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1962-03-22 第40回国会 衆議院 文教委員会 第16号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年三月二十二日(木曜日)     午後一時十一分開議  出席委員    委員長 櫻内 義雄君    理事 上村千一郎君 理事 臼井 莊一君    理事 竹下  登君 理事 八木 徹雄君    理事 米田 吉盛君 理事 小林 信一君    理事 村山 喜一君 理事 山中 吾郎君       伊藤 郷一君    宇野 宗佑君       小沢 辰男君    小澤佐重喜君       木村 公平君    佐々木義武君       田川 誠一君    高橋 英吉君       中村庸一郎君    花村 四郎君       濱野 清吾君    原田  憲君       松永  東君    松山千惠子君       南  好雄君    杉山元治郎君       高津 正道君    野原  覺君       前田榮之助君    三木 喜夫君       鈴木 義男君    谷口善太郎君  出席国務大臣         大 蔵 大 臣 水田三喜男君         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         文部政務次官  長谷川 峻君         文部事務官         (大臣官房長) 宮地  茂君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     福田  繁君         文部事務官         (管理局長)  杉江  清君  委員外出席者         議     員 山中 吾郎君         大蔵事務官         (主計官)   谷川 寛三君         文部事務官         (初等中等教育         局教科書課長) 諸沢 正道君         文部事務官         (管理局振興課         長)      平間  修君         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 三月二十日  委員高橋英吉辞任につき、その補欠として佐  々木義武君が議長指名委員に選任された。 同日  委員佐々木義武辞任につき、その補欠として  高橋英吉君が議長指名委員に選任された。 同月二十二日  委員池田正之輔君坂田道太君、花村四郎君及  び南好雄辞任につき、その補欠として木村公  平君、佐々木義武君、小沢辰男君及び宇野宗佑  君が議長指名委員に選任された。 同日  委員木村公平君、佐々木義武君、小沢辰男君及  び宇野宗佑辞任につき、その補欠として、池  田正之輔君坂田道太君、花村四郎君及び南好  雄君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 三月二十二日  高等学校生徒急増に伴う校舎建築費に関する  請願宇野宗佑紹介)(第二七一八号)  養護教諭必置に関する請願外一件(小林信一君  紹介)(第二七四二号)  教育予算に関する請願田邊誠紹介)(第二  八〇〇号)  高等学校生徒急増対策に関する請願濱地文平  君紹介)(第二八一八号)  教育委員公選制復活に関する請願外二件(山中  吾郎紹介)(第二八一九号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  義務教育学校教科用図書無償に関する法  律案内閣提出第一〇二号)  学校法人紛争調停等に関する法律案内閣提  出第一二一号)  義務教育学校児童及び生徒に対する教科書  の給与に関する法律案山中吾郎君外九名提出、  衆法第一三号)  教科書法案山中吾郎君外九名提出衆法第一  四号)      ————◇—————
  2. 櫻内義雄

    櫻内委員長 これより会議を開きます。  義務教育学校教科用図書無償に関する法律案義務教育学校児童及び生徒に対する教科雷給与に関する法律案及び教科書法案の各案を一括議題といたします。質疑の通告がありますので順次これを許します。山中吾郎君。
  3. 山中吾郎

    山中(吾)委員 この教科書無償に関する法案について、法案が提案されるまでの経過にかんがみて、この法案立法精神を確認する必要がありますので、大蔵大臣文部大臣両者からお聞きいたしたいと思います。  この法案には第一条において無償にするということは明示はされております。ただ無償にするという基本的な根拠は、憲法二十六条に基づいた、いわゆる義務教育無償にするという基本精神にのっとっておるということは、法案そのものの中には明確に明示はされておりません。そこで大蔵大臣の方では、この法律案立法根拠は、憲法に基づいておるものであるということは明確に答えられるかどうか、それをお聞きしたいと思います。
  4. 水田三喜男

    水田国務大臣 憲法二十六条の義務教育無償とする、この理想に向かって進もうという趣旨でございます。
  5. 山中吾郎

    山中(吾)委員 理想に向かってという意味はどういう意味でありますか、なおお聞きしたいと思います。
  6. 水田三喜男

    水田国務大臣 これはもう早いときからの懸案でございまして、そういう方向にいきたいという努力は、過去数年絶えず努力しておりましたが、問題はやはり国の当時の財政力という問題と、もう一つは、各施策均衡というのが問題で、なかなか一挙にそういう方向に進めなかったのが過去の事実でございます。これはちょうど私が与党政調会長をしておるときでございましたが、何とかこの方向へいきたいということで、当時この問題を出したときいろいろな論議が行なわれました。敗戦後のまだ間もないときでございますので、そこへ進むならまだ各施策のうちでもっと緊急な問題がある、生活に困っている人たちに対する社会保障制度の筋道さえついていないので、医療給付の問題、そういう生活保護の問題から始めて、そういう点へまず限りある国費を使うのが先であって、政策比重としてはもう少し待って、あとからでもいいじゃないかという意見が圧倒的でございました。しかしそういう方向へいくためには、新入生のお祝いというようなことからでも出発してもいいじゃないかというので、私どもは押し切って、新学年の生徒一年生だけにまず出すというところから踏み切りたいという考えでこれをやりましたが、続かないで、途中でこれはだめになってしまいました。しかしこの方向へはどうしても行くべきだということから、その次には社会保障という観念が入ってきて、生活保護の家庭の児童、あるいは準要保護児童に対する教科書無償ぐらいはまず踏み切ってやりたいということで、その制度へは踏み切って、これは現在予算も相当年年増加されている方向に参っているのでございます。しかし無差別金持ちにも金持ちでない人にも一律にこれをやるというよりも、まだ先に結核に対する問題もあり、いろいろほかに緊急な問題があるということで、今育った国の財政力との関係、各政策間の均衡の問題から、そこまでなかなかいけないということで今日まできておったのですが、今回憲法理想へ向かって前進することが施策として正しいのだということで、どこからかその踏み切りをつけておかなければなりませんので、踏み切りをつける意味において三十八年度の入学生に対してやるということに予算措置をしておきまして、今後これを何年間に急速にやっていくか、このやり力はどうするかというような問題をあげて、これは大きい問題だからじっくり調査会で審議してみて、そして急速にこれは実現する方途をとるということから今度の踏み切りをつけたということでございます。今までのずっといきさつを話しますと、そういうことになっておりますから、今回の踏み切りが初めてお祝いだとか社会保障制度だとかいうことから離れて、憲法義務教育無償方向へ本格的に踏み切ったのだと見て差しつかえないのではないかと思います。
  7. 山中吾郎

    山中(吾)委員 社会保障的な政策並びに減税的な政策と、この無償法案を、今までの政府部内、あるいはそれが新聞紙上に発表されているときには、数次にわたって新聞で報道されている。今大蔵大臣のおっしゃっている言葉は、二十六年に一応天野文部大臣のときに制度として出されたお祝い思想から進んで、社会保障的なものに移って、そのあといわゆる憲法無償思想にまで到達したという意味お答えになっているのか、その辺をいま一度お聞きしておきたい。
  8. 水田三喜男

    水田国務大臣 そうじゃございません。最初からこの憲法理想方向踏み切りたいという考えでございましたが、当時は与党においても、また一般の世論においても、ほかにまだやるべき仕事がたくさんあって、国民の困っているときに、限りある財政力から見て、そこから出発するか、またほかのものをやったらいいか、この理想への到達は早いということで、私ども考えておった方向議論ではなかなかきまりませんでしたので、そこでまずお祝いというようなことで出発するとかいうようないろいろな工夫がこらされたことはございますが、このお祝いという議論が出たことも、もとをただせば根本的には義務教育無償、この原則に沿った方向考えておってのいろいろのことでございまして、最初からもうこういう方向へいきたいということを考えておったことはきょうまで変わっていないと思います。そのやり方が一歩々々前進、少しずつは前進してきているということでございまして、今度の法案を機として、初めてこれをはっきりそういう現想のもとに出発するのだということを宣言したということになろうと思います。
  9. 山中吾郎

    山中(吾)委員 まだ明確に受け取れないのでお聞きしますが、教科書無償という憲法原則、これは学校給食というような場合については、教育的に学校給食として取り上げる取り上げ方もありますけれども、これは一つの食事ですから、そこに、二十六条の義務教育無償に含むか含まないかということについては、これは論議が残されると思います。政策的には体位の向上であるとか、あるいは貧富の差で昼食の内容が貧しい豊かであるということで差別感を受けてはいけないとか、あるいは酪農振興のために販路を確定するために、これは必要であるとか、いろいろの要素がまじって、学校給食政策的にはこれは先にすべきかどうかということの論はこれはわかる。教科書そのもの教育費のまっただ中におけるところの純粋の義務教育のものであるという点において、憲法無償原則の上に立てばそれより先であるとか、あとであるかという問題でなくて、当然にこれは無償の上に立ってやるべき政策である。どちらが先かあとかの性格ではないのだ、この辺を明確にしなければ大蔵大臣みずから言われておる思想そのものが、悪法の無償精神に乗っておると言葉で言われておるけれども、その言葉をお考えの中に矛盾があると思うのです。その意味において、教科書無償方向に、お祝い意味において一年生に支給したときから変わりなくという考え方は、憲法無償原則に乗っておるという思想と少しずれておるのじゃないか、そう思うのです。それはたとえば、学校給食無償教科書無償と質が違うと思うのですが、その点はいかがですか。
  10. 水田三喜男

    水田国務大臣 義務教育無償とするという無償内容は、御承知のようにいろいろあると思います。校舎の設備、教材の整備というものを父兄に負担させないとか、あるいは授業料をとらないとかいろいろの意味を持っておったと思いますが、要するに義務教育無償とするという原則があります以上、給食とか、教科書とかいろいろありましょうが、しかしどちらが義務教育というものの教育固有の性質を持ったものになるかということの問題でございまして、少なくとも教科書は、いわゆる義務教育ということから見ましたら、教育固有のものだというふうに私ども考えますので、本来ならこの問題を取り上げる方が順序としては先だったと思います。そういう意味におきまして、私ども昭和二十五、六年からもうこの問題は与党としても取り上げておりまして、さっき申しましたように、私が政調会長のときにこれを特に取り上げていったのですが、与党でそこまでの踏み切りがなかなかまとまりませんでした。
  11. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そういう意味にお考え願わないと政策的にはどちらを先にやるべきかどうかというときに、社会保障的な思想が入って参りますと、これは給食が先である。これは政治的に出ると思うのです。だからそういう考えの上にもしこの法案が入っておりますと、またずれると思う。あくまでもこの教科書というものはいわゆる無償の法則の最も中核的な原則の中にはまるものだという考え方でないと、政治的にはいつもあと回しになってくる。私は憲法精神のまっただ中においてこれを論ずべきであると思う。それを明確に大蔵大臣が確認をされて、この法案調査会法案でありますから、そういう意味において明確にされないと、再び文部大臣大蔵大臣思想の対立があって、論議がほかの方に飛んでいく危険が十分ある、今までの経過から。それでお聞きしておるのです。  なお明確に疑問のないようにしておかなければならないので……。教育基本法の第四条に「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」すなわち「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。」この第四条によると、授業料さえ徴収しなければ現行法上それでいいのだ、そういうふうに解釈されておるのかどうか、これを大蔵大臣にお聞きしておきたいと思います。
  12. 水田三喜男

    水田国務大臣 従来はそういうふうに解釈されておったと思います。しかしさっき申しましたように、義務教育というものの中には、それだけでは済まない教育固有のいろいろな問題を持っておりますので、そういうものはやはり広く義務教育という観念の中へ入れて解釈して、そういう方向に進むのが私は正しいのではないかと思っております。
  13. 山中吾郎

    山中(吾)委員 なぜこういうことを大臣に聞くかというと、これはもう少し深めておかなければならないのでお聞きするのですが、この通常国会谷川主計官を呼んでお聞きしたことがある、これは大蔵大臣に聞くべき問題であったので、実は主計官に聞くには非常に大き過ぎる問題であったのですが、一応聞いたときにも「憲法による義務教育、これは議論になりますが、義務教育無償原則といいまして、何もかも無償だという原則は、僕は憲法規定からは出て参らない、ただいまはそれを受けまして、法律で国立、公立の学校義務教育授業料ただにするという規定はございますが、全部義務教育無償だということではない。」これはこの通りなわけですね。教育基本法では授業料無償となる。そこで授業料そのもの性格が何かということを明確にしておく必要があると思う。授業を受ける手数料でありまして、先生給与教科書教材授業料によってまかなうべきものだ。授業料というものの中に何が入っているかということを私は明確にしておく必要がある。そうでないとこの法律解釈の中に、授業料だけとらないということはどういうことか、そうすると教科書の費用もとってもいいのだ、教材もとってもいいのだ、先生給与の半分をとってもいいのだ、こういうようなことになってくるので、授業料というものは授業を受けるに必要なものなんですから、従って今高等学校で一割か二割とっておる、あれを授業料の全部だ、こういうふうに解釈してきますと、予算折衝のときには、またこれで私はまとまらないのではないかと思う。そこで大臣にお聞きするのは——わざわざ私は当局が説明するに有利な空気を出して私は質問をしておるわけなんです。授業料をとりさえしなければほかは何をとってもいいのだというふうに解釈するのは間違いなんです。この授業料の中には教科書代は含んでいる、そう解釈すべきだと思うのですが、いかがですか。
  14. 水田三喜男

    水田国務大臣 私は授業料授業料だという従来の解釈で、この授業料という解釈を拡張したりいろいろする必要はないのじゃないか、義務教育無償とすといっても、さっき申しましたようないろいろな事情でこの授業料をとらないということは、この無償原則の一番大きなものだというふうに考えて、こういう法律ができて、それでやってきておるのですが、当然教科書無償という問題も考えなければならぬですが、さっき話しましたように、貧富差別なしにこの教科書というものを無償にするというところまでの政策をとるのには、まだほかに緊急のいろいろな問題があるというようなことで、今までこの制度踏み切りがつかなかったのを、今度はようやく日本の財政力も出て参りましたし、緊急とされたいろいろな施策もここで一通りの軌道を敷かれるというところまできたから、この問題に一歩前進していいじゃないかというふうに進んできて、これはやはり教育固有のものであるとして教科書を取り上げて、別の法律でこれは無償とするという原則のもとに、こういうことをやるのだと国会が宣言して新たな立法をするのですから、必要に応じて今後義務教育というものの無償たるべきものの範囲をこういう形で順次拡張していくということで足りるので、すでにできておるこの法律授業料というものの解釈をしいてそこに求めて、この中に何か入るとかなんとか言わぬで、授業料授業料という従来の解釈で一向差しつかえないのじゃないか、私自身はそう考えます。
  15. 山中吾郎

    山中(吾)委員 教育基本法授業料を徴収しないという規定があり、従って現行法上は教科書無償にする必要はないので、教科雲無償にするのは社会保障的性格であるということをよくいうものですから、それは間違いなんだ、これはあくまでも無償の上に確実に立っておるものであるということをこの機会に明確に大蔵大臣からお答え願っておけば私はいいのです。よろしいですね。
  16. 水田三喜男

    水田国務大臣 これはもう文部省と私どもの相談でああいう法律に私どもが同意して出している以上は、そういうふうに私どもも踏み切っているのだということで、問題ございません。
  17. 山中吾郎

    山中(吾)委員 次に、現在の予算計上の仕方からいいますと、小学校の一年は来年、二年は再来年、九年かかって小学校、中学校義務教育教科書無償が完成する、現在の予算計上の仕方からはそうなる。ただ憲法無償原則からいえば、一年生の子供を持っておる父兄教科書ただで、三年四年の子供ただにならないのだというふうな、こういう年次計画的に一年ごとに上げていくということはおかしいんじゃないか。これはやるなら同時に一挙にやるべきであって、一年ずつ九カ年計画でやるということは、私はどうも無償原則の上に立った場合の政策としては少しおかしい、こういうふうに思うのですが、その点はいかがですか。
  18. 水田三喜男

    水田国務大臣 私どもは今のところ全然そういうことを考えておりませんで、それをどういう年次計画でやるのかどうかも、これは調査会検討対象でございまして、そこできめてもらって答申を受けて、この線に沿ってやりたいというための調査会でございますので、何年間でどういうふうにやるかということはこの調査会でやってもらうという方針でございますので、九年間かかってやるとかなんとかということは今のところ全然考えていません。ただ最初予算計上を一年に限ったといいますのは、この種の問題は、ではいつからやるというふうに政策的にきめても、あとへいって狂ったりまたこれが延びたりしはせぬかというような疑いを世間に与えても困りますので、もう踏み切った以上はやるぞという意思表示のためにとにかく一ぺん予算を盛る、予算措置までとって国会の審議を願うという措置をとっておいて、あとはどういうふうにこれを急速にやっていくかどうかは調査会にまかせよう、こういう考えで、一年だけ盛ったのは、政策的に政府が踏み切った証拠とでも申しますか、そういう意味の一年間の計上でございますので、今後どういうふうにやっていくかはあげて私は調査会結論に従いたいと思います。
  19. 山中吾郎

    山中(吾)委員 時間がないので最後に、調査会の決定が、たとえば来年全面に実施するという答申が出た、そこで大蔵大臣が自分の考えをここに明確にされましたが、そのときに大蔵省立場から牽制するようなことはないでしょうね。調査会の結果はどうなるかそれはわからない。しかしその結論を尊重するというのは、自主的にたとえば全面的にやると出た場合でも、もう腹をきめておられるように今答えられたように思うのですが、その点はどうか。  それからいつか、無償にすることは国定化が前提であるというようなことも政府部内で——大蔵省ではなかったですか、そういう論も出ておったので、大蔵大臣はそういう方向で発表したのでなければけっこうですが、無償制度国定化は別問題であるか、その二点をお答え願って参議院の予算委員会へどうぞ行って下さい。
  20. 水田三喜男

    水田国務大臣 これはそのための調査会で、いろいろ学識経験者も入ることでございますから、おそらくは、こうやったら無理のないやり方ができるであろう、国の財政の点も考慮してこうしようという考慮が調査会の段階では入ってくるかどうかわかりませんが、これは学識経験者の常識の問題でございますから、やり方についての合理性というものも十分考え答申が私は出るであろうと思いますので、これは出たら答申はできるだけ尊重していきたい……(山中(吾)委員「公選法のようにならないか」と呼ぶ)これはいかなる調査会答申でも、やはり政府としては全般的な考えから答申の若干の調整ということは始終やっておることでございまして、基本線は大体答申に沿ってやるという方向をとっておりますので、この問題もそういうふうな形で善処したいと思っております。
  21. 櫻内義雄

  22. 村山喜一

    村山委員 若干事務的な問題になりますので、主計官にお尋ねをいたしておきたいと思いますが、いよいよ今年の予算の中に七億二百万円ほどの予算計上されました。そういたしますと、その事務的な経費を除きまして、七億円というのは明春の四月に入学する一年生に支給する額が予算計上される、こういうことであります。ところがこの支払いについてはどうするかということは、調査会を作ってやるのだということになっておるわけですが、御承知のように七月に展示会があります。そういたしますと、調査会結論をいつ出すかということになると、十一月ごろまでに出すようになる。七月に展示会をやって、八月に都道府県の教育委員会から文部省の方に出します。そうして文部省はそれを集計いたしまして、十月から十一月にかけて教科書発行会社に対しまして発行指示をいたすわけであります。そうなって参りますと、十一月ごろに結論が出たといたしますと、それまでの間に集計をいたしましたいわゆる児童数というものをどういうふうにつかむか、新しく入る児童数抑え方というのはまことに困難なものがあるわけであります。従来文部省の方から発行指示をいたしまして、そして業者はその発行指示数の大体五%を上回る数を作製する、こういうふうにして供給業務を円滑にいたしておったわけであります。そうなって参りますと、一体どれだけを国が支払いをするのかということが第一問題になると思うのであります。というのは、義務教育無償立場に立ちまして、その児童数の実数を国の方で負担をするのか、それとも文部省発行指示をいたしましたその数並び現在指示数の五%に相当するものは予備として持たなければならぬ、こういうことになっておりますので、その五%分と文部省指示分、この間には何十万という数の差が出てくる可能性もある。そういうような場合には当然文部省発行指示通りの製作をしたものに対して国が支払いをするのかという点が問題になってくるわけであります。それと調査会がどういうような結論をだすかわかりませんが、それまでの間に展示会をやって参りました事務的な関係で、もし教科書会社に損害を与えた場合には、調査会結論次第によって、その場合には国が補償をするのかというのが次の問題になってくると思うのであります。  それから第二の大きな問題は、大体現在の教科書需要票を数えてみますと、四百二十万枚ぐらいの需要票を書くようになっております。その業務は今まで教科書供給業者がやって参ったわけでありますが、これが無償制度に発展をして参りますと、大体事務量にして延べ一万人の人員に相当するところの事務量があります。この事務量を文部省が引き受けなければならないということになった場合においては、文部省の所属職員の増加をはかっていかなければならないということになります。そういうようなものが調査会として結論として出て参った場合には、当然大蔵省の方はそれを出すような用意があるのかということが問題でありますが、その点についてお答えを願いたい。  それと、これは大蔵大臣が昨年の参議院の本会議のときに、教科書会社が百近くもあるので、教科書を直ちに無償にするためには技術的に困難な問題が生じてくる、こういうようなことを述べておるわけであります。御承知のように現在八十六社があります。その支払い関係を見た場合には非常に複雑な形になっておる。こういうようなことになって参りますと、当然大蔵省としてはこの教科書会社の数をしぼっていくんだという基本的な考え方というものがあるのではないか、こういうようなことであなた方が今構想として考えておられるものは、その支払い方法をめぐってどういうような構想をお持ちになっていらっしゃるかということをこの際承っておきたいと思うわけです。
  23. 谷川寛三

    谷川説明員 逐次お答えいたしますが、まず最初子供の数でございますが、これはもうすでに文部当局から法案審議の過程におきまして御説明があっただろうと思っておりますが、もちろんのことでございますが三十八年度に新たに入って参ります一年生の数はことしの数ではございませんで、それははっきりいたしておるわけでありますので、それをもとにいたしまして計上いたしております。今のところ国立、公立、私立、それからもちろん盲ろう、養護学校児童生徒さんをとりまして、そのすべてに教科書無償にするということができますような計算にいたしております。  それから次の無償やり方いかんによりましては会社に損失をかけるという問題でございますが、これは何もどういうやり方でやるということをただいまきめておるわけではございませんで、調査会でどういう結論が出ますか、前渡金でやるとか、今までやりましたように後払いにするとかいろいろ方法がございましょうが、別にどういうやり方でやるということもきめておりませんので、特に会社に損失をかけるという事態が出るとは考えておらぬのでございます。  それから最後の教科書無償やり方いかんによりましては文部省の事務がふえるということが予想されるということに関する問題でございますが、これは、たとえば選択をどうするかとか、末端までの教科書の受け払いをどうするかとか、いろいろ事務的な問題も含めまして調査会で御調査いただくわけでございます。従いまして、ただいまどういう結論が出るか予想もできませんので的確にお答え申し上げることもできませんが、そのときの事務量がどうなるかということを見まして、またあらためて検討さしていただきたいと考えております。  それから教科書会社に対する従来の経緯にかんがみまして代金の支払い方法をどうするか。ちょっと先ほど申し上げましたが、これは、全く私どもあらかじめきめた考えを抱いておりません。またそういう教科書無償の全般の問題につきまして意見がかりにありましても、これは調査会で御議論ただくわけでございますから、組織等もまだきまっていない段階におきまして申し上げることもいかがかと思うのでありますが、全く考えておりません。調査会の御検討を待ちまして、参考にいたしまして文部省とも御相談いたしましてやることであろうかと考えます。
  24. 村山喜一

    村山委員 端的にお尋ねをいたしておきますが、文部省の方でこれだけ作ってもらいたいということで教科書会社発行指示があった、その指示数については、国の負担の額は持つのですか、それともあとで精算をいたしますときにその実数に応じたものを負担をするわけですか。その間には差があるのですよ。大体主計官はあまり御承知でないと思いますが、私の鹿児島県でも、年間小中学校合わせまして需要数が三百四十万冊くらいあります。その中で返品になる。今、社会移動が非常に激しいので実数がはっきりつかめないが、返品になる数が約四十万ございます。そういうふうに今非常に大きな変動期にあります。そのときにいわゆる指定統計に基づいた人員では誤差が出てくる。それから学齢簿に基づいて市町村が集計をいたしますのは、その前の年の十二月ですから、そのときにおいて押えたのであれば別ですが、ことしの十二月を押える。ところが展示会をやるのは七月。その概数は八月には都道府県の教育委員会がまとめて文部省に出す。文部省は十月には教科書会社の印刷に回すわけです。そうなりますと、そこには非常に大きな食い違いが出て参ります。その結果、教科書無償にすることになった結果、ある数を抑えてやりますと教科書をもらえない子供が出てくる。実数を押えていったら教科書をもらえない子供が必ず出て参ります。そのときには国の責任は大へん強く非難をされ追及されるでありましょう。しかしながら、文部省の方で発行指示した数だけを印刷するとあり余って参ります。そのあり余った分は教科書会社で負担をして抱え込んでいくのか、文部省で責任を持って発行指示したならば、その指示した分についてば国が責任を持つのかということをお尋ねしておるわけであります。
  25. 谷川寛三

    谷川説明員 お答え申し上げます。今のレザーブをどれくらいとるかという問題なども含めましていろいろ考えるということになりますと、できるだけロスが生じないようなことを考えなければいけませんので、御検討になられると思うのでありますが、国の立場として無償との関連で申しますと、これは当然精算であろうかと考える次第でございます。
  26. 村山喜一

    村山委員 精算払いということになりますと、実数に基づいてやるということになります。そうなりますと、教科書会社がその余分な教科書については負担をすることになります。そうなりますと、文部省発行指示するところの権限というものからその損害賠償という問題が出て参りますが、文部省としてはどの程度まで考えておりますか。
  27. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 その点は、先ほど大蔵当局からお答えになりましたように、レザーブをどのくらい見るかという問題であろうかと思います。従来教科書会社といたしましては若干のレザーブを持ちまして、それは全体の総経費の中に含まれておる問題でございますので、こまかく申しますとやはり定価の問題になると思います。そういう点について、適正な定価をきめられるように私どもとしては調査会で御検討願いたい、こう考えているわけでございます。
  28. 村山喜一

    村山委員 その点については後ほどもまた取り上げて参りますが、第三点に質問をいたしました、参議院の本会議において大蔵大臣が答弁をいたしました内容、これについては、代金支払いの方法については今のところ構想というものはない、こういうような話でありましたが、百社近くもあるので、教科書を直ちに無償にするためには技術的に困難な問題が生じていると、大臣みずからが支払いの上においてそういうような問題があるということを述べている。そういたしますと、大蔵当局としては国のそういうような国庫支出金というものの支払いをしていく場合において、何らかの方法を考えられないはずはないと思う。そこには何らかの構想というものを持って、その支払い方法についてはこういうふうにやるんだ、そうしたら事務的には非常にスムーズにいくじゃないか、こういうような問題が出てくると思うのでありますが、そういうようなことは全然検討されておいでにならないのですか、その点をお尋ねしておきます。
  29. 谷川寛三

    谷川説明員 文部省と御相談いたしまして、——私の個人の見解を申し上げるわけにいきませんので、これからまだだいぶ間がありますので、慎重に検討いたしまして最も合理的な方法を考えたいと思います。
  30. 村山喜一

    村山委員 一応大蔵省主計官に対する質問はこれで終わりまして、あと会議終了後に続けたいと思います。
  31. 櫻内義雄

    櫻内委員長 本会議散会後再開することとし、暫時休憩をいたします。    午後一時五十三分休憩      ————◇—————    午後二時五十九分開議
  32. 櫻内義雄

    櫻内委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  学校法人紛争調停等に関する法律案を議題といたします。質疑の通告がありますので、この際これを許します。米田吉盛君。
  33. 米田吉盛

    ○米田委員 先般、質問を申し上げましたときに、裁判所が任命をした理事を本法で解任することが可能であるという御見解の答弁がありました。ことに本案作成の過程において法制局とその点はよく詰めてあるというお話でありましたが、裁判が現に進行中にそういう裁判に関連して仮理事が任命してある、こういうような場合に本法が成立して、本法によってその理事を解任するというようなことがありますれば、これは裁判に重大な影響を及ぼすものと私は思います。こういう見地から、なお突っ込んで差しつかえない、こういう御見解でありましょうか。
  34. 杉江清

    ○杉江政府委員 ただいまの点研究いたしましたが、やはり解任可能だという結論でございます。この前に申し上げました通り、地位保全の仮処分はその訴え提起のときの申し立ての内容によって判断されるものであるわけでありますが、本法による解任は、その後の経過考え、紛争処理全体の観点からどう判断するかという結果の判断によるものでありますから、それは別個の問題として解任できる、このような判断でございます。
  35. 米田吉盛

    ○米田委員 次に十条一項の後段であります。条文をごらん願いたいのですが、後段のまん中辺、四行目あたりの「第八条第一項の調停案に係る当事者で同条第三項、第四項又は第五項の規定」云々とありますが、この場合の「同条第三項」というのは、私はこの法文を読んでみて意味がわからないのです。つまり八条の三項を見てみますと、「当事者のすべてが第一項の期限内に調停案を受諾し、」云々ということが書いてある。これは何もここに関係のない文章のように思うのですが、何かの間違いではないでしょうか。
  36. 杉江清

    ○杉江政府委員 第三項は「当事者のすべてが第一項の期限内に調停案を受諾し、かつ、その旨を記載した文書に署名押印してこれを調停委員提出したときは、当該調停案につき、当事者の間に合意が成立したものとみなし、調停が成立したものとする。」ということでございまして、この趣旨は、その期限内に調停案を受諾し、そしてその意思を明瞭にして調停委員にその意思を表示したときは、当該調停案について当事者の間に合意が成立したものとみなし、調停が成立したものとするということで、私は当然のことだと思います。もし何か御疑問があるとすれば、「当該調停案につき、当事者の間に合意が成立したものとみなし、調停が成立したものとする。」この表現の仕方ではなかろうかと考えるのでありますが、この意味は、本来調停は当事者間の直接の合意を建前とし、また望ましいものとするわけであります。ところがこの場合においては、この合意はいわば間接であります。そういう意味におきましてこの当事者の間に合意が成立したものとみなすのだ、そして調停が成立したものとする、こういうふうな表現の仕方をとっているわけでございます。御質問の趣旨を十分理解しているかどうか疑問でありますけれども、一応かように考えます。
  37. 米田吉盛

    ○米田委員 当事者のすべてが第一項の期限内に調停案を受諾しておる。この場合は問題はないのじゃないですか。解職しなければいかぬ問題が起こる可能性はないように私は思えるのですが、あるのですか。
  38. 杉江清

    ○杉江政府委員 第十条の第一項後段は、結局は、この場合に関連して申し上げれば、受諾しなかった場合のことを言っておるわけなんです。だからこれこれの「規定による調停が成立したものとされなかった者」というのは、受諾しなかった場合でございます。
  39. 米田吉盛

    ○米田委員 三項は、すべてが期限内に調停案を受諾した、こう書いてあるのですね。それだったらこれは差しつかえないので、今言ったようにこの条文は必要がないのじゃないかと私は思っておるのです
  40. 杉江清

    ○杉江政府委員 これは確かに表現の仕方が常識的に少しおかしいということではなかろうかと思いますけれども、この第三項の場合は、その調停案を受諾し、かつその意思を明らかに表示した場合には、この合意が成立したものとみなし、調停が成立したものとする、こういうふうに規定しておりますが、ここの第十条でいいます「調停案に係る当事者で同条第三項による調停が成立したものとされなかった者」というのは、結局この第八条第三項による調停が成立しなかった場合に、そのものをいう、こういう意味でございます。
  41. 米田吉盛

    ○米田委員 そういう意味ならばわかりました。  それから八条の四項または五項、こういうような場合にも、今の三項もそういう意味でありますれば同じでありますが、そういう理由によって解職をせられる、あるいは解職の勧告をせられる、十条の規定によりますと、こういうことでありますが、それはどういう根拠といいますか、どういう責任の根拠で解職せられるのでしょうか。
  42. 杉江清

    ○杉江政府委員 その調停案の作成自体を調停委員はいろいろな手続をし、慎重なかまえを持って作成するわけでございますが、それを第四項において一部が調停案を受諾しなかった場合そのままにしておきますれば、紛争は解決しないわけでございます。だからその紛争解決のためには、この調停案が最善と考える場合におきましては、それを受諾しなかった者に対して受諾を勧告するということは、紛争の解決という観点から必要だと考えたわけでございます。
  43. 米田吉盛

    ○米田委員 一体思想だとか、学問だとかいうことは、憲法にもありますように、普通の保険の団体だとか、鉄道の会社だとか、そういうような団体と文化国家としては根本的に取り扱いが憲法上別になっておる。これは実は今日の憲法の厳重な根本規定なんです。学校法人というものはもちろんこれと裏表に扱われるわけのものですが、そこで、その学校法人が、たとい調停委員が作成した調停案といえども、自己の思想見解から、これは妥当ならずと判断することは、まさに役員としての職責を全うすることだと私は思うのです。むしろお役所から任命せられた調停委員が作ったのに引きずられて諾諾と承諾することは、世間に迎合していくようなものですから非常に楽だと思うのです。そういう姿が先般の戦争も招いたわけです。私は、このような教育、思想、文化団体の根本、憲法精神というものは、普通の団体と取り扱いが根本的に違うものだと思う。そこで、そういう団体、つまり学校法人の役員というものは、妥当でないと思えば、自分の所信を貫くという自由といいますか、貫くことが、むしろ役員としての職責なんです。ところが、それを貫いたり、調停委員の調停に承諾しなかったということをもって、解職を勧告せられたり、はなはだしきに至っては解職を命ぜられる。これは私は、一体学校法人というものをいかなる認識のもとに見ておるかということがちょっと理解できぬと思う。この前も、大臣予算委員会かどっかへ行かれたので前の質問は途中で切りましたが、こういうような鉄道の団体とか、健康保険の団体というものの役職員の場合、おっしゃるように、解職があります。ありますが、これはみなその者が金銭出納上の不都合があったとか、非行があったとか、明瞭に役員個人の責めに帰すべき理由があって解職をせられるわけなんです。ところがこの場合は、思想については、しかく右向け、左向けというように明瞭に一本にいけるものではない。そうしますと、そういうような複雑な思想界に関係のある教育法人、そういうものの役職員が、調停委員が作った調停案というものは、多数ではあるけれども、妥当ならずと判断する場合もあるし、事実私は妥当ならざる場合もあり得ると思う。これは日本の歴史が幾多こういうことを証明してくれておると思う。だからこそこういう憲法もできておる。そのことは自由を圧迫もすることだし、奪うことである、今日の憲法基本精神というものをこれは踏みにじる少なくも疑いのある法律である、こう私は考えるわけであります。そういう点いかがでしょう。
  44. 杉江清

    ○杉江政府委員 まず第一に、この法律の適用は、第一条にありますように、学校法人の役員相互の間に学校の管理、運営に関する争いがあるということ、それから学校法人の正常な管理及び運営が行なわれていないということ、それからなおかつ当該学校法人が法令の規定に違反するということ、こういった三つの条件を同時に具備しているような、いわば学校紛争としてだれが考えてもこのままで放置できない、しかもそれは学校法人の主体たるべき学校法人そのものの内部にその禍根がある、こういうふうに判断される場合にこの法律の適用があるわけであります。そういう見地からは、ここで言う学校紛争は、いわば学問の自由とか思想の自由とかということに関係ないとは申せませんけれども、直接には関係のない問題である、むしろ紛争それ自体の解決ということがこの法律の対象であるのでありまして、この場合における理事の間の意見の対立というものは、学問の自由、思想の自由をもって律するのは私は必ずしも妥当ではないと考えます。やはりそういうふうな場合、問題は、紛争をいかにしてうまく解決するか、そして学校の管理及び運営の正常化をどうしてもたらすかという観点からこの調停が行なわれ、また調停案の受諾を勧告し、それに不承諾な者についても、その受諾を勧告する、なお、どうしてもその者を解職しなければ紛争は解決しがたいと認める者は解職を勧告する、こういう措置は、このような慎重な手続、そして、しかも解職の場合には審議会の意見を聞いて、その上で所轄庁が責任を持って判断する、こういうような建前をとっております以上、私は今のような点はそれほど強く考うべきでなく、やはり紛争の解決という観点からこのような方法が適当である、かように考えるのであります。
  45. 米田吉盛

    ○米田委員 あなたは行政府立場だけ考えられておる。紛争を解決するということに急の余り、正邪、道義を教えるところの学校を運営するところの法人、その役員を遇するの態度が、憲法基本精神に私はのっとっていないということを言っておる。これは精神の問題、憲法の高い解釈の問題だと私は思う。おっしゃる通り、紛争を解決するために作るということをこれは書いてあります。しかし、学校というところは、一体何が正しいか、道義を教えるところなんです。その教えるところで、解決を急にするために、場合によったら誤って無傷な人が犠牲にならぬとも限らないようなこの法律は、用意周到な法律であるとは言えない、そこを私はついておる。だから、目的なら目的、必要な点は私わからぬわけじゃない、わからぬわけじゃないから、今まで党の中で少数でありますが反対しておったのでありますが、結局多数でここへきたわけであります。しかし、そういうような紛争を解決するために法律を出すのなら、やはり学校法人には学校法人にふさわしい精神と用意をもって私は条文を規定すべきだと思うのです。目的さえよければ、多少の粗雑な法案でもよろしいという結論が、今までのあなたの三、四の答弁から結論を引っぱり出せば、出ることになる。たとえば、この前、私が拒否権の問題を持ち出したときに、そんなことをしておると時間がかかってまずいからだというような意味の答弁がありました。そういう点は、全く事務的であって、精神的じゃありません。それじゃ思想・学問、こういうものを取り扱う学校、それを運営する法人の役員、それを遇する法律の態度ではないと私は思うのです。ここを私は最初からついておるのですが、どうもこの点は御理解にならぬようです。私は、あくまでも、普通の団体とこういう学問・思想、そういうものを扱うところの学校団体法人、そういうものは、日本の憲法の建前では取り扱いが根本に違う、こういうことを一つ強く力説するわけだし、それが一般論なんです。  試みに承りますけれども、国立大学の教員なんか、それだから、こういう簡単なやり方で解職できるような規定はないでしょう。この間聞きましたら、解職した実例もないとおっしゃる。こんなような簡単なことで解職できるような規定はおそらくないだろうと思うのです。よほど個人の責任に帰するような非行があった場合以外に、自分の考えが、ある人たち考えと違うからということによって解職を命ずる、そういうことは日本の憲法で今認めておらぬはずなんです。ちょっと時代が、考えが違うじゃありませんか。私が強く指摘するのは、この点ですよ。
  46. 杉江清

    ○杉江政府委員 先回にも御指摘をいただき、ただいまも御指摘になった点、この点につきましては、先回も申し上げ、御納得を得られないでおると思いますが、要するに、紛争の解決をはかるための制度としては、他の例をも考えて、これで適当である。ただし、この運用にあたっては、そういうことのないように万全の配慮をし、慎重な手続をもって行なうべきだ。この法律においてそのような心配があるという御指摘ではありますけれども、それが絶無だという保証は、なるほど法的にはございません。しかし、重ねて申し上げますけれども、それはこのような慎重な手続と、それから最後には調停委員の判断だけではなくて、所轄庁が責任において諸般の事情を考えて行なう、こういう建前になっております。御指摘のような点のないように万全の配慮をし、慎重な手続をとるべきことは当然のことでありまして、このような制度には、私は、多くの場合、御指摘のような点を全く排除するということはむずかしいと思いますが、そこは運用によって、そのようなことのないように配慮すべき問題だと、かように考えておる次第であります。
  47. 米田吉盛

    ○米田委員 今日、法治国ですから、お情けで、運用で事をきめる時代でないということも、憲法一つよくお読み下さって御理解願っていただきたい。運用といえばお情けということに相通ずるわけです。ですから、この法律はそういう点で率直にいって粗雑だ。そうして教育団体の役員を遇する道は、この法律からば流れ出ていない。解決に急の余り、そういう姿になっておる。こういうことを私は最初から申し上げておる。いろいろな立場から申し上げておる。そうして、このことは、結局憲法の基本的な立場を軽んずるような感がはっきり現われている。これは日本の文教の立場として遺憾だ、私はそういうことが骨子であります。  次に、この法案をまず適用しようという名城大学は、学校法人が管理運営をやっていない。今の法律では、大学は学校法人が管理運営するという法の建前になっておる。私よく知りませんが、何でも二、三年、組合代表、教職員代表、学生代表、三者審議会が管理運営に当たっておる。これは一体日本の大学と、法の上で言えますか。こういうものから卒業証書をもらった人が大学を卒業したと言える法的根拠一つ教えてもらいたい。
  48. 杉江清

    ○杉江政府委員 御指摘のように、昭和三十四年十一月以来、三者審議会が学校を管理しておるわけでございます。その後における卒業生が大学の卒業生であると言い得るかどうかという点について、まあ疑念はございます。その疑念もあるからこそ、これを早急に解決し、令までとられたいろいろな措置を、私は、追認その他の方法によって、その欠を補い、法的にも正していくべきだと、かように考えております。
  49. 米田吉盛

    ○米田委員 かりにこの法案が成立したといたしまして、一体この名城の紛争当事者というものは——私は三十何年間大学をやってきた経験者ですが、私から言えば、どっちもどっちですよ。したたか者です、どっちも、率直に言えば……。これは学生かだれかしらん、うしろにおるでしょうが、私は、最近こういう妙なパンフレットを私のところに送ってきたのですが、読むともなしに読んでみると、かつて日比野派は裁判所が任命した浦部理事長とか、字がはっきりしていないので、名前が違うかもしれませんが、そういう「裁判所が任命した浦部理事長代行者に経理も渡さなかった例」があるというようなことが書いてありました。これは両方がなかなか大へんな訴訟を起こし合っている。簡単に、この三下り半くらいな法案で、さっきから言うように、かなり完備していない法案です。私から言えば、お急ぎになったせいもある。そういうもので名城のこの紛糾したものがぴしゃっとおさまりますか。同時に刑事事件がだいぶあるらしいです。訴訟が起こっておる。私はこういうふうに反対しているからかしらぬが、聞くともなしに、だまってすわっておっても、人がいろいろな書いたものを送ってくる。私はこういうような、いわば、学校法人の役員を遇する道をもわきまえないような、武士の情のないような、憲法精神をも十分理解しないような不用意な法案で無理にやりまして、そして今のような法人が経営していない三者審議会でやっている、これは学生にもかなりな好ましくない影響も与えているだろうと私は思う。こういうようなことで、そういう正常でないほかの者が運営しておったものを、追認するとおっしゃるけれども、そういう場合、これは追認する法的根拠はあるのですか。追認と口では言えますけれども、二年、三年にわたって不法な状態の経営がやられておる、法律違反が繰り返されておる、文部省は有効な処置をしない。この法案がかりに通ったとして、この法案には、その間の行為は学校法人が管理運営したものと追認するという規則もありません。一体、法に根拠なくして追認できるのですか。
  50. 杉江清

    ○杉江政府委員 ある行為が無効であるか、瑕疵はあるけれども有効であるかの判断は、私ども諸般の事情を総合的に考察し、特にその公益性をも重要な要素として判断さるべきものであると考えます。たとい瑕疵があっても、その行為を無効とすることが重大な問題を惹起し、公益性にも違反するというような場合においては、瑕疵はあってもそのものを有効とし救済していくというのが、法解釈のまた一つの通念であろうと理解しているわけでございます。この場合におきましても、もちろん現状は法律の趣旨から離れていることは明らかでございます。しかし、そうかといいまして、今までの教育ないしはそこでの学校でなされた修学行為がすべて無効であるといたしますならば、これは重大な混乱を生ずるわけでございます。そのようなことは、法の単なる形式的な理論から無効とにわかに断ずることは適当でない。だからすみやかにこの紛争を解決いたしまして、法的な不備を補う措置を講じて、その行為の必要なものについてはこれを有効として取り扱うことを明瞭にいたすべきものと考える次第でございます。
  51. 米田吉盛

    ○米田委員 いや、その趣旨は私は反対じゃない。学生、教職員、知らないでその学校に入ったような人もある。名城が相当紛糾しているということを知らぬというのは、学生として少しうかつですけれども、しかし知らぬで入った人もある。これはだから、善良な学生にまで責任をいつまでも追及しようと思わぬから、こういう質問をしている。それなら、法に根拠を置かないで追認を有効だというような、今思いやりのあるところの妥当な御答弁でしたが、その点、根拠なくしておやりになれるのですか。
  52. 杉江清

    ○杉江政府委員 現在の学校運営のあり方は、確かに学校教育法から離れております。しかし、だからといいまして現在の大学が学校でない、またその教育がいわゆる学校教育法に基づく教育でない、こういうふうな結論をにわかに下し得ることについては、かえって疑問が多かろうと私は思います。だから法的に見ましても、現在の大学が学校でない、また教育が学校教育ではないという判断はにわかにしがたい、だから私はその間疑念はあると思います。しかし、それらの疑念は、先ほど申し上げましたような観点から総合的に考えて、これを救済する措置を考慮することがただいまの問題であろうと考えるのであります。
  53. 米田吉盛

    ○米田委員 私はそういう、こうした方が結果がいいというような立場で法解釈は簡単にすべきじゃないと思う。文部省がそういう解釈を自由自在になされれば、それじゃ死文にひとしくなりますよ。法人が学校を経営しなければならぬということは死文にひとしくなって、それじゃ名城の前例にならってそうでないような学校が続々出ても、結局はこれが悪例になってどんどんとそういう追認の形になる。これは名城一校にとどめるべきですよ、善良なやり方としては。そうすれば、やすやすと今のような答弁をなさるべきじゃ私はないと思う、腹はともかくとして。私は純粋の法理論として、これは大学とは言えぬと思うのです。従って、こういうものを大学として追認するためには法的根拠がなければならぬ。今おっしゃったように、そう簡単に形式論だけではいけないというような解釈を権威ある文部省がとられるということになると——あなたの解釈が何も省議を開いた上での解釈とは考えませんから、その場の解釈だと私は善意に解釈しますから、そういうことじゃ私はいかぬと思うのです。そういうことならば、第二、第三の名城がどんどんと出てきますよ。軽く法を解釈して、法の尊重という気持がだんだん薄らいでくる、これはやはり峻厳に解釈すべきです。そうして名城の場合においては、救済手段としてこの末尾にでも一項を設けて、追認するならするという法的根拠を明瞭にしておくことが、何ぼすっきりするかわからぬ。百千のほかの私立の学校に迷惑を及ばさぬように配慮すべきです。私はそういうような点を考える。また率直に言って、名城は長い間の紛争をやっている。そうして紛争をすれば、学校の責任者なんか、学生が見てよろしいような行動ばかりじゃないと私は思う。一口に言えば、名城の最近の歴史というものは、必ずしも他の大学に誇るべきものは持っておらぬだろうと思う。ほんとうに学生を愛する立場からいえば、一ぺん出直して新しい大学になりかわる、更生する、そしてよい歴史でスタートする方が、将来たくさんの学生のためにほんとうにしあわせな親心だと私は考えている。争うどちらかの当事者が勝ち残る、しかも法の保護によって、こういうような法が別にできて保護によって勝ち残る——私はこまかいことはわかりません、どちらが正しいか、率直に言っておそらく両方とも正しくないだろうと私は思う。正しいところもあるかもしれぬが、総括的にあまり好ましくないと私は思う。裁判を長年やってやってやりまくるというのは。そうして裁判所の命令で何事長がきまって事務取り扱いがきまっても、それに経理を渡さないとか事務を渡さないということは、私はかなり普通人ではできないわざだと思うのです。そういう点から、そういうことを見聞きしておる学生としては、むしろさらりとのれんが新しくなって、同一の家屋、同一の教員であっても、大部分が更生した姿で出直した方が、将来幾千、幾万の学生のためになる。大学というものは永遠の生命を持っておるものだ。一口に言えば、どれか乗っ取り組が勝ち残ったような格好になりますよ、俗っぽい言葉で言えば。これは道義を体得するところの教育機関だけに、私はこの点を非常に遺憾に思うのです。それで私はいつも言う、私学法による解散がけっこうだ そうして地元の有力者、市長なり県知事なりその他の有力者が跡を受け継いでやるような備えを工夫することの方が、より親心だという意味を私は言っているわけです。これはもし通ればそういったようなことになる見通しが大臣おありでしょうか。これは見通しの問題なんか聞いてちょっとまずいかとも思いますが、少なくともどちらかが勝ち残るということは、この場合教育の府だけに妥当性を欠くと思う。どちらも土がついていますよ、率直に言って。
  54. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 ただいまの最後の米田さんの御説には傾聴に値する内容が盛られているように感じます。そのことはむろん文部省立場でかれこれ予測をしたりすべき筋合いのものではございません。ただ調停委員ができて、その調停の案の内容にもよりましょうし、あるいは一応正常な姿に立ち戻った瞬間において新しい理事者がどう判断するかという分野の問題でございまして、今まで文部大臣という立場で解散権限が与えられながらその解散が実施できなかったところにも具体的な事実上の悩みが御承知のようにあるわけでございまして、そういう立場で今日まできております。文部省としてお説のようになるべきだとも申し上げかねまするし、そうなってはいけないと申し上げる立場にもむろんございません。本法案の成立後の正常な姿は何だという問題の一つとして考えらるべき課題ではあろうかと思います。
  55. 米田吉盛

    ○米田委員 もう一つでおしまいにします。  この法案の名称ですが、学校法人紛争調停等に関する法律案と非常にやさしい言葉で表現されておる。いろいろ調べますと、結局調停というものは当事者の申し立てによって行なうべきものなんですね。これは大部分職権調停です。そして第一条に書いてありますように「その他の措置」というところに実は山があるのです。この法案の実効があるのです。だからこの法案から「その他の措置」という分を除いたら大したきき目のない法案になってしまう。そうしますとこれは私学紛争処理法案なんですね。調停というのはダシに使ったような名前ですね。実体は現わしていないと思う。これはちょっといやがらせを言うような格好になりますから、これは私の意見として言っておきます。  基本的に申し上げたいのは、先ほどからどうも憲法の深い精神というものをくみ取った上で条文の用意ができていない。これはさしあたって名城にだけ適用するのだということを言われましたが、しかしこれは将来の私学の何といっても前例になると私は思います。時限立法だといっても、あのときこういう立法ができたということは前例になります。そういう点から考えて私学全体のために非常に不幸なことなのです。これは迷惑なことなのです。そういうようなかれこれを勘案しまして、私はどうしても忍べない。私学の創立者の一人として、こういう法律が出ることは忍びない。一名城のためにこういう法律が出るということは忍びない。私はあくまでも反対でありますが、かりに反対としても、憲法基本精神を十分貫いた、そうしていかにも学校法人の役職員を待遇する道を忘れないところの法体系になっておるというときには、私もやむを得ず百歩譲ろうかと思ったのです。申し上げてももう既定方針で一潟千里、事務的に紛争処理が第一の眼目だというような御答弁に結局なりますので、私の意見をはっきり記録にとどめることにして質問を終わることにいたします。
  56. 櫻内義雄

    櫻内委員長 他に質疑もないようでありますから、本案に対する質疑はこれにて終了いたしました。     —————————————
  57. 櫻内義雄

    櫻内委員長 引き続き討論に入るのでありますが、別段討論の通告もありませんので、直ちに採決に入ります。  本案を原案の通り可決するに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  58. 櫻内義雄

    櫻内委員長 起立多数。よって、本案は原案の通り可決いたしました。  本案の議決に伴う委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  59. 櫻内義雄

    櫻内委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。     —————————————
  60. 櫻内義雄

    櫻内委員長 義務教育学校教科用図書無償に関する法律案義務教育学校児童及び生徒に対する教科雷給与に関する法律案及び教科書法案の各案を一括議題といたします。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。谷口善太郎君。
  61. 谷口善太郎

    ○谷口委員 この三案はお互いに関係がありますので、政府案の無償法案調査会を作っていろいろな問題につきましては調査して、建議を受けるということがあります。社会党の提出されております給与法案教科書法案と大いに関連があって一応出ていると思います。そういう点で教科書問題全般について、一応政府及び社会党の提案者にお答えをいただきたい、こういうように思います。きょうは時間をだいぶいただいておりますけれども、なるべく簡単に早く済むようにやります。  最初に、これはこの三案とは直接関係がないように見えますけれども、やはり若干の部分に関係があると思いますので、簡単にお伺いしますが、教科書を値上げされましたね。この値上げされるという問題について、この国会の御討議の中で文部省お答えになっていらっしゃる中で、私ども聞きたいと思っているのは、値上げの積算の基礎になりました教科書生産についての費用の値上がりパーセントのお話がありました。その中で宣伝広告費が二十六年度と同様で据え置きであるというお答えがあるのでありますが、宣伝広告費というものは、一体実額にしまして教科書関係全体でどれくらいあるのか、これを伺いたいと思うのです。
  62. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 三十六年度の教科書のための宣伝費の実績でございますが、展示会の見本本の経費あるいはPR文書に要する経費、あるいは発送費それから旅費、広告費等を含めまして、これは全体でございますが、六億七千三百五十万ということになっております。
  63. 谷口善太郎

    ○谷口委員 この六億七千三百五十万円という経費は教科書全体の売り上げと申しましょうか、あるいは全部の生産費でしょうか。その割合はどういうことになりましょうか。
  64. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 三十六年度用の教科書についてみますと、売り上げ総額を一〇〇といたしますと、広告宣伝費が三十六年度におきまして七・七%というような比率になっております。
  65. 谷口善太郎

    ○谷口委員 三十六年度は大体中学校、三十五年度が小学校だったと思うのですが、教科書の新しくできるのは。ことしはつまり高等学校ということになるわけでありますが、その場合小学校、中学校の宣伝広告費というものと、高等学校の方ははるかに少なくて済むのじゃないか、数量からいってそういう点についてはどうでしょう。
  66. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 もちろん売り上げ総額の中には小学校は一昨年でございます。中学は三十六年度変わりますので、相当分を占めておるわけでございます。従ってただいま申し上げましたのは高等学校も一部入っていると思いますけれども、七・七%というのは教科書製造会社の全体の売り上げ総額を一〇〇といたしましたパーセントでございます。
  67. 谷口善太郎

    ○谷口委員 先ほどおっしゃったこの宣伝広告費のまたその内容の問題ですけれども、この中で相当部分が純粋の宣伝広告というよりも、売り込みのためのいろいろ世間からは御批判のあったような分野で使われているという問題があるように伺っているのですが、そういう点についての実情は文部省の方では御存じでしょうか。
  68. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 私申し上げました六億七千三百五十万の中には、もちろんこの会社が教科書を作成いたしまして、それを販売するための必要な経費も含んでいるわけでございます。広告費その他一切含んでいるものでございますが、ただいろいろ過当競争のために使った経費があるのではないかというようなお尋ねの意味に伺えたのでございますが、そういう経費については文部省は十分実情を存じていないのでございます。
  69. 谷口善太郎

    ○谷口委員 それじゃその点はまたあとにいたしまして、教科書の検定制度といいますか、その問題について若干伺っておきたいと思うのです。  文部大臣は昨年七月の二十一日、松山市で開かれた四国四県の市町村教育委員会教育長の研修協議会に出席された際、記者会見をしてこういうことを言っていらっしゃるのを伺っているのです。これまでの検定はむしろルーズであった。今後は指導要領に従って全国どこでも同等の実力がつくように検定を強化する、最善の義務教育を行なうことは政府義務づけられている、学習指導要領に沿ってきびしく検定することは当然である。一歩進めて国定教科書ということも考えているが、これは将来の理想だ、こういうふうに言われたと伝えられているのですが、これはほんとうですか。
  70. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 私は今日まで一年半ばかりになりますが、教科書を国定教科書にするのが理想だと言ったことはいまだかつてございません。その検定のことは国会でも地方に参りましても進んで申し上げたり、御質問に応じてお答えしたことはございます。国会お答えしております通りのことを地方でもお答えをし、しゃべってもおりますが、それは今御指摘になりましたように、もともと小中学校教科書は検定権限、責任を文部大臣に与えられておる。その検定は学校教育法に基づいておることは当然としまして、そのもとになりますのは、教科に関することを文部大臣が定めろということに基づきまして、御指摘のように学習指導要領というものを定めております。その学習指導要領に合致しているかいなかを検定委員が十分に厳重に見まして、検定に合格、不合格をきめる、そういうやり方でやっておるようでありますが、そのことを申したのが新聞にどういう活字になりましたか私は知りませんけれども、その趣旨のことを述べた記憶はあります。
  71. 谷口善太郎

    ○谷口委員 将来国定教科書方向に行きたいという考えはかつて言ったことはないとすれば、新聞にそういう談話であったという報道が出たとしますと、これに対しては大飯は取り消し要求をされるとか何とかいうことをなさったと思うのですが、その問題はまたあとに触れるとしまして、この中で検定はむしろ非常にルーズであったというふうに言っていらっしゃるのですが、ルーズであったというのはどういうことでしょうか。教科書調査官がだらしかなかったとか、あるいは今大臣がおっしゃった指導要領に従ってやる、そこが非常にあいまいであったというような意味を持っているんでしょうか、その点どうでしょうか。
  72. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 従来の検定がルーズであったという言葉を使った記憶はございません。ただ念頭にありますことは、文部省に席をつらねる以前のことではありますけれども新聞紙の報ずるところによりますと、検定委員考え方が必ずしも一貫していなかった節節があったように記憶しております。しかしそのことを私は松山で話した記憶はないのでございますけれども、要は学習指導要領に合致しておるかいなかを検定委員は厳密に見て、そして合格、不合格をきめる立場にあるという意味のことを私は言った記憶がございます。そのことが活字の上で今御指摘のようになったかとも思いますが、検定につきましては終始今申した通り考え、かつしゃべったと記憶しております。
  73. 谷口善太郎

    ○谷口委員 検定委員にしろ調査官にしろ、ルーズであるどころか、むしろ教科書出版会社あるいは著者が、調査官に不当に痛めつけられておるというのが実情ではないかと私どもは思うのです。だから昭和四十年度にはおそらく学習指導要領が一段と反動的になってくるだろうというふうな予想があるので、各出版会社は今までの検定制度の中でいじめつけられておりますから、文部省で気に入りそうな小学校教科書の出筆者を探すために今激しく張り合っているというような実情があります。また一昨年の衆参文教委員会でも社会科の教科書検定問題につきまして大論議になりまして問題になったように、調査官の思いのまま、個人的主観で検定が行なわれているというような事実もあるようでありますが、そういう点はどうでしょう。
  74. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 今御指摘のようなことはないものと思います。あらばあらしめないようにしなければなりませんが、要は憲法の趣旨を徹底し、憲法に基づいて制定されましたもろもろの法令の線に従ったものでなければならないことは申すまでもないことだと思います。
  75. 谷口善太郎

    ○谷口委員 ことしの高等学校教科書の検定でも、非常に具体的に不当な検定方針といいますか、そういうものが現われている。私、若干の記録を持ってきたのでありますが、ある社の場合、戦没学生の手記、獄中より娘にあてたネールの手紙、こういうのを手紙の単元に揚げたところ、手紙のジャンルにふさわしくない、また内容も偏向しているという理由で、このことが問題になっております。それから長塚節の「土」は、方言が多くてわかりにくい、内容も暗いというので不合格になっている。それからもう一つの社の場合では、国語古典乙の一ですが、漢文で、漢文の訓読法及び訓読語を記述せよという条件をつけておりまして、それがやっぱり非常に問題になっております。しかもこれはこの社にだけでなくて、刷り物を持ってきて、調査官が各社へそういうことを言っている。御承知通りに、古典乙の一に漢文の文法を記述するということにつきましては、適切でないという教育者諸君の見解が一致しておりますが、こういうふうに、現状からいいましても非常に不当な、支配的な、あるいは一方的な判断でもって、調査官が出版社及び著者に圧力を加え、それが許可、不許可になる理由にされているというのは非常に不当だと思うのですが、こういう点はどうでしょう。
  76. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 個々の教科書につきまして、いろいろ教科書会社と話し合いをいたしましてやることは事実でございますが、今御指摘になりましたような不当なことがあったかどうかは私は存じませんけれども、しかしながら文部省といたしましては、調査官が教科書の検定基準に従いまして立場の公正店ものを検定するという立場から、もし公正な立場でない教科書の記述の仕方なりがあったとすれば、それは発行会社に対してそういう点をいろいろ御相談申し上げているというのが、従来のやり方でございます。必ずしも、御指摘のように、強圧したとか、あるいは無理やりにしたんだというようなことはないと考えております。
  77. 谷口善太郎

    ○谷口委員 私は具体的に聞いているのですが、戦没学生の手記とか、あるいはネールの娘にあてた手紙、こういうものはやっぱり手紙のジャンルに入りませんか。これは偏向ですか。あるいは長塚節の「土」、これは方言が多いし、暗いからだめだということになりますか。調査官がそういうことを言って、これを不合格の理由にしているのだが、それは正しいですか。そういう点、どうです。
  78. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 私は手紙自体は、それは差しつかえないと思いますけれども、手紙の内容によっては、あるいはいろいろの場合がございますので、御相談申し上げたことがあるかと思いますが、私は今そのネールの手紙なるものを読んでおりませんので、お答えができないわけでございます。
  79. 谷口善太郎

    ○谷口委員 だれに聞いたらわかります、文部省の見解は。
  80. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 直接その衝に当たっておりますのは、主任調査官が当たっております。私が一々その手紙の内容についてまで、ここでお答え申し上げるほどの材料を持ち合わせておりません。
  81. 谷口善太郎

    ○谷口委員 これが偏向だと言っているのです。戦没学生の手紙は御承知通り、あの戦争の犠牲になった、不当に動員されて全く青春を失ってしまった学生たちの、戦争中書いた手紙です。明らかに手紙のジャンルです。ネールさんの手紙は、あなた読んでないとおっしゃれば仕方がないですが、これは世界的に有名な手紙でございまして、ネールさんは獄中から、娘を激励するためにずっと手紙の形式で書信を出しているわけです。手紙です。戦没学生の戦争反対の立場に立ったそういう手紙だとか、あるいはインドの独立を非常に強調して娘を教育するというような手紙、そういうものを偏向だといって、調査官がこれを不合格の理由にするということ、これが、今日の指導要領に基づく検定の上で、正しいですか正しくないですか。内容を御承知か御承知ないか、それを読む読まぬは別です。内容はそういうことですか、どうですか。
  82. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 その戦没学生の手紙のみによって不合格になったかどうか、私も調べてみませんとわかりませんが、戦没学生の手紙にもいろいろあると思います。従って、教科書として非常に暗いという面は、やはり一般の生徒児童に与えるものが相当強いものがございまして、そういった点からは、これを採用するかしないかは十分会社と相談していくというようなやり方をしていると思います。一がいには申し上げられませんが、いろいろあると思います。
  83. 谷口善太郎

    ○谷口委員 そういうふうにおっしゃると押し問答になるようでありますので、それでは伺います。今日の憲法のもとで、今日の教育基本法のもとで、しかも今日の学習指導要領に基づいて、まことに正しいと普通に思われているものが、調査官によってこれが排除されるというようなことがありますから、こういう不当な検閲——ほとんど検閲ですが、検定の態度に対して、発行会社及び著者から抗議をされております。抗議をされた結果、ある事例では、取り消して、宵免許といいま一すか、再申請させるというような手段をとられたようでありますが、そういうことがありましたか。
  84. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 これは教科書会社と相談をいたしまして、教科書を検定するまでにりっぱなものになるということであれば、これはあくまで教科書を作る問題でございますので、会社側の誠意も考えまして、あるいは一回で検定が通らなくても、特別にさらにもう一ぺん調査をやり直した例も、一、二ございます。
  85. 谷口善太郎

    ○谷口委員 具体的に聞きます。三省堂が去年の十二月二十七日に抗議を出しているはずです。ここに抗議の理由を書いております。読むと長くなりますから要約いたしますが、印刷台の変わり目切れ目に挿画を挿入した、これが普通の本文とページが、ただ一ページぐらい変わっているのだろうと思いますが、変わっている。あるいは活字が小さいとかなんとかいう問題で、非常に形式的なことでもってこれが減点の理由になっているという点、これは正しくなかろう。これは生物に関するあれでありますが、他の教科ではこういうことはないはずだという点が一点。それからもう一つは、教科書調査官の個人的な判断が大きく作用しておる。名前をあげてあります。青柳調査官、こういう人がおりますか。この青柳調在官が、このときに、三省堂の責任者とこの検定についての話し合いの中で、私はそう考えておる、私はそうやるんだ、私の頭の中にある教科書はこうだというような個人的な判断で、検定の権限が実際上青柳調査官にあるかのごとき態度でやって、検定の結果許可しないという態度をとっている。この点は間違いであろうということを言っております。これが二点。  それから第三点に、学問上の誤りを指摘した点が実は青柳調査官の学問上の誤りであって、つまり自分の誤りが逆に教科書の正しさを指摘している。そしてこれを誤りだといって不合格にするという態度をとっておる。このことを三省堂が抗議した結果、もしこういう調査官の態度が誤りだということを再確認されまして、そして再免許の申請をさせるということをなさったのですか、つまり調査官のやったことは間違いだったということをお認めになって、教科書再申請をさせたということになるのですか、その点どうですか。
  86. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 この教科書の活字の大きさの話でございますが、これは人に読ませる教科書でございますので、やはり子供の保健上から一定のきまりがございます。従ってあまり不鮮明な活字、あまりに小さい活字というものは避けるようにいたしております。これは何も生物の教科書に限った問題ではなく、各教科に共通の問題でございます。  それから、今特定の個人の名前をあげての御質問でございますが、教科書の調査に関しましては、単に一人の調査官でそれを担当して最終的にきめるというやり方ではございません。もちろん慎重にいたしますので、数人の各教科の担当の調査官がそれを担当いたしまして、そうして合議によって調査の結果を資料として提出いたしまして、その資料に基づいて教科用図書分科審議会の大ぜいの委員でこれの適否をきめるという仕組みにいたしております。従って、今おあげになりました個人の、一人の調査官の判断に基づきまして独断的にきまっていくということではないのでございます。特に生物の問題につきましては主任調査官は別の調査官でございます。  それから、三省堂の教科書に対して、その調査官の誤りを認めて再申請させたかというようなお話でございましたが、私はさように聞いていないのでございます。三省堂自体がいろいろ同じような教科書を幾種も出されまして、そしてそれについての訂正等も十分調査官のところで相談をいたしまして、その結果に基づいて再提出をされたように聞いておるのでございます。
  87. 谷口善太郎

    ○谷口委員 制度としてはそうだと思うのです。一人の調査官の意見によってすべて決定するということは考えられないわけだけれども、実際上それをやっているということです。そこが問題なんです。制度としてはそうじゃないとあなたはおっしゃるのだけれども、そうだと思う。しかし実際上やっているのでありまして、ここにそのときの問答の記録があります。これは非常に明らかですから、これをお読みになればわかると思いますが、はっきり青柳調査官がみずから自分の権限のような態度でやっておりまして、そしてたとえば一緒に出ております木下調査官、この人などはこの三省堂から出しました原稿に対しまして非常に意見が少ないんだ、よそから見て非常に少ないんだということを言っております。しかし青柳さんは、わしはそうやるんだ、わしはきびしくやるんだ、 こう言って押し切っております。そういう態度が正しいかどうか、それはやはりここではっきりさせてもらう必要があると思うのです。
  88. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 調査官は自分の信念に基づいていろいろやったかも存じませんが、しかしそれは決して私は間違っておったというふうには考えないのでありまして、特に今御指摘になりました三省堂の生物の教科書につきましては、十分慎重にするようにと私は調査官にも指示をいたしまして、別の調査官においてさらに十分な検討を加えて検定をいたしたわけでございます。
  89. 谷口善太郎

    ○谷口委員 別の調査会指示されて検定追加の資料にされたということであれば、これは大へんけっこうだと思うのですが、しかしそこらのところが、今の調査制度あるいは検定制度の中に非常に大なる問題として今会社あるいは著者の間に問題になっておることは事実です。特に青柳さんの個人のことになってまことに恐縮ですけれども、ずいぶんいろいろうわさがありますな。この点については、文部省の方で何かお聞きですか。それともそういうことについて御本人を呼んで話されたことがありますか。ございましたらそこらを一つ聞かしていただきたいと思います。
  90. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 私は何も聞いておりません。
  91. 谷口善太郎

    ○谷口委員 これは青柳さんだけのことではないと私どもは思っておるのです。こういう制度の問題だと思うのですが、制度の問題として一番問題になっておりますのは、今日の検定制度方向内容が、さっき文部大臣がおっしゃったように、国家統制とか、あるいは国定教科書の方へ——大臣はそういうことはないとおっしゃいますけれどもあとに申します通りに、ちゃんと大臣の出身政党であります自民党は、そういう方向をはっきり打ち出しております。そういう立場をもって行政指導をやられるところに、調査官の諸君まで非常に恣意的な自分の観念だけでやるというような結果が生まれてくると私どもは思うのです。こういうことは私が申し上げるまでもないことでありますが、検定制度というのは、旧憲法時代の国定教科書制度を排除するという意味から、そういう進歩的な意味をもって創設されたと思うのです。ところが調査官の主観を入れる余地を残した。教科書の画一化や国家統制、国定化の方へ目ざそうという片寄った考え方与党政府の中にあること自体が、この検定制度の進歩性をなくして、逆に統制の方向、画一化の方向、また国定化方向へ向かうような活動を調査官にさしておると思うのです。ここに大なる問題があると思うのです。さっきのお答えと関連しまして大臣この点についてのお考えはいかがでしょう。
  92. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 教科書の検定が統制的になるのは必然のことだと思います。というのは、用語が足りませんけれども、さっきもお答え申し上げました通り教科書内容が学習指導要領に合致しておるかいなかを主眼点として教科書検定に当たる者が検定をするわけであります。学習指導要領に合致してないものは合格させない。これは国民に対する、特に義務教育教科書に関する限り当然の政府側の責任であると思うわけですが、その点を統制とおっしゃれば、これは、統制にしなければ、学習指導要領に合致させるようにしなければ、国民に申しわけないという立場の必然的な結論であろうと思います。国定教科書であるべきだということを言う人がないとは言えませんでしょうけれども、そうはいたさない方針でございます。
  93. 谷口善太郎

    ○谷口委員 ここに自民党の義務教育学校児童生徒に対する教科書無償給与実施要綱案、そこに問題点を書いておりますが、これも長いから一部分だけ読みます。その二のところで「義務教育教科書国定化について」という項目がございまして、「(一)義務教育教科書については、国定化の論もあるが、現在検定は学習指導要領の基準に則り厳格に実施されているので、内容面においては実質的には国定と同一である。」こういうふうにいっておる。それから「(二)今後企業の許可制の実施及び広域採択方式整備のための行政指導を行なえば国定にしなくても五種程度に統一しうる見込であるので国定の長所をとり入れることは現制度においても可能である。」こういうことを要綱でいっておるのであります。大臣は四国での発言を否定されておりますけれども、しかし、そういう意味のことを言ったと言っておりますし、与党の方でもこういうふうにはっきりと国家統制の方向に現在の検定制度を持っていく——現行法でもそういうことかなされるからといっております。なされているという実情は、きょうは非常に部分的にしか言いませんけれども、こういう実情の中で、実際には教科書会社への圧力なり、文部省の気に入るような著者を集めなければならぬという運動になるほど、そういう圧力になってくることは事実なんです。こういう点について、やはりここのところではっきりしてもらった方がいいような気がします。大臣は、画一化していくのは当然だというふうな言い方をされますけれども、これはとんでもないことでありまして、そういうことをやりますと、これは教科書国定化になる。国家権力をもって教科書を支配して、それによって国民全体の教育を支配するという、かつての天皇制時代と同じことになるのでありまして、そういう点、大臣は大事なところにおられるのですから、そういう発言をされることは大へんなことだと思いますので、そういう点重ねて伺っておきます。
  94. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 私は一つも残念なことに思いません。今の憲法のもとにおいて当然であることを申し上げておるのであります。学習指導要領というものを文部省の責任において天下に公表し、全国民の前にさらして、その内容そのものが今の憲法に合致し、憲法に基づくあらゆる法令から見ても妥当なるものと信じて定めて公表しておるもの、そのものさしに基づいて検定するのでありますから、その検定に合致しないものは不合格になるのは当然である。そういう意味で申し上げているので、何も戦前の国定教科書の形に持っていこうたってできない。そうやることそれ自身が適切でないという前提で今の法令はできておると思いますが、その線に沿ってやろうということは、一つ国民から見て迷惑ではない。学習指導要領に合致してさえおれば、教科書会社がいろいろな教科書を編さんして検定に持ち込むことは、待ってましたと、善意をもって検定しておる姿でございます。
  95. 谷口善太郎

    ○谷口委員 待ってましたと、持ち込むことを喜ぶとおっしゃるけれども、私などは現在の指導要領そのものにつきまして大いに論じたいことがありますが、かりに現在の指導要領を認めたとしても、その範囲内での検定が、さっき申しましたようなネールの手紙や戦没学生の手紙についても、これがそれに反するという態度をとってき、それが正しくないのだというふうに文部省当局がおっしゃるとしますと、これは一体どういうことになりますか。それ自身が問題だと私どもは思っている。だから文部省当局が今のようなお考えであって、その任によって活動いたしております調査官という制度があるとすれば、これはどういうふうにおっしゃろうと、事実としては国定化の方へ行く。国家統制の方に行く。現にそういう方向に向いている。  そういうことが明らかでありますが、この点に関しまして私社会党の方方に伺いたいと思う。社会党の教科書案は、教科書委員会というものを作ることになっている。これは国会の同意を得て文部大臣が任命するということになっております。ここに幾つかの問題点がございますが、たとえば三人以上同一の政党に属してはならないという規定があるとかありますが、いずれにしましても、文部大臣がこれを任命する。そういう任命制の委員会です。ここで現在のように学校教育法施行令だとか、あるいは学校教育法施行規則とか、あるいはまた今問題になっておりまする教科の編成あるいは教科内容、学習指導要領等それらに関する現在の諸規定をそのままにしておいて、大臣の任命による委員会で、実際に社会党が考えられるような検定を通じて自由な教科書をたくさん作り上げることができるというお考え、あるいは確信を持っておられるかどうか、この点をちょっと伺いたい。
  96. 山中吾郎

    山中(吾)議員 国家組織法に基づいて教科書委員会を作るということがこの法案の一番のみそであります。そこでこれは文部大臣の指揮監督権はそこから離れるわけであって、その点においては国定化を防止する保障になると考えております。ただその構成員を任命する場合に、構成員になるについては総理大臣または文部大臣が任命するという形式をとらなければ、国家組織全体の体系からは不可能である。そこで一応教科書行政というものは、教科内容については、文部省を設置することを前提とする限りにおいては、これをとってしまいますと、むしろ文部省を廃止しろという立場をとらなければならない、こう考えておるわけであります。そこで教育内容について文部大臣の職務の中に入っておる限りについては、教科書行政そのものの、教育の中立性の立場から行政委員会を作っても、任命形式だけは文部大臣が持つということにせざるを得ない。しかしそれが政党政派の中に行政の変更があってはいけないので、国会の承認を要する。国会の中には各種の政党があるわけでありますから、任命する場合に国会の承認を要するということによって、教育の中立性を保たれるという考えでこの法案を構成をしておるわけであります。
  97. 谷口善太郎

    ○谷口委員 任命されてしまったら一応文部大臣の指揮権、指導権から離れて独立するというふうにおっしゃいますけれども、任命すること自体が文部大臣の権限になる。国会の同意を要するということになっておりますが、この委員会では教科書の種目、検定の基準をきめるというようになっておりますし、それから検定を行なう権限、発行供給の規則に関する事務を行なう、その他書いてございます。要するに教育の基本問題をこの委員会が行なうわけであります。今までの文教委員会でのいろいろな問題につきましても、社会党の皆さんは、教育の人民における自主性というか、教育を受ける権利あるいは教育の民主化というか、そういう点を強調され、そうして教育が地方自治体の権限として分散されておるという点を強調されておるわけであります。またそういうことで旧教育委員会が生まれ、公選制の教育委員会制度ができた。これが現在は公選制でなくなって任命制になっておるわけです。これはあと財政その他の点でまた触れることになると思いますが、そういう教育委員会を持ち、そして大胆の任命によってやる。どんな独立をしましてもそういう方向では実際は教育の民主主義というものは守れない、あるいは自主性、中立というものは守れないのではないかと思う。この点はどうですか。もう少し言わしてもらえば、実は文部省なんて要らない。はっきり、教育は地方に権限はあるのであって、国民から直接選んだ委員会によって教育は政府の不当な支配を脱して独立してやるべきだ。文部省が要るとすれば、外から実務的に、ここに施設がないからその金を出す、そういうことをやるべきであって、サービス機関だ。今のような権限を持ってはいけない。そういうふうに私は思うのですが、社会党の考えはどうですか。
  98. 山中吾郎

    山中(吾)議員 行政組織の根本に触れての御意見を申されたのでありますが、文部省そのものが非常に偏向的な指導をするというふうな弊害は私も認めます。そこで公選制の地方教育委員会の側から代表者が出て、間接選挙といいますか、そういう形で公選制の地方教育委員会にするということも一つの方法だと思うのです。あるいは文部省の機能というものは、全国のこの教育行政の調整というふうなことを中心として、文教調査局とか、あるいは経済企画庁と同じような教育文化企画庁というふうな一つ方向もあるでしょう。そういういろいろな論はつぶさに検討してはおるのでありましょうが、一応現在の文部省というものを廃止することを前提と今いたしますと、文部省設置法の廃止法案も出し、そして行政全体についての膨大な検討を加えて法案を作成しなければならないので、そういう論議はあっても、現在の文部省を前提としてこの法案を提案したのであります。  そこで、この教科書委員会は、たとえば公安委員会あるいは文化財保護委員会というふうな制度と同じでありまして、公安委員会の場合、政党に所属する国務大臣が兼務しておるということの中に、戦後最初に出発したことから民衆から離れたものが出ておるのであるが、そうでなくて、行政委員会委員長も政党に所属する大臣でないという一つの建前、現在の文化財保護委員会もそういう形でありますが、この場合については弊害はないのじゃないか。ある意味において、文化財保護委員会のように権力で左右されないものが文部大臣その他と別途にあるので、私はその意味において、私見を申し上げますと、文化財保護委員会のような場合は、国務大臣委員長になって日本の文化を守るということもいいのじゃないか。しかしそういう心配のない場合に、今のように文化財保護委員会ができて、この席上で、文部大臣は直接責任はない、これは文化財保護委員会の問題であるというふうに常に答えておられるわけでありまして、そういう同じ構想の上に教科書行政委員会を持つことによって保っていけるのだという一つ考えのもとにこの法案を提案しておるわけであります。任命をされても指揮をせず、任命して指揮監督できずというところにこの行政委員会があり、国会の承認という保証をここで与えてきておるのであって、そういう意味の中においていろいろそういう点は入っております。たとえば発行供給義務というものを書いておりますが、これは純粋に教育的に教科書というものは一定の学期の初めに正確に子供に支給しなければならないので、これを一月教科書の供給がおくれる、あるいは一、二割不足であるということになりましたら、四月最初の学期にすでに教育的な支障を来たすのであって、これは教育行政の当然の性格として、教科書出版会社というものは適時適切に正確に教科書子供に渡す義務があるということの建前をとらない限りにおいては——五月、六月になっても教科書が支給されないでおくれた、これは戦後に相当例があって、地方の教育委員会は非常に困惑し、父兄その他から非常に非難を受けたこともございます。そういう意味で、教育というような特質からそういうふうな規定が必要であると考えたのであります。
  99. 谷口善太郎

    ○谷口委員 今文化財保護委員会あるいは公安委員会などの例でおっしゃいましたが、なるほど文部大臣から独立して独自に行動する権限を持っておる。任命は別として、でき上がったそういう権限を持つというところに非常に重大性を認めていらっしゃるようでありますけれども、この間から、たとえば文化財保護の問題でいえば、文化財保護委員会がありましても、政府予算を出さなかったら何もできぬことはお互いに知っていますね。これはこの間も問題になったところです。予算で押えれば、人間で押えればということをやります。公安委員会に至っては、これはもう戦後の国民の中の治安を守るというような面での権限、地方分散しましたものがとうとう国会で修正されてしまったのでありまして、そういう点で任命制の委員会を持つということは、これは何といっても大もとが違うのだから、荒木さんが文部大臣ですからね。その大もとが違うのだから、これはもうどうもしょうがない問題があるのじゃないか。やはり文部省廃止というところまでどうして社会党はお考えにならなかったのか、私は非常に残念であります。たとえば、ここに、三人以上同一政党に属してはならぬというような点だとか、あるいはこういう点があります。どういう人を任命するかという点については、「教育、学術又は文化に関し広くかつ高い識見を有する者の中から、」という規定がございます。一見非常に公正で、一見非常にいいように見えますけれども、なぜこういうふうに限定するか。教育のことにつきましては、これは国民に権限がありまして、国民主権の立場からいってもそうなんです。それから憲法及び教育基本法立場からいいましても国民にある。それならその行政をやるには、もとへ返って、たといこういう委員会であろうと、あるいは地方教育委員会であろうと、これは公選制にするというところまでいかなければならぬ。そうすればこれは限定する必要はないのであります。国民の中からりっぱな者を選べばいいということになると思うのであります。なぜそこまでいけないのですか。そこのところはどうですか。
  100. 山中吾郎

    山中(吾)議員 行政上の制度の基本問題に入ってきたものでありますから、教育行政を大体——たとえは現在の、十六、七世紀の三権分立の思想が四権分立の思想に拡大して、司法権、立法権、教育行政権その他の行政権というふうに四権分立の思想まで進んでいくならば、文教行政は、それは公選に基づいたものによって国全体のあり方を再検討して行政組織を考えるということも考えられるわけでありますが、われわれはそこまで実は検討をするに至っていないのであります。これを検討するにはやはりわれわれは責任があるので、まだ相当時間をかけなければならないということで、現状の国家基本組織の上に立ってこの法案を出したのであります。  それから次に、文化財保護委員会とこれを比較いたしましたが、教科書行政委員会は、すでに国が無償という前提に立って、毎年予算を多くとるという必要のない無償供給をして、しかも国定化しないための行政委員会でありますから、予算をとることに力を必要とするものではないのです。教科書が民主的に自由な企業と自由な出版の中に、そういう国定化から、国家統制にならない保障を持つところにこの行政委員会の設置の理由がある、もっぱらそう考えているわけです。文化財の場合については、これは予算を多くとらなければならない。そうしてこの間の問題についても、あれだけ問題になっているのは非常に弱体であるからで、文化財保護委員会というそう政党政派に偏向する性格でないものも文化財保護委員会を作って、そうして弱体にしているということには反対である。性格はまことに違ったものであるという立場で申し上げたのであって、ただ性格は、いわゆる文部大臣から権限的には独立した行政委員会にしなければ最小限国家統制を防止する保障にはならない、こういう考えで提案したわけであります。
  101. 谷口善太郎

    ○谷口委員 根本問題になって、あなたとここで論議しても何だし、そこを避けて——制度のもとでの立場でこの案を出したという社会党の皆さんのお考えはよくわかりました。この案の中に、理念としても正しいものが大いにあると私どもとしては指摘しておく必要があると思うのです。たとえば検定申請しまして、いろいろ調査官との間に——調査官というのかどうか知りませんけれども、ともかくそれがもめた場合、著者もしくは発行者が異議を申し立てて、さきの決定が正しくないという場合にはそれを認めていくというような、そういう制度が明らかにされたことは大へんいいと私は思うのです。しかしこの問題ばかりにというわけにいきませんので、一応残して先へ進みたいと思います。  採択の問題にちょっと入りたいと思うのでありますが、これは文部省の方にお尋ねします。現在教科書展示センターの利用状況はどういう状況でしょうか。
  102. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 御承知のように、現在教科書センターあるいは臨時に分館を置くところも相当ございますが、大体その展示の期間に、教職員数におきまして五十万以上の教職員がこれを利用しておるという実情でございます。
  103. 谷口善太郎

    ○谷口委員 教科書センターが六百二十八、分館が百、臨時分館が千三百八十六、三十六年度のものですが、教員たちが五十万くらいこのセンターを利用しておるということですか。
  104. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 その通りに聞いております。
  105. 谷口善太郎

    ○谷口委員 そうではないのと違いますか。私どもは現場の先生たちに採択権があるという主張なのですが、これは社会党さんも同様です。そういう主張ですけれども、そういう採択権のある先生たちが展示会に出ていくとか、センターを利用するという点では非常に困難な状況にあるのと違いますか。
  106. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 だんだん教科書の選定なり研究について熱心になっておりますので、そういう利用者は逐年ふえております。
  107. 谷口善太郎

    ○谷口委員 それはあなたは事実を言いつくろっていらっしゃるのではないかと私は思う。ほんとうの展示会を十分に利用するというのは、教員や現場の先生方は非常に困難な状況に置かれておる、これは事実です。ほんとうは行けない。第一仕事に追われてとてもそういうところへ行っている暇がないという。それほど教員の数の不足の問題、定員の問題がここへ出てくるわけでありますが、そのために仕事に追われて行けないというような実情があるのであります。それから校長先生が出張を認めません。これはおそらく文部省からそういうふうに行政指導なさっていらっしゃるのが、そういうふうに現われているのではないかと思うのですが、たとえばきょう展示会があるから教科書を見に行って比較研究したいと言って申し出ましても、校長先生が許さぬという事実があります。それから山の中から出ていくには、バスにも乗らなければならぬし、汽車にも乗らなければならぬ、そういうための費用がありません。第一ここにあります教科書に関する臨時措置法の中で、あるいは施行細則の中でも、そういう面は何ら規定しておりません。先生がそういう活動をするためには、こういうふうな費用を出してやるという規定はありません。教科書会社だとか教育委員会だとかあるいは文部大臣のやることは、たとえば展示会を開く場合には規定に書いてありますが、そこへ見に来る先生のためにはどうしてやるべきだという規定がない。十分比較研究できるような保護措置、あるいはそれのできる措置を保障してないということが明らかです。それからこれは一番大きな問題でありますけれども、現場の先生方は展示会に行って教科書を比較研究して、しこうして帰ってみて、いろいろ研究してこの教科書がいいというふうにきめましても、これは実際には今の文部省の行政指導では認めぬのでしょう。結局広い地域、いわゆる広地域統一対策という方式で都道府県に一本にやらせる、あるいは少なくとも都道府県が必要だと思われる大きな市町村単位、あるいはそれを集めたような単位で一本に採択しようというようなことを、行政指導としてやっていらっしゃるのでしょう。個々の教員がどんなに研究し、どんなに犠牲を払って勉強しようとしても、その結果が認められないというような行政指導をやっておられるのではないでしょうか。従ってあなたは展示会の利用は年々多くなっていっていると言いますけれども、事実は反対じゃないですか、その点はどうです。
  108. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 地域によりましてはなかなか先生の利用が困難な場合もあるというので、臨時の分館等を設けまして、できる限り先生方の教科書に対する研究をやってもらう、こういう趣旨で設置場所もふやして参ったわけであります。しかし現実の問題として、先生もいろいろ用事を持っておりますから、そういう困難な場合もあろうかと思います。しかし文部省としては教育委員会を通じまして、そういう教科書の展示の際にはできるだけこれに参加して十分に教科書を研究するようにという指導はやって参っております。各県の教育委員会においてもそういう趣旨でやって参っておるものと考えております。  ただ先ほどお述べになりました中で、先生が選定をしてもそれを認めぬのではないかというようなお話がありましたが、これは現在の採択のやり方が、個々の教科書の選定について、学校ごとにそれをきめるというのでは、利用者側にとって非常に不便だというので、選定委員会等を設けまして、事実上教科書の選定について研究し、あるいは一種類だけでなく、一種ないし数種のものを選定して、その中から今度はできれば郡市単位に広域の採択をするというやり方をとっておりますので、その選定の際におきましては、現場の教師の意見というものを十分考慮してやっているのでございまして、全くこれを認めないというようなことはないと考えております。
  109. 谷口善太郎

    ○谷口委員 広域採択方式というのは、秋田、東京を除くほかは、ほとんどの府県がそういうふうなことになっているようでありますが、教科書は一教科ごとに一種ないし二、三極ということに都道府県なら都道府県の教育委員会でしぼるように、そういう行政指導をしていらっしゃるのでしょうか。
  110. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 特にそういうようにはいたしておりませんが、県の教育委員会において、そういう一極ないし数極の、一種ということはないと思いますが、数種の中から選んだ方がいいというような場合におきましては、そういう指導を、ところによってはやっているかと思いますけれども、しかし大部分は、各市町村の教育委員会が自主的にこれを相談いたしまして、選定によって出て参った教科書の中から一極ないし数種をきめていく、こういうようなやり方をいたしておるわけでございます。
  111. 谷口善太郎

    ○谷口委員 ここに文部省の出された「昭和三十七年度使用教科書採択事務取扱要領」というものの全文がありますが、これは非常に長いものですから読み上げませんが、いわゆる広域採択方式というのは、今おっしゃるような、そんなきれいごとじゃないでしょう。地方の都道府県の教育委員会が、先生方の意見を聞いて、なるべくその地力に都合のいいように教科書をしぼっていく、あるいはそういうような研究の結果、自主的にそういうようにやっているとおっしゃっておられますけれども、これを見てごらんなさい、どんなことが書いてありますか。これはとんでもないことだと私は思うのでありますが、そういう結果として、教科書が一、二種にしぼられ、従ってまた大メーカーといいますか、大手三社が現在でも五〇%以上になっているようでありますが、中小の教科書製作会社、あるいはそれとの関係の著者というものがオミットされる、方向にいっている。のみならず、この地域の先生方の意見というものは、そういう文部省の行政指導の結果、都道府県の教育委員会がやります、一本にしぼって教科書の採択をしろ、そういうやり方の中で、どんなに先生方の努力やあるいは教育に対する熱情というものがこわされているか、その実情を御存じですか、御存じでしたら知らしていただきたい。
  112. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 実際に教科書を選定する場合におきまして、校長あるいは一般の教員等を頼みまして、教育委員会で具体的に教科書の選定をするわけでございます。その選定の意見に基づきまして教育委員会が採択をやるわけでございます。従って個々の教科書については、やはりいろいろ多人数の場合におきましては、意見の違う面もあり得ると思います。しかしながらそれはやはり全体の利益のためには、ある程度譲らなければならぬというような場合もございますので、個々の先生が全部自分の意見の通りに採択されるということは、かえって全体のためにはそのことが不都合な場合がありますので、自分の意見が通らなかったからといって、それについての意見を全部殺されたのだ、こういう見方自体が私はどうかと考えますが、それはやはり全体の立場からこの採択というものをきめていただきたい、こういう趣旨でございまして、あくまで採択の場合には現場の意見というものはできる限り尊重していくのが建前だろうと思います。
  113. 谷口善太郎

    ○谷口委員 現場の先生方の意見を聞いて、それに基づいて都道府県の教育委員会なり、あるいは大都市の教育委員会がきめていく、そのために教科書採択委員会というものができるというふうにおっしゃるのですけれども、ここに京都市の教科書採択委員会の議事録があります。京都は御承知通りに教員の方々は非常に熱心でございまして、展示会をやりますと、自分で犠牲を払って見にいって、そうして持ち帰りましてから、学校単位でそれぞれの教科の先生方が集まってやると同時に、教科ごとにまた集まって検討を加えていく、そうして大体その地域あるいはその付近では一致したものを先生方がきめて、そうして校長先生に出す、この校長先生というのが、全部がそうじゃありませんが、先生の中から採択委員が任命されあるいは委嘱されている。これは十四人おりまして、十一人が校長会の校長です。これは中学の場合です。教員組合の代表が二人入っている。そういう点京都は割合に民主的なんです。もう一人は図工の先生ですが、校長でない先生が加わって十四人です。その議事録があります。そこには各学校先生方がほんとうに真剣に検討を加えて、この教科書、この教科書と幾つかを選んでいる。これが集まってそれを持ち出されておる。この会議ではどんなことが行なわれたか、これは議事録をお読み下さい。これは全く非民主的といいましょうか、暴力的で、ちょうど国会におけるある場合のような状況、たとえば政防法のときに自民党がとられたような状況だ、あれと同じ状況でこの委員会がもたれ、下からの要求は全然聞かない、下から持ち出した意見は聞きません。そうして採決いたしますが、全部十四対四、十四というのは、そこへ持ち寄った教科書はすべての先生方は支持しておりますから、従って組合の代表も入れますし、図工の先生も入れます。しかし否決になるのはみんな四票です。その教科に関係した先生とそれから組合の二人と図工の先生——校長会の十一人は絶対動かぬ、これがちゃんときめてある、それが投票に出ている、一つか二つの会社のある教科書をとるのだ、これを採択するのだということを、もうこの会議の前に校長会の先生方が十一人できめてある、どんなところできめているかといったら、飲んでいる場所です。教育委員会の責任者と飲んでいる場所できめて、そしてそのほんとうの公式の会議で投票はやりますよ、投票はやりますけれども、全部きめた通りにやりますから、談合をやっているということが問題になっている。これが下の先生方の意見を聞いて、教育委員会がその上に立って調査会なり委員会に審査させて、その答申を得てきめたということになりますか。教育委員会は任命制ですから、文部省のにらみがきいています。政府のにらみがきいていますから、政府はこうせいとこういうように出したらその通りやります。下の者の言うことを聞きますか。教科書の採択権は私どもは教員にあると思いますが、その先生方はほんとうに努力して展示会に行って研究して、そして成規に委員会に出しますけれども、これは一向討論されないで談合通りに投票が入れられて、そしてきまっている。どう思いますか、この中で何が行なわれているかといったら、大メーカーの本をとること、採択すること、採択する教科書は一点か二点、あなた方おっしゃる通り、こうやって中小メーカーをつぶすだけではなくて、教科書の画一化と国家統制を実際にやっているということですよ。これが採択の実情です。あなた方のいわゆる広域採択の実情です。ここのところが問題でありますが、こういうことを御存じないのですか。
  114. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 ただいまお述べになりました京都市の採択のやり方でございますが、これは私、具体的に今おっしゃったようなことを知りません。しかし、かりにその京都の問題が非常にひどいやり方であったといたしましても、全般的にそういうことが行なわれると私は考えていないのです。ほかの地域におきましては、地域の各教科の先生方の意見というものを十分聞きまして採択が行なわれておるように伺っております。もちろん採択委員会というものは、あるいは選定委員会というものは、各教育委員会に付属しておるかと思いますが、その委員会の中には、国語なら国語、社会なら社会、理科なら理科というふうに各教科別の専門の委員というものを何人かずつ設けられまして、そしてその教科別の委員によってある程度十分慎重にこれを研究いたしまして、その結果が採択委員会に出てくる、こういうようなことになっているわけでございます。それを悪用するということになれば、これは別の問題でございますけれども、私は全国的に見まして必ずしも今おっしゃるようなひどい例が全般的に行なわれているとは思っていないのでございます。
  115. 谷口善太郎

    ○谷口委員 京都の実例について、これは特別なひどい例であって、他の府県ではそういうことがなかろうというお話でございますが、先ほど私聞きました教科書会社の宣伝費というものが、こういうときにどういうふうに作用しているかについては、文部省はもう少し真剣にそこらあたりも調査される必要があると思います。これは公式に出ている文書でありますが、議事録の中でそういうことをいっておりますが、これは京都だけのことじゃなかろうと思う。東京だってあるだろう。そういうことが起こるのは、ほんとうに民主的に、教科書会社のが教科書を持ってきて、そして展示会を開いて、教員の人々がそこへ行って、研究してきめて、そこで全体としてきまっていくというやり方でなくて、広域採択というものは、行政指導でもって都道府県にあたかも採択権があるかのごとき態度でもって——都道府県教育委員会にあると私は思いません。あるのは教育についてのいろいろな事務です。採択権というものではありません。現行の法律を見ましてもそうです。それをあるかのごとくいって、そしてそこに採択させるというやり方文部省がやりますからね。だから汚職が起こりますし、先生方がほんとうの教育に対しての熱情が殺されます。教科書は画一化されて、国家統制が入ってきて、それで国定の方へいく。国定にならなくても、現在でも十分だと自民党はいっている。そういう方向になっているのでありまして、私はこれは非常に大きな間違いを文部省がやっていられるのじゃないかというように思うのです。  そこで社会党の方々に伺いますが、社会党の今度の法案の中には、大へん大切なことがうたわれています。採択権は現場の教師にあるということをはっきり書いていらっしゃいますが、この点の御信念なり御見解をここにはっきり伺っておきたいと思います。
  116. 山中吾郎

    山中(吾)議員 教科書は教育内容そのものを示しているものでありますから、教師が自分の教える教科書をいずれをとるかということが教師固有の権利でなければ、これは教育の熱情も出てこない。また自分の気に食わない教科書を与えられて教育をすることは蓄音機と同じで、放送するだけである、そういう信念のもとに、教科書の採択は教師固有の権利であるということは、絶対に確保しなければならない。ことに検定という一つ制度があって、憲法教育基本法に沿う中に一つのワクをはめておる限りは、それを行政機関が採択するということは、これはもう教育を殺すものである、こういう確信のもとに立っておるわけであります。私も戦前に教壇に立ったことがありますけれども、当てがわれた教科書では教育はできない。この点は間違いなく、生きた教育をするためには、教師がみずから好ましく、またみずから最もいいという信念のもとに、教科書を採択していかなければいけないという確信を持っておるわけで、そういう意味において教科書の採択権は教師にあるということ、これは教育的にもなければならないし、現在の法制からいっても、私は法律的に採択権は任命権者の地方教育委員会にあるとは考えていない、そういう二つの理由から、この法律の中に明示しておるわけであります。
  117. 谷口善太郎

    ○谷口委員 その点私どもも大へん社会党案に感心しているわけなんです。特に一人々々の教師が教科書の比較研究をできるように処置しなければならないというような点をきめておるし、それから新版教科書については国庫の経費で各学校に見本が配られる程度の配慮が必要だということも渇いていらっしゃるし、それから教科書の採択は教育職員がみずからの責任において行なうべきものであるという点をはっきり断言している規定を設けていらっしゃるので、非常にその点感心しているのでありますが、私若干疑問を持つのは、せっかく教科書の採択は教育職員みずからの責任で行なう、そうあるべきだというふうにしていながら、あとに校長が教科の教授と担任する教員の意見を取りまとめて行なうといって、最後の決定権は校長になっておる。校長というのは管理職であります。特別に政府から給金か手当をもらっておりまして、一般教員諸君から見たら、全く管理者の側に立っておる。これにつきましては社会党も大いに反対していらっしゃるところなんですが、この校長に最後的な決定権を持たせているのはちょっと残念だと思いますが、それはどうです。
  118. 山中吾郎

    山中(吾)議員 われわれは校長は絶対に管理者とは考えていないわけであります。管理手当が支給されても、これはそういう行政官としての監督者の性格をつけるものではない。校長はあくまでも教師で、管理手当は校長手当と考えている。そういう意味において管理者と考えておりません。それから学校のおのおのの経営の中には、職員会議その他によって憲法教育基本法を具体化する中に、おのおのの学校の具体的教育方針が教員全体の中に作り上げられてくるはずである。そうでなければ、生きた学校経営も教育もできない、そこである授業を担当する先生学校長がお互いにきめたその学校の具体的な教育方針と、先生のどうしてもこの教科書を取り扱えという意思が一つにされることによって、教科書の採択がなされれば、その学校及び教員全体の基本的な方針が生きるのであるというふうに考えて、そういう規定をしておるわけです。
  119. 谷口善太郎

    ○谷口委員 あなたの主観といいましょうか、お考えと、現実の実際とはまことに違っておるのです。その点が非常に大事だと思う。校長先生の中にも、もちろんりっぱな先生がいらっしゃいまして、民主主義的な立場に立って、一般の教員の方々と、教育の上でも、あるいはその他教育行政の上でも——行政なんというのはあまり大したものはないが、とにかく学校運営の上でも、また組合活動の上でも非常に協力しておられる方もありますし、その個人々々については私も同様に考えたいと思っております。しかし事実は、今の制度の中では、校長先生方は、何といっても任命制の教育委員会の側に立って、たとえば京都の実情などのようなことになる。これは政治ですから、この客観的な事実というものからわれわれは出発しなければならぬとすると、この点まことに遺憾と思いますけれども、しかしその点だけにとどまっておるわけにはいきませんので、もう一つ進みますが、採択する範囲、地域については、社会党案でも、「教育上考慮すべき自然的、経済的、文化的諸条件を勘案し、おおむね市若しくは郡の区域又はこれらの区域をあわせた地域内の市町村立の小学校及び中学校においては同一種類の教科書が採択されるように努めなければならない。」と書いてある。これは今あなたに聞きますといろいろおっしゃると思いますが、要するに今の文部省がやっております広地域採択の方式と同じことではありませんか。その点はどうでしょう。
  120. 山中吾郎

    山中(吾)議員 現在の政府考え方は、採択権は教育委員会にあるという立場根拠にして、広地域の採択を奨励しておるわけであります。われわれはそうではなくて、学校教師に採択権があるということを確認をしております。ただその経済的、教育的な条件を勘案してということは、実際は運営にまかすべきであって、法律明示することは、これはあるいは現在の状況では悪用されるおそれがあるということは、私もある程度の心配はいたしております。実際の立法の過程からいいますと、たとえば農山村におきまして、一つの地域には、必ず学校が、全村教育的な立場に立ち、村づくりを含んで、たとえば貧村あるいは漁村におきましても、一つの湾内に、沿岸にずっとつながっているところの町は、十校から十数校の学校があって、同じ経済的、教育的な条件のもとに、そうしてその村の学校が全体として村の開発、村づくりをしよう、あるいは村の封建的なものをなくそうということで、教科課程の研究会その他を持っております。そういうものの中において、同じ教育条件において同一の方向に教育理想を持っておる場合については望ましいという現実も考えてしたのでありまして、大都市とかいう場合についてはそういうものはないのであって、決してそういう方向に持っていくべきではない、こういうように考えております。
  121. 櫻内義雄

    櫻内委員長 谷口君に申し上げますが、大体時間が参っておりますので、御協力願います。
  122. 谷口善太郎

    ○谷口委員 この点につきまして御説明を伺えば、それぞれそういう理由があると思います。同じことは文部省にもあるのでありまして、結局私は今考えておりまして、文部省の実際に行政指導をやっておる、その結果として、教科書の画一化あるいは国家支配というものが非常に強められてきております。広地域採択制をむしろ社会党の法律案によりまして法文に明らかにするほどに、そういう役割すら持つのじゃないかという点が一つ問題になると思うのです。  それからこれはお答えただかなくてもよろしいが、立ち入り検査権の問題であります。これはかって自民党が教科書法案を出したときに、大臣の立ち入り検査権というものを規定しまして、世間の指弾を受けたことは御承知通りであります。これはもちろん文部大臣の検査権でなくて、委員会ということで、その委員会は違うというふうにおっしゃっているのでありますが、しかし結局私どもは、広地域採択方式から見ましても、それから立入権なんというような非常に危険なものから見ましても、これは自民党さんの考えていらっしゃることあるいは政府考えていることと同じことになるのじゃないか。私がもし自民党であったら、あるいは政府であったら、社会党案に賛成しますね。そういう内容じゃないかというような気がします。そういう点を私は社会党さんの方でもう一歩御一考願う必要があるのではないかというふうに考えます。しかし、このことはお答えただかなくてもけっこうです。  最後に、私、採択、検定、これらによりまして質的に、検定で非常に反動化の方へ行くし、それから採択で量的に一本化の方に行っている、その危険性を非常に感ずるわけでありますが、検定の基準になっております学習指導要領の実際のあれに沿うてやったにしても、教科書には、相当の幅がある幾つかの教科書ができるのではないかという考え——これは私の意見ではありません、学者の意見にそういう意見が非常に多いのであります。その学者の意見をここで読み上げてもいいのでありますが、申しませんけれども、そういう意見がかなり、教育者の団体、あるいは教育学者の団体、そういうところなんかに出ております。従って、これは内容的にも、反動化はもちろんのこと、教科書の種類にしましても、一本化に進めていくという方向になるべくやらさずに、そういうことをやらぬという建前をもって、むしろわれわれとしては、民主的な教科書がうんと出てくる——大臣、さっき逆手でおっしゃったが、ほんとうにいい教科書がどんどん出てくるという方向を打ち出せるような制度なり考え方にならなければならぬのじゃないか、そういうふうに私どもは思っておるわけなんです。そういう点についての社会党さんのお考えはどうでしょう。
  123. 山中吾郎

    山中(吾)議員 その点については同感です。一定の幅があるところに、いわゆる教科書編成権が国家にない、いわゆる国定化でないという根本的な立場があるのであって、憲法教育基本法のワク内において、学者の編さんの仕方、表現の仕方、内容の選択その他については広い幅があるのは当然であり、望ましいと思います。従ってまた、検定の基準というものも、表現についての問題であるとか、事実に反するかどうか、そういうことが検定の基準のワクであって、思想統制その他のこまかい基準でがんじがらめにするようなことは、現在の日本の教育行政の基本の精神にも反するであろう、こう思っております。
  124. 谷口善太郎

    ○谷口委員 それでは私これでやめますが、あとの討論のときにも共産党としては反対をするつもりでありますけれども、討論に立たなくてもいいという含みをもちまして、最後に結論として共産党の考え方を申し上げます。  戦後、日本国民は、ポツダム宣言を受諾したときにも、教育についての覚悟が一つあったと思う。それは戦前における、つまり旧憲法時代における教育勅語による軍国主義的な教育を徹底的に払拭し、排除して、民主的な教育を確立するという、そういう点にわれわれの決意があったと思う。憲法教育基本法もその決意の上に立っておる。ところが、これがくずされておるというところに問題があると思う。その決意に立った当時は、従って、教育改革としまして、文部省は廃止する、選挙による中央教育委員会設置という、そういう意見が、教育刷新委員会の建議として、昭和二十二年十二月二十七日に出ておりますが、そういう建議さえ出るほど、世論が、天皇制、軍国主義教育に対して徹底的に戦うという決意を持って、文部省は廃止せよという意見が出たと思う。これは文部官僚の抵抗もあって、文部省廃止まで至りませんでしたけれども、しかし、あの精神によって教育基本法ができておる。それに沿って教育委員会ができた。これが今のように、任命制のものになっておる。文部省自身は残りましたけれども立場としては、教育の外的な条件を整備するサービス・ビューローというような意義を持って発足したものだと思う。これが今のようになって、再び権力を握ってきて、教育内容にまで干渉する、それがあたりまえだという態度をとっておるということになっておると思う。根本的には文部省は廃止すべきである、従って、検閲制はあってはならぬ、教育の問題は、国民の選挙によって選ばれた教育委員会が、地方自治体がやったらいい、検閲制度ではなくて、採択権は従って教員にある、ほんとうに下の現場に働いておる人々にある、そういう立場から、われわれ日本の教育をほんとうに民主的なものに作り上げていかなければならぬというふうに考える。  今度出ております三法案、現在の社会党法案も非常にりっぱでありますけれども、戦争が終わったときの、あの苦難な戦いの中から非常な大きな経験をして、その経験に対する深い深い反省の上に立って、教育を不当な支配から解放して、独自のものとしてやっていこう、中立性を守っていこうというかたい決意がくずされて、そういう戦いにはなっておらぬ、そういう点は私非常に残念に思いますが、社会党案にも賛成することができない。もちろん政府当局の出されましたこの無償法案には反対いたします。社会党の二法案については、教科書給与法案は、内容そのものを見ればあまり問題がないように思いますけれども教科書法案と一緒に出された一体のものだと思いますので、残念ながらこれに反対である。  以上、共産党の立場を申し上げて、私の質問を終わります。
  125. 櫻内義雄

    櫻内委員長 高津正道君。
  126. 高津正道

    ○高津委員 私は、内閣提出義務教育学校教科用図書無償に関する法律案について数点質問をいたします。  まず第一点。この法案は、教科書会社や配給関係者にとっては、まことに死活の問題であると思います。例外としては、この機会に大口に売り込んでというので、非常に勇みはだで、チャンス来たれりと思っておる人があるかもしれないけれども、中小の関係者にとっては、実に、一家族集まって鳩首凝議し、従業員もこれに加わる、こういうような問題だと思う。農民にも専業あり、一種兼業、二種兼業というようにあり、教科書関係にもいろいろ業者があるわけでありますが、たとい今年、あまり露骨に見えてはというので残っても、二年、三年のうちにはみんな整理されてしまうのでありまして、実にこれは重大だと思います。従って、この法案をお出しになる場合に、あらかじめこの案の概要を業者に示して、その意見を徴されたことがあるかどうか、これをまず大臣からお伺いしたい。
  127. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 この問題を検討するにあたりまして、教科書会社等からも意見を聞き、その意見にものっとりまして、検討いたしたわけでございます。配給機構につきましては、特に配給機構の代表者に連絡をして意見を聞いたなどということはいたしておりませんが、現在の教科書会社が、御承知のように末端の学校に至りまするまで間に合うように、支障なく配給するということまで一括して責任を負った建前でございますので、教科書会社に連絡をし、それらのことにつきましても意見があらば求めるという態度で今日まで参っております。
  128. 高津正道

    ○高津委員 教科書会社は配給業者を代表するものと見て、教科書会社だけの意見を徴したが、配給業者のじかの意見は聞いてない、こう言われるのですか。
  129. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 大体その通りでございます。もっともこの無償をやるにつきまして、当面現行の教科書に関する臨時措置法に基づいてやる考え方でありまするし、従って現在の教科書会社及び配給ルートをそのままにして実施するという前提に立っておるのであります。ただしそれらのことも含めまして、調査会で審議をしてもらう。従って調査会の審議の段階におきましては、もっと正式に、具体的に、教科書会社ないしは配給機構の代表的な意向も反映されるような運営がされるものと思います。
  130. 高津正道

    ○高津委員 では第二に移りますが、そのできる調査会というものは、出版業者代表、販売取引関係者、そういう業者、それから学識経験者、そういうようなものがみんな入る調査会ですか。
  131. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 発行会社あるいは供給業者等の意見は十分尊重して参りたいと考えておりますが、その調査会の中に、必ずしもそういう関係の人を代表として入れるというような考え方はとっておりません。
  132. 高津正道

    ○高津委員 それでは、たとえば配給業者というものは代表を入れるという考えには立っていないといえば、入らない、そう理解してけっこうですか。
  133. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 むしろ配給業者の代表としてその調査会委員として加わるということよりも、配給業者の意見として、いろいろあれば、調査会に出てきて意見を十分述べていただくという方が、よりベターであるというような考え方に立っておるわけでございます。
  134. 高津正道

    ○高津委員 お考えだけはわかりましたが、その構成のパーセンテージはどうなんですか。そしてその委員のトータルは。
  135. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 委員は二十名以内でございます。大体教育界、それから経済界、それから一般の文化関係の各界の代表的な人物を入れたい、こういう考えでございます。
  136. 高津正道

    ○高津委員 それにはいつまでに回答を、調査の結果を報告せよというようなワクをはめるのですか、はめないのですか。
  137. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 この問題はいろいろ調査会で御審議を願います事項につきましても、やはり非常に重要でございますので、慎重に調査をしていただきたいと思っております。しかしいわゆる明年度、三十八年度の予算に関連するような事項につきましては、なるべく答申を早くいただきませんと、三十八年度の予算の作成に間に合わぬという事態がございますので、そういう三十八年度から予算的に処置をしなければならぬという問題につきましては、おそくとも十一月三十日までに答申をいただきたいということで、法律上にもそういうことを明記いたしたわけでございます。
  138. 高津正道

    ○高津委員 わかりました。  次に、政府は事務を簡素化するためになるべく窓口を少なくしたい。民間の大会社でも実にたくさんの原料、材料あらゆるものを買い入れるが、それをみんな整理して少数にしぼっておるという事実もあります。富士製鉄であろうが、どこであろうが……。やはり政府にそういう本能というか、役所にそういう習性がある。大口の業者はまた自分のところがこのたび売り込もうというので、一生懸命大口が働きかける。両々相待って、中小企業は大企業に負けるという一般の原則通りに、この場合もこの法律によってそういう原則が冷酷に作用して気の毒な状態を生ずるであろう、このことは間違いない、こう思いますが、大臣はどうお考えですか。
  139. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 この法律に基づきまして無償が発足するに伴って、特別に今御指摘のような方向をたどらせる意図はございません。ただ自由企業、自由競争の結果としまして、ある程度御指摘のような、いわば優勝劣敗的なことが終戦以来、この現行の制度ができまして以来起こっておることは事実でございまして、それが過当競争の結果であるならば、過当競争をなからしめる努力はむろん一方においてしなければなりませんが、大体の一般経済界の傾向として、御指摘のようなことが起こり得るということは言えるかと思います。ことさらそれをそういうふうに持っていこうとする意図は毛頭ございません。
  140. 高津正道

    ○高津委員 政府は前の国会で、中小企業基本法を今国会に出すという予約をしておるのであります。わが社会党においては、すでは中小企業基本法を出しております。それを出すのは、資本主義の熾烈な自由競争の結果は、中小企業者の現状もその将来も非常に暗く憂うべきである、法的措置を講ずる必要がある、救済せねばならぬ、そういう動機からこの中小企業基本法をわが党も出すが、政府の動機もそこにあろうと思う。認識もまたその点では一致していると私は思う。そうであるならば、この教科書法案が通過すれば、出版業においても配給業においても、中以下の業者が必ず資本主義の原則によってばたばた倒れ、その業を失うという結果を来たすに違いないと思いますが、中小企業基本法で中小企業を救うのだということを宣伝しながら、その内閣がこの法案で中小企業をばたばた倒すような結果がくる——資本主義の原則で、自由競争でいけばその結果がくることは争われないと今も大臣も言われた。過当競争は何とかせねばならぬという言葉を形容詞にくっつけられたけれども、そうであるならば矛盾するのではないですか。一方では救うような宣伝をし、一方では中小企業が倒れるような法案をここで出す。これは明らかに矛盾ではないですか。矛盾でないというならば、ないような論理を展開してもらいたい。
  141. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 私は矛盾しないと思います。現在は教科書の代金が父兄負担になっておる、それを国民全体の立場から国民の血税に依存するわけではございますが、父兄から直接支払わないで、税収入の中から、国家予算の中から代金を払うということになる違いだけでありまして、この教科書無償法案が通過した後は、中小企業がそのために苦境に立つということはあり得ないということを申し上げたのであります。もし大企業対中小企業の間に、御指摘のような矛盾があり、相剋があって、中小企業が不当に圧迫され、気の毒な立場に立ったから、基本法を制定すべしということであるならば、それはそれとして別個の問題であって、無償法案そのものに直結した課題ではなかろうと思うということをさっき申し上げたのであります。
  142. 高津正道

    ○高津委員 私の言うのは、この教科用図書無償に関する法律案のために、その関係業者の中の大なるものが生きて、中小がばたばた倒れる結果、ことしでなければ来年、再来年、だんだんひどくなる、そういう結果をその領域においては必ず来たすに違いない、その事実はあなたはお認めにならねばならぬでしょう。
  143. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 今おっしゃることは、ひとり教科書発行業者の問題ではなくて、一般論としては、中小企業基本法というがごときものも必要であろうと考えられる課題としてあるのであって、この無償法案通過によって、その情勢が具体的に激化されるなどという関係には立たないと思います。
  144. 高津正道

    ○高津委員 大企業と——まあ第一次産業と第二次の製造工業とが争えば、製造工業の生産率が伸びが大きくて、第一次産業の生産の伸びは少ない。だから、農業基本法を出さねばならない。生存競争の勝敗の結果がはっきり見えるから、黙っておれないから、効果があるかないかわからぬが、農業基本法を出さざるを得ないんですよ。同じ論理で、中小企業基本法を出さねばならない実情が、毎日の新聞を見ようが、もうみなそれが見えるのであります。貿易の自由化を前にして、大企業さえも統合しなければやっていけないような実情にあるのですから、そのような法案を、この教科書に関する世界に、フィールドに適用する場合においては、特殊の配慮がなければならぬので、そこの生存競争で、強いのが負けて中小以下が勝つという論理はどこをしぼれば出るのか。まああなたは勝つとまでは言い得ないけれども、必ず大なる虫が小なる虫をかみ殺すわけですよ。そういう結果はこないということを断言しますか。二年先でも三年先でもですよ。
  145. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 今御審議を願っております法律案に基づいて教科書無償が実施されることそのことが原因になって、大企業対中小企業のトラブルが起こるということには考えておりませんし、そうならないと信じております。
  146. 高津正道

    ○高津委員 私は、荒木文部大臣は、むろん頭はもう少し働く人である、こう思っておるのに、畑を取り違えて答弁をなさるが、それは故意のような気がするのですよ。この教科書法案によって生ずる結果の弱肉強食を私は問題にしているので、一年生限りであろうと、無償が出るようになれば、その人々の喜ぶことは言うまでもないんですよ。だが、この法案によって生ずる弱肉強食をどうするのか、こういうことなんですよ。
  147. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 繰り返し同じことを申しておそれ入りますが、この法案そのことに原因を発して弱肉強食が起こる、そういう問題ではなかろうと考えておることを申し上げたのであります。その弱肉強食的な現象ありとせば、現行教科書発行に関する臨時措置法が、今の制度が発足以来あるであろう、あったであろう状態が続くというだけであって、特にこの無償法案にからんで御指摘のようなことが特別に起こるという問題ではなかろうと、こう考えて申し上げておるのであります。
  148. 高津正道

    ○高津委員 私は、無償で与えるというそのこと自体には賛成ですよ。しかしながら、そうでなくてさえ、上に厚く下に薄いという政治が行われやすいのですよ。だから、そういうことがないようにという強い希望を表明して、私は質問をここで終わります。
  149. 櫻内義雄

    櫻内委員長 三木喜夫君。
  150. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 前に局長に質問しておりました教科書の採択権ですね、これはたびたびの政府の見解では、教育委員会にあるのだ、このようにお漏らしになって、その下にあるところのいわゆる教科書採択協議会、なおその下にあるところの各教科審議会というようなものが、法的にどのような権限があるのであるか、法的な立場一つ研究してもらってお返事願いたい、そのように注文しておいたのですが、その点について一つお返事願いたい。
  151. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 ただいまの御質問でございますが、私ども解釈といたしましては、現行法によりますと、採択権は市町村の教育委員会にあるものと考えております。その市町村の教育委員会の事務の中に、御承知のように、これは地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第二十三条の第六号でございますが、「教科書その他の教材の取扱に関すること。」という事項がございます。これによりまして、この「取扱に関すること。」という表現をいたしておりますが、これは採択という文字は使っておりませんけれども教育委員会で行ないます教科書あるいは教材に関するいろいろの事務がございますが、その事務の、たとえば今申しました教科書の採択の事務、あるいは教材の届出とかあるいは承認に関する事務、これは三十三条に規定しておりますが、そういった事務、あるいは教科書の需要数の報告とかあるいは展示会に関する事務だとか、各種の法令による事務が教育委員会の仕事としてまかされているわけでございます。従って、採択という表現は使っておりませんけれども、そういった各種の事務をひっくるめまして、「教科書その他の教材の取扱に関すること。」、こういうような表現にいたしまして、若干包括的に書いているわけでございます。従って、この条文によりまして、私どもは、教育委員会がその事務を管理し執行するという権限を持っている、こういうところから、採択権は教育委員会にあるものと解釈いたしております。ところでこの採択権は教育委員会にございましても、教育委員会の権限としてこれを行使するにあたりまして、あるいはこの教科書の選定という事実の行為につきまして選定委員会あるいは採択委員会とも言っておるところもあると思いますが、そういう事実上の委員会を設けまして、これはあるいは教育委員会規則で設けているところもあるかも存じませんが、多くはこの委員会教育委員会の内部決裁によって置いておる委員会でございます。従ってそれに基づいて教育長が委員を委嘱し、あるいは発令をしておるというのが現状であろうと思います。それに関連しまして、この各教科別の専門委員あるいは研究委員、研究員というようなものを委嘱しているのが通例でございます。従って私どもは法的に解釈いたします際に、採択の権限は教育委員会にございますが、事実上の教科書の選定等の行為について教員あるいは校長というような方々にどの教科書を選定するかということの事実上の仕事を委嘱をいたしましてやってもらっておる限りにおいては、これはやはり教育委員会の委嘱による委員でございますので、法的な立場における仕事を持っておる、こういうような解釈をとっておるわけでございます。大体今申し上げましたようなことが私どもの一応考えております解釈上の点でございます。
  152. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 その法的根拠を知らしてもらいたいということを言っておるのです。事実は今おっしゃった通りに運営されておる、あるいはそういう解釈を前の国会でもされておるのですがね。ただその法的なものがはっきりしないわけです。そういうことをやっておることについて事実だけを言ってもらっては困る。また文部省はこう解釈しておるという解釈なれば、法律のどこによって解釈されるか、それを示してもらいたいということを申し上げておるわけです。
  153. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 それに先ほど申し上げました地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第二十三条に基づいた問題でございまして、その教育委員会の事務に基づいてこれを具体的に執行する際に各教員なり校長その他管内の適当な人に委嘱して選定をしてもらうということは、これは教育委員会の仕事として当然権限を持っておればできることでございます。
  154. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 文部省の方はその実情をよく御存じですか、失礼な言い方ですけれども……。今の採択協議会というものは辞令によって任命するとか、あるいは委嘱するとかという方法がとられておるところもある、とられていないところもある。とらぬと、そういうことがまかされるかどうかということ、それからもう一つ下の主任に対して、そういうことについて意見を聞きたいというので聞いた場合、そのことがすぐ法的に制約を受けるかどうか、こういうことは事実上今度の関西においては問題になっておるわけです。そこではっきりしたお答えを聞いておかぬと、私もその場に対処しなければならぬ立場にありますので、それでお聞きしておるわけです。はっきりしておいて下さい。
  155. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 その点につきましては、この関西の問題に関連いたしましても教育委員会委員として委嘱し、あるいは発令の行為をとっておるようでございます。もし何も発令も委嘱もいたしておりませんでやっておるということになれば、これは単なる事実行為でございます。これは委員としての任命あるいは委嘱ということは有効だとは考えておりません。
  156. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 委嘱とか、そういうことが行なわれておるならいいですよ。しかし主任の意見を聞いただけで、そのものに即採択に関係した、そういうようなことで採択権が、もちろん教育委員会にあるのですけれども、採択を補助したということでどんどん罪になっていくようだったら私はこれは法の拡大解釈だと思うのです。何も法的な根拠はないじゃないですか、意見を聞いただけであって、何か辞令でも渡しておるならいいですけれども、辞令を渡しておらぬ場合が多いのです。そういう実情を御存じですか。
  157. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 一般の公務員としてその公務員の義務に違反したとかなんとかという場合は、これは別に委員としての発令行為がなくても公務員法上の問題として処罰されることは、これはあり得ると思います。ところがそれは別個にいたしまして、ただいま御質問のような場合におきましては、私が聞きました範囲では、市教委がこの委員として委嘱をしておるというようなことになっているわけでございます。もしこの正式な委嘱がなくて委員と称しているとか、あるいは主任と称しているということであれば、これは事実上の問題ですから、そういう委員としての責任は追及されることはあるまいと思います。
  158. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 事実上そういうような辞令を用いずしてやった場合には、それは責任はないということですか。かりに辞令を用いましても、その辞令の出てくるところの根拠というものが、採択権というものは教育委員会にあるのですから、それを辞令をもって移管していくということになるのだったら、百分の採択権を放棄しているということになるじゃないですか。だんだん下へおろしていけるのだったら……。  それなら別の角度から一つお聞きしたいと思います。この前からずっと問題になっております。かりに東京都の場合、学校にその採択権をまかしておる、こういうことなんですね。これはどういう形式でまかしておるのですか。
  159. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 私が承知いたしておりますのは、そういう教育委員会が権限を委任するという形ではないと思います。今申しました関西のような事例におきましては、これは教育委員会があくまで採択権は持っておりまして、その選定について意見を徴するための諮問機関的なものとしてそういう協議会なり委員会というものを設けて、その意見を実施の場合に十分尊重してやる、こういう趣旨のものだと考えております。それで東京都の場合におきましても、都の教育委員会が持っております権限を委任しておるということではなく、ただ東京都の場合は、都の教育委員会の方で出します種類は、非常に一種、二種というような狭いしほり方をいたしておりませんが、あくまで教育委員会の採択権というものはこれはそのままにしておきまして、事実上の選定を各学校にまかしておる、こういうような解釈になっておるわけでございます。この点は教育委員会の方に確かめてみたのでございますが、そういう法律解釈をいたしておるわけでございます。
  160. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 それはちょっとおかしくないのですか。たとえばAという学校教科書を採択することをきめた、Bという学校が採択をきめた。それはみなまちまちになって参りますわね。それを教育委員会が認定するのですか、認めるのですか、どういう形式をとるのですか。そうしたら事実上学校に採択権があるということになるのじゃないですか。採択権はあるとして、それは法律的にはあるという解釈をされておりますけれども、事実そういう行為が行われておれば、具体的に下へおりておるじゃないですか。それを教育委員会にあるとしてと、どこをもってあるとするようにできるのですか。
  161. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 東京都の場合はたまたまその選定の種類が非常に多いということで、各学校の実情に基づいて学校ごとに選定しているような形になっておりますが、教育委員会はこれをチェックしようと思えばチェックできるわけです。従って委員会規則あるいはその他の条例等によっても、採択権を委任しているという法規はございません。従って、都の教育委員会としては、法規上何も学校に採択権を委任しているというようなことはございませんで、先ほど私が申し上げたような解釈になるわけでございます。
  162. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 この前の説明では、私は新聞で見たのですが、東京都の場合は、その採択権を委任しておるのだというような解釈文部省の方でされて、御答弁があったように新聞で見たのですが、それは間違いですか。
  163. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 私はそういう答弁をしてないと思いますが、もし何かの形でそういうことが出ておるといたしますれば、法律的に委任できないことはないということはあり得ると思います。今の地方教育行政の組織及び運営に関する法律規定に基づきまして、教育委員会が持っておる事務を教育長に委任し、あるいは教育長が校長に委任するということは一般的におり得ますので、そういう採択権を委任するということは、法律的には不可能ではございません。そういうことでございまして、現実の東京都の場合は、そういう委任をしておるということにはなっていないわけでございます。
  164. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 たとえば人事権と同じことですが、地方教育委員会でよくやかましくいわれるのですが、人事権は県教育委員会にある。内申権は地方教育委員会にある。そして中学校の校長に対しては、その具申権があるというような解釈がされておる。しかし教科書については、今あなたがおっしゃるように、地方教育委員会が校長ないしは学校にその権限を委任する場合、正式な辞令か何かそういうものが必要じゃないのですか。ただ簡単に委任する場合はあり得る、東京都の場合は違うとおっしゃいましたが、あり得る形としては、そういう解釈だけでいけばどんどん拡大されますからして、あり得るあり方というものは、どんな工合でそういうことができるのですか。
  165. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 委任する場合におきましては、やはり規則なり、しかるべき方法によって委任するという手続がとられませんと、委任しておるというふうには私は考えられないと思います。
  166. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 その論法を敷衍いたしますと、先ほど申しましたように教科書採択委員会、これは地方教育委員会が諮問機関として設けておりますからして、その権限を援助したといいますか、補助した形において認めても、その次の主任会については、何かの形式がなければ、そういうことは認められないわけです。またこれは諮問ということですし、主任会としてはAという教科書がいい、あるいはBという教科書がいいと幾ら言ってみたところで、それがCという教科書になる場合もあるわけです。その協議会を経てあるいは教育委員会はそういう決定をする。あなたもさっきチェックすることができるということを言われました。そうした場合に、その下の人に、いわゆる主任会に権限は全然ないと思うのです。その辺を一つ明確にしていただきたい。これがやはり今度の裁判で問題になると私は思うのです。
  167. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 主任会と言っているかどうか私ちょっとわかりませんですけれども、調べたのでは、多く教科研究員というような名前を使っておるようであります。それはあるいは教科別の主任含みたいな形になるのかもわかりませんが、その教科研究員という名称であっても、これが教育委員会から正式に委嘱されて、そういう諮問的な仕事でありましても、責任を負わされるということになれば、当然その義務が生じて参りますので、そういう観点から一般の地方公務員法等にいう、いわゆる非常勤の委員としての責任というものは当然生じてくるものと考えております。もしそういうことが全然ないということであれば、御指摘のように、私はその間の責任関係というものはなかろうと思っております。しかし一般の公務員法上の義務というものはまた別個にありますので、その点はまた別の問題であります。
  168. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 ちょっと話が混線してきたのですが、今おっしゃる教科研究員というのは、これは教科書センターに属しておるところの研究員です。これには今おっしゃるような教科書の採択についてとやかく意見は言えないわけです。どういう教科書がよいかという研究をするわけです。一般的な勉強でしょう。それはデータとして研究部として、教育委員会または主任会に提示するわけです。これを混線されて話をごっちゃにされては困ります。これは法的に採択に何ら関係がないわけです。何ら関係がないというのは、採択をどうしたとか、それが汚職になったとかいうようなことには影響はないと私は思います。私の言うのは、各地に起こっておるのは、この研究員の場合ではないのです。主任の場合にそれが起こっております。私もじかにこの目で見、裁判も実際に傍聴してきたのですが、そこで弁護士と検事側とやはり意見が今食い違っております。これはいいかげんなことを言ってもらっては困ります。やはり重大な影響がありますので、そんなことを混線して話をしてもらっては困ると思います。
  169. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 決していいかげんなことを申し上げるわけではございません。これは非常に重要な問題でありますので、慎重に申しておるつもりであります。少なくとも現在起訴されております三名の者につきましては、一名は委嘱行為がないということをいっております。しかし、これは事実をよく調べませんと、ここで私がとやかく申し上げる筋合いのものではないと思います。他の者につきましては教育委員会はこれを正式に委嘱した、こういうようなことになっております。だからそういう事実問題に関連をいたしましては、これはやはりこういう場所で申し上げることは適当でないと思いますから、個々の具体的の問題は一つ差し控えさせていただきたいと思います。
  170. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 もちろんそうです。具体的の問題を申し上げようとは思いません。今委嘱をされたとおっしゃっておりますが、その委嘱は何として委嘱されたのか。研究員としてですか。教科書の採択に関して意見を具申する主任としてですか。
  171. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 私の聞いておりますのは、この選定委員会委員として委嘱したという意味に聞いております。
  172. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 選定委員会委員は、主任会としての委員ですか。いわゆる教育委員会のすぐ下にある選定委員ですか。それば委員はありますよ。校長とか主任とかいうものがある。私はもう一つ下の委員を言っておるのですよ。主任会ですね。それに権限があるかどうかということはやはり焦点になっておりますので、それを申し上げておるのです。いわゆる採択委員会におけるところの委員として委嘱する。これは辞令を用いると用いないとにかかわらず、あると思います。その点どうですか。
  173. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 私の先ほどから申し上げておりますのは、教科研究員なる者がその採択について委嘱をされておれば、これはやはり責任は委嘱をされた限度においてあるということを申し上げたのでございまして、研究員自体が何も採択に全然関係がないのだ、選定行為を全然委嘱されてないのだという立場に立てば、これはその部面の責任というものはなかろう、私はこういうふうに一般的に申し上げたのであります。
  174. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 そうしましたら、採択に関することはまた後日これを取り上げていただくので、参考人等を呼ぶような決定を理事会でされておりますので、その節私のふに落ちない点はもう一回お聞きして明らかにしていきたいと思います。ただ教科書の調査機関であるところの調査委員、これに対して若干今疑義が出ておるんですが、その一つは、巷間伝えられるところによると、教科書の配給状況、このことについても調査機関を使うとかあるいはこれに諮問するとかいうことがいわれておりますし、なおその配給機構についても政府の方でそうお考えになっておるか、あるいは自民党の一部の方でそういうお考えをしておられるか知りませんけれども教科書配給公団を設立しよう、こういう考え方があるように思うのです。政府の方にはそういう考え方は全然ないですか。
  175. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 私はさようなことをだれからも聞いたことはございません。
  176. 三木喜夫

    ○三木(喜)委員 そうしましたら、そういうことだけにとどめておきまして、自後の問題は次にさせていただきたいと思います。一応これで私の質問を保留して終わりたいと思います。
  177. 櫻内義雄

    櫻内委員長 七時まで休憩いたします。    午後六時二分休憩      ————◇—————    午後七時六分開議
  178. 櫻内義雄

    櫻内委員長 休憩前に引き続き会議を続行いたします。  質疑を許します。村山喜一君。
  179. 村山喜一

    村山委員 できるだけ端的に尋ねて参りたい。  まず第一番目に検定委員の問題です。検定基準を見していただいたわけですが、この絶対的な条件と必要条件が掲げてあるようであります。社会科の中の第二項必要条件の正確性というものが出ておりますが、この中に一面的な見解だけを取り上げている部分はないかどうか。ことしの小学校の社会科の教科書は七種類ありますが、その中で憲法第九条、戦争をしないため、陸海空軍や戦力を持たない、このことが書いてある教科書は七種類の中で何種類あると心得えておいでになるか。  それから社会科の六年生の教科書に、太平洋戦争の終わりのところで、これ以上戦争を続けては日本の国を亡ぼすことになると心配した天皇や重臣たちが無条件降服をすることをきめた、こういうふうに書いてある。これは間違いではございませんか。しかしながらこの天皇や重臣たちというそれ以外に日本の将来を心配をして早く戦争を終わらせようとした人たちがおった。これが文部省の方に、検定委員、調査官のところに出すまでの前の原案は、特定の天皇、重臣、こういうようなことでなくて、心配していた人たち、こういう言葉になっている。ところがどの教科書を見ましても、天皇が列席するところの御前会議で開戦がきまったことや、宣戦の詔勅によって国民が戦争にかり立てられたということは書いてない。そして戦争が終わる段階になった場合には、天皇や重臣たちのそういう考え方によって終わったのだ、こういうようなことが書いてある。これは一面の文理であります。一面の真理であるけれども、全体的な真理であるとは言えない、こういうような点から考えて、一面的な見解だけを取り上げている部分はないかどうかということになって参りますと、非常に検定調査官の個人的な意向というものが出されているのじゃないか。そういうようなものについて文部大臣あるいは初中局長はどういうふうにしてこの教科書の民主的な検定というものができるようになされているのかという点を、第一に尋ねておきたいと思うのです。
  180. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 お尋ねの点でございますが、検定基準の中には、この社会科の必要条件として正確性ということをあげております。記述の内容に誤りやあるいは不正確なところがあるかないかというような点、同時にまた一面的な見解だけを取り上げている部分はないか、こういう点につきましては、御承知のように、かつて偏向的な記述がかなりあったのでございます。そういった点からこういう検定基準の一つのものさしを設けられたものと考えておりますが、記述の内容が一面的であるかどうかということは、これは場合によっては非常にむずかしい判断の問題でございます。従って、常識的にこれを考えるよりしようがないと思います。従ってこの調査官も単に一名だけでなく、調査官一名の主観のみによってこれを判断するということでなくて、社会科なら社会科の調査官が数名によってこれを総合的に判断をいたしまして、そうしてそれが常識的に考えて一面的な記述に終わっているのだというようなおそれがあれば、御訂正を願うということになると思いますが、そうでなく、大体常識的に考えて不都合ないというような判断が下されれば、それに基づいて教科書用図書分科審議会の教科別の会においてこれを決定するというようなことになっておりますので、今の御指摘のような点は、非常に大事な点でございますけれども、私どもとしては、単に一人の主観によってこれを左右するというようなことでなく、できる限り多くの人々の判断によって、良識ある人の判断によって検定を実施していく、こういうような考え方で臨んでいるわけでございます。従って、自分が初めから教科書を書けば、こうも書けたであろう、こうも書きたいというような点は多々あると思いますけれども、それはむしろ検定を受ける教科書の編著者がそういうようにすでに記述して参っておりますので、できる限りその原案というものを尊重して、最小限の検定というものでこれを考えていく、こういうような態度でございます。従って、決して一人の主観や独断でもってこれをきめるというようなやり方はいたしておりません。  憲法第九条の関係でございますが、私、今その七種類の教科書が手元にございませんので、最初の御質問にはちょっとお答えができないのでございますが、必要であれば、調べまして、後ほどまたお答え申し上げたいと思います。
  181. 村山喜一

    村山委員 課長は知っているでしょう。
  182. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 今取りに行っておりますので、しばらくお待ちを願います。
  183. 村山喜一

    村山委員 これは七種類のうち一種類しか書いてない。あとは書いてないのです。憲法第九条第二項、今局長がおっしゃったように、調査官が良識の立場に立って、そうして常識的な判断でやっていくのだ、みんなの個人的な主観が入らないように。ところが、そういうようなものが、すでに、あなた方が考えておいでになるような政治的な意図というものが、この教科書の中にはっきり現われてきているじゃないですか。それと、その調査をする調査官の任務というものははっきり限界があるはずです。実際は検閲をやっておるでしょう。こういうようなことは望ましくありません、どうでしょうかとか、こういうようなことで、原案には戦争を憂えた人々ということになっているそれを天皇と重臣に書きかえるように勧めたのは、これは間違いではありません。歴史の事実から考えた場合に間違いではありません。しかし、そのほかに戦争を憂え、そうして早く終結に持っていかなければならないとした人たちがおったことは事実です。そういうようなのは客観的にどちらが正しいとお考えになりますか。
  184. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 お尋ねの点でございますが、私、具体的にその原案がどうなっておって、この検定をパスした教科書の記述がどうなっているということを存じませんので、その点はお許しを願いたいと思いますが、何も教科書調査官が独断と申しますか、自分の主観でもってそういうふうな判断のみをしたというふうには私は考えておりません。戦争の終結についていろいろ歴史上残るような史実があれば、それに基づいてお書きになっても、それは一向差しつかえないものと、こう私は考えます。
  185. 村山喜一

    村山委員 知らないでおって、ただ一方的なことを言ってもらったのでは困る。これは、あなたが局長だから知らないかもしれないけれども教科書課長は少なくとも知っている。どうです。
  186. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 現在の小学校教科書を検定いたしました場合に、私はその職におりませんので、詳しいことは存じませんけれども、記述といたしましては、それがどういうふうな書き方でもって戦争の終結ということを書いておるかということによって、一般の人人がそれを憂えたというふうな書き方をすべきなのか、あるいは現実に歴史の動きはだれが主になってやったのかということは、またおのずから記述としては別なものである、そういうように私は考えます。
  187. 村山喜一

    村山委員 そうおっしゃるのだったら、史実は史実として伝えるのだったら、天皇の主宰のもとに日米開戦がきまったので、こういうようなことが前に出なければおかしい。宣戦布告をしたのだ。どうです。
  188. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 開戦のことにつきまして、またどういうふうに書いてあるかということを私は今ここに正確には存じておりませんけれども、少なくとも検定をいたしました教科書が、おっしゃるように事実を曲げて書いてあるというふうには私は考えておりません。
  189. 村山喜一

    村山委員 事実を曲げるもなにも、何も書いてない。それは史実である、事実である。そうして終戦のところだけに天皇と重臣が出てきている。これはおかしいじゃないですか。この問題はこれ以上答弁は求めませんが、次に、前に第二十四回通常国会教科書法案が出されました。ところが、地方教育行政の組織及び運営に関する法律案ば通ったけれども、この教科書法案はつぶれました。自来六年、その教科書法案の中に掲げてありましたのは、常勤調査官の設置による検定の官僚統制を企図いたしておったことは御承知通りであります。第二点は文部大臣の事前の検定拒否権がうたわれておりました。第三点は教育委員会の採択による統一採択がうたわれておったのは御承知通りであります。この中であなた方が、法律案国会を通らなかったにもかかわらず、その年の十月、文部省設置法施行規則の一部を改正する省令によって二十名の常勤の教科書調査官を設置せられた。そしていいことはどんどんやっていくのだ、行政的になされるのだ、こういうようなことで、この調査官が今日においては四十名にふえている。その調査官の任務というものは、調査官はみずからの調査意見と調査員の調査意見とを整理調整して審議会の審議資料を作成することで、検定審査の決定には関与しない、こういうことでありながら、実際やっている業務内容を見たら、私が先ほど列挙した通り、これは現実に教科書の編集者との談合の中において追加をさせたり削除をしたり、教科書の生殺与奪の権を握っているのがその調査官であります。それが実質的に検閲でないと言えましょうか。あなた方は、教科書法案が成立をしなかったその後において、今日まで行政指導をしておいでになった行政措置でまだ完了をしていないものがあったら、何が残っているかをお教え願いたい。
  190. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 特に完了していないものは私は存じませんが、教科書法案のときは、御承知のように、教科書の検定その他につきまして、従来やっておりましたこと、あるいは今後やるべきことについてどれか一本の法律の中にこれをまとめて御審議を願おうというような趣旨であったように伺っております。従って、必ずしも立法事項として新しくこれを盛らなくても、他の法律等によってできる事柄もおそらくその中に盛り込まれておったと考えます。従って、そういう事項につきましては一本に集約するというようなことでなく、できることは別途これを実施していった、こういうようなことでございます。
  191. 村山喜一

    村山委員 このことはきわめて大事なことである。立法府において議決すべき法案が流れた。にもかかわらず、行政執行によって法案で企図したものをやっていく。そして実績を積み上げていく。こういうようなことによって、法案で企図されたものが現実の文教政策の中において生きている。それであるならば、なぜ再度教科書法案として提案をしていかなかったか。これは国会軽視に通ずるものであると言わざるを得ないと思う。そういうような点から、この問題については、今日文部大臣の指揮下にある文部省の官僚たちが、その法案の中に掲げられた内容について行政執行をやっているという事実を、国会の審議権との問題の上において大臣はどういうふうに把握しておられるかを御説明願いたい。
  192. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 お尋ねの具体的内容が私にはちょっと理解できない点がございますので、正確にはお答えできないかと思いますが、今政府委員も申し上げましたように、かつて出されました教科書法案なるものを私詳しくむろん存じません。従来やっておったことを一本の法律にまとめるために教科書法案の中に盛り込んだという部分がありとすれば、それは現行の教科書発行に関する臨時措置法にうたわれておる部分が取り入れられたかとも推察するのでございますが、いずれにいたしましても、そのことの正確なことは申し上げかねるわけです。しかし、従来行なっておりましたことを法律によらずして省令等でやっておったとするならば、より慎重を期する意味法律案の中に盛り込むということも当然連想されることでございます。しかし、それは手続の慎重さあるいは綿密さという点では問題がございましょうが、法案そのものが流れましても、立法事項と考えられること以外は、当然行政措置としてやることそれ自体責任を行政府が持つ限りにおいて一応御納得がいただけそうに思うわけであります。具体的な事柄を念頭に置かないでのお答えでして、十分でないことを意識しながらお答えしておりますが、その点は御了承いただきたいと思います。
  193. 村山喜一

    村山委員 教科書発行に関する臨時措置法、これは昭和二十三年にできた法律です。二十四国会においては、御承知のように、政府の方から教科書法案が出された。ところが、これはつぶれた。そのつぶれた教科書法案のうちには、今大臣が言っているように、採択権の問題が一つある。それから調査官の設置の問題があります。そして文部大臣のいわゆる検定拒否権がある。これが三つの大きな柱であったと思う。その法案として出したものがつぶれたにもかかわらず、行政執行の上において現実に文部省の方においてはやっている。そういうようなふうにして、今日の教科書行政というものが、国民の意思を無視して官僚統制のもとに、官僚統治として打ち出されているじゃないかということを言いたい。  次に、教科書については、各都道府県で推薦委員会を作って、三本ないし五本、あるいは五本ないし七本、そういうような最も望ましい教科書というようなものを選定をして、その中から選ぶように指導をしてこられたことは周知の事実であります。その結果、これは小学校の理科の例ですが、県として採択本数は七種類以上のところが八県、六種類が九県、五種類が十二県、四種類八県、三種類五県、一種類だけ推薦をしているのが一県、こういうふうにして、広域の採択方法というものが行政指導によってなされてきた。しかも県としての採択本数の中で、宮崎県のごときは、小学校の国語の例で申し上げますと、八五%がそれに統一をされておる。こういうような事実から私が次に申し上げたい点が出てくるわけであります。  第一に、教科書課長にお尋ねしておきます。幾多の問題を起こしまして、しかも今日において公取の審査の段階にあり、独禁法違反として、不公正取引を行なった被疑団体として東京書籍、学校図書、教育出版、大阪書籍、大日本図書、教育芸術社があることは、この前の公取の事務局長からの説明であります。三十六年度の採択冊数については、それぞれの教科書会社ごとに私の方にもわかっております。これは当然需要量を各都道府県教育委員会文部省に集計票として知らせるようになっているわけですので、それらのいわゆる不公正取引をやりました疑いで調査をされている教科書会社の実績はどういうふうに変化をしてきているかということは、これは日本の教育行政をえりを正していくという荒木文部大臣考え方に即応して考えていくならば、問題を起こしたような教科書会社は当然発行についての指示を変えるとかというような考え方も、許可権があるんだというような考え方において御説明をなさったことは、この前の委員会で御承知通りであります。その中からどういうようなふうに変化がなされてきたかということを、私たちは天下の前に明らかにしなければならないと思います。そういうような意味において、私が今読み上げました教科書会社の三十七年度の採択冊数について、もうそれぞれ教科書が番店を通じて売られている段階でありますので、この際数字を明らかにしていただきたい。
  194. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 三十六年度及び三十七年度のこれらの発行会社のそれぞれの採択冊数を申し上げます前に、三十六年度、七年度の小、中、高等学校を通じての全般の採択冊数につきまして申し上げますと、三十七年度の方が約八百万冊ほど減っておりますので、全体としてはそれぞれ多少ずつ減るような傾向にはあろうかと思いますが、八十六社について見ますと、そのうち三十六社は三十六年度より三十七年度の方がふえておるのであります。しかし、ただいま御指摘のありました六社につきましては、このうちの一社を除きまして、他の五社は三十六年度の方が実績の部数は多くなっております。三十七年度の方が減っておるような状況でございます。
  195. 村山喜一

    村山委員 私が聞いているのは、そういうような概数的なことじゃなくて、東京書籍は三十六年度の採択冊数三千八百七十八万冊、学校図書は三千百七十七万冊という数字が出ているのですから、三十七年度の数字だけをお知らせ願いたい。
  196. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 三十七年度について申し上げますと、これは発行指示をいたしておる冊数でございますが、東京書籍は三千六百七十九万冊、教育出版が三千百七万冊、学校図書が二千七百七十八万冊、大日本図書が一千二十八万冊、大阪書籍が八百十五万冊、教育芸術社が六百六十四万冊、このような数字になっております。
  197. 村山喜一

    村山委員 三十七年が生徒児童数の減に伴いまして八百万冊減っておりますので、その比率の上から考えていかなければならないと思うのでありますが、問題は、こういうような大きな東京書籍、学校図書、教育出版、これが日本の三大教科書会社であろうと思いますが、それが占めるところの教科書占拠率といいますか、占有率はことしはなんぼになっていますか。
  198. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 東京書籍と教育出版と学校図書三社を合わせますと、総教科書の出版部数を一〇〇といたしまして約五七%に相なっております。
  199. 村山喜一

    村山委員 三十六年度は五一・九%でしたね。それが三十七年度においては五七%。問題を起こしたところの会社は……。
  200. 諸沢正道

    ○諸沢説明員 三十六年度も五八%に相なっております。
  201. 村山喜一

    村山委員 問題を起こしたにもかかわらず、すでに採択する比率の上においてはさほど変わりもないし、そのまま採択が続いて行なわれて、東京都の場合なんかを例にとってみますと、東京書籍が第二位の学校図書を五十万冊も引き離して非常にいい成績だということが新聞に出ておる。こういうような格好で、問題が起こったのは採択が済んでから警察が手入れをしてからだ。こういうようなことがことしには現われないかもしれませんが、来年度においてそういうような方向に現われてこないということが保障ができないのが、今日の教科書のいわゆる需給状況に現われた現象であろうと思う。これに対しまして、今日までいろいろ対策の説明を承ったのでありますが、ほんとうにこの問題を解決していくためには、こういうような過当競争を起こしてはなばなしく宣伝戦をやっております教科書会社の社長、実力者の人たちが集まって、自分たちはもう絶対にそういうことはやりませんという申し合わせをしない限り、教科書協議会あたりで自粛声明を出してみても、これは何にもならないと思う。そういうような行政指導をおやりになる意図はございませんか。
  202. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 その点はこの前にも申し上げたと思いますが、そういう不祥事件を起こしました会社につきましては、責任者に来てもらいまして、十分その点を注意いたしますと同時に、会社側の責任者も遺憾の意を表して、今後こういう事態が起こらないようにということを誓約いたしております。従って文部省としては、その関係の自粛を十分今後監視する必要があると考えております。しかしながら、今御指摘のような点も確かに今後重要な点でございますので、私どもとしては十分この行政指導をやらなければならぬと考えますし、それからまた、現行法令の範囲内で措置できることは今後十分必要な措置を講じていく、こういうような考え方で進みたいと考えております。
  203. 村山喜一

    村山委員 時間があまりありませんので、できるだけ答弁も的確にお答え願いたいと思います。  採択権の問題であります。ということは、義務教育学校の場合には、その設置者であるところの市町村教育委員会が採択権を持っている、こういうようにお話しになりました。これは地方教育行政の組織及び運営に関する法律の二十三条の第六項ですが、県立の高等学校の場合はどうなりますか。
  204. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 県立の筒等学校の場合の採択権は都道府県の教育委員会にあると思います。
  205. 村山喜一

    村山委員 都道府県の教育委員会で、鹿児島県なら鹿児島県、どこどこの県はこの教科書を使う、こういうことによって教科書を統一採択をし、あるいは都道府県の教育委員会が選定をしている府県が幾らありますか。
  206. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 採択権につきましては今大臣からお述べになりました通りだと思いますが、事実上の選定は、県立の学校の場合は各学校でやっております。従って、やはり小中学校の場合でも選定行為を教員に諮問してやると同じような方式になると思いますから、各学校で事実上の選定を行いまして、やっているというのが通例のようであります。
  207. 村山喜一

    村山委員 採択権が県にあるのだったら都道府県の教育委員会教科書の採択についても権限を持つのがほんとうです。しかしながら都道府県の教育委員会は別に規則も何もありません。各高等学校において高等学校に入りました生徒の質、それから地域の環境、教科、どういうような学科に分かれている、こういうようなことを見て、その学校の採択にまかせられているというのが実情じゃありませんか。そうなれば現実において採択権は学校にある、これは法律の上には明記はないかもしれないけれども、現実の上においては一つの慣習としてそういうふうになっている。しかもその上においては何ら不合理が出ていない。こういうような点から、大臣のおっしゃるところの採択権の問題はおかしいじゃないですか。自来今日まで、この地方教育行政の組織運営に関する法律が出るまでの間は、各学校に採択権がある、こういうことになっておる。それが教科書法案の中には、採択権は教育委員会にあるということが出されながら、その問題については法案はつぶれてしまって、取り扱いの事務に関することだけが教育委員会の現在の法律の中に生きている、そういうような点からいった場合に、採択権の問題は明らかに都道府県教育委員会なり市町村の教育委員会にあるのだ、こういうようなことを主張できるはっきりした根拠があなた方にはありますか。
  208. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 関係法律を見てみますと、積極的に教科書の採択権は教育委員会にありという明文はないようでございます。でございますが、教科書発行に関する臨時措置法は教科書の見本を送りつくべき対象を公立学校においては教育委員会にあるとしておるようであります。また私立学校におきましてはその例の外にある学校長に送りつけておるということにしておるようであります。このことは積極的な明文はございませんけれども教科書の採択行為そのものが、純然たる教育活動それ自体でないことにかんがみまして、教育に関する一般的な末端の地方行政権を持っておる教育委員会にある。そのことは地方教育行政法の二十三条に、教科書に関する事柄が教育委員会の所掌事項として明記してあることとあわせ読みます場合、教科書の採択権限が教育委員会にありということは当然の論理の帰結として私は明瞭であると思います。
  209. 村山喜一

    村山委員 採択権の問題は、これは大臣がはっきりおっしゃったように、その点について明確な法律的な規定はまだない。だからやはり教科書法なりあるいはその他の法律において明記しなければ、その責任制というものははっきりしないと思う。そうして今日汚職が出て、その汚職は広い地域にわたって採択をしているところに汚職が出ている。私が今から申し上げますこれについての事実を大臣はどういうふうに把握しておられるかをお答え願いたいと思います。  これは日本教育新聞の昨年の十一月十日の「教科書会社を食う研究団体」という見出しですが、「寄付や接待を要求」「一社で月二百件も」ある。「各種研究会の名で教科書出版社に対する寄付要求がますますふえる傾向にあり、汚職摘発は“どこ吹く風”の様相である。」これは大きく記事が出ておりますが、さすがに「近畿地方はパッタリ」とまっておる。一番ひどいのは東北、中国地方であるというところまで出ておる。月に二百件くらいも舞い込んでおる。大体その研究会というのは、広い地域で採択をするようにという行政指導をしてきたその市郡単位の教科の研究会であります。それが教科書会社に研究費を要請をしておる。ところがこれについては「採択の前しょう戦にも通じるので、ひどいものは断わっているが、やはり……」出さなければならないという実情にある。こういうようなことが出ております。これは採択委員を選ぶ場合には、教育委員会の方にあるということで、広い地域でまとめて採択をしていく場合においては、それぞれの教科のいろんな研究会があります、その研究会の一番の責任者、こういうような人たち、教科についてはベテランであるという自他ともに許す人がなるわけです。その研究団体の長と採択をしていく人とがやはり一緒になっているということになって参りますと、そういうような問題が出てくる。これによって泣かされて「昔は僧兵、いま教員」、こういうような格好の中に追い詰めていったのは、文部省が広域採択をするように行政指導をやってきた、しかもその行政指導はさきに教科書法案でつぶれていったものを行政指導としてやっている、そういうようなところに根本的な問題があるのであります。あなた方はその事実を調査なさっておりますか。
  210. 福田繁

    ○福田(繁)政府委員 その教科書会社に寄付金を求める研究団体についての調査はいたしておりません。おりませんが、しかし研究団体としていろいろ教科別の研究をやっていることは事実であります。従ってそういうまじめな研究に対しましては、私どもは今後その研究が活発になることを期待いたしておりますけれども教科書会社に対して寄付金を仰がなければ研究できないというような状態であれば、それが問題でございまして、そういった意味において私どもとしては、今後別の意味において、研究団体の正常な助成ということを考えていきたいと考えております。
  211. 村山喜一

    村山委員 文部省が採択権の問題を明らかにせずに、今日のような形においてだんだん小さな会社を締め出していく、そうしてできるだけ採択を県一本あるいはそのブロック一本にまとめていくんだ、こういうような方向をとる限り汚職の種は決して消えません。そういうような状態に陥ることを承知しながら、教員や、あるいは地教委の非常に弱い層がますますしいたげられていくような方向に、あるいは小さな教科書会社、中くらいの教科書会社がつぶれていくような方向にあなた方は指導していこうとされておる。そういうような点はもっと真剣に検討を願わなければならない点だと思う。  時間がありませんので、最後にお尋ねをいたしておきますが、調査会にすべてのものを譲るように今度の法案はなっております。その調査会は二十名の委員をもって構成をするということになっております。そして学識経験者、それに関係行政機関の人たちを入れるということになっておる。ところが、関係行政機関というならば、今まで初中局長から明らかにされましたところは、文部省大蔵省、自治省、この三省の関係行政機関の名前は明らかになっております。しかしながら物価の問題に関係がありますのは経済企画庁であります。しかも、教科書会社は中小企業でありますが、そういうような業界のマージンの問題であるとか、経営近代化の問題であるとかいうことになると、これは通産省の問題であります。あるいは教科書内容からいいまして、農業教育をどうするかというようなことになって参りますと、これは農林省の関係が出てくる。こういうようなふうに考えて参りますと、これらの調査会委員は官僚たちでほとんど網羅されてしまって、学識経験者といわれる人たちは、教育界の代表者が一人くらい入りましょう。あるいは経済界の代表が一人くらい入りましょう。そのほかにもう一人くらい入れて、それは出版会社の協議会の方から出すかもしれません。残りはそういうようにあなた方が選ばれていくことになるのだが、そういうような構成になってしまうのではないか、こういうようなことが言われておりますが、この調査会内容は、どういうふうに大臣としては人選を考えておいでになるのですか。
  212. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 さしあたり考えておりますのは、政府委員から申し上げ、今村山さんが指摘されましたような官庁以外は考えておりません。教科書の値段のことは、今の制度によりまして、文部大臣という立場で最高価格を認可することに相なっております。認可処分をします場合の協議官庁は経済企画庁であることは当然でございますが、その関係からいいまして、当然に調査会委員に経済企画庁を入れようという考えは今のところございません。かりに入れたといたしましても、役人だけが多くなって、二十名の過半数を占めるなどというようなことはあり得ないと考えております。
  213. 村山喜一

    村山委員 教科書会社が八十六社もある、こういうようなことで、水田大蔵大臣が昨年の参議院の本会議において、技術上の問題として考えなければならないということを言って、それに対して私は主計官に午前中質問をいたしたわけでありますが、そのときに、大蔵省としては、できるだけ広域採択、そうして採択についてできるだけ地域差がないように、その採択をする教科書ができるだけ標準化されたものでありたい、こういうような考え方は当然行政の均一化の上から考えても、大蔵省の事務的な点から考えましても、そういうような点において文部省に要求をしてくるでありましょう。ところが、今日の検定制度を守っていくためには、どうしてもその民主的な検定、そして特色のある教科書というものが許す範囲の中において十分に考えられなければならない。しかも中小企業であります教科書会社の今日まで果たして参りました役割というものも十分に評価してやらなければならない、これは文部省立場であろうと思うのであります。その場合に、大蔵省のそういう考え方を持った者があなた方の調査会の中に入って参りましたときに、一体文部省としてはどういうような線において、この教科書の民主化を守って参るために、どこまで抵抗をしようとお考えになっているのか、どの点が譲れない点であるのか、この際大臣から明らかにしておいていただかなければ、この法案の運営の仕方いかんによっては大へんなことになる。なるほど形式上の国定化はないでありましょう。しかし、実質的に国定化されて、教科書会社は大きな会社に吸収合併をされて、大臣が腹の中に持っているかもしれない許可方針——資本金五千万円というようなものが出て参りまして、それによって文部省が行政的にチェックしていくことによって、さらに、今日までやって参りました検定のその問題と同様に、国定化方向に一路驀進をしていくのではないかという懸念が運営の面においてはあり得るわけです。それを守り抜いていくためには、最低の教育の良識がなければならないと思う。それを大臣はどういうようなふうにして確保しようとしておられるかを最後にお尋ねをいたしておきたいと思います。
  214. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 文部省としましては、教科書会社の企業整備をしようとは思いません。さらに、国定に持っていこうなどという考えがないことは、先日来たびたび申し上げておる通りであります。中小企業対大企業との関連においての経済的な力関係で好ましからざる結果が出るであろうという懸念がもしありとするならば、そのことに対する対策というものは、中小企業の振興ないしは保護の角度から一般的に考えらるべき課題であると思います。この教科書法案の実施それ自体によって必然的に中小企業が圧迫されるということはないということは、この前の休憩前の御質問に対してお答えした通りでございます。教科書制度教科書会社のあり方そのものについても諮問をする予定になっておりますが、その諮問の結果としてどういうものが出てくるか、出てきた場合にそれをどう取捨するかということは、出てきたものを尊重する基本線でなければならぬことは当然といたしまして、おのずから別個の問題だと考えております。以上申し上げました方針に従って今後もやっていくつもりでおります。
  215. 村山喜一

    村山委員 なるほど法案の中身からはそういうようなことは言えないでありましょう。それは法案の中身は書いてないからであります。教科書調査会にすべてのことがゆだねられているのであります。しかも、検定制度については、これを扱わないのだ、採択について、あるいは発行について、供給について扱うのだ、こういうことになっている、しかも、三大教科書会社教科書の中に占める割合は五七%という数字である、しかも、その方向がどんどん進行していくのが資本主義経済のこれは現実の姿であります。そういうような中においていくらでもこれを統合しようと思えばできる手があります。そういうようなものによって統合させられたのでは、中小企業の教科書会社はつぶれてしまうのだということを心配しておるわけです。この法案そのものからは発展しませんが、今日まで文部省が示して参りました数々の行政執行の中からそういうような懸念を抱いておる。私は民主的な教育制度教科書制度というものが守られていくためには、まず第一に、検定の公開、自由な採択、民主的な発行という三つの原則教科書制度の根本でなければならないと思うのであります。そういうような上から、無償制度を実施していく上においては、私は、よほど、この教科書法案内容について世間が懸念しておりますことを、文部省が誠意をもって解決をしていく方向で、前向きの姿勢で努力をしていただかなければならないということを申し上げまして、私の質問を終わります。(拍手)
  216. 櫻内義雄

  217. 小林信一

    小林(信)委員 この教科書無償法案が出されましたときに、われわれがまず政府に指摘したことは、非常に大事な法案であるけれども法案内容からして、政府の意見というものがほんとうに調整されておらないということを指摘して、以来今日まで政府のこの法案に対する態度、あるいはこれに対するところの考え方というふうなものを検討して参ってきたわけでございますが、やはり内容の不統一というふうな点、教科書の重大な問題であるというふうな点が、まだほんとうに検討されておらないというふうなことを、私たちは今また指摘しなければならぬわけでございまして、もし、この教科書行政というものが誤るならば、単なる教科書だけの問題ではなくて、教育全体に重大な影響を及ぼすことになると私は考えるのでございます。  そこで、調査会を設けて、その調査会の意見を聞いて、それから法律を作って、われわれに再度検討させるというふうなお話でございましたが、この機関に対しましては、政府もまた諮問をするということを申され、その諮問の内容等につきましても、われわれに明示されましたが、これもきわめて形式的なものであって、ほんとうにここで教科書問題に存在するところのあらゆる問題を整理し、教科書に対してはいささかも今後問題がないというふうな深い研究的な態度というものが持たれておらないことを非常に遺憾に思うわけでございます。  そこで、私は今までの質問の中から重大な問題と思われるものを二、三あげましてこれを質問し、さらに調査会に対してもっと真剣な考え政府が諮問をし、計画をされるように希望するものでございます。  まず第一番に申し上げたいのは、文部大臣が常に指導要領を唯一絶対のものである、これを文部大臣が教育行政の基本としておられることを私たちは終始聞かされてきたわけでございます。しかしこれが唯一絶対のものではない、やはりこれも決して文部大臣の独断を許すものでなく、はっきりと規制したものがあると私は思うのでございますが、この点に対して文部大臣はどういうふうにお考えになっておられるか。
  218. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 指導要領は唯一のものであると考えます。それは文部大臣が定める権限と責任を持たされておりますが、文部大臣という立場にある個人の独断専行であるはずはむろんございません。御承知のように、数百人に及ぶ専門家の意見を徴しまして、その専門家の考え方から編み出されました事柄が、文部大臣の責任において採用せられて、全国民にその結果について責任を持つという立場において定めましたのが指導要領でございます。時代の進展に応じ、客観的な条件の変化に応じて良心的に改善される努力もあわせてなされつつ、あくまでも全国民にはっきりと公開されて責任を持つという性質のものであると考えております。
  219. 小林信一

    小林(信)委員 私は学校教育法第十八条、これが根拠であって、やはりこれからは一歩も出ることはできない、これに何ら他の意図を加えることはできない、ただ二十条によって、文部大臣が十八条に示されたものを、内容を作り、これを配列する、ということがこれが指導要領である、この基本的な考えをなくなした指導要領というものは非常に教育を誤るものだと思うわけでございます。従ってこの考えをしっかり文部大臣が持っておれば、教育というものは決して一文部大臣の意図によって計画されるものではない、従って自分の作った指導要領がはたして十八条に示すところの条項に沿っているかどうか、こういう検討と同時に、これに従って、これを勘案して出される教科書というものはその発行する者の自由な執筆にまかせる、そしてその上でもって検定をする、さらにこれを採択する場合には、教師が児童あるいは児童の環境というようなものを十分考慮し、さらにみずからの教育理念の上に立って採択をする、こうしたところに初めて生きた教科書というものが生まれるのであって、今までとかく大臣のお考えというものは、指導要領絶対主義の形でもっておいでになる、そこに私は何か教育の、ことに荒木文相の教育行政の独断性というものが非常に憂慮されてならないわけでございまして、これからこの教科書無償原則に従って法案が用意されるわけでございますが、私その際にこれは非常に反省し考慮していただかなければならない点だと思うのでございまして、こういう点について、なお私たちは深い討議を続けていきたいのでございますが、私の考えとして、これだけを申し上げて参ります。  次に、採択権の問題、これも何回か討議を重ねて参りましたが、結局私は大臣の採択権に対する考え方をしっかり承ることができない。これも非常に重大な問題だと思います。先ほども村山委員の質問に答えられて参りましたが、最後に私はまとめて申しますが、一体採択権がだれにあるのか、もう一ぺんこの点を明確にしていただきたいと思います。
  220. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 第一点でございますが、学校教育法十八条のみならず、十七条の趣旨にのっとりまして、指導要領なるものは定められねばならないわけでございます。のみならず、憲法を初めとして、教育基本法はもちろんのこと、あらゆる教育関係の法令というよりも、もっと広い、憲法法律に矛盾しない、それに立脚した指導要領でないならば間違いだと思います。神ならぬ身の人間の集まりの結論である指導要領にもし間違いありとしするならば、その間違いは全国民に対して文部大臣が責任を持つという関係にあると考えます。また間違があったならば直ちに改めるという良心的な態度も当然含む意味合いにおいて、指導要領というものを、私はさように理解しております。その前提に立って、指導要領というものが義務教育課程において、基本線として唯一のものでなければならない。それに立脚いたしまして教科書の検定が行なわれ、また教師もその指導要領の線に沿って教える。指導要領がすべて教壇における教育内容ではないわけでありますから、その指導要領の基本線を堅持しながら教師の良識をもって児童生徒に教えるという立場が教師の立場と私は心得ております。そういう意味において、繰り返して申し上げれば、あくまでも全国民に対して責任を持つ責任体制が明確でなければならない。その責任を果たすにおいては、常に反省を深くして前向きに改善すべきは改善する努力を怠ってはなるまい、かように考えておる次第でございます。  採択権の問題は、再三の御質問に対してお答え申し上げました通り、まさしく関係の法令には採択権がだれにあるという積極的な明文はございません。この点は不備といえば不備だと思います。しかしながら採択せざるを得ない。だれが採択するのだということはいささか不備を免れない。現行法解釈をもって客観的な線を発見するほかにないと思います。その意味で検討してみますと、現行の教科書発行に関する臨時措置法、これはまさしく教育委員会に採択権ありと前提して規定されていると考えられます。さらにその後に制定されました地方教育行政の組織及び運営に関する法律の二十三条を見ますれば、明らかに教育委員会教科書に関する事項がその所掌事務として明記されておる。このことは当然に教科書の採択それ自体を含むものと解釈せざるを得ないと私は思います。一連の教科書に関連します現行法規を通読いたしましての結論は、何人かが採択の権限と責任を持たなければならないという意味において検討します場合、教育委員会にその採択権限あり、その責任ありと機能的に結論せざるを得ない。これが最も妥当な解釈だと心得ております。
  221. 小林信一

    小林(信)委員 私は実はもっと簡単な答弁をお願いしておるわけです。たびたびお伺いしておりますので、簡単でけっこうですから、よろしくお願いいたします。  第一番の問題についてはもう触れまいと思ったのですが、もう一ぺん重ねて申します。大臣が責任を負ったからといって、もし誤った問題があったときに、大臣が責任を負えばいいじゃないか。——大東亜戦争が起きて、国民がかかる惨状を受けたようなことになったことも、教育上相当にわれわれは検討しなければならぬ点があります。その場合に、教科書のあり方ということもわれわれは反省をしておるわけなんです。ただ文部大臣が責任を負えばいい、そんなことでもって教科書問題は済むものじゃないということを私が申し上げたと大臣も受け取ってくれたと思ったわけですが、大臣が責任を負えばいいというような考えで依然として教科書問題が扱われるところに、私たちは非常な不安を持つわけです。  それから二番目の問題。どこにあるか。教育委員会にあるとするならば、それがはたしてその通りに行なわれておるかどうか、ここに私は問題があると思うのです。幾ら大臣がそういう抽象的なものを持ってきて論理を立てようとしても、実際これがどういうふうに行なわれておるかが問題だと思う。確かに小中学校学校ではあるいは地教委が責任をもってやっておるかもしれないけれども高等学校教科書ははたして県教委が採択権を持って実際に教科書の採択をやっておるかどうかという実際上の問題を考えれば、もっとこの点について検討し、具体的な事象に対して詳細な計画を立てて当たっていかなければならぬと思うわけでございますが、そういう意味からしましても、簡単に法律にどうあるから採択権がどこにあるというようなことでもって済ましたのでは、行政そのものもできないし、ほんとうに生きた教科書子供に与えることも私はできないと思うのでございます。  次に、三番目の問題として、この教科書無償法律が出ますと、非常に業者に不安を与えております。大臣は、不安を決して与えない、こう考えておるかどうか。
  222. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 先刻もお答え申し上げました通り教科書が有償であろうと無償であろうと、教科書会社そのものに関係があるはずがない。現行の教科書に関する臨時措置法の趣旨を尊重して参ります限り、教科書会社がこの無償の実施以前と以後とにおいて影響を受けるはずはない。また影響あらしめてはならない、そういう考え方で臨むべきだと心得ております。
  223. 小林信一

    小林(信)委員 しかし、国民の血税を使って教科書を国が支給するのだ。従って、国民の血税を使う場合に、よい教科書を、しかも安い教科書子供に与えなければならない、これが質疑応答の中で大臣が最も主張した点でございます。従ってそこに統一採択という問題が非常に強化され、あるいは過当競争の問題が論じられてきて、これに対するところの不安を除去するという形から、小さい会社を整理し、なるべく大きい会社だけにして、しかも数を少なくして、過当競争をなくするところに、よい教科書安い教科書ができるのだ、こういう簡単な論理でこの問題を解決しておりますが、そこに業者は非常な不安を感じておる。私は一つの例として音楽の教科書の問題を提出しましたが、音楽のような特殊な教科書というものは、やはり小さい会社がそれを一冊単独に出すところによい教科書が生まれておると今実際において私たちは見ているわけです。そういう場合に、あながち小さい会社だからというような考えでおいでになると、ほんとうによい教科書でなくて、文部省に迎合するために教科書を作るというふうな結果になってしまって、ほんとうの教科書本来の使命を失わせるおそれがあると私は思うのでございます。  次に、第四番の問題として、やはり先ほど問題になりましたが、汚職の問題、これは教科書に限ってあってはならないことなんです。ところが跡を断たない。そしてこの教科書の歴史の中には、汚職の問題から教科書行政に大転換をしなければならないようなときもあったわけでございます。従って、汚職という問題は責任をもってなくなすように文部省は常に努力しなければならぬけれども、これが跡を断たない。この汚職を今後必ず生じさせないようにするという点について、私たちは明快な回答を得ることができなかったのですが、この点に対してもう一ぺん大臣の御回答を願いたいと思います。
  224. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 音楽の教科書等につきましては、せんだっての委員会の御質問に対してお答えを申し上げた通りであります。音楽に限らず、およそ展示会を開きましてその中から選択しようということは、その前提として教科書の供給事業を競争の状態に置くというのが大前提だと思います。資本が大であれ、中であれ、小であれ、特色を発揮いたしましていい教科書が比較的安くできるということを求めることが大前提だと思います。その大前提に合致します限り、資本の大小によって差別があろうはずがない。そういう意味で、教科書の中でも特に御指摘のように音楽の教科書のごときは、全音何とかいう会社がほとんど独占的であるのは、今日まで自由にやっておった結果、実力がものをいったことだと思います。そういう状態を否定せねばならぬとは一つ考えません。ただ無償になりますれば、企業体それ自体の会計状態、資本の大小でなくて、会計状態等が当然監査の対象になることはあり得ようかと思います。これもどういう答申を得てどういう制度にするかによってきまることではございますが、一般論としてそういうことは言えようかと思うわけであります。  汚職の問題は、これは前々申し上げました通り教科書会社なりあるいは選定する側なりの担当者の心がまえが、九〇%その起こる起こらないを決定する課題だと思うのでございます。もし心がまえが間違っておるならば、どんな制度の改正をやりましょうとも、汚職は続発せざるを得ない、何としてもその心がまえが第一義である、かように考えるのであります。
  225. 小林信一

    小林(信)委員 汚職の問題を考える場合も、非常に多方面から検討しなければ、決してこの汚職問題は解決しない。たとえば私の今考える点では、前年度予約制、これはもう当然仕方のないことなんです。しかしここに汚職の発生するもとがある。あるいは教科書が一度採択された場合には固定化する。ここに業者のしのぎを削っての競争が行なわれるわけなんです。さらに教師の評価能力、今大臣のようなお考えでもって採択権をお考えになれば、教師には教科書採択の意欲というものがだんだん減退する。従って、評価能力そのものもなくなってくるわけでございます。常に現場の、扱う教師が教科書というものをいかに研究するか、これがいかに業界に反映するか、いかにこれが文部行政に反映するか、そういう道が開かれるところによい教科書というものは出てくるわけなんですが、残念ながらこういうふうな措置が行なわれずに、ただ売らんかなという業者の仕事だけでもって教科書問題が解決される。そこに汚職が跡を断たないと私は思う。  さらに検定の問題でございますが、この検定が今のような形でもって行なわれるとすれば、教科書というものは、もうほんとうに型にはまった教科書しか、何種出そうとも同じ形になって出てくる。従って、教科書を選ぶということよりも、いかにして売らんかなという商策にかかっていく以外にないわけなんです。検定の問題にも考慮をしなければならぬ、教師の採択の問題にも検討をしていかなければいけない、大臣の御答弁が、ただ全体の教師の良識あるいは教育委員会の良識というふうなことに簡単に考えられておりましたが、こういう幾つかの問題を取り上げて、そしてこの中から汚職を絶滅する方向をたどっていかなければなるまいと思うわけなんです。子供の将来を決定するような重大な教科書が、いつもいつも汚職に巻き込まれておるということは非常に遺憾なことであって、これは単に選択をするものの責任あるいは業者の責任だけでなく、文部行政の中の教科書政策そのものに根本的な検討を加えていかなければならぬと私は思うのでございます。  最後に、これも私、御質問申し上げましたけれども教科書の供給機構の問題については、残念ながら確たる文部省の案とか検討とかというものがない、何とかしなければならぬだろうというふうな御答弁できょうまで参りましたが、この教科書の配給機構に対しては業界でも非常に心配しておる。これに対してどういう態度でもって臨まれるか、一つここでお答えを願いたいと思う。
  226. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 あらかじめ予定した、ここで申し上げるような具体案は持ち合わせておりません。これもまた調査会で十分に識者の検討をいただいた結論を待って、十分に考慮いたしたいと思います。少なくとも申し上げ得ますことは、教科書会社であれ配給機構の関係者であれ、不当な不利益を与えるということになってはならない、そういう考え方で臨むべきだということは考えております。
  227. 櫻内義雄

    櫻内委員長 この際お諮りいたします。  ただいま議題となっております三案に対する質疑はこれにて終局いたしたいと存じますが、これに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  228. 櫻内義雄

    櫻内委員長 起立多数。よって、三案の質疑はこれにて終局いたしました。     —————————————
  229. 櫻内義雄

    櫻内委員長 この際、国会法第五十七条の三の規定によりまして、山中吾郎君外九名提出義務教育学校児童及び生徒に対する教科書給与に関する法律案及び教科書法案の両案について、内閣の意見を聴取いたします。荒木文部大臣
  230. 荒木萬壽夫

    ○荒木国務大臣 社会党提案の教科書法案及び義務教育学校児童及び生徒に対する教科書給与に関する法律案について、賛意を表しがたい理由がございますので、以下申し上げます。  まず教科書法案でございますが、第一に、本法案によりますと、文部省の外局として教科書委員会を設け、教科書の検定等に関する行政をこの委員会の権限としておりますが、本来教科書行政は教育内容に関する指導行政と密接不可分の関係に立っているのでございまして、これだけを分離して別個の行政委員会の権限としますことには、多分の疑問があると存じます。  第二に、教科書の採択については教育職員みずからの責任において行ない学校長がこれを取りまとめるとされておりますが、これは、教育行政について直接責任を負うべき市町村教育委員会に採択の権限を与えている現行制度の趣旨を考えますときに、問題であろうと存じます。  以上の二つの点が、さしおり最も重要な理由でございまして、本法案に対しましては、政府側としましては、にわかに賛意を表しがたい次第でございます。     —————————————
  231. 櫻内義雄

    櫻内委員長 これより三案を一括して討論に付します。討論の通告がありますので、順次これを許します。八木徹雄君。
  232. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 私は、自由民主党を代表いたしまして、ただいま議題となっております三法案のうち、政府原案に賛成、社会党の二法案について反対の討論をなさんとするものでございます。  今回の義務教育学校教科用図書無償に関する法律案は、その第一条において、教科用図書はこれを無償とするという大原則を打ち立てておるのであります。このことは憲法二十六条の無償理想に向かって具体的に大きく前進しようとするものでございまして、まさに画期的な制度といわなければならぬと思うのであります。またこれによって父兄負担の軽減をはかることはもちろん、生徒をして国土と民族と文化に対する愛情をつちかう要因にもなるわけでございまして、まことに賛意を表したいと思うのであります。  しかし、これに対して反対をされようとする社会党の諸君の考え方は、今までの質疑を通じて明らかになりましたように、いうならば疑心暗鬼をしておるというに尽きるのではないかということであります。すなわち、この教科書無償にするという原則がはたして実行できるかできないか心配だといったようなこと、あるいはまた、これによって国定教科書に向かって前進するのではないかといったようなことを主として心配されておるのではないかと思うのでございます。しかしそのことは、すでに質疑を通じて明らかになったように、そういう意図をもちろんわれわれは持っていない、政府もそういう意図を全然持っていないということが明らかになっておるわけでございますので、この点は無用の心配でないか、かように感ずるのであります。  しかし画期的な無償法律案でありますがゆえに、これを円滑に明るく推進して参りますためには、先ほど来社会党の諸君が指摘いたしましたように、あるいは発行制度の問題、あるいは供給の問題、あるいは採択の問題等、なお十分しなければならぬ点がたくさんあるわけであります。そのことは彼らみずからが指摘をし、そういうことに対して万全を期すべきだという質疑をなさっていることでも明らかなように、これはとうとい血税を使う無償法案であるだけに、特に慎重に配慮しなければならぬことでありまして、そのためにそれらの問題をはっきりさすために、この際この調査会を設けるということは、これは時宜に適した措置ではないか、こういうふうに考えるのでございます。  さて、社会党の法律案につきましては、今文部大臣が指摘いたしましたように、教科書法案につきましては教科書委員会の問題、採択制度の問題等、明らかにわれわれが不満とする、満足のできない、また誤った方法がとられようとしておるわけでございますので、これについては文部大臣の見解とわれわれは軌を一にするものでございます。  なお社会党の教科書給与に関する法律案につきましては、これは社会党案によりますならば、とりあえず公立には全面無償、私立は補助をするということを前提といたしまして、三十七年四月一日からこれを実施する、こういうふうに規定をいたしておるのであります。しかし御存じの通り三十七年度の教科用図書というものは、すでに供給が終了しようとしておる段階であります。もちろん後期の問題がございますけれども、大多数の書籍はすでに供給が完了しようとしておる段階であります。またこれに要する予算措置は、すでに予算国会を通過いたしましたが、それについては御存じの通り七億円しかこれに組まれていない、これを全面的に実施するということになるならば、予算というものが著しく不足するということが明らかであります。またこれを実施するについて、具体的にどのようにやっていくか、それらについて社会党の教科書給与に関する法律案につきましては、それらの段取りについて全く不明瞭である、そういうような見地からいたしまして、三十七年度全面実施をするということは事実上不可能である、これはやはり宣伝のための単なる手段にしかすぎないのではないか、こういうふうに考えるのでございます。  以上、簡単にわれわれの見解を申し述べて、政府原案に賛成、社会党二法案に反対の討論といたすものであります。(拍手)
  233. 櫻内義雄

  234. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題になっております社会党案の義務教育学校の児輩及び生徒に対する教科書給与に関する法律案、及び教科書法案に賛成し、政府提案の義務教育学校教科用図書無償に関する法律案に反対し、討論を行なうものであります。  次にその理由を説明いたします。  政府案に反対し、わが党二案に賛成する第一の理由は、わが党案は第一条において日本国憲法に定める義務教育無償原則にのっとることを明示いたしておるのでありますが、政府案はその明示がございません。今までの経過からいたしまして政府立法思想は幾多の変遷がございます。一番最初には、入学祝いとして無償給与するという思想最初にあり、次第に社会保障的に無償にするという思想に変化をして参りました。そうして最近はある程度憲法理想に向かっていくのだというふうな答弁を述べておりますけれども理想に向かっていつ着くのか不明であるので、この法案自体に憲法にいう無償原則にのっとるという明示がない限りについては、この完全実施まで到達するまでに行方不明になるおそれが十分にある、これが反対の理由でございます。  第二の理由としては、政府案は、看板は義務教育学校教科用図書無償に関する法律案といたしておりますけれども、中身は、第二条によって示されるように、無償制度調査会設置法案であります。看板と中身が違っており、国民を迷わし、国民を愚弄するものであると思うのであります。およそ調査会の設置については、最近政府がよく利用する方法でありますけれども、いろいろの目的があるように思うのであって、第一の正真正銘の調査会の設置も私は認めます。案件が非常に複雑多岐にわたり、各般の調査審議すべきものがある場合は、その設置は必要であると思うのであります。第二の場合については、利害の対立がはなはだしい場合において、意見の統一をする政治的な必要から作る調査会設置もございます。この点についても、民主的な結論を出すために、私はあえて不必要とは申しません。第三の場合には、足踏み調査会というものがある。これは政府案による臨時義務教育教科用図書無償制度調査会はこの場合に私は該当すると思うのでありまして、最もずるい調査会設置である。私はこの場合には、教科書無償実施につきわざわざ調査すべきものはないと考えるのであって、複雑な事項は見当たらないのであります。しかるにわざわざ調査会を作るということは、教科書無償完全実施を引き延ばすための手段であるとも考えられるのであって、こういう法案に対する一つの不信感からも反対でございます。  第三の理由は、政府案は教科書無償とすることによって、形式的にもまた実質的にも国定化を防ぐ保障がないことでございます。荒木文相は本委員会においてしばしば教科書無償国定化は別問題であるということを明言をされております。これは認めます。しかしこの法案の第一条の二項において、必要な事項は別に法律で定めると規定いたしております。従ってこの法律の施行に基づいて、具体的な結論がどういうふうに規定されるかは不明であります。法律法律に委任をされたずるい法構成でありますので、私はこの結果が現われるまでは、国定化になるかならぬかの保障はないと考えるのであり、この点においても反対でございます。わが党の法案は、無償法案によって明らかに学校を通じて支給するという明示をいたしておりますし、支給の主体を現代の国家の教育上の分配に従って、市町村を主体とし、そうして国が負担をするという立場をとり、この点においても国家統制の危険を除いておるのであります。教科書法案においても、行政委員会を作ることによって制度的に、時の政権の支配から独立することを保障いたしております。神聖な意味における教育の中立性を制度的に認める立場をとっておるのであって、この点について政府案においては保障がございません。これが反対の理由でございます。  第四の理由は、政府法案予算の裏づけから見ますと、小学校の第一学年の教科書無償にするその相当額のみが計上されておるというのが、この法案の裏づけでございますので、この予算計上の仕組みから言いますと、九カ年たたなければ、九カ年の義務教育の完全実施は行なわれないということもあり得るのでございまして、そういう立場から言いますと、この九カ年の今後の政治の変遷をあわせ考えるならば、途中より無償制度がうやむやになることも考えられないことはないのであります。  以上の理由によりまして、わが党の二法案に賛成をし、政府提案に対して反対するものでございます。(拍手)
  235. 櫻内義雄

    櫻内委員長 鈴木義男君。
  236. 鈴木義男

    ○鈴木(義)委員 私は民主社会党を代表いたしまして、政府案に対して反対、社会党案に対しても反対の意見を申し述べてみたいと存じます。  政府提出法案は、はなはだ不徹底であることは、ただいま山中君が指摘された通りでありまして、大体においてその所見はことごとく私どもの賛成するところであります。無償にするということは、すでに憲法にうたっておるのでありまして、今さらここにあらためて書く必要はないのであります。ひとり教科書だけでなく、給食その他いろいろな面において無償にすることが憲法の大精神でありまして、これを実行しなければならぬことはもちろんであります。実行しないのははなはだしく怠慢と言わざるを得ないのであります。教科書無償給与ということは、政府がすでに立案をし、これを実行しておらなければならぬはずのものであります。今さら何の審議会ぞやと申し上げたいのであります。しかるに、この法案ただいま山中君が指摘されましたように、看板に偽りのある、単に教科書審議会の設置を規定する法律でありまして、何ゆえに率直にそういうふうに規定しないのでありますか。いかにも教科書無償でくれる法律を作ったような印象を与え、選挙に利せんとすることは、はなはだけしからぬことであります。また文部大臣の諮問機関として実際に実施するために諮問をするならば、法律によらなくとも十分にできることでありまして、何ゆえに今までにそういうことをしなかったのであるか。そうして文部省の責任において実施案を作るべきものであったと存ずるのでございます。こういう看板に偽りある法律に対しては、われわれは断じて賛成いたしかねるものであります。  次に社会党の両法案でありますが、これは大体においてわれわれも賛成であります。しかし、多少こまかい点において所見を異にするものがあるのでありまして、全面的に賛意を表しかねることを遺憾に存ずるのであります。わが党は実は義務教育教科書無償配付法案というものを用意しておるのでありまして、無償配布制度の構成、あるいは検定、あるいは選定、あるいは採択、あるいは発行、供給、いろいろと具体的にすべて手落ちなく規定をいたしておるのでありますが、遺憾ながら、われわれは少数党でありまして、衆議院に対して提案権を持っておりませんので、提案をいたさないでおるわけであります。この内容を説明することは、あまりに長時間を要しますから省略いたしまして、大体においては社会党の両案を合わせたものに近いのでありますけれども、多少異なるところがありますがゆえに、社会党の案に対しても賛成申し上げることができないのであります。できるならばわれわれの案も社会党の諸君とよく突き合わせまして、一つの案にして提案をいたし、諸君の御賛成を得たいと考えておる次第であります。  ただいまの段階におきましては、そういう意味において、両案に対して反対の意思を表明いたす次第であります。
  237. 櫻内義雄

    櫻内委員長 これにて討論は終局いたしました。  これより採決に入ります。  まず、山中吾郎君外九名提出義務教育学校児童及び生徒に対する教科書給与に関する法律案及び教科書法案の両案を一括して採択いたします。  右両案に賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  238. 櫻内義雄

    櫻内委員長 起立少数。よって、山中吾郎君外九名提出義務教育学校児童及び生徒に対する教科書給与に関する法律案及び教科書法案の両案は否決せられました。  次に、内閣提出義務教育学校教科用図書無償に関する法律案について採択いたします。  本案を原案の通り可決するに賛成の諸君の起立を求めます。   〔賛成者起立〕
  239. 櫻内義雄

    櫻内委員長 起立多数。よって、義務教育学校教科用図書無償に関する法律案は原案の通り可決いたしました。  各案の議決に伴う委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  240. 櫻内義雄

    櫻内委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  次会は来たる二十八日水曜日に開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後八時四十五分散会      ————◇—————