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1962-04-09 第40回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年四月九日(月曜日)    午前十時二十分開議  出席委員    委員長 加藤常太郎君    理事 青木  正君 理事 高橋 英吉君    理事 竹山祐太郎君 理事 丹羽喬四郎君    理事 島上善五郎君 理事 畑   和君       荒舩清十郎君    仮谷 忠男君       藏内 修治君    薩摩 雄次君       中垣 國男君    林   博君       福永 一臣君    小林  進君       堀  昌雄君    山中日露史君       山花 秀雄君    井堀 繁男君  出席政府委員         自治事務官         (選挙局長)  松村 清之君  委員外出席者         自治事務官         (選挙局選挙課         長)      中村 啓一君  出席公述人         評  論  家 小汀 利得君         評  論  家 長谷部 忠君         新潟県選挙管理         委員会委員長  笹川加津恵君         弁  護  士 牧野内武人君         東京都品川区選         挙管理委員会委         員長      岡崎 采女君         評  論  家 御手洗辰雄君         香川県坂出市婦         人会会長    綾  房江君         民主社会主義研         究会議事務局長 和田 耕作君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聞いた案件  公職選挙法等の一部を改正する法律案内閣提  出第一〇八号)      ――――◇―――――
  2. 加藤常太郎

    加藤委員長 これより会議を開きます。  本日は、内閣提出公職選挙法等の一部を改正する法律案について公聴会を開きます。  この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中にかかわらず、本委員会のために公述人として御出席を賜わり、まことにありがとうございます。  すでに御承知のごとく、昨年十二月二十六日、選挙制度審議会から、公明選挙をはかるための答申内閣総理大臣に対してなされました。この答申趣旨に基づき、去る三月一日内閣より公職選挙法等の一部を改正する法律案提出され、同日本委員会に付託されました。申すまでもなく、本案は公職選挙法の全般に及ぶ大改正でございまして、一般的関心及び目的を有する重要なる法律案でございますので、ここに公聴会を開会し、学識経験を有する方々より御意見を拝聴し、もって本委員会の審査に資したいと存じます。公述人各位には、それぞれの立場から腹蔵のない御意見の御開陳をお願いいたします。  なお、議事の進め方につきましては、公述人意見開陳の時間は大体お一人二十分以内とし、委員長の指名の順に御発言を願い、そのあと委員の質疑に答えていただきたいと存じます。  それでは、ただいまより公職選挙法等の一部を改正する法律案について、公述人より御意見開陳を願うことにいたします。なお、島上善五郎君外二名提出修正案につきましても、御意見があればお述べいただきたいと存じます。  まず、評論家の小汀利得君より御意見の御開陳をお願いいたしたいと思います。小汀利得君。
  3. 小汀利得

    ○小汀公述人 だれでもそういう前置きをしますが、私はほんとうにこの方はしろうとで、やった経験もないし、同僚諸君の、一緒に出ておる長谷部君のような専門知識も持っていません。ただ大ざっぱな自分の考えを申し上げてみたいと思います。  今度問題になっております連座範囲及び程度の問題でありますが、これは私は今度の改正案の方がいいと思う。公職選挙法改正審議会ですか、あすこで出したものは少し片寄っておる。ああまでどうも極端なことをやるということは――今の日本は、戦前の家族制度がくずれて、いい面もあり悪い面もありますけれども、どうも非常に変なふうな、ヌエ的なものであって、どうなるのだかわからないような、家族といっても、今は、たとえば私は、一家の戸主でなくて、戸籍筆頭人かなんかですが、それがどうかすると、その親や兄弟や子供がこの選挙問題について連座するといったようなことは、どうもおかしくないかと思う。これはもちろん、そのやっていることの程度によって多少のことは考慮しなければなりませんけれども委員会が出した案というものは非常に極端なものであって、それを今度政府案で縮められて出されたということは、けっこうなことだと思うのです。  それから高級公務員を限定する問題でありますが、これは私も、かねがね高級公務員がいろいろ職権を乱用していうか、職場を利用してやっているらしきことを考えて、常に憤慨しており、何とかできたらしたいものだと考えてはいたものですけれども、しかし、これを法律できめて制限するということになると、これはどうもなかなかめんどうでありまして、一体高級と低いところとをどこに線を引くか、これは皆さん関係のそれぞれの各党から案が出たり、あるいは政府でもちゃんと案は出ておりますけれども、私は、やはり高級、低級というわけにはいかないから、きめるなら、やはり全体に官職にある者がある時期以後にやめて、つまり、選挙の準備にどうもやめたのじゃないか、あるいはそれを何か乱用しているらしきことが常識的に考えられる場合は、これは何とか制限していいけれども、こういうものはやはりほどほどにしないと、どうもなかなかめんどうになる、そんなわけで、この問題も、やはり法律にきめることになれば、なるべく限定すべきものだと思います。  それから寄付の問題でありますが、私は実は理想は個人に限るとしたいと思っておる。けれども、これは専用の皆さんよく御承知のように、今われわれ個人選挙費用をまかなうだけの寄付はみんなでやったところで、なかなか困難だ。これはやはり税制問題から改正していかないといけない。私は、税制を改正して、たとえば各人がその年々の所得の一割以内を寄付する場合はこれを免税にする。これは政治献金と限りませんが、選挙なんというものは年じゅうありはしないから――まあ小さいのはしょっちゅうあるが、衆議院参議院なんというものは何といっても何年かに一ぺんですから、これに寄付する場合は一割までは免税にする、こういうようなことをやれば、私の考えている、寄付個人に限る、こういうことが可能だと思うのです。しかし、今のところではどうも個人に限るなんということはできないから、ほどほどのところでいいと思う。そしてこれが今度の論点というか、一番めんどうな問題のようですが、争点になっているようですが、全体として、選挙なんというものは、もっと制限のない、ほがらかになるか、それとも大へん殺伐なものになるか、その結果はやってみないとだれにもわからないけれども、もう少し制限のゆるやかな、いわばいい意味のお祭り騒ぎで――まあ騒ぎは困るが、お祭りでやれるようにする。何かこまかい法律知識がないと、いつどこで引っかかるかわからない、こういうようなことははなはだおもしろくないことだ。そんなわけで、全体的に制限をもっとゆるめた方がいいと思うのです。  なかんずく、買収とか、いろいろ金銭上の問題ですが、選挙費用の問題、これは買収ということは実にけしからぬことであって、何としてもとめたいものであるけれども、まあどうも何となく常識で、そういうことは多くの人がやっている、こういう感じを与えているようなときには、大へん、やかましくやっていても、それは上手にやる人は免れて、つい運の悪かった人あるいは下手な人がひっかかる、こういう感じを与えている。これはまことによくないことだが、国民常識になっている。それは法律的に証拠をあげるといっても、だれがやったか言ってみろ、あげてみろなんと言われたら、だれも言え、ないから、これはにやっと笑って、どうせお前も知っているだろうぐらいな顔をしているけれども、こういうことは、私は、どっちかというと野放しにしたらどうかと思う。これは近年考えたことではなくて、ほとんど三十年、いや、もっと前からそれを言っているのですが、私の友人の検事なんかでも、いや、われれの中にもなかなかその論があるのだ、選挙違反問題でいろいろやってみると、非常に困難で、むしろこれを思い切って野放しにした方がいいというのがわれわれの仲間でもあるのだと言っている。また、ある判事にその話をしましたところが、いや、それは何もお前の専売特許ではない、われわれ裁判官の仲間にも、どうも選挙法の、特に金銭の問題、選挙費用の問題なんというものは、つまらない制限を加え、ないでやらせたらいいと思うというのがある。私はこういう野人ですから、そこで、どうだ一つ、使いたければ何億円でも使う、何億円、何十億円何度でも使えるやつはいないから、そうなれば、一度出れば大てい破産してしまうから、むしろかまわないでそれをやらせておいたらどうだと言ったところが、それも一つ方法だよというようなこと、私の仲間では、概して、そういう意見の者が集まっているかもしれないが、盛んに選挙費用を野放しにせよいう議論があるのです。まあいずれにしましても、あんまり制限が多過ぎて煩瑣でありますと、いわゆる民主政治というものを育て得ない。これを育成するのには、あまりつまらないことで、うっかりするとひっかかる、極端な形式犯は別といたしまして、うっかりしたら厄介だというおそれを抱かせる――大体われわれの仲間も話しているわけですが、出ているから仕方がないけれども最初議員に出るときは、奥さんやお嬢さんやあるいは親戚の人は、手を合わせて、どうぞ出ないでくれなんと言われるというようなことは、この大事な、どうしてもなってもらおなければならぬ、やってもらおなければならぬことを、何となく周囲がいやがるなんということは、これは大へんなことでありまして、結局そういう点で、今度のような連座規定なんというものは、なかんずく最もはなはだしき弊害を伴うことですから、まあそれも大いに範囲制限したから、今までも多少あったことだから、この程度はよろしいが、できるだけこれをあまり広くしないようにした方がいい、こう思うのです。  それから私は、ついでながら、全国区というものを廃止した方がいいと思っている。これは何もここであまり力こぶを入れて申し上げる必要のないことですけれども、私も実は国会議員の一員として全国区というものは大へんいいのだろうと思って賛成したのですが、実に驚いたことに、はなはだどうもおもしろくない情勢を見ている。そして今度でも高級官僚がどうとかこうとか、官吏というか、公務員をどうとかこうとかということが特に全国区問題にしぼられているところを考えましても、これは大きな問題である。これを廃止するという方向に向かってもらいたい。できたらこの公職選挙法改正審議会でこの問題をきめてくれればよかったにと、私は実は幾らか不足に思っておるくらいであります。  大体一応こんなことで私は引き下がりますから、またあとで御質問いただいてお答えすることにいたします。(拍手)
  4. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に、評論家長谷部忠君より御意見の御開陳をお願いいたします。公述人長谷部忠君。
  5. 長谷部忠

    長谷部公述人 長谷部でございます。  まず最初に、今度の灘挙法改正に対する私の基本的な考え方――と申しますと大げさになりますけれども、今度の選挙法改正は何のための改正であるか、どういう目的改正であるかということについての私の考えから最初に申し上げたいと思います。  結論を先に申しますが、私は、今度の選挙法改正目的、少なくともその中心の目的は、現在のゆがんだ選挙、金の力で汚され、腐敗させられておる選挙粛正して、りっぱな公明な選挙にするということにあると解しております。もちろん、腐敗選挙粛正選挙公明化ということは、選挙法を改めただけでできることではないのであります。その根本は、言うまでもなく、国民全体の自覚と申しますか、政治に対する国民の道義的あるいは知的な水準が上がっていくということにあることは申すまでもありませんが、その根本策は、これはなかなか年月のかかることでありまして、一朝一夕にはできることではない。ですから、その根本につちかいながら、それとともに、選挙法改正によって、制度の面から選挙公明化をはかっていくことが必要である、そういうことから選挙法改正の問題が取り上げられることになったのである、そう私は考えております。これは全便の選挙法改正政府が取り上げたそのいきさつを振り返ってみましても、きわめて明らかだと思います。議員皆さんに向かってそれを説明することはどうかと思いますけれども、おととしの総選挙の前の解散国会で、皆さん方全会一致公明選挙決議をなさいました。その決議の中には、きわめて率直に、物量選挙の弊風の助長されつつあることを認める、こういうふうに言っておられます。つまり、大へんな金のかかる物量選挙の弊が助長されつつあるから、この弊をそのままにしておいたら大へんなことになる、ここでみんな相協力して、何か選挙粛正する方法を講じようじゃないかということが決議趣旨であった、そう私は記憶しております。この決議に対しましては、私ども非常な敬意を払い、また期待もかけておったのでありますが、その直後に行なわれましたおととしの秋の総選挙の結果は、はなはだ残念ながら、その私ども期待を裏切りました。おととしの選挙は、これまでの選挙にさらに輪をかけたひどい選挙であったと思います。もちろん、その実相が外部から正確におかるはずのものではありませんが、私ども感じでそう思うわけであります。国民の肌に感じたところでは、とにかくひどい選挙であったということでありまして、選挙違反検挙件数、こういうものからこの選挙の全体を判断するということは間違いかもしれませんけれども、この前の総選挙選挙違反件数及び頭数というものは、これはかつてない大きな数字に上っております。この一昨年秋の総選挙の実情を見て、国民の間から、この状態をこのままにしておいたらどんなことになるかわからないということで、選挙粛正選挙公明化の声が激しく起こって参りました。その国民要望にこたえて、政府選挙制度改正に乗り出したものである、そう私は解しております。従って、最初申しましたように、今度の選挙法改正目的選挙粛正にある、それが第一の目的である。選挙粛正改正目的である以上、その目的に適した改正をする必要のあることは当然であります。今皆さんのこの委員会で御審議になっておられます政府案を私どもが批評する場合におきましても、それが今言った目的に合致しておるかどうかということを基準にしてこれを見なければならない、そう私は考えます。  そこで、この基準から見ました場合、政府案はどうであるかということでありますが、これも先に結論を申し上げます。私は率直に申しまして、この政府案は今言った目的にかなっていない、その目的からはずれておる、意味がないというと言い過ぎになるかもしれませんけれども、意義の乏しい改正案である、そう私は考えております。その理由を、私の考えを織り込みながら、以下申し述べたいと思います。  私は今度の選挙制度改革に対しまして、大きな線として大体三つのことを考えておりました。その一つは、厳罰主義を徹底するということ、第二は政治資金規正を強化するということ、第三は完全公営と申しますか、当分の間――当分の間と申しますのは、選挙粛正の実が上がって、もうこれなら大丈夫と思われるようになるまでの間、過渡的に選挙運動はすべてこれを公営日本にして、私的の選挙運動は一切認めないということにするということ、以上三つのことをぜひ実現させたい、こう考えておりました。  第一の点、厳罰主義ということについてでありますが、私も先ほど小汀さんが言われましたように、選挙はできるだけ明るい、自由な、伸び伸びとしたものにしたいということには全く同感であります。しかし、今のような乱れた選挙を正すには、決して好ましいことではありませんけれども、相当思い切った荒療治的なことが必要でありまして、イギリスの例などを考えてみましても、腐敗選挙を改めるには、少なくともある期間は劇薬的と申しますか、荒療治的な厳罰主義ということが必要であり、それ以外には方法がない、そう私は考えます。それが一面に余弊を伴うおそれがあるということも、もちろんわかっております。しかし、選挙粛正という大きな目的を達するためには、それもやむを得ないことではないか、そういうふうに考えております。しかし、厳罰主義と言いましても、刑罰自体は、現行法はすでに大体極点に達しておると言っていいと思います。懲役何年というのをさらに重くするということにしましても、これは実際の効果がない。また、それを重くすることにしますと、ほかの刑罰法規との均衡の問題もありまして、なかなかそう重くするわけにはいかない事情がある。そこでこの厳罰主義方法としては、連座制の強化、連座制を相当思い切って強化するという以外には方法はない、そう私は考えましたし、また現在も考えております。この連座制というものの非常に本質的な問題については、いろいろ議論があると思いますけれども、しかしながら、今の選挙粛正目的を達するためには、一つ必要悪といいますか、やむを得ないことだ、そういう根本的な考えに私は立っております。  そこで、その方法としましては、これも結論だけ簡単に申しますけれども、私は、現在の総括主宰者出納責任者範囲を全運動員に及ぼす、ただこれを捕捉することはなかなかむずかしいわけでありますから、これを登録制にして、そしてこれを押えるということにしてはどうか、そういう考え方を持つております。それから今の当選無効の訴訟を起こす、選挙人なり、相手の候補者が当選無効の訴訟を起こす、今度の改正案では検事がこれをやることになっておりますが、これを刑事判決確定と同時に自動的に当選無効とする、こういうことにしたいというのが私の考え方であります。全運動員登録制にして、全連動員連座の対象とするということについては、これは技術的にはいろいろ検討を要する点があるかと考えておりますが、一つ考え方として、そういうふうに思っております。  第二の点、選挙資金規正につきましては、私はすべての法人、すべての労働組合からの政治献金は一切これを禁止する、そうして政治献金個人に限定する、個人献金も最高を押える必要があろうかと思いますが、そういうふうに思っております。この点はむろん政治資金規正法の問題でありますが、選挙に金がかかる、選挙が金でゆがめられ汚される、物量選挙に陥っておるということも、つまりは洪水のような莫大な金がどこからか流れてくるからこういうことになるわけで、従ってそのもとを正そうという考え方であります。そうして、私は実はこの点に一番重きを置いておったのであります。連座のことよりも何よりも、これができれば実際の効果は最も大きいと考えておりました。ところが選挙制度調査会結論は、この原則だけが認められたことになりまして、この点は私は非常に残念に思っております。  第三点の完全公営のことですが、この完全公営をやれば、売名候補やあるいはひやかしの候補がたくさん出てきて収拾がつかなくなるおそれがありますから、それを防止する意味も兼ねまして、必要経費候補に立った人から均分にこれを出してもらうということにしてはどうか、そのかわりに供託金はなくていいと思いますが、そういう考え方であります。もっとも、先ほど申しましたように、公営日本選挙ということは、選挙本来の性質から申しますと、いわば権道でありまして、これはいつまでもやるわけにはいかない。そこで粛正効果が現われたら、これを自由な選挙に返すということが必要だと思います。これは選挙制度審議会でも、私のほかに、これを主張した人が何人かありましたけれども、ものになりませんでした。  以上、私がぜひこれだけは実現したいと考えておった三つの点について申し上げましたが、選挙制度審議会答申では、そのうちただ一つ連座制当然失格の点が最後にやっと取り上げられただけでありまして、あとは全部だめになってしまいました。従って私の立場から申しますと、選挙制度審議会答申そのものも、選挙制度目的、つまり最初に申しました腐敗選挙粛正するに十分有効に役立ち得る改正という線から申しますと、非常にはずれたものである、私は、その選挙制度審議会答申自体に実は非常に不満であります。非常に不徹底なものである、そう考えております。ところがその不徹底な答申が、政府法文化段階におきまして、まず自治省の原案でゆがめられ、さらに与党の手によってゆがめられたのでありますから、政府の案は、私が目ざしておった目標からしますと三段階も四段階も後退しておるということになるのであります。これによって現存のゆがんだ選挙、腐敗した選挙粛正することは、とうてい期待できないと私は思っております。特に遺憾に思いますことは、政治資金規正につきまして、国などと特別な関係にあるものからの政治献金の禁止さえも、これを選挙に限定することに改められました。修正されました。そうして、政治献金そのものははずされてしまったわけであります。これはどういう理由に基づくものであるか、私にはわからないわけでありますけれども、これが最も残念に思う点であります。  そこで、この政府案をこの国会で通すのがいいか、通さないがいいかということでありますが、この点については二つ考え方があると思います。一つは、一歩でも半歩でも現行制度よりも前進しておるものである以上、これを成立させて、さらに後日第二段、第三段の改正によって徐々に積み重ねていく方が建設的なやり方ではないかという考え方、もう一つは、選挙粛正に何がしかの役に立つかしれないけれども、大した役には立ちそうもないと思われる案を通して、これで選挙制度改革はやりました、国民要望にはこたえましたとしてお茶を濁されるというよりも、この際はこれを御破算にして、今後に本格的な改正期待した方がいいではないかという考え方、この二つ考え方があると思います。私は、前の考え方も一応もっともだとは思いますけれども、しかし私自身はあとの方の考え方をとります。それでは本格的な改正がいつできるかということでありますが、これは実は皆さん方にお願いするほかないと思っております。皆さん方国民要望国民が何を望んでおるか、何を願っておるかということを十分御理解下さって、そうして公明選挙を実現し得るような徹底した選挙制度改正に積極的に御努力下さるかどうかということにかかっておると思います。その意味皆さんに私は御期待申し上げ、またお願いを申し上げる次第であります。もっとも社会党から提案になっておりますところの修正案が、皆さん多数の御賛成によってそれが通るということであれば話は別であります。私が今申し上げましたことは、政府原案についてであります。社会党修正は、大体審議会答申の線に戻すようになっておるようでありますが、先ほど来申し上げましたように、私は答申そのものに満足していないわけでありますから、社会党のこの修正案にも満足するわけには参りません。しかし、この程度のものであれば相当の効果期待できるのではないかと考えますので、この修正案を決して最善のものとは考えませんけれども、次善の案、あるいは三善の案としてこれに賛成いたします。通すならば、せめてこの程度修正はぜひやっていただきたいというのが私の希望であります。ただ社会党修正案を読んでみますというと、連座の親族の項につきまして、「意思を通じて」ということが入っております。これは答申にはなかった点でありまして、私は賛成いたしかねます。どうしてこういうことにしたか、どうしてこういうしぼりをかけたかということの理由が私にはわかりませんけれども、どうしてもそういうしぼりをかける必要があるとすれば、その挙証の責任を検事側に持たせないで、被告側に持たせる、そういう考え方もあるのではないか、もちろん私にはそういうこまかいことはわかりませんけれども、どうも検事の方が挙証の責任を持つということになると、これは逃げ道になるおそれがあるのではないか、私はそういうふうに見ております。  最後に選挙制度改正に関連しまして、私がかねて考えておりますことを二点だけ述べさしていただきます。  一つは、私は今の選挙の状態をこのままにしておいたらおそろしいことになる。単に選挙の腐敗だけにとどまらないで、政治全体の腐敗となって、とどまるところを知らない状態になるのではないか、そうしてその結果は、日本の議会政治そのもの、民主政治そのものが危うくなる、そういう危険がありはしないかということを心配しております。多少思い詰め過ぎているかもしれませんが、私にはそう思われてなりません。ですから選挙を正すために役立つことであれば、多少の憲法上の疑義――むろん憲法上正面から抵触するというようなことはやれるはずのものではありませんけれども、解釈の仕方によってはこういう疑義があるという程度のことであれば、これを大目に見て、相当思い切った処置をとる必要があるのではないかという考え方であります。  もう一つは、選挙皆さん方を初め、選挙に出られて、選挙を争われる方にもむろん必要なことであり、大事なことではありますけれども、それ以上に、選挙をする側にとってより大事なことでありますから、従って、国民が公正な選挙をするにはどうすれば一番いいかということに一番の重点を置いて選挙制度のことをお考え願いたいということであります。  以上、簡単でありますが、これで私の公述を終わります。もし失礼にわたった点がありましたら、お許しを願いたいと思います。(拍手)
  6. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に、新潟県選挙管理委員会委員長笹川加津恵君より御意見の御開陳をお願いいたします。公述人笹川加津恵君。
  7. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 今度の選挙制度審議会答申いたしました改正は百数項目にわたっておるのでありまして、私どもが平素選管として十分検討し、決議し、陳情したほとんど多くの点が盛られておるのであります。これに対しまして二、三の点を除きまして、政府の案として国会に提案されましたことは、私は選管の立場としてまことに喜びにたえないのであります。たとえば罰則の強化の点でも、罰金以上の刑に処せられた場合には、直ちにその選挙権、被選挙権を失うということ、それから時効期日の延期の点、また連座規定の問題につきましても、検察当局が直ちに訴訟を起こすというようなわれわれの希望の点が盛られておるのであります。さらに最も私どもが希望いたしますことは、選挙法改正、これに最も大切なことは区制の改正の問題でございますが、それに一歩近づいたような感じのある、人の選挙から党の選挙に移るというようなことにつきまして、たくさんの措置が盛られておりますことは、これは最も欣快にたえないことでありまして、私は政府案のただ一点を除いて、全面的に賛成するものであります。  この審議会の委員の一人の言葉を借りて申し上げますならば、答申案の中には、とうてい政府も政党も国会もこれをのみ込むことができないようなきびしい点がある、こういうことを申しておるのであります。たとえば先ほど申し述べられた点でございますが、連座規定の強化の問題、高級公務員の立候補制限の問題、政治資金規正法改正の問題などでございまして、政府が、この答申並びに意見につきましては十分尊重する、かように申しておりましても、これを直ちにとって、うのみにしてこれを法制化する、制定するというようなことは言っておりませんので、かりに審議会答申がいかに理想案でございましたとしても、そこには現実的な面がなければならぬ、また常識的な面がなければならぬ、さらに合法的でなければならぬのでありますが、責任ある政府は、その行き過ぎを是正し、これを修正することは、むしろ国民に忠実であって、国会通過の近道であると信ずるものであります。  そこで、まず公務員の立候補制限の問題でございますが、私は新潟県選挙管理委員長となって、今年で十年を迎えましたが、その間に、公務員の立候補制限の問題は、話題となり、議論となったことは私の記憶にはありません。それはなぜだと考えますと、これは合法的にこれをきめることが非常にむずかしい、また憲法違反のおそれもある、あるいはまた非常に不公平ではないかというような点で、何らこれは問題にならなかったのでありまして、公明選挙連盟の決議を見ましても、そういう点は盛ってありません。また、われわれブロック会議の、最もきびしい決議をしておりますところの、あるブロック会議決議におきましても、高級公務員の立候補制限の問題につきましては、何ら触れておらぬのであります。さようなことで、私はいま少しく掘り下げまして、この高級公務員制限の問題につきまして、私の意見を申し上げてみたいと思うのであります。  一体今度の審議会は、答申はできるだけ尊重するが、具体的の意見一つ出してもらいたい、こういうことになっておると思うのでありますが、それが、なるほど高級公務員というような公の職を利用して、事前運動まがいの選挙連動をやって、そして票を集めるということは、これはけしからぬことに違いございませんが、しかしながらこの答申は、法律で定める職にあった公務員は、とこういうふうにして、参議院全国区の最初選挙に立候補することができない、こういうふうな答申でございまして、これを私、考えますときに、どうしても具体的にこれを答申することができなかったのではないか、かように考えるのであります。たとえば、一体法律で定めたところの公務員というものは何を目するのであるか。大蔵省である、あるいは通産省である――しかもその職でございますが、これは事務次官からあるいは部長級あたりまでをさすのか、さらに課長級までさすのか、そういうことをきめるには非常に困難であり、不可能な問題だと私は考えるのであります。かりに高級公務員であったといたしましても、何らそういうような不正な選挙をやらなかった者でも、またやろうとしない者までも立候補制限するというようなことは、非常に私はその人に対しまして同情しなければならぬ点だ、かように考えておるのであります。ことに憲法違反のおそれがある。すなわち憲法第十四条、それから憲法四十四条、憲法第二十二条などに、この点において憲法違反のおそれがある、かように私は考えるのでありまして、いやしくも違反のおそれのあるものを、責任ある政府がそのままこれを国会に提案するということは、これは無理なことでございまして、むしろこれを修正する、あるいは是正するということが当然である、私はかように政府案を支持するものでございます。  さらに私は、答申そのものをきわめて善意に解釈いたしましても、この立候補制限というものは、制限そのものではなくて、公職にある者がその職を利用して不正な選挙を行なって、そして票をとりがらだという点にあるかと思うのでありますから、これは目的ではなくて、一つの手段であるというような点を考えるならば、高級公務員のみならず、一般の公務員のその選挙違反というものを罰し、さらにその当選した者を失格せしめるということが、私はきびしいところの政府案であるとは申しながら、当然そうあるべきだと考えるのであります。  次に連座制の強化の問題でございますが、これは私ども要望いたしましたのは、いわゆる連座制の強化というものは、何としても一つ、直ちに担当の検察官がこれを訴訟を起こし、そして当選いたしました人にいわゆる裁判の自由を与えるということが必要でなければならぬと思うのであります。でありますので、今までの選挙法、これには、総括主宰者あるいは出納責任者というような、選挙全般にわたって、その選挙全体をある程度不正にしたというようなおそれのある者について、特別にこの連座制を設けたのでございます。親族であるというだけでもって連座の対象にするというようなことは、ほんとうの選挙を知らないのであります。よく相続の問題でも、親子あるいは兄弟、これこそ仇敵のごとく考えておる者があるのでありますから、そういう親族、兄弟というものを直ちにとって、そういう者が多少の刑法に触れたといって直ちに候補者を失格せしむるということは、まことに過酷な点でありまして、これにつきましていろいろの条件をつけまして――その条件といえども、これは私は妥当なものと信ずるのであります。もともと選挙というものは国民の直接の投票でございまして、それを連座という規定によって失格せしむるということは非常に過酷なのでありますけれども、総括責任者、総括主宰者出納責任者というような重要な地位にある者に限って失格をさせる。それがいわゆる買収供応の罪に触れたということによって失格せしむるという範囲を、さらに延ばして、親族であって、そうして同居をしておる、そして候補者と意思を相通じておる、それのみならず、この総括主宰者あるいは出納責任者、あるいは広範囲にわたるところの候補者の身がわりの選挙を主宰したというような親族に限ってこれを取り上げ、そうして連座の対象にするということは当然なことであります。われわれは明朗なる選挙というものを望んでおるのでありまするから、もしも答申のごとく、こういう広範囲にわたっておるならば、選挙そのものは非常に不明朗な、陰気な選挙である、私はかように考えておるのでありますから、当然にこの地位にある者がある程度の処罰を受けた、すなわち禁固以上の刑に処せられた場合においてのみ当選を失うということにしたことは、当然のことであると私は考えるのであります。もとよりこの連座制というものを強化するという目的は、おのずから限界があるのでありまして、連座制を強化するだけで公明選挙目的を達するということは言い得ないと私は考えるのであります。ことに、当選人が何ら裁判を受くるところの権利もなく、憲法に裁判を受ける権利を持っておるのでありますから、それを直ちに失格させる、何ら裁判を受ける権利も、証拠を出す権利も、それまでも取り上げて、この連座規定という特例中の特例によって、そうしてこれを候補者に持っていくというふうなことは、私はこれに対しましては、むしろ政府案のこの修正案というものが非常に合理的である、かように考える次第でございます。  それから、政党その他の政治団体に対する寄付規制の問題でございますが、一体個人寄付を対象とするというようなことでほんとうにいったら、保守党も革新党もお困りにならぬでしょうか。個人的の(「そんなことを心配してもらわぬでもいい」と呼ぶ者あり)いや、私は心配しているのです。なぜかというと、先ほど申し上げましたように、個人的のいわゆる選挙から政党の選挙になったのでありまして、一昨々年、私はアメリカの総選挙を見て参りましたが、日本の政党くらい政策の宣伝の足りない政党はございません。私は選挙管理委員として、国民の意識を高揚するために、両党の政策を公平に掲げて、そうしてどっちがいいかということはおのずから皆さんの判断に待つというようなことで、あなた方にかわって常に私はこの政策の宣伝に努めておるのであります。一体、国会議員選挙というのは、どの党が政権を取るか、どの党に政権を渡すかということが眼目でございまして、その政党のいかんによっては、外交の問題、経済の問題、防衛の問題、文教の問題、すべてに影響するのでありまして、この国会議員選挙ほど大切なものはないと私は思うのであります。そういう点から考えまして、これをただ個人寄付だけに待つということでなく、革新党も一つ何とか成長さしてやりたい、また保守党も成長さしてやりたい、こういうような考え方から寄付をする。   〔「時間超過だ」と呼び、その他発言する者あり〕
  8. 加藤常太郎

    加藤委員長 公述人の発言中は御静粛に願います。
  9. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 両党の政策の宣伝が足りないということは、イギリスにおいて保守党のマクミラン、労働党のゲイッケル、これは常時テレビの放送をやっております。党自体は個人の問題、個人候補者の問題に触れず、党自体の政策の宣伝をやっておるのであります。こういう点から考えて、今、政治資金規正法を取り上げて、これは政党の運動にだけ使う金である、これは選挙資金に使うのだというような区別が、どうして一体つけられるのか。ことに、まだ審議会の委員の中に残された重要な問題がございましょう。区制の問題、この問題が何よりも公明選挙を解決する唯一のかぎでございますが、これを解決しなくとも、まずまずこういう程度一つこの政府案というものを通そうじゃないかということがわれわれ四十六都道府県の意見でございまして、そのとき政党法の問題も出ましょう。そういうものと相並んで政治資金法の改正というものが同時に改正されてもけっこうではないか。こういうふうに、私は政党を愛するがゆえに、政党政治を愛するがゆえに――個人寄付などというものはとうてい大きな金ではございません。しかも日本の政党の政策の宣伝というものは非常に微々たるものでありまするから、むしろこれはしばらくの間――私は反対なのでありますが、せっかくこういうものが答申され、政府案が出たのでありまするから、この一つのために法案が葬られるというようなことがあっては私は残念でありますので、これ全般について私は申し上げます。何としても今度の国会で、できるだけ早くこれを通過さしていただきたいとこいねがうものでございます。  ただ私が最後に申し上げたいのは、一体世間で骨抜きになったとか言っておりまするが、理想案というものを現実に近づける、より常識的にあるいは合法的にするには、骨を抜いてやって、そして現実的なものにしてやるのがむしろ親切ではないか、かように考えるのであります。ややもすると、世論がどうだのこうだのと言っておりますが、世論なんというものは、そんな簡単にこれが世論であるなんかいうこと自体がおかしいのであります。これは古くありませんが、岸さんが汚なき声と言ったことは選挙の面にちゃんと現われた。あれがほんとうに声なき声で、選挙の結果をごらんなさい。そういうように考えますので、軽々しくこれが世論だなどということは、これは大間違いだ。理想案と現実的な国会議員と、それをマッチさせて、そして適正合法的な選挙制度改正案あるいは政治資金規正法というようなものができることをわれわれは望んでおったのであります。何かどうも不平不満のようなことがありまするが、この程度のものが現実的であり常識的である、また合法的である、かような考えをもちまして、私は政治資金規正法はほんとうは反対なのでありますが、事ここに至っては賛成せざるを得ないのでありまして、どうぞ政府案を通過させるよう一つ御努力を願いたい、かように考えます。(拍手)
  10. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に、弁護士の牧野内武人君に御意見の御開陳をお願いいたします。公述人牧野内武人君。
  11. 牧野内武人

    ○牧野内公述人 私は、端的に申し上げまして、選挙に関して処罰規定というものがなくなるような時世が必要だと考えております。選挙の公明をはかることは、民主主義政治のもとにおいて最も重要な問題の一つ考えております。  現行憲法は主権在民でありまして、国民の一人々々が主権者となっておるのでありまして、選挙にこの主権行使の重要な行事でございます。この国民の投票によりまして選ばれた代表によって政治が行なわれていることは、今さら新しく私が申し上げるまでもないところでございまするが、それだからこそ、国民が自由に伸び伸びとした気持になって選挙ができるような選挙制度が必要であるということになるのではなかろうかと思われます。そうした場合に、選ばれる方でなく、選ぶ方の立場に重点が置かれなくてはならないと考えるものであります。そこで、選ばれる人は全く虚心な気持で選挙民に訴えなくてはならないので、どこまでも虚偽や詐術があってはならないのでありまして、従って買収等、唾棄すべき不正の行為は一切これを厳禁する必要があるし、違反行為については、いかに厳格でも、現段階においては処罰をきびしくすることは行き過ぎがないと考えておるものの一人でございます。このことは、一昨年十一月の衆議院選挙におきまして、醜悪な数多くの金による腐敗選挙国民が強い怒りを感じておることによっても、証明することができると考えるのであります。  そこで、今回の選挙法改正にあたりまして、問題となりまする次の諸点について、率直に意見を述べてみたいと考えております。  まず、連座制の強化の問題でございます。選挙制度審議会の昨年十二月二十六日の答申案によりますと、連座制は総括主軍者及び出納責任者のほか、次の者が買収等悪質な選挙犯罪によって処罰された場合にも適用することになっております。すなわち、選挙区において相当広範囲にわたって選挙運動を主宰した者、いわゆる主宰者です。次に、事実上出納責任者の職務を行なった者。出納の実際の責任者でなくても、出納のことについて責任の職務を行なった者。それから候補者の父母、配偶者、子及び兄弟姉妹。これがだいぶ今回問題になっているようでございまして、政府案は、この父母、配偶者、子及び兄弟姉妹につきまして、ある一定の条件を付しております。と申しまするのは、政府改正案によりますると、「同居」、「禁錮以上の刑」、「意思を通じ」、刑の執行猶予の言い渡しを受けた場合を除く等の制限が付されております。「意思を通じ」の条件は存置しても差しつかえないと思いまするが、他の条件は削除して、答申案の通りにすべきであると強く主張するものでございます。なるべくはこの「意思を通じ」ということもとった方がいいと思われまするが、まずこの「意思を通じ」という場合には、意思を通じない場合に問題がございまするので、まず「意思を通じ」というのは一応置いても差しつかえなかろうかと考えます。同居している者もありましょうし、候補者と同居していない者もありましょうし、兄弟姉妹が同居していなくても悪質な違反をする場合が多々ございます。こういう場合にはやはり連座制の規定を適用すべきだというのが私の意見でございます。  それからもう一つ、刑の執行猶予の言い渡しを受けた者には適用がないということに政府原案はなっておる。私は弁護しでございまして、過去において取り扱った事件の事実の経験からいたしますると、選挙違反事件というものは大体執行猶予になる件数が多い。それから悪質の違反の十分の取り締まりの目的を達するには、やはり連座制の規定が必要であると考えます。それで、どういうことになるかと申しますると、連座制の規定が執行猶予になった者に適用がないということになりますと、先ほども申し上げました通り、違反者が執行猶予になれば、選挙違反を起こしても――執行猶予というのは犯罪があるというのが前提でございます。それの執行を猶予するだけの法律の問題でございまするが、大体これは犯罪でございます。その場合にはやはり連座制の規定を適用すべきである、こう私は考えます。  それから次に、即時失格とするかどうか、今の政府原案では、検事訴訟提起によらなければならぬという規定がございまするけれども、もしそういうことになりまするとどうなるかというと、一審、二審、三審と選挙違反を争いますると、大体四年、五年はかかります。この過程において四年、五年かかりまして、それから後、それがきまってから検事訴訟提起によって失格するかどうかということがきまるわけであります。そうなりますと、おそらく普通の選挙による公職者の任期は四年でございまするので、この四年を過ぎてもまだその失格のあれがそのままになっておって失格しないという不合理が、今の法律上からはどうしても出て参ります。それじゃ裁判制度を早めればいいじゃないかという御意見もございましょうけれども、今のように検察側あるいは被告側が自由に証拠を出すということになれば、どうしても時間がかかるわけであります。故意に裁判所が訴訟を遅延するわけでなくても、実際に十分事実を確かめようとすれば、今の裁判制度ではどうしても時間がかかるわけであります。一件や二件扱うだけならそれほど問題じゃございませんけれども、裁判官も体力に限りがありますし、時間がかかる、これが現実の状態でございます。そういう現実において野放図に失格ということを争われることになりますると、やはり任期期間中にまだ失格のことがきまらない。総括主宰者とか、あるいは普通の出納責任者、あるいは親族等の選挙違反があっても、御本人は一向平気で有資格者となって続けておるという実情が続くのであります。これは不合理でございます。よって失格は直ちに執行すべきだという意見でございます。  こういうことを申しますと、憲法三十一条とか三十二条による、いわゆる憲法違反になるんじゃないか、すなわち自由を奪った、あるいは裁判所において裁判を受ける権利を奪ったというような理屈が出てくると思うのでありますけれども、それは、この場合は刑事責任ではございませんし、一つの前提がありまして、関連問題がございますので、そういうことについての対策がもしあるとすれば、その選挙違反を争っておる総括主宰者とか出納責任者とかいう人たちの裁判を争っておる閥に、十分権利の主張のできる立場があると私は考えるのでございます。そういうようなことで、この規定については相当厳格にやっていいんじゃないか。  そうすると選挙が萎縮するという考え方がございますけれども、私はそういうことはないと考えるわけです。選挙は、親族やあるいは兄弟姉妹だけがやるわけじゃございませんので、私が申し上げるまでもなく、大衆の支持がなければ当選ができないわけであります。多数の大衆の支持を得るということになれば、たとい連座制の規定が相当厳格であっても、選挙には差しつかえないと考えます。それじゃ選挙民が萎縮するかどうかということになると思いますが、理想を言えば、先ほど、最初に申し上げました通り、選挙に関しては刑罰の規定が排除される時代が望ましいのでございますけれども、現存においてはどうもそうはいきません。いかないので、やはりある程度規制をしていかなければならぬということになると、やはり私の申し上げた通りになるんじゃなかろうか、こう考えます。  次に、高級公務員の立候補の問題でございます。これについて申し上げますが、高級公務員が過去においてその地位を利用して、権力機構を悪用しまして、許可とか認可とか補助金あるいは交付金の支給等の行政を通じまして、盛んに、露骨に在職中に選挙事前運動をやった例は、私が申し上げるまでもなく、皆さんがすでに御存じのことと思います。国民も知っております。そういう場合に、やはりこういう人を候補者に立てるということは規制すべきじゃなかろうかというのが私の考えでございます。技術の問題とすれば、それじゃ下級の公務員はどうかという問題もございます。下級公務員になりますと、私の考え方では、やはり影響力が少ないのじゃないか。範囲が狭いんじゃないか。やはり官庁とか公社とかいう全国にわたる組織を持っておる公務員というものは影響力が大きい。けれども下級の人はそれほど影響力がないから、下級の人まで及ぼす必要はない。それじゃ局長範囲にするか、あるいは課長範囲にするかという問題になると、多少問題はございますけれども、最高の公務員に限ることが必要ではなかろうかと考えております。そこで、答申は、退職後の最初の参議院全国区については立候補ができないということになっておるようでありますが、社会党修正案は、特定の職務を通じて二年以上の在職者に限って、離職後一年間に行なわれる参議院全国区の選挙に血候補ができないというように、少し変えておるようでございます。この点は私はどちらでもいいと考えます。答申案でもいいし、あるいは社会党案でもいいと思いますが、やはり一定の規制だけは設けるべきだと考えております。  第三に申し上げたいことは、やはり政治資金規正法の一部改正に関する問題であります。この点は、選挙の腐敗の根源が不正な政治資金の流用にあることは、今さら私が申し上げるまでもない点でございます。そこで選挙制度審議会案が、国または公共企業体と請負その他の特別の利益を伴う契約の当事者たる者、または国から補助金、奨励金、負担金、助成金その他これに準ずる交付金、出資金等を受けている会社その他の法人、地方公共団体と同様の関係にある者は、選挙または政治活動に関して寄付をしてはならないものとする、というような答申になっております。この答申によりますとこういう規制がございますが、これは当然のことでありまして、例を見ますると、一般の政治献金とこの選挙資金を厳格に区別することは不可能の状態でございます。現実の状態からいたしますと区別することは不可能な状態でありまして、法案が、選挙資金に関してはこれを禁止するというように規定をされておりまするが、一般政治献金に対しては規制をしておらぬようでございます。そこで実際の例を私調べてみましたところ、ことしの財界から受けました財政投融資によりまする各政党に対する寄付金はどれくらいになるかということになりますと、大体政府が財政投融資で本年交付する金額は八千五百億円になるそうでございますが、本年度上半期におきまして自民党が党として――これは財政投融資と特別関係があるわけではございませんが、財界から献金を受けた金額は三億工千万である。それから社会党はどれくらい受けておるかと申しますと、五千十七万円。それから、これは私が申し上げるまでもなく、皆さんの方が御存じと思いますが、佐藤派の岡山会は八千百七十五万円、岸派の十日会は五千三十万円、これは規正法によりまして届け出られた金でございますが、そのほか政党に財界から寄付されておることは事実でございます。こういう金はどういうところから出ておるかと申しますと、財政投融資の金の出場所は税金でございます。税金はやはり国民の税金でございまして、国民が負掛をしておる金でございますが、こういう貴重な金が財界の方に流れた――いわゆる設備資金のうちから流れるのみではございませんが、そういう金が流れていくというのが現状ではなかろうかと私は考えます。それはやはりせんじ詰めますと、政治の腐敗の根源になる。従ってこれは疑獄、汚職の温床ともなると言うことができ得ると考えます。そうしますと、政界はいつまでたっても浄化されずに、百年河清を待つにひとしいといわなくてはならないと思います。それにこれらの交付金が、国民から徴収された税金からなっておるということも問題でございます。選挙は、申し上げるまでもなく、やはり公明でなければいけません。国民はいずれも公明な選挙を欲しております。朗らかに国民選挙のできるような状態が一番望ましいと考えるのでございます。そういう意味からいたしましても、選挙制度審議会答申が十分とは私も考えておりません。また社会党修正案が十分とは考えておりませんが、冒頭に申し上げました通り、選挙について処罰規定がなくなるような時世を私どもは要求するわけでございます。一刻も早くそうい、時世が来ることが望ましいわけでありますが、順次そういう時世に持っていくために、この選挙法について相当厳罰の規定を設けても、現在においては差しつかえなかろうじゃないかと考えるのが私の意見でございます。  以上をもって終わります。(拍手)
  12. 加藤常太郎

    加藤委員長 以上をもって、本日午前中における公述人による御意見の御開陳は終わりました。  これより質疑に入りますが、小汀公述人は御用のためお急ぎとのことでありますので、まず小汀公述人に対する御質疑をお願いいたします。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。島上善五郎君。
  13. 島上善五郎

    ○島上委員 小汀公述人は私どもとだいぶ考えが違いますので、その考えの基本的に違う点を私はここで議論しようとは思いません。それは省略しまして、ごく簡単に二、三点を伺いたいと思います。  これは他の公述人の方も触れられましたし、私どもも痛切に感じておりますが、選挙界の現状はだんだん金の選挙になってきている。金によってゆがめられている。そういう弊風がだんだんはなはだしくなってきているということは、これは認めまいとしても認めざるを得ない事実だと思うのです。先ほど長谷部さんからきびしく御指摘されましたが、昭和三十五年十一月の選挙、最も近い衆議院の選挙、その直前に選挙粛正決議全会一致で出しておきながら、その選挙が一番ひどい選挙であったということも、これまた事実です。数字でちゃんと出ております。私はその数字は今ここであえてあげませんけれども、違反件数も約八〇%もふえておるし、しかもその違反件数のうちに、俗に言う悪質違反がさらにふえておる。これはとうとうたる流れとでも言うべき悲しむべき事実であります。これはおそらく小汀公述人といえどもお認めだろうと思います。そこで私は、この弊風を改めるには、もちろん法律改正だけでは事足りないと思います。政党人の自粛反省も必要であり、国民の協力と自覚も必要であると思いますが、現在の段階においては法律改正もまたこれとあわせて必要である、こう考えます。私の聞き問違いかどうか知りませんが、小汀公述人のお考えは、野放しにしたらいいじゃないか、何十億でも何百億でも使わしたらいいじゃないか、どうせそんなに使えるものじゃないからというような御意見のように伺いました。今の日本の現状では、私はこれは非常に危険なことではないかと思います。今の日本の現状で私ども議論しているわけですから、検討しているわけですから、今のような現状において野放ししてもよろしい、法律改正は必要ない、こういうお考えかどうか、その基本的な点を伺いたい。
  14. 小汀利得

    ○小汀公述人 お答えいたします。  申し上げた野放し論は、あなたの聞き違いじゃなくて、その通りです。おっしゃったような事実があることは僕もよく知っていますが、どうも死命ながら、社会全体がもう金々々、物質的になっちゃって、どんな変なやろうでも、少し金をもうければいばっているような社会だから、これは残念ながら選挙界だけではなくて、とうとうたる弊風で、何とかしたいものだと私も思いますけれども、ちょっと手がかないでしょう。それで、僕は実は今お聞きになったように野放し論です。これはかりに十億も使うばかやろうが出たら、そんなやつは二度と出られませんよ。大体金がなくなるのみならず、あのやろうは十億使ったそうだといううわさが立っただけで、今度は世間が相手にしなくなる。今はいろいろあなた方が御苦心になって、むずかしい規則でもって縛ってあって、いかにも大したひどいことはやっていないかのような感じを与えるものだから、中には、どうも何となくないしょで話を聞いたりすると、もっとひどいものらしいのだけれども、どうも何億も使っている者は何人しかいないそうだというととであるから、そういうのが出られるし、まあまあ世間が常識的にこれをかんべんしているので、これはかえって思い切ってやれば、大てい一回か二回かして、これは大へんだということで、みんなが目がさめる。これはもう僕の一つの案だ。お聞き願うとありがたいのですが、あなた方は、今もうまことにお気の毒ながら、議員であるがために、つまらないやつにぺこぺこなすったり……(笑声)いや、ほんとうですよ。実にひどいんだ。だから僕らは世間へ出てあまりぺこつかないんですよ。くそくらえと思っている。けれども議員さんというのはどうも投票というものを考えなければならぬから、選挙の前になると、くだらねえやろうだと思っても、やあとかなんとか言わなければならぬ。ばかな話でしょう、出ていただく議員さんに。そこで僕は一つの案として、それはいやしくも議員選挙するからには、たとえば島上善五郎という票を入れるが――それはだれでもいいけれども、その投票箱の横に、あなたの名前を書いた金入れ箱かおさい銭入れ箱を、それは限度をきめてもいいけれども、まさか一円入れるやろうは大ていないから、十円かなんか入れるでしょう。うまく百円ということになれば、十万人の投票者が入れると千万円あるから、それでもう議員諸君もあまりくだらないことを苦労なさらないで――人間なんていうものはお互いにそれはわかっているんだが、てめえがもらったようなやつはろくなやつがないんだ。そういうやつに限って愚息の大学に入る手続も頼んでくる。あるいはそのやろうが大学を出たら今度就職まで頼んでくる。実は僕は議員諸君、それは自民党からも社会党からもときどき、おい困っているんだというようなことで、まあよろしいということもあれば、それは君だめだぞということもあって、よく知っているけれども、よくもずうずうしくこういう者を選挙民めが議員先生方に頼むものだなと僕は憤慨している。だからこれはかえって、一票入れるたびに自分で金を入れたようなやつだと、そういういやしい根性を起こさない。だからそういうところまで一つおやりになってはどうか。大体僕は今の選挙法のむずかしい規則なんていうものは大てい邪道だと思っているのだ。それは長谷部君なんかが一生懸命あんなむずかしいものをこしらえては騒いだというのが少しこっけいだと思っている。(笑声)それは僕の野放し論は昔からで、今いろいろ経験をして、この年になってきて、いよいよ一回か二回野放しの要ありと思っている。いわば時限法かなんかで、次回とその次だけは幾ら何をやってもいいということをやるといいじゃないかと思う。それから申し上げるまでもないが、講釈師と、はあ一なんていう歌い手が立ったことがあるでしょう。大てい幾らも投票をとらないで落っこっちゃっている。社会なんていうものは、幾ら金を使ったって、変なやつが出て金を使ったら、かえっていいあんばいだ、とっちゃえというので、投票なんかしっこないのだから、一度富の再分配のため大々的に野放しにおやり願いたい。(拍手)
  15. 島上善五郎

    ○島上委員 これはどうも大へん高邁な理想論を承りましたが、私は理想と現実とを混淆しているのじゃないかというふうに思えてならないのです。しかしそれは議論しても仕方がありませんから……。ただ、政府案に御賛成のようでございますけれども政府案も、ものの考えとしては野放しではなくて、もう少しきびしくしよう、こういう考えのしに立っておるわけです。そのきびしくしようというのが、実はあまりにも底抜けで、骨抜きであるから、批判もあるし、私どももこれに対して修正案を出しているわけですが、将来日本国民が、金などを使うような候補者を軽べつして投票しなくなる、金はもらうけれども、ごちそうにはなるけれども、投票しなくなる、そういうふうになったときには、私はそれでけっこうだと思うのです。西ドイツの選挙を見て参りましたが、全く野放しです。野放しですが、買収も何もありません。しかし日本は残念ながら、一都会議員候補者が、成田のお参りにバス百台連ねて連れて行ったという例がある。そしてその人がちゃんと当選している。今そういうような物量選挙になっているということは、とうとうたる物量選挙の弊風が強まっているということは、そういう物量選挙が現在相当のきき目を上げているからだと思うのです。私はその現実を問題としなければ、ほんとうの前進ができないんじゃないか、理想論として、将来五十年か、三十年か、あるいは十年先でもいいのです、国民がそういうふうになった際には、私どもは、さっき牧野内さんかがおっしゃいましたが、それでよろしいと思うのです。そうしたい。しかし現実はそうではない。私どもの心配するのは、もし現に今そういう野放しをしましたならば、少なくとも金のある者が大手をふって国会をまかり通るということになる。そうすると、国民が、そういう金のある者を軽べつして投票しなくなるその前に、国民政治そのものに対してあいそをつかすことになりはしないか。自分が出したいと思うようないい人が当選できなくて、金をばらまいて、目に余るような運動をした者が当選するということになれば、議会政治そのものに国民があいそをつかす、その結果を私どもおそれるわけです。そういう点は御心配にならないかどうか。それから政府案に御賛成のようですが、政府案自体が、現在よりももっと悪質違反に対する取り締まりをきびしくしなければならぬという考えに立っておりますから、政府案に御賛成ならば、野放し論とその点矛盾すると思いますが、いかがでしょうか。
  16. 小汀利得

    ○小汀公述人 それはまことに簡単なことで、私は政府案も軽べつしているし、その前の委員会改正案に至っては、はなはだ軽べつすべきものであると思っている。しかし社会党の案よりも、まだそれでも政府案が幾らかいいから、これを支持する、これはただもう消極的に支持です。ほんとうなら、こんなたわけたことをやめちゃって、野放しで一度先ほど申し上げたようにやっていただきたい。そうしたらどんなに世の中がよくなるか。一回でばかやろうどもが正体を暴露すれば、これで初めてかえってよくなる、ものはあるところまで極端にいかないと、それはおできだって、うみが出ないやつを無理に何とかしょうというと、あとへ傷がつくのだ。その点で、もうお互いにそろそろうみを出すことが急がれる時期だと思う。そういうわけですからどうぞ……。
  17. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に畑和君。
  18. 畑和

    ○畑委員 小汀先生にお尋ねいたしますが、先ほどの御議論も承り、また島上委員に対する御答弁も伺いまして、大体先生の流儀がわかりました。もっとも今まで先生のいろいろ所説も、テレビ等を通じまして何度も聞いておりまして、たいていそういうお考えではないかしらというふうな考えをおぼろげながら持っていました。まあ自由主義経済の経済評論家としての先生でございまするし、ともかくそんな下手な規制はしちやだめだ、とにかく野放しにやってみて、そうしたら今言ったように、うんと使うやつは食い上げてしまう、逆療法で行くべしだという、こういうふうな御議論で、大体想像はしておりましたけれども、まあ世間にはそういうことを言われる方も確かにございます。どんどんうんと金を使わして、そうすれば疲れちゃうのだ、とにかくためしにやってみろ、こういう議論もございます。先生と同じような議論も承っておるのでありまするけれども、われわれは現下の選挙界の情勢があまりにも腐敗し、金の選挙であるという点から、これを放任していて、一体先生の言われる通りにやって、はたして逆療法で効果が上がるものかということに、実はきわめて疑念を反面持つのです。それでいろいろ心配いたしておりまして、社会党でも修正案を出し、答申案の線の方が正しいということで出しておるわけでございます。しかし先生の考え方からいたしますると、われわれのやっていること、あるいは長谷部先生の非常に突き詰めた、思い詰めたようにすら思われるような熱心な粛正論、こういうことが実はむしろカリカチュアのように見えられたと思うんです。そういう点でわれわれとちょっと見解が違うと思いますので、あまりに詳しく突き詰めて言いましても平行線になるので、結局同じことだとは思いますけれども、先ほど先生が言われました連座制の強化、この問題についても、家族連座制の強化に加えるということは、今までの家族制度は徐々に崩壊をして、個人の中心の時代になっておる、それだのに今度家族連座制の強化に加えるというのは、家族制度解消という個人本位の今の世の中に逆行するような印象を受けるというような御説だった、かように私は理解いたした。しかしわれわれの考えでは、もちろん基本的な立場が、先ほど申し上げましたように、われわれはこの段階で、ここで選挙粛正しなければならぬという考え方に立っておりますからという理由になるかもしれませんけれども家族制度の解消という問題と別に、それとは全然考え方が違って、次元が違って、こうした家族が隠れみのになって大いに選挙運動をやる場合が多い。しかし、これももちろん人情の自然でございまするから仕方がないといたしましても、この辺で道義的責任という立場から、家族の違反を本人の当選に及ぼすということでやらなければ選挙界が粛正されぬのではないかという考えをわれわれは持っております。その点いかにお考えになりますか、承りたい。
  19. 小汀利得

    ○小汀公述人 まことにごもっともで、それは私は根本的にその問題でどうもあなた対立するほど意見が違っていませんけれども、しかしそれは、今腐敗しているから粛正するために家族連座もやむを得ないというのも一つ考えなら、私がさっきから申し上げているように、もうかまわず、野放図にうっちゃりっぱなしにしてやらしてみたら、どうもあれはかかあも娘もみんなでやって、やがて悪いことをしているなということがわかれば、やはりそう何度も続きはしません。それに僕が大体悪いことというのは、人殺しも悪ければいろいろ悪いから、みな一緒にされちゃ困るが、選挙なんというのは、私自身やらないけれども、友人がみなやっているのでわかっている。皆さんには釈迦に説法だけれども、いわば命がけの問題なんです。天下分け目のいくさで、何票かの差で落っこったら、もう自分の存在は一応消えてなくなるのだ。それはしゃにむにやるであろうし、少々無理もするであろうということは人情の自然で、そういうものは日本に昔からあって、アメリカがこわしかけたけれども、幸いにまだ幾分か残っている。この家族が連帯的に一生懸命になるという美風は維持したいと僕は思う。それはどうもソ連みたいに、細君や息子がおやじを訴えたり、あるいはおやじが子供を訴えたりするようになっちゃおしまいなんで、これは僕はどうも連座法律で縛る方にいけないので、何となくある成功を期するために連座でなく連帯ということは、どうもこれは人情として、やや浪花節的になるが、僕は認めたいような気がするのです。あまり責めたくないのです。まあそんなところです。
  20. 畑和

    ○畑委員 もう一つ、その点ですが、これでやめます。先生、今、若干浪花節的になるかもしれぬけれども、そういった人情の美点としてというか、これは認めたい、家族連座制はそういう点で不賛成だ、大体こういうような御意見です。ところでそれは、今一般には論議としては、憲法違反だ、特に即時失格の場合ですが、それが大いに議論になっておるのですけれども、先生はそれよりもさらに前の段階で、一つの人情として、これまでする必要はないじゃないか、こういう御議論でございますか。
  21. 小汀利得

    ○小汀公述人 私の申し上げようと思うことをおっしゃっていただいたようなもので、私は実は法律の方は昔少しやったけれども、弱くて、全くわからないと言っていいくらいですから、憲法論も全体の法律論も、そういうものを超越してというか、それよりもほかの方で考えている。こんなものは法律論じゃないと思うのです。国会法律の府だから、それはなかなかやかましいですけれども、僕らは法律なんかにいく前に、やはり人情とか世の中の一つの習慣とか、そういう伝統というようなものは、いいものはできるだけ保持していかなければいかぬ。その点で、何かおやじが一生懸命のときに細君や娘があわてて何かやったって、そんなことは――刑法だって今はだいぶ違ったらしいけれども、僕ら教わったときには、親兄弟なんかは隠匿しても罪にはならなかったのです。それから偽証しても偽証罪も成り立たなかった。僕はこれがほんとうだと思うのです。そんなわけですから、大体お察し下すって。
  22. 畑和

    ○畑委員 これで終わるのですが、今先生のおっしゃいました隠匿罪がどうだこうだということは法律家的な――法律家ですから、それからいたしますと、ちょっと違うのです。いわゆる罪九族に及ぶとかなんとかいう、そういうことでいろいろ議論する向きもありますが、法律的にいいますと、連座制の場合は、その親族が違反したことが本人の失格に及ぶということでありまして、ちょっと違う面がありますけれども、しかしこれは議論してもしようがありません。
  23. 小汀利得

    ○小汀公述人 それは同じことです。言葉をあるいは正確に、言わなかったかもしれません。
  24. 加藤常太郎

    加藤委員長 堀昌雄君。
  25. 堀昌雄

    ○堀委員 お話を承って、大へん簡明、率直、明快でよろしいわけでしょうけれども、ちょっと私、納得のできないところが二、三点ございますから……。  今の小汀さんの話では、憲法なんというものはあまり問題にしないで、義理人情でやりたいのだ、道徳心でやりたいのだ、こういうようなお話のようですけれども、全部取っ払ってしまいまして、その場合における基準ですね。あなたは全部取っ払って好きなことをやらしたら、あれはおかしいじゃないかということになるとおっしゃったのですが、取っ払ったとき、その基準というものは何になるか。今は一応法律がありますから、法律にはずれたことをすればよくないということが一つ基準になりますね。ところが今でも、法律があっても、なお法律にひっかからないように悪いことをしている人があるわけですね。しかしそれはやはり国民全体はよくないと思っていると思うのです。やっている人はよくないと思っていない。いいと思ってやっているのでしょうけれども基準は一体どこにあるのか。国民常識の方に基準があるのか、金をやったりとったりする人の方に基準があるのか、法律の問題を離れてけっこうですから……。一体どこを基準にするかというと、国民常識基準でなければならないので、その常識に反するようなことをさらに大々的にやれということは、どうもおかしいのじゃないか。国民常識基準に、全体の法律なりいろいろなものがくるのがやはり民主的な国家というもののあり方じゃないかと思うのですが、その点はいかがでしょうか。
  26. 小汀利得

    ○小汀公述人 何か私の勘違いか、あなたのおっしゃるのは、何もかも法律を撤廃するという意味ですか。
  27. 堀昌雄

    ○堀委員 選挙法について……。
  28. 小汀利得

    ○小汀公述人 その選挙法だって、僕は全部撤廃しようというのじゃないのです。それは仕方がない。かけ足、かけつくらしたって、ちゃんと規則がある。何だってみんなある程度の規則はあるが、こんなせせっこましい、選挙法ぐらい人の自由を縛って――あなた方を一番縛るのです。実際においてはどうだというと、世間の常識が軽べつしているようなポスターの大きさから枚数から、はがきのことまで、いろいろこまかくきめて、そうして考えてみると、大へんな広い選挙区で、案外人が多くて、どうもあの人の選挙費用は何十何万円じゃ済むまいにと国民がみんな常識で知っているのに、それを選挙法で非常識に縛っている。だから、国民常識で認めるようなことであれば、それは通るのです。しかるにそうでなくて、国民常識で認めないようなことを、議員諸君が自縄自縛でだんだんこまかくなすったものだから、そこでこればかりは、選挙違反はつかまった者が運が悪いというような感じを与えるようになった。だから、僕は憲法も何もかも撤廃するのではなくて、ほんのわずかの、あんまり愚劣な、微細な点を縛ることはやめたらいいだろう。そして、ばか金を使うばかにはうんと使わして――そんな者は四百六十七人のうちで二十人は出ませんよ。あるいは第一回だけは三十人ぐらい現われるだろうが、それは一回でおしまいだから、それがいいじゃないか、こういうわけです。
  29. 堀昌雄

    ○堀委員 それならわかりました。というのは、さっき審議会答申もくだらぬし、政府改正案もくだらぬ、こういうお話だったのですが、審議会答申は、今度国民常識の方に選挙の費用等は相当広げてきておるわけです。それから審議会の中の意見は、小汀さんのおっしゃる通り、あまりくだらない小さなことは一つ制限するのはやめようじゃないか、しかし一番肝心なところ、悪質な、金で買収したり、そういうことは一つしっかり取り締まろうじゃないかというのが、審議会の大体の空気なんです。だから、その点はちっょと審議会の内容を御存じなかったしでの御発言だと思うのです。まだこまかい点の答申も出ていますけれども、多数の意見の中には、必ずしもそんなこまかいことを規制しないで、もつ自由にやろうじゃないかというのが審議会の空気であったわけです。その点ちょっとと誤解があるようですから、その点は一つそういうふうに御了承いただきたいのです。  そこでもう一つの問題は、金を使いたいだけ使わしたら、いいだろう、これも私は一種の劇薬療法だろう思うのです。ところがその金が一体どこから出てくるかというところに問題がある。というのは、金は空から降ってくるわけじゃないのですから、どこかにあるものから使う人がとつてこなければならない。大体私どもが見ておりますと、非常に多額の金を使って選挙しておられる方が、自分の金でおやりになっていれば、あなたのおっしゃるように、一ぺんやってしまえばたいていだめです。ところが現在の選挙は、自分の金でやっている人はあまりないようです。大体どこかからむしり取ってやっている選挙になっている。そうすると、むしり取られる方にも問題がありますけれども、今の政治の機構が、小汀さんのおっしゃるような自由主義経済になっていないのです。いろいろな統制をやって、役人の方で手を加えるものだから、そうするとやはりそこで役人のごきげんもとっておかなければならないし、その裏側にある政府・与党についても、一々来られたときに断わってもまずいじゃないかというのが金の流れじゃないかとわれわれは見ておるわけです。そこで今度審議会答申が出て、国に関係のある補助金をもらったり、出資してもらったり、そういう国から恩恵を受けているところは、選挙の資金だけでなく、ふだんもそういうことはやめようじゃないか。これは私、小汀さんのお考えとわれわれちっとも変わらないと思うのです。自由経済というものはそういうものなんであって、自発的に片一方が出すならばいいけれども、そうでなくて、ひもがついたような格好になっているところは、片一方がもらいに行ったら仕方がないから出すということはよくないからやめようじゃないか、大体こういうことが審議会政治資金規正根本になっていると思うのです。だから、野放しで大いに使ったらいいだろうとおっしゃる金は、自分の金なのか、とってくる金を含めて一ぺん野放しでやってみてもいいのかどうか、そこらをどうお考えになっておるか、ちょっと。
  30. 小汀利得

    ○小汀公述人 それは御承知の通り今に始まったことじゃない。前から、政府の請負なんかやるもの、いわゆる政府関係のあるものは出してはいかぬことになっているでしょう。それで今度それをまた少し窮屈にしようとしたらしいですね。そういうものに制限があること、これはさっき言ったように、かけっくらをやったってやはり規則があるように、それはいいのです。ただ、今おっしゃった、自分の金でやるか、人の金でやるかということは、これは昔でも、大多数は、自分の金でやらないで人の金でやっているのです。これは僕が言わないでも御承知の通り。身分の金がそんなにどっさり使えるわけはないんだから――昔、貨幣価値の高かりしころ、選挙費の少なかったころでも、選挙に使う金があれば一生寝てて暮らせるぐらいのものだった。これはいたし方がないですね。だから、どうせ大きな金を使えば、そこに何か変なことがあるだろうということは想像ができるけれども、それかといって、いたずらにむずかしくしたって、悪いやつはくぐる、そして大体知恵のない人や善良な人の方がひっかかったり、あるいは遠慮してとらないから、その点で、やはりあまりつまらぬ、重箱のすみをようじでほじくるような規制はいけない。それを今度も、審議会で、途中においては、あなたがおっしゃるように、あまりむずかしいこと、めんどうなことをやめようじゃないかという空気が幾らかあったにかかわらず、最後にああなった。どうも法律案を作ったり何かすると、これをひっかければ、これを見のがすわけにいかないというので、どっこいどっこいでだんだんああいうふうになる傾向があるものです。これをあるときに思い切ってぴしゃっとやらなければ、どこまでもだんだん微に入り細にわたってこまかいことをやらざるを得ないようになる。もう最後にはとうとう国民があきちゃって、何だ、国会なんて何をやっているところだ、また何とか審議会なんて何をやるかというようなことで不信を起こすから、やはりほどほどにしてもらわぬと困る、こう思うのです。
  31. 堀昌雄

    ○堀委員 小汀さんのお話は、私が最初に伺ったこととだいぶ違うことがよくわかりました。よくないことはやはりよくないので、あまりこせこせしたことはやめてもらいたい、こういう御趣旨だということはわかりました。そこで、よくないことは、われわれは、一つびしっと切りをつけていきたい。切りをつける前に、一ぺん野放しにする方法と、きちっと締める方法二つあると思います。しかし私は、やはりここまで腐敗してきていますと、野放しにすると、さらに一回惰性がついて、おっしゃるように、今度はもう野放しなんだからあたりまえだ。今でも法律があってすら適当にやっている。大物は逃げてしまうというお話ですが、ますます大物がふえはしないかという心配を国民はすると私どもは思うのです。  そこは議論でございますから、そこまでにとどめますけれども、やはり実際問題として取り扱っていく場合には、これはなかなか問題がある。ただ、一般の新聞世論あるいはラジオ、テレビ等を通じて、今回については大体審議会意見というのは非常に賛成されたわけです。答申案は賛成されたわけです。その点、小汀さんも御関係があると思う日本経済新聞あたりも、双手を上げて賛成をして、どうも自民党・政府修正案はよろしくない、審議会答申を尊重しろという社説まで出したわけです。私は、今度の問題については、国民世論、常識的なものじゃなかったかと思いますが、その点について小汀さんはどういうふうにお考えになっておるか、それだけを最後にお伺いします。
  32. 小汀利得

    ○小汀公述人 今あなたのおっしゃったお言葉の中に、たとえば幾ら規則があっても大物はのがれる――僕は大物なんという考えは持っていませんから、どうせそういうのがれるやつは小者のゲジゲジみたいなやつで、それはどうぞ誤解のないように願います。  それから、新聞が賛成しても、僕らも新聞記者でもあり、また、今隠居だけれども、長い間記者をして、いたから知っているが、若いときというものは知識程度もはなはだ薄っぺらだし、それから経験が少ないですから、つまらぬことを感心しがちなものなんです。それで、何か厳粛にこれをやるなんというと、それがよさそうであって、それほどでもない、まあそんなやぼなことを言うなというと、青年、少年から見ると、何か不信用になりがちである。だから、その点、今みんな新聞記者は、僕らの時代と同じで、若いですから、世論というものは何となく――その若い層が数も多いから、新聞の論説を書いている者だって、僕らから見ると子供より若いような者が多いものだから、あるいはそんなことを書いたかもしれないけれども、それは書いたにしても、何も大へん権威があるわけじゃありません。それから今御心配ですが、ここまできておると、野放しにしたら大へんなことにならないと僕は思う。それは見解の差ですけれども、ここまできているから野放しにどうだいと言ってみせれば、なるほどというので、これはいかぬということになるから、根本的に変わって、たとえば議員の質でもまるで変わってしまうだろう、そういう点で僕は野放し論です。
  33. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に井堀繁男君。
  34. 井堀繁男

    ○井堀委員 小汀さんの二つの御意見があるようでありますが、一つは、青天井の野放しでやってみたらという御主張であります。その場合に問題になりますのは、私は政党の問題が出てくると思うのです。政党が十分自粛し――野放しにする場合には、今日のままの姿で政党にまかせることが許せるかどうかという問題が一つあると思うのです。  それからいま一つの問題は、選挙の管理は、御存じのように、現行法では選挙管理委員会に指導をまかしておるわけです。私、選挙管理委員会に多大の期待をかけておるわけでありますが、この選挙管理委員会があなたのおっしゃるような趣旨を十分把握して、しかも強力に大目的のために行動するならば、私はしごく適切な結果を生むのではないかと思うのであります。この政党と選挙管理委員会のあり方についてこの際多少手を加えることができるならば、それも一つ方法ではないかというふうに考えるものの一人なんであります。   それから第二委員会、御存じの公明選挙推進に関する委員会、この答申が、今回の答申案の中の背骨ではないかと非常に期待をかけて、この委員会で熱心に質問をいたしたい思い、またいたしてもおるわけであります。この関係をこの際ある程度育てることができるならば、この選挙法改正というものは成功するのではないか。しかし、あなたのおっしゃられるように、ただ取り締まりを強化したり制裁を強化するというだけでは中途半端になる。それも、先ほど公述人がおっしゃられたように徹底的にやれば別だ。しかし私は、徹底的にやるということは時代の要求に反すると思う。やはり第三委員会答申しておるように、公明選挙運動をあらゆる手で推進していく。それで国民の自主的な責任感というものの上にもし野放しが行なわれるというのであれば合理性がある この点が、あなたの発言は時間が無いので非常に誤解を生むのではないか、私どもそういうものに関心を持ておりますから、以上の政党の問題、選挙管理の問題、そして公明選挙国民連動をやる、この三つの問題について、あなたは何か御意見があるのではないか、短時間で恐縮でございますけれども、この点について一つ意見を伺いたいと思います。
  35. 小汀利得

    ○小汀公述人 政党法の問題ですが、私はその方はしろうとですけれども、政党法というものを作ったらいいじゃないか、そういうものがあるべきだという、ただいわばごく素朴な考えを持っております。  それから選挙管理委員会については、私は全く知識がない。友だちがそういう方に大ぜい関係してはおりますが、あまり聞いたこともないので、全く存じません。  もう一つ公明選挙の問題、私は公明選挙運動というのは前から入っていまして、それはぜひ公明選挙であることを望んでいますけれども、これはまあ申し上げるまでもないですが、ある理想を掲げていても、その公明選挙連動もなかなかそう活発に動きませんし、そうかといって、動かそうと思うと金が要る、その金がなかったりして、僕はその金を集めるのに多少骨を折ってやったことさえあるくらいなんだが、なかなかこういうものはむずかしいですね。やはり問題は国民が自覚しなければ――残念ながら国民は今自覚なんてところからはるか遠いところにうごめいているのですよ。選挙するその大事な代議士諸君から、せめて弁当でももらおうとか、一本つけてもらおうと思うやつがおる間は――実際全部が全部ではないけれども、何と言ったって、あの先生が出てくれるからといって一本持っていこうとか、それこそ弁当代でも出そうという気にならないかと腹が立つけれども、どうも今のところでは、じりじりとだんだん選挙界を腐敗させてきたと言うのでしょう。そういうふうにきめがこまかくなって、網の目もこまかい、綱の目をくぐる行為もこまかいものだから、だんだんそれになれてきやがって――この間もある友人の代議士が言っていました。昔は、先生のお名前でちょっと花輪を出させていただきました。まだそれはいい。近ごろは大きなつらをして、花輪を出して下さいと言って金まで要求してくる、ふざけているじゃないかと言うから、僕もほんとうに憤慨した。われわれも、実はお前の名前でちょっと花輪を出させてもらったから」「ああいいとも」――金を出そうなんて言わない。当然向こうが出しておれの名前だけ使うものだと思っているけれども、どうも政治家諸君にそういうものまで負担させようという根性のやつらが多くなったので、この際に幾らあなた方がお骨折りになっても、僕らが憤慨しても、僕は、一度劇薬を用いなければこれはなおらない、こう思っている。これでもいろいろやりながら非常に腹を立てているのだ。だから、劇薬療法でいった方がいいと思う。おっしゃったといっても、お言葉は何だが、そういうわけですね。
  36. 井堀繁男

    ○井堀委員 謙遜されて政党の問題については御遠慮なすったようでありますが、問題は、政党法に依存するのがいいか、あるいは今日の選挙法その他の法規である程度政党に規制を加える方がいいか、とにかくまだ民主主義の発達していない今日における政党の地位というものが急に高くなっているわけでありますから、この問題を掘り下げないで、何とか片をつけないで野放しのままでは、むしろ危険ではないか。それはあなたがおっしゃるように、一回だけのためしだということになれば、これは別でありますけれども、他のことと違いまして、政治根本を動かす大きな問題なのでありますから、そういう危険などという感じには国民は非常な警戒を持つのではないか。だから、やはりそういうものについては政党がもっと国民の信頼を得られるような姿であるとか、あるいは他の方法で政党に対して国民がある程度そういう大きな事業をまかしてもというような、何かの――それからそういうことは今のところ望めないということになりまするならば、もう一つの問題は選挙管理委員会だと思う。選挙管理委員会制度というものは今あまり活用されていないと私は思うが、あなたは国家公安委員会で御経験なさっておいでになりますけれども、私は、民主政治の中で一番大きな役割を期待されるのは、民生的ないろいろな制度の中でも選挙管理委員会ではないかと思う。ところが、その選挙管理委員会は、今度の政府改正案ではほとんど触れておりません。それから、答申案の中では抽象的であります。それを具体化すべきものであったと思うのでありますが、これは制度としては私はかなり高度なものだと思うのであります。だから、選挙管理委員会というものが、もう戦後何回となく選挙をくぐって経験してきておるわけでありますから、要するに、この実績にある程度国民が信頼を寄せるとか、あるいはそういうものにある程度の具体性があれば、私は、野放し論というものは成功するのではないか、あなたのおっしゃられるような非常措置、切開手術をやるいうような時期だ、と思うのであります。しかし、それをやるには、やはり信頼される医者がいなければ、切開手術をまかせるわけにいかぬわけであります。それは選挙管理委員会か、もしくは政党――しかし政党が、今の場合ではすみやかにそういう姿を取り戻せぬというのが現実に近いのではないか。そうすると、選挙管理委員会というものの、長い経験と、それから組織のよさというようなものに――私は、これを補強するということはそう大きな難事ではないと思うのであります。それで実はお尋ねしたわけであります。  それから公明選挙のことを、質問で十分申し上げませんでしたから何ですが、今度の第三委員会答申は、そういう抽象的なものよりは一歩出ている、かなり具体的なものを答申しておるのであります。その中で私が非常に関心を持っておりますものは、民間の連動、国民運動に期待をかけているのであります。そのために、あなたも触れられておりますけれども、民間連動の盛り上がらない理由は、幾つもあるでしょうけれども、その一つとして、われわれはやはり資金難だと思う。今度の答申案においては、政府はそのために大幅の財政措置をやりなさいということをいっておるのであります。今の国の財政余力からするならば、こういうところに何も金を惜しむことはないと思う。相当財政余力をここに回すことのできるチャンスだと思う。ですから、そういう条件をある程度整えて今おっしゃられるような切開手術ということでありますならば、私は、世論は断然軌道に乗ってくるのではないかと思う。選挙法改正も、要するに一つの大きな目標を見出すのではないか、こう思って、実は一生懸命第三委員会に大きな期待をかけて審議を進めておるわけであります。  それで、実はあなたが野放し論をおやりになったから、きっとそういうことをお考えの上でおっしゃったんだろうと思いまして、三つの点をお尋ねしたわけであります。政党の問題は、私自身も、そう言いながら、これはやはり相当時間がかかる、そう急速に民主化するとか近代化するといってみてもできることではない。また、法律であまりこれに規制を加えることは弊害が多い。でありますから、私は、選挙管理委員会、それと公明選挙運動を答申案の中に――まあおもなものを見てみますと、私どもは従来のものに補強するというようなものでありますが、国民政治常識を引き上げるために、これは、現行法でも第六条規定で、あるわけでありますが、私どもは、これに予算をつけなさい、しかもその金は政府や地方の公共団体の長の息のかかったような金じゃなしに、全く選挙管理委員会が自由に――自由といったところで、法律に基づく目的はあるわけでありますから、使えるような、委託金のような性質の金をうんとふやして、そうして選挙管理委員会が常時国民政治常識を啓蒙、啓発し、今の足りない選挙運動の、政党のやれない、あるいは政党が行なうことによって弊害があるような問題を、選挙管理委員会が行ない得るいい素地を持っておると思う。そういうところにそういう資金が入ってきますならば、あるいは常時啓蒙、教育をやるための事務局を設置する、あるいは専門家を養成していくとか、あるいは選挙管理委員会が、法の精神やあるいは制度の面目を全うするようなりっぱな機能を発揮するようなことをやるということは、そう難事ではないのではないか。すなわち、具体的に言うならば、ひもつきでない資金を相当ここにつぎ込むことによって、画期的な成果を上げ縛るのではないかと私は思うのであります。こういう点に今まで質問もいたし、政府も督励してきたつもりであります。今回の答申案にそれが出ており、そこにあなたの野放し論がたまたま出たものでありますから、こういうものが前提になって、国民がある程度安心してまかせられるような状態ということになると、こういう公明選挙運動の基礎をなす選挙管理委員会――政党も自粛しなければなりませんが、それに、今言うように、要するに答申案にある財政的な措置をうんとつぎ込めということであります。それから将来のことについて学校教育とか公民館教育のことについてまでいっておるわけでありまして、なかなかいいことをいっておるのであります。こういう点について、小汀公述人はすぐれた御意見を持っておいでになるだろうと思って実はお尋ねしたわけであります。
  37. 小汀利得

    ○小汀公述人 私はさっき政党法については簡単にお答えしました。選挙管理委員会の方は全く無知です。公明選挙運動は、お説を承りおきまして、これからいろいろ考えてみます。
  38. 加藤常太郎

    加藤委員長 小汀公述人に対する質疑はこれにて終了いたしました。  小汀公述人には、御多用中わざわざ本委員会に御出席下さいまして、貴重なる御意見を御開陳下さいましたことを厚く御礼申し上げます。(拍手)  残りの三公述人に対しては、時間がおそくなってまことに相済みませんが、三公述人に対する質疑を続いて行ないたいと思います。  質疑の通告があります。順次これを許します。青木正君。
  39. 青木正

    ○青木委員 時間もなくなりましたので、私、簡単に一、二牧野内公述人の方にお願いいたします。  先ほどのお話の中に、高級公務員の立候補制限の問題につきまして、答申案でもよろしいし、社会党案でもよろしい、どちらでもよろしいというお話があったのであります。ところが、御承知のように、答申案は、法律で定める職について立候補制限するという表現になっておるのであります。そのどの職を法律で定めるかということが非常にむずかしい問題のために、政府案がああいう形になったわけであります。また社会党案は、その法律で定める職として、地方支分部局を持っておる中央の官庁の局長のうちの特定のものを選び出した、そこに私ども合理性を発見することができないではないかという考えを持っておるのでありますが、公述人の先ほどのお話では、審議会答申案でもよろしいし、それから社会党案でもよろしいと、こうおっしゃいましたが、答申案というものは、法律で定める職ということになっておって、具体的に何も書いてないのであります。具体的に何も書いていないものと、具体的に書いてある社会党案と同じというお考え、どういう御趣旨か私どもわからないのでありますが、その点についてちょっと御説明願います。
  40. 牧野内武人

    ○牧野内公述人 その範囲については、私自身も、どの程度を規制していいかということについては、はっきり具体的に材料を持っておるわけでもありませんし、わかりませんけれども、とにかく、過去におきまして、ことに農林省の人なんかで私知っている例があるのでござますが、全国的にいろいろ組織をもって歩いておって、選挙に出まして全国区で当選している人があるのです。農林省なんか、いろいろな治山治水の問題もありますし、あるいはそういう利害関係がついてくるんですね。そういうのはきょう始まったことじゃありませんけれども、こういうような人が全国区の参議院議員に立候補していいのかという考え方を今まで持っておったわけですよ。具体的問題になると、どういう制度が官庁の制度であるかということは私個人にはわかりませんけれども、そういう意味で規制をすることが必要だ、こういうふうに考えましたわけです。社会党案は一応出ているようでございますけれども、具体的な問題になりますと、専門家にまかせるより仕方がないのですが、そういう意味で、私自身がそういう経験を持っておるものですから、どうかと思って、規制をする必要があるんだという意見であるわけなんです。こまかいことになるとわかりません。率直に申し上げます。
  41. 青木正

    ○青木委員 私どもも、お話のように高級公務員のある者が非常に目に余る行動のあったこと、これはわれわれも承知しており、これはやはり規制する必要があるということはわかるのであります。ところが、お話しのように、私どもも全く同じ考えで、具体的にしからばどれをきめるかということがむずかしいために、非常に難渋いたしておるのでありまして、そこで、こまかい点は御承知ないというお話でありますので、これ以上お尋ねしてもあるいは無理かと存じますが、何か規制するのに、こんなふうなものを規制したらいいんじゃないかというようなお考えがありますかどうか。つまり、社会党案のように、地方支分部局を持っておる局長、しかし社会党案も、必ずしも全部じゃありませんで、そのうちのあるものを拾い上げておりますが、あるいはまた、過去にそういう職にあって立候補して当選した者があった、そういう職を選び出すとか、何か具体案を作る場合の基準をどこへ求めたらいいか、私どもは具体案を見出すことができず、非常にむずかしいということは、今回に限らず、前々から、もう三、四年前から、高級公務員候補制限をせなければいかぬという立場に立っていろいろ検討してみたのですが、具体的に職を指名することが非常にむずかしいというか、憲法上から考えても、そこに合理性を発見することができ得なかったのでありますので、何か具体案を作る基準についてお考えがありましたら承りたい。
  42. 牧野内武人

    ○牧野内公述人 そこで問題は、政府案によりますと、一般公務員に対しても、選挙違反の場合はという規定がございますが、これは立候補するかどうかについては一般公務員は対象にならぬかもしれませんけれども、やはり感じとしましては、具体的にどういう程度まですればいいかということになると、繰り返して申し上げますけれども、どうもわかりませんが、政府案のように一般公務員まで含めて区別しないという考え方はどうかと思うわけです。これは立候補の問題じゃございませんけれども、そういう点が私どもでもはっきりいたしませんけれども、そういうように一応考えるのです。先ほども申しました通り、下級の人の問題については、むろん、事前運動をすれば選挙違反になるのはあたりまえですが、これは立候補するということがあり得るかもしれぬけれども、影響力が少ないから、規制する必要もなかろうか、抽象的になるかもしれませんが、そういう程度ですね。
  43. 青木正

    ○青木委員 ただいまのお話で、やはり具体的に高級公務員の立候補制限をすることは非常にむずかしいというお考えのようでありますので、これ以上私承ることは差し控えますがそういうことで政府案もおそらく具体的になかなかきめがたいというので、公権を乱用することを抑える。公権乱用ということになりますと高級公務員に限らず、ほかの公務員も当然押えなければいけませんので、ああいう規定になったとわれわれ考えるのであります。  それはそれとして、先ほど、資金の規正の問題につきまして、自由民主党の昨年における資金の問題との関連において財政投融資のことをおあげになりまして、それとの何か関連のごとく自由民主党の資金のお話があったようでありますが、特に財政投融資と政党資金との関連、どういう点からその点を御指摘になりましたのか。政党の資金は財政投融資を受けておるところから来ておると限られたものでもありませんので、どういうお考えからその点を結びつけたのか。
  44. 牧野内武人

    ○牧野内公述人 財政投融資はやはり資本家の方に回って、おるわけですね。大体資本家の方に回っておるわけなんですが、そのものが受けたからといって、その何割かを政党に寄付するということではむろんないと思うのですが、そういうものが出されたことによって資本家が潤って、回り回ってやはりその政治献金が資本家の方から出るのだというふうに考えて差しつかえなかろうかと、こういう意見たんです。
  45. 青木正

    ○青木委員 審議会答申によりますと、財政投融資のほか、ほかのいろいろな政府との関連の問題も出ておるわけであります。そこで、特に財政投融資という点をおあげになったのは、何か特別のお考えがありてのことかどうか、つまり、従来の規定ですと、請負をやっておる団体から寄付を受けることは規制されておりますが、答申考え方は、財政投融資のほかに、補助金であるとか交付金であるか、いろんな政府との直接の関係のある仕事をやっておるもの、こういうことになっておるわけであります。そのうち、特に財政投融資だけ、額までおあげになって御説明になったものでありますから、何か特段のお考えがあってそのことをお取り上げになったかどうか、こういう気持で私は承ったのであります。
  46. 牧野内武人

    ○牧野内公述人 具体的な問題になると、いろいろございましょうけれども、そういう問題をとらえてどうというわけではありませんが、そういうことは選挙に関して、あるいは政治資金に対して、やはりその政党に金を出す一つの原因になるのだということを言える、こういうことを申し上げたわけであります。
  47. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に高橋英吉君。
  48. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 時間もないようですから、ごく簡単にお尋ねをしたいのですが、今青木委員からの質問に対して牧野内先生からお話がありましたのにちょっと私は疑問を持ったのです。財政投融資といっても、資本家ばかりに投ぜられるものじゃない。国民金融公庫のごときに至っては御承知のようなことですし、中小企業金融公庫でも御承知のしようなことでございますが、そういうような意味で、政府の金といいますか、国民の税金によって支弁された財源による政治献金というふうなことになると、日教組とか公務員の方の関係の拠出金、そういうものも全部国民の税金から回るもので、間接にはそういうことになるのですね。そういうものとはちょっと違うとおっしゃるのですか。
  49. 牧野内武人

    ○牧野内公述人 それは違うと思うのです。これは明確に違うと思うのです。それは労働連動・労働組合なんか、給料をもらって、そのうちから会費を出し合って運動するのですから、ちょっと違うと思います。
  50. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 長谷部先生にちょっと伺います。時間がないので、ごく簡単にお尋ねしたいと思いますが、何か言葉じりをとらえることになって恐縮ですけれども、先ほどの公述中に、答申案がゆがめられたというようなお言葉があったようです。ゆがめられたという言葉が再三出たようでございますが、ゆがめられたということになりますと、答申案のものが何か絶対的なものであって、それが非常にいいものであるということが前提になるわけですが、これはどういうものでしょうか。逆に答申案の方がゆがんでおって、これは修正する方がまっすぐにしたのだというような考え方もまた出ずるわけです。それは議論の相違となりますから――主観的な問題ですから、主観的には長谷部先生の方で答申案が絶対的なものとお考えになるのも差しつかえないけれども、公平な評論家としては、そう一方的な、言葉はどうかと思われる節がありますが、どうでございましょうか。とにかく、答申案につきましては、何か劇薬的なものであるとか、とにかく通常ではない、非常時的なものであるという表現がたびたび行なわれているようでございますが、劇薬的なものであるということは、これは正常なものではないということ、すなわち、刀でいえば、右に曲っているか、上に向いているか、とにかくちょっと普通の刀のあり方ではないということもいわれることにたるのではありますまいか。従って、それを正常に引き戻すということは、決してまっすぐなものをゆがめたものではない、かえって劇薬的にゆがめたものをまっすぐにするというふうにもとれると思うのですが、その点どうでしょうか。また、たとえば、たびたび国民常識とか国民の世論とかいうふうな言葉も出ますし、先ほども出たようですが、この政府案に対しましては、全国の知事会からも、全国選挙管理委員会からも、それから各種団体から、ぜひこれを成立させてくれ、通過させてくれ、そういうふうな要請があるのでございますが、こういうものを、私どもは、世論の一つの現われであり、国民常識一つの現われであると考えますが、そうすると、こういうふうなわれわれが考えます国民常識というものは、何かゆがんだ常識であるというようなことに結論的になるのでありますかどうか、その点についてちょっとお聞きしたいと思います。
  51. 長谷部忠

    長谷部公述人 私は、先ほども申しましたように、調査会の答申を絶対のものと思っているどころではなくて、答申自体が、私の考え方からすれば、すでにゆがんでいるのだということをさっき申し上げたわけであります。従って、決して調査会の答申が絶対だとは考えておりません。その私の考え方からすれば、すでにゆがんでいるものを、さらに自治省の原案でゆがめ、その上さらにそれを自民党の手でゆがめたということを申したわけでありますが、これは私の立場から申し上げることでございまして、客観的にいえば、これを変更した、こう言ってもいいと思います。あなたの非常にお耳にさわったようでありますけれども、それはどちらにも言葉の使い方をしてもいいと思います。  それから国民要望というようなことを私言ったといいますけれども、これは今の腐敗している選挙粛正する、そのためには、選挙制度をそれに適するように変えてくれということが国民要望だということを申したのでありまして、今の政府原案国民要望としてこれをつぶしてしまえと言っているというように私は申しておりません。二つ意見考え方がある、通せというのと、出直した方がいいのではないかという二つ考え方がある。私はあとの方の考え方をとる。現に新聞の社説なんかを見ますと、非常に不満足なものであるけれども、いつになったらできるかわからぬから、この程度のものを通せという意見も相当出ているようであります。それも一つの見方だと思います。しかし、私は、先ほど申したように、出直した方がいいという考え方であります。そういうことに一つ御了承願いたいと思います。
  52. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 ゆがめられたというのは、それぞれその立場をとっている方からの言葉であって、公平に言えば変更だというように御訂正になったように私は思いますので、その点については了承いたします。  連座制の問題についてちょっとお尋ねいたしたいと思います。私もたびたび申し上げておりますが、意思のないところに責任はないというのが本則だと思っております。従って、連座制というものは、これは例外中の例外でなければならぬ。従って、イギリス以外にはこういう制度がないということも、御承知の通りでございます。それを日本に限ってこの連座制の強化が盛んに叫ばれている。これはいろいろな関係から、日本独得の選挙界の実情というようなものからそういうふうな議論出てくるのでございましょうけれども、しかし、家族とか親族に限って特にこの連座の目標にしなければならないというふうなこと、この一応の議論もわかりますが、しかし、この議論はあまりに片寄ったものであるというふうにお考えになりませんか。すなわち、たとえ話でいいますと、シカを追う者山を見ずとか、木を見て山を見ないとかいうようなことで、あまりに局部的な責任の追及に急にして、罰ばかり重くすれば何でも解決するというふうな思想の現われであって、大局的に見ました場合には大いに弊害があるのではないかというふうに考えるのです。たとえば、これもたびたび申し上げるのですが、答申案の通りにいたしますと、わずか五票か十票ぐらいな、いわゆる買収犯といえば悪質ではございますけれども、そういうふうな間違いがあった場合に、数十万の得票を得た人が当選無効になる、すなわち、その数十万の汚れない投票というものが全然無効になってしまうのですが、そういうふうなことがあり得ていいわけでしょうか。あまりにその罰は重過ぎはしないか、あまりに過酷過ぎはしないか、そういうふうに考えるのですが、この点についてのお考えをお伺いしたいを思います。
  53. 長谷部忠

    長谷部公述人 私は、先ほども申しましたように、連座制そのものは、これを理論的に言えばいろいろやはり問題があるのじゃないか、そう思います。私は法律の方のことはよくわかりませんけれども、刑法の思想なんかからしますと問題があるのじゃないかと思うのです。ところが、日本選挙粛正するためには、問題はあるけれども、やはりこれは一つ必要悪といいますか、やむを得ないことだということで日本でもずっと古くから、これはいつできましたか覚えでおりませんけれど、よほど前からこれをやっておるわけなんですね。そこで、これをやるからには、これはやはり有効に働き得るものにしなくてはならぬじゃないか。今は、規定はあるけれども、これは全く死文同様になっておる。従って、これを有効にするためには、私は、先ほど申し上げましたように、範囲を広げるということ、それから手続をもう少し簡略にするということ、この三つ考えておったわけです。親族などに広げたというのは、私から言うと、これはこれでやはり狭いわけなんで、先ほど言ったように、選挙連動に当たる者全部に広げるというのが私は望ましいことだと思いますけれども、それにいく一つ段階として、何かそれはひど過ぎる、もう少し狭めたところで線を引こう、それには、ほかに引きようがないからということで親族まで広げたのだ、こういうふうに私はす解しておりますが、連座制というふうなものは早くなくなるように、日本選挙がよくなってくるということを期待するわけでありまして、先ほど申しましたように、私はこれは必要悪だと思います。しかし、選挙粛正するためには、これはどうしてもやらなければならぬ、これをやらなければ日本選挙粛正されない。従って、この際はがまんして――これはいろいろ気の毒な人が現われると思います。しかし、大きな目標を達するために、大の虫を生かすために小の虫を殺すといいますか、そういう立場から、これは一つ政府原案でなくて、この場合は社会党の案というふうなものに御賛成を願いたい、こう私は思います。
  54. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 問題は、親族、家族の問題と、それから一般の連座制の問題の二つに分かれますが、あとの方から申し上げますと、今のお話で、小の虫を殺して大の虫を生かすというふうなお話ですが、これは逆に小の虫を生かして大の虫を殺したことになるのじゃないか、小の虫を生かし、大の虫を殺すといというふうな結論にもなるのじゃないかとも思いますが、いかがでしょう。すなわち、わずかな選挙違反のために、参議院では数十万、衆議院でいえば数万、そういうふうな選挙民の意思が全然無効になってしまうというような、このとうとい選挙民の意思が無効になってしまうというそういうふうなやり方、それが妥当でありましょうか。すなわち、小さな選挙違反というものを生かすために、大きな選挙民の意思を無効にしてしまう、無視してしまう、そういうふうなことは、公平ではないのではないか、公正ではないのではないか、私はかように思います。すなわち、こういうことをこの間も申し上げましたが、国会議員個人は軽いが、されど背後の選挙民は重しというふうな考え方を持っている。そういうふうな意味において、全運動員が、全選挙関係者が、その当落に影響するような、その当選を無効にしても差しつかえないというような広範なる選挙違反を犯した場合、すなわち、その投票が当落に影響する、そういうふうな重大な選挙違反であった場合は、これはもうだれが犯しても連座制を適用していいと思います。しかし、今申し上げましたような、わずかな五票か十票の間違いでも――これは私が申し上げるまでもなく、魔がさすということもあります。これは親族の問題、家族の問題になりますが、ちょっと魔がさして、主人のために、親のために、兄弟のために、五百円なり千円なりの金を出したような場合、それで数十万の選挙民の意思もしくは数万の選挙民の意思が全然無効にされていいものであるかどうか、この点についても私はご見解を聞きたいのです。
  55. 長谷部忠

    長谷部公述人 いや、確かに連座制に今おっしゃったような欠陥のあることを、もちろん私は認めます。従って、こういうものをやらなくて済むように早くしたいわけなん、ですけれども、しかし、今の腐敗選挙粛正するためには、ほかに方法がない、従ってこれをぜひやっていただく、そのために今言ったようなことが起こることは、まことに残念なんですけれども、これは一つ目をつぶってやる。  それから、私、大の虫を、生かすと言いましたのですけれども、先ほど申しましたように、私は、選挙をこのままにしておいたら、これはほんとうにえらいことになるということを心配しておるわけなんです。政党がどうだとか、議会政治がどうだとかいいますけれども、それ自体がもう非常に危険になる――少し思い詰めておかもしれぬけれども、私はそういう考え方を持っておるわけなんで、従って、その大きな目的のためには、個々の問題、人権の問題その他いろいろありましょうけれども、ここでがまんしてもらうということが必要じゃないか、そういう根本的な考え方なんです。  それから先ほど、公平に言えば変更ということに私が訂正したと申されましたけれども、客観的に言えばということでありまして、公平であるか、不公平であるかということは第三者が判断してくれるわけですから、これは一つ訂正しておきます。
  56. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 いろいろ親族、家族の問題の不合理性をつきたいのですが、委員長からこの程度でやめろというふうな御指示があるので、この程度で、ほこをおさめますが、しかし、とにかく長谷部先生あたりの御熱意には衷心より感謝いたしておりますけれども、とにかく現実に即して選挙界を粛正しなければならないと思いますし、根本的に選挙界を浄化しなければならないと思いますが、それについては、選挙制度にメスを入れなければならぬではないか、選挙制度を変えなければならぬではないかというふうなことを考えておりますが、その点についてのお考え方はどうでございましょうか。
  57. 長谷部忠

    長谷部公述人 私は、区制の問題については実は結論を持っていないわけでありまして、ばく然と今考えておりますのは、名簿式の比例代表でなくて、単記移譲式の比例代表を少し検討してみたらどうか、日本の場合にはこれが一番適当ではないか、これは世界のどこでもやって、いないことなんで、いろいろの欠陥があると思いますが、それを私個人として研究してみよう、こう考えております。
  58. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 済みました。
  59. 加藤常太郎

    加藤委員長 次の質問に移りたいと思いますか、議員各位に、お願い申し上げます。公述人の方もお疲れでありますので、なるベくごく簡単にお願いいたします。島上善五郎君。
  60. 島上善五郎

    ○島上委員 委員長の御注文通り簡単にいたします。午後は与党の方も野党の時間を食わしないように簡単に願いたいと思います。  それで、御質問の前に、私は笹川公述人に、これは御答弁の要らないことですが、笹川公述人答申案について少し誤解をしておるようですから、申しますが、答申案は、選挙制度審議会においでは少なくとも理想案とは考えていないのです。前文に書いてありますように、選挙区制や政党制度について検討して、その結果においては現行選挙区制の全面的な立て直しの検討が必要である、しかし、さしあたって、これだけの措置が当面最小限度必要である、こういうふうに選挙制度審議会においては考えておりますから、これは理想案で現実に沿わないものというのは、これはあなたのお考えとしてはけっこうですけれども、その点を申し上げておきます。  そこで、私は二点だけお伺いします。  現行法律にも連座制がございますが、そして政府案は一歩前進と申しますか、一歩強化だ、こう申しております。私どもは必ずしも強化とは認めませんけれども、そう言っております。笹川公述人政府案に御賛成のようですから、その連座制の必要、そしてその連座制を若干強化するということについての必要はお認めでしょうか、それとも、連座制そのものを不当として否定なさるかどうか、この点を伺いたいと思います。
  61. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 私に答弁無用というようなお話でありますが、区制の問題、私はもう小選挙区論者なんです。初めから参議院選挙に間に合うように、この区制の問題と、定員と人口アンバランスの問題等はこの際審議をしないというようなことになっておりますので、小選挙区制、あるいは小選挙区制を土台として比例代表制をとる、あるいは比例代表制を土台として小選挙区制をとる、こういうような重要な問題が残されておるのでありますし、それがきまらなければ、ほんとうの意味公明選挙の実現はむずかしい、こういうふうに考えております。  私ども連座制強化を望んでいることは、確かに間違いございません。ただ、私どもの望んでおりますことは、連産制を強化する範囲を広げるといったところで、おのずからこれは制限のあることでございまして、賛成ではございますが、候補者が当選いたしましても、単に親族なるがゆえに自然にこれは失格するというようなことは、私はいけないと思う。それからやはり当選者としては多数の善意の票が入っておるのでありますから、先ほどどなたか申されましたように、多くの票を生かして小さい虫を殺す、こういうようなこともございますし、親族になりますと、誤ってエチケットでもってあるいは多少の犯罪を犯す場合もございましょう。しかし、それは選挙全般に影響を及ぼすほどのものでないのでありますから、そういう点で私は制限すべきものは制限する、こういうふうに考えております。
  62. 島上善五郎

    ○島上委員 時間がありませんから私も簡潔に質問しますから、簡潔に要点だけをお答え願いたい。  連座制の必要と、その効果の必要をお認めになったようでございますが、私は、現行法にある連座制、及び今度政府が一歩前進と称して出した連座制は、あってなきにひとしい有名無実のものだと思います。連座制があっても実際に連座制効果が上がっていないもの、そういう意味において問題にしなければならぬと思うのです。あっても効果がなければ、これはないにひとしいのですから、何にもならぬ。私は一つの例をここで御指摘しましょう。昭和三十四年の参議院選挙で、全国的に大々的な買収選挙をやった候補者がおります。今個々で名前は一応差し控えておきますけれども、その第一審の求刑がつい先日の十二日にありました。三十四年ですから、約三年ですね。3年で第一審の求刑です。これは判決があって最高裁まで行くには、おそらく早くて五年かかるでしょう。それから今度改正になった法律によって検事が控訴をしまして、六年の任期中に判決がおりるということは考えられますか。考えられません、六年の任期でさえしかりです。しかもこれは大々的なものです。規模が大きければ大きいほど裁判に時間を要することは当然ですね。規模が大きいということは、要するに、言葉をかえて言えば悪質です。悪質な大規模な犯罪の買収犯ほど時間かかかって、六年の任期中でさえ連座の最終決定がおりない。となれば、これは有名無実、あってないにひとしい連座制だと言っても差しつかえないじゃありませんか。これを強化しようとするならば、実際に効果の上がるものにしなければ一歩の前進にもならないんじゃないか、私どもそう考えざるを得ないわけです。事実が立証しているのです。三十五年十一月の衆議院選挙における最も悪質な違反、これまたついせんだって第一回の公判求刑があった。これも、もちろん衆議院は四年の任期を満足にやったことがありませんし、かりに四年やったとしましても、現行法では、あるいは改正法では、とうてい失格の判決なんかおりません。私は極論すれば、これでもって連座制強化だということは、国民を欺くにひとしいと思うのです。それなら、いっそ、連座制というものは不当だからやめましょうといった方が正直だと思うのです。この点に対して、現在の政府案が一体きき目のある、実際に効果の上がる連座制かどうか、この点は、長小部委員にも関連してお伺いしたいと思うのです。
  63. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 簡単に御答弁申し上げますが、今の連座制はあった方がいいか、ない方がいいか、こういうことになれば、あった方がいいに決まっております。ただしかし、それを強化するにもおのずから限度があるのでありまして、今日政府案として提案せられましたものは、われわれが要望しておるのです。全国の四十六都道府県の選挙管理委員会決議として、これは検察官がみずから訴訟を起こすということ、これはやみの取引を防ぐというようなことでございますし、一面また、これと同時に裁判のスピード化、今六年もかかった例を示されましたが、これは一つほかの裁判に先んじて、早くやってもらいたい、こういうことなんです。今日の裁判制度を私どもと話し合うと、どうしても検事の数が足りないのだ、裁判官の数が足りないのだ、だからやむを得ないのだ、こう言っておるのだが、できるだけ早くこれはスピード化して、特に先んじて判決をする、こういうふうなことを私どもは常に要望しております。
  64. 長谷部忠

    長谷部公述人 私は、政府の提案になっておる連座制の強化の点は、現状よりも幾らかいいと思っております。ただしかし、これは私が申し上げるまでもなく、親族の方に突いては四つのしぼり方がある。同居してかつ意思を通じる、これだけで、専門家は、大体これは連座でなくて、共犯の場合が多いので、ほとんど意味のないことだ。それにさらに、禁固以上の刑で執行猶余になった者を除くということになっておりますから、これはほとんど私は有名無実だと思うのです。それから例の実際上の出納責任者の仕事をやった者、これも意思を通じて過半数を支出したということになっております。この意思を通じてということの立証は、これは非常にむずかしい。これは答申。に比べますと、よほど制限を受けております。それからもう一つ、事実相当広範囲にわたって選挙運動を主宰した者というのが、法文になったものを見ますと、一つあるいは二つの地区にわたって選挙運動を主宰することを定められた者となっておるわけであります。私は法律のことはよくわかりませんけれども、あれで見ると、やはり候補者がそれを定めるということが一つの前提になっているのではないか。そうすると、定めたか定めないかということに、やはりここに一つの立証の問題が起こってくる。これもなかなかむずかしい問題ではないかと考える。従って、これはみんなしぼりがかけられておるということで、これで幾らかはいいけれども、ひっかかるという場合は非常にまれではないか。ことに親族の場合は四つのしぼりをかけられて、これは何パーセントになりますか、これにかかるというのはよほどのことではないか、そういうふうに考えております。
  65. 島上善五郎

    ○島上委員 笹川公述人にもう一点お伺いしたい。先ほどか言葉じりをとらえるわけではないのですが、重要なことですから伺いますけれども、ほんとうは政治資金規正に反対だ、こういう言葉をちょっと最後に伺いましたが、根本的に、政治資金は全然規正する必要はない、国の工事を請け負っておる請負人が、選挙に関して寄付しようと、政党に献金しようと、財政投融資で国から莫大な金と便宜を与えてもらっている会社がやろうと、補助金をただでもらっている、利子補給をただでもらっている会社が献金しようと、かまわない。そんなものは全部野放しでいい、全然規正する必要はない、こういうお考えであれば何をか言わんやで、私はその次の質問をする勇気は出ませんが、その点いかがでしょうか。
  66. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 政治資金規正法は、今日これを提案してこれを改正する必要はない。というのは、今後残された審議会の問題として、政党法の制定というふうなこともあると思いますので、今にわかにこれをやって改正するというようなことはやめた方がいい、こういうことなんでありまして、ことに今の政党の現状から見ると、政党の成長、発展のために、どうしても相当の会社、団体等からの寄付が必要じゃないか、こういうふうに私は考えております。もう一つ申し上げますが、政府から補助金をもらう、これはおのずから日本の産業のために必要でありましょう。そういう人たちが、政党の成長、発展、そういうようなことから考えましても、これは何も寄付したって差しつかえないものじゃないか、こういうふうに考えます。
  67. 島上善五郎

    ○島上委員 現在この改正でする必要はない、あと残された政党法の審議に関連して、やったらいい、こういうお考えのようですが、それも一つ考えでしょう。しかし、もう目の前に参議院選挙というものがあるわけですね。私どもは、この答申は、さっき申しましたように、さしあたって必要な措置であって、さらに進んでは諸外国の例もありますことですから、他の政治献金についで、ももっと検討を深める必要があると思いますが、さしあたって、先ほど牧野内公述人が少し数字を間違えましたが、ことしは八千五百億余りの財政投融資があります。それから補助金、交付金等を精密に計算したら、合算して、おそらく優に一兆になるのじゃないかと思うのです。これは直接にか間接にかみんな国民の金です。これを財政投融資――投融資は文字通り投融資ですが、補助金、交付金、利子補給、これはただで差し上げるのですね。ただで差し上げる先から、政党が成長するために献金してよろしいということは、政治道義上どういうものでしょうか。私はこの程度は最小限禁止すべきものだと思いますがね。国が国民のお金をただで差し上げるのですから、あるいは長期間低利でもって非常な便宜を与えて、貸し与える、あるいは投資するのですから。それ以外の一般の会社や個人労働組合は今は問題にしておるわけではありませんけれども選挙制度審議会においては、今後の審議の対象としてはそういうものももっと理想的に検討を深めていこうとしているのです。それをこの次に答申しようとしておるのです。さしあたって今私が言った程度のことは規正すべきではなかろうか、こういう考えですから、そして選挙に関してということをつけ加えますと、結局これが大きな抜け穴になって、何にもならなくなるから、選挙に関するといなとにかかわらず、さしあたってこの程度規正はすべきではなかろうか、こういう答申の案ですが、私は国民の気持から言っても、特にあなたは公正な選挙管理委員をなさっているのですから、国民の気持から言っても、さしあたってそのくらいは必要だというふうにお考えになれないものでしょうか。長谷部さんにもその点をちょっと簡単でけっこうですから……
  68. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 この政治資金規正法の問題ですか、私は今日取り上げるべき問題でない、こう申し上げたのは、先ほどの政党法制定と同時に見合せてやるべき問題だ、こういうふうに考えております。財政投融資とか、あるいは補助金をもらっている、利子補給をもらっているというような会社は、それぞれその事業の発展のためにもらっている、こういうふうに思うのです。どうかこの政党に寄付してもらいたいという前提があるならば、これはよくないと思います。それはそれだし、ただ事実問題として政党に寄付するということであれば、何私は今問題にすることはない、こういうふうに考えております。
  69. 長谷部忠

    長谷部公述人 ちょっと聞き漏らしましたけれども、国と請負関係とか、あるいは補助金をもらっておるとか、そういうところからの政治献金をいいか悪いかということでございましょうか。
  70. 島上善五郎

    ○島上委員 さしあたってその程度制限すべしというのが答申ですね。それから先のことはこれから検討する問題として。今笹川さんは、このさしあたってという答申すらも今後検討せよ、こういうことですね。私は、これはさしあたってこの程度はやって、その他の残る問題は今後検討する、こういうことが必要ではないかということです。
  71. 長谷部忠

    長谷部公述人 全くあなたのおっしゃった通りでありまして、これは私先ほども申しましたのですけれども審議会の中でも、私の言った、全部、法人、労働組合からの献金を禁止するということはだいぶ異論がありましたけれども、今の点に関してはほとんど異論がなかったように実は記憶しております。従って、先ほど示しましたように、これをどうして選挙資金だけに限定したかということについて私は全く不可解に思っております。これはいろいろな政治的な罪悪といいますか、政治悪の源と申しますか、政治悪につながることでもありますし、これはぜひ一つやってもらいたいと思っております。
  72. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に、山中日露史君。
  73. 山中日露史

    ○山中(日)委員 時間もございませんので、きわめて簡単に笹川公述人にお尋ねしたいと思います。  先ほど笹川公述人は、審議会答申に対しましていろいろ御批判がございまして、まず第一に、連座制の問題だとか、あるいは高級公務員の立候補制限だとか、あるいは政治資金規正、こういった問題は、答申案は非常に理想である、しかしながら、現実性あるいは常識、あるいは合法性というものは欠けておる、従って、責任ある政府として、これを法律にする場合に修正を加えるのは当然だ、こういうような趣旨の御発言であったと思うのです。私どもは、その御意見に対してはいろいろ意見を持っておりますけれども、一々それを申し上げる時間もございませんので、この中で、特に政治資金規正の問題についてのみ一点お尋ねしておきたいと思います。  今島上委員からもちょっと触れたのでありますけれども、先ほど笹川さんの御発言の中で、政治資金規正の問題に触れた際に、選挙資金政治資金というものを区別することは現実の問題としてはきわめて困難だと思う、こういうふうに御発言があったわけです。この点私どもは非常に同感です。私どもは決してその言葉じりをとらえて云々する意味ではありませんが、これは今度の法律改正案にも非常に重大な点として論議されておるのでありまして、この政治資金選挙資金を区別することが困難だとお考えになっておる点でありますが、どういう点でこれを区別することが困難だというふうにお考えになっておられますのか、その点を一つお話を願いたいと思います。
  74. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 一体、政党の政治活動に寄付をする、あるいはそれを選挙にだけ使うものに限ってこれはいけないというような区別がつくのかどうか、私も長い間市会議員をやったり県会をやったこともございますが、よく見ておりますと、その金というものは区別できないことです。結局、自分の支持する政党が選挙によって勝つことによって自分の目的は達せられる、自分の希望が達せらる、こういうことなんですから、政党に寄付した金が選挙に使われたのか、政党の政治活動に使われたのか、その区別がつかぬから、私はこれは賛成できない、こういうのであります。それを反対しますと、ほかの全般のこの改正法案がおじゃんになると困るから、私はこれは涙をのんで賛成する、こういうことなんであります。
  75. 山中日露史

    ○山中(日)委員 その区別の困難である事情はよくわかりましたし、私どももそうだと思うのです。そこで、今度の選挙法改正で問題になっておりますのは、この政府原案によりますと、結局、国もしくは公共団体から補助金だとか、あるいは交付金、利子の補給あるいは財政投融資、こういうものを受けておる会社、法人から政党や協会は寄付を受けてはならない、ただし、選挙に関してだけだ、こういうふうに、一選挙に関してということでしぼっておるわけです。答申案の方では、むろん、選挙に関してと限ってはおりませんが、社会党の出しております修正案では、「選挙に関して」は取り除いております。取り除いておる理由は、笹川さんの御意見の通り、現実の問題としてその区別がつかないのだということが一つと、もう一つは、先ほど来お話のありましたように、国もしくは公共団体からそういった補助金だとか、交付金だとか、利子補給だとか、財政投融資とか、こういった一つの恩恵をこうむっておる会社、法人がある政党や協会に寄付をするということになれば、その寄付を受けたそれらの政党なり政治団体は、その寄付をした会社、法人の利益のために政治行動を行なう危険がある。同時に、その危険は、その補助を受けておる会社、法人は、その補助をしておる国もしくは公共団体に不利益な行為をすることができない立場に置かれておりますから、そういうところから結局汚職が生まれたり選挙の腐敗というものが、起きるのだ。従って、一般的に会社、法人から寄付を受けることを禁ずるわけにいかぬけれども、せめてそういう立場にある会社、法人の寄付というものは制限しよう、こういうのがこの改正の重大な点だと思うのです。今の笹川さんのお話を聞きますと、政治資金選挙資金との区別が困難だというのですが、そういう区別をつけるということがきわめて非現実的なことでありまして、それを取り除いて、今申し上げたように、そういう特殊な恩恵を受けておる会社、法人からは政党や協会は寄付を受けてはならないという、この答申考え方なり社会党考え方は、今のあなたの現実性という問題からいけば、きわめて当を得た一つの案じゃないか、こういうふうに私ども考えておるのです。その点についてはいかがでございましょう。
  76. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 大体、ただいまの御質問に対しましては、先ほど島上先生にお答えしたと思いますので、別に御答弁申し上げる必要もないかと思うのでありますけれども、ただ私はこの際、このまぎらわしい、これは政党の政治活動である、あるいは選挙の資金であるというようなことで、ことさら政治資金規正法というものをむずかしくするのは、かえって複雑にするのではないか、また、そういうことは実行不可能ではないか。それともう一つは、利子の補給金や補助金、あるいはこういういろいろ政府が補助するということは、おのずから別個の問題である、こういうことなんです。私はよく見ておりますと、一つの会社が、自民党にも寄付する、社会党にも、金額は不足でありますけれども寄付する。だから、そういう点においてはもう少し慎重に、後日を待ってきめた方がいい、こういうことなんです。
  77. 加藤常太郎

    加藤委員長 堀昌雄君。
  78. 堀昌雄

    ○堀委員 一問だけ長谷部委員にお伺いしたいのです。実はこの前池田総理に私伺いましたときにも、――私は、新聞の論説、あるいはテレビその他いろいろなマスコミュニケーションでいろいろいわれている論説というものは、相当に国民世論を代表しておるものだと判断しておりますが、池田さんは、新聞の論調は必ずしも世論を代表していない、こういう御答弁であります。さっき小汀さんは、新鶴記者は年が若過ぎてだめだとおっしゃるのですが、私は、どうもこのものの考え方の中に、特に選挙法の場合には重大な問題がある、国民が発言できるのは選挙のときだけですから、その点で非常に重大だと思いますが、その国民世論というものと、それから新聞論調その他に現われておる、それに関連をして今度の選挙法改正についての国民の声といいますか、それはどういうふうにあるかということを一つ伺っておきたい。
  79. 長谷部忠

    長谷部公述人 私は新聞に多少関係がありますから、我田引水になりますけれども一つ二つの新聞がどう書くかというようなことは、さっき小汀さんの言われたようなことでも解釈がつくと思いますが、今度の問題のように、ほとんどの新聞が筆をそろえて答申の線を支持しておるというふうな場合は、これはやはり世論の現われであると見て私は間違いないと思います。こういうことはめったにあるものじゃありません。  それで堀さんに対する答弁になると思いますが、先ほど島上さんからの御質問のときに、今の政府案連座をどう見るかということを、範囲のところだけを申し上げましたが、非常に大事なことを落としました。実は私の言う当然失格、これがはずされたのは非常に残念ですけれども、せめて、検事が当選無効の訴訟を起こすにしても、起訴するときに、公訴に付帯してこれをやるという審議会委員会段階結論、これぐらいのものでも出てくればよかった。検事がやることになったのは一つの前進でありますけれども、時間のかかることは前と少しも変わらないわけです。これは非常に残念に思っていますから、これもつけ加えておきます。
  80. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に井堀繁男君。
  81. 井堀繁男

    ○井堀委員 時間も大へんおそくなって恐縮でございますが、公述人の中で、選挙管理委員会を代表されている方が他においでになりませんので、御迷惑だと思いましたが、笹川さんに、答申関係して重要な点がございますので、一、二お尋ねをいたしたいと思います。  それは、一つには、今度の答申案の中で、さきに私が小汀参考人への質問の際にも述べましたように、選挙管理委員会が非常に重要な立場に置かれるような強い答申が行なわれておるわけです。このことはぜひあなたからはっきり伺っておきたいと思いますが、私どものところにも、委員会から電報その他文書などによって、この委員会に強い関心をお寄せになっておるという意思表示が行なわれております。よい機会でありますから、ぜひこの機会に記録にもとどめたいと思いますので、はっきりした意見を伺っておきたい。その一は、答申案の中で、選挙管理委員会の組織を強化する中で、特に第六条規定にあります常時啓発に関する事項と並行いたしまして、事務局を都道府県並びに市には必ず置くこと、そして事務局には常時啓発を担当するための専門職員を置くようにという、事務体制の強化のための具体的な答申がなされておるのは、従来ないことであります。これをわれわれは今いろいろ審議の過程において政府にも強く要請をしておるのでありますが、まだ法律事項の中にはきわめてあいまいである。この点に対する選管としての意見もきまっておるようでありますが、答申を全面的に実現するようにという要請がわれわれに出ておるくらいでありますから、こういうものに対しては御意見がきっとあるだろうと思うのです。  それから、時間がありませんから一緒にお答え願うことにいたしまして、次の問題は、委員の資格要件についてであります。この中で一人は常勤にすることを条件にしておるようであります。それから婦人を入れることというのがありますが、私どもは、この中で、選挙管理委員を一人常勤にするということについて非常に強い関心を持っております。これらの問題が実現するためには、もちろん財政的措置の裏打ちがなければならぬわけですが、この点についても答申案は、国並びに地方公共団体に対し財政措置に対する義務づけを要請しているわけです。これに対する一つの御見解。  第三の問題は、管理執行のための具体的な答申がなされておるのであります。こういう点については、当然、選挙管理委員会としては、強い具体的な要請が必然的にあるはずだ、また、なければならぬと思う。こういうものはまだ文書などによってわれわれ正式に受けておりませんが、いずれくるのではないか。しかし、もう審議も相当進んでおりますので、できるならばこの機会に一つ選挙管理委員会を代表して――と言えば語弊があるかもしれませんが、会議を何回かやっておいでのようでありますから、こういう点については、はっきりすべきではないか。  それから、前に、あなたが公述の際でありましたか、個人の御意見であろうと思いますけれども選挙管理委員会会議において答申案を全面的に支持するという意思表示が行なわれておりますが、あなたはこれと相違するような発言をたまたま行なわれておるようであります。もちろん、個人的な御見解は自由でありましょうけれども選挙管理委員会の肩書と、しかも十年間も選挙管理委員長をなさっておりますから、選挙管理委員会では相当重要な地位だとわれわれは判断いたしておるわけであります。この点も一つ、釈明いうわけではありますまいが、見解を明らかにしておく必要があるのじゃないかと思う。  以上の点について、時間を節約する意味で一ぺんに何もかもお尋ねいたしましたが、お答えをいただきたいと思います。
  82. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 管理委員会の強化拡充の問題につきましては、全く同感でございまして、私ども決議として要望しておるわけなんであります。また、その中へ婦人を入れるというようなことは、希望はしておりますが、実際問題として婦人はなかなか出てこないのであります。ことに審議会の中でも、特に婦人を入れなければならぬということを法律にきめることはどうかというふうなことも聞いておるわけであります。  なおまた、事務局の独立でございますが、これはもちろんそうした方が一番いいのであります。ぜひそう願いたいと思っておりますし、また、そこに常勤の選挙管理委員を置くということも、われわれの希望しておるところであります。何しろ財政の面において、昨年よりは相当多くの公明選挙費用をいただいておるのであります。ことにこの公明選挙費用というものは、第六条に、われわれは選挙の意義を選挙民によく知らしめるということが、法律でもって義務づけられておるのであります。今度さらにわれわれと公明選挙連盟、それから純粋な民間の団体でありまする公明選挙推進協議会、こういうようなものが一つとなって公明選挙を進めていこう、それにはやはり今の法律改正するとか、いろいろの問題を含めて、われわれはそういう問題について努力しておるわけなんでございまして、おっしゃる通り、ぜひ一つ選挙管理委員会の機構を拡充強化していただきたい、そして財政措置を十分とっていただきたい、こういうことを私は考えております。
  83. 井堀繁男

    ○井堀委員 時間がありませんので残念ですが、大事な点は、先ほどあなたは、相当の予算をつけていただいておるように――満足はもちろんされておらぬと思いますけれども、この答申の中で非常に重視しておりますのは、そういう予算に関係しては、地方はもちろん、国は管理委員会意見を聞きなさいということをいっておる、これは非常に重要だと思います。でありますから実はお尋ねしたわけでありますが、今あなたの御説明によりますと、常勤の選挙管理委員を一人置く、あるいは常時啓発のための専門職員を常置せしめる、あるいは事務局を設置するために、そのスタッフも相当の数に上ることは、言うまでもないわけであります。私は、この予算について、さきに委員会審議の過程で質問をいたしておりますが、きわめて不得要領で、まだ結論を引き出すに至っておりませんけれども、どうやら政府は、財政的の措置については、答申案とかなりかけ離れた少額のものしか企図してないように考えられる。これは選挙管理委員会がよほど積極的な要請を行なわれてこなければならぬのではないかというふうに思ったので、お尋ねしたわけであります。選挙管理委員会は、こういうものに対しては、どの程度の御意見があったか、非常に大事なことでありますので、いい機会でありますから、一つ選挙管理委員会を代表して発言するような気がまえでこの機会に主張されることが望ましいのではないかと思うので、お伺いしたわけであります。実は時間がありませんから、はっきりした希望だけ聞いておきたいと思います。
  84. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 今の質問と同じことではありませんか。どこが違っておりますか。あなたのおっしゃる通り私どもは希望している、こういうことなんであります。
  85. 井堀繁男

    ○井堀委員 それからもう一つ大事な点は、先ほどお尋ねした中で、選挙管理委員会答申案を全面的に支持するという御意見なんですが、あなたは何かこれに対して重要な部分でかなり違った意見をお持ちのようであります。政府案答申案のどっちですか、その点はどうなんですか。
  86. 笹川加津恵

    ○笹川公述人 私どもの都道府県選挙管理委員会も、公明選挙連盟も、この答申案を全面的に支持はしておりません。とにかく、これは修正すべきものは修正する、あるいは是正すべきものは是正する、そうしてより常識的な、より具体的な、より現実的なものにしてほしい、こういうのでありまして、われわれ都道府県の決議にも、答申案をぜひ一つあれしてくれということではなくて、あす寄るのですが、今の政府案をぜひ一つ国会で通してもらいたい、こういう決議になると思います。
  87. 加藤常太郎

    加藤委員長 以上をもちまして、本日午前中における公述人に関する議事は終了いたしました。  公述人各位には、御多用中のところ、予定の時間を延長いたしまして長時間にわたって貴重な御意見を御開陳下さいまして、委員会といたしまして厚く御礼を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。(拍手)  続いて午後の予定は、一時四十八分より再開いたすことといたします。  暫時休憩いたします。    午後一時三十七分休憩      ――――◇―――――    午後二時五分開議
  88. 加藤常太郎

    加藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  議事に入ります前に公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多用中のところ、またある方は遠隔の地より御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表しまして厚く御礼を申し上げます。公述人各位にはそれぞれの立場から、大体お一人二十分以内で、忌憚のない御意見を御開陳願いたいと存じます。  これより内閣提出公職選挙法等の一部を改正する法律案について、公述人より御意見の御開陳を願いたいと思います。なお島上善五郎君外二名提出修正案につきましても、御意見があればお述べいただきたいと存じます。  それでは、東京都品川区選挙管理委員会委員長、岡崎采女君より御意見の御開陳をお願いいたします。岡崎采女君。
  89. 岡崎采女

    ○岡崎公述人 私は、目下国会審議中の選挙法一部改正案について意見を述べろ、こういうことで参ったのでございます。私は有権者の立場といたしまして、あるいは今御紹介のありましたように選挙管理委員もやっておりますので、そういうふうな面からも、考えたことを二、三申し上げたいと存じます。  大体この選挙法が昭和二十五年にできまして、この公職選挙法が大きな改正というようなことには一回もなったことはないと考えております。今回がほんとうの改正ではなかろうか、こんなふうに考えておるのでございます。  そこで今回改正するにあたりましては、政府審議会を作って、その審議会答申を尊重するというようなことになっておるというようなことでございまして、私どももまことにけっこうだと存じております。しかし、その審議会答申が、はたして私どもにぴったり合っておるものかどうかというようなことも考えなければなりません。私ども審議会答申を全面的に支持するというようなことには参らないと存ずるのであります。また現在出されております政府原案にいたしましても、これを私ども一有権者として考えてみましたときに、ほんとうにこれを支持しなければならぬか、あるいは支持した方がいいのかというようなことを考えてみましたときに、いずれにいたしましても、十分なわれわれの納得のいくような条文ではないのであります。われわれといたしますれば、どちらにいたしましても、まだ将来に向かって十分に御検討願って、そして最もよい選挙法を作っていただきたい、かように考えておるのであります。要するに、皆さん御存じのように、この選挙法を見ましたときに、この膨大な条項で、だれがほんとうに知って、そしてこれを実施できるのか、ことに選挙法のようにすべての人に最も重大な関係のある法律というものは、私ども考えますときには、もう少しやさしいのがよろしいのではなかろうか。皆さん御存じのように、あの法規はこまかい字で書いてあって、このくらいの厚さがある。これでは、われわれのように選挙管理委員をやっておっても、あれを全部端から端までほんとうに読んだ人があるだろうかどうかというようなことも考えてみなければならぬと思います。もちろん、そこにはいろいろなこまかい問題があるのでございまして、あのくらいこまかくきめても、まだざる法だとかなんだとかという悪口を言われるのでございますから、もっとこまかいものにしなければならぬかもしれませんが、われわれ有権者の立場といたしまして、また私ども選挙を管理している者といたしますれば、国民政治民度というものがだんだんと高揚しまして、現在に至りますれば、すでに民主主義政治というようなものは国民が大体知っておるのではなかろうかというように考えられます。そこで何回かこうしてこの選挙法改正が出るのでございますが、いつも何かの関係――あるいは利害の関係かもしれませんが、そんな関係で必ず葬られてしまう。一昨年の十一月でございましたか、ほんとうにこの選挙法の一部が改正になりそうになったというようなことがございます。それは解散の寸前にこれが立ち消えになって、どこかへ行ってしまったというようなことでございます。ああいうことをわれわれが見せつけられたときに、選挙法というものはほんとうにだれのためにあるのであろうかというようなことも考えられる。私どもといたしますれば、もちろんわれわれ有権者、国民と同時に、これを代表するこの国会皆さんのためにあるのではなかろうか。そうしたなら、時々刻々と変化する社会情勢に対応しまして、この選挙法がほんとうに改正されなければならないというようなことは、論を待たないでございましょう。そこで今回は是が非でもこの選挙法改正しようというような政府考えから、審議会を設けて、その答申によって、これを尊重し、その趣旨に沿って原案を作って国会に出したというようなことに相なっておるのでございます。私どもとしても、その方法は実によろしい方法だとは存じます。われわれの代表が選挙法趣旨を作るというようなことは、国会皆さんが、自分のことを自分でやってはまずいんだから、どうかその考えだけでも国民の代表の方から出てやってもらいたいというようなことを言われたのは、私はまことにけっこうなことであり、現在の国会の先生方といたしますれば、ほんとうにわれわれにわけのわかったお話をして下さっているというように考えるのでございます。  いろいろ前置きを並べましたが、そうでなくて、この政府提案の原案に対してどんな考えを持っておるかというように聞かれておるのでございますから、そこで政府原案について二、三私の考えていることを申し上げまして、御参考に供したいと存ずるのでございます。  まず政府案の要綱の三の立候補に関する問題というのがございます。ここでわれわれがいつも悩まされておりましたところの立候補届出の問題、郵便等による届出で、選挙管理委員会等が非常に迷惑をこうむったばかりでなく、他の候補者あるいは有権者の皆さんももちろん迷惑をこうむっておるというようなこともございます。それからまた重複の候補者があったことをわれわれも存じております。同じ選挙に、同一の候補者が二カ所も三カ所も選挙をやっておる。そうして、それがはたしてほんとうの選挙をやっておるだろうかどうだろうかというようなことも考えられる。そうすると、この神聖な選挙がほんとうに行なわれているかどうかというようなことも考えなければならない。それとまた、ここに町村長の選挙供託金をつけたというようなことも、これも実にけっこうなことだと思います。  それからもう一つ、それに関連いたしまして、要するに秩序保持といいますか、立候補関係にかんがみまして、泡沫候補という名前がかつて使われたように考えております。私ども、この問題ではずいぶん東京都あたりでは悩まされたこともあるのでございます。その問題の一部といたしまして、今回有料、無料の通常はがきに対して、これは政令によって郵政省で何か表示をするというようなことなのであります。聞くところによりますと、こういうのが選挙を毒する一つの原因となっておったというような話でございます。かように考えてみますれば、この立候補に対する問題といたしましては、現在の政府原案といたしますれば、これはまことによろしいように考えておるのでございます。  その次に、もう一つわれわれが、これは選挙管理執行の面から考えましたときに、非常に問題になっておることがございます。これはどういうふうに解釈するかというのが非常に問題になる、しかしてこれが処罪されたことがあるかないかというのも問題になる、すなわち事前運動という名前の選挙があるのでございます。これに対しまして今度の政府原案といたしますれば、とりあえず選挙管理委員会に届けて、そうして選挙運動ができるのだ、候補者と予定する者ができるのだということが規定されておる。これらがほんとうに行なわれますれば、事前運動なんというものはなくなると思います。しかしこれに関連いたしましては、これの経費その他の選挙費は当然考えなければならぬ問題となってくるのでございます。しかしこの問題につきましては、私が言うまでもなく、ここには衆議院と参議院の問題になっておりますが、これを将来は、地方の選挙にまで伸ばしていただいたならどうか。そうすればほんとうにこの忌まわしい事前運動――先ほどどなたが申し上げましたように、バスが百台でどうしたとかこうしたとかいうような問題もなくなって、正々堂々といわゆる言論、文書によって選挙運動ができるのではなかろうか、こんなふうに考えて、まことにけっこうな条項だと存じます。  それからまた、ここにこういうこともございます。ポスターの増加でございます。これらは、皆さんここにおられる方はほとんど選挙の専門家でございまして、言うまでもございませんが、このポスターの問題にいたしましては、非常にややこしいのでございます。これを考えてみましたときに、どんなふうにややこしいのであろうかというように考えてみますと、これは選挙管理執行の面からいたしますれば、形式犯と称しまして、あまり犯罪のうちには入れておらない。しかし、その取り扱いについては非常にめんどうな問題、または忌まわしい問題、不明朗な問題あるいは不愉快な問題が起こります。そのポスターの件につきましては、ここでポスターの枚数をふやしまして、そうして自由に選挙ができるというようなことになりますれば、そういうふうなことも少なくなるだろう。政府におきましては、五〇%ないしは一〇〇%のポスターの増加をするというようなことは、これはまことにけっこうなことだ、こういうふうに考えております。皆さん御存じのように、室内用のポスターとか、あるいは何々々が来たるとか、あるいは無検印のポスターとか、こういう全く常識のはずれたような選挙を必ずだれかが行なっておるというようなのを耳にし、目にするのでございます。それらを今回のこの改正によって緩和されるので、われわれといたしましても、あるいは管理執行をする方にいたしましても、非常にやりよくなったのではなかろうか、かように考えるのでございます。  それからいま一つ、これは非常にずっと前から問題になりまして、東京都ではすでに実施をしたことがございますが、公営の掲示場を作るというような問題がございます。しかしこの公営の掲示場を作るにあたりましては、東京都ないしは五大市のような大都市においては非常に困難を来たすのでございます。御存じのように、なかなかその掲示場を作るという場所がないのでございます。しかしいろいろな方法考えまして、東京都におきましても、すでに都議会の選挙にこれを使ってみましたところが、なかなか評判がよろしい。それでまた、そこへ行けば必ず全部の候補者がわかるというように、また全部の候補者一つところへ、同じような形で張っておくというと、その人の人柄もわかるとかいうようなうわさも聞くのであります。そういう観点からいたしまして、この公営の掲示場というようなことはまことにけっこうであります。しかしこれがもう一つ、街頭演説におきまして、その場所を選挙管理委員会がなるべく確保するように努めろというようなことになっておりまするが、これもなかなか困難でございます。しかし、こういうふうに人がよろしいというものがきめられた以上は、選挙管理委員会といたしましても十分にやられることと私は考えております。  そんな関係でございまするが、ここに参議院の全国区はその掲示場から除いております。しかしその次に、各地方選挙も、その地方公共団体の条例によってこれができるというようになっておりまするが、これ、はたしてどんなものでございましょうか。かりにわれわれ東京都の区といたしますと、区議会の議員がございます。この議員が一区について百数十人立候補するところがございます。こういうものを考えたときに、こういうふうな問題はもちろん考慮されるのでございましょうが、ここに法律として出た以上は、各地方公共団体ではこれに対する条例を作ることと考えますので、この点は大いに考慮を払ってもらわなければならないのではなかろうか、こういうふうに考えるのでございます。  いろいろ申し上げたいことがたくさんございますが、私がただいままで申し上げたことは、今回の原案について最もよろしいと思われる点を申し上げましたので、われわれといたしましてはぜひこうしていただいて、そうして選挙をよりよいように、やりやすいようにしてもらいたい。  われわれ現在、先ほどもお話が出ましたように、公明選挙運動というものをやっております。常時啓発は法律において義務づけられております。そのためにいろいろな問題がございまして、われわれ選挙をあずかっている者といたしますれば、有権者の忌憚のない意見を日夜その話し合い運動において聞いておるのでございます。そんな関係から、この選挙法改正にかんがみましても、まずできるものからどしどし選挙法改正していただくというようなことが望ましいというように考えられます。  まず、今回のこの原案につきまして一番問題になっておろうかと思うのは、三点あるというようなことが言われております。はたしてそうであるかどうか私にはよくわかりませんが、その三点と申しますのが、一つ高級公務員の問題でございます。私ども高級公務員とはどんなものだかよくわかりません。高級というのはどこからどこまでが高級であるのか、あるいはその下は低級であるのか、中級であるのか、何かそういうふうな法律段階がないので、その高級公務員と称するそれ自体がどうもおかしい。が、しかしそこにまたもう一つ、それが職階に、職域によって、そうしてどうも参議院の全国区に影響があるから、これを何とか規制しようじゃないかというのが今回の問題のように考えられております。私どもここに政府の提案を見ますと、なるほどそういう弊害はあるが、これは公務員選挙運動という面で取り締まったらよいのではないか。また立候補をすれば、ここにその点の第五にあります問題、連座制もこれに加味されておるというようなことでいったらどうであろうか、こう考えられておるようでありますが、私どもはそうでなく、毎日話し合いの運動をやってみますと、問題になりますのは参議院の全国区なのでございます。全国区をどうすればいいのか、廃止したらいいのじゃないか、どうしてああいうことをやるのか、いつ選挙をやっても、まず知っている人は一人か二人、あとは全部知らない人である。だから参議院の全国区というのは廃止して、何かうまい形でやれないものだろうかというような話を有権者の諸君から聞くのであります。われわれ直接聞く有権者の声というものは、私だけでなく、すべての選挙管理をしておる方々が聞いておるのではなかろうかというように考えておるのであります。そんなことを考えましたときに、結局、兼職を禁止されている公職の候補者でない限りは、どなたでも立候補して差しつかえないのじゃないかというのが今までの常識になっております。法律もそうだと思います。そんな形でなぜこれを拒むのか、どうしてそういう弊害があるのか、そうしたら選挙の方で是正しないで、その他の面でこれを是正することはできないのだろうかというようにも考えられるのでございます。いずれにいたしましても、私といたしますれば、この点につきましては現在ここに提案されております政府の案の方がよろしいというように考えられます。どうも人の権利を剥奪するようで工合が悪いだろう、こういうふうに考えております。  また、いま一つ連座制の問題というのがよく問題になります。これは長い間問題になって、ようやくできたこの法律なのでございまして、現在のこの連座制というのが、今回の選挙法改正についての大きな壁になっておるように聞いております。それで、これが問題点であるというようにも聞いておりますが、今回の出された法律案について、われわれ有権者の方の側、国会の方々も、大体の点においては、これで仕方がないじゃないか、よろしいだろうというように一致されておるように考えております。が、しかし今申されました高級公務員とこの連座制選挙法につきましてはこの二つの問題が大きな障害になってここに残され、きょうの公聴会もこの二つにほんとうはしぼられて、この問題がほんとうの主体ではなかったのだろうかというように考えますが、私は前もって申し上げましたように、高級公務員の問題では、先ほど述べましたように考えておりますし、連座制の問題としましては、私は法律学者ではございませんから、法律のことはよくわかりません。しかし、その条文を読んで考えたときに、憲法第三十一条にはこんなことが書いてあると思うのであります。この場合は刑事上の罰であるばかりじゃなく、本人について法的手段をとられないでその重要な権利を剥奪されることがない、この精神に反するからこの問題はだめだ、こういうふうに考えられます。それはどんなことかというと、この連座制のうちで、いろいろ問題がございましょうが、その連座になった者が刑事罰を受けたら、直ちにこの当選が失格されるというようなことが問題だというようなことになっております。しかしよく言われる通り、どろぼうにも三分の理屈があるというようなことでございますし、同時にまた現今のこの文明の社会において、自分の一身を左右する問題が、知らないうちに、人のやったことで自分の重大な権利が剥奪されるというようなことはおそらくないのではなかろうか。そうなると安心しては住んでおられないというようなことになるのじゃないかというように考えます。また憲法の三十二条には、何人も裁判を受ける権利を持っておるというようなことがございますので、私どもはこういうふうな条項、いろいろ考えてみましたときに、結局こういうふうになるほど連座制というものは必要ではあるのだが、これを最終的に処断するときには、やはりここにあるように、この連座による当選の無効の訴訟は検察官がこれを提起しなければならないということが必要ではなかろうかというように考えておるのでございます。これは審議会答申にはこうなっておらないように思います。審議会答申は、連座の方が処断されたら即当選が失格されるということになっておるように思いますが、そういたしたとしますならば、基本的な人権というものはどういう角度から考えて論議されるのであろうかということを考えますれば、ここにあるようなことがほんとうに望ましいのではなかろうか。そうしてこういうことが憲法の問題に触れないとか触れるとかいろいろな意見がございますが、こういうむずかしい問題がありといたしますならば、こういう問題は今直ちにどうしても解決しなければならぬという問題かどうか、こういうように考えております。  もう一つ政治資金規正法の問題でございます。先ほど来政治資金規正法の問題についてはいろいろな御意見があったようでございますが、私は現在の政党の育ち方、政治のあり方等いろいろな観点から考えましたときに、この政治資金規正するということはどうであろうかということを考えまして、ここに提示されておりますように、選挙の面だけでもとりあえずやったらどうかというように考えます。この問題につきましては、審議会答申にも、十分検討の余地があるというように書いてございますから、これも十分検討の余地があるとするならば、以上述べました三点につきましても皆さんに十分御審議を願って、将来こういう問題は完全に解決をしていただく、今回はこの程度のような問題でとりあえず、他に幾つかの利点があり、幾つかの前進があり、前向きの姿勢に向かったというほんとうの選挙法であるなら、この選挙法をどうかこの際法律化していただきたい。もしでき得るならば、われわれのように選挙の一部を取り扱っておる者にいたしましても、有権者といたしましても、すっきりした気持で他のものだけでもやっていきたい。この問題があるから、ほかのものも一緒にどうしてもやらなければならぬというのではないと思います。やはり漸進的に一つ一つ片づけるものは片づけていかなければならぬというように考えております。  以上、述べましたような工合でございますが、政府原案にいたしましても答申案にいたしましても、われわれとしては、なるほど世論で言うように政府原案の方が答申よりは幾分後退しておるというような気はもちろんいたしますが、しかし現行法から見ましたときには長足の進歩ではなかろうかというように私は考えますので、むずかしい、ほんとうにどうにもならぬような問題は後日に譲るといたしまして、現在出されております原案程度のことでどうか御可決を願って、そうしてこれを法律化して、来たるべき選挙にはぜひこの気持ですっきりした選挙をやってみたい、すみやかにこの問題を実施されるようお願いをいたしまして、私の意見開陳といたしたいと存じます。(拍手)
  90. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に、評論家御手洗辰雄君の御意見の御開陳をお願いいたします。御手洗辰雄君。
  91. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 現在のわが国の選挙の実情は、はなはだ公明を欠いて、議院民主政治をあるいは危うくするのではないかというような状態にまでなっておるということは、おそらく皆様もお認めのことと存じます。それがために政府選挙制度審議会という異例の審議会を設けられ、総理大臣みずから率先してぜひ法律改正したいというような熱意をお示しになり、ここに改正案をお出しになったことと存じますが、一体今日の選挙の公明を欠くようになった原因は何か、私は一言にして申しますと、まだ国民の間に民主主義という考え方が徹底していないのだ、それがために選挙がかように乱れておるのだと考えますがゆえに、根本国民の啓発運動、精神教育にある、人心の刷新にあると存じます。それがなければ幾ら法律制度を改めてみましたところで、これは百年河清を待つもので、とうてい実効を上げがたいと思いますが、しかし人心の一新などということは、これは申してみれば、病気にたとえれば漢方流の長期の服薬でなければなかなかなおらない。それでは長期の服薬療法を待てるのか、今日の状態は私はそれを待てない状態だと思います。そこで、まあまあ多少の副作用がありましても、頓服薬を用いて早くなおさなければいけない、そういう事態が今日のありさまだと思うのであります。そのためには、やはり法律制度改正が大事でありまして、その法律制度といたしましても、なまぬるい改正ではなかなか今日の症状はなおりにくい、こう考えます。  政府改正原案を拝見いたしますと、かなり意を用いておいでになることは私も了承をいたします。今日よく申されますように、選挙費の届出なんて、あれはうそ八百だ、みんなうそを承知で出しているのだ、こういう点も今度はかなり実際に近いように改められる、あるいは驚くことは、政党が選挙告示があって後は選挙活動がはなはだ自由でない、よく総裁や委員長などが自党の候補者を推薦されて告発されたりなどするような奇妙なことが起こっておりますが、まことに不思議なことなんです。どうしてこういうことが今日まで放任されたか。これらのことが今度は改められておりますし、あるいはさまざまな形式犯などわずらわしいものも今度は大いに改められておる。その他あげますと七、八十項目にわたって、確かに今度のは従来の選挙法改正に比べて相当進歩しておることは認めます。しかし私が冒頭にあげましたような、今日の選挙の症状を十分に治療するということがちょっとむずかしいのじゃないか、一番肝心なことが忘れられ、あるいは置き去られておる、かように考えるのであります。  島上さんからお出しになりました修正案は、この原案に比べますとはるかに対症療法としては有効なものである、私はこの島上修正案を決して満足とは申しません、私どもから申しますとまだまだ不十分な点が多いのでありますが、しかし政府原案よりはよほど効力がある、かように思いますので、不満足ながら、でき得れば修正案の線において国会が御決定になってはいかがであろうか、それが国民の望むところのように私には考えられます。  以下、その理由を申し述べます。  一番肝心な点、病源に向かって薬が投ぜられていないという第一点を申し上げますと、申すまでもなく今日の選挙界における第一の欠陥は、候補者と、候補者の味方になっております選挙運動員、特にその首脳者との間における不明朗な取引があり、それが巧妙な選挙運動によって大体において隠蔽されることができる、そういう方向だと思います。そこに連座制というようなはなはだおもしろくない法律が生まれ――これは私ともも連座制なんというようなものが決して文明国にふさわしいものとは考えません。できれば一日も早くかような野蛮な法律というものはなくなった方がいいと思いますが、現状やむを得ずそういうものが用いられた、こう思っております。  最近の選挙界、皆さんその方のくろうとでいらっしゃるから、私が説明するまでもないと思いますが、まず候補者に及ぶ責任といたしましては、総括主宰者、会計の責任者、これがこの法律に定められた一定限度以上の悪質な、選挙法に触れたもので、犯罪が確定いたしますと、候補者に累が及ぶ、こういうことでありますが、しかし今日の選挙の実情を見ますと、表に届け出た総括主宰者と会計の責任者、これと実際にやった者とが同一人であるということはあまりないようであります。これは全然別の人が隠れたところにおってやっておるのであります。従ってその人がかりに検挙されまして、相当の犯罪が発覚しましても、事実上は候補者には及ばない、それが当選者である場合にもその人には及ばない、かような抜け道が用意されております。  さらにはなはだしいのは、最近数回の選挙に傾向が顕著になりましたことは、家族をしてさようなことを行なわしめる。他人の総括主宰者あるいは会計責任者のほかに家族――妻、両親あるいは兄弟、子供といったようなものに大金を与えて、これが実際の買収をやり、膨大な選挙違反を起こしておるということは明らかなことで、これはすでに検挙され、裁判にもなっておる事実がたくさんあるから指摘することをやめておきますが、かようなことが最近流行になりつつあるように見えます。  これらの点から考えまして、連座制というようなことは好ましくはありませんけれども、その傾向に対してこれを牽制する、ブレーキをかけるということが選挙の実際から見て必要ではないか、いや必要だと信じます。といたしますれば、その連座制の対象を、実際の総括主催者あるいは実際の会計責任者及びそれと同じようなことをやった家族にまで及ぼすということは、現状いたし方がないのじゃないか。悪いことだという人もあります。確かにそうでありましょう。しかし法律というものは、これは抽象論で、仮空の事実に基づいて作るものではない。いつの時代、どこの国におきましても、事実に基づいて、それが社会的に大いなる弊害を及ぼすというような場合に初めて法律の規制が行なわれる、これは法律の建前でありましょう。その点から見まして、今日の選挙界において隠れたる総括主宰者、会計責任者あるいは一選挙区全部でなくとも相当な広い範囲にわたって実際の選挙運動をやり、また悪質選挙をやった人々あるいは家族、これらの人々にその連座制度を拡充するということは必要やむを得ない処置ではないか、かように思います。  しかるに、この点について政府原案を見ますと、それはよろしくないことであるという建前をおとりになったと見えまして、第二百五十一条の二の四号において、これには家族に対する連座制は五つのしぼりがかけられておる。御承知の通りであります。同居の家族であって、意思を通じて、悪質の選挙犯罪であって、禁固以上の刑に処せられて、しかも執行猶予のつかない者、こういう五つのしぼりがかけられておりますが、これではたして連座目的が達せられるかどうか、私は達せられないと思います。達せられない証拠として一つのことを申し上げますが、同居しておるという条件に対して、これは親子で別居するのは今日はすでに流行であります。ほとんどの家庭では親子は、相当の年令になれば別居しております。これはすでにのがれます。また、意思を通じてと申しますが、この点にはいろいろな議論もありましょうけれども、かなりむずかしい判別ではないか。第三には、禁固以上の刑に処せられ、またそれが執行猶予がつかなかったものだけが連座の対象と申しますけれども、しからばこの数字はいかがでありましょうか。昭和三十三年の総選挙において、懲役刑に処せられた者は百五人なんです。そのうち執行猶予の恩典に浴した者が百三人、しからば二人だけが連座の対象になるにすぎません。百五人のうちの二人であります。禁固に処せられた者は十二人、このうち執行猶予の恩典のあった者は十一人、連座の対象になる者といえばたった一人です。三十四年の参議院の選挙においては、懲役に処せられた者九十八人、このうち執行猶予は九十七人、禁固に処せられた者は二十九人、このうち執行猶予に処せられた者が二十九人、全員であります。これは全然連座の対象にも何にもならないのであります。これを合計いたしまして九九・八%までがのがれるということになるのでありますが、こういう条件がつけられて、はたして連座制をこれに適用するという意義が成り立ちましょうか。私はそんなことはないと思います。この点一つ考えましても、連座家族の上にも、あるいは隠れたる総括主宰者にも必要であるとしまするならば、かような条件は取り除くのが当然ではないか、かように考えるわけであります。  またその次の問題、右様の君たちが選挙の悪質犯罪が確定いたしましたならば、今度の案によりますと、これはさらに検事がそれから公訴を起こして失格裁判をやるのだ、こういうことになっておりますが、検事が公訴して一体事実役に立ちましょうか。今日までの実例を見ますと、選挙裁判はまずごく短いものでも初審が二年、普通三年かかっております。それが控訴、最高裁判所への上告、これらのものを通算いたしますと、よほど早いもので五年。六年、七年は普通であります。六、七年たって悪質犯罪が確定をする。その上で検事が訴えを起こす。これを最短二年と見ましても、まず七年から八年、ときには十年くらいはかかるのではないでしょうか。十年間に、一体最初の犯罪の連座の対象になった当選者の身分はどうなりましょうか。その間に衆議院の場合は二度、三度あるいは五回くらいの選挙が行なわれる。これではたして刑の目的を達し得られましょうか。これは私どもはナンセンスであると思います。かようなことはやはり常識をもって現実の事態を見詰めて改正をはかった方がよろしいように思います。  この問題については、先ほどの公述人のお話にもありましたように、憲法違反の疑いが確かにあります。学者の中にも違憲であるとの説が少なくないことは私も承知いたしております。しかしまた一方、権威ある憲法学者の中に違憲にあらずとする説も少なくない。現に選挙制度審議会の中におられます憲法、政治学の権威である人々、たとえば矢部貞治博士あるいは宮沢俊義博士あるいは田上穣治博士、これらの人々はいずれも日本の憲法学の権威でありますが、限定されたる場合にはさような疑いはなくなる、こういう説をとっておられます。第三十一条あるいは第三十二条などに触れるという疑いでありましょうけれども、これはやはりさようなことは、学者の一部にそういう説があるからといって、それだけをとるということはいかがでありましょうか。  ことに、私はさらに指摘いたしたいことは、本法第二百五十一条を見ますと、総括主宰者や会計の責任者が悪質犯罪を犯したときには、候補者は自動的にそれに連座するということになっております。現に、現在の公職選挙法に自動的に連座の対象になるという規定が設けられておるのでありまして、これなども、この自動失格ということが行なわれてもおかしくないという理由になりはしないか。さらに改正案政府原案を拝見いたしますと、公務員が同じ公務員をやめた人の選挙運動をやった場合には、その犯罪に対しては連座する、そしてこれは失格するとはっきりと書かれております。これは政府原案にあるのでありますが、この事実もまた、悪質犯罪を犯した人々が、犯罪が最終判決で確定した場合には、自動的に連座失格しても差しつかえないという論拠になるような気がいたします。もっと手近なことを申しますと、近ごろの交通犯罪などに、やはり街頭で犯罪を犯した者はその場でチケットを渡して処罰をするということが論ぜられ、あるいは雇い主にも連座せしめる。明らかに第三者の過失であるか、故意か、何か交通犯罪を犯した場合に、雇い主がそれに連座する、これも今法律になろうかという議論が起こっておるくらい――まだなっておりませんが、これらのことを考えますと、それに比べてはるかに重い選挙上のこういう犯罪に対して候補者連座する、そしてその結果が自動的に責任を負うということは、きわめて常識的ではないか、現状やむを得ないのではないか、決して好むことではありませんが、私はさように考えます。  また第二の点、高級公務員の立候補の問題でありますが、これも御承知の通りであります。今日の参議院全国区の選挙の状態を見ますと、国民の利害に直接結びついた高い地位にある公務員選挙のたびごとに立候補する。そうして、かつてあった地位と権力を利用して事前にさまざまな運動をやっておる。立候補後でももちろんでありますが、そうして旧同僚、部下の人々がこれに対して応援をし、助力をいたしておる。これによって毎回多くの人々が当選しておる事実は、何人も否定できないことだと思います。今日までの実績を見ますと、最高のときは十三人、近来は八人ないし十二人の当選者を毎回出しておる。現在、各省の局長あるいは公共事業の局長に匹敵するような身分の人、それらより以上の人で、さような状態で当選している人が十六人もあります。しかしてそのポストは大体一定しつつある。ある省の次官あるいは局長あるいはある公団の理事、専務理事、常務理事というようなものは、毎回ある一人の人が退職して参議員全国区の選挙に出て当選する。そうすると、次のポストの人が、次の三年後の選挙にまたそこに出ていく。次々にさようなことをして、六年間の任期を務めていくということが自動化しつつあります。ある見方をいたしますれば、これらの官職は参議院全国議員の職務を世襲化しつつある、かように申してもいいのではないか。こういう議員は、私ども戦前には勅選議員というものを存じておりますが、私は、勅選議員滅びて特選議員始まる、こう申したいのであります。かような状態において、はたして国民選挙権、政治に対する国民の主権というものは確保されるのであろうか。国家の公器、国家の権力、これらのものを利用して――私は悪用とは申しませんが、少なくとも利用でしょう。そうしてその地位を獲得し、しかもその間に公費を使う旅行すらも少なくないのでありますから、国民は二重、三重にこれらの人によって政治参与権を奪われておる、少なくとも踏みにじられておる、かように考えます。これは金銭による買収選挙よりもっと悪質だろうと思う。金を出して選挙運動を汚すという人は、みずからの努力によって、みずからの損失においてやるのですが、こういう公務員によって行なわれる悪質選挙は、国家の公器、国家の権力を使うのであって、これは二重、三重の国民に対する犯罪であろうかと考えます。それがいかに国民の権利を侵し、国民に悪い影響を与えておるかということは一々述べませんけれども、聞くところによれば、近ごろ、ごく近いときに、自衛隊のある有力な幕僚長が職を辞して、そうして与党から参議院全国区に立候補するという意思を発表しておられますが、実にけしからぬことだ、許せない。どうお考えになりますか。もしさようなことが慣例になって自衛隊の幹部が引き続き、今申したような例に従って全国議員に立候補するというようなことになりました場合、元の上長と部下との関係、これによって自衛隊はどういう地位になりましょうか。私どもは、自衛隊が健全に成長して、ほんとうに国民のものとならなければいけないと思って、及ばずながら日夜苦心いたしておりますが、そのような不心得者が出て、それを有力な政党が支持するというようなことになりますと、自衛隊はもう崩壊するのではないか、少なくとも精神的に国民からそむかれるのではないか、かようなことを憂えます。これは余談でありますけれども、今日の参議院全国区における官僚のばっこというものはそこまできておる。かような事態に対してきびしい制限を加えるということは、私はぜひとも必要ではないか。これは国を憂える余りさように申すのであります。  この問題についても、憲法違反であるとの議論がずいぶん行なわれております。もちろん学者の中には二つの見解が分かれておりますが、私ども承知している範囲において、先ほどあげたような選挙制度審議会の委員であられる学者諸君は、ことごとく違憲にあらずとの説をとっておられます。また法制局の中にも、違憲論を否定する人が少なくないことも承知いたしております。もちろん、憲法第十四条の法のもとの平等、二十二条における職業選択の自由、これらに触れる若干の疑いがないとは私も申しません。しかし、この憲法二十二条にいたしましても、ただし書がついております。「公共の福祉に反しない限り、」という条件がついておるのであります。高級公務員が国家の地位、公権を利用して選挙運動をやるというようなこと、しかして今日のような弊害を起こしておるときに、これは公共の利益に反しないかどうか、議論の余地はありません。この条件を考えまするならば、憲法二十二条が無条件に適用されて、この人々を擁護するということには、はなはだ異論があるであろうと私は思うのであります。それどころではありません。知事、市長など、地方の団体の首長は、やはり自分が任期中に辞表を出して、次の選挙に立候補することを禁じられております。これはケースに若干の相違はありますけれども、しかし職業の自由を奪われておることは同様でありましょう。それだけではありません。まだあります。国家公務員法第百三条の第二項を見ますと、こう掲げられております。すべての公務員は離職後二年間は、その離職前五年間の職業と密接な関係にあった職につくことは禁ぜられる、こういうことがある。すべての公務員は、離職後一定の期間は就職の制限が現にあるのであります。このことを、高級公務員議員に立候補する場合に適用してどうしていけないでありましょうか。その他、時間がないから飛びますが、人事院規則十四条以下、これらのものを調べてみますと、ことごとく国家公務員、地方公務員を問わず、退職後の就職には相当の制限があるのです。こういうことを考えまして、弊害のはなはだしい高級公務員に対して一定の制限を加えるのは当然でありましょう。この原案を拝見いたしますと、立候補は自由である、しかしさような不都合な選挙を発見したならば厳重に処罰する、また公務員はさような選挙に携わってはならない、こういうようなことが政府原案に書かれておりますが、これは一体役に立つでしょうか、冷静に御判断を願いたい。過去の例から見て、さようなものが役に立つということはまず百に一つあるかなし、大部分はのがれることは目に見えておるであろうと思います。従ってこの件に関しましてはやはり修正案の線において、国家公務員の立候補には相当なきびしい制限条件を付するということが必要であろうと思います。  政治献金寄付金の問題でありますが、政界、選挙界の腐敗の根源が第一に金にあることはもはや申すまでもありません。これは各国共通の悩みで、アメリカのごときも多年これに悩んで、一九五一年の連邦法で新しく制限を設けて、すべて政党及び政治家に対する献金は、いかなる名目であることとを問わず献金者は個人に限る、あらゆる団体の献金を禁じ、しかもその額も一年間一人の献金限度額を五千ドル、一つの政党が一年間に受け得る献金は三百万ドルという制限を連邦法で規定いたしております。これらのことは、直ちに私はこれをまねろと申すのではありませんが、そのくらいきびしくしないと、民主主義の発達したアメリカでも弊害に困ったくらいである。イギリスなども同様であります。これらのことから、私は政治献金というものは厳重に制限すべきであり、できれば個人に限る、かように考えるのでありますけれども、まあ頓服薬を与えて、これが劇薬の量を越して致死量に達してはいけませんから、この辺多少の妥協をいたします。やはりこれも島上修正、案の程度において、国家と利益その他請負等特別の契約関係を持つ会社その他の団体だけは政治献金を禁ずる、こういうことが妥当であろうと思うのです。これは前進妥協の意味でありまして、私は根本的には、やはりいつかのときに個人に限るというようにしなければならないと思います。政府案では実際において私は役に立たぬことを信じます。何となれば、政治献金選挙献金とどこで区別するでありましょうか。政府原案によりまするというと、当該選挙に関して寄付することはいけない、こういうことになっておりますが、これが当該選挙寄付であったか、その人の政治活動の基金であったか、あるいは政党に対する献金などに至ってはもっとあいまいになるのでありましょう。これらのことを考えますと、これは弊害の中心に向かってメスを入れていない。弊害のわきの方に持っていってメスを多少振り回した程度であって、実際の役には立たない。骨のかたわらに腐った部分があるのに、皮膚をちょっと削ったぐらいでお茶を濁すといったようなことが、この政治献金政府案の規制ではないか、かように思います。  特にこの場合皆さんの御注意に訴えたいことは、私の今右に申しましたような点は、わが国の現在における世論がほとんど一致しておる点だということであります。もちろん反対の意見のあることを私も承知いたしております。現にこの公聴会にも多くの反対の陳述者がおいでになっておるので、これを疑うことはできません。しかし世間にいわゆる世論として認められておるものはどうであるか、世論調査があまりこの問題で行なわれておりませんけれども、国策研究会という団体があります。この団体が昨年、朝野の有識者に対してアンケートをとっております。皆様の中にもお受け取りになった方があるだろうと思う。政治家、学者あるいは言論人、財界人、地方の指導者、これらの人々に選挙法改正についてのアンケートをとっておりますが、その答えを申し上げます。高級公務員全国区立候補について賛否いかん。これに対しては、禁止が百八十四に対して禁止反対が二人、百八十四対二で高級公務員の立候補を禁ずることには賛成があるのであります。また特定の寄付を禁止することがよいか悪いか、禁止すべしという者が二百四に対して、禁止する必要なしとする者が八人であります。一般的な選挙資金寄付、これを禁止すべきかどうであるかということに対しましては、百五十六の禁止説に対して、禁止する必要なしという者が三十七人であります。連座制をさらに強化し家族にまで及ぼすことがよいか悪いか、それがよいという者は百八十七人に対して、すべからずとする人が二十人であります。どの項目を取り上げましても、圧倒的多数で私どもの申し上げたことに日本の識者は賛成をいたしております。この回答の中には、衆参両院の議員諸公の回答も含まれていることをつけ加えておきますが、この一点を見ましても、世論がどちらに向かっておるかということは明らかではないかと思う。  さらに申し上げたい。つい先般、政府の委託を受けております中央調査社が、やはりこの問題について世論調査をいたしました。これに対して、罰則はどうだという問いに、罰則が軽過ぎるという者が全体の五五・四%、重過ぎるという者が一・九%であります。五五対二といった比率で罰則を厳重にすべしという世論、違反を減少させるためにはどうすべきかという問いに対しては、法律改正すべしという者三九・九%、現行法で規制すべしという者が一八・六%、どの一項をとってみましても、現状よりゆるくせよ、現状でよろしいというものは全くないのであります。すべてがもっときびしくやらなければいけない、こういうことになっております。  さらにつけ加えますが、日本国中の日刊新聞をごらんになれば、いろいろな説が載っておりますけれども、その社説において、島上修正案の基礎になっております選挙制度審議会原案答申案、これに反対の社説を私は一社も見たことはございません。もし私の寡聞でありましたならばお教えいただきたい。全部の新聞、北海道から鹿児島に至るまで、日本国中の新聞の社説は繰り返し繰り返し選挙制度審議会原案を支持、賛成いたしておる。この一事をもって見ましても、今日、国論がどちらを向いておるかということは明らかであろうかと思います。これらの理由によりまして、私はぜひ本委員会において十分な御審議の上、最低線として島上修正案をもって御決定になりたいという希望を持っております。  もう一つつけ加えますけれども、かような改正によって一体だれが利益を得るのでありましょうか。もちろん危険に瀕した民主政治が救われ、国民が最終的に政治的に得をすることは申すまでもありませんけれども、一番最初に一番多くの利益を得るのは正しい議員諸公ではないのでしょうか。皆さんお困りになっていませんか。(拍手)選挙のたびごとに皆さんの御同僚、私ども懇意な人がたくさんおりますが、実に憂うつな顔をしておられる。それは申すまでもなく選挙資金の収集のためでありましょうが、かようなことがいつまで続くのでしょうか。おそらく私の承知しております限りの国会議員諸公は、みなりっぱな紳士であります。決して悪いことはなさる人ではありません。その人々がどうしてああいうことをするのか、それは自衛上やむを得ない、自衛権の発動でありましょうが、自分がやらなければ相手方がやる。また皆さんの中には、正しい選挙をおやりになったために、相手方の無法な選挙によって落選の悲運を味わわれた方もお見受けすると二、三おありのようでありますが、はなはだ失礼でありますけれども、もしあなた方がそういう場合に相手に負けない悪質選挙をやられたならば、おそらく落選されるようなことはなかったのじゃないかと思う。これらのことを考えるにつけて、これはみんなが一斉にやりさえすれば選挙は改まる。一斉にスタートするためには、この改正案一つ十分な御検討を加えられて、良心の発動をもって、この国民共同の大事な法律案をりっぱなものに改めていただきたい。これが私の申し上げる意見の大部分であります。失礼しました。(拍手)
  92. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に、坂出市婦人会長の綾房江君の御意見の御開陳をお願いいたします。綾房江君。
  93. 綾房江

    ○綾公述人 ただいまは御手洗先生の非常に綿密なデーターをとられた、いろいろと微に入り細にわたったお話がございましたが、そのあとで私が引き続いてここで意見を発表させていただくことは、まことにおこがましいと存じます。  私は地域婦人団体連絡協議会に属するものでありますが、このたび当委員会の御要請によりまして、ただいま御審議中の公職選挙法の一部改正について、何か意見を述べるようにとのことでございました。私はほんとうに法律ということについてはずぶのしろうとでございますし、こうしたほんとうに専門家の皆様方の前で意見を発表するというふうなことは、まことに痛み入るわけでございますが、今回の改正法の重要と思われる二、三点につきまして、私の意見を述べさしていただきたいと思います。  現下の政治の最大の話題は、私たち国民に信頼される正しい議会政治が確立されることでございまして、これがすべての政策に先立つ前提であると思います。それには、その出発点となる選挙が正しく公明に行なわれることが肝要でございまして、この正しい選挙なくして国民に信頼される議会政治の確立などということはとうてい不可能であると思います。しかしながら現実の実態は、ややもすればこれとは反対の方向に進みつつあるようで、ほんとうに寒心にたえないのでございます。  今回の改正は、従来の現行制度のもとで各方面で論議されておりますほとんどすべての問題にわたって大改正を行なおうとするとのことでございまして、私どもといたしましては、これだけはぜひともやっていただきたいと存ずるのでございます。まず御送付いただきました資料をざっと拝見したのですけれども政府案はその大部分が選挙制度審議会答申案をそのままお出しになっておりまして、この点は各党とも御異論がないようでございますが、連座制を強化する問題や、高級公務員の立候補制度等については、各党の間に相当見解の開きがあるように見受けられます。  連座制の強化については、従来と異なって、家族や親族に対する連座規定は今回初めて政府案に盛られたようでございますが、これは審議会答申の線に沿うてお出しになったものと思いますが、最近選挙違反が非常に多くなって、これは年とともに悪質化しておる。しかもその中で親子、兄弟とかあるいは親族が特にそれに大きな役割を占めておる、また候補者と親族とは一体をなしておるというふうなことが、今回この規定が設けられた理由のように伺っております。しかし現在、家族制度は廃止されたといっても、親子、夫婦とか兄弟などのように血族や愛情で結ばれた特別の関係にあるものがお互いに助け合う、そしてかばい合うというのは人間の常でございまして、これらはあくまで自然の姿ではないかと思うのでございます。しかしそれならば、これらの親族が何をしてもよいということを決して申すわけではございませんが、これらの人が選挙違反をしたからといって候補者が失格するならば、これは親族以外の者の場合と比べまして、あまりにも均衡を欠くものというように考えるのでございます。親族以外でも特殊な関係にある者はたくさんあるはずでございまして、親族による多少の違反行為が選挙の結果に異動を及ぼすおそれはないのに、候補者の失格にまで及ぶというふうなことになるならば、他の大ぜいの善意の票が全部死んでしまうというふうなことにもなりまして、選挙の一部が無効である場合でも、選挙管理手続に問題がなければ当選者には直接影響がないように伺っておるのでございますが、この場合と比べても明らかに不合理であると思うのでございます。以上の点から考えましても、親族を連座制の対象とする場合、候補者と意思を通じて選挙運動をした者で、悪質な違反行為によって禁固以上の刑に処せられた場合などに限る程度の規定は当然必要かと考えられます。  なお、総括主宰者などの選挙違反によって有罪の判決が確定した場合、直ちに当選人を失格させるべきかどうか、そういうふうな御意見もございますが、私は法律問題について全くしろうとでございますが、法律に定める手続によらなければ刑罰を課してはならないという憲法の規定は、自由平等の人権の尊重を特に強くうたっている戦後の新しい憲法の精神からいっても、候補者の生死を決する重大な問題を、候補者の一言の抗弁の機会も与えずに当選を失格させるということは少し酷に過ぎるのではないかというふうに思うのでございます。刑事判決を待って検察官が当選無効の訴訟を提起するということも義務づけた問題であるとのことでございますが、この程度の規定ならば、選挙民があらためて当選無効の訴訟を提起することになっている現行法に比べて相当の前進ではないかというふうに考えられるのであります。それに、これはしろうと的な考え方かもわかりませんが、総括主宰者などが選挙違反によって有罪の判決が確定すれば当選者が失格するというふうな、酷なほどきびしい連座制にしなくても、選挙違反についての裁判を早くすればよいのではないか、私はここのところを強調したいのであります。しろうとですから皆さんお笑いになるかもしれませんが、従来の裁判があまりにも長い年月を要して、判決確定のときは、選挙違反を犯した問題の選挙で当選した人の任期がもう終わっておるというふうなことは、これはほんとうに国民として遺憾であります。それから、当選無効の訴訟を起こすことは意味がないと言われますが、だからといって、候補者自身ではない総括主宰者等の選挙違反の裁判の結果が直ちに当選者の当選の無効に結びつくというようなことは、妥当を欠くのではないかというように考えるのでございます。やはりこれは何としても急速に裁判を促進するようにはかることが先決で、選挙法の中にもこのことが書かれてあるように存じております。裁判がおくれるのは選挙違反のみではないように聞いておりますけれども、少なくとも選挙違反の場合は、政府改正案で、裁判の促進によって悪質な選挙犯罪をきびしく罰して、連座による当選無効の訴訟を検察官が提起するという改正で十分ではないかというように考えるのでございます。  次に、高級公務員の立候補制限の問題についてちょっと触れてみたいと思います。これもむずかしい憲法上の問題がからんでおりまして、実はどういう工合に申し上げてよいのやら表言に苦しむものでございますが、国民は法のもとにおきましてすべて平等であるというのが新憲法を貫く精神であると聞いております。そのためにも、われわれは職業の選択についてもすべて自由であって、だれからも拘束されないことが明白になっております。今回の高級公務員についても、私どもはよくわからないいろいろな問題があると思いますが、組織や職権を利用して事前連動をすることはあまり好ましくないことはもちろんだと思います。これをいわゆる高級公務員といわれる人に限って立候補制限の対象としても、公務員でない他の職業人といえども大同小異のことが言えるということもございまして、こうして範囲を広げること自体が問題がある上に、先ほど申し上げた憲法の自由平等の精神に明らかに反するわけでございまして、こうした点からも立候補は自由とするかわりに、立候補しようとする者、職務を利用した行為やその立候補者に職務上つながる公務員の職務利用行為があって選挙違反の刑に処せられたときに当選無効とする処置は、ある程度合理性を持ったものと考えられます。  このほかにもいろいろ問題になる個所はあろうかと思いますが、先進国の例を見ましても、現在の状態になるまでには相当長い年月を要しております。現在複雑な社会情勢のもとおきまして、一朝一夕に完璧なものを作ろうとしましても、これはまず絶対に不可能といっても過言でないのではないかと思います。総じて選挙制度審議会答申案の精神、趣旨を尊重いたしまして作られた今回の改正案はおおむね妥当なものと考えております。  なお、今回、選挙法改正につきまして、特に婦人の立場から次のことを私はさらに申し加えたいと存じます。  第一に公営ポスターとか、掲示場を増設しまして、選挙の盛り上がりに効を奏するようにしてもらいたい。整然と秩序正しく公明選挙を推進する方法として、ポスターを一カ所にまとめるようにすることができないものかと思うのでございます。  それから第二には、ラジオ、テレビを政治意識の高揚、すなわち政治教育選挙に大いに利用していただきたい。国におかれてもまたNHKさんにおかれても、民間放送におかれても、大いに協力をしてほしいのでございます。  第三には、筋金の入ったところの真の民主主義を基盤とした社会教育、婦人教育を充実してほしいのでございます。日本の婦人の地位はその問題意識と自主性等、まだまだ今後の向上に待たなければならない点が多いと思うのでございます。  第四は、選挙管理委員会においても常時の政治教育をしてもらいたい。選挙の前になって、あわてて人を寄せ、どうだこうだというふうなことがよくありますが、私、常にこのことはよく申すのでございますが、そのためにもその予算の確保、増大を考えてほしいと思います。  それからまた選挙管理委員に婦人を加えていただきたい。政治意識は男子に比較いたしましてはるかに低調であるというわけでございますが、しかし有権者の過半数が婦人であって、また婦人に対しての啓蒙がしやすくなる点などから考えましても、これは妥当と思うのでございます。  第五には、選挙費用を合理化していただきたいと存じます。選挙国民の代表者を選出するところの厳粛な行為であって、その結果は、政治の善悪としてわれわれにはね返ってくるのでございます。買収など腐敗行為があれば、その候補者が当選すれば、次の政治に腐敗が伴いやすくなるということは言を待たないと思います。次の政治に法定費用を実情に即し適用するようにして、候補者にはぜひ守ってもらうべきだと存じます。選挙民もまた買収を追放することを政治常識として実行に移すときだと思うのでございます。選挙の腐敗は政治の腐敗に通じて、家計に直ちに影響いたしますから、特にこの点、国をあげて公明選挙運動を進め、今度の参議院議員選挙が公明、公正に行なわれるように切に念願する次第でございます。最後に、総括的に申し上げます。選挙というものが、なお取り締まりを強化することによって、絶えず警察の目が私たち有権者の前にも光る、候補者自身ももちろんでございますが、そういうことになりまして、恐怖観念を与えるということが最も心配でございます。特にまじめな、小心な有権者のため、たとえばわれわれ婦人会の会合におきましても、警察の目が一応注意を注ぐというようなことになってはたまりません。特にわれわれは、私どもの理想を持って、われわれ国民のしあわせのために、ほんとうの政治を行なってくれる人と信ずる人のために公正な選挙運動をいたしたくても、一応警察から注視を受けるということは好みません。厳粛過ぎる法律によって、公正な国民、特に婦人の誠意を萎縮させないように、出たい人より出したい人と信ずる人に十分に公明選挙運動ができるように配慮していただきたいと思うのでございます。私、法を強化するということは、それは現在の複雑な情勢下におきまして、ここまで選挙というものが非常に乱れてきているというふうなことにつきまして、法を強化するということは、だれが考えてもそうだと思うのでございますけれども、何としましても、国民政治意識というものが非常に低調でございますから、この点政治教育ということを、公明選挙運動という点につきして、皆様方に大いに考えていただきまして、私どもともどもに大いに協力して、国民個々の政治意識の高揚に努めたいと思うのでございます。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
  94. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に、民主社会主義研究会議事務局長、和田耕作君の御意見の御開陳をお願いいたします。和田耕作君。
  95. 和田耕作

    ○和田公述人 ただいま三人の方から、今度の公職選挙法改正案について、いろいろ御意見を承りましたが、私は率直に申しまして、今度の政府原案でも、また島上善五郎さんが代表する社会党修正案でも、また公職選挙法審議会答申案にしましても、率直な感じは、何か法令しげくして罪人多しという老子の言った言葉を思い出すのであります。あまりこまごました取り締まりというのはどうかなという感じでございます。つまり、現在いろいろ論点になっておる幾つかの重要な問題は、非常に重要な問題でございますけれども、その問題だけを離して、そういう形でこの改正案と取り組むという切先の入れ方、この入れ方がはたして正しいかどうかということでございます。  最近、私いろいろ全国のあちこちの会合に参りまして、選挙法改正の問題について、いろいろ国民の人たちの意向を関心を持って聞いておるのでありますけれども、非常に遺憾ながら、この問題について皆さん低調な関心しか持っていない、あまり関心を持っていないということが言い切れると思います。ついせんだっても、三月の末でしたか、青年会館で多くの日本の問題をよく考えておる青年たちの集まった青年集会がございました。約千人くらいの人が集まっておった会でありますが、そのすぐ直後に安井自治大臣あるいは午前中に一お話のあった長谷部さん、その他非常に有力な政党の代表の人たちがこの選挙法についていろいろ討論する会があったのですけれども、この千人の集まった人たちが、一たびこの問題の議論になりますと、ほんの七、八十人に減ってしまった。みなだらだら帰ってしまった。この状態を見まして、これはどうも大へんなことだという感じを受けたのであります。単にこういう会合だけでなくて、私たちの関係のある人たち、しかも学者、知識人あるいはこういう問題を平生考えておる人たちの会合に参加したことがありますけれども、そのときに東大の有名な選挙法の権威者が話をされたのでありますけれども、いつもでありますと大体六、七十人の人が集まる会合なのですが、この会合にたくさん来て困るのじゃないかと思っておりましたら、集まった人が二十二、三名ということでございました。こういうふうな問題を考えますと、新聞その他で、あるいは国会でも非常に大きくこの問題を論議しておりますけれども、はたして国民がこれに対して大いな関心を持っておるかどうか、この問題について議員の皆様方に特に関心を持っていただきたい。一般国民と申しましても、こういうふうな技術的な問題を含んだことになりますと、いろいろめんどうくさくてわからないということはあたりまえのことでありますけれども、今私が申し上げた二つの例の場合では、かなり関心を持っておる、あるいは持つべきはずの人、この人がそういう状態であることは特に考える必要があることじゃないかと私は痛切に感じておるわけであります。  しからば、どうしてこういうふうな民主主義の基本になる選挙法改正ということについてこのような状態が起こるだろうか。先ほども御手洗さんからも、いろいろな数字をあげまして、国民の世論というふうなものの動向についてお話がございました、おそらくそういうことも事実でありましょうけれども、しかしそれをささえる国民の気持というのは、あまり積極的な意欲というふうなものは見られない、これもまた事実だと思います。一昨日も私名古屋へ参りまして、名古屋の組合関係の人と話し合いをしておりまして、この問題についてどう思うのだと言いますと、こういう答えでした。われわれのところでも一、二度この問題を議論した、したけれども、どうせこれは議論してもわれわれの意見は通るまい、また通ったところで実際に行なわれるようなことはあるまい、従って関心は非常に薄いのだということでございます。こういうような状態で、つまりこの問題をいろいろ考えてみましたけれども、切先の入れ方が間違っているのじゃないかということでございます。  この選挙法改正の問題について、この問題を非常に憂えている人たちが一番大事だと思っておる問題があと回しになって、そしてこまかい当面の選挙をいろいろ規制するあるいは罰則その他が先になって、おそらくそういう問題がありはしないかということでございます。昨年四月でしたか、との問題がいろいろ新聞紙上で問題になりましたときに同じような会をやったことがありますが、非常に熱心な会でした。そのときには、選挙法改正といえば、どのような選挙制度を、つまり比例代表制とか小選挙区制とかあるいはそれをかみ合わせた問題、そういう問題が大きな議論の焦点になっておったときであります。また民主主義の一つ選挙の基本になる議員数の非常にアンバランスな問題、こういう問題が改正の中心になるだろうと思われるようなときには、非常に真剣な論議があったということも思い出す必要があるのじゃないかと思います。  こういうように見てみますと、現在せっかくこうして真剣に議論をしておるけれども、この議論をしている改正の内容というものは、案外国民にとっては無関心な状態を起こしているんじゃないか。そこで、どうしてこういうような無関心な状態があるのだろうかということになりますと、今も申し上げましたように、何か選挙法の大改正ということにしてはみみっちい改革だという印象でございます。ここ数年間、世界各国で選挙法改正という問題がしばしば議論を起こしておりますけれども選挙法改正の国際的なレベルから見ますと、きわめてみみっちい改革だという印象は避けられないのであります。従って、最近の審議会答申でああいうふうな罰則規定、当面のいろいろな粗末――粗末だといっては失礼ですが、いろいろな問題をやるという出し方、その前に、あるいはそれと並行して、どうして選挙制度の問題を出さなかったか、これも私は不思議に思うわけでございます。  次に、名古屋の組合の人たちの言っている、つまりわれわれの意見を言ってもその意見が聞かれない、聞かれたところでまともに実行されないんじゃないか、これは非常に重要な内容を持っておると思います。この前の総選挙で民社党――私は民社党の推薦人でありますけれども、民社党のちょうちんを持って言うわけじゃない。民社党が三百五十万という得票を得た。その得票を得て結局議席が十七になった。最近の事例としてはこういうふうな問題は、非常に大きな問題として取り上げられるべき問題じゃないか。まともなことを考えようとする人たちが、どうせ言っても自分の意見は通らないという空気が知らず知らず選挙民の中にありますと、まともな意見は引っ込んでしまう。まともな意見を述べる人が少数だということは遺憾なことでありますけれども、しかし、それは実情に近い。こういうふうなまともな意見をできるだけ政治に反映さすような導きの方法になるような選挙制度考えることが、最近の選挙の大きな欠陥を直す方法として非常に重要な方法だと思うのです。ここに比例代表制という問題が出てくると思います。小選挙制度という問題も出てくると思います。こういうような問題と関連をつけて選挙法のいろいろな規則の改正考えなければ、しょせん大きな改正にはならない。現在、自民党の方と社会党の方から三つの問題点、公務員の問題、連座制の問題あるいは選挙資金の問題、いろいろな議論がなされております。ここにおられる公述人の方々からも相反した意見が出されております。いずれももっともなことなんです。御手洗さんは自衛権の発動のためには仕方がないのだということを申された。つまり自衛権の発動ということを考えないで現在の選挙がやれるかどうか。また、御手洗さんの、あるいは選挙制度審議会で出された案というのも、私は案としては非常に常識的なまともな案だと思いますけれども、これでやって、この案に規定したことが行なわれるという保証があるかどうか。おそらくありはしますまい。いろいろな法律はたくさん作ってみたけれども、法令多くして罪人多しという結果にならなければ私は幸いだと思います。つまり、問題の焦点はそこにあるのではなくして、日本選挙の基本をなす選挙区の問題あるいは定員数の問題等についてもっと本気な改革、少なくともそれと並行した改革を進めなければ、とうていこの議論は解決できない現実の矛盾なのです。仕方のないいろいろなことが多い。こういう点を特に委員の皆様方に関心を持っていただきたい。できればこの改正案は、自民党の案にしても、あるいは社会党の案にしても、現在あるものよりはだいぶんまさっており、できるだけ審議会の案に近い線をいろいろと話し合って改正してもらいたいと思いますけれども、しかし、この改正をなす場合には、選挙区の問題あるいは定員数の問題について、一つのタイミングをつけて、スケジュールといっては失礼でありますが、いつ幾日までにはこういう問題についてやるんだということをぜひとも付加してもらいたい。また審議会答申案にしましても、こういうふうな選挙区制の問題が出れば、あらためて大きな改正が必要ないという前文もついております。しかし一ぺんこの問題だけをやってしまいますと、あとでまた選挙法改正という問題を国会で取り上げることは、精神的にも非常な困難な問題があるということがありますので、この改正と並んでぜひとも選挙制度の問題、定員数の問題について御審議、あるいはある条件をつけて承認するというふうに考えてもらいたいと思うのであります。  また、当面今度の参議院選挙が近い、その参議院選挙に間に合うようにこれだけのことはやらなければならないという感じが確かにあると思います。その感じが間違っておるとは私申し上げておりません。おりませんけれども、参議院選挙は、新聞でもいわれますように、もうすでに中盤戦を越しているというふうにいわれております。参議院選挙に間に合うようにということを、そう絶対命令として考える必要もないんじゃないか。むしろ正しい方法は、審議会でも議論の大きなワクとしてあるように、この問題に関する基本的な問題と関連さしてこの改正案考えられることを焦点にして、そうしてこの改正案をそれに似た、あるいはそれに近づくような形でぜひ審議してもらいたいというふうに思うわけでございます。  また、その場合には、筋の通った意見ができるだけ出やすいようなものにする。民主主義の政治から見て筋の通った意見ができるだけ出やすいものにする。力の対立の中で、あの党に、あの人に投票しても、これはおれの投票が死んでしまうという感覚にできるだけ多くの国民を陥らせないようにする。現在、それが日本政治には必要だと思うのです。一つの大きな力があり、どっちか定まった人に投票しなければ、おれの投票が死んでしまうんだ、そういうような問題を、どうしたらうまく筋の通った人が出せるかというような考慮も特に必要だと思います。また、こういうことについては、今度の審議会答申案にしましても、あるいは政府の案にしましても、ある程度の考慮は払われておると思います。選挙の期間を延ばした、あるいは文書活動を活発にさせた、こういう点も低く見るわけではありませんけれども、現在は、基本に関する問題が焦点にあるんだ、国民もそれを望んでいるんだ、こまかい法律の論議は案外国民には関心を持たれていないんだ、これはおそらく皆さんの周囲をごらんになれば、すぐわかると思います。そういう点を特にお考えになっていただきたい。  簡単でございますけれども、その点に集中いたしまして、私の意見をお述べいたしました。(拍手)
  96. 加藤常太郎

    加藤委員長 これより公述人に対する質疑に入ります。順次質疑を許します。まず青木正君。
  97. 青木正

    ○青木委員 私、御手洗公述人にちょっとお尋ねいたします。  御手洗公述人のお話を承っておりまして、私は、こまかい点に若干の意見の違いがありますが、率直に申しますならば、御趣旨としては同感なんであります。考え方も同感であり、よくお気持はわかるのであります。特に高級公務員の問題と連座制の問題、これは御承知のように、昭和三十四年の選挙制度調査会答申にも入っておりまして、私どもも真剣に取り組んだつもりであります。しかし、これを法律の条文に書くということになりますと、どうもわれわれとして、その考え方を出すことに非常に困難を感ずるのであります。社会党の案が答申の線を  もう社会党は純粋に、でき得るならば答申そのものに直したい、こういうお考えであったと思うのであります。そういう社会党考え方に立ってやはり修正案を作るということになりますと、政府案よりはもちろん答申案に近寄っておりますが、それにいたしましても、やはりこの二点については答申案そのままというわけにはいかなかったのであります。これはどなたがお取り扱いになりましても、答申の線を尊重しようといたしましても、立法技術上非常に困難な問題があるということを私は自分で体験いたしているのであります。そういう観点からいたしまして、ただいまのお話を承っており、いろいろありますが、たとえば高級公務員の立候補制限の問題、ただいま連座制の問題は社会党の案で大体よろしかろうというお話でありましたが、高級公務員の立候補制限について社会党案でよろしいというようなお話はなかったように聞いておるのであります。社会党案を私批判する意味ではありませんが、やはり答申法律で定める職、とそれはわかるのであります。その通りでよいのであります。しかし、法律で定める職とは、しからばいかなる職にするかということになりますと、これは合理性を発見することがむずかしくなってくるのでありまして、その点に私ども非常に難渋を感じておるのであります。そこで、社会党案について、連座制の問題は大体あれでよろしかろうというお話でありましたが、高級公務員の立候補制限についてあれでよろしかろうというような表現がなかったようであります。それをどうお考えになっておりますか。社会党案について私ども検討いたしたのでありますが、応地方支分部局を持っている中央官庁の局長というふうにしぼったようであります。しかし、しさいに検討しておりますと、地方支分部局を持っている局長を全部あげておるわけではないのであります。その中の特定局をあげている。しからばその特定局長というものは過去の実績によっているかというと、必ずしもそうでない。そうなってくると、お話の気持はよくわかりますが、法律で特定の職をあげるとする場合に、一体何を基準として条文化すことが合理性があるか、これについて何かお考えがおありかどうか承りたいということと、社会党のようなしぼり方で、あれでよろしいというお考えかどうか、その点を一つお聞かせ願いたいと思います。
  98. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 公務員の立候補制限法律化することは困難である、こういうお話であります。社会党修正案を見ますと、地方に出張所あるいは支局、分局というようなものを持っている、全国的に支配力を持っている中央の高級公務員、これをねらいとされていると思うのであります。私はそれは正しいと思うのであります。しかし、それだけで抽象的にワクをかけますと、実際には、そういうものを持たなくとも非常に大きな影響力、支配力を持っているものがのがれることになります。これは公平でないと思います。従って、私は、実績主義でいくのがいいではないか。もう今日まですでに五回ですか、六回ですかあったわけでありますが、これらの実績から見れば、大体一定の地位というものが全国区参議院で出て弊害を起こしており、事実明らかになっております。まずそれをあげられる。そして、今の島上案のような地方に実際に支配機構を持っているもの、この二つのものをかみ合わして判断していけば、やや公平に近いものができるのではないか、こういうことを考えております。
  99. 青木正

    ○青木委員 大体お考えはわかったのでありますが、それを法律にするということになると実にむずかしい点が出て参りまして、実績主義もよろしいのでありますが、その中で、その職のためにそういう弊害が出たものと、人柄による場合もあるわけであります。ところが、人柄によるというようなことを何で判定するかというような問題が出てくるので、そこに法律にする場合における困難さというものがある。私は非常に困難を感じて、政府案よりほかないではないか、こういう結論に到達せざるを得なかったのでありまして、その点はその点として、時間をとっても恐縮でありますから……。  それから連座制の問題。お話のように、家族で行き過ぎたものがある、それから事実上の総括主宰者あるいは出納責任者のような仕事をしている家族というような表現がおありになりましたが、それならば、総括主宰者もしくは出納責任者として当然ひっかかってくるではないか。むしろその方に関連を持たせるのがよいので、家族であるとかどうとかいうことより、その方にしぼって関連を持たせるということであるならば、家族なるがゆえにという考え方もおかしいではないか。お話の中でも家族なるがゆえにというお考えではないようであります。要するに、事実上選挙の中心となっていろいろなことをやったからということでありますから、そうであるとするならば、総括主宰者の方に考え方がいくのではないか、こういう気がいたすのであります。そこで、家族であり、しかも同時に総括主宰者あるいは出納責任者の仕事をやった者を連座させるというふうに持っていくことが適当ではないか、その持っていき方に政府案が行き過ぎであるとかどうとか、これは議論があると思います。しかし、考え方としてはやはり革に家族だけではいかぬのではないか、その点はやはり御手洗さんも同感だとは思うのでありますが、なお承っておきたいと思います。
  100. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 私ども考えております家族に対する連座の拡大ということは、家族であるがゆえに見のがされてきた例は実際にあったのです。ところが、名前をあげることは遠慮いたしますが、東京都下の元非常に有力であったある大臣の奥さんが相当派手に大規模な――もうこれはだいぶ前、十年あるいはそれ以上のことでありますが、事実あったわけであります。それは奥さんであるがゆえに免れたということ、御当人は若干の刑を受けたようでありますが、御主人は全然無関係であった。こういう事実があるのであります。  それから今の後段のあなたのお話の点は、これは自民党の方にはだいぶ誤解があったようでありますが、家族であるからどんな小さな違反であっても――一人で何か隣の奥さんにあれしたとか、そういうものまでもやれという意味ではむろんないのであります。あなたのおっしゃる通りに、相当広範囲にわたって実際上の責任者、あるいは会計の担当者というようなことをやった、そういう意味であります。それも、今度の改正案を見ますと、そこまで広がっていないように思うのです。そこで、家族である場合には非常に隠密にそれをやることができます。膨大な選挙費用を取り次いでみたり、あるいは一人に対する取次でありましても、これはどうもちょっと言われないと思うのです。たとえばある大きな選挙の世話人に対して三百万円の金を渡した、当然これは買収であることはわかっておっても、一人であるというと総括主宰者とか会計責任者というわけにはいかないのじゃないでしょうか。そういうような場合に、やはり家族であっても、当然そういうものにかけなければいけないのじゃないか、そこが私どもの言うところです。なぜかというと、最近の状況は言うまでもないのですが、非常に多い。一昨年の総選挙のごときは、至るところでそういうケースが起こっている。だんだん拡大する傾向にありますから、そこでそういう議論が出てきたわけです。
  101. 青木正

    ○青木委員 よくわかりました。私が聞きたかったのは、つまり連座の理論としての一体性の理論から考えて、家族候補者と一心同体だ。今は候補者の違反はすべて失格になるのですから、それがたとい一票の違反であっても、家族の場合は候補者と一心同体、一体性という考え方から、家族連座ということを強く御主張になったのか、あるいはやはり総括主宰者というような仕事をやっているからいかぬのだ、こういう意味からか、どちらかと考えたものですから伺ったのです。よくわかりました。
  102. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に畑和君。
  103. 畑和

    ○畑委員 岡崎公述人にお伺いいたしたい。先ほど来岡崎公述人意見を冒頭に拝聴いたしました。それからあとで御手洗公述人の御意見を承りました。もちろん私は社会党に所属し、かつ、答申案に賛成をしてそれに沿うた修正案を出しておる、島上委員と一緒に出しておるものの一人でございますが、そういう立場がもちろん私のこれから問うところを言わしめることになるかもしれませんけれども、しかし、それはそれといたしまして、先ほど岡崎公述人からいろいろ承りましたが、さらに御手洗公述人から承って、その差異が非常に大きいということを痛感いたしたのであります。そこで、いろいろのことをこまかく申し上げる時間もございませんので、特に意見の違ったところは、連座制強化の問題、それと高級公務員の立候補制限の問題、政治資金規正の問題、この三点であったと思うのでございます。そこで、ともかく現行法を今度政府修正をしたという点、これは賛成する、ところが答申案は行き過ぎである、こういうような御議論だったと思うのでありますが、その御議論のうちに、現状認識に対する考え方根本的に御手洗先生と違うのではないか、こういうふうな認識を新たにした。その点岡崎さんも御手洗さんの意見をじっと聞いておられましたから、一々申しませんけれども、今の選挙界の現状、この腐敗の現状、これをもってすると、最後には政党など分解してしまう、そして世論の前に大いに批判を受けて、政党政治はもうなくなってしまうというような危険をわれわれは感じておるわけです。そういう意識のもとに、根本的に、いいことではないけれどもいたし方がない、ここでそういった三点を中心とする徹底した選挙法改正をしなければならぬというふうに考えておるのですが、その点に対してはいかなる御認識を持っておられるか承りたい。
  104. 岡崎采女

    ○岡崎公述人 ただいまの御質問で、私が連座制の問題あるいは政治資金規正法の問題で、どうも御手洗先生と非常に意見が違うというように言われ、また答申案は行き過ぎだと言うたのだというように言われておるのですが、答申案の中でも、私と非常に考えを異にしておる問題があります。つまり連座制の問題にいたしましても、この問題は答申案にしますとそのまま即当選人が失格するというようなことになっておりますので、私の考えといたしましては、現在の文明社会にそういうことはあり得ない、日本法律もこれをそうは認めておらぬのです。結局やはり自分に発言権を得る場所がある。そして自分のその問題に対して有利な証拠を提出し、そしてそれらによって自分の言い開きができるというように考えておるから、答申案は行き過ぎではないかというように申しておりますので、そこで政府案の方がほんとうであるというように考えた。  それから政治資金規正法の問題にいたしますれば、この問題はただ選挙にのみ限っておるからというようなことなんだと思います。私は選挙にだけ限っておった方が現在の情勢からではよいのではないか、こう簡単に申し上げた。それはどうかというと、現在の政治社会を見ましても、現在の選挙の状態を見ましても、政党の運営を見ましても、その政治資金規正ということには、相当深く慎重に検討しなければならぬ問題が残っておるのではなかろうか、審議会答申案にもそういうふうにうたわれておる。そこで私もそう考えまして、結局政府の提案の通り、まずこの際選挙に限った方がよいのではなかろうか、その条項はあの条文にお示しになっておる通りです。なぜそういうことを言うかと申しますれば、先ほど申し上げましたように、解決のすぐできぬような大きな問題がこの十三年たって行なわれる選挙法の第一回の大きな改正のときに、それが三つの大きなものがほんとうの山になってしまって、このためにこの選挙法改正ができないというようなことになれば、国民はこれを期待しておったのであるからして、どんな考えを持つであろうか。そこで、まず皆さんのお力によってできるものからどんどん解決していって、その問題は、今の状態においてまず解決をして次に残して、そうして十二分に検討してまたこの次に十分新しい面からよい方法でやった方がよくはなかろうか、こういうふうな考えから申し上げたので、これは頭から反対であるというようなわけではないのであります。
  105. 畑和

    ○畑委員 私が言いたいのは、現状の認識がだいぶ違うのではないかという言葉がそこで出てくると思う。ともかく政府改正案も前進だからということの御議論も一応わかりますけれども、しかし、先ほど来御手洗先生のお話を聞いておりましてわれわれは非常に啓発された。今度の答申案、それに対する政府案が重要な点でほんとうにメスの入れどころが違っておるということを私は今聞いておりまして、御手洗さんに非常になお教えられた。どうしてもここで荒療治をしなければいかぬ段階ではないか、それなるがゆえに、若干の憲法違反の疑いという程度で、盛んに自民党あるいは政府の方では、一部あるいは半分くらい憲法違反の疑いがあるということを取り上げて、そしてそれを理由にして、憲法違反だからということでどうも答申案に反対のようにわれわれには見受けられるのであります。とにかく、こういう際に、大前提は、何としても選挙界の粛正、腐敗政治粛正、こういうことにあると思う。それをだんだんにやっていくのだということでは、非常になまぬるいと思う。そこで、やはりやるならば、徹底してやらなければならぬ。連座制の問題でも、当然失格ということを除けば、先ほど御手洗先生に教えてもらったように、ほんとうに実効のないものになってしまう。ほとんどひっかかるものはなくなってしまうということでは、連座制を強化しましたとは決して言えないと私は思うのです。やはり当然失格にしなければならぬ。そこで、憲法違反の疑いの問題があるけれども、それには議論二つある。しかも、文字解釈からすれば、憲法三十一条には明らかに「刑罰」と書いてある。一体、失格というのは刑罰でありましょうか。われわれは刑罰じゃないという解釈をとっておる。それなるがゆえに、現行憲法に違反はしないのだ。選挙法におけるやむにやまれない一つの独特の制裁なんであって、もう罰則につきましては最高限までいっている。さらにこれを何とかしようとするには、やはり候補者が当選をそれによって失う、そういうおそれがあれば、危険なところへは近寄らぬということになるので、それで家族なんか気の毒な面も相当あろうと思います。先ほど言った、十票くらいの程度で当然失格になってしまうというのは気の毒じゃないかという議論もありますけれども、しかし、大の虫を生かすためには小さい虫も殺さなければならぬ、こういうのが、それを肯定するか、あるいは先へ送ってしまうかということの議論の分かれ目だと思うのです。そういう点で、先生の意向もわかるような気もしますけれども、どうせ改正するならば、はっきりその点を割り切って、憲法違反だとか何だとか、あるいはまた、高級公務員の立候補制限の場合に、職の指定というのは非常にむずかしいと、今青木正先生も言われた。しかし、むずかしくたって、あるいは実績主義によるか、あるいは今言った地方支分部局云々ということでいくか、そういうことにむずかしさがあるということのために、立法技術的にむずかしいということだけの理由で回避すべきではないと私は思う。社会党案にも相当たくさん矛盾はあると思います。あると思いまするけれども、やはりこれでいかなければならぬのだということでわれわれは案を出したのでございます。もちろん、批判される人は大いにあろうと思うのですけれども、立候補は自由だ、憲法の規定に触れるから、それをおそれるからというのですが、これは憲法のあれには触れない。公権的解釈によりましても、具体的な理由があれば、その職を指定できれば、それは憲法違反にならぬ、こう解釈もいたしておるので、われわれはそういった努力をして、一応ずさんとは思いますけれども、あれだけの職を指定したわけでございまして、そういう点で、答申案反対、政府案賛成の方々の考え方は、どうもそこの根本的な現状認識がわれわれとは違うような感じがして仕方がない。こまかいことはよしにいたしますが、その点はいかがでしょうか。
  106. 岡崎采女

    ○岡崎公述人 ただいま、憲法上刑罰でないというようなお話であったが、特権を剥奪されるというようなことが、刑罰よりもっと大きな罰ではなかろうかというように考えませんか。私はそういうふうに考える。それと同時に、また高級公務員の問題にいたしましても、ただいま申されますことは、これをわかりやすく、これは立候補してはいかぬのだ、こうやれば驚くだろう、気をつけるだろうというようなお話でございましたが、そうじゃなくして、やはり今政府で提案されているような問題もよくごらんになれば、あれもそれに近いような方向にいっているのではないだろうか。しかも連座制までそれに併加されるというように私は考えておりますので――私は憲法学者じゃないものですからして、どうも憲法の方は暗い者ですが、やはりいかなる法律であっても、常識より強いものは少ない。それで私は常識的にそう考えてお答えしておるわけであります。そこで、今問題にされます、どうせやるなら日本でやってしまった方がいい、なるほど、それには相違ありません。私どももそう考えています。私は、先ほど申し上げましたように、選挙を取り扱っておる者でございますので、ぜひそうしていただいて、すっきりした、最もやりいい、われわれが眠っておっても選挙はひとりでに執行ができる、皆さんも立候補すれば直ちに他の有権者が判断をして当選ができるような方向にいきたいのだが、どうも現在の状況ではそうはいかない。いかないのはどうか。しかし、それだからといって、有権者あるいは候補者ないし運動員の方々を、それほど野蛮人に――野蛮人と言っては語弊がありますが、わからず屋に取り扱って法律で頭から押えつける、そうしておどかす、これがあったならやらぬだろうというようなことでなくて、もう民主主義もここまで発達してきますれば、徐々に皆さんの自覚もできたことと思います。国民も大体自覚しておるのではなかろうか。先ほど私が申し上げましたように、非常に困難な全国区の問題なんかは、私がいろいろ話し合いの運動をしてみますと、あれはやめたらどうだ、いかにしても適確な候補者を得られないからというような話もある。だから、民度も相当高まっておるのではないかというようなときですからして、そう頭からきめつけぬでもできるのではないか。それを一ぺんにやらぬでも、やるものはどんどんやって、そして改革していくものはどんどん改革して、それは手ぬるいのじゃなくて、どんどんやって、しかし、大きな壁があったら  幾らとんとんやりたくても、幾ら突き破りたくも破れない壁がある。十何年間かかってこの法律がほんとうに改正されないなんということは、やはりそういう大きな壁があったのではないでしょうか。その壁を突き破ろうとして審議会ができたのですけれども、やはりそれも、先ほど申し上げましたように、まだ政治資金規正法等には検討の余地があると答申されておるようでございます。私は憲法学者ではございませんので、法律の面はわかりませんが、ただいま申し上げるような考えを持っております。
  107. 畑和

    ○畑委員 あまり時間がかかりますから、一点だけ伺います。  先ほどの高級公務員の立候補制限で、この職はやらせないということになれば、あとはこれでやらぬだろうというようなことをちょっと御発言がありましたけれども、それは何かの誤解じゃないかと思います。これだけの一定の指定された職の人は、全国区の選挙で、職権を利用して選挙違反をやるおそれがあるから、立候補させないというふうに規定をしようというのが答申の線であり、われわれの線であるわけです。何か今ちょっとそんなことを言われましたが、それでよろしゅうございますか。  それから政治資金規正の問題、これは今度だけは選挙に限ってということでやって、あとでゆっくりやったらいいじゃないか、こういう御意見なんですが、しかし、先ほど来申しておりますように、現在の状況からすれば、そういうことを言っている時期ではないのではないか。御手洗さんも言われたように、選挙に関してというわずかに六文字だけの違いだけれども、それでは、選挙に関するのか、あるいは政治資金に関するのか、言い様で、これは選挙に関したものではございません、こういうふうに言って、幾らでも言いのがれされるし、それでは実際何の役にも立たぬ。だから、根本的に政治資金の方を規正した方が、今思い切ってやった方がよろしい、こう言われるのか。先に送れば送るほど、なかなか困難になる、かように私は考えるのですが、いかがでございますか。
  108. 岡崎采女

    ○岡崎公述人 ただいまの政治資金の問題でありますが、私の申し上げたのは、現在の情勢下におきまして、政党の発達あるいは政治の運営、これらを考えましたときに、この政治資金規正をほんとうにどの程度までやったならこれが正常化するのかというようなことは、非常にむずかしいのじゃないのでしょうか。それは答申案にもあるように、これは検討の余地が十分あるんだといわれておるので、私もこの面について深く研究したものではございませんが、世論、言われるところによりますと、この政治資金規正答申案の考えのような状態に持っていったならば、政治の運営も困難ではなかろうかというような新聞等も見ておりますので、そんな関係から、どうもこの点は選挙にしぼって、そうしてこの際、先ほど来申し上げましたように、各般の問題を一たん取りまとめて、そうしてどうしても大きな壁がありとしたら、徹底的にそれだけ御研究になっていただいて、そうしておきめになっていただいたらよろしいのではなかろうか、こう申し上げるのでございます。
  109. 畑和

    ○畑委員 いろいろありますけれども、時間がかかりますから、以上で終わります。
  110. 加藤常太郎

    加藤委員長 高橋英吉君。
  111. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 私も、時間がないそうですから、ごく簡単に質問いたします。御手洗公述人にちょっとお尋ねしたいと思います。  私がお聞きしようと思ったことは、青木委員によって詳しく聞かれましたので、蛇足を加えることになりますけれども、ちょっとお確かめいたしたいのですが、家族選挙違反の場合に、答申案では、買収犯であれば、どういうふうな微罪でも連座するというふうなことになっておったと思いますが、先ほどのお話では、そうでもない、何か相当重要な役割を演じた者でなければ、連座の対象にする必要はないというふうにも聞こえますが、その点もう一度お確かめしたいと思います。どの程度の違いでしょうか。
  112. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 これはさっきお答えした通りであります。家族であっても、その人一人がわずかなことを近所に非常に小範囲にやっている、そういうようなことは私ども含まれるものとは考えておりません。答申にいたしましても、さような趣旨であったと私は了解して、あの答申には賛成したのであります。さっき申します通りに、近来、家族で大規模な悪質犯罪の中心になっておる傾向が非常に強くなっておる。これは御承知だと思います。現にそういう裁判事件が幾つもあるのですから。こういうことはほうっておけばだんだん蔓延することは目に見えておるのである。それらをあまりまだ大きくならないうちに押えなければいけないじゃないかというのが私の考えであります。それはさっきも申しました通り、東京都下にもすでに――だいぶ前のことでありますが、実にはなはだしい、ひどい例があったので、これは高橋さんもよく御懇意の方だから御記憶だと思いますが、そういうようなことが今後もあろうと思う。あるであろうということは、想像でありません、現に一回ごとにふえておるのであります。ですからして、青木さんのお話しのように、また、あなたも御指摘のように、重要な役割をしている、たとい相手が一人でありましょうとも、それがその次の段階においては非常な広い範囲に実際にやった、こういうものは当然含まれるものであろう、そうしなければ、今日の選挙界の新しい弊害は防げないのじゃないか、そういうつもりであります。
  113. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 御手洗先生の社会百般に対する御意見に対しては、常日ごろから敬意を表して共鳴しておるのでありますが、この点だけは多少疑いを持たざるを得ないのです。そうしますと、どの程度の重要性ということになりますか。今度の改正案では、総括主宰者のほかに、今の出納責任者、これは従来通りですが、その上に、相当広範囲の会計について責任を持った者、それから事実上の出納責任者といいますか、そういう者まで含まれて、非常にその範囲が拡大されたわけです。御承知のように、世界でも類例のないほど範囲が広げられておるのですが、それに該当しないような重要な役割を家族の者がやったというのは、どういうふうな場合でしょうか。たとえば、主人から金を何百万円か総括主宰者とか実際の運動をする者に取り次いだという程度のものだったら、これは単なる一つの小使的な役割ではないでしょうか。機械的な役割ではないでしょうか。身がわりというほどのものではないのではないか。もし、主人から金を預かり、その金を選挙運動の重要な人に渡したということになりますならば、これは主人も勢いひっかかるわけですから、問題ないと思いますが、かりに家族の者だけにとどまったといたしましても、家族の者が実際上取次にすぎないということになりますと、これはそう大して重要な役割をやったものではないのではないか。すなわち、家族ばかりではない。秘書にいたしましても、もしくは他人にいたしましても、その金の単なる取次、そういうふうなものでしたら、これは重要な役割ではない。もしその選挙運動に参画して相談に乗っておるとしますならば、これも総括主宰者であり、また、相当広範囲にわたっての選挙関係者だということになるので、今度の選挙法改正範囲内に入るのではないか。もしそれに入らないにもかかわらず、家族であるがゆえに特に連座の対象にするということになれば、これは結局、家族制度を否認したところの新しい思想に反逆するものではないかというふうな疑問も起こったりいたします。それからまた、ずっと前の例を言われておりますが、大体、昔からの選挙で、配偶者や家族の者が引っぱられるというふうなことは、これはめったになかったことですが、たまたまそういうことがありますると、それはほんとうに人情を解しない、非常識な鬼警察官といいますか、鬼検事のやり方だというふうに従来言われておったようです。われわれ弁護士会等でも、常にそういうふうな意見を発表しておりました。先ほど綾さんからの御発言にありましたように、家族のことですから、お互いに助け合うのが当然なことなのですから、それまでも禁ずるということは大へんな問題だというふうなことで、当時でもそういう評判があったのでございまするから、いわんや、連座の対象に、家族であるがゆえに特別扱いにするというふうなことは、これはちょっと問題ではないかと思います。たとえば、お話をお聞きしておると、悪いことをしたら何でもかんでもやっつければいいではないかという、リンチ的思想があるのではないかと思われるようなふうにも聞こえるのです。  それから、これはちょっとあげ足というか、言葉じりということでもないのですが、交通違反の問題をおっしゃったようです。交通違反も、すぐにひっつかまえて罰金を申し渡しますが、これに対しても異議の申し立て、最高裁判所までいくところの道が開かれておるわけですから、決して裁判抜きにして罰せられるということではありません。昔の警察官処罰令ですか、ああいうものでも、異議の申し立てばできたわけでございますから、裁判抜きというふうなことはないのでございます。これを例にあげられましたが、満天下が、速戦即決といいますか、そういうふうなことを言われておりまする交通事犯ですらも、裁判の制度が開かれておるわけなんでございますから、そうすると、ちょっと例が違いますが、やはり家族連座制の場合にも逆な結論が出るのではないか、かように思いますが、その点についていかがでしょう。
  114. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 まず最初の分からお答えいたします。これは何度繰り返しても同じことなんでありますが、そういうわずかな、ささいなことで家族が何かあやまちを犯したから、それを直ちに連座の対象にするなんて、そういうことを私は考えておるのではありません。おそらく選挙制度審議会の人々もそうだろうと思います。あなたは、家族であっても、それが相当広い範囲選挙を実際に担当したとか、あるいは会計の責任者と同様なことをしたならば、それに該当すると言われますが、今提出されております原案を見ると、そこの辺が私どもから見て非常にあいまいといいますか、ぼやけて見えるのであります。審議会答申ができました後に政府案ができたのでありますが、それでもどうもまだはっきりしない点がある。そこで、近来の傾向から考えたならば、やはり家族に対して、実際に家族がそんな大きなことをしなくても、たとえば、金について、意思を通じて何らかのあっせんをしたというようなことが書かれておるようでありますが、そういうことはおそらく立証がなかなかむずかしいとも思いますけれども、事実を見ればわかるのであります。それについて今度はいろいろなかさがかぶせてあるようでありますけれども、そういうことを取り除いたところで、悪いことをしたものはやはり悪いのじゃないか、リンチ的思想というお話がありましたが、そうではないので、選挙にあたって、だんだん戦術が発達したというのでしょうか、表の責任者、法律的な責任を負う人、候補者が直ちにそれによって責めを負わなければならぬというようなそういう人と、実際の実行者とを別にしておる、その別にしておることが、さらに家族にまで及んできたのではないか、ここまで広げるということが、過去の実際のやり方から見て必要だ、こう考えるのでございますが、もしこの原案がもう少し修正されまして、家族であろうが、他人であろうが、実際に選挙の総括的主宰者、あるいは相当広い範囲にわたっての指揮、企画をやった人、そういうところまで広げられ、あるいは会計の責任を負った者が届け出てあるとか、そういうことにこだわらずに処罰の対象になり連座の対象になるというふうにこれが改められますならば、もちろん、お話の通り、家族だからといってこれを別に扱う必要はないと思います。その点は、実害があるかないかが、おそらくこの法律を定める目安になるのではないか。これは法律専門家の高橋さんはよく御存じでありましょう。釈迦に説法ですからこれ以上申しませんが、この点御了解願いたいと思います。  それから第二のお話の、裁判を受ける権利ということであります。まあ交通のことはこれからのことでありますが、今日の政府が御提出になりました原案を見ましても、この中には、たとえば二百五十一条に、総括主宰者、会計責任者が悪質な選挙違反で犯罪が確定したならば、候補者は当然失格するとあるのでありまするし、それからまた、今度新しくできました公務員選挙犯罪に関する規定にいたしましても、何条であったか、ここに書き落としましたけれども、先ほど申しました公務員の他の公務員に対する選挙運動、これも悪質な犯罪が確定したならば当選を失格とする。これも裁判を用いずして失格すると私どもは了解しております。これらのことから考えまして、別にここで一般的にこれを広げてみたところで、そう大したあれではないのではないか、同様の立場ではないか、こう思います。
  115. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 時間の関係もありますから、あまり詳しいことを申し上げたくないのですが、私が申し上げたいのは、家族であるがゆえに特別に一般人と区別するという特別な扱いをするということ、特別に寛大にしてやるというならともかくですが、特別にきびしくするというこの思想、これがちょっと納得できがたいわけであります。交通違反の問題が出ましたので、ちょっとこれにも言及してもいいと思いますが、雇い主が罰せられるというようなこと、これはその事業上の監督の不行き届きとかなんとか、そこに事業上の関係があって、事業上あやまちを犯した場合に、その事業の使用主に対して影響を及ぼすというようなことなんですから、一応法的な関連があるわけであります。家族にいたしましても、選挙関係で何かの関連があればともかくですが、家族というものと選挙関係は何も関連がないのですから、単に家族であるといって、自然的の身分関係によって特別に責任を強化するというふうなことは、これはどうかと思われるのでありまして、たとえば一番弊害があると称せられる今の金の受け渡しなんかに対して、取り次ぎをしたとか、自分が金を出したとかいうふうなことに対して弊害があるということになりまするならば、今の総括主宰者とか出納責任者とか、今度広げられましたある程度範囲における総括主宰者とか選挙運動者とか、もしくは出納責任者とか、そういうものに金を渡した場合には責任を負わなければいかぬ、連座させなければいかぬというようなことは、またこれは最小限度私は法律的な関連において考えてもいいと思いまするけれども、そうでない場合に、一般人と区別するというこの思想、これがどうも私は納得できないのでございますが、これは議論になりまするから、この程度にとどめておきたいと思います。  言葉じりばかりとるようで何ですけれども、先生が、被害者はだれかというお話だったのですが、私は、あまり極端な連座制の強化をしますと、被害者は選挙民だと思うのです。わずかな汚れた票のために、参議院では数十万、衆議院でいっても数万、そういうふうないわゆる汚れのないとうとい得票、選挙民の意思、こういうものが全然没却される、無視されるというふうな行き方は、これは選挙民が大きな被害者になるのではないか。当選者個人の問題にのみこだわって、その背後における最も尊厳な選挙民の意思というものについて思いをいたしていないのではないかというふうな感じもいたすのでございまして、そういう意味において、ごくわずかな違反票によって、汚れた票によって当選票というものが全然無効になる場合においては、被害者はそういう善良な選挙民、そういう意味において、英国のような減票制度、これの方がより合理的ではないか、かように考えます。少なくとも今度の政府案は改悪ではないとお考えになるかどうかということと、それから私は、いろいろな今度の答申案を中心として考えましても、選挙法改正案は、これは枝葉末節の問題であって、先ほどどなたかもおっしゃったと思いますが、根本的には区制の問題が問題になるのではないか、社会党がどうして政党同士の争い、政策をお互いに競い合うところの小選挙区制的なもの、選挙区の改正に賛成せられないのであるか、これによって一切の腐敗選挙というものは一掃されるのであるというふうな信念を私は持っておるのですが、なぜ社会党がこれに賛成されないかということについて、先生はどういうふうにお考えですか、この点一つ……
  116. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 第一番の、きたない票がわずかあったからといって、多数の清い票、選挙民が自分の権利を抹殺されるのは不当ではないか、こういうお話でありますが、それはそういう場合もあるかもしれませんが、こういう場合もないでしょうか。たとえば、五万票で当選したのである、あるいは四万九千票、で落選したのである、しかるに、その五万票の方には一千一票のよごれた票がある。一千一票のよごれた票によって、四万九千票の正しい票が全部抹殺される、無効になる、こういうケースもないとは言えないだろうと思います。そこはものは比較の問題でありまして、やはり私は、汚れた票のあるというようなものは、その応報を受けてもいたし方ないのではないか、私は今そういう考えを持っております。今あなたの言われた滅票の問題でありますが、これは青木さんが多年御唱道になっておりまして、私も耳にたこができるほど聞かされて、これは非常に合理的ではあると思います。合理的ではあると思いますが、たとえば五万のうちに百票の汚れた票があった場合に、百票であるのか、二百票であるのか、千票であるのか、どうしてわかるでしょうか。こういうことは、そういうものが出た以上はいたし方がない、それを許すようなことになりますと、全体がやはりよごれてくるのではないか。もう一歩進んで申しますと、議員として、ずっと下級の団体の議員は別として、国会議員としてここにお出になるならば、そういうようなものがもし家族のしわざによって現われたとか、あるいは多少でもそういうものが現われたというならば、そのことについて一応責任をとられるくらいの、廉恥の心をとうとばれてはいかがでしょうか。私は大へん失礼なことを申しましたけれども、あなたは大へんりっぱな選挙をおやりになったために苦杯をなめられたことがあるから、私は御同情申し上げている。もしあなたが相手同様の乱暴な選挙をなされたら、そういうこともなかったのではないかと思いますから。これはみんながそういうような心持になれば初めて――この選挙法というものはずいぶん乱暴な法律だと思います。こういうものは、それこそほんとうに改正されてだんだん、正しくなるのではないか、そう思います。  それから今、改正か改悪か、この政府案についてのきついお尋ねがありましたが、改悪とは思いません。現状に比べて確かに進歩しております。先ほども申しましたように、何十点かの改正があったのですから、これは私は決して悪いとは申しませんが、ただ、この段階で、私が先ほども申し述べたようなことがなおざりにされますと、ちょっと当分また、これが取り上げられてもう一歩改正を進めるという機会が先へ延ばされるのではないか、それを私はおそれるのであります。でありますから、ここは一つ――あなたは、最大の被害者は選挙民だというお話でありましたが、それはそうかもしれません。しかし、そういうことによってきれいな選挙になれば、一番先に救われるのは選挙民だろうと思うのであります。同時に、直接に、さっきも申しましたが、悪い選挙で苦しめられておられるのは議員皆さんじゃないか。りっぱになれば、自衛権を発動して悪いことに対抗する必要がなくなるであろうと思うのであります。私は決してこの原案を改悪などと申したことはございません。確かにかなりの進歩であり、改正であります。けれども、おそれるのは、このことによって、ちょっと当分もう一歩の前進が大事なところで足踏みをしはせぬか、これをおそれるのであります。でありますから、ぜひどうぞもう一度お考え直していただきたいと思います。
  117. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員 ちょっと最後に、御参考にもなろうと思いますが、私ども意見を申し上げますならば、質問も含んでいるわけですが、要するに、御承知のような時代になりましたので、廉恥心というものが昔通りじゃないように思います。非常にみんながドライになりまして、合理的になりまして、民主的になりましてから、理屈に合わなければ辞職をしたくてもせられないというふうなことでございますが、要するに、御手洗先生の御良識、御常識からお考えになりましてもおわかりのことと思いますが、罰則とか連座規定が強化されればされるほど、これは廉恥観念とは全然正反対の、免れて恥なき者が多いということになって、運が悪い者がこのきびしい規定に触れるのだというようなこと、つかまった者、選挙違反にあげられた者、連座の対象になった者は、これは非常に不運な人である、運の悪い人であるというふうなことになっているような実情につきましても、十分一つ御考慮を願いたいと思います。この程度です。
  118. 加藤常太郎

    加藤委員長 堀昌雄君。
  119. 堀昌雄

    ○堀委員 最初に三点ほど御手洗公述人にお伺いしたいと思います。  今朝来のいろいろな公述人の御意見や質疑応答を通じて感じておりますことは、何かどうも選挙違反が起こるのがあたりまえのような前提がございまして、その前提の上に立って、そういうことが起きたときにこういうことになるのがどうも不当じゃないかという議論が、実は与党の御推薦の公述人の方の御意見の中に非常に多いような感じがいたします。私ども選挙法改正をやるのは、そういうことが起きないようにやる防止策なのであって、起きたあと、それがどうなるということがおかしいという論理は、私はちょっと前提が少し狂っているのではないかという感じがしてならないのでありますが、その点は御手洗公述人はどういうふうにお考えになりますか、その点ちょっとお伺いしたいと思います。
  120. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 どうもそういう感じが、この委員会ばかりでなくて、私は国民一般にあるように思います。これは高橋さんが先ほど最後にお述べになむました通りなんで、運が悪かった、こういったような気持が非常にある。これは法律が精密になったから運が悪いのではないと思います。これは先ほど私が最初の冒頭陳述で申し述べましたように、国民選挙犯罪について罪の意識がなくなっている――薄らいでいるという方が正確でしょう。そういうことではいけない。これは私は高橋さんと全く同じ意見です。私ども地方へよく頼まれて話しに参りますが、どこへ行きましても、選挙のあれでつかまったというと、あいつはフグに当たったか、雷に打たれたのだ、運の悪いやつだ、そういう話が平気でなされている。そういうふうなことは、選挙犯罪というものが、どうも自分自身の損害になる、ばかばかしい犯罪であるというふうな罪の意識がない。ですから、これを絶滅する方法根本治療なんだ。それはやはり漢法的な長期の治療が要る。しかし、それはほっておけないから、頓服薬としてこの法律を改めてきびしくする。きびしくすればするほど、さっき言われたように犯罪が多くなる、こういうことなんですが、そうではないのであって、罪の意識がないことが犯罪を多くする、そこにやはり力を入れなければいけないのじゃないか、そう思います。これはあなたとも、高橋さんとも全く同じ考えであります。
  121. 堀昌雄

    ○堀委員 その次に、私が非常に残念に思いますのは、この選挙法の問題は党派の問題じゃないと私は思っておるわけです。これはもう民主主義の基本的な問題ですから、党派の問題だと思わないのですが、ただいままで伺っておりますと、そういう言い方が適当かどうかわかりませんが、自民党推薦でお出になった方は、符節を合わしたように、実は私ども修正案の三点はみなだめだ、こういうふうにおっしゃっておるわけなんです。それはもちろん問題ありましょうが、ただ私ども感じといたしましては、もちろん私ども修正案が万全だとも思いませんけれども、三点のうち一点くらいは――二点はこうだが、一点はこうだというようなことが何か出ないかと私は非常に期待をして聞いておりましたけれども、非常に符節を合わしたように出ておることは、私非常に残念な感じがいたします。  そこで、問題はさっきの問題に返るわけでありますが、こうして明日一日間さらに公聴を続けさしていただくと、与党の方は実は八人の公述人を御推薦になり、公聴会では、八人の方は大体このわれわれの修正案には反対で、政府原案でよろしいというお答えが出るのじゃないかと思います。私どもの方が五人推薦をさしていただいて、その五人についてはおおむね私ども意見をあれしておる。ただ、私どもの方で推薦をして御出席をいただいた方は、これは率直に申し上げますと、ふだんいろいろな政策の面については必ずしも私ども意見を同じくしておられる方をお招きしておるわけじゃないわけです。その点、私は皆さんがもっと謙虚に耳を傾けていただきたい。問題は、決して社会党の政策、自民党の政策ではなくて、その土台をなしておるところの選挙制度の問題、これは国民の権利に関する問題でありますので、その点について、公聴会意見は結局八対五になるのか、七になるのかわかりませんけれども公聴会意見が多数であるからということが――私は先ほどから長谷部さんにも伺ったし、また御手洗さんもさっきおっしゃった、新聞その他の世論は審議会答申尊重の方に立っておるじゃないか、それが国民の世論である、こういうふうにおっしゃっておりますが、ここでの公聴会の姿は、これが八対五になる。国民世論は八の方が多いじゃないかという議論が出やしないかという不安がございますので、ここらの入り組んだところについてはどんなふうにお考えになるか、ちょっと伺っておきたいと思います。
  122. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 どうもそれは非常に迷惑なお尋ねで、私は推薦されて出てきたのでありますが、どういうわけで私どもが三人が五人になったか、それは存じませんので……
  123. 堀昌雄

    ○堀委員 そのことは申し上げておりません。そうじゃなくて、人数の多寡が民主主義の世論に結びつくかどうかということだけを伺いたいわけです。
  124. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 御無理でしょうね。そのお尋ねはどうもお答えのしようがありません。これはあなた方が数をきめて御推薦になったのですから、私がそれについての意見を申し述べるわけには参りませんが、院外の世論、これは私さっき詳細に申し述べました。日本じゅうの日刊新聞、どの新聞の社説一つといえども、この審議会答申に反対の社説を私は一度も見たことがございません。近ごろいろいろなことがありますが、政府案が出て、この委員会が最終段階に近づくにつれて、いろいろな社説がまた出ております。また識者の評論も出ておりますが、それを見ましても、どうしてもこれ以上いけないならば、まずこれでもやっておけ、しかし、できればこの答申の線まで戻せというのが、私の見た限りの新聞の社説、あるいはその他の世論であります。こういうことを見て、また、私は先ほど世論調査の数字――中央調査社というのは、御承知の通りに政府の機関でありますが、その政府機関でやった世論調査ですらも、あの通り五十幾つ対一・九ですか、比較にならない数字である。それからまた、国策研究会というのは、この中にも御参加の会員の方がおられますが、かなり有力な会であります。そこでやりました識者に対する、国会議員、多分百人くらい含まれておると思いますが、そのアンケートをとりましても、百八十対二だとか五だとかというようなことで、審議会答申結論に大体賛成しておる。こういうようなことが私はほんとうの世論じゃないかと思います。それだけはお答えできます。
  125. 堀昌雄

    ○堀委員 綾さんにお伺いをいたします。実は先ほどお話を聞いておりました中で、ちょっと私よくわからない点があります。大へん選挙が腐敗しておると思います。そのことは御同感だろうと思いますけれども、その腐敗した選挙をどうやったら取り除くことができるのか。私どもは、腐敗選挙を取り除くためには、連座制の強化なんということは、皆さんおっしゃっているように、これはほんとうにいい制度だと思っていないのです。しかし、選挙の中で肝心なことは、当選人が無効になるというのが、この選挙法の場合一番重要なことですね。そうすると、そういう非常に重要なことに関係があるから、お互いがそういう買収を受けたり、あるいは買収をしたりすることをやめたいということが、今度の審議会答申考えなんで、人を罰したり、当選人を引きおろすことを目的としておるわけじゃないわけですね。そのことは、なるべくそういうことが起きないようにしよう、もしわれわれがこういうことをやれば、当選人に迷惑がかかる、それによって当選人が落選するようなことになったら大へんだから、お互いに運動者も自粛しましょう、それから運動を受けて買収をされる方も、その人に投票するのでしょうから、そういうことで迷惑をかけてはいけないから、やめましょう、お互いに自粛するためにはこういうこともやむを得ないという気持で審議会答申をされたと思いますし、私どももその線に沿って修正しているわけですが、そこで、今の腐敗選挙について、あなたはどういうふうにしたら腐敗選挙はなくなると思われるのでしょうか。
  126. 綾房江

    ○綾公述人 候補者にいたしましても、少しでもお金をかけないで、ほんとうに公明選挙をやりたいというふうな気持が――お金をよけいかけて派手にやろうなんと考えておる人はおそらくないと思います。また有権者の方にいたしますと、私も婦人会の中でいろいろ仕事をさせていただいておりますが、婦人会の役員なんかに出てきておいでになる方は、戦後何年か政治教育というものをだいぶたたき込まれて参りましたので、そういうことについてかなりの認識を持っておりますけれども、親戚にいたしましても、頼んでこないと入れてやらない、お金をくれないと、品物をくれないとどうだとか、あそこにはあいさつに来たけれども、うちは来なかったということが非常に多いのですね。そういうことで、有権者自身が非常に政治に対する意識が低いというのですか、民主主義というものを理解していない。結局、私たちの代弁者として国会に送る議員は、私たちの気持を反映してくれるために出てもらうのだという気持が非常に薄いのです。そういうことで、何か非常に近欲です。選挙ボスなんか非常に多いのですが、女子の中でもそういうような方が多いし、私もいつも感ずることなんですけれども、これは一人々々個々の人間性を高めていくというほんとうの民主主義を、さっき申しましたが、骨の髄までしみ込ませていく、これは一朝一夕にいかないけれども、だからといって、今の状態ではいけないのであって、ほんとうに出てもらう方にも、そういう面で非常に自粛をしてもらわなければいけないし、また有権者自身一人々々が、ほんとうに民主主義というものをもっと身につけて、そして自分たちの責任である、ほんとうに自分が主人公である、国民は、いろいろなことがあった場合に、自分もその責任者であるというふうなことを自覚するような方向に持っていくように、学校教育も大事だけれども、社会教育という面で、もっと民主主義をほんとうにしみ込ませるような、そういうふうな社会教育をもっともっと強力に進めていただきたい。私、これは常日ごろ婦人会の中におりまして考えておるわけです。当面の問題としまして、今度の改正案につきまして、少しでも法の強化をするということも、ある程度やむを得ないと私は実際そう思います。私なんか法律の問題について詳しくわかりませんけれども、そこは皆様方非常にりっぱな方ばかりいらっしゃいますので、もっともっと研究を重ねられまして、ほんとうに国民にも納得できるし、政治がほんとうによくなっていただけるように、皆さんで、党同士の争いでなしに、ほんとうに公正な立場になって、もっと健全なものの考え方でお互いに進んでいただけたら、どんなに仕合わせかと思います。
  127. 堀昌雄

    ○堀委員 もう一つちょっとお伺いしたいのですけれども、さっき、家族連座する関係は、人情の問題で適当でないんじゃないかというようなお話がございましたけれども、私はどうも逆じゃないかと思う。ということは、たとえば候補者の母親なり妻なりが、自分の夫なり息子を当選させたいということ、これは私、人情としてわかります。しかし、自分たちがまともでないことをしてまで夫を当選させたい、息子を当選させたいというのは、私は、これは人情の問題ではなくて、逆じゃないかと思う。人情なら、そういうことをしちゃいけない、ともかく正しい選挙で出て下さいというのが、婦人としての親の立場であり、妻の立場じゃないかと私は思うのですがね。自分が悪いことをしてでもいいから夫を出したいのだというのは、私は婦人の立場としては少し間違っていはしないかという感じがするのですが、その点はどうでしょう。
  128. 綾房江

    ○綾公述人 常識論といたしまして、やはりそういう不正を犯してまで、主人とか、あるいは自分の信ずる人たちをどうしても出したいというふうな気持は、私も間違っていると思います。公正な選挙をして出られなければ、その人の運がないのですから、それはもう仕方がないというふうに考えますけれども
  129. 堀昌雄

    ○堀委員 けっこうです。
  130. 加藤常太郎

    加藤委員長 小林進君。――予定の時間が延長しておりますから、なるべく簡単に願います。
  131. 小林進

    ○小林(進)委員 私はまとめて先生方にお尋ねをいたしたいと思うのでございますが、一つは、品川の選管委員長ですか、これは現状認識の問題でございますけれども、私は、選挙に関する限りは、毎回質が悪くなっているというふうに考えているのでございますが、あなたの先ほどからのお話を承っておりますと、日本民主政治もここまできたのだから、そう大きく法改正をやらぬでも、現状のような形で、だんだん国民の認識も深まって、きれいな選挙に向上していくんじゃないか、こういう意味のお話があったというふうに私はお聞きしましたが、私の経験によりますと、終戦後でも、衆議院の選挙が八回行なわれております。参議院がこれで四回目になりますか、私も八回立候補をいたしておりますが、そのつどだんだん金がよけいかかるようになってくる。これは私一人の経験かと思って他に聞いてみますと、ほかの人々も、みんなそうだ、選挙は、一回目より二回目、二回目より三回目、八回を通じて、前回のよりもきれいな選挙で、前回より金のかからなかったという人は、私は寡聞ながら、私の知っている範囲にその人を知りません。おそらく、ここにおられる方々も、みんな選挙のたびには無理な金を工面して、無理な選挙をおやりになっていると思う。ここにおられる方々は与野党ともりっぱな方々でございまするから、その意味においては、御手洗先生のおっしゃる通り、みんな自衛権発動、やむを得ずそういったように毎回々々よけいな選挙の金を使わなくてはならない。その意味において、私どもをして言わしむるならば、まさに選挙に関する限りは、日本のむしろ民主政治の根底をあやめるところまで事態が急迫を告げているというふうに私は認識をいたしておるのでございますけれども、その点、先生は、やはり日本の民主主義は、選挙に関してもすなおに健全に成長しているとお考えになりますかどうか、この点一つお聞かせ願いたいと思うのでございます。
  132. 岡崎采女

    ○岡崎公述人 私が、先ほど、非常に民主的になっておって、選挙もだんだんよくなってきておるように考えられると申し上げたのは、大部分の人はそうであって、その中に特殊なものがあるということは、これはやむを得ないと思います。  それから金の問題ですが、金は、これは物価指数の問題であって、八回前のお金と今とではそれはもちろん違いましょうし、それであるから選挙の執行経費も上げなければいかぬということになりますので、そういう点で社会党さんの方はお金の方はそう関係がないのではないか、みんな相当きれいな選挙をやっておられるようで――もちろん、自民党さんの方も、金を使ってどうというような話は私どもはあまり聞いておりません。なぜかと申しますと、そういうふうに選挙違反でお金のために逮捕されたとか、あるいは召喚されたとかいう人は、私の区ではあまり見受けないのでございます。それですから、どうも非常に狭い視野から申し上げたので、まことに申しわけはないのですが、先ほど来申し上げますように、この公明選挙運動をやってみますと、非常に有権者諸君の考えが新しくなってきていまして、金というものとは閥係がないように現在考えられておるのでございます。それですから、もし先生のおっしゃるようなものがあるといたしますれば、それは特殊なものであって、一般にはやはり民主政治の基礎は固まりつつある、私はかように考えているものでございます。
  133. 小林進

    ○小林(進)委員 あなたは選挙管理委員会委員長もおやりになっているのでございますから、毎回の選挙には私は関係せられていると思っております。そのあなたのお口を通じて、各級の選挙がそのつどむしろ浄化をせられておる――今のお話では浄化という言葉はございませんが、よくなっておる、こういうような証言を得ましたことは、私は残念ながら納得できません。と同時に、これは大きなあなたの認識の不足ではないか、私はかように考えております。私は金と申し上げましたのも、ただ選挙は金のみではない、一例として申し上げた、一例がかくのごとくであって、金に見られるがごとく選挙というものはだんだん悪くなっておるぞということを私は申し上げたのでありますが、あなたは選挙管理委員長立場でありながら、選挙は浄化されておる、よくなっておるというふうなお言葉をいただいたことは、私は実に奇異の感にとらわれておる。あとで他の先生方にもお尋ねしますけれども、今われわれが国会でこうやって選挙制度改正を行なっておりますし、制度審議会もいろいろこういう答申案をお作りになったことも、私は、まさかわが日本選挙が回を重ねるたびごとに浄化せられたという認識の上で、この答申をなされているとは考えられない。もうあなたに対する質問はこれでやめますが、この点、私は一つ御手洗先生に同じ質問をいたしまして、はなはだ失礼でございますけれども、毎回の各級選挙を通じて日本選挙がそのつど浄化をせられておる、清潔にせられている方向へ歩んでいると先生は御認識になっておりまするか、あるいはやはりだんだん悪化する、腐敗をする方向へ歩いているとお考えになっておりますか、一言でよろしゅうございますけれども、先生の御意見を伺いたいと思います。
  134. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 ある部門ではややきれいになりつつあることを認めます。しかし、大勢としてはなはだ憂うべき腐敗が深刻化しつつある、これは断言できます。
  135. 小林進

    ○小林(進)委員 御手洗先生、実は私はけさから各先生方の御意見を承ったのでございまするが、多くの公述人の方々の中で、率直に私の気持を申し上げさせていただきまするならば、先生と午前中の長谷部先生、このお二方のお言葉に私は非常に感銘をいたしたのでございまして、実は私どもは、両先生のようなお考えがあまねく日本国民の上に浸透してくれることを心から祈らざるを得ないのであります。そういう気持で一、二の御質問を申し上げたいと思うのでありまするが、私のささやかな法律常識をもっていたしましても選挙に関する違反というものは、一般の刑法における犯罪と全く異なっている、私はかように考えております。すなわち、選挙に関する犯罪というものは、一に当選をしたい、当選をさせたい、これだけの問題でございまして、人を殺したとか、物を盗んだとか、そういうようなもろもろの原因を有する他の犯罪とは性格は全く異なっているのでございますから、その意味において、選挙違反に関する限りは、これを一般刑法と同一視して、情状酌量とか、あるいは刑の軽重とか、そういうこまかい問題を追及していく必要はないのではないか。当選をしたい、当選をさせたい、これが選挙違反に関する万人同一の原因であります。原因は一つです。そしてその当選をしたいというたった一つ目的に向かって、あるいは金を使う、いわゆる法定選挙費用以上の金を使う、さもなければ、国家の権力を利用する、あるいはそのほかの物質的な利益誘導という形、大体三つか四つであります。でありまするから、私は、この選挙違反という事実が現われた場合には、情状酌量も何も要らないのでありまするから、そんなものは速戦即決でよろしい、直ちに判決を下すという厳罰主義で臨んでも、特別刑法上これは当然ではないかというふうに考えているのでございまして、その意味において、選挙違反に関する限りは徹底的な厳罰主義でいくべきではないか。さもなければ、午前中に証言がありました――私ははなはだ無責任なお言葉であるとは考えておりましたが、これも一つ方法であると思った。それは小汀利得先生のお言葉であります。野放しにしてしまえ、どうせこれを取り締まることは困難なんだから、野放しにして、金を使えるだけ使わせる、そして一人十億円くらいの金を使ったら、それで本人は一回の選挙で参ってしまうだろうし、はたの人々から、十億も使ったら、あいつは金で票を買ったやつだから問題にするなと言って、軽べつを受けるだろう、こういう証言でありましたが、私は、後段の、他人の軽べつを受けるという言葉は信頼できない。阿弥陀も光る金の世の中でございまして、だんだん金が高まるに従って、人の良心も、金をくれる人がありがたい、金を使うことがありがたいというような風潮が出て参りましたから、十億円の金を使うような人は阿弥陀様以上にさらにありがたく見えるような世の中になりつつあるのでありますから、人は軽べつしないと思いますけれども、使い切れなくて一回でやめるだろうというようなことはあり得るかもしれません。今日の選挙の腐敗を見ている限りでは、両極端に徹底する以外に道はなかろうというのが私の主張であります。思い切って野放しにするか、思い切って厳罰主義にいくか。厳罰主義をもってするならば、私は答申案の限度においてもまだなまぬるいと思っておる。今も申しますように、ほかの犯罪と違って、情状酌量の余地はないのでありますから、徹底的に速戦即決主義で厳罰主義をもって臨むべきではないか、かように考えまするが、この点についての先生の御答弁をお願いします。  それからもう時間がありませんから、いま一つ先生にお伺いいたします。  その問題は、先ほどから私は聞いておるのでありますけれども高級公務員の立候補制限の問題であります。これは同僚青木先生の話を聞いておりますと、先ほどから趣旨としてはよろしいが、立法技術上困難である、弊害は認めるけれども、立法技術上困難であるという主張でありますが、これはどうも大を見のがして小にこだわり過ぎている議論ではないか。その弊害があるならば、そういう技術士の困難は何とか克服してその弊害を除去するために立案するのが、われわれの方の立場ではないかと私は考えております。残念ながら、技術に名を借りてその弊害を見のがそうとする主張は誤りではないかと思いますが、この点に対する先生の御所見を承りたい。これが第二点であります。  第三点は、ほかでもございませんが、与党議員の主張であります。それは制度審議会答申は尊重すべきであるけれども制度審議会必ずしも神ならず、あるいは間違いがあるかもしれません。国会議員それ自体にも、委員会自体にも間違いがあるかもしれませんけれども国会議員は五万、十万の投票を得て、大ぜいの人の支持を得て当選したのであるから、最も良識のすぐれた知能優秀な者でなければならぬと判断してよろしいから、その間違いは少ない、ものの判断は正しいのだ、従って、何も答申案の主張それ自体を正直に用いなければならないという理由はない、より良識的であり、より常識的であり、より知性的であり、より国民の意向を吸い取るに値する価値ある国会議員であるから、その国会議員の作り上げた原案はむしろ価値あるものでなければならないというふうな主張をなされておる方があるやに承っております。(「そうじゃないよ」と呼ぶ者あり)あるいは間違いであるかもしれませんが、国会議員は、なるほど立法府であり、法律を作る権限はありますけれども、しかし、事選挙法に関する限りは、今国民の批判の中にある当事者ではないかという考え方に立っておるのであります。あるいはこれを被告とかいう言葉は非常に不謹慎でありまして、そういう言葉は使ってはいけないが、そのような意味において、国会議員の良識と常識とを決して私は疑うものではありませんが、事選挙に関する限り、大小にかかわらず、やはり自分たちの家族を――細君のない人や親のない人や兄弟のない人は別でありますけれども、あれば、大小にかかわらず、そのもろもろの人たちは、自分たちの親戚、家族をやはり活用しながら選挙に当選してきた。今の高級公務員の問題、あるいは連座制の問題、あるいはその資金規正の問題等々に、大小にかかわらずみな関連を持ちながら今日の地位を得ておるのでありますから、私は選挙法に関する限り、当事者であるという言葉を用いても過言ではないと思う。その当事者が、みずからの身分、地位あるいは自分の行動に関係するものを、自分たちが一番良識あり常識あるという主張のもとに説をなすことは、法律的にそれが正しかろうとも、政治道徳上、私は、幾分遠慮をすべきではないか、その意味において、やはり国会において制度審議会答申を尊重すべきだという形において、あの制度審議会答申に沿った法案が国会を通過するのが正しいと思う。その意味において、私は答申は文字通り尊重すべきものと思っております。それが今度の国会において、自民党政府案が、当事者であるという身分を忘れて、制度審議会のその答申を尊重すべきなのに、若干これを尊重せざる形でこういう改正案が出てきたのは間違いではないか、少なくとも政府与党としては行き過ぎではないか、私はかように考えておりまするが、この問題に対する尊敬する御手洗先生の率直な御意見を承らしていただきたいと思います。
  136. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 最初厳罰主義、情状酌量など要らぬというお話でありますが、これはあなたのお考えですから、別に私がかれこれ申す必要はない。あなたはやっぱりお若いから、少し気短でいらっしゃるように思います。民主主義に私は奇跡はないと思います。やはりバイ・ステップでいかなければいけないのではないか。もしここに奇跡を求めるならば、それは左右いずれかのファッショによることが一番近道ということになるので、そういう考え方は非常な危険を含んでいるのじゃないかと思うのであります。あなたが危険というのじゃありませんが、そういう考え方が危険なあれじゃないかと思うのです。ただ、しからばこの委員会に出ております政府案が漸進主義であるか、あるいはこれ以上は一歩も急ぐことはできないようなものかといいますと、私はこれは漸進ではない、ほとんど歩行停止状態に近い緩歩だと思います。だから、もう少しテンポを早めていただけないかという意見を申し上げておるのでありますが、私はおそらくこれが国民の多数の常識じゃないかと思います。野放し論に至ってはもう話のほかで、全然議論の対象にはならぬ問題だと思います。どこの国だって同じことなんであります。こんなことをこの席で言うのははばかりますけれども、イギリスの選挙だって、ごらんなさい、わずか七十年前までは今日の日本以上の腐敗選挙が数百年続いておった。それが今日のような選挙に改まったのは、五十数年にわたるイギリス国民の絶えざる努力の結果であります。そういうことは、私は、他山の石というか、先進国のあれをまねていっていいんじゃないか、こういうような運動が百年も二百年も続かなければできないようなことでは困ると思いますけれども、しかし、まあまああまり奇跡を求めない方がいいように思います。そういう意味で、あなたのお考え一つの見識でありましょうけれども、もう少し何といいますか、気長にやる必要がありはせぬか。しかし、今日の原案は、気長も少し過ぎるのじゃないかと思います。こういう感想を申し上げます。  それから、今公務員の立候補の禁止を立法化することに困難があるということについての御議論があったようでありますが、私は、さっきも申した通り、そんなことはないと思います。やればできることなんで、それをどうもちゅうちょせられるということは、非常に危険なことを予想せざるを得ない。これもさっき申しました、もし自衛隊の幹部などが退職後に全国議員などに出て参りまして、三年ごとにあそこからいろんな人が出てくるようになったらどうなるか。これは自衛隊というものを政争に巻き込むようなことになる。他日社会党がおそらく政府を組織されるということもありましょう。そういうときに、自衛隊の幹部が退職して、社会党候補者として出てこないとは言えない。そういういうような場合に、自衛隊の先輩が朝野に分かれ、保守、革新に分かれて選挙場裏で戦うようなことになることも、私はないとは言えないと思う。かつてわれわれの陸海軍の中に政争を持ち込んだことが、ああいうぶざまなことを起こした重大な原因だった、こういうことを私どもは今思い出さなければいけないと思う。自衛隊は特例でありますが、その他の役所にしても同じだろうと思います。どうせいずれは政権の交代期がくる、そのたびに社会党の鉄道線路ができる、自民党の橋がかかるなんということになっては一大事でありましょう。過去に私どもはそういう苦い経験があるのでありますから、そういうことから申しましても、今日あんなばかばかしい傾向については早く是正するということは、おそらく国会の良識として進んでおやりになるべきじゃないかと思っております。これは方法は幾らでもあることは、さっき申し上げました。  それから最後の三番目の、議員が一番高いから、審議会答申を尊重しなくてもいいというような思想があるなどということをお話になりましたが、私はそういうことを承知しておりません。ここで議員さんを誹謗するわけに参りませんから、この答弁は差し控えさせていただきます。
  137. 小林進

    ○小林(進)委員 私はこれで終わりますが、厳罰即決主義ということは、私が先ほどから申し上げておりますように、一般の法律と違いまして、特別法でございますから、一般の刑法でいけば犯罪をすぐ構成するわけではございません。切ったはったとか、盗んだとかいうこととは全然違いますから、しいてこの法律を問わるるならば、やはり今もあります食管法のような統制経済の法律にやや匹敵するものでありまして、自然法とは異なるのであります。その意味において、こういう罰則は、監獄へ入れるとか、刑罰を加えるとかいうことではなしに、いわゆる当選した者が失格をするとか、あるいは公民権を停止するとか、そういうような罰則をもって足りるのであります。その意味において、もっと判決は即決でやるべきではないか、同じ公民権停止をするにしても、あるいは当選を無効にするにしても、七年も八年も争っている間に、みな犯罪者はのがれてしまう。その意味において私はもっと判決を早目にやってほしい。幸い、先生は今英国の例をおっしゃいました。七十年前に、五十年かかった。しかし、五十年で今日あれくらいクリアな選挙をするようになった根本理由は、この特別の刑罰の法規が強かったことが最大の原因をなしている。しかも判決も即決にして、しかも早かったということが、英国の政界が浄化された根本理由じゃないか、こういうふうに私は質問したのであります。決してファッショ的な意味において質問したわけではございませんので、いま一度この点先生の明確な御答弁をお願いいたします。
  138. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 いやよくわかりました。そういうことならば、決して異議を申しません。できるだけそういうような犯罪が減り、そういうことによって世の中が戒められるような罰則は十分あった方がよろしいと思います。
  139. 加藤常太郎

    加藤委員長 次に井堀繁男君。――予定の時間が経過いたしましたから、なるべく簡単にお願いいたします。
  140. 井堀繁男

    ○井堀委員 大へん公述人の方に御迷惑だと思いますが、実は四人の方皆さんにお伺いしなければならぬのでありますけれども、特に御手洗公述人には、他の公述人と違いまして、選挙制度審議会のメンバーでもございますので、この機会にお尋ねをいたしたいと思いまして、御迷惑を顧みず時間をちょうだいするわけであります。二つばかりお願いをいたしたいと思います。  一つは、社会党修正案に対する御意見が明確に伺えたのでありますが、私ども社会党修正案政府原案を中心にして結論を急いでおるわけでありますが、その際どうしても問題になりますのが、第一に指摘されておりました特に連座制強化の問題、これについても、連座制を強化する場合に、政府原案社会党修正案の違いは、確かに社会党修正案が大きく長所を出しておると思うのです。ことに、答申案に忠実であるというのは、その通りだと思うのです。ところが、この連座制の強化は、考え方によると思うのでありますが、社会党連座制強化の問題で、親族、ことに親子兄弟の間に起こってきます選挙違反の事実と、それから今日の選挙法は、御存じのように総括責任者あるいは選挙事務長といったような制度が実はあいまいなわけです。だから、実質的に選挙事務長、選挙参謀というような人々を把握するすべがないのであります。親族、兄弟の場合は、これは戸籍法でも明らかでありますから、簡単に把握ができるわけです。親族、親子兄弟まで把握するというところに踏み切ったのでありますから、もっと実質的に選挙参謀といったような動きをする者を把握するようにこの際いたさなければならぬのではないか、この点に私は社会党の大きなミスがあるのじゃないかと思うのです。せっかくあそこまで踏み切ったのでありますから、それに見合うように一つこの際修正をわれわれはさらに要求していきたいと思っておるわけであります。この点に対する見解を承りたい。  第二の問題は、高級公務員の立候補制限の問題は、御承知の通りであります。ことに御手洗参考人が強く主張されました自衛隊の某幕僚長の話が出ておりましたが、私ども非常に遺憾に思っておったやさきでありますけれども社会党修正案で参りますと、それが抜けている。これはなかなか問題のあるところでありますが、高級公務員をどうして規定していくかということについて、社会党もかなり苦心をしたようであります。どこかにその理論的根拠を求めようとして努力された、その経過はわれわれよく知っていますし、敬意も表しておるわけであります。しかし、高級公務員を縛る場合には、私は、列挙主義をとったという点については、政府原案に比べましてはるかに正確を期することのできる点に大きな特徴があったと思う。しかし、ここで法でいっておりますように、抽象的には、自分の選挙を有利にする影響力、その影響力を一体具体的にどう表示するかという点については、どこまで引っぱっていっても私は問題が出てくると思のであります。でありますから、どこで踏み切るかということが一つ。いま一つは、そういう行き方ではなくして、むしろ抽象的の方が実質的効果が上がるのじゃないか。すなわち、要するに、これとれの立場の者はこういう影響力があるからということを表明できるように――時間がありませんから多くを述べませんが、ああいう列挙主義をとるということになると、どこかで切らなければなりませんから、そういう問題が起きる。この点に一つ問題があるのじゃないか。  それから第三の問題は、政治資金規正法の問題であります。これは公職選挙法と別な法律二つに分かれてくるわけであります。この政治資金規正法の問題は、諸外国の例を学びましても、これはぜひこの際思い切って強化しなければならぬ大事な問題だと思う。この点についても、社会党の案は大事なところに手抜かりがあるのじゃないか。一々申し上げる時間がありませんが、この三つ社会党修正案というのは確かに核心に触れておることは事実であります。しかし、兄たりがたいという点がそういうところにはっきり出てきておるのじゃないか。こういう点に対する答申案は、もちろん抽象的であることが当然であるかもしれませんし、せっかくあなたがこの三つの点について社会党の案に賛成なされた御趣旨はよくわかるわけでありますが、そういう点をわれわれはさらに掘り下げていかなければならぬのじゃないかと思います。もしこの点に対して御意見がありましたら、一つ伺いたい。  あとでもう一つちょっとお伺いいたしたいと思いますが、時間がありませんから、これだけについて一つお答えをいただきたいと思います。
  141. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 家族などよりは実質的な主宰者をもっとなぜ広くつかまぬかというお話でありますが、そういう方法がありましょうか、お伺いしたいのです。もしあれば、それはむろんそういう方が望ましい。審議会でも、また政府部内でも、この表現はいろいろ工夫しておられるようであります。一または二以上の区域において総括主宰した者とか、あるいは、相当広範囲において主宰した者とかいったような表現でありますが、どれもなかなかあなたのねらわれるようなところを正確につかみ得ないで困っておるのが実情ではないか。そこで政府案がこういうような形で出たのだろうと思うのであります。これでも大体似たり寄ったりで、これ以上どうして正確にこれがつかめるかむずかしいのでありますが、もし御名案があれば、私どももどうぞそういうふうに願いたい。今の状態では、今の問題に関する限り、政府案でも社会党案でも大した違いはないように思うのです。  第二には、高級公務員の問題でありますが、列挙主義でやると自衛隊みたいなものは落ちる、その他これからもいろいろあるだろう、それはごもっともであります。実を申しますと、私どもも、自衛隊の幹部が選挙に出ようなどということは夢にも思わない。これは青天のへきれきという言葉が一番当たるだろうと思う。びっくりしました。警察庁長官などは、もちろん過去にもありますから、予想しておりますが、自衛隊の幹部がやめてすぐに国会議員に出てくるなんということは、夢にも思わなかった。おそらくそういうことを予想した人は日本じゅうにあまりないのじゃないかと思います。そのぐらいこれはびっくりした例外でありますから、列挙主義だからといって、必ずしもそんなにだめだというわけにはいかないのではないか、今のように過去に実績のあるもの、それからまた、原案にありますように、地方に支局、分局、出張所というような支配勢力、権力の及ぶ組織を持っているもの、そういうものにしぼりますれば、かなり正確につかめる。そうして選挙をやって、その選挙でさらに新しい弊害が起これば、それはまた引き続いて追加してもいいのではないでしょうか。あなたが別に何か名案をお持ちでありましたら、お聞かせ願いたい。それから今の問題は、限定するというところに非常に大事な違憲論に対するエクスキューズがあるわけであります。これが違憲でないと言われる学者も、一般的に公務員全部に立候補制限が及ぶ場合はもちろん憲法違反である、こういう説であります。ある限定したワクを作っての制限であれば違憲ではない、これが私の先ほどからあげております学者諸君の意見でありますから、やはり範囲制限するということが必要なんで、その方法としては、列挙主義といったようなものが一つあり、一方には、そういう権力の地方に及ぶ組織を持っているものというような制限、こういうことが必要なんであります。もしこれを制限するとすれば、どうしてもそういうものがないと、違憲論に根拠を与えることになるわけであります。
  142. 井堀繁男

    ○井堀委員 これから、これはあなたの直接のお仕事の一つのようでありますが、この際、選挙法改正の中で重要な部分がまだ答申されていないようであります。それはいろいろな事情があるように伝えられているわけであります。特に、新聞記事でありますけれども、あなたのお名前も出て指摘されているようでありますが、この際、選挙区制の問題を除いてこういう重要な改正を行なうわけであります。あとからその部分だけ追加してやればいいという議論もあるようでありますが、私はやはり同時にやるべきではないかという考え方の一人であります。というのは、他の今言った制裁規定を強化いたしましたり、あるいは取り締まりを強化したり、あるいは公明選挙推進のためのもろもろの規定をいたしましたり、あるいは政治資金規正を強化するといったようなものと切り離すことのできないものが、区制の問題ではないか。というのは、これは考え方がいろいろ分かれると思いますが、御存じのように、これはやはり個人中心の選挙運動を、政党あるいはそれらの団体を中心に進めようという、要するに大きなカーブを切ろうとする選挙法改正だと思う。また、そのことがあってこそ、このものが生きてくると思う。そのためには、やはり政策を中心に争うような選挙区制をとるということが大事ではないか。中選挙制度の特徴はもちろんございましょうし、小選挙区の欠点はもちろんあると思いますが、やはり区制の問題に言及しながら、こういうもろもろの改正が同時に行なわれるということによって、選挙法改正に斬新な、要するに改正の機会を与えるのではないか。この点の答申がおくれて、新聞記事でありますから、信ずるに足らぬかもしれませんが、第一次答申に対する議会なり政府の態度に対する不満が影響してというような意味のことがあるようであります。まさかそういうものにこだわる審議会ではないと思いますが、しかし、他に理由があるとするならば、私はこの際伺っておきたいと思うのは、区制の選挙問題について、あるいは政党に対する規制をこの法律でするのがいいか、あるいは政党法のようなものを考えるのがいいのか、こういう重要なものが答申をこの際されないのはどういうわけか、あるいは、同時にさるべきではないか、こういう点について御手洗さんの御意見を伺っておきたい。
  143. 御手洗辰雄

    ○御手洗公述人 私は選挙制度審議会の委員の一人でありますが、その委員会の内部の事情をここで申し上げるのは、ちょっと遠慮さしていただきます。ただ、新聞の、先ほどから出ております二、三のお話の点を申し上げますと、この政府原案にも、社会党修正案にも現われておりますように、選挙は政党本位に行なうべきである、個人本位の選挙などというものは、ますます選挙を腐敗させ、ゆがめる、漸次政党本位に移さなければいけない、こういう意見が支配的であります。そのことが答申に現われ、その現われた骨子はこの政府原案にも取り入れられておるように思います。これはいろいろなところで指摘できると思う。政党法のお話でありますが、これも一部の委員からすでに原案のようなものが出ておりますが、まだそれを審議する段階にいっておらぬように聞いております。  それから区制の問題、これは非常に重大な問題で、ずいぶんだびたび委員会を開いてやっておりますし、それから定数の不均衡に対する手直しという問題、これと区制の問題とはもちろんからんでおりますけれども、しかし、定数是正の問題は急げということは、新聞に報道されておる通りであります。急いできたのであります。一応原案原案らしいものはできたのでありますが、それについてもいろいろまだ欠陥があります。率直に申しますと、委員会は、世論の、是正を急げ、ただし、定員はふやすべからずという一つの圧力と、それから他の一方からする、定員を少々ふやすのはあたりまえではないか、不均衡を是正するのにはそれが必要だ、とにかく早く出せ、この国会に間に合わせろ、この両方の圧力の板ばさみになって、最後の決を下し得ないという状態、そういうふうに私は心得ておりますが、大体あまり遠くないうちに結論が出ると思います。定員数をこのままにしておいて、アンバランスを是正しろなんと言ったって手品じゃないのですから、なかなかそうはいきませんが、そこに今苦心しておるところだ、こういうことは申し上げて差しつかえないのじゃないかと思います。
  144. 井堀繁男

    ○井堀委員 他の方にお伺いしなければなりませんでしたが、時間の都合上これでやめますが、なお、御手洗さんのさきの御説につきましては、われわれまだ検討をいたさなければならぬ時期でありまして、適当な御指示をいただきたかったのでありますが、事情はよくわかりましたので、またいずれお伺いいたしたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
  145. 加藤常太郎

    加藤委員長 以上をもちまして、本日予定いたしました公述人に関する議事は全部終了いたしました。  この際、公述人皆さんに一言御礼を申し上げたいと思います。  公述人各位におきましては、御多用中長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございます。本委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。(拍手)  明日は午前十時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時三十四分散会