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小笠原二三男君 あなたのおっしゃっていることは、日本だけだ。混淆しているのじゃないですか。あなたは、今回の
学力テストは、
文部大臣が、
命令というほどではないが、指導、助言、監督して、
調査事務として報告を求めることができるという
規定を適用してこれはやったものだ、こう言い、今度は
学校のほうには、
校務だ、
調査事務じゃない。
調査活動というものは
教師の
本務じゃない。その反証としては、たとえば
教育委員会は、
学校一覧表を作成して出せ、何の
調査をして出せとかいうことを
学校に命ずることはできないし、そんなことはしていない。みな委託
調査なんです。契約を結んで業務を提供させている部面ですから。日宿直の問題も、それが大
騒ぎになって、
文部省がはっきりものわかりのいいようにきちんとしたから、今、本来の
教育活動の免許状を付与された
教師は、火事が起ころうが、何が起ころうが、寝泊まりで
学校を
管理する
責任は本来ないのです。ないけれ
ども、
規則的にそういうことをやられているので、がまんしてやっているだけです。こんな警備なり何なりは、
市町村教育委員会が独自にそういう者を採用してやるべきだ。諸外国で
教師が、掃除の監督から、あるいは日宿直から、こんなことをやっている国は、文明国といい、共産国といい、そんな
学校の形態は、どこにもないのです。そういうものはないのです。
事務員、用員あるいは警備員、ありとあらゆる専門職を雇って
仕事をさせている。
教師は
授業、これだけをやる。それが済めば、自宅勤務でも、どこへ行っておってもいい。諸外国の例はみなそうなんです。日本だけです。財政上の諸問題等があったり、旧来の慣行、慣習があるのに便乗して、
教師に
教育活動以外の雑務を――雑務です、
教師からすれば。これをやらせておるのは……。まだまだありますよ、日本の
教育の中に雑務は。これは内藤さんが整備というのは、
教師を本来の
本務に専念できるようにするのが、
教育諸
条件の整備なんです、話は横にそれますが。あなたはそれで
調査事務としてやったものを、今度は、
学校には
校務だ、
教育活動だ、こういうことは、論理一貫しません。いずれにしても、
警察庁当局の考えも、あなたの考えも、まっすぐにそろっておるようでありながら、そろっていないところがあるのです。今のような点です。あるいは内藤さんに言わせたら、これはどういうことを言うか非常におもしろいが、内藤さんは終戦以来私よく知っている。
教育基本法を作り、何を作り、私
自身教育刷新審議会
委員の一人として六・三制の
法律の諸
関係の審議をさせられた一人として、その当時の事情をよく知っている。六・三制の
教育委員会が
任命制に変わろうが、
法律の題目が変わろうが、
教育基本法のある限り、その精神は生かされておる。生かされなければならない。また生かされていることを主張して、ああいう
教育二法が改正されて、何ら差しつかえないことを、内藤さんも当時の大臣も強調したことなんです。それが現在は、過去の立法の精神も、法の趣旨も何もない。便宜拡張
解釈してやり得るなどということは、厳にこれは慎まなければならぬ部分があるのです。だから、これ以上
法律論争を私はしろうとだからやろうとはしないが、もう少し
文部省も、
教育基本法を作り、日本の民主
教育がどういう方向へ行かなければならぬかということについて
責任を持つということであるなら、もっともっとその
学力テストなどというものも、包括的に強制的に末端でやられるようなことは避くべきだ。福岡県でどうしました。これは最後に聞く。福岡県では、これは
教師本来の
仕事であるのかないのか、私、文章は今わかりませんが、いろいろな
疑義があった点から、これは
教師の
判断で
実施せいということになっている。やりたくない
教師はやらぬ。やってためになると思うところはやれという
意味でしょう。私は新聞でざっと見ただけですが、事実でしょう。同じ
文部省として、
文部大臣は何とでも言っておりますが、
文部省が
調査事務としてでも何でも報告を求めるということで、この
テストをやれやれと全国に迫ったものが、福岡県のように任意に
教師の自主的な
判断で行なうべきものだとして、これを排除したところもあれば、あるいは県の
教育委員会は
命令でやれというのに、
地方教育委員会はこれを
調査を委託するという形でやったところもあれば、それから
テストの
内容として、その諸
条件を
文部大臣が指定して出してやったのにもかかわらず、その諸
条件を
教育の本来の姿に変えて、そうして自主的な
教育活動という形にはまるような形にしてやった神奈川県や、その他の
地方教育委員会もある。やり方がばらばらになってしまったのです。これは法の
解釈がばらばらだからです。本来公務で
命令し得るものであるならば、これは整然と全国的に
命令しなくちゃいかぬ。それがどうでもいいんだ、どっちでもいいんだということが
行政当局によって行なわれていると思うんですよ。県の
教育委員会なり
地方教育委員会なり、
行政機関そのものにおいて、その
判断が行なわれているんですよ。こんなことは、抵抗あるなしにかかわらず、やるべきことではないでしょう。
調査の
目的があって、
文部省がやったことを勝手に地方で動かしておったこの事実というものを考えるならば、これはある県は
命令だとしたから、それが
命令に
違反したから、これは
捜査する、あるいは逮捕する、刑事事件に問う。あるところは、同じ
テストをやりながら、これを
教師の自主的な
判断に待つことになったから、その点は免れるのです。こういうようなことは、私、
判断すれば
教育上の問題からいうても、
警察の何といいますか、刑事政策というのか何というのか、そういう点からいっても慎重に配慮しなくちゃいかぬことだ思う。
行政機構がばらばらな
判断でこれが
実施に当たったのでは、ただ単にそこの一
機関が
命令だとして、それでそれに従わないとして、そうして刑事事件にまで問われる、あるいは、一方
行政処分の対象になる。これは相当慎重に配慮しなかったらいかぬことだというふうに私は考えます。
それから内藤
局長に対しては、速記などつけなくても、私は
あとで何度もこれは御懇談申し上げます。これは私は仲がいいのですから、内藤さんと御懇談申し上げる。いずれそういうわけですから、もうこれで終わりますが、あるいはまた、その推移いかんによっては、
見解もたださなければいかぬと思いますが、事
教育上の問題であり、こういう
質疑の過程においていろいろな
法律根拠による議論の行なわれる問題もあるなら、十分な慎重な御検討と配慮によって、
教育界がいたずらに混乱する禍根が将来に残るというようなことを極力排除するような姿勢でやってもらいたい。おそらく、どこの
教師といえ
ども、やったことについて悪びれるなどということはないと思う。皆さんもまた、その点ははっきりした態度でやっていただきたい。これで終わります。