声明。その問題に関して……。
  66. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 池田・ロバートソン共同声明というのは、一九五三年十月三十日にワシントンでなされておりますが、その中に、「米国側会議出席者ガリオアエロアに関し可及的早期解決の重要性を強調し、本件に関する合意に到達することを目途として東京において近い将来日米両国が会合することに意見の一致を見た。」、そう書いてあります。
  67. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そうすると、その後本格的な交渉が始まったのはいつからで、その交渉がいつ、どういうような交渉になったわけですか。
  68. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) その後正式会談が昭和二十九年五月から十月にかけまして、五回にわたってなされまして、種々資料の要求あるいはあらゆる問題についての討議が行なわれたのでございまするが、結論が出ませんで、十月に及んで終わりました。
  69. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 その二十九年の会談では、もう金額その他は具体的に出て来たんですか。たとえば、対日援助は総額幾らだとか、あるいはそれに基づいて幾ら返せとか返すとかいうような問題は、その会談から具体的に出ているのですか、どうですか。
  70. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 二十九年の会談におきまして、お手元に配付してございます米側の決算べースに基づく資料が提出されたのでございます。この会談におきましては非常に詳細にいろんな問題を討議いたしまして、結論には至りませんでした。
  71. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そうすると、それは対日援助の総額だけでなくて、幾ら返せとか返さないとか、こういうような金額も具体的に出て来たわけですな。
  72. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 私の承知しておりますところでは、そういった総額に関するいろんな資料、それから御承のとおり、今度の交渉に関連いたしまして、あるいは贈与とか返還とか、あるいは沖繩経済援助とか、そういったものを控除しております。それからまた、見返資金から出されましたいわゆる米側諸経費を控除し、また韓国、琉球に終戦処理費をもって出しました建設資材、あるいは韓国、琉球向けオープン・アカウントのこげつき残高、そういったものを引いておりますが、それの、何と申しますか、下地となりまするような諸資料、あるいは諸討議を行なっていた模様でございます。
  73. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そういう対日援助の総額並びにそれから控除すべきいろいろな金額だけが問題になって、それに基づいて一体幾ら返す、返さぬというその議論まではいかなかったんですか。もっとその会談では進んでいると思うんです。そのときにもうすでに返済額その他がいろいろ論議をされて、それで意見が合わなかりたんじゃないですか。そこのところをはっきりして下さい。
  74. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 当時正式に書類として出されたとは存じませんが、七億余ドルアメリカ側はまず提示して来たということは承知しております。で、その後種々期間中に、会議の場ではございませんが、交渉されまして、向こう側からはさらに約六億四千万ドルというようなものを提示して来た模様でございます。
  75. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そうすると、そのときに中断をしたのは、そういう六億四千万ドルとかなんとかいうその金額が折り合わなくて、会議は中断したと、こういうことなんですか、どうなんですか、その点は。
  76. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) もちろんその金額自体も当時の日本として直ちにのむことはできなかったと思いますし、それからまた、その出す基礎になります、先ほど私御説明申しました、いろいろな控除の基礎となります控除項目を差し引くいろんな問題についても、いろいろ意見が分かれておったようでございます。そしてさらに当時の事情を調べてみますと、協議を続けておったのでありまするが、内閣更迭等のために交渉も中断されたというような経韓があったように承知しております。
  77. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 それから、最近小坂外相とライシャワー会談に進むまでの間には、どういうやりとりが行なわれたか、その後相当年月がたっておりますが。
  78. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 昭和三十年八月三十一日に、いわゆる重光・ダレス共同声明が出ております。と申しますのは、重光大臣が訪米されましてダレス長官との会談の際に、いろいろこの話がありまして、その共同声明にもございましたとおり、この対日援助処理問題の交渉を早期に妥結せしめるため極力努力するということに意見の一致を見た模様でございます。その後いわゆる公式会談は、その後あるいは各関係大臣等が行かれた際にこの話が出たようでございます。なお、事務的にはその後も、ときに非常に非公式な会談を行なっておったのでございまするが、さしたる進捗は見ていなかった模様でございます。
  79. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 その後いつでしたか、佐藤大臣が行ったときにアンダーソンとの間の会談が行なわれておりますね。このときに何らかの取りきめが行なわれたということが言われておりますが、それはどういう取りきめだったのですか。
  80. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 佐藤大臣が行かれたのは、三十四年の秋だったかと記憶いたしまするが、私の承知しておりまするところでは、早期妥結を希望するというようなことではなかったかと思います。
  81. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そのときに、何かばく然とした記憶でなくて、何か取りきめがあったのじゃないか。それから、その基礎になったのがその取りきめ自体なのか、アンダーソンの書簡なるものが出ておりますね。これはどういうことだったのですか。
  82. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 私承知いたしておりません。
  83. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 承知いたしておりませんじゃ答弁にならない。
  84. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) その会談、昭和二十五年の十月に行かれましたときには……失礼いたしました。一九五九年十月に行かれましたときには、今申し上げましたような会談がなされたということでございます。御指摘のアンダーソン長官から佐藤大臣に書簡が参りましたのは、一九五九年九月でございます。その書簡は、やはり趣旨としては、先ほど申しましたと同趣旨日米友好関係の強化に資するよう本件の解決を早くしたいということのようでございます。
  85. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 それらの会談を経て小坂・ライシャワー大使の会談となると思うのですが、そのときにはどういうことが主として論議になったのですか。それは大臣みずからやっていたでしょう。
  86. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 実は、私が一昨年アメリカへ行きましたときも、ハーター国務長官からこの要望が出まして、水田大蔵大臣がやはりIMFの関係でその後に渡米されたときも、アンダーソン長官から話があったようでございます。しかし、二人とも、この問題は非常にセンシティヴな問題だから、こういう話はむしろ催促がましいことはあんた方言わぬほうがいいぞということを申したのであります。これはこちらとしても今までの経緯もあるから、こちらとして考えて、十分日本国民も納得し得るような線を自分らのほうで考えて持って来るから、そのときまで、もう今まで何回もこちらの関係大臣が行くたびに催促があるようだけれども、これは一つ自分のほうでそれを考える、日本国民からしても、そういうふうに心得て、いつか解決しようと言っていることなんだから、アメリカから押しつけられて解決したというのでは、われわれもどうもおもしろくない、そのときまで待ってくれ、こういうことを申しました。その後、私は責任においてこれを解決しなければならぬと考えまして、こちらでいろいろ相談いたしまして、そうしていわゆる会談という形でなくて、先方の意向等も大使を通じて、マッカーサー大使のおったときからいろいろやっておりまして、大体これならもうアメリカ側もある程度行くであろう、こういうことでございましたので、昨年の六月でございましたか、公式にこの問題を提起いたしまして、われわれのほうとしては、通産省で十分調査してくれました資料に基づいて、この資料を提出いたしまして、これによれば十七億九千七百万ドルである、われわれとしてはこれ以外の資料にはよれない、これによってこれの控除項目を引きたいということで、わがほうの計算を出しましたわけです。ところが、その後にいろいろの折衝がございまして、まあ大体私の当初希望したごとき金額になっておさまった、こういうのが実情でございます。
  87. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 日本側からは援助総額を十七億四千六百万ドルが控除してあって、それからアメリカ側からは十九億五千万ドルと、こういう援助総額が出てきて、その援助総額自体については、意見の一致は見なかったが、それならそれに基づいて幾ら払うべし、幾ら払うというような問題のときには金額はどういうふうな話し合いになったんですか、支払いの金額のほうは。
  88. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 支払い金額は、この資料を御提出申し上げてございますが、いわゆる通り抜け勘定と思われるものもある。これはもうまずもって引くべきものである。それから、平和条約十九条の関係日本が放棄したと思われる項目もあるけれども、これはここにありますような特殊のものであって、いわゆる終戦処理に属すべきものかもしれぬけれども、しかし、その対象が日本国内でないし、朝鮮事変にも無関係、それ以前のものである、こういうようなものは引くべきであるというような理屈をいろいろ述べまして、そしてこれは先方は何といいますか、いろいろ異議は言っておりましたけれども、結局これで行く以外日本国会説明できぬ、こういうわれわれの主張を聞いてくれた、こういうことでございます。
  89. 羽生三七

    ○羽生三七君 ちょっと関連して。まともな質問じゃないんですが、通産省の資料が十三万冊とか言いましたね。一冊はどのくらいあるのですか。一枚を一冊と言うのですか、何枚か重なっておるのを言うのですか。
  90. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 事務当局から申し上げまするが、この中には、十三万ということはちょっと違うのでございますが、その中に貯金通帳もありますし、輸出入——輸入があり、輸出があり、われわれガリオア関係考えますと、あれは輸入した資料になります。これはとてもそんな数じゃないわけです。
  91. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 私自身見たことはございませんが、通産省のほうから伺いますると、何と申しますか、受領証とか積荷目録とかいろいろ入っていまして、寸で申しますと、六、七分ぐらいのものだそうでございます。あるいはもうちょっとございますか、もう少し厚いものもあるそうでございまするが、要するにファイルでございます。
  92. 羽生三七

    ○羽生三七君 それが十三万ですね。
  93. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) それが十三万。ただしそれは聞くところによりますと、輸入も輸出も、商業輸入のやつも全部入れた資料だと聞いております。したがいまして、このガリオアに関しますものは約三百四十というふうに聞いております。
  94. 羽生三七

    ○羽生三七君 これは外務当局ではないかもしれませんが、一体幾人の人がどれだけの時間をかけて調べたかということ。
  95. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 私が従来聞いておりますところによりますと、年限は約七年かかっておるそうでございます。それから、当時従事した人は約三十人ぐらいの人が従事していたということでございます。
  96. 羽生三七

    ○羽生三七君 私の想像では、それだけ分厚いものを一日に十冊ずつ調べても一年に三千六百五十冊です。十年に三万六千五百冊です。三十年かかってようやく十一万冊。しかも一日に十冊調べるなんということは、それは容易なことじゃないでしょう。ですから、そういう分厚なものを十三万冊もそんな少数の人が、七年と言うけれども、それはちょこちょこは調べておったかもしれませんよ。しかし、私が何回も参議院外務委員会予算委員会、本会議を通じていろいろ聞いたときに、それは防空壕の中に保管はしてあるけれども、正確な調査はまだしておらぬというお答えがしばしばあった。したがって、正式の調査を始められたのは、七年も大ぜいの人数で十分にやっておったとは思えない。
  97. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 通産からお答えになるべき筋合いのものかと思いまするが、私の承知しておりますところでは、先ほども申し上げましたとおり、いわゆる十三万冊とは申しますけれども、対日援助関係ございまするファイルは三百四十冊余でございます。したがいまして、これらの資料に基づいて七年間にわたって三十人もの方が調べられたということは、私はそれは不可能ではないかと思うところでございます。それで、その過程におきまして、私も前の賠償室長にいろいろ聞いてみたのですが、手分けいたしまして、それをカード・システムにして、そうしていろいろやられて、途中で何回も何回もこれを確認したり、あるいは再検討したりされたので、中間的には、この数字というものが対米交渉にも非常に重要な基礎になりますものですから、はっきりしたことを申し上げるのに過渡的にはちゅうちょされたのじゃないかと思います。
  98. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 特に私が聞きたいのは、四億九千万ドル支払うという結論になったのだが、その前に、外務大臣とライシャワーとの話し合いでは、そこの支払うべき金額の問題でどういうやりとりが行なわれたのかということなんです。ということは、もっと具体的に申し上げると、新聞の報ずるところによると、日本は当初返済額を四億三千万ドルと提示をされた。これに対してアメリカ側は五億八千万ドルという数字で、これでいろいろ話し会いをされた結果、結論として四億九千万ドルということになったのだ、こういうふうに言われておる。そこで私が聞きたいのは、日本か当初返済額を四億三千万ドルと示された数字的な根拠はどこにあるのか、これに対応してアメリカ側が五億八千万ドルと言ったのは、数字的な根拠は、どういうことを根拠にしてそういう主張をしたのか、その両方を主張しながら、最後には四億九千万ドルという結論が出たが、それは数字的にどういう理由で四億九千万ドルという確定をされたのか、その辺をひとつ詳しく御説明願いたい。
  99. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) アメリカ最初の切り出しはもっと高かったのじゃないかと思っておりますけれども、いずれにしても、アメリカアメリカ側の計算で言って参りましたものの中には、この資料にございます「(C)から控除する項目」、そういうものは先方は考えておらないと思います。これは具体的に言いますと、連合軍人住宅建設費、特定教育計画費あるいは学童給食費、韓国、琉球向け建設資材費、船舶運営会人員物資輸送費、こういうようなものは考えていなかった。そのほかにも「(A)から控除する項目」、この中にも入っていなかったものもあると思いますが、今ちょっと一々向こう資料を持っておりませんので……。たしか入っていなかったものもあると思います。  それから、わがほうは、やはり三三・一七八を西独並みにかけたわけでございますけれども、これは交渉でございますから、西独よりもさらに日本の経済力は低いとかなんとか言ってこの数字をもっと低いものを出しておるというようなことはございます。これはしかし、結局はここに行くのが、西独と日本は同じ条件で返済率はなるであろうということは、私どもは予想しないわけではなかったわけでございますが、一応それを低い数字を出したというようなことはございます。しかし、結論的に言いますと、先ほど私が申したように、私が当初考えて、それで何とかまとめよう、こう思いましたところに先方はおりてきたというのが実情でございます。
  100. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そうすると、四億九千万ドルが当初考えられた数字だったとおっしゃるのですか。
  101. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) そうです。
  102. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 数字その他を掛けると四億三千万ドルということになるんじゃないですか。四億三千万ドルというのは、だから、どういうのですか。それからアメリカ側が五億八千万ドルと言うのは、どういう……、それは外務大臣がさっきそれを多い数字を言っておったと思うとおっしゃいましたけれども、私の記憶では、前の何年ですか——五四年の交渉のときに、アメリカ側は六億四千三百万ドルと出した。それを今度は引き下げてきて五億八千万ドル、今度はあなたとの会談のときには、当初から五億八千万ドルと、こう出したのじゃなかったですか。
  103. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) 今申し上げたように、正式の交渉をする前にいろいろな過程があったわけです。その話を別にすれば、たしか少し高かったような気がするのですけれども、四億八千万ドルではなかったような気がします。これは新聞に発表するといいますか、新聞のほうでいろいろお書きになった段階では、なかなか交渉むずかしいのでございまして、新聞のほうが非常に取材をされる。これは当然のことでございますが、それが取材されていい場合と悪い場合と、まあ悪い場合もずいぶん多いわけでございますが、そういうところをいろいろ新聞の皆さん方が御努力なさってつかまれる数字でございますから、これは必ずしも私が責任を持つべき筋とは思っておりません。  さっき申し上げました三三・一七八というのを、その掛ける率を幾らだったかはっきり今覚えておりませんが、三〇前後のものにしまして、それを掛けてみれば、もっと全体は低くなるわけです。
  104. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 それが四億八千万ドルですか。
  105. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) それを必ずしもそのままずばりじゃありませんけれども、低い数字を出したわけです。これは交渉でございますから、少ないほどいいにきまっておりますから、できるだけ低いものにしたわけです。
  106. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 この点を非常にしつこくお聞きしているのは、四億九千万ドルとおきめになって、協定にはそういうふうに書いてあるが、利払いその他を考えると、いろいろ計算をしてみると、実際に支払うのは幾らになりますか。
  107. 安藤吉光

    政府委員安藤吉光君) 十五年の年賦でずっと、これは具体的には半年ずつやるのですが、それを総額累計いたしますと、ドルに換算いたしまして、ドルでは五億七千九百二十二万ドルになります。それを円に換算いたしますと二千八十五億円になる次第でございます。
  108. 佐多忠隆

    佐多忠隆君 そこのところで私非常に不思議に思うのは、今お話しのとおりに、複利計算をすると五億八千万ドルになりますね。これがあなたとライシャワー会談のときに、当初向こうから提示した五億八千万ドルと偶然か何か、くしくも合致しているのです。これから考えると、あなたが非常に日本外交の成功だと言って、四億九千万ドルで非常に値切ったようなことを言っておられるのだが、まんまとアメリカ側の要求どおりにぴたっと合っているのだ、くしくも。少しも誇りにされるような成果でないと思うのだ。この点はもっといろいろ支払い金額その他、これはもう産投特別会計等の問題になりますから、これからそれお聞きしたいと思いますけれども、時間がありませんから、きょうはこの程度でやめておきます、一応その点を申し上げて。
  109. 小坂善太郎

    国務大臣小坂善太郎君) これはまた別の機会に申し上げることも幾らでもあると思いますが、これは全くたまたま数字がそうなったので、向こうはもう少し多かったかもしれませんが、しかし、これとは全く無関係の問題であります。  それからなお、これは言うまでもないことでありますが、わがほうが産投で運営をしている運用益というものをお伺い下されば、これはガリオア返済金の場合、二分五厘の金利でありますが、国際金利をとってみますればこれは六分五厘ぐらいのものではございませんか。そうとしますると、その間の金利の差だけでも大きい。それから昭和二十七年当時、最初の申し入れを受けて、それからたまっておった今までのこれは全くただの金を、利息のつかない金を借りておったわけです。これは相当の運用益がもうすでにあるわけです。その点もひとつあわせてどうぞ……。
  110. 井上清一

    委員長井上清一君) 本日は、これにて散会いたします。    午後一時五分散会