○杉原
荒太君 最後に、北方領土の問題と日米安保体制に関することについて、若干
政府の見解をただしておきたいと思います。法律論と政治論とに分けて
質問いたします。
まず、法理論の方から入りますが、第一は、われわれはヤルタ協定、ポツダム宣言の受諾、降伏条項、サンフランシスコ平和条約、日ソ共同宣言などいずれをしさいに調べてみても、問題の北方地域の領土権が確定的にソ連に移転したという法律効果を発生する根拠となる法律事実は、何
一つ見出すことができないと思う。この点に関する
政府の見解はどうか。時間の関係上、もう少し一括して
質問いたします。
第二に、問題の北方地域に対し、ソ連が権力を行使してきておるという事態は、事実上の関係から見れば、日ソ共同宣言の効力発生の日の前と
あととで別に変わりはないけれども、法理上の観点から見ますると、大きく変わってきておると思うのです。すなわち日ソ共同宣言の効力発生前までは戦時国際法上の、占領の法理によって法律上説明のつくものであったとしても、日ソ共同宣言の効力発生の日に、
日本とソ連との間の戦争状態は終結しておることは、日ソ共同宣言の明らかに示しておるところであるから、戦時国際法上の、占領の法理によって法的に根拠づける基礎は失なわれてきておることは明らかだと私は思うのです。この点に関する
政府の見解はどうであるか。なお、続けてやります。
第三に、問題の北方地域の大部分が、国際法上の先占の法理によって、ソ連に帰属するに至ったというような論をなす者が国内にあるようであるが、この場合、それは先占の法理の適用の錯誤であると私は思うのです。この点に関する
政府の見解はどうであるか。次に、続けてやりますから……。
次に政治論、
政策論にわたる二つの問題について、
政府の見解をただしておきたい。
その第一は、北方領土問題の処理と、日米安保体制のあり方に関する基本方針についてであります。鳩山
内閣当時、日ソ国交
調整をはかるにあたり、われわれはソ連との交渉に入る前に、わが方としての基本方針をきめました。その基本方針のうち、交渉上あくまで貫徹をはかる絶対的条項換言すれば、もしその
要求がいれられなければ、交渉破裂もやむなしと腹をきめてかかる条項、その条項の中には、日米安保条約を含めて第三国との関係は、国交
調整条件から除くということ、つまり、両者は、これをせつ然と区別して互いにからめ合わさないという方針を策定しました。それはわが国の外交
政策の立て方として、絶対に必要であると確信したからであります。そして日ソ交渉の全体を通じて、この方針は絶対に堅持し、これを貫徹してきました。今後といえども、わが国としては、北方領土問題の処理に関する基本方針として、この立場を、これを堅持していくべきものと私は思う。しかるに、国内の一部には、北方領土問題の処理と日米安保体制の存否とをからめて、安保体制の解消とにらみ合いながら、北方領土問題の処理をはかるという
考え方があるやに聞くのでありますが、われわれの見るところでは、そのようなことは、そもそもわが
日本の外交
政策の立て方として不可解千万であると思う。
かりにそのような行き方をとったとすれば、その結果は
日本の立場は収拾すべからざる事態に立ち至ることは必至であると思う。さらにまた、そのような
考え方の前提には、きびしい国際情勢の
現実に対する認識が不足しておると思う。率直に言って、そのような行き方は、いわゆる
現実離れの典型的なものであると思う。この点に関連して、私はソ連が日米安保条約の存在する以前、日米安保条約はまだ存在していなかったとき、すなわち一九四六年二月二日付、ソ連邦最高
会議幹部会令をもって、問題の北方地域を自国領に編入するという一方的
措置をとっている事実を思い起こさざるを得ないのであります。この事実は、一体何を物語るでありましょうか。ソ連は、日米安保体制が存在するから、それだから北方地域を自分のものにしておくのだというわけでないことは、この事実そのものが雄弁に物語っておるではありませんか。そればかりではありません。その上さらに
日本と戦争状態に入る前から、いわんや日米安保体制などというものは、影も形もなく、夢想だにされなかったころ、すなわち一九四五年二月に、ヤルタにおいて、スターリンはルーズヴェルトとチャーチルに対し、北方領土に対するソ連の領土欲の本音を吐いておるではありませんか。ソ連は、北方領土の獲得を参戦の条件としたことは周知のとおりである。日ソ中立条約を破ってまで
日本に戦争をしかけたのは、何の目的であったか・ソ連自身の自白による証拠事実は明瞭ではありませんか。北方地域に対する領土欲の満足こそが、ソ連の対日戦争の目的であったということは、今日では明らかに
歴史が証明しておる。ソ連としてはその戦争目的を達したればこそ、スターリンが終戦直後、日露戦争の復讐なれりとして盛大な祝賀会をやっておることも、われわれはそういう
意味にこれを読み取っているのであります。
第二にお尋ねいたしたいのは、日ソ平和条約の問題を考うるにあたっての
政府の基本的の心がまえについてであります。国内の一部には、安保体制解消運動と裏腹をなして、日ソ平和条約締結促進運動なるものが行なわれんとしておるやに聞くのでありますが、われわれは日ソ平和条約問題を考うるにあたって、まずその前提として二つのことを銘記してかかる必要があると思う。
その
一つは、平和条約といっても、対ソ関係の場合には、他の
一般の場合と異なった面があるということであります。
その二は、国際間における領土問題が、本質上いかにきびしいものであるかということ。すなわち領土問題の峻厳性について、甘い幻想を持ってかかってはならないということであります。あえて力説するまでもなく、日ソ共同宣言によって、日ソ間の戦争状態の終結と平和関係の回復は、すでに確定されておる。またその上両国間の相互の関係を規律する指針として、武力による威嚇、及び武力の行使はしてはならぬということ、及び国内干渉はしてはならぬという
原則も確認されておる。この
意味において、日ソ共同宣言そのものが、実質的には一種の平和条約の性格を持つものであることは、一点の疑いをいれません。われわれは深く
考えてこの条約を作ったのであります。したがって、今後いわゆる平和条約を結ぶといっても、まだ戦争状態の終結及び平和関係の回復が確定していない場合の普通の平和条約とは、名は同じであっても実質は異なるものである。ただ、領土について日ソの意見が同じでなく、問題が残っておるから、それを確定するのは新たな日ソ間の合意に待つわけで、それがいわゆる平和条約であるから、この場合のいわゆる平和条約の本体は、実は領土条約にほかならないことは、当然過ぎるほど当然であります。しこうして、事いやしくも国際間における領土の処理に関する問題になると、本来きびしい国際政治の
現実の中で最も峻厳なるものであることは、実際の事例によって国際政治の
歴史がこれを証明しておる。古今東西の
歴史を通じて、国際間の領土問題の処理が、ねじはち巻の集団運動や署名運動などで決せられたという事例を私は聞いたことがない。国内の集団運動のごときものによって、目的を達し得るかのごとく思う者があるならば、手段選定の方法を誤ったものだと思う。そればかりでなく相手国の政略上の術策に乗ぜられる危険すらあると思う。
質問の趣旨を明らかにする
意味において、私見をまじえて申し上げたのでありますが、この私の
質問に対する
答弁を通じて、
政府の腹からの確信を、以上の諸点に対する
政府のそういった深い確信を
国民の前に明らかにしていただきたい。