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政府委員(坂本信雄君)
横浜港は、戦後実は
日本の港の中でも一番接収比率が多いこと、ノース・ピアを初め新港埠頭も全部接収いたされました。その後いろいろ交渉がございまして、新港埠頭はほとんど今接収解除になりましたが、たしか昨年までだったと思いますが、新港埠頭の中でもワン・バースが、その裏に冷凍
倉庫がございまして、その冷蔵
倉庫をアメリカが使うということで、ワン・バースだけは完全には接収解除になっておらなかったのが、たしか昨年だったと思いますが、そのワン・バースも返りましたが、冷蔵
倉庫の問題はまだ現在残っております。そういう
状況で、各
港湾の各埠頭にございました、米軍が埠頭を接収するときには、裏の上屋だとか
倉庫も一部接収するわけでございますが、そういう上屋、
倉庫というようなものにつきましても、岸壁が接収解除になると同時に返されて参ったのでございますが、そのときに、今まで使っておりましたそういう施設を全部今のノース・ピアに移したのでございます。ノース・ピアに移すにつきましては、相当費用も要るわけでございまして、金額その他、私今はっきり存じないのでございますが、調達庁のほうで相当の予算をもってあの埠頭を整備したはずでございます。
現在の船混みの発端としては、私は
昭和三十五年くらいを
考えておりますが、三十四年くらいまでですとアメリカの利用率も割合多うございまして、
日本のほうの船混みも現在のようなことはございませんでしたし、埠頭の使い方としてはあまり差がなかったように思っております。三十五年くらいからだんだんとこちらの
貨物がふえる。一方、アメリカのほうの
貨物は、これは正式の資料を私どもは入手できないのでございますが、見た目では滅ってきておるように思っております。そういう
事情が出てきましたので、市当局ももちろん、
現地で折衝を開始しておりますと同時に、中央におきましても、調達庁に対してあの施設を
考えてもらいたいという御相談を申し上げております。しかし、そういう
事情で、今まで港内の各地にありました施設をまとめてあるということから、それはなかなかむずかしい問題であるというようことで、なかなか話は進展しなかったのでございますが、本年に至りまして、こういう
事情に立ち至りまして、私のほうからも調達庁のほうに、正式にこの問題を持ち出していただきたいということを、例の冷蔵
倉庫の問題もございますが、
お話をいたしておったのでございます。その過程におきまして、
横浜市のほうでは、また別途に司令官のほうと、先ほど
お話がございましたようなことがありまして、
現地の司令官は非常に協力的にやっていただいておる。これを正式の機関にかけるということになりますと、これはまた相当問題が多くて、なかなか速急には片づかないのじゃないか。むしろ
現地司令官との打ち合せによってできるだけ使わしてもらったほうが、現在の
港湾事情を解決するためには非常にむしろ有利であると思うので、そういう方法に
一つしぼってもらいたいというような
お話がございまして、実は私のほうは、その後正式なルートのほうはあまり強力に進めておらない
状況でございます。