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1962-02-23 第40回国会 衆議院 文教委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年二月二十三日(金曜日)    午前十一時四分開議  出席委員    委員長 櫻内 義雄君    理事 上村千一郎君 理事 臼井 莊一君    理事 竹下  登君 理事 八木 徹雄君    理事 小林 信一君 理事 村山 喜一君    理事 山中 吾郎君       伊藤 郷一君    小澤佐重喜君       坂田 道太君    田川 誠一君       濱野 清吾君    松永  東君       松山千惠子君    南  好雄君       森山 欽司君    杉山元治郎君       三木 喜夫君    鈴木 義男君       谷口善太郎君  出席国務大臣         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         警  視  監         (警察庁警備局         長)      三輪 良雄君         法務事務官         (人権擁護局         長)      鈴木 才藏君         文部事務官         (大臣官房長) 宮地  茂君         文部事務官         (大臣官房会計         課長)     安嶋  彌君         文部事務官         (調査局長)  天城  勲君         文部事務官         (管理局長)  杉江  清君  委員外出席者         文部事務官         (大学学術局庶         務課長)    西田亀久夫君         文部事務官         (大学学術局大         学課長)    村山 松雄君         文部事務官         (大学学術局技         術教育課長)  犬丸  直君         文部事務官         (調査局国際文         化課長)    佐藤  薫君         文部事務官         (管理局振興課         長)      平間  修君         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 二月二十二日  委員井伊誠一辞任につき、その補欠として高  田富之君が議長指名委員に選任された。 同日  委員高田富之辞任につき、その補欠として井  伊誠一君が議長指名委員に選任された。 同月二十三日  委員花村四郎辞任につき、その補欠として森  山欽司君が議長指名委員に選任された。 同日  委員森山欽司辞任につき、その補欠として花  村四郎君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 二月二十三日  義務教育学校教科用図書の無償に関する法  律案内閣提出第一〇二号)  義務教育学校児童及び生徒に対する教科書  の給与に関する法律案山中吾郎君外九名提出、  衆法第一三号)  教科書法案山中吾郎君外九名提出衆法第一  四号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  国立学校設置法の一部を改正する法律案内閣  提出第一五号)  学校教育に関する件      ————◇—————
  2. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 これより会議を開きます。  学校教育に関する件等について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、この際、これを許します。村山喜一君。
  3. 村山喜一

    村山委員 先般沖繩教育に対する援助の問題について御質問をいたしたわけでございますが、文部当局より事務的な問題についての御意見、回答はいただいたわけです。しかしここでぜひ大臣に問いただしておきたいと思いますことは、今沖繩に対する援助をいろいろ種類別に掲げてみますと、気象観測の場合に物品援助、贈与をするという、例の南大東島に対する援助、今回法案に出されました石垣島までそれを出すという、その気象援助の問題が一つ、それから模範農場に対するところ援助、それから総理府設置法に基づくところ援助がございます。しかし今回文部省所管事項の中で予算に計上されましたいわゆる学生生徒に対するところ援護会の役割を果たす学資の援助につきましては、これは予算上の措置で、財政法上には触れるものではないわけでありますが、そういうような予算的な措置をして沖繩琉球政府に対するところ援助を積み上げていくという方式をとられておるわけであります。そうなって参りますと、その政治的なねらいというものは、どういうものをねらっているのか、こういうことが問題になってくるわけであります。私が大臣質問をしました中でも、沖繩に対するところの教員の再教育のために、こちらの方から大学の教師を派遣することに対して、昨年は予算に計上されていなかった、ことしは沖繩におけるところアメリカ軍当局との間において話し合いが成立したので予算に計上した、こういうようなことでございました。そこでそういうような援助を積み重ねていくことによって、文部省はどういうような政治的な目的を果たさんとしているのか、これを大臣にお伺いしたいわけであります。
  4. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 この前もお答え申したようにも思いますが、はっきりしませんので、重複したところお許しをいただきますが、申すまでもなく沖繩には日本潜在主権があるということは双方で確認し合っている通りでございます。すなわち換言すれば、沖繩にいる人々は日本人であることに間違いない。しかも日本本土と同じような教育レベルを維持したいものだという熾烈な要望があることも御承知通りでございます。そのいう要望にこたえる意味においても、またそうでなくても同じ日本人である沖繩在留者に対しては、今申し上げたようなところまで日本政府としては、また文部当局としても努力する責任を感ずる次第でございます。従って、目標は今申し上げたようなところをねらってやっていきたい。ただ遺憾ながら現実問題としますと、行政権が向こうにあって、はなはだ迂遠のようですが、一種の外交交渉的な手続を経ないと思うにまかせませんので、やむを得ず、今御指摘もございましたように、指導員の派遣ということをまずやる。要すれば、外交交渉を通じてもけっこうですから、少なくとも教育行政に関しては、包括的に了解を取り付けて、一々積み上げ方式的なことをやらぬでも済むようにできないものかという意図は別途持っておりますが、これはむろんまだ実現の運びに至っておりません。そこで積み上げ方式によりまして到達します先は、日本内地と同じようなところまで持っていきたいものだ、こういう考えでございます。
  5. 村山喜一

    村山委員 今お話しがありましたように、最近運営費についてそういうような措置がとられておるわけですが、そういうようなものに対してはアメリカ軍当局が行政的な指導面においてはチェックしていくところ権限を持っている。従いまして政府は外務省を通じて沖繩軍政府の許可を得なければ予算が組めないという形になっている。こういうようなものに対して沖繩潜在主権日本にある、同じ日本国民としての取り扱いをして、沖繩教育レベルを引き上げたいという大臣の気持は私も同感であります。しかしながらそのやり方を見ておりますと、これは完全に沖繩施政権がわれわれの手にないわけでございます。この施政権をどういうふうな形において取り戻していくかということは、今話がありましたような積み上げ方式によるところのそういうような解決の方法では解決ができないんじゃないか、この問題は安保条約の第十条を解決していく以外に道はないのではないかということを申し上げたかったわけであります。これは意見になりますので時間の関係上次の問題に移りたいと思います。  昭和女子大の問題でございますが、文家政学部の三年生、これは日本文学科の専攻をやっている学生でありますが、その二名を学則の第三十六条第四項によりまして退学処分を行なっております。またその学生相談に応じたことに対しまして中野という講師が免職をされている。この事件について大臣並びに関係者お尋ねをいたして参りたいと思います。  私が得ました資料によってこの内容をちょっと調べ上げて参りますと、憲法なりあるいは教育基本法、さらに学校教育法大学設置基準等違反事件がこの内容に含まれておるようであります。教育的に大学教育はいかにあるべきか、あるいは私学自主性という問題はどこに限界線があるのか、あるいは大学自治の問題はどうなければならないか、さらに基本的人権はどういうような問題が残っているのかというような、非常に広範多岐にわたるところ内容に関連をして参りますので、ごく限られた時間ではとうていその意を尽すことが不可能でございますが、私がまず第一点として大臣お尋ねをいたしたいのは、もちろんこの問題は法務委員会でも取り上げられ、主管課長がその席に出席をして説明をしておいでになりますので、大臣の方でもおわかりになっていらっしゃると思うのでありますが、私学自主性公共性という問題について大臣はどういう点をどこまでお考えになっているかということであります。私学は御承知のようにそれぞれ建学の精神に基づきまして独自の学風と伝統に基づいて特色のあるところ教育を自主的に行なうとともに、さらに国立あるいは公立と並んでその公共性を発揮して人材の育成に当たるというのが私学あり方であろうと思うのであります。そこで、国立並びに公立学校につきましては、これは公平の原則に貫かれなければなりませんし、私学は幅広いところ学校特色を持っているというふうにも考えられるわけでございますが、公共性においては私学といえども国立なりあるいは公立学校と何ら相違はないものであるというふうに私は解釈をいたしております。この点について大臣はその公共性についてどういう考え方をお持ちになっているかをまず第一に承っておきたいと思うのであります。  御承知のように憲法なり教育基本法、さらに学校教育法私立学校法、こういうような法律によりまして公の支配に属しておるのが私立学校であると私は考えるのであります。そういうような立場から、私立学校法の第五十九条によるところの助成の道も開かれていると思うのであります。法令違反、そういうようなものに対しましては監督官庁でありますところ文部省が、それぞれの手続によって学校の閉鎖なり法人の解散を命ずることができる、こういうことになっているわけであります。従いましてこの私立学校といえども、憲法なり教育基本法学校教育法あるいは私立学校法等のそういう法令については順守していかなければならない義務があると思うのであります。そういうような立場から、今度のこの昭和女子大の問題に対しまして大臣が今まで報告を受けられて、それに対するところ大臣の所見をお持ちになっておいでになるならばお伺いをいたしたいと思うのであります。
  6. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 前提としまして、昭和女子大の問題の詳細にわたっては私も十分に承知いたしませんが、概貌は聞いて知っております。今お尋ねの点でございますが、大学が、私学といえども国公立と同様その公共的使命を持っておる意味においては何ら選ぶところはないと思います。かつまた御指摘のようなもろもろの法律制度に基づいて国の支配に属しておる、国公立と違う点はございましても支配に属しておることはお説の通りと心得ます。従って今度の昭和女子大学事件概貌だけで推測しましても、国公立と同様、大学自治ないしは管理運営権という意味においては、部分的な差異はございましょうとも、大学当局みずからが自主的に処理する範囲内の事柄に属しておる、事件としましては、総括的に言いますれば、そういう限度内の問題ではなかろうかと観測をいたしております。
  7. 村山喜一

    村山委員 大学管理権に基づく限度内におけるところの行為である、こういうような見方をしておいでになりますが、今から私は、それを逸脱をしておるのではないかと思われるような点について、大臣が詳細にわたって御承知でなければ関係課長なりあるいは局長お尋ねをし、あるいはまた人権擁護局長もお見えになっておいでになりますのでお尋ねをいたして参りたいと思います。  人権擁護局においては、中野講師大学解職はきわめて不当であるというようなことで提訴をいたしておるわけでございますが、その内容についてどの程度まで今の段階においては審査を進めておいでになるか、その審査終了の見通しなりそういったようなことについて経過を局長から承りたいと思うわけでございます。
  8. 鈴木才藏

    鈴木政府委員 昭和女子大中野講師が、解職の件につきまして、人権擁護局、またその下部組織であります東京法務局人権擁護部人権問題として提訴されてこられましたのは昨年十二月の十三日ごろであります。その理由は今質問せられました委員の方も大体御承知と思うのでありますが、その背景になる点もちょっと申し上げないとどうかと思うのです。  それは昭和三十六年十月下旬ころに、世田谷区三宿十番地にございますこの昭和女子大学日本文学科の三年生の教室等におきまして、二名の学生政治暴力防止法案に反対をいたします請願用紙に約二十名の学生及び講師署名を求め、事実署名をしたのでなさいます。ところが、この署名運動は同大学当局に対しては内密に行なわれたのであります。間もなく学校当局はこの情報を知りましてその調査を始めたのであります。その調査の過程におきまして、今申します中野講師、これは倫理担当講師でありますが、この人が署名した学生の一部に対しまして、この署名運動学校に知れてからいろいろ相談を受けた場合に、一部の学生に対して、今はこのことは学校当局に言わないでおいた方がよいかもしれない、これは前後の文句もあるのでありますが、大体そういうふうな意見を述べた、こういうことを学校側が知ったようであります。そして学校側は、同講師学生補導責任を全うしないで不適任であるとして、同年十一月七日ごろに中野講師に対して電報で、当分の間休校されたい、そして同月三十日ごろに、理事長であり同時に学監である人見氏の手紙によって解雇通知がなされた、こういうふうにいわれておるのであります。それで中野氏は、自分がこのような補導責任を全うしない、不適任であるという理由で突然に解雇ざれるということはどうも納得がいかない、しかも今後自分生活にも非常に影響があるので、人権問題として人権擁護機関において一つその点を調べて何らかの善処をしてもらいたい、こういうふうな訴えが出たのであります。もちろん私どもの方の人権擁護局におきましては、民法上の解雇が不当であるかどうか、あるいは無効か有効かということを判定する機能権限もございません。その最終的な判定は裁判所認定に待つよりほかはないと思うのであります。ただわれわれがこの問題を人権問題として取り上げました理由というもの、こういう例はよくあるのであります。たとえば労働基準法におきまして、解雇する場合には一カ月前に予告をしなければいかぬ、即時解雇の場合は予告手当を出してやる、あるいはまたこの解雇につきましては何らかの協約があり、制限がある場合に、会社がその協約規程を踏まないで勝手に解雇した、これは不当である、こういうふうな場合におきまして、はたしてその解雇法律上あるいはその内部規程協約上定められておる解雇手続を適法に踏んでおるかどうか、そしてその人がほんとうに不当に解雇されて生活に困るかどうか、こういう点からこの解雇問題を人権問題として取り上げておるのでありまして、この点はあらかじめ御了承願いたいと思うのであります。  その後東京法務局人権擁護部におきまして、その中野氏が十分の理由なくして解雇されたかどうか、そしてまた講師などを解雇する場合に、どういう手続でどういう基準解雇するという規程学校にあるかどうか、そういうことを調べまして、また学校当局が言う解雇理由というものが事実なりやいなやという点を調べておったのであります。ところが、学校側の申しますいろいろな解雇理由と、それから中野講師人権擁護部に対して、学校側の言われる補導責任を全うしなかったこと、そういう点についての事実上言のい分とはやや食い違いがございまして、現在のところはある程度平行線をたどっておるような感がいたすのであります。もう少し第三者を調べる必要があるかどうか、またそういう人がおられるかどうか、今検討をいたしておる次第でございます。人権擁護部立場からこの解雇が、その昭和女子大に勤めておる講師解雇手続あるいはその解雇基準、そういうものに照らし合わせまして妥当を欠くかどうか、そういうような点につきましてはまだはっきりした結論を出し得ない状態にあるのであります。
  9. 村山喜一

    村山委員 中野講師の問題については、これは人権擁護問題であり、それにまた裁判所地位保全仮処分申請等も出すような考え方等もあるようでありますので、いずれそういうような問題はそれにふさわしいところで論及をしていくことにいたしたいと思います。ただ私がこの昭和女子大の、文部省提供資料によります学則を見た場合には、「教授会は左の事項を審議する。」という第四十六条の規程がございますが、それには採用に関する事項については審議をするようになっておる。しかしながら更任あるいはこれを退任をさせていく場合には規程がないわけです。話に聞きますと、あわてて大学当局において任命規程なるものを作り上げて、それによってあとの措置としてやったように見受けられる節がある。これは公立学校国立学校においてさえも教育公務員特例法措置によって、その大学の自由、大学自治という立場から、教授へ助教授、こういう者の任命については特別な措置が講ぜられているのが通例でございます。私立学校においてはなおさらそういうような大学自治というものに徹すべきであります。そういうような点からこの学則はあまりにも不備な規程である、こういうようなことが言えるわけでありまして、それらの点についていろいろと御調査を願いたいと思うわけでありますし、また採用時における約束なども、中野講師の説によりますればただ口頭でこういうふうにしてもらいたいという申し渡しがあった程度であります。別にそういうような問題についての契約上の取りかわしもしていない、こういうような点もございますし、また学籍簿を改ざんしたなどというような事実は全然ない、またそういうようなものに対しては名誉棄損であるというような考え方も出されております。従ってその中野講師に対する解職理由はいずれも正当性がないと私たちは判断をいたしておるわけでございますが、そういうような立場からこの問題については今後慎重に法務省の人権擁護局の方で取り扱いをされまして、人権を守るという立場から御処理願うように要望を申し上げておきたいと思うわけであります。  そこで私が本日取り上げてみたいのは、そういうような人権問題よりもやはり教育上の問題という立場から、この昭和女子大の問題について触れて参りたいと思うのであります。  まず第一点は、教育を受ける権利というものが御承知のように憲法の二十六条に規定づけられておるわけであります。この憲法の二十六条の内容を見てみますと、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」こういうことが規定づけられておるわけであります。それに対しまして、御承知のように児童生徒学生に対するところの罰則の懲罰規定がございますが、懲罰規定文部省学校教育法なりあるいは学校教育法施行規則の十三条から受けまして、学則の場合においても、この学生退学処分理由というのを見てみますると、学則の第三十六条第四項、「学校秩序を乱しその他学生としての本分に反した者、」こういうような理由によって退学処分を行なっているわけであります。学生大学の定めたところ学則に従わなければならないという一般的な原則は私も承知をいたします。しかしながら、この学則について、やはり大学大学の自由と自治を守っていくために、ただ一方的に小学校、中学校高等学校のように学校教育法に定めております教育を施す機関ではないわけでありまして、大学あり方の上から考えまして、当然に学生自治という問題についても学生諸君に協力を呼びかけ、その中で自由な討議を経てこれらの学則というものを作り上げて、そうして一たんきまった学則については、これをみんなが守っていく、そういう体制が大学教育の姿であろうと思うのであります。そういうような点から考えました場合において、この大学教育を受けるところ権利というものは憲法によって保障されている、にもかかわらず、学校教育法において懲罰規定が設けられ、そうして学校教育法施行規則、これは文部省令によってきまっているわけでございますが、その文部省令の例示いたしておりますところのいわゆる——やはりこの学則と同じようなことが書いてございますが、学校秩序を乱し云々というようなことで、一たん大学入学試験を受け、そして大学におけるところ教育を受ける意思を持っております学生に対しまして、大学理由なくしてこれを不当に退学処分をせしめる権限をはたして私立の学長が持っているかどうか、こういうようなことについて憲法上の立場からこれらの解釈について承りたいと思うのであります。
  10. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 能力に応じて教育を受ける権利を有するのではありますが、それはあくまでも法律範囲内においてのことでありまして、その法律が、今御指摘のような学校教育法等の一連の法律ないしはその施行規則等によって退学させるような場合を予定してきめておる、その法規に基づいて大学が、私学といえども学則を作る、その法令学則には学生といえども従う義務責任を持つ、その限度内において教育を受ける権利を持っておる、私はかように考えます。従って、この具体的な事例の詳細はさっき申し上げたように私も存じませんが、存じておりましょうとも真実そのものを直接知り縛る立場にも今ございませんので、軽率なことはもちろん申し上げる立場にはないと思いますけれども、抽象的にいえば法令ないしは学則範囲内においてこそ教育を受ける権利を与えられておるという立場に、学生私立といえども立っていることはお説の通りだと思います。不当に退学処分をされたかどうかの事実認定は、ちょっと私も断定的には申し上げかねますのでお許しをいただきます。
  11. 村山喜一

    村山委員 教育行政庁というのは、処罰機関ではなくてこれは人間を育成する機関であると思うのであります。そういうような立場から、教育行政処分という問題は、学生の訓育上その非行を叱責をしあるいは訓戒をする、こういうような教育的な措置が本来の姿であるべきであります。大学におけるところ教育においては、能力が欠けておった場合には当然退学処分をせしめるというのはありましょうが、大学におけるところ能力以外の点で学生退学をせしめるというのは、憲法上これは疑義があると私は解釈をいたしております。そういうような点で、いわゆる学校教育法懲罰規定は正しいといたしましても、施行規則のいわゆる第十三条の第三号なり第四号というものは、これは大学教育については再検討を必要とする規則であると私は考えているわけです。そういう点についてはまた後ほど論議をして参りたいと思いますが、能力に応じて教育を受けるという権利国民が国家に対しまして要求する権利を有しているということで、それを保障したものであると考えなくてはならないと思います。従いまして大学入学試験に合格をして入学をした以上は、その学校教育を受けるところ権利があるわけであります。そういうような点から考えますと、最近におけるところのいろいろな判例を見てみまする場合に、今回行ないましたところ昭和女子大文家政学部の三年次の学生二名、これを退学処分に処したというのは、いわゆる国民の持っておる教育を受けるところ権利というものを不当にじゅうりんをしたものである、こういうようなことが京都地裁あたりにおいても、同じような類例が判例として掲げられておりますが、そういうような点から見て、私はあくまでも不当な行ないであると思うのであります。  そこで大臣はあるいはこれは詳細にわたっては御承知ないかもしれませんので、大学課長お尋ねいたしますが、この学校においては、学則というものは学生は知る必要がない、こういうような学則内容等についてお前たちがこまごましたことを知る必要がないんだというようなことを言っている。だからそういうような学則があるかないのかということでさえも知らなかった。現在においても学則内容を見たことのない学生ばかりだというのが事実であります。いわゆる学則に基づいて退学処分をされ、今さらそういうような学則があったのかということで、学生の諸君はその学則内容についてわれわれにも教えてもらいたいということを要求いたしましたところ、それ対しましては玉井学長は、そういうような学則を知る必要はないということをはっきりと学生の前で公言をしておる。こういうような一体学校というものがあるかどうかということを考えた場合に、私はこれは大学以前の教育の姿がこの昭和女子大においてはとられているのである。そういう点から、学則を知らないのにその学則によって処分を受けている、こういうような不当な事実があるということについて御承知であるかどうか、その点をお尋ねをいたします。
  12. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今御指摘の、学長がそんなことを言われたという事実は存じません。ただ、その前提としておっしゃいました学生教育を受ける権利があるということは、私も否定しませんが、それは無条件じゃないと思います。学則を知る必要がないとかあるとかは別といたしまして、いやしくも学校に、この女子大の入学試験を受ける者は、学則というのは一種の大学の利用関係を定める契約の誘因文のような意味も持つわけですから、それを知って入学志願をしたということは、これは本人が具体的に学則を読んだ読まないは別といたしまして、法を知らざるをもって対抗できない理論に立って私は当然のことだろうと思います。それが法治国における常識だと思いますが、そういう意味で無条件の教育を受ける権利にあらずして、法令に従い、しかも学則に従い、その上で教育を受ける権利がそこに設定される、そういうものだと私は心得ます。繰り返し申し上げますが、その大学の学長が今おっしゃったようなことを現に言ったかどうかの事実問題は知りませんので、要すれば政府委員、説明員からお答え申し上げます。
  13. 村山喜一

    村山委員 一般的な、国会において法律が制定されて、それが公示された場合においては、法律内容について知る知らないにかかわらず法律上の効果が及ぶことは、私たちが言うまでもなく知っているところであります。ただその学則内容について当然大学側は、入学をいたしました学生諸君にその内容を知らしめ、そして大学教育あり方からその学則等について大学学生に対してそれを守って教育が正しく行なわれるように協力を呼びかけていくということは、当然の教育の姿として考えられる立場にあるわけでありますが、残念なことにはこの学校は、学則について学生自身が知らないので、そういうような学則があるのであれば一つ私たちにも知らせてもらいたいという要求を行なった、ところが、要求をしても、そういうようなことに対しては知る必要もないのだということを人見理事長がみずから言っている、あるいは知る必要がないということを玉井学長が述べている。これは二月の十二日、学部の本館の一階の会議室で学生に対して話をした事実であります。そういうようなことに対して、文部省の所管課長は御承知になっていますか。
  14. 村山松雄

    村山説明員 昭和女子大学の学生処分事件につきましては、二回にわたりまして大学側から理事長、学長、それから家政学部長においでいただきまして事情を聴取いたしました。その中では、ただいま御指摘のような、学則学生が知る必要がないのだというようなことを学生に申し立てたというような点につきましては、報告はございませんでした。
  15. 村山喜一

    村山委員 文部省に呼ばれたら自分の不利なことは決して言わないです。そういうような間違った学校教育というのはほかにたくさん類例がありますので、あとの時間の場合に申し上げて参りますが、そういうような大学教育あり方がもう本来から間違っていると私は思うのです。これはアメリカのある西部におけるところ大学の例を何かの本で見たのでありますが、学則といいますか、大学自治規則というものに対しては、学生みずからもそれに参加をして、自分たちで作り上げた学則であるという形において大学教育、こういうような規則に対しては学生がみずから守り抜いていこう、そういう教育の場が作られている。こういうようなのが私は記憶に残っているのでありますか、日本大学の場合、当然大学自治という姿の中から考えて参りまするならば、そういうような形態でなければ、大学らしからぬ姿であろうと思うのです。片一方において、今問題になっております学生手帳——私はここに学生手帳を預かって持っておりますが、この内容を見てみますると、大学課長はよく内容はおわかりになっていらっしゃると思うのでありますが、まるで高等学校以下、中学校生徒の延長のような姿においてこの学生手帳というものは規定づけられておる。一方的に、こういうふうにしなさい、こういうふうにしなさい、こういうような姿において規制づけられている。あなたはこの手帳をごらんになったことはありますか。
  16. 村山松雄

    村山説明員 大学から説明を受けます際に、学生手帳につきましても御提出を願いまして、拝見いたしております。
  17. 村山喜一

    村山委員 その内容については後ほど論議して参りたいと思います。  そこで私はいろいろこれらの問題の中身について触れて参りたいと思いますが、いわゆる管理権の一種として大学が持っております学生に対するところの懲罰、そういうものがどの程度まで許されるかという問題でございます。御承知のように学則については知らされていない、そして政防法の署名を学内においてやった、これは許可を受けないでやったことは悪いということを認めております。ただそれだけでこの学生退学をさせられているということは、二月の八日玉井学長が大学課長ところに参りましたときには、今その二人の学生については謹慎を命じております、これは退学をせしめたものではございません、こういうことを言っている。これが二月の九日御承知のように法務委員会で取り上げられ、その後において、この前文部省から資料としてもらいましたように、十二日でありますか学生処分がなされて、そして大学の構内において掲示をされているわけです。これを見てみますると、改悛の情がない、こういうようなことで、のみならず、公開の会場やその他において本学に対する不穏な言動をなした、こういうようなのが退学理由書であります。この内容について大学課長は、そのときには、退学処分をされた事実はありません、学長の報告をけさほど承ったところでは、今謹慎を命じている、こういうような話でございましたが、その後において、公の会場やその他の場所において大学のことを誹謗した、こういうような事実が二月の八日以降においてあるわけですか。御承知ですか。
  18. 村山松雄

    村山説明員 正確に申しますと、二月八日の御説明では、当該学生に対して出席をとめて補導中であるという御説明でございます。謹慎という言葉は使ってございません。それからその後御指摘のような理由で二月十二日に退学処分に付したという御報告を受けました。退学処分理由に掲げられておるような事実がはたしてあったかどうかという点につきましては、大学側からあったという御説明がありまして、それを承っておるだけでございまして、当方で直接事実の有無を取り調べたことはございません。
  19. 村山喜一

    村山委員 学生教育を受ける権利を持っておるわけでありますが、この権利は、判例をいろいろ調べてみますると、学生退学については学長の権限で、自由裁量権があるという説と、そういうような自由裁量権は、事実に基づいて行なった場合以外は、これは裁判所の裁判の対象になるかというような判例等もあるようです。またこの内容について、大学側にはそういうような自由裁量権はないのだ、いわゆる退学処分というのは、法に対するところ一つの覊束行為であって、学長の自由裁量権はないんだという一つ考え方も出されておる。そういうようなことから、かりに学生学校において教育をけ受る権利が——私学秩序を保持するという、そういうようなために学生処分せしめることができる、こういう管理権を持っているとするならば、それはどういうような権限に基づいて持っているのか、いわゆる憲法上の規定をくつがえし縛るところ権利というものは、私学の経営者はどのような立場においてそれを持っているとお考えになるのか。政防法に署名をしたということだけで、学生を謹慎させ、補導をし、そしてまた退学処分するというような、そういう措置をするような権限というものがはたして大学側にあるのかないのか、こういうような点について文部省はどういうふうにお考えになっているかを承りたいのです。  私が人権擁護局長お尋ねしたいのはこういうような、その学校において勉強したいという意思を今日においてもなお持もっているその学生に対して、大学当局が行なったこれらの行為というものは、客観性のある、社会的に見て妥当性のあるところ措置としてとられている行為であるとお考えになっているかどうか。この問題は、いわゆる学生教育を受ける権利を不当に侵害した、基本的な人権を侵害したところの行為ではないか、こういうことを、私は社会通念上の常識の範囲の中から考えるわけでありますが、それに対して人権擁護局長のお考えをお話し願いたいと思うのであります。
  20. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 何度も申し上げますように、事実行為そのものがい小なるものであるかという最終的なことはわからないで申し上げるわけでありますが、そしてまたその処分が妥当であるかいなかということは人権擁護局の結論を待ち、あるいはまた裁判に訴えられるとするならば、その判決を待たなければ、最終的なことはむろん申し上げかねる問題だと思います。ただ一般、抽象的に考えますことは、先ほど御指摘通り能力に応じて教育を受ける権利はまさにあります。ありますが、それは憲法的にいえば、私はこんなふうに理解いたします。そういう基本的人権といえども、自由権といえども、乱用を許さぬ。社会公共の福祉に貢献をさせる責任の限界内においてある、そう考えます。また教育基本法第八条は、法律に定める学校、すなわち大学もむろんその一つでありますが、その大学において政治的には中立でなければならなぬということを要請している。政治的活動は許さない。一党一派に偏してはいかぬ。これは鉄則だと思います。そこで、反対署名運動が具体的にはどういうものか、現実には知りませんが、反対署名運動ということをやったとすれば、よしんば、それが自由民主党からの要請に基づいた署名運動でありましょうとも、大学内においてこれを行なうことは、明らかに政治的な中立性を侵す行為を黙認した状態にならざるを得ない。また同時に、教授に対する責任もございましょうが、学生もまた当然、教育基本法の第八条の趣旨を体して行動する責任があると、私は思います。   〔発言する者あり〕
  21. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 静粛に願います。
  22. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 従って、そういうことがあるかもしれぬと予定して学則ができておる。さかのぼれば、学校教育法ないしはその施行規則が具体的に予定しておる。そのことに触れるものとするならば、さかのぼれば、先ほど申し上げたように、憲法との関連において理解してでありますが、私は抽象論としては妥当なことじゃないか、基本的人権を侵害するという課題ではあるまい——ただし事実問題は、具体的案件は別でありますが、そういうふうに理解いたします。
  23. 鈴木才藏

    鈴木政府委員 学年の退学問題、国民の基本的な人権あるいは教育を受ける権利、そういう見地からも、広い意味におきまして私の方がいろいろ考慮し、検討し、日本における実情というものを調査する義務はあるかと思うのであります。けれども、根本はやはり私立学校自治あり方——現在の日本におきまして、私立学校においてどういう場合に学生が退校処分、放校処分を受けるのか、これはやはり抽象的には言いがたい問題じゃないかと思う。私はまず抽象的に申しますと、ただ学生私立学校においても教育を受ける権利がある。それのみならず——私はそういう観点からでなくして、この最高裁の判例なんかでは——これは公立学校の問題ではございますけれども、先ほど御指摘になりましたような一つの判例を基礎にして考えてみたいと思うのであります。たとえば昭和二十八年の最高裁の判決でございますが、公立大学生の行為に対して懲戒処分をするかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶかを決定する、ことは、その決定が全く事実上の根拠に基づかないと認められる場合、もしくは社会通念上著しく妥当を欠き、懲戒権者としての学校の裁量権の範囲をこえるものと認められる場合を除いて、その裁量にまかされる、こういうふうに裁判所考えておるわけであります。私も大体こういうふうな考え方が妥当じゃないかと思います。問題は、この裁量にまかされておるその裁量というのは、一体学校側立場のみを見て自由に裁量できるかどうかということになると、やはり幾らか疑問があり、学校であるがゆえにその裁量権の行使は、あくまでも立場に、また学校教育という立場から、常識を持って処置すべき大きな責任学校側にあるのではないか、このように考えるのでございます。  それからもう一つ、私はいろいろ本件を通じまして、学生の放校処分について考えてみたのでありますが、ただ学外の学問を受ける権利、そういう観点のみならず、現在の日本における私立大学あるいは一般の学校大学なんかの果たしつつある機能であります。これはただ抽象的に、中世紀の大学のように学問のみを求めて集まる団体ではないので、現実的には、相当多額の学資を出しまして学校に送り込む親の気持、あるいは学生自身の気持におきましては、その大学入学された以上は、あくまでもその大学のコースを終わり、そうして何々大学の卒業免状を取り、資格を取る。そうして何らか将来の生活上の足しにする。これは、ほんとうの学問の道から見ますと離れておるかもしれませんが、現実に大学に入る学生、その親の気持というものは事故のないようにして、四年間無事に送り、そうしてその大学の卒業証書、その資格を獲得するという一つの期待を持っておると私は思うのであります。それと同時に、私学におきましても、単に学生に対しまして慈善的に教育を施しておるのではないのであります。やはりその学校教育という施設を利用するために、ある程度の学費をとり、入学金をとり、いろいろな費用をとっておるのであります。学校側におきましても、その払われた対価に応じまして十分なる施設をし、学資を払っておる限り、できる限りはその学生の勉学の道を続けさしていくという、一つ法律上の契約と申しますか、そういうふうな関係にもあると思うのであります。従いまして、私は抽象的には、大学学生退学処分にします場合におきましても、大学自治あるいは秩序保持のためにはどういう場合に学生退学処分に処するかという点は、先ほど判例の限度におきまして裁量にまかされておるとは言いましても、やはり今申しました、現在における大学の実情、その果たしつつある機能、また大学に子供を送っておる親の気持、また学生の気持、そういうものを考えますと、裁量にまかされておるとはいいながらも、放校処分にするという場合においては、やはり教育者として客観的に見て妥当な裁量権を行使する一つ義務がある、そのように私はこの問題を通じましていろいろ検討いたしたのであります。  従いまして、今回の昭和女子大学の二名の学生退学処分を受けた、その退学処分が、いわゆる私立学校を規定しておる法律あるいは教育法の懲戒権の範囲、そういうものから照らしてはたして妥当であるかどうか。やや学校立場のみの考えから、この学生に対して不当に退学処分をしたのではないかどうか。こういう点につきましてわれわれも一応考えてみましたけれども、学校の発表いたしておりますいろいろの理由というものは、ただ署名運動をしたというだけではございませんで、署名運動をするにつきまして学校の届出を必要とする、指示を仰がなければいかぬという学則違反しておる、無断でやった。あるいはこの学校規則におきましては、学外の団体に加入する場合には、学校当局の許可を得なければならぬ、そういうふうな規定があるにかかわらず、その許可も得なかった。あるいはまたこの事件が起きて、外部の団体に対して、そういう集会においていわゆる学校を誹謗するような態度をとった、こういうふうな理由があげられておるのであります。私は今、人権擁護局といたしまして、この退学処分が違法であるか、不当であるかという判定をする立場じゃないと思うのでありますが、ただこの放校される学生がどういう立場に置かれるか、そういうふうな問題、それからまた文部当局のお考えを聞かなければなりませんけれども、私立大学のこの放校処分に現在においてどういうポリシーをとるべきかということは、これは人権擁護局の見解のみならず、大きな学校教育問題だと思うのであります。従いまして、この放校処分というものが社会通念、一般の社会常識から見てはたして妥当であるかどうか、あるいは違法であるかどうか、この点につきましては、大学退学処分に処しました理由の重点というもの、署名運動に節点を置いたのか、あるいは署名運動をするについて大学の指示を仰ぐ、あるいは届出をしない、そういうことを昭和女子大においては非常に重大視する。学校秩序維持の一つ規則、そういう点に重点を置いてこの放校処分をしたのであるか。そういう点を、よけいなことかもしれませんが、まだもう少し確かめてみないと、人権擁護局として今の御質問に対するはっきりした回答が出ないような感じがいたすのであります。
  24. 村山喜一

    村山委員 人権擁護局長のお話はおおむね妥当性のある考え方に立っておいでになると思うのです。ただ文部大臣の発言の中で、間違えておいでになることがある。いわゆる教育基本法の第八条は、学校が特定の政党の支持とか、そういうようなものをさせないとか、こういうような間違った教育を行なってはならないということが規定づけられてあるわけです。だから、その学校というのはその学校の当事者であって、教育を行なう主体性の問題だ。そして学生というのは学校教育の客体なんです。その主体と客体とを混同して、教育基本法第八条の解釈をあなた自身が間違われるような解釈をされるということは、日本教育の上においてきわめて重大な問題があると私は思う。この問題については、すでに文部省としても通達を出し、統一解釈を出しておられる。あなたはそれから逸脱をしておるわけです。あなたの今の発言は間違いであろうと思う。私はこの問題については、後ほど大臣から今の発言は間違いである、こういうような解釈についての答弁の取り消しを承りたいと思うわけです。  今人権擁護局長がお話になりましたように、私立学校の場合、いわゆる大学の当局と学生との間は、一つの特別権力の関係にある。従って私立学校秩序を保持するという立場において、学長が教育を受けようとする学生権利に対して制限を加えていくということは、懲罰規定その他の立場から見て客観性のある、社会通念上おおむね妥当と認められる立場に立った場合には、そういうような判例の立場に立つ考え方を示されたわけである。そこで私は、この問題がはたして客観性のある、しかも社会通念上妥当と認められる措置であるかどうか、こういうような立場について、この問題をさらに憲法の問題、基本的人権立場から突き詰めていかなければならないと思う。  そこでいわゆるこの学則というものを受けまして、学生の守るべき道という学生手帳に示されました内容が、きわめて不穏当な、憲法違反するような内容のものが数限りなくこの中に出ております。今話がありましたように、政防法反対の署名をやった、これは授業中であるわけじゃありません。学生が、どこからの署名用紙であるか、それはわかりませんが、われわれも反対をしようじゃないかということで、平穏裏に国会に対して請願をするところ権利は、請願法に基づいて、憲法に基づいて何人にも許されている行為であります。そういうような行為がなされということによって、これを不当な、教育基本法違反であるとかいうようなへんちくりんな理屈を持ち出して問題を律せられるということは、とんでもない間違いだと思う。いわゆる請願権は学生といえどもあるという立場、何人といえども請願を平穏裏に行使することが可能であるということが憲法に規定づけられているわけですから、その問題については、大臣、あなたの先ほどの発言はお間違いではないですか。
  25. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私はただいまのところ間違いだとは考えておりません。教育基本法がいうところの「学校は」というのは、大学当局もむろんでございましょうが、学校というものは大学当局だけが存在して成り立つものではない。大学当局、及び学生あっての学校であります。従って、その学園内における政治的な行動が自由に行なわれるということは、学校としてはあり得ざることだと教育基本法は予定していると私は解釈いたします。詳しくは法律的に勉強してじゃないと申し上げられませんけれども、今直ちに解釈を言えとおっしゃれば、以上のように私は考えるのでありまして、もしそうでないならば、学校内において自由自在に政治活動が行なわれる道理であります。それは学園内の通常の秩序が保たれておる状態ではない。ことに教育基本法第八条の要求する、学校が政治的にはあくまで中立でなければならぬという精神には反する姿だと思います。従って、平穏に請願する権利があることは、もう何人も、私も、一点も疑いを持ちませんけれども、それは国会に対して請願するという姿をさすのであって、あるいは政府に対する請願をさすのであって、明らかな政治行動たる署名運動と目されることが学園内で自由に行なわれるということは、私は少なくとも妥当ではない。それは権利の乱用の姿ではなかろうか、こういう考え方に立って先ほどお答えを申し上げました。私も、憲法学者でもなければ法律家でもございませんから、客観性があるかどうかということは検討さしていただきたいと存じますけれども、今持っております私の解釈論は大体妥当じゃなかろうかと自分では思っておるわけであります。
  26. 村山喜一

    村山委員 大臣のその見解は、すみやかに再検討自分自身で加えて改められなければ大へんな問題になります。私は、その大臣の間違った解釈のもとに一般論的なあなたのお説を拝聴しているのではない。この問題は基本的な人権をめぐっての憲法上の解釈の問題であって、それを特別権力関係にある大学とその学生との関係において、私学秩序がどの限界まで認められるか、その義務上の関係というものは、どこまで限界線を引くべきかという、非常に重大なこれからの私学あり方日本大学教育あり方という問題に関連がありますので、この問題については、文部省関係課長局長と話し合いをした上で、統一的な答弁を出してもらわないと、これ以上の論議が続けられない。
  27. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 ただいま申し上げた通りのことを率直にお答えしたにとどまりますが、最終的な政府側としての統一解釈ということにつきましては、他の機会にあらためて申し上げることをお許しいただきたいと思います。
  28. 村山松雄

    村山説明員 ただいまの教育基本法第八条の解釈なり扱いにつきまして、従来大学学術局が扱ってきましたものを御説明申し上げますと、基本法第八条にいうところの「法律に定める学校」とは、学校教育法第一条に定めるものという解釈でございます。これは御案内の通り、小学校、中学校高等学校大学、盲学校、聾学校、養護学校、これが基本法八条にいう「法律に定める学校」であって、各種学校その他は含まれないという解釈でございます。  次に、しからば学校の実体は、何を持ってその学校と把握する小という点でございますが、これは狭い意味では、学校教育活動の主体をとらえて学校という形態に扱っております。もう少し具体的に申しますと、教員組織、施設いわゆる営造物と申しますか、そういうものをさして学校と言っております。学生は、狭い意味では、教育研究活動の客体ということで、学校に含めて考えていないわけでございます。しかし大臣も申されましたように、学校教育活動というのは学生を対象としてなされるわけでございますし、客体である学生は、大学の定める方針、学則等を順守して教育研究に従事しなければならぬわけでございますので、学校教育基本法に拘束される以上は、当然学生もまたその学校の方針に従うという意味におきまして、教育基本法の政治活動中立の条項に拘束される、かように解釈しております。
  29. 村山喜一

    村山委員 大体今の大学課長の説明で納得ができる。というのは、いわゆる学校にあっては偏向した教育をしてはならない。これは学校教育活動の主体であるところ学校の当事者が、客体である学生生徒に対してそういうような教育をしてはならない。こういうようなことで義務教育の諸学校の中立性に関する法律等も定められているわけです。そういうような立場から、当然学校一つの政党あるいは一つのイデオロギーのもとに片寄った教育が行なわれておる場合においては、公の学校教育としてのあり方ではないということに規定づけたのが教育基本法の姿なのです。ただ学生を律する場合には、私学の場合にあっては、いわゆる学内におけるところ秩序保持、こういうようなものにおいて学生という本分があり、それは学校当局との間には特別権力関係が存在する。従ってその関係において、どの程度そこには大学学生自治が認められ、学生の活動の自由が認められるか、こういうような法律的な考え方というものに立っていかなければおかしいのであって、今の課長の説明は大体そういうようなことを言っているものだと思うわけであります。  そこで時間があまりありませんので、後ほどまた続いて触れて参りますが、最後に、せっかく警察庁の警備局長おいでを願っておりますので、警備局長に対する質問だけ済ませておきたいと思います。  それはこの事件が発生をいたしましたときに、世田谷署の公安係森島正司巡査部長、それから大川内弘文巡査が十二月の十五日に学校に行って、いろいろの問題についての調査をいたしているようであります。これはその当時、これらの署名運動に対しての抗議を大学当局学生連絡協議会の諸君が行なった。その場合において大学側の要請に基づいてなされた行為である、こういうふうに承っておりますが、その通りであるかどうか、そしてまたその後においてパトカーが大学の中に自由に出入をし、あるいは私服の公安係の警官が自由に出入しているという情報を聞いているわけでありますが、警察庁としてはこれらの事実に対して、御承知のように東京地裁で東大のポポロ座の判例が出ておりますが、その判例に定められるように、また大学自治というものについてどういうような限界があるというお考えで、これらの事態に対処しておいでになるのか、それらの点からお伺いをいたしたいわけであります。と申し上げますのは、これらの問題に関連いたしまして、警察が、学園のこの事件に対する介入をなしているのではないかという疑いがありますので、それらについて警察側はどの範囲内でどういうような行動を行なっておるのかを御説明願いたい。
  30. 三輪良雄

    ○三輪政府委員 お尋ねの十二月十五日、昭和女子大に警察官が入ったではないかということでございます。当日午前十一時五十分ごろ学校側から一一〇番の電話で警察に出動要請があったわけでございます。と申しますのは、終業式を行なっておるのだけれども、外部の男の学生が講堂に入り込んでいるから警察に来てもらいたい、こういうお話であったのでございます。要請されたのは、学生課長と聞いております。そこで本庁の一一〇番の交換から地元世田谷署に通報いたしました。そういうことで事態ははっきりわかりませんけれども、違法な行為が行なわれるというおそれもありますので、公安係長以下七名の私服警察官が同校に行っておるのでございます。お言葉の通り、パトカーで参っております。午後の零時三十分ごろに同校に到着をいたしまして、正門の手前で車からおりて校内に入っておりますが、玄関前には二、三十人の外部の者らしい者が集まっておりまして、学校責任者に面会を求めているという状態であったのでございます。そこで要請のありました学生課長と連絡をした後、本館と正門の近くの二つに分かれて、不測の事態が起こりますときにこれを防止をしなければなりませんので、様子を見ておるという状態であったわけでございます。しかし大学側に外部の者と思われる者が面会を求めておりましたけれども、そのうちに終業式も終わりまして、大学側はマイクで学生に早く帰るように放送をいたしまして、午後の五時ごろには同校の学生は全部帰った、そしてまた玄関前に集まっておりました外部の者も前後して校外に出ていったということで、警察官も、これは警告も何もいたしたわけではありませんが、五時十五分に帰署いたしておるのであります。以後同様で、一月十一日、十六日、三十日、いずれも外部の抗議といいますか、そういうようなときにお知らせを受け、来てもらいたいというようなことで行っておりまするけれども、いわゆる警察が警告をし取り締まりをしたということは、ただ一つの例外を除いてはないのでございます。一つの例外というのは、ビラをまくということで、校内でまくことが断わられましたので、門前の道路でビラをまいたということから、御承知の道交法に違反をいたしますので、警告をしてやめさしたということがあるばかりでございます。なおその後にパトカーが自由に出入りするというお言葉でございましたが、今申し上げた四回以外パトカーで自由に行ったということはありません。なおパトカーとして行ったのはこの四回のうち二回だと聞いております。  ポポロ劇団の判例を御引例になりましてお話しの通り大学自治、学問の自由というものは警察活動から見ましても尊重しなければならないという意味で、各大学に警察的な見地から必要があって出ます場合には、できる限り慎重な配慮が必要でございますし、急を要してどうしても間に合わない場合にはあとで連絡することがございますけれども、事前に学校側に御連絡をして、御了解の上で入るということにいたしておるのでございます。これらは大へん古いものでございますけれども、昭和二十五年あるいは七年に文部次官通達というものがございまして、警視庁が東京都の公安条例をきめました、その公安条例の扱いについて、学校自治を尊重するという意味の通達、でございますが、警察といたしましてはその公安条例の適用以外に、犯罪捜査その他の活動につきましても、十問の自由を尊重し大学自治を尊重するというような意味で、今のような慎重な配慮をいたしておるところでございます。
  31. 村山喜一

    村山委員 私はまだ問題点をたくさんかかえているわけでございますが、まだ同僚議員の方から関連質問もあるようでございますので、このあたりでやめたいと思いますが、先ほどお話がありました教育基本法の第八条に学校出局が違反をしている事実を、後ほど時間をいただきまして申し上げて参ります。そのときに大臣の答弁も承りたいと思います。それから大学の設置基準違反をしている事実もございます。その内容等についても御質問を申し上げて参りたい。さらに基本的人権を無視し侵害をしている事実、これを具体的な実例に基づきまして後ほど取り上げて参ります。それから、これに対して法務省がどういうような結論を出すかは知らないけれども、そういうようなものに対しては全然われわれは無視しているのだというようなことを学生の前で広言してはばからない、そういうような法令無視の態度、このような事実もございますので、これらにつきましては後ほどの時間に取り上げて参りたいと思っております。私の質問は、まだそれらの問題が尽くされておりませんが、時間の関係がございますので、あとに時間をいただくように要望して一応終わります。
  32. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 鈴木義男君に関連質問を許します。
  33. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 今問題になっておることは大学教育の基本問題に触れることでありますから、私からも一言文部大臣の所見をただしておきたいのであります。  官立、私立を問わず、大学教育はまた同等学校以下の教育とは違った意味を持っておると思うのでありまして、要するに学術のうんのうをきわめ、真実を探求する、えらいことをいっておるわけでありますが、とにかくそういう場所であります。しかも非常に思想的には動揺し、ある意味では反抗的気分の濃厚な青年男女を教育するのでありますから、常に昭和女子大学で起こったような問題に当面するわけであります。私自身も過去において、あるいは東京女子大学で、あるいは東北大学で、いろいろなケースに出会ったのであります。たとえば東北大学で、ある警察の旨を受けた者が出したと信ずるのでありますが、ある思想的研究会を開くから集まれという招集状を出した。そして学生が三々五々広瀬川畔に集まってその会に参加しようとしたところが、一網打尽、警察が連れていって留置してしまったのであります。むろん戦時中のことであります。そうしてその姓名を大学に伝えて、大学に善処を求めたのであります。大学は非常に驚いて危険思想の持ち主だということで一斉に退学を命じるか、あるいは少なくとも停学にするかということが教授会の議題になったのでありますが、私は、警察がどんなに見ようとも、ある者が危険な思想を持っておるかいなかということを判定することは大学の任務である、それを大学自治権というのであって、警察の指図でもって退学を命じたり、いろいろそういうことがあるならば、大学の存在理由はないと、断固反対をいたしまして、それで一人も犠牲者を作らずに、しばらく留置されましたけれども、これは済んだのであります。まあ自分は進歩的思想の持ち主と思われたいという虚栄心から、どこからかわからぬような招集状に応じて集まったのもよくないけれども、しかし、そんなことはありがちなことです。そして、その学生諸君は、今はみな卒業して大会社の社長であり、官界、実業界、あらゆる方面に活躍しておりますが、一人も危険人物はいない。そういうときに一歩誤ったならば、それはひどいことになる。その後もいろいろそういうことをたびたび経験しておりますので、大学においては破廉恥なことをやった場合には、これはその時代の推移に応じて変化はありますけれども、やむを得ない。けれども、思想上の問題、政治運動などをやってはいけないとは書いてあるけれども、やりたくて仕方がないのであります。けさの朝日新聞を見ても、ソビエトでは、共産主義社会では退屈で仕方がない、それでジャズとかツイストとか、いろいろあれをやりたくて仕方がない。これはフルシチョフといえどもいかんとも仕方がない、青年男女は盛んにアメリカかぶれをするということで、これをどうして阻止するかということがソビエトの問題になっているそうでありますが、そういうものは、要するに変化を好む、求めるのであります。そういう青年の心理を理解せずにただ退学を命ずる。私は新聞で拝見をしただけでありますが、実に頑迷固陋なる精神にあきれるのであります。大学教育をするだけの資格はないと思うのでありますが、かりに昭和女子大学ではそういう頭の人だけがそろっておられるからやむを得ないとしても、一国の文政を扱う文部大臣が、やむを得ないだろうというような口吻を見せることははなはだけしからぬことであると存ずるのであります。一種の死刑の宣告でありまするから……。大学にあっては思想問題、そういうことを土台にして学生の進退を決する——、それはわれわれも大いにしかりつけたこともあるし、腹の中は別としてどやしつけることはありますけれども、そこにとどむべきものであって、放校に処する、死刑の宣告を下すというようなことは、出てどこへでも入れるというアメリカのようなところならいいんですけれども、日本ではまだまだある学校退学を命ぜられると、他の学校でもなかなか警戒して入れない。そういうようなことから前途を誤るのであります。私は断じて前途を誤らせるほどの重大な罪悪を犯したものではないと思うのです。そういう学生こそ将来大いに有望なんであるから、文部大臣としてほめるわけにはいかぬかもしれぬが、少なくとも大学教育においてもっと慎重でなければならぬということをここに言明されることは、必要でもあり、大事なことではないかと思うのです。一つ考えを承っておきたいと思います。
  34. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 鈴木さんの結論的な御質問は私もことごとく同感でございます。私が先刻申し上げましたのは、いささか即席めいて、十分検討しない部分がありながらお答えしたきらいは免れぬと自分は思っております。御説明の通り学生処分は慎重でなければならぬ。事実は知らないからと先刻前提をして、触れませんでしたが、かりに学長が言われたということがありとするならば、そのこと自体に私は大学当局として妥当でないせりふだとむろん思います。ただ学長、学校当局と・いうものは、学園の秩序を保持しなければ、一人々々が教育を受ける権利を持っているのに、一部の者によって多数がスポイルされる、教育を受ける権利を阻害されるという関係において、学園内の相互関係が乱れ、学園全体としては、全学生立場から見れば、自分教育を受ける権利が阻害されている状態が現出することは、具体問題として必至だろう。その事実の現象をあまりに重視して、先ほど来申し上げておるきらいがむろんあると思いますが、学生もまた学園の中の客体ではございましょうが、一体をなして初めて学園が存在する立場において、当然その大学学生としての責任感の立場に立って、適当な行動をする必要があろうと感ずるわけでございます。そこで処分の適否、あるいは適法か、違法かこれは先刻も申し上げましたように、法務省なりあるいは裁判所の決定を待たないことには何とも申しかねる立場にもありますし、事柄だと心得て申し上げております。かりに退学やむなしとすることがありといたしましても、お説のようにもっとよく説き聞かせて、そうしてその誤りであることを認識させて、翻意させる、将来にわたって考え直させるという真剣な努力が大学当局にあるべきこともおっしゃる通りだと心得ます。私自身としても、慎重に行動しなければならない立場にあることも肝に銘じております。
  35. 鈴木義男

    鈴木(義)委員 だいぶ譲歩されたようなお答えでありますので、それ以上追及しませんが、懲罰はやけないと言うのでは決してない。ある限度の懲罰はしなければ学内の秩序を維持することはできない。それはわかっておりますが、退学というのは、そこからはずしてしまうのでありますから、ある意味大学自治の自殺である。みずからの無能力を告白することでありまして、退学に至らざる限度において、いろいろ指導するだけの見識と能力とが大学教授会になければならないと思う。そのことを私は明らかにしておきたいと思います。それだけを申し上げて私の質問を打ち切ります。
  36. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 八木徹雄君。
  37. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 人権擁護局長に一点だけ伺いたいと思います。  人権が侵害されておるからと調査の申し立てがあった場合に、それを受けて立った人権擁護局が結論を出すまでの部内における調査の進め方、並びにその結論を出した場合に、勧告とか通告とか告発とかいったものがあると思いますが、その中に指示というもの、指示という措置があるかどうか、これをまず第一に伺いたいと思います。
  38. 鈴木才藏

    鈴木政府委員 御質問の趣旨がよくわかりませんが、たとえば端的に中野講師解職問題、これが不当な解雇で、人権生活権の侵害だということで、その調査がいろいろ問題になる事実があるかどうか、そういうふうなものの調査の過程においての指示でございますか、最終の結論の場合の指示でございますか。
  39. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 じゃ具体的に伺います。実は昭和女子大生がビラを発行いたしておりますが、それには「法務省人権擁護局の指示報告!」「すべてを白紙に還元して中野先生と二人の学生を学園に戻すように——人権擁護局の指示——」こういう見出しのビラが出ております。このビラについてお伺いしたいのでございますが、最初に、局長はこのビラを知っておるかどうか。そしてその上で、この指示というものはどういう形でなされたものであるか、これを一つ伺いたいのでございます。
  40. 鈴木才藏

    鈴木政府委員 そのビーフは、この昭和女子大関係いたしておりますある弁護士の方が私のところへ持ってきて、こういう指示をしたかどうかという質問がでございまして、そのとき初めて拝見をいたしました。全然根拠のないビラでございますので、非常に意外に思った次第でございます。しかし学校当局に、こういうふうにしろというふうな指示をしたかどうか。もしも調査の過程において、結論を待たないで、その調査関係者学校当局に、このように白紙に戻して云々というような指示をするということは越権であり、また考えられないことでございますので、その関係者を呼びまして調査をいたしましたら、そういう指示はしてないという話でございます。これは何らかの誤聞がまた大きくなったものであると思います。そのビラにつきましては、こういう署名のない無責任なビラを書かれますのに、私は非常なふんまんを感ずるわけでございます。
  41. 八木徹雄

    ○八木(徹)委員 今の局長の言明によって、このビラが事実無根のものであるということが判明したわけでございますが、ただ「この指示報告」というのは、単なるビラだけではないと思うのであります。たとえば読書新聞等にもそれがあったかのごとく報道されております。少なくとも人権擁護局国民から受けておる信頼感をこれは著しく失墜する問題であると思います。その間違った指示がこういうビラの形で出され、あるいは読書新聞に発表されておるという事実に対して、人権擁護局の方はどういうふうに対処されるおつもりであるか、最後にそれだけ一つ承っておきたいと思います。
  42. 鈴木才藏

    鈴木政府委員 そのようなビラがまかれまして、一体だれが責任者でそういうビラをまいたかはっきりいたしませんので、そのビラを書きました責任者に対して抗議のしようもございません。けれども、私ははっきり申しますと、そういうふうなビラにとらわれず、われわれの考え方、結論なりを出していくつもりでございます。
  43. 臼井莊一

    ○臼井委員 ちょっと関連して。今、八木委員の御質問に対しての問題ははっきりしたのですが、やはりこういうビラを出したのはおそらく提訴した中野先生の側、そちらの方からそういうことが出たわけで、学校側からこういうものが出されるわけはない。これにも「昭和女子大生」として出しておるわけなんですが、何かその調査の過程において中野講師の方に誤解を受けるような、言動が——調べておるのは調査官でございますか。今お話のように、法務局全体としての結論が出ない以上は、指示というか勧告というようなものは出るはずがないのですが、ただそういう調査の過程においてそれじゃおれの方で向こうに戻すように言ってやろうとか、何かそういう誤解を受けるような言動があったのじゃないかと思うのですが、その点はどうなんでございましょうか。
  44. 鈴木才藏

    鈴木政府委員 私も五年ほどこの局長をやっておりますが、そういうふうな全然われわれの考えもしないビラがこの調査の過程でまかれておるようなことは初めてです。私局長として端的に皆さんにも訴えたいでありますが、労働争議とかいろいろな問題に双方から人権問題が出される、そういう場合におきましても、純粋の人権問題を離れまして、外部の応援団体と会社なら会社、あるいはこういう当局との間のいろいろな人権問題が取り扱われますが、やや人権問題を種にした一つの攻防戦に展開する憂いがございまして、ほんとうに人権という言葉を叫ぶ人は憲法上のとうとい国民のディグニティを尊重するという信念に徹しておるのかどうかということをやや疑問に思う事例もあるのであります。私が一番情けないと思うのは、日本においてはほんとうに入間のディグニティを尊重するということよりも、人権という言葉を、相手方を責めあるいは自分立場を有利にするための道具に使っておるということであります。私は、日本国民全般が人権という言葉、その持つ内容につきましてもう少し慎重でなければならぬという信念を持っておるのであります。またそういう立場から、人権擁護局下部組織として、全国の地方法務局の内部に五十一カ所の下部機関があるのであります。調査の過程におきまして結論めいたことを言うこと、また途中の新聞報道関係におきましてもその言動を注意し、人権事件調査によって人権を侵害される人のないようにくれぐれも注意いたしておるのであります。ある弁護士からこのビラをもらいましたときに私は非常に驚いたのであります。さっそく東京法務局の係官、はっきり申し上げますが、これは第一課長であります、これに、たとい事実無根であるにしろ、そのように疑われるような言動があったかどうかということを厳重に調査いたしました。けれども、私に対する答えにおきましては、本人は学校に対してこういうふうに白紙に戻すようにしなさいというような掲示はしない。あるいは疑われたかもしれませんが、その調査官の言動の中に——彼はもう三年ほどの非常に優秀な経験者でありまして、主婦と生活社の労働争議にからむ深刻な人権問題がありました。そういういろいろな問題を扱っておりましたときに彼は感じたと思うのでありますが、今申しましたように、外部団体とかいろいろなものが入って参りまして抗争的な立場になったときに、特定の、自分人権が侵害されたと訴えてきた人の人権を擁護するのに、非常に困難な事情を来たす場合もあるのであります。それでその係官の心情というものは、何かしらこの問題が中野講師の解任問題をはずれて、別な意味一つの争いに化しつつある。これではほんとうに中野講師解雇問題にからむ人権問題と申しますか、そういうものを正当に調査できるかどうか、正当なる解決ができるかどうか、これを疑問に思いまして、できる限り早く当事者双方が納得できるような方法でこれを解決した方がいいじゃないか、こういうふうな意図は持っておったようであります。そういう点からこういうように疑われるような言動を吐いたかもしれませんが、そこに書いてありますようなことは絶対にしていない、こういうふうにはっきり私の前に誓ったことを御報告したいと思います。
  45. 臼井莊一

    ○臼井委員 ただいまの局長の答弁で局の方針なりやり方ははっきりいたしたのですが、ただ私どもも心配することは、こういう問題はできるだけ円満にすみやかに学校自体の責任において解決することが望ましいのであります。ただ、今経過のお話の中にもありましたが、こういう問題が起こる前に、すでに外部の者が学校へ押し寄せてやってくるというようなこともあり、警察官の派遣を学校から要請するということで、これは学校自体でなくてほかからもいわゆる騒動屋というものが問題をいたずらに拡大させちゃって騒ぎを起こして、それで事件をよけいに紛糾させておるということがよくある。従って誤解の種をまいて誤解を受けることのないように、慎重に公正な擁護局の判定で御調査をされて、最後の結論をお出し願うことが望ましいのであります。その過程においてよけい紛糾を招くような材料をうっかり提供されることのないように十分慎重に御調査を願いたい、これだけお願いして終わります。
  46. 谷口善太郎

    ○谷口委員 私もこの問題については質問の用意をしてきておりますので、あとの時間でやらしていただこうと思いますが、今の問題に関連して一つだけ発言しておきたいと思います。  それは、今の人権擁護局長のお話の中で、調査中の事件について疑いを与えるようなことは絶対しないとおっしゃったことは非常に公平でいいと思う。にもかかわらず、何か指示があったようなビラが出ておる。そのビラに書かれておることも私は知りません。しかし今の与党の方々の御質問の中で、言外に被害を受けている側のやったビラではないかというようなところがありました。これはそういうふうに言ってしまっては間違いである。というのは、学校側でたとえば十二月二十六日に出しておりますビラはうそを書いておる。こういう事件になりますと、局長が言われる通り、それぞれ当事者はいろいろ攻防戦をやります。いろいろな陰謀をやります。従ってそういうビラが出ておるからといって、必ずしも被害者側がやったというふうに結論づけて、それを前提にして議論を進めることは正しくないということを認めていただきたいと思います。
  47. 鈴木才藏

    鈴木政府委員 私もそれは中野講師の線から出たとは考えておりません。どういう線から出たか、全然わかりません。      ————◇—————
  48. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 次に、国立学校設置法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の通告がありますので、この際これを許します。山中吾郎君。
  49. 山中吾郎

    山中(吾)委員 法案の審議に入る前に、大臣一つ要望しておきたいのですが、最近委員会の定刻に政府委員が一人もいないということです。きょうも一時間くいらそのためにおくれておるのであります。これは私は国会軽視の傾向だと思うのですが、大臣がいなければ次官でもいい。それから局長が出ない場合がたくさんある。課長しかいない。そういうことでは法案の審議の責任は持てないと私は思うのであります。このまま続けば、理事会に正式に——国会の審議をわれわれが阻止するのではなくて、政府の方が阻止するような変な格好になってしまうので、十分にその辺を戒心をしていただきたいと思います。
  50. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 ここに参りましたら委員長名で警告書が置かれておりまして、申しわけなく思っております。実際は理事会が終わって、いよいよ開かれる段一取りになりましたことについての連絡が不十分なためにこういう結果になったわけでありまして、むろん国会軽視などというような意図があるわけのものではございません。結果的にそうなったことについてのおしかりに対しては一言もございません。今後絶対におしかりを受けないようにいたします。
  51. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それでは審議を進めたいと思うのですが、官房長、例の教育基本法解釈通牒、それをあとでいただきたい、私は通牒を受けた人間ですが、どうも大臣の答弁と合わないものですから……。大した問題ではないといえばそれまでですが、これは間違っておることが記録に残るのはよくないので、これは文部省大臣の通牒の問題ですから、その点は明確にしておいてもらいたいので、あとでこの点については質問したいと思います。  それではこの法案内容に移りたいと思うのですが、国立学校設置法の一部改正法案について御質問申し上げるのですが、基本的に研究所のことについてお聞きしたい。  逐次部分的にこの法律の改正が出て、そして二、三カ所ずつ各大学付属の研究所が設置されてくるのですが、設備の不十分な研究所をやたらに各大学に付設をして、すべての研究所が不徹底な研究設備と経費のために能率が上がらない。最高の日本の科学技術というものを進めるのについては、今のような研究所の設置の仕方をやっておることに疑問を感ずるのですが、この点についてはどんなものですか、今までの研究所の設置の状況が総花式になりすぎて、そのために予算も総花式に配付をされ、不十分なために科学技術の研究が散漫になっていないかどうか、基本的にこの法案の審議をする前に文部省考え方と今までの長所、短所についてお聞きしておきたい。
  52. 村山松雄

    村山説明員 研究所設置の状況について御説明申し上げます。  現在国立大学の研究所は約五十四ございます。従来は確たる基本方針といったものも確立しておりませんで、大体国際的あるいはわが国の学界において必要と認められるような研究所につきまして、大学が希望される場合には予算措置をして作って参ったわけでございますが、そういうことではいかぬという反省がここ五、六年来なされまして、個々の大学でそれぞれ独自の考え方で研究所を作るよりも、学術会議といったようなところで学界のあり方、今後における研究活動の動向というようなものを検討いたしまして、各大学の共通目的の研究者が共同に利用し得るような研究所を作った方がよかろうというようなことになりまして、そういう方針で最近京都大学の基礎物理学研究所とか、東京大学の原子核研究所とか、物性研究所、それから大阪大学の短波研究所といったようなものを作ったわけでございます。昭和三十七年度におきましても、そのような意味で研究所の設置を二件ほど計画しておるわけでございます。
  53. 山中吾郎

    山中(吾)委員 この法案に出ておる研究所は、そういう関係大学共同研究所ではないでしょう。
  54. 村山松雄

    村山説明員 今回設置いたします研究所は、東京大学の海洋研究所とそれから京都大学の経済研究所でございます。東大の海洋研究所につきましては、ただいま御説明しましたような方針にずばり沿ったものでございます。京都大学の経済研究所につきましては、必ずしも学術会議の学界一致の御要望というようなことにもなっていないようでございますが、やはり経済学の研究ということは、産業の進展上きわめて必要なことでございますし、特に関西方面におきまして財界等の要望もあり、この際設置することにいたしたのでございます。
  55. 山中吾郎

    山中(吾)委員 東大の海洋研究所は、どこの学校とどこの学校の共同研究所になっておるのでしょうか。それから京都の経済研究所は、関西の各大学の共同研究所として考えないのはどういうわけですか。
  56. 村山松雄

    村山説明員 東大の海洋研究所の場合、これはほかの共同利用の研究所の場合もそうですが、必ずしもどの範囲大学が得に利用するということはきめておりません。大体海洋に関する研究をしようというものが各大学共通に利用し得るような建前で設置し、運営して参りたいという工合に思っております。京都大学の経済研究所につきましては、実質的には共同利用的な趣旨もあるわけでございますが、海洋研究所に比べますと、そのような議が十分具体的にまとまらなかった関係上、共同利用でなくて、京都大学の研究所という形で作ることにいたしたわけでございます。
  57. 山中吾郎

    山中(吾)委員 海洋研究所について、利用大学をきめていないという場合は、大学のセクショナリズムからいって結局利用できないのではないか。それで各大学ごとに付属研究所を作ることについて、やはり基本的に疑問があるわけです。共同利用研究というならば、それはある大学、たとえば関東地区の大学には関東地区の大学は利用できるとか、海洋関係ならば全国的なものだと思うのですが、どうもその辺疑問があるので、個々に出されてくる場合に、全体としての研究所の基本方針というものを僕らは知らないままに、木を見て森を見ないままに、いつも審議をさせられている、そして税金のむだ使いをしているのじゃないかということがあるので、賛成できないわけです。今の話では、学術会議は、やはり研究所は各大学の共同施設にするのが正しいし、そういう行き万をとればずいぶん節約になるのじゃないか、いわゆる教授の利用の仕方も、大学が排外的にならないでその共同施設を利用することができるので、それは基本的にそのようにやってもらいたい一たとえば東北の場合についても、東北大学に付設したものは、東北各大学は全部利用できる、目的を明らかにすれば、堂々と他の大学教授もそれを利用できるわけですね。どこまで利用するかわからないのだが、共同施設を作っていこうというのでは、おそらく昔のままの各大学の研究室のセクショナリズムからいえば、私はできないのじゃないかと思います。この点文部大臣は、研究所の設置の基本方針についてもう少し明確にして、改善する方向をおとりになったらどうかと思うのですが、お聞きしておきたいと思います。
  58. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 大学の付置研究所をどういう基本的な方針のもとに置くかということを、特別に文部省として検討いたしてはおりません。ただ、今大学課長から御説明しましたようなことは、事務当局として便宜的に、良心的に考えつつある段階であることは今申し上げた通りですけれども、もともと文部省大学の研究ということは、今さら申し上げるまでもなく、研究の自由、大学自治という厳然たる建前でございますから、むろんそれは守っていかなければなりませんが、今御質問のようなことに関連して、付置研究所もそうでございますが、学部、学科の新設、増設等につきましても、やはり同じ悩みを感じてはおります。各大学が自主的に、自分大学はこんなことを研究したい、だから学科を増設する、あるいは学部を新設する、あるいは研究所が必要だということを、いわば予算のお世話やき的立場にある文部省に持ち込んでこられる、そしてその大学当局から十分話を聞いて、露骨に言えば大蔵省に対して受け売りをしながら予算折衝をするということで結末がつくわけでございますが、そういうことでなしに、特にこのごろ科学技術研究というものがやかましく言われ、まさしく技術革新の世界的風潮におくれないようにという、抽象的にはわれわれしろうとにもよくわかりますけれども、その中で、限りある予算の中で何が緊急性があるのか、緩急軽重いかんという判断、またその一つ一つの緩急軽輩がわかったといたしましても、一応想定できる将来を念頭に置いて、全国的に、今御質問意味における各大学のそういう学部、学科、研究所等が総合された姿で、一つの想像図なるものが、学問的な研究の専門家によって描かれて、その中から緩急軽重が定まって、その世話をするということであれば、その意味において安定性があるし、自信も持てるわけですけれども、現実はどうもそういう機能を果たすところがどこにもない。科学技術庁長官を兼務しておりますときに、私は実は科学技術会議委員の方々にそういう疑問を投げかけたことがありますが、やいやい言われるだけで、何が緊急を要するか、何が重要かというものさしなしに、勢子ばかりわんわん言われても実は困るのだ、何かあなた方専門家としてそういうことをお考えになったことはないかということで、ともども御相談いたしたこともありまするが、科学技術会議も、必ずしも今申し上げるような意味においては具体的な機能を発揮されることは容易でない存在だと思います。さりとてまた科学技術会議それ自体がそういう機能を現に与えられてもいないという悩みを現実に感ずるわけでございまして、根本的には、たとえば今私が申し上げたような意味合いにおいての挙国的なトップ・レベルの衆知を集めた方向づけをするような機能を何かで作る必要があるんじゃなかろうか。文部省内で、大学学術局を中心に視学官等を集めて検討しておりますことは、必ずしも十分でないうらみは言うまでもないことですから、そういうこともあわせて検討することによってのみ御質問のことに応じ得る態勢ができるのではないかと、今としては考えております。考えておるだけで、いつできるかわからぬことを申し上げて免れるつもりもありませんけれども、それに至ります以前には、現在の文部省自体としての最大の努力をするほかにございませんが、十分検討いたしたいと思います。
  59. 山中吾郎

    山中(吾)委員 学問とか研究の方向について掲示をしたり監督をするんじゃなくて、研究施設をどうするかということですから、これは文部大臣責任持って方針を確立さるべきものだと思うのです。非常にむだな、各学校大学ごとの研究所だから、そこの教授学生しか利用できないというふうな行き方というのは、これだけ大学が多いのですから、ブロックに共同研究所を作る、ブロック大学共同研究所というものを研究所設置の場合の基本方針として立てていくというようなことに、これは、今のような教育費のかさばってくるときでありますから、もう行政的にすぐ当然やるべきことだと思うのです。そんなにむずかしく検討すべき学問の内容とか研究の内容ではないのですから。研究所の施設は、その周辺のブロックの数個の大学の共同施設として作る、各大学専属の、そのほかの大学教授には使わせないことを前提にした研究所は原則として作らないという方針くらいはお立てになったらどうか、そういう意味で申し上げておるのです。
  60. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 いつも深遠な御質問ばかりあるものですから、少し思い過ごしてお答えをしましたたが、今御指摘の具体的課題については、まさしくお説の通り考えていくべきだと一応思います。そういう意味検討したいと思います。
  61. 宮地茂

    ○宮地(茂)政府委員 今の大臣の申しましたのに補足いたしましてお答えいたします。  今の山中先生の御趣旨のように実は文部省といたしましても考えまして、現在共同研究施設として六つございますが、必ずしも先生のおっしゃいますようにはっきりしたブロック別にはなってございませんが、そうした点も十分考慮いたしまして、東大に共同利用が三つ、それから名古屋大学一つ、京都大学一つ、大阪大学一つ−九州地区には、まだ九州大学にそうしたも一のが置かれていませんが、山中先生の御趣旨のように、大体ブロックといったようなことも考えつつやっております。文部省といたしましても、研究所協議会を設けまして、そうしたことについても十分検討をいたしておる途上でございます。
  62. 山中吾郎

    山中(吾)委員 これに関連して、大臣にいま一つお聞きしたいのですが、日本の科学技術教育というのは、外国の科学技術を受け入れて、理解をして、それをまねする程度の研究に終わって、最高の技術を世界に輸出するというふうな雄大な科学技術研究施設とか教育というものが行われていない。たとえば財界からの要望ということにすぐ刺激を受けて科学技術教育の振興というものが起こってくるものですから、財界の要望するときは、自分の企業にすぐ役に立つ技術者を養成してもらう科学技術を振興すべきだ、そういう立場からいつも言ってくるわけで、中級科学技術者というふうなことがいつも頭に入ってくる。それから最高の、世界の科学技術の先端をいくような、そういうふうな科学技術の研究あるいは教育施設という要望は出ないと思うのです。従って文部当局自体が国家百年の大計で、高邁な識見で、科学技術の最高の技術研究施設を考えるというようなことを、着眼はだれにも聞かないで文部省考えなければならぬ。そういうことを私考えて、各大学専属の研究所を、不徹底な研究所を五十も作る。そこから世界の水準を切るようなものが出てくるのには、非常に小規模なものだけが多くなる、そういう思想を持って今お聞きしておったわけです。高専の問題もここにあるので、私は前から批判的なんですが、それをお作りになるならば、一方にやはり国立の科学技術院とか、雄大な富士のすそ野に世界の水準を切るような、そういう国立の科学技術研究所を、または科学研究所を作る。数千名の最も優秀な科学者が入って科学技術の最高の研究をするんだ、利益と結びついた企業者の助言などを超越したものを持たないと、私はこれから世界の科学振興の中に経済競争しておる日本民族の発展はないと思う。そこでこういう国立研究所の設置の一部改正をお考えになるのはけっこうですが、もっと最高の集中的な国立科学研究所というすばらしい研究所を大臣が在職中にそのくらいの着想を一つお持ちになったらどうかと思うのです。その点についての大臣の識見をお聞きしておきたいと思うのです。
  63. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今すぐ御質問のような大経綸は持ち合わせておりません。ただ財界からの要望だけで動いておるというお説でございますが、これはいわゆる産学協同と通称されるやり方でそれぞれの大学が財界に資金を仰ぐ、もしくは仰がないでも自発的に持ってくるのもあるようですけれども、そういうことから国の予算だけではできないものが突然としてできる下地ができてくる。そのことは別に非難することはないと思いますが、それ以前の、たとえば基本物理その他の基本的な学問の研究という分野におきましては、小規模の実験施設等しか持たないことも御指摘通りと思いますけれども、それでもなおかつ世界的レベルを摩するようなトップレベルの学者が相当続出しきたっておることは申し上げぬでもおわかりのところであって、それにプラス大研究所を作って、さらにその勢いに拍車をかける構想はあり得ると思います。具体性を持った構想はないことは初めかぶとをぬいでおりますが、ただそういう基本的な学問、学理の研究ということから続いて応用研究と申しますか、経済的なレベルに立って実社会との関連においてその技術が生かされるという分野は大学の分野ではないと私は心得ますが、そういう意味でむしろ科学技術庁、政府としては一体ですけれども、科学技術庁の面で今おっしゃるような構想があってしかるべきではないかと思います。ただ大学における研究を中心に申し上げれば、先刻から何べんもお話が出ましたように、共同利用研究所的なものをより大規模に構想しながら考えるという課題はあろうかと思いますし、これは実現不可能とは断じません。その意味において検討さしていただきたいと思います。
  64. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大臣は人ごとのような話をしますが、それくらいのところをもう少し真剣に考えて、よけいなことばかり考えないで、もっと中核のことをお考え願わなければ、今の日本の文部大臣は世界の水準におくらすような教育になってしまうと思うのです。私七月にヨーロッパに文教委員として視察に行き、イタリアで門脇大使と会ったときに、大使はソ連に数年おったのですが、ソ連は数千名の最高の科学技術者を集めて科学研究をさしておる、そこにあの人間衛星その他アメリカの追従を許さないようなものができておる。数千名の最もすぐれた科学者が基礎数学から物理からあらゆるものを含んで総合的な研究成果を上げないと、もうすでにああいう原子力の応用技術というのですか、そういうものはできてこないということは常識になっている。日本が今のような科学技術教育というものを考えておるならば、あと十年後に目がさめたときには永久に追うことができない。真剣にこれだけは国会でも取り上げてもらいたいというようなことを、痛切に純粋な気持で話しておられたことがあるので、心に残っているわけですが、今のように文教行政というものがときどきの経済界の要求だけで——産学協同というのはもちろんそれはそれでけっこうですが、やはり国が主導性を持たなければできない。最高の科学技術施設というやつは、これはこちらが考えなければできませんよ。そのあとに財界の寄附もあっていいでしょうし、これはけっこうでしょうが、そういうふうな総合的に、しかも金もうけにならない科学技術の研究というのは財界からの要望では出てこないのですから、これは純粋に文部省が取り上げていく時期は熱し過ぎておるのじゃないか。アメリカのように自然の姿に捨てておいていけば、金もうけになる科学技術だけ進歩して、金もうけにならないような基礎的なものは非常に軽視される。従って向こうは国防という観念の中に、軍事的な目的のためにああいう莫大な金を投じた科学技術研究ができておるわけですが、平和憲法を持っておる日本の場合は、平和利用という高い目的のためにそういう計算の持たない科学技術研究施設というものを私は作らなければならぬ、それを推進するのはやはり文部大臣だと思うのです。科学技術庁というのはそういう科学技術研究教育といういうものにタッチするところではないのじゃないですか。大臣考えなければほかの者は考えることはないのじゃないですか。科学技術庁の仕事だというお話ですが、私はそうは考えていないのですが、それはいかがですか。
  65. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今、日本大学学生教育する使命と大学それ自体が基本的な学理の研究をするという二つの使命があると思います。あくまでもそれは学理の研究であって、便宜応用研究もむろんいたしますけれども、真髄は基本的な学理の研究が主たる使命である、こういうふうに私は理解する前提において先刻そのことを申し上げました。ただ実際問題としては根本の学理、原理、原則の研究と、それから生れ出たアイデアの応用的な面とはにじの色のようにつながり合っていて、どこから分けていいものだかわからないものだと聞かされますが、そういう意味においては文部省考え意味も出てきましょうし、科学技術庁が主となって考える共同的な分野だと考えられるわけであります。そういういささかしろうとの話を申し上げておそれ入りますけれども、即席に今私の念頭にあることを申し上げれば、そういうことじゃなかろうかという意味合いで、責任のがれをしようとするのじゃなしに、なかなか大学制度それ自体の再検討にも関連するような事柄であろうというような意味においても容易ではないという気持で以上のようなことを申し上げたわけでありますが、ただずいぶん前のことでございますけれども、たとえば軍事的目的も含んでおった時代のことではありますが、航空のことを考えましても、莫大もない施設をソ連もむろん持っておったし、ドイツもDVLというようなものを持っておったし、アメリカもNACAというようなものがあって、ラングレーフィールドにあるのを私は一ぺん見に行ったことがありますが、およそ採算を離れた膨大な実験研究施設を整備しておる。各国ともそのようであります。一航空の分野でもそうでございますのみならず、現地を見ておりませんけれども、おそらくはこのごろは戦前以上にこれに拍車をかけたような施設を持って検討しておるのだというふうな話も聞かされておる。そういう構想を考えます場合に、必ずしもこれらの国々は、大学で学問研究という立場でやっていない。学問とその応用とが一体をなした形で国をあげてやっておることだと私は理解をいたしますが、そこで、日本の置かれた事情下においてこれをなすことは、なかなか持ち上げていただきましても微力で不可能に近いような気がするわけです。しかしお説のようにそういう立場々々の問題でなしに、国民全体の立場に立って真剣に取っ組んでいくのでなければ、世界的なレベルからおくれをとるであろうという御指摘は私も同感でございます。そういう意味において、政府として、あるいは日本全体として検討すべき課題として受け取りたいと思います。
  66. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いま一つは、この間特許庁の関係で発表を新聞で見たのですが、日本が外国から科学技術を借りて払っておる金は、年三二百五十億といいましたかね、結局特許料だと思うんです。各産業その他に利用しておる外国の技術の借り賃が三百五十億、それから日本の外国に貸しておる科学技術の特許料は八千万ぐらいしかない。だから、日本の科学技術は、大臣が自画自賛しておる高専なんぞをたくさん作っても、外国に利用させ、日本の国際収支へ影響するような科学技術なんというのは、あそこの卒業生からではできないと思うんです。今、年々三百五十億の金を外国の科学技術を借りることによって支払っておるという現状は、私は非常に遺憾だ。そういうふうなことを考えたならば、三百五十億の金を投じて、外国に輸出できるような科学技術を日本の国内で発明することによって、これは非常に有利な金の使い方であり、そのことが私は国民の負担にかからないで、しかも日本の経済、あらゆるものの発展になるのだ。現実に毎年三百五十億の科学技術の使用料を払って、八千万ぐらいしか外国から支払ってもらっていないというようなことの中に科学技術教育の方針の再検討すべきものがあるのじゃないか、それを痛感しておるわけなんです。そういう現実もお調べになって、適当にお答えになるだけでなしに、やはり在職中にその辺のものを確立されたらどうか。あまり教員組合とけんかばかりして批判しないで、私は何回も言うんですが、もう少し日本の今後の世界の経済競争、教育競争の中で、目がさめたときには追いつかないというようなことのないように、私は何かそういう方針を立ててもらいたい。それは経済的な観点からいってもずいぶんと検討すべきものがある。そう思うので、切望いたしたいと思います。  それから高専関係でありますけれども、ここに出されておる高専関係は地元の陳情によって作っていくというような格好に感じられると思うんですが、日本全体の産業立地条件あるいは地域の格差をなくする、教育施設の格差をなくすということも含んで、全体としてここに高専は置くべきである、この辺には一つ置くべきであるという基本方針が、青写真が先に文部省にあってこれができておるのか、あるいは陳情に応じて圧力の強弱によってこの設置の場所ができておるのか、その辺をお聞きしておきたい。
  67. 犬丸直

    ○犬丸説明員 高等専門学校の設置場所につきましては、これは将来におきましては各県に一つずつ作るという構想のもとに、さしあたりましてその経済的な要請その他に応じまして、緊急度が高いところから当面作って参ったわけでございます。今年作りました十二の場所の選定の理由といたしましては、まず第一に、ただいまおっしゃいましたような産業立地上の問題を勘案いたしまして、すぐれた工業立地条件を備え、近い将来において工業的に発展の可能性があるという場所、これをまず考えました。なお、そういう産業立地条件につきましては、一方後進地域開発という観点からむしろ逆な地域に設けるべきであるという御意見もあるわけでございますが、少なくとも本年度におきましては工業立地条件ということの方が、技術者に対する需要の緊急度というものから考えまして、今年はむしろ工業立地条件という点に重点を置いて考えました。ただ、その点が一番中心的な標準でございますが、具体的に設置いたしますとなりますと、やはりその間具体的にできるという諸条件も考えなければなりませんので、そのほかに教員の確保ということが非常な問題でございます。建物だけ作りましても、要は優秀な教員を得るということが教育には一番大事でございます。ことに学校といたしまして、単に高等学校をそのまま延長したというようなものではございませんで、大学レベルの教育を実施するという考えを持っておりますので、制度の趣旨がそうでございますので、大学研究所等の協力を得なくちゃならない、特に教員の確保につきましては協力を得なくちゃならないというわけで、そういう点も勘案いたしました。さらにただいま陳情というようなお話でございましたけれども、ただ陳情の声の大きいところへということでは、そういう意味ではございませんで、やはり具体的に作りますとなりますと、諸条件と受け入れ態勢が整っておった方がいいと思いますので、副次的にそういう要素も考えました。さらに、全国的にバランスをとって配置をする、そういう点も考えました。その他、たとえば新居浜におきましては工学部の移転というような条件がございますので、そういう具体的な条件、あるいは北海道におきましては特に北海道開発という観点から考えていこう、そういうようなことでございます。  以上申し上げましたような条件のもとに本年度の場所が決定したわけでございます。将来の形といたしましては、各県に一つずつ作っていく、こういう構想でございます。
  68. 山中吾郎

    山中(吾)委員 質問を保留して再開のときにいたしたいと思いますが、各県に一つずつ置くということになりますと、計画としては、ブロックに初年度は二カ所ずつ、あるいは第二年度は何カ所ずつ、従って、ブロックが九つあるわけですから、そうすると九カ年計画でこういうようなものができてきて、初めて各県に一つずつ置くという基本配置計画だといえると僕は思うのです。だから、課長は各県に一つずっと言って、今度出ている場合にはそのときどきの都合で、力関係で、非常にへんぱな配置になる。そうして、全部そういうところにいくかどうかということはこれは全体として見通しが私はあまりあると思っていないのですが、その点について、時間がないそうですから、休憩して次の再開のときにお聞きしたいと思います。
  69. 村山喜一

    村山委員 私は資料の要求をいたしたいと思います。  今度国立高専ができるわけですが、予算的に見てみますと非常に問題があります。そこで今工業高校を作る場合に、一校だけで六億円くらいかかるというのはもう常識でございますが、今年の予算の中に出ております国立高専分の予算を見てみますと、一体どういうような将来にわたる予算的な措置を計画をしているか、それが不明でございますので、その予算との関係におけるところの年次計画表を提出を願いたいと思います。  それと今いろいろと設置した場所についての特殊な理由をおっしゃったわけでありますが、その新設にあたっての一般的な基準というものがなければならない。その一般的な基準というものがあるべきでありますので、その基準をお示し願いたい。  それから国立大学の場合、現在行政管理庁の方からも指摘をされておりますが、施設、設備の現有の坪数が基準に比べてきわめて低い。従いまして現在保有をしております施設、設備の現況と基準表を各大学についてわれわれ議員の方に提出をお願いしたい。以上です。
  70. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 暫時休憩いたします。    午後一時三十一分休憩      ————◇—————    午後四時十四分開議
  71. 櫻内義雄

    ○櫻内委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  学校教育に関する件について質疑の通告がありますので、順次これを許します。村山喜一君。
  72. 村山喜一

    村山委員 先ほど大臣にお答えを願った点でございますが、いわゆる基本的人権というものと私立学校秩序保持との間におけるその制限関係が、法律的な場合においてどういうふうになるのかということに対しましては、人権擁護局長からは判例等を基準にいたしまして、その社会的条件の中において普遍妥当性のあるものであるならば、そこにはさしつかえないという一つ解釈が出されたわけでございます。そこで法律関係の性質から必然的に派生をして、それを維持するために合理的に必要であるというふうに考えられる最小限のものが、その限界線であると考えるわけですが、いわゆる憲法に規定づけられました基本的人権の限界というものは、私が今申し上げましたように、そういうような合理的に必要だと考えられる限界というものはあるのであって、それをこえたところ人権の制限というものは、人権宣言をいたしました憲法違反をする、そういう解釈をとるべきだと思うのでありますが、大臣はそれについてどういうふうにお考えになりますか。
  73. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 大体御指摘のようなことに考えるべきだと思います。それこそ人権擁護局の話じゃございませんが、具体的な場合でなければ厳密な意味での限界ということは明確にしにくいと思いますけれども、趣旨としては今御指摘のようなことであろうと思います。
  74. 村山喜一

    村山委員 そこで具体的な問題について、憲法が規定をいたしております基本的人権の根本的な原則の上に立ちまして、いろいろと具体的な事例を問いただして参りたいと思うわけであります。  まず第一に、これは学校教育あり方の上から考えて問題があるわけでありますが、村山大学学術局大学課長は、この昭和女子大の講義、授業科目において、選択制は全然皆無であるという事実を御承知になっておいでになるかどうかという点でございます。この大学の授業形態は講義一本やりでありまして、ゼミナールもなければディスカッションも行なわれていない。あるいはサークル活動というものも学校が認めた以外においては行なわれいてない、こういうような授業形態をとっておるわけでありますが、これは御承知のように大学設置基準に照らし合わせまして違反をいたしておるのではないか。学生の希望に応じて講じられるような講座が開かれていない。講座が限定をされて、選択的な講座を履修できないという形態をとっておるということは、大学設置基準違反をしておる事実があるのではないかと疑われるわけでありますが、その点について御承知であるかどうかをお聞かせ願いたいと思うのであります。特にこの際において、文科系の学科なりあるいは社会系の学科の学習形態を考えてみました場合においては、そういうようなゼミナールであるとかあるいはディスカッションであるとかいう、そのような活動形態が伴わなければ、いわゆる大学の学習というものは成り立たないと私たちは基本的に心得ておりますが、そういうようないわゆる講義一本やりの学習活動しかなされていない。こういうような事実は、これは学校教育法施行規則違反をするし、また大学設置基準違反をしておる事実があるのではないかという点について、お尋ねをいたしたいのであります。  その次に、教育指導の行き過ぎという点から学生の人格が無視されておるという事実であります。これは学生手帳の中にもいろいろとこまかい、学生が守らなければならない基準が定めてございますが、服装違反事件というのが出ておるわけであります。これは三十六年の六月の八日から九日にかけて伊豆大島の研修旅行で、英米文科の一年生のAという学生のスカートをつまみ上げて、人見学監がこれはお前服装規定違反ではないか、これは何だということで、人の前でしかりつけた、こういうようなことも聞いているのであります。また三十六年六月十日には、同校の校庭において二年生のBという女の子に対しまして、やはりスカートをつまみ上げて、お前は昭和学生かどうか、こういうようなことではずかしめたという事実もあるようでありますが、これは憲法十三条に「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民権利については、」「最大の尊重を必要とする。」と規定づけられております。いわゆる学生に対するところ教育的な配慮のもとにおいて行なわれる詳細な服装の規定等については、私たちも十分わかるわけでありますが、行き過ぎている点は、これは基本的な人権の侵害になると思うのであります。いわゆるその制服であるものがちょうど洗たくをしなければならなかった、そのために着がえるものがなかったので、そのスカートを着ておったところが、そういうふうに怒られた。こういうようなことを取り上げて言っているのでありますが、こういうような事実に対する調査をあなたの方でされたことがあるのかどうか。それから衣服の記名検査の名のもとに、寮生がこの学生の寮の中で寝起きをいたしているわけでありますが、就寝をいたしましてから、いわゆる記名検査が行なわれて、下着まで名前を書かして、それを一枚々々調べていくというような寮生活の規制が行なわれている。こういうようなことになって参りますと、これは一年間は大学の寮に入らなければならないというきまりになっているそうでありますが、そのような行ないがはたして基本的人権を侵害していないと言えるかどうか、こういうような問題について御調査になったかどうか。さらにこの事件が発生をいたしましてから十二月の中旬から一月の半ばごろにかけまして学生が尾行をされたという事実があるわけであります。尾行をしたのは同じ学校の四年生の学生でありますが、尾行時は、一月十日、四年生の卒業論文の提出の日に、人見楠郎、保坂郁という両教授が協力を要請をした。それに基づいてやったという事実があるわけでございます。またある場合には、秘密探偵をある学生学校側がつけているということを二月の上旬に同大学の事務職員が話をしたというようなことも出ているようでございます。そういういわゆる学生の尾行問題があるということについて、どういうふうに調べておいでになるのか。  それからこれは法務委員会でもいろいろと問いただして参って、それに対する村山課長の答弁も聞いているのでございますが、学生手帳の十四ページに、「学内外をとわず署各運動、投票、新聞雑誌その他印刷物の発行及び配布、物品の販売、資金カンパなどしようとする時は事前に学生課に届出その指示をうけなくてはならない。」こういう規定があります。この場合に、最も重要なことは、公職選挙法に規定されております選挙権——大学学生は大半は選挙権を有しているわけでございますが、その選挙権の行使についてさえも、学校側に届け出、その指示を受けなければならないということになっておるわけでございます。これに対しまして二月十四日に玉井学長は、これは憲法違反ではないかという質問に対しまして、違憲ではありませんと回答をいたしております。そうして坂本教授もいろいろと釈明をいたしておるようでありますが、この学生の選挙権は居住地にあることは言うまでもありません。従いまして、学生は一年生のうちはほとんど寮に入っております一が、有権者になったときには、大がい寮あるいはその知るべの下宿に唐をかまえておるわけでございまして、そういうようなことから、この届け出は、公職選挙法に定める投票を行なう場合においても、学校の指示が必要であるという解釈は、当然排除されなければならないと考えるわけでございますが、   〔委員長退席、竹下委員長代理着席〕 このことも選挙権も含めておるというふうに、二月十四日に全学生を集めて公言をいたしておる事実があるのでございます。  そのほかにも、学生手帳の内容を見て参りますと、たとえば通学生の心得というのがございます。この中で「通学生が住所を変更した時は直ちに所定の手続をする。但し通学生の住所不適当と認めた場合はこれを変更させることがある。」こういうふうに書いてあるわけであります。これは憲法に定めるところの居住の自由に違反をしておる内容であります。御承知のように、民法によりまして、親権を行なうところの親は未成年者に対しましてはその居住を指定することができます。しかしこの内容から見て参りますれば、学校当局者がその学生の住所を不適当と認めた場合は、その居所を指定をするところ権限がうたわれているということは、これは憲法に定めた居住の自由に対するところの侵害であり、そしてまた親権を行なうところの親の立場に立った学校側権限を逸脱した行為がここに規定してある。学校が親がわりにその居所を指定するというようなことが、はたして現在の憲法下において学生のきまりと言えるでありましょうか。こういうような点についてどのように御調査になっておるか、承りたいわけであります。  次に「寮生は交際(通信、訪問)したい人々の住所氏名と関係を明記し、父兄の承認印を得て届出る。」。女子学生でございますので。いろいろと心配した上で学校がこういうような規定をするということは、ある点わからないでもないわけでありますが、その次に「外出する時は外出簿に外出先、要件、出寮時間を記入して寮監の承認を受ける。帰寮と同時に帰寮時間を記入」しなければならない、あるいは「通信は父兄承認の範囲内と定めるが、指導上必要と認めた時は本人に開封をうながす事がある。」。これは前にある男性から写真を送ってきた開封事件というのがありまして、数年前にある女子学生ところに手紙を送ってきたら、その手紙を学生に無断で開封して、いわゆる親書の秘密を侵したという事件があるのであります。その学生にみずから開封さして教育指導をすると言いながら、そのような親書の秘密を侵しているのではないかと疑われる点がここにあるわけであります。そういうようなことが社会通念上妥当であると思われるいわゆる既成概念であるかどうかということについて、いろいろと調査をされたと思うのでありますが、事実はどういうふうになっておるのでありましょうか。  それから学的補導の第二項にこういうようなのもあります。「学生は本学で行う各種の行事、集会、課外講演、ガイダンスとしての昼食会等には必ず参加する。」これは本人の意思の有無にかかわらず、各種の行事に参加する。これは課外講演等に自主的に参加するというのは望ましいでしょう。しかし自分はこれは受けたくないと思われるような、その間に自分自身はほかのものを学習したい、こういうものに対して強制的にこれを参加させるところ権限が、はたして大学側にあるのか。またそのガイダンスとして行なわれる昼食会等には必ず参加せしめていかなければならないというような規制力を、どういうような法律に基づいて大学側は持っているのか、こういう点を考えますと、非常に問題点があろうかと思うのでありますが、それらの事実について大学課長調査になり、現実においてどのように行なわれているかを承知されている点を御報告願いたい。  その次に、こういうような人権の問題に関しましては、人権擁護局長は、今申し上げましたような事例について、はたしてこれは憲法が定めましたところ人権宣言に違反をしないかどうか、こういうようなことを鈴木局長の方からお答えを願いたいわけでございます。御承知のように基本的人権といたしまして精神の自由権、この中には思想及び良心の自由、学問の自由権、さらに信教の自由権というものが保障をされております。行動の自由権は表現の自由権として憲法で認められたところであります。また居住の自由権等も保障されておるわけでありまするし、人身等の自由権にいたしましても憲法で規定づけられていることは言うまでもありません。そういうような点からいわゆる奴隷的、拘束的な従属関係学生が置かれているということは、これは教育の形態として好ましいものであるとは私は言えないと思うのであります。大学学生は自由と自治という立場に立って大学教育が行なわれなければならないのであって、一方的に何々をすべからず、一方的にこういうようなことをしたときは処罰する、こういうような学校教育は、これは高等学校、中学校以下の教育でありまして、このような大学という名前のもとに学生教育を受ける以上は、学生みずからがそういうような学校当局の規制を批判していく行為に対して自主的に参加をし、取りきめていく中において自分たちの道徳規範としてそれを守り育てていくというところに、大学自治の姿があり、大学教育の姿がなければならぬと思うのであります。そういうような点からこれらの学生手帳というものは教育的に作られているものであると大学課長はお認めになるかどうか、それらの点についてもお答えを願いたいのであります。
  75. 村山松雄

    村山説明員 順を追って御説明申し上げます。  第一点は、昭和女子大学における学生の履修方法が大学設置基準等違反しているのではないかという点でございます。大体大学の履修方法は学則で定められております。学則私学の場合ですと大学の設置の認可をする際の必要的添付書類になっております。学則には修業年限、学年、学期及び授業を行なわない日に関する事項、学科及び課程の組織に関する事項教育課程及び授業日時数に関する事項、学習の評価及び課程終了の認定に関する事項、収容定員及び職員組織に関する事項入学退学、転学、休学、卒業に関する事項、授業料、入学料、その他の費用徴収に関する事項、懲罰に関する事項、寄宿舎に関する事項、これだけは少なくとも記載しなければならぬことになっております。そこで、本件の昭和女子大学は、昭和二十四年三月二十五日に設置の認可をされております。その際の添付書類にはこれだけのことは記載してあったわけでございます。その内容は今詳細に記憶いたしておりませんが、履修方法につきまして大学設置基準に適合しておると認められて認可されたわけでございます。以後学則の変更がもしありますれば、重要な事項についてはお届けがあることになっておりますが、昭和女子大学につきましてはあまり学則変更の届け出があったようには承知いたしておりません。履修方法がどの程度になっておるかという最近の現状については、従いましてはっきりいたしておりません。御指摘のような事実があるかどうかよく調べまして、もし基準よりも低下したような状態になっているとすれば、指導なり助言なりをいたしたいと思います。もっとも大学の中には設置認可の際には基準に適合する状態で認可されておるのでございますが、その後いろいろな事情から、特に私学の場合ですと、経営上の必要等から、授業科目などあまりたくさん設けますと、それだけ教官もよけい要りますし、経営上問題がございますので、ややもすれば選択科目を少なくして、必修科目を中心に計画されるような傾向がございます。昭和女子大学がはたしてどの程度になっておるか、詳しく承知いたしませんので、よく調べまして、不適切な点があれば助言をいたしたいと思います。  その次に服装規定、それから寮における生活の規制等、学生の補導の問題、一連の問題が取り上げられておるわけでございますが、順序不同になりますが、そのうちで比較的最近大学課といたしましても事情聴取いたしまして承知しておるものから先に申し上げますと学生が十二月末から一月上旬にかけて尾行されたのではないかという点でございます。これにつきましては、そのような話をある方面からも承りましたものですから、その事件につきまして大学当局から説明をしていただいた際に伺ったのでございまして、まあ大学当局の説明に従いまして事情は承知いたしております。それによりますと、何かこの事件に関連をいたしましていろいろ学外の団体なども押しかけてくるという情報が大学当局に入りましたので、学生の補導上大学が必要ではないかと認めて、校門の外あるいは、この大学は世田谷区の三宿に所在しておるわけでございますが、その近所の道路などに大学関係の人を出して、学生がそういう学外団体が押しかけたりするのに巻き込まれて、不測の事故などが起こらないように留意したのであって、尾行というような、どういうことが尾行になるか問題があろうかと思いますが、学生の動向を監視するといったような意味における尾行はいたしておらないというような御説明でございました。  それから順序不同になりますが、学生に交付しておる学生手帳の中で生活要録という項目の第六項目、各種願書及び届出書というところの第六項にいろいろのことをする場合に学生課に届け出て指示を受けなければならぬという規定が設けられておるのでありますが、その中に投票につきましても事前に学生課に届け出てその指示を受けなければならぬという規定があるわけでございまして、これが公職選挙法に定めた選挙における投票の自由を拘束し、極端に言えば、憲法違反の疑いがあるのではないかという点につきまして御説明申し上げますと、これも実は二月の九日の本院の法務委員会で志賀義雄委員から質問がございまして、私説明員として初めて承ったわけでございまして、そのとき全然予備知識なしに質問を受けた感覚では、この投票について指示をするといったようなことは、これは行き過ぎであるという工合に考えまして、その旨お答えしたわけでございますが、その後大学当局から説明がありました際に、これはどういう趣旨であるかということにつきましてさらにお尋ねをしましたところが、これはだれに投票しろというような指示をするのでは毛頭ないのであって、地方から来ておる学生などもおることでございますので、投票のために大学を欠席する、場合によっては帰省しなければならぬというような事態が起こり得るわけでございますので、投票に関連して欠席ないし帰省をするような必要がある場合には無断でやっては困るので、やはり届け出て指示を受けてからやりなさいという趣旨だという御説明でございました。そうだとしますと、率直に申しまして、この表現はかなり誤解を生じやすく不適切であると言わなければならぬと思います。そこで大学にその場で若干そういう意見めいたことも申し上げましたところが、大学の方も、なるほどそういう印象を与えるとすれば大学の本意でないので、新年度に作る学生手帳につきましては表現を改めたいというような御説明でございました。  参考までに申し上げますと、いわゆる学生手帳なるものは毎年学生に周知徹底する必要のある諸規則、心得の類を摘記収録いたしまして、小冊子として全学生に交付しておるのだそうでありまして、この学生手帳に収録されておる規定の類は狭い意味学則の中には入っておりませんので、文部省には届け出がなかったわけでございますので、今回の事件によって初めて承知したわけでございます。この手帳なるものの性格は、いわば学則のさらに細則といったような性格のものじゃないかと考えるわけでございます。毎年交付することになっておるので、新年度のものはそういう誤解を受けるおそれのあるような表現は直してやりたいというようなお話でございました。大体御質問のありました点で、今まで比較的調査をいたしておるのはそんな程度でございます。  あと服装規定を設けて厳重にいわゆる制服を着ることを指定しておる。それでさらに制規の服装をしておるかどうか点検までして服装規定の励行をしておるというようなことにつきましては、まあ、この学生手帳を拝見いたしましたので、そういう条項も見まして、現在の大学の中ではかなり厳格な規定のように拝見したわけでございますが、それが行き過ぎであるかどうかにつきましては、これは大学学生の補導というものが現在教育法令の上でもあまり明文化されておらず、これは関係者、当事者がいろいろ研究を重ねてそれぞれ大学の方針等に照らして最もよく当該大学の目的を達成するに必要な学生補導はどうあればいいかというような見地から研究し、試行しながら進めていく段階にございますので、まあこの服装規定そのものが行き過ぎであるかどうかにつきましては、にわかに判断を下しがたいというように考えております。  それから通学生心得におきまして住所の指定をするとか、それから寮生について外出の届け出あるいは帰寮の時間などを厳重に管理するとか、それから大学が催す集会等の出席を厳重に励行させるといったような問題は、いずれもこれも学生の補導はいかにあるべきかという問題でございます。これも服装規定につきまして申し上げた通り学生の補導のあり方につきましては現在大きな研究課題になっておりまして、いろいろ説も分かれております。大学の中には非常にリベラルな考え方学生自主性を非常に高度に尊重しながら教育していくのがいいというお考えのものもございますし、それからまた逆に相当保守的で、学生は何と言っても修業中の人間であって、まだ完成していないのだから、基本的自由に属するような事柄であっても相当な規制をしてあやまちのないように指導する方が適当であるというような方針のもとにやっておられる大学まで、現実に五百以上ある大学学生の補導の方針、実態というものは種々さまざまでございます。結論めいた判断はなかなかむずかしいのでございますが、まあ抽象的に申しますれば、明白な違法といったような問題が起こらない限りは、厚生補導の問題は研究し、試みを重ねながら大学教育の目的のよりよき実現に向かって進めていくという段階であろうかと思います。にわかにそれが適当であるかどうかというような簡単な結論を申し上げることは差し控えたいと思います。
  76. 鈴木才藏

    鈴木政府委員 ちょっとおくれて参りましてはなはだ失礼いたしました。ただ私に対して意見を求められました点は大体筆記しておりますので、拾いながらお答えします。  まず修学旅行の際に指定の服装をしなかった女性に対してこの大学の先生が、その異った服装と申しますか、異装をとがめて何かみなの前でスカートをまくり上げて恥ずかしめた、そういうような点が指摘されている。この事実は、このほかにこういうこともあったということは一応私の、耳に入っておりますが、どういうふうな考えでどういうふうな態度で、気持でこういうふうにやられたかという点はつまびらではございません。けれども私たちの立場から申しますと、その服装について非常に厳重な規制をとるという大学の方針はけっこうだと思います。ただ問題は、その厳重な服装規定に違反した場合にそれをとがめる人の態度なり気持、それが問題であろうと思います。厳重にその服装の規制をやるということは教育上やはり必要な場合もあると思う。私の希望といたしましては、そういう服装についてとがめるといいますか、点検をしたりする場合におきましても、あくまでも在学生の人格を認めて、その屈辱感なり名誉感を侵害しないような場所と方法と態度をとっていただきたいと私は希望するのであります。これはこの事件があったかどうかを離れた私の考えでございます。  もう一つ、その寮における服装の点検という点もございます。夜中に起こして何か厳重なる検査をしたというふうな場合もあります。これもやはりその場合にどういう意味で厳重な検査をしたか、持ちものの検査をしたか、そういうことはつまびらかではないのであります。こういう検査もその目的によってやはり妥当な方法でやっていただきたいということを期待する以外にないのであります。  それから尾行事件でありますが、この点につきましてもやはり何か特定の学生、いわゆる本件の事件が起きまして、この事件に対する学校の処置に対して、何らか不満を持っておると見られるような、何とか学校にその態度を改めてもらいたいというふうな言動をしたような学生、そういう者に対して、何か四年生の者が尾行して行動を監視したような疑いがある、それは自分たちがどういうふうな人と連絡をしておるかどうかを調べたのじゃなかろうかというようなことが、あるのであります。学生同士を尾行さす、それがもし学校がそういうふうに指導したとすれば、これはやはり問題になろうと思うのでありますが、その点がまだはっきり出ておりませんし、また外部団体との連絡を確めるために尾行するにしても、その当時の様子が相当幼稚な尾行のような感じを受けるのであります。外部団体と連絡するのは幾らでも別の方法がございます。ただ街頭で尾行されたというだけで、一体どういう目的でやったのか、それもはっきりいたしませんが、この点について今徹底的な調査をいたし、学校の方ではそういうふうなことを一切指示したことはない、四年生の学生によって尾行して調査するようにということを指示し、または要請したことは全然ないというふうな御回答でございます。抽象的にも、学生同士を使っていろいろ尾行さす、こういうことを学校考えるとするならば、これは一つの問題で、こういうことはあり得べからざることだというふうに私は信じたいのであります。  それから投票権の問題でありますが、この投票権の問題につきましては、今文部省の方からお答えがあった通りであります。私の方に対する学校側の釈明でもそういうふうな、今文部省の方のお答えになったような点でございます。文部省側の意見のように、学生手帳にこういうふうなあいまいな表現をする、誤解を招くような表現をするということはやはり慎まなければならないと思う。学生が守るべき部内規律につきましては、やはり明確なる表現をすべきではないか、こういうふうに考えております。また現に、この事件が起きまして、各方面の私立大学、官立大学。こういう学生手帳に類するものをだいぶ集めて検討いたしましたが、署名運動につきましては厳重なる規制をしておる学校もございますけれども、投票というような言葉のあるのはほとんどなかったように私は思うのであります。今回これを改められるという方針でありますが、私もこれに賛意を表すのであります。  それから住所の指定の件であります。これは本日突然にこの問題を御指摘になったのであります。これは、「学生手帳」の「一五、通学生心得」の四の、「通学生が住所を変更した時は直ちに所定の手続をする。但し通学生の住所不適当と認めた場合はこれを変更させることがある。」これは親以上の強い権限じゃないか、これは学生の居住の自由権というものを侵害するのじゃないかというような御質問だったと思います。私は、こういう学内における学生の補導——通学生というものはどういうところに住む、あるいはどういうふうな生活様式をとれというようなことは、たとえば一般の国民はどこへ住もうと自由でありますけれども、大学が、この大学学生になる以上は指定された学校の寮に全部入らなければいかぬ、これは決して居住の自由を奪うものではないと思います。そういうふうな規定は、決して憲法にいう居住権の侵害にはならぬと思うのであります。学校の全寮制度というようなものは、やはりあり得ていいのじゃないか、こういうふうに、私は教育上の専門家じゃございませんが、考えるのであります。  それから服装の規制でもそうでありますが、大学によりましては制服の制度をとっておりません。女性なんかが、自由に服装を自分の意思で選択しながら自由な服装での通学を認めておるところもあります。これは一般に広く抽象的にいいますと、人間というものはすべて自分の着たい着物を着て学校に行ける自由があるのではないか、そういいましても、学校の趣旨から考えますと、いろいろの立場から特定の服装をしなければ学校に来てはならぬという規制を設けること、これもやはり基本的人権を侵害するものでもないように思います。やはり学校という共同体の中の生活におきましては、一般人と違ういろいろの指導上の、あるいは学校としての規制を受ける、これはやむを得ない場合も私はあると思います。問題は逸脱した場合であります。  本件の住所変更の点でありますが、地方から女子が上京してきておる、それで寮に入らないで町の下宿なんかから通学をする、そういう場合に、親としては、どういうところに住んでおるかということが心配になる場合もあろうと思うのであります。東京にも、不適当な、非常に風紀の悪いような区域が相当ございますけれども、そういうところに万一住んでおった場合は、何とかもう少し環境のよいところに移ってはどうですかというサゼスチョンをすることは私はかまわないと思います。ただ、「変更させることがある。」とございますけれども、これはやはりほんとうの親心からこの変更をアドバイスするという規定であるならば、一向この規定は差しつかえないのではないか、結局この規定によって強制的に自分たちの考えておるような場所に変更させ、言うことを聞かなければ何らかの処分を受ける、そういうふうな規定の運営であるならば、これはやはり問題になるか、こういうふうに考えます。
  77. 山中吾郎

    山中(吾)委員 関連。大臣に、休憩前に大臣の答えられた中に間違いがあるので、今後のためにその点はっきりとしておいていただきたいと思います。  教育基本法の第八条の、法律に定める学校は、政治教育その他政治活動をしてはいけない、その学校の中に学生を含むというふうに大臣が答えられておるのであるけれども、文部省自体の通牒に「第二項の趣旨は、学校の政治的中立性を確保するところにあります。もとよりここに規定されているのは教育活動の主体としての学校の活動についてでありまして、」と書いてある。従って、その場合の法律において規定しておるものは、学校教員によって構成されたいわゆる教育の主体をさしておるのであって、寡作である学生責任を食わすというふうなことはないのであって、学生教育基本法の規定する対象でない。明らかに文部省の通牒で解釈が決定された。私自身も仕事をしたときにはそういう通牒でその通りやってきた。きょう大臣学生も含むと答えられた、その点は責任をもって訂正される必要があると思いますから、こういう席上で訂正をしてもらいたいと思います。
  78. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 結論は今おっしゃった通りに間違っております。幾分釈明的なことも申し上げることをお許しいただきますが、先ほど大臣教育基本法第八条第二項の趣旨が、学校の政治的中立性を確保するどころにあることを申し上ました。それはその通りだとむろん思います。趣旨についてはその通りでございますが、ただ学校という概念に直接的に学生生徒が——すなわち教育兼本法八条二項から直接的に学生生徒に適用されるように申し上げました点が、あまりにも学園内の中立性保持が学校活動のために重大であると思いますので、その点にあまりに急なるの余り、概念的には矛盾をしたことを申し上げたことを反省いたします。ことに今御指摘のように、数年前に文部省からその解釈を具体的に定めまして通牒まで出しておることを私自身知らなかったということは、不用意であったと思います。しかし不用意だけじゃなしに、学校という概念に学生生徒をいきなり入れるということは適切でないことは、冷静に考えれば自分でもわからぬわけではないと思いますが、言いかえれば、学校という営造物の運営の状態に対して、教育基本法第八条が働きかけておることも自明のことでありますから、営造物の利用者たる立場にある学生生徒に直接的に働くということはあり得ない。ただ学園の管理上の必要から、学園内で政治活動が行なわれないことを希望することは、教育基本法の趣旨の作用といたしましては当然のことですから、間接的にはそういう規制に服することになるとは思いますが、直接的であるはずがない、こういう意味で訂正させていただきます。
  79. 山中吾郎

    山中(吾)委員 法解釈としてはそれでけっこうだと思うのです。ただ今問題になっておるのは、学校経営者二基本的人権立場から疑義があるというふうな数々の事例があって、それがこの国会の中において問題になり、将来私学に対する行政とか私学法に対して必要ならば立法的な問題として材料にすべきだというので取り上げられておると思うのであります。従ってそういう意味において学校当局あり方が今中心になっておるときに、学生も同じように法律の規定としてはいけない、五分々々だというふうな大臣解釈の中にまたムードが入っておると、問題が正確に解明されないと思います。これは学校の経営者、教育の主体についての論議であるから、こういうときは学生そのものについてはいろいろのことを連想さるべきではないと思います。それは学校教育の問題として、学生はこうあるべきだというそのことはまた別にわかりますが、それを混乱しないようにしてこの問題を正しく結論の出るようにしてもらいたい。そういう意味ですが、訂正されたのですから、そういうことは了解いたします。教育の主体の問題はどうあるべきかということを明確にして一つ御答弁を願いたいと思います。
  80. 村山喜一

    村山委員 ただいま課長あるいは人権擁護局長からいろいろ御答弁をお伺いしたわけですが、憲法の前文に、専制と隷従、圧迫と偏狭は地上から永遠に除去されなければならないという明文がございます。今の昭和女子大学の教育の姿を、こういうような規則学則等によってながめてみます場合に、これは教育以前の姿かここにあると私は言わざるを得ないと思うのであります。大学学生の自主的な参加なくして大学自治大学の自由も大学教育の目的も達し得ないので、そういう自発的な活動態勢を整えてやるという思いやりのある考え方がなくして、たとえばこういうようなことを学長は、学生を集めて言っているのであります。二月十二日昭和女子大の本館の一階において、憲法より学則は優先をする、こういうようなことを広言をして、また守らなければならない、そして学則によって処罰をしておる。この学則についても、君たちは知らなくてもいい、知る必要もない、こういうような考え方は、教育者のあり方ではないと私は思うのであります。そういうような大学教育の本来あるべき姿の上から申しまして、この昭和女子大教育は間違っている。こういうように私は言わざるを得ないと思うのでありますが、それらの大学規則あるいは学則等を通じて大学課長が受け取られた教育の姿というものは、これで望ましいとお考えになっているかどうかを、まず、お尋ねいたしておきたいと思うのであります。  次にこれは平和憲法の十四条に規定つけられているのでありますが、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、」差別をされないという規定がございます。この中で法とは一体何か。この憲法に言う法というのは、単に法律のみをさすのでなくて、政令なり条例等その他成文法のみならず慣習法もこれに含まれておるという一つ憲法解釈があるわけでございますが、いわゆるワイマール憲法の定義いたしております法の前にという、そういうような一つの定義とフランス人権宣言の中の法の眼中という、その言葉と同じように、いわゆる法のもとに平等であるという規定はそういうような意味合いを持っているものだと考えるわけであります。そういうような上からいいまして信条というのは宗教上の信仰並びに思想上の主義に入ると思うのであります。  そこでこの処罰をされました一学生の場合を考えてみますと、政防法反対の署名をした事実もない、こういうような者に対して、その学生がたまたま民主主義青年同盟、民青に加入をしておったという事実をもって処罰が加えられておるということを承るわけでございますが、そういう他の外部団体に加入する場合においては補導部の許可を受けなければならないという学生手帳の規則がある、それによってそのような外部団体に入った者は処罰をしていくのだというようなことが規定をされているというふうに考えて参りますならば、これは憲法上のいわゆる信条の自由、法のもとに平等であるという考え方と矛盾する点が出て参ると思うのであります。  そこで、思想の自由あるいは信仰の自由、さらにまた信条の自由、こういうような憲法が規定をいたしております基本的人権に関連をいたしまして、どの程度までが特別権力関係のもとにおいては規制ができるのか、公法上の規制がどの程度成り立ち得るのか、いわゆる権利義務関係において、私法上のそういう規制はどの程度で限界を引くべきかというような点から考えて参った場合においては、政防法に反対であるという署名をやったことが、退学という学生にとっては死命を制するような重大な行為になるわけでありますが、そういうようなものに該当せしめるべきものであるのかどうか。国民は何人といえども国会に対して平穏裡に請願をする権限権利として認められておるのでありまして、そういうような点から政防法反対という請願書を提出するために、国会の請願の手続をいたした、署名をした、そういうことによってこの基本的な人権が曲げられていくということが正しいという、そういう規制力を特別権力関係のそういう権利義務の中において見出していくとするならば、これはきわめて重大な問題になってくると思うのであります。そういうような点からこの特別権力関係のもとにおけるところの公法上の義務というものと私法上の義務というものについては、その範囲をどのようにお考えになっているのかを大臣あるいは人権擁護局長から承りたいと思います。
  81. 西田亀久夫

    ○西田説明員 ただいまのお尋ねの点は、大学学生教育指導の上において規則その他を用いてどの程度の規制をするか、学生自主性をどのように尊重することが教育的に最も適切であるかというきわめて教育上のむずかしい一般問題に関連すると存じます。先ほどお尋ねのございましたように、もし大学の当事者が学則憲法よりも優先するとか、あるいは学生学則を知らなくてもよいとかいうようなことを言われた事実があるとしますならば、私どもの見解といたしましては、教育指導の方法としてはきわめて不適切だと存じます。  しかしながら先ほどからお尋ねのありました点一般について申し上げますと、教育そのものが本来個人の人格の形成という過程におきまして、他律的な規制の段階から自律的な規制というものに発展していく非常に微妙な成長の過程でございます。従ってどの段階においてどの程度の規制を行なうことが教育的により効果的であるかということによってこのことのよしあしを判断すべきだと考えております。と申しますのは、教育活動そのものが法律による権利義務関係によって行なわれる活動ではなくて、教育そのものが本来的に人格と人格との接触によるきわめて複雑な人間関係でございますから、もし相手の、教育を受ける側の者がそれによって特別な屈辱感を味わったり、それによって極端な劣等感を持たされるような指導というものは、教育指導としては不適切だと私どもは一般的に言えると思います。しかしながら、教育のいろいろな段階におきましては、相手に対する取り返しのつかない失策を防止するための保護の立場もございましょうし、あるいは相手が自主的と申しましても明確に反社会的な行動をとる場合に、これを学校教育指導上禁止するという積極的な態度をとらなければならぬという立場もあるわけであります。従いましてその個別的な場面を見まするならば、それが人権に対する侵害ではないか、自由の拘束ではないかという問題がきわめて複雑に現われてくると思いますが、問題はそれが学校自体が、何か他の目的のためにやるのではなくて、本人の教育効果をより高くするために行なう最も適切な方法だという信念のもとにやっておられまする場合には、私はそれは教育指導の方針としてやはり尊重したいと考えております。  お尋ね憲法第十四条に関連いたしまして思想、信条の自由等につきまして学校の特別権力関係私学においてどうかというお話でございましたが、私見では、私立大学の場合における学生学校とにはそのような特別権力関係といったようなものを考えていないわけでございます。あくまで大学がその学生に対する教育指導という立場から行なう措置でありまして、学校教育法に定めます懲戒権も法律に明確に、教育上必要があるときは懲戒を行なうことができると明記しているわけでございます。従って先ほどの退学処分というものも、それが学外団体に入ったから、政防法反対の署名をしたから処分をしたのかどうかというお尋ねでありますが、私ども入手いたしております。また学校当局から説明を伺いました処分理由の中では、無届で学外団体に加入したということが学校生徒心得の基準に反しているということ、それから学内において政治的署名運動を行なったということが大学としては学園の政治的中立並びに学生に対する教育環境としてそれが好ましくないという大学の御方針、そういったことが総合的に判断され、さらに反省を促したけれども、本人に改悛の情がないということを学校が断定されて、つまり退学というものはおっしゃいますように学生に対しましてはきわめて峻厳な措置でございますから、きわめて慎重を要するものではありますけれども、しかし、もしそのような各種の事情を総合して、大学として本人に対する教育的な陶冶性というものを見つけることができないという場合、あるいは本人にそのような活動を認めていくことが学園の一般的教育環境を著しく阻害すると判断した場合において、これに対して退学処分を命ずるということは、私どもはやむを得ない処置だと考えるてお次第であります。従ってそのような処置は、いわゆる特別権力関係というものから出てくるのではなくて、すべて教育上必要な処分として行なわれるという観点でございますので、どこまでが特別権力関係でどこまでが本人の基本的な自由であるかというようなことについては、事教育に関します場合においては一般的には明確な線が引きにくいのではないのか、問題は、大学当事者がもし本人の思想内容そのものによって差別をしたかどうかということが明確でありますならばそのことはきわめて重大でございます。しかし退学処分そのものにはそういったことは言われておりません。大学がきめた一つ秩序維持に対する、ルールに対する違反であるということを理由とし、それに対する反省がないということが一番大きな事由ではあるまいか、私どもはかように推察しているわけであります。
  82. 村山喜一

    村山委員 いわゆる学校教育の本質というものは、これは当然国あるいは公共団体の設立する学校であろうとも、私立学校であろうとも、国民に対して、いわゆる住民を強制する、支配をするという、そういう権力関係におけるとごろの支配原理ではないということは言うまでもないと思うのです。従いまして、教育の本質というものはどういうようなものであるべきかという上から考えていった場合に、今の庶務課長のお話を承っておりますと、規則を犯したからそれに対してはやむを得ない措置だ、こういうような御答弁であります。その規則というものは、それならば一体そういうような学外の団体に対して加盟をする場合に許可を得なければならない、許可を得なかったからそれに対しては処罰をする、もちろんそれだけの条項によって処罰をしているのではなくて、その学校の名誉なり、あるいはその他の誹謗を行なった、こういうようなことで、反省の情なくしてこういうようなことになったんだ、こういうような教育的な見地からなされた行為であると説明をされている。しかしながら、大体大学の学長なりあるいは学監が、この教育の姿を見ておりますと、学則を知る必要もない、お前たちは憲法より学則の方が優先をするんだ、こういうようなことを公然と学生の前で言いながら、そして学生に対して権力的な、支配的な立場に立って物事を言っている。それに対して、長いこと学生自身はいわゆる自発性というものを持たないで、今日まで至っているわけです。そういうようないわゆる教育環境にふさわしくないような事態の中において派生したところ一つの現象としてこの問題をとらえていかなければ、一般論的な、他の大学に見られるような教育形態が整っている中におけるそういう規則違反を犯し、あるいは誹謗したという事例と同一に考えられているところに根本的な誤りがあると私は思う。従いまして、この事実は事実行為として認めて、その上に立って、この大学側がやったところの行ないというものは、はたして基本的な人権を侵害をしていないかどうか、はたしてこれは学生として教育を受けるところ権利を奪うものではないのか、こういうようなことについては、それぞれの立場において今調査をし、やがては裁判の問題に発展をするだろうと思うのであります。そういうような点から考えまして、これからのいわゆる基本的な人権をいかに侵害をしているかというようなことを、あなた方はもっと積極的に、文部省自身が、文部省設置法によって大学の運営については指導、助言ができるのでありますから、こういうような問題が出たときにはもっとすみやかにそれらの誤りを正していくような方向で指導を願わなければならない。それを一般的な原則のもとに、そういうようなものはやむを得ないものであるというような断定をされるということは間違いではないかと思いますが、その点は主管課長はどういうように考えておりますか。
  83. 西田亀久夫

    ○西田説明員 重ねてお尋ねいただきました点で、大学が、たまたま今度の問題が出てくるについては、大学の中にかねてからいろいろ学長が学生に不適切なとこを言われたことがあったんではないか。あるいは学内に学生の自発性を非常に積極的に伸ばすような雰囲気がなかった、そういうものの中から現われてきた一つの事態としてこの問題を考えて、文部省としても積極的に調査し、これを指導、助言すべきではないかというお尋ねでございますが、今問題になっております今回の学生に対する処分あるいは教員に対する処分という問題だけを一応取り上げて、それぞれ学校のとられました措置というものが、はたして一般的に大学教育の場における措置として妥当かそうでないかということを申し上げてきたわけでございます。お話しの通りに、もしこの一つの嘉例が当該大学におけるたまたま一度だけ起きた事例ではなくて、こういったものが伏在する非常にいろんな原因があるとしますならば、さらに積極的に大学の事情を私どもも検討いたしまして——学園の中に大学当事者と学生との間に相互の信頼関係がこわれてしまえば、どのような法律的な措置をもって解決をしても、学園としては取り返しのつかない事態になると思いますので、そういうことが今後再び起きないように、私どもも大学の方々からいろいろな事情を承ってさらに慎重に検討をいたしたいと存じます。
  84. 村山喜一

    村山委員 今の答弁は了解できます。教育の環境というものを作らないでおって、教育の姿は成り立たないと思うのです。一方が支配者で一方は被支配者である、お前たちは監督を受ける者である、黙って勉強さえすればいいのだ、そしてこれこれしてはいけない、これこれした場合には処罰する、場合によっては退学処分にする、こういうような格好で、いわゆる罰則ですべてのものを牛耳っていこうという、ものを言わない方がいいのだ、こういうような形の中における教育の姿は、これはもう教育以前の姿であり、少なくとも大学においてはそういうようなものは認められるべきでないと思う。そういうようなことが平然と行なわれている疑いがある。  私はその問題について若干後ほど質問を続けて参りたいと思いますが、ここで一つだけ取り残しておりました答弁を願いたいと思いますのは、はたしてここの昭和女子大学は教授会を中心にして大学自治の姿を完全にとっているのであろうかどうかということについて疑いなきを得ないのであります。もちろん大学自治の中には、その概念規定の中には学問の自由というものが入っておりますし、研究の自由、教授の自由というものが入っております。しかしながら、その教授会は次のことをやるというのは第四十六条の学則に掲げてあるわけですが、教育公務員特例法、これは公務員である身分を持っている国公立大学教授、助教授講師、こういうような人たちが公認をされ、あるいは免職をされる場合には、それぞれの教授あたりで作っております学校の審議会にかけて、そして不服の場合には書面で手続をしたり、言いわけをする機会を与えたりして大学自治の姿が完全に守られておるわけであります。国公立においてもそういうような大学の学問の自由というような立場から身分が守られているのが現在の日本法律であります。ところがこの学則の中には採用に関する事項だけは教授会の中にあります。しかし、それを公認し、免職にしていく規定というものはないわけですね。文部省の方で印刷をしていただきましたこの写しには、そういうものはありません。これは明らかにこの学則はそういうような点において、いわゆる教職員の管理という面における資格要件を欠いている条文がここにあると思うのであります。そういうような不備な学則をいわゆる私立学校設置法に基づいて提出をし、あるいは学校教育法に基づいて所定の手続の上から学則を添えて手続をするようになっておりますが、そういうようなものを見のがしてこられたという事実は、一体どういうようなところに原因があるのですか、その点だけ伺って次の問題に入りたいと思う。
  85. 村山松雄

    村山説明員 私立学校における教員の任免等に関しましては、これは私学の運営に関することでございますので、管理局の所掌かとも思いますが、国立学校教育公務員特例法の話が出ましたので、その点につきまして御説明申し上げますと、その教育公務員特例法で教官の任用、選考、それから意に反する退職、降任その他不利益処分は、大学管理機関の議を経たる後行なうようになっておる趣旨は、これは国立学校においては何と申しますか、大学自主性政府から保障するというような意味で、特例法の規定が設けられておるものと了解しております。私学の場合は、管理局から御説明があると思いますが、国立学校における政府大学の教員という関係が、設置者である学校法人とその雇用者である教員という関係になりますので、国立学校の場合とはそういう身分上の問題として、はなはだ法制的な取り扱いが異なることは事の性質上当然の帰結かと存じます。
  86. 杉江清

    ○杉江政府委員 教員の任免に関する一学則の規定でありますが、私立学校については私学自主性を重んじまして、細部にわたってこれを統一するような指導はいたしてございません。ただいまの御指摘のように解任等の場合には規定を現在設けておりませんが、すべての私立大学がそれらをすべて教授会の議を経るという規定は必ずしも設けておらない状況でございます。その辺は私学自主性と良識に信頼してその運営にゆだねておる。そこまで学則を一々点検し、これを訂正させるという指導帽、ただいまのところいたしておりません。
  87. 村山喜一

    村山委員 杉江管理局長に私は意見を申し上げておきたいと思うのですが、大学自治というのはやはりそういうような今日までの歴史的な過程があるわけです。そういうような意味において、私立学校の場合においては理事者側が非常に強い、それに対するところ大学におけるところ教授、助教授講師、助手を中心にする、学問の自由を守っていかなければならないとするところのそういう大学の管理機関が非常に弱い。こういうところに私・学の自主性の問題が問題点としてあるわけです。そういうようなものをあなた方は、いわゆる国家公務員、地方公務員であるところのそういうような大学の場合には、今日身分的に保障をし、大学自治を守るため、大学の学問の自由、研究の自由を守るために、法律によって規定をされている。私学においては、それ以上のものをあなた方が行政指導をされるということが、今日の日本教育のゆがみを直していくということになると思うのです。ややもすれば理事者側、当局が強くて、理事者側に使われていく、そしてそのもとにおいて教育が行なわれていくから、今日のようなこういう事態が出てくる。だからあなたの力はもっと私学に対して、そういうような点を指導、助言をされる必要がある。それは答弁は承らないで、時間の関係もありますので、次に参りたいと思いますが、これはぜひ文部大臣から御所見をお伺いしたいと思う点であります。  具体的な例を申し上げて参りたいと思いますが、昨年の十二月二十五日、白石浩一助教授が英米文子科二年Aクラスの授業で、共産党が下校をつぶそうとしている、一月に共産党が学校ヘデモをするのは確からしし、学生は冷静に行動してほしい、こういうふうに言っております。一月の十一日午前十時半、玉井学長就任式で、人見学監が全学生に対して、保守反動と封建制が本町の価値であり、世間もそれを認めていると発言をいたしております。そして中野講師の退職後、倫理学の講義は人見学監がかわって行なっておるそうでありますが、その講義の中で学生に対して、乃木大将の殉職をどう思うかということについて意見を書かせ、回答中、賛成に対してはよい点を与え、反対に対しては悪い点を与えた。明治天皇の五カ条の御誓文を教材に用い、日本国が一等国になったのはこの御誓文のおかげである、熟読翫味しなくてはいかぬ。それから日文科の学生に対して、研究テーマに官本百合子、小林多喜二を選ぼうとしたところが、不適当である、こういうように抑制をして、君らには宮本、小林の世界が理解できるものではない、消化する能力がないから無理だ、不適当だと、二月十四日、学生集会の席上人見学監が発言をした。それから去年の七月の九日、終業式において人見学監は、新安保条約はアメリカが日本に情けをかけて、旧安保条約よりも日本にとって有利にしてくれたものである、しかも無期限でなく十年の期限つきだ、十年などというのは長いようでまたたくうちに過ぎてしまうものだ、また他国に対する場合は国が一つにならなければならない、このような理由から新安保条約は賛成すべきである、こういうようなことを演説しておる。それから、これは法務省等に対するところの、指示勧告の件について、二月十四日に開催された全学の集会の席上質問をしたのに対して、指示が出たとしても内容によって従えるものと従えないものがある、従う限度については現在言える段階でない、指示は参考にしてあとで研究をする、こういうようなことで、法務省の当局がそういうようなものを出してもそれに対しては、玉井学長も、法務省といえども不法の指示を下すことがあると、二月の三日の授業中に述べておるわけであります。こういうような一連の事態、それから学生が外出をして、たとえば学術会議の講演会や、音楽会、美術展覧会等に出る場合にも届け出を要しておるが、たとえばシラーの百年忌の集会に行きたいと申し出たところが、来年もあるから来年にしなさいと言われた、百年忌というのは来年もあるとは考えられないのにどうしたんだろうかというような、こういうようなことであります。それから、お前たちはお茶の水女子大の学生と交際をすればコンプレックスを感ずる、実践女子大の学生と交際すれば頭が悪くなる、早稲田の学生と交際をすればお前たちは恋愛をする、こういうようなことを学生の前で話をし、お前たちはそういうようなことだから他の学校学生と交際をしてはいかぬ、こういうようなことをやはり学生の前で公然と述べておるのであります。  私がここでお伺いをいたしたいのは、教育基本法八条との関係において、いわゆる学校側が片寄った教育、いわゆる間違った教育ではなくて、片寄った教育を行なう場合において、これはもちろん一つの学説として、学問として教育をしていく場合には、その学問の自由、研究の自由、教授の自由という概念がありますけれども、それをそういうように一方的に全員を集めて訓辞をし、講義をする。そのような形態の中においては、こういうような学説もある、こういうような学説もあるが、自分はこういうような理由によってこの説が正しいと思う、こういうような話をするのであれば、当然のあり方であろうと思うのでありますが、一方的にそういうような一つ考え方に立って教育が行なわれた場合には、これは教育基本法の第八条に違反をする行為であるといわなければならないと思うのでありますが、大臣の御所見をお伺いいたしたいと思う。
  88. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 例示されましたことの真疑というか、御発言を疑って申すわけじゃございませんけれども、私の立場において直接知り得たことじゃありませんから、そのことについて感想めいたことを申し上げることは差し控えたいと思います。ただ教育基本法第八条の学園内における政治的な中立を要求しておるにかかわらず、一党一派に偏したようなことを教師の立場で、当然教師対学生という関係にあって、教育活動と目される中において指導的なことを言ったとするならば、それは適切じゃない、むしろ第八条に違反するものと断ぜざるを得ないと思います。ただ共産党はあまり好ましくないと言ったとするならば、私もそれは賛成であります。社会党も一線を画しておられるぐらいであり、さらにまた公安調査庁では破防法の関係で、破防法適用容疑団体として常に監視しておるくらいの団体ですから、そういうことに対して感想というものは、私は賛成であります。
  89. 村山喜一

    村山委員 私はそういう断定的な話を大臣から承ろうとは思わないのであります。問題は今日私学あり方をめぐりまして、幾多の学校において問題が出ている。大学自治というものがゆらぎ始めて、たとえばここに出ているでありますが、上智大学において社会科学研究会というようなものを作ろうということで、同大学のサークルの中において同学の中の助教授の先生が中心になって作り始めた。ところが一方的に同助教授に対して圧力がかけられて作ることができないような状態になった。そして重大の日高六郎教授を呼んで時局の問題で話を聞こうという計画を立てたところが、それも学校側から一方的に拒否をされた。あるいは国学院大学の例もあります。さらにまた最近におきまして私も耳にしたのでありますが、ある大学においては、その直接の担当者である教授あるいはその他の教職員が知らないのに、生活補導部の人が、これは教職員に不適格である、こういうような判定を下して、それでせっかく就職をしていくところ学生がそのために非常に困ったというような事例が出て、それはあとになりまして大学の総長がその誤りをおわびして取り消しましたが、補導部の教授がそういうような越権行為をやって、そして、成績は教育実習は九十点以上で別に思想的なイデオロギーもない、あるいはただ単にクラスの中における自治活動、自治会の活動を活発にやったというだけで目をつけられて、そのために教職員に不適格という烙印を押されて、そのために就職ができないという事例が出ています。幸いにしてこの問題は学長が取り消しまして、ことし卒業する学生でございますので、就職も大体内定いたしたようでありますが、最近私学の中においてあるいは公立学校でもそうでありますが、学生運動が弱いところに、これから先自由な教育活動、学生活動、大学自治を守っていこうという一つ学生運動に対して弾圧が最近とみに加えられ始めてきているという事実があります。世間では文部省がそういう学生運動に対して一つの弾圧を企図して何かのサゼッションをしているのではないかとさえうわさしているわけであります。こういうような大学自治がゆらいでいるという印象は、この昭和女子大学のみならず他の大学においてもあるように伝えられておりますときにおいて、大学当局を指導助言すべき文部省立場というものはきわめて重大だと思うのであります。そういうような意味から、私は先ほど杉江管理局長に対しても意見を申し上げておいたのでありますが、ややもすれば、私学の経営者という部面から、そういう大学の良心を守り、大学の学問の自由、研究の自由を守って正しく大学教育を進めていこうとする人たちに対して、あるいは将来の日本を双肩にになって活躍をしなければならない大学学生諸君に対して弾圧らしいものを加えていくということは、非常に残念なことであろうと思うのであります。  この昭和女子大学の問題についてはまだ質問も残っておりますが、谷口委員の方でも関連して質問がおありになりますので、私はこれで終わりたいと思いますが、これらの事態にかんがみまして、憲法に規定づけられた基本的人権、そうして学生のそういう大学教育における自由と自治の活動、こういうようなものを目ざして文部省が指導助言していただかなければ、日本教育というものは正しい方向に発展をしないということを要望申し上げまして、私の質問を終わりたいと思います。
  90. 谷口善太郎

    ○谷口委員 荒木大臣のきらいな共産党であります。質問を二、三申し上げたいのですが、先に聞きます。文部委員会はなんですか、こういうので委員会は成立するのですか。与党がほとんど出ない。このような少数でやっている。これが委員会であっていいということなら私はやります。どうなのか。
  91. 竹下登

    ○竹下委員長代理 先ほど両党の理事間で協議いたしまして続行する、こういう話し合いをいたしました。それで私が委員長の代理を勤めておる次第であります。
  92. 谷口善太郎

    ○谷口委員 委員長を初めだれもいない。それで委員会が成立するならば、私は十年ぶりで文部委員会に出てきましたが、それはやります。そういうふうにお認めになりますか。
  93. 竹下登

    ○竹下委員長代理 ちょっと協議いたしますから、しばらくお待ち下さい。——谷口委員にお答えいたします。先ほど申し上げました通り理事間で協議をいたしましてただいままで続行いたしたわけであります。谷口委員の方で本日このまま質問をするとおっしゃればこのままやろう、本日は成立と認めがたいから後日に譲るとおっしゃればそれにしょう、こういうことに相談をいたしましたのでお答えいたします。
  94. 谷口善太郎

    ○谷口委員 私は私が発言する現状を言っておるのでありまして、従って私の前に発言された村山委員の場合のことについては言っておりません。私の場合で、こういう状況であるならば、私は委員会と認めません。従って別に今度文教委員会が開かれたときに、冒頭に私はこの質問をやります。それを保留してきょうは私はやめます。
  95. 竹下登

    ○竹下委員長代理 ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  96. 竹下登

    ○竹下委員長代理 速記を始めて。
  97. 谷口善太郎

    ○谷口委員 私はさっきから少し考えておったのです。どうやら私の発言について非常に大きな妨害があったのではないか。こういうように考えるのはよろしくないかもしれませんが、大臣のさっきの発言からいいましても、共産党に対して敵視をして、しかも共産党は破防法の該当団体であると言い出した。必要のないことを言い出してああいうふうに挑戦し出した。それから与党の諸君もそう言っているのだ。お前のときにはできなくなる。済まぬけれども、お前一人でやるか、やるならしろ、こう言っている。明らかにこういう委員会にならないものを作っておいて、私を追い込んでいるというふうにしか考えられない。きょうはごらんの通りたくさん傍聴人がいる。その席上でこういう国会の状況であるということはわれわれ全体の恥である。そうでしょう。そういうところで私はやりません。従って合同審査をやるならけっこうです。理事会でおきめになったように法案に入るということもけっこうです。しかしこの昭和女子大の問題につきまして、この文教委員会なり合同審査会なりでやる場合に、皆さんの方で責任を持って最初に私に発言の時間をいただきたい、このことだけ言っておきます。
  98. 竹下登

    ○竹下委員長代理 ただいまの谷口委員の御要望に対しましては、委員長として善処いたします。  本日はこの程度にとどめ、次会は二月二十八日水曜日に開会することとし、これにて散会いたします。    午後五時五十四分散会