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説明員(
宇山厚君) 御
報告申し上げます。
辻議員は、ただいま
お話がございましたように四月の四日
東京を出発されまして、同日
サイゴンに到着されております。その
サイゴン滞在中に
ゴ・ジンジエム大統領その他
政府の要人と会見されたのでございます。そのときに
現地の
久保田大使に、
北ベトナムのほうに行きたいという意向を漏らされたそうでございまして、
久保田大使が極力翻意を促しましたということがあったそうでございます。それから四月の九日にカンボジアの
首都プノンペンに行かれまして、その後十一日に
バンコックに行っておられます。それから、
バンコックから今度は十四日に
ラオスに行かれております。それから
ラオスの
首都ヴイエンチヤンに
滞在中に、
現地の
別府大使に対して、自分は
パテト・ラオの占拠をしておる
地区を通過してハノイに渡って、そうしてそれから
香港に出て
日本に帰るようにしたいと思っておるという
お話がありましたので
別府大使から、それは非常に危険でございますから、お
やめになっていただいたほうがいいと思いますということをしきりに言われたのでございますが
辻議員はお聞き入れにならなかったということでございます。それから
ヴイエンチヤンに
滞在中に、何とかして
パテト・ラオ地区のほうに入って行きたいというので、いろいろ画策なさったようでございまして、大体わかっておりますところでは、四月の十九日ごろに、間道を選んで、
ラオス人の
僧侶の二名が道案内になりまして、
お寺から
お寺へと、
リレー式に
僧侶の案内で入って行かれたという模様でございます。それから先のことはいろいろ確認しようと努めましたが、わかりませんけれ
ども、大体ほぼこうではないかとわかりましたところでは、四月の二十一日の朝に
パテト・ラオ地区に入られたようでございます。それから
辻議員の
消息が絶えまして、
日本国内でも、
新聞雑誌等にいろいろな
トップ記事が出るそれから
国会のほうから
外務省にも、その後どうだというふうなお問い合わせもある。私
どもも非常に心配いたしまして、何回となく
現地の
大使館に
訓令を出しまして、
辻議員の
消息を
調査するように努めてきておるのでございますが、現在までのところ、十分はっきりしたことは残念ながらわかっておりません。しかしながら、大体いろいろ各
方面を当たりましたところで、ほぼこうではないかと思われるところをつけ加えて申し上げますと、
ヴイエンチヤンの北方の百十キロの地点に
バンビエンという所がございますが、そこで
辻議員と思われるような
人物に会ったという
中国人がおるという
情報がございましたので、これは八月になってからのことでございますが、そういう
情報が入りましたので、すぐ
大使館が
現地に参りまして調べましたところが、この
中国人は、
現地で
中国料理店を営んでおる者でございまして、それで、この
バン戦乱のビエンという所に行きましたところがために帰れなくなって、しばらくそこに
滞在しておりましたところがその
滞在中に
辻議員とお会いしたということを言っておるようでございます。そして、その時期は大体六月の初めとこう言っておるのであります。そこで
別府大使の派遣されました
大使館員が
辻議員の写真をその者に見せましたところが、これは本人に間違いないと、こう申したということでございます。それから、この
中国人の話によりますと、
辻議員は五月の中旬にこの
バンビエンに来られまして、そして、その今申し上げました
中国人が
同地で、
バンビエンで
中国料理店をやっております。ところへ、両がえと飲食のためによくおいでになった。そのときには
僧侶の格好ではなくて、黒の背広を着ておられた、こういうことを言っております。そしてこの人が六月の七日に
バンビエンを去っておるのでありますが、そのときまでずっと
辻議員と思われる人はそこにいたということを言っておるということでございます。そのときに、
辻議員は何をしようとしておられたかということを聞きましたところが、数回にわたって
同地の
パテト・ラオの
前線司令部に行っておられた、そして
パテト・ラオ地区よりもっと
奥地のほうに入りたいという
許可証を入手するように
努力しておられたらしい、こういうことでございます。それから、また、これも推測の域を出ませんけれ
ども、
辻議員は
プーマ殿下に会いたいということをしきりに言っておられたそうでございます。御存じのように、ただいま
ラオスでは、この
プーマ殿下が
中立派でございまして、現政権は
ブンウム首相、それから、その
反対側の
パテト・ラオという
左翼系の派がございます。この三派が争っておるわけでざいますが、そして今この
プーマ殿下が
首相になりまして、この三派の
連立内閣を作って
ラオス情勢を取りまとめようという
努力がしきりに行なわれておるのでありますが、こういうふうに、やがて
ラオス情勢の
中心人物となるであろうというこの
プーマ殿下とぜひ会って話をしたいとお考えになったということはうなずけることでございますが、ただし、この六月初めには
プーマ殿下は、チューリッヒの
ラオス三派の三
殿下の
会議ということのために
ヨーロッパにおりまして、当時は
ラオスにいなかったのでございますから、
辻議員は、あるいは
プーマ殿下が
ラオスに帰ってくるのを待っておられたんじゃないかということも考えられますが、その点はごく憶測にすぎないのでございます。
そういうわけでございまして、私
どもといたしましてはいろいろな
方面に
連絡をいたしまして調べておるのでありますが、どうもまだはっきりいたしません。ただいままで調べましたところでは、単に
現地の
大使館の者が
現地の人々に聞くというだけではなくて、
政府機関にも頼んでおりますし、それから第三国とか、あるいは
国際機関にも
連絡をいたしまして
辻議員の
消息を調べたいということで、あらゆる手段を通じて
努力をしておるのでございますが、はなはだ残念ながら、ただいまのところ的確な
情報がない、こういうことでございます。
それから、できるだけ具体的に話すようにというお言葉でございましたがただいままだ
調査を進めておる間でございますので、具体的にあまりどういうことをやっているということを申し上げますのは、今後の
調査にあるいは支障を来たすようなことがあるといけませんので、このぐらいにさせていただきたいと思います。