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1962-03-02 第40回国会 衆議院 法務委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月二日(金曜日)    午前十時十九分開議  出席委員   委員長 河本 敏夫君    理事 稻葉  修君 理事 小島 徹三君    理事 林   博君 理事 牧野 寛索君    理事 井伊 誠一君 理事 坪野 米男君    理事 松井  誠君       有田 喜一君    井村 重雄君       池田 清志君    唐澤 俊樹君       岸本 義廣君    馬場 元治君       松本 一郎君    阿部 五郎君       猪俣 浩三君    鈴木 義男君       志賀 義雄君  出席国務大臣         法 務 大 臣 植木庚子郎君  出席政府委員         検     事         (訟務局長)  濱本 一夫君  委員外出席者         参  考  人         (一橋大学助教         授)      市原昌三郎君         参  考  人         (千葉地方裁判         所判事)    猪俣 幸一君         参  考  人         (東京地方裁判         所判事)    白石 健三君         参  考  人         (弁護士)   長野  潔君         参  考  人         (中央大学教授橋本 公亘君         参  考  人         (東京教育大学         教授)     綿貫 芳源君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 三月二日  委員片山哲辞任につき、その補欠  として鈴木義男君が議長指名で委  員に選任された。 同日  委員鈴木義男辞任につき、その補  欠として片山哲君が議長指名で委  員に選任された。     ————————————— 三月二日  下級裁判所の設立及び管轄区域に関  する法律の一部を改正する法律案  (内閣提出第一一二号)(予)  訴訟費用等臨時措置法等の一部を改  正する法律案内閣提出第一一三  号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  行政事件訴訟法案内閣提出第四三  号)      ————◇—————
  2. 河本敏夫

    河本委員長 これより会議を開きます。  行政事件訴訟法を議題といたします。  本日は本案について参考人から意見を聴取することといたします。ただいま御出席参考人橋本公亘君、市原昌三郎君、綿貫芳源君の三君であります。  この際、議事に入ります前に参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。さきに御通知申し上げました通り、本委員会において審査中の本案は、各界の関心を集める重要な案件であると存ぜられますので、委員会の決議をもってここに学識経験を有せられる各位参考人として選定し、各位本案についての御意見を拝聴し、もって本委員会審査に慎重を期することといたしたのでございます。つきましては、忌憚のない御意見の御開陳をお願い申し上げる次第でございます。  なお、議事の進め方につきましては、お一人二十分以内程度において、橋本参考人市原参考人綿貫参考人の順序で意見開陳をお願いいたします。三人の意見開陳が終わりました後、委員から質疑が行なわれることとなっておりますので、お答えをお願い申し上げます。  それでは、まず橋本参考人からお願いいたします。
  3. 橋本公亘

    橋本参考人 私がただいま御紹介にあずかりました橋本であります。  行政事件訴訟法案についての私の意見を申し上げたいと思います。私は、この法案に大体において賛成であります。若干の疑問点がないわけではありませんが、その点につきましては後に申し上げることにいたしまして、法案全体として見ますと、私は賛成であります。  その理由を簡単に最初に申し上げておきます。現行行政事件訴訟特例法は、昭和二十三年に制定せられまして、全文わずかに十二カ条にすぎないものでありまして、その制定のいきさつから見ましても、またその全文を通読いたしましても、国民権利擁護という点から配慮が十分ではないと思われます。また、行政事件訴訟それ自体についての研究が必ずしも十分でなかった関係もあって、その特質等についての配慮も十分であるとは言いがたいのであります。従って、これらの規定不備のため解釈疑義がはなはだ多く、学説判例も分かれております。そのため運用の面においてもいろいろ困難な点がありますし、国民立場から見ても予測可能性という点から欠けるところがあると思います。その結果、国民権利保護という点から考えても、必ずしも十分ではないのであって、現行法をすみやかに改正すべきであるという点については、学者の間でも意見が一致しておりますし、実務家も同じように考えておるわけであります。  ところで本法律案を見てみますと、その性格は大体において、第一に、国民権利の伸張という点について意を用いておると思います。それから第二に、従来いろいろ疑義のあった点について、その疑義を解消するように努めておることがうかがわれます。その二点において、本法案を支持すべきであると私ども考えております。ただ、若干不満な点としては、行政権司法権との関係について、理論的にかなり神経質になっておるために、必ずしも私ども要求を満足させない点もあると思いますが、この点については将来学説判例等発展を待って解消することができると思いますから、私はこの法案について国会がすみやかに可決せられることを期待しておるのであります。  なお、この法案審議議決に際してぜひお考え願わなければならないことは、行政事件訴訟法だけの改正考えても意味がないのでありまして、別に、たしか内閣委員会の方にすでに提案せられて−おる行政不服審査法、これの制定が必要となるわけであります。訴願制度改正の必要について、ここで云々する余裕はございませんが、との両者相待って、初めてこの行政事件訴訟並びに訴願制度改正が実現するわけでありますから、どうぞその点もお考え願いたいと思うのであります。  なお、後に時間があれば申し上げますが、この際将来の課題として、行政手続法制定ということに意を用いていただければ幸いであると思います。  次に、本法案の中で若干疑問の点があるということを申しましたので、その点について私の各論的な疑問点を提示しておきたいと思います。  その第一は、訴願置主義廃止の点であります。本法案建前は第八条でございますが、訴願置主義廃止いたしまして、例外として訴願前置を認めるという体制をとっております。現行法はその逆であって、現行行政事件訴訟特例法第二条では訴願置主義をとって、その例外として前置主義廃止するという建前をとっております。なぜ、本法案がこのような訴願置主義廃止建前をとったかと申しますと、これは提案理由にもあります通り訴願置主義がいろいろ弊害をもたらしております。現行訴願制度がはなはだ不備、不統一であるために、必ずしも国民にとっては訴願できる事項であるか、またいかなる行政庁訴願すべきであるかという点が明らかでないこと、その他訴願期間がいろいろまちまちになっておりますために、必ずしもこの訴願前置ということが効用を果たしていないので、むしろ司法救済を阻害するという効能を果たしておるために、この法案では訴願置主義廃止するという建前をとったわけであります。  そこで、私の意見を申し上げることにいたしたいと思いますが、この問題は、行政救済をいかに整備するか、それからまた司法救済実態がどうあるか、この両者を考え合わせて初めて結論が出ることであろうと思います。もしも現在の訴願制度がそのまま残るとするならば、訴願置主義廃止すべきであります。しかしながら、行政救済制度が完備せられるならば、訴願置主義は残してもいいのではないかというように考えるわけであります。法制審議会行政訴訟部会の小委員会少数意見におきましても、本法案建前とは逆に、訴願置主義原則として残して、その例外を認めるという建前をとっております。もっともこれは立法技術の問題でありまして、おそらく究極的にはそれほど大きな差異はないと思いますが、いずれを原則としていずれを例外とするかによって多少の差異が起こることは、疑うことはできないのであります。そこで、現在審議中の行政不服審査法というものがかりに制定されたといたしますれば、訴願制度が非常に改善されるわけでありますから、私は、前置主義をとって、その例外を定めるという形でいいのではないか、こういうふうに考えます。  それでは、一体訴願置主義にいかなる効能があるか、いかなる機能を果たしておるかというようなこと、さらに訴願置主義をとるべき理由というようなことについて少しく申し上げてみますと、まず第一番に、私ども能率的行政ということもやはり尊重しなければならない。処分をして、行政庁あるいはその上級行政庁に一度反省する機会を与えるということは、やはり一つ意味があることであろうと思います。それから第二に、行政庁にはそれぞれ特殊専門的な知識がありますから、その知識を活用するということも十分理由があることであろうと思います。第三に、この訴願置主義をとることによって、司法裁判所負担が大幅に軽減されるということが考えられるわけであります。現在でも、司法裁判所事件の増加に悩んでおりまして、必ずしも司法救済実態は私どもを満足させるものではないわけでありますから、これ以上事件を増加させるような形での解決の仕方、訴願置主義を撤廃して、訴願訴訟とを併置させるという行き方に、多少の危惧の念を感ずるわけであります。私の立場から申しますれば、救済実効性があればそれで十分なわけであって、行政救済でやろうと、司法救済でやろうと、その救済がいかに実効的になされるかという方が重要であろうと思うのであります。従って、私は、この点について訴願置主義原則としてもいいのではないかと思うのでありますが、先ほど、申しましたように、この点については、この制度でこのまま制定されても私は差しつかえないと思います。というのは、本質的に考えますと、いろいろ問題がないわけではありませんけれども、一応この第八条のままで立法されたとしても、将来各種の法律の整備によってこの弊害も是正することが可能ですから、一応私の疑問点として、この第八条について申し上げるにとどめたいと思います。  その次に第二の疑問点として、内閣総理大臣異議の問題であります。現行法ですと第十条第二項ただし書きでありますが、この法案では第二十七条に詳しく規定せられております。私は、この内閣総理大臣異議制度に非常に疑問を抱くものでありまして、その疑問点を少し申し上げておきたいと思います。  まず第一番に、このような制度がはたして必要であるかどうかという疑問であります。この内閣総理大臣異議制度を設けないでも、けっこう問題が解決できるのではなかろうか。と申しますのは、法案の第二十五条第六項で執行停止の決定について不服申し立て制度が用意されております。従って、内閣総理大臣異議制度を設けないでも問題は解決できるだろうと思います。  それから第二の疑問点として、裁判所の権限を内閣総理大臣が押えるというような制度建前に疑問を感ずるのであります。提案者説明によりますと、執行停止行政処分的なものであるから、行政最高責任者異議権を認めた、こういうふうになっておりますが、ともかくも裁判所に与えられた権能を内閣総理大臣異議によって制約するという建前は、制度のあり方としてはどうも奇妙なものではなかろうかと思います。  第三の疑問点として、内閣総理大臣異議乱用が行なわれることはなかろうかということであります。提案者説明によりますと、そういうおそれはない。というのは、内閣総理大臣異議申し立てをした場合には、次の通常国会で報告すべき義務を設けているから、という説明になっておりますが、はたして内閣総理大臣が、次の通常国会で報告するということだけで乱用を防止することが確保できるかどうかに疑問を感ずるのであります。結局のところ、この規定は、裁判所に対する不信の表明ということに連なると思うので、妥当な立法ではない、外国にもその例がないというふうな、いろいろな点から考えますと、これまたこの制度に私は疑問を感ずるのであります。  なお、二、三のこまかい点の疑問点をもう少し申し上げますと、これははなはだこまかいことになりますが、第三条の抗告訴訟定義規定のところであります。この法案建前によりますと、第一項で「「抗告訴訟」とは、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟をいう。」第二項から第五項に至るまで「処分取消し訴え」、「裁決の取消し訴え」、「無効等確認訴え」、「不作為違法確認訴え」この四つを例示的に掲げております。よく読めば、これ以外にも抗告訴訟がある。二項ないし五項に掲げておる訴え以外にも抗告訴訟があることはわかるのでありますが、規定の仕方は必ずしも明瞭ではない。提案者説明によりますと、抗告訴訟をこれら四つ訴訟に限定する趣旨ではない、そういう説明をしながら、これ以外にどのような訴訟が認められるかを明らかにしないで、かりにそのような訴訟が認められるとすれば、これを抗告訴訟とする趣旨である、こういうふうに説明をぼかしております。結局のところ、将来の判例発展に待つ趣旨であるわけであります。そういたしますと、当然疑問として提示せられるのは、たとえば義務づけ訴訟というようなものが認められるか、処分権存在確認訴訟というものが認められるかというような、いろいろな形での抗告訴訟可能性が問題になってくるわけであります。これでも決して悪いとは申しませんが、この法律案趣旨が、できるだけ疑義を解消するということにあったことから考えますと、どうも必ずしも十分であるとは言えない。多少の疑問を感ずるのであります。もし、はっきり規定ができるなら規定してもよかったのではないかと思います。もっとも現在のところ、わが国では、この問題について学説判例とも熟してはおりませんから、なお将来の展開を待つということで一応立法せられてけっこうではありますが、一応の疑問として提示しておきたいと思います。  その次に、もう一つ公法上の仮処分について考えてもよいのではないかということを申し上げておきたいと思います。これは行政訴訟部会の小委員会少数意見にも出ておりますが、私はこの執行停止だけでは必ずしも十分ではないと思います。たとえば電波法放送無線局免許があったといたします。その期間は三カ年で、再免許ができるということになっておりますが、かりに再免許が拒否されたといたしますと、執行停止だけではどうにもならない。ここでたとえば、かりの地位を定める仮処分というようなものができれば、放送無線局をそのまま事業を継続することができるわけであります。こういうような点等いろいろ考えてみますと、公法上の仮処分というようなことを考えてもいいのではなかろうか、こういうふうに思います。  最後に、私は総括的に一応まとめてみますと、多少の疑問はあるが、本法案全体としては、私はこれに賛成であって、この国会においてすみやかに審議議決せられることを期待するものであります。そして本法制定にあたり、同時に訴願制度改正について、ぜひこの行政不服審査法制定を実現せられんことを期待するものであります。ついでながら申しますと、その後の問題として、行政手続法制定について、さらに将来お考えを願いたいと思うのであります。  もう一つつけ加えて申しますと、司法救済実効性を高めるということについて意を用いていただきたいと思うのであります。現在、裁判が遅滞し、著しく行政訴訟件数は少ないのでありまして、日本では、大体第一審の裁判所年間一千件余りの事件が提起されております。ところが、これをたとえばドイツの例で見てみますと、連邦行政裁判所年間に処理する事件は、約三千ないし四千件であります。これは連邦行政裁判所ですが、邦の第一審裁判所年間に処理する事件が約五万件であります。そのほかに労働裁判所社会保険裁判所財務裁判所等で数十万件の事件が処理されております。これに比較いたしますと、日本司法裁判所に提起せられる行政訴訟事件の数はあまりにも少ないので、ドイツ裁判官あたりは驚いておりますが、こういった点を考えてみますと、なるほど行政事件訴訟法というような法律が整備されるかもしれないけれども、現在の司法裁判所体制は必ずしも十分ではないのであって、今後この点についても国会においてお考え願いたいと思うのであります。  以上で私の意見の陳述を終わります。
  4. 河本敏夫

    河本委員長 次に市原参考人から御意見開陳を願います。
  5. 市原昌三郎

    市原参考人 私、市原でございます。本法案に対する私の考えの一端を述べさせていただきます。  現行法解釈上の疑義とか、運営上の不備といったような点につきましても、数十年の歴史の中で学説判例展開によりまして、大体固まってきたように思われるのであります。しかしながら、なお多くの点で立法的な解決が必要だと思われる点も残っておるわけです。このような意味におきまして、本法案がこの要求にこたえようとするものであり、またその内容的な面から見ましても、若干の留保を置きますならば、大体においてこたえておるというふうに思っております。  それならば、私、若干の留保と申しましたが、どのような点に私が留保を置いておるのか、そのおもなものを一、二拾い上げてみますと、第一は、ただいま橋本先生からもお話があった訴願置主義の問題でございます。八条の問題でございますが、この訴願置主義原則として廃止されたという点につきましては、私も橋本先生同様、若干の疑問を持っているものでございます。と申しますのは、もちろん現行訴願法その他を前提として、それが不備なものである。従って、この訴願置主義国民権利救済を妨げているということは事実でございますが、このことから直ちに理論として訴願置主義一般がいけないというふうになるのは、少し理論展開が行過ぎているのではないか、飛躍があるのではないかというふうに考えられます。従いまして、私がここで申し上げることは、訴願と言いますか、行政機関による不服審査、これが整備された後の段階におきまして、一体訴願置主義というものを置くことがいいのか悪いのかというふうな観点から考えてみるわけでございます。そういたしますと、訴願置主義が持っている長所というようなものは、先ほどこれもすでに橋本さんからお話があった点でございますので、私も繰り返す必要はないと思いますが、大体専門的な知識を活用するとか、あるいは裁判所負担を軽減するとか、能率的な行政の運営をはかるというふうな点に集約されるだろう、こう思うわけです。もっとも、この点につきまして、わが国裁判所は、それほど行政事件負担の過重に悩んではいないのではないかというふうな疑問もございますが、これはなるほど現在はそうでございますが、あとでも申し上げますように、今後のわが国における行政というものが、今まで通りと同じようなものであるかどうか。と申しますのは、いわゆる福祉国家としての行政、あるいは社会的法治国家としての行政というふうなものを考えてみます場合に、この点がやはり一つの問題となってくる。すなわち、国民生活範囲に対する行政権の介入ということが非常に多くなってくる。従いまして、そこにいろいろ紛争が発生するという余地も出てくるわけでございます。なお、従来わが国におきましては、一般国民権利意識が低かった。こう言われておりますが、そのことから、どちらかと申しますと、裁判に持ち出す前に何かうやむやのうちに片づけてしまう、こういう傾向があった、こういわれております。それもそうでございましょうが、しかしながら、新憲法のもとで国民は自分の権利というものに対して十分な自覚を持ってきているのではないか。この点は、西ドイツというふうなところも、元来は行政裁判行政訴訟というふうなものは、御承知のように概括主義が否定されて列記主義がとられていたものですから、わが国と同様に裁判件数が非常に多いというふうなものではなかったわけでございますが、戦後この概括主義が採用されまして、一般行政処分に対して訴訟が提起できるということになりますと、非常に件数がふえてきた。このようなことからも大体推定できるのでございますが、わが国の場合にも、将来の問題、もう少し長い目で見た場合には、やはりそういった問題が予想されるのじゃないか。そういった場合を考えますと、やはり裁判所負担軽減というようなことも、現在の事態だけから判断して将来を推しはかってしまうという点には問題があるように思うわけでございます。  なお、専門的知識の活用というふうなことで橋本さんが申されたことですが、なるほど司法裁判所と申しますものは、十九世紀的と申しましては問題があるかもしれませんが、いわゆる自由権的な国民権利救済という場合には、非常に重要な役割を果たすことは申すまでもございません。しかしながら、わが国憲法二十五条以下に規定されておりますような社会権的な規定が充実され、そして社会保障が今後進んでいく、あるいは行政開発行政を多分にその中に含んでくるというふうなことになって参りますと、必ずしも現在の司法裁判所裁判官の素質というものが、そういった事件に対して十分な能力があるというふうには言えないのじゃないか、そういう疑問があるわけでございます。そうなりますと、やはり何といってもそういう行政に対しての専門的な知識を持っておる人間の知識を十分に活用するような方途を考えざるを得ないわけであります。その意味におきまして、少なくともこの現行法のように——これはあとで申しますが、行政事件裁判につきまして行政の専門的な知識を持った裁判官の登用というふうなものをお考えになるならばこれは別でございますが、そうでなく現在の建前の中で考えて参りますと、どうしても訴願置主義という問題は、このような点からいって、これを一般的に廃止してしまうということには、私は疑問を持たざるを得ないわけでございます。この点につきましては、先ほど橋本さんが言われましたように、実際問題としては、この法律で特に訴願前置を必要とする第八条のただし書きというようなものが出て参りますから、そのような意味である程度救えると思いますが、理論的に考えますならば、今申し上げましたような意味において、訴願置主義廃止するということについては、私は疑問を持っておるわけでございます。  次に第二の点といたしましては、不作為違法確認を求める訴訟というようなものが、抗告訴訟一つとしまして第三条の第五項に認められております。この点につきましては、学界におきましても、司法権行政権との関係というふうなことからいろいろ問題がございますが、私は、この程度規定であれば、この程度訴訟を認めるというのであれば、司法権行政権関係において、行政権に対する司法権の侵害というような問題は出てこないのではないかと思うわけであります。しかしながら、これがさらに進んで、先ほど橋本先生がおっしゃったような意味での給付訴訟というふうなものが認められて参りますと、わが国憲法のもとで、はたしてそれが司法権の作用として適当なものであるかどうか、若干問題であると思うわけでございます。なるほど、西ドイツにおきましては、そのような給付訴訟一般的に行政訴訟において認められているわけでございます。しかしながら、この点、われわれは西ドイツわが国の場合を比較するにあたっては、考えなければならぬ点がある。と申しますのは、なるほど西ドイツにおきましては、行政事件裁判をいたしますところの行政裁判所というものは、行政権からは完全に独立な地位を持ったところの裁判所によって行なわれているわけでございます。レヒトシュプレッヘンデ・ゲヴァルトと言っておりますが、そういう立法行政に対する第三種としてのレヒトシュプレッヘンデ・ゲヴァルトの一つの分子と申しますか、一分子としての行政裁判所が裁判をしておる。その意味では、わが国の場合と同じように、何か行政立法に対する第三権としての司法権、それがやっているので、同じじゃないかというような気がするのでございますが、実は考えなければなりませんのは、西ドイツの場合には、民事、刑事の裁判を取り扱う通常裁判所とは、行政裁判権を行使する行政裁判所は別系統になっているということでございます。従いまして、その意味では行政事件についての審理の適応性を持っているところの裁判官を特に行政裁判所に登用できるという道が大きく開かれている。これに対しまして、わが国の場合には、そう言っては失礼かもしれませんが、民事、刑事の裁判をやられる裁判官が、いわば片手間に行政事件裁判をするというふうな傾向にならざるを得ない。その点が、わが国西ドイツを比較する場合、何としても考えなければならぬ点ではないか。こう考えますと、この不作為違法確認訴えというものが、何らかの処分をしろ、イエスかノーか何か答えてやれという程度の問題で終わっているというのであれば、これはそういう今の司法裁判所がやっても大して問題はない。しかしながら、さらに進んで特定の行為をせよというふうな給付の判決がそこでできるということになりますと、わが国の場合には、今申し上げましたような裁判所の構成という点からいって、かなり疑問があるのではないか。むしろ、わが国憲法の中では、そのような問題については、内閣が国会に対して責任を負う、結局は国民に対して責任を負うわけですが、そういう形においてこの問題は解決すべきであるというふうに憲法考えているのではないか。このように考えて参りますと、私は、この不作為違法確認訴えというものが認められましたことは、国民権利救済という点から見れば歓迎すべきことではございますが、この訴訟を認められたことを橋頭堡にしまして、さらにそれ以上に進んで西ドイツ的な給付訴訟まで認めるという可能性を与えたという意味では、若干問題があるように思うわけでございます。ことに第三条の規定で、これが列記主義でないということは、よく読みますとわかりますので、便宜的な列挙でございますから、従いまして、これ以外に本抗告訴訟というものがあり得るのだということになりますと、そういうものが抗告訴訟として考えられてくる。こういう危険もございますので、その点若干の問題があるように思うわけでございます。  そのほか、こまかい点につきましては、なお申し上げたいこともございますが、私は、さらに基本的な問題点として、次のようなことを考えてみたいと思います。これはもちろん現在の問題というよりは、将来の問題でございまして、この法律制定することを、今これから申し上げますような理由において待てという、そういうことを申すわけじゃないので、この法律は、それ自体としてりっぱな存在価値を持つものである。橋本先生もおっしゃったように、早くこの法律制定されて、今までの行政事件訴訟不備な点を補ってくれるということは望ましいことでございますが、さらに将来の問題として考えますならば、先ほどもたびたび触れましたように、現在の行政というものは、すでに十九世紀的な単純的な自由権を保障すればよろしいというふうなものではなくなってきている。むしろ、福祉国家あるいは法の支配のもとにおける福祉国家、あるいは西ドイツの言葉でいえば社会的法治国家、こういうようなところに近代行政の進路が向けられている。わが国憲法におきましても、二十五条以下にこのことは現われているわけであります。そういたしますと、この行政訴訟考えます場合に、従来の自由権を保障するような、それに十分な制度だけでよろしいというわけには参らなくなってくるのではないか。このことは単に私がここで思いつきに申しているわけではございませんので、イギリスやアメリカにおける行政委員会制度の発達というようなところにも、そういったことが現われているのではないか。  先日も、昨日でしたか、蝋山先生がおっしゃっておりましたが、イギリスにおきましても、この行政救済について、司法裁判所に全面的にまかせるかどうかについては非常な問題があるというふうなことをおっしゃっておりましたが、そうであろうと思うわけでございます。さらに西ドイツにおきましても、伝統的な行政権の優位と言いますか、それに対する反動というふうなものが、戦後日の浅かった時代には比較的強かったわけでございます。従いまして、行政がより強くなり、これに対して裁判所のコントロールが及ばなくなるというようなことについては、相当消極的であったわけでございますが、その後の経験からして、有力な学者の中にも、単に名義だけで、独立の裁判所だから国民権利救済に役立つ、行政庁においてはそういった国民権利救済というものは期待できないというふうに考えるのは、あまりにもあさはかではないか。もっと実質的に、いずれの方法をとることが具体的に現実に国民権利救済に役立つのかということをわれわれはもう一度考え直す必要があるのではないが。二とに新しい一九六〇年四月一日から発効いたしました西ドイツ行政裁判所法の場合におきましては、民事訴訟制度へのきわめて強い接近という方向が打ち出されているのでございますが、この点に対しまして、ただいま申し上げましたような有力な学者等は反対いたしまして、社会的法治国というふうなものを考えた場合、そういうふうな行政事件の特殊性を無視して、民事訴訟にこれを近づけてしまうということは非常に疑問である。この法律ができ上がってしまったことはやむを得ないけれども、この運営の上において、そういった危険性が少しでも少なくなるように期待せざるを得ないというふうなことを述べております。このような外国の事情というようなものを振り返ってみましても、私はこの行政事件訴訟というふうなものを、この面でまた一ぺん根本的に考えてみて、はたして民事訴訟と接近させることが国民の具体的な権利の保障に役立つのか、あるいはいま少し行政事件というものの特殊性というものを認めることが、より現実に国民権利救済に役立つのかというような問題を、長い視野のもとに考えてみなければならないと思うわけでございます。  以上はなはだまとまらないことを申しましたがこれをもちまして私の意見といたします。
  6. 河本敏夫

    河本委員長 次に綿貫参考人から御意見開陳をお願いします。
  7. 綿貫芳源

    綿貫参考人 私は、前の市原先生、橋本先生なんかが、基本的には本法案が妥当なのではないか、ただ若干数点において問題点があるのではないか、疑問の点があるのではないか、こういうような趣旨ではなかったかと考えられるのですが、実は私は、ちょうどその逆になりまして、若干いい点もある、しかしながら、基本的にはおかしいのではないか、結論を先に言えば、もう一回根本的にやり直すべきではないか、これは私、この要綱ができましたおととし、三十五年のときに若干書いたことがございますが、今度その要綱の多数意見を大体中心にされてこの法案ができたようであります。その点について、若干要綱についての誤解があったりしましたが、基本的には私の考えは変わっていないのであります。問題は、これは今市原橋本両先生から御指摘があった訴願置主義、それからその他若干あって、また内閣総理大臣異議というような問題について、具体的問題になりますと、そういう問題にもなりますが、要するに、そういう点についての、前の市原橋本両先生の意見に、私は疑問とされるところに賛成なんですが、それは、そういうことがある、そういう点の疑問が残されたとういのは、結局本法案が、その出発点と言いますか、基礎的または現行憲法のもとにおける特例法として、はたしてそういう行政事件に関する訴訟手続法として妥当かどうかという基礎的な問題とも結びついてくるのではないかと思われる。そして私は、そういう点から見ますと、この法案が、たとえば不作為違法確認訴え、あるいは無効確認について、これは提案理由は若干はっきりしないのですが、そのおそれのある違法だとして、この三十六条などで、ちょっとこまかな問題になりますが、「無効等確認訴えは、当該処分又は裁決に続く処分により損害を受けるおそれのある」というふうになりますと、これは一種の宣言的判決、要するにまだ具体的な行政処分に至らない前の段階で、宣言的判決を私は認めたのではないかというふうに考えたのですが、どうも提案理由はその点がはっきりしていないので、提案者はどういうことを考えたかわかりません。しかし、私の理解がもし正しいとするならば、こういう宣言的判決を認めるということは、さらにその終局判決前の違法宣言というような、これは三十一条の二項でありますが、こういうものを入れた点なんか、従来の特例法に比べまして、若干の進歩が認められないわけではない。そういう点で、私はこの法案は実にくだらないものである、そういうことを言う気は毛頭ないのであります。  しかしながら、その基本的な全体の構造を見ますと、将来行政訴訟について、こうあるべきではないかというふうに私が考えているところと、かなり離れている。いたずらに手続を複雑にするだけで、実際上人民の権利救済の方法を、司法裁判所の手続として十分機能を果たし得ない可能性が非常に大きいように思われるわけであります。なぜそういうふうに私が考えるのかと言いますと、時間があと十五分ほどしかありませんから、その点を簡単に申しますと、世界の大体法制を見ますと、行政事件——行政機関、ガヴァメンタル・エージェンシー、そういうふうな政府機関が一般市民と法律関係を持つことは、現在どこの国においても非常に多い。それに政府機関によって権利、利益の侵害を受けた者に対して、何らかの司法的救済裁判所による救済を必要とする。これはもう今どこの、大陸法系であろうと、英米法系であろうと、今一応認められている。問題はその認め方の問題なんであります。その点につきまして、まず世界的に見ますと、これは市原先生なんかも御指摘になったように、二つの型がある。ドイツの場合は、裁判官行政専門家を入れる、行政裁判所というものを作って、そこに行政のことをある程度知っている人を入れる。それに対して英米法系のやり方は、そういう行政事件についての裁判官について何ら特別の任用資格というようなものを認めないで、普通の主として民事の方が担当される、そういうことになる。こういうような二つの法系の中に、それではこの行政事件に関する司法裁判所による救済というものはどうなっているかと申しますと、非常に大ざっぱな表現をいたしますと、普通特別の行政裁判所を認めないというところでは、あまり特例というようなものは原則として認めていないのであって、英米法では行政事件訴訟特例法に当たるものはないわけであります。ところがドイツにいきますと、これについてはいろいろ特例を認めていて、ドイツの場合は、行政裁判所というものが特別の裁判所でありまして、そしてちょっと重複いたしますが、そういうふうに特例を認めると同時に、この行政裁判所に出訴することをなるべく広く認めようとする。行政事件訴訟、要するに裁判所による審査の範囲を、大陸法系ではなるべく広くしようとする、学説なんかもそういう経過をとっております一これに対しましてイギリス、アメリカのやり方は、行政的な問題について裁判官は本来知識がない。従って、行政的な問題は、できるだけ行政的な段階であらゆる議論を尽くさせておいて、最後に法律的に煮詰まったところだけを裁判所に持ってこい、こういうふうにかなり司法裁判所訴えを持っていく行き方をしぼっておるという二つの型があるわけであります。どちらも私は一つの方法だと思うのでありますが、それでは日本の場合どちらの方法がいいかと申しますと、少なくとも現在の日本裁判所というのは、裁判官がそういう行政上の問題について知っておるということが任用資格の要件にはなっていない。普通の民事、刑事についてのトレーニングを受けた人々が裁判官になるわけであります。従って、日本の場合に、司法裁判所裁判権の範囲をなるべく広くする——なるべく行政事件について行政段階でいろいろ議論を尽くさせておいて、問題を法律的な問題にしぼったところで行政裁判所に持ってこさせるというやり方をとらないでやりますと、ドイツ法的と言いますか、大陸法的と言いますか、何でもかんでも行政事件裁判所へ持っていけるのだ、司法的救済を求めさえすればいいのだという考え方をとりますと、はたして人民の権利利益の救済になるのだろうか。もっと具体的に申しますと、司法裁判所は、今申し上げました裁判官行政事件についての判断能力を任用資格としては持っていない。もう一つは、裁判所というのは非常にお金がかかるのであります。これはいいとか悪いとかいろいろ問題あるのでありますが、これは弁護士に頼む、何だかんだ訴訟手続上いろいろ複雑な、精緻な手続をとっておるものですから、裁判所に持っていきますと、どうしても費用がかかる。しかも、大体行政事件の問題になっている事件の内容は、訴訟の対象になる金額が非常に多額なものはないのです。何千円または何万円程度のものが多い。そうしますと、正式の訴訟手続にお前は持っていかれますよと人民に言ったところで、はたしてそれが人民の権利利益の真の救済になるかどうかという点について、私は非常に疑問が多いのであります。そういう点から見ますと、むしろ私は、現在の憲法のもとにおきましては、イギリスやアメリカ式のやり方の方がいいのではないかというふうに考えます。  さてそこで、本法案を見ましてどうかと申しますと、本法案の特色は、前の参考人の方も御指摘になりましたように、いろいろの特色がありますが、まず第一に、司法裁判所というものを、ドイツや何かの行政裁判所と同じようなものであるということを前提として、この訴訟手続法が組み立てられておるように思われる。たとえば職権証拠調べの採用であるとか、あるいは訴願置主義をかなりと言いますか、原則的に廃止する、最初から何でも司法裁判所へ持っていけるというと、これは結局従来の日本における行政機関によるところの救済手続、あるいは学者は通常このごろ行政審判と言っておりますが、行政審判というものに対して信用が置けない、不信ということが前提となっておる。少なくとも行政機関によるところの審判よりは、司法裁判所による審判の方が、人民の権利利益の救済になるのだという考え方が基礎になっておるように思われる。こういうように司法裁判所に対する信頼というものが一方にある。他方において、これは橋本先生からも御指摘がありましたが、あまり司法裁判所ばかり信頼して、司法裁判所をオールマイティにすると困るというので、内閣総理大臣異議というようなものを認めた。こういうように、一方において、司法裁判所行政機関の審判よりは優位に持っていく、またこれを信頼を置けるものとする。他方において、その司法裁判所に対して、行政機関のヘッドとしての内閣総理大臣異議という形で、あまり司法機関が強大になることを防ごうというようにしておるように思われるわけです。そういう意味で、この法案の採用しておること自体、立場自体がいいか、私のように批判的な立場をとるとらないにせよ、若干問題があるわけでありますが、基本的には現在の司法裁判所行政裁判所と同じように考えているような考え方に貫かれておると私は考える。これは現在のドイツのように、行政裁判所を別に作りますと、それで私はいいと思いますが、現在の日本裁判機構のもとにおいては、かえって——司法裁判所に行けば、何でもあなたの違法な行為によるところの権利利益の侵害を救済してもらえますよ、一見抽象的には救済し得るように見えますが、実際上は、その人民の権利利益の救済をはばむことになってしまうのではないか。今まで二人の参考人の方も述べられた一番大きな問題点が、この訴願置主義であります。私は、この少数意見の方を賛成だということを前に書いたことがありますが、この訴願置主義廃止するというのはおかしいではないか。現在に至るまでの行政機関によるところの審判または行政機関によるところの権利利益の救済制度が信頼できない、これは私もよくわかる。こういうことを皆さんがお考えになることは、私はよくわかります。しからば廃止してしまって、全部すぐ裁判所にいけるのだとして、はたしてこういうような行政審判による行政機関がいろいろ審理するやり方の是正をなし得るだろうかと申しますと、相当疑問があるのではないか。むしろ訴願置主義だという建前をとって、まず訴願をしてから、行政機関によるところの問題の煮詰めを一回やっておいて、今度は変なやり方をした場合は、裁判所がもう一回やり直せというような形で、行政機関によってそういう手続を尽くしたあと、そういう行政処分を違法だといって取り消し、もう一回行政機関による適法なやり方でやらせるというふうにした方が——日本で最もおくれておるところの、さっき橋本さんから御指摘になった行政審判手続というものの整備は、この訴願置主義を前提としない限りは整備しないのではないかというふうに私は考えておるのであります。  そのほかこまかい点もありますが、時間もそろそろなくなったことでございますから、最後に、内閣総理大臣異議につきましては、橋本参考人と同じように、私はこの制度は疑問だと思うのであります。むしろ、この内閣総理大臣異議というものは全部削ってしまった方がいいのではないか。その前に、執行停止命令に対して、裁判所は、第二十五条第三項で「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、又は本案について理由がないとみえるときは、することができない。」裁判所はこの場合に取り消しをするしないということについて、ある程度判断権を持っておる。こういう点については、結局、最終的には裁判所の判断にまかせるよりほかにしょうがないのではないか。もう一つ理由は、内閣総理大臣行政権の範囲が必ずしも明確でないことであります。これはたとえば地方公共団体の行政についても内閣総理大臣異議を述べ得るということになりますと、地方自治の現行憲法上の規定は一体どうなるのかという問題になって参ります。そういう点から見まして、私は誤解のないようにしていただきたいのですが、裁判所行政活動について執行停止をぽんぽん出すということがいいと言っておるのではない。むしろ裁判所は、常に行政的な行政機関の手続を混乱させないようにすべきだという点について、私は執行停止をむやみに出すべきではないという立場をとっているのですが、問題はそれをどういう形で押えるかというと、結局、これは司法裁判所のセルフ・コントロール、自制力に待つよりほかない。そして現在に至るまで、日本裁判所の、私の知っている範囲では、執行停止について不当な執行停止の乱発をしているとは、現在の裁判所について私は考えていないのであります。そういう点から見まして、この内閣総理大臣異議というものは削るべきではないかというふうに考えているのであります。  なお、その他若干ありますが、またあとで質疑のときにでも述べさせていただくことにいたしたいと思います。
  8. 河本敏夫

    河本委員長 これにて午前中御出席参考人の御意見の御開陳は終わりました。     —————————————
  9. 河本敏夫

    河本委員長 これより各参考人に対する質疑に入ります。質疑の通告があります。順次これを許します。稲葉修君。
  10. 稻葉修

    ○稻葉委員 総理大臣の異議申し立てにつきまして、若干お尋ねいたします。  綿貫参考人の御意見ははっきりわかりました。橋本市原参考人は、内閣総理大臣異議申し立てに関する規定二十七条は、全部削除するという意味でしょうか、それとも、もう少し条件を厳重にする必要があるとでもおっしゃるのでしょうか。
  11. 橋本公亘

    橋本参考人 私の意見を申し上げますと、私は、第二十七条は削除した方がよろしい、こう考えます。ただ、私が先ほど疑問というふうな形で申し上げたのは、第二十七条が工合が悪いからこの法案は工合悪いというふうな形でお取り上げになると困るので、それほど強い反対意見として提示したのではないのであります。私は、やはり第二十七条は削除した方がいい、しかし、やむを得なければこれを入れてでもこの法律案制定していただきたい、こういう意味であります。
  12. 市原昌三郎

    市原参考人 私はむしろ反対でございまして、その他申し上げませんでしたが、二十七条は従来の、と言いますか、現行法のような場合でありますと、やや問題があったかと思うのでありますが、二十七条に条件を厳重にしぼられてきて、総理大臣の政治的責任というものも十分考慮せられる。こういうことになりますならば、この規定は置いておいてよろしいだろう。むしろ場合によりますと、この規定がないと困るような事態も起こるのじゃないかというように考えます。
  13. 稻葉修

    ○稻葉委員 この点、ちょっと参考人のおられる前で法務大臣にお聞きしたいのですが、総理大臣の異議申し立ての資料がございますね。こういう内閣総理大臣異議申し立てをする場合は、閣議を経てやりますか、手続はどういうように慎重にとられているかということを聞きたいのです。
  14. 植木庚子郎

    ○植木国務大臣 事務当局同士での今日までの準備段階における構想といたしましては、当該主務大臣が法務大臣と協議の上で総理大臣に申し出る。総理大臣がこれを異議申し立てをなす場合に、閣議決定するかどうかは、そこまではまだきめておらないというのが実情だそうであります。
  15. 坪野米男

    ○坪野委員 関連して。今までの総理大臣の異議は、おそらく閣議決定を経ておらない。今大臣のおっしゃった、主務大臣と総理大臣と協議しておそらく事務的に処理されているんじゃないかと思いますが、どうでしょうか。
  16. 植木庚子郎

    ○植木国務大臣 従来の例は、ただいま聞いてみますと、やはり主務大臣が法務大臣と協議の上で、法務大臣から総理大臣に申し出る。総理大臣は、必ずしも閣議決定を経るという手続をしないで、事案に応じて閣議の了解をとっておるというのが、大体の慣例だそうでございます。
  17. 河本敏夫

    河本委員長 小島徹三君。
  18. 小島徹三

    ○小島委員 私、一点だけお聞きしたいのでありますが、今度の新しい法律で、国民権利を非常に擁護するという点も出ていると思いますが、同時にまた、先ほど来のお話を聞いてみますと、訴願置主義がいいとか悪いとかいう法律論も分かれているようでありますけれども、結論としては、ほんとうに国民権利を保護する道としてはどっちがいいかということに帰するように思われるのであります。そこで一つお聞きしたいのですが、憲法では、先ほど市原さんが蝋山さんが云々言われたということは、きのうの憲法調査会でのお話だろうと思うのですが、実は私もその調査会に出ておって蝋山さんの意見も聞いておったのですが、その際、いろいろ議論がございました。憲法で、行政裁判所のようなものを作るということは今のところできないわけですが、だから問題は、確かに現在司法裁判所制度というものが、判事さんが行政事件について専門的でないということは、これはもう争われないことで、これは決して司法不信という意味ではない、事実そうなんですから。実際問題として、これを裁判に持っていったからといって、必ずしも国民権利がすぐ保護されるということは、私としては問題だと思うのです。そこで、しいて言うならば、憲法改正して、行政裁判所のようなものを作るということについては、どういうふうにお考えでしょうか。もっとも今憲法改正しなくとも、裁判所の方を広めて、そこに裁判官行政的な面に非常に詳しい人を連れてきて裁判官にして、そうして行政事件を取り扱わせるということも考えられますが、さらに一歩進めて、憲法改正して、ドイツ行政裁判所のようなものを作るというお考えはどうでしょうか。お三方に一つお聞きしたいのです。
  19. 橋本公亘

    橋本参考人 ただいま、大へん重要な問題を質問になられたわけでありますが、行政裁判所を設けたらどうか、その点について現行憲法のもとでどうしたらいいかということをまず申し上げて、そのあと改正したらどうかという、その二つに分けて申し上げたいと思います。  第一点は、現行憲法のもとで、それではどうすればいいだろうかということを申し上げますと、これは実に参考になりますのは、アメリカのフーヴァー委員会のタスク・フォースという分科委員会ですか、それの提案でこういうことがございます。それは、司法裁判所の中に行政裁判所を設ける、行政裁判所という名前はついておりますけれども、これは実は司法裁判所なんです。ちょうど日本でいうと、家庭裁判所とか地方裁判所のように、行政裁判所という名前をつけた司法裁判所を設けて、そこで行政事件を処理させたらどうか。なぜそういう案が出たかと申しますと、やはり現在のままでは、どうも司法裁判所が次第に審査の範囲を縮小していく、行政事件の対象になるものあるいはその審査の範囲を縮小していくということについて、アメリ方法曹協会あたりからの不満からであります。従って、アメリ方法曹協会あたりでは何べんも、司法審査それ自体についての疑問から、行政裁判所というような提案をしたことがあるわけであります。これは一つの方法でありまして、たとえば日本司法裁判所の中に高等裁判所に位するあたり、あるいは地方裁判所になるか、それは考えようでどうにもなると思いますが、行政裁判所という名前をつけて、特殊専門的な知識を持った裁判官を登用するということは一つの案であろうと思います。  もっとも、この場合に非常に困難なことが起こるのでございまして、各地方裁判所単位で設けるか、高等裁判所単位で設けるか、地方裁判所単位で設けるとすると相当な人員が必要になってくるわけで、非常に問題になるだろうと思います。参考までに、ドイツの数字を見てみると、民・刑事の裁判官ドイツが九千人です。これに対して行政裁判所の裁判官は約七百名、これだけ相当多数の人をはたして直ちに登用できるかどうかという点も疑問がありますし、どこか多少技術的な困難があると思います。しかしながら、一つの方法としては、今言ったような行政裁判所を司法裁判所の一環として考える余地はあるだろうと思います。  もう一つは、憲法改正をしたらどうか。実は憲法改正論がここで出るとは思わなかったので、直ちにお答えになるかどうかわかりませんが、憲法改正の場合に、当然そのほかの条文が問題になってくるのでありますから、私どもがここで議論するのはどうかと思うのですが、第一点だけにしぼって考えてみますと、司法裁判所行政事件審査をやることがいいか、それともドイツ流に行政裁判所が行政事件の処理をやる方がいいかということは、これは数字等を見てみると、ある程度明らかになると思います。現在日本司法裁判所が処理しておる事件の数は、先ほど申しましたように、一審でわずかに一千件ないし一千件をややこえておる程度です。ところが、ドイツの場合には、第一審で邦の単位では約五万件、連邦行政裁判所で約四千件を処理しておる。こういう数字を見てみますと、どうも司法裁判所審査の方がいいという結論はそう簡単に出てこないように私は思うのです。こう申しますと、憲法改正論になってしまいそうですけれども憲法全体の改正のことはさておき、はたして現在のこの制度行政裁判所の制度よりいいと言えるかどうかという質問に対しては、必ずしもそうは言えないという感じを持っております。
  20. 市原昌三郎

    市原参考人 私は、大体橋本先生のおっしゃったことと同じことでございますが、現在の憲法のもとにおきましても、最高裁判所と系統を別にしないところの行政裁判系統を司る裁判所であればできると思うのです。従いまして、ここで憲法改正をするかどうかというふうな問題とからんできますのは、最高裁判所とは別系統の行政裁判所を作るときに限るのだ、そこまで私は必要とは思わない。だから、現在の憲法の中でできる範囲で、すなわち、最高裁判所の系統の中に行政事件について裁判する裁判所というもの、あるいは部でもよろしいと思いますが、そういうものを作って、そこに行政事件についての知識、経験を持った人間を登用するということで足りるのではないか、こう考えております。
  21. 綿貫芳源

    綿貫参考人 私は、結論を先に申し上げますと、憲法改正するとしないとにかかわらず、行政裁判所を作るべきではない、一般的な行政裁判所を作ってもナンセンスだというのが私の結論であります。なぜかと申しますと、行政事件というのは部門別にいろいろ専門的な内容が非常に違うのであります。たとえば電波監理審議会というものがあります。そして選挙管理委員会、税金関係、海難審判もある。それの全体を通じた専門家というのは考えられない。結局のところ、みんな専門的な検討を十ぱ一からげして全体の共通点をとりますから、今の最高裁判所裁判官とほとんど変わらなくなってくる。それと違って部門別に、出入国管理令の場合は、出入国関係の特別何らかの審査官という制度を置いても一向差しつかえない。それぞれ行政の実情に応じたそれぞれの行政部門の専門家を登用して、そこでなるべく行政事件審査させて、最後の法律的な、たとえば一方の当事者が不当に自己の主張を、十分な証拠もなく一定の行政的な決定がなされた、そういう法律的な問題点だけを裁判所でしぼればいいのではないか。これは一般的に一つ行政裁判所を作ってやってみたところで、現在の裁判所は、行政事件について審査するのにいろいろ欠点がある。つまり時間がかかる、金がかかって困るという点は、結局、行政裁判所を作っても同じことになってしまう。ですから一般的な行政裁判所の設立は、現行憲法改正ということとは一応無関係にして私は反対をしたいのであります。意味がないという点で反対したいと思います。
  22. 小島徹三

    ○小島委員 お話をよく承りましたが、違ったところは、市原さんにしろ橋本さんにしろ、とにかく行政方面でそういう専門的な者を裁判所の中に登用できる道を講じておかなければならぬということはお考えだと思うのでありますが、何せ先ほど市原さんのおっしゃったように、これから先の行政というものは、相当国民生活の中にどんどん食い込んでくると思うのです、ドイツではあんなに多数の行政事件がある。将来の日本にもそういう事態がくるということを考えておかなければならぬと思うのです。そうすると、今のような司法制度で、はたしてその要求を満たすことができるかどうかということです。私は、何も憲法改正論を言っているわけじゃないけれども、ただしいて言うならば、それは軍事裁判所のようなものを作っておったから、憲法であんなにやかましく言っておるのだと思います。そうじゃなくても、憲法でそういう行政裁判所のようなものを別に作ることもできるような規定もしていいし、しなくてもいいけれども、そうならば最高裁判所というものは非常に広範囲なものになってしまうのです。それでしょせん最終審は最高裁判所ということになれば、その行政事件の最終審はやはり最高裁にくるということになると、今度は最高裁の負担がまた重くなってしまって、どうにもならなくなってしまうおそれが多分にあるのです。現在の最高裁でも、どうにもこうにもならぬ状態になっておることは御承知の通りなんです。そこへもってきて行政事件がどんどんふえてくる、今一千件くらいあるものが何万件にもなってきたというときに、最終的の結審が最高裁でされることになったら、今でも最高裁の判事になかなか適当な人がなくて弱っているときに、そんなことはとても実際はできないと考えられる。だから私は、憲法改正しろとかなんとかそんな困難なことを一々言っているわけじゃないけれども、やはり憲法行政裁判所のようなものを別に作って置くということになれば、相当大きなスケールのものを持てば、今綿貫先生が言われたような相当専門的なものを、部門をたくさん持つこともできます。そういうことをして何とか救済の道を講じなければ、何せ国民裁判を受ける権利を持っておるのですから、その裁判が最高裁までいくのだと言われたら、どうにもこうにもならなくなるのだということをおそれるものですから、ちょっとその点をもう一ぺん簡単にお聞きしておきたい。私は、これにからんで憲法改正しようというような気を持っているわけじゃない、どうしたらいいかということを聞いているのですから、心配なしに一つ……。
  23. 綿貫芳源

    綿貫参考人 御質問と言いますか、お話はよくわかるのです。ただ、よくわかるのですが、そうやったって、私は今申しましたように意味がないのじゃないかというのが私の考え方なんです。
  24. 橋本公亘

    橋本参考人 私、綿貫先生の言われたことに批判めいたことを申し上げてよろしゅうございますか——綿貫先生の考え方は、これは非常に根本的な私どもとの考え方の違いなんで、行政機構に対する司法審査をしぼっていこうという考え方、つまり事実問題については行政機関に一応審理させてしまう、そこで最終決定をやらせてしまって、裁判所法律問題だけを審査すればいい、従って負担も大したことはない、こういうような考え方なんでありますが、この点について私ども考えなければならないことは、それじゃ、はたして現在の行政庁が公正な行政処分をやっておるかどうか。一番大事なことは手続面におけるところの保証が何らないことなんです。ここで私どもが主張する行政手続における公正手続の要求ということを考えたいと思います。つまり、行政機関がある行政処分をする場合に、手続的な公正をはたして担保されておるかどうか、日本の現在の行政機関裁判所も、この点についてほとんど配慮しておりません。判例もほとんどこの点については認めていないのです。ところが、アメリカあたりでは、そうではなくして、行政機関における公正手続の要求ということを判例も認め、実定法も認めております。つまり第一次的な行政処分をする場合に、すでに公正手続の要求があるし、それに対する再審査についても公正手続の要求がかぶさってくる。従って、行政機関行政処分それ自体がある程度公正さを担保されております。ところが、日本ではそうではない。たとえば一例を申し上げるならば、かりに外国へ行きたいというので旅券の申請をいたします。旅券の申請をしたところが、旅券法の規定に基づいて、これは日本国の安全を害するというような理由で拒否されたとします。その場合、その拒否された人は、いかなる理由で拒否されたかよくわからない。旅券法第何条第何項に基づいて旅券を発給しないというだけのことなんです。ところが、アメリカの場合ですと、その場合に、一体いかなる資料に基づいてやられたのか、どういう不利益な証拠があるのかというようなことについてのヒアリングの件というのが当然問題になってくるわけです、ですから、もともと第一次の行政の段階、さらにその不服の審査の段階において、日本とアメリカとは非常に違う。それを行政だけにまかせてしまうという考え方には、何としても納得ができないのであります。私は、将来その行政手続法の整備というようなことで、行政手続の公正さをある程度担保していただければ、あるいはそういう審査をしぼってもいいと考えております。これが第一の点。  第二は、先ほど小島先生の御質問の点で、これも非常に重要な問題で、現在の司法制度のもとで、はたして国民権利が擁護されておるかどうか、私はそうは思おないのです。なるほど、憲法の上では国民権利が擁護されておりますし、法制通り救済されておる。しかしながら、現実の問題はどうかというと、裁判は一審で十年くらいかかるのがざらにあります。最高裁までいけば十年以上かかるのが普通なんです。ときには二十年、三十年かかる。こういうようなことで、はたして国民権利救済国民権利擁護が満たされておるか、満たされていないと言ってもいいだろうと思う。その意味で、私は司法制度についての根本的な改革も考えていただきたい。もしこの憲法改正が、九条その他の点にからんできますと、議論が複雑になりますが、その点全然除外して、司法制度の点について限定して考えるならば、私は、やはり現在の最高裁が違憲審査そのほか行政事件、民事事件、刑事事件、すべての事件を処理することは事実上不可能であろうと思うのです。ドイツでは裁判官もその点申しております。行政裁判所長官のウェルナー氏いわく、一体そんなことができる、あらゆる事件を担当する能力が裁判官二あるとは思えない。事実権利救済はできないのじゃなかろうか、数字を見て自分は驚くのだ、というようなことを言っておりましたが、やはりある程度裁判の機能の分化ということは必要になってくるのじゃなかろうか、こういうふうに考えております。
  25. 市原昌三郎

    市原参考人 私は、ただいま橋本さんがおっしゃったことと基本的に全く同じでございまして、結局、ただいまの小島委員の御質問の点で考えてみますと、一つには最高裁の機構改革、最高裁だけではございませんが、そういった機構改革の問題が当然出てくるだろう、こう思いますし、それからまた、行政手続法の整備ということがどうしても必要になってくる。一つの例といたしまして、オーストリアの行政手続法というものが非常に整備されておる結果といたしまして、オーストリアにおきましては、一審かつ終審の行政裁判所しかないわけでございますが、それにもかかわらず、国民権利の救  は十分に行なわれているというような点は、われわれ大いに考えなければならないのではないか。この点は、いつか公法学会でも問題になったわけでありますが、西ドイツにおきましても、すでに裁判行政手続法の整備、それに基づく国民権利の保障の万全というようなことを考えまして、西ドイツ行政裁判制度をどうすべきかというふうな問題が非常に論議されておったように思うわけです。しかし、私は今のこの問題に対しましては、最高裁を中心とした司法制度の機構改革という問題、行政手続法の整備というこの二つの面から考えて参らなければならない問題でございまして、現在直ちにこの問題に対して、それならばどういうふうな具体的な案があるかと申されますと、実は私もよく考えておりませんので、方針としてはそういうふうに考えておるということでございます。
  26. 小島徹三

    ○小島委員 ありがとうございました。
  27. 河本敏夫

    河本委員長 坪野君。
  28. 坪野米男

    ○坪野委員 いろいろお尋ねしたい点がありますが、時間の関係で、要点だけ重要な問題点を一つお尋ねしたいと思うのです。  今小島委員の方から、この司法制度について、憲法改正してでも特別裁判所行政裁判所を設置する必要があるかどうかというような点について、各参考人意見を求められておったようでございますが、私は、ここは憲法改正論を論ずる場ではないと思うわけで、憲法九条だけが憲法の基本体系ではないわけでありまして、司法制度についても、日本の政治制度の根幹をなす国の基本法であります。現在の最高裁判所がいわゆる法令の違憲審査権を持っておる、法律命令処分行政処分についても、その違憲性を審査する最終審の裁判所である。一方行政機関は、終審としての裁判をすることはできないんだということが、現在の憲法制度の中で政治制度として確立されておるわけでありますから、この根本についての検討に加えるということは、憲法問題として別個に論ずべきことであろうと思うわけで、行政裁判所、司法裁判所を独立の機関として設ける必要があるかどうか、私は、その必要はない。現行憲法の方が日本の歴史的経過の中ですぐれた司法制度だということを確信しておりますが、そういう点はここで問題にならないと思うのです。  問題は、現行憲法のもとにおける司法制度の中で、行政の専門家に裁判させる別個の裁判制度を作ったらどうかというような意見がいろいろ論議されておったと思いますが、その基礎になる考え方として、市原参考人橋本参考人は、現在の司法裁判所裁判官には行政の専門的な知識経験がないんだ、こういう点を論拠とされておるようでありますが、行政専門的知識というものが行政裁判をやる上に私はそんなに必要とは思わない。私も大学で行政法を勉強いたしました。そして弁護士として行政事件を十四、五年間扱ってきておるわけですが、行政法の一般知識さえあれば、特別に厚生省であれ労働省であれ、それぞれの行政官庁の詳しい行政知識は全く必要ない。司法裁判官でも、優秀な裁判官であれば、行政法も勉強され、それを理解する能力があるわけでありまして、専門的知識がなければ行政裁判をする資格に欠けるというお考えはおかしいんじゃないか。司法裁判官が民事、刑事すべてについて専門的知識を持っておるかといえば、これも経験と勉強によって、その知識経験を豊富にするわけでありまして、現在の訴訟制度のもとに鑑定人制度もございます。また専門的な知識を要する場合、そういった知識を求める鑑定もできるわけであります。現場検証その他の方法で勉強すれば、優秀な裁判官であれば、行政事件をさばく程度知識を持つことは十分できると思うのであります。専門の行政知識がないから行政裁判をする資格がないということにはならないんじゃないかというように、私は考えておるわけでありますが、その専門的知識ということをどのようにお考えになっておるのか。これは批判的なお考えを持っておられる市原さん、橋本さんに、簡単でけっこうですから一言だけ。
  29. 橋本公亘

    橋本参考人 ただいま、現在の司法裁判所に、はたして十分な知識経験を持った裁判官がおるかどうかというような形でいろいろ論じられたと思うのですが、なるほど、確かに行政事件であるから現在の裁判官裁判できないというわけではないと思います。しかしながら、これに対して相当時間もかかるし、能率も上がらないということもまた事実であろうと思うのです。先日アメリカで、日本法に関する会議というものがございまして、日本から法律家、裁判官、学者も行ったわけですが、そのときの議論の中で、裁判官が——これはこういう席で言っていいかどうかわかりませんが、私ども裁判官が、行政事件を扱ってどうもよくわからない、従って行政手続をやったことをそのままうのみにしてしまうんだ、僕はこういう制度に疑問を持っておるという見解を相当強烈に述べられたので、むしろ私どもの方がショックを受けてしまった。同じようなことは、多少ほかの裁判官についても言えるのではないか。いろいろ法律制度が複雑になってきますと、それぞれ専門家が出て参ります。事件が多数になれば、それぞれ専門分化していくことが当然であろうと思うのです。ですから、現在の一千件くらいの事件を全国の司法裁判所で扱うのであれば問題はないでしょう。しかしながら、将来多数の事件が提起された場合、また、そういうことは当然予測しておかなければならないと思うのですが、そういうような場合に能率的に処理して、ある程度裁判の遅滞ということを防ぐことは、もう現在至上の要請だと思うのです。そういうような点を考えますと、現在のままでいいかというと、私はそれを疑問に感ずる次第であります。
  30. 市原昌三郎

    市原参考人 橋本先生から十分述べていただいたので、私の特につけ加えることはございません。もちろん、司法裁判所裁判官が全く無能だというふうなことを私は申し上げておるわけではございませんで、やはりいろいろな問題を考えて、さらに将来の長い見通しというふうなものを持った場合に、諸外国の例からもおわかりと思いますが、そういった専門的な知識を持った裁判官というものを登用していく、これが一番国民権利救済、しかも実質的な意味での国民権利救済に役立つのではないかというふうな意味で申し上げたのでございます。
  31. 坪野米男

    ○坪野委員 結局、制度の問題というよりも、制度の運用の問題だと思うのです。予算が不足しておるから優秀な裁判官を多数確保できない。また事件数に見合った裁判官、書記官、その他の訴訟審理を消化するだけの実情にないというような運用面からの欠陥であって、現行憲法下の司法裁判所、最高裁判所のもとにおける行政事件裁判にたけた専門的にやれる司法裁判官の部を設けてやるということも、そういった行政事件の処理を促進する上に役立つでありましょうけれども、それはあくまでも司法裁判官であって、別個の行政官でない。いかに権限が独立したといえども、先生方のお考えになっておるのは、大体行政官出身の裁判官が、その地位、権限が独立された特別の行政裁判所というようなお考えがあるのかもしれませんけれども、私は、現在の司法制度のもとにおける裁判官行政事件をやる、制度の運用面を考えれば、そういった欠陥は是正できるのではないか、このように考えているわけであります。  そこで次の問題についてお尋ねしたいのですが、訴願置主義をやはり認めるべきだというのがお三人の一致した——立論は違うようですが、一致したお考えのようでありますが、私は今度の八条のこの改正案、本法に一よって訴願置主義原則廃止して、いわば並行主義と申しますか、そういう主義をとったということは、私は、それ自体として国民権利救済という立場からいって一歩前進であり、改正だという考え方を持っているわけであります。なるほど、行政庁に一度再考の機会を与えるということもけっこうでございます。そして今度訴願制度が整備されて、行政不服審査法案が今、国会に上程されておる。これは成立することも望ましいわけでございます。しかし、訟願前置の原則廃止されたからといって、すべてが訴訟に持ち込まれるわけではないわけであります。訴訟といえば、やはり弁護士を頼んで相当ひまをかけてということで、訴訟が得策か、あるいは訴願が得策かということは、当事者が考えるべきことであって、並行主義のもとにあったら必ず訴訟が乱訴の弊があるのだということには、私は論理的にはならないと思う。そういう意味で、私は並行主義で、本人が、そういった同じ行政庁の上級官庁に訴願をしてもだめだ、結論はもう却下されるにきまっているのだ、まっすぐ一日も早く司法裁判所の、最高裁判所の判断を仰ぎたいという、裁判を受ける国民権利、これを保障するという意味からいけば、私は、並行主義の方が国民権利救済という点では進んだ規定ではないか。そのために必ずしも行政救済が排除されているわけではありませんし、また行政の能率が停滞するというものでもなかろうと思うわけで、そういう意味で、必ずしも訴願前置の窓口を通さなければいけないということにはならないというように私は考えているわけですが、その点綿貫先生に、あとに進みたいと思いますから、簡単にお答え願いたいと思います。
  32. 綿貫芳源

    綿貫参考人 今お話しになりましたことは、おそらくこの法案の基本的な考え方と一致されるのではないか、私は、従来の行政機関のやり方を見ておって、そういう考え方が成立するのは当然だと思うのであります。ただ私が言いたいことは、そうやって直ちに司法裁判所にいけるのだといたしますと、裁判所はそこで行政上のこまかい、さっき御指摘になった点とちょっとからんでくるのですが、専門的知識の問題とからんでくるのですが、裁判所が鑑定人を呼んだり、それからいろいろこまかい、たとえば電波関係の問題などは、これは法律出身の裁判官にわかりっこない。そうしますと、それぞれの専門的な鑑定人を呼ばなければいけない。そういうことをしていきますと、いたずらに時間がかかってしょうがないじゃないか。もちろんその場合に、経済的余裕と時間的余裕のある、司法裁判所訴えを提起し得るような人はいい。しかしながら、そうでない、たとえば税金なんかの問題になりますと、三千円だ、五千円だというときに、三千円、五千円が高過ぎる、それが違法だからといって一々裁判所訴えようといって訴える人は一向ないのであります。そうしますと、むしろ訴願置主義をとって、また訴願段階で一応行政手続をさせる。これは訴願前置からその訴願手続が、もうさっき橋本先生から御指摘になりましたが、私は、その裁判所が、その場合に、訴願手続あるいは行政処分のそもそも処分段階における手続において一定の手続をとらなければならないということを判例上確立することによって、その行政段階を整備することによって、たとえばその司法裁判所訴え得ないような経済的、時間的余裕のない人も、その行政手続で救えるのではないか。そうすると結局、この第八条は非常に形式的には司法裁判所はどこへもいかれるのだからといって、だから一般国民権利救済しておるように見られながら、結局司法裁判所訴えを起こせるような経済的、時間的余裕のある人たちだけを救ったことになりはしないかというのが私の疑問なのですが、この八条に対しては。
  33. 坪野米男

    ○坪野委員 原則は、私は、訴願置主義であろうと、並行主義であろうと、実際上は大した変わりはないというように私の長年の経験から判断しておりますが、むしろほかの条文の中で改悪——国民権利救済を一歩進めたという、あるいは今の憲法趣旨から後退したという意味で私は改悪だと考えておる規定の方が目につくわけでありますが、そういう規定との関連において、この第八条の訴願置主義原則を廃したということの規定でありますが、これは私はそれほど大きな改正になっておらないと考えるわけです。と申しますのは、法律の特別の規定例外を定めることができると、例外規定がどんどんふえてくれば、原則例外が逆になってしまうということ、さらに裁決を経ないで処分の取り消しの訴えができる例といたしまして、非常にこまかいことになりますけれども、「著しい損害を避けるため緊急の必要があるとき。」と、こうありますけれども現行法では「生ずる虞のあるとき」という程度で、やや条件が強化されてきておる。この点は解釈的にはほとんど変わりがないのだということになるかもしれませんが、少なくとも文言の体裁から言いますと、また第三項にも「訴訟手続を中止することができる。」という例外規定もありまし  て、私は、第八条は国民権利救済のために大きく改正されたというように理解しておらないわけであります。特に現在訴願置主義の強制のもとにありましても、訴願をして直ちに訴訟訴えを提起する、そうして妨訴抗弁が出ましても三カ月くらいすぐ過ぎてしまって、結局、訴訟に入っておるということで、三カ月待って訴訟するよりも、訴願と同時に訴訟して——裁判というものは時間のかかるものでございますから、三カ月くらいすぐたってしまうということで、私はこの八条、現行法から新法に変えられたとしても、そう大きな改正ではない。今先生方の言われる、理論として訴願置主義原則を立てておいた方がよいということを言われても、私は、結果的にはそれほど大きな違いがないという意味で、そう大きな改正になっておらないという考え方を持っておるのですが、そういう考え方が間違っているかどうか、橋本先生一つ意見を伺いたい。
  34. 橋本公亘

    橋本参考人 第八条の一項のただし書きで、「法律に当該処分についての審査請求に対する裁決を経た後でなければ処分取消し訴えを提起することができない旨の定めがあるときは、この限りでない。」これはどういう場合を考えておるかと申しますと、たとえば先ほどから例に上がっておりましたように、税のように一時的に大量の処分がなされる場合がその一つであります。こういうようなものを考えてみますと、これはむしろ税をかけた税務署、さらにその上にある国税庁その他にまず審査させた方が、はるかに救済の能率が上がる。実際には、これは四割ですか、あるいは五割でしたか、ちょっと数字は忘れましたが、救済率は非常に高いのです。しかも税というようなものは、一時的に多くの人たちに同時に課せられるものですから、これを一々裁判所に提起して、何年もかかってばらばらな認定をされたのではかなわない。むしろ、まず全国的な統一的な処理をされることが公正な道だろうと思うのです。現実には、ただし書き規定に基づいていろいろな法律で除外事項が定められるだろうと思います。もう一つの例としては、たとえば委員会制度のようなものを設けて公正に審議せられた場合、こういうような場合には、まずその委員会の認定を受けるということが正当であろうと思うのです。ですから私は、このただし書きがないとむしろ因るので、何でも二本建ということでは、むしろ実際に実効が上がらないだろうと思います。それから第三項の点でも、結局これは二本建で訴訟訴願が同時にされれば、おそらくその訴訟手続の中止の規定が活用されることになってしまうのではなかろうかと思います。ですから、おっしゃいます通り、おそらくこの八条ができても、そしてまたこの八条に反対案である小数意見の、訴願置主義を前提にして、例外にそれをはずす規定を設けても、大した差はないだろうと存じます。ただしかし、大した差はないと申しましても、その限界地域にいろいろ疑義が残りますから、法律規定を完全に整備し尽くすことはできませんから、その領域、ボーダー・ラインにたくさんの事件がやはり残るということは否定できないのであります。私どもが問題にするのは、その場合に訴願置主義をとっておいて、むしろ例外にそれをはずす規定を設けておいた方が、実際面からも妥当であるし、また行政の統一、能率的行政の尊重、司法裁判所負担軽減というようないろいろな利益があるのではなかろうか、こういう点であります。
  35. 坪野米男

    ○坪野委員 次の点に移りますが、先ほどの御意見では、橋本市原両先生は、この法案に若干の疑義は持つけれども、なるべく早くとの国会で成立を期待する。こういう御意見であり、一方綿貫先生は、若干の改正部分もあるけれども、根本的に考え直すべきだ。こういう御意見であったと思うのでありますが、私は、現在の憲法のもとにおける行政訴訟のあり方、すなわち、行政庁の違法な処分を受けて、それに対する国民権利救済制度、また行政の能率的な運用とかあるいは行政の安定とか、いろいろな対立する立場がありましょうが、基本はやはり国民権利救済制度であろうと思うわけでありますが、そういう立場から言いますと、特例ではありますけれども現行法の方が憲法趣旨に沿った規定ではないか。すなわち、原則として民事訴訟と同じ原理に立つのだ、行政庁国民とが対等の立場司法裁判所の審判を受けるのだ。ただし、行政事件の特質からくる若干の例外は認めざるを得ないということで、最小必要限度の特例が規定されたのが現行法だと思うのでありますが、今度の本法は、逆に行政事件の特質の方に重点を置いて、行政事件は本法を原則として一般法として適用するので、民事訴訟の場合は例外的に、その例によるという言葉で準用するのだ、こういう建前になっておると思うのであります。そういう意味で、私は、現行法から一歩憲法趣旨に沿って後退しておる基本的な考え方に立っておるのではないか、このように考えるわけでありますが、この点について、抽象的ですけれども、お三人から簡単に意見を伺いたいと思います。
  36. 橋本公亘

    橋本参考人 私は、ただいまの御意見とは反対で、実はこの法律は、むしろ国民権利救済の点についても相当意を払っておりますし、それから現在の行政事件訴訟特例法が非常に疑義が多い。いろいろな点が解釈にゆだねられておる。その解釈なるものが問題で、地方裁判所判例、高裁の判例、いろいろ分かれていきまして、国民にとっては、一体これはどうなのか、裁判を提起しても裁判所はどういう判断をするか、はっきりとわからないという面もあるわけであります。従って、最小限度にその疑義を解消すること、もちろん全部解消するということはできませんけれども、できるだけ解消するということ、それから国民権利救済についても、たとえばちょっと一つ例をあげても、管轄の点も専属管轄としていないことは非常に大きな利益です。こういう点、一つ一つ拾ってみても幾らもあるわけで、私どもは、この疑義の解消と国民権利救済という点にこの法案が非常に意を払っておる、むしろ現行憲法の精神に反しておるとは言えない。国民権利救済の点についても意を用いておりますから、この法案現行法よりすぐれておる、こういうふうに思っております。
  37. 綿貫芳源

    綿貫参考人 私が最初に意見の陳述をしましたときに、ちょっと誤解を招いたのではないかと思うのですが、私の考えは、そもそも現在の特例法が現行憲法趣旨を十分実現していないということを最初に言い忘れたのであります。すなわち、現行特例法とこれと比べた場合には、この方が私はいいと思います。種々の点で……。橋本さんや何かのように、そんなにこれが非常にいいというわけではありません。しかし、現行特例法と比べた場合には、非常に限定がつきますが、この方がいい。私の主張は、現行法を含めて四年か五年か、かかってこの法案をお作りになったのだから、それならもっと抜本的に、現行憲法趣旨に沿ったようなふうに改正をすべきではなかったか、そういう意味でもう一回考え直すべきだという意見でありまして、現行法と比べましたらこの方がすぐれておる。  それから今、何か後退しているのじゃないか、「行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による。」という第七条があるから、行政事件というのはすべてこれによるのだというふうに解釈されるのじゃないかという御指摘がありましたが、この法案は、要するに従来ばらばらになっていた民衆訴訟とか、機関訴訟とか、当事者訴訟並びに無効確認訴訟の中で抗告訴訟的なものを整理したにとどまるので、抜本的に手を加えたものじゃありませんから、改悪ということは私は言えないというふうに考えます。私の意見によりましても、非常な改善でないということにとどまるのではないかというふうに考えております。
  38. 市原昌三郎

    市原参考人 ただいま、憲法趣旨という点からいって、この法律が後退しているのではないかというふうなお話でございましたが、国民権利を尊重するということが憲法趣旨であるというふうに理解します私の立場から申しますならば、ただいままでお二人の参考人が申し上げましたように、やはりこれは相当の改良がなされている。ただ私は、冒頭の陳述において申し上げましたように、もっと長期的な視野、将来の問題というふうな問題を考えた場合、法の支配のもとにおける福祉国家というような問題を考えまと、現在のこの法案ではまだまだ不十分なものがあるのではなかろうかというふうに申し上げたわけでございまして、特例法との比較におきましては、もちろんすぐれているというふうに思っております。また、それが国民権利救済という憲法趣旨に沿った改正であるというふうに考えております。
  39. 坪野米男

    ○坪野委員 現行法に相当解釈疑義がある。また特例法でありますから、一般法的な体系としてきわめて不備な点もあることはよくわかるわけでありまして、そういった不備、欠陥を整備するということはまことにけっこうでありますが、この整備の仕方が必ずしも立法による必要はないのではないか。下級裁判所判例の積み重ねの上に、長年の行政訴訟の経験の中から最高裁判所の判決の積み重ねで、いわゆる判例によって解釈を統一していくという考え方も成り立つわけでありますから、またおそらく今度改正された点は疑義を明確にしたという部分が多くあって、従来の権利救済に欠ける点を新たにつけ加えて、国民権利を伸長したというような規定はあまりない。専属管轄の規定くらいでありまして、あとの点は若干の疑義を明確にしたという規定にすぎないと私は理解するのですが、今の予測可能性ということから明文化した方がいいんだ、これはドイツ法学の考え方——日本憲法は英米流であり、訴訟法などがドイツ流の考え方に立っているために、そこに少し矛盾があるように思うわけです。行政法学者の大多数の方々も、そういうドイツ法的な考え方で整備ということに重点を置いておられるように私理解するのですが、国民権利救済が一歩でも前進するのであればともかく、ただ疑義を解明するというだけで、即権利救済ということにはならないのではないかと思うのです。その点について綿貫先生に御意見をお伺いしたい。
  40. 綿貫芳源

    綿貫参考人 一般論として御指摘になったところについて御説明申しますと、私は、この法案は従来の特例法の中の要するに多数意見についてほんとうに整備をしたというだけであって、この八条についても、いわゆる訴願置主義原則論として廃止したというようなのも、私の意見は違いますけれども、これは人民の権利、利益の救済だというふうに言い得るのではないかと考えているわけです。さて、問題はそういうような点につきまして、今ドイツ法的な考え方が支配的ではないかというふうに御指摘がありましたが、確かに私はこの第八条の規定なんか、並びに今まで時間がありませんでしたから申しませんでした二十四条の職権証拠調べの規定なんかは、まさにこれはドイツ法的な規定を入れたものではないか。英米法には絶対こういう規定はない。職権証拠調べを今の裁判所ができるはずがないのですね。実際現行法の特例法にも職権証拠調べの規定はありますが、活用されたことが一回もございません。だから裁判所が職権証拠調べなんというのは、行政機関でもないのにできっこないから削ってしまえという議論なんですが、そういう意味で、この法案の作成に関与された委員の皆さんも大体独法系の人が多いということは言えます。従って、法律学者の中で私なんかは少数の一人なのかもしれませんが、私は、英米法系の方が、現行憲法のもとにおいてはいいんじゃないかというふうに考え、そういう考えからまた批判的な見解をきょうは申し上げたわけであります。
  41. 坪野米男

    ○坪野委員 それでは具体的に私が一番大きな改悪だと考えている点を一つ指摘してお尋ねしたいと思います。  それは総理大臣の異議申し立て制度でございます。この点は、橋本先生綿貫先生ともに異議制度がない方がいい、こういう御意見のようでございます。現行制度にも総理大臣の異議制度があるわけでございますが、本法は、現行制度よりも行政庁の優位を認めると言いますか、行政立場を擁護した改正と言いますか、国民権利救済という点からいえば改悪になっておるということが言えるわけであります。それは二十七条の「内閣総理大臣異議」の中で「執行停止の決定があった後においても、同様とする。」現行法では解釈としては両論あるでありましょうけれども、御承知のように、最高裁判所ですでに執行停止の決定のある前でなければ異議申し立ての効力がないんだ、こういうように少なくとも最高裁判所の大法廷の決定で一つの有権解釈が下されているわけであります。そこで政府が、その点の行政権力の優位を確保すると申しますか、司法権への介入の範囲を拡大するという立場から、決定のあった後であってもやれるのだ、こういう規定をしておることは、これは明らかに国民権利救済立場から改悪だと思う。そうしてそのあとに出てくる二項以降の条項でも「理由を附さなければならない。」、現行法では、理由を明示しなければならない。そうして下級審の判例でありますけれども理由の明示は具体的でなければならない、合理的な具体的な理由を付さなければならない、こういう判例もあるようでありますけれども、今の当局の逐条説明で言いますと、理由を付さなければ異議の効力がないけれども、第三項にあるような具体的事情は、必ずしも効力規定じゃなく、単なる訓示規定にすぎないのだ、だから公共の福祉に重大な影響を及ぼすような事情を示さなくても、あるいはいいかげんに示しておいても、異議の効力に差異はないのだ。こういう行政庁解釈のようでありますけれども、これであれば、無意味、無価値な単なるお説教の規定にすぎない。また六項の、総理大臣は、やむを得ない場合でなければ異議が述べられない。やむを得ないという判断は、総理大臣がやる必要があるときは、というのと同じことでありますから、これも単なる言葉にすぎないわけであります。また通常国会に報告をすると言いましても、ただ報告をすればいい、国会で政治的な監視を受けるという程度にとどまるわけでありまして、法的には何ら総理大臣の異議を規制する法的な効果はないわけであります。そういう意味でも、現行法からも一歩後退しておるということが言えると思うわけであります。先ほどこのようなことをお二人の先生も言われたわけですが、司法権に対して行政権が介入をするということは、いかに行政裁判であっても、本質はやはり裁判でありますから、その裁判行政権がこういう形で介入するということは、これは憲法違反の疑義も出てくる。三権分立の憲法制度立場からいって、疑義も出てくると思うわけであります。いわんや、現行法よりも一歩後退して、行政権力を強化しようという規定は、改悪以外の何ものでもないと考えるわけであります。この点、現行法と二十七条の総理大臣の異議規定との比較において、これが国民権利救済という立場から改正したのか、あるいは行政権力を擁護するという意味における改正であるのか。その方向を一つ市原先生にお尋ねしたいと思います。
  42. 市原昌三郎

    市原参考人 ただいまの御質問でございますが、私が先ほど申し上げましたことは、現行法と比較しまして、この規定が整備された、従ってその意味においてよりよいであろうという意味賛成を申し上げたわけでございます。と申しますのは、この規定におきまして、なるほどただいまお話がございましたように、幾つかの点では疑問が残りますが、政治的な責任というものの追及方法が完備されたのではないか。なるほど第三項におきまして、それは効力要件でないというような御説明もございましたが、しかしながら、効力要件でないだけに、一そうそのような公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれもないのに、これを発動されたということであれば、国会において重大な政治的責任を問われ得るという意味で、これは従来の法制よりも進歩しておるというふうに見られるのじゃないか、こういうふうに思うわけであります。さらに第六項で、「やむをえない場合でなければ、」というのも、お説の通りでございますが、この点につきましては、このやむを得ない場合であったかどうかということは、裁判所審査はできないかもしれませんが、しかしながら、政治的責任という意味において、国会において十分に問われるところでありますから、その意味において、私は従来の法制よりはやはり進んでおる、こう理解したわけでございます。
  43. 坪野米男

    ○坪野委員 重ねてお尋ねしますが、それは結局、裁判所における司法判断よりも、政治の責任である行政府の長である内閣総理大臣の判断の方を優位に置くべきである、そういうお考え方から、国民権利救済の方の犠牲、現行法よりも一歩後退させても、この異議制度をそういう方向に前進さすべきであるという考え方から改正だ、決定があった後においてもなお異議権を認めるということは改正である、進歩である、こういうように理解していいわけですね。
  44. 市原昌三郎

    市原参考人 私は、従来この執行停止の問題につきましては、最高裁判所とは違った見解をとってきたわけでございます。そういう前提におきまして考えた場合に、今の規定の方が政治的責任の追及ということにおいて非常に徹底している。その意味改正だ、こう申し上げたわけでございます。もちろん政治的責任では足りない、法的な問題はどうするのだという御意見もあろうかと思いますが、少なくともこの問題につきましては、法的な責任の追及というよりは、むしろ政治的責任の追及という方が、事柄の性質上適当ではないかというような価値判断があることはもちろんでございます。
  45. 坪野米男

    ○坪野委員 その総理大臣の異議制度でありますが、私がさきに司法権に対する行政権の介入ということを申し上げたわけであります。司法権といえども、単に法律的な判断を下すだけでなしに、証拠に基づいて事実認定をするわけでありますし、特にこういう行政事件訴訟については、公共の福祉ということも、あるいは行政の安定性という考慮も、当然裁判官の良心あるいは裁判官の良識によって判断しなければならないことが、本法においても義務づけられておるわけであります。特に執行停止規定では、第二十五条三項に、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときには執行停止ができないのだ、こういう規定があります。裁判所にも公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるかどうかの判断を命じておるわけでございまして、一方二十七条で、総理大臣も、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある事情を示しなさいという規定を置いているわけであります。従って両者ともに、ただ処分が違法であるかどうかということのほかに、あるいは緊急を要するかどうかという判断のほかに、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるかどうかという判断を求められているわけであります。その判断を、裁判官の判断よりも行政官の判断を優位に置いておるというのが、この総理大臣異議制度でありますが、裁判官に、そのような公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるかどうかの判断を命じておる以上は、行政官である総理大臣にも重ねてそのような判断をさせるということは、いわば屋上屋を架することになるのじゃないか。あるいは司法優位の、と申しますか、司法国家という現行憲法と異なった理念の上に立った行政権優位の考え方からこのような規定が出てきておるのではないかと考えるわけですが、この点について綿貫先生に簡単に御意見を伺いたい。
  46. 綿貫芳源

    綿貫参考人 私、先ほど申し上げて、現行法より整備され、その他の点でいいというのは、ちょっと二十七条を落として、まことにその点失礼いたしました。最初は二十七条は削除すべきだということを私主張しましたので、この点はオミットして申し上げたのですが、御指摘の通りだと私は考える。この二十七条は全文削除した方がいいのではないか。市原さんから御指摘のあった六項の政治責任云々の問題がありましたが、これは政治的責任追及制度と司法手続とを混同するものでありまして、こういうことをしますと、裁判というものは不当に政治化する可能性を持っているのじゃないか。こういう意味で、この六項を含めて、さらにこの第二項の、理由を付さなければならぬという、この理由も非常にはっきりしませんし、あらゆる点から言いまして、二十七条は全文削除すべきだというのが私の意見で、この点は申し上げるのを落としまして失礼いたしました。
  47. 坪野米男

    ○坪野委員 時間がありませんので、これで終わります。
  48. 河本敏夫

    河本委員長 松井誠君。
  49. 松井誠

    ○松井(誠)委員 私も、簡単に二、三点お伺いをいたしたいと思うのです。  最初に、訴願置主義の問題について、主として橋本参考人綿貫参考人にお尋ねをしたいと思います。  先ほど来裁判官専門的知識の問題が出ておりましたけれども、これもやはり訴願置主義をとるかとらぬかという問題とうらはらの関係にたるわけでありますが、先ほど訴願置主義廃止に反対だという理由で、橋本さんと市原さんが、大体行政の能率化その他二点をあげておられたのです。能率化という点からいえば確かにその通りだと思いますけれども、それがやはり国民権利救済という点からどうかという問題になりますと、実は私自身文字通りわからない。総理大臣の異議権については反対だということはもう疑問の余地がございませんけれども、しかし訴願置主義廃止すべきであるかどうかという点になりますと、いわゆる学者の間の意見も分かれておるようでありますし、そこで、文字通りお尋ねをいたしたいのでありますが、なるほど能率的にはなると思うのです。しかし、国民権利救済という点から見て、はたしてどうかという観点から実はお伺いをいたしたいのであります。  今までの訴願制度の上でならばなるほどいけない。しかし、不服審査法というものができて、それとのかね合いで考えると、やはり訴願前置というものはむしろあった方がいいのだというお考えのようでありましたが、訴願前置というものが必要で、そうしてそれがほんとうに国民権利救済になるという大体の訴願前置の骨組み、不服審査の骨組みというものは、大体どういうようにお考えになっておられるか。日本の現実と照らし合わせて、大体どういうことならば、訴願前置という制度を残した方が——訴願前置を廃止するよりも、あるいはこの改正案のように並行主義をとるよりも、やはり訴願前置というものを残した方が国民権利救済になるという、そういう具体的な訴願前置制度の大まかな骨組をまず橋本参考人一つ……。
  50. 橋本公亘

    橋本参考人 私は、ただいま御質問の訴願制度をどの程度改正すればいいかという点については、公正手続の要請ということを主として考えております。現在までの訴願制度というのは、ただ形だけで訴願ということがなされる。これに対して書面審理というようなことで、ごく形式的な訴願の裁決が行なわれてしまうのが実情であります。もちろん、救済の相当及んでいるのもありますけれども、最も根本的にあるのは公正手続の要求、公正手続の要求はしからばどういうものかと申しますと、自己に有利な証拠を提出することができるし、自己に不利益な証拠を知って、これに対し弁明あるいは反証をあげる機会を与えなければいけない。これが行政救済の段階で実現されるということが、私ども考えておる訴願制度の改善であります。私どもがもう一歩進んで、さらに第一次的な行政処分、つまり訴願でない一番最初の第一次に行なわれる行政処分それ自体についても、ある程度の公正手続の要請を入れたいと思うのでありますけれども、これはまだ日本では立法化に相当時日を要すると思います。少なくとも訴願の段階において、自己に有利な証拠を提出し、自己に不利益な証拠を知り、これに反論を加えて自己に不利益な証拠に対して反証をあげる機会を与える、こういう手続的公正が保証されなければいけない、こう考えておるわけであります。それでありますと、現在の行政不服審査法、これについてもいろいろまた問題があるのでありまして、これは立法についての問題でありますから、ここで取り上げる余裕はございませんが、相当改善されたと少なくとも私ども考えておる。公正手続の要請を相当入れておるということは事実であります。従って、そういった訴願制度の改善を前提として訴願置主義は残してもよいのではないか、こういうように申し上げたのであります。
  51. 綿貫芳源

    綿貫参考人 今、橋本先生から御指摘になったことは、私の意見もその点は同じなのでありますが、もう一つあるのであります。それは要するに行政機関で審判をする場合、処分をする場合、常に当事者から独立していなければいけない。程度の差こそあれ、それは司法裁判所裁判官が最も完全に独立しているわけでありますが、それは完全な独立は認められないかもしれない。しかしながら、どちらかの一方の当事者に何らかの形で、要するに有名な法律上の原則があるのですが、いかなる裁判官も自分自身の事件について裁判官になってはならないという、その法律上の原則に集約されるような、その点が守られなければならない。これを完全に、たとえば公正取引委員会一つ見ましても、審判部門と訴追を担当する部門というものが完全に分かれているかといいますと、そこに若干疑問はある。しかしながら、ともかくそういう意味で審判部門というものは、行政的な訴願をする段階におきまして、訴願庁が一方の当時者の主張と何らかの関係が、少なくともできるだけないようにしなければいけないという要請、この二つの要請。それから今橋本さんの言われた手続上の問題と、それからもう一つは審判部門が完全にではなくてもできるだけ独立してい々ければならない。これは今橋本先生からも御指摘になりましたが、この行政不服審査法でしたか、もう一つ法案が出ているようですが、この点についての最大の不安は私はその点にある。その点が全然整備していないのですから——この法案ではなくて、訴願手続に関する法案についても私は強く批判的な立場をとって、全部廃案にすべきだという意見を持っていましたが、これは別問題といたしまして、その二つの点に集約できる。従って、当事者から独立している人が公正なる手続をとって行政訴願についての裁決をする。そういうような手続を整備するなら、私は、結局のところ訴願置主義という建前をとっておかないと、整備しようがなくなるのじゃないかというのが私の訴願置主義をとれ、この第八条に対して強く反対している最大の根拠なのであります。
  52. 松井誠

    ○松井(誠)委員 私も、実は綿貫参考人のように、審査をする機関が少なくとも相対的に独立をしていなければならないのじゃないか、それが重要な柱ではないかと考えるのであります。今そういう不服審査があまり多くないというのは、やはり出してもどうせだめなんだ、同じ穴のむじななんでだめなんだ、そういうことが初めから多くの場合は頭にあって、こういう行政救済というものの数が多くないという一番大きな原因じゃないか。そういうものをあのままにしておいて、訴願置主義をとる。綿貫参考人の話によりますと、そういう制度をとらせるためには、むしろ訴願置主義というものをとらなければならないというお話でありましたけれども、しかし、そういう訴願置主義をとって、そしてそういう審査機関の独立という問題を必ずかちとし得るという段階にあるなら別ですけれども、必ずしもそういう保障がないときに、いきなり訴願置主義をとるということが、行政の能率化には寄与することでありましょうけれども、やはり民主化と言いますか、権利救済という点について、はたしてどうだろうかという強い疑問があるわけです。重ねてですけれども一つお二人にお尋ねしておきます。
  53. 橋本公亘

    橋本参考人 今おっしゃった審判機関が独立しなければならないという要請の点ですが、なるほどこれはごもっともな点で、できればそうなければならないと私も思います。しかしながら、現実の問題といたしましては、上級行政庁がはたしてどの程度当事者から公平であり得るかという点で不安がないとは言えないのでありますが、それにしても現実の行政救済がどの程度行なわれておるかということも、やはり司法裁判所救済率よりも高いようです。現実には相当救済率は高いので、たとえば税なら税の問題一つとっても、四割、五割という救済を上げておるわけであります。私は、行政庁にも裁判所へ持って行かれると工合が悪いというような意識があって、訴願が行なわれると、相当慎重にやるという面はあるだろうと思うのです。従って、その点についてそう神経質にお考えにならないでも現実には救済は行なわれるのじゃなかろうか。たとえばアメリカの場合でも、ちょっと数字を用意して参りませんでしたけれども訴訟に行くのは九牛の一毛です。九割何分は実は行政救済の段階で処理される。人民に満足な救済を与えておることが実情であります。従って、私は、この点について日本行政救済制度が整備されれば、それほど心配はないのじゃないかと思います。この法案だけ通されると大へんですが、行政不服審査法を同時に可決されるならば、私はそう心配は要らぬのじゃないか、こう考えております。
  54. 綿貫芳源

    綿貫参考人 今御指摘になりました点は、私もまことにごもっともだと思うのであります。問題は、そういう審判機関の独立性あるいは公正なる手続、公正なる手続というのは割に法律か何かで作りやすいのですが、審判機関の独立性は非常に技術的に困難であるということはよく私にもわかる。問題は、それでは私が今言った二つの原則一つは、行政上のこういう手続というのは、ちょっと前にも申しましたが、海難審判あるいは公正取引委員会、あるいは電波法に基づくところの電波監理審議会ですか、あるいは税法上の問題であるとか、いろいろなものがいろいろな手続がある。この全体を通じて一般的な法則でかちっときめることは非常に困難である。結局、そういうような手続の整備は裁判所の判決に待つよりほかないのじゃないか。で、その例として、アメリカにおいて、ちょうど日本訴願法あるいは不服審査法に当たるアドミニストラティブ・プロシーデュア・アクト——行政手続法という法律ができましたが、これはほとんど意味のない法律意味のない法律というと変ですが、一種のムードであるというような判例で批判を受けまして、法律的な拘束力が相当疑問視されておる。結局、裁判所が公的なケースを取り上げることによって、たとえば税法上の問題で、税法上の訴願手続で上級行政庁である税務担当者が審査をする。この審査の場合に、はたして書面で、しかも同じ大蔵省の役人同士で公正な結論が出るはずがないのですね。同じ自分の下級職員がやったことを、それはある程度は事実上は救済しておるかしれない。しかしながら、常にそれが救済されるかというと、制度的な保障機構には何もならない。そういうような手続は現行憲法の認めるところではないといって、たとえばその税法なら税法の問題についてそういう判決を下しますと、今度は税務署の方でもう一回改組して、新しい裁判所で合憲とされるような審判機構を作らなきゃならぬ。結局、そういう形で個々の部門別にそれぞれ裁判所審査が通るような行政審判機構を整備する。その整備するのはだれが整備するかというと、裁判所判例を通してやるよりほか方法がないんじゃないか。そのような裁判所の判決が生まれるためには訴願置主義をとっておかなければならぬ。裁判所が審判機構の不備ということをつくことができなくなってくるんじゃないかというのが私の訴願置主義を採用しろということの最大の根拠なのです。
  55. 松井誠

    ○松井(誠)委員 その問題はそれくらいにいたしまして、総理大臣の異議権の問題につきまして市原参考人にお伺いをいたしたいのでありますが、先ほど橋本参考人お話では、こういう制度は外国に例がないんだというお話でありました。そうしますと、一体どういう日本的な現実に基づいてこれが日本にだけ必要なのか、あるいは諸外国ではこういう制度がないにもかかわらず、市原参考人が心配される、ないとむしろ困ることがあるんだという事態は、外国ではどういう制度によって処置されておるのか、そういう点を一つ
  56. 市原昌三郎

    市原参考人 どうも私だけがこれに賛成だというふうに申し上げた形になってしまいましたが、実は私も、前からこの規定につきましては相当疑問を持っておったわけで、ことに現行法の場合には、明らかに私は反対しておったわけでございます。ただし、今のこの法案のようになって参りますと、積極的に削ってしまうべきだというふうに私は踏み切れないという程度の譲歩をしてきたわけでございますが、ほかの条文との見合いにおきまして、この規定があるからこの法案が全部だめだというような、そういう大きな問題にならないのじゃないか。だからその点はその問題にしなくてもいいだろうというような意味で今まで申し上げてきたつもりでございますが、その点があまり意味が徹底していなかったかもしれません。先ほどから御質問がございましたように、公共の福祉のためにというようなことが、一つの政治的な判断だというような御指摘がございましたが、まさにその通りでございまして、政治的な判断なるがゆえに、その司法的な分野でもって勝負をつけてしまうというのではなくて、政治的な判断になじんだところの形でこれを政治的に解決させる。そのために国会というふうなものを考えていくというように私は理解しますので、現在のような法案になって参りますと、現行法よりは少なくとも進歩である、こう見るわけでございます。  それから外国ではどうかというようなことでございますが、実は外国にはこういうような制度がはっきりとはございません。しかしながら、その含みといたしまして——これは西ドイツの場合しか私よく覚えておりませんが、西ドイツの場合でございますと、やはりこのような裁判所の権限が乱用されて、行政活動の妨げになっては困るということは言っております。だが西ドイツの場合には、裁判所は緊急な行政措置についての必要な理解を十分に持っているから心配ない、こういうふうな説明がついておる。ということは、やはり先ほど申しましたように、西ドイツ行政裁判所というものが、わが国行政事件裁判をする機関と違いまして、行政について相当な知識経験を持った者が登用されているということがそれにからんでくるのじゃないか。従いまして、こういうことを見ますと、やはり西ドイツはその点一応問題にされているのだ、ただ、その裁判所の構成の点からいって、わが国の場合のようなシリアスな問題になっていかないのではないか、こういうふうに理解してよろしいのじゃないか、こう思います。ほかの国のことは私承知いたしませんので、両先生に、もしそれにお気づきの点がございましたら、お答えになっていただけたら幸いと存じます。
  57. 松井誠

    ○松井(誠)委員 それでは三人の方どなたでもけっこうですが、ドイツ行政裁判所の制度をとって、専門的な行政知識のある者がやるという制度で、しかもそういうことがあるいは実際に期待できるというようなことになるかもしれませんが、そうしますと、英米法の、普通の、特にそういう専門的知識のない司法官の場合で、そうしてこういう執行停止仮処分というものが行政事件も普通の民事事件と同じようにとり得る、そういう場合ですと、現実の問題として、行政執行停止という問題がひんぴんとしてかどうかわかりませんが、とにかく起こる可能性が非常に多いのではないかと思います。そういう問題について、いわゆる行政の安定と言いますか、そういう点から、具体的にどういう措置をとっておられるのか、おわかりでしたらお教えを願いたいと思います。
  58. 橋本公亘

    橋本参考人 ただいまの御質問ですが、アメリカの場合にはこういった制度はありませんし、裁判所が、ちょうど日本仮処分命令に相当する仮救済命令を出しますと、別にそれに対して特に行政庁の側からそれを差しとめなければならないというような必要性も起こらないし、またおそらくそういう提案がなされても、アメリカの学者も裁判官も承認しないだろうと思うのです。私は、この規定は先ほど詳しく申し上げたし、おそらく両先生の言われたことと同じことなんですから、詳しいことを申し上げる必要はないと思いますが、削除してもいいのじゃないか、特につけ加えることは、六号で、先ほど来通常国会に報告するから政治的責任を追及することができると申されましたが、総理大臣のそういった政治的責任を追及することがどれだけ実効があるのか、これは実効がないと言ってもいいのじゃないかと思う。その意味で二十七条は不要の規定、むしろ有害の規定であると私は考えております。
  59. 松井誠

    ○松井(誠)委員 最後に一点だけお伺いしたいのですが、この改正案で疑問点として三人の方とも出訴期間が短くなったという問題について御指摘がございませんでしたので、私はこの点についても疑問点を持っておりますので、その出訴期間が短くなったということは、はたしてどういうように考えるべきであろうか、簡単でけっこうでございますが、三人にお尋ねをいたしたいと思います。
  60. 橋本公亘

    橋本参考人 これはまさに御指摘の通りでありますが、現実には種々の法律の中で、実際には出訴期間ははるかに少なく、二カ月とか三カ月とかいうように短縮されております。現行法の六カ月というものはどうも実際に困るからというので、そういった法律あとからあとから出てくるんじゃないかというので、三カ月にしたんだろうと思う。そういうような御説明を受けたことがありますが、私も、そういった各種の法律によって事実上短縮されてしまうのでは困るからというので、この点は指摘しなかったのですが、三カ月というものが妥当であるかどうかについては疑問を持っております。
  61. 綿貫芳源

    綿貫参考人 私も橋本先生の御意見と大体同じで、妥当かどうかについて非常に疑問を持っておる。むしろ私は一年にして、そのかわりに無効確認訴訟というものも一年の出訴期間にかける。いわゆる日本の従来の判例は、抗告訴訟と無効確認訴訟というものを分けて、この法案におきましても、純然たる無効確認訴訟というものについて、出訴期間の制限をはずしておるのですが、これがはたして妥当かどうか、むしろ一年くらいに延ばして、それで全部ひっからげてしまった方がいいんじゃないかというように考えております。これも時間がなくて今まで申し上げなかったのですが、そのように考えております。
  62. 市原昌三郎

    市原参考人 提案理由にもございますようなことを主として私も考えたのでございますが、どうも六カ月がいいのか三カ月がいいのか、そう簡単に割り切ってしまえない問題だと思いますが、今までの経験から申しますと、大体訴訟を提起する者は、三カ月くらいで提起したい者はもうみなしておる。そういうような傾向や外国の例というようなをものを見ました場合に、三カ月で権利救済を得るというようなことにはならないと思いますので、この点については私は特に申し上げなかったわけであります。
  63. 河本敏夫

  64. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 私も四、五の質問を考えておったのでありますが、時間がもうきてしまいましたから一つだけにしぼりましてお伺いしたいと思います。学者の先生方でありますから学問的な関係の問題を一つだけお伺いしたい。  三十条の解釈にからんで裁量処分の取り消しでありますが、実際実務の方で見ると裁量処分が一番大事なんです。実際の損害を受けるとか、それから重大な利権を許可認可するというようなことは、みんな裁量処分なんです。それについて争うことができないということは非常に重大な国民権利救済関係があるのでありまして、あっさり裁量処分だからということでけられておったのが今までの実例であります。しかし、御承知のように裁量処分にも、法規裁量と純然たる事実裁量というのがある。学説が進歩してだんだんその範囲は広まっておるのでありますが、それの解釈の仕方、取り扱いの仕方によって実際の範囲は非常に変わる。そしてこれは最も重大であると私は思うのでありますが、そういう点についてお三方の御意見をお伺いいたしたい。
  65. 橋本公亘

    橋本参考人 この三十条の規定は、実は現在の判例を明文化したと言ってよろしいと思います。外国の立法例も同様であります。事実裁量の範囲内であれば、すべて裁判所裁判権が及ばないというふうにはとらずに、たとえば学生なら学生の懲罰の場合に、人違いということもありますし、あるいは裁量権の範囲内であっても平等に扱わなかったとか、あるいは違法の討議があったとか、のみならず乱用の問題が生じてくるわけであります。従いまして、私はこの第三十条は、現行わが国判例法を立法化したものであり、また諸外国においても同様であって、当然の規定であろうと考えております。
  66. 綿貫芳源

    綿貫参考人 この三十条の規定それ自身は、はたしてこれを条文で書く必要があったかどうか、私はこれを見たときに疑問に思ったのであります。橋本さんの言われるように、たしかこれはアメリカ法においてもこういう規定があり、APAの中にもこういう規定があるわけでありますが、こういうふうに書いてみたところで、それじゃ裁量の範囲を、裁量権というものをどの範囲に限定するか、具体的に言いますと、どこの場合をもって裁量の範囲を越えたとするか、乱用があったとするかというと、これは個々具体的に当たっていかなければならない。そうしますと、こういう規定を入れる必要があったかどうか入れてもあまり意味がない。もっと言葉をかえて言いますと、行政庁の司法審査の対象になる裁量処分というものを何らかの形で認めなければならないということは、これは共通のことですし、どの範囲まで認めるかということになりますと、これも結局判例法の問題になってくるのじゃないか。それでは裁量処分というものについてどのように考えるか、私の個人的な見解になってしまうわけですが、簡単に言いますと、私は前に橋本さんの御指摘になりましたように、行政庁行政行為をするにあたりまして、そもそも一定の手続上の——全然事実がないとかいろいろな問題もありますが、そのほかに手続上の要件、それから行政庁がはたして当事者から独立しておるかどうかというようなことも、これは司法審査の対象になるのじゃないか。ただ専門的な、裁判官にないような専門的な知識に基づくところの事実認定というものを私は裁量というふうに解釈しております。
  67. 市原昌三郎

    市原参考人 両先生のお話で、私の申し上げることは実はなくなったような気がいたしますが、西ドイツでございますと、行政裁判所法の百十四条がこれに当たるわけでありまして、「行政官庁がその裁量により行為をする権限を有する場合においても、裁判所は、行政行為または行政行為の拒否もしくはその放置が、裁量の法律上の限界をこえ、または授権の目的に適合しない方法で裁量が行使されたため、違法となるかどうかを審査する。」これと全く同じような趣旨規定が置かれております。確かに司法裁判所の本質からいって、行政庁の裁量処分というものには審査権が及ばないのだということは理論的に言えるわけでございますので、このような規定を置く必要があるかどうかについては問題がないわけではないと思います。しかしながら、これがあってはいけないというものではもちろんございません。裁量処分という問題について、じゃ、どういうふうにして、いわゆる自由裁量と覊束裁量というものを区別しているか、これは今ここで申し上げるわけには参りませんが、一つの最近の西ドイツの学界の傾向として私が注目しておりますのは、このいわゆる取り消し訴訟の場合と、給付訴訟、義務づけ訴訟の場合とでは、裁量というものの考え方がかなり違ってくるのではないかというようなことが、西ドイツの有力な学説、バッホウとかウレとかイエッシュというような学者によって主張されておる。だから従来わが国においては、裁量処分がどうかというような問題について、給付訴訟というものを前提としないで議論していたわけでございますが、今後におきましては、そういうふうな問題も出てくるのではないかというふうに考えております。その点が両先生の説明にもし私がつけ加えるものがあるとすればそれでございます。
  68. 河本敏夫

    河本委員長 これにて午前中の参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には御繁忙中のところ長時間にわたりお三方とも貴重な御意見の御開陳をいただき、委員会を代表してここに厚く御礼申し上げます。  午前中の会議はこの程度にとどめ、午後一時半まで休憩いたします。    午後零時四十四分休憩      ————◇—————    午後一時五十四分開議
  69. 河本敏夫

    河本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  参考人に関する議事を継続いたします。この際、議事に入ります前に、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございます。さきに御通知申し上げました通り、本委員会において審査中の本案は、各界の関心を集める重要な案件であると存ぜられますので、委員会の決議をもって、ここに学識経験を有せられる各位参考人として選定し、各位本案についての御意見を拝聴し、もって本委員会審査に慎重を期することといたしたのであります。つきましては、忌憚のない御意見の御開陳をお願い申し上げる次第でございます。  なお、議事の進め方につきましては、お一人二十分以内程度において、長野参考人、白石参考人猪俣参考人の順序で意見の御開陳をお願いいたします。三人の意見の御開陳が終わりました後、委員から質疑が行なわれることになっておりますので、お答えをお願い申し上げます。  それでは、まず長野参考人から御意見開陳をお願いいたします。
  70. 長野潔

    ○長野参考人 ただいま御紹介にあずかりました長野潔でございます。今議題になっております行政事件訴訟法案は、現行行政事件訴訟特別法を補充したものであって、その内容はおおむね妥当であると考えるのであります。現行の特例法は、十二条からなっておるのでありますが、今回の改正案は四十三条かにわたって詳細をきわめておるのであります。現行訴訟法が施行されましてから、すでに十二、三年たっておるわけでありまして、その間にこの訴訟法の解釈についていろんな疑義があり、また学者の議論もあり、裁判所の判断も矛盾撞着したものもある。こういうような状況にありますので、これを補正して、完全なものとしたいということは、この訴訟法を運営している実務家の念願しておったところであります。  この法案は、行政事件訴訟法となっておりまして、現在の法律行政事件訴訟特例法、こうなっておるのであります。しかし、この名前の変更が、この法律の性格を変えておるものとは思いません。内容を読んでみましても、特に新しいことが盛ってあるとは考えられないのであります。  申すまでもなく、戦後行政事件は、普通裁判所の管轄に属しましたが、それは民事訴訟法の一部門として行なわれておるところであります。従って、訴訟特例はどこまでも民事訴訟法の特例たる性格を持っておったのでありますが、今回の案も、やはり民事訴訟法の特例たる性格を内容的に持っておるものだと思うのであります。  何となく、行政事件訴訟法というような民事訴訟法と並んだ一つのものがあるように見えるのでありますけれども、どうもそういうふうに読むと奇妙な形になりまして、やはり民事訴訟法の特例である。この特例の特例たるものは、各種の行政法規の中に、またそれぞれ必要な部分が散在しておるのでありますから、従って行政事件に適用される訴訟法というものを考える場合においては、行政法規の中に散在する個々の法律規定、その次にはこの行政訴訟法、その次に民事訴訟法、こういう順序で適用になって、この全部を合わせたものが行政訴訟事件に適用になるんだ、こう理解しなければならないと思うのであります。  今回の行政事件訴訟法では、訴訟の種類を明確にしておる点が特徴だと考えます。訴訟の種類を抗告訴訟、当事者訴訟、民衆訴訟、機関訴訟という四つに分けまして、さらに抗告訴訟を、処分取消し訴訟、裁決の取消し訴訟法律関係の無効確認の訴訟不作為違法確認訴訟、こういうふうな四つに区別して、それぞれ定義的な規定を置かれておるのであります。そうして、その定義にふさわしい規定のみを適用するような形に持っていってありまして、この点はいささか教科書に見るような感じがするのであります。特に、なぜこういうような教科書的な定義規定を初めに羅列しなければならなかったかということは、よくわかりませんけれども、大まかに分けて四つ、小さく分けますと七つになりますが、これだけの訴訟行政事件だ、こういうふうに一目してわかるように仕組まれた点は、なかなか便利な仕組みになっておると考えます。  今回の改正の特徴につきましては、さきにいただきました提案理由書の中を拝見いたしますと、第一に訴願置主義廃止した、それから専属管轄の制度廃止した、こういうことが書いてございますが、訴願置主義につきましては、これは従来も非常にむずかしい法律関係になり、必ずしも訴願を前置したがために当事者に便利である、あるいは利益であるということは言えなかったのであります。逆に訴願前置したこと自体が行政官庁の方の利益になっておる、こういう見方もできるんではないかと思うのであります。私の行政訴訟をやりましたわずかばかりの経験によりましても、訴願前置というものはない方がいい。今度は行政行為の不服に関する法案も同時に出るようでありますから、その辺は明確になるのでございましょうが、従来の訴願法によりますと、ほんとうに訴願が許される場合があるのかどうなのかということが一苦労でありまして、とれに対して訴願が許されるのか許されないのかがはっきり割り出せないために、一応訴願をして却下されて訴えを起こす、こういうような形をとらざるを得ない、あるいはいよいよ期間が満了しそうなときに、却下されるおそれもあるからというので、避けることのできない損害をこうむるおそれがある、こういう理由訴えを起こす。こういうようないろいろな考慮を払わなければならなかったのでありますが、今度は原則として訴願前置でないのでありますから、そういう考慮をしないで訴訟を起こし得るということは、当事者にとっては利益であろうと思うのです。ただ訴願訴訟と両立して、両方同時に進行させるということは、いたずらに事態を紛糾させるだけではないかという見方があろうかと思うのでありますが、裁判所は、訴願が起こっている場合においては、訴訟を停止することができるというような規定が置かれておりますから、その点で十分にまかなえることだと思うのであります。裁判所の運用に待てばそれで足りる、かように考えて、私は訴願置主義廃止したことにも同意するものであります。  それから専属管轄の制度廃止したことは、これは行政官庁の数は非常に多いのであって、その行政官庁の所在地だけがその事案についての審理について非常に便利だというような筋のものでありませんので、専属管轄を普通の管轄に直して、合意管轄もできるような状態に置いて、特に特別な、たとえば下級行政庁があった土地というようなものに管轄権を与えよう、こういう趣旨でございますので、これは行政行為によって損害を受ける、あるいは受けるおそれのあるものにとっては、救済をすみやかにするという意味で反対する理由は何にもないと思うのであります。  それから大きな問題は執行停止の問題でございますが、この執行停止の問題は現行法にもございます。執行停止をしたときに、内閣総理大臣がこれに対して反対すると執行停止はできない、こういうことになっておったのであります。そうして一たん執行停止をやったあと内閣総理大臣が文句を言った、異議を述べた、こういう場合には、その執行停止はそのことだけで取り消すのじゃなくて、一般の事案を考慮して取り消すというような実例があるようでありまして、裁判所のやった執行停止処分を、行政官庁の長である内閣総理大臣異議によってひっくり返すということがいいか悪いかという問題が現行法にもあるのであります。しかし、この執行停止といいますものは、プロパーの司法事務を考えなくてもいいのであって、多分に行政行為と見られる節があるのであります。さらにいえば、何も裁判所がやらなくったって、ほかのものがやったっていいじゃないかというところまで議論ができる一つの保全処分みたいなものでございますので、行政官庁の長である内閣総理大臣異議によってひっくり返すということは、必ずしも不当ではないのではないか、かように考えております。特に今回はその点をはっきりさして、次の議会にこれを報告しなければならないというふうに規定されておるようであります。これは、その範囲においては国会が監督をするということになるのであって、従って、裁判所内閣総理大臣国会という三者が互いに相牽制することができるような制度になっておると考えるのであります。従って、私はこの制度は、現行制度よりも一歩進んでおる制度考えるわけでございます。  それから行政処分無効等確認訴えというのができておる、これも今回の改正の特徴である、こういうように説明されておるのでありますが、この行政処分の無効等を確認する行政処分を非常にしぼってありますけれども、これはしぼられておって差しつかえないものと考えるわけであります。一般には、行政処分が無効であれば、その無効な行政処分から出ている法律関係を争うという一般の民事訴訟法で足りると考えられますので、しぼっても差しつかえないものと思っております。  ただ不作為違法確認訴えというのがございますが、これは、不作為の違法を確認するのが非常にすみやかにできるものであるかのごとき疑いを持つのでありますけれども不作為違法確認訴えと言いましても、これは普通の行政訴訟でありますので、何年かかるかわからない。だから、その意味において、はたして実益のあるものであるかどうか。学問的には、そういう訴えが起こし得るということは十分考えられるのでありますが、それに実益があるかと言われますと、これだけでは実益はないのじゃないか。これに対しては、関連訴訟として損害賠償なり何かをくっつけなければ実益はないのじゃないかと思うのであります。ただ、そういう訴えを起こされたことによって、行政官庁があわてると言いますか、進んで不作為をやめると言いますか、進んで行政行為をやってくれるということになれば、ちょうど内容証明を出したら相手が請求に応じたというような程度の価値しかないのじゃないか、露骨にいえばそう考えております。しかし、これに損害賠償の請求を加えることによって意味があるといえばあるのじゃないか、かように考えております。  またこまかい点はたくさんございますけれども、私は大体今申し述べましたような理由で、今度の行政事件訴訟法案の全面に対して、この程度で一ぺんやってみるべきものではないか、かように考えております。
  71. 河本敏夫

    河本委員長 次に白石参考人の御意見を承ります。
  72. 白石健三

    ○白石参考人 東京地裁の白石でございます。  初めにお断わりしておきたいと思いますが、これから申し上げることは、もとより東京地裁を代表した意見でもなく、また私、今東京地裁の行政部の第三部を担当しておりますが、この第三部の意見ですらない、これは全く個人的な意見であるということを一応申し上げておきたいと思います。  そこで、さっそく本論に入りたいと思います。まず全体的な印象、結論をずばり申し上げますならば、これは何といいましても現在の法律より数等の前進である。その意味でいろいろな長所も含んでおりますし、国民権利を尊重し、あるいは裁判所負担も軽減して争いを解決したいという意味もありまして、その長所をあげることにはそう苦労は要らないと思います。そういう意味で、盛られてあるような内容をここまで純化して、こういう適切な表現でまとめ上げるについては、立案に参画せられた当局の並々ならぬ努力があると思うのでありまして、その点については、深く敬意を表する次第でございます。従いまして、この法案については、あだやおろそかなことでけちをつけて葬り去るべきものではない、こう思うわけであります。この法案のちょうちんを持つような言い方は幾らでもできるのでありますけれども、この方面からの説明は、私のような口の下手な者が申し上げるまでもなく、弁舌さわやかな政府委員の方などがすでに説明を済ませておりますので、省略させていただきます。私がここに参りましたのは、何らかの角度で批判的な意見があれば聞きたいという意味合いも含まれておりますので、そういう角度から簡単に申し上げてみたいと思います。でありますから、そういうつもりでお聞き願いたいと思うのであります。  まず最初に、批判的角度から見た全体の感想です。第一に、この法案はいかにも難解な法案であるということは争い得ないのであります。このわかりにくいという意味は、二重な意味で申し上げたい。一つ国民から見て、何だかむずかしい行政法の教科書を読むような法案だ、その意味で、これはわかりにくいということであります。その証拠には、国民の良識を代表されます委員の方のお集まりが悪いことから見ても、それはある程度推察できるのではないか、こういうふうに存じ上げる次第でございます。でありますから、一口に評すれば、行政教科書法案とでも申し上げれば、この性格を的確に表わしておるのではないか。これは今長野参考人からも発言がありましたけれども、そういうふうに思うのであります。抗告訴訟であるとか、機関訴訟であるとか、民衆訴訟であるとか、法学上のなまの用語が出てくる法案は珍しいのではないかと思います。はなはだ皮肉な言い方でありますけれども、民衆訴訟などという言葉が出て参りますが、この言葉自体が民衆にはわかりにくい言葉ではないかと思います。そういう意味で、民衆にとってはかなり理解が困難な法案ではないかと思うのでございます。しかし、こういう一般的なわかりにくいという角度からの批判は、もう少し視野の広い方がすでに批判して下さっておりますので、私はそれに対して批判するつもりはありません。それに対する的確な代案があるわけではありませんから、それに対して深く追及するつもりはございません。二重な意味のもう一つのわかりにくいという意味は、一定の学説の体系から見ますと、なるほどこれはすっきりとわかりやすいという面は確かにあると思いますが、もしそれと違った見解、違った学説の見地から見ますと、これはどうもわからぬという意味のわかりにくさが若干あると思います。これはかなり本質的な問題であると思います。そういう意味でわかりにくい法案であるということです。  それから第二に、これも今申し上げたことを若干関連するわけでありますけれども、これは抗告訴訟の類型を類別しまして、それぞれに適用する法規を定めることになっておるのであります。一定の学説的見解で、大体定説と言っていいかもしれませんが、そういう見解で類別してきておる。反対の見解によれば、将来出訴し得べかりし、あるいは現在でも出訴することができるような類型の訴訟を、何らかの規制をして押えていくという要素が多少あるのではないか、その限りでは、司法権をある程度チェックして制限するという意味合いも多少持っておる。同時に国民権利主張に対して、多少ブレーキをかけるという面が若干あるのではないか、これは後刻例をあげて申します。  第三に、それに関連いたしまして、これは国民を上から若干見下すというと語弊がありますけれども、上から下を見て行政訴訟を何とか規制し、コントロールしょうという姿勢の立法ではないかと思うのであります。それでありますから、下の国民の側から自由濶達に何とか行政訴訟を遂行したいという、国民的な下の視野から見た場合に、若干のブレーキという意味を多少持っておるのではないかと思います。もちろん訴願置主義をはずすとか、管轄を広げるという意味国民に便益を与える点は若干あると思いますが、下の国民から行政府相手に自由に遂行したいというものに対して、何ほどかブレーキをかけるような要素もあると思います。  それからもう一つ、これに関係しまして、こういう法案をまとめ上げるにつきましては、その背後に行政権司法権、あるいは大きくいえば三権分立における行政権司法権の占める位置、そういうようなものについて何らかの模範的な像を描いて、それとの関連でなければこれが出てこないと思うのでありますが、そこにさかのぼって考えました場合に、はたしてそこで考えられておる司法権の姿というものに対しては、私は若干の疑問を持つのであります。というのは、そこで考えられておる司法権というものは、新憲法のもとで助長をして、なるべく司法的な救済を広めようという考えなのか、それともなるべく裁判権を戒めて押える、これは言葉は語弊があるかもしれないけれども、何らかの意味で戒めて押えていくというような思想が何ほどか入っていやしないか。端的に申し上げますならば、それは一定の類型の訴訟を押えるというようなブレーキの面にも現われるのでありますが、一番現われておるのは、内閣総理大臣異議制度、こういうことになると思います。  抽象的に申し上げましたが、時間のある限り具体的に申し上げてみたいと思います。  類型としてそこに四つの類型があがっておりますが、初めに抗告訴訟の類型でございます。これは政府提案者側の御訣別によりますと、この類型だけに限る趣旨じゃないということであります。これは確かにそうであろうと思うのでありまして、行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟ということで、ここで幾らか広くふろしきを広げておるので、たとえば、反対の見解もあると思うのですが、私ども考えておりますように、いわゆる義務づけ訴訟不作為を命ずる訴訟というものがもし出せるとすれば、ここに入る、このように一応私は伺っていいと思います。この法案をまとめる経過にも、行政訴訟の類型をそういう余裕のないきっちりしたものにしてしまうという案に対して、最後まで何らかの余裕を残しておくという制度が強く主張されました結果、こういうものになったということにかんがみましても、一応政府の提案の説明はうなずけないではない、こう思うのであります。しかし、これをしさいに検討いたしますと、これはやはり私ども考えでは、そういう許されるものを許さないという思想が背後に隠れている。それをちょっと申してみますと、行政事件訴訟法第三条五項に「不作為違法確認訴え」というのがあるのであります。行政庁に申請しても、いつまでたっても処分しないという場合に、そういう場合の違法の是正というものは、こういう違法の確認の形でのみ救済するという。従って、ほかの類型の形では救済を許さないのだという思想があることが前提になっておると思うのであります。現に浜本局長の説明を読みますと、不作為違法確認をした場合は、違法であるということを確認するだけでもって、特定の処分をしろという請求は許されない趣旨だ、こういうふうにはっきり書いておるのであります。つまりこれは、裁判所の判断として、違法だと判断することはできるけれども、それは違法だからこうせよということはできないのだという考えのようでございます。従いまして、そういう一定の行為をせよ、あるいは一定の行為をする義務があるという訴訟、これも許されないという思想ではないか。こういう思想がすでに前提となっておるのではないかと思うのであります。それでありますから、いわんや行政庁が明らかに違法な処分をしようという場合に、それによって回復すべからざる損害をこうむるという場合に、事前にそういう処分をしてやってはいけない。不作為を命ずること、あるいはそういう権限がないことの確認、これももちろんできないというふうに考えてまず間違いないと思うのであります。  それで、たとえて例を申し上げますと、営業の自由を制限する法律憲法違反である。憲法違反で、明らかに許可しなければならぬと思うのに許可しない、申請しても、幾らたっても許可しないという場合に、この法案の思想では、その場合でも許可しろということは言えない。もちろん許可しろということは簡単に言えないのでありまして、それは行政庁の裁量の問題もありますから、簡単には言えないと思いますけれども、いやしくもそれが憲法違反の法律であるというのにかかわらず、許可しないという場合には、これはだれが見ても許可しなければならぬということは明らかに言える場合もあり得ると思います。もちろん憲法違反だということは、そう簡単にぽんぽん言うべきではない。憲法違反の訴訟に対する裁判所のアプローチの仕方ということも、若干問題があると思いますけれども、いやしくも憲法違反である、これはそういう訴訟が内容的に立つかどうかの問題があるが、明らかに憲法違反である、いやしくも憲法違反であって、明らかに許可しなければならぬということが主張として成り立つというのに、それを許可しろという訴訟はできないということなのです。こういうことになるのでありますが、はたしてそれが国民の目から見て納得できるでしょうか。これはどういうふうに巧みに説明しましても、私はいささか疑問じゃないかと思うのであります。  それからもう一つ例をあげておきますが、今かりに憲法違反の税金で差し押えを食う、税法は憲法違反で、その結果滞納の差し押えを食う。その結果回復すべからざる損害をこうむるという場合に、憲法違反であるということが明らかに言い得るならば——これはもちろん簡単に言えないが、もし言い得るならば、そういう差し押えをやってはいけないということは明らかである。これは国民が一番よく知っていることで、むずかしい理由を言わなくても、これは素朴に認めていいのじゃないか。それが差し押えをしてはならないという請求は許されないということになるのであります。こういうことはきわめて国民の素朴な要請であると思うのですが、これをむずかしい理屈でいけないのだと言っても、私は何としても説明がつきにくいのではないかと思うのであります。これを、もう少し問題の意味を御理解願うために振り返ってみたいと思うのですが、新憲法施行後、私ども行政事件裁判を扱うようになりましてから、初めのうちは、裁判所は一体どういうことをやったらいいか、作為、不作為、こういうことを行政庁に命令する裁判ができるのかという難問にまずぶつかったのであります。その際に学説は、そういう作為、不作為を命ずることは、一種の行政庁に命令したりあるいは行政処分した結果になるから、そういうことは許されない、こういう見解がまず優勢であったのであります。もちろん下級審でありますけれども、下級審の裁判はそれによって圧倒的な影響を受けて、その種類の裁判が続々と出たわけであります。ところが、それに対してまず一つの反省が出てきたのであります。それは、作為、不作為を命ずることは行政作用だからできないのだ。裁判所のやることは判断作用ということである。しかし、もし判断作用ということならば、作為義務があるということの確認、あるいはそういうことをする権限がないということの確認、それがなぜできないかという反省が出てきたのであります。だから、そういう考え方から義務確認訴訟という考え方が出てきた。それに対してもう一つ反駁が出てきたわけであります。義務確認といっても、あるいは権限がないといっても、実質的に行政作用を拘束することは変わらない。それくらいならそういうことを言うことはない。やはり行政作用を拘束する点に問題がある。やはりそれは、義務確認と言い変えても許されないことは同じだ、こういう反駁が出てきたわけであります。またもう一つそれに対して反駁するのは、なるほどそれはその通りであるとしても、作為、不作為を命ずることはいけない。それは処分を命ずるからいけない、確認であるからいいという問題じゃない。問題のポイントはもう一つ別なところにある。というのは、権力分立の建前をもってすれば、まず行政庁が第一次的に判断する。それから後に裁判所が事後審査をする、レビューする、これが原則的な建前であります。だから、そういう意味行政庁の第一次的判断を尊重する必要がある。これが建前である。それをいきなり、行政庁が第一次的判断を下す前に、作為、不作為裁判所が命じますと、そういう行政庁の第一次的判断を奪う結果になり、これがいけない。それからもう一つ行政庁が判断を下す前に裁判所行政訴訟で判断を下すということになると、これは行政庁が一応判断して、それに対してここがどうかということで訴訟するということになりましたら、それだけ争いがしぼられて、事件が熟してくるわけであります。でありますから、本来の裁判所のやることは具体的事件の判断である。抽象的な解釈ではないわけであります。そうでなくして抽象的な形で持って参りますと、今度は何と申しますか、抽象的な解釈意見裁判所で示したら、それによって行政庁が拘束される。具体的事件の判断よりも、抽象的な解釈意見に拘束される、それではいけない。これでは、三権分立の思想からいって、三権分立の姿を乱すことになる。行政庁はそういう第一次的判断を原則的に示さなければならない、そういう意味で、事件の煮詰まらないものを裁判所で判断してはいけない。問題のポイントはそこにあったということが多少とも出てきたと思います。はたしてそうでありますならば、あくまでもその原則というものは尊重しなければなりませんけれども、それは絶対的な原則ではあり得ない。その原則の合理的妥当性の届く範囲というものはおのずから限界があるのではないか。それは、今申し上げましたように、だれの目から見ても明らかに行政処分をすることが違法であるというのでありますから、これは憲法違反かどうかは問題になるかもしれませんが、いやしくも憲法違反なことはやってはいけないということは間違いないので、従ってそういう場合に、例外的にはそれは認めてもいいんじゃないか。それまでもいけないということは、これは考えものだ。こういう意味合いで義務確認訴訟というものがまず存在理由を主張してきたと思うのであります。この法案は、そういうことに対して一つのコントロールをかけているという意味合いを持ちはしないか、私のおそれるのはそういうことであります。一体諸外国の例を見ましても、私はよく存じませんけれども、三権分立の案外徹底しておるアメリカでも、これはマンデーマスとか、宣言判決というような形で、実質的に作為、不作為を命令することを支持する裁判をやっておると思うのであります。ドイツ行政裁判法でも義務づけ訴訟というものがあって、これはやはり義務を行政庁はしなければならぬということをやるような規定があります。それならば、なぜわが国だけはそういうことが許されないのだろうか、こういうことが問題だろうと思うのであります。その問題はこれくらいにしておきます。
  73. 河本敏夫

    河本委員長 次に、猪俣参考人の御意見を承ります。
  74. 猪俣幸一

    猪俣参考人 本日法務委員会の方で、行政事件訴訟法案の御審議にあたりまして、ずっと第一線の裁判の現場ばかり歩いております私に対して、意見を述べる機会を与えていただきましたことを私は感謝しております。ことにきょう参りますと、鈴木先生が来ていらっしゃいまして、行政事件で一緒に福島県に出張したことなども思い出しまして、今度の裁判所ができまして十数年の歩みを思い起こしておる次第でございます。この十数年の間におきまして、行政裁判所が廃止せられて、普通の裁判所行政事件を取り扱うようになりましたため、皆様の目からごらんになって至らない点が多々あったかと思いますが、しかしながら、私どもは十数年の経験を重ねて今この法案の提案に接したという点で、非常な喜びを覚えるのでございます。  総論的に申しますと、私の接しました行政事件を担当しております裁判官は、一人残らず本法案国会に提出せられましたことを歓迎しているのであります。私どもは本法案国会によって十分に御審議相なりまして、修正さるべき点がありましたならば御修正を経た上で、すみやかに法律となることを待望しているのであります。しかし、私は本日本法案のうち三点につきまして、多少批判にわたる意見を述べ、皆様方の御審議の御参考に供したいと思っております。しかしながら批判的意見を述べますに先立ちまして、私どもが本法案のうち現行行政事件訴訟特例法に比べまして国民権利の伸張を特にはかっております点を指摘いたしまして、本法案を現場の裁判官といたしまして歓迎する理由を明らかにしたいと思います。  第一点は、本法案第十二条の管轄の規定でございます。現行法は「行政庁の違法な処分の取消又は変更を求める訴は、」「被告である行政庁の所在地の裁判所の専属管轄とする。」こう定めておりますために、たとえば鹿児島県に住む者は、農林大臣あるいは建設大臣に対する訴願の裁決については、東京地方裁判所に訴えを起こさなければならなかったのでありますが、この法案によりましてはそういうことがなくなりました。実は私どもの旧友で地方に住んでおりますところの弁護士が、こういう訴願等のことで東京に出て参りまして、私どもが旧懐の情をあたためる機会をときどき持っておったのでありますが、しかし、一方そういう弁護士諸君を依頼するところの、行政処分に対して苦情を持つ国民立場に立ちますならば、これは弁護士さんに東京まで出張してもらうということは、大へんな負担になったことであろうと思うのであります。この点が今度の法案によりまして、地元の弁護士さんが地元の裁判所行政訴訟を起こしてもらえるということができますことは、国民権利伸張に大いに役立つことであると信じます。  第二点は、本法案四十五条が、私法上の法律関係に関する訴訟において行政処分もしくは訴願裁決の存否またはその効力の有無が争われております場合に、裁判所が当事者または行政庁申し立てで、または裁判所みずからの職権で、行政庁を民事訴訟に参加させる道を開いたということであります。実は最近、現在私が勤務しております千葉地方裁判所に提起されました民事訴訟の中で、農地あるいは宅地の現在の所有者に対しまして旧地主が、農地買収取得が無効であるということを理由といたしまして、所有権の確認、土地の引き渡し、所有権取得登記の抹消等を求めている事件が、千葉のような小さな裁判所で、すでに数件あるのでございます。現在善良な農民が政府の処分によりまして、買い受けました土地、その土地の所有権をめぐって民事で訴訟の被告とされ、そうして弁護士を頼んで応訴をしなければならぬ。これは国民にとって大へんな犠牲だと思うのであります。そういった事態が、本法案行政庁訴訟に参加させることによって、ある程度までそのような善良な国民救済になっておるという点を私は指摘いたしまして、この法案国民権利の伸張に役立つ第二点といたしたいと存じます。  第三点は、法案第三条五項の不作為違法確認訴えを認めた点でございます。行政庁が許可、認可等の申請を放置する場合に、行政庁裁判所訴える道を開いたということは、これは大いに歓迎すべきことであると思うのであります。もちろんさきに白石参考人あるいは長野参考人から述べられましたように、この程度訴えを認めただけではなまぬるいという批判もあるのであります。またこのような訴訟はどこまで実際の効果があるかという批判もあるのであります。先ほど白石参考人から仰せられました、アメリカにおけるマンデーマス訴訟、これは日本では職務執行命令訴訟と訳しておりますが、このマンデーマス訴訟裁判所侮辱罪によって強制されるところの訴訟でございます。マンデーマスというのは、ラテン語で、私は命令するという意味でございますが、裁判所の命令を、ある一定のときまでにある行政行為をなせ、その行政行為の内容にはもちろん裁判所関係しないのでありますが、ある行政行為をなせという裁判所の命令に対しまして、裁判所の指定いたしました期間内に行政行為をなさなかった場合には、裁判所侮辱の制裁を受けることになっておるのであります。そのような強力な制裁規定をうしろに伴いましたアメリカにおける職務執行命令訴訟、この類型は日本におきましてもすでに地方自治法において認められておるのでございますけれども、このマンデーマス訴訟と同じ思想に出たのが、本法案の認めましたところの不作為違法確認訴えであると私は考えるのであります。従って、私はこのような形の訴訟を認めた点において大いに意義がある。少なくとも国民に対し、このような場合に行政庁を被告として裁判所に出訴することができることを法律が明らかにしておりますだけでも、国民権利の伸張に役立つものであると考えております。  第四点は、法案二十一条が、行政庁を被告とする行政処分取消し訴訟を、行政処分の事務の主体である国または公共団体に対する損害賠償の請求に変更することを許している点であります。これも、行政処分の取り消しを求むる利益がなくなった場合に、違法な行政処分によってこうむったところの損害の賠償を求める訴えに変更することができることは、これまた国民権利の伸張に役立つものであると考えます。  第五点といたしましては、訴えを提起する場合の被告行政庁の明確にした法案第十一条、関連請求の移送を認めました法案第十二条、被告変更の手続を明確にいたしました法案第十五条なども行政訴訟の提起及びその審理を容易にしたものでございまして、国民権利の伸張に役立つものであると考えます。  以上、本法案の歓迎すべき点について意見を述べましたが、次に、本法案第三十六条の無効確認の訴えについての規定、第二十七条の内閣総理大臣異議についての規定、第八条の行政処分取消訴訟審査請求との関係に関する規定の三点にわたりまして、本法案に対する若干の批判を申し述べたいと存じます。  第一点は、法案第三十六条の無効確認の訴えに関する規定についてであります。現行法のもとにおきまして、最高裁判所は、行政処分の無効確認の訴えを提起することが許されておることを判示しております。しかして、その場合、処分行政庁を被告として提起することができることを明らかにしているのであります。しかるに、本法案法律となりますと、現在もなお新たに提起されつつありますところの農地買収処分の無効確認の訴えは、農地の売り渡しを受けた旧小作人など、現在の農地の所有者に対して、所有権不存在確認の訴え、あるいは旧地主の所有権確認の訴えの形で提起されることにならざるを得ないと考えるのであります。そういたしますと、被告になった者は、弁護士を頼んで応訴しなければならないことになり、ここに多額の訴訟費用の失費を余儀なくされることになるのであります。  一体、無効確認の訴えは、現行法立法にあたっては予想されなかった行政訴訟の形態であります。現に米国法におきましては、かかる行政処分の無効確認の訴訟なる形態は認めておらないのであります。行政処分は、その許されたる出訴期間の経過によりまして終局的に確定いたしまして——これは米国法の規定でありますが、もしそれが違法であることが後に判明した場合でも、かかる違法な行政処分を受けた者は、ただ損害賠償の訴えを政府に対して提起いたしまして、金銭賠償を求め得るにとどまるのであります。  しかしながら、わが国における現状のもとにおきまして、判例が築き上げました行政庁に対する無効確認の訴えを事実上制限するのはいかがかと思われるのであります。私は、この法案の三十六条の限定部分、「当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによって目的を達することができないものに限り、」というこの限定の規定を削除する方が、あるいは国民権利の伸張に役立つのではないか、こう考えておりますので、この点、国会におかれましては十分な御検討をわずらわしたいと思います。  大体アメリカ人は、政府が違法な行政処分をやりまして、それが確定いたしましても、金さえもらえばそれで十分な救済が受けられると考えておるのであります。しかしながらわが国におきましては、たとえば土地を失った場合のごとき、その代替の土地が容易に手に入らないという、この国土の狭小な現状等にかんがみましても、今まで最高裁判所が認めてきた行政処分無効確認の訴えをそのまま認めていく、現に実効をおさめているのでありますから、これを今までの形で認めていくということが、国民権利の伸張に役立つのではないかと考えておる次第でございます。  第二点は、法案第二十七条、内閣総理大臣異議でございます。裁判所は、過去におきまして、いわゆる平野事件におきまして、平野氏に対する公職追放覚書該当者とする旨の指定の効力の発生を停止する仮処分をいたしたことがございます。また現行法のもとにおきましても、本日お手元に出ております「内閣総理大臣異議陳述に関する資料」にありますが、福井の裁判所が福井県知事のなした町村の廃止、鯖江市設置の処分の執行を停止する決定をいたしたことがあるのでございまして、本法案中に、内閣総理大臣異議についての規定が置かれていることは、考えようによってはまことにごもっともな点があると思うのでございます。しかしながら、現在においては、裁判所行政事件の取り扱いに習熟し、一方内閣総理大臣異議も、昭和三十三年以来は一度もなされていないという現状にあるのであります。しかのみならず、本法案は、第一審裁判所のいたしますところの執行停止の決定に対しましては、高等裁判所に即時抗告を認めているのでありますから、将来の事態を予測いたしますならば、執行停止は、裁判所の審級内における是正にまかせるのが、民主政治が、均衡と抑制の政治であるという原理から、わが国における将来の民主政治の発達のために最も望ましいことであると私は考えております。およそ立法は、将来の事態の予測でございますから、この点につきまして国会におかれまして、十分将来の事態の予測について御検討をわずらわしたいと存じます。  第三点は、法案第八条の処分取消し訴え審査請求との関係に関する規定であります。いわゆる現行法における訴願置主義の是正の規定でございます。本法案趣旨といたしますところは、違法の行政処分を受けた者に、上級行政機関に対する審査請求をたすか、裁判所に対する不服の訴えをなすかの選択を——原則としてその両方ともやってかまわないのでありますが、まかせておるということなのでありますが、ここに見のがすことのできないのは、除外規定であります。つまり、今後それぞれの行政行為に関しますところの別個の法律によりまして訴願置主義を定めることができることになっておりますのが第八条第一項ただし書き規定であります。もしこれが、いろいろの別個の行政関係法規によりまして訴願置主義を広範に認めました暁におきましては、せっかくのこの法案の第八条第一項本文の規定は、事実上その効果を発生せざるに至る憂いがあるのでございます。  私は、この訴願置主義に対処するところの方法といたしましては、行政機関裁判所とに、国民に対するサービス競争をさせることであると考えているのであります。私は、上級行政機関による審査が円滑に行なわれますならば、行政機関裁判所以上のサービスを国民に提供することができることは信じて疑わないのであります。アメリカにおきましても、行政上の救済の手続における非公式手続、つまりインフォーマル・プロシージャというものは、行政手続の生命であるといわれておるのでありまして、この訴願制度は費用もかからないし、行政機関が積極的に動いてくれるのでありますから、迅速にもできますし、簡単にもできますし、形式ばらない点において、弁護士さんを頼んで訴願をする必要がない事態も多々あるのでございます。しかしながら一方、地方に在住いたします国民が、東京における中央官庁の訴願を経由しなければならないということになりますと、先ほど私が申し上げましたように、地方の弁護士に東京に出張してもらうという負担を負わせなければならないのでありまして、私はもし都道府県単位で、訴願置主義が採用されるということになりますならば、訴願前置の規定に少しも異存はないのでありますが、何でもかんでも、この交通の繁雑な東京に出てこなければならないという事態になりましたならば、これは国民権利の伸張に大いに害があると考える次第でございます。  実は最近私の勤務しておる千葉で、こういう実例がありました。小作契約の解約につきましての農地法二十条の規定による千葉県知事の許可に対する取り消しの訴えが、私の手元に提出されたのであります。そこで記録を見ますと、農地法八十五条による農林大臣に対する訴願を経由しておらないのであります。そうなりますと、昭和二十六年八月一日の最高裁の判決の趣旨に従いますと、これは訴えを却下しなければならないのであります。しかしながら調べてみますと、まことにこの原告の主張する違法は理由ありげに見えるのであります。困ったと考えましたところが、しばらくたって訴えの取り下げが出ました。これは千葉県知事が自発的に解約の許可処分を取り消したそうであります。  しかし、すべての場合に、本件の千葉県知事がなした行政機関の自発的な行政行為取り消し処分は期待することはできないと考えるのであります。そうなりますと、私としては訴願置主義について、これをどこまで適用するかということにおいて、国会におかれましては深甚の考慮をわずらわしたいのであります。  なお、こちらのお二人の公述人の方はいずれも東京の方でございまして、私だけがいなかでございますので申し上げておきますが、千葉県における行政訴訟の実際の面を見ますと、千葉県の行政当局の態度はきわめて公正であることを、皆様方に御報告できますことは、私の深い喜びでございます。私が一昨年の十二月に千葉に着任いたしましてから、、過去一年間におきまして、行政処分無効確認の訴訟で、千葉県知事を敗訴せしめたことが二回あります。ところがこの二回の敗訴判決に対しまして、千葉県知事は控訴の申し立てをなさず、そのまま千葉地方裁判所の千葉県知事敗訴の判決が確定しているのでありまして、私ども行政訴訟をやっておりまして普通の民事訴訟と違う点は、行政当局を代表されるところの訴訟代理人の態度が、きわめて公正なことであります。従って、多少問題がありましても、大所高所から考えて、行政庁行政処分がどうかと思われる、つまり違法と解釈のできる事件におきましては、私の申し上げるように上訴なしに確定を見ているのがあるのであります。私は十三年東京高等裁判所の判事として勤務しておったのでありますが、その間にここにおいでになっております法務省訟務局の方々に対しましても深い敬意を払っておったのであります。かなり問題のある、あるいは最高裁判所判例を仰いだ方がいいじゃないかという事案でも、事案から見まして行政庁の方の違法な行為であると思われる事件で、上告を見なかった事件も東京高等裁判所にあるのでありまして、私はここに専門家の行政処分に対する御態度に対しまして、訴訟の現場からこの機会に敬意を表しておきたいのであります。  ただいま裁判所行政機関のサービス競争ということを申し上げましたが、これを最後に一言だけ説明いたます。訴願置主義廃止されれば、裁判所事件が殺到するだろうという人がございます。しかしながら、現在交通事故の損害賠償事件につきましては、裁判所は大きな門戸を開いておるのでありますけれども、現在の訴訟手続が煩瑣である。あるいは時間がかかるということから、皆様方御存じのいわゆる示談屋というものが交通事故の解決に横行しておるのでありまして、このように裁判所の門戸を開いておる事件でも、裁判所国民の期待に沿う救済を与えない場合には、国民が他の方面に向かうということは、水の高きより低きに流るるがごとく、これは私は人間の本性であると考えるのであります。従って将来行政上の訴願——法案審査請求といっておりますが、行政上の訴願裁判所に対する訴えとがサービス競争に入りまして、国民はそのいずれかを選択し得るという事態が参りましたとしても、私は裁判所に対して事件が殺到するという状態にはならないと予測いたします。もちろんそういう裁判所が非常に国民の希望にこたえまして、裁判にした方が訴願をするよりもいいという事態になりましたら、これは行政庁の方に御反省を願わなければならないのでありまして、私はこの行政上の訴願手続がいわゆる非公式手続、略式手続である限りにおきまして、国民裁判所に対する訴訟をやるということは、まずまずまれであろうと確信する次第であります。私はアメリカに行ってその状況も見て参りましたが、アメリカにおきましても同様の現象が現在起こっておるのでありまして、訴願前置を廃すれば、裁判所に対して事件が殺到するであろうという御心配は御無用かと存じます。  以上をもちまして、私の意見の陳述を終わります。ありがとうございました。     —————————————
  75. 河本敏夫

    河本委員長 これより御出席中の参考人の御意見に対して質疑を進めます。  質疑の通告があります。順次これを許します。坪野米男君。
  76. 坪野米男

    ○坪野委員 今の猪俣参考人は非常にまとめて大体全部おっしゃったようですし、長野参考人も大体簡単に述べられたようですが、白石参考人は時間の関係意見開陳が十分でなかったと思いますので、もう少し補充をしていただいて、その上で質問をしたいと思います。
  77. 白石健三

    ○白石参考人 それでは先ほど中断いたしましたことを若干補充して、完結をいたしたいと思います。  思い出していただくために今まで申し上げたことを簡単に申し上げますと、原則的にはちょうちんを持つのでありますが、批判的角度か申し上げるならば、第一点、この法案はいかにもわかりにくい。おかりにくいという意味は、一般国民が見て教科書的でわかりにくいというだけではなくて、特定の法律見解、学説から出発して書かれておるために、反対の見解から見た場合にわかりにくいという問題がある。第二に、それに関連しまして一定の訴訟類型を特定の学説から規定しました結果として、それ以外の訴訟類型は押えるというような要素が何ほどか出てきている。第三に、これと関連をすると思いますが、幾らか上から下を見おろしたような姿勢で、行政訴訟を規制しようというような記述になっておりますので、国民が下から見て自由濶達に行政訴訟を伸ばしていこうという面から見れば若干の欠陥があるんじゃないか。第四に、この法案の基礎となっておりますところの行政権司法権の根本的な考えにつきまして、一まつの不安がある。というのは、それは何らか行政権司法権関係におきまして、司法権をなるべくもり立てていこうというよりも、何らか戒めて、押えていこうという思想の影があるということを申し上げたのでございます。それに関連しまして、具体的例として、これは不作為を命ずる訴訟、義務づけ訴訟というようなものを押えるという意味合いを持っておるということを申し上げたのであります。  ついででありますから、ここで一つ申し上げておきますが、浜本局長の説明で、最高裁の判例で、そういう給付訴訟のようなものは許されないのだということが判例になっておるということになっておりますが、これは私の知る限りでは、そうではないと思います。私、最高裁の事務総局におり、またその後その調査官を長くやっておりましたので、その立場からある程度最高裁の裁判を見ておるわけであります。それをここで差しつかえない範囲で、申し上げていいことを申し上げてみますならば、おそらく最高裁としては今までに、もし作為、不作為を命ずる裁判が許されるかという問題について、見解を示す機会は幾らでもあったと思うのであります。と申し上げますのは、先ほど申し上げましたように、下級審の裁判例は、作為、不作為の請求が許されないのだということは幾らでもあったのでありますから、その上告事件が当然最高裁に来ておるのであります。従いまして、もしそれと同じ見解であるならば、簡単に上告をはねるとかいうことができたような事案というものはかなりあったと思うのであります。それにもかかわらず、最高裁におきましては、これははなはだ注意深く判例集を見ていただけばわかると思うのでありますけれども、そういう問題をしいて回避したかのごとく、慎重に、ほかの理由で判断している、これはよほど慎重に見ていただかなければ、あるいはわからないかと思いますけれども判例集をめくっていただけば、わかることと思います。私の記憶ではそういうことになっていると思います。  それから、今申し上げましたような批判的角度から申しましての第二点といたしまして、これは無効確認訴訟の問題であります。これは猪俣さんからも発言がありまして、私も賛成でありますが、これは現在の法律関係でいける限りは現在の法律関係でいけ、そういうので目的を達しない限り無効確認訴訟を認める、こういうしぼり方になっておると思うのであります。その例としてこれをよくあげておるのでありますけれども、課税処分が無効である、それでその結果といたしまして、いつ差し押えをするかわからない、財産を差し押えられるかわからない、こういう場合に、現在の法律関係で引き直しようもないという、無効確認訴訟をするのだ、こういう例があがっておるのであります。もう一つあがっておる例は、営業の不許可処分が明らかに違法である、それでその不許可処分、それにもかかわらず行政庁が、不許可処分が適法だとがんばって、事後の行政措置を講じようとする、あるいはそれを前提として刑罰が科せられるような形勢にある、そういう場合に、やはり不許可処分の無効確認を得ていなければ救済は得られないのだ、こういうことがあがっておるのであります。けれども私は、これは実は私ども考えからはよくわからないのであります。と申し上げますのは、初めの例で申し上げますと、差し押え処分がおよそ重大明白な瑕疵があって、無効であるということでありますならば、その次の処分をやっていけないこと、これは当然であります。これは国民のどなたに聞いてもそうであろうと思うので、これは明白な論理であろうと思います。もちろん当然無効であるかどうかということは、そう簡単に言えるものじゃありません。それについては十分慎重でなければならないと存じ上げますけれども一いやしくも無効であります限り、次の段階の処分をやっていけないということは、これは当然であります。ですから、そういう関係で、現在の法律関係で引き直すということであれば、これは決して不可能ではないのでありまして、差し押え処分をする権限がないから、差押えをすべからずということを求める、これでもいいと思うのであります。そうしますと、現在の権利関係で引き直すということであれば、決して不可能ではないのであります。ただ、そういう不作為を命ずるような訴訟ができないという考えを前提にいたしておりますから、そういうことになるのでありまして、もしもその前提をはずせば、およそ不可能なことはないと思うのであります。これは旧憲法時代におきましては、たとえば行政処分が無効であるということを前提として、その結果できてくる法律関係が私法上の法律関係であれば、これは旧憲法時代でも無効であるということは裁判所の判断でできたのでありますが、私法上の法律関係でなければ、という制限がありました結果、たとえばその結果出てくるのが、所有権の帰属というようなことならば裁判所はできたのでありますけれども、現在の権利関係に引き直す場合は、法律関係公法関係であるということで、できなかったわけであります。  それが新憲法のもとでははずれたということでありますから、それが不可能だということは独断であろうと私は思います。ただ、先ほど申し上げましたように、そういう行政庁に作為、不作為を命ずるというようなことは、いつでもやれるというようなわけではないということは、やはり考慮に入れなければならぬと思いますけれども、いやしくも重大明白な無効である限り、その次の処分をやってないということ、これはもうだれが見ても当然の論理で、そういうものを裁判所が宣言してはいけない、これが司法権に反するんだと言われましても、これはやはり国民にはそう納得のできることではない。これはきわめて素朴な疑問で、これに対して十分な答えができ得るかどうか、こう思うのであります。  それから、営業不許可処分についても同様なことが言えます。それが無効であるという場合に、そういう不許可にすることは明らかに無効である、従いまして、不許可処分は違法である、そういうようでありますならば、それは当然許可しないことは憲法違反で、無効であるというならば当然、これは許可すべき義務があるということは判断として言えるわけであります。それをなぜ言えないのか。それを言えないという考えを前提といたしますから、この場合に、不許可処分の無効確認を言わなければ救済の道がない、こういうことになるのであります。でありますから、私ども考え方からいえば、それは現在の法律関係に直すことは、およそ不可能であるということはないのであります。従いまして、この条又をそういう考えで読みますと、すべての場合現在確認することは可能じゃないか、こうも言えるのであります。  それから、見方を変えまして、現在の権利関係に関する訴訟では目的を達しない場合と、こういうしぼり方になっておるのですが、これも私の見方からいえば、わけがわからないということになると思います。と申しますのは、例をあげて申しますと、農地買収処分が無効であるというふうに、かりに無効を前提として所有権が確認されたとします。現在の権利関係において、所有権を確認したといたします。その結果、原告が勝って、原告の所有であるということが確認されます。しかしその判決が、既判力としてもあるいは拘束力としても、再び同じ処分、再び農地として買収していけないという拘束力も既判力も全然出ないのであります。だから、理屈の上では、また行政処分をすることは妨げられないということになるのであります。目的を達することができないとおよそ言うのでありますれば、すべてそういう無効確認で行かなければ目的を達しないということ、こういうことも言えるのであります。それは無効確認をとらえる訴訟というものと、それから、現在の権利関係訴訟でとらえる訴訟というものが違うから、当然の帰結であります。それからまた、私どもの見解から言えば、こういうようなしぼり方をかけるということはあまり根拠がないのじゃないか、こう思うのであります。それは問題の意味ということを、ここでもう少し理解していただきたいために、少し振り返ってみたいと思うのでありますけれども、私ども初め、行政事件を扱い始めましたときに、これはおそらく無効確認訴訟なるものは、この法案でいうところのいわゆる当事者訴訟として扱うぐらいの考えではなかったかと推測されるのであります。ところが、案に相違して、無効確認訴訟がどんどん出る。そうしてその性格はどうもやはり当事者訴訟として見ておってはおかしいのだということで、それはやはり抗告訴訟取消し訴訟に準ずるんだという考えが出てきたと思うのであります。そういう形で、一面においては、現在の権利関係訴訟でいくのが本質だという考え方によって存在を脅やかされながらも、根強くやはり存在理由を主張して今日まで来たというような状況であります。  そこで、そういう状況の基礎としてどういう方向に向かってその合理的な道が動いておったのかということを私ども推測いたしてみますと、それはこういうことじゃないかと思うのであります。それはちょうど民事訴訟で申しますと、一応判決が確定した後に、再審の訴えという非常の例外的な救済があるのであります。取消訴訟と無効確認訴訟との関係は、あたかもそれに準ずるんではないか。再審の訴えにおける再審事由を、今かりに重大明白な瑕疵があったときは再審を請求することができる、こうかりに書きかえてみたらどういうことになるか、それがつまり無効確認訴訟ではないのか、つまり出訴期間が切れて、一応公定力というようなものが確定した後におきまして重大明白な瑕疵があるということで、もう一度違法かどうかを再審に求める、こういった性格の訴訟ではないかと思うのであります。そういう例外的な救済として発達してきたのではないかと私は推測する。これはむろん反対の見解がありますが、推測するのであります。ところが、これはこの法案では明白にそれとは違った角度から規制していこうということであります。私ども考えから見れば、それはわかりにくいということはさっき申し上げた通りであります。  この法案の無効確認訴訟の基礎になっておる考えには、無効ということがあまり主張され過ぎて乱用があるから何とかこれを規制しよう、しぼっていこうという考えがあると思うのであります。これは一応わからないことはないと思うのでありますけれどもわが国において無効確認訴訟が出てこざるを得なかったということ、これはやはりわが国国民は何といっても権利の主張にまずいのでありまして、私どもから見て、出訴期間が切れてからあとで無効確認訴訟をするのは歯がゆく思いますけれども、実際にそういう例もかなりある。出訴期間のきめ方が無理であるというようなことから次第に出てきておるのであります。そういう出ざるを得ない理由があったということと、これは裁判例が比較的無効確認訴訟をゆるやかに認めてきたという理由はそれも一つでありますが、いま一つは、無効を前提として現在の権利関係を民訴でやっていくという場合に、その前提となる処分の無効の主張は、これは非常に制限しなければならぬということであります。けれども、そうではなくして無効確認訴訟という抗告訴訟に準ずる訴訟行政庁を被告として、従ってそこでは行政庁意見も十分反映できるような訴訟、そういう中で無効を主張させるということは、これは日本のような国情ではある程度ゆるやかに考えていいということではないかと思うのであります。そこで無効確認訴訟を許すことによって、無効確認訴訟をむやみに許せば法律関係が安定しなくて困るということでありますけれども、もしそういうととが困るということであれば、無効確認訴訟に私は事情判決の規定は適用があると思うのであります。そういう場合に処分を無効とすることが、明らかに公共の福祉に適合しない場合には、事情判決で棄却すればいいのでありますから、それだけの手当をした上で行政庁意見も十分参酌し得る特別の手続で、無効を主張するということでありますれば、これはそうしぼる必要はないと思うのであります。  ついでにここで申し上げますけれども、乱訴の弊ということは行政訴訟に関する限り、これは私は大局的には問題にならないと思うのであります。と申し上げますのは、現在まで、これは新憲法下現在までの一審、二審、三審とも通じて大づかみにした事件数は、お配りいただいた資料から見ても、ざっと二万件であります。これは新憲法以来各審級のものを合わせて二万です。ところが私ドイツに行って、あまり十分な調査ではありませんが、ちょっとした調査でも、たとえば東京の人口に匹敵しておるバイエルン、これ一州でも、一審の受理件数が六万くらいあるのです。それは一つのラントでそうです、全国では大体約三十万件というものがあるのであります。わが国ではこういうような段階にあるのでありますから、およそ乱訴ということは行政訴訟の場合に問題にならないと思うのであります。従って、もし乱訴というようなことから何かしぼらなければならぬということでありますれば、それはやはりいろいろ考えなければならぬのじゃないか、こう思うのであります。  それからもう一つ、ついでに国民の側から見ると、今無効訴訟を遂行する面からいって多少難点があるのではないかと申し上げたのでありますが、次に、行政訴訟の提起について被告を何人にするかという問題があるのであります。これは処分庁主義、訴願の裁決を経由した場合でも前の処分庁を被告としろ、こういうことになっております。これにつきましても今までの従来の裁判では、いずれかというと原処分庁でも上級裁決庁でもいずれでもいいということになっておったと思うのであります。それは処分というものは必ずしも原処分だけで最終的に形成されるものではないのであります。訴願の裁決が加わって、それがプラスされて最後に行政処分が形成される。そういう意味では上級行政庁処分に関与した行政庁、こう言えるのではないか。これが今の根拠でありますが、それよりも何と言いましても国民の気持から見れば上級行政庁にまで持っていって争った、最終的な責任者までいって争って、訴訟になったならばその親方の方を相手にしたいというのが、やはり国民の気持じゃないか。それはある意味国民の気持にも合致すると思われるのに、なぜここで処分庁に切りかえられなければならなかったか、この合理的理由がどこにあるかということを私は疑問にしておるところであります。  最後に内閣総理大臣異議、これは猪俣参考人が言われましたので、大体私も全面的に賛成で、あまりつけ加えて申し上げることはありませんのですけれども、私、この意味のこの規定理論的効用ということは、これは実はわからないわけではございません。行政権司法権の対立の中で、この処分だけは総理大臣が責任を持ってどうしても効力をとめてもらわなかったら、どうなるかわからないから、これは一つおれの政治的責任でやらせてくれという場合に、政治的責任を負わぬ裁判所が引き下がらなければならぬということは、そういう場面があることは私は理解できないわけではないのです。また、先ほど長野参考人が言われましたように、行政処分の性質のものだということは、これも認めていいと思うのであります。けれども、まず行政処分だから行政庁がチェックしていいということを言いますならば、これは仮処分はいかがでしょうか。仮処分も本来的には行政処分でありますから、これを行政庁がチェックしていいということになれば、これは直ちに憲法違反の問題にかかってくると思うのであります。つまりある本来の司法作用を保護するためにある範囲の付属作用は、実質的な司法作用の中に含まれなければならぬ、こういう考えが出ておるわけであります。同様のことを申し上げますれば、これは行政訴訟というものは裁判所の管轄として認められた救済制度であります。この権利救済というものが形式的にのみならず実質的に保護されなければならぬ。実質的に保障されておるということでありますれば、付随的にこの処分をとめておかなければ行政救済が全うされないのだという裁判所の認定で執行停止をするというのを、行政庁でしいてチェックするということ、これはやはり違憲の問題か何ほどか介在しておるのじゃないか。最近における若い学者の見解の中にもそういうものが見られると思うのであります。今直ちにこれは違憲だというふうに言い切る自信がありませんが、少なくとも妥当ではないと思うのであります。それからその行政権司法権の大きな場面で政治的責任を負わない裁判所は引き下がらなければならない場合があるということは理解できると申し上げましたけれども、実際問題として、はたしてそういうことがあっては困るのでありまして、と申しますのは、振り返ってみますと、これはどういうことからこういう規定ができたかと申しますと、これは占領軍がいました時代の、御承知の通り平野事件を契機として出てきたわけであります。その当時は行政権と申しますか、実は行政権の背後にいましたところの占領軍という強大な権力が、そういう行政権の衣をかぶって日本の荒っぽい改革を執行したという時代であります。そういう時代には何と言っても裁判所の存在がじゃまになるのであります。そういうところで、初めてそういう背景でこの規定ができたということはよくお考え願いたいと私は思うのであります。ところが、今そういうことはなく平穏の状態に立ち返りまして、民主主義はルールに乗るということでありますれば、そういう懸念が再び起こっては実は困るのであります。でありますから、そういうものが起こるからということは、これは一応もっともらしい理屈には聞こえるのですけれども、かえって乱用の危険こそあれ、実際は必要ではない、あっては困るのだ、こういう感じがするのであります。実際に過去における旧法のもとでの運用を見ておりましても、私どもどちらかというと、やはり乱用ぎみじゃなかったか。と申しますのは、それを発動すべからざる場合に執行停止異議を発動したという意味乱用であるのみならず、その執行停止を発動する手続についても問題があった。というのが、内閣総理大臣異議は述べることができるというようなことがあるのでございますが、実際は、内閣総理大臣の下僚が異議を述べること、こういうふうなセンスで理解されておりましたし、また、そういうセンスで運用されておったと思うのであります。裁判所もまた行き過ぎという面があったことは否定できないと思うのであります。けれども、問題は、裁判所乱用がおそろしいのか、行政庁乱用がおそろしいのかという問題であろうと思います。私は、やはり、何といっても、おそろしいのはどちらかと言えば、裁判所は、——限界が狭いので申しわけないのでありますけれども、どこまでも国民権利と公共の福祉以外のほかのことは考えない、全く理性に従って行動する善意の職員。そういう者の判断に乱用という点を感じるのか、それ以外の行政庁の側に乱用を感ずるのか、こういう問題であろうと思うのであります。こまかい議論は抜きにいたしましても、何といっても、先ほど申し上げました行政権司法権に対する不信、非常にこれを現わしておるのではないかと思うので、行政権司法権を何とか戒めようという思想もあるいはここにあるのではないかと思うのであります。そういう思想があればこそ、行政庁のメンタリティーというものがそうであればこそ、この規定を根強く残さなければならないという考え方が出てきたのであります。ということは、それだけやはり、そういうメンタリティーが望まれる限り、乱用の危険がそこにあると、私は非常にまゆつばを感じるのであります。こまかい議論は抜きにして心、一体、司法国家、民主国家ということで、こういう裁判所に、総理大臣が一般的に裁判所処分に対して異議を述べるというようなことがあっていいものか。おそらくこれほど広く認めた例はほかの立法例にはないのであります。アメリカあたりでは、大統領に対してインジャンクションができないということはありますけれども、大統領の下僚に対してインジャンクションができないということはないと思う。これほど広く認めるのはまずあまりないのではないか。そういう意味合いでは、諸外国にこの法律の翻訳が出れば、これはおかしな法律だとしてあるいは笑われはしないかというような感じすらするのであります。従いまして、ほかの点はともかくといたしまして、この総理大臣ということについて、やはり私は最も問題があろうかと思います。
  78. 坪野米男

    ○坪野委員 三参考人から非常に有益な御意見を披露していただいて、特に非常に専門的な点にわたる御意見があって、われわれも必ずしも十分に理解のできない点もあるわけでありますが、時間の関係もございますから、要点だけ伺ってみたいと思うわけであります。  三参考人ともに、現行法よりも本法案の方が前進をしておる、特に、白石さんは、数等前進しておると言われる。私は、現行法と本法との比較において、なるほど規定が整備されておる、また、解釈疑義が解明されたという点において改正されておる点、特に先ほどの猪俣参考人が指摘されたような点について改正がなされておるということは認めるわけでございますが、しかし、実質的には、国民権利救済という立場でもろ手をあげて賛成をする改正といえば、専属管轄の規定廃止されて通常の管轄の規定になった、この一点だけじゃないか。その他の点の改正部分は、必ずしも明文規定をもってしなくても、現在の解釈、特に最高裁判所下級裁判所判例等において大体認められておる判例解釈があるのであって、それが立法として明確化されたにすぎないのではないか。必ずしも明文規定がなくても、大体そういう解釈裁判が行なわれてきたのではないかと考えるわけでありますが、この点白石さんに伺います。今猪俣さんが指摘された改正点のうちで、明文規定がなければ判例上——両説ありますから学説はよろしゅうございます。判例上明文規定をここに置かなければ困るんだという改正点が、今の管轄の規定を除いてあるかどうか、その点お教えをいただきたいと思うのです。
  79. 白石健三

    ○白石参考人 ちょうちんを持つような意見は言えば幾らでもあるのでありますが、それはあまり言わない方がいいだろうと思います。現に非常に技術的な問題でややこしい問題があるのでありますが、現行法では、訴願裁決のあった場合、原処分取消し訴えでも、それから裁決の取消し訴えでも、いずれも出訴できる、両方が出訴できる。その二つの訴え関係の処置をどうするか、というごちゃごちゃした問題があるのであります。これは見事に解決しておるわけであります。一例をあげればそういうことがございます。具体的におっしゃればお答え申し上げます。
  80. 坪野米男

    ○坪野委員 そのように具体的に指摘してもらったらいいわけなんで、今のように規定の明確化によって権利救済が前進したという規定もあるかもしれないのですが、先ほど猪俣さんが指摘された中で、必ずしも明文規定を待たなくても解釈判例でその通り行なわれておるという規定もあるのではないか。その規定の例示をお願いいたしたいということなんです。あれば、一点でもけっこうです。
  81. 猪俣幸一

    猪俣参考人 私が意見を述べたのですから、白石判事に批判をしていただいた方がいいかと思いまして、私、原稿を白石判事に上げたのでありますが、私から申し上げます。私が先ほどあげましたところは、おおむね本法によって達せられる点でございます。たとえば、あの四十五条の私法上の法律関係において行政庁を参加させるということは、現行法では不可能であります。民事訴訟の形でこの国民がひっぱり出される場合に、行政庁の援助を法律上得られるということは、たとえば、農地改革において農地を取得した旧小作人諸君等にとりましては、それだけでも大いなる利益であると考える次第でございます。
  82. 坪野米男

    ○坪野委員 四十五条は私もよくわかりました。そうすると、先ほど指摘されたものは、全部明文規定で初めて権利救済がなされた、こういうように承っていいわけでございますね。
  83. 猪俣幸一

    猪俣参考人 必ずしもそうではございませんけれども、少なくとも裁判官というものは保守的なものでございますから、不作為違法確認訴えというごときものも、裁判所の方から進んでこういう訴えの形式を認めて行政庁に対してどんどんそういう不作為違法確認訴えというものを受けてやるか、これはきわめて疑問であります。白石判事のようなドイツに行って行政訴訟を勉強してこられた方は勇敢におやりになると思いますが、私もアメリカにやらしていただきましたけれども、大多数の内地におりますところの裁判官にとりまして、新しい形の訴訟を認めていくということは大いなる勇気が要るのでありまして、その意味におきましても、本法案日本行政訴訟の分野におきまして一歩進めたところの価値を有するものであると確信いたします。
  84. 坪野米男

    ○坪野委員 よくわかりました。その点そのように伺っておきますが、本法案の中で現行規定よりも国民権利救済という立場からすれば一歩後退しておる、憲法の精神からすれば一歩後退しておるのではないかと目される規定も相当あると思うわけでありまして、先ほどから指摘になりました、二十七条の総理大臣の異議規定なり、あるいは出訴期間の短縮の規定、その他一字一句検討いたして参りますと、これは字句の違いだけで解釈上は現行法と同じであるのかもしれませんけれども、私が一字一句検討してみた中で、ほかにも若干後退しておる点があるのではないか、このように感ずるわけでありますが、特に今問題になっております総理大臣の異議あるいは出訴期間の短縮の規定、そういった点が明らかに国民権利救済という点から後退しておることは、参考人も長野さんを除いてお認めのようであります。私は、先ほど白石さんの序論の部分でありましたように、この行政訴訟法案の大体の方向が、やはり憲法の精神に逆行している面が出てきておる、その立法の姿勢において行政権優位の思想が相当出てきておるのではないか、一部で改正法案を出して、それと抱き合わせに、便乗して改悪の規定が相当出てきておるという感じを非常に強くするわけでありますが、そういう今の司法権をチェックする、あるいは国民権利救済という点にブレーキをかけておるというそういう法案の方向を白石さんはお認めのお感じのようですが、同じ司法部内における実務家としての猪俣さんは、改正点は別といたしまして、今そういうお感じを持たれるかどうかという点をちょっと伺いたい。
  85. 猪俣幸一

    猪俣参考人 ただいま御質問になりました点を総括的に申し上げますと、私は、本法案行政訴訟の分野において後退とは考えられないのであります。ただ、一点、最高裁の判例において認められております行政処分の無効確認の訴えを制限している点が、現在よりも国民権利救済の面において狭くなっていると私は解釈しておるのでございますが、その一点を除いては、少しも現在の行政事件訴訟特例法より後退しているところはございません。ただいま御指摘になりました内閣総理大臣異議については、現行法にあるのでございまして、それをむしろ、国会の常会に対して、異議権を行使した場合には報告せよという国会優位の思想を表わして、その面におきまして内閣総理大臣がある意味国会からチェックを受ける、こういう規定すら入っているのでありまして、私は、先ほども申し上げましたように、この法案立法に当たられました行政当局におきまして憲法の精神に逆行しているというような点はいささかも認めておりません。私は、実は理論的な方面は弱いのでありまして、当委員会にお呼び出しを受けましたことを光栄に存じまして、学者の意見も、たとえば「ジュリスト」に出た意見、それから民商法雑誌に出た南博方氏の意見、大石義雄氏の意見等を当委員会に参ります前に読んで参ったのでありますが、いずれも、そういう学者の意見によりましても、本法案現行法より後退であるという意見は出ておらないように見て参りました。
  86. 坪野米男

    ○坪野委員 私も若干の法律論文を読んでみたわけでありますけれども、二十七条の総理大臣の異議規定ですね。この点について、最高裁判所判例では、執行停止の決定があった後においては異議申し立て権がないのだという有権解釈と申しますか判例が出ておるわけであります。一方、法務当局は、解釈上、最高裁の判決が出た後にもそういう見解をとっておるのだ、それをここに明文化したにすぎないのだ、こういう説明でございますけれども、いやしくも最高裁判所で、この文理解釈あるいは異議制度立法の精神からして、決定があった後においては異議権がないのだ、こういう解釈が出た後においても、このように異議権があるという規定が設けられたことは、国民権利救済という立場から言って、現行の総理大臣の異議制度から一歩行政権優位の制度に改悪されたと私は思うのです。また、司法権に対する行政の介入という、好ましくない、違憲の疑いもあると私も考えていますが、そういう制度に改悪されたということが言えるのではないかと思うのでありますが、これが現行法と全く同じだというお考えかどうか、今度は白石さんに一つ伺いたいと思います。
  87. 白石健三

    ○白石参考人 これは規定全体で総合評価で申し上げておるのでありまして、なるほどその面だけをとればそういうことになると思いますが、執行停止に対する異議は、最高裁の判例によれば、決定の前にやらなければならないのだ、後にやるのはいけないのだ、その面だけをつかまえればそういうことになると思います。ところが、今の二十七条では、さらに抗告というような不服申し立て制度が認められておるのであります。それでありますから、一審でかりに間違って執行されても、抗告手段で十分裁判所を反省させる機会もあるし、それがまた裁判所にとっても望ましいと思うのでありまして、かれこれ総合いたしまして、これはそういう意味では、規定自体では後退とまで言うのは行き過ぎではないか、こういう感じはしております。
  88. 坪野米男

    ○坪野委員 そうしますと、もう少しお尋ねしますが、第二項の、「前項の異議には、理由を附さなければならない。」、こういう規定がございますが、これは効力規定でありましょうか、単なる訓示規定でありましょうか。すなわち、理由を付さなければ異議の効力が生じないと理解すべきか、理由をつけなくても異議さえ出せばそれでいいんだと理解していいのか、その点お尋ねいたします。理論に強いだろうと思われる白石さんにお尋ねいたします。
  89. 白石健三

    ○白石参考人 私は実は実務家でありまして、理論ははなはだ弱いのでありますが、これはやはり、理由を示して申し立てなければ今度の規定では無効だ、こういうふうに考えております。
  90. 坪野米男

    ○坪野委員 現行法では、理由を明示しなければならない、こうなっておるわけです。ところが、この法案では、「理由を附さなければならない。」となっている。これは効力規定だということは浜本局長の提案理由説明の中にもあるわけです。ところが、第三項の、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれのある事情を示すものとする。」、この規定は単なる訓示規定だ、こういう逐条解釈を法務当局も解釈しておられるのですが、私もそうだろうと思う。その規定の全体の趣旨からそのように解釈すべきだろうと思うのでありますが、今の白石さんの御見解ですと、三項も効力規定であるということになろうかと思う。何か最高裁判所判例なり、あるいは下級審の判例では——下級審の場合は、もちろん現行法ですから、理由の明示を欠けば異議の効力がないという下級審の判例がございますが、現行法判例から判断して効力規定であるという解釈が最高裁判所まで行って通る見込みがあるかどうかという見解をお尋ねしたいと思います。
  91. 白石健三

    ○白石参考人 それは最高裁の御判断によることでありますから、私からは何とも申し上げられないのであります。私ども限りで言えば、三項だけを取り出すのではなくて、二項と三項と相待って、裁判所を納得せしめるに足る理由を示さなければならない。従って、裁判所から見て、全く抽象的な理由で何のことかわからぬということではだめでありまして、少なくともその限りでは無効だということは言えると思います。
  92. 坪野米男

    ○坪野委員 そういたしますと、この逐条説明にある見解は誤りで、今白石さんのおっしゃったように、二項、三項が一体となって具体的な事情を示した理由が付されなければならない、その意味現行法と同じ規定である、こういうように伺いましたから、その通り伺っておきましょう。
  93. 白石健三

    ○白石参考人 どの見解が誤りであるということは、これはちょっと言えないのでございまして、いろいろ見解もあるのであります……。
  94. 坪野米男

    ○坪野委員 あなたの見解でいいんですよ。
  95. 白石健三

    ○白石参考人 私個人としてはそう解釈しているということでございます。
  96. 坪野米男

    ○坪野委員 そのように法律家の間に疑義があるわけでありまして、私はやはりこれは後退だという見解でして。浜本局長の見解と大体同じ解釈をしますがゆえに、後においてもできるという規定は、やはり後退していると考えるわけでございます。  さらに、第六項の、総理大臣はやむを得ない場合でなければ云々とありますけれども、このやむを得ない場合の認定権者は総理大臣なんですか。司法裁判所が認定するのじゃないわけですから、必要なときは、欲するときはということとあまり違わない。厳密に言えば違うかもしれませんけれども、そう法的に異議をしばるという、法的な効果は薄いのではないかというように考えております。特に、常会における国会の報告、これも、ただ政治的に国会の監督を受けるというか、その程度の政治的な効果であって、法的に何ら効果を持たないものでありますから、その意味において、司法権に対する介入、内閣総理大臣にオールマイティが与えられているという意味で、この条文の規定をつぶさに検討すれば現行法よりもやはり後退しているのじゃないかという見解を私は持っておるのですが、今の白石さんの御見解は別として、猪俣さんの御見解はいかがでございますか。
  97. 猪俣幸一

    猪俣参考人 私は、この「やむを得ない場合」というものの認定権が総理大臣にあるということは、これは疑いないと思いますけれども、いやしくも現行法において総理大臣の介入を許しているのでありますから、その点におきまして現行法よりも後退であるとま  では言えないのじゃないかと思います。司法権に対する介入ということは、この規定全体として内閣総理大臣異議ということを国会で慎重に御検討相なりたいと申しておるのでありまして、私はこの総理大臣の異議規定を全体として賛成いたしているのではございませんから、そういう点におきまして、全体として私の意見をお聞き取り願いたいと思います。終わります。
  98. 坪野米男

    ○坪野委員 わかりました。私は全体をよく理解しているのですが、現行法との比較で客観的に見ればやはり後退したのじゃないかという見解を持っておったから、お尋ねをしたわけであります。その点は議論になりますからその程度にします。  もう一点だけお尋ねしておきますが、出訴期間規定を短縮しておるわけでございますが、現行の六カ月を三カ月にしておる。その理由としては、外国の立法例も非常に短期間だ、あるいは行政の安定を早くはかりたいというような理論もあるようであります。あるいは特別法で短期の出訴期間規定が定められてあるから、同じことだからというような理由が述べられておりますけれども、やはり、国民権利救済という観点からすれば、三カ月に短縮されるということは苦痛ではないかと思うわけであります。現在、全国の裁判所において、行政訴訟の得意な専門家ばかりでもない、通常の民事裁判官事件の少ないところは行政事件を担当して勉強しておられるところもあるわけであります。同時に、弁護士も、行政事件専門の弁護士といえば、東京、大阪、ごく限られていると思うのであります。そういう地方で弁護士に相談したという場合は、法律のイロハから勉強し直すという弁護士も確かに私を含めてあるのでして、そういう意味で、三カ月という期間が非常に短期間で、なかなかその間に訴訟準備ができないという実情もあると思うのです。  それから、処分を受けて非常に不服で、特に政治的な争いとかあるいは明らかに権利侵害だということで、直ちに相談をして反撃に出る、訴願なり訴訟に出るという場合もございますけれども、また、一面、処分を受けて、これは違法だ不当だと思うけれども、はたしてそういった訴えの道があるのかどうかということを迷っているうちに二、三カ月経過してしまうという例も、私は幾らもあると思う。私も事実経験しておりまして、そういった期間の切れたのを理屈をつけてうまくいった場合もありますけれども、そういう例がたくさんあると思うわけです。現在の不備訴願制度行政不服審査法案が若干整備されておりますけれども、あの場合は訴願の提起期間の教示義務というものが規定されておりますが、私は、訴願の提出期間の教示だけでなしに、こういった出訴の場合においても、出訴期間の事前の告知の制度が確立されでなければ、やはり現行の六カ月ということで出訴期間をとどめておかないと、やはり国民権利救済という点からは、支障を来たす場合があるのではないか。——全部が全部とは言いません。そういう意味で、私は、やはりこれも、現在の行政訴訟の処理状況その他から言って、三カ月と六カ月といえば五十歩百歩だと思うのであります。そういう意味で、処分があって三カ月以内にその処分を法的に確定させなければならない、六カ月ではむずかし過ぎるのだというような、三カ月と六カ月の間にそれほど実質的に区別する理由はないと思うわけでありまして、そういう意味現行の六カ月が妥当ではないかと私は考えるわけでありますが、この点について、どういう理由で三カ月が妥当だというようにお考えになりますか。お二人のどちらからでもけっこうですから……。
  99. 白石健三

    ○白石参考人 おっしゃることはまことによくわかると思うのであります。先ほど私もちょっと触れましたように、これは外国と日本ではやはり若干事情が違うのであります。何しろ年間通じて三十万件の出訴があるというのと、新憲法以来たった二万件というのとでは、同じようにはできないと思います。従いまして、私は、そういう意味から三カ月という点については一抹の疑問は確かにあると思います。従いまして、もしもこの規定だけを取り出してそれだけにピントを合わせて申し上げるなら、それは後退だと言えないことはもちろんないと思います。けれども立法というものは、これは私が申し上げるのは非常に言い過ぎかと思いますが、諸要素の比較考量、妥協の問題だと思います。こういうふうに三カ月にきめるについては、立案当局でもいろいろ考えられたわけでありまして、長くしておくと短くする特別法がどんどん出てきて、かえってその意味がなくなるという、そういう要素もあると思います。それから、一方では、その手当をして、無効確認の訴訟を正面から認める、こういう手当もしておるのであります。そういたしまして、かれこれ総合いたしまして、現在では十年たったのですから、立案当局がこのくらいで妥当であろうという場合に、立案の直接の責任者ではない、政策決定の直接の責任者でない私どもといたしまして、総合的に言って、これがどうしてもいけないのだ、この点でケチをつけて葬らなければならぬというふうな判断は遠慮したいと思うのであります。
  100. 坪野米男

    ○坪野委員 大体終わったわけですけれども、私も、この法案に全部反対をしてケチをつけよう、葬り去ろうということでなしに、この法案のうちの、憲法の精神から言って国民権利救済に欠くるところがある、後退する点があれば、いかなる修正をすればよいかという観点から、いろいろしさいにわたってお尋ねをしたわけでありますが、まだお尋ねしたい点もございますけれども、時間もございませんので、また別の機会に別の方からお尋ねをしたいと思います。  一応これで私の質問を終わります。
  101. 河本敏夫

    河本委員長 松井誠君。
  102. 松井誠

    ○松井(誠)委員 二点ばかりお尋ねをいたしたいと思いますが、先ほど白石参考人訴願前置の問題についてはお述べにならなかったと思いますので、白石参考人にその点についてお尋ねをいたしたいと思います。  実は、けさ三人の大学の先生を参考人にお呼びしましていろいろお聞きしたわけでありますが、三人とも、訴願前置を廃止をしたことについて反対だということであります。その理由は、行政上の能率の問題、現在の日本裁判官に専門的な知識がないんだという、それから、現状は司法裁判所負担が非常に重くなるのだ、そういうことで、訴願前置というものを廃止したということについて反対の意見を述べられた。そこで裁判官でもある白石参考人にお尋ねいたしたいのでありますが、今度国会に出て参っております行政不服審査法案とのかね合いでお考えになりまして、訴願置主義廃止することが——これは行政の能率という問題もわかりますけれども、それと形式的にはやはり背馳する、矛盾をする。国民権利の伸張、救済という問題から訴願前置を廃止したことがいいか悪いかという点を、裁判官の現在の能力という問題にもからめまして一つ意見を伺いたいと思います。
  103. 白石健三

    ○白石参考人 訴願制度のメリットの評価に基づきまして、訴願前置を廃止することは賛成であるということを猪俣さんから言われました。この点は結論を言えば、私ももちろん全面的に賛成でございます。こまかいことをつけ加える必要はないと思うのでありますが、ただ一つ、一番根本的には、日本における行政権司法権の問題といたしまして、行政権処分をして、それから訴願を経て裁判所と、こういう二段がまえの後退した姿勢においていいのかという問題であると思います。アメリカあたりでは行政救済を尽くしてから出てこいという思想があるのであります。そういう意味では、アメリカの思想では、司法権というものは行政権に対して幾らか後退型だということは言えると思うのであります。しかしここはよく考えてみなければならぬと思うのでありますが、この後退するについては、そこに行政委員会というものができまして、その行政委員会の段階で司法的原理が十分に入ってきて、準司法機関ということで正当な手続で国民権利義務が規正されるということになっておりますから、それだけの手当をした上で後退しておるのであります。ところが、わが国の英法の学者はその点を多少見落としたような感じがするのではないか。なるほどエクゾースション・オブ・アドミニストラティヴ・レメディ、これはそれなりの理由があると思うのでありますが、それの前提として行政過程の段階が準司法化されなければならね、こういうことが前提であろうと思うのであります。従いまして、わが国のような、むしろどちらかというと司法権を拡充しなければならないという地位に置かれておることを前提といたしますれば、行政権司法権の限界のもとでは、二段がまえに後退するということは、やはり根本的に疑問ではないかと思うのであります。そういう意味で直接出訴できるということが何といっても望ましいと思うのであります。それで現在行政不服審査法ができましても、これで十分手続が整備されたわけでありますけれども、問題は——これは言葉がいいかどうかわかりませんが、そのメンタリティというものは一朝一夕に改善できるものではありません。それが長い習熟の結果を経て改善されまして、訴願を経て非常に救済が全うされる。従って、自然に訴願を経て裁判所に流れてくるということになれば、それは望ましいことには違いありませんけれども、今規定が整備されたからといって、直ちにその感情のメンタリティというものが改正されるとは思わないのであります。そういう意味合いからいえば、いましばらくと申しますか、さしあたりは訴願前置を廃止することは原則として至当であると信じております。
  104. 猪俣幸一

    猪俣参考人 ただいま御質問になりましたうち、白石参考人のお答えにならなかった裁判官行政法の専門的知識なしという一点について、私から答えさせていただきたいと存じます。  実は最高裁判所の事務総局に行政局というところがありまして、白石参考人はそこの第一課長を長くお勤めになっておったので、この行政局の一般裁判官に対するサービスというものは大したものであります。まず全国の行政事件の判決のうち、目ぼしいものを行政事件判例集として毎月発行しております。第二には一年間にまとめて行政訴訟年鑑というものを発行しております。第三には過去十年間行政訴訟のいろいろな判例をまとめて解説をいたしました行政訴訟十年史というものを発行しております。この行政局のそういう書籍におけるサービス、それから行政局では毎年一回全国の行政裁判官の合同をやっておりますし、それから毎年一回各高等裁判所管内でブロック会同という行政事件裁判官会同をやっております。いずれも二日ずつやっております。実は私は白石君よりも年をとっておりまして、昭和五年の司法官試補でございますので、少し年がとり過ぎておりますが、終戦後に初めから行政訴訟に接しました若い裁判官行政訴訟における関心というものは驚くべきものがございまして、私は今裁判長をしておりますが、両陪席はいずれも終戦後の裁判官でありますゆえに、私どもよりも一そう興味を持って初めから行政訴訟を勉強しておるのでございます。そうしてそれに行政局のこれだけのサービスがありますから、理論の上で学者諸君が勉強をしておられるよりも、実務で鍛えられてくるところのこれからの若い裁判官行政訴訟の処理能力というものは、期して待つべきものがあると思うのであります。最高裁判所のサービスにつきましては、最高裁判所の事務当局から資料をおとり下さいましたら驚かれると思うのでありますが、私の友人で、最高裁判所からもらう資料をしまっておいたところが、貸家なものですから根太が抜けたという人がございます。とにかくそれだけの資料かありますと、たとえば私がこういう委員会に呼ばれるというようなときも、私は実はきょうは原稿を書いて参ったわけでございますが、この原稿を書くのに最高裁判所からいただいておる資料を縦横に使って書いたような次第でありまして、裁判官、ことに若い裁判官行政訴訟における専門的知識がないともし学者諸君がおっしゃるとすれば、まことに学者諸君の認識不足があると思います。ただし私どものような年をとった裁判官はよほど勉強しなければ、むしろ若い人に追いついていけないという状況にあることもまた率直に告白いたします。
  105. 白石健三

    ○白石参考人 今猪俣参考人から言われたが、私、ちょっとお答えが落ちましたので申し上げますが、行政訴訟に関する限り、何しろ私のおります東京地裁の民事第三部で年間百五十件くらいのものですから、負担過重ということは、行政訴訟だけにピントを合わせていうならば、それは問題にならないと思います。裁判所全体の負担過重ということでありますれば、これは確かに負担過重でありますが、行政訴訟ということだけから見ますれば、訴願前置ということから、あるいは乱訴があるから負担過重だ、これは少なくとも私どもはあまり問題にしなくてもいいように思っております。
  106. 松井誠

    ○松井(誠)委員 私も実は確信がないのでありますけれども、やはり今のお二人のように考えるのがほんとうではないかと思う。それで猪俣参考人が先ほど言われたように、いわゆるサービス競争をやるという形で直接出訴をするという道も残しておくという方法の方が、現在の日本の状況にはやはり一番合うのじゃないか、このように思うわけです。専門的知識の問題につきましては、今実情を伺いましたし、それから裁判官負担の過重という問題については、けさの議論では、現在のような行政事件の数は将来もっとどんどんふえるに違いない、当然ふえなければならないし、ふえるに違いないということを前提にしたお話でありましたけれども、しかし、それは予算の措置の問題、運用の問題であって、根本的な問題でもないわけです。むしろ問題は、能率という点ならば、なるほどその通りであろうと思いますけれども、しかし少なくとも今の日本の現状を考えるならば、能率よりもやはり権利救済、民主化ということの方に重点を置くべき現在の段階だということを考えますと、訴願前置というものを廃止をしたことに、私はむしろ前進的な意義を認めるべきではないだろうかという考え方を持っております。  そこで、その点はそれといたしまして、あと一点だけ、総理大臣の異議権について、実は長野参考人にちょっとお尋ねをいたしたいのでありますが、先ほど白石、猪俣参考人からのお話のように、この制度そのものが元来平野事件といういわば占領下の異常な事態を契機にして生まれた、そういう暗いおい立ちを持っておるわけであります。そして配っていただきましたこの内閣総理大臣異議陳述に関する資料を拝見いたしますと、行政協定関係の特別措置法に基づくものが五件占めておるようであります。そうしますと、行政特別措置法関係行政事件の数からいいますと、おそらくこの総理大臣の異議のパーセンテージというものは、一般行政事件に対する異議のパーセンテージよりも、はるかに多いんじゃないか。やはりおい立ちがそうであったその尾を引いて、この制度そのものが、実は日本とアメリカとの関係におけるそういう暗い関係、そういうものに役立っておるという面もあるのじゃないか。そういうことを考えまして、そしてさらに、先ほど白石参考人から、現在までの制度としても少なくとも乱用の気味があったと思う、そしてそういういわばメンタリティが残っておる限り、こういう国会のコントロールとか、いろいろなことをやっても、必ずしもそれは多くを期待できないのではないかという御議論もありましたが、そういうことをお考えの上で、やはりこの異議権は存続してしかるべきであるとお考えになるかどうか、お伺いいたしたいと思います。
  107. 長野潔

    ○長野参考人 私は、この総理大臣の異議権は、数から言いましてもそうたくさんでないので、ひどく乱用されているとは思わないのでありますが、実は裁判所にも秘密であるという国家秘密というようなものがあるのじゃないかと考えるわけです。そういう場合には、異議を述べなくてもいいんだ、裁判所にまかせておいていいんだといっても、その秘密を裁判所にあかし得ないような場合の問題を考えますと、やはり異議権が要るのじゃないか。そうして今度の場合は、国会に報告しなければならぬといわれておりますから、国会では秘密会なりなんなりで説明されるでしょうし、こういうものを認めておいた方が妥当だと考えるのであります。その意味におきまして、先ほどの異議には理由を付さなければならないという、この理由というのは、必ず付さなければならないものだと思いますけれども、二項の異議理由において処分の効力を存続し云々というのには、これはこういう秘密なんだ、秘密で言えないのだというようなことであっても差しつかえないのじゃないか、かように考えておるわけであります。そういうものは、従って乱用しちゃいけないということは間違いないのでありますから、非常にしぼって、「総理大臣は、やむをえない場合でなければ、」という、このやむを得ない場合というのは、総理大臣が自己の政治責任において考えるべきことであろうと思うのです。先ほど白石さんは、総理大臣が異議を述べるんじゃなくて、下僚が異議を述べるんだ、こういうふうにおっしゃるのでありますが、下僚というのは、要するに総理大臣の手足でございましょうから、その総理大臣が全然異議を述べないで、それから停止は自由にできるのだ、裁判所は、判事はそれほどわからぬものではないから、そういうのは停止しないであろうということはもちろん考えております。裁判官が間違った停止をやるとは考えません。しかし間違ってやらないとも保証ができない。こういう場合の救済は、やはり現在のような制度をもう少ししぼった形で存続する方が妥当である、私はかように考えますから、これを存続した方がいい。しかも、前の規定よりも今度の規定の方が総理大臣のくぐり方が強いのだ、かように考えております。  なお、一ぺん停止が出たならば、現行法では異議を述べても取り消さないのだ、こういうふうに判例はなっているようでありますけれども、この判例も、なかなか今の判例はよく変わりますので、これがもう確定不動のものだとは考えておりません。従って、異議申し立てを確定不動なものだとは考えておりませんし、また停止決定が出た後に異議があった場合に、ほかの条件を考慮してというようなごまかし的な裁判によって停止決定を破るということでなく、出たらもうしょうがないのだ、こういうことの方がいいのではないかと、かように考えております。
  108. 松井誠

    ○松井(誠)委員 議論をする気持は毛頭ございませんけれども、今の異議権が必要だという理由として、国家行政上、政治上の秘密という問題を言われたので、お伺いをいたしたいのでありますが、軍事上の秘密というものは今ないわけでありますし、あるいはよく政府は、今外交は折衝中だから秘密だと言いますけれども、しかし話がきまってしまえば、秘密だといって国民に対して隠さなければならぬということはないわけであります。そうしますと、具体的にどういうことをお考えになっておるかよくわかりませんが、たとえば現実に今までどういうことがあったのか、あるいはどういうことを現実にお考えになってその秘密という言葉を使われたのか、一つお教え願いたいと思います。
  109. 長野潔

    ○長野参考人 別に具体的な問題を考えたのではございません。ただ要らぬじゃないかと言われれば、そういうことが想像できるのではないかと、かように申し上げたわけであります。
  110. 松井誠

    ○松井(誠)委員 それではよく納得できませんけれども、次に、一点だけちょっと猪俣参考人にお尋ねをいたしたいと思います。  先ほど無効確認の問題で、これを制限するようになったのはいけないのだというお話でありましたが、この法律が運用されていくようになって、いわゆる義務づけ訴訟といいますか、あるいはそういう給付を求め、あるいは不作為を求めることを義務づけるという訴訟が、この法律の施行によって一応閉ざされるというようにお考えか、あるいは閉ざさるべきでないというお考えか、その点を一つ承りたいと思います。
  111. 猪俣幸一

    猪俣参考人 実はその点なんでございますが、これは私どもの同僚に相談をいたしまして、そういう義務づけ訴訟というようなことは第三条の抗告訴訟の中には出ておらないので、との第三条の四つの類型以外の抗告訴訟がこれから起きてくるというものが一体予測されるであろうかどうかという問題を、私は議論して参ったのでございます。それに対しまして、実はいただきました提案理由説明等には、これは限定する趣旨でないということがはっきり書いてありますし、「ジュリスト」に出ました立法に当たられた方々の座談会でも、これは「ジュリスト」の二百九号、二百十号に出ておりますが、これは限定する趣旨じゃないのだということを繰り返して言っておられるのでありますから、これは国会の御審議を通じまして、今後この法律の運用に当たりますところの裁判官に相当の影響があるものであると私は考えます。つまり立法趣旨ということで裁判官に影響はある。しかし、一体これ以外の類型の訴訟裁判官は——義務づけ訴訟というのはこの類型以外の訴訟でございますから、類型以外の訴訟裁判官は認めるであろうかどうであろうかという予測の問題になりますと、私は、これに書いてなければ、裁判官としてそういう新しい形の訴訟を認めるというまでに踏み切る若い裁判官があるかもしれないけれども、その点ははなはだ疑問であって、もし国会におかれまして、そういう義務づけ訴訟というのは、いただきました西ドイツ行政裁判法の中には入っておりますが、ああいう訴訟を置いた方がいいというお考えでありましたならば、国会において御修正相なる方がよろしかろう。立法趣旨からいえば限定されないにしても、裁判官がそういう新しい訴訟をやっていくというためには、よほど何と言いますか、痛切な裁判官に必要が感ぜられなければならないので、それはあの無効確認訴訟についても、アメリカではございませんし、立法当時は、鈴木先生おられますが、予想していなかった訴訟でありますから、その当時法務省の当局では、無効確認訴訟はできないのだということを上告してみようと考えておられたということが、有斐閣から出版になっております行政訴訟逐条解説という本の中に入っております。ところが、あれよあれよという間に下級審で無効確認訴訟裁判が積み重なってしまったので、法務省の当局としてもどうにもできなかった。こう言っておるのでありますから、そのような裁判所が勇敢に新しい形の無効確認訴訟を認めたというようなことが、この法案法律になりましたあとにおいて、私は予測困難でないかと考えております。
  112. 松井誠

    ○松井(誠)委員 終わります。
  113. 河本敏夫

  114. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 私、承りたいと思ったことは大てい尽くされておるようでありますから、そういう点は省略いたしまして、むしろこの法律ができた場合を予想して、運用について、実際家であられる参考人の諸君にお伺いをしておきたいと思う。  ドイツ制度によると、いわゆる名誉職裁判官というものが行政訴訟に対してある。わが国でも、もし行政訴訟が、ドイツほどでなくても、一年に千件というようなことではまことに少ないのでして、おそらくこの法律ができますればずっとふえるようになろうと思いますけれども、実際はやりたいけれどもやらないのが非常に多いのであります。それは私どもが絶えず実務をとっておる間に承知いたしておるわけであります。税務署の職員などは、ちゃんと見込み割当というので理屈を抜きにして税金を取ってくる。合理的にちゃんと、こういうわけで君はこれだけ払わなければならぬというのならば喜んで払うのだけれども、そうじゃない。向こうにはちゃんと割当があって、そしてそれに理屈の方を合わせていこうとするのであるから、少しも納得のできないことでもきびしく取っていってしまう。一つ行政訴訟でもやろうかなと思うけれども、どうもあとのたたりがおそろしい。また費用も相当かかる。何十万、何百万の税金ならやりますけれども、五万違う、十万違うというようなら泣き寝入りの方が賢明だ、こういうようなことでいっておるわけです。それには一つ訴訟扶助のような意味で、刑事裁判においては、たとえば刑事被告人を守るために、あの人権を擁護するために相当の費用を国が出すことを惜しまないならば、やはり私は、行政事件に対してもそういうものがあっていいと思うのでありますが、それは参考人諸君に聞くのは無理でありますが、議会で一つ別に独立した問題として考えなければならぬと思っておりまするが、裁判をやる場合において、行政事務は常識でわかるという坪野君の話もありまするが、そこはおのずから常識でわかるほかに少し専門的なものがあるから、専門的知識を介入させることが必要じゃないか。家事審判ですらも、しろうとを入れるとぐあいよくいく、民事調停も同様、行政についてもそういう知識を活用する道があるならば——ドイツのあの制度はそういうことに役立っておるのであると思うが、白石参考人に承りたいのでありますが、そういう制度についてちょっと御説明を願いたい。
  115. 白石健三

    ○白石参考人 それは実は確かにドイツではそういうことになっておりますが、これはいろいろな諸要素を詳細に紹介した上で検討しなければ、結論は出ないと思うのでありますけれども、大体のことを私から申し上げますと、これはそういう意味で名誉職というものを参加さすということは十分考えられると思うのであります。ただその場合も、これはちょうどほかの例で申し上げますれば、アメリカでも、軍の関係でも、やはり頭どころは文民で押えておくというようなことがやはりいいのだ、そういう意味合いからいたしまして、私、新憲法のもとで行政裁判の主体、中心となるのはやはり裁判官であって、名誉職裁判官ではない。そして名誉職裁判官というものがやはり実質的な意味裁判官を補佐していく、こういう状態でなければいかないと思います。けれども、そういう名誉職というようなものを入れるということは、これは立法として十分考えられると思います。  ただ、これはちょっと今まで御質問がなかったのでありますけれども、実は今の行政訴訟は、旧憲法時代はこれは一審限りであった。これが三審になりまして、もしがんばる気でありましたならば、行政庁がこの三審がんばれば、これは全く国民はくたびれてどうにもならない。ところで、はたしてこの行政事件のようなものは、一般的に言って一審、二審、三審重ねることによって救済されるものか。あるいは、そうじゃなくして、むしろ審級を省略しても、あるいは多少専門家を入れて、そこで早く済む、二審ぐらいで。その方が実質的な救済になるのではないか、こういう問題もあるので、これは将来の立法の御参考までに申し上げるのですが、そういう点もいろいろ考えなければいかぬと思います。
  116. 猪俣幸一

    猪俣参考人 鈴木先生から白石参考人というお名ざしですが、私もその問題を実は研究しておりますから、一言御審議の御参考に意見を述べさしていただきたいのでございます。  実は御存じのようにドイツにはシェッフェンゲリヒトという長い伝統がございまして、参審裁判、しろうとから裁判官をとりまして、それを専門の裁判官と一緒に裁判をさせるという長い伝統がございます。現にドイツの普通の裁判所におきましての商事部なんかでも、商工会議所から推薦されました二人のしろうとの、二年間の任期の裁判官と、それから専門のいわゆる職業裁判官とが一緒になって商事部を構成して商事事件裁判に当たっているという実際がございます。それが行政訴訟の面においても同じ考えが現われているのでありますが、さて日本ではどうでございましょうか。ただいま鈴木先生から家庭裁判所では参与員の制度があるということを仰せられまして、私も高裁におりますときには、新潟からきました家事審判の抗告事件に参与員の意見を聞いております事件がありましたので、参与員の制度が実は高裁におりますときには相当役立っているだろうと思ったのでありますが、一昨年千葉に赴任しまして、いろいろ行政面にタッチをすることになりまして、調べてみますと、参与員という任命はあるけれども、全くの名誉職であって、裁判所に呼び出したことが、千葉では家事審判では一度もないそうでございます。そうして所長に、これは千葉では呼び出していないけれども、これは呼ばにゃいかぬじゃないかと聞いたところが、最高の会同でそのことを聞いたのだけれども、全国でも参与員の制度というのは有名無実、行なわれていないということを、現在の千葉地方裁判所長が私に言っておったのであります。少なくとも千葉では行なわれておりません。従って、日本国民の今までの教養からいきまして、そういう行政事件裁判官をしろうとから、いわゆる行政官から任命して裁判所を補佐させるという制度は、私は日本の現状においては非実際的であると思います。現に東京高等裁判所では、御存じのように海難部及び特許部があります。これは非常な技術的な裁判裁判官がやっているのでありまして、これは実際裁判官ではわからないのでありますから、これに対しましては最高裁判所の調査官を高等裁判所に派遣いたしまして、高等裁判所に常勤させまして、裁判官を補佐させている現状でございます。従って、将来非常な技術的な裁判を、裁判官憲法規定によって最終的な判断を要求される場合には、やはり東京高等裁判所に専属管轄にいたしまして、東京高等裁判所にそういうスタッフをたくさん置く。これは行政不服審査法ができれば、行政の方で、先ほどおっしゃいましたように行政救済を尽くすということが理想的に行なわれることも可能でございますから、そういうことを土台といたしまして、裁判所の方で、今東京高等裁判所でやっておりますような方法をとって解決するということが、日本で一番いい方法であると私は思います。  それから参考人に聞いても無理だろうとおっしゃった訴訟費用の問題について、これは実は私が東京高等裁判所におりましたときに、フランスのコンセーユ・デタ、フランスの高等行政裁判部と申しますか、そこの若い役人が日本の実情を視察に来まして、高等裁判所でだれか日本行政訴訟を聞きたいというので、私がその選に当たりまして、コンセ一ユ・デタの方と、フランスと日本の情報の交換をいたしましたところが、フランスの方では訴訟費用は全然とらない。印紙も要らない。単に申立書を——コンセ一ユ・デタは、御存じのように二審でございますけれども、一審の行政裁判所に出せば、もうそれから後は自動的に手続が進みまして、そうして最後には高等の行政裁判部であるコンセーユ・デタまで行くのだ、その間の費用は一フランもかからないということを言っておりました。ですから日本においても、この行政訴訟の面における救済、これは鈴木先生よく御存じのように、旧大陸系の行政裁判所の流れをくんでおりました旧憲法下の行政裁判所においては、やはり訴訟費用は取らなかったのでありますから、これは今後立法の面において十分御考慮をいただきたいことであると私は考えております。  ただアメリカでは、これは私調べて参りましたが、これは昔からコモン・ローのシビル・アクションの中に、行政に対する不服の訴えが入っておりますために、これはどうしても訴訟費用がアメリカではかかるようになっております。アメリカは金持ちの国でありますからそれでもいいかもしれませんが、それでもアメリカ人は、訴訟費用がかかるということで、アメリカのいわゆるコモン・ピープルはこぼしている次第でございます。わが国の政治がりっぱに行なわれるためには、むしろそういう点において大陸法の制度も、国会におかれましては十分御研究いただきたいと希望する次第であります。
  117. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 猪俣参考人は、鈴木先生と言う、非常に耳ざわりでありますが、ここでは議員とか、委員と呼ぶことになっておりまして、高等学校で特に法学論を習ったといっても、これはもう昔のことであります。  そこで、非常に参考になることを承りました。一種の法律扶助の制度のようなものを設けなければ、行政事件は金銭的な立場も伴うし、争いも相当あるのです。ことにたとえば当選無効訴訟をやりたいといっても、正義の観念が許さないと思っても、自分のために一文も得になるわけではない。そこでこれがただでやってもらえるというならば、相当やろうという人が出るのでありますが、金をかけてまでもやるという者はないのであります。  それから私自身が担当して経験しておるのでありますが、たとえば接収中の損害補償を求める訴え、どうも調達庁のお役人は、できるだけ値切る、できるだけ損害填補をしないことがよき官吏であるというふうに考えておられるようでありますが、驚くべきものです。そこで結局、訴訟裁判所に持ってくれば正当に何千万金ももらえるのですが、話し合いでやるのでは二、三百万円で追っ払われそうである。それでも依頼人は、いや裁判はもうごめんです。十年かかりますから、どうか話し合いでもってできるだけ、二、三百万はあまりひどいからせめて一千万に値上げしてもらいたいなどということがありますが、そういう態度ではどうしても値が上がらない。行政庁の方では、訴訟はけっこうである。何年かかっても、その間だけはわれわれも寿命が続くわけであるから、なるたけやってもらいたいというようなことを言うのでありますが、相手になる方はたまらないから、結局訴訟を避けるということになる。これは非常に重大な問題でありまして、私どもとしては、一つこの立法ができたならば、そういう点についてまた考慮する何らかの対策を講じなければならぬと思いまするが、裁判所においても、そういうことは御了解になっておられることであるかどうか、念のために猪俣参考人に承っておきたいと思います。
  118. 猪俣幸一

    猪俣参考人 ただいま鈴木委員から御質問になりまして、裁判所でも考えておるかという御質問でございますが、私どもも十分考えております。これは高等裁判所におったときでありますが、税務署の公売処分、これは高等裁判所では実は原告を負かしたのでありますが、訴訟救助の申請がありましたので、高等裁判所では負かしたけれども、最高裁判所の判断を受けさした方がいいという考えから、私どもが負けさしたにもかかわらず、訴訟救助を与えた事例が一件ございます。これは現在の民事訴訟訴訟救助の規定からいうと、勝訴の見込みなきにあらざるときという条件がついておるのでありますから、私ども訴訟救助を与えたということは、あるいは法律の四角四面の解釈からは非難のそしりが免れないかと思いますが、私どもはそれ以上に、国民行政機関に対する不服に対して審理を尽くさしてやるということは、現在の日本の政治をよくしていく私どもの手に残された一つの方法であると考えておりますがゆえに、そこはかなり私どもとしては寛容に訴訟救助を与えたいと思っております。まして国会におきましてそういうような特別立法をおやりになるということでございますと、私どもとしては非常にけっこうなことである。私どものやっておることで、法律の明文から見まして多少疑問がある、たとえば選挙訴訟における当事者の被告の変更というような問題、たとえば市町村の選挙管理委員会訴えを起こしたのを、選挙訴訟は最高の判決で、訴願裁決の取り消しを求めなければならぬという規定がございますから、どうしても府県の選管に変更しなければ訴えは却下になってしまう。それであの公職選挙法には、現在の特例法の六条ですか、被告変更の規定を準用するということは書いてないのでありますけれども、私の方で、これは法の精神上準用さるべきものであるということで、県の選管に対する被告の変更を認めまして判決した、東京高等裁判所に勤めておりましたときに判決した実例がございます。少なくとも私の接する裁判官はそのような心がまえで事に当たっておりますから、その点はどうか鈴木委員におかせられましても御安心願いたいと思います。
  119. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 いま一つだけ。今の裁判官の機構、人数、そういうことではたしてこの法律ができた後も間に合うというようにお考えになっておるかどうか。これはどなたでもよろしいですが、白石参考人から一つ
  120. 白石健三

    ○白石参考人 この法律ができたことによってプラスの過剰、そのために裁判所は破産するのではないかということでありましたらば、このためにだけそういうことになるということはまずないのではないかと思いますが、全体的な問題といたしましては、負担過剰であるということは言えると思うのでありますけれども、この法律ができたからということで直接顕著に負担がふえる、こういうふうに私は見通しを持っておりません。
  121. 猪俣幸一

    猪俣参考人 日本の現在の裁判所は非常にアンバランスであります。白石判事の御勤務になっております東京地方裁判所のごときは非常に負担過剰であります。仮処分部のごときは夜の八時ころまでやっておる例を私どもしばしば見ておるのであります。しかし一方、江戸川を渡りまして千葉に参りますと、東京に比べますとずっと負担が少ないのでありまして、この裁判官負担のアンバランスの是正ということは、今最高裁判所の事務当局におきましても鋭意実態調査その他で調べておられるのでございますが、少なくとも現在私の勤務しております千葉の裁判所だけを抽出して述べますならば、この法律の施行によってわれわれの負担が過剰になり、行政訴訟の処理がおくれるということは絶対ありません。
  122. 河本敏夫

    河本委員長 これにて本日の参考人に関する議事は終了いたしました。  参考人各位には御多用のところ長時間にわたり貴重な御意見開陳をいただき、委員会を代表してここに厚く御礼を申し上げます。  次会は来たる六日午前十時より理事会、理事会散会後委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十四分散会