○
委員長(
前田佳都男君) 御
異議ないと認め、さよう決定いたします。
〔
松浦清一君の
発言未了の
部分〕
第二は、次は
日本船の
無線通信のやり方が、
外国船と非常に違うということであります。
日本船と
外国船との
無線通信の
方法上最も大きな相違は、
日本船が
世界のどこの
海上からも、直接かつ
日本語で、
日本本土と短波による
無線連絡を行なっているに反し、
外国船ではもよりの
海岸局を中継して、自国との
通信連絡を行なっている点であります。
日本船のような遠距離直接
通信方法をとるためには、送受信を可能とする
空間状態の把握、
船舶の所在地と
日本との時差の
関係、
連絡の
迅速性、規模・出力の大きい多種類の
無線機器の装備、これら
機器の
保守整備、
日本の
海岸局自体の
交信能力等々から、
通信士を三名乗り組ませ
無休執務制を行なうことが、どうしても必要になってくるのであります。
では、なぜこのような
通信方法を
日本は採用したのかと申しますと、それは、
日本は
国自体としても、また
海運国としても、
世界の
後進国ですから、
英米のように国際的な
通信網を自己の
支配下に持っていないからであります。
外国の
支配下にあるこれらの
施設を利用して
通信を行なうことによって、莫大な
料金を外貨で支払うよりは、むしろ三名の
通信士を乗り組ませても、直接
連絡の
方法をとったほうが、
運航上の利便からも、
通信料金の上からも割安であり、
ぼう大な
通信を安く早く正確に行なえることとなり、総合的に見て利益であるからであります。なお
外国の
海岸局を経由すれば、
欧文符号を用いなければならず、かつ何カ国かの
陸線を経由するので、多くの時間を要しますが、直接
通信方式をとれば、
日本語を
日本符号を用いて
通信できますから、すべて簡単に行なえるわけであります。また
料金も
外国電報料金の何十分の一ですむのであります。一例として、
和文電報七十五字に該当する
欧文電報を
算出根拠として、
国内、
国際電報を
比較してみますと、
国内料金の二百六十円に対し、
各国の
海岸局経由で、
アメリカ合衆国からは五千二百二十二円の二〇・一倍、アルゼンチンからは八千百六十円の三一・四倍、英国からは六千四百二十六円の二四・七倍、南阿連邦からは九千七百十円の三七・三倍というように、二十倍から三十七倍の高い
料金となるのであります。
第三に、
わが国の
気象を正確に把握するためには、広範な海域に活動している
船舶からの
気象報告が絶対に必要だということであります。
わが国は年々
台風や
暴風雪等によって、大きな
災害を受けている国であることは御
承知のとおりでありますが、これらの被害を少なくするためには、正確な
気象の
予知が必要であることは申し上げるまでもありません。
さてこのためには、
時々刻々の時点における、できるだけ多くの地域の
気象要素を入手することが必要であります。しかるに、
わが国は狭小な
島国でありますから、広範囲にわたる
気象要素を
陸上の地において入手することができません。
たまたま広い
海上に
航海する
日本船舶は、この意味において、まさに移動する測候所であります。これらの
船舶から刻々と送られる
気象報告は、各地の
気象台の
天気図作製、
気象予知に欠くべからざるものとなっておるのであります。
伊勢湾台風やその後の大きな
台風の
襲来によって、一たび
大災害を受けますと、
定点観測船の増加など
気象観測の
整備がやかましく叫ばれます。しかるに、これら
船舶からの
ぼう大な
気象報告を不可能にするような、
船舶通信七の
削減を今日
政府みずからが意図するなどは、およそ非常識もはなはだしいものといわなければなりません。
むしろ
政府は国費を投じても、これらの
船舶からの
気象報告を、できうる限り多く確保するための手段を講ずべきであります。
第四に、
日本の
船員費は
外国船に比べて安いということであります。
いかに本国との直接
通信方式が便利であっても、
日本の
船員の賃金が
外国船と同じ
水準あるいは高
水準にあれば、三名の
通信士の
乗組を法で強制することは、
高度経済成長政策に伴う
国際収支の
赤字解消等に関連して、
わが国の
海運に対する
国家助成が、強く要請されている今日、それは確かに問題となります。
しかし、今日の
日本船員の
給与水準は、
外国船に比べで低く、
同型船舶の
船費の中に占める
船員給与の
総計比は、
日本船にたとえ二名の
通信士を余分に乗せてもなおかつ
外国船よりもはるかに低いのであります。
したがって、これが
海運企業の
経営を圧迫してはいないのであります。
さらにまた、
日本の
船舶通信士は
外国の
通信士に比べて多くのすぐれた点を持っております。まず
海上への
定着性ですが、
外国の
通信士は
海上に長く勤務するものが少ないが、
日本の
通信士は
航海士、
機関士などと同じように、
通信士として船に乗り組むことを一生の職業としているものが大
部分であります。また
教育水準や
技術水準も
外国の
通信士より高く、船内における
地位も醜いのであります。これらが総合されて、
船舶通信士として
海上の安全や、
船舶の
運航に寄与するという
職責遂行意識が、
外国の
通信士よりはるかに強烈であります。
日本の
船舶通信士は、その
職務を遂行するにあたって常にその信条としているものは、
海上における
人命、
船舶の
安全保持であります。このようなことは
外国の
通信士には見られないところであります。
以上申し上げた四つが、
日本において
無線の
無休執務制が法定されるに至った
事情でありますが、これらの
理由はすべて今日においても何らの変わりはないのであります。
御
参考のため、
船舶職員法を
現行のとおり改正したときの国会の模様を思い起こしていただきたいと思います。
昭和十九年、
無線の
無休執務制を法定した第八十四議会において、
八田国務大臣は、
主管大臣として
無線の
重要性と
通信士の
地位について次のように述べております。
「
法改正の趣旨は、
船舶における
無線電信運用の
重要性にかんがみ、これに従事する
無線通信士を
船舶職員とし、その
乗組を強制するとともに、その
志気昂揚をはかるにあります。
船舶通信士は
船舶運航上、
航海士、
機関士と同様の重要なる
職務を有するものでありますので、これに
海員的自覚を促すことによって、その
職責を完遂せしめんとの意図のもとに、これを
船舶職責とし、その
地位及び
員数等を考慮して一等より三等までの職階を附することに致したのであります云々……。」
第三に、
通信士の
削減は
国際競争力の
強化にはさほど重要な
部分ではないということであります。
過去十六年間にわたって
実施されてきた
無線の
無休執務制を、
政府や船主が
外国船との
比較で今日取り上げてきているのは、
海運に対する
助成策とのからみ合いからであります。国の
助成策を必要としない
状態に
日本の
海運が置かれておれば・
通信士の
定員問題などは起こらないのであります。
したがって、この点についての私
どもの考え方を、この際明らかにしておきたいと思います。
まず、
日本海運の
国際競争力を
強化する点についてでありますが、これについては、
日本経済と
日本海運の発展を念じこれに協力している私
どもとしても同様に痛感しているところであります。
陸海を問わず、
海運を
経営する上において、冗費あらばこれを省き、燃料や
消耗品を節約したり、
船体備品の保存、手入れに努め、その他
最大の注意を払って工夫、節約すべきは当然であります。
もしも、
日本の一
船当たりの
船員費が、
外国船より高いというのであれば、もちろんこの問題も慎重に考慮しなければならないと考えております。しかしこの
船員費は、
日本のほうがはるかに低いのですから、
通信士が三名乗っているとしても、このことが
日本の
海運が
国際競争力に弱いという
理由にはなりません。しかるに
競争力を
強化するという
理由のもとに、その
原因になっていないものに手をつけられることには、
反対せざるを得ないのであります。
御
参考までに総トン数約八〇〇〇トンの
貨物船における
各国の
外航船員給与の
比較を申し上げますと、これは
アメリカ合衆国商務省海事管理部一九六〇年八月謝のものでありまして、ここにいう「
船員給与」とは基本給、時間
外手当、その他乗船中の諸
手当の合計でありますが、アメリカを一〇〇として表通り朗読いたします。
以上のとおり、
日本船員の
給与は
世界の
主要海運国のいずれよりも低いのであります。
しかも、前に申し上げたように、安全、
運航、
海上労働の上に重大な
影響をもたらすものでありますからなおさらのことであります。
では、
日本の
海運の
競争力が弱い
原因はどこにあるのか。それは申し上げるまでもなく、
ぼう大な
戦時補償を、損害の
程度や
企業の性格などが全く違う
海運に対して、
陸上の他
産業並みに打ち切ってしまったことにあります。
英米等はこれらの
補償を完全に行なっているのですから、
補償打ち切りによって
ぼう大な
借金と金利を背負っている
日本の
海運が、これらの国の
海運に太刀打ちできないのはあたりまえであります。しかもこの
ぼう大な
借金は
日本の
自立経済のための
船腹増強という国策によって背負わされたものが大
部分なのであります。
したがって
日本海運の
国際競争力を
外国並みにするためには、これを弱化させた
原因を是正すること、つまり
外国と同じように
戦時補償を完全に
実施する以外にはないのであります。これに
関係のない
枝葉末節に目をつけても、この問題の解決にはならないのであります。
船舶の
通信体制は、
海上の安全という人権の問題と
電波に関する
技術上の問題ですから、
助成策とのからみ合いでどうこうすべき問題ではないのであります。
海上の安全と
船舶通信が
現状と同じ
程度に確保されるか、あるいは、より充実向上させる他の
方法が生まれたときに、初めて
現行体制の可否が論じらるべきものであります。要するに、政治的に扱うべき問題ではなく、純
技術的な問題として考究されるべきであります。
次に大事なことは経費の節減にはならないということであります。
削減論者はよく
通信士の
定員を減らすことによって、巨額の費用を節減できるようにいっていますが、人件費が減る反面、
通信料金が
ぼう大なものになることを考えるべきです。これは現在は三人乗っておるために、
世界のどこからでも、
日本船舶は本国である
日本と直接
通信を行ない、したがって
日本の電報
料金で済んでおりますが、一名となることによって、本国との直接
通信は今のようにはできなくなり、
外国の
海岸局を経由して本国と
連絡することになりますから、このため現存の二十倍、三十倍、多いところでは四十倍もの
外国電報料金を支払わなければならなくなることは前に申し上げたとおりであります。しかもこれは外貨によってであります。また
通信士の
定員が一名になることにより、これまで船内でやっていた修理等も陸の工場でやることになろうし、時間外労働もうんと増大することになりましょう。それやこれやでどれほどの経費節減が得られるかは疑問であります。
加えて
通信の不円滑による
運航、配船等の不便をもたらし、レーダー、ローランその他、船内の
電波航海計器の
整備、故障修理な
ども、これまで
通信士がやっていたものができなくなるなど、総合的に見た場合は、
競争力の
強化どころか、むしろ大きなマイナスを来たすものといって差しつかえないのであります。
むしろ、
日本は平和国家の建前からも、
船舶無線の
無休執務制の
実施を、
海上の安全という見地に立って国際
会議で堂々と主張すべきであります。貧乏国の
日本が十六年間もやってきたことが、
英米等にできないはずはありません。
日本は理想論としてこれを主張するのでなく、りっぱな実績の裏づけがあるのですから、このことによって低賃金、低労働
条件といわれる悪評を一掃する上にも大きな効果があると思います。この長いりっぱな実績を捨てて、この面に関する限り、著しく
日本より劣っている
外国に合わせるなどということは、あまりにも退嬰的な考えといわねばなりません。
第四に、今問題となっておりまするオートアラーム(自動警急受信機)は
通信七のかわりはできないということであります。よく
削減論者は、オートアラームを備えるからといいますが、これもまた戦前からある機械であって、目新しいものではありません。この機械の役割りは、遭難し救助を求める
船舶が、遭難信号なり遭難
通信を発信する前に、警急符号(四秒間の長符を一秒の間隔をおいて十二回出すことになっている)を発した場合、これを受信して自動的にベルを鳴らす装置であります(SOSによっては作動しない)。この警報によって
通信士が配置について遭難船と
通信することになるわけであります。したがって
通信士にかわって送受信を行なえるというものではなく、いわゆるオートメとはほど遠いものであります。またオートアラームが正確に作動するためには、その瞬間において次のようなたくさんの
条件が、完全に満たされていることが必要であります。また、これらの中には人力によっていかんともしがたいものもありますし、また
海難という異常
状態のもとにある遭難船には、とうてい期待できないものもあるわけであります。
第一の
条件として、遭難
通信の前に警急符号が発信されなければならないこと。遭難船がこれを発しなければオートアラームは作動いたしません。しかし、遭難し救助を求める船は、一刻も早く自船の危急と位置等を知らせたいのであって、この貴重な時機に当てにならないオートアラームを対象に、漫然と警急符号を一分間も発し、さらに遭難信号発信までに、二分間も浪費するような心理
状態にはないのであります。
第二に、一方、オートアラーム
自体は完全なものであって、しかもその警急符号を受信する時機において、そのときの
空間状態、相手船の送信電力に見合って完全に調整されていなければならないのであります。しかし調整を必要とする時機、すなわち船が遭難し警急符号をいつ送ってくるかは予測できることではないし、また、そのときには、調整をする人、つまり
通信士は配置についていないのですから、これを期待することはできないのであります。
さらにまた
空間状態が良好でなければならないということであります。
オートアラームの受信
電波は五〇〇KCですが、これは空電や混信の多い中波帯の周波数でありますから、これらによる誤作動や不作動が特に多いのであります。
オートアラームはしばしば誤作動を起こして不必要に警報ベルを鳴らし、しかもこれが非常に高音であるため、
乗組員の安眠妨害をすることがきわめて多いのであります。ですから、作動しないようにこのスイッチを切ってしまっておる船も決して少なくないのであります。
第三には、オートアラームを装備した船が、遭難船から至近の距離にいなければ、正確に作動しないということであります。
以上のようなことから考えても、オートアラームがいかに信用できないものであるかがわかると思います。
外国の
通信士も、もとよりこれを信頼しておりません。
世界の海員団体の国際組織であるITFにおいても、オートアラームは信頼できないから、
海上の安全のためには人間による聴取が必要であるとし、三名の
通信士の
乗組を強調しております。
ではなぜ信頼できないオートアラームを
外国船は装備しているのでしょうか。それは、人的資源に乏しく、
船員を得ることが困難な欧米の
海運国が、
海上の安全のためには人間による
無線の無休聴取が必要であると考え、これを
条約化したものの、現実に三名の
通信士を配乗することができないため、オートアラームの不完全さを知りつつも、これをもって代用できる緩和規定を設けたからであります。
つまりオートアラームは、
海上の安全上信頼できるものとしてではなく、これを装備することによって、
通信士を一名にできるという方便だけのものであります。いわば一つの抜け道であり、当初から形式的なものにしかすぎなかったのであります。
これまでオートアラームによって他船を救助した例が、
世界的に見てもきわめてまれであるという事実が、これを立証しておるといえましょう。
以上がオートアラームについての大要ですが、結論として、
海上の安全上にも信頼できるものではないし、
通信士のかわりに送受信ができるものでもないのでありますから、さきに申し上げた
日本の
通信士の
無休執務制を採用した
特殊事情や必要性を、これによって何一つ満たすことはできないわけであります。したがってこれを装備することによって
通信士を
削減することは、
人命と
船舶の安全上とうてい
賛成することができないのであります。
第五に、
船舶通信の
無休執務制のために救助することができた白梅丸遭難救助の例を申し上げましょう。日海丸(二五〇〇トン)はフィリッピンでラワン材を満載し
日本に向け帰航の途中、
昭和三十四年十一月十二日未明沖繩南方約五百キロの
海上で、
台風二十号に遭遇して、ついに沈没した船でありますが、
乗組員は三十八名中三十五名という大
部分の者が、この激浪の中でタンカー隆邦丸によって奇蹟的に救助されたのであります。
この遭難と救助に、
無線の
無休執務制がいかに大きな威力を発揮したかは、救われた者も救った者も、ひとしく大きな感動をもって認めるところで、今なお
関係者の語り草になっております。
当時の
事情はというと、日海丸が救助を求めてSOSの発信を始めたのが午前三時半過ぎでありました。したがって一名の
通信士しか乗っていない船ではこの時間は
通信士の執務時間外でありますから、このSOSを受信できないわけであります。ところが
日本船では
無線の
無休執務制をとっておりますから、当時日海丸にもっとも近いところを同じように
台風と戦いながら
航海していた隆邦丸の
無線がすぐにこれをキャッチいたしました。隆邦丸は直ちに救助のため行動しましたが、近いといっても
海上のことですから相当の遠距離であり、また荒天の中でもありますので、隆邦丸が日海丸の遭難現場に到着したのは同日の午後一時二十分でありました。一方日海丸はその四十分後の午後二時四分に、隆邦丸に見守られながら、沈没したのであります。
台風による荒天の
海上で、三十八名中三十五名という多くの
船員が救助されたのは、両船々長の適切な指揮、
乗組員の沈着な行動、その他いろいろの
要素がありますが、その前提をなすものは、隆邦丸が日海丸の沈没前に現場に到着できたことであります。もし隆邦丸の到着が日海丸の沈没後であったとすれば、荒天の
海上では遭難現場を発見することそれ
自体が不可能であります。また、たとえ現場を発見し得ても、そのときには日海丸の乗員は激浪にもまれて、おそらく生存してはいなかったでありましょう。隆邦丸に至近の距離から見守られつつ沈没したればこそ、日海丸の乗員は隆邦丸の視認下にあり、かつ勇気づけられ激浪と戦い抜いて救われたのであります。なおこのような荒天時には救助艇は用をなしませんから、日海丸
乗組員は全員海中に飛び込み、隆邦丸が一人々々これを収容したのであります。
以上のように、この救助の成功の
原因は、日海丸のSOSを隆邦丸が直ちにキャッチし、救援に向かったことにあるのであります。SOSを直ちにキャッチできたのは、隆邦丸が
無線の
無休執務制によって常時聴取の体制にあったからであります。
当時
日本船では隆邦丸のほか、木曾春丸、和島丸等も日海丸のSOSを受信しましたが、隆邦丸が最も近かったので、最終的には同船が救助に向かったのであります。一方、
外国船で付近を航行しておったものも二、三あったのでありますが、日海丸のSOSを受信したものは一隻もなかったのであります。
このことは、この
法案を考えるにあたって最も注目すべき点であると思います。
第六に、自船の安全は他船の安全に通じ、この安全性は不断に向上させるべきものであります。
陸上であろうと
海上であろうと、安全というものは不断にその向上をはかっていくべきものであって、これを低下させるようなことをしてはならないのであります。なぜなら、安全性ということは、人間性の向上などと同じように、いかなる段階になってもこれでよいということはないからであります。したがって、人間や、物の安全性は、いろいろと工夫や改善を加え、また経済力とのかね合いも考えながら、可能な限りの措置をとりつつ、常にその向上をはかっていくべきものであります。いかなる場合もこれを低下後退させるようなことをしてはならないのであります。
また、自船の安全のためには一人の
通信士で間に合うのに、いつ聞こえてくるかわからない他船の遭難に備えて、三人の
通信士を乗り組ませておくことは不経済だという
意見があります。
なるほど、他の船には全部三名の
通信士が乗り組んでおって、自分の船だけが一名の
通信士であるなら、自分が遭難し救助を求める場合に、すぐこれを聞いて馳けつけてくれることになるからよいでしょうが、このような虫のよいことは通用いたしません。自船ということは、結局は全部の船を意味しますから、自船の安全のためには一名の
通信士でよいという論拠は成り立たないのであります。
海上の安全は
海上にあるすべての
船舶の相互連帯の上に保持されるもので、自分だけの安全ということは成り立たないのであります。
また、「いつ起こるかわからない
海難のために」といいますが、
災害や危険というものはそういうものなのです。いつ起こるかわからないからこそ厳重な安全体制を常時整える必要があります。また、
台風、水害等の被害が
外国とは
比較にならない
日本の地理的環境は、船から
気象台への
気象報告も、世間に知られない重要な役目の一つであります。
また、一名に
削減されますと、利用の電報はほとんど打てなくなり、家族との交信は隔絶されることになります。
船舶の
無線は、
海上の安全
通信と業務
通信を行なうと同時に、
電波法に定める公衆
無線電信局として、船客や
乗組員の私用、船長あての社用の電報を扱いますし、
反対に
陸上一般からの船客、
船員、船宛の電報も受信するのであります。しかも電報の送受は、
日本の
海岸局と船との直接交信によるわけですから、この場合の電報
料金も、船が
世界のどこにおろうとも、
国内料金並みの七十五字二百六十円であります。この種の私用電報の量は、現在業務上の
通信量をはるかにこえているのであります。
これも、
日本船が三名の
通信士によって無休執務の体制をとっているから可能なのであって、もし
通信士が一名になれば不可能なことであります。すなわち、一名になると安全上や業務上の
通信だけで手一ぱいとなり、欧州とか南米等の遠距離では
日本との交信時間が限定される
関係上、直接
通信が困難となり、この種、
日本字の私用電報はさばけなくなるからであります。
したがって、
日本の家族や
一般から船あてに電報を打つ場合も、船からの場合も、
外国の
無線局を経由する
外国電報として打つことになりますから、
料金も現在のような安い
国内料金でなく、前に申し上げたように二十倍、三十倍の
外国電報料を支払わなければならなくなります。これは、事実上この種電報が打てなくなることを意味するものであります。このことは社会的にも重大な問題といわなくてはなりません。
第七に、遠く陸地を離れて生活する
船員に、たとえわずかではあっても、人間としての社会性と、文化のかおりを与えたいものであります。
海上の安全や
運航上のほかに、船の
無線が果たしている大きな役割は、
海上に孤立した船に、わずかながらの社会性と文化をもたらしていることです。
世界の海に活動している
日本の船に対して、新聞電報が一日八回(延四時間)送られており、またNHK国際放送や短波放法が送られます。これらを受信し、船内新聞にしたり、テープレコーダーに吹き込んでおいて、適当な時間に拡声器によって船内に放送するのですが、これらはすべて
通信士の仕事であります。これによって
海上にあって
一般社会から隔離された
状態にある
船員が、政治、経済、社会の動きを知り、乏しいながらも文化の恩恵に浴することができるのであります。
しかし、これも
通信士が三名おればこそで、もし一名となればとうてい不可能となるのであります。せっかく
陸上施設においてこのような
船員の社会性、人間性を多少なりとも豊かにするための
方法が講じられ、今後より
強化されようとしているとき、肝心の船のほうを、この利用を不可能にするのでは意味がありません。
陸上生活においては、年とともに目ざましく科学、文化が進歩し、これらの恩恵に浴している今日、国としても、
一般の方たちも、家庭を離れ木国を離れて、
世界の海に働いている
船員が、せめてこの経度の社会性を得られるよう、理解してほしいものだと思います。
第八に、
外国と
日本船における
無線機器の保修と
通信士の雇用方式の違いを御理解いただきたいと思います。
日本では、
船舶通信士も他の
船員と同じように、船主に雇用されておりますが、
外国船の
通信士は
無線会社から派遣されているものが多く、また、船に装備する
無線機器も
無線メーカーが提供し、その保守と
整備の責任を、これらメーカーが受け持つシステムをとっているものが多いのであります。
日本船では、船内ではどうしてもできない大修理に限って
陸上に依頼し、大
部分のものは船の手持器材で、
通信士が修理することが常識となっております。
外国船ではこのような仕事はすべて
陸上なり、メーカーにやらせるのであります。
御
参考のため内外
船舶無線設備の
比較を申し上げます。これは九、〇〇〇総トン級
貨物船の例であります。表どおりに朗読いたします。
最後に私は、
委員各位に重ねて御理解を賜りたいことは、
船舶職員法や
電波法の改正問題が、
わが国海運に対する
国家助成とからみ合っている不合理についてであります。
わが国の
海運が、激しい
世界競争に抗し切れず、
借金の累増にあえいでいるということは、何も「一人や二人の
通信士が
外国船より多い」という、そんななまやさしいところに深因があるのではないのであります。私は、
昭和二十五年に参議院議員に当選以来、口を開けば、
海運のことを語り、その
国家助成の必要なことを力説してきたことは、
委員各位も御了承いただいておるとおりであります。歴代の総理初め、
関係閣僚の各位に対しても、公式、非公式にこのことの力説に余力を払ってきたつもりであります。
私の信条としては、
わが国海運の立ち直りを阻害するものは、いかなるものも排除して、これを助成することにあるのであります。しかるに
政府は、この事態を正視しながら抜本的な対策を怠り、
海運企業に
借金し、金利と償却不足を累増させ、今次、高度成長政策の進むにつれて異常な
国際収支の赤字に直面して、貿易外収入としての
海運収入が、
国際収支の上に占める比重の大きいことを初めて認識し、
海運の
経営基盤
強化のため、わずかばかりの
国家助成の代償として
通信士定員の
削減を強要しようとしているのであります。
世界の
海運国の、
海運に対する
国家助成をごらんになればわかるとおり、
戦時災害に対する完全
補償の上に、
船舶建造に要する資金に対する金利は、おおむね三分五厘ないし四分五厘であります。その他主要航路に対する助成、税制等に対する
特例、その厚い庇護は、あらゆる
国内産業に先んじ、あらゆる
国内産業よりも厚いのであります。
以上のような
理由によって私は、
政府は、すみやかにこの
法案を取り下げ、抜本的な
海運の
助成策を確立し、しかる後において、本件を、
海上航行安全審議会に差し戻し、専門的な
技術面からの再審を要請し、一方
海運労資間の良識ある協調を要請すべきであると思うのであります。「
通信士の
定員が、
外国船より多い」ということだけを強調して、この法を退化させ、
海運の
助成策の比には目をくれないということは、私の全く理解のできないところであります。
——————————