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1962-02-05 第40回国会 衆議院 決算委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十七年二月五日(月曜日)    午後一時七分開議  出席委員   委員長 鈴木 仙八君    理事 荒舩清十郎君 理事 木村 公平君    理事 田中 彰治君 理事 高橋 英吉君    理事 小川 豊明君 理事 勝澤 芳雄君    理事 西村 力弥君       宇田 國榮君    久保田藤麿君       鈴木 正吾君    藤井 勝志君       久保 三郎君    辻原 弘市君       芳賀  貢君    古賀  了君  出席政府委員         経済企画政務次         官       菅  太郎君         外務事務官         (移住局長)  高木 廣一君         大蔵政務次官  天野 公義君         農林事務官         (振興局長)  齋藤  誠君  委員外出席者         総理府技官         (経済企画庁綜         合開発局東北開         発室長)    浅間 一彦君         総理府事務官         (経済企画庁綜         合開発局東北開         発株式会社監理         官)      財前 真方君         外務事務官         (移住局参事官鶴我 七蔵君         外務事務官         (移住局業務課         長)      高良 民夫君         外務事務官         (調査官)   田村 坂雄君         大蔵事務官         (主計局司計課         長)      佐々木達夫君         農林事務官         (振興局拓植課         長)      三善 信二君         会計検査院長  芥川  治君         会計検査院事務         官         (第五局長)  平松 誠一君         参  考  人         (東北開発株式         会社総裁)   伊藤保次郎君         参  考  人         (東北開発株式         会社総裁)  山中 徳二君         参  考  人         (東北開発株式         会社監事)   中村 清英君         専  門  員 黒田 久太君     ————————————— 一月二十九日  委員藤井勝志辞任につき、その補  欠として中村三之丞君が議長指名  で委員に選任された。 同月三十一日  委員久保三郎辞任につき、その補  欠として矢尾喜三郎君が議長指名  で委員に選任された。 同日  委員矢尾喜三郎辞任につき、その  補欠として久保三郎君が議長指名  で委員に選任された。 二月二日  委員中村三之丞辞任につき、その  補欠として藤井勝志君が議長指名  で委員に選任された。 同月五日  委員森本靖辞任につき、その補欠  として辻原弘市君が議長指名で委  員に選任された。 同日  委員辻原弘市君辞任につき、その補  欠として森本靖君が議長指名で委  員に選任された。     ————————————— 昭和三十六年十二月二十三日  昭和三十五年度一般会計歳入歳出決  算  昭和三十五年度特別会計歳入歳出決  算  昭和三十五年度国税収納金整理資金  受払計算書  昭和三十五年度政府関係機関決算  書  昭和三十五年度物品増減及び現在額  総計算書 は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  昭和三十四年度一般会計歳入歳出決  算  昭和三十四年度特別会計歳入歳出決  算  昭和三十四年度国税収納金整理資金  受払計算書  昭和三十四年度政府関係機関決算  書  昭和三十五年度一般会計歳入歳出決  算  昭和三十五年度特別会計歳入歳出決  算  昭和三十五年度国税収納金整理資金  受払計算書  昭和三十五年度政府関係機関決算  書  昭和三十五年度物品増減及び現在額  総計算書  東北開発株式会社会計に関する  件      ————◇—————
  2. 鈴木仙八

    鈴木委員長 これより会議を開きます。  参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本日行ないます東北開発株式会社会計に関する件の調査のため、東北開発株式会社より参考人出頭を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 鈴木仙八

    鈴木委員長 御異議なしと認め、そのように決定いたしました。  なお、参考人の人選につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 鈴木仙八

    鈴木委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。      ————◇—————
  5. 鈴木仙八

    鈴木委員長 資料要求の件についてお諮りいたします。  例年、大蔵省当局に対し、決算検査報告に掲記された会計検査院批難事項に対する関係責任者処分状況調べ提出を求めておりますので、昭和三十五年度決算についても同様その提出を求めたいと存じますが、御異議ございませんか。   [「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 鈴木仙八

    鈴木委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたしました。      ————◇—————
  7. 鈴木仙八

    鈴木委員長 今国会において付託になりました昭和三十五年度一般会計歳入歳出決算昭和三十五年度特別会計歳入歳出決算昭和三十五年度国税収納金整理資金受払計算書昭和三十五年度政府関係機関決算書及び昭和三十五年度物品増減及び現在額総計算書を一括して議題といたします。  まず大蔵省当局より両件について概要説明を求めます。大蔵政務次官天野公義君。
  8. 天野公義

    天野政府委員 昭和三十五年度一般会計歳入歳出決算、同特別会計歳入歳出決算同国税収納金整理資金受払計算書及び同政府関係機関決算書会計検査院検査報告とともに本国会提出し、また、昭和三十五年度末における国の債権の現在額について本国会報告いたしましたので、その大要を御説明申し上げます。  昭和三十五年度予算は、昭和三十五年三月三十一日に成立いたしました本予算昭和三十五年十二月二十二日及び昭和三十六年二月十七日に成立いたしました補正予算とからなるものであります。  昭和三十五年度予算は、わが国経済を一そう安定した成長発展に導き、もって、国民所得倍増基礎条件を整備するとともに、国土保全対策推進災害の急速な復旧をはかることを基本としたものでありまして、この基本方針に基づき、通貨価値の維持と国際収支の安定をはかるため、健全財政を堅持することとし、一般会計予算の規模は、租税その他の普通歳入によって支弁し得る範囲にとどめるとともに、収支の均衡を十分考慮しつつ、国土保全災害復旧対策推進社会保障の充実、農林漁業振興中小企業育成強化及び貿易の振興等重要施策推進することを重点として、編成されたものであります。  なお、本予算成立後、公務員給与改善に必要な経費災害復旧に必要な経費産業投資特別会計出資財源を充実するために必要な経費等について、予算補正を行なったのであります。  昭和三十五年度における経済成長の実績は、予期以上に高、成長を遂げたのであります。すなわち、国民総生産は、十四兆六千六百四十九億円に達し、前年度に対して一六・六%、実質一三・二%の拡大となり、鉱工業生産では、同じく二三・七%の増加を示す方、物価の上昇も、おおむね見られず、国際収支も、全般的には安定した推移を示し、昭和三十五年度末の外貨準備高も十九億九千七百万ドルに達するに至ったのであります。  以下、決算内容を数字をあげて御説明申し上げます。  まず、一般会計におきましては、歳入決算額は一兆九千六百十億円余、歳出決算額は一兆七千四百三十一億円余でありまして、歳入歳出を差し引きますと二千百七十八億円余の剰余を生ずる計算であります。この剰余金から昭和三十六年度に繰り越しました歳出財源に充てなければならない金額四百十五億円余及び前年度までの剰余金使用残額五百十二億円余を差し引きますと、千二百五十一億円余が昭和三十五年度に新たに生じた純剰余金となるのであります。  なお、右の剰余金二千百七十八億円余は財政法第四十一条の規定によりまして、翌年度すなわち、昭和三十六年度歳入繰り入れ済みであります。しかして、そのうち、昭和三十五年度に新たに生じました純剰余金千二百五十一億円余から歳入歳出決算上の剰余金計算臨時特例に関する政令の規定によって、地方交付税及び道路整備事業費財源に充てられることとなる額二百五十五億円余を控除した残額、九百九十五億円余の二分の一を下らない額に相当する金額につきましては、財政法第六条の規定によりまして、公債または借入金の償還財源に充てられるものであります。  以上の決算額予算額と比較いたしますと、歳入につきましては、予算額一兆七千六百五十一億円余に比べて千九百五十八億円余の増加となるのでありますが、このうちには、昭和三十四年度剰余金受け入れが、予算額に比べて八百五十三億円余を増加しておりますので、これを差し引きますと、昭和三十五年度歳入増加額は千五百億円余となるのであります。そのおもな内訳は、租税及び印紙収入における増加額九百三十七億円余、専売納付金における増加額六十六億円余、官業益金及び官業収入における増加額十一億円余、政府資産整理収入における増加額三十三億円余、雑収入における増加額五十七億円余となっております。  一方、歳出につきましては、予算額一兆七千六百五十一億円余に昭和三十四年度からの繰越額三百四十一億円余を加えました予算現額一兆七千九百九十三億円余から支出済み額一兆七千四百三十一億円余を差し引きますと、その差額は五百六十一億円余でありまして、そのうち、翌年度に繰り越しました額は、前述の通り四百十五億円余、不用額は百四十六億円余となっております。  右の翌年度への繰越額のうち、財政法第十四条の三第一項の規定により、あらかじめ、国会の議決を経、これに基づいて翌年度へ繰り越しました金額は三百九十九億円余でありまして、その内訳のおもなものは、旧軍人遺族等恩給費につきまして、支給事務の処理にあたり、軍歴及び死亡事実の調査確認等不測日数を要したため年度内支出を終わらなかったもの九十五億円余、防衛本庁施設整備費等につきまして、調達計画の調整、アメリカ合衆国軍からの供与品引き渡し等不測日数を要したため年度内支出を終わらなかったもの二十六億円余、防衛支出金につきまして、在日アメリカ合衆国軍との交渉に不測日数を要したこと及び気象の関係設計変更等により工事施行不測日数を要したため年度内支出を終わらなかったもの十九億円余であります。  財政法第四十二条ただし書きの規定により避けがたい事故のため翌年度へ繰り越しました金額は十一億円余でありまして、その内訳のおもなものは、防衛本庁機械及び部品の製作等不測日数を要したため年度内支出を終わらなかったものであります。  財政法第四十三条の二第一項の規定により継続費年割額を繰り越しました金額は三億円余でありまして、これは、昭和三十四年度乙型警備艦艇建造費昭和三十四年度潜水艦建造費昭和三十五年度甲型警備艦建造費及び昭和三十五年度潜水艦建造費でありまして、建造工程等が、遅延したため年度内支出を終わらなかったものであります。  次に、不用額でありますが、その内訳のおもなものは、総理本府の旧軍人遺族等恩給費につきまして、前年度繰越分裁定事務が、請求書提出遅延等により当初の予定を下回ったため不用となったもの三十四億円余、防衛本庁人件費及び糧食費等につきまして、防衛庁設置法及び自衛隊の一部を改正する法律案が、第三十七回国会審議未了となったため不用となったもの二十二億円余、大蔵本省国債費につきまして、国債利子支払いが少なかったこと及び大蔵省証券の発行がなかったので割引差額を要しなかったこと等のため、国債整理基金特別会計繰り入れを要することが少なかったことにより不用となったもの九億円余であります。  次に、予備費でありますが、昭和三十五年度一般会計における予備費予算額は百億円でありますが、その使用総額は九十九億円余であります。そのうち、昭和三十五年十二月までの使用額七十六億円余につきましては、すでに第三十八回国会におきまして御承諾をいただいております。  また、昭和三十六年一月から同年三月までの使用額二十三億円余は、本国会に別途提出いたします予備費使用承諾案について御審議をいただきますので、その費用及び金額につきましては、説明を省略させていただきます。  次に、一般会計国庫債務負担行為について申し上げます。  財政法第十五条第一項の規定に基づく国庫債務負担行為権能額は千九十四億円余でありますが、このうち実際に負担いたしました債務額は千十一億円余でありますので、これに、既往年度からの繰り越し債務額四百六十七億円余を加え、昭和三十五年度中に支出その他の理由によって債務が消滅いたしました額三百三十五億円余を差し引きました金額千百四十二億円余が、翌年度以降に繰り越されたことになります。  財政法第十五条第二項の規定に基づく国庫債務負担行為権能額は三十億円でありますが、本年度実際に負担いたしました債務額はございません。  次に、昭和三十五年度特別会計決算でありますが、これにつきましては、それぞれの決算書によって御了承願いたいと思います。  なお、同年度における特別会計の数は、三十九でありまして、これら特別会計歳入決算総額は三兆九千三百九十一億円余、歳出決算総額は三兆五千五百五十億円余であります。  次に、昭和三十五年度における国税収納金整理資金の受入れ及び支払いでありますが、この資金への収納済み額は一兆六千三百七十八億円余でありまして、この資金からの支払い命令済み額及び歳入への組入額は一兆六千三百五十九億円余でありますので、十九億円余が昭和三十五年度末の資金残額となるのであります。これは、主として国税にかかわる還付金支払い決定済み支払い命令未済のものであります。  次に、昭和三十五年度政府関係機関決算でありますが、日本専売公社日本国有鉄道及び日本電信電話公社決算内容につきましては、別途それぞれの主務大臣から御説明申し上げる予定であります。  また、その他の政府関係機関決算内容につきましては、それぞれの決算書によって御了承願いたいと存じます。  次に、国の債権の現在額についてでありますが、昭和三十五年度末における国の債権総額は二兆五千九百二十八億円余でありまして、その内訳の詳細につきましては、昭和三十五年度国の債権の現在額総報告によって御了承願いたいと存じます。  以上、昭和三十五年度一般会計特別会計国税収納金整理資金及び政府関係機関決算等につきまして、その概略を御説明申し上げた次第であります。  なお、昭和三十五年度予算執行につきましては、財政と金融との一体的運用について考慮を払うとともに、予算の効率的な使用経理の適正な運営に極力意を用いて参ったのでありますが、なお、会計検査院から不当事項につきましては二戸二十件、是正事項につきましては百十八件に上る御指摘を受けましたことは、まことに遺憾にたえないところであります。これにつきましては、今後一そう経理改善努力を傾注いたしたい所存であります。  次に、昭和三十五年度物品増減及び現在額総計算書概要を御説明申し上げます。  昭和三十五年度中に増加しました物品総額は千百五十八億円余であり、また減少しました物品総額は八百四十五億円余でありまして、差引き三百十二億円余の増加となっております。これを前年度末現在額千八百九十七億円余に加算いたしますと二千二百十億円余となり、これが昭和三十五年度末現在における物品総額であります。  この総額内訳をおもな品目別に申し上げますと、防衛用車両四百四十二億円余、土木機器二百八十八億円余、車両及び軌条二百七十四億円余、試験及び測定機器二百四十五億円余となっております。  次に、物品増減内容について、その概略を申し上げます。  まず、昭和三十五年度中における増加額を申し上げますと、その総額は千百五十八億円余でありまして、この内訳のおもなものを申し上げますと、土木機器において三百八十八億円余、車両及び軌条において百三十八億円余、試験及び測定機器において八十七億円余の増加となっております。  次に、減少額について申し上げますと、総額は八百四十五億円余でありまして、その内訳のおもなものを申し上げますと、土木機器において三百五十七億円余、車両及び軌条において百十億円余の減少となっております。  以上が昭和三十五年度物品増減及び現在額総計算書概要であります。  何とぞ御審議のほどお願い申し上げます。
  9. 鈴木仙八

    鈴木委員長 次に会計検査院当局より、両件の検査報告に関する概要説明を求めます。芥川会計検査院院長
  10. 芥川治

    芥川会計検査院長 昭和三十五年度歳入歳出決算は、三十六年十月二十三日内閣から送付を受け、その検査を了して、昭和三十五年度決算検査報告とともに三十六年十二月四日内閣に回付いたしました。  昭和三十五年度一般会計決算額は、歳入一兆九千六百十億余万円、歳出一兆七千四百二十一億余万円、各特別会計決算額合計は、歳入三兆九千三百九十一億余万円、歳出三兆五千五百五十億余万円でありまして、一般会計及び各特別会計決算額総計いたしますと、歳入五兆九千二億余万円、歳出五兆二千九百八十二億余万円となりますが、各会計間の重複額及び前年度剰余金受け入れなどを控除して、歳入歳出の純計額を概算いたしますと、歳入三兆六千三百四十九億円、歳出三兆二千六百四十二億円となり、前年度に比べますと、歳入において五千百八十億円、歳出において三千五百五億円の増加となっております。  なお、国税収納金整理資金受け払い額は、収納済み額一兆六千三百七十八億余万円、支払い命令済み額歳入組み入れ額の合計一兆六千三百五十九億余万円であります。  政府関係機関昭和三十五年度決算額総計は、収入一兆六千三百四十五億余万円、支出一兆四千二百四十六億余万円でありまして、前年度に比べますと、収入において二千五百七十億余万円、支出において二千百七十五億余万円の増加となっております。  ただいま申し上げました国の会計及び政府関係機関会計決算額のうち、会計検査院においてまだ確認するに至っていないものは総計百二十五億三百余万円でありまして、そのおもなものは、総理府防衛本庁の項で百十億七千二百余万円、艦船建造費の項で六億八千四百余万円などであります。  会計検査の結果、経理上不当と認めた事項及び是正させた事項として、検査報告に掲記しました件数合計三百三十八件に上っております。  三十五年度不当事項及び是正させた事項件数が、三十四年度の二百九十二件に比べて増加いたしましたのは、主として補助金において増加したためであります。  今この三百三十八件について、不当経理態様別金額を概計いたしますと、不正行為による被害金紙が千九百万円、保険金支払いが適切を欠いたもの、または保険料などの徴収額が不足していたものが二億九百万円、補助金交付額が適正を欠いているため返納または減額を要するものなどが一億千九百万円、災害復旧事業に対する早期検査の結果、補助金減額を要するものが一億千三百万円、租税収入などで徴収決定が漏れていたり、その決定額正当額をこえていたものが二億七千六百万円、工事請負代金などが高価に過ぎたり、または物件売り渡し代金が低額に過ぎたと認めたものが五千百万円、右のほか、工事施行物品の購入などについて経費が効率的に使用されなかったと認めたものが四千四百万円、その他が三千六百万円、総額八億七千万円に上っておりまして、三十四年度の十二億九千万円に比べますと約四億二千万円の減少となっておりますが、これは主として災害復旧事業に対する早期検査の結果補助金減額を要するものにおいて四億三千五百万円が減少したことによるものであります。  検査の結果につきましては、租税工事物件保険補助金不正行為などの各項目に分けて検査報告に記述してありますが、これらのうち、会計経理を適正に執行するについて、特に留意を要するものとして、工事物件保険及び補助金に関してその概要説明いたします。  まず、工事及び物件について説明いたします。  工事施行並びに物件調達管理及び処分において不経済な結果となったと認められるなどの事例については、毎年指摘して改善を求めてきたところでありますが、三十五年度におきましても、なお、農林省、建設省、日本国有鉄道などにおいて見受けられております。  工事施行につきましては、工事計画が実情に沿わないため不経済となっているもの、予定価格の積算が適当でなかったため、ひいて契約価額が高価となっていると認められるもの、工事出来形設計と相違しているのにそのまま竣工検査を了しているものなどの事例があります。また、物件調達管理及び処分につきましては、仕様書が不備であったなどのため不経済な結果を来たしていたり、評定価格の算定などが適当でなかったため売り渡し価額が低廉となっていたり、物件管理が当を得なかったため国有財産をほしいままに処分されたり、工事用機械が遊休化しているなどの事例が見受けられるのであります。  次に、保険について説明いたします。  国が、特別会計を設けて経営する各保険事業における保険事業運営保険金支払いまたは保険料などの徴収につきましては、従来、厚生省、農林省労働省などの所管するものにつき、適正を欠いていると認められる事例を多数指摘して、注意を促してきたところでありますが、三十五年度においても、健康保険厚生年金保険労働者災害補償保険または失業保険保険料などの徴収不足を来たしているものや、失業保険保険金または漁船再保険金の給付が適切でないものや、農業共済保険において農業共済組合共済金経理に適正を欠いたものが依然として見受けられるのであります。  最後に、補助金について説明いたします。  補助金につきましては、その経理が当を得ないものを毎年多数指摘して改善を求めてきたところでありますが、三十五年度においても、なお不当な事例は少なからず認められております。  まず、農林、運輸、建設各省公共事業関係のものにつきましては、補助対象となる工事の監督及び検収が十分でなかったためその施行が不良となり工事の効果を著しく減殺しているもの、設計に対し工事の出来高が不足しているものなどの事例が依然として多数に上っているのであります。  なお、災害復旧事業事業費査定状況につきましては、工事の完成前に早期検査を行ないましたところ、採択された工事のうちには、関係各省間などで二重に査定しているもの、災害に便乗して改良工事施行しようとしているもの、工事費計算を誤ったり現地の確認が十分でなかったりしたため工事費を過大に見込んでいるものなどが少なからずありましたので、これを指摘して工事費減額させることにいたしました。  また、公共事業関係以外の補助金につきましても、農林省農山漁村建設総合施設事業関係労働省失業対策事業関係などにおきまして精算額を過大に報告して補助金交付を受けているもの、補助対象として不適当なものに補助金交付しているものなどの不当な事例が見受けられております。  以上をもって概要説明を終わります。会計検査院といたしましては、適正な会計経理執行について、機会あるごとに関係各省各庁などに対し是正改善努力を求めて参りましたが、なお、このように不当な事例が多数見受けられますので、関係各省各庁などにおいてさらに特段の努力を払うよう望んでいる次第であります。  次に、昭和三十五年度物品検査報告につきまして、その概要説明いたします。  昭和三十五年度物品増減及び現在額総計算書は、三十六年十月二十三日内閣から送付を受け、その検査を了して、十二月四日内閣に回付いたしました。  右物品増減及び現在額総計算書における三十五年度中の物品増減等を見ますと、三十四年度末現在額は千八百九十七億九千三百余万円でありましたが、三十五年度中の増が千百五十八億百余万円、同年度中の減が八百四十五億四千八百余万円ありましたので、差引三十五年度末現在額は二千二百十億四千七百余万円となり、前年度末に比べますと三百十二億五千三百余万円の増加となっております。  なお、物品増減及び現在額総計算書に掲げられております物品管理について不当と認め検査報告に掲記した事項はありません。
  11. 鈴木仙八

    鈴木委員長 これにて増減に関する概要説明は終了いたしました。増減に関する質疑は後日に譲ります。      ————◇—————
  12. 鈴木仙八

    鈴木委員長 これより東北開発株式会社会計に関する件について調査を進めます。  本日御出席いただきました参考人は、東北開発株式会社より、総裁伊藤保次郎君、副総裁山中徳二君、監事中村清英君の三名でございます。  参考人各位には、御多用中御出席いただきありがとうございました。  まず初めに東北開発株式会社につき、私が調査をした結果を御報告申し上げ、委員各位の審議の御参考に供したいと存じます。  まず、東北開発株式会社の経過概要について申し上げますと、その前身である東北興業株式会社は、昭和九年に東北地方を襲った大冷害が契機となって、昭和十一年五月法律第十五号の東北興業株式会社法により、東北地方の振興をはかる目的で、同地方における殖産事業を行なうため、東北六県、同市町村及び農業団体等の出資により、資本金三千万円で発足した特殊会社であります。  政府は、東北興業株式会社に対し、株式配当補給、東北債券の元利保証及び出資等の援助を行なってきております。しかし、昭和二十年の終戦とともに政府の法人に対する財政援助の制限措置が行なわれたため、昭和三十一年まで政府の財政援助は停止されたが、同年五月再び社債の元利支払い保証が復活し、翌昭和三十二年法律第百四十二号により、東北開発促進法や北海道東北開発公庫と同時に、社名を東北興業株式会社から現在の東北開発株式会社に改名し、自来、政府出資、債券の元利保証、貸付金等の財政援助は年々増加をし、昭和三十六年十一月現在の資本金は二十五億円で、うち九六・三%、二十四億七百五十万円が政府出資額となっております。昭和三十五年度における社債発行残高は七十五億六千六百万円で、これに対しては政府の元利保証が行なわれており、また、同年に対する政府からの長期借入金残高は八千三百六十二万二千五百七十四円となっております。  次に、事業概要について申し上げますと、昭和三十六年十月一日現在で、従業員数は千六百八十六名で、本社は仙台市にあり、岩手工場ではセメント及び生石灰の生産、福島工場では石灰窒素、カーバイト、酸素、窒素、溶解アセチレンの生産、木友鉱業所では亜炭の採掘、会津工場では硬質繊維板の生産を行なうほか、各地で土地造成事業をも行ない、最近では砂鉄事業を計画しており、その他出資等の助成を行なっている子会社は現在十二社に及んでおります。  なお、昭和三十二年度以降の営業成績を申し上げますと、昭和三十二年度は百五十七万八千七百八十三円の利益を生じていますが、前年度繰り越し欠損が一億九千五十万五千百九十一円ありましたので、土地評価益、法定準備金及び再評価積立金の取りくずしによりまして繰り越し欠損を全額補てんしております。  同三十三年度は三億二千二万四千三百一円の欠損が生じ、同三十四年度は千五百八十万八千四百六十九円の利益を上げ、同三十五年度は六千八百二十七万百三十二円の利益を計上しています。しかし、昭和三十三年度に多額の欠損を生じておりますので、同三十五年度末の繰り越し欠損額は二億三千五百九十四万五千七百円となっております。  また、今期の昭和三十六年度決算の見込みでは十億三千九百八万七千円の欠損が生じ、前年度の繰り越し欠損金を合計すると、十二億七千五百三万三千円の赤字が予想されます。  以上が東北開発株式会社の経緯及び事業概要でありますが、本件に関しましては会計検査院昭和三十五年度決算報告に掲記しており、当決算委員会としては、特に後進地域の開発促進が叫ばれている今日、多額の血税を投下している東北開発株式会社の前述の決算が正しいものか、その設立目的に従って合理的な事業計画が樹立されているか、その運営経済的、効果的に管理されているか、また監督官庁の監督指導が適正に行なわれているか等について、徹底的に批判検討を試みる必要があると思う次第であります。そこで私が調査しました諸点について御報告申し上げ、委員各位の詳細なる審議に供したいと思います。  第一は、昭和三十五年度決算は、事実は約三億余円の赤字であるにかかわらず、これを六千八百余万円の黒字にし、虚偽の決算を行なっていることであります。  第二は、セメントの販売及び倉庫管理が不適正なため、多量の硬化セメントを発生させ、そのため膨大な損失を招いていることであります。  第三は、代理店等に対する債権管理が不適正なために、多額の売掛金等が回収不能に陥っており、将来損失発生の危険があること。  第四は、セメント等の設備投資計画が不適正なため、不経済な経営となっていること。  第五は、理事等の経営首脳部には企業的経営の経験のない退職高級官吏が多数その地位を占めており、政府の人事政策が不適当であること。  第六は、経済企画庁の監理官等の監督責任者が適正な指導監督等を行なっていないことであります。  まず第一に、決算の虚偽表示について申し上げますと、会社昭和三十五年度の損益計算書の利益を六千八百二十七万百三十二円の黒字決算を公表しておりますが、会計検査院の指摘に従いますと、真実の決算は二億八百九十五万一千六百七円の膨大な赤字であります。さらに、その他後述の硬化セメントの評価損を計上すると、約三億余の赤字決算をするのが正当であると判断されるのでありますが、何ゆえに会社はかかる実体をごまかして、六千八百余万円の黒字決算として発表したか。これは当決算委員会にとって重大な関心と今後の検討を要する点であります。  この決算操作の原因となった取引は、造成土地の売却についてであります。すなわち昭和三十五年度末における実際の売却土地面積は三万三千百九十六坪であるにかかわらず、決算上約三倍余の十万九千八百九十六坪が売却されたとして、これにより二億七千七百余万円の計上すべきでない見せかけの利益を計上しているのであります。これは秋田木材株式会社に対して十万坪、単価五千五百円、五カ年分割払い、念書により昭和三十六年八月三十一日まで先方の無条件解約つきの条件で、昭和三十五年度末を経過した同三十六年五月十日に正式売買契約を締結し、同日現金五百万円 約束手形五千万円を受領したにかかわらず、さかのぼって年度末の三十六年三月三十一日に正式契約が行なわれたごとく契約書類を作成し、前述のように三十五年度決算の売り上げに計上する操作をしております。  本件の契約日については、会計検査院に対し、当初は年度内に正式に契約が締結されていると説明しており、また解除条件付の裏契約の存在については、これを否定し続け、八月末日になり秋田木材株式会社から解約の申し入れがあり、手付金として受領した約手の五千万円及び現金五百万円と、この現金に対する年八分の利息を返還せざるを得ない立場になって、初めて裏契約があったとの報告があり、検査院に対しても虚偽の説明をしていたもので、この裏契約の存在については、担当理事と二、三の幹部職員しか知っておらず、解約があって初めて総裁等の役員及び監事に報告しており、また手付金に対して利息を付して返還するに至っては、言語に絶する無責任な会社経営の実態であります。  また、セメントの売却数量については、直接利益操作とは言えないが、売れていない在庫のセメントを二万三千六百五十三トンも売却したように虚構し、当初の販売目標の二十六万トンを達成したかのように見せかけております。  なお、昭和三十四年度決算についても、同三十五年三月三十一日に日本ゼオン株式会社に対し、九万六千九百八十二坪の土地を坪当たり五千五百円で売却する仮契約を締結したにすぎず、正式契約に至っていないのに、その際手付金として受領した約手の六千万円をそのまま純益に計上する決算操作をしており、この契約も相手側から念書に従って解約されております。  以上のように、実際は三億余円に上る赤字経営の実態をごまかして決算操作を行ない、六千八百余万円の黒字決算としたのは、推測するに、当会社の役員の任期末決算であるため、再任の実績を作ることと、任期終了に伴う退職手当の受領を考えての故意の操作としか考えられないのであります。  多数の政府関係機関等の決算書が、このように、いとも簡単に操作され、虚偽の決算が行なわれ、監督官庁も知ってか知らずか、これを認めて公表させるとすれば、これを信頼し、財政投融資等によって血税を投下する予算を承認する国会は、全くだまされた結果になり、国民代表としての責務も果たし得ないことになるのであります。かかる虚偽の決算を行なった会社の役員の責任と、これを監督する立場にある役所の責任は鋭く追及されるべきであります。  第二のセメントの販売及び倉庫管理が不適正なため、多量の硬化セメントを発生している点について申し上げますと、セメントの在庫量は、昭和三十三年度は四千三百七十二・七五トンで全量非硬化、昭和三十四年度は七千七百五十三・六五トンで全量非硬化であるが、これが昭和三十五年度においては三万二千九百四十一・八三トンと発表しているのと、検査院の指摘による、から売り分の二万三千六百五十四トン——うち一万四千九百五十四・九六五トンが硬化分——を含めると、実際の在庫量は五万六千五百九十五・八三トンという膨大な数量になる。そのうち、硬化セメントは二万一千八・〇四トンに達している。  本問題については、一、何ゆえにかくも膨大な硬化セメントを抱き込む結果になったか。二、何ゆえに二万三千余トンのから売りの決算操作をして発表したかということであります。  硬化セメント発生原因は、会社の販売及び倉庫管理が全然確立していないことを暴露している。すなわち、会社では多数の倉庫に袋詰めセメントを多額の倉庫料を支払い分散保管しているが、注文に対し、倉庫から先に入庫したセメントを出荷すればよいのに、先入れ先出し方式による出庫をすればよいのに、倉庫管理ができていないため、工場から新しいセメントを直接出荷したり、倉庫出庫の場合も新しいセメントを出荷したため、先入れのセメントが長期滞留して硬化してしまったのであります。そのためトン当たり原価は約七千余万円のものが、硬化セメントとして二千円くらいでしか処分できず、一トン当たり五千円の損失となり、三十五年度末の硬化セメントは二万一千八・〇四トンで、一億五百四万円の評価損になるのであります。これなどは経営首脳者が倉庫管理に当然払うべき注意をしておれば、回避することのできた損害であり、経営者としての誠意と能力が疑われる事例として重大な責任問題であります。  また、前述で触れた通り、二万三千六百五十四トンの在庫セメントのから売り処分は、理事会の二十六万トンの販売目標を達成したかのように見せかけるため、売れてもいないものを売れたごとく決算操作をしたものであり、担当理事者だけの故意か、理事会も承知の上でのことか、大部分が硬化セメントを引き当てており、利益操作も兼ねていたものか、かかる決算操作を行なったことに対する責任は厳重に警告を要すべきであります。  第三の、会社の売掛金等の債権回収について申し上げますと、売掛金の各年度末残高は、会社側の資料によると、昭和三十三年度末に一億八千四百五十一万六千九百四円、うち四千九百四十六万六千四百八円が一カ月以上のもの、同三十四年度に二億九千五百九十万三千五百八十六円、うち一億二千六百五十七万七十五円が一カ月以上のもの、同三十五年度末に四億三千五百九十三万二千七百二十七円、うち九千百二十万六千七百二十四円が一カ月以上のもの、受取手形の各年度末残高は、会社側の資料によると、昭和三十三年度末に三億二千四百十七万千三百八十八円、うち四カ月以上のもの二千四百三十一万二千八百五円、同三十四年度末に六億七百七十八万五百十四円、うち四カ月以上のもの千九百七十二万千八百七十八円、同三十五年度末に七億三千九十一万四千九百七十五円、うち四カ月以上のものは八千二百八万千百二十四円となっております。そのうちでも青森建材株式会社に対しては、セメントのから売り分三百十九万八千九百四十円を控除して、昭和三十五年度末売掛金が七千百九十三万三千七百九十三円あり、うち一カ月を経過したものが、六千二百九十四万八千九百五十五円、受取手形が二千四十九万八千九百二十円となっており、同建材に対する会社債権は、合計九千二百四十三万二千七百十三円と膨大な金額になっております。東光物産株式会社に対しても、セメントのから売り分の本店分は、九百十八万四千百三十五円、支店分は八戸六十二万二千九百六十八円を控除して、昭和三十五年度末売掛金二千五百二十九万八千三百五十九円、受取手形七千二百八十六万三千二十円で、同物産に対する債権の合計額は、九千八百十六万千三百七十九円となり、これまた多額の債権額を擁しているのであります。  ここで注意を要することは、両社に対する債権が多額であることではなく、ほとんどが不良債権の性質を帯びているということであります。青森建材については、従前からも多額の不良債権をかかえながらも、昭和三十六年二月末に不渡り手形を発生させて、初めてセメントの売り上げ代金受領の受任措置を講じただけで、七月に至るも何ら債権担保等の保全措置が講ぜられず、現在までに確保した担保はきわめて少額であり、保全目的は達していないのであります。  また、前述した受取手形の二千九百余万円については、ほとんど全額が、決済日に手形期日を書きかえて決済を延期してきている実情であります。  東光物産についても、不良性の債権であり、昭和三十五年十一月に不渡り手形を発生せしめているが、これも同様に債権保全の措置が緩慢で、十分な担保確保の措置がとられていない実情であります。  これらは会社首脳部の無責任、かつ、放漫な経営態度の結果と評価されても、弁解の余地はないのであります。  なお、会社の青森建材に対する債権金額は、合計九千二百四十三万二千七百十三円となっておるのに対し、森建材の決算書によると、東北開発株式会社に対し、五千六百九十三万五千三百四十六円の債務しか計上されておらず、両者の間には三千五百四十九万七千三百六十七円という膨大な金額の不一致があり、青森建材において、この金額がいかに処分されたかということであります。あるいは、不一致の原因は、東北開発の決算にあるのか、青森建材側にあるのか、この間には重大な問題が伏在する疑問も持たれるのであり、これについて、会社側は明快な納得のいく御説明をなす必要があると思います。  ただいま私から東北開発株式会社の件について概要を御報告申し上げましたが、右のうち、検査報告に記載されております事項に関連して、決算処理の二、三について会計検査院当局確認を求めておきたいのですが、お認めになるか、あるいは御否定なさるか、その結論だけお答え願いたい。  第一に、三十五年度決算は、健全な会計処理の立場で再検討すると、硬化セメントの評価損も含めて約三億円の赤字になること。  第二に、秋田木材に対する土地の売り上げについて。その第一点は、契約日をさかのぼって書類を作成し、膨大な利益を計上していること。その第二点は、同契約には無条件解除つきの裏契約がかわされているが、理事会にも、また検査当時会計検査院にも報告されなかったこと。その第三点は、契約解除に伴って、手金五百万円に年八分の利息を付して秋木側に返還をしていること。  第三に、青森建材に対する債権について。その第一点は、青森建材は不渡り手形を出したが、これに対する債権保全の措置が緩慢で、十分な担保が取られていないこと。その第二点は、会社の青森建材に対する債権額よりも、青森建材が会社に対し認めている債務額が三千五百七十一万九千六百八十円も少ないこと。その第三点は、青森建材に対する受取手形の大半は、決済日に決済されず、期日を書きかえ書きかえしているものであること。  第四に、セメントの売り上げ及び硬化セメントの在庫について。その第一点は、二万三千六百五十四トンの、実際には売却されていない在庫のセメントを売り上げに計上して、在庫を減少させていること。その第二点は、約二万一千トンの硬化セメントが発生していたこと。  第五に、東光物産に対する債権について。その第一点は、東光物産よりの受取手形が不渡りになったこと。その後の債権保全の措置が緩慢で担保の確保が十分といえないこと。その第二点は、東光物産本店が会社に対し認めている買掛金と支払い手形の債務額は、会社が東光物産本店に対して認めている債権額よりも、百七十一万八千六百六十一円少ない。  第六に、日本ゼオン株式会社に対する土地売り上げについて。昭和三十四年度決算に関するものであるが、土地売却の仮契約を締結しただけで、正式に契約するに至っていないものについて、受領した手付の約手六千万円をそのまま利益に計上するよう決算操作をしていること。  以上の諸点について、事実であったか、いなであるか、確認だけでけっこうですから、お答えを願っておきたいと思います。
  13. 平松誠一

    ○平松会計検査院説明員 あまりたくさんの事項でありますので、ちょっと聞き漏らした点もあるかと思いますが、わかります範囲内で御答弁いたしたいと思います。  まず第一の決算の点でございますが、適正な損益を表示すれば三億幾らになるということでございますが、私ども検査報告の中に掲記しております分は、土地の造成関係の損益の修正の点だけでございまして、この分だけで申し上げますと、二億八百余万円が赤字になるということは申し上げられると思います。ただいまの三億幾らという数字のうちには、硬化したセメントを評価損した場合に幾らになるかというような数字があがっておりますが、私の方といたしましては、硬化したセメントがどの程度のものであるか、現物を全部見たわけではございませんので、その数字がはたして幾らになるという的確な評価をいたすことは困難でございますが、今まで売れました硬化したセメントの価格等から勘案いたしますと、大体大差ないような数字が出てきはしないかというふうに推測いたされます。なお、これはこまかい具体的な、どう評価して幾らの損ができたという数字を確かめてみないと、その結論は出ないと思います。  そのほかの点につきましては、大体私ども検査した結果によりまして、委員長の言われたことのような検査をして参っております。ただ、売掛金の回収について、担保が現状におきましては十分でありませんが、会社といたしましては、極力担保その他回収措置をとりつつあられますので、現在のままでもう担保としてはこれだけしかないんだというような結論を出すのは、少し早過ぎるのではないかというふうに考えます。
  14. 鈴木仙八

    鈴木委員長 ただいまの私の発言に対し、東北開発株式会社にて釈明があれば、至急に書類として提出をされるよう要求いたしておきます。
  15. 平松誠一

    ○平松会計検査院説明員 なお、ちょいと補足して申し上げたいと思いますが、ただいま委員長から、決算が虚偽に作成されたというようなお言葉がございましたが、私ども検査した結果につきましては、虚偽に、故意にそういった決算を作ったという回答は得ておりません。ただ、先ほどお話のございましたように、秋田木材に対しまする土地の売却につきまして、実際は三十六年の五月に売買契約が成立したものを、秋田木材との話し合いの上で、これを三十六年の三月三十一日の日付にさかのぼらして契約を締結しておるというような作為はされておりますが、そしてその三月三十一日に売買契約が締結されたということに基づきまして、秋田木材に対する土地の損益が三十六年度ではなしに、三十五年度決算に計上されておる。従って、損益の表示が適正になされていない、作為された書類に基づいて作られた、決算は適正に表示されておらないということだけははっきり申し上げられると思います。
  16. 鈴木仙八

    鈴木委員長 それでは、東北開発株式会社に釈明があれば、書類の要求をしてありますが、おわかりですね。
  17. 木村公平

    ○木村(公)委員 資料の要求があるのです。ただいまの委員長の御報告はすこぶる重大で、これは国会におきましても、当委員会におきましても、とうてい看過することのできない重大な御報告でございますが、口頭の御報告ばかりでは了解しかねるところが多々ありますので、後日成文化されまして、文書としてこれを当委員会に御提出をお願いいたしたい、こう思います。  なお、このような重大な批難を委員長から報告の形においてされました。東北開発会社においても、これに対しては何らかの釈明があろうかと思いますが、もしも釈明がありますれば、これまた書面をもって一つ当委員会に御提出をいただきたいと思うのでございます。  さらに、ただいまの御報告以外に資料として私から要求をいたしたいと思いますのは、売掛金の一覧表はここにいただいておりますが、これが、ただ相手先の商店名だけで、所在地等が不明でございますので、例を青森建材にいたしますれば、青森建材はどこにあって資本金等はどんな状態であるかというようなことを、一々煩にたえないとおっしゃるかもしれませんが、重大なことでございますので、売掛金の相手先の所在地と資産内容をできるだけ明らかにして、資料として御提出を願いたい。この中には、私どもまことに不可解だと思われる相手先があるようでございますので、その件は一つ資料として十分お出しをいただきたいと思います。  なお、先ほどの委員長報告によりますと、前役員諸君が——現在の役員ではないようでありますが、前役員諸君が、役員交代の前に帳簿を改ざんして、赤字であったものを黒字であったごとくあげつろうて、もって退職金を円満に得てやめたというような御報告があったかに伺うのでありますが、もしもこれが事実であるとするならば、これはまことに大でございますので、会計検査院から特にその点について、帳簿の改ざんをして、赤字であったものを黒字と偽り、それがために役員に罪失があるのにもかかわらず、あたかも功労があったごとく偽りまして、退職手当を得ておる。しかも、退職手当は上は八百万から下は四百万ほど得ておられるようですが、退職手当をもらった同じ人が、再び副総裁か何かで出てきておるというようなお話もありますので、この点も一つ資料として御提出をいただきたい。いやしくも責任を負ってやめなければならぬような立場にある人が、功労金をもらってやめて、やめた上で今度はまた出世をして返り咲くというようなばかげたことが、もしも国策会社でありますところの会社内部において行なわれるようなことがありますれば、このようなことが明らかになった場合には、おそらく国民は承知するものではありません。だから、その点についても、当委員会に綿密なる資料の御提出をいただきたいと思う次第でございます。  以上の点について、委員長から特に資料提出方の御慫慂をお願いしたいと思います。
  18. 小川豊明

    ○小川(豊)委員 今委員長報告をされたのですが、これをお聞きしていましたが、これが速記録になるのは相当時間がかかるので、われわれはもっと早くこの委員長報告について調査をしてみたいと思いますから、できれば委員長報告されたその原稿をプリントして、早く委員の方に配ってもらうように願いたい。  それから、今木村委員がおっしゃった中で、私どもも、前役員と交代された役員の氏名はわかりますが、退職金は、今聞くと大へんな話で、八百万だ、四百万だという話だが、実際はその退職金はだれだれに幾らやったかという数字も、あわせて出してもらいたい。  次に、これは進行になるのですけれども、事が非常に重大ですから、きょうこの問題で話に入っても、きまりがつく問題ではありません。従って、このために日を別にきめて、この点については慎重に調査をすることとして、きょうは、ドミニカ移民の問題もあることですから、今申し上げたような資料を出していただくことにして、あとドミニカの方をやっていただきたい。
  19. 田中彰治

    ○田中(彰)委員 ちょっと会計検査院にお尋ねするのですが、今委員長報告を聞くと、土地の問題とかいろいろあるのですが、セメントの問題が一番多いのです。そのセメントが、普通のセメント会社のセメントと製造法が違っておって、縦型のかまか何かで、コークスか何かで焼いてセメントにするのですが、あれは西ドイツがちょっと試験的にやったものを持ってきてやったために、どうもあのセメントというのは、普通のセメントより売れ行きが悪い。製造法が違っておって、非常に品物が悪いのだ。あなたは、そういうような点をお調べになりましたか。その点をちょっと聞きたいのです。
  20. 平松誠一

    ○平松会計検査院説明員 ただいまの点につきましては、そういう点を承知いたしております。ただ、実際、初めできましたものにつきましては、ある程度品質が落ちておったという風評もあったようでございますが、その後、製品はだんだんりっぱなものができるようになりまして、現在におきましては、ほかのものと比べて遜色ないようなものが販売されておるというふうに、私どもとしては考えております。
  21. 田中彰治

    ○田中(彰)委員 会計検査院に伺うのですが、この技術の面をまたお尋ねしなければならぬのですけれども、どうもこのセメントというのは、ほかのセメントよりも早く固まってしまうので、貯蔵ができないし、特殊関係でなくては使わない。やはり製造法において、普通のセメントのような、ああいうキルンでやるのじゃなしに、縦型のかまか何かでやるのだから、その点を根本的にやってもらいたい。会計検査院の方でお調べになればわかるが、やはりセメントが売れないから、いろいろ不渡りしたり、また貯蔵をしているうちに固まってしまったりするというようなことで、買った方で迷惑する。私は、こういう工合に聞くし、また調べておるのです。今はこしらえた当時よりもいいけれども、やはりほかのセメントよりも品質が落ちて、結果が悪いのじゃないか。これからどうですか、あなたの方でお調べになっていただけますか。
  22. 平松誠一

    ○平松会計検査院説明員 最近の状況につきましては、先ほど申し上げた通りでございますが、お言葉もございますので、なお十分検討はいたしたいと思います。
  23. 田中彰治

    ○田中(彰)委員 今のセメントの製造法が非常に違って、このセメントが非常に悪いのですよ。だから、その製造法について、一応資料として、どういう製造法をしていて、ほかのセメントとどういう工合に遜色がないのかどうか、というような点に対する資料を出していただくように、一つお願いいたしたいと思います。
  24. 芳賀貢

    ○芳賀委員 資料の要求をいたします。  すなわち、東北開発株式会社法によると、第十七条では、この株式会社の業務の監督の責任は、内閣総理大臣ということになっておるわけであります。従いまして、第二十一条では、「会社ハ毎営業年度開始前二事業計画資金計画収支予算ヲ設定シ内閣総理大臣ノ認可ヲ受クベシ」ということになっておるわけでありまして、さらに第二十一条の二では、「会社ハ毎営業年度終了後三月以内二其ノ営業年度ノ財産目録、貸借対照表及損益計算書並営業報告書ヲ内閣総理大臣二提出スベシ」ということになっておりますので、この第二十一条の二に基づき総理大臣に会社提出いたしましたもの、それで、この会社は、昭和三十二年に東北開発株式会社法が成立したわけでありますからして、この東北開発株式会社が創立された以降今日に至るまでの、各事業年度報告書を当委員会提出してもらいたいのであります。  第二は、法律の第二十三条によりますと、「会社ノ業務ヲ監視セシムルタメ別二法律ノ定ムル所二依リ東北開発株式会社監理官ヲ置ク」、これは経済企画庁設置法に基づきまして、設置法の第十二条では、経済企画庁の「総合開発局に東北開発株式会社監理官一人を置く。」ということになっておるわけでありますが、この監理官は、いわゆる内閣の任命を受けて当会社の業務内容の監査もしくは指導をする任務を行なうことになっておりますので、毎事業年度決算等に対して、この監理官がいかなる意見を付しておるかというその内容、あるいははこの監理官が、決算の株主総会に出席して、監理官としていかなる意見を開陳しておるかというそれらの記録について、その意見を委員長から政府に対して資料としてすみやかに提出するように求めていただきたいのであります。
  25. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員 先ほど田中委員から質問がありまして、セメントがいいか悪いかという質問があったようですが、一体この会社の製品は、ポルトランド・セメントなのか、シリカ・セメントなのか、中庸セメントなのか、一つ専門的な御答弁を願います。
  26. 財前真方

    ○財前説明員 私、東北開発株式会社監理官でございますが、ただいまの御質問の点に関しては、製造法は縦型炉を用いますけれども、製品はポルトランド・セメントでございます。
  27. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員 縦型のかまで焼いているというわけですか。
  28. 財前真方

    ○財前説明員 そうでございます。
  29. 荒舩清十郎

    ○荒舩委員 そこで、さっき田中君の言うように、製品が悪いとかいいとかいう判断ですが、これはどういうことなんですか。
  30. 財前真方

    ○財前説明員 ただいま縦型炉と申し上げましたけれども、縦型炉が五基と、それから横型炉のレポール・キルンが一基ございます。大体縦型炉の方が日産七百五十トン、それから横型炉が三百五十トンでございます。製品は、両方を混合して出荷いたしております。当初、製造工程が違っておったために、若干品質の不良ということがあったようでございますけれども、ただいまのところは、日本のJIS規格にはもちろん、一般の市場の製品と何ら遜色がないというふうに承知いたしております。
  31. 田中彰治

    ○田中(彰)委員 ちょっとあなたにお尋ねいたしますが、縦型のキルンを使ったセメントが初めは悪かったということも聞いていますが、あれは西ドイツで使っておったが、今では、あの縦型のキルンを使ったセメントは、どうしても普通のキルンで焼いたものにはいろいろの面においてかなわないということで、西ドイツあたりはみんなやめておるのです。そういう悪い品物を売ったから、買っ人も金を払えない、セメントも貯蔵中早く固まってしまうという結果になっておるのじゃないか。あの縦型のキルンは、非常に資本金が少なくてできるので、みんな興味を持って、日本でもだいぶ研究されたのですが、結論において、あれを実行したのはあなたのところの会社だった、あとはみんなやはりよくないのでやめてしまった、こういう工合に知っているし、私どもも調査しているのです。それについて、この次においでになるときに、どういう方法でどういうようにという専門的な、われわれ委員が見てもわかるような資料を一つ出してもらいたい。今西ドイツでは全部やめているということになっているのだから、それを委員長、お願いします。
  32. 鈴木仙八

    鈴木委員長 ただいまの委員諸君の資料要求、また御要望につきましては、委員長において善処いたします。さよう御了承願います。  参考人及び関係当局に対する質疑は後日に譲り、本日の調査はこの程度にとどめます。      ————◇—————
  33. 鈴木仙八

    鈴木委員長 次に、昭和三十四年度決算を議題とし、外務省所管について審査を進めます。  本日は、ドミニカ移住問題について、外務、農林両省の当局者よりその概要について説明を聴取した後、質疑を行ないます。  まず、外務省移住局長より説明を求めます。高木移住局長
  34. 高木廣一

    ○高木政府委員 外務省移住局長の高木でございます。ドミニカ移住問題につきまして、御説明申し上げます。  カリビア海のドミニカ国へのわが国の移住は、昭和二十九年に、先方から二万家族日本人を入れたいということが初めでございまして、両国の話がまとまりましたのは三十一年でございます。そして、実際第一回の入植家族がダハボンという地区に入りましたのが三十一年七月二十六日でございまして、自来昭和三十六年八月までに十七カ所、日本人移住者二百九十二家族、千四百四十一名が入植したのであります。   〔委員長退席、高橋(英)委員長代   理着席〕  ドミニカの移住につきましては、先方との話し合いで、ドミニカ政府が耕地を整備いたしまして、これを日本人に提供し、そうして八年ないし十年すれば、ドミニカ国の国法に従って土地が移住者の所有になる。そしてそのほかに、移住者のために家屋を提供し、さらに第一回の収獲があるまで生活補給金を支給する。生活補給金は、大体月六十ペソから百二十ペソ。ドミニカの一ペソは、アメリカの一ドルに相当する為替でございます。大体米ドル六十ドルから百二十ドル。そのかわりに、日本の移住者は、農業の専門的な経験のある者で、先方の政府が指図する農作物を作り、また移住地について、その土地で農業に専従する。こういうような条件で参ったのでございます。  しかして昭和三十四年キューバにカストロ政権ができましてから、カリビア海の情勢が非常に騒がしくなりまして、特にドミニカは、トルヒーヨ大統領、これはこの前暗殺されまして、トルヒーヨ政権は崩壊したのでありますが、この独裁制の前途が非常に動揺した。三十四年の六月には、キューバからカストロの部隊がハイチを経由してドミニカに侵入してくる、それから海からも入ってくる形勢で、試みもありましたので、ドミニカ政府といたしましては、この移住地に対して政府が現在与えておりました各種の施設を拡大することが、次第に財政上の状況でむずかしくなりました。三十四年の十一月には、さらにキューバ、ベネズエラとドミニカとの関係が非常に悪くなりまして、その結果、ドミニカに寄った船はキューバ及びベネズエラには寄せないということになりまして、各国の船がドミニカに寄らなくなった。そうしてその翌年、昭和三十五年の六月にベネズエラの新しい政府のベタンクール大統領の暗殺未遂事件がございまして、これにトルヒーヨのグループが関係があったということが言われて、汎米会議におきまして、ドミニカは国交断絶を受けまして、汎米諸国全部と国交断絶され、そうしてさらにドミニカに対する経済封鎖が行なわれたのであります。そういう関係で、従来ドミニカはカリビアの避暑地でございまして、アメリカから多数のツーリストが見える。ドミニカの一ペソはアメリカの一ドルというような非常に景気のよいところでございましたのが、すっかり様子が変わりまして、還暑客は全然来ないだけでなくて、ドミニカで作ったものが輸出ができなくなったという状態になりましたのです。これがわが移住者にも影響いたしまして、政府が約束しておりました移住者に対する耕地の整備拡大ということが、なかなかむずかしくなるのみでなくて、昭和三十五年この国交断絶及び経済封鎖せられまして以来、第一回の収穫があるまでとの約束で与えられておりました生活補給金が、実はずっと続けられておったのでございますが、昭和三十五年の八月以来これがストップになり、あるいは二割の低減になるというようなことになりましたものですから、移住者の生活を脅かした次第であります。  そこで日本政府といたしましては、ドミニカ政府に対して、移住者が入りましたところで整地がさらに拡大できなければ、他の地域に換地を求めるということを要求いたし、ある程度内地転住をもいたしました。それから、こういうような情勢で、われわれの方といたしましても、ドミニカ移住者の状況が相当苦しいということで、移住局からも人が参りまして、結局ドミニカ移住者約三百家族弱のうち半数は、今の状態であれば過剰入植の結果になる。従って帰国をしたいと言って、たとえばネイバ地区は集団帰国の運動をしておられたのでありますが、こういうところとか、その他の地域で過剰入植になっておるところは、南米転住、及びやむを得ない場合は日本への帰国を援助する。さらに国内転住及び国内の定着のためには、移住会社の融資を強化するという政策をとって参った次第であります。そういたしまして、昨年暮れから今日までで、ネイバ地区、ハラバコア地区と合わせまして約六十家族弱が、国援法の援助で日本に帰って参った次第でございます。これに対しまして、政府といたしましては、国援法の適用によって大体百二十家族帰るものといたしまして、大蔵省と交渉いたしまして、予備費を解除してもらいまして、トータル約七千七百万円、一家族で約六十八万円平均になりますが、これの適用援助、それから帰りましてからは、共産圏から引き揚げた引揚者に対する援助と同様の保護援助措置、すなわち横浜港における世話、それから帰国までの一切の世話、大体一家族で平均七万三千円の金になります。そのうち現金は大人一人一万円、子供五千円、それから帰るまでの汽車賃、雑費その他大体一人千五百円、子供はその半額程度でございますが、そういうもの、その他救済物資の支給をいたしました。  なお政府といたしましては、各省相談いたしまして、労働省は横浜において移住者の内地における更生について就職の希望を聞き、これを各帰郷先で職安を通じてあっせんするという措置を講じました。また各県にお願いいたしまして、帰国せられた方々の更生のための前向きの援助について、積極的な御協力をお願いいたしまして、最小限度一家族五万円から十万円の援助、これは各県一定しておりませんが、見舞金の形で県が出しておられます。そのほか必要な場合には、住宅のあっせん、これは市営、県営の住宅を提供せられるところもあります。あるいは就職の場合に、住居の問題を考慮するということもやっております。  なお、われわれといたしましては、移住者が事志を達しないで帰られたのでありますから、これを前向きでさらに日本で立ち上がれるようにお世話するということで、現行の各種援助措置を最大限に活用するということで、これが更生に当たることになっております。たとえて申しますと、農林省関係といたしましては、国内開拓への入植に伴う各種の援助、それから農業拓殖基金による融資、この農業拓殖基金による融資保証というのは、従来は移住者が海外へ出る場合だけに適用しておったのでありますが、これを帰られた方にも適用するということで、融資保証額は最高三十万ということになっております。また建設省関係といたしましては、住宅の世話をお願いいたしまして、実はこれは地方庁でいろいろやってくれておるのですが、国もこれに協力するということで、これは三十七年度公営住宅第二種住宅の建設予定戸数のうち百戸分はドミニカ移住者のために振り当てるということがきまりました。これは地方自治団体が三分の一、国が三分の二という割合でございます。また厚生省関係といたしましては、生活保護法の活用、世帯更生資金の活用——更生資金の活用につきましては、三万円から五万円までの保証によって融資されます。それから労働省関係はさっき申しました就職のあっせん、それから雇用促進事業団の活用、これは職業訓練その他いろいろの手当、住宅等、いろいろの援助がございますが、雇用促進事業団の活用、それから大蔵省関係では国民金融公庫資金の活用でございまして、これは最高百万円まで、保証があれば担保なしで融資ができることになっておりますが、これは炭鉱離職者なんかの場合と大体同じことになるのだろうと思うのですが、担保なしの個人保証だけで二十万円程度の融資が行なわれるのであります。大体こういうような援助で、この国際情勢の変化によって、ドミニカ移住者のやむを得ざる帰国に対して、政府としては万全の措置を講ずるという態度をとっております。  なお、数日前ドミニカから参りました小長谷大使の電報によりますと、一番新しい政府は、汎米諸国の認めるところとなって、国交断絶及び経済封鎖が解除された。それからアメリカの援助も加えられることになったということで、帰国を決意していた移住者も、現地にとどまる者が出てきたということでございます。われわれといたしましては、愁眉を開いているというのが実情でございます。  簡単でございますが、大ざっぱなところを御説明申し上げました。
  35. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員長代理 続いて農林省振興局長より説明を求めます。齋藤振興局長
  36. 齋藤誠

    ○齋藤(誠)政府委員 ただいま外務省からドミニカの移住者につきましての対策あるいはその前の経過の一般の御報告があったわけでございます。農林省としましても、今回ドミニカの移住者が事志と異なってお帰りになりましたことにつきましては、非常にお気の毒だと考えておるわけでございます。帰られました帰国者に対しましては、今移住局長からお話がありましたように、今後農業に入植を希望される方々に対しましては、農林省におきましても極力入植等のあっせんをいたしたいということで、せっかく各県と打ち合わせを進めておる次第でございます。またこれらの入植者に対しましては、先ほど話がありましたように、従来拓殖基金制度というものがございます。これは海外に移住する者に対しまして農協から資金を融通する場合に、その協会から融資の保証措置をとることになっておる制度でございます。この制度を活用いたしまして、今回帰ってこられて、新しく農業に従事しようという方に対しましての融資措置につきましては、この拓殖基金協会を活用して、融資保証の措置を講ずるということに、特別の措置を講ずることにいたしたわけでございます。一戸当たり三十万円を限度として、そういう道を開くことにいたしておるわけでございます。入植可能の場合におきましては、従来の国外の拓殖者と同じような扱いで、助成措置を講ずるということにいたしておるような次第でございます。  以上簡単でございますが、現在までの農林省のとっております措置について御説明申し上げました。     —————————————
  37. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員長代理 これより質疑を行ないます。  質疑の通告がありますので、順次これを許します。久保三郎君。
  38. 久保三郎

    久保委員 ドミニカ移民の問題については、八日に、帰国された関係者の方々を当委員会にお呼びして、事情をお尋ねするという予定になっておりますから、本日はさしあたりの問題を二、三お尋ねをしたいと思います。  まず第一に、外務省並びに農林省のただいままでの御説明では、政府は何らこれに対して責任というものを感じておらないように私はお聞きしたのでありますが、そうでございましょうか、いかがでしょうか。
  39. 高木廣一

    ○高木政府委員 移住関係担当の者といたしまして、この問題の処理につきましては、南米諸国にもおられる移住者全般を考え、将来の移住のことも考えて、このドミニカ移住の過去も考えまして、そうして結局はこのドミニカ移住者に対しましては、前向きになって、これらの方々が日本でりっぱに復活するように協力する、そうしてこのドミニカの移住というものを、われわれといたしましては十分よくかみしめまして、これからの移住の成功に資したい、こういうつもりで前向きの措置を講じておる次第でございます。移住者に対しましては、われわれといたしましては、一たん移住者として外へ出た人が、志を達せずして帰ったということに対しては、われわれ十分同情をいたし、これに対して政府としてできる限りの協力をするという態度でおるわけであります。
  40. 久保三郎

    久保委員 前向きの施策とか、十分協力を申し上げるとか、あるいは同情と言っておりますが、それは当然の話であります。私が非常にふんまんにたえないのは、先ほど申し上げたように、責任というのは感じておられないのかということです。今の話だと、おられないですね。そうだとするなら、私は続いてお尋ねしますが、事前の調査ははたして十分であったかどうか。事前の調査を十分にやっておられないというのが大きな原因であります。なるほどあなたの御説明では、昭和三十四年以来のドミニカ国内の政情の変化についてお述べになったが、これはいいわけだ。あとからできたものだ。それ以前の調査に不十分であったから、まず事志と違ったというのです。それが証拠に、これは三十年の八月に両省から一カ月間にわたって移住適地調査団を派遣しておるが、この一カ月間の調査ははたして完全であったかどうか。さらにもう一つは、ネイバ、ドウベルヘあるいはハラバコア、こういう三つの地区の問題にしぼりましても、ネイバとドウベルへ両地区の調査は、募集開始が三十二年の七月にやっておる。調査は九月じゃないですか。しかもこのネイバの募集要項の中には、土質についてはあとから送るという処理をしておる。こういうことでは、はたして完全な調査をやっているとは思えない。さらに一つ、これは募集要項ではなくて調査、これは農林省から出たものでありますが、農林省から出たネイバ地区の一つの例でありますが、これは石があるということをやはり認めておる、こういうことが一つ。それからもう一つはやはり三十一年の七月に移住されました漁業関係の問題であります。これは全然調査をされないで移住を進めたんじゃないですか。しかも調査は、三十二年の六月に水産庁の調査船がたまたま回ったのでそれに依頼した。ところがその結果はどう出たんです。漁業が適当であるかどうか、出てないじゃないですか。そして転々とこの漁業移民を引き回した。全部財産を処分して行った者が、裸一貫だけじゃなくて、身も心も弱り果てて帰ってくる。この責任をまず第一に政府は感じておるのかいないのか、私はくどいようだが聞きたい。
  41. 高木廣一

    ○高木政府委員 ネイバの移住地の調査につきましては、中田技官が参ります前にドミニカ政府及び現地の大使館が行って、そして先方の資料でとりあえず募集を始めてくれということでやっております。  それからもう一つ石ころの問題でございますが、これは相当石が多いことは中田技官の報告にも出ております。ドミニカの移住地におきまして考えられますことは、これは他の、たとえばペルーとかその他のところも同じでございますが、こういうところは、一番問題は水でございます。そしてネイバの移住地につきましてはキャナルを作るということでできておるのです。そしてこれは募集のときにも最初から百タレアはできないから五十タレアということで、結局は八十タレアあまりの耕地が整備されていたわけであります。そしてこれは私も昨年ドミニカに参りましたが、あの地域の移住地、同じようなところに砂糖会社のサトウキビ耕地がございます。青々としております。それは地勢そのものはあまり違いありませんが、そのまん中に非常に大きな幅の川が流れておるということが原因でございます。ネイバの移住地につきましては、行かれた方々が、日本の移住地と違うために、最初びっくりせられたのだろうと思います。従ってこういうところではという御意見もあったのであります。しかし、入られたのが三十二年の暮れでございまして、三十三年に大使館でドミニカ政府に話してほかの地域の土地に変えることの申し入れもしておりまして、そのところを見にいこうかと言うているうちに、ネイバ地区ではバナナができ、ブドウまででき、バナナの値段が非常によくなったということでこれがさたやみになって、去年の三月までは結局はネイバは問題なかったのであります。結局は生活補給金がストップになったということが一番大きな心理的な打撃であり、それからトルヒーヨの政治的動揺というものが実際上問題でございまして、これは国際情勢に基づくやむを得ない実情である、といってわれわれは移住者に冷淡に言っておるわけではなく、移住者として海外に行った日本人が成功し、また帰ってこられた場合にも悲観させないようなベストの力を尽くすということは、十分責任を感じておるわけであります。ただ、しかしながら、損失補償という問題になりますと、これは南米諸国におる在留邦人にも影響いたします。従って、移住者は、戦前の移住者は南米なり、カリフォルニアでもそうでございますが、非常に苦労をして、そうしてたたき上げるということで相当きびしい意見を持っております。また戦後の移住者はそれとまるきり反対であって、南米へ行くのは楽をするために行くのだという気持も強いようであります。われわれとしましては、その中間をねらって、日本の移住政策のこれからを賢明に推進しなければいけない。両端に片寄ってはいけない。こういうふうに思っておりまして、そういう高い見地からドミニカ移住者に対して移住者自身の将来とそれから移住全体の将来というものから見て、最も賢明と思われる対策に全力を尽くしておる次第であります。
  42. 久保三郎

    久保委員 あなたのおっしゃることは、開拓はつらいものだ。あたりまえの話です。つらいことを承知でみな行っておるのです。しかし、そのつらさを越えたものだから帰ってきた、また帰したのでしょう。そこの原因についてやはり反省がなければうそだろうと思う。国で補償するかどうかは別問題として、反省するかどうかがまず第一で、やはり事前の調査が十分でなかったことは事実じゃないですか。いかがですか。
  43. 高木廣一

    ○高木政府委員 調査につきましては、その当時日本としてできる限りの調査をしていたと思います。
  44. 久保三郎

    久保委員 大へん言葉は悪いのですが、それは責任のがれというのです。その当時の日本としては、できる限りの最大限のあれだ、こういっていらっしゃる。これは言いわけです。実際に移住者を成功させるという方針のもとであるならば、十分な事前調査も必要だし、向こうに入植、移住されてからもいわゆるアフター・ケア、こういうものも十分にやらなければいかぬ。ところが大体においてこれは八日にならぬとよくわかりませんが、たとえばネイバ地区の移住者が出先に対していろいろ要請しても、これは真剣に取り上げてくれたような今までの報道はない。あるいは真剣に取り上げておるのかわかりませんが、何か役人のワク内での話だけです。公式的なんだ。親身になってこれをどうするかということにはわれわれ自身はまだ受け取っていない、そういうところにも私は問題があろうかと思う。これに対して十分手を尽くしたのですと言うが、手を尽くしたということを歴史的にかいつまんで述べて下さい。
  45. 高木廣一

    ○高木政府委員 ネイバにつきましての移住者の希望あるいは転住についての希望をドミニカ政府にはそのつど言うてあるのであります。ただ、ネイバの場合には、入って早々、こういうところでは入れないという問題なんかがありまして、この点についてはまず仕事を始めてもらおうじゃないかということは先方の非常に強い要求でありまして、結局だから移住者が言うた転住を最初にすぐできなかった。しかしながら、これは移住者から見れば何にもやっておらないようでありますが、出先大使館としては先方に強く言っておりました。ただ先方のドミニカ政府から申しますと、ネイバの移住者が入りましたときには、すでにほかの地域も入っておりました。どこでも一番いいところに勝手に行けるのだ、こういうような印象を持たしたくないというのがドミニカ政府の考えでございます。これはたとえばネイバにいたしましても、その他のドウベルへにいたしましても、ドミニカ政府は相当の工事費をかけてキャナルを作り、大体三百万ドル以上の金をこのキャナルに使っておるのであります。そういう点からいいましても、初めの先方との話し合い及び募集の要項からも、勝手にどこでも行けるというようなことになっておらないので、われわれとしても、着いて早々移住者の言う通りほかへ移すことができなかったということでございまして、移住者側から見たら冷淡のように見えますが、こちらでは、大使館は一生懸命になってやっていたのであります。
  46. 久保三郎

    久保委員 いずれにしても、今のお話は現地から戻られた人も最近参りますから、その場所でよくお話を聞いてからさらにどの程度か判断したいと思います。ただ、申し上げたいのは、ハラバコア地区にしても、過剰入植になったということも、一貫した政策がないからではないかと思います。過剰入植になっておる。それでこれも三十二家族ほど今日まで帰ってきておる。はたしてどこからこういう過剰入植になったのかわかりませんけれども、とにかくドミニカ内部においての移動、こういうのも何とかしたのだが、ぼろを出さぬようにここで押しとどめておこうという気持が、役人的に先行したのではなかろうかという気持がどうしても私はぬぐい去ることができない、これが一つ。  それからもう一つは、外務省の出先ともあれば、多少狂いはあろうかもしれませんが、その当該国における政情の推移、こういうものについては、ある程度の見通しができるはずだと私は思う。それが一つ、無理かもしれませんが。  それからもう一つは、今日起きておるハラバコアでは、大体において現地人の土地を国が買い上げて開拓地にした。それで政情不安定になって、最近の新聞を見ますと、土地を返せということで現地民というか、ドミニカ人が略奪、暴行を加える。こういうことに対して万全の措置をとっておるのかどうかということでございます。なるほどやってはおられるような話をするでしょう。しかし、現地からこういう情報が入ること自体に、われわれ自身はどうしても外務省出先に対して不信の念を抱かざるを得ない。  それからもう一つは、これまた八日に聞かなければなりませんが、外務省の出先に会ったときに、日本の国に直接いろいろなことを言っていくようなことがあったならば、それは安全を保障しないというようなおどかし文句まで出先が出しておるそうであります。これ一つ見ても、審査するならば、断じてあなたがおっしゃるような考えで出先はおらないと思いますが、いかがでしょうか。
  47. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員長代理 ちょっと委員長からよけいなことかもしれませんが、御答弁を聞いておると、単に損失に対する補償の責任でも生ずるおそれがあるかもしれぬというようなことで、御答弁になっておるようにも聞こえますが、委員諸公は、移住政策の根本問題について、将来のために、日本のために、非常に真剣に考えておられるのですから、真実をここで知りたい、ほんとうの姿を知りたいというふうなことが委員諸君の真意だと思いますから、それに即して、損失の補償とかなんとかいうことはまた別の問題ですから、御答弁願いたいと思います。
  48. 高木廣一

    ○高木政府委員 ハラバコアに、この間の毎日新聞では、暴動があって、どうこうという非常に大げさなニュースがございましたので、われわれの方も電報を打ちまして事情を聞きました。実はその前にも、われわれの方はドミニカの政変があるつどに、現地の大使からもドミニカ政府に日本人の保護について厳重に申し入れて、それから移住者の状態についても注意しておるというような連絡がありましたが、数回政変がございましたので、われわれの方からも念のために十分日本の移住者の保護を要求ずるようにということを言うておりましたが、一昨日連絡がありまして、移住地全体といたしまして、ハラバコア以外は非常に安静でございます。ハラバコアは日本人が一部帰って参りましたので、その点でどさくさでございますので、ドミニカ政府は軍隊を出しまして、そして移住地の保護に当たっておる。それから現在は、ハラバコアの治安に関連いたしまして、非常に安定をしていて、何ら問題がないということを言ってきております。そして、毎日に出ておりました日本人連盟というものは、一部の人々が内地に帰られた人と呼応してやっておられる。それに非常に不満を持って、あそこの日本人はこの連盟から脱退して、この連盟というものは解消しておるということが言われております。  それから、現地の大使が非常に冷淡なことを言っておられる、移住者も盛んにそれを言われるのでありますが、実はドミニカにおられます小長谷大使という人は、個人的にもしおわかりであれば御存じだと思いますが、外務省の中でも非常にやさしい人であり、そんな官僚的なことを言うことは全然ない人であります。しかしながら、移住者の立場から見れば、大使館へ来ていろいろお話をする場合に、そういうふうにお考えになるのもやむを得ないかと思います。われわれの中でも非常におとなしいやさしい人でございまして、そんな乱暴なことも言える人でもないのでございます。  それから、政府の責任の点を申されましたが、ドミニカのトルヒーヨ政権の前途というものは、昭和三十一年興こりましたころ、今日あることを想像することは非常にむずかしいことでありました。ことにドミニカ国に対してアメリカ諸国が国交断絶して、しかも経済封鎖するというようなことはかってないことでございまして、われわれは夢想だにしなかったわけでございます。そういう結果、ドミニカが国防費を使い、生活補給金——これが一番のたよりであったと思うのであります。そして一番魅力だったと思います。これがストップになったということが移住者動揺の原因でありまして、これに対してわれわれ外務省としては、在外邦人、移住者に対する保護援助というものについては万全を期するということでございますが、国際情勢の見通しが悪かったということは、これはちょっと無理な要求であるかと思います。
  49. 久保三郎

    久保委員 政情の見通しについて誤ったとは言えない。決して言ってはおりません。見通しは無理かもしれぬが、大体わかるのじゃないか。ただし、その場合政情が急変して、日本国民がその場所で生活なり生命、財産というか、そういうものに重大な支障ができるということが予想されるわけであります。であるから、移住者から直接陳情や要請がなくても、出先は、これに応じて適切な方途をとるのがあたりまえじゃないですか。なるほどあなたがおっしゃる通り、経済封鎖のために農作物の暴落があった。これに対して補給金も切られた。その場合は当然何らかの措置を現地においてやらなければならぬ。その措置をやったのですか。
  50. 高木廣一

    ○高木政府委員 実は今のハラバコアなんかの場合は、現在残っている人の方が多いのでございます。そしてこれらの方々は、お帰りになった方々とまるきり違う考えを持っておられて、われわれはここで十分やっていけるのだということを言っておられ、むしろ日本へ帰った方々が、ドミニカは非常に悪いところで、移住地としてはだめだと言われることに対して非常に不満を持っておられる、こういうような点は非常にデリケートなところでありまして、われわれとしては、しかしながら、経済封鎖のもとにおいては過剰入植だということで、思い切って帰りたいという人に対し国援法で帰すとか、あるいは南米転住を考えるというような措置を講じたのであります。われわれとして責任を感じておればこそ、こういうことをした次第であります。
  51. 久保三郎

    久保委員 責任を感じておればこそそういう措置をとったということでありますが、むしろ早くそういう措置をとって、もっと拡大しないように考えればなおいいのじゃないかと私は思うのであります。こういうのは、いずれ詳細な事情を聴取しなければわからないと思いますが、一方的なお話で……。  なお聞きます。ハラバコアの問題が出ましたが、ここで一つ資料を要求しておきます。過剰入植になった、それで間引きということで帰還されたということでございますが、ハラバコアに当初から入植して残っている者はどういう者か、途中からここへ入植した者で帰国した者があるかどうか、そういう資料を提出してほしい、こういうふうに思います。  そこで、水産庁というか農林省にお尋ねするのですが、水産庁の練習船がドミニカの漁業調査をしたというのだが、その結果がどういうものであったのか、当時。
  52. 鶴我七蔵

    鶴我説明員 水産庁の東光丸がブラジルを主として漁業調査したあとで、ドミニカ近海を漁業調査いたしました。その資料につきましては、かなり詳細な調書が出ておりまして、ただいまここに持って参りませんが、かなり詳しくドミニカの漁場、魚の資料等について記載してあります。
  53. 久保三郎

    久保委員 調査はできたが、そのときに当然現地、出先にこれが非公式であっても連絡して、成功するものか、あるいは漁法を変えた方がいいか、そういうふうないろいろな問題があると思います。これに対して練習船はどうやったということになっておりますか、いかがですか。水産庁まで持って帰って外務省に連絡したのですか。しかもその結論はどうなんですか。ドミニカへいわゆる漁業移住をされたのでありますが、これがそのままで成功するという結論でありましたかどうか、簡単に……。
  54. 齋藤誠

    ○齋藤(誠)政府委員 ただいま御質問のありました中南米の漁業調査のために東光丸がブラジル近海の漁場調査に参ったのでございまして、特にドミニカ移民のために調査に行ったというわけではないわけでございますが、たまたまその間におきます沿岸地帯の漁業調査を行なった結果が、農林省には報告になっております。  報告の要旨を申し上げますと、漁業移民の入植地であるマンバニロ湾の沿岸から百メートルから二百メートルの浅海域が見られるほか、急に急傾斜の深海に入って、水深が七百メートルに達するようなすりばち型の形状を有する小湾である。従って、底びき漁業の可能性はほとんどないと考えられるので、特に底びきの調査は実施しなかった、こういう報告が出ておるわけでございます。従って、これは特に移住との関係調査したわけではございませんので、東光丸から一般に沿岸地帯の調査報告として農林省報告が参っておる、こういうことであります。
  55. 久保三郎

    久保委員 いずれにしても漁業の関係については、事前の調査はもちろん、事後におけるものも今の報告のように不完全であって、移民を出す責任体制は整えられないままに、移民されたということに一つはなろうかと思います。外務省はこれを承知しますか。
  56. 高木廣一

    ○高木政府委員 ドミニカの漁業につきましては、ドミニカ政府と日本の出先公館との話し合いで開始いたしました。事前の日本側による漁業調査はやっておりません。
  57. 久保三郎

    久保委員 調査をやらぬで失敗して同情に値するということだけでは、残念ながら移住政策というものはないだろう。移住をさせたということだけであって、政策がないとわれわれは考えております。いかがですか。
  58. 高木廣一

    ○高木政府委員 漁業の移住者につきましては、特に今のキューバの侵入軍関係で海軍が日本人の漁場としておりましたところを制限区域にいたしまして、漁場を変えろというようなこともございました。それで初めのうちは漁業移住者も割合小さい船を持っておりましたが、うまくいっているときもあった次第でございまして、ただいま言いましたように、キューバの侵入があって海上を向こうの海軍が封鎖するというような結果、漁業ができなくなったというのが実情であります。
  59. 久保三郎

    久保委員 キューバの海軍が海上封鎖をしたのではなくて、一カ月間は魚はとれたそうです。これは八日の日に聞きます。あとはどこへ行ってもとれなかった。封鎖のためじゃないのです。実際は調査をしておらないのです。先ほどの御報告も、経過の問題についても、漁業についての事前調査なり事後調査も何もありません。これはいずれ資料を出していただきたいと思います。  それからもう一つは、農業移民の問題ですが、いわゆる調査の結果と時期がはっきりしていないので、きっちりしたものを出してほしい、こういうふうに思います。しかも募集の要項と食い違った点がありますから、これも一つ詳細に説明の必要があれば出してほしいと思います。  それから、小長谷大使が非常にやさしい人であるという説明がありましたが、私はいまだお会いしておりませんし、人柄もわからない。これは人柄の問題をお尋ねしておるのではなくて、そういう事実があったということでありますから、いかがかということで聞いておるわけであります。これも八日でいいでしょう。それぞれ帰還された者から聞くつもりであります。いずれにしても、われわれの聞いておる範囲では、どうも外務省、出先としては十分な措置が講ぜられておるとは考えられないと思います。それから農林省もやはり農業移民、漁業移民については責任があるのでありますが、この調査自体についても責任があると思います。  そこで農林省にお尋ねしたいのだが、先ほどの外務省からの御答弁では、ある程度の石などはこれは普通なんだというようなことを言っておりますが、はたしてそういうようなもので農業がやれると思ったのかどうか、ここのところはどうですか。  もう一つは、この募集要項の中でも、これは想像でありますが、その周辺に流亡等の多いところがたまたま入植地になったのではないかとさえ思うのであります。しかも表土の層が非常に浅いところが多い、こういうことで、掘れば掘るほど石が出てくることはあたりまえです。  それからもう一つ、どこの地区でありましたか、盆地になっておって排水が不完全である。調査では不完全であると言っておる。ところが募集要項には排水は完備したと書いてある。この点は現実にどうなんですか。
  60. 齋藤誠

    ○齋藤(誠)政府委員 ただいま漁場調査なり農業の適地調査につきまして質問があったのでありますが、農林省といたしましては、できるだけ現地の実情把握という意味と、それから適地にできるだけ入植させるという意味で従来から調査をいたしておったわけでございます。漁場調査につきましては、若干意味が異なりまして、これはブラジルなり東支那海なり、あるいはインド洋なり、各地の漁場調査ということで出向いておるわけでございまして、この一環として水産庁所有の東光丸でブラジル沿岸の漁場調査をいたしたというわけであります。今回のドミニカの入植地につきまして、特に問題のありましたネイバ地区あるいはハラバコア地区につきましては、農林省におきまして、当時の拓植課の職員でありまする技官が調査に参っておるわけでございます。この調査も実は南米各国を回りまして、ベネズエラ、ブラジル、アルゼンヂン、パラグァイ、ボリビアを経ましてドミニカにもその一環として調査に参ったわけでございます。御指摘の調査地区につきましては、石ころが多い、あるいは農耕不適地ではなかったのであるか、こういう御質問でございます。これは現在のところ私の方ではこの調査をいたしました係官からの報告による以外は、他の引き揚げてこられた方々の御意見なり、あるいはその後外務省で現地を調査されました状況によって判断する以外にはないわけでございます。この中田技官の調査によりますると、ネイバ地区、それからハラバコア地区につきましては、若干事情が違うようでございまして、ネイバ地区におきましては、確かに指頭大からこぶし大の石ころがある。しかし、表土自身につきましては、有効性燐酸に富んだ、置換性石灰に富んだ土地であり、酸性度から見ましても、ペーパー七・二というんですから、若干アルカリがかった土地だと思いますが、そういうような土地でありまして、今後水利関係が十分であれば、農耕には必ずしも不適地とはならない、適地である、こういうことを結論として報告しておるわけでございます。確かに砂壌土のようでございますから、その上降雨量が年間千ミリ程度で、平均年温度が二十五度でありますから、相当水の量というものが農耕に重要な関係を持つように思われるわけでございます。報告によりますと、水が不足するおそれがあるけれども、目下別の水源からの水路を施工中であるということで、この水の確保につきまして十分な措置が行なわれて、その後において十分供給できなかったような事情があるということを聞いておるわけでございます。当初十二時間の用水が、その後におきましてさらに削減されて、八時間になり六時間になりというふうに制限を受けたというふうな状況を聞いておるわけでございます。そこで熱帯性の作物であるバナナであるとかマンジョカであるとか、そういったものが作物になるわけでありますから、やはり水の量が農耕には非常に影響するところではないかと思われるわけであります。ただ御指摘になりました表土が非常に浅いではないか、この報告によりますると、この表土は一メートルぐらいというふうに書いてありますけれども、土の成因は必ずしもつまびらかでない。従って、どうも全地域について完全踏査の上で土壌検定をやったかどうか、この点は必ずしも不明でありますけれども、やはり御指摘のようなところもあり、また相当表土の深いところもあったというようなことではなかっただろうかというように思われるわけでございます。本人自身につきましては、この調査自身について自分としては十分なことをやっておる、こういうことであったわけでございます。
  61. 久保三郎

    久保委員 いずれにしても、今農林省振興局長からお話を聞いても、われわれが、調査なるものを、今まで得た資料を読んでみましても、ほんとうに移住者の気持になって、成功させようという気持になって、しさいに検討したとは断じて思えない。なるほど、全般的に遠くの方から見て、この辺ならばこういうだろう、しかも、調査もドミニカのいわゆる移民計画に伴っての調査ではなさそうです、実際いうと。あちらこちら回って、ついでに調査をしようという、しかも、不思議に思うのは、募集から送り出しまでの期間が非常に短い。そのために調査も十分でないという、こういうものは、これは将来のためにわれわれはいろいろ聞かねばならない。募集から送り出しまでが、一カ月そこそこに横浜の港なり神戸から出発させておる。これは断じて真剣な移民政策とは私は思えない。これに対して外務省、どうですか。
  62. 高木廣一

    ○高木政府委員 ドミニカ地域の調査につきましては、最初は昭和三十年八月に農林省の近藤技官、外務省の当時メキシコの書記官をしておりました林屋、及び本省から吉岡、この三人がドミニカの各地を回りまして調査をしております。これは主としてダハボンとコンスタンサとを選んだのであります。  それから、今のネイバにつきましては、さっき申しましたように、当時の吉田大使が、ドミニカ政府の資料をもとにいたしまして詳細な報告を電報で打ってきております。しかし、それをさらに確認するために中田技官に行ってもらったというのが実情でございます。  政府がドミニカの移住について非常に冷淡で真剣に本腰を入れてなかったという御叱責でございますが、私当時のことを想像してみますならば、戦後の日本の移住が始まりましたのは、昭和二十八年に、十七家族五十何名かアマゾンに入りましたのが最初でありました。このドミニカの話が出ましたのは、昭和二十九年であります。アマゾンの移住者も、わずか五十何名でありましたが、トメヤスのベレンにおける日本人の成功しておる百姓のところに行きましたが、これが、日本から行った人は大体町の人が多くて、現地とえらいけんかをして、そうしてこれを脱出したというようなこともありました。当時、今日のごとく南米諸国に自由に行ける状態でもございませんでした。そのときに、ドミニカは、これに似た国はベネズエラもそうですが、非常にドルの値打が安くて、軽く金がもうかるというような状態で、そうしてこういう生活補給金をもらえるということでございましたので、官民全部がこれに非常に魅力を感じて行ったというのが実情であると思います。そういう行き方も移住の一つの行き方でありましょうし、また南米のような広いところに入れるということも一つの行き方であって、行き方としてはいろいろの行き方があると思います。当時の事情を考えますと、ドミニカのような、当時は政情も安定しておる、しかも六十ドルから百二十ドルという生活補給金をもらえるということが非常な魅力で、官民ともにこれに飛びついたというのが実情であると思います。
  63. 久保三郎

    久保委員 いずれにしても、次の機会にまたお尋ねしますが、たとえばダハボン一つとっても、ダハボンの土地自身も、先ほど申し上げたように、表土の流亡が周辺ではすでに現われておる。それからもう一つは、灌漑の施設が予定されておるが、水田はやめて畑地灌漑に回したらいいだろう、こういう募集要項です。ところが、ダハボンの移住者からの要望は、いわゆる耕地として不適当である、さらに水が不足でだめだというような結論が出て、それで帰還されたものも何家族かあるというように聞いています。そういう食い違いは、先ほど繰り返し申し上げたように、事前の現地調査が不十分であったことがわかるだろう、こういうように考えるわけです。それから農林省も、これは大体において外務省が移住の政策というか行政は主としてやるということになっているそうでありますが、送り出すのは大体漁民あるいは農民、こういうことでありますから、これに対して完全な、いわゆる密着したところの政府としての政策の実行には相当事欠いたものがある。それがたまたまこのドミニカに現われたのだろう。昨年は解決したからあまり言いたくありませんが、グワタパラの問題一つとっても、これはどうもわれわれ自身が今日まで感ずるには、両省のセクショナリズム——と言っては語弊があるが、役人的な縄張り根性が、一つには促進でき得ない。さらに、不幸にしてドミニカの問題は、そういう問題も一つあろう、こういうふうに思うのです。これは言いたくありませんが、そういうふうに言わざるを得ない。しかも、これからいろいろ調べて問題になると思いますが、いずれにしても、そういう事前の調査あるいは事後におけるところの対策、こういうものが真剣に取り上げられていないようにわれわれは思う。思うというよりも、今日何家族かは、やむを得ず国費によって帰還せざるを得ないという事実は、何としてもおおうことができない事実でありますから、これはやはり反省すべきだと思うのです。  いずれにしても、私は八日にまたお話を伺いますから、先ほど申し上げたような資料は全部取りそろえてほしい、こういうふうに委員長にお願いしておきます。
  64. 高橋英吉

    ○高橋(英)委員長代理 木村公平君。
  65. 木村公平

    ○木村(公)委員 これは農林省振興局長さんにお伺いすべきであろうかと思うのでありますが、あまりにも今度帰ってきた人とあなた方の御提出になりました資料との間に開きがあるのです。どちらがほんとうか、どちらがうそかということを、この委員会で究明せざるを得ないと私は思うわけであります。  ここに、今度のドミニカ国のネイバ地区からの引揚者連盟と称するものがありますけれども、その諸君が紹介議員を経て請願いたしておりますが、その請願の内容にこういうのが書いてあります。「回顧致します時、去る五年前海外発展を目指し移住政策の母体たる当局の公募を信じ、勇躍ドミニカ国ネイバ地区に入植致しました。而し乍ら、現地の耕地を一見した時、日本の川原同様の石畑で唯々呆然と致しました。資料に記してあります様に最後迄建設的に所期の目的達成の為粉骨砕身努力致して参りましたが、打開策は悉く却下され遂には家族の生命保持すら維持困難の状態に至り止むなく帰国を決意致しました。」とあります。しかるところ、ただいまの移住局長並びに振興局長の御答弁等によりますと、ネイバ地区は、吉田大使の調査並びに中田技官の調査によれば、土壌もいい、気候も大体よろしい、結論的にいえば、水利も悪くはない、近郊の営農状況も非常にいいように書いてあります。ことにその土壌の説明の部に「転石をやや多く含むが農耕には支障ない。」ということを断言している。気候等についても、われわれ常識から考えてそう悪い気候とも思われません。それから水利に至っては、これまた「目下別の水源からの水路を施行中」とも書いてあるが、一番初め「地下水位は不明(地形状から見て可成り深いと思われる。但し上水道は宅地地区まで来ている。)」とあって、ところが「現在ある水路では水が不足するおそれあり、目下別の水源からの水路を施行中である。」と書いてある。それから近傍の営農状況は、すこぶるいいように書いてある。「この地区は表土深く水さえやれば熱帯性作物は何でも出来るが、特に適作物は落花生、いんげん、わけぎの様な野菜、フルーツバナナ、料理用バナナ、果樹では、パパヤシ、マンゴ、ぶどう等である。落花生の栽培方法は日本と同じで収量はタレア当り一キンタール(約一〇〇キログラム)でキンタール当り八ペソに売れるからヘクタール当二六六ペソ邦貨九六〇〇〇円の粗収入となる。この地方はバナナの適産地である。北米欧州に輸出している。バナナの平均収量はタレア当り百房で販売価格は一房一ペソ」すなわち、その当時一房が一ドルであります。「栽培密度は二ないし二・五四方に一株で、バナナ園では下草に日本のくずの様な草を繁らせ家畜の飼料にしている。又百メートル四方位を竹林の防風林で囲む。生産物は会社に共同出荷する。」というふうな報告がありまして、これを見ますれば、大体移住地の適地として行くのは無理もないと思うのです。ところが帰ってきた人の話を聞くと、全くこれと逆で、「移住政策の母体たる当局の公募を信じ、勇躍ドミニカ国ネイバ地区に入植致しました。而し乍ら、現地の耕地を一見した時、日本の川原同様の石畑で唯々呆然と致しました。」と書いてある。これはどちらがほんとうで、どちらがうそかということはわからない。私どもは直ちにお役所を信ずるわけにも参りませんので、二、三日あとに引揚者を呼んで十分お聞きはいたしますけれども、あまりにも違っておるのですが、あなた方は、この役所の御報告に対して信憑性ありという確信があるかどうかということをまず承っておきたい。
  66. 齋藤誠

    ○齋藤(誠)政府委員 今お話しになりましたように、農林省の当時の調査の結果によりますと、そういうふうな報告になっているわけでございます。私も現地を見たわけではございませんけれども、調査の責任者である技術官が一応見た現地の状況でございますから、これは一面として私は信ずる以外にはないと思うのでございます。しかし、私もまた引き揚げて来られた方々のお話もじかに聞いておるわけでございます。確かに石ころは非常に多く点在している。これは写真を見てもそのようになっているわけでございます。ただ、そういうふうな地域もありますけれども、他の報告によりますと、そういう石ころについては、レーキドーザーでかき寄せれば農耕の適地としてはなるであろうということも書いてあるわけでございます。また現地の状況自身につきましても、現在の日本の農地の状況でものを見て判断するか、あるいは現地の営農状況において、熱帯植物の生産が同じような条件で行なわれる場合にはどうであるかというようなことについては、やはり若干異なるのではなかろうかという気もいたすわけでございます。調査の分、それから現地における状況におきましては、たとえば地域全体について、非常に石ころの多いところもあれば、また一部表土の深いところもあるというように理解せざるを得ないのではないだろうかというふうにも思うわけでございます。また現地から、従来ドミニカの入植者としてネイバ地区の営農状況について報告があった手紙等もわれわれは入手いたしておるわけでございますが、はなはだ恐縮ではございますけれども、これについてはまた違う角度で御報告になっておるようなところもあるわけでございます。従って、私どもといたしましては、現実に見ておるわけではないわけでございますので、正確にどうだということは申し上げられないのでございまして、現地で実際に入植し、営農された方の御意見もこれまた真実だろうと思うのでございますが、技術者が一般的に見た報告としては、これまた入植の適地であるということも、いろいろの事情を判断いたしまして、そうだと思うわけでございます。
  67. 木村公平

    ○木村(公)委員 これはなかなか重大なことでして、もしも移住者が故意に、適地であるにもかかわらず、大げさに適地でないようなことを言って、ほとんど現地を知らざるところの国会議員等に請願をして、国会議員の力によって引き揚げてきたというようなことになりますと、事は重大なんです。こういうことが書いてある。「謹啓先生には益々御壮健で国政に御活躍の事と御喜び申し上げます。私共は先生の御尽力によりまして、只今帰国致して参りました。」この先生というのはここに書いてある某国会議員を言うのでありましょうけれども、しかし国会議員というものは、現地をほとんど見ていないはずだと思います。その何にも知らない国会議員を通じて、もしも事実であればよろしいが、事実を歪曲して、適地であるにもかかわらず、帰りたいがために不適地であるかのように、大げさなことを国会議員に告げて、そして何にも事情を知らない国会議員が政府に働きかけて、国会議員の圧力等によってもしも帰国ということが実現するということになったら、事は重大です。   〔高橋(英)委員長代理退席、小川   (豊)委員長代理着席〕 これは従って調査が粗漏であるのか、それとも引き揚げてきた諸君の感じ方、言い方が歪曲されておるのか、そういう点については当委員会においては十分調査をする必要があると存じますので、御如才はなかろうと思うけれども、この調査資料に対して信憑性があるという確信をお持ちになられるまで、もう一度御調査を願って、次期の委員会に御提出をいただきたい。このあなた方のおっしゃることが万一間違いが絶対ないというならば、引き揚げてきた人たちの言うことが間違っておるわけだ。しかもその間違いによって国会議員が踊らせられるようなことがあったら、あるいは操觚界、言論機関、マスコミ機関あたりが間違ったことによってもしも踊ったようなことになってきましたならば、事は重大でありますから、この点についてあなたの方の調査資料について、これは絶対信憑性があって間違いないという確信をこの次までに一つ資料として御提出をいただきたいと存ずる次第です。
  68. 齋藤誠

    ○齋藤(誠)政府委員 実はドミニカについての調査報告を本委員会へ出せという御意見がございましたので、中田技官の報告書をこのまま出したわけでございます。従いまして、これについて別個に真実かどうであるかという調査については、実は農林省にはないわけでございます。別途現地等におきまする事情につきましては、あるいは在外公館から報告があるかもわかりませんが、これはその当時における農林省の中田技官の調査報告書をそのまま出したのでございまして、そういう意味で先ほど私が申し上げたようなことでございます。  なお、調査の実態とその後におけるいろいろの問題につきましては、先ほど移住局長からもお話があった通りでございまして、その後におけるたとえば補給金の問題であるとか、あるいは灌漑施設の問題であるとか、あるいは農産物の販売市場の問題であるとか、そういったいろいろの悪条件がこれに加わるかどうかというようなことも、この問題についての実態を知る上においては非常に重要なことではないかと思うのでございまして、移住者の方につきましては、そういう悪条件の中で今日非常にお困りになってお帰りになったというようなことが相当あるのではないか、かように思うわけでございます。一言つけ加えさせていただきます。
  69. 木村公平

    ○木村(公)委員 ただいまの局長のお話は、結論的に申せば、今日当委員会に御提出になりました調査というものは、吉田大使、中田技官でありますか、これによった調査というものは信憑性がある、現地には自分は行っておらぬけれども、この報告は信ずるべきものであるというような御答弁であるかのように思うのであります。この調査が信憑性があるとすると、こちらの引き揚げてきた方の言われることは信憑性がないということに考えざるを得ないのでありますが、この調査というものは、おそらく万全を期して、多額な国費を使って調査をされておるのでありますから、われわれは信憑性ありと思いたいのでありますけれども、あまりにも言い分が違う。  そこでこの次の委員会において、われわれは引き揚げの諸君にいろいろ尋ねますが、そのときにあなた方はこの調査結果を支持できるかどうかということを一言伺っておきたいと思います。
  70. 齋藤誠

    ○齋藤(誠)政府委員 ただいま申し上げましたように、これは中田技官の報告をそのまま要約して出したものでございます。従って、われわれといたしましては、一応この報告によらざるを得ないというように思うわけでございます。
  71. 木村公平

    ○木村(公)委員 そうすると、次回の委員会において、現地を調査されてこの報告書を提出されました中田技官の出席を求めることができますかどうですか。
  72. 高木廣一

    ○高木政府委員 ちょっと補足させていただきますが、このネイバの方が三十二年に入りまして、非常に日本と違う、石ころが多いというショックを受けられたことは事実でございますが、三十三年になりまして野菜なんかをお作りになって非常によくできたという報告を受けております。  それから、土地を変えようという最初のあれで向こうの政府の話もあったのでございますが、その土地を変えることがさたやみになったということから考えますと、三十三年には野菜もでき、ブドウ、バナナ等もできた。問題は水がやはり問題であると思うのであります。そうしてネイバにつきましては、日本の移住者がいる付近にドミニカの移住者もやってきて水争いがあった。日本人の方が水をたくさんもらっていたということで、ドミニカ人がいろいろ意地悪をしたりなんかして、水争いをしたということもございます。それから、ネイバにつきましては、水が一番大きい問題であって、キャナルを増大するという努力が続けられながら、十分いかなかったということが原因だろうと思います。
  73. 小川豊明

    ○小川(豊)委員長代理 辻原弘市君。
  74. 辻原弘市

    辻原委員 先ほどから農林、外務両省の御答弁を承っておりましたが、現地の事情がどうあったかということについての皆さん方の言い分と、それから実際現地で体験をされた方の言い分、私どもは十分話を聞いておりますけれども、幸い八日には当委員会で詳しく御当人方の御意見を聞く機会を持っておりまするから、そこで事態ははっきりすると思いますけれども、しかし、その前段として、やはり重大な問題は、さっきから指摘をされておりまする一体政府が責任を持って現地の事情というものを調査したのであるかどうか。非常に不確かなファクターでもってこの移民というものを実行したのではないかという十分なる疑いを、私どもは、現地の方々に事情を聞くまでもなく、今日持っているのであります。  そこで私は、順を追って一つお尋ねしたいのでありますが、三十一年以来累次送り出されましたドミニカ地区に対する移民というものは、ただ単に呼び寄せ移民であるとか、あるいはそれぞれの移民希望者が民間機関をたよって移民をしたというケースとは違う。あくまでこれは国の責任において、国がその募集のあっせんを行ない、国が現地との話の取りつけをやり、しかもまた国が現地の調査をやった、そういう前提の上に行なわれたものであると私は考えます。まずその点、この移民については政府の責任であるという点を明確にしておきたいのでありますが、それについては、一体当事者であられる外務省はどういうふうに考えられておりますか。
  75. 高木廣一

    ○高木政府委員 両国政府の話し合いでこの話がまとめられ、政府の調査、及び民間団体でございますが、海外協会連合会が政府と連携いたしまして出したという点は、お話の通りでございます。
  76. 辻原弘市

    辻原委員 従って、この移民に対する最終的な責任の所在というものは政府にあると考えてよろしいか。
  77. 高木廣一

    ○高木政府委員 それは非常にむずかしい問題でございますが、ドミニカに日本政府が移住者を自分でリクルートして送ったのではなくして、こういうところがある、——当時ブラジルもございました、アルゼンチンもございましたが、こういう移住地があるということを宣伝いたしまして、本質的には移住者の自発的意思によって行ったということは言えると思います。しかしながら、そういう移住地の事情、またはそういう移住の取りまとめ、相手の政府との話し合い、こういうものはもちろん政府がやっている。そういう関係において、政府はこの問題に関係しておる。しかしながら、各移住地がある中を、ドミニカへ行こうと決意したのは、移住者の自発的意思である。当時ドミニカ移住については、プレミアムまでついたという話もございます。その間の事情を一つ御了承下さい。
  78. 辻原弘市

    辻原委員 行く行かぬについての決心は、御当人がやります。そんなことは聞かぬでも、私もよくわかっております。たとえば、話は違うが、ある一つの事業を計画する、あるいは催しものをやる、そういう場合にも、主催者というものがございましょう。あるいはいろんなことについてのあっせんをやるあっせん者というのがありますね。一体その主催をし、あっせんをし、取り結んだということについての最終的な責任者は、どなたであったか、私はそのことをお尋ねしたのであります。そういう意味においては、これははっきり政府であるということは、当時の経過からも明瞭であると思うのですが、その通りでしょう。
  79. 高木廣一

    ○高木政府委員 そのあっせんはその通りでございます。
  80. 辻原弘市

    辻原委員 これは政府が責任を持ってやった当時の移民計画です。それに基づくその扱いは、海外協会がおやりになったようでありますけれども。ここに私は当時の募集に当たった原本を持っておりますが、これを読みましても、先ほどから論ぜられたそれぞれの地区に対する概要の中には、今日、せっかく家財道具を売り払って海外に夢みて新天地を開拓しようとして行かれた移民の方が入って味あわれたような全く驚くべき条件というものは、この募集要項のどこにも現われておらない。たとえば、ネイバの地区においては、水量はドウベルヘほどには豊富でないが、同地区では入植後直ちに蔬菜類を栽培し得る。またバナナ、たばこ、ユカの栽培にも適すると書いてあるのであります。私は、こういう現地事情に対する調査、それとまた政府、外務省、農林省、あるいは海外協会が、どういうニュアンスでそのときに募集に当たったかということが、非常に重要なファクターであると思う。ここに当時海外移住のこのドミニカ移民についての新聞がありますが、私はここであまり悪口を言いたくない、あまりえげつないことを言いたくないが、最近いろいろな物品の販売をしたりする場合に、いわゆる故意な宣伝といいますか、今この新聞を読むと、極端にいえば、なんとか行きたいという人に錯覚を与えて、飛びつきそうな文言が書き連ねてあって、大きく見出しに、この恵まれた入植状況、また現地についても、先ほど私がこの募集要項の中で指摘をいたしましたような形、行けば非常に向こうは条件がいいのだし、農耕地としても十分日本人の移民であれば将来希望を持ってやれるんだよということを、いろいろな形において私は宣伝しておったと思う。ここに政府の重大な責任がある。それではこれだけ宣伝するだけの確固たるものがあったかといえば、私が今まで調べた範囲によると、なかったと私は断言いたします。なぜそういうことを言うか。ついさっき私は農林省からこういう資料をもらった。「ドミニカ移住地現地調査について」という資料。それを開きますと、調査概要として、近藤技官の調査というのがある。それはいつ行なわれたかといえば、三十年の九月一日から同年九月の二十八日まで、なお調査対象となって調査を完了した地区というのは、そこにあがっておりまするが、(イ)から(ヘ)まで、ダハボン、ラ・ゴラ、ラス・ラグナス等々と、こういうふうにある。ところが、今問題になっておるネイバ、ハラバコア、ドウベルヘ、これらは、三十年の調査では未調査地区として残っておったではありませんか。そうではありませんか。この農林省の今御提出になった資料を見ると、そういうことになっておるじゃありませんか。振興局長、どうなんですか。
  81. 齋藤誠

    ○齋藤(誠)政府委員 お話の通りでございまして、二回ドミニカの調査に行っておりますが、第一回は、三十年の九月一日から九月二十八日まで参っております。第二回目に参りましたのは、三十二年の九月七日から九月二十九日まで参りまして、その際、ネイバとハラバコア、ドウベルヘについて調査した。こういうことに相なっております。
  82. 辻原弘市

    辻原委員 そうだとすれば、このドミニカ移民の募集に当たったのは、特に問題になっておるネイバ地区——ハラバコア等については、これはいろいろ議論のあるところでありますけれども、私は、主として今ネイバを一つの例として皆さんに質問をいたしましょう。そうすると、この移民募集をやりましたのは、三十二年の七月四日に開始した。その募集を開始した当時においては、三十年の近藤技官の調査というのでは、少なくともネイバについては何ら日本政府が調査をしておらなかった、そういうことになるではありませんか。
  83. 高木廣一

    ○高木政府委員 ネイバにつきましては、中田技官が行く前は、吉田大使がドミニカ政府の係官と一緒に行って現地を見てきまして、そうしてその資料が日本の方に伝送せられまして、募集を先に開始したというのが実情です。これをさらに確実ならしめるために中田技官が行った。しかし移住者が日本を出ます前に、この調査は完了しておるのであります。
  84. 辻原弘市

    辻原委員 その際、さっき久保委員も指摘をされておりましたが、農耕移民ですから、一番重要な問題は気象条件、それから地質の条件です。その吉田大使の報告に、地質についての報告がありましたか。
  85. 高木廣一

    ○高木政府委員 地質のことは書いてございませんが、募集要項の内容が書いてあったと思います。
  86. 辻原弘市

    辻原委員 そういう適当な答弁をしてもらっちゃ困ります。私が質問している主体は、一体現地の地質条件がどうあったか、気象条件がどうあったか、農耕地としてはたして適地であるか不適地であるかの専門的立場に立った調査が完了しておらぬではなかったかということを質問している。吉田大使その他から報告があったことは、私はちゃんと資料を見で知っていますよ、知っていますが、それには、日本より、政府が責任を持って移民として送って、はたして十分やっていけるかどうかについての科学的、専門的なファクターがなかったということを私は言っている。そうでしょう。それがなかったから、その次に農林省としては三十二年に中田技官を派遣して、その他の未調査地区の調査をやって、そのときに初めてネイバ、ハラバコア、ドーベルヘ、その三地区をブラジルからのかえ地と称してやっておるのです。ところが、そのときの調査の方法も、これはさっき大村委員からも要求がありまして、私もぜひお聞きしたいんですが、中田さんが着かれたのは、たとえばネイバの場合には三十二年の九月十八日に着いて一泊しただけです。しかもそのときの調査報告が、先ほど言われたように——まあ詳しいことを述べるのは時間が要りますから省きますけれども、一泊をして、たった一日でネイバの報告書が出されている。「ネイバ地区は土層深く、その優秀なのに驚く、雨量年間、千二十ミリ」、そのことはその後中田さんが書かれた中南米紀行移住地現地調査の本、これを読めば全部出ています。これが正確な調査だということはさっきからいろいろ振興局長が言われておりましたけれども、いやしくも常識のある者であれば、少なくともこの調査報告書に重大な誤りがあることは、これは一目瞭然なんです。現に私はここに現地の写真も持っておりますけれども、行ってないからわからないといえばそれまでだが、それぞれの地区をとっているその写真を見てごらんなさい。さっきは石ころはエビの頭ほどだと言ったけれども、エビの頭どころの騒ぎじゃありませんよ。この石を見て下さい。こういう現地の状況なんです。ここに重大な私は調査のミスがあるということを指摘したいのです。中田さんは現在農林省にはおられないようでありますから、すぐさま来ていただくということは不便であります。何か現在は東京エックスカーべ−ターという会社に奉職しておられて、そこの業務部長をやっておられるようであります。しかし現在は政府に関係はなくとも、ぜひ一つ当時のいきさつについて中田さんからわれわれは詳しく聞く必要があると思う。今私がるる申し上げましたことでおわかりのように、募集当時は何ら地質その他についての正確な調査が完了しておらなかったということを率直に政府としては認めるべきだ。いかがですか。これは外務省、農林省は、ともにその点をやはり失敗は失敗としてはっきり認めることが、これは政府としての正しいあり方です。
  87. 高木廣一

    ○高木政府委員 中田技官の調査を一日と申されましたが、それは間違いでございます。ドミニカに着きまして、ネイバ地区は十日から十四日まで、ドーベルへ地区は十五日から十九日まで、二十日から二十六日がハラハコア、コンスタンサ、こういうことになっております。
  88. 辻原弘市

    辻原委員 一日というのが私の誤りだった場合は、訂正いたしましょう。そんなことは問題の重点じゃないのです。私の言っているのは、募集当時は何ら科学的な調査が行なわれておらなかったじゃないか、これについてはっきりお答えをしなさいと言っているのです。
  89. 高木廣一

    ○高木政府委員 この科学的調査につきましては、ドミニカ政府からの資料その他を見ておるのでありまして、それの基礎は、中田技官の報告にも若干うかがわれますが、FAOの資料、そういうものがドミニカ政府にあったとわれわれは了解をしております。
  90. 辻原弘市

    辻原委員 ここにこういうような調査報告書もあります。それは三十六年の五月八日、飯島事務官とそれからドミニカ海協連の支部長の池田さんが現地調査をした報告なるものが、海協連の会長あてに出されている。それを若干部分読みますと、こういうふうに表現している。「上村氏の報告書は、」——これはその後上村延太郎氏がやはり報告をした報告書について、さらに飯島事務官とともに池田さんが現地調査をしたときのその結果、前回の上村報告書に対する見解を冒頭に述べている。「過去の調査報告者等の」——この過去の調査報告者というのは中田氏のことですが、「立場も考慮して表現も内輪であるが、池田の経験よりしても、先年視察した、ブラジル、パラグァイ、ボリビア、アルゼンチン諸国の邦人入殖地や、青森、宮崎、岩手、山梨等、戦後の開墾、開拓地に比較しても、このネイバ地区入植地程、悪条件が重なっている移住地は他にちょっと見当らないと考えた。飯島事務官も同感であった。我々も口には出さなかったが内心ネイバ入植者等が良くここ迄頑張ってくれたものだと、この点は率直に認めた事である。実は当初、事前の調査に時間少く、当地の環境から、中まで入り、予定地を詳細に調べ得なかった事、失敗して決してその人の善意、良心に疑いはないが、ここに大きな過があった事は認めなければならないと思う。」以下さらに若干部分を読み足しますと、「尚、この地形、土壌は丁度日本の富士山麓、富士五湖附近とよく似て居り、ネイバ附近の降水の大部分は河原地帯の伏流水となって、下方のエンリキョ湖に注入して居る。途中の耕地には、特別の施設をしなければ、灌漑出来ず、従って、乾燥期は、何も栽培出来ぬ。」あとまだありますが、省きます。  今申しました飯島事務官等の調査においても、はっきりとこれは中まで入って事前の調査をやらなかった点は率直に認めなければならないということを断言しているのです。この事実を御存じですか。
  91. 高木廣一

    ○高木政府委員 中田技官については本人からよく聞かなければわからないと思うのでありますが、あの地形は、私も昨年参りまして、結局あの地形の一番問題は水であります。そしてドミニカ政府の計画はキャナルをだんだんふやしていく。最初入れたときは五十タレアしか分配できないということで制限したのでありますが、それは将来キャナルをだんだん大きくしていくという計画であって、確かにドミニカ政府はキャナル拡大の計画を真剣にやっていたわけです。それがなかなか思うようにいかない。だから生活補給金というものを続けていたんだ、こういうふうに思うのであります。結局このドミニカにおける国際情勢とか財政状況経済状況というものが、ドミニカ政府をして最後にはキャナルの拡大その他の工事ができないばかりでなく、生活補給金すら減らしたりあるいはストップせざるを得なくなったのが実情で、そういう実情に即して、われわれといたしましても過剰入植であり、むずかしいところは日本に帰さざるを得ないという決断をしたわけであります。
  92. 辻原弘市

    辻原委員 高木さん、さっきもあなたは、ドミニカの政変に基づく補給金の打ち切りその他の入植後の諸条件が帰国を決意せしめた最大の原因である、こういうふうに言われておる。今もまあそういうことを述べられておるのです。もちろん政変によって、たとえばハラバコアの場合これは政変によるいろいろな悪条件が重なった。ところが私が今指摘をしておるドミニカについては、問題は調査の不十分から現地の事情というものが、募集要項に示されてあったその条件と非常な食い違いがあった。幾ら勤勉な日本の移民でも、とうていそれを耕してりっぱな農耕地とすることのできる可能の範囲ではなかったということを私は言っているのです。ところが、あなた方は政変によって補給金を打ち切られたから、とても生活にたえられないので帰ってきたんだ、もちろんそれもございましょう。ございましょうが、根本的には何といってもこのネイバ地区等については、少なくとも夢を持たして移民をあっせんするといえるようなそういう地区ではなかったということがはっきりしている。この点はどうなんですか。
  93. 高木廣一

    ○高木政府委員 生活補給金のほかに貿易がストップした、バナナが売れなくなったということもございます。これは私ほかの例をちょっと申しますと、最近でもベネズエラあたりにそうした移住者を大いに出したい、あるいは出したらば大いに有望である、あそこの一ペソというのは一ドル以上の値打ちがあるのだということで、ずいぶんそういう動きもございました。そういう見方も一つの見方であると思います。しかしながらドミニカも、ちょうどそのときはそういうような見方で、あそこへ行ってドルが簡単にかせげるんだという考えから大いに動いていたのだ、こういうふうに私思います。そういうような見方を、今になって、今の日本及びドミニカの状態から振り返ってみて判断することは若干過酷じゃないか、こういうふうに思います。
  94. 辻原弘市

    辻原委員 なおかつ高木局長は、当時の外務省、農林省等の調査の不十分のその責任については、はっきりしたお話がないのであります。すべて移植後の状況、つまり移住後の状況の変更ということにその責任を帰しておられるようであります。私はその話は、どうせ八日に現地の方々が十分話されると思うので、ここで水かけ論はいたしませんけれども、少なくとも事前に調査をやっておらなかったということだけははっきりしておる。はっきりした事実です。しかもなぜそういうはっきりしない、また条件の悪い土地に、早々のうちに家財道具を売り払ってまでの移民の募集をやり、早々とまた現地に送り込んでしまったか。非常に軽率な措置ではなかったか。たとえば、同じようにドミニカ移民についてあなた方は、いやそれは途中で状況が変わったんだと言うけれども、たとえば二九年にスペインにおいてはドミニカ移民全員をわずか半年で引き揚げさせておる。そういう事実があるでしょう。イタリアではどうであるか。現地との話があって移住さすべく調査したところが、その土地は不適地であるとして、これは送らずに調査だけで終わっておる。しかも、これはあなた方に確かめたいのだが、わが国にドミニカから話のあったとき、現地の大使館からは、いわゆる移民の条件は、向こうから申し出られた好意的条件というものは非常にいいけれども、ドミニカ国の政情からして、ここに移住をせしめ、また永住させるには非常な不安があるから慎重にやるべきだという外務省への連絡があったということも私どもは聞いておる。ところが、逆に外務省がハッパをかけて、こんなよい条件だのに今さら何をぼやぼや言うのかと言ったというようなことで、むしろ現地に押しつけたような経過もある。これはどうなんですか。
  95. 高木廣一

    ○高木政府委員 現地の出先がそういうことを言ったのは事実です。それは、二万家族というような数はとてもああいう小さい国では無理である、よほど慎重にやらなければならないというのが、現地の外務省出先の意見であったのであります。そして、日本側といたしましては、さき申しましたように、行くところもなくて、窒息しそうな空気であったということも実情でございましょう。そういうような空気が反映したのじゃないかと思います。いずれにしても、現地が申しましたのは、二万家族入れるということに対する慎重論であったと思います。
  96. 辻原弘市

    辻原委員 私の聞いているのは、ともかく現地としては、政情その他にも不安があって、慎重を期すべきだという態度をとっている。それをあえて外務省が短い期間で送り出したということに、非常にわれわれとしては、外務省あるいはそれに協力をした農林省が、なぜこんな軽率なことをやったのだろうと、ふしぎでならないのです。しかも、それぞれドミニカから話のあった他の国においては、同じような条件であったと思われるけれども、あるいは引き揚げさせあるいは調査だけでこの問題は現実に移民を送らなかった。それは日本人は勤勉でしょう。日本人は力がある。しかし、それはあまりにもその人々の努力にのみ期待をかけて、それにのみ背負わせて、とうてい人力で不可能なようなことまでやらそうとした非常にあたたかみのない移民のやり方、あっせんのやり方というものが、今日こういうふうな不始末を来たしたのだろうと私どもは思うのです。一体その点についてどうなんですか。イタリアあるいはスペイン等の事情も外務省は知っておられると思うが、一つ正確にお答えを願いたい。
  97. 高木廣一

    ○高木政府委員 イタリアの場合は正確に知りませんが、スペイン、ハンガリーが移住者を送っております。そして今言われたように、スペイン人はドミニカと同じくスペイン語を話す国民でございます。戦争前のことであったかと思いますが、スペイン人は送還せられたのじゃなくて、自分で帰っていったという話を聞いております。ハンガリー、それからイスラエルですか、これらの移住者は、日本人と同様にまだ現地におるのであります。
  98. 辻原弘市

    辻原委員 お話の通りですよ。それぞれ調査をした結果が非常に不適当であった、あるいはとても現地ではおれない、こういうことから移民を差し控えたというケースがずいぶんある。それを事前に十分な調査もしないで現地に送り込んだということについては、何といってもこの移民が政府の責任である以上、当時送り出したその責任は私は免れないと思う。いずれ、中田さんがどういう調査をやられたか、また外務省が当時どういうファクターによってやったかは明らかになってくると思いますけれども、今われわれが知っている範囲においても、よその国では慎重を期し、日本だけが早々と軽率にやる。それだけでも私は重大な政府の責任ではないかと思う。高木さん、もう一ぺん一つその点についてお答えを願いたい。
  99. 高木廣一

    ○高木政府委員 さっきも申しましたように、私は当時の日本の実情及びこのドミニカ移住の性質というものの関係から、官民がこの種の移住に非常に引きつけられたというのが事実であって、しかもそれがドミニカの政情で財政難に陥り、貿易までできなくなって、事志と違ってハンドレッド・パーセントの処置を得なかったという実情であって、これはトルヒーヨの崩壊あるいは羅米諸国からの国交断絶なり貿易封鎖がなければこういうことにはならなかった。逆に今度は貿易封鎖が解除され、他の羅米諸国との国交が回復され、そうしてドミニカがもう一度昔のあのカリビア海の避暑地としての繁栄を取り戻すなら、今日残っている人はもちろん、もう少しの数でも安定できるんじゃないかという見方ができるんじゃないかと思います。ただこういう式の移住、つまり生活補給金をもらったり耕地というものが最大十八町歩、それ以上与えないというような制限せられた移住地政策がいいか悪いかということは、これはまた別の問題であるというふうに考えます。
  100. 辻原弘市

    辻原委員 あくまでも政変による現地事情の変化が、今回のような事態を引き起こしたと高木局長は言いつのられておるのでありますが、これについてはこれ以上時間をかけましても水かけ論になりますので、いずれ現地の事情を聞いたあとで、われわれもあなた方と当時のいきさつをもう少し精細にしたいと思う。  なお、さきほどのお答えで、非常にお気の毒に思っている、最大の方法、措置を引揚者の方々にとりたい、こう言われたのでありますが、これは齋藤さんであったか、高木さんから述べられたのでありましたか、各省の対策をお聞きいたしますと、何のことはない、これはただ現行法に基づいてそれぞれやられておる。あたりまえのことをただこれらの人々にも適用しようというのにすぎない。国の責任で送り出し、現地の事情が国が申したことと異なって——まあこの点はあなた方には議論がありましょう。ありましょうが、少なくともそういうような食い違いのもとに、こちらへ引き揚げなければならなかった移民の方々に対する処遇ということにおいては、その程度の国の責任で、また国の今後のこれらの人々に対する対策として済まそうというのは、これはあなたが言われたあらゆる努力、誠意をもってという言葉には何ら当たらぬと私は思う。今考えられておるのは、先ほど述べられたことだけなんですか。そのほかに、せっかく家財を、あるいは自分がやっておった今までの仕事も打ち捨てて無一物で帰ってきた人々に対する今後の取り扱い、今後の補償の方法としては、たったこれだけですかということを私は申し上げたいのです。いま一度、あなた方としてはこれ以外のことについては何ら考えてないと言われるのでありますか。
  101. 高木廣一

    ○高木政府委員 このドミニカ帰国移住者に対する対策は、他の南米諸国における移住者の動向というものにも非常に大きな影響があるわけであります。それでわれわれといたしましては、この帰られた移住者が日本でりっぱに再起できるようにできるだけ協力する、こういうような制度が——それは当然のことだとおっしゃいますが、これはそれぞれ国民金融公庫であれば大蔵省の銀行局からそれぞれのところにできるだけドミニカ移住者に対して便宜をはからうようにということを言います。その他のあれに関しまして、実は地方、県及び地方の海外協会がむしろパーソナリイにこれらの人々についてお世話をして、そして立ち上がるように努力する、こういう方法が移住全般から見まして、また帰国になった事情がこういうような国際情勢から出たやむを得ざる特殊の事情ということを考慮した上においては、一番妥当である、われわれはそう思ってやった次第で、決して移住者に対して冷淡にやるとかいうことではなくて、われわれのとります政策一つは、全南米におきます日本の移住者が注目しているところであります。そしてこの移住地のよしあしについては、相当主観的な、見方がいろいろあると思います。これに対して悪い反響のないように十分考えながら前向きでありたい。ことに南米の移住者については、戦前の移住者は辻原先生も御存じだと思いますが、最近の日本人は努力が足らぬとか非常にむずかしいことを言っております。われわれは、そういうふうな昔式な考え方はだめだと言いながら、同時に、移住というものは南米にさえ行けば楽で暮らせるのだというような考え方だけでは困る。これは現に南米でもそういう傾向があります。私は二十七年から三十年までアルゼンチンにおりました。日本から来る花嫁さん、これは在留邦人がわざわざ自分に花嫁さんを呼び寄せるのですが、働くなんということは夢にも考えていなかった。アルゼンチンへ来たらハイヒールで毎日ダンスできるのだと思っていたというので、そこでまた話が分かれて、港からまた日本へ帰したというケースがずいぶんあって、最近の日本人は困るというようなことを言われました。しかしながら、そういう古い人たちの考えも抑えながら、また南米へ行けば楽だけができるのだという考えとのその中間をとっていく道をとらないと、どうしても日本の移住というものの将来は非常に憂うべき状態になるのじゃないか、こういうふうに思っております。
  102. 辻原弘市

    辻原委員 それらの点につきましてはまた別の機会に、もう少し突っ込んだお話をわれわれも聞きたいと思いますが、最後に一点。  ハラバコアの日本人会長からしばしば外務大臣あてに、現地の在外公館とのいろいろなやりとりあるいは不明な点、そういうことについての嘆願書やあるいは回答を求めた文書が来ていると思うのでありますが、それについては回答せられましたか、その点はどうですか。
  103. 高木廣一

    ○高木政府委員 それにつきましては、在外公館を通じて絶えず連絡をいたしております。
  104. 辻原弘市

    辻原委員 私はそこに非常に問題があると思う。というのは、先ほど小長谷大使のことについて、まあ人柄が非常にいいからそんなことはなかろうとあなた言われておるわけです。ところがこれはハラバコアのみでなく、ネイバにしても現地の大使の、小長谷大使初めそのほかの方々の言動についてわれわれの合点のいかぬことがたくさんある、それについて一体日本の外務省はどういう見解を持っておるかというような、いわゆるその在外公館のあり方、在外公館の申したこと等についてその真意を疑うので、そこでお尋ねしたい、こういうような問い合わせ、照会等の連絡も現地からしばしばあったはずです。私はその写しをもらっておりますが、外務省は、それについては全然回答されておらない。しかも現地の大使館にまかしてあるとこういうのだけれども、現地の大使館のことが問題になっておるのだから、現地の大使館にまかしたのでは、その質問を発した人々がわかるはずはないのです。なぜ一体、そういうことについて不明だと現地から言ってくれば、こちらから、そういうことについて調査するなり、あるいは正確な日本政府としての見解を向こうへ知らしてやらないのです。どうも外務省のやり方に、何か現地のいろいろな実情を知られるのも困る、しかしまたいろいろ言ってくるのを、これは得手勝手なことを言っているのだというふうに押えつけているような印象を、私は受けるのです。その点については高木さん、どうでしょう。
  105. 高木廣一

    ○高木政府委員 そのお尋ねの手紙の内容がよくわからないのですが、たとえばどういうようなことを言っておるのですか。
  106. 辻原弘市

    辻原委員 たくさんありますよ。ずいぶん時間がかかりますが、まず一九六〇年の十月一日には、「ドミニカ国移住者救出方お願いに関する嘆願書」というものも出ている。全部小坂善太郎あて。それから六〇年の十月の三十日、「同国駐在大使の発言内容についての照会」というのがある。たとえばその第一項には、「小長谷大使は開口一番、私は天皇の信任によって日本国を代表し、特命全権大使で、天皇の御名代であると申されたが、われわれの考えでは、大使は日本政府の代表者であり、日本政府は日本全国民の代表者であると信ずる。あくまでも主権は国民の上にある。天皇は単なる象徴と考えるが、いかん。」こういうような文書が外務大臣あてに出されているのです。たくさんありますよ。小長谷大使その他事務官の方々が現地の人々を集めて話した。そのときの外務省の態度について、現地の方々が常識をもって判断してもおかしいからというので、回答を求めてきておる。そういうことについて、何ら回答をやっていない。不誠意きわまると私は思うのです。しかもそれを在外公館にまかしたという。問題は、小長谷さん初め在外公館の方々が相手にしたその発言の内容は、一体日本政府の真意ですかと聞いている。それを現地にまかしたのでは問題にならぬじゃありませんか。こういうことについて何にも今まで措置をされてない。だから思い余って、いろんな方面へ現地の苦衷を訴えられておる。こういうことも外務省としての責任ではないか。どうなんです。
  107. 高木廣一

    ○高木政府委員 現地におきましては、大使館及び海協連がございます。そしてそういうようなことにつきまして、大使の方にも十分連絡をしてやっております。それからハラバコア移住者の希望は、結局帰国の運動であると思います。この点に関しましては、去年の四月以来、われわれの課員が直接現地を数度訪れておりますから、そしてハラバコアにおきまして、それぞれみな会っております。そのときに十分御回答なり相談ができているわけであります。
  108. 辻原弘市

    辻原委員 ちょっとお尋ねしておきますが、私が今読み上げました文書は、外務省では受け取っておられますか、どうなんですか。
  109. 高木廣一

    ○高木政府委員 きております。
  110. 辻原弘市

    辻原委員 そうすると、返事は出さなかったというわけですね。現地の大使館にまかして、外務大臣あての手紙の返事は出さなかったのですか、どうですか。それは現地の在外公館を通じてでもよろしいが、それに対する回答というものをやったかやらなかったのかということです。
  111. 高木廣一

    ○高木政府委員 現地大使館及びわれわれの出張者を通じて、出張者は直接移住者とその点についてお話ししているわけであります。
  112. 辻原弘市

    辻原委員 時間をとりますから、あまり私もそのことについて長くやろうとは思いませんけれども、いわゆる回答をやったというのと、現地で話し合いをしたというのは別なんですよ。それじゃお伺いしますけれども、在外公館にどういうふうな回答を外務省としてはやらしましたか、その内容はどうなんですか。
  113. 高木廣一

    ○高木政府委員 これは後ほど調べて御返事いたします。
  114. 辻原弘市

    辻原委員 まあそういうことなんです。だから、実際は現地からの切々たる訴え等も非常に軽く取り扱ってきた。こういう態度はわれわれとしても今後、少なくとも日本政府を信じて行った海外移住者の方々にさみしい思いをさせるような外務省の冷たい態度——あえて私は冷たい態度と言います。それのないように、今後は一つ十分留意を願いたいと思いますし、なおこの問題について、現地とあなた方の言い分との間に非常な隔たりがあるということも、私は先ほどからの私の質問をも含めて、その他の委員の諸君の質問の中から伺いました。いずれ現地の方々の本委員会における証言その他をもあわせ聞いた上で、一体いずれが正確なものであったか、外務省は何ら責任がなかったのか、農林省も何ら手落ちがなかったのか、こういう点について明らかにして参りたいと思います。  本日は時間もございませんから、以上をもって私の質問を終わります。
  115. 小川豊明

    ○小川(豊)委員長代理 西村力弥君。
  116. 西村力弥

    ○西村(力)委員 先ほどからずっとお聞きしておったわけなんでございますが、外務省としてはずいぶん打ち合わせをせられたらしく聞えるのですが、その打ち合わせの焦点は、一つは引き揚げざるを得なくなった事情を政情不安、こういうところに帰するんだということ。それから第二点は、ドミニカ移住の最終的責任は個人にある、こういうことを仰せられておる。最終意思決定は個人のものだ、個人の責任だとあなたは仰せられる。第三点は、戦前の移住は非常に苦労を覚悟でやっておるけれども、戦後は何か楽をしようという、甘い考え方で出ていく者が多い。こういう三点にあなた方の考え方をまとめている、こういうように私には受け取れる。そういうことは何であるかというと、私は、あなた方の官僚特有の責任回避の態度である、こうまず言わざるを得ないわけであります。しかも同情する、こういう立場をとっておりますが、同情するというようなことは、これは政治の衝に当たる者のとるべき基本的態度ではない。同情というのは、普通一般の世俗的な、そういう心理状態ですよ。それを政府の移住の担当にある人が同情する、こういう世俗的な感情で事をごまかそうとするなんということは、まことに無責任きわまると思う。そういうようなあなた方の結論づけた方向をたどって参りますと、最後的には、一体国が移民行政をやるということは誤りだ、こういう結論になるが、どうですか。
  117. 高木廣一

    ○高木政府委員 私は、国が今度の問題について法律的責任があるかどうかという御質問に対して、これは移住地の調査その他の問題について完全であったかどうかということによってきまってくるのだと思います。もちろん政府は移住について国策的立場から推進するのでありますから、その宣伝その他について責任を負うのは当然であります。ただ、さっきも繰り返し申しましたように、ドミニカの情勢というものは、われわれが予想できないところの結果を生み出した、あれがなかりせばこういうことはなかったと言えるという点において、政府の損害賠償とかという責任をとるのは無理である、こういうふうに考えております。これは法律的な立場からであります。  移住者に対して同情と申しましたが、それは官僚の甘い考えということではなくて、この移住地というものについて前向きになって考えるということで、移住全般を考えて慎重な態度をとって言うておるわけでありまして、何も責任を回避するというような考えは毛頭ございません。  それから、移住者が甘い考えで行っておるからいかぬということだけを今言われました。これは海外における日本人がそういうことを言っておるのです。われわれとしては、変わった日本においては、そういうような考え方もある程度あるわけです。実際はその中道を歩まなければいかぬということを言っただけで、甘いことだけを考えておるからけしからぬというようなことを言った覚えはありません。
  118. 西村力弥

    ○西村(力)委員 移民の意思決定は個人の責任だ、こういうことであります。しかし、それは純法律的にいえばそういうことになるでしょうが、移民行政を責任を持って担当する、また現実にこういうドミニカ移民がほんとうにお気の毒な状態でお帰りになったという現状からいって、現実に立って物事を考えるときに、この席において、そういうような工合に個人の責任に帰するもんだと突っぱねるようなやり方というものは、私は好ましくないことである、こう思うのです。  それでは、そういうような基本的態度であなた方が移民行政をずっとやられまして、そうして一体成績はどうですか。年々の成績、ずっと統計的に見まして、あなた方の手を通じて、海協連ですか、そういう手を通じて進められておる成績は、一体どういう状態に推移しておるか、それを一つお知らせ願いたい。
  119. 高木廣一

    ○高木政府委員 最初の、移住は最終的に個人のあれである、だから国は責任はないというような考え方を私がとっているように申されましたが、その点はそうではございません。たとい側面から移住を援助する措置についても、国としては十分責任を持って考えているということを否定しているんでございません。ただそれがドミニカにおいて、ああいう国際情勢上先方がやるべきことも十分できなかったということは不可抗力であって、これは政府の責任をその点において解除するものである、不可抗力に基づいて政府の責任を解除するものである、こういうふうに考え、そういう趣旨を申したつもりでおります。  それから移住の成績はどうだという御質問でございますが、移住の成績というものも、どういうものが移住の成績であるかということは、なかなかむずかしい問題だと思います。数がふえるだけがいいのかどうかという問題、あるいは数は少なくても先方でよく定着ができ、りっぱに発表できるようにするのがいいのかどうかというような問題において、たとえば昨年のごときは日本の労働力が非常に不足で、移住の数というものは確かに減っております。しかしながら政府の援助施策は、不幸ドミニカにはこういうことがありましたが、他の南米地域においては、受け入れ強化、移住地に対するいろいろな機械その他の施設の強化、こういう点は十分やっておりますから、その点では進んでいる。南米全体の移住地としては非常に明るくなりつつある。そういう意味において移住は進んでいるということも言えるんじゃないか。しかしながら、数からいえば三十六年は三十五年よりも少なかったということは事実でございます。
  120. 西村力弥

    ○西村(力)委員 移住の数でけっこうでございますが、これは後日資料として一つお出しを願いたい。  それから、このドミニカの移民につきまして、日本の側から話を持ち出したのではなくて、先方のトルヒーヨ元帥ですか、そちらの方からお話が持ち出された、こういう工合に了解しておるのですが、そういうことであるとするならば、これを受けた日本側としては、トルヒーヨ元帥の考えは那辺にありやというようなことを十分に考察をすべきではないか、こう思うのです。トルヒーヨ元帥は御承知のようにまれなる独裁者であったということ、そうして周辺においては、やはり非常に安穏な国際環境にあったわけでもない。そういうときに先方からそういう話を持ち出されたとするならば、これはやはりその心境那辺にありゃ、こういうことを相当考究すべきだと思うのですが、その際においてそういう点が論じ、検討されましたかどうか。
  121. 高木廣一

    ○高木政府委員 これは、われわれは書類によって当時のあれを推察するわけでありますが、トルヒーヨ元帥はドミニカのまだ未開発のところに勤勉な日本人を入れて、そうしてこれにキャナルその他の土地に対する施設を加えてやるならば、ドミニカの経済開発になる。また八ラバコアあたりは実は国境に近いところですが、こういうところに日本人を入れたいというのは、やはり国境地帯にしっかりした日本人を入れたいという考えもあったと思います。  それから、独裁者の前途は非常にあぶないから、当時の日本政府は大いに考えるべきであったということを今申されましたが、南米は大体そういう傾向が非常に強いのであります。当時ブラジルも多分クアドロスの政権のころであったと思います。アルゼンチンもペロンの政権であり、パラグァイは今でもストロエスネル政権であります。南米は大体そういう傾向がございます。従って、もしそういうお考えを推し進めましたならば、南米地域の移住は考えられないということにもなります、そこのところは程度の問題じゃないか、こういうふうに思います。
  122. 西村力弥

    ○西村(力)委員 とにかく先方から切り出して、しかも先方で入植を希望しておる場所というものは、ほとんど隣国ハイチとの国境線に近いところである、こういうことは間違いない。コンスタンサ、ハラバコアは内陸方面にありますけれども、それからあとネィバ、ダハボン、最初入植したところもほとんどハイチの国境線に近い、こういうようなことをもちろん外務省としては調査されておるでしょうが、ドミニカの国内法であるコロニア法との関連、こういうことを関連して考えて参りますと、これは国境線に対する勇敢なる日本の農民の配置、いわば屯田兵的な、そういう希望と意図をもってトルヒーヨ元帥がやったという工合にも私たちは考えられるのです。そういうような点を外務省としてそれをやるときに十分に検討せずに、それに飛びつくということもなく、相当この点は慎重に検討せらるべきであったと思う。ただドミニカの大統領が国内開発のために勤勉なる日本人をほしいのだ、こういうことだけで簡単に判断するというようなことは、いやしくも日本国民、同胞を送る際、もう少しそういう諸般の状況というものは検討せらるべきだ、私はそう思うのですが、そういう点の検討は全然なかったということになりますが、そういうような十分なる検討のなされないところに、またこういういろいろな問題点が発生する一つの基本的な心がまえの問題としてあったではなかろうか、こういうことも考えられるのです。その点はなかったようですが、さて現地の調査の場合に、最初は外務省の吉岡業務課長、それから農林省から近藤技官というのがおいでになったというが、こういう共同でやる場合には一体どうなのか。この調査について農林省は依頼されたから協力をする、こういう形でいくのか、本来のあれとして両者が共同してやるのだという工合になっておるのか、これはどういうことですか。どうも外務省が口を切ったものは、農林省はあまり積極性を持たない。農林省がやりかけたものは外務省はそっぽを向いてけちをつけるというのが世間一般の通説です。そこに移住行政の非常に困った問題があるのだということをいわれておるし、私たちもさように考えておる。ですからその点はどうなんですか。具体的には、その吉岡さんと近藤さんと行かれたときのいきさつはどうなっておるのか、それについて。
  123. 高木廣一

    ○高木政府委員 少なくともこのドミニカに関する限り、そういう外務省、農林省の対立というものはなかったと思います。またこの移住につきましては、関係各省が寄って会議をしております。十分の意思を統一してやっている、こういうふうにお考え下さってけっこうであります。また現在も今ここにおられます齋藤振興局長と私の間で十分タイ・アップしてやっております。そういう御心配は今はございませんから、どうぞ御安心を願いたいと思います。
  124. 齋藤誠

    ○齋藤(誠)政府委員 ただいま移住局長からのお話がありましたけれども、ドミニカにつきます二回の調査につきましては、農林省、外務省相協力して実行いたしたわけでございます。
  125. 西村力弥

    ○西村(力)委員 農林省は協力という立場でやってきた、こういうことですが、調査の結果についてはどちらが責任をとるのか、調査というのは適地かいなかということですね。こういう責任はどちらがとるのか。
  126. 高木廣一

    ○高木政府委員 最終的には主務官庁である外務省が責任をとります。
  127. 西村力弥

    ○西村(力)委員 それでは、あの募集にあたって募集要項を出してありましたが、その中にドミニカの国内法を順守する、そうしてそれに違反した場合には送還される場合もあるということがありましたが、その国内法というものの最も大事な点は、移住希望者にとくと説明をしたのかどうか。この点はどうです。
  128. 高木廣一

    ○高木政府委員 その点は、募集要項にもかなり書いてありますし、当時われわれはおらなかったからわからないのでありますが、実際においてそれは説明があったものと思います。
  129. 西村力弥

    ○西村(力)委員 自営農を募集する、こういう大見出しで行って、実際はコロノという、こういう資格で、そこで定着をしなければならぬ、こういう制限に追い込まれていった。だから、事前に自営農として募集するという広告に偽りあり、行ってからそういう工合になった人が多いとするならば、初めからやはり国内法の、一番入植関係基本法であるコロニア法というものを詳しく説明すべきではなかったかと思うのですが、そういう説明が懇切に行なわれておるかどうかということなんです。
  130. 高木廣一

    ○高木政府委員 南米のコロノというのは、いわゆる雇用労務者であって、自分の責任でやるのじゃないのであります。ドミニカの国営農場に入った場合には、一定の制限はありますけれども、これは自分の責任でやっていくのであります。ただ、地権は最初からもらうのじゃなくて、八年ないし十年たてばその法律に従ってもらえるということになっておる。募集要項にも書いてございます。その説明はなされたものと思います。この点は、たとえばボリビアの移住地でも、あれも自営開拓であります。ボリビアの国有地を無償で使わしてもらって、二年たつと地権が渡されるということになって現在はボリビアの移住者は地権をもらっておるわけであります。地権がすぐにもらえないからコロノであるというのは、言い過ぎじゃないかと思います。
  131. 西村力弥

    ○西村(力)委員 その点は、後日現地引揚者に当たってみて十分に聞き取ってみたいと思うのですが、それであの募集要項を見ますと、相当の金品を携行すべきである、その方が利益だ、こういう工合に勧められておりますが、一体行かれた方々は、どんなものを持っていかれて、金額にすれば、一体現金その他を含めてどのくらい持っていかれたのか。それに対する調査はありませんか。
  132. 高木廣一

    ○高木政府委員 募集要項によりますと、最初は十五万円の現金を持っていくように、それからあとの募集になりまして十二万円というふうに書いてございますが、われわれも今調べておるのでありますが、大体十五万円、あるいはもっと少ない人もおられます。多い人もおられるようであります。これは今、海外協会連合会に当たって検討しております。大体これは海協連でありますから、われわれ必ずしもはっきりこれこれ間違いないと言い切れないのですが、営農資金、携行現金、合わせまして十万円の人もあり、五万六千円の人もあり、十二万円の人もあり、あるいは六万円の人もあり、三十三万五千円持っていかれた人も、いろいろあるようでございます。
  133. 西村力弥

    ○西村(力)委員 そのほか、現品で持っていったものが、農機具、被服、薬品その他たくさんあるだろうと思うのですが、それについての大体のあれはありませんか。
  134. 高木廣一

    ○高木政府委員 現品については非常にむずかしくて、そういう資料の記録がないんじゃないかと思います。現地に行きます場合も、各自が持っていきます場合にはむずかしいんじゃないかと思いますが、できる限り調べてみます。
  135. 西村力弥

    ○西村(力)委員 先ほどからいろいろと各委員の質問がありましたので、問題点が出て参っておりますが、私としまして要求したい点があるのです。一つは福島代理公使との間の交換公文、これを私まだ見ておりませんので、それに対する付属文書の一切を出してもらいたい。それから海協連の組織一覧及び政府補助金額、そういうものの決算書、そうしてまた役員、支部長などの前歴、そういうものが第二番目。第三は、海外移民を戦後開始して以来、外務省、農林省両省において移民関係で海外出張した人、それをずっとそのポスト、費用を含めて出してもらいたいし、そうして移民船なんかについていった人々、あるいはそれ以外でもけっこうですが、スペイン語が話せるかどうかという、そういう問題、それを一つ出してもらいたい。それから吉岡業務課長と近藤技官の現地調査の日誌、何日おっただけではなくて、何日上陸して、そうしてどういう作業をやり、どういう工合に行動したかということ。それは中田技官の場合も同様。ただ一日おった、四日おったというのでは意味がない。暑い国でもあるし、海外でもあるし、そうはっきりできないこともあるかと思いますが、しかし、活動した日誌というものがないと、これは向こうの資料を基礎にして適当に作るということもあり得るかもしれません、こんなことを言っては悪いことですが。しかし、やはり向こうに行っての任務に応じた日々の活動をどうしたか。これはやはりこういう場合においては、出張の復命書というか、そういうものはとるべきだと思うんですよ。それで何日から何日までおったというのではなくて、何日は何をやった、何日は何をやったという、こういう報告書でなければほんとうのものにならない。私はそう思います。ですから、そういう趣旨に立って、そういう報告書を一つ頼みたい。さしあたってこの程度の資料をお願いしまして、また後日の審議につれていろいろと検討して参りたいと思います。
  136. 小川豊明

    ○小川(豊)委員長代理 幾日までに……。
  137. 西村力弥

    ○西村(力)委員 八日までに出してもらえば大体けっこうです。
  138. 高木廣一

    ○高木政府委員 そういうのは非常に長い間のあれですから……。
  139. 小川豊明

    ○小川(豊)委員長代理 八日まで出せるものは八日まで出す、できないものは幾日までに出すということを連絡して下さい。
  140. 高木廣一

    ○高木政府委員 南米全部ですか。南米全部ならば非常に広範なものですから、ドミニカだけでは……。
  141. 西村力弥

    ○西村(力)委員 南米全体です。
  142. 高木廣一

    ○高木政府委員 そうすると、一カ月でもとても……。
  143. 小川豊明

    ○小川(豊)委員長代理 そんなことを言わぬで急いで出して下さい。  ドミニカ移住問題についての政府当局に対する本日の質疑はこの程度にとどめ、来たる八日の委員会にドミニカよりの帰国者を参考人として出席を求め、実情聴取を行なうことにいたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十分散会