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1962-02-16 第40回国会 衆議院 地方行政委員会道路交通対策小委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年二月十六日(金曜日)    午前十時二十五分開議  出席小委員    小委員長 小澤 太郎君       宇野 宗佑君    亀岡 高夫君       久保田円次君    田川 誠一君       安宅 常彦君    阪上安太郎君       野口 忠夫君    門司  亮君  出席政府委員         警  視  監         (警察庁保安局         長)      木村 行藏君  小委員外出席者         地方行政委員長 園田  直君         地方行政委員  高田 富與君         地方行政委員  渡海元三郎君         地方行政委員  太田 一夫君         地方行政委員  伊藤  幟君         地方行政委員  津島 文治君         地方行政委員  山口 鶴男君         参  考  人 杉村 安子君         参  考  人         (バス運転手) 稲葉知之助君         参  考  人         (東京北区立         滝野川小学校         長)      舞田 正好君         参  考  人         (トラック運転         手)      松岡 純夫君         参  考  人         (東京大学教授今野源八郎君     ————————————— 本日の会議に付した案件  道路交通対策に関する件について、  参考人より意見聴取  交通の安全と円滑並びに事故防止に  関する件      ————◇—————
  2. 小澤太郎

    小澤委員長 これより道路交通対策小委員会を開会いたします。  道路交通対策に関する件について調査を進めます。  本日は、本件について参考人より意見を聴取いたします。  御出席参考人方々を御紹介いたします。東武鉄道株式会社バス運転手をされおられます稲葉知之助君、株式会社田島商店砂利運送トラック運転手をされておられます松岡純夫君、いわゆる緑のおばさんと呼ばれて、学童登下校交通の安全に尽くされておられます杉村安子君及び滝野川第二小学校長舞田正好君、以上の方方が御出席になっております。なお東京大学教授今野源八郎君は、後刻御出席になるとのことでございます。  この際参考人各位一言ごあいさつを申し上げます。参考人方々には、御多忙中のところ御出席ただきましてまことにありがとうございます。本件につきまして、それぞれの立場から忌憚のない御意見を承ることができれば幸いと存じます。  議事の順序は、まず参考人各位より御意見を承り、御意見開陳が終わった後、参考人に対する質疑を行なうことといたします。なお時間の都合もありますので、参考人各位の御意見開陳はお一人十五分程度にお願いをいたしたいと思います。  まず杉村参考人お願いいたします。杉村参考人
  3. 杉村安子

    杉村参考人 こういう席は私、ふなれでございますので、その点あしからずどうぞお許しいただきたいと思います。  まず私たちが就労いたしております俗称緑おばさんでございますけれども、これは東京都独自の簡易失事業の中の婦人層救済事業に当てはまるものでございまして、身分日雇い労務者でございます。ただし、私たちの場合は一カ月契約とでも申しますか、一カ月ずつの切りかえになっております。私たちの日給は三百七十五円、そうしてその中から健康保険失業保険が差し引かれ、業務上の事故の場合には労災が適用されるわけでございます。大体私たち仕事のそういうふうな管理上のことにつきましてはそのぐらいにいたしまして、きょうは突然のことでございますので、何か私たちが立っておりましていろいろ感じたことや、それから私たちが常に思っておりますことについてお話しさせていただきたいと思います。  私たちが一番考えておりますことは、学童に対する交通安全思想ということを、その場所において教育することでございます。まず第一に取り上げますことは、低学年にそれが身につくようにその場でしつけるということであります。それから高学年子供たちには、おばさんが立っていてもいなくても一人で渡れるような独立心を養う、そうして小国民のうちから交通道徳を身につけて、それが国民性となるように徹底するよう私たちは努力していきたいと思っております。違反者や、それからいろいろ事故の起こる一番の原因は、その車を運転する人の心がまえにあると思います。ですから私たちの預っている今の小さい子供たちが、いずれは大きくなって運転者となるものであるという考えのもとに、今から、小さいときから、交通に対する心の目を養うこと、常識的な運転をする心を持つ人々になるよう育成したいと思っております。そして机の上の社会科とか道徳科とか、そういうところの勉強以外に、こういう交通に対する、急に近年ふくらんできた交通事情に対する教育は、その場で教育するのでなければ、全然効果がないということを私たちは身をもって経験いたしております。学童自身その場で交通のことについて体得させることは大へん大事なことで、私たちはその場合子供たちに大きな援助者となるような立場になって参ります。運転者の信条はどうあるべきか、よい車、悪い車を実際見て、みずからの判断によって、歩行者のあり方ということを子供の心の中に刻み込みたいと思っております。それにおって歩行者はどうあるべきかということがおのずからわかっていきます。それから右側通行の励行、そしてやがては運転者となる小国民が、まず自分歩行者としての道徳を十分に身につけて、さらにそれから後、運転者となったときに、私たち教育はずっと先のことですけれども、大へん大きく生きていくことだと思います。横断中の車に対するエチケットは、もちろん歩行者優先ということでございますけれども、だからといって互譲の精神を失うことのないように、車も忙しく走っているとき歩行する人たちのためにとまってくれる、そういうことに対して私たちは感謝の念を持って歩行しなければならないということも教えてきております。  それから時の流れに時刻の刻みがあるように、ほんとうに立っていると車の流れにもリズムがあるのを感じられます。子供や私たち運転手さんたちが、みんなそのリズムを感じ取ることができて、十分そのリズムに乗って歩けるような、リズムに乗って運転できるような交通事情になれば、もっと明るく楽しい交通事情になって、ほんとうにしあわせだと思います。そういう点で、私たちはもっと子供に対するリズム教育ということについても考えていかなければならないと思います。  それから私たち決心としては、私たちが立っているときにその場で事故一つもなくなるように、そういうことが毎年々々私たち決心となっている次第でございます。そして一般方たちお願いしたいことは、子供たちが一生懸命横断歩道を渡っているときに、三十メートル先以内は必ず横断歩道を渡っていただきたいと思うのですけれども、ほんとう横断歩道のすぐそばを、おとなたちがそしらぬ顔で横断歩道でないところを渡っていく。子供たちは、ほんとう自分たちがりっぱなことをしているのに、おとなたちはどうしてああいうことをするんだろうと思うでしょう。もしそういうおとなたち横断歩道を渡ってくれたら、ああ僕たちほんとうにいいことをしているのだ、おとなたちも協力してくれるんだ、これが正しいんだということになると思います。そして私たちがそういうふうに教えている子供たちが大きくなったとき、渋谷だとか銀座だとか、雑踏する中で広い横断歩道を渡るのに、今のおとな人たち右側も左側もなく渡っておりまして、結局横断歩道の中でさえぶつかるような状態でありますが、もし右側通行が小さいときからしつけられて国民性になっているならば、どんなに広い道に行っても、どんなに世界的な混雑するところに行っても、完全に正しくスムーズに交通ができるのじゃないかと思われます。  それからPTAの理解ということでございますけれども、私たち仕事に対して大へん協力的な方が多いのでございます。と申しますのは、私たちが外に立っておりますとき行き帰りに会う子供たちに、私たちはものを言う校門でございますから、子供たちが来ると、おはようございます、帰るときはさよなら、そういう言葉で、お互いに私たちほんとうに命を守るという本能的なものを中心として結びついておりますので、その一言々々、子供顔色一つで、ああこの子は病気だな、あの子はお休みだな、ああ、きょう来ないなということも、長く同じ場所に立っておりますとすぐわかります。それと同じように、子供たち一言家庭の中の状態を私たちはひしひしと感じますし、私たちはその家庭方たちが、どういう感情を持っておるかということもほんとうによくわかるのでございます。今、日本の国は世界じゅう一番交通難が激しいときにあたって、家庭子供たち交通教育というような、家庭の中のお母さんたちの態度ももう少し協力的に、もっと交通関心を持っていただきたいと思っております。  それからことに高学年子供たちには、なるべくおばさんにたよらないように、おばさん指示に従って正しい横断ができるように、今まで二年三カ月の間、私たちが補導してきました子供たちは、多分私たちが休んでも、おばさんがいてもいなくても、りっぱに渡れる子供に成長していることと思います。けれども、もっとさらにそういうことについて学んでもらいたいし、たとえば横断をしようとして待っているとき、非常に長く待たせなければならないような場合も出てきます。そういう場合に私たちは、子供たちがそういう交通の場に立って、ただ漫然と漫画のことや何か考えているのじゃなくて、あの自動車は何型だ、あの自動車はどのくらいの速度があるんだ、あそこから走ってきたオートバイは、あんなに速度を出したら、あれはおばさん違反じゃないかというように、そこで交通教育ほんとうに実際に行なわれているのだと思います。だから事あるごとに、あの車は何型だったかしら、あの車が通るまで待ちましょうとか、そういうふうにしますと、非常に子供たちは車に興味を持って、私たちより子供たちよけい車の型なんか知っておりますから、大へん楽しく渡るまで待てるということでございます。また高学年子供たちには、おうちへ帰ってからは、おばさんにかわって小さい人たち教育をしてもらいたいと思っております。  それから運転者に対しての私たちの要望は、駐車でございますけれども、私たちが立っている場所近くに駐車されますと、見通しのきかないということは大へんやりづらいことでございます。  それからバスの停車場などということについても、一応バス会社考慮を払っていただきたいと思っております。  それからオートバイとかいうふうな単車に乗っていらっしゃる方は、若い方が多いものですから、どうしても飛ばしたいという心理は、私たち親として、また若い時代を過ごしてきた者として、十分に察することはできるのでございますけれども、やはりそこに、道路というものはみんなのものだ、自分一人のものではないのだという観念をしっかり教育していただきたい。戦後、道徳教育と申してよいかどうかわかりませんけれども、そういうものは非常に欠けているのじゃないか。今の十八才ごろの年令の方たちは、割にそういう点で教育が少ないのじゃないかというふうに私たちは感じております。ですから、ただそういう方たちは出してもいいところでスピードをお出しになっていただきたい、横断道路があったり、学童横断道路があるところでは、少なくとも紳士的な行動をとっていただきたいということが私たちの願いでございます。四輪車、自家用車だとかそういう自動車は、非常によく協力して下さいます。ことに新道交法ができましてからは、私たち仕事はさらに非常にやりよくなってきているわけでございます。  それから私たち学校においては五時間勤務でございますので、その間立つ時間と申しますのは、その学校々々によって非常に違って参りまして、朝一時間のところもあれば、夕方三時間あるいは四時間のところもありますし、それから立つ時間が合計で二時間から三時間半ぐらいで、あと一時間半というものは学校の中の軽作業に携わるところもあるわけでございます。大体学校の中の用人さんのお手伝いをしているわけでございます。そういうふうな面もございますが、ただ外から帰って参りますと非常に神経疲れるのでございます。私たちはもう二年近くになりますと、その疲れの累積というものは目に見えなくて、自分でもわからないものでございますけれども、一たんかぜなど引きますと、普通一日か二日で立ち直れる体力であったはずのものが、一週間も二週間も、そこに疲れが重なって出てきて、長い病気になる方もあるわけでございます。ですから、学校側でもその内勤については相当の考慮を払っていただきたいと思います。ことに用人さんたちとお部屋が一緒でございます学校が多いものでございますから神経を使いまして、やはり用人さんが働いていらっしゃれば、私たちも手をあけているというわけにもいきませんので、そういうふうな点考慮をしていただきたいと思います。  それから私たち東京都の中にあって交通教育現場教育するただ一つ専門職だと思っております。そして私たちは私たち立場交通の場に立って、こういう専任職という大事な仕事、もちろん事故なんかがありましても、私たちに責任がないとはいえ、そういう場に居合わせた私たちの心情というものは一番感慨深く、非常につらい立場になるわけでございます。ですからそういう立場にありますとき、また私どもがいつその犠牲者になるかわからないという非常に危険な場合、考えようによりましては非常に安全な職業であるにかかわらず、実際は危険な仕事であるということ、そういうことについても身分の保障ということを、私たちはぜひお願いしたいと思っております。これは私たち普通どういうふうな雇用体系になりますかわかりませんけれども、大体用務員さんあるいは事務補助あたりのような形態まで進んでいきたいと思っているのでございますけれども、大体私たちの手取りが九千円でございますので、一万五千円くらいの安定したものを持つこと、それから一たん事故にあっても、もし万が一私たちの命を捨てるようなことがあっても、残された子供たちのために、何かほんとうに法的なあたたかい援助があるということ、そういうことが大へん望ましいことだと思います。そしてまたこの仕事着眼者が、私たちの場合非常に教育的な価値が大きいと思っておりますので、教育庁であったら、私たちのこういう悩みもだいぶ違ってくると思うのでございますけれども、労働局において行ない——また考えようによっては労働局において行なって下さったからこそ、三十代から五十代という人生経験もたくさんある、そして年代の幅といい、また落ちつきといい、思慮分別のある母親的な愛情に恵まれた制度になったと思うのでございます。この年代でなければ味のある愛情子供に持てません。あまり若い方では非常に元気はつらつとしていいかもしれません。交通状況にはいいかもしれませんけれども、子供に対する思いやりというものはお母さんでなければなかなかできないことでございます。たとえば例を申しますと、学校の校庭の中でちょっとすり傷をしても、おばさん、けがしたのよと寄ってくる子供、それから朝行くと、おばさん、学用品買ったのだけれど、このお金預かっていてね、学校へ持っていって帰りになくすといけないからと言って毎朝預けていく、そういう子供信頼感というものは非常に仕事に励みになり、無言のうちに子供の励ましになって、私たちの職場に素直についてくる子供たちというものは、私たちのお仕事がどんなにつらくても、子供たちのためにという励ましになっているわけでございます。そういう愛情つながりというものは大へん大切なものだと思います。それでこのことにつきましてはいろいろな身分関係もございますでしょうけれども、そういう子供との愛情つながり、新しい対人関係ほんとうに命をまん中にして結びついたおばさん子供愛情というものについては、いろいろ私たち身分の安定上にも、そういうことが新しい制度になっていいと思うのでございます。  それから私たち警察においていろいろ訓練を受けております。けれどもそれだけでは、大へん今までのあれだけでもまだ足りないと思っておりますので、また週に一回とかあるいは私たち人間的な向上についても、ほんとうに心理的な教養という面について、もっと勉強していきたいという声が大きいのでございます。  そして私たちはこういう仕事に携わっております以上、精神衛生ということについて、その管理を完全にしていただき、朝に夕に身も心もすこやかに明るい気持で、町の中に立っていきたいと思うのです。そうして小国民道徳基礎作りに励んでいかれるような環境に置いていただきたいと思います。  私たちの二年の歩みは、大へん目に見えない大きな足跡を残しておると思うのです。小国民交通への関心を高めさせ、また命というものをどんなに大事にしなければならないかということ、そして自分たち運転手であった場合どういうふうにしなければならないかということを、無言のうちに子供の中に植え付けていることと思うのでございます。そしてそれは私たちだけの努力ではなくて、一般国民のあたたかい愛情、それから労働局警察教育関係方たちの示された愛情、そしておばさん指示に黙々と従っているかわいい子供たち、そういう大勢の方々からいただいたいろいろな目に見えない深い恩恵を心から感謝したいと思います。私たちはこの正しい愛情の中にあって、来る年も来る年も生まれてくる子供たち交通のセンスを体得させるために、今までなかった新しい教育現場で行なう仕事をいたしております。私たち人間の最も大事な命を守る尊い代事に携わっております。これは子供たち先生よりも親近感を与え、そして人命ということを中心とした子供たちとの愛のつながりは、ほんとうに美しく、清いものなのであって、少なくとも私たちは、学校においては、先生以上に心の友だちであり、また用務員さんでもなく、新しい立場であることを、うすうすながら感じて参っております。  道路というものは、家の中にあるのと違って、外にありまして、横からも、上からも、前からも、うしろからも見詰められておるわけでございます。私たちほんとう東京都の中にあっては、ただの一片でしかないのですけれども、私たちが清く、正しく、そして美しく、やさしく、さらにきびしくなければ、東京都にとっては、これは汚点の存在になるわけであります。だから私たちは、今までに持ってきた人生経験の上に、さらに教養と正しい愛情を兼ね備えて、国際都市にふさわしい服装をもって、これからの子供交通事故防止の上に、そういう交通教育の面から協力させていただきたいと思います。  大へん言い足りないところや、いろいろとお聞き苦しいところがございましたと思いますけれども、一応この辺で私の話を終わらしていただきたいと思います。(拍手)
  4. 小澤太郎

    小澤委員長 次に稲葉参考人お願いいたします。
  5. 稲葉知之助

    稲葉参考人 ただいま紹介にあずかりました東武鉄道株式会社自動車運転手としております稲葉であります。本日のこの会合にあたりましてはわれわれが日常交通従業員として皆さんとともに生活をしている中で、お願いやあるいは意見やそういうものを総括して参考にしたいと思います。  まず東京都の発展が、現在どういうふうであるかというと、都心部においては全部行き詰まった状態にあります。そこでこの近在を見ましたところ、やはり荒川放水路以北地点が、ますます発展途上にあるのではないかと思います。その観点からいいまして、この荒川放水路にかかっております橋が非常に少ないわけです。西新井橋が完成いたしまして、それから千住新橋、今江北橋をやっております。それから堀切橋ただいまやはり木橋でございます。こういうような状態で、幾ら都心から各工場あるいは官庁をほかに移せと申しましても、そういった交通事情が悪いために、なかなかふん切りがつかないのじゃないか、こういうふうにわれわれは感じております。そういうことで、一つ国会におきましてもこれを取り上げて、都心部交通打開策一つとして、京北地区の橋梁をかけかえあるいは増設する、こういうことをお願いするわけでございます。それと、せっかく西新井橋におきましては、橋が完成いたしましたが、道路が依然として二・五メートルぐらいの非常に狭い道路を通っておるわけでございまして、せっかく大きな橋ができても、交通は依然として停滞する、こういう実態でございます。それで私たちは、今度やられます規制に関して考えますには、車両道路ということを考えていただいたならば、月一万台という増車認可するのが私ははなはだこっけいである、こういうふうに感ずるわけでございます。もちろん認可を受ける方はやはり死活の問題でありましょうけれども、大局的に見れば、やたらに月一万台の増車をしても、道路は依然としてそのままである。こういうところに一つ混雑原因があり、あるいは交通事故が生まれるということが言えるのじゃないかと思います。そういうことで、まずこれを認可すればするように——歩道が昔のままで非常に広くて車道が狭いという現在です。そうすると、そういうふうに月一万台の車両認可したとすれば、おそらく東京都の車両が百万台になるのは間近かじゃないか。そういうふうになるということは、一般に車を利用する人が多くなった。文明人のたしなみといいますか、車を使う度合いが非常に多くなった。その反面、歩く人が少ないわけです。私もここをちょっと通ってきてみますと、歩いている人はほとんどおらないと言っても過言じゃないと思います。繁華街におきましても、デパートの付近の場所は違いますが、そのほかにおいては歩道が広いまま放置されている、歩道が利用されていないということを私は言いたいと思います。できれば、歩道を狭めて車道を広くする、これも一つの策じゃないかと思います。  それからもう一つは、ちょっと前後しますが、認可の場合に車庫のない車両主に対して認可をするから、それで道路に放置されている車が非常に多いわけです。広い道路ならいざ知らず、狭い道路に放置されておったならば、当然これも混雑一つ原因になる。こういうことを一つ指摘して、認可する場合は必ず車庫のある車両主認可する、これを強く要望しておく次第でございます。  それからもう一つは、先ほど緑のおばさんがおっしゃいましたように、学童交通教育、これは新聞紙上にも出ておりましたが、これは私たちから見ればおそきに失したのじゃないかと思っております。戦後こういう平和状態になって、やはり交通量が増大するということを考えて、もっと早く児童に対する交通道徳教育をするのが至当ではなかったか、こういうふうに感ずるわけです。最近学童の方は、先ほども言われたように緑のおばさんたち人間関係でつながって非常に守っておりますが、おとなのわれわれが、ややもすると子供に教えられるようなことをしでかす、こういうことが非常に多いわけです。私もバス運転していると、バスに乗っていて、前の方を自転車を乗った方がふらふらしてよけないでいる。そうすると、中に乗っているお客さんがあぶないじゃないか、よけた方がいいじゃないか、こういうことを言うのですが、そのくせ、その方が停留場に下りると、もうバスの中で言ったことも忘れて、バスの前をうろちょろしてよけない、こういうような状態が非常に多いわけです。ですから、やはり学童教育ということも必要でありましょうが、おとなの方も、自転車に乗る方もともに何らかの形をもって教育をした方がいいのじゃないか、こういうふうに私は思うのです。  もう一つ鉄道敷設法というのですか、これは私も法律はよく知らないのですが、聞くところによりますと明治の初期にこれが施行されたそうで、もし間違っていたらあとで教えていただきたいと思いますが、そういうことで、おれは鉄道なんだという気持というか、優先権というか占用というか、そういうふうな思想があるやに聞くのですが、そのために今もってそういう観念が強く、鉄道占用といった昔からの意識が強いために、鉄道を敷く場合立体交差なども作らずにばっと敷いてしまう、そういうことも一つ考えていただきたいと思います。そして、踏切の立体交差をすれば、都内にも非常に踏み切りがありますが、これも一つ解消されるのではないか。東武鉄道においては墨田地区を立体交差するような考えを、この間新聞にも発表しておりますが、そういうことでおいおい、そういう立体交差により、踏切の渋滞というものもなくなると思います。  それから、今度はわれわれ運転手の質を考えてみますと、今度は大型車運転を二十一才に引き上げるということが出ておりますが、まあ是非の論はお互いにあると思うのですが、やはり長年の経験からいいますと、われわれが免許証を取る場合は、二年なり三年なり助手を勤めて、働くかたわら、運転を修得して、それも一回で合格した人はないと思います。大がい二回、三回、もうねじりはち巻で勉強してやったものです。それと一緒に、そのときそういう苦しみをしてやることが一つ運転道徳を身につける、いわゆるその技術と法規というものを身につけるのが最低でも二年、三年かかったわけです。そういうようなことで、現在のような大型車の免許については、われわれが実際に免許証を取るのは二十四、五ぐらいになった、早い人でも二十三ぐらいではなかったかと思います。そういうふうにして、年令も自然に二十五才ぐらいに昔でもなっておった。そういう意味で、やはりこれを引き上げるということも、いろいろ賛否はあると思うのですが、そういう道徳教育あるいは技術方面を修得するということは、教習場で二十四時間の運転時間ぐらいでは、やはりなかなかできないのじゃないか。これですぐ免許証をもらってちまたに出ると、法規を忘れて、その辺でごちゃごちゃを起こすという危険度が非常に多いのではないか、そういうふうに私どもは考えております。できれば——われわれから見れば少し安易に免許証が取れるのじゃないかという気がしますが、やはり相当な年数を経て、初めて技術者として合格して非常にうれしさがある、その誇りを持つのがやはり事故をなくする一つの道ではないかと思います。  それから、これは特に警察官の方にお願いするのですが、小型車のミゼットとかオートバイ、そういうのがわれわれから見ると非常に無謀運転が多いのではないか、こういうふうに見えるのですが、これは相手が非常に小さいですから、どこでもかまわず車の間を縫って出る、そういうために非常に接触事故や思わぬ学童をひっかける事故を起こす、そういうのが多いと私は思っております。そういうことで、この小型車についても教育をする必要があるのじゃないか、こういうふうに考えております。  それから、もう一つ運転者事故を起こさないでやるというのが、これはおそらく全運転者が、おれは事故を起こさないんだという自尊心を持ってやっていると思うのでありますが、その中でどうしたら事故を起こさないで済むかということにちょっと解れておきますと、やはり法規を守るということが一番事故に、あるいは違反にかからないことだと思います。それについては、いわゆる警察官の方たちの指導をお願いしたい。いわゆる駐車禁止の札がかりにあるとすると、そこに駐車なんかされている、放置されていても、警察の方がそこを通っても、管轄が違うのか何か知りませんけれども、そのままになっておる。そういうようなことで、運転手側としては駐車禁止の札の前にとまっていて、おまわりさんが来ても何とも言わないで行っちゃったから、このくらいのことはいいのだろうというような気持、この小さな気持がやがてはスピード違反、このくらい出してもいいのだろう、それからこの間出た法案ですけれども、割り込みをやってもおまわりさんが何も言わないから、これもやってもいいんだというような気持があるのじゃないか。非常に私たち運転手の仲間からもそれを指摘したいと思うのであります。そういうふうに少しの法規違反、そういうものに対しては一応指導してもらって、そういう小さい問題から気をつけるように運転手にしむければ、運転手違反が少なくなる、こういうふうに私は思っております。  それと運転手に対する表彰ですが、これは東武鉄道においては十年、十五年、二十年、二十五年、こういうふうに無事故の表彰規定があって表彰しております。  それと地区の警察、あるいは警視庁交通部長とか、こういうふうに表彰がありますが、私も三十五年に交通部長の感謝状をいただいておりますが、そういうようなことで一つこういうことを、もらう側が言ってはいけないのですが、やはりもらった人の気持のうれしさというか、おれはやはり事故なく運転してきました、おれは表彰の上に立って、やはりみんなの上に立って事故を起こさないようにやるんだ、そういう気持が多くわく、こういうことも交通事故防止一つにもなるのではないかと思っております。  それから緑のおばさんに私たちからお願いすることは、全部が全部そうではないのですが、はっきり旗を出す、あるいは笛を吹く、そういうけじめをやってもらわないと、運転手としてはあわてた時間、バスなら時間だし、貨物輸送している人は時間がおくれるということがあるのでありますから、やはりお互いに忙しい中でありますから、それでとめる場合は、やはり旗をはっきり出してもらうとか、あるいは笛を吹いてもらうとかしてもらいたい。それをうやむやにやると、通っていいのか通らなくていいのか非常にとまどうわけです。そんなことでそのまま突っ込んでしまうというのがあるのではないか。新聞紙上や何か見て、また私どももそうことに二、三ぶつかっております。やはりはっきり旗を出してもらいたい、こういうようなことを緑のおばさんお願いしておきます。  それで、これは私の持論でありますが、私も神様でない以上は、あしたにも事故をやるかもしれませんが、今まで私が運転者として——東武鉄道では八年九カ月ばかりですが、その前からずっとやっておるのでありますが、事故という事故は私は一回もやったことはありません。ただその中で私が日常気をつけているということは、いわゆる菜食主義者と肉食主義者というふうに分けて、動物園に行って皆さん見ていただけばわかるのですが、いわゆるワニとかライオン、ああいう肉食動物は非常に気が荒らい。逆に馬とか牛とか、あるいは象、こういうものは塩とぬかと、あるいはわら、そういうようなもので非常に従順で温厚な性質を持っておる。こういうようなわけで、私は、西新井警察の安全の方にそういった事故を起こした人の好ききらい、肉が好きかあるいは魚が好きか、野菜が好きか、こういうようなことを一つ調べてくれぬかということを一応言ってあるのですが、とても実行できがたいのですが、私のあれとしては、そういうふうに菜食をやることによって人間が従順になる。それというのは肉食者はどうしても活動的になりますから、車に乗ってばあっとやることはいい気持になる。菜食をしているとそれがなくなって温厚な気持で、いつも軽い気持で、あぶなければとまるというような気で走っておる、そういう性質が作り出されるから事故もないのじゃないか、こういうふうに私思っておるわけであります。これは一つの私の持論で、何年か後に何かできれば幸いだと思っております。そういうことをつけ加えておきます。  もう一つは、運転者のいわゆる労働時間、これがトラック業者あるいはバス業者、円タク、それぞれ変わっておると思うのですが、バス事業におきましては、労働組合と会社と交渉して一応勤務時間を作りますので、東武鉄道においては今のところ無理な運行ではないと思いますが、他の業者はわかりません。そういうことでどうしても労働時間——現在では混雑しておるから労働時間をきめても守られない状態であります。朝五回走るところは三回になっちゃう、自然そういう交通の煩雑のために規制されておる状態でありますから、労働時間の苛酷ということはないと思います。  大へん取りとめのないことをお話しいたしましたが、これをもちまして私の意見といたします。(拍手)
  6. 小澤太郎

    小澤委員長 次に舞田参考人お願いいたします。舞田参考人
  7. 舞田正好

    舞田参考人 ただいま御紹介いただきました滝野川第二小学校長の舞田正好でございます。与えられました時間が十五分というお話でございますが、できるだけ重点的に十分そこそこでお話し申し上げ、いわゆる教育的な学童交通教育をどういうふうに持っていったらいいかという点を、いろいろ委員諸公にお願い申し上げたいという考えでございます。  昨今の交通事故の現況はもう目に余るものがございます。昨年一カ年の統計でも、月平均百人が死んでおるような状態で、ことしの一月二十二日に全国の交通安全中央大会でもお話し合いが持たれまして、この問題を国民運動として展開していく、けさの新聞にも出ておりますけれども、そうして広く交通道徳の徹底をはかるからには、やはりわれわれ子供をお預かりしておりますところの、ことに初等教育におきまして、今後の社会人、日本人にこうした教育を徹底していかなくちゃならないのじゃないかということを考えておるわけであります。そう考えまして、現況はどうなっているんだろうということ、これはお考えだと思いますし、われわれも一応一般的な問題として申し上げる必要が出てくるんじゃないかと思います。  学校における安全教育でここに書きましたが、これは私の学校の紹介ではございません。大体私も先般教育庁の指導部に六年間、指導主事として全都を歩きましたので、そういう関係で、お預りしている学校ということじゃなくて、全都がどういうような考え方でいるかということは、うすうすわかるわけです。現在私のお預りしている学校のことでございますが、これは奉仕部と申しまして、いわゆる特別教育活動を行なっております。つまり教科研究、道徳、特別教育活動、学校行事とありますが、いわゆる教科外活動として、クラブとか奉仕とか、そういう面で子供の実践活動ができております。私の学校で申しますと、後ほど御紹介申し上げますが、交通部があります。非常に珍しいというか、一つお聞きおき願いたいことは、そのほかに図書部も園芸部もありますが、おそらくここにお集まりの方は子供さんをお持ちで、いろいろ親御さんとしての気持も強かろうと思いますが、これはかなり地域性もありましょうけれども、私のところは中仙道の街道でものすごいラッシュで、西巣鴨の交差点で踏み切ってくるのが、ほとんどの子供でございます。そういう関係かもしれませんが、交通部に子供が率先して入りたいと申します。それをいろいろ図書部とかよその部へ振り分けるのは容易なことじゃない。これは子供もそういう地域性ということで、このごろの子供というものは身をもって体験しているというのですか、そうした面から、交通の問題を研究したいという意欲があるということは一般的に言えると思う。それなればこそ、いわゆる学校教育の面から指導者の面から、あるいは行政の面から、現在のままでいいかどうかということを、私はいつも考えておるわけであります。くどくどいろいろ御説明申し上げる必要はないと思います。  そのほかに、いろいろ先ほどからお話が出ておりました、いわゆる道徳の時間、一週一時間ずつ、これは厳然としてございます。さらには御承知のように、小学校の指導要領で示されております中の社会科は、年間一年では六十八時間、六年生へいきますと百四十時間、あとずっと省略いたしますが、低学年だと一週二時間、六年生では社会科で四時間、そのほか道徳は御承知のように一週間一時間ずつを各学年でとっております。今までの交通教育というのは、どういうところで行なわれているかと言いますと、やはり社会科の中で、たとえば交通の移り変わりとか、あるいは車両状態、つまり動態、移り変わり、そういった面なども子供らが研究していく。それと同時に、こういった特別活動の委員会で、たとえば道の歩き方とか、あるいは横断歩道の横切り方とか、そういう点について自主的にそうした交通教育が行なわれているわけです。もちろん道徳の時間におきましても、カリキュラムの中には、交通規則を守ろうとか、そういう問題はございます。しかし結論的に申しますと、きょうお集まりの方方が御関心を持っているように、私が申し上げるまでもなく、この車両増加と同時に、この交通の問題において全く無防備状態そのものにある幼児、学童、生徒、そういうようなものが、ほんとう学校の行き帰りというものを、どういうようにしているか、全くりつ然たるものがある。そういう面はいろいろ他に要望する、たとえば運転手諸公に要望するものもあれば、警察当局に要望するものもあるけれども、やはり学校の当事者としては、交通科というものを正課として置くということもいろいろ出ておりますけれども、これはわれわれとして勝手にできないことですし、国としてのいわゆる八教科と言われるものがございます。これにたとえば交通科という一つの科を設定するということは大きな問題でございますが、将来はやはり一つそうしたものを設けて、学年段階に即応して、そういう一つの課程を履修するというように徹底しなければ、社会人として少なくとも大都市——いなかの問題もございますけれども、大都市に生きるところの児童、生徒、まあ高等学校あたりの問題もございますけれども、何らかの方法をもって、国としていわゆる交通科というものを設ける必要があるのじゃないか、現在としては社会科の中で行なわれておりますけれども、非常にこれは低調でございます。少なくとも社会科の中で何時間は交通に対するところの内容を履修しなければならない。そういう具体的な問題まで持っていかなければ、とうてい私は今後の問題は考えられないので、そういうことを私は考えたい。あと、くどいことは申しません。  それと今、緑のおばさんの方からお話がありましたけれども、御承知のようにこれは労働局の方から話があったもので、あの当時、失礼な話ですが、労働局の方から日雇いとして、そうして学校子供管理までいきませんけれども、めんどうを見るということでありました。それだけのあれがあるだろうかといろいろ疑義を持ったのですが、現実の面といたしましては、これは今、緑のおばさんからお話がありましたように、非常に教育効果を上げておるのでございます。ほんとうに切々としてお話があったようですが、涙ぐましい一つの働きであります。しかし、それに関して後ほど御質問があり、あるいは緑のおばさんから御回答があるかと思いますけれども、日給三百七十五円、そのほかに健康保険を引くと手取り三百六十円、そして五時間立つ。朝登校を迎えて、私の学校で申しますと、全学年で行きますが、低学年が帰ります場合は、何時間目かまでは必ず歩道で立って見てくれるという状態で、非常に効果を上げて、父兄からも信頼されているのが一般的な状態でありますので、何とかしてやりたいというように考えておりますが、管轄が違うわけであります。具体的な問題としては、たとえば上に着ている衣服も貸していただくのだそうです。この寒さで、通りに立つのにズボンなどもないのでしょう。私のところの緑のおばさんもそれを私に訴えられたのですが、私に訴えられてもどうにもならない。寒風骨を刺すようなときに、街頭に挺進している皆さんの全身の防寒具がない。貸し与えられている状態です。はたしてこれで国の当局としてはいいかという問題がある。これは緑のおばさんに頼まれたわけじゃないのですが、その身になって私はお願い申し上げたいのです。そのほかいろいろむずかしい点があろうと思いますが、そういう点を御賢察いただきたいと思う。ほんとうによく効果か上げております。また技術の面においては警察御当局が非常に技術指導をしております。今お話のように、ほんとう先生方以上に子供をよく知っていて、あの子はよくおくれてきます。忘れものを取りに帰ります、あぶないから注意して下さいといって、われわれのところにも来ます。ほんとうによく勉強しております。ほんとうに容易ではございませんが、日雇いでございます。それだけに考えてやっていかなければならないというように考えております。  それからもう一つは、地域によりますと、警察交通関係の方が非常に密接な連絡をとっているということは、われわれとしては感謝申し上げる。滝野川署の例においてもそうでございます。必ず緑のおばさんと私どものPTAのお母さんが出ます。子供も奉仕活動として三日出ます。その一日は三十分でございますから、決して子供の負担はないと思います。しかしできれば子供は避けたいと思いますが、これも一つのむずかしい問題でございます。お母さん方と緑のおばさんと、それに警察の方にいろいろな面から出ていただいておる状態でございまして、これも感謝申し上げます。これは地域によりますけれども、警察官の方に御苦労でありますが、今まで以上に登校——下校までいかなくても、ぜひ見ていただきたい。これはぜひそういうように線を一つ引いていただきたい。緑のおばさんはよくやっております。先生方も、緑のおばさんが出る、警察が出る、あるいはお母さんが出るから出なくていいという先生はいないと思う。先生方が出なくてはおかしいと思う。われわれの方でも、ほんとう子供を守るために、勤務時間以外に輪番に街頭に立って子供を迎えております。こういうような現況であります。  要は、先ほど言ったように、教科として交通科を設けて、もう少し教育内容を具体的に踏みしめていくという教育的な措置の問題、それから緑のおばさんに対する一つの考え方、なお私の学校におきましても、警察とPTAと教員とが一体となる学童交通安全委員会という仮称でございますが、これをもちまして、いろいろなプログラムを作成し、実践に乗り出しておる次第でございます。なお、これは滝野川警察調べの三十六年中の全体の死亡ですが、それに対して学童の死亡一人、一〇%、重傷は全体が八十二人に対して学童十六人で一九%おそるべき数であります。私のところにおきましても、一年入学早々、昭和三十三年五月ごろでございましたが、横断——集団登校いたしております。そういう地区で集団登校というのは、ぜひしなければならない問題だと思います。昔の集団登校ではございません。そういった面で集団登校しながらも、高学年に連れていかれながらも、年少者の運転するオート三輪が暴走して参りまして、ランドセルが散らばり、そこで命をなくしたのであります。その他この近くにおいてもいろいろございましたが、今運転手諸公からもいろいろなお話もございましたが、そういう問題についても十分御賢察いただきたいと思います。  大型バスの乗り入れ禁止、これは四時から六時までですから、そういうことが新聞にもありましたので、ちょっと見ての感想でありますが、私は学校立場から思ったことですけれども、たとえば都電に乗り、また省線に乗りかえてという、お子さん方が楽しんでおります校外教育、校外学習、これは決して派手とかどうとかということではなくて、学校の前から出て、また学校へ連れてくる。低学年にしろ、高学年にしろ、これは学童バスを使っての安全教育だと思う。バスのひっくり返ることもございますが、都内ではそういうことはないのでございます。そういう点で四時から六時まで大型バスが、内容は知りませんけれども、もしそういったようなことになりますと、子供たちが遠足でバスを使いまして帰ってくるのが、学童の負担というものを考えまして、せいぜい四時から六時までで、それ以上七時、八時ということはない。一般の観光とは違います。そういう点で、私はこまかいことはわかりませんけれども、学童なり生徒なりが、そういった大型バスを使った場合の時間的な措置、これに対して行政当局も十分御研究いただかないと、かえって事故を増す、あの市中を何百人の子供をわずか三人か四人の先生が、ほんとうに死にもの狂いです。私はある意味では英雄行為だと思う。決して英雄ではありませんから、こんなことを言ってはおかしいですが、学童何百人かを三人か四人の先生で連れていって、連れて帰る、それがあたりまえな話ですけれども、ほんとうにこわい。けれども私たち子供を守るために懸命になっておる。そういう意味から決して派手や流行でなく、バスをだいぶ使っております。そういう意味で御研究いただけばありがたいと思います。  ちょうど時間でございますので、あとで御質問にお答えいたします。ほんとうにありがとうございました。(拍手)
  8. 小澤太郎

    小澤委員長 次に松岡参考人お願いいたします。松岡参考人
  9. 松岡純夫

    松岡参考人 ただいま御紹介いただきました松岡純夫と申します。私は株式会社田島商店に勤務いたしまして十五年間、砂利運送の運転手として、多摩川あるいは相模川あるいは千葉県野田、遠くは鬼怒川の方に参って砂利、砂を都内もしくは都内近郊に運んでいるものです。それにつきまして砂利運転手の勤務、神風運転等が新聞、ラジオ等で言われていますおり、どうしたらりっぱな砂利運転手として世間の皆様に信頼していただけるか。また運転手の向上のために一言申し上げたいと思います。  現在われわれの勤務状態と申しますのは、私の場合は野田まで二回です。それを一日の日程としております。大体朝八時ごろ出て参りますと、片道二時間、多いときは三時間、四時間かかるのです。また特別の場合ですけれども、六時間かかったことがあるのです。そうして六時間かかって行きますと……。     〔「六時間もかかったら疲れるというわけでしょう。」「辛いところとか、どういうところが悪いとか、あるいは経営者が無理を言うとか、いうことを楽に言ってもらったらどうですか。」と呼ぶ者あり〕
  10. 小澤太郎

    小澤委員長 おすわりになって、一つ気楽に何でも話して下さい。
  11. 松岡純夫

    松岡参考人 事故防止としまして私の思うには、免許証をとると、砂利トラックにはすぐ乗れるのです。普通でしたら見習い期間とか何かありまして、二カ月とか三カ月余裕をおきまして、腕がなれてからやるというのが普通なのでしょうけれども、砂利トラックというのは、すぐにでもできるのです。それだから結局二十、二十一の方が若さにまかせてふっ飛ばす、信号がまだ青だから大丈夫だろうなと言いまして、青が黄色になりますと、そうした場合に、やっちゃえというような気になって事故を起こす場合があるのです。それから採取場に参りましても——今まででしたら、多摩川は私の方から十キロそこそこでした。ところが今は相模川、遠くは山梨、鬼怒川、栃木の方まで行くのです。そうした場合片道少なくとも五十キロ、六十キロあるのです。五十キロ、六十キロといいますと、最低二時間かかるのです。二時間かかりまして一日一回半ないし二回東京に運びますと、車を動かす時間だけで労働時間を費やしてしまうわけです。山の方に行って機械が故障した、あるいは積むのに車がたくさんいた、そうした場合に時間がなくなるので、そういうのはまるっきりわれわれ運転手疲れるといいますか、自分で余分な時間をオーバーして働くわけです。  それから安全運転ですけれども、これは私が実際に感じ、また見たままを申し上げます。現在私の乗っております車はいすゞの五一年型、六トン車のダンプカーです。そうしてうしろに「安全運転」と書いてあります。なぜ「安全運転」と書いてあるかと申しますと、これをうしろ方々が見て、安全運転と一目見ていただけば、ああ安全運転をしなくてはいけないなとかどうとか、若干考えていただけるかと思って、そう書いたものです。そうして実際われわれが前の車を見て、「安全運転」と書いてありますと、ああ安全運転をしなくてはいけないと思って、よく自分でスピードを出していた場合でも、心にとがめてスピードを落として安全運転をいたします。  それから先ほどもおっしゃいましたが、単車とかミゼット、あるいは小さい軽四輪ですけれども、あれは、われわれが走っていまして、前へちょこちょこっと出入りするものですから、非常に影響を受けるのです。影響と申しまして、われわれが受ける影響は心理的なもので、ちょっとびくっとしますと、しばらくの間心臓がどきどきして冷汗をかく。現在もそうなんですが、冷汗をかきます。(笑声)  大体ダンプカーの運転手はそのくらいです。あまりりっぱなことは言えなくて申しわけないのですが、あとで質問をいただいたときに申し上げますから、一つこれでかんべんして下さい。(拍手)
  12. 小澤太郎

    小澤委員長 次に、今野参考人お願いいたします。
  13. 今野源八郎

    ○今野参考人 道路交通の安全、そうして自動車交通を能率的に流すために、どういう対策があるかということにつきまして、先生方は御専門で、すでに御研究あそばされ、対策をお持ちでございましょうから、私つけ加えて申し上げることがあるかどうかと思うのでございますが、私、学者として日ごろ考えておりますことを申し上げまして、いささかでも御参考に供すことができれば幸いだと思います。  申し上げるまでもなく、自動車交通は、大都市の都市としての機能を営むために必要なものでございまして、それを制限するということはやむを得ず行なうことだと思いますが、制限あるいは交通規制をせざるを得ない状態ということは、非常に残念な状態でございまして、できれば自動車を自由に使う都市が理想的な都市であろうと思います。よい都市ということは、やはり生活がしやすくて、衣食住が安く、そうして便利で住みよいということになりますので、乗りものが非常に能率的に私たちの生活あるいは生産のために使える都市ということになるのでございます。  それで、対策を立てますのには、なぜこういうふうな状態になったかという原因を考えてみなければならないと思うのでありますが、原因は、言うまでもなく、道路東京あるいは大阪の場合著しく古めかしい旧式な道路であるということでございまして、自動車時代には完全に陳腐化して、機能的に自動車交通を、能率的に流すだけの道路でない、構造的に無理である。それでやむを得ず、うわべの交通流れを、右に曲がるのを禁止したり、左に曲がるのを抑制したりして、何とかして筋を持たせようということだろうと思います。そういうふうな道路の構造及び道路に関連した施設その他の物的な面での不完全さ、こんな不完全な都市は、世界的に非常に珍しいと思うのでございますけれども、今日まで放置したその結果がこうなったということでございます。  もう一つは、自動車時代、自動車文化時代、特に高速自動車の文明と申しますか、文化に浴し得るための私どもの人間関係と申しますか、秩序あるいは交通道徳というものについての私たちの自覚なり教育が徹底していない。これは自動車運転者だけではございませんで、一般歩行者国民全体の高速度交通機関に対する常識というものが、残念ながら西欧社会ほど発達しておらないということだろうと思います。どちらかと申しますと、そういうふうな精神的な面、あるいは自動車時代に相応した現代的な道路交通法というものの体系が、今作られつつあるというふうな、そういう後進国としての法的な問題、私たち道徳的な問題あるいは関心、そうしてそこに道路が不完全であり、そうしてただ経済的な要求によって急いで走るということから、こういった事故が起きているのではないかと思いますが、自動車精神的な事故原因ということにつきましては、申し上げるまでもなくドライバー——私も運転者でございまして、二十年来道路を使わせていただいておりますが、やはり運転者というものは、私たち国民の税金で作ってもらった道路を使わしてもらっているという気持が、はたしてどの程度あるのか、使うことの権利は主張いたしますけれども、義務というものについての自覚がそれほどないのじゃないかということでございます。  もう一つは、国民あるいは一般歩行者は、自動車というものは自転車と同じように、ブレーキをかければ、すぐにとまるというふうな考え方でございまして、自動車に関する技術的なと申し上げるほどのことでなくても、常識的な知識、そうして交通道徳というものを知らない。一方では非常にむずかしい試験をしておりますけれども、同時に交通道徳というものが、日本のように教育の中に入っていない国も珍しいと思うのでございまして、これは文部省にお願いしまして、ぜひ、私、できますれば義務教育あるいは付随した課外教育でもよろしいのですけれども、そういうふうにしていただきませんと、運転者だけの心がまえでは防げないということがあると思います。そういう意味で、やはりなるべく最大多数の国民運転についての知識なりモラルを知っているということが、交通事故対策として大事なことだと思いますけれども、何か道徳と名のつくものは一切教えられないというようなことであるそうで、それでは行儀でけっこうでございますから、そういう秩序なり行儀、交通秩序というものを、ぜひどこかで教えていただきたい。同時に、試験制度につきましても、そういうものを教えていただきたいということをお願いしたいのでございます。  さて、物的な、つまり道路施設がそんなに不完全か、りっぱに舗装した道路があるのではないかと、大方の方はおっしゃると思うのでありますけれども、しかし、自動車を安全に流すためには、やはり交通工学的なルールに合った道路でなければならないということでございまして、自動車事故の起こる原因と申しますと、大きく分けて四つあると思いますけれども、それは川の流れと同じことでございまして、水力学的のプリンシプルで説明できます。つまり交通流れ、トラフィック・ストリームということでございまして、水の流れと同じで、同じ方向に向かって流れ流れの間で摩擦が起きる。これは、自動車の幅、大型車なら大型車を考えまして十分な車線をとりまして、その間に車線を守らせれば、こういうふうな同じ方向に向かってぶつかって起こる事故はなくなるということが一応考えられる。事故を起こそうと思えば起こせないことはない。一応そういうことになりますが、もう一つは、反対の方向から来る流れの間において起こる摩擦であります。こういったものを防ぎますためには、まん中に中央分離帯——不完全ではございますけれども、横浜の新道、あるいは最近第二京浜でもそういうふうなものをお作りになっておりますけれども、狭いところへ無理してお作りになっているといううらみがございますので、できますれば道路を広げて、そういうところへ中央分離帯を置いて下されば、反対方向から来る事故というものは最小限度に防げるわけです。ましてアウトバーンや、アメリカの最近の高速道路、あるいは日本の名神で今作っておりますように、中央分離帯に三メートル程度の幅を持たせますと、そういう反対方向から来る事故というものは、ほとんど防げると思います。  第三は交差点において東西南北から来る交通流れの間に起きる摩擦でございますが、これは立体交差にする。本格的な立体交差でなくとも上下にして流す。祝田橋その他でお作りになることが発表されておりますけれども、そういう四つかどで起きる事故は、立体的に交差させることによって摩擦を起こさせないようにするということが一つであります。  もう一つ道路の端で起きる事故でございまして、電柱がありましたり、どぶがありましたり、ごみ箱まで御丁寧に置いてある。自動車事故を起こさせるような条件がそろっている。あるいは人道と車道の間の区別がないから人間自動車がぶつかる。そういう道路の端で起きるマージナル・フリクションというものがございます。これはちょうど川がはんらんいたしますと、人の家にぶつかったりするのと同じことであります。交通工学と申しますか、トラフィック・ストリームを水の流れのように流すためには、やはりどうしてもそういった規格の道路を作るということと、少なくとも道路の幅を広げるということと、立体交差ということはぜひ必要なことであります。しかし、日本の道路を見てみますと、そういう規格の道路でないものが多いわけでございまして、たとえば四つかどを見ましても、四つかどに商売を繁盛するといって、だんだん高い建物を建ててくる。見通しがきかない。多少申しわけ的に三角に切りましても、前に背の高い荷物を積んだ車が来たりして信号機も見えないという状態でございまして、東京でも大阪でも、都市の近郊は交通事故が起きるような条件が非常によく整っている。これは、病気になる条件が整っているところで、運転手自分の注意でそれを何とか避けていっているというのが現状であり、歩行者もはらはらして歩いているということでございます。従いましてそういう道路を作るためには、やはり本格的には高速道路を作っていただきたいということでございます。もう一つは、精神的な面で私たちもう少し思料し、公共の福祉に対する責任感をほんとうに持つということが大事なことだと思います。そんなことはわかっている、しかし、どうしてそれではそういうことができるのだ、できないからやむを得ないのだというふうな御意見が強いわけでございます。もちろんすぐ応急的な対策として交通規則をやるとか、交通道徳を強化すると申しますか、普及させるとか、あるいは試験制度についてもそういうことを考慮する。そういうことは、金のかからない、法令をいじったり、あるいは教育的なことでできることでございますが、それは第一段階にぜひやっていただきたい。  同時に、並んでやっていただきたいことは、東京都の交通を例にとりますと、あらゆる交通機関があります。まるで展示会のようにございますけれども、どれもこれも満足に走っていないということが言えるのではないか。そういう点でどうしてもこれを近代的な高速度交通機関というところにピントを合わせて整理していただきたい。私は、第一に取り払うのは路面電車だろうと思います。路面電車というものはいろいろな利害関係がありまして、とりたくないという方もございます。それはよくわかります。取り払ってはならぬという理由の一つに、あれは安いじゃないかということをおっしゃいます。もう一つはたくさん人間が積めるということであります。しかし、一番安いのは歩くことでございまして、その次に安いのが都電であり、都電と同じくらい安くできるのはバスだと思います。安いから歩けとか、安いから都電に乗れといっても、私たちの所得が増加し、経済生活が忙しくなってきて、一人当たりの生産性が高くなって参りますと、歩いている人がなくなるのと同じような意味で、外国では都電なり市電がなくなってきている。もう一つ市電の欠点は、市電だけを考えると経済的でございますけれども、道路全体のキャパシティを最も有効に使うということから考えますと、これがじゃまになる。じゃまになるのはどうしてかと申しますと、だんごになりましてあとから来た車がこれを追い越せない。申し上げるまでもなく、狭い道路のまん中で鉄道とか電車が乗客をおろしたり乗せたりしているということは、馬車時代のいわゆる馬車鉄道のなごりでありまして、狭い道路のまん中で、ああいうのんきなことをさせておくということは、普通では考えられない交通の政策だと思います。でありますから、それでは取り払ったらどうするんだという心配は、われわれの仲間にも多いのでありますけれども、やはりバスを流すことだと思います。今はバスも五分間隔、十分間隔、都電も十分間隔で流すが、停留所が違うので、われわれはあっちへ行ったりこっちへ行ったりしていなくてはならないということで、やはりロンドンやニューヨークのように、バスならバスを二分間隔、あるいはもっと詰めて、中央線のラッシュのように流す。バスを待っておれば、必ずエスカレーターみたいに乗れるようにすべきであって、何もかもあるけれども、どれもこれもそこに来ないということでは困る。バスをどうして増発できないんだということを聞きますと、土地がないから操車場ができないといいますけれども、バス会社は何も道路だけを操車場にお考えにならなくても、自分でお作りになってもいいし、デパートを作るくらいの資本があったら、そういうことをするのは当然の義務だと思います。そういう点で、バスというもの、地下鉄、国電、私鉄でもけっこうですけれども、いなかに鉄道をお作りになるようでしたら、ぜひ第二の山手線でも第二の中央線でもお作りになって、これだけの通勤者をあまり苦労させないで、どんどん運ぶことを実現していただければ幸いだと思います。  もう一つ道路を外国で作っておるのに、日本でなぜ作れないのかといいますと、国が小さいというお話でありますが、ベルギーもオランダも、日本より小さいのでございます。イタリアも日本と同じくらいであります。もう一つは、用地を買収するのに費用がかかるということで、資金の問題がある。用地買収に伴う法律がありますけれども、非常に近代的な意味では弱いと申しますか、所有権の絶対を主張しておるということで、農地改革をおやりになった政府の伝統がありますが、何も土地の所有権というものは、公共のためにやむを得ない場合は制限する、あるいは使用権を制限してもいいのではないかと思います。これは関連した問題であります。  そこで、青山学院の前あたりでおやりになっていらっしゃるように、市街地にげたばきの住宅を商店街の裏側に作って、できたらそこに入っていただくようにして広げることが一つ。もう一つは、根本的には都市の再改造公社と申しますか、シティ・リデヴェロップメント・コーポレーションあるいはエージェンシー、要するに都市の混雑地域であまり高層建築のないようなととろは、都市の再開発を計画していただく、その中で通路を広げるということだと思います。そういうふうにしていただきたいと思います。住宅公団というものがあって、私たちのために家を作ることをお世話して下さいます。同時に国がもう少し公共用地を造成していただくということが必要だろうと思います。外国でやっておることで日本ではできないというはずはあまりないのじゃないか、国柄にもよりますけれども、大体においてそういうふうになっておる。  もう一つは資金の問題でございますけれども、ガソリン税だけを値上げしておやりになる。日本のガソリン税の体系というものはアメリカなりヨーロッパから見ますと、大体二十年くらい前のシステムでございます。一般的にガソリン税の税率を上げるという気持でございまして、それもけっこうですけれども、ガソリン税と自動車税というものが二元的になっておるということは、どっちかと申しますと古い体系でございまして、どうしてもガソリン税を道路の使用税として考えていただきたいということになりますと、道路を利用する時間と、スペースというものをウエートにとって考えていただきたい。そうしますと、重量車に対して税金をやはり多少重くかけていただくということによって、ある程度財源もできますし、それから道路というものの生命はほとんど三十年、五十年のものでございますから、今のタックス・ペイアーだけにそれを支払わせるということも不公平でございまして、ある程度の債券なり、健全財政の許す限りにおいてそういう金融措置、道路公債もけっこうだと思いますが、将来の受益者が負担することを考えますと、資金計画が立たないことはないと思うのであります。ちょっとここに古い写真でございますけれども、ボストンの写真がございます。これはボストンの目抜きの場所で、家を取っ払って、ちょうど日本橋の裏側みたいなととろを取って払って、高速道路を作っているところであります。これは二階建ぐらいの、こういう日本の立ちのかないというようなうちをトレーラーにつけて持って歩いているのでして、できない、できないということを言わないで、ぜひ思い切ったことをやっていただきたい。ただ道徳的な問題あるいは法律的な問題ももちろん大事ですけれども、同時に道路を直さないで、どんなに上の交通流れを右に曲げたり左に曲げましても限度がございます。自動車をやめてしまうのなら別ですけれども、そんなことは経済成長にとって有害でございます。やはり自動車は経済的に必要な手段でございます。私たちの生活の手段であり、同時に生産手段でございますから、自動車をなるべく使うようにする。そうするには道路を広げるということでございます。金がかかるからよすというお考え、しかし金をかけなければ、今のような形で、私たちは人命の事故とか、あるいは経済的に非常に、十分間で行けるところをみんなが一時間で行く、そして重役さんからわれわれどんな方々でも、みんな疲労をするというふうなことで、マイナスのつまりお金を払っているわけでありますから、道路は金をかけてもかけなくても、やはり一定のコストがかかる。投資しても、しなくてもかかりますので、それならば積極的に道路を直した方が国民経済的にプラスであるということで、各国が都市の交通問題に対して、道路というものに集中して、道路を広げるというところにピントを合わしている。それ以外のことは並んで行なうということになっておりますが、どうも日本の場合、残念なことに、今まで一番ガンのところに手術をしないで、丸薬だけでなおそうというふうな安易な気持が戦後二十年続いたのじゃないか。この辺でぜひ先生方に思い切った対策を立てていただきたい。そうしてやはり対策の大きなラインというものは、日本の経済成長のために、将来の国民のためにりっぱな交通路を、施設を残していただきたいということで、これがやはり国の財産であろうと思います。同時にお願いいたしたいことは、交通施設につきましても、信号の数が少ないとかいうことで、どうも信号がなかなか見えないというような状態にもなっておりますし、また大きなビルディングを建てたらその間に——霞ケ関あたりもそうなんですけれども、アメリカあたりでしたら、みんな地下の人道ができておりますけれども、地下の人道ができただけでもずいぶん、ダウン・タウン、繁華街とかあるいは日本橋、丸の内あたりでは能率が上がるのじゃないかと思います。その他、パーキング・スペースをたくさんとって下さるとか、いろいろよく言われていることでございます。しかし、一番大事なことは、やはり一番むずかしい東京交通麻痺の動脈硬化の状態に対して、科学的なメスを入れて、それに対して臨床的な処置をとって下さいということでございまして、それには道路工学あるいは道路交通工学、そういったものの科学の基礎の上に立って下さいということと、せめて私たちは外国と同じくらいの交通道徳国民の中に普及させていただきたい、それが物心両面における対策だと私は思います。(拍手)
  14. 小澤太郎

    小澤委員長 以上で、参考人の御意見開陳は終わりました。     —————————————
  15. 小澤太郎

    小澤委員長 これより参考人に対する質疑を行ないます。宇野宗佑君。
  16. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 まず、いわゆる緑のおばさんといわれます杉村さんにお尋ねいたしたいと思います。  最初に私は、学童交通禍より守るという、その第一線で日夜御奮闘なさっておられます杉村さんを初め皆さん方に、深甚なる敬意を捧げたいと思うものであります。いずれ後ほども同僚の諸君からいろいろと御質疑があろうと思われますから、私はしごく要点だけをしぼりまして、ごく簡単に御質問申し上げますので、一つそのような点で、簡単でけっこうでございますから御答弁を賜わりたいと思います。  一番最初には、もう一度お伺いしたいのでございますが、杉村さんが、いわゆる都の日雇いとして所属しておられるのは、労働局の失業対策課なんでございますか。
  17. 杉村安子

    杉村参考人 失業対策部でございます。
  18. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 失業対策部のうちで、大体緑のおばさんといわれるお方は、何人ほどいらっしゃるのでございましょう。御承知でございますか、もし御承知でなかったら、けっこうでございます。
  19. 杉村安子

    杉村参考人 大体千六百人くらいと伺っております。
  20. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 では、杉村さんの御経験よりお尋ねをいたしたいと思いますけれども、二年ほどすでに緑のおばさんをやっていらっしゃると言われますが、その間におきまして、いわゆる交通に関する教育等はやはりお受けになるのでございますか。
  21. 杉村安子

    杉村参考人 警察関係で、大体今までに日数にいたしまして約一月近くの講習を受けております。と申しますのは、入りましたときに最初に二日間の実地訓練とか教養訓練を受けまして、あと学校の休暇中でございますね、春休みとか夏休み、そういうときに各区におきまして、各区の警察で三日なり四日なりの講習会を開いていただきます。そのほかには、労働局が主催して下さって、全都一斉に統一講習会というのがございまして、そういう場合には労働局の業務課長さんとか、警視庁の安全係長さんとか、総務課長さんとか、そういう方々から精神面と申しますか、そういうふうな面のお話を伺います。また児童心理につきましては、東京女子大の白井先生という方が講話をして下さいました。それは大へんたちに役立って、児童を扱う上に大へん必要なことを、わずかな時間でございますけれどもお教えいただくということは、私たち仕事に大へん大きな希望が持てる、そういうふうにいたしております。
  22. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 そういたしますと、最初初めて緑のおばさんとして、ああいうふうに第一線にお立ちになるときには、五日間くらいの教育で、すぐにお立ちになるのでございますか。
  23. 杉村安子

    杉村参考人 最初の状態を申しますと、十一月十一日に一応就労という形になりまして、各学校に配属されました。その間警察のいろいろな教育を受けまして、そのうち二日間を大体技術的なものでございますね、自分の立っている各学校——たちの受けました訓練では、警察の車に乗せていただきまして、自分たちがこれから立つというところを見て回って、それから旗の振り方だとかそういうことについて、二日間みっちり教育を受けたわけであります。あと五日間——街頭に立ちますのは、十一月のたしか二十日だったと思うのでありますが、あと五日間は学校になれるために、学校の中のことを、先生方とお知り合いになったり、子供たちの気質を知ったり、そういうことをして下さいました。
  24. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 では、杉村さんの御経験では、初めて街頭に立たれたときは、やはり落ちついた状況だったのでしょうか。最初だからだれもなれていないと思いますけれども、心理的にそのような二日ないし五日というようなところで、大体十分だろうとお思いになるでしょうか、普通の方なら。
  25. 杉村安子

    杉村参考人 私たちは、何しろ失対事業でもって取り上げられているものですから、最初はどういう御意図であったかはっきりわからないのでございますけれども、ただそれまでPTAの方たちがお立ちになっていらしたことを、私たちがお引き受けして、かわりに立つようなふうにも承っておりましたし、そうなりますと親といたしまして、PTAの方が今までそうしていらしたことを、私たちできないはずはないということで、もちろんPTAの方は警察のそうした訓練を受けていらっしゃいませんし、二年前と今とで全然交通量が違いますし、その場合私たち最初ほんとうに困ったことは、外に立つことがほんとうに恥ずかしいことだったんです。そうして近所の方に、いい仕事だとは思いながら、その時分は日雇いだという観念が強うございましたから、ニコヨンのおばさんが立っている。わからない子供たちや、わからない家庭からはそういう声も出るわけであります。しかし、今となりましては周囲の状況もよくなって、新聞社の方も大へん取り上げていただいておりますものですから、おそらく日雇いというような観念は薄らいで来つつはありますけれども、そういう点で現在の交通に今お立ちになる方は、とてもそれだけの訓練ではむずかしいと思うのです。でも私たちの場合はそれで事足りて参りました。しかも、新道交法になるまでは非常にみんな苦労いたしました。今はなれて参りましたから、それほどには思わないのでありましょうけれども、新道交法が始まりましてからは、非常に何かゆるやかな、自分たち仕事が認められてきたというような感じを持ちましたし、運転手さんの方もずいぶん気をつけていただいて、私なんか緑のおばさんとしてでなく町を歩いていて、横断しようと思って、あの車が通ってからと思うようなときも、丁寧な運転手は車をとめて、車の中からどうぞと言って下さるのです。そういう点は、ある面では運転手さんは非常に向上していらっしゃったのではないかと思います。
  26. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 もう一つお尋ねしたいのですが、ちょっと失礼な質問になるかもしれませんけれども、非常に激務を要する仕事であると、先ほど杉村さんから申し述べられました。もちろんそういう面においてもからだの疲労度なりございますでしょう。しかし日雇いさんであるから、毎日立たなくちゃならないというような生活に追われる面もなきにしもあらずだと私は考えるのでございます。その辺の御苦心のほどはあろうと思います。それで採用される場合に、一応身体検査なり、特に注意をいたしたいのは、時おり緑のおばさんで赤信号を青信号に間違えられた色盲の方がかつてあったというふうに伺っておりますが、そういう面におけるところの検査はもちろん受けた後に、初めて採用されるのでございましょうね。
  27. 杉村安子

    杉村参考人 そういう検査は大へん厳重になっております。もちろん私たちが入るときも色盲とか視力、そういう点は警察官並みくらいにきびしく扱われております。そうして毎年夏、学校の休暇中でございますけれども、必ず定期的な検査がございます。そうしてやはり外に立つ仕事でございますから、目は非常に痛むわけでございます。そういうふうに、最初は標準の視力を持っておりましても、一年ごとに視力が弱って参りまして、めがねをかけなければならないということが発見されるわけでありますし、また非常な激務でもって胸を冒される方も出て参るわけでございます。そういう方たちもそういう検査で発見されますから、そういうときには労働局の方で、そういう方たちにやめていただくことになっております。しかしやめていただくことになっておりますけれども、そういう不適格者というのは、労働局の方で必ず違うお仕事を与えて下さることになっております。
  28. 渡海元三郎

    ○渡海委員 関連して。一言だけちょっとお聞きしたいのですが、右側通行が施行されましてから、だいぶ間が立っているのですが、私ども左側通になれておるものですから、いまだに元通りの左側通行が日本人に適しておるのではないかという議論が、たびたびなされるのですが、今までの慣習というものを知らない子供を扱われる杉村さんなんか、右側通行を徹底させましたら、新しい白紙の純真な子供には右側通行でもけっこう合うのだというふうにお感じですか、どうですか。右側通行ということに限って一つ御感想を聞きたいと思います。
  29. 杉村安子

    杉村参考人 私ども左側通行になれておりましたけれども、こういうお仕事につきましてから右側通行をしなければならないという心がまえができますと、今鉄道のいろいろな通路なんかは左側通行のところも多いようでございますけれども、学校への横断道路とかそういうところでは、子供たちは左側通行ということは知りませんし、そういう不便を感じていないと思います。私自身もこのことをやっておりまして、そういうことについてやらなければならないのだという観念でおりますから、そうなるべきであると思うのですから、別に不便は感じておりません。けれども、ただ子供たちがおうちでお母さんと連れて歩くときには、どうしても左側を歩くようでございますが、それは子供たちの方でお母さんに注意をしていただくように、私たちは常に心がけております。私なんかは、やはり子供を連れて歩いておりますと、横断路がだいぶ遠いものですから、ここなら両方の車が来ない間に、十秒ぐらい間があるから渡ろうとする、お母さんは緑のおばさんじゃないか、どうしてそこを渡るのだと、横断歩道まで連れていかれる、そういう意味で、子供たち横断歩道を渡るということに徹底している。ただ親が守らないのであります。
  30. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 舞田先生にお尋ねいたします。  私ちょっと中座しておったものですから、あるいは先生の御意見の中にあったかもしれませんけれども、昭和三十年八月十一日に文部省より各小中学校に対しまして、交通事故防止要綱なるものが出ておりますが、御承知でございますか。
  31. 舞田正好

    舞田参考人 存じております。
  32. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 それに基づきまして昭和三十四年に実態調査がなされております。従いまして、おそらくそういう間にいろいろなクラブ活動を通じて、十二分に児童の補導に当たっていらっしゃるとは存じますが、それはそれといたしまして、先生自体の立場から、今日直接児童がお世話になっている緑のおばさんについて私はお尋ねいたしたいのでございます。もちろん非常に効果を上げていらっしゃるということは承っておりますが、しかし、たとえば登校するとか下校する際に、相当長時間にわたって立ちんぼうをなさっていらっしゃって、その間において学校のいろいろの雑務もお手伝いであるというふうなことを承っております。たとえば先生学校では、緑のおばさんの、いわゆる信号旗を持たれない以外のことは、どのようなことをなさっておるのでしょうか。
  33. 舞田正好

    舞田参考人 お答え申します。  緑のおばさんの勤務時間は五時間であります。先刻も申し上げましたように、朝登校の子供を迎える、またことに現実的には低学年の下校の場合にそれを見送るというので、大体五時間のうち、具体的には二時間ぐらい実際に交通補導に当たっておられて、あとの三時間は、限定はできませんけれども、いわゆる軽作業でありまして、軽作業というのは、たとえば用人さんと一緒に、あるいは普通のお手伝い、それからあした家庭に用紙を配るためにいろいろ手伝っていただいたり、そういうごく事務的な軽作業でございます。それだけでございます。
  34. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 そういうふうなごく事務的な軽作業で、おそらく学校の方でもいろいろと配慮していらっしゃるとは存じますけれども、もう一つ突っ込みまして校長先生自身の御意見を承っておきたいと思うのです。  先ほども、緑のおばさんの発端が、いわゆる日雇いであった、そこに多少のコンプレックスを感じないでもなかったけれども、最近では自分仕事に対して誇りを持って私たちはやっておりますという、非常に心強いお言葉を聞いて安心しておるわけではございますけれども、たとえばなお一そうその緑のおばさん身分を保障するとか、あるいはまたなお一そう学童をうまく善導していただくということについては、都なら都がどうすればいいのだろうか、あるいは文部省なら文部省がどういうふうにすればいいのだろうかというようなことは、かねてお考えになったことがありましょうか。もしあったならば一つ御所見を、簡単でよろしゅうございますから承っておきたいと思います。
  35. 舞田正好

    舞田参考人 お答えします。  いよいよ大詰めに参ったようであります。今御質問にありましたように、これは労働局の所管でございまして、ほんとうに役所というところははっきりしておりまして、われわれが緑のおばさんを採用するのでもございませんし、俸給もそういう面から出るわけではございません。しかし、今緑のおばさんの方からお話があり、御質問の先生からもお話があったように、現場におきましては、そういった日雇いであるとか、あるいは用員関係であるとか、あるいは教員関係というような点についてのコンプレックスは一般的にはないと思います。またあっては相ならぬ、いわゆる子供教育一点に指向しておる、そういうふうに努力いたしておるわけであります。願わくは、先ほどもお話したように、これは管轄外かもしれませんが、実際に私どもの学校で千三百人の子供を迎え、送ってくれる先達の、先生ではございませんが、職員と考えております。そういう面から待遇の点なども、一つ国の方で何らかもっと引き上げてやってほしい。衣料の点なども先ほどお話しいたしましたそういうような点と、主管の方の労働局の方からどうせい、こうせいというようなことは、ちょっと私はわかりませんけれども、緑のおばさん制度が永久に続くなら、また私は現在の緑のおばさんの実績から見て、これはぜひあってほしいと思う。そうなれば、労働局の主管からあるいは教育関係の主管に移すことができるかどうか、専門的なことはわかりませんが、以上であります。
  36. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 緑のおばさんのことに関しましては、われわれの同僚諸君からもいろいろお尋ねがありましょうから、時間の都合で省略させていただいて、私は一つ直接運転をなさっていらっしゃる松岡さん、そうして稲葉さんにお尋ねいたしたいと思いますが、いうならば、最近世論を見ましても、特に砂利トラックあるいはダンプカー等に関しましては、走る凶器であるというふうな表現すら用いられておるのであります。もちろん本日お見えになっていらっしゃる方は長年勤続で、しかも非常に優良にその執務をされておるわけではございますが、たとえば、そういう走る凶器の取り締まりをしなければならないという世論が高まって参りますると、いろいろな面がございましょうけれども、特に罰則強化という問題にからんでくるのではないか、私はこう思うのでございまするが、しかしその罰則ということになってしまいますと、中には率直に、ひき逃げ罪というものを新しく作らなければいけないとか、あるいは今日の道路交通取締法に基づくだけの罰則ではいけないから、刑法の点においても保護遺棄罪を一つ考えたらどうかという、いろいろ専門的なむずかしい話が出ておるわけであります。しかしそういう専門的なお話は、参考人方々にどうだろうというふうなことには参りませんので、一つ心理的な気持を聞かせていただきたいと思うのです。たとえば罰則が強化されて、極端なことを言うならば、ひき逃げは殺人と同罪ではないか、だから死刑なんだ、そういうような極端な法律ができたといたしましょう。あるいはそれまで極端でなくても、たとえば禁固あるいは懲役十年だというふうに、今よりも以上に罰則が加重せられた場合には、皆さん方の御心境はどうだろうかと思うのであります。すなわち、皆さんの御心境といえども、同僚の皆さんといろいろお話しなさっていらっしゃいますから、罰則強化をした方が、やはり皆さん方は一そう注意をされて運転なさるものであろうかということが第一点。  第二点は、罰則強化をすると、中には罰則がきついから、これはひっかかると大へんだから逃げましょうというので、ひき逃げをするというふうな方もなきにしもあらずだと思いまするが、その辺に関しまして、直接罰則があるから、おれはこういうふうに注意して運転しているのだとかいうふうな御所見を、一つこの際承っておきたいと思います。簡単でけっこうでございまするから、松岡さんと稲葉さん御両名から御答弁を賜わりたいと思います。
  37. 稲葉知之助

    稲葉参考人 ただいまの御質問でございますが、罰則を強化すればひき逃げがある程度是正されるのではないか、こういう御質問のようですが、それは私たちから見れば逆であると思います。なぜかというと、先ほど私が冒頭に申し上げましたように、戦前のいわゆる自動車の量と車の状態——小型と大型がありますが、そういうふうな状態で、依然として道路は狭い。しかし車は大型になる。そういう中で、われわれはほんとうに曲芸のような運転をしているわけです。これはハンドルを握れば、事故を起こさないように死にもの狂いで、一秒たりとも油断なく運転しているわけです。そういう中でだれもが故意に人をひくということはあり得ないと思います。ただ、最近非常に若い運転手さんの中では、ひき逃げがたびたび見受けられますが、やはりそのひき逃げの状態新聞紙上では詳しくわからない関係上、先ほども言われましたように、これは一利一害があって、賛否両論になるのではないかと思うのです。ただ運転者として、罰則を強化すれば事故はなくなるのだということはあり得ないと私は思うのです。それよりもやはり根本の、道路とか、あるいは運転手の法規の順法を促進するとか、そういうところに重点を置かれてやってもらいたい。また先ほど言いましたように、そういう重罪人、殺人罪と同じだということになると、やはりこれは大へんだというわけで逃げる場合もあるかもしれない。気の小さい人は、おそらく子供や人をひいて、喜んでおりていくことはないと思います。見つかったら、おれは免許証を取られちゃうのだ、あるいは禁固刑にやられるというようなことがあれば、やはり前後の見さかいなく逃げるという結果も生まれるのじゃないか。そういう重罪になった場合、家庭にひびが入る、こういうこともわれわれの生活に関連して、殺人罪と同じような取り扱いをするという法律に対してはやはり賛成しがたい、こういうふうに感じます。
  38. 松岡純夫

    松岡参考人 私もこの方が言われたような意見を持っているのですけれども、ただ、まかり間違って人をひいた場合殺人罪となりますと、要するに、もう飯の食い上げになってしまうのです。食い上げになってしまうということになりますと、一考を要するのです。そんなにまでなって運転手をしなくてはいけないのかという観念を持たしては、運転手をやる人がなくなってしまうのじゃないか。そういうことにおきまして、人をひいた場合、罰則に対して、情状酌量する余地がありましたら、懲役とかなんとかいうふうな重い罪にならなくて、一定の免許証停止ないしは罰金で済むなら済むというふうにしていただければいいと私は思います。
  39. 宇野宗佑

    ○宇野小委員 最後の一問を、専門家の今野先生お願いいたしたいと思いますが、今私が申し上げました罰則という点だけにしぼりたいと思います。そのほかの労働条件とか、いろいろな問題で条件が付せられましょうが、そういうことはまたほかの方からお尋ねがあろうと思います。罰則という点については、私が質問した通り、よく世論などでは、強化すべしというような声もございますが、その点についての御所見を一つ承っておきたいと思います。
  40. 今野源八郎

    ○今野参考人 外国に比べてもしゆるい点がありますれば、先進国並みにもう少し強化してもいいかもしれません。しかし罰則だけで交通事故をなくそうということは、これは封建時代の考え方とも言えると思うのです。結局、私たちどんなに注意しても、東京のように、夜が暗くてネオンばかりきらめいていて、道路はまっ暗だというときには、ヘッド・ライトの死角で、反対から来るヘッド・ライトとあっちから来るヘッド・ライトとの間に入った死角、しかも黒いオーバーを着ていたり、こうもりをさした人というのはわからない。あるいはバックする場合はわからない。たまたまその人が運転手であったために一生の生活ができなくなる。今、飯の食い上げというお話がございましたけれども、飯の食い上げ程度ならまだいいのですけれども、殺人罪と同じようになるということは少し酷じゃないか。やはりいろいろな条件がございまして、どんなに善良な運転者としての注意をもってしても、今のような不完全な道路施設においては、あるいは不可避の場合もありますし、自殺する人もございますし、子供教育も、さっきお話がございましたが、確かにやっていただいてだいぶよくなっておりますけれども、とにかく子供は、遊び場がないために、道路の上を遊び場にしているというようなことがかなり見受けられます。極端な話が、こういうお話をここで申し上げる時間がお許しいただけるかどうかわかりませんが、この間、私、自分で車を運転しておりましたら、道路で、びんの中に花火を入れて、小学校から走ってきた子供がそれを割って、道路にガラスを散らしている。一方、新聞を見ますと、自動車が走ったために、ガラスの破片が目に入って、目がどうしたこうしたという記事が出ておりましたが、そういう点をあわせて考えますと、運転手の不注意とか、モラルを守らないとかいう問題も、非常に反省していかなければなりませんし、先ほど申し上げたように、大事なことでございますけれども、同時に社会全体がそういう安全な交通のための環境なり、施設をしていただきたいということを、またお願いしたいと思うわけでございます。刑罰が一つの手段ではございますけれども、それにあまり多くの期待をかけていただくことも危険だと思います。
  41. 小澤太郎

  42. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 あまり時間もございませんので、簡単に三、四点お伺いしたいと思います。  最初に緑のおばさんですか、杉村さんにお伺いいたしますが、あなたは、先ほどおっしゃった中で、おとなが協力してくれない、こういうふうにおっしゃっておりました。もう少し具体的に言いますと、何かあなた方が横断歩道で旗を振っていただいている、それにまでおとなが協力しない、こういう状態なんですか。
  43. 杉村安子

    杉村参考人 そういう状態ではなくて、もちろん協力して下さる方はたくさんあるんですけれども、間々、子供が通っているのに、そちらの——たちの考えでは、緑のおばさんが立っているところを、おとなが渡ってもいいのかしらん、いけないんじゃないかしらんという感じを持つ方もあるんじゃないかと思います。それからまた、横断歩道を渡るのは信号があってめんどくさいから、ほかの道を早く行きたいために渡るという方が——協力とか非協力とかということじゃなくて、自分本位の行動のためにそういうことをなさっていらっしゃる。しかしそういうととろを、横断歩道を渡っていただけたらというふうな意味合いでございまして、非協力というようなことではないのでございます。
  44. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 そこで、先ほど稲葉さんでしたかお話がありまして、もっと旗をはっきり振ってくれ、こうおっしゃっているのですね。このことは大阪あたりでもやはり運転者側からは、そういう声があるのです。そこで私はお伺いしたいのですが、なかなか旗はこわくて振り切れない、ほんとうに、ああいう重大な責任を、かよわい婦人の身で背負っていられる精神的なあるいはまた交通規則に対しても十二分に勉強もされておられましょうけれども、そのタイミングをつかんで、ぱっと旗を振るのが非常にこわいのと、いま一つは、何か自分にそういう権限が与えられていない、こういうふうな感覚もある。あるいは振ったら必ずとまるべきだという自信を、あなたは持って振っていられるかどうか、この点ちょっと伺いたい。
  45. 杉村安子

    杉村参考人 私たち仕事は車をとめることではなくて、車と車の流れをよく見きわめて、その空間ですね、車がとぎれたところで旗を出すわけでございます。そしてその旗の意味は、これから子供が通りますよ、運転手さん注意して下さいというお願いの言葉がこもっているわけでございまして、私たちは無理じいにとめるという権限は全然ないのでございます。そこで私たちがはっきり出さなければならないということは、警察の訓練におきましても、いろいろな訓練のたびに言われております。もちろん私たち自身もあやふやな旗を出すということが、どんなに危険かということはよく存じております。けれども、その点、運転手さんの目に映る私たちがあやふやだったというようなことがあるとすれば、それはやはり四十代、三十代の年代の弱さもあると思います。若い方でしたら、はっきりちゃんと出せるかわりに、運転手に対する愛情とか思いやりということは、おそらく今の私たち年代よりは少ないと思います。私たちはやはりある程度、曲がりなりにも人生経験をしてきておりますものですから、人に対する心のかまえ方というものが、そういう若い方と違うと思います。そこにまた、あやふやであってはいけないという非常に強い決心はあるのですけれども、その日の健康状態によって、自分では大丈夫だと思って出した旗が、あとで、ああ、あぶないんじゃないかなと思うことはなきにしもあらずです。そういうときは、前の晩内職をして、夜ふかしをしたり、どうしてもこれをしなければ生活に困るというような——非常に健康状態が影響してくる場合が、私自身あります。内職をして非常に疲れたときは、より一そう、きのうはこういうことをして寝不足になっているから、きょうは一生懸命やらなければと思うのですけれども、出した旗には自信があるのだけれど、旗を出しても、自動車が必ず除行してきてとまるはずのが、そこにとまらないんじゃないかというような気分がいたします。ですから、そういうときは、やはり私たちがもう少し安心して眠れる賃金があったらと思います。
  46. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 緑のおばさんとして、ああいうところで勤務していただいて、しかもこれが子供交通教育の実地の教育場所だとまで、あなたはお考えになっている。非常にとうとい考え方だと思います。  それから今私御質問申し上げたのは、あなた方の行為は道路交通法第十四条の四項に、道徳規定として、おとな子供を守らなければいかぬということが書いてあるだけなんです。私この法律が通るときに、非常にこの点問題にしておったのです。はたしてこんなことでできるかどうかという気持を持っておった。そこで今お伺しておるのです。この旗を出せば必ず車はとまってくれなければいけないのだというところまで、何かそういう権力を持ちたいというふうに、経験から推してお考えになりませんか。
  47. 杉村安子

    杉村参考人 そういう権力があってもよろしいでしょうけれども、私たちは女の立場ですし、しかもとげとげしくなりやすい交通地嶽の中にあって、やわらかい雰囲気で少しでも運転手さんの気の休まる方法ができたら、一番しあわせではないかと思います。そしてそういう強いことをもし私たちが持つとすれば、警察官や何かと同じような権力があるとすれば、どこに行っても緑のおばさんがいれば、警察官と同じだという心がまえをお持ちになれば、ゆとりのないものがあるのではないでしょうか。私今の段階で、どういうふうに御返事申し上げていいかわかりませんが、あるお友だちと話したのですが、私たちには告発権がある、もし児童が渡っている場合に、そこをスピードを出して通って、徐行しないという車は、ナンバーを記憶して警察に出します。そうしますと、それが確かにそうであるということがわかれば、非常に警視庁の方で重く見ていただける、そういう手段がありますので、ことさらにこれ以上過重な法的措置がありますと、かえって精神的に私たちは縛られるのじゃないか。それだからもっとりっぱにしなければならないのだ。けれども私たちの場合は、最初の仕事の始まりは学童交通事故から守るということでありますので、大体私たちの目は学童の上にある。もちろんそういうことがあってもいいのですが、私たち教養をもっと高めた上で、そういうものを持つのでしたら、非常に権威があるりっぱなものだと思いますが、失対事業から上がってきた私たちには、それだけの教養はまだついてないのじゃないかと思います。ですから私たちの内容が上がり次第で、その段階において必要な権限を与えていただきたいと思います。
  48. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 横断歩道は、道路の上にちゃんと明記されているのですから、従って人がそこを渡っておるときには、道路交通法によって車は走っておってもとまらなければならないことになっておる。そこであなた方モニター的な格好になって、そこを無断でそういう違反を犯した者に対しては、ナンバーを覚えておって通告するというふうに指導を受けておられるようですね。しかしあなたは非常に精神的な面から、高い観点からおやりになっておりますけれども、実際あなたと同じような気持の人が、世の中にたくさんおればこれにこしたことはない。しかし現実はそうじゃないんです。だから旗を出したらとまってくれなければ困る——子供を守っていただいておるんでしょう。ですから旗を出したらとまってくれという、もう少し強い規制はお望みになってもいいのではないかと思いますが、これはまたわれわれの方で考えましょう。  そこで運転者の方にお伺いいたしますが、緑のおばさんが旗を出したら、あなた方は必ずとまってくれますか。どうなっておりますか。お二人から、簡単でけっこうです。
  49. 稲葉知之助

    稲葉参考人 とまります。
  50. 松岡純夫

    松岡参考人 私もとまっております。
  51. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 その場合に、緑のおばさんが出す旗は警察官の制止よりやはり多少軽く見ておられますか。その点どうでしょう。
  52. 稲葉知之助

    稲葉参考人 絶対軽くは思っておりません。やはり法規上から言っても、歩行者の誘導のために緑のおばさんがいるわけですから、結局その横断のところに緑のおばさんが旗を出せば、やはりこれは、赤信号と同様に私たちもとまっております。
  53. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 次に、校長先生にお伺いいたしますけれども、どうでしょうか、PTAのお母さん方は交通規則を知っておられますか、あなた方今まで体験されて。
  54. 舞田正好

    舞田参考人 お答えいたします。  一般的な問題としてはお答えできませんですが、少なくとも私の学校の事例によりましては、補導委員ということで、大体お母さん方約百人が、主として子供の不良化と同時に、特にこういう状況でございますので、交代に出ていただいておるわけであります。その間、学校の計画に沿って警察の方と定期的にいろいろ話し合いをしております。それから、さらに新一年の就学以前に、やはり子供とともにお母さんも一緒に、校庭と同時に横断歩道で、ごく最近もいたしましたが、毎年続けてやっております。しかし、まだ徹底はいたしておらないと思います。
  55. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 私ども、ぜひこの交通安全教育というものを、特に児童には徹底してもらいたいが、児童だけではだめであります。そういう面は、常時家庭の中においても取り上げて、家庭教育として子供にしょっちゅう親から言ってもらいたい。そのためには、やはり親が交通規則を知らなければどうにもならない、またそういう道徳観念を持っていなければいけない、こういうことですが、あなたの学校では、今言ったような方法である程度徹底さしておられる、こういうことである程度安心したわけです。そこで、校長先生とされて、交通教育子供ほんとうに皮膚でもって感じるところまで持っていくために、何かこういう施設がほしいとか、教育する教材がほしいとか、それに伴って当然財源措置としてお金を都からもらわなければやっていけないと思うのですが、そういった点について、何か今非常にほしいのだというようなものがあるかどうか。たとえば諸外国では、子供交通遊びのような場所をちゃんと作ってある。そうして、ほんとうに普通の道路と同じように、必要な交通の問題点をうまく公園の中にちゃんと作って、親御さんが子供、幼児を連れて、実際に小型のおもちゃの自動車に乗せて、そして交通巡査がちゃんとそこに何人かおって、ゴー・ストップか何かを教えておるという場所があるのですよ。最近は、学校で一時的は校庭にペンキあるいは白墨で線を引いて実習をされておる向きも間々ありますけれども、そういったものも含めて、何か切実にほしいものがございましたら、一つこの際おっしゃっていただきたいと思います。
  56. 舞田正好

    舞田参考人 御質問というよりも、かえってお教えをいただいたと私承っております。今先生からの御指摘もあったように、現在のままの社会科の中における交通の知識の概要を修得する程度では、とうてい相ならぬと思います。ことに大都市の教育というものに対しては、やはり交通というものを具体的な子供の生活の中に生かし、学校の中に生かしていく、そういう点からは、現状の学校の中の交通科における教材としてはゼロにひとしい。校庭の大きい小さいもございますが、そういう点について御指導がございましたように、何かしら交通の標識とか、あるいはラインとかいうものによって、具体的に教室で交通科の科目を勉強すると同時に、先生の指導によって、あるいは警察官との連絡によって、もう計画的に行なう段階でなければ相ならぬ。市街地におけるいろいろな交通に対する指導とか、そういうような面について、低学年なり高学年向けを主とした施設をぜひとも国が設定すべきである。また内容におきましても、先ほどお話し申し上げた通りであります。
  57. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 当然それに伴うお金もついていないことは、現状ではわかるわけです。  そこで次に、砂利トラックをやっておられます松岡さん、失礼ですけれども、あなたのノルマはどのくらいになっておりますか。あるいは基本給はなんぼで、一回走ったらなんぼつくか、そういった給与体系ですか、お金をもらう収入、それを一つ簡単におっしゃっていただけませんか。
  58. 松岡純夫

    松岡参考人 私の場合は月給が一万七千円です。あと、一回千葉へ行って東京へ砂を持って参りますと三百円、それを二回やりますと六百円になります。月給のほかに、一日の歩合と言いますが、そういうものがつくのです。それだけです。
  59. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 先ほど、運転手の若いのがおられて——あなたも若いようですが、免許証をとったあとで、相当期間を置いて運転した方が安全だと思うのですが、スピードを出すというのは、あれはすきでスピードを出すのですか、それとも、今言ったノルマを稼ごうというのですか、あなたの気持ではどっちですか。
  60. 松岡純夫

    松岡参考人 スピードを出すというのは、山の方へ行きますと、車がつけばすぐ砂とか砂利を積めるのです。そういう場合には、二回やればノルマが終わるのだから、早く積むということが影響しているのじゃないでしょうか。それから、一台でも追い越して早く着けば、十分でも二十分でも早く積めるというのが影響していると思います。
  61. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 今野先生一つお伺いいたします。  先ほどあなたのお話の中で、有益なお話を承りました。御承知のように、最近東京都が全面的に、非常に広範囲にわたり、かつ長時間にわたって車種別規制をやっていこうということになっております、いろいろ問題点もあろうと思うのですが。そこで、先ほどいろいろな交通の隘路、こういったものを打開していかなければならぬというので、五点ばかりおあげいただきましたが、そのときの御説明の中で、そういうことをやるまでの間、当然応急的に規制を加えなければしょうがない。これはやらざるを得ないだろう、規制はもともと基本的には加えるべきものではなくして、自由に車を流していくべきだ、こういうふうにおっしゃいましたが、私などの考えでは、確かにおっしゃることはよくわかるのでございますけれども、かといって、あれだけの大規制を加えていくということについては、経済成長の問題その他から考えて相当問題点があろうと思うのであります。そこで、いま一つ忘れられているのは、大量輸送計画というものにちょっと先ほどお触れになりましたが、もっと統一ある運輸行政といいますか、交通機関の整理統合といいますか、そういったものもまだやる余地があるのじゃないか。ところが今の状態では、交通機関の整理統合、それとうらはらでありますいわゆる大量輸送計画、これがほとんど先行しないで、全く投げやりの状態に置かれておって、そうして仕方がない、背に腹はかえられぬというのでこの交通規制を加えていく、こういう状態になっているのは望ましい方向じゃなかろうと思うのです。こういった点につきまして御意見を伺えればけっこうだと思います。
  62. 今野源八郎

    ○今野参考人 御質問の間からうかがわれる御意見に対しまして、ほとんど同意見かと思いますけれども、日本の交通政策の一番の悩みというものは、長期も中期も、私たち一億の人間も、安全に、そして能率的に国全体で交通を立てるのだという大計画がはっきりしていないということです。十九世紀以来の鉄道、封建時代の参勤交代以来の道路を多少直した、鉄道、港も狭いし、飛行機の発達は先進諸国におくれているし、船にしても空にしても、とにかく非常にお粗末だ。これは後進国の特徴といってしまえばそれまでですけれども、食べることと着ることに追われて、歩くことはその次だということなんです。しかし、世界に誇る経済成長というからには、やはりそういう内容的な問題でその隘路を打開していただくというのが政策であり、農業政策なり工業政策、金融政策をあれほど取り上げて下さるならば、交通政策というものを国の立場から、国民立場からどうして取り上げていただけないか。これは大へん余談になりますけれども、東大で交通政策の講座が持たれ、早稲田、慶応、大きな古い大学で持たれたのが明治の三十年代であります。それから今まで私たちの先輩が講義してきたのですが、そう言っては失礼ですが、国策というものと無関係とは言いませんが、こんなに取り上げていただけないのは、これは交通政策をやっている者として非常に残念なことなんです。農業や何かで、食べることとか着ることですと、みな目の色変えますけれども、近ごろはあぶなくなったから取り上げるというのではなくて、日本の自動車運賃なり飛行機の運賃を世界的に安くして、これで世界と競争するのだというところまで考えていただきたいし、日本人というものを、交通のためにこんなに消耗させないためにはどうするのだということを考えていただきたい。東京都だけを考えてみましても、外国人が来て笑うのです。お前のところの交通というものは無政府的だ、どうしてだというと、とにかく明治時代にできた中央線、山手線、あと大正時代にできた私鉄があって、それがみな山手線のところにぶら下がっているわけです。その中に入るには、都電とかバスとか、あとからできた地下鉄とかによって、とにかく動物みたいな形でオフィスに通う。それをほうっておくばかはない。じゃどうするのだというと、とにかく東横とか西武とかを全部地下鉄でつなげてしまう。それをみなターミナルで切ってしまう必要はない、どうして流して作らないか。ニューヨークでもロンドンでも、みなとめていない。これは昔の交通資本のための市場分割です。それは過去においてはやむを得ないと思うのです。しかし、この民主的な世の中で、こんなに交通の手がおくれているということは、私不思議でならないのです。たとえば交通規制もやむを得ないと思います。しかし、その規制をするということは、つまりトラックをとめるとかバスをとめる、これも、狭い容量を全体で使うのですから、やむを得ないと思うのです。それは、今二十四時間二交代で使うという考え方からすれば、許されますけれども、じゃいつまでそうさせるのだといえば、東京の貨物というもの、トラック輸送をどういう形に持っていくのだ。回りの山手線の外に大きな環状線を作って、アメリカのようにそこに大きな総合のターミナルを作って、路線はそこへ入ってこい。それから渋谷、新宿というようなところはピック・アップして、小さなトラックで運べというならまだわかる。それから、汐留に入ったものはどういう形でトラックに移すか。地下の施設をするとか、第二段、第三段の手を打って、やむを得ないからこのくらいに時間を制限しろというならいいのですけれども、ただ押える、押えた結果は、それは物価にも押えないよりは影響するでしょう。しかし、そうかといってこんなに放置しておくわけにはいきませんし、外国でもある程度大型トラックとか、路線トラックとか、あるいはバスのようなものは時間によって、少なくともラッシュのときには統制する、あるいは全部の道路でなく、特定の道路については制限するということはやむを得ないと思いますけれども、やはりそれはどうするのだということのその先の手を考えておいて、それをやっていただきたいということでございます。都市の交通というものは、ロンドンのやり方でも、パリ、ニューヨークのどこを見ましても、大きく統合して大きな資本でやる、そして国がある程度指導していく、そして、官僚政治の悪いところがないようにそれをやっていけばいいと思う。統合すればいいということではございませんよ。今みたいにぶった切られて、みんな飛び乗ったり、それから国会まで伺うのにも、とにかくアメリカなら一回乗りかえれば済むところを、三度も五度も乗りかえるようなシステムにしておく、そうして私たち疲労こんぱいした労働力で仕事をする、こんなことはないと思いますね。これはもう社会党も自民党も、ソ連でもアメリカでも資本主義国、社会主義国を問わず、やはり都市計画とか、あるいは技術的な問題の解決というものは、イデオロギーを離れた問題だ、技術的には解決し得る問題じゃないかと思いますので、ぜひ交通問題について先生方にお願いいたしますのは、そういう点で共同に一つお願いしたい。私たちが言いますと、またお前自分の商売を始めたかといって、あまり近ごろ聞いて下さいませんので、ぜひ先生方の御協力で一つ解決していただきたいと思うのであります。
  63. 小澤太郎

    小澤委員長 亀岡高夫君。
  64. 亀岡高夫

    ○亀岡小委員 時間もないようでありますので、簡単に数点だけお尋ねしたいと思います。  緑のおばさん杉村さんにお伺いしたいのですが、先ほどのお話で、単車、小型車、こういうものを運転しておられる方が非常に粗暴な運転が多いということを言われたのですが、もう少し詳しく……。
  65. 杉村安子

    杉村参考人 たとえば、単車で申しますと、信号のないようなところですと、おばさんが旗を出します。そうしますと、向こうから来る乗用車はそこにとまります。当然そのうしろについている単車がございますね。それはもうとまるはずなんでございますけれども、乗用車がとまっているので、その陰に隠れて、まだ子供が来ないだろうという想定のもとに抜けてしまうことがある、こういう場合、私たちは確かに旗を出しておるにもかかわらず、向こうへ抜けてしまうので、あっと思う瞬間がたびたびあります。
  66. 亀岡高夫

    ○亀岡小委員 稲葉参考人、それから松岡参考人のお話にも、ミゼットとかスバルとか、ああいう小型車を運転しておる者が非常に年が若いので、無謀な運転をするというお話が期せずしてありましたのですが、その通り間違いありませんか。
  67. 稲葉知之助

    稲葉参考人 間違いではありません。それはどういうことかといいますと、ただいまおっしゃいましたように、前の乗用車がとまっている、従って単車だとかミゼット、ああいう小型車は非常にハンドルが切れるし、道幅も要らないから、従って、その間を縫って追い越す、あるいは旗を出しているその直前にとまるとか、そういう危険な状態がたびたび見られるわけです。またわれわれのバス、あるいは砂利トラも同じですか、バスには死角という場所があります。いわゆる運転手が乗っていて見えない場所がある。前の方、エンジンがうしろにいっているバスだと、運転手が乗ると、バック・ミラーのすぐ下、あそこはほとんど見られないのです。ですから、乗っていて、さっと来られた場合には全然見えない、ちょっと出だしたら前にいた、そういう状態が非常に方々にあるのではないかと思います。
  68. 松岡純夫

    松岡参考人 私が実際に車を運転しまして、交差点や何かにとまっています。そうした場合、トラックがたくさん並んでおるのに、単車なんか歩道の上を要領よく渡って、歩行者の間を縫って一番先へさっと行ってしまう、それはいつも見ております。
  69. 亀岡高夫

    ○亀岡小委員 校長先生にちょっと伺いたいのですが、先ほど同僚議員からも質問ございましたのですが、今の特別課外教育活動と、それから社会科交通教育をおやりになっているというお話でしたが、これだけでは十二分な教育ができないというお話で、交通科を設けて、そして教育をやるというような御意見だったのですが、これをやるためには相当期間もかかるし、また経費も必要だということで、これだけの社会科あるいは特別教育活動をおやりになって、文部省に対しては、文部省では一片の通達だけで事終われりというような態度をとっておるわけですが、現在の情勢において、もっともっと徹底した交通教育を行なうために、校長先生としていろんな御要望があると思うのですが、もしよろしかったら聞かしていただきたい。
  70. 舞田正好

    舞田参考人 お答え申し上げます。  先ほどもお話いたしましたように、現在におきましては、社会科道徳の時間との中において、交通教育に関連がある内容を子供に授けておる状態で、今後の問題としてはこれでは相ならぬ。それについては、究極の到達点としては、いわゆる交通科という一つの科を設定して、学年を追って具体的にこれを踏み締めていかなければ、とうてい教育に相ならぬ。しかし、これは今先生から御指摘がございましたように、いろいろな法律的な処置とか、文部御当局、国としての考え方があって、急に科を一つ設定するということは、むずかしいと思います。しかし、何とかして、これは将来そういうところにいかなければならぬということが第一点。それに従って、社会科の中で一年間に修得する六十八時間なら六十八時間のうちの何時間は、具体的に交通の内容に対してこれを踏み締めていくような、いわゆる指導内容を急速に作っていく必要がある。これは職場の代表と、現に東京都におきましては、東京都の教育長あたりがやはりそういう点について御配慮いただき、国もしていただいて、社会科の中、道徳の中における具体的なカリキュラムを設定して、それを踏み締めていく。それである年数たちましてから、交通科を設ける段階になるのじゃないか、こういうふうに私は考えております。そうありたいと思います。
  71. 亀岡高夫

    ○亀岡小委員 それから先ほど、今回のバス規制がもし実施されると、いろいろ生徒の教育活動上非常な阻害があるというようなお話がありましたが、東京都内の学校に限らず、おそらく地方の学校あたりでも、四月、五月、六月ごろになると、二百人なり三百人なり、そろって東京に見学に来るわけです。その場合、その規制が、東京学校ですら阻害をするというような場合に、いなかの方の学校あたりでも相当問題になると思うのです。それに対する所見がありましたら、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。修学旅行なんかについて……。
  72. 舞田正好

    舞田参考人 修学旅行についての御指摘がありましたが、おそれ入りますが、もう一ぺん……。
  73. 亀岡高夫

    ○亀岡小委員 今度警視庁の規制が出ましたね。そして三時から六時までですか、バスは通ってはいかぬというような規制が考えられておるわけですけれども、これがもし実施された場合、そういう方面で子供の修学旅行、あるいは東京都内の学校でしたら、いろいろな社会科の勉強ということで、バスを使ってやっております。いろいろあらかじめ計画を立ててやれば、その時間を避けてやることもできるかもしれませんけれども、全国の学校を今から計画的にそれをすることは、なかなかむずかしいと思う。国鉄のダイヤまで変えなければいかぬというようなことになるかもしれません。そういう際に、相当教育上支障を来たすというようなことも考えられるのですが、その点に対する御所見ですね。
  74. 舞田正好

    舞田参考人 お答え申し上げます。  先ほどもお話したように、専門的なことはわかりませんが、四時から六時まで大型バスの乗り入れ禁止というようなお話があるようであります。ことに、先ほどお話したことを繰り返しますけれども、現在いわゆる都内見学、あるいは校外学習で、安全という面からバスをかなり使っているのでございます。ちょうど時間的にも、子供の心身の負担ということから考えましても、帰校は三時から四時になる、あるいはおそくとも五時が限度でございます。ちょうどそういうバスを使った場合に、都内に乗り入れれば、そういう点心配しておるということが第一点。しかし、われわれはバスに全面的にたよっているわけではございませんで、その方の問題はお国の問題でございますが、学校におきましては校外学習のカリキュラムを作りまして、できるだけ遠くへ行くということではなくて、具体的に学校近在からそういうふうに足を伸ばす、そういうふうに見て教育的にカリキュラムを作って、地を踏んでいくという心がまえがなければならない、こういうふうに考えております。
  75. 亀岡高夫

    ○亀岡小委員 それから今野参考人に伺いたいのでありますが、いろいろ今後の審査に参考になる御意見をお伺いしたわけですが、交通行政という面から私ども考えておりまして、現状は非常にばらばらになっておるのじゃないか。一例を申し上げてみますと、認可、許可行政と取り締まり行政というようなものが、片一方は警察庁、警視庁関係、片一方は運輸省といったようなことで、その間に片一方はどんどん車をふやすことに努力がなされる、それに伴ってどんどん取り締まりがきびしくなっていく。相反するような行政を行なっておるわけです。この点において自動車認可、許可という面でお伺いしたいのでありますけれども、営業用自動車は、営業許可を受ける場合には相当きびしく規制を受けるわけなんですが、個人の営業トラックとか、個人の乗用車あるいは軽自動車といったようなものは、ほとんど届出さえも要らないでどんどん使える。それが東京でいいますと、最近七十二万台のうち九割がほとんど自家用車というようなことで、この面に対しても今回の規制は何も考えていないわけですけれども、こういうものを応急の臨時的な措置として、何らか規制を加えなければならぬのじゃないかというような感じを持つのですが、先生の御意見一つお伺いしたいと思います。
  76. 今野源八郎

    ○今野参考人 お答え申し上げます。  車種別の、しかも時間を考え、路線を考えて非常に混雑する時間、混雑する路線について、大型車が、特にトラックが人間よりもあとでもいいのじゃないかということは、一般的に、貨物列車と特急列車とか、飛行機でも、貨物は夜羽田から発着しておりますように、特別に道路が込んでやむを得ないという場合は非常に困ることではありますけれども、ラッシュのときは遠慮していただくというふうにして道路を非常に有効に使うということ、人間の方が物よりも時間を急いでおる、人間の生産活動が大事だということで物をあとにするということはやむを得ないのじゃないか。しかし、先ほど申し上げましたように、その次にそれではどうするのだ、日本におけるトラックの輸送の流れ東京中心にして流すということ、そういう交通政策を確立していただきたいということが関連してお願いしたいことなんです。  それから、自動車をそうどんどんふやすのは問題じゃないかという御質問、これはいろいろな考え方があると思うのですけれども、しかし、世界で、今一億二千万台の自動車が使われております。これは人口二十八億に対しまして大体二十六、七人に一台、東京は十四、五人に一台になっておる。世界の大都市はほとんど二人に一台、ヨーロッパは大都市になりますと四、五人に一台になって、東京の今の五、六倍ないし十倍が大都市の自動車の使い方、われわれ東京なり大阪に生活するのに一体どれくらいの自動車があれば経済生活に差しつかえないだろうか。最適の自動車の数というものをやはり考えてみなければならないじゃないか。そういたしますと、今の数は道路から見ますと多いのですけれども、私たちの生活手段として考えてみますと多いとはいえないのじゃないでしょうか。あるいは日本の地域がこういうふうにまん中に山があって自動車交通の方が非常にグレード、勾配がきつくても克服できるというようなことを考えますと、日本は将来自動車交通をする国の代表的な国じゃないかと思いますと、今の自動車の台数というものは世界の平均台数に比べましても、世界の平均が二十何人に一台でございますから、日本はまだそこまでいっておりませんし、ここで制限するということはどういうものでしょうか。とにかく生活手段でもあるし、生産手段でもありますから、自転車みたいな軽自動車を制限するということも、ちょっと経済的にはマイナスじゃないかということをおそれるわけでございます。
  77. 亀岡高夫

    ○亀岡小委員 よくわかりました。それで、とにもかくにも月一万二、三千台ずつふえるわけですね。その大部分が運転未熟な、小型軽免許でやれるもので、これが東京都内の交通事故の一番大きな原因をなしておるような気がするのです。こういう面は、台数の上では規制を加えるということなしに、やはりもう少し運転の許可条件とか認可条件とかいうものをきびしくしていって、そういう面でもう少ししぼるべきじゃないかというような感じも持つのですが、その点に対してはいかがですか。
  78. 今野源八郎

    ○今野参考人 私は、結論を申しますと、今の程度の試験でもいいと思います。ただ道徳というものについて、これは実際外国人によく悪口を言われるのですが、日本人は部屋の中では行儀がいいけれども、外へ出たら行儀が悪くなる、車を持たしたらいよいよ行儀が悪くなる、どういうわけかと言われますので、鉄砲を持っても自動車を持っても行儀のいい人間に仕立ててもらいたい。それには学校教育、社会教育だと思いますけれども、こんな事故を起こす心配のある者に対しては、かなり訓練をすると申しますか、それはやはり免許の与え方、試験の仕方にもかなり問題があると思いますので、ぜひ交通道徳なり行儀というものを試験のときに教えていただきたい。それから小型につきましては、全く技術が下手だということもあるかもしれません。しかし、それ以上に、人のことをかまわずに、信号も出さずに右に曲がったり左に曲がったり、自由自在にするというようなことも何とか取り締まっていただきたい。もう一つ、構造的に、軽自動車、特にミゼット級になりますと、赤のサインが小さ過ぎて、あれに泥がくっついていますと、右曲がりの信号を出したのか左に曲がるのか、しかもブレーキを踏んでいるのかいないのか、低いものですからわからない。それを平気で動かしているということがありますので、そういうことを制限するよりは、試験の内容を変えていただきたい。先ほど交通教育の話がございましたけれども、やはり実際に日本人の大多数の方がほんとう運転免許をドイツ人みたいに持つ、そうして、学校教育を受けた者は将来軽自動車を持てる、そういうことを一つの条件にしないと、ただ試験がこわくて勉強するとか、遊び場を作っておいて、そこで遊ばせるだけではやはり食いついてこないのではないか。そういう点で、西欧諸国の教育のやり方は実際的である。上を下げてきて、しかも下も上げてくるという教育のやり方も一つお考え願えないだろうか。落とし穴を作っておいてマルバツでやるというような、非常にむずかしい試験をしながら、教習所を出た人は必ずしもそれを守らないということに対しては、やはり多少反省する必要があるのではないかと思います。
  79. 亀岡高夫

    ○亀岡小委員 最後に、今野先生お願いしたいのですが、交通行政は、やっと今度三十七年度から警察庁に交通局ができるというような、非常に行政面ではおくれておるわけなんですが、今後交通行政をどうしても強力に一本化していかなければならぬという感を持っておるわけですが、先生に何か行政面でのお考えがあったら、この際お聞かせしていただきたい。
  80. 今野源八郎

    ○今野参考人 行政の一本化ということは、私ぜひお願いしたいのですけれども、ただし、これは外国でやっておりますような積極的な調整の交通政策を立案していく、これは連絡の会議でやれるのじゃないか。今まで各省の間で接触する面では、さわるべきところもお互いにさわらないというようなことがありましたから、それをなくするようにしていただきたい。よく交通省一本作れば解決するようにも考えられますけれども、外国の例を見ても、警察と運輸行政というものは分かれておる例が多い。それでもやはりうまくいっておるのでありまして、お役所が一つになったからそれでいいというものでもございませんし、問題は、人間的な連絡をする組織を作っていただきたい。  なお、これもお願いでございますが、よく外国人の例を引きますけれども、お前たちはどうすれば問題が解決するのだということを知っていながら実行できないのは、必要な組織なり法律というものの道具なり小道具なりを作ってやる気にならないからで、泣き言ばかりいっておっては、いつまでたっても東京の町は同じだと言われますけれども、そういう意味で、適正な行政機構なりりっぱな措置を作って早く解決をお願いしたいと思います。
  81. 小澤太郎

    小澤委員長 安宅常彦君。
  82. 安宅常彦

    ○安宅小委員 参考人の方には、御飯も食べさせないで大変失礼なんですが、もう私の持ち時間は五分くらいしかないので、ちょっとがまんして、何とかお願いしたいと思います。いろいろ根本的な政策の面や何かについてお伺いしたいと思っておったのですが、以上のような次第ですから、一つの問題にしぼって、ぜひお聞かせ願いたいと思います。  話の糸口として、先ほど松岡さんが、あなたはそういうことはないとおっしゃっていましたが、砂利トラックの中で、神風運転だとかなんとかいわれる、こういう中で信用を得ていきたいという大きな念願がある。ところが、どうしても黄色い信号が出てもばっと飛び出すような場合があります、こういうお話をされました。そのときに、何か、黄色いからまだいいのじゃないか、こういうのでぽんと飛び出すんだというお話がありましたが、なぜそういう気持になるのか、ちょっとそこのところを、松岡さんからもう少し立ち入ってお聞かせ願いたい。何か原因があるのですか。
  83. 松岡純夫

    松岡参考人 それは、私の場合は、そうしたことはないのですが、ただほかの人の場合をさっき申し上げたのです。法規には、交差点の中に入って黄色になった場合には、交差点を過ぎ去るようにしるしてあると思うのです。ただ、たとえば夜間ですと、双方の車がライトをつけてきますから、車とか人は、自分のライトで照らしたり、人のライトによってわかるのです。そうした場合、すぐかわった、じゃ、まだ向こうもとまっておるから大丈夫だという先入感があって走るのだと思います。
  84. 安宅常彦

    ○安宅小委員 人間というものはどうしても先に行きたい、そういう気持はだれにもあるのですが、私が聞きたいのは、いろいろと道徳の面や何かいわれますが、非常に重要な問題点として、あなた方の場合、労働条件の問題があるのではないかと思うのです。私もそういう立場ですから申し上げるのですが、あなたは十五年やって、本俸一万七千円で、一回東京−千葉を往復すれば三百円、二回行けば六百円になる。ところが、先ほどのお話では、三時間も四時間もかかる場合があって、とても二回なんか動けない場合がある、こういうお話がありましたが、そういうことを頭に置いて、まず一つお聞きしたいのですが、初めてトラックの運転手になったとき、あなたの会社の場合、どのくらいの給料をもらえますか。
  85. 松岡純夫

    松岡参考人 私の会社の場合は、初めの一年は八千円だと思います。
  86. 安宅常彦

    ○安宅小委員 それで、新しい道路交通法が昨年の十月からですか、実施になりまして、えらく罰金が多くなって困ったという話がわれわれの仲間でたくさんあるのですが、そういう場合には、その会社が補償してくれる——故意にといいますか、不注意でやった場合は別ですが、過失である、ほんとうに不可抗力であった場合には、会社が負担して、本人が出さなくてもいい、こういうことになっておるのではないですか。
  87. 松岡純夫

    松岡参考人 それは時と場合によると思います。要するに、信号無視とか、スピード違反、通行区分、これは運転手の責任でありまして、会社は全然負担しません。ただし、今うるさくいわれております重量制限、あれの場合、もし同じ数量を積みまして、水が少しあった場合にはやはりそれは重いのです。そうした場合にどうしてもはからなければわからない。それで積んできた場合はつかまる。そうした場合はお店の方が負担してくれるわけです。
  88. 安宅常彦

    ○安宅小委員 そうしますと、大体二回往復したい——これはほかの会社の例では大へん、いろいろ差があると思うのですが、あなたの場合、二回東京、千葉間を往復する。そうして砂利をとる場所が遠くなっておる、こういうときですと大体車を運転している時間は、あなたは一日普通何時間くらいでございますか。
  89. 松岡純夫

    松岡参考人 うちの場合は、採取場がございまして、採取場というのは砂を積む場所ですが、それで優先的といってはなんですけれども、大体時間も、すいている時間というものがあるのです。その時間に合わせて、なるべくなら早く終わるように、積む時間を合わせてやりますから、大体走る時間が結局労働時間と一緒だと思うのです。
  90. 安宅常彦

    ○安宅小委員 走る時間が八時間だという意味ですか。
  91. 松岡純夫

    松岡参考人 そうなんです。八時間ないし十時間以上になる場合もございます。
  92. 安宅常彦

    ○安宅小委員 そうしますと車の手入れの時間、点検の時間、それからお昼の御飯を食べる時間、それから最終的に手入れをしてうちに帰る時間までの間は、大体十二時間くらいになっちゃうのですね。
  93. 松岡純夫

    松岡参考人 しかし車の手入れと申しますのは、うちの方で整備する人がいるのです。その人にまかしきりで、ただ自分たちは朝出だすときと終わったときに、大体の点検をするだけになっております。
  94. 安宅常彦

    ○安宅小委員 あなたの会社でないかもしれませんが、いわゆるトンボ返りといいますかね、労働基準法などを守っておっては、砂利トラの商売はやれないのだというのが、大体一般的な傾向ではないですか。どうなんですか。
  95. 松岡純夫

    松岡参考人 それは、中にはございます。
  96. 安宅常彦

    ○安宅小委員 それでは稲葉さんにお伺いしたいのですが、あなたの会社では、これは東武ですから相当労働協約なんかも整備されておると思うのですが、ただいま申しましたように、労働時間というのは、車を運転する時間を実働時間にして協約になっているのですか。
  97. 稲葉知之助

    稲葉参考人 全くその通りで、ただしうちの労働時間は八時間半で、乗務員の場合は、運行の密度によってABCと分かれているわけです。Aダイヤというのは密度が高いわけです。それは勤務時間六時間半です。それからBが七時間、Cが八時間、こういうふうに分かれております。そういう形態ですから、実際の運転時間はAダイヤで五時間幾ら、こういうふうになっております。
  98. 安宅常彦

    ○安宅小委員 それでは松岡さんにお伺いしますが、休暇というのはどれくらいあるのでしょう。つまり休日、休暇ですね、一週間に一ペんずつあるとかあるいは、十五年も勤めたのですから、年次有給休暇というのはあるでしょう。それは全部使っておられるのかどうか。それから、そんなことをしておったら給料が安いから、どんどんその日も出てくるなんという人が——あなたは十五年も勤めた方ですからないかもしれませんが、新しい人なんかは、どうしてもそうしないと一家を養っていけないなんという仲間はたくさんおるのではないかと思うのですが、どうです。
  99. 松岡純夫

    松岡参考人 休日は一カ月二回です。それで休暇は、一昨年でしたかから年功に応じてだんだんできました。その休暇は、病気あるいは自分の特別な用のときに用います。それから日曜ですけれども、それはうちの場合は、日曜にいたしますと、月給、歩合のほかに、一台やってくると幾らというお金をいただくのです。だから若い——たちまだ大丈夫ですから、だから日曜日やって小づかいかせぎといいますか、そういうことをして現在やる場合もございます。
  100. 安宅常彦

    ○安宅小委員 もう時間だと思うのですが、それで稲葉さんにちょっとお聞きしたいのですが、あなたが運転しておられて一番じゃまになる車、いやだなこの車はという車の種類、どういう車が多いですか。
  101. 稲葉知之助

    稲葉参考人 お答えします。  大きく分けますと、大体私たちが言うのは、自家用族と俗に言うのですが、自家用族と、それから私たちのような職業運転手、こういうふうに二つに分けたいと思うのですが、いわゆる俗に言う自家用族、その自家用族の中では、小型が非常にわれわれにじゃまになる。それからことに自家用車ですか、白ナンバーですか、この方たち運転が、やはり未熟な点が非常に多いのではないかということ、先ほど何回も繰り返すように、ああいう小型車は経験が浅い。あるいは方向指示器が小さいとか大きいとか、そういうふうな面で非常に法規を守らない運転をする、こういうことを私たちは感じます。
  102. 安宅常彦

    ○安宅小委員 最後に緑のおばさん杉村さんと、稲葉さんと松岡さんの御三人にお伺いしたいのですが、特に杉村さんは何回も訴えておられたようですが、その他の方も、労働条件というと何か国会では言いにくいみたいな気がして、少し遠慮しておるのではないかと思うのですけれども、生活保護基準にしてもずっと引き上げられて、大都市では一万を越したくらいになっているはずなんですが、そういうときに九千円くらいでこんな——特に杉村さんのお話ですと、崇高なそういう精神的な立場でやられているのですからこれは別ですが、一般論として日雇い労働者の待遇なりそういうことで、一生懸命私は難儀してやっておる、稲葉さんでも懸命に、われわれは何も事故を起こそうと思ってやっているのではない、だれもこれは事故を起こすまいとしてがんばっておる。これは松岡さんだって同じだと思うのです。そういう立場でわれわれは一生懸命やっているのに、こんな道路を作りやがって何だというような気持ですね。どうも国がおかしいじゃないかという気持というのは非常に私は強いのではないかと思うのですが、そういう気持があるのかどうか、あると思うのですがね。それを一つお一人ずつずっと言ってもらいたいのですがね。
  103. 杉村安子

    杉村参考人 私たちの場合は、緑のおばさんというのは女ばかりの団体ですから、なかなか組合活動というようなことはむずかしいのです。学校に行っていたって、うちに帰りますと、やはり家事というようなことがありますものですから、どこへ何を訴えていいかわからないわけです。ですからこういうふうな機会に、私たちが少しでもお話をいたしまして、皆さんに私たちの気持をわかっていただき、私たちも、やはり社会の水準というものはございますから、それ以上に要望することは——まだ私たち事業は二年半になるかならないような状態でございますので、皆さんの愛情の中で、私たちをかわいがって育てていただきたいと思うのです。そしてどういうふうな基準が私たちに適当かということも、いろいろ物価が上がったり、とうふが上がったり、大へん困ってはいるのですけれども、しかしそれをまとめて、どういう水準で私たちは生活したらいいのかということは、まだはっきりわからないと思います。ですからそういうことを先方方の方でいろいろなところをにらみ合わせて、最も適当な給料にしていただきたいと思うのです。ある学校先生は、緑のおばさんは普通の勤めの人の三倍の賃金をあげるが適当だというふうにおっしゃっていただいております。
  104. 稲葉知之助

    稲葉参考人 御質問されて、ほんとうに胸がすっとしたような気がするのですが、実際において私たちは、政府と言っていいか何と言っていいかわかりませんが、若干手ぬるいというような感じがします。先ほど私が言ったように、橋は作っても道路はそのままの状態におくとか、その橋を作ってそのままの状態において、依然として橋から先は今度細い道がついている。そこで当然どぶを埋めれば、暗渠にすれば、それが確実に広い道路になる。こういう点を放置されている。こういう点を非常に私たちは憤慨いたしております。それと、これは選挙に入りますが、選挙の当時はこうだと言っても、まあ私たちがやるのではないんですが、やはり一般の話の中では、上がっちゃえば何もやらないじゃないか、こういうふうなこともお茶飲み話に出るわけです。そういうことでありますから、われわれの念願としては局所的でもいいですから、今度やる三十八路線の規制より、どことどこの線で橋ができたから、その先はどうもまずいからこれは徹底的にすぐやれ、そういうふうな主眼的に事を処理してもらいたい、こういうことをお願いしたいと思います。
  105. 松岡純夫

    松岡参考人 私の場合は、道路あるいはいい場所を、ガス工事のために一回掘りますと、また埋めます。そのあと水道をやったり、何回も何回も掘り返す。そのために今まで二車線走ってました車が一車線になります。そうしますと、一車線になるので車が長くつながって、それが交通事故のもとになるのじゃないかと思います。  それから暮れの十二月は道路工事をする場合も昼夜兼行で、それこそスムーズにやっているのです。ところが最近また、寒いせいもあるでしょうけれども、正月過ぎにかかったところが一カ月たってまだそのままで、ちょっと下へ——路盤砂利と私どもの方でいいますが、それを敷いたままになってまだ通れないところがあるのです。そういうことをなくしていただきたいと思います。  それからこれは神奈川県の相模川にかかっておる高田橋ですか、その橋が昨年の十一月ごろから工事をするというのでもう通行どめになっております。それが工事をするかと思えばそれきりで何もやっていない。そこを通れば近いのですが、これはいつ直るか近所の人に聞いたら、ことしの一月には直るでしょうとおっしゃっていた。それが三月になり、今度は八月にならなければ直らないようなことをおっしゃっている。そういうことが私たちにはふに落ちないと思っております。
  106. 稲葉知之助

    稲葉参考人 一言申し落としたのでありますが、観光バスの都内通行禁止、通行規制、この点について、手近かなことで申し上げますと、観光バスにはガイドが、女子が乗っているのですが、規制をされると、行き先によっては、東京都に来ても、当然自分の営業所に帰れなくて、どうしても深夜業になる、こういう場合に、労働基準法に触れる。うるさく規制されているのですが、その点一つ御緩和をしていただきたいと思います。
  107. 小澤太郎

    小澤委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人の各位には、御多忙中、長時間にわたって貴重な御意見を述べていただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  暫時休憩いたします。    午後一時二十三分休憩      ————◇—————    午後四時四十一分開議
  108. 小澤太郎

    小澤委員長 これより道路交通対策小委員会を再開いたします。  この際、阪上安太郎君より、発言を求められておりますので、これを許します。阪上安太郎君。
  109. 阪上安太郎

    ○阪上小委員 私はこの際、交通の安全と円滑並びに事故防止に関する決議について、提案いたしたいと思います。まず最初に、その案文を朗読いたします。    交通の安全と円滑並びに事故防    止に関する決議   最近の都市交通事情はマヒ寸前の  深刻な状況の下におかれており、ま  た交通事故による貴重な人命の損傷  は全国的に激増の一途を辿りつつあ  る。これが解決は現下最大の政治  的、社会的並びに人道上の問題であ  つて一日といえども放置することを  許されない。   政府は、さきに臨時交通関係閣僚  懇談会を設け、本問題解決のための  方途を講じつつあるが、事態の極め  て重大かつ遷延を許さざる実情にか  んがみ、この際、さらにその全機能  をあげて道路交通対策の一元的運営  をはかることはもとより、交通安全  諸施設の整備充実とそのための財政  的措置、大量輸送対策の樹立、交通  安全教育の徹底、道路整備の早急な  促進等につき強力に諸施策を推進  し、交通の円滑化並びに事故防止に  対する全国民の熾烈なる要望にこた  えるべきである。   右決議する。  以上でありますが、簡単にその趣旨を弁明いたしたいと存じます。  ただいまも案文で読みましたごとく、最近の都市交通の実情は、全く麻痺寸前の深刻きわまる状態になっております。これに伴いまして、交通事故もまた全国的に激増の一途をたどっております。昨年は、熊本市の人口にほぼ匹敵する驚くべき多数の人たちが、貴重な人命を損傷いたしておる次第であります。従いましてこれが解決は、政治的、社会的にはもとより、人道上の見地からいたしましても、一日も放置することは許されません。国民もまた、この事態のすみやかな解決を心から願っておる次第であります。  御案内のように、政府におきましては、さきに臨時交通関係閣僚懇談会を設けまして、その対策に腐心はいたしておりますが、事態はきわめて重大であり、かつ、事は急を要しております。そこでこの際、政府において、道路交通の円滑化と能率化並びに事故防止のため、さらにその全機能をあげて、強力に諸施策を推進することを必要と認め、実はこの決議案を提案いたした次第でございます。  なお、本件につきましては満場一致の御賛同を願いましたならば、小委員長より地方行政委員会に報告の上、委員会の決議とするよう、お取り計らいを願いたいと存ずる次第でございます。  以上、自由民主党、日本社会党並びに民主社会党の各小委員を代表いたしまして、この決議の趣旨を弁明いたした次第であります。よろしくお願いいたします。(拍手)
  110. 小澤太郎

    小澤委員長 ただいまの阪上安太郎君の御提案通り決するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  111. 小澤太郎

    小澤委員長 御異議なしと認め、そのように決しました。  次会は、公報をもってお知らせすることといたしまして、本日はこれにて散会いたします。    午後四時四十五分散会