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1961-10-25 第39回国会 衆議院 文教委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年十月二十五日(水曜日)    午前十時四十三分開議  出席委員   委員長 櫻内 義雄君    理事 臼井 莊一君 理事 坂田 道太君    理事 竹下  登君 理事 八木 徹雄君    理事 米田 吉盛君 理事 高津 正道君    理事 山中 吾郎君       伊藤 郷一君    上村千一郎君       田川 誠一君    高橋 英吉君       中村庸一郎君    濱野 清吾君       井伊 誠一君    野原  覺君       三木 喜夫君    村山 喜一君       横路 節雄君    鈴木 義男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         文部事務官         (大臣官房長) 天城  勳君         文部事務官         (初等中等教育         局長)     内藤譽三郎君  委員外出席者         専  門  員 石井  勗君     ――――――――――――― 十月二十四日  委員横路節雄辞任につき、その補  欠として山崎始男君が議長指名で  委員に選任された。 同月二十五日  委員山崎始男辞任につき、その補  欠として横路節雄君が議長指名で  委員に選任された。     ――――――――――――― 十月二十三日  民主教育の確立に関する請願外二十  四件(川上貫一紹介)(第六四〇号)  同外十八件(志賀義雄紹介)(第六  四一号)  同外二十二件(谷口善太郎紹介)  (第六四二号)  同外二十三件(川上貫一紹介)(第  七〇四号)  同外二十二件(志賀義雄紹介)(第  七〇五号)  同(島上善五郎紹介)(第七〇六号)  同外二十二件(谷口善太郎紹介)  (第七〇七号)  教材費国庫負担増額及び教材購入方  法の改善等に関する請願櫻内義雄  君紹介)(第七九六号)  同(保岡武久紹介)(第七九七号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  学校教育に関する件      ――――◇―――――
  2. 櫻内義雄

    櫻内委員長 これより会議を開きます。  文教行政に関し調査を進めます。質疑の通告がありますので順次これを許します。山中吾郎君。
  3. 山中吾郎

    山中(吾)委員 私は、明日学力テスト実施をされるのでありますので、この機会に、今度の学力テスト教育界、父兄、そういう人々賛否両論に分かれて論議をされておる望ましくない状態において、これを国民税金を一億円も使って強行しなければならないということについて、教育政策としての深い疑問がありますので、そういう正しい教育政策立場というものを堅持しながら、荒木文部大臣にお聞きをいたしたいと思うので、文部大臣もその点については政治的な意図を捨てて、教育的に真剣にお答えを願いたいと思うのであります。  大臣が昨夜談話として発表されたのをけさほど見たのでありますが、この学力テストに対して厳重な処罰をするというふうな言葉を吐かれておる。勤評問題は大人同士けんかかもしれない。しかし学力テストというのは純粋な子供対象とした教育政策中の中核をなす政策でありますので、そういう威嚇的な言動を弄しながらこれを強行するということ自体が、教育行政としては落第である。どこの国に行っても、学力テストを行なうのに一国の教育行政最高責任者が、新聞を通じて処罰をするという威嚇をしながら実施をした例はどこにもないし、今後どこの国にもこういう不祥事件といいますか、こういうまずい文教行政は私は想像つかないのであります。その点について文部大臣心境をまずお聞きいたしたいと思います。
  4. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私も山中さんと同じように、そういう違法行為などが起こらないで、教育の問題はすなおに行なわれることを希望するものでございます。外国でもこういうばかげた例はないとおっしゃいましたけれども、私もそう思いますが、ただ遺憾なことには、外国に例のない日教組というものがございまして、全国大会で一斉学力調査実力をもって拒否するということを団体意思できめているものですから、その指令が末端に到達いたしまして、新聞に散見するような、起こるはずのないトラブルが起こりそうな気配がございますから、そのことをめぐって好ましからざる事が起こらないように、未然に防止できるものなら防止したいものだという誠意を込めて新聞発表したのでございまして、外国に例がないのは、外国にもないことが日本だけにあるということからくるやむを得ざることであると思うのであります。従って、そういう事をかまえる気持があってのことでは毛頭ございませんで、全国どこででもすなおにこれが行なわれ、そうしてその結果が教育改善に役立つようにするために協力をお願いしたいという意思にほかなりません。もし意見があるとするならば、その結果について、いかにこれを活用するか、また文部省なり教育委員会なりがこの結果をいかに活用するかを見て、毎年行なわれる予定でございますから、来年以後の改善のために役立てるような建設的な意見を吐いてもらえないものかと念願しておるにとどまるのでございます。
  5. 山中吾郎

    山中(吾)委員 文部大臣は口を開けば、日教組があるからというふうなことで、御自分の文教行政がみずからの不徳のいたすところから混乱をいたしておるというふうな御反省一つもお出しにならない。しかし日教組自体は、構成員は全部国の免許状をもらって、教師というものを公認された者ばかりで、教師以外の何ものもいない、教師団体である。それが日本のいろいろの歴史的な条件社会的条件でこういう日教組あり方というものが生まれておるとするならば、日教組というものがいけないのだという文部大臣考え方の中に、文部大臣自身日本教育行政責任を回避しておるということと同じであると私は思う。やがてみずからのやり方が間違いであれば、教師自身反省することが民主主義であり、またそういう方向に文部大臣が考えられるならば、日ごろのようにばり雑言を吐いて文部大臣教師けんかをするようなそういうあり方というものは私は生まれてこないはずであると思う。そういう意味において、今度の学力テストについても一方的に日教組がいけないのだという考え方は、私は決して文部大臣の正しいものの考え方ではないと思うので、その点もう一回文部大臣心境をお聞きいたしたいと思います。
  6. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私は、現場学校先生意見があることは当然と思います。そのことはいささかも否定する気持はございませんが、しかしその意見は、さっきも申し上げましたように、あくまでも建設的な意見であるべきはずと心得ます。私はさっきも引例しましたように、労働団体と自称する、まさに広い意味でそう受け取れますけれども、おっしゃるように免状を持った学校先生の集団である日教組という職員団体であればあるほど、良識者の集まりであるはずでございますから、日本法律に違反し、あるいは世界常識に乖離するようなことを言ったりしたりするようなことのない団体であるはずであると信じたいのでございますけれども、遺憾ながら現実は脱線しておるといわざるを得ません。ILOからの正式の日本政府に対する公文書を見ましても、およそ教育政策課題は労使間の交渉事項ではあり得ないということを、明確に世界常識を通達して参ったのであります。一斉学力調査というのはあくまでも教育政策課題であり、教育行政からにじみ出る学校教育義務教育改善のための政策の一端であります。そのことに対して教職員団体労働組合の一種である、憲法の保護のもとの団体が、実施する以前からそのことを悪とみなして実力をもって拒否することを決定するということそのことが、世界に数例を見ない暴挙であると私は思うのであります。そのことからしましても私は、日教組という団体目的意識に間違いがあるのじゃなかろうか、教職員団体にあるまじきことを世界常識を脱線してやるがごとき姿を教育のために悲しむものであります。そういう意味で私は日教組幹部諸公反省を求めておるのにすぎない。その現実行動に立脚いたしまして無用のトラブルが起こらないようにということを、全国教師の一人々々の方々に良識を持って対処していただきたいということをお願いしておる心境でございます。
  7. 山中吾郎

    山中(吾)委員 学力テストのことについてきょう教育的に真剣に論議をいたしたいと思うので、派出的な論議を長くはしたくないのですが、文部大臣日教組は違法の団体であるというような言い方をしておりますが、これはけしからぬ話じゃないですか。憲法労働基本権に基づき、公務員法に基づいてできておるのであって、それを違法の団体であるかのごとく公の席上で、国会において独断的に宣言されるということは、これは責任あとで十分私は追及しなければならぬ。ただあなたが団体交渉事項でないものはしないと言うならば、これは一つの論でありますけれども、団体そのものを違法だと言うことはどこから出てくるか。そういう独断を堂々と国会の中でおっしゃるのでは、これは別の問題として論議をしなければならぬと思います。  それから学力テストの問題について、地方教育委員会及び教師が必ずこれを職務として受けなければならぬ義務があるかどうかということについては、過般のこの文教委員会横路委員その他の論議の中に、疑問があるということは残されておるはずです。疑問があるときは、公務員であっても時には意見を挟む、あるいは拒否をするというようようなことは、これは当然あってしかるべきであって、こういうことについて一方的にけしからぬというふうな、昔からの上から下に命令するだけの封建的政治思想は、すでに憲法の中にはないはずであります。この点についても私は別の問題としてあらためてなお論議をしなければならぬと思いますが、これはあとの問題にいたしまして、今度の学力テストについて教育政策として非常に矛盾がある、それをこういう状況の中になぜ強行しなければならぬかということの中に、悪く考えれば、それは隠れたる目的を持っているからだと私は言わざるを得ないので、この機会にお聞きいたしたいと思いますが、文部省実施要領の今度の学力テスト目的は、教育条件整備指導力の向上、それに育英制度その他の強化のための参考資料による、こういうことが掲げられておるでありますが、テストというもの、調査といいうものははっきりとした主たる目的が明確にあって、その目的に応じて方法というものが止まれ、その目的方法がぴったりと合っていなければ、そういう調査テストというふうなものは何の効果も出てこない、そしてむだな調査になると思うので、ここに並べられてあるような目的一つテストで同時にやろうというその中に、私は教育政策としてこの時点において強行しなければならぬような価値がないと考えておるので、しばしば大臣新聞目的を羅列して言われておりますから、その点についてお聞きいたしたいと思います。  第一の教育条件整備する目的、この目的テストの第一の目的でありますならば、その教育条件すなわち施設設備特別教室、その他の設備あるいは教員資質その他を調べるためにこういう学力テストをおやりになるとすれば、その目的に合う方法はどういう方法なのか。それはおそらく大都市、中部市、小部市、漁村農村、各地域の典型的な学校規模を持った学校を選び出して、それによって調査をすれば一番明らかであり、全員調査というものはそういう教育条件整備目的とした調査には合わない方法である、そういうふうに私は考えるのでありますが、第一の目的である教育条件整備のために全員テストをやるというならば、別に隠した目的があるというふうに、これはどうしても考えなければならぬ。目的方法がちぐはぐなんだ。教育条件整備調査は、これはやらなければなりません。やらなければなりませんが、そういう目的のために全員テストがどうして必要なのか。だから教育目的でないと私は考えるのであります。しかもこういう混乱の中に強行するという文部大臣の心の中がわからない。どうかしているんじゃないか。その点について目的方法がぴったり合っていないのを文部大臣が少しも吟味されていないようでありますから、ここでその点について疑問のないようにお答えを願いたいと思います。
  8. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 お答え申し上げます。  その前に、冒頭に山中さんのおっしゃったことで、他の機会に譲るという仰せではありますが、従ってお答えする限りではありませんが、誤解があるといけませんから申させていただきますが、私は日教組という団体自体が違法な団体であるということは考えたことがございません。従っていまだかつてそんな発言をしたことがございません。ですけれども、その行なうことが法律に違反し、少なくとも不当であるという実績は枚挙にいとまがないような状態である。ことに今度の学力調査に関しましては、先刻も指摘しましたように、全国大会でもって一斉学力調査実力をもって阻止するんだと決定して、末端組合にもこれを流しておるということそのことは、教職員団体としてはもちろんのこと、一種の労働組合という団体としてもあるまじきことと批判しておるのでありまして、それ自体を違法な団体などとは全然思っていないということを、この際明らかにしておきたいと思います。  今度の学力調査文部大臣立場においてしかなされない。またそれをしなければ学校教育法二十条なり三十八条の趣旨に反するという考え方に立って職員として行なわんとするものであります。それを受けて地方教育委員会というものは、当然これをなさねばならぬ義務づけが法律上、制度上確立されておる。また教育委員会の持てる権限に従って、それぞれの学校長に指示をいたしまして発令に実施したい、こういう法律上の体系に基づいて合法的な当然なさねばならないことをやっておるという趣旨であることをあわせて印し添えさしていただきます。  今度の学力調査がいろいろな目的を持っておるようだから、かえって焦点がぼけるのだというふうなお説もございましたが、学力調査を単に単純な、ただ一つ目的に集約せねばならないとは思いません。もし一つ調査でもって、一つでも、二つでも、より多くの目的があわせ達成されるならば、それこそむしろ好ましいことであるというふうにも思うわけでございます。ひとしく国定の血税を使いまするものはあらゆる工夫をして、最も効率的に活用すべきものと心得るのでございます。従って今度の学力調査が今まで何度も申し上げておるような目的に沿うものと信じておりますし、それ以外の隠された目的などは毛頭ないことを申し上げます。なおもっと具体的にお答えせねばならないことを承知いたしますが、このことは政府委員からお答えさしていただきます。
  9. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それではたくさんの目的を持ってこの学力テストをやろうとしておるのだ。いま一度局長からでけっこうですが、目的とするものをここではっきりとどういう目的とどういう目的を持っているのだということを答えていただきたい。
  10. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 この実施要領にもございますように、第一の目的教育条件整備でございます。第二の目的学習指導改善でございます。学習指導改善の中には、先ほど大臣が申しましたように、文部省学校教育法二十条によって教科に関する事項を定めることになっておりますので、この関係から文部省では学習指導要領を作りまして、各教科の目標、内容とその取り扱いに関する基準をきめておるわけでございます。この学習指導要領の今後の改善にも役立たせたいことが一つと、現場先生方が同じ条件の中で指導改善を工夫すべき余地が相当多いと思うのです。そういう学習指導改善に役立たせていただきたい。このことはサンプリング調査文部省が五%で実施しておりましたが、それが今日は六〇%以上希望参加を見ておりますのは、主として学習指導改善に役立っておるという事実が明らかになっておるのでございます。そこでその面をとらえまして、学習指導改善に資したいという趣旨でございます。  それから育英の問題あるいは特殊教育の問題も、大きく見ればこれは教育条件整備一つであろうと思いますが、教育条件の中にはもちろん教員定数の問題、あるいは先ほどおっしゃった教員の資格、免許状の有無の問題、あるいは教材教具の問題、校舎整備の問題、いろいろな条件があろうと思いますが、そういうものを学級規模別にこまかく分析いたしまして、より科学的な資料を作成しまして条件整備をいたしたい。同町にただいま申しましたように、この調査の結果どの程度経済的な困難なものがあるのか、しかも成績はある程度優秀であって経済的に困難なものがあるか、それによって将来一般の育英資金ワクをふやすなり、あるいは特別奨学生ワクをふやすように努力していきたい、その基礎資料を得たい。それから同町にこの調査の結果非常に成績が落ちておる者もあろうと思うのでありますが、その子供たちのために特殊学級整備をはかっていきたい、こういうのがねらいでございまして、この調査目的は大きく分ければ学習指導改善教育条件整備、それらがもう少し具体的に四つの分類になっておるのでございます。
  11. 山中吾郎

    山中(吾)委員 要領には四つ書いてありましたね。
  12. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 要領では四つ書いておりますが、その大きなねらいは一つ学習指導改善でありまして、そのうち学習指導改善の中には二つあるわけです。というのは、一つ文部省の作る学習指導要領の今後の改訂の指針にしたいということが一つと、現場学習指導改善。それから教育条件整備は二つありまして、これは一つ教員定数あるいは資質の問題、教材教具の問題のいわゆる教育条件整備育英の問題あるいは特殊教育の問題、都合四つになるわけでございます。
  13. 山中吾郎

    山中(吾)委員 まず正直に御疑問の点をお聞きしたいのですが、そのうちの教育条件整備のための学力テスト全員テストは必要でないことが常識だと思いますが、その点はいかがですか。
  14. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 できるだけ全員テストが望ましいと思う。五%、サンプルでやりましたけれども、あの調査の結果をごらんになってみればおわかりになると思うのですが、ただ傾向しかわからない。僻地の方が一般的に部会よりは悪い、あるいは都会の中でも山手の方がいいとか、あるいはそうでない地域が悪いとか、一般的な傾向しかわかりませんので、同じような学校校規模教員定数がどうなっておるのか、あるいは免許状関係がどうなっているのか、あるいは教育費関係がどうなっているのか、これは実に千差万別なんです。ですからできるだけ同じような条件のものを集めまして、今後の教育改善にいたしたいということでございまして、条件整備をするにいたしましても、サンプリングの五%ではただ傾向しかわからない、これだけでは的確に行政運営の判断がつきかねるわけであります。できるだけ悉皆が望ましいわけであります。
  15. 山中吾郎

    山中(吾)委員 局長の言う話に飛躍がある。教育条件整備のための学カテストは、これは条件が千差万別であるので、全部やってもなおわからない。そうでなくて何学級から何学級規模のもの、それから教員の大体の組織の類似したもの、そういうものを抽出して初めて目的が法に合って結果が明確になるのであって、大都市、中都市、小都市漁村農村という地域の類型とその中の典型的な学校を選び出さなければ、教育条件の欠陥というものは出てくるはずがないじゃないですか。従って、教育条件整備目的のための学力テストというものは、全員テストの方がよくわかるのだというのは、これはほんとう調査通則を無視した独断理論であって、そういうふうなことをいつでも言われるから教師だって疑問を持ってくるのだし、われわれ自身の経験からいっても、教育条件整備については五%で足らなければ一〇%にしたらいいでしょう、あるいは二〇%にしたらいいと思いますが、全員テスト対象にするという理屈はついてこない。それを文部大臣がいつも抽象的に、教育条件整備のために今度の一斉全員テストが必要だというふうに単純に新聞その他で発表される。そういうふうな学力テスト通則あるいは専門的な知識を持っていないPTAその他の人々はそれはけっこうじゃないか、反対するのは教師が悪いのだ、そういうことで教育的にものを考えていくところの教師考え方を頭から否定をし抑えていって、それが正しい文教行政だという錯覚に陥っていると思う。今局長の言われたそういう論理は一体どこにそういう根拠があるのか、こういう条件整備に関する調査の場合に、総員テストが必要だという学説がどこの学者の書物に書いてありますか。
  16. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 どこに書いてあるか私も存じませんけれども、一般的に申しまして、たくさんの学校のある中で、これを整備する場合には、あるいは分析する場合には、お説の通り学級規模の問題、教員構成の問題、いろいろと分析をしなければならぬと思います。しかし、その分析をこまかにすればするほどたくさんの資料がなければできないわけです。お話のように、学級規模と、農村あるいは都会漁村というような区別だけでやりますと、これまた傾向調査に終わってしまうので、教員定数がどうなって、教員質的構成免許状の点がどうなっているのか、あるいは予算の規模がどうなっているのかというようなことをあらかじめ指定したところで非常にやりにくいわけです。全体の調査の中からそれを分析することが非常にやさしいわけなんです。ですから、なるべく数が多いほど条件整備はよくできるし、分析も的確にできるわけです。何と申しましても、今までの五%ではどうにもならない。だから、この際悉皆にして教育条件整備をはかっていきたい、こういう趣旨でございまして、全部あった方が、あとで集計し、分析するのに非常に便利であるということは、これは明確でございます。
  17. 山中吾郎

    山中(吾)委員 複雑なだけで便利ではないでしょう。条件整備のためには、教員の素質、それから施設設備条件を総合的に他の資料とともに副次的参考として、子供学力の進度というものを見なければならない、それだけの話であって、全国全部見ればテストにはかなり金がかかる、それだけの話で、必要なる抽出の限度というものは常識で一〇%、二〇%以内でこれは明らかになるので、国民税金をそんな単純な、常識的な、第六感的な理論で使うというようなことをするから、現場教師が反対する理由があるのじゃないですか。それを単純に荒木文相条件整備のためにやるのに反対するのはけしからぬ、そんな文教行政がどこにあります。そういうところから私は創造性を持ったいわゆるほんとう意味教師なんというのは生まれてこないと思うのです。これは局長と僕と論議しておれば、同じような勝手な独断理論ばかりで不合理になってしまうので、私はあえてこういうことを続ける気はありませんけれども、荒木文部大臣お答え願いたい。教育条件整備というこの目的に応ずる方法というのは、全国すべての子供テストをしなければわからぬという、そういう目的ではないのであって、目的方法を考えますと、今度の学力テストはちぐはぐになっているのだ、そこに教育政策としてあるいはむだな労力を使うということに対する今度の文教政策に正しい批判が入っているということは、これは荒木文相お認めにならなければならない。文部省が決定してきめたことだから絶対に真理である、だから教員のこれに従わぬやつはけしからぬ、こういう考え方の中からは日本文教行政は健全に発達しっこない、こう私はかたく信じておるので、こういう機会に、この第一の目的と合うところの学力テスト総員テストでなくて抽出テストの方が正しいのだというくらいの判定をもって、ある程度のものが反対する、批判をするということはすなおに受けるべきである、それでなければ文教行政は決して健全な発展はないと思います。学力テストを強行して、そして大部分は従うから、これをもって文教行政は進歩した、そんなばかな結論をもしもお持ちになるとすれば、とんでもないことである。その点について今局長と私と話をした対話の中に、ずいぶん飛躍した理論があると私は思うのです。教育条件整備のためには、教員調査施設設備調査、そして同じ規模を持った中で学んでおる子供たち学力の程度を調べ、全部合わせて教育条件調査ができるのであって、ただ日本全国の全児童生徒を調査することによって、そうしてよりよく条件整備資料が出るのだとか、それが一番いいのだというふうなことは、これはどうしても正しい論理ではない。その点について批判がそういうところからも出ておる、正しい批判があるのだということを文部大臣は認めなければならぬと私は思うのです。その点について大臣の御意見をお聞きいたしたいと思います。
  18. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 おっしゃることは一つの御意見であることはわかります。ただ、一般的に統計なり調査結果の効果というものは、その基礎資料が綿密であればあるほど真実に近いものが出てくる、大数観察上の信憑性というものは、調査対象が綿密であればあるほど上がるものだというふうに理解いたします。サンプリング調査そのものが物語るものはございましょうが、それはそれなりのことであって、五%が一〇%になればさらにその大数観察は正確度を増していき、一〇%が五〇%になればなおさらであり、悉皆調査であればベストであるが、それが真実そのものを物語るはずがございません。大数観察であり、統計である以上は、その傾向を知る以上のことはできないとむろん思いますが、しかし、それが真実に最も近づく限界というものは悉皆調査にある、こういうふうに理解するのであります。それに対して一億円程度の金をかけることはむしろ安いくらいじゃなかろうか。千二百億の義務教育の経費を血税から毎年支出しておりますが、その千二百分の一に相当するものをこれに注ぎ込みましても、私は必要以上の経費がかかったとは考えない。悉皆調査による効果は十二分にその経費を償って余りあり、よりよき効果を教育の場にもたらすものであると信じております。
  19. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そんな単純にお考えになって堂々とあちらこちらにおっしゃられておるから、知らない人は本気にして、ああそうかと思うのであって、教育条件整備は、施設設備、そういうものの地域格差その他を調べるのでありますから、子供の能力を調査するのではない。ですから、たとえば英才を発見する。現代科学教育の振興のために創造的な科学技術者を発見するという場合には、一人々々の能力を見、調査テストをやらなければ目的を果たさないことは当然である。そういう目的を前提とするならば、総員テストはそうしなければならぬのであって、そうでなくて、設備施設その他の欠陥を調べるのには、能力テストというものは副次的に参考にするだけでたくさんである。それを今お話しになったのは、教育条件整備という目的をお忘れになって、そうして多ければ多いほどいいのだというふうな、目的方法を分離して論議されておる。それから一歩もまじめに分析してお考えになる気はない。これでは私はまじめに論議はできない。教育条件整備という目的のためには、児童生徒全員の能力の調査というものは要らないのだ、一定の規模と一定の同じような条件にある学校抽出して、そういう中から先生の素質も含んで、あるいは怠慢さもある程度入るかもしれませんが、こういう格差が出ているという設備施設とを比較して、まず第一にその資料を見て、それに応じてそこの子供の能力、学習の差が出てくるということで全部完全にわかるはずであります。今文部大臣の言われた論理は、それならばなぜ人材開発のためのテストという目的をはっきりせられないのですか。そこからはやはり津々浦々のいろいろの条件にある子供、不利あるいは不利でない経済条件その他も含んで言うのであって、一人々々の能力を見るのに素質検査も加えれば、それは国家的に有用な人材を発見することができる、こういう目的ならわかるのですよ。教育条件整備を今論議しているのに、そういうことを全然無視して、そういうことを一国の文部大臣が言われるから、テストというものの性格がわけがわからなくなってこういう混乱がするのだと思うのであります。この点は今度実施したあとにおいても私はまじめにお考えにならなければならぬと思うので、実施したのだから次は同じようにやっていくのだ、そんな単純なことで国民税金をお使いになるのはふまじめ千万だと私は思うのであります。  次に、これも結論は、幾ら言ってもまじめに勉強される気がないのですから、あとに問題に残さなければならぬと思うのですが、第二の目的は、学習指導改善という目的。これも目的はけっこうである。学習指導改善するという目的には、目的に応じたテスト方法があるわけです。そのときに私が考える場合には、その指導改善をするという場合については、教えた先生が教え方が違う、進度も違う。従って、教えた先生が問題の出し方にタッチして、自分の教え方に応じてそうして問題というものを作成をしなければ、学習指導の向上という目的に応じたテストにはならない、こう私は思うのです。こういう目的を第二に掲げておいて、全国的に各地域教育課程の編成も違っておる、一片の文部省の基準はあっても、具体的には地域に応じた教育をするということが、戦後あるいは戦前を通じての教育政策の本質なんです。そして進度も違う、教え方も違う、教師の格差もある。ところがその教師に問題作成についての参加を全然与えないで、しかも全国一律の問題を出して、その結果を見て、指導改善、向上なんということはできっこない。その点について、目的方法にまたちぐはぐがあると思うので、ここに批判も出てくるし、疑いも持たれ、別に違った隠れた目的を持っているのじゃないかという批判が出るのは当然だと思うのです。その点について局長から所信を、独断的な所信がろうと思うのですが、お聞きして、もう一度文部大臣にまじめな答弁をそのあとでいただきたい。
  20. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 各学校先生が学習をさせ、その学習の効果を確かめるためにテストをやるわけでございます。それはそれなりに指導要録に記入されているので、その面から見ますれば、各学校とも学較差はないわけでございます。全部五、四、三、二、一の採点表がございますので、その面からは各学校には差はないという結論になるわけですが、現実にやる場合には学較差、地域差というのが非常に激しいことは事実でございます。その学較差、地域差を見るというのが今度のねらいでございまして、それでは指導要領でねらっているところの基礎的な問題、基本的な問題はどういう点にあるか、これは全国共通の課題だと思う。各学校とか各地域の実情に合う教育はもちろんけっこうでございますけれども、指導要領がねらっておる全国共通の内容については、これはどうしても各学校で十分教えていただかなければならぬし、理解させ判断する態度を養っていただかなければならぬ。その面を文部省は見たいと言っているのでございます。しかも、これが現実に、六〇%参加されました学校の実態を見ますと、毎年々々テストの結果を反省され、学習指導改善に役立て、だんだんと学習効果が上がっておるということは事実でございますし、県によっては悉皆調査をやられるところもあるし、九五%も希望参加でやっているところもあるわけであります。それはただいま申しましたように、これが学習指導改善に大へん効果があるという最も明らかな証拠だろうと私は思うのであります。
  21. 山中吾郎

    山中(吾)委員 それは依然として独断をまたおっしゃっておられるのであって、文部省指導要領を標準にして、そして学力検査をするということは当然だと思う。その標準に基づいて、こういう標準で皆さんが問題を作成しておのおの指導改善をはかりなさいという指導ならわかります。たとえば若手の教師に対して、教育委員会に対して、文部省の設定した指導要領に基づいて、かくかくの基準で問題を作成させ、問題作成の方針を定めて、そして地域にわたっておのおのその先生が、その地域における大体の教育課程というものは、文部省の基準の範囲内において、その地域に即する具体的な教科課程を持っておるはずであります。それに応じてやらせるならばわかる。そうではなくて、あなたのように全国一律に、そういう地方のおのおのの基準に応じた具体的な適用を無視して、基準を定めて問題そのものを出すということは、具体的な指導改善、向上の役に立つという方法ではないのだ、別な目的もかねて、またわけのわからぬことになってしまっておるのだと私は思うのです。率直に考えてそうでしょう。もちろん国の定めた指導要領を標準として全部教えなければならぬ法律的な義務がある、しかしその中において各教師、各地方教育委員会地域々々によって、その地域の産業に適応するようなものをある程度の範囲内において重視する、あるいはある地域では理科関係の能力が低いから、その付近においてはそれを強調するというふうな、基準の中において教育委員会の具体的な方針及び学校長の具体的な方針があって行なわれておるのでありますから、指導能力を向上するという指導改善ならば、その地域教育に具体的にタッチした人に問題を作成させるということ以外には、あなたの目的を達する正しい方法というものはあり得ないと思うのですが、その希望者がだんだんふえたから――その希望者がふえたということは、そういう人たちはまだ具体的にその地域地域に応じた教育方針を十分に持たないで、そしてただでテストしてもらえるからいいというぐらいのことでやっているのであって、みんなが希望したからそれでこれが正しい結果であるとか、そういうことなら指導なんて要らない、文部省なんかなくてもいい。だから、希望が五〇%おったから今度は全部やるということも非常な飛躍である、その点について批判がされるのは当然じゃないですか。私は、そういう意味で、第二の目的のためならば、問題作成の基準を文部大臣が作って、具体的に県教育委員会または市町村教育委員会にその進度に応じ、その地域に応じた問題を作成させて補助をし、そうして進度その他を考えて指導改善に資しなさいというならわかります。その点は、私の言うことがだれが見たって正しいと思うのですが、また何か理屈をつけて強弁されるのでしょうけれども、いま一度その強弁を聞きます。
  22. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 御説の通り、岩手県なら岩手県で、県が文部省指導要領の基準に従い、それぞれの地方の特殊事情を加味された問題を出され、テストされることは一向に差しつかえないし、またやっていただきたいと思うのであります。が、それとこれとは別でございまして、その場合に出てくるのは、依然として地域差というものは残るわけであります。岩手県の場合と東京都の場合あるいは青森県の場合、北海道の場合、地域差というものは残るわけでありますが、その地域差をどう解消するかということになれば、これは文部省以外にやるところはないわけであります。全国一斉の悉皆調査をやって、その地域差が明確になり、今後文部省の行政の面において、また指導の面において、改善を加えるべき実態が出てくると思うので、私どもはその実態を率直に把握いたしまして、適切なる行政運営をしていきたいというのがねらいでございます。
  23. 山中吾郎

    山中(吾)委員 全国地域差をなくするというなら、教育条件整備という目的に返るのじゃないですか。第一の教育条件整備のためには、これは抽出テストでできるという論議をして、そして今個々の先生指導改善論議してきているのに、全国統一も何も要らないじゃないですか。だからあなたの言うのは四つか五つの目的を並べておいて、この方法論に入ると目的を忘れてごっちゃにして論議をするから、だから私は、教育政策としてこんな思いつきの教育政策は今まで私は知らない、極言すればそういう感じを持っているのですよ。だから今の局長の話は最初の教育条件整備に戻ってしまう。指導改善の場合は地域の差異がそのままあってけっこうじゃないですか。そこで先生が自分で教えたということの中にその反省というものがあって、またそこから具体的に指導方法改善が出てくるのであって、今のような一斉調査というならば、これは能力調査ならいい。英才の発見だとか、いつかは人材開発と言っておりましたが、それなら一人々々の能力を調べて、上位の者をとって、特別の育英会資金をやるために大学に特に入れるための人間を発見する、これなら個々の人をやって、何分の一かの上の優秀な者をそこから抽出していくというためには全員が必要である。その場合には能力検査も加えるのだ、それは別問題で、また別な目的である。従って今の話は、指導改善ということからは全然違った方法論をお説きになっている。反対するのはあたりまえですよ。いま一度言いたいことがあれば言って下さい。
  24. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 文部省指導要領をきめておりますのは、これはきめておけばそれで済むものじゃないのであって、その学習の効果を確かめたいわけなんです。そこまで到達しているかどうか。ところが現実には学較差、地域差がはなはだしいことは、これは山中先生御存じの通りなんです。だからその学習効果を、少なくとも義務教育を出るときには全国同じレベルにそろえて社会に送り出したい。それで学習指導の面においても改善すべき点があるし、教育条件整備改善にも待たなければならぬ。この双方がかみ合ってくるのはあたりまえなんです。かみ合わない方が私は不自然だと思う。かみ合ってきてこそ効果が上がるわけでございます。
  25. 山中吾郎

    山中(吾)委員 全部同一レベルにして社会へ出したい、まことにあたたかいことですが、その精神は言わず語らず全部持っているわけなんです。その方法としてこういうテストは、それならおかしい、冷たいじゃないか、あたたかい心からやるとすれば、逆にまことに冷酷な方法だということにもなってくるので、最初から岩手の山奥の単級学校とか離山学級と、東京都の大学院を出た教師がずらっとそろっておる学校とは、そんな差異は初めからわかっているのですよ。そしてそういう金をわざわざ使って総動員体制のようなやり方をするから、ある意味において誤解され、また正しく批判をされて反対されるのだと思う。こういう場合について、今のように単一な問題の出し方ならば、素質検査なら素質検査で僕は賛成します。そんな天と地ほどの差のあるような、教育条件の差のある学校を前提として、こういうテストをしなければ一定のレベルにそろえる資料ができませんというような教育はどこにありますか。うそですよ。今のように偶然にいい者が出てくるかもしれないといって、国の税金を一億も使うというような無責任なことをやっておられるのはとんでもないことです。その点内藤局長論議をしても、あなたの方で腹の中で反省しないで、とにかく一日、二日過ぎればいいというお考えなら私はまじめに論議を続ける気力がない。  大臣にお聞きしますが、今言ったように、個々の学習指導改善という場合には、実際に指導している教師が作成に参加しなければそういうテストというものは目的方法が合わないのだ、これは常識で、最も単純な考え方で異議がないはずなんだが、局長はそうではないようなことを言っておるのです。局長と文相はまた人格が違うのだから、率直に父兄の素朴な感じからいってもおわかりになると思うので、大鹿のお答えをお聞きしておきたいと思います。
  26. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 一つのお説としてはわかるようなところもあるように理解いたします。ただ全国同時に同じ問題を通じてテストをやるということ以外には方法がないからやっておるのであります。問題を作ることにいたしましても、現場先生が作られる手もございましょう。けれどもそうでない方が今度の学力調査の問題にはかえって可なりではないと私は思います。と申しますのは、すでにして国全体の立場文部省が受け持って学習指導要領の作成の責任を負わされている。それに基づいて現場で学習が行なわれ、仰せの通りその地方その地方の特色も織り込んで、先生人々々の創意工夫等もまた加わって、現実教育が行なわれておると私は思いますが、最小限度、学習指導要領を制定し、それに基づいて全国的に同じ指導要領に基づいて行なわれるということの責任を負わされておる立場からいたしますれば、すでに定めました学習指導要領そのことも反省する責任も私は当然あると思います。ですから文部省が受け持っておる限りの学習指導要領改善に資するという意味学習指導反省資料にする立場からいたしますれば、今回のやり方以外には私は方法があろうとは思わない。ただしその成果は、同時に都道府県、市町村の段階における教育委員会責任を負わされておる学習指導の分担分野もあるわけですから、それにもまた反省資料として活用される。それぞれの学校一つ一つがまたその学校としての学習指導のための参考資料として活用される。現実には少なくともその三段階に分けて、一つ調査を通じて文部省が定める学習指導要領に関する限りにおいての参考資料反省資料、あるいはその参考、反省を通じて教育委員会現場先生方から、あるいは教育委員から現場とあわせた意見文部省に持ち込まれまして、今申し上げたような文部省がなさなければならない責任を持っている学習指導要領の内容の改善にも役立つであろう。そういうような理解の仕方に立ちまして、山中さんのお説も一つのお説とはむろん思いますが、このやり方の学力調査がなければ今度もくろんでおることの成果というものは、他のどういうやり方によっても期待できないであろう、そういう性質のものと私は理解しております。
  27. 山中吾郎

    山中(吾)委員 文部省義務教育に対する責任は、一定の教育程度のレベルまで持っていく、これは当然だと思う。そのときの文部省の一番大事な責任は、施設設備教員資質を統一をして、たとえば僻地には教員住宅をもっと充実をしてやるとか、あるいは特別教室について特別補助をやるとか、そういうことが文部省義務教育のレベルをそろえるについての義務だ、そういうことから第一の教育条件整備目的とした調査は私は賛成なんです。それは抽出テストで十分できるのだ。そこまでは文部大臣も私も同じ意見だろうと思う。ところが学習改善ということになれば、教えておる先生が問題作成に参加をしなければ何の意味もないのじゃないですか。だから目的方法をきっちり忘れないで話をされないと、文部大臣は非常に常識的にそのときの頭のきらめきだけでお答えになっているが、そうではなくて、今の学習指導改善ということを目的とした場合については、それらの教師が参加しなければできないのだ。これはおわかりのはずですよ。教育条件整備ということをしなければ義務教育の一定の程度まで上げることはできない、これは当然であり、上げるのが文部大臣責任だということは言うまでもありません。そのときは、第一の目的教育条件整備テストであっていいんじゃないか、私が言うことはそういうことなんです。今のようにお答えになるものですから、疑い深い者は、ほかに目的を持っているのだという論も出てくるのであって、出てくる人の考えも根拠があるのです。だから今のようなお答えからでは決してその疑問は解明されていないと思うのです。全国のレベルを引き上げるというふうなことならば、最初の第一目的に応じたテストをおやりになるし、学習指導改善目的ならば教師がタッチをした問題によっておやりにならなければならない、こういうことを私は言っておるわけなんです。おわかりになりませんか。この学力テストをあすおやりになっても、とにかく一たんきめたんだから、反省もしないで毎年むだ金を使ってやるんだというような無反省な考えを持っておるようではとんでもないと私は思うのです。あす実施をしてどういう結果になるかは知りませんけれども、その結果によって再びこれを続けるべきであるか、やはり目的方法の間に違いがあって、十分の有効なる結果を発見できなかったとかいうことの場合には、大臣は率直にこれを取りやめる、またあらためて検討するという、少なくともその考えがあるかどうか、まず最小限それだけをお聞きしておきます。
  28. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 最後のお尋ね以前に話がございましたから申し上げますが、先ほど来政府委員との間の質疑応答は、今度の学力テスト教育条件改善に役立てるという一つ目的、もう一つ学習指導に役立てるという目的、大分けすればこの二つの目的を持っている。その第二の学習指導に役立てるという点に関連してのお話の続きが、私に御質問が向いてきたから、その点だけを申し上げたにとどまります。むろん御指摘のように、もろもろの教育条件改善をせねばならない責任文部大臣というものは負わされております。ですから今度の学力調査を通じましても、その改善責任を果たすことにも百パーセント役立てたいものだというねらいがあることは、毎々申し上げておる通りであります。それだけならば今までの抽出テストで十分じゃないかというふうなお話ですが、それは先刻もお答えしたように五%よりは一〇%、二〇%よりは一〇〇%の方がより的確な、真実に近い根拠、条件が推定できるものができ上がるであろう、そう考えておると申し上げた次第であります。  同時に、学習指導に役立てるというもう一つの問題で先ほど来申し上げたわけでございますが、これは繰り返し申し上げるようですけれども、文部大臣に負わされております全国共通の最小限度の基本線と思われる学習指導要領の制定権限と責任、それは一ぺんきめればもう何年でもそのままでいくべき性質のものではないと思います。これをきめるについては、申し上げるまでもなく、一行政官が乏しい頭をしぼってどうするというんじゃなしに、その道の良識ある人々に御依頼を申し上げて、良心的な御意見を出していただいたものが集約されて学習指導要領ということになっていると思いますが、一たんきめたものが年々歳々の反省に基づいて、前向きによりよくなっていくように努力する責任も、あわせて文部大臣に負わされていると思うのであります。その責任を果たすよすがとして、一つ方法として、全国一斉学力調査ということをやって、それを通じて、その学習指導要領それ自身改善のための参考資料にも役立てたい、こういうことを申し上げておるわけでございます。従って、今山中さんおっしゃるように、一たん一斉学力調査をやることにきめたから、建設的な意見が出てきても知らぬ存ぜぬ、馬耳東風でそれをやりすごしていささかの反省もしないで、ただ無理押しをすればよろしいなどとは毛頭思っておりません。今度実施するにしましても、必ずや結果的に、調査する方法なり、問題の出し方なり、事前のPRが足りなかったとかいろいろとあると思います。またその結果を、分析したその成果を活用する方法等につきましても、批判もあるでありましょうし、考慮の余地があろうかと想像いたします。ですから、そういう事柄につきましては、虚心坦懐に建設的な御意見を取り入れつつ、ことしよりも来年はもっと効果的な、より合理的な、疑いのない、すべての先生が賛成できる、親たちも賛成できるようなものに仕立て直しをする努力をしながら、毎年積み重ねていくならば、先ほど来申し上げているようなこの調査目的がだんだんと果たされる方向をたどるであろう、こういうふうに思っておるのでございまして、すでに明日に迫りました今日、いろいろ貴重な御意見があったといたしましても、それをあしたに取り入れる方法は、物理的に不可能でございますから、その点は御容赦願いたいという気持で申し上げているのであって、いささかの反省もしないでやるという気持は全然ないことを申し上げさせていただきます。
  29. 横路節雄

    横路委員 今の山中さんの質問に関連をしてお尋ねをしたいと思うのです。いよいよ明日に迫ったわけですけれども、文部大臣にお尋ねをしますが、免許状を所有しない教育関係職員学力調査実施のためのテスト責任者、補助貴、立会人、採点員になるということは、私は教職員免許法の違反だと思うのです。教壇に教職員免許状のない者が立ってやるということは、これは私はどう考えても教職員の免許法違反だと思う。だから違法措置だ。日教組のやっていることが違法だというなら、文部省のやっていることが違法措置だ。だから、阻止をしてやらない者は処罰するのだというならば、文部省みずから教職員の免許法違反を犯してやっているということは、当然処罰されなければならない。人ばかり違法だ、そして処罰するのだといって、自分の方の違法はたな上げしているということは、私は、行政の責任者としてはおかしいと思う。この点はどうですか。
  30. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 仰せの通り、免許制度がございますから、免許状を持たない人が教えるということは適切ではない。しかしながら、免許状がなくても、便宜仮免許状その他の措置によって、次善、三善の策かしれませんけれども、一応現実面では、合理的に、適法にという配慮が行なわれて、教育実施されていると私は承知いたしております。お話しのようなことが現実にどうして起こるかよく私はわかりませんけれども、今申し上げたような範囲に関する限りは、違法とかなんとかということはあり得ない。ただ、好ましからざる状態が現にある。その好ましからざる状態を、言いかえれば、全部正式な免状を持った先生教育が行なわれるようにする努力が残されておる。その残されたことは、むろん別途努力し続けねばなりませんけれども、制度の問題としては、違法な教育が行なわれるようにはなっていないはずだ、こう理解しております。
  31. 横路節雄

    横路委員 文部大臣、それはあなたおかしいですよ。あなたはすでに都道府県の教育委員会に対して、この学力テスト実施要領について指示をした。その場合に、たとえば、テストの立会人については、市町村教育委員会の事務局職員などに命ずると、こうなっている。こんなものは仮免許状を持っていないですよ。免許状もないですよ。しかも、あなたの力では、実際に違法かどうかは別にして、教員が、私はテストの補助員をやりません、こう言った場合には、なお市町村の事務職員等をしてさせるのだ、あるいは都道府県の教育委員会の事務職員をしてさせるのだというが、それは免許状を持っていない。仮免許状もないですよ。そういうものに対しても、あなたは命じさせることができるとしてあるじゃないですか。これは明らかに教職員の免許法違反ですよ。この前から私は何べんも指摘しているが、これは違反です。こういうことは違法措置でありませんか。自分の方の違法措置はたなに上げておいて、そうして現場教員には、お前は違法行為をやっているから処罰するのだというのでは、私は当たらぬと思う。文部大臣どうですか。
  32. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 違法行為をした者をとがめるならば、文部省違法行為をしてはいけないのだというふうな相対ずくの問題じゃないと思います。どっちにしたって悪いことをしたものは悪いのであって、それはそれ肩身で別個の問題、文部省違法行為をやる意思もなければ、今度結果的にもそうなるはずがないと私は信じております。今おっしゃることは、教育そのものの範囲ではないと私は理解いたしますが、最悪の場合、先年がどうしても協力しない、しかしこのテスト現実にやろうという場合に、事務職員が立会人というか、監督者になる、あるいは採点するというふうなことが起こり得るようになっておるかどうか、私もそこまで詳しく全部は承知しませんが、よしんばそうでありましょうとも、違法の措置をとる考えは毛頭持っておりません。具体的なお示しの点について私の方からお答えをすべきことはちょっとお答えしにくうございますから、政府委員から申し上げさしていただきます。
  33. 櫻内義雄

    櫻内委員長 速記をとめて下さい。   〔速記中止〕
  34. 櫻内義雄

    櫻内委員長 速記を始めて。
  35. 横路節雄

    横路委員 大臣に聞いておきますが、今大臣は、学力テスト教育そのものではない、従って免許状や仮免許状を持っていない者であっても、テストの立会人や補助員や採点員になることができるんだ、そうすると、今まで私どもが、この学力テスト教育に関する事務に入らないではないか、こういうように言ったら、あなたは私にも答弁したし、村山委員にも答弁しているが、私には教育内容そのものだと言っておる。学力テストは専務ではない。そこであなたは地方教育行政の組織及び運営に関する法律の二十三条十七項を引用して、教育にかかわる調査だと、言っておる。この前あなたは教育事務とは離して私に答弁したのだ。ですから、そういう意味では、今まであなたの答弁は学力テスト教育そのものだ、教育内容そのものだ、それであるのに、たとえば現場教員が、私はやらぬといったときに、あなたは下がりなさい、そして都道府県の事務職員や市町村の事務職員が来て、立会人や補助員になってやる、やられることは教育そのものであるならば、免許状や仮免許状がなくて何でやれるのですか。あなたが言う教育に関する事務ならば別ですよ。しかし私が五十四条二項の教育に関する事務に入らないじゃないかと言ったら、あなたは何べんも二十三条の十七項だ、こう言って教育内容そのものだと言ってきたではありませんか。あなたはこれから壮行会があるということだから、このことだけ答弁していただいて、一時に来たときに――これは非常に重要問題です。免許状がなくても、仮免許状がなくても、教壇の上に立って、生徒に、さあ一斉に始めますよ、書きなさい、鉛筆を置きなさい、お出しなさい、これが何で事務ですか。これは教育ではありませんか。こういうことは教育そのものではありませんか。こういうことを事務だという考え方はおかしいです。そうすると、この間私に答弁したのやら、村山委員に答弁したのとは全く違うじゃないですか。なんでしたら、ゆっくり壮行会に行って、お帰りになってから御答弁していただいてもけっこうです。
  36. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 この前のお尋ねにそういう趣旨のことをお答えしたことはむろん記憶いたしております。学校先生が教壇に立って児童生徒に対して教える、教えたことをコンファームする一つの手段としてテストをやるということも、教育者の免許状を持った者の責任の範囲として明記されておる、その意味におけるテストというものは教育そのものである、教えること、そのものの一部である、こう理解しております。ところで今度の一斉学力調査は、文部省責任において問題を作り、それを現地に送付して、そして生徒たちがそれに書き込むまでのことをやり、書き込んだものを提出しましたら、それを取り集めて集計するということが、現場においてなされるすべてのことであると思いますが、それは教育に関する事務そのものであって、教えること、そのことではない、こういう理解の前提に立ってお答えをしております。
  37. 横路節雄

    横路委員 御答弁はあとでもいいけれども、大臣、いいですか、教壇に立って、さあ鉛筆を持ちなさい、名前を書きなさい、これから始めますよ、さあ書きましたか、時間がたったから鉛筆を渇きなさい、出しなさい、これが何で教育についての事務ですか。壇の上に立って、その学級の五十人なり六十人の生徒に、鉛筆を持って名前を書きなさい、これからテストを始めますよ、話をしてはなりません、お隣の人のを見てはなりません、そういうことはだめですよ、テストの立会人というのはそうではありませんか。鉛筆を置きなさい、お出しなさいということが何で事務ですか。これを、壇の上から立ってやる者が、免許状がなかったり仮免許状がない者がだれでもそこに来て、そして命じさえすればできるなんということで、それは事務だと言う。あなたは前に私に、教育に関する事務ではないんだ、この前ここでずいぶんやったじゃないですか、教育内容そのものだとやったじゃないですか。そういうことであす現に行なわれるのですから――しかし大臣も御用がおありのようですから、一時かっきりに来ていただいて――これは重要ですよ。そのことが教育でないという考え方文部大臣がやるということになれば大へんです。
  38. 櫻内義雄

    櫻内委員長 一時まで休憩いたします。    午前十一時五十八分休憩      ――――◇―――――    午後一時十二分開議
  39. 櫻内義雄

    櫻内委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政に関し質疑を続行いたします。  午前の横路委員に対する答弁がございます。荒木文部大臣
  40. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 途中で時間が切れまして、きちんとした受け取り方が、ひょっとしたら間違っているかもしれませんが、そのときはお許しをいただきます。  テストを今度やるにつきまして、いろいろな都合で免状を持った先生テストの進行ができないという場面のときに、事務職員等がかわってやるという場合があったら、法律違反ではないか、どう思うかというお尋ねであったかと思います。先刻も、午前中もお答え申し上げましたように、法令の定める線に沿って先生が児童、生徒に教える。その教える一つの結果を確かめるという角度からのテストをみずからの判断に基づいてされますテストは、むろん教育活動それ自体だと理解いたします。ところで今度のテストは、問題そのものも文部省責任において完全に作りまして、密封して現場に送り、それを開いて配り、答案を子供たちが書きましたものを取り集めるということだけが残されておる仕事だと思います。ですから本来の教育の場における先生を中心に考えましたときの、みずからなすテストは、まさに教育そのことと理解しますけれども、今度の場合はテストの実体とは直接関係ないので、あとの手続的なことだけが残されておるわけでございますから、従って教育に関する事務として事務職員が当たることも別に法律違反をもって断ずべき内容はないであろう、かように思うわけであります。同時に、本来すなおに今度のテストが行なわれることを前提に考えれば、問題はないわけですが、先生自体が拒否した、いやだと言って協力しなかったという場合の想定ですから、まあ一種のテスト事務の事務管理的な仕事を言いつけるわけですから、本質的には、おっしゃるような免状を持たない者が教育それ自体をやるんだというケースとは違うんじゃなかろうか。法律違反をもって断ずべきじゃなかろうと解釈いたしております。
  41. 櫻内義雄

  42. 横路節雄

    横路委員 今の文部大臣お答えは、教育の本質からいって非常にはずれていると私は思います。今の文部大臣のお話の中で、学校がそれぞれ独自の立場でやるテストは、教育自体、そのものだ、しかし文部省がやるテストは、密封して現場に送って、あとはただ事務的に処理するだけだ、だから文部省のやる学力テストは、十月二十六日にやるそのことは、いわゆるテスト事務のいわば管理だけだ、こういうお話です。   〔委員長退席、竹下委員長代理着   席〕 これはこの間からずいぶん時間をかけて当文部委員会で、文部省のやる学力テストは事務なのかどうなのか、それは事務ではないのだ、それは何だ、教育内容そのものだ――何べんも御答弁になった。この点は、文部大臣、それはおかしいです。今さらそういうことをおっしゃるのはおかしい。その点が一つ。だから文部省のやる学力テストも、それはやはり文部大臣がここで何べんも答弁されておるように、一つ教育内容そのものなんです。今になって教育そのものではないという否定はおかしいです。  それから次です。何か事務管理、事務管理と言うが、一体小学校や中学校教育というのはどういうことかということを、大臣は一ぺん授業が行なわれている状態を私の話を聞きながら一つ御想像していただきたい。これからテストを始めますよ、と言って答案を配る。ちょっと注意しますが、話し合いをしたりお互いに見せ合ったりしてはだめですよ。まず名前を書きなさい。それでは始めましょう、こう言って始めて、生徒の机の間をこつこつ歩くのです。だめじゃないですか、あなた、お話しして。あなたはどうも姿勢が悪いが、もっとちゃんとして書きなさい。見せ合ったりしてだめですよ。こういうことはやはり教育内容の一部なんです。事務ではないですよ、これは。それが事務だなんということになったら、これは文部大臣ほんとうに世のお父さんやお母さんなんかに笑われますよ。教育そのものなんです。だから何といっているんです、学校教育法は。私が言うまでもなく、学校教育法の中に、たとえば十八条の小学校における教育、あるいは三十六条の中学校における教育、そういう日常のいろいろな生活を通して、その中で指導して、その中で人格を形成していくんです。先生が見えないからカンニングしてもいい、見えたらしない、こういうことはだめなんです。それも道徳教育の一部なんです。だからそういうことが教育の内容なのに、それは事務なんだ、こう言って、あなたの方で、テストの立会人については、やはり免許状や仮免許状を持っていない事務職員でもよいということは、こういうことは文部大臣おかしいですよ。おかしいですよ、それは。筋が通らないです。筋が通らないばかりでなしに、教育そのものからいって、今の大臣の御答弁は筋が通らぬし、今までここで御答弁されている点からいって違います。大臣、どうですか、もう一ぺん御答弁いただいて、それでもどうしても足りなければ内藤局長から御答弁していただいてけっこうです。これは大臣どうもそのことが事務だという考え方は、教育全体については、全く、言うなれば御存じないのじゃないか、こういうように私の方で申し上げたくなるくらいなんです。
  43. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 この前お答えしたことときょうお答えしていることに本質的な相違はないと思ってお答えを申し上げております。一般論として学力テストというものは教育そのものかというお尋ねに対してお答えしたと記憶しますが、一般的に学力テストと言えば、学校先生が教室でかねて教えておる児童生徒に対して、教育活動それ自体として、みずからの発意でテストをするということも法令には明記してあると思いますが、それが一般論としての学力テストの姿だと思います。ところで、今度行ないます一斉学力調査というのは、文部省責任において、文部省のなすべきことをなすというテストでございますから、一般論で申し上げたテストそれ自体とは、要素は同じでありましても趣を異にするものと思います。いわば本則的には先生みずからが行なうテストが通常でございますけれども、例外として文部省責任において行なうテストがあり得る、あり得るからやろうとしておるという場合でございます。従ってさっきも申し上げた通り、問題そのものが文部省責任において作られておる。あとは開いて、配って、生徒が書いたものを集めて集計するということが事務として残されておる姿だと思います。そういう意味で、免状を持っていない者がそういうことをやること自体法律違反だと断定されるのには、私は賛成いたしかねる、こう考えて、お答えを申しておるわけでございます。
  44. 横路節雄

    横路委員 今文部大臣は、学力テストは本来教員がなすべきものである、そう御答弁なすった。私はこれは非常に大事だと思う。学力テストそのものは本来学校教員がやるべきだ、その通りなんだ。学校教育法に「教諭は、児童の教育を掌る。」となっているんだからその通りだ。今度の文部省学力テストは例外としてやるんだ。また、先ほどから山中委員の質問を通じて、教育に関する諸条件整備する、あるいは学習指導改善のためにやる、何か文部省の一斉学力テストテスト本来のものだ、教育本来のものだ、こういうように言っていらっしゃるかと思うと、今の御答弁は、本来の学力テストそのものは学校教員がやるべきだ、文部省のは例外としてやっていると言う。私は例外としてやるならば、こんな大騒ぎをしてまでやる必要はないと思う。それからなお、今大臣は、問題を作ったのは私の方だ、だから本来の学力テストじゃない、あとは開いて、子供に書かせて、採点して、集計する、そういう事務だけだと言った。しかし教育現場においてはどう行なわれているかということを、文部大臣、私は言っているんです。全国一斉学力テストの中学二年、三年の教室では、教育が行なわれている現場において、免許状を持っていない者、仮免許状を持っていない者が壇の上に立って、子供に、さあ鉛筆を持って書きなさい、話をしてはだめですよ、こつこつ回って――先生が皆中を見せたらカンニングをやる、先生の目が光っていたらカンニングはしない、こういう裏表のある人間ではだめなんですよということも、教育のその現場を通じて、テストが行なわれているその瞬間においても学習指導が行なわれて、人間形成というものがその機会を通じてなされていくというのが教育なんです。大臣、私はこの間は五十四条二項とか二十三条一号とか、二十三条十七号とか、そういう法律的な議論だけはしましたけれども、本来から言えば、学力テスト教育上の問題として議論しなければならぬと思っておったのです。今の大臣の、これは開いて、あと子供に書かして、採点をして、集計すれば、それは事務なんだ、そういう考え方で行なわれるということは、教育に対する重大なあやまちですよ。そういう学習、そういうテストが行なわれている中の教員としての指呼、そういう中における人間形成、そういうものが教育じゃありませんか。その点は、私は文部大臣は根本的に学力テストに対しても教育そのものに対しても重大なあやまちを犯していると思うのです。もしも大臣、これに対して、いや横路、お前の方が違う、おれはあくまで事務だと言うなら、その点もう一ぺん御答弁して下さい。私は今の文部大臣の考えは絶対に誤りだと思う。
  45. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 さっき申し上げた通りに思っております。
  46. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 大臣がお述べになりましたので補足いたしたいと思いますが、先ほど横路委員から、学校で行なうテスト教育活動だ、学校では確かに学習をいたしまして、教えっぱなしでは困るので、その学習の成果を確かめながらまた学習を続けていく。ですから、こういう意味におきましては大臣の今お答えになりましたように学習活動なんです。今回の文部省が行なう一斉学力テストはこれと性質が違うのでございまして、指導要領の基準にどの程度到達しているかというのを見ようというのでございまして、原則としては管内の中学校長テスト責任者になるわけです。そこでテスト責任者に補助員が必要なんです。補助員は学校先生がやるのを建前にしております。立会人というのは全体の統括をしているので、この立会人に市町村の職員がなるというのは別に差しつかえないと思います。今のお話の通り、原則は先生が補助員に任命されて行なっておる、立会人に市町村の事務職員がおる、こういうことでございまして、別に問題にされることはないのじゃなかろうかと思うのです。
  47. 横路節雄

    横路委員 あなたは初等中等局長だから、文部大臣を補佐するという立場で、大臣が言ったそれは事務管理だということを強調してやろうとしたのだろうけれども、それでは教育が行なわれておる実際というものをあなたは全然知らないということになります。そうじゃありませんか。そのテストを通じて、子供がそこに記入している、その中でやはり教師は常に指導しているのですよ。そういう中で、たとえば先生が見ていればカンニングしないが、先生が見てなければ隣のものを盗み見する、そういうことはだめなんですよ、そう言うこともやはりそういうテストの中の指導一つなんです。テストがどうして事務ですか。そういうものを通じて常時教育が行なわれていくというのが今日の学校教育でないですか。まあ文部大臣は知らないとしても、こういうことをあなたに私が申し上げるのはどうかと思うのですよ。あなただって十分御承知でしょう。それをあなたが、このテストは事務調査だ、従ってそのことは事務管理だけなんだ、こういうことを強弁するあまり、そういう教育に対しての重大な指導というものを没却するということは、あなた御自分の職からいっておかしいじゃないですか。そういう点についてもっと確固たる識見を持っておやりにならなければ――それが教育内容そのものではないのだ、そのものが学習指導ではないのだ、とんでもない話ですよ。常時の生活、常時の学習指導を通じて人間形成が行なわれていくというのが今日の学校教育ではありませんか。そういう点からいえば、内藤さん、あなたの方の筋は立たないですよ。立つなら立つと言ってもらいますか。
  48. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 事務的な調査でございますけれども、今お尋ねの点もございますので、この要綱をごらんいただきますれば、テスト補助員というのが各教室におって、それは先生がおやりになるということになる。全体の監督をするのが立会人でございますので、立会人に教育委員会職員が入ることは当然だと思うのでございます。現にこの要綱はあなたのおっしゃるようになっている。校長さんが責任者で、先生が各学校におってテスト補助をするわけです。立会人というのは全体の監督をする、こういう事務処理をするということでございますので、事務的な調査としてもその点は手落ちのないようにしてあるわけでございます。
  49. 横路節雄

    横路委員 今私があなたに聞いたいわゆる学力テストは、あなたの方は事務そのものだ、こう言っても、私はそうじゃない、学力テスト教育内容そのものだ、その点は間違いないでしょう。学力テストをやっている、それも一つの授業なんだ、それを通じてやはり教育が行なわれているのでしょう。その点はどうなんですか。
  50. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 教科指導でないことは間違いない。教科指導としての時間割りではございませんので、広い意味教育活動の一部になるわけでございます。学校教育というような考え方から見れば教育の一部だということであります。
  51. 横路節雄

    横路委員 問題を二つお尋ねします。文部大臣、今お話しのように学校長学校職員教員をしていわゆるテスト補助員を命ずる。ところが学校教職員はあしたは授業をするわけです。普通の授業をやっている場合も多くはあり得る。あるいは学校行事だというのですから、そうするとあしたは予定通り社会科なら社会科の見学に行っているところもある。あるいは予定行事でございますから、修学旅行に行っているところもある。あるいはそれぞれの学校においては、学年の中間テストをやっているところもある。そういう場合に、その学校長がかりにそこの教員に対して、お前は学力一斉テストの補助員だよ、こう文書で言ったか口頭で言ったか知らぬが言った。ところがその学校職員は、私は平生通り授業をやります、予定行事通りの学校テストをやります、こう言う場合には、今お話しのように免許状を持っている者でなければそのテストの執行はできないというのだから、そうすると学校教職員テストの補助員を命ぜられたけれども、私は学校の予定行事をやります、こう言えばできないですね。この点を明らかにしてもらいたい。その教員免許状を持っている。テスト補助員を命ぜられたが、私は予定通りの学校の行事をやりますということでやっていれば、その先化が学校テストをやる、予定の授業をやるという場合に、その教員を引きずりおろしてテストを執行するということはできないでしょうね。   〔竹下委員長代理退席、委員長若   席〕
  52. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 予定行事が行なわれておる、その教師を引きずりおろしてなどという場合は出てこないはずであります。と申しますのは、テストをやる補助員といいますか、やることに協力しなさいという職務命令があらかじめ出されて、そしてやるというわけですから、職務命令には予定行事を変更しても協力しなければならない立場にあるはずですから、引きずりおろして云々ということは場面として起こり得ない、御質問のその点に関する限りは起こり得ないし、また学力テストに協力せねばならない立場教師はある、こう思います。
  53. 横路節雄

    横路委員 今文部大臣は起こり得るはずはないと言うのですが、起こり得るのです。一つの例ですが、実は先般北海道に行きまして、北海道教育委員会と北海道の教職員の代表者の諸君が話し合いをした。そこで北海道教育委員会責任者は、私もここに持っておりますが、文部省の中学校学習指導要領のここにございます学校行事でやるのです。こういう答弁です。ところがこの学校行事はどうなっているかというと、学校行事は学校が計画し実施するものである、こうなっている。このことは当初の予定の学校行事じゃないのです。だからしませんよ、こういうように言ったら、北海道教育委員会であわててしまって、いや文部省の言う中学校学習指導要領学校行事ではないのだ、それでは何なんですかと聞いたら、前の中学校学習指導要領なんだ、こう言った。そこで混乱が起きたのは、北海道の教育委員会の方が混乱しちゃった。先般私がここで指摘をしたら、文部省の方では、これは経過措置としてすでにこれを使っているんだ、ですからそうなるとこの中学校学習指導要領にいう学校行事ではない、こうなったのですから、ここでいう学校行事とは学校が計画し実施するものなんだから、そうすれば学校の予定通り修学旅行だから行きます、遠足だからやります、学芸会だからやります、体育行事だからやります、あるいは学校によっては中間テストだからやります、年間を通しての教育課程の中の一つの授業としてやりますということを学校できめてやることは何でもない。ですからそういう北海道教育委員会の答弁があった。だから明日北海道では一斉に予定通り授業をやるところはやる、社会科見学に出るところは出る、そういう状態なんです。そのときに補助員を学校長が命じたとしても、かりにいや私は予定通りですよ、校長が部下教員を監督することはできても、学校教育法によって教育をつかさどっているのは教師なんだから、その中における教育というものはそれは学校教師責任においてやっているんだ。ですから私が言っているのは、全国相当数、少なくとも私の知っている限りにおいては、北海道は明日は一斉に授業をやる、そのときにお前だめだから出てこいといって引っぱりおろしてだれかがかわって答案用紙を配ることも、そういう場合はできないですねと、こう聞いたんですよ。しかも先ほどから内藤初等中等局長は、いや補助員を命ぜられた教員というものは、もともと免許状があるからいいんだ、その補助員についてはやらない、こうなっているんだから、その場合にはどういうことでおやりになるのですかと聞いている。
  54. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 指導要領学校行事であることについては間違いございません。北海道の教育委員会が前の指導要領と言ったのは、おそらく誤りだろうと私は思います。新しい指導要領による学校行事、ただ学校行事は学校が企画し運営するものであることは間違いない。ところが文部省の一斉学力テストにつきましては、新学期の始まる前に、本年の予算が通過した直後に、すでに各県に通達を流して十月二十六日という日をきめているのですから、新学期の予定計画を組む場合には、当然このことは予想されておったわけであります。そこで教育委員会教育課程の一般的編成権を持っておるのですから、編成権に基づいて一般的指示もできますし、また必要があれば具体的な指示もできるわけなんです。その具体的指示に基づいて十月二十六日の一斉テストをやるべしという職務命令を出せば、教員は勝手に授業計価を変更することはできないけれども、教育委員会は一般的指示あるいは必要な指示ができるわけなんです。その指示を受けて、校長は部下教員に命ずるわけです。その計画変更、企画し運営する責任者は、学校においては校長であって個々の教員ではないわけです。だから個々の教員は校長の指揮に従って計画変更しなければならぬ法律上の職務命令としての義務が生ずる、ですから問題なく行なわれる。大臣のお話しになりましたように問題の起きるはずがない、こういう趣旨でございます。
  55. 横路節雄

    横路委員 内藤さん、あなたはそういうことを言うけれども、今私の手元に、北海道教職員組合が九月六日に学力調査に関する公開質問状というものを教育委員会に出している。その中に、今の問題についての質問をした。「学力調査実施のためのテスト責任者、補助員、立会人、採点員になることは教育職員免許法違反と考えるがどうか。」そのときの教育委員会の答弁を私読んでみますと、「この学力調査のためのテストは、その学校教育課程としては健康診断などと同様に『学校行事』の中に含まれるものであります。したがって、児童生徒に対する教授そのものではありませんから、たとえば、学校保健法による児童生徒の健康診断に教職員免許状をもたない医師等が従事すると同様に、校長の管理下においてこの行事に従事する場合に、必ず免許状を有しなければならないということはありません。」こう言っておる。あなたは先ほど実際のテストをやるのはいわゆる当該学校職員が補助員として命ぜられる。その補助員たる教員免許状を持っておる。私は免許状を持っていなければやれないのじゃないかと聞いたら、あなたは、いや、学校教員は補助員として命ずることができるのだ、その者は免許状を持っているからいいんじゃないか、ところが今の答弁は、ちょうど医師が児童の健康診断をやっているときに、別に教職員免許状を持っていないで、医師がやっているのと同じことなんだ、だから教員免許状がなくてもできるのだ、こう言っておる。これは事実なんですか。教員免許状がたくても、そのテストそのものはできるのですか。
  56. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 学校行事でありますれば、たとえば運動会の場合に父兄の参加を求めることもありますし、修学旅行に行くときに先生がついていく場合も多いのでございますけれども、先輩がついたほかに父兄が参加する場合もあるわけでございます。ですから学校行事といえども、教員が補助するのが原則でございますけれども、教員でなければできないというものでもないのでございまして、その中に必要な職員が任命され、これに参加することはあっても、これは学校行事の性格上、当然のことだと思います。今お話の健康診断の場合しかり、修学旅行の場合しかり、運動会の場合またしかりだと思う。原則としては先生が当たるのが趣旨でございますが、それ以外の参加があっても差しつかえない、こういう解釈をしております。
  57. 横路節雄

    横路委員 内藤さん、あなたはよくそういうように前の答弁と今の答弁と違えてお答えできますね。先ほどあなたは、学力テストについては事務管理か、そうでないかということで議論したときに、なるほどテスト立会人はそれは事務職員だ、しかしテストをやっているのは学校職員です、学校教員を補助員に命じたんだから、免許状を持っているからいいじゃないか、こう言ったでしょう。今あなたは何と言っているか。今度私が回答書を読み上げたら、テストをやる者は免許状がなくてもやれるのだ、今度はそういうように答えているじゃないですか。先ほどは免許状がなければできない。だから学校教員をいわゆるテスト補助員にしたのだ、今度は免許状がなくてもやれるのだ、一体どちらなんですか。あなた、今言ったことをすぐひっくり返すようなことを言ってはだめですよ。子供の議論じゃないんだから……。
  58. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 決して私は今言った議論をひっくり返しておるわけではなく、速記録をごらんいただければわかると思いますが、私は原則として教員が補助員に当たるのだ、こういうふうに印したわけであります。原則なんです。だから父兄の参加の場合もあり得るし、事務職員の参加もあり得るし、これは学校の行事の一般の通則でありますので、通則に従って申し述べたのであります。原則はやはり教員が当たるのが正しいと思います。その方が適当だと思います。
  59. 横路節雄

    横路委員 そうすると、あなたはいよいよもってあした行なわれようとしている学力テストについて、学校職員が拒否するという場合もあり得る。拒否といっても何も拒否していない。みんな授業をやっている。そのときにそういう場合があすは多数起こり得るんですよ。その場合に当該の市町村の事務職員、その他が来て、先年、あなたはどきなさい、教壇からおりなさい、私は市町村教育委員会の命に従ってテストをやるのだからどきなさい、こういうことが言えるのですか。そういうことができるのかと聞いておるんです。
  60. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 校長から職務命令が部下職員に伝達して、テストをやることになっている場合、この教員が平常授業を行なうことは違法行為だと思います。だから教員として違法行為を行なうことはあり得ないと思っておるのであります。
  61. 横路節雄

    横路委員 何も教員自体からすれば、授業をやっているのだから、違法かどうかはあとできまるべきことなんです。ただ私があなたに聞いているのは、違法だからあり得るはずがないというのがあなたの方の考えでしょうが、あしたはこの中学校学習指導要領に基づいてそれぞれの授業が行なわれている。社会科見学も行なわれている。遠足もある。あるいは修学旅行もある。あるいは授業をやっているところが相当数ある。現に行なわれるのです。そのときにあなたは違法だからあり得るはずがないだろうでなしに、行なわれる。その場合にどうなるのだと聞いているのです。そのときに教壇に行ってお前下がれ、こう言って教員を下げて、あるいは当該の市町村の事務職員その他をあらためてテスト補助員に命じてそうしてやらせることができるのかと聞いているのです。そういうことはないだろう、ないだろうではだめです。そういうことはできるのかと聞いている。
  62. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 引きずりおろしてやるようなことは、私どもとしては期待していないのですが、教職員がどうしてもいやだとおっしゃるなら事務職員を補助員に任命することも、これはやむを得ないと思います。
  63. 横路節雄

    横路委員 それでは、事務職員の補助員ですよ。事務職員と補助員に命ずるということは何によってできるのですか、何によって……。
  64. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 これは学校行事の性格上教科を教えることじゃないので、先ほどあなたのおっしゃるのは教科を教えることなんです。教えることはなるほど免許状がなければできない。ですからこの場合は学校行事として課するわけでございますから、直接教育しているわけではない。先ほどあなたのおっしゃる広い意味教育かもしれませんけれども、教科教育活動をしているのじゃないので、学校の行事という場合には例外的にそういう者の参加をすることは従来からもありますので、これは私どもとしてはやむを得ないと思うのでございます。
  65. 横路節雄

    横路委員 今あなたのお話でこれは教育ではないと言った。あなたは今テストをやることは教育ではない。さっきから何べんも話しているじゃないですか、テストをやってその中でいろいろな指導が行なわれている。これが何で教育でないのです。あなたはさっき広い意味では教育だと言ったじゃないですか。どうなんだい、一体それは……。
  66. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 私は広い意味教育だと言っているのです。あなたは速記録をごらんいただけばよくわかるのですが、私は各教科の教授ではない、こう言ったわけなんです。学校行事も教育活動の広い意味の一部でございます。教科教授は免許状がなければできない。これは広い意味教育だから先生が補助していただくのが望ましい。だから原則としてテストの補助員には先化を任命するようにという指導をしているわけでございます。やむを得ざる場合は例外的に学校行事の一般的通則に従って他の者に協力を仰ぐことは、これはやむを得ない、こういうことでございます。
  67. 横路節雄

    横路委員 そうすると、あれですか、その場合にあなたは法律のどこに基づいて免許状の持っていない者、仮免許状の持っていない者を教壇に立たして、そうして生徒に対して一それも教育の一部ですよ。先ほどから言っているように、これからテストを行ないますよ。何々をしなさい、生徒にしなさいだ、こういうことをしてはなりませんぞ。そういうことを四十五分なり、五十分なり、あるいは二時間なり、三時間なりにわたってそういう指導が行なわれることが、免許状のない者をもって、壇からそういうことを生徒に指導できますか。それは指導ですよ、その問題が一つ。  それからあなたの考えは、事務職員をしてやらせることができるというのですが、その事務職員というのは何ですか。市町村教育委員会の事務職員ですか。何を言うのです。
  68. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 私が先ほど来申しましたように、教科を教えること、これは免許状のない先生はできない。ところが学校行事は一般的に修学旅行の場合にしても、入学試験の場合にいたしましても、生徒の健康診断にいたしましても、免許状を持たない者が参加しているわけなんです。現にお話のように、医者が子供の健康診断をする。これはまた広い意味教育でございます。同じだと思うのであります。医者は免許状がない。医者以外の者がやりようがないと思う。それと同じように、直接教科指導をしているのじゃないので、学校行事の場合には免許状のない者が入ることも、これはやむを得ない。ある場合にはそれも必要な場合もあるわけでございます。ですから、教育関係の事務職員テスト補助員に任命することも、これはやむを得ないと思っております。
  69. 横路節雄

    横路委員 内藤さん、あなた修学旅行に教員以外の者が参加した。運動会でもそれぞれ手伝ってもらっている。そういうことと、学力一斉テストにあたって、教壇に上がって生徒にこうしなさい、ああしなさいと、しかもその間の四十五分なり五十分は、生徒の生命を全部預かっているのですよ。そういうものを、運動会のときにお手伝いをしているとか、修学旅行について行くとかいうものと一緒にして――この学力テストは平比の授業の一環として、教育活動の一環としてやっているのですよ。しかもその間においては責任者なのです。腹痛が起きたかもしれない。あるいは突然盲腸になったかもしれない。あるいは間違って、鉛筆を削っておる間に隣の者の腹をナイフでちょっとさしたかもしれない。いろいろな事態が起こる場合が多い。そうなればこそ、いわゆる学校教育法に、児童の教育をつかさどるものは教諭と書いてある。その学力テストが行なわれているその時間中は教育が行なわれているのです。それは教育でないのだ、それは事務なのだ、こういう考え方でやるなどということは明らかに誤りです。こういうことについて、文部大臣現場を御存じないとさっきも言ったのだから、この点は恕すべき点があると思う。しかし、内藤初等中等教育局長ともあろうものがそういう強弁をしているということは、全く日本全体の教育というものが嘆かわしい状態なのです。そこで、あなたは苦しくなるとお笑いになるのが習慣のようだけれども、きょうのところは一つ大事なんだから……。  そこで、教員が、委員長席におるように壇上で授業を行なっている場合に、まさか警察官を入れたり何かをして、暴力で下げるというようなことはできませんね。できないでしょう。その点どうなんですか。警察官が市町村教育委員会の要請によって学校に、教室に立ち入りして、教壇から先生を引きずりおろすということになる。いやだというのに引きずりおろす。そういうことはいやだというのにできますか。私は絶対できないと思うのです。違反かどうかということは別にまた議論しますが、私はできないと思う。そういうことを文部省がやるように指導していますか。学校に警察官を入れ、壇上に上がっている教員を引きずりおろして、そうして事務職員をしてテストを行なわせる、そこまで指導しているのですか。その点どうなんですか。
  70. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 引きずりおろして、というような指導はいたしておりません。
  71. 横路節雄

    横路委員 文部大臣、今のお話で文部省の方も学校内に警察官を入れたり、教室内に入れたりして、そうして壇の上で授業をしている教師を引きずりおろして、そしてテストをするというようなことまでは実際はしない、こういう御答弁があって、この点ははっきりしたわけです。  この問題とあわせてもう二、三点お聞きをしたい点があるのですが、それは国語、数学、理科、社会、英語という五つに限定をした。しかも、私は問題を見ていないからわからぬが、おそらくマルで囲むかバッテンにするか、そういうものだろうと思う。教員免許状を持っていない、それこそ市町村教育委員会の事務職員をして採点を命ずるのだから、おそらくマル・バツでしょう。こんなことで教育が行なわれるものでしょうか。あなたの方もよく法令を引っぱるから私の方も法令を引っぱって申し上げたい。学校教育法の第三十六条に「中学校における教育については、前条の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。」といって、一つは「小学校における教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。」第二番目は「社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。」第三番目は「学校内外における社会的活動を促進し、その感情を正しく導き、公正な判断力を養うこと。」学校教育法第三十六条においては、中学校の生徒についてはこういう目標によってやるのだということがきまっておる。しかも第十八条には、小学校教育についてさらにその内容について詳細に述べてある。だから学校教育全般からいけば、国語、数学、理科、社会、英語というものについて、マル・バツで、文部省が考えている学習指導改善のため一体何ができるのですか。あなたたち学校教育法を正しく読んでごらんなさい。時間がないから私はこの第一八条を読まないが、ここにはどういうことがあるか。「処理する能力を養うこと。」あるいは「健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、」云々となっておるじゃありませんか。一体、音楽だとか図工だとか保健体育だとか職業だとか家庭だとか、こういうものがあなたたちは全然できないで、この五つだけに限ってやるということ、しかもマル・バツ式でやるということは、学校教育法による本来の目的でなしに、読み書きそろばんでやることです。さらに来年小学校五年六年の国語、算数、理科、社会についてやろうなどということはもってのほかです。文部大臣、私は私一人で時間を取っても恐縮ですから、一つ来年の小学校五年六年の国語、算数、理科、社会、これは絶対おやめなさい。しかもあなたの方では、中学校二年三年は義務教育の最終学年だからやると言った。なんでやるのです。予算要求はしているけれども、私は強く要求しない、こういうことをとるのが私は文部省の態度だと思う。この点どうです。
  72. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 中学校義務教育の最終段階でございますから、それ以前に小学校で最も基本的な教育をいたします。それをさらに中学は中学らしく、小学校で習ったものをより高める意味においての教育をするという趣旨になっておりますから、第一の段階の小学校の実体を把握する、同時に中学の義務教育の最終段階という立場においての実体を把握する、両方あって文部大臣としての義務教育に対する教育改善責任はよりよく果たせると思っておりますから、概算要求はすでに出してありますから、極力それが成立することに努力したいと思います。
  73. 横路節雄

    横路委員 私は、文部省がしきりに、ようなことをやれば処罰する処罰すると言って、いわゆる力をもってやらせようとしておる、こういう態度は非常にいかぬと思います。もっと話し合いが何ぼでもできるはずなのです。本会議の時間が迫りましたそうですからこれはあとでお聞きしたい。
  74. 櫻内義雄

    櫻内委員長 百時休憩いたします。    午後一時五十九分休憩      ――――◇―――――    午後四時三十一分開議
  75. 櫻内義雄

    櫻内委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政に関し質疑を続行いたします。横路節雄君。
  76. 横路節雄

    横路委員 先ほど山中委員からも指摘されましたが、けさの新聞に載っております文部大臣の談話、これは毎日新聞ですが、これにはこうなっておるのです。「義務教育の内容改善向上を図るため問題、時期、方法を一にして全国的な学力調査を行なうことは文部大臣の当然の職責である。」それからさらに「この目的は、中学校における教育条件整備学習指導改善のための全国規模の精密な基礎資料を得ることにあって、」こうなっているわけです。そこで私はこの点について先ほどちょっと触れたのですが、本会議関係で時間もありませんでしたので、もう少しこの点について掘り下げてお尋ねをしたいと思います。  それは、学校教育法の三十六条に「中学校における教育については、前条の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。」というので三つございまして、一つは「小学校における教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。」第二番目は、義務教育の最後ですから「社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。」第三番目は「学校内外における社会的活動を促進し、その感情を正しく導き、公正な判断力を養うこと。」こうなっているわけです。このことはまた、第一項の「小学校における教育の目標をなお充分に達成して、」云々ということは、同じく学校教育法の第十八条に小学校教育の目標について書いてあるわけです。「一、準校内外の社会化活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。」第二番目は「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。」第三番目は「日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。」四番目は「日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。」第五番目は「日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。」第六番は「日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。」第七番目には「健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。」第八番目には「生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。」これは私が申し上げるまでもなく、文部大臣はすでに御理解の通り学校教育法の三十六条で中学校における教育の目標、第十八条で小学校における教育の内容について触れている。これらを考えた場合に、今度の中学校における国語、数学、理科、社会、英語、しかも先ほどのお話によりますと、マル、バッテンということになる。このうちで何が、たとえば「日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。」どこにマル、バッテンでそういうような「自然現象を科学的に観察し、処理する能力」が何で養われるでしょう。また三十六条に言う「社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養う」こういうことが何でマル、バッテンでわかるのでしょう。また「学校内外における社会的活動を促進し、その感情を正しく浮き、公正な判断力を養うこと。」これが何で五つの教科でマル、バッテンで養われるでしょう。また「健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。」この五つのマル、バッテンでどこでこれが養われるでしょう。学習指導の基礎的なそういう資料がこれによって得られるでしょうか。「生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。」これが国語、数学、理科、社会、英語の五つのマル、バッテンで何で判断できるものでしょうか。さらに「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。」なんてどこから止まれてくるのでしょう。五つの教科のマル、バッテンでそれが養われるのでしょうか。「学校内外の社会化活に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。」何で五つの教科のマル、バッテンでできるでしょうか。私はこのことを考えたときに、先ほど大臣がおっしゃられたこと、本来の学力テストの姿は学校教育者が行なうテストである、文部省がやる学力テストは例外のものであると言われた。文部大臣の考えはわれわれの意見と一致するわけです。学力テストそのものは、教師みずからが教育者の自主的な判断、教師の集団、教育委員会における指導主事、地域における社会性、そういうものを考えて、教育課程を作って、その上に基づいてそれぞれ自分たちが授業を通して子供との毎日の日常生活の中から生まれてきた、そういう科学的に観察する態度がどうなるか、勤労を重んずる態度が一体どうなるか、そういうことをあわせて総合的な観察判断の中で今の児童化徒に対する教科がなされてきておるわけです。ですから文部大臣の言った学力テストそのものは、教師みずから行なうものは本来の姿だというのは、この学校教育法の三十六条並びに十八条からいけば当然なんです。国語、数学、理科、社会、英語という五つを選んでマル、バッテンでやって、そのものからいえば本来の学力テストではない、例外なものだ。しかも勤労を重んずる態度、精神とか、いわゆる科学的なものに対して継続的に観察するとか、あるいは自分の心身を健康にするためのいわゆる健康の問題であるとか、あるいは生活を豊かにするための音楽とか図工とかというものをはずして、五つだけに規定してマル、バッテンでやって、学校教育法三十六条、十八条からいういわゆる本来の教育目的からはずれている例外のテスト教師が拒否をして自分は教育者の良心の立場から本来のテストをやるんだといって、あしたは中間テストをやるところもあるでしょう。あすとは関係なしに市町村のそれぞれの単位において指導主事や現場教師が一緒になって問題を作成して別の機会テストをやるところもある。そういうふうにそれぞれ教育上の立場に応じてテストを考えてやっている。それをわずか五つの教科に限ってマル、バッテンでやって、それを教育者が年間を通しての学校行事、自分たちの自主的な教育課程の編成、地域的な条件あるいはそれを取り巻く教育的な環境、そういう点からいって自分たちは市町村単位に学力テストはやっても、学校単位にやっても、これはやらないと言って拒否したからといって、学校教育法本来の目的に別に反しているわけではない。逆に返して言うならば、文部省の方こそいわゆる例外のものなんです。だから私はそういう意味学校教育法本来の精神からは逸脱していない。学校教育法本来の精神からいって、いわゆる教師本来のテストは積み重ねてやっている、そういう意味であす予定される文部省学力テストが、あとで自分たちは市町村ごとに学力テストをやるのだ、指導主事、教師も入れたそういう集団の研究としてやるのだ、そういうことにすでになっておる。それぞれの市町村において明日の学力テストをやらなかったからといって、現場教育者を処罰するということは、あなたの方から言えば、そのような行為は違法行為として処罰対象になるとおっしゃっているけれども、学校教育法本来の目的にいう教育目的を達成するそれぞれの目標に応じてやっている教師本来の仕事、それを拒否しているのではないのです。けさの新聞にあなたの談話として、それをやらなかったら処罰をするのだと出ておるが、これはたくさん動員して入れるとか入れないとか、警察官ともみ合ったとかいうことではないのですよ。ただテストをやらなかった、やらないということは普通に授業はやっておるか、定められた計画に基づく中間テストをやっているかなんです。そういう基本的な考え方でやっている場合において、明日文部省学力テストをやらなかったから著しく教育本来の目的が阻害された、学校教育法に定められた教育の目標達成が阻害された、教育基本法の精神がじゅうりんされた、だから処罰するということには私はならないと思うのです。この点の今回の文部省のおやりになろうとしておる学力テストというのは、戦前の読み書きそろばんという昔に戻ったのであって、憲法からする教育基本法の平和を愛し、真理を追求していく、お互いの人格を認め合っていくという個性豊かな人間を形成していく、そういう教育本来の精神から言えば、私は今度の文部省学力テストは逸脱をしていると思う、本来のものではないということを言っておるのであります。だから明日これをやらなかったからといって、これを処罰するということは、私は教育行政上これこそ不当な措置だと思うのです。これは私の考えですよ、文部大臣どう思いますか。私は三十六条、十八条からいって、学力テストそのものは一連のいわゆる学習指導の中で生まれてくるものであって、五つのものをマル、バッテンでやって、教育本来の目的がこれによって達成される、学習指導の重要な資料にしようなどとは、私はこれははるかに思い違いであると思うのですが、この点大臣から御答弁願いたいと思います。
  77. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 横路さんの今のお話、そのことは私も理解できるような気がします。御指摘の三十六条でございましたか、十八条等を引用してのお話ですが、そういう教育目的というのはお話の通り、学校で教室において、もしくは教室外もございましょうが、先生方が児童生徒と一体をなして常時指導教育されることによって達成されるものと思います。またそういう指導教育教師みずからの決意においてどういう状態にまで児童生徒が理解しておるか、修得しておるかということを知るために行なうテストが、本来の純粋な意味における教育プロパーの場に立って言われるところの学力調査学力テストであろうと思います。そのことはいささかも私自身も疑念は持ってはおりませんが、そのほかに今度行なうような文部省が問題を定め、そうして全国一律に、しかも時間的にも同じにやるという学力調査もまた例外として必要である、なさなければならないことである、それは文部省という立場においてそうであるので、都道府県、市町村あるいは個別の学校立場においてなすものとは違った立場において必要である。そのことは当然都道府県、市町村の段階でそれぞれの地域的な特色等も念頭に置いたテストも行なわれることはあり狩ると思いますし、望ましいことだと思います。学校全体のテストもありましょう、クラスだけのテストもございましょうが、しかしそれ以外に文部省がなしますことも必要であり、意味のあるまたなさねばならないことの一つである、こう考えます。  そこでそれは必然的に全国一律、一斉、問題も全部同じだということに至らざるを得ない本質を持っておると理解するのであります。それは何度も申し上げた通り、文部大臣という立場において、義務教育なるがゆえに、教科に関することを定める責任を負わされておる。そのことは具体的に詳しくは申し上げ得ませんけれども、どういう学科目を教え、一週何時間教え、しかもその学科目ごとの到達点はおよそこんなことを教え込むことを目標としてやらねばならぬ、またそのことを受けて使う教科書も文部省立場において、国民責任を持つ立場において検定の権限と責任が与えられておる。その教科書を使い、学習指導要領に従って教えるということは都道府県、市町村でもない、学校長でもない、ひとりひとりの教職員でもない、文部大臣という立場において、全国民のために責任を持ってそういうことを定めようという制度になっておりますから、そのことが一たん定まれば、それきりでもう一切手を触れぬでもよろしいという性質のものではないと思います。年々歳々前進していくべく内容が充実され、至らざるところがあれば改善していくという内容を当然予定されておる、その改善をする責任もまた文部大臣に負わされた内容であると心得るのであります。ですから、学習指導要領そのものの改善のための一つ資料としてもこのテストは非常に意味がある。御指摘のようにマル、バッテン式のペーパー・テストであろうと思いますが、そのテストによって仰せのような、読み上げられましたような学校教育法が期待していることがつちかわれると申し上げるのじゃないのであります。一定の基準に従って義務教育が行なわれておる。その到達度がはたして、たとえば学習指導要領の期待するところまできておるかどうかということ、そのことをうかがう一つの手段だ。もとよりほかの委員からも御指摘になりましたように、ペーパー・テストそれ自体の持つ避くべからざる欠点と申しましょうか、足らざるところはあるでございましょう。ですけれども、今としてはそういう欠陥、不備な点がありましょうとも、それ以外の方法が見つからないものですからマル、バッテン式の全国一律調査というやり方でやるわけでありまして、それは今も申し上げましたように、それ自体学校先生にかわって教育効果を上げる行為そのものでは初めからないのでございまして、どういうところまできておるかを知るよすがにすぎない、そういう内容、そういう性質、そういう目的を持ったテストをしようということであります。そのことは何度も申し上げましたように、文部省という立場において国民のためにやらねばならないことと心得るのであります。であればこそ、そういう調査をやることも含めまして、前々指摘いたしておりまするように、五十四条二項で調査報告を求めるという道も法律は予定しておる。その職責を果たすために与えられた権限を通じて教育委員会にそのことを指示し、また教育委員会法律によって与えられておる職能、権限に基づいて学校長に指示をして、今申し上げた意味合いの目的を持った今度の調査をしよう、こういうことでございますから、従ってそのことは例外的な調査、本来の教えること、そのこと自体じゃございませんけれども、学力調査ということをやるべき場合があることも予定されて、教職員はその職務内容としてやるべき立場にあると思うのであります。かれこれ理屈なしに行なわれれば、きわめて平和に、いざこざなしに行なわるべき本質を持っておると思いますが、不幸にしていろいろと理屈を立てて反対する人々がおる。そこにやれ職権でござるの、業務命令でござるのという理屈も出てくることが、はしなくもトラブルが起こっておるように見えるのですけれども、そういうことを期待しておるわけではむろんございません。すなおに常識的に考えれば何らのトラブルなしに行なわれねばならない事柄であり、そういう本質を持っておると私は考えるのでございまして、処罰するなどということを目的としているわけじゃ毛頭ない。万一新聞等に伝えるがごとく実力をもってこれを阻止するなどということを教師みずからがやるとするならば、そのことは違法行為になるおそれがある。また業務命令が出されておりながら、その命令に従わない。さっき横路さんも言われましたように、予定された教科を実行するのだ、そのことは違法でもなんでもないわけでございましょうが、しかし職務命令が出されるならば、予定されたものを変更して、例外的なものではありましても、学力調査に協力する責任が生まれておるはずですから、この学力調査に協力することこそが教師としての当然の明日の場合の責務でなければならぬ、かように理解いたします。ですからその道理を承知しながら、あえてことさらにこれを拒否する、もしくは拒否する一種の姿でございましょうが、予定された教科を実行するのだというやり方で、実質的には拒否するということも業務命令に違反するというおそれは多分にある。だからそういうことが起こらないように、良識を持ってよく現場先生方も考えて下さいという意味の警告を発する、注意を喚起する意味合いにおいて、今指摘されました談話の部分は発表したつもりでおります。
  78. 横路節雄

    横路委員 今だいぶ文部大臣から重要な点についてお話があったわけですが、それは理屈を立てて反対をしておる、それからあえてことさらに拒否をしておる、こういうお話でございます。この問題についてはあなたの方で、いわゆるこれは中学校における教育条件整備をやるのだ、学習指導改善のための基礎資料を得るのだ、こういうようにお話しになったわけです。それならば、なぜこういう問題について、もっと教職員の各位に理解が得られるように話し合いをしないのでしょう。先ほど山中さんの質問に答えて文部大臣は、何も日教組というのは違法な団体ではない、適法な団体である、こうお話なさっておるのだから、もっとこういう点についてお話をしたらどういうものなんでしょう。たとえば私がこの前の委員会で私自身疑問に思ったから指摘をしたのは、北海道を例にとって恐縮ですが、現に単級小学校の併置校というのは、中学全体からすれば五割五分くらいある。その単級の中学校においては、またこの前のことを申し上げますが、一学級二人なんだ。しかも大体において社会の免許状を持っているか、国語の免許状を持っているか、職業の免許状を持っているか、大体こういうものであって、あと英語、数学、理科、まして保健体育、図工、音楽、こういう免許状はない。それを二人の教師で音楽から図工から保健体育から英語から理科から数学からやっている。現場教師があす一時間一つの勉強を教える場合には、大体前の晩は最低二時間ぐらい調べています。現場教師はそうなんです。それなればこそ四年間苦労して学芸大学なりあるいは一般大学においても免許状というのは一つか二つしかないのです。それだけ免許状がきびしくなっていても、なお翌日自分が一教科を担任する場合においては、都市においては少なくとも最低二時間ぐらい前もって調べているのです。それを四教科も五教科もその一人で教えなければならぬ。前の日にどうして十時間も十二時間も、学校から帰ってからそのための教師としての準備ができますか。そういうような条件に今日置かれている学校が多いのです。この間内藤さんは、これは言葉のちょっと端々のことだったが、免許状をきつくしておるのだけれども、しかし、免許状以外に教えられるのはありがたく思いなさいと、何かそれに似たような言葉があったが、私はこれは大変な間違いだと思う。そこで文部大臣が、こういうような現場教員の集団である、適法な団体である日教組の諸君ともしも話し合いをして、現に今単級には二人しか行っていない、そういうところには、われわれとしては一つ来年度は教員を四名配置するようにするのだ、あるいは五名配置するようにするのだ。まず小、中の併置学校、こういう問題について、全部免許状を持っている資格のある教員を全教科にわたって配置できるようにして、まず何をおいても教師の面において教育に関する条件というものを、最低の水準は免許状を持っている教員が配置されるようにするのだ、こういうことを文部大臣の方から年次計画に基づいてこの教育条件整備についてもっと話し合いがあれば、私はこういう問題についてはあるいは話し合いで解決できる糸口があったかもしれないと思う。それを全然拒否をなさっている。全然お会いにならない。だから私はそういうところに問題があると思うのです。この点については山中さんの質問にも私の質問にも答えて、何も今回こうやってやったから来年はこのまま絶対動かさないというものでもない。みなと話し合いをしてやるというのですか、幾分そういうような態度が見えるわけですが、それならば、なぜ第一年度においてこれだけ問題になっているこれについてお話し合いをなさらないのか、文部大臣、今都道府県の教育委員会では困り果てて、それぞれ教組との話し合いの中で、いや指導要録については記入しなくてよろしいです、こういうことを言っているところがある。それから自校の教員は採点をしないということにあなたの方では指導したが、自校の教員の採点でよろしいです、こういうことも言っている。あるいはまたあなたたちの方で一番希望しているそれぞれの個人の氏名を書いてくれということを、個人の氏名は書かなくてもよいのです、こういう話をしている都道府県の教育委員会もある。これは文部大臣からあまりきついそういう命令が出たので、都道府県教育委員会としては、これを受け入れてやるためには、とても文部省のいうようなわけにはいかぬというので、条件を緩和していこうという話し合いが現場においては行なわれているんです。そういう点を考えた場合に、明日の一せいテストを前にして、あとわずかしかない時間でございますけれども、この問題についてはあるいは市町村教育委員会において、独自な立場において、市町村それぞれの立場において――農村とか漁村とか、炭鉱とか工場地帯とか、あるいは小都市とか、いろいろございましょう。あるいは単級式が多いとかということもございましょう。あるいは都市並みに全部免許状を持っている教職員が配置されているところもございましょう。そういう点を勘案して――実際には混乱をして迷惑をするのは児童生徒なんです。その親なんですから、そういう意味で、とりあえず、さしあたりこれについて一応延期して、都道府県教育委員会、市町村教育委員会でそれぞれ現場教師との間に十分話し合いをして、一つ再検討すべきである。こういう態度が今日の教育界混乱を防ぐ道になると私は思うのです。この点はどうでしょう。
  79. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 話し合いを、教職員組合文部大臣がしたらどうだというお話でございますが、これはすべきじゃないと思います。来年、再来年と、年々歳々学力調査を同じようにやっていくとして、そのやり方等について、改善意見があって、もっともな御意見等があればむろん取り入れていくということはやらねばなりませんが、そのことは教職員組合と相談して改善していくという意味ではないのであります。学校先生意見というものは、これこそ貴重なものでございましょうから、取り入れねばならない本質を持っておるとはむろん思います。しかしそれは労働組合職員団体という姿で現わるべからざるものであって、学校長ないしは教育委員会等を通じて知るほかに私どもは正式なルートというものはない、またあらしめてはならない、そう考えて実行しますことが、本来の、教育基本法ないし学校教育法その他の法令に従って行動する私どもの心がまえでなければならぬと存じておるのであります。教職員組合は、あくまでも地方公務員法に規定するがごとく、給与とか勤務条件改善に関して団体としての意思表示ができるという角度から保証されており、またその相手方も法定されておる。ですから、その教職員団体労働組合という立場において、その団体教育政策そのことを話し合うことは違法だと思います。このことは私は世界的な常識だと思うのでございまして、五十万を打って一丸とした日教組ですから、いわゆる実力者であることは私も想像しておりますけれども、それはあくまでも労働組合職員団体としての実力者であって、教育プロパーの立場において教育政策ないしは教育することそのことについて、団体意思をもって行動する性格のものではない。従って最初申し上げましたように、私は教員組合というものと話し合いをしようとは思わない。話し合いをしてはならないという立場でいくのが、最も法律制度に従った民主的な、教育の場において国民責任を持つ私の立場でなければならぬと心得ております。  繰り返し申し上げますが、お話のような意味合いの教育の場の改善意見――貴重なものがございましょう、それは固く信じます。そのことはあくまでも学校長によって代表される姿で、しかもそれが都道府県、市町村の教育委員会あるいは教育長等との話し合い、相互研究、研さんの成果として、文部省にもその内容をお示し願って、それによって貴重な意見を取り入れて改善に資していきたい、その努力はむろん日々でもやらねばならないこととは思いますけれども、御指摘のような労働組合とそういうことについて話し合うということは、やるべからざること、かように考えております。
  80. 横路節雄

    横路委員 どうも大臣のお話は、そういう点になるとまことにがんこというか――しかし文部大臣のあなたのお話の中に私は間違いがあると思う。今あなたは、職員団体というのは勤務条件についてやるんだ、これは話し合いに応ずる、しかし教育政策について話し合うことは違法なんだ、だからやらないんだという。しかし、あなたの方で言う中学校学力一斉テストは何をやるのだ、その目的は、と言うと、あなたの方では、中学校における教育条件整備をするんだ、こう言うじゃありませんか。先ほど私が指摘をしましたように、単級の小中学校――中学一学級、これに教員を二人配置をして、免許状を二つしか持っていない者に九つ教えさせる。一つであれば二時間で済むものを、五つやれば十時間かかる。前の晩十時間毎日勉強したんではとてもやり切れぬから、ぜひ教員を四名配置してもらいたい、五名配置してもらいたい――これは一体何で勤務条件の問題ではないのですか。これは明らかに教師としては勤務条件の問題ではありませんか。単級学校に二人しか配置してないものを、ぜひ一つ四名配置してくれ、五名配置してくれ、こういうことは、明らかに勤務条件ではありませんか。一日十時間働いているが、これを八時間にしてくれということも、勤務条件ではありませんか。だからあなたの方で、この学力テストというのは学習指導改善のための基礎資料だ、教育内容についてやるんだ、こう言うならば、あるいは大臣のおっしゃる教育政策ということになるかもしれない。私は、教育政策について話し合いをすることが違法なんだというのも、どうも初めて聞きましたね。しかし前段の、これは勤務条件でないという考え方は明らかに誤りだと思う。あなたは今ことさらに、学校長やあるいは教育委員会や、そういう諸君とは十分意見を交換するけれども、職員団体とは交換しないんだ、こういうことを言っておる。これがまずあなたのがんこたるゆえんなんだ。ここに私はこの問題がもっと――私は職員団体である日教組の諸君との話し合いで、現に都道府県教育委員会はやっているんだから、こういう中で――あれは現場教師の集団なんだ。現場教師が長年にわたって、教科課程あるいは研究授業等を通じて研さんに努めてきたもの、それらを通して話し合いをすることがないということは、文部大臣としては明らかに――勤務条件でないから交渉には、話し合いには応じないということこそ、私は違法だと思う。あなたは教育政策について話し合いをするのは違法だ、勤務条件についてだけ――このことについて話し合いをしないということは違法だと思う。  もう一つだけお伺いしておくのですが、あなたは、実力阻止をすれば違法になるおそれがある――これはあるいはそういうことがあり得るかもしれない。答案用紙を持って入ろうとすれば入れまいとする。そこで警察官が来てごたごたした。これはあまり好ましくないですよ。特にこれは児童生徒が対象なんですから、そういう状態は好ましくない。しかし、先ほど私の指摘しましたように、それぞれの学校教育計画に基づいて、明日授業をしている。それに対して市町村の教育委員会が業務命令を出して、それに対して教師は従わない。従わない理由は、学校教育法三十六条、十八条等の教育目的を達成するそれぞれの方法として、このやり方は思わしくない、こういう立場において拒否をした。それをあなたは、ことさらに拒否をする、これは業務命令違反だから処罰する――一体、明日どうやろうというのですか。教壇に立っている教師に対して、先ほど言いましたように、それこそ市町村教育委員会責任者が行って、お前壇からおりろ、内藤初等中等局長は、いわゆるピケその他を張らない学校に対して警察官を校舎内に入れたり、教室内に入れたりすることはない、こう言っておるのですから、私もそういうように信用しておきます。しかし、実際には授業を行なっている者に対して、五十人から六十人、七十人近くの生徒の前でとういうふうに業務命令を出すのですか。つかつかと歩いていって、お前業務命令だ、おりたまえと言う、そのことの方がはるかに教育上重大な支障を来たす。教育上有害な措置だと思う。この点は文部大臣どうですか。違法かどうかということの方は、野原委員が重ねてあとで尋ねると思いますから、今の点についてお答え願いたい。
  81. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 野原さんの御質問にはまたお答えするとして、文部大臣という立場は、よんば勤務条件の事柄でありましょうとも、教職員組合と話し合いをする立場ではないわけでありますから、その場合といえども、教育委員会が持っておる交渉の権限、立場を横取りして、私がやることは違法だ、こういうふうな意味で申し上げたのであります。  そこで、今具体的に例示されましたような場合、休憩前にも話が出ましたが、現に予定された教育活動を教師みずからがしておる。具体的には教壇に立って教えておる。業務命令違反だから引きずりおろすかどうか、そんなことをしてどうして業務命令を実現するのかということですけれども、教壇に立っている先生を引きずりおろすということそのことは生徒の前でやるべきことでもない意味においても、現実問題としてあり得ざること、そんなことはしない方がいいと思います。しかしながら、だからといって予定されました教育活動でございましょうとも、教育委員会の持っておる学校管理の職権に基づいて、先ほど来申し上げました今回のテストのような文部大臣という立場で、法律によって与えられ、要請される一斉学力調査をやる、やらねばならぬと命ぜられた教育委員会は、自分の包括的な管理権を行使して、予定された教育活動を行なうことに届け出でなっておるだろうけれども、一時それを繰り延べ、中止し、差しかえてこの学力調査のために協力しなさいという命令権は持っておると理解するのでありますが、その合法的な業務命令に従わないということであることには間違いない。その意味において予定通りの授業をしておるのだから、授業をしておることそのことは本質的にはかれこれ言うべきことではないのでありますけれども、差しかえてやるべき立場にある人がやらない、言うことを聞かないという事実そのものは業務命令違反として判断さるべき対象であることには間違いない。現に、教壇に立っている人を引きずりおろす実力行使などという権限は、私は教育委員会にもなかろうと思うのですが、よしんばありましても、そんなことをすべきじゃない。事実問題、責任関係は別個に考えて判断されるべきものと思っております。
  82. 横路節雄

    横路委員 さきの、日教組に対して大臣はいわゆる話し合いをするといいますか、団体交渉をする相手ではない、この点については、われわれいつも大臣考え方はそれこそ違法だと思う。この点は野原委員からさらに追及されると思うのですが、しかし最後の点についてはこれだけ申し上げておきます。  この学校管理規則によって教育課程編成に関する一切の権限が教育委員会から校長に委任されて、校長の専属的権限となっている。従って、今あなたから言われるこれも教科課程の一つだ、あるいはまた学校行事だ、だからこれらについては、学校行事等について一部変更して市町村教育委員会学校長に職務命令を発することができるということは、管理規則からいってそういうことは成り立たない。しかしこの点はあとで野原委員から質問をしていただきますが、ともかく学校教育法三十六条、十八条からいって、教育目的を達成するためにそれぞれ三十六条、十八条は規定をしておるわけであります。そういう意味で、教師が本来の学力テストについてやっていない、教育の目標を達成するためにやっていないというならば、それはあなたの方で言う処罰が起こるかもしれない。本来の教育目標を達成するための学力テスト教師みずからの仕事としてやっておるんだ。しかも教科課程に対する一切の権限は、これは学校長に委任された専属権限なんだ。従ってこれについて市町村教育委員会が業務命令を出すということは私はできないと思う。しかしあとの点については、私はだいぶ長くなりましたからこれで私の質疑は終わります。
  83. 櫻内義雄

    櫻内委員長 野原覺君。
  84. 野原覺

    ○野原(覺)委員 朝ほどから横路委員の質問に対して文部大臣から答弁がなされておるわけでありまして、私も拝聴いたしましたが、失礼でございますけれども、全く答弁が支離滅裂だと思うのであります。その点は質疑の中で漸次明らかにして参りたいと思いますが、こういう答弁をあなたはなさっておる。学力テストは単なる事務ではないかという質問に対しては、きょうはどういうものか、従来の答弁を変更して、教育の内容ではないということをお認めになられた。単なる事務だ、こういうことになったようであります。学力テストというものが単なる事務と、こういたしますと、教師が児童生徒を教育するということは教師の本務であります。学校教育法に、「教諭は、児童の教育を掌る。」こうあるわけでありますから、教育をつかさどるというのは教師の本務なんです。だから教師の本務が単なる事務のために侵害されてよいのかという実は本質上の問題がここに起こってくるわけです。今横路君もその例をあげて申しましたが、明日学力テスト実施する、その瞬間がきた、どう考えても先生方は自分の良識、自分の良心に照らして、このようなテスト教育上弊害がある、文部大臣の言うこともわからぬじゃない、わからぬではないけれども、これは知的な教科にのみ偏するのではないか、学習指導の問題ならばわれわれの意見をなぜもっと聞いてもらえないのか、教育課程の編さんについてもそうなんだ、こういうふうなことを考えておる教師が、いやおれは授業をする、教育をつかさどる権利は自分にあるんだ、授業をする、こう教師は考えて壇上に立つわけであります。そうすると、その教師は校長の命令に従わないということで、役場の事務員が来るのかだれが来るのか知りませんんが、問題の用紙を持って入ってくる。そこに混乱が起こる。そうなって参りますと、学力テストは単なる事務だ、教師は授業するんだ、私は授業を放棄したらこれは違法ですから処断をされてもいいと思います。それは処断に値するでありましょう。授業は放棄しないのです。その教師はあくまでも授業をやる。おれはおれの本務をやるんだ、こうしておる場合に、単なる事務だということでは侵害できないではないか。これに対してあなたがいろいろ御答弁なされることも私はおよそ予想できぬではありませんけれども、しかし一応学力テストという単なる事務で教育をつかさどるという教師本来の職権と申しますか、職責と申しますか、それの侵害が可能であるとすれば、これは法的な根拠を明らかにしながら御説明をいただきたいと思うのであります。
  85. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 学力調査というものが、教育活動そのものであるか、事務であるかということにつきましては、一応私の考えは横路さんに申し上げましたので繰り返しません。  そこで、その教育に関する事務と教育現場からは一応見られるであろうところの今度の学力調査によって、本来の教師の職分である、教師教育をつかさどるという立場を侵かすものだという御見解でございましたが、侵すものではないと私は思います。それはなるほど法律そのものに、教師教育をつかさどるというところがあることは私も承知しておりますが、その限りにおいては厳然たる教育現場責任者であることは一点も疑いません。しかしその教師教育をつかさどるということも、法令の範囲内において全権を持っておるということでありまして、法律、命令等に定められた範囲外のことで、しかも権限をもって法律、命令が当然予定しておるそのほかのことで、通例の場合において教師教育をつかさどっておる姿が、列外的に制限される、変更させられるということは侵すことではないと思います。それは法律、命令がそういうことを予定しながらまかされておる限度内において教師教育をつかさどっておるわけでございますから、法令に予定した機能が発揮されますときには、ある程度の変更等が当然予想された限度内のつかさどる権限である、こう理解するのであります。それは教育委員会学校を包括的に管理する権限が法律上与えられておると思います。それが教科の編成等については学校長がこれを定めて届け出ればよろしいというふうに管理規則でなっておるのが一般だと聞かされておりますが、その場合におきましても、管理規則で届け出で足りるのだ、届け出っぱなしでみずから編成した学習課程に基づいて予定した通りにやるという職権を校長、教師は委任されて持っておる。そのことには一つも疑いはございませんが、教育委員会学校に管理規則で委任しました場合、すべて持っておる権限をことごとく委任するという建前ではないはずであります。通例の場合においては届け出た通りにおやりなさい、それには一言も文句は言いません。しかし例外的な場合には包括的な管理権に基づいて指示いたしますよ、その場合には臨時例外的に変更することも当然ありますよという職権の発動の余地を残して、その管理規則は制定されておるはずであります。そうでないならばその管理規則は、法令上当然今申し上げたような機能が発動する機会があることを予定しているのに、その発動ができないことまでも委任しておるという意味において、適正を欠く管理規則だといわざるを得ない。だから本来、そういう今申し上げた特別の場合の管理権に基づく指示権というものはあくまでも教育委員会に留保されておる。それが法令の精神でもある。その限度内において届け出られたる学習の課程を学校が自主的に行なう委任された権限を持っておる、こう理解すべきものと思うのでございます。従ってその留保された権限に基づいた業務命令には従わなければならない。学校長もまた教職員もまた従わなければならないという立場におかれておる。それは文部省がそういうからそうではなくて、本来法律、命令というものはそういう体系のもとに文部省教育委員会学校長教師というものが一体をなして教育の場で国民と住民に奉仕する建前だぞと予定しておるものと思います。
  86. 野原覺

    ○野原(覺)委員 教育をつかさどるということが法令の範囲内でのものであることは私も了解をいたします。それはその通りではございましょう。しかし学校教育法が、教師教育をつかさどるという一条文を起こしているゆえんのものは、法令といえども教育をつかさどるこの権利をみだりに侵害してはならないというところであの条文はできたのです。いかに法令といえども教育をつかさどる教師のこの職責、職権というものは侵害すべきではない。そこでできたわけです。これは大臣も、もしそういうことでなければ、私はあの学校教育法は死文だと思います。何のためにあれをうたったのだ、ああいう本来の常識として私どもの持っておるものを明文としてあそこに記載したということは、法令といえどもみだりに侵害できないのだ、教育をつかさどるということだけなんです。言いかえれば、あなたは業務命令を出されるわけです。職務命令といいますか、業務命令、その業務命令ならば教育委員会学校を管理する権限がある、だから学校のことについては業務命令が出された場合にはこの業務命令に従わなければならないというのがあなたのお考えのようでございますけれども、しかし私は業務命令といえども本務を侵害するような業務命令、すなわち本務と衝突するような業務命令は出すべきではないと思います。それを出すことは学校教育法違反だと私は思うのです。これは違反です。教育をつかさどるということを侵害する業務命令は出すべきではない。それは業務命令が間違いないのです。ところが明日はその間違いの業務命令が出るのであります。そこでその場合には教師の本来の職責である本務と業務命令が衝突する。その衝突した場合にはいずれをとるべきであるかということなんです。あなたはその権力者でございますから、あなた自身教育についての最高権力者とお考えのようである。これは間違いでございますけれども、この間違いは私はゆるゆる申し上げたいと思いますが、とんでもないこれは思い上がりです。今日の日本教育法令というものをお調べになったら、その思い上がりにお気づきになると思うのです。戦前とは違います。文部大臣には、そんな教育内容についての最高権力というものは与えていないのです。そこでこれはあとでゆっくりお尋ねいたすといたしまして、本務に業務命令が衝突した場合には、やはり業務命令が優先するのでございますか、お尋ねいたします。
  87. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先ほどお答え申し上げましたように衝突するという前提でのお話でございますが、衝突しないと思うのであります。それは今も申し上げましたが、管理規則によって本来学校の管理権を教育委員会が持っておる。その権限に基づいて管理規則を定める。その管理規則に、たとえば日常の教科活動というものは学校で編成をして届け出なさいということになっておるとして、届け出た学校において教育委員会で何らこれに異存がない姿において、届け出のままで行なわれつつある姿は、まさに学校教育法にいうところの、教師教育をつかさどる、法令の範囲内において平穏かつ公正に教育をつかさどっておる姿だと思うのであります。そのことには先ほども申し上げましたようにいささかの疑いもございませんが、しかし学校の管理権というものは、届出によって行なわれる日常の学習活動のみではない、そのほかにも学習上必要なことを管理権に基づいて指示する権限は教育委員会に残っておる、留保されておる。それが法令の建前であると理解いたしております。その法令上留保され、持っておる権限に基づいて業務命令を出す、そのことは、すでに定められた管理規則と矛盾するものではない。同時に存在し得て、しかもその優劣は、特別の留保された業務命令に基づくものが、通常の場合の管理規則に基づいて教育をつかさどっておるその姿に優先するというのが法律の建前である。その建前に基づいて出します以上は衝突するということはあり得ない、そういう考えをお答えしたつもりであります。
  88. 野原覺

    ○野原(覺)委員 業務命令が有効に成立するためには、その業務命令を受ける側の職務に関する命令でなければならぬと私は思いますがいかがですか。
  89. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 むろんその通りでございます。教育に関する業務命令を出すわけですから、学校の校長の職務に関すること、職務に関しないことは業務命令とはなり得ないと思います。
  90. 野原覺

    ○野原(覺)委員 その場合には、校長の職務に関することだけではなしに、校長から命令を出された教師の本来の職務に関することでなければならない、教師が自己の職務外の命令を受けても、私はその命令には応ずべきではないと思う。この点いかがですか。
  91. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 むろんその通りでございます。
  92. 野原覺

    ○野原(覺)委員 そういたしますと、あなたは教師の職務に関することだとお考えなんです。私もそう考えたいのです。私も学力テストはそう考えたいと思いましたから、先般来これは教育内容ではないか、こう聞いたわけです。そのときにはそういうことで答弁でございましたから、私が以下申し上げる質問を遠慮したのです。そうしたら、きょう横路委員に対する御答弁では、いや、事務なんだ、こういうことです。事務なんだということは、つまり横路君が、事務員でもできるのか、こういう伏線があるものですから、教育内容といえば、これは免許法の教師でなければならないのじゃないかということに思い当たったのだろうと思いますが、あなたはそういう御答弁をされた。そこで問題は、単なる事務であれば、これは教育に関する事務だといたしましても、その教育に関する事務よりも優先してしなければならぬことは、きょうは僕が予定しておる算数の授業なんだ、英語の授業なんだ、こう教師が判断をする。そこで教師は校長に言うでしょう。いや私はきょうは授業をやります、こう判断する。そういうテストが必要ならば放課後にでもやるようにいたしましょう。こういう教師があるかもしれない。これがなぜいけないのか。こういうこともあなたは、これは違法な教師として処断をされるらしい。けさの新聞によると書いておるわけです。そういう教師は処断をする。私はこれはとんでもないことだと思うのです。これは李承晩以上のファッショです。授業をやるという教師を処断するということは一体何事です。教育をつかさどっておる学校教育法の規定通りに従って、しかもまじめな授業をやるというものを処断をする。その処断の根拠というものは何かといえば業務命令だ、こう言う。しかしその業務命令は、教育をつかさどるということに直接関連のある業務命令であるならば拒否すべきではないけれども、単なる事務でしょう、学力テストは。小使さんでもできるのです。町のおばさんでもできるのです。紙を配って書けといって書かして集計をする。これは簡単なことです。こんなものは教育じゃないのだ、そういう教育でもない単なる事務のために、自分の、教師の持っている本来の教育をつかさどることが侵害されてたまったものじゃございませんよ。そういう業務命令には私は従う必要はないと思う。従う必要があるというならば、あなたにその確信があるならば、どういうわけだ。業務命令の本質は、職務に関しないことの命令は出せないはずですから、それは法的にこういうことだと教えていただきたいのです。これは明日以後に起こる問題です。明日の学力テストは曲がりなりにも強行されるようです。これは強行されるでしょう。しかしその後に起こる問題は尾を引くわけです。私もやはり文教の責任を持っておりますから、その一端を負わされておりますから、明日以後に起こる問題として私は承っておきたい。そういう業務命令が、まじめに授業をするという、教育をつかさどる教師の職責を侵害し得るゆえんのもの、その法的な根拠、これをお教え願いたいと思うのであります。
  93. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 教師の職務は教えることそのことと同時に、学校教育法にいうところの教育に関する事務も当然つかさどるおけであります。そういう職務を持っておる。その教師のおります学校の管理権は教育委員会がすべて持っておる。ただし管理規則を定めて委任することができるとなっておるから、実際問題としては相当部分を委任しておるという実情にある。その包括的な管理権に基づいて、教育に関する事務を教育委員会は業務命令として教師に指示することができる。法律の建前がそうなっておりますから業務命令が出せるし、業務命令が出たのに従わないというなら、業務命令違反の事案として考えらるべき本質を持っておる、こういうことを申し上げておるのであります。
  94. 野原覺

    ○野原(覺)委員 業務命令は単なる事務です。しかしこれは大事な問題でございますから私は問題を残しておきましょう。  角度を変えてお尋ねいたしますが、今度の学力調査というのは、あれはあなたが文部大臣としてなさるわけですか。都道府県の教育委員会がやるわけですか。これはどっちなんです。
  95. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 文部大臣という立場においてなさねばならないことをやる意味では、文部省文部大臣がやるのであります。しかしその具体的な実行方法となりますと、文部省みずからがやるという立場にはない。これも法律の規定に基づきまして毎度引用しております五十四条二項、すなわち必要なる調査報告を求めるという権限が認められ、窓口があいておる。その法律に基づく権限、窓口を通じて教育委員会の持っておる機能を活用して実行するという、実行段階のことのみをとって考えれば、教育委員会がやるということが言えると思います。その教育委員会のまた職務権限に基づいて、先刻来申し上げているように業務命令として学校長に、あるいは教師に命令をするというやり方で現実には行なわれる。その段階だけをとるとすれば、学校がやるということになると思います。それを総合して申し上げるとするならば、文部省教育委員会学校が共同の責任国民に対して持つ姿で行なう学力調査だと理解しております。
  96. 野原覺

    ○野原(覺)委員 そういうことは私は尋ねていないのです。私は厳密な意味において、だれの調査権に基づく調査かということを聞いている。あなたは文部大臣調査権だとも聞こえないこともないし、教育委員会調査権だと聞こえないこともないし、それは学校調査権だと聞こえないこともない。なるほどあなたの方から指示が出て、教育委員会がその指示を受けて、そうして校長がそれを受けたのだから、受けた以上はその人間の責任だといえばそれきりでございますけれども、厳密な意味におけるこの学力調査調査権というものはだれにあるのか。結局は教育委員会にあなたが命令をしてやらせるわけですか。五十四条二項といいますけれども、あなたが四十六の都道府県の教育委員会学力調査をやれ、そしてこの命令を校長に伝送しろ、こういう形でこれはやるわけですか。そうなりますと、これはあなたの調査権ですね。そうなれば教育委員会はやらされるんですよ、教育委員会調査権に基づく調査じゃないですよ。そこいら辺をもっと明確に――これは誤解を与えたらいけません。あなたの答弁いかんでは重大なことになる。これは慎重に一つ御答弁願いたい。
  97. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今お答えしたことで尽きておりますが、そもそも明日行ないます学力調査をだれが発動したかということでお答えしろということであるならば、文部大臣が一斉学力調査を発動し、実施しようとしておるのであります。
  98. 野原覺

    ○野原(覺)委員 そうすると文部大臣調査権に基づく調査だと理解してよろしいのですか。
  99. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 その通りでございます。
  100. 野原覺

    ○野原(覺)委員 そうなりますと、都道府県の教育委員会がそれぞればらばらの話し合いをしておりますが、どういうことになりますか、あなたの調査権に基づく調査だということであるならば、各個ばらばらな話し合いというものは許さるべきではないと私は思うが、しかし現実にやっておる。神奈川県の教育委員会、北海道の教育委員会、福岡県の教育委員会それはばらばらですよ、兵庫県の教育委員会も、きょうの午後のニュースによりますと、教組との間に話し合いがついたようです。まだ具体的な内容は私は入手していない。あなたの調査権に基づく調査であるならば、そういった各個ばらばらの話し合いというものは許さるべきではないじゃないか、私はこう理解するんですが、現実には行なわれておる、あなたが指導助言をしておるあなたの最もお気に入りの教育委員会がそれをやってのけておる、これに対してどうなさいますか。
  101. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 もちろん、御指摘の通り全国一斉に同じ問題で同じようにやることが今度の調査のやり方であります。各都道府県がそれと違ったことをやることは、むろん好ましくないことであります。これに対しましては、本来ならば、指導助言ないしは著しく適正を欠く措置として措置要求ができる筋合いのものと思います。ですけれども、実際問題としては、すでに明日に迫っており、明日ふたをあけてみないことにはわからない。新聞記事だけで指導助言も措置要求もなすべきではない、結果を待って、具体的な結果に基づいて判断をしたいと思っております。
  102. 野原覺

    ○野原(覺)委員 あなたは、ごまかしてはいかぬと思うのです。それは、なるほど今日はニュースなり新聞でしょう。しかし、昨日までのことは、あなたの方はちゃんと情報をとっておるでしょう。正式の報告を受けておるはずです。ここは衆議院の文教委員会です。衆議院の文教委員会にそういういいかげんなことを言っては困ると思います。あなたは、神奈川県の教育委員会が県教組との間にどういう妥結をしておるか――内藤初中局長は、神奈川の教育長か何か知らぬが責任者と会って、そういうことでは困る、指導要録に記入しないようなことでは困る、テスト用紙には子供の名前を書かぬようなことでは困ると、これは命令か指導助言か知りませんが、きついおしかりか何か知らぬがやったらしい。そういうふうに、とってきたでしょう。そのことはこれは新聞や何かじゃありませんよ。現にあなたは知っていらっしゃる。じゃ私はお尋ねしますよ。もし知らぬとしたら、あなたは無能ですよ、失礼ですけれども。そういうことを知らないで明日の学力テストを強行することだけじゃいけませんよ。あなたの調査権に基づく調査でやる学力テストが、北海道の教育委員会ではそれがどのように消化されておるのか、長崎県の教育委員会はどうなのか、福岡県はどうなのか、どう理解されて、一体それがどの程度実施できるか、あなたが、あなたの責任であなたの調査権でやるのでございますから、国民に対する責任、それから政治に対する責任立場からも、このことはあなたは知らないはずはない。新聞やラジオじゃない。知っていらっしゃる。現に、違うでしょう。どういうように違うのか、これは事務的なことですから初中局長でもけっこうなんだが、どのように各都道府県では実施されようとしておるのか、今日までのところを御発表願いたい。
  103. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 大部分の県におきましては、文部省の指示通り行なえるものと期待しております。すなわち、二十六日の九時から三時まで、五教科について、同じ時期に同じ問題でやる、これは問題ないと思います。ただ、やり方につきまして、神奈川の場合には、五教科以外の音楽、美術、体育等についてもやる、これは県がおやりになることですから、けっこうだと思う。指導要録に記入云々の問題については、神奈川県教育委員会は、指導要録に記入しないということはいってない。指導要録の問題については、まだ検討の余地があるということで、私どもも検討をお願いしておるわけです。神奈川県教育委員会もこれは了承されたわけです。それから名前につきましても、これはぜひ記入してほしい、子供は番号だけですと間違うことが多いのでございますから、神奈川県教育委員会もその点は了承されまして、校長の判断にまかせる、大体は書いてもらえるものと期待していらっしゃるわけであります。教育条件整備ということが表面に出ておりますが、教育条件整備には学習指導改善も当然含むのだ、神奈川県の教育委員会はこういう解釈をしていらっしゃいますので、そう文部省の方針と根本的に食い違っておるとは思わないわけでございます。山梨県の教育委員会組合とが妥結したという内容も実は見たのでございますが、これもそう取り立てて言うようなことはない、ただ現場が自主的に協力する、業務命令は出さないでくれという点が変わっているように見受けられるのでございます。それから、そのほか兵庫県あるいは千葉県等でも組合と妥結したという話は聞いております。文部省の方針と根本的に食い違っておるとは私は思っていないのであります。ただ、県によっては、指導要録云々の問題は今きめないであと回しにするということで話をつけたところもあるやに聞いておるのであります。ただ、福岡県と北海道につきましては、大へんごたごたしておるという話も実は聞いておりまして、大へん私どもも憂慮しておるわけでございますが、その以外の県につきましては、大体文部省の指示通りあるいはその方向で話を進めているように聞いておるのでございます。
  104. 野原覺

    ○野原(覺)委員 ただいまの御答弁をお聞きしましても、問題が相当あるわけです。その問題は逐次出して参りたいと思いますが、先ほど文部大臣は、横路君の質問に対して、こういう御答弁があった。給与その他勤務条件、これが交渉の限界であって、それ以外のことは、今度のような学力テストは、これが交渉の議題になるべきものじゃない、違法だ、こういう答弁です。初中局長のお話を聞きますと、都道府県の教委はほんとうに民主的に、さすがは教育委員会であって、話し合いをどんどん進めておる。教員組合意見も聞いておる。そして、まとめるところはまとめていっておる。これは違法をやっておるのですね。都道府県教育委員会はけしからぬ、違法をやっておる。あなたが指導助言を与えねばならぬ教育委員会が、違法をやっておる。このことについてどうお考えですか。
  105. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 こういう教育政策の問題を、労働組合等の法律にいうところの団体交渉課題として取りり上げて交渉することは、法律趣旨に反すると思います。
  106. 野原覺

    ○野原(覺)委員 だからあくまでもそれは違法なことだ、従って今後は指導助言によってそういうことについては一切話し合いをやるな、こういう指導助言をあなたは与えるおつもりでございますか、お尋ねします。
  107. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 事実問題としての話し合いが違法だということを申し上げるつもりは私は初めからない、事実問題は別問題であります。団体意思を定めて、団体交渉という法律の認めた姿で教育委員会と交渉するというその課題は、法律に明記しましたこと以外にはあり得ない、すなわち逆にいえば、教育政策についての団体交渉ということは制度上あり得ない。しかし、私といえども、事実問題として会って話をなさることは違法だ、違法だということで、頭から違法呼ばわりをするということは毛頭考えておりません。私といえども、日教組目的意識がまともなものに、民主的なものになって後の性格づけがはっきりするならば、事実問題として会わないと言った覚えはいまだかつてない。ただ、法律にいうところの、さかのぼれば憲法二十八条に根源を持った意味においての団体交渉行為はあり得ない。だから団体交渉という姿で、そういう建前で交渉し、その結果ゆがめられておることありせば、まさに法律趣旨に違反するものと思います。
  108. 野原覺

    ○野原(覺)委員 あなたは教育政策について話し合いしたことは違法と何回もさっきから言っているのですけれども、勤務条件というのは教育政策ですよ。とんでもないことをおっしゃっては困る。教師の勤務条件は重大な教育政策ですよ。そういうようなことで御答弁されては困りますよ。だから、私は問題をしぼりましょう。私もこの場合は教育政策ということは使いたくないのだ。だから論点を明らかにする意味でお尋ねいたしたいことは、今度の学力テストでそれぞれの県教委で話し合いをしておる、私はこれはいいととだと思っておるのだ。ところがあなたはこれを違法だときめつけたのです。私は耳を疑ぐるほどに驚いたのです。これは大へんな問題になると思った。これはもう大へんなことです。学力テストについてそれぞれの職員団体が都道府県教育委員会と話し合いをしているときに、それを違法だとは一体何ですか。どこが違法ですか。これは、学力テストというものは勤務条件に影響があるじゃございませんか。授業をするかしないか、学校教師がどうなるかということは現実に勤務条件の問題があるじゃございませんか。しかも学習指導要領改善に資するといいますが、どのように学習指導要領改善されるかということは、勤務条件関係がありますよ。あなたの言う通りに厳密に勤務条件を解釈して私は申し上げておる、これは関係がありますよ。しかも横路君も指摘したように教育条件整備、どのように教育条件整備されるのか、教師がふえるのかふえぬのか、男の教師が多くなるのかどうなるのか、免許状を持った教師が来るのか来ぬのか、校舎が鉄筋になるのか腐った木造のままなのかということは、勤務条件と重大な関係があるじゃございませんか。そういうことを考慮に入れるならば、話し合いをしてなぜ悪い。取り消しなさい。学力テストについて話し合いをすることは違法だということは取り消しなさい。取り消した方がいいですよ。こういうことが速記録に残って全国に流されると笑われますよ。お取り消しになってはいかがですか。あなたがお取り消しにならなければそれでもよろしいが、私は、一ぺんそのことであなたの御所信を承りたい。取り消した方がいいではないかということを私は――せっかく教育委員会がそうやっているものを、指導、助言をしなければならないあなたが、教育委員会の話し合いは違法だ、こういう断定を下すのは、お取り消しになる方が文部大臣としての良識ではないか、ということを私は好意を持って申し上げておるのであります。いかがですか。
  109. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 先刻も申し上げた通り、俸給、給与、勤務時間等、その他の勤務条件に関して団体交渉ができると法規は明記しております。勤務条件に関する限り団体交渉課題であるということは、法律上の当然の課題として明記しておるわけですから、その点に一点の疑いもない。ただ教育政策課題は労使間の団体交渉課題であり得ないということは、憲法二十八条ないしは労働組合法等を通じましても、さらにまた社会的な常識でもあるわけでございまして、そういうことを申しておるのであります。学力調査そのものは勤務条件そのものではない。関連はしましょうけれども、関連した部分について、その部分だけ取り上げて、具体的に勤務条件の変更があるからそのことをどうするということ、そのことはこれは団体交渉課題でございましょうが、学力調査を今度やるということ、その内容等をたとえば指導要録に記入するとかせぬとか、あるいは名前を書くとか書かないとかいうことは勤務条件そのものではないはずであります。ですから教育政策の、本来の職務権限に基づいて文部大臣法律に基づいてやらねばならぬからやろうとしておること、そのことの内容を団体交渉ばりの課題として交渉すること、そのことは法律趣旨に反する、こう理解しておると申し上げたのであります。
  110. 野原覺

    ○野原(覺)委員 まああなたはお取り消しにならぬ。よろしいです。それでよろしい。これは今後の問題になることを私は重ねて申し上げておきます。  そこで、次にお尋ねしたいことは、いわゆるあなたに言わせれば、違法な話し合いを都道府県教委はやっておるわけです。どう対処されますか、それを承っておきたい。
  111. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 今も申し上げました通り、あしたの結果を見なければわからないことでございますから、きょうの段階で、新聞に出た通りのことがどうなった、こうなったとかりにありましても、明日いよいよ実行するまでに、新聞記事の内容と変わらないものでもない。ですから、結果を待たなければ判断のできない本来の事柄だと私は思うのでありまして、そういう意味でさっきもお答えを申し上げたのですが、結果を見て、現行の法律、命令に従って万事やらねばならぬことは当然のことでございますから、そういう法令に立脚して具体的な結果をどう判断すべきかということを待って、自分の意思は決定したい、文部省としての態度も決定したいと思っております。
  112. 野原覺

    ○野原(覺)委員 神奈川県教委が話し合いをしてきたでしょう。知っておるから内藤局長が神奈川県教委に指導したのでしょう。あなたは話し合いをすること自体が違法だと言う。このことについては話し合いをするなとは指導しなかったのですか。そんなばかなことはやめておけ、こんなものは違法だぞ、こんな教育政策について話し合いをするばかがあるか、こういう注意をあなたはお与えにならなかったのですか、お聞きしたい。
  113. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 これは法律の解釈それ自体でございまして、特別にむずかしい問題じゃないと思います。地方公務員法をすなおに読めば、当然だれでもわかる事柄でございますから、ことさらそれについて、あらかじめ指示するとかなんとかということは起こり得ない当然しごくの常識の範囲と私は心得ますから――指導、助言等はむろんいたしておりますが、たとえば先刻も申し上げました通り、一定の内容を持ち、公式手続をもって同じようにやることが目的を達する必要条件でございますから、その指示には従いなさいよということはこれは申しておりますけれども、団体交渉としてどうしたかああしたかということは、これはよほど厳密に結果を待って判断をしなければ判断できないことですから、先ほど来の御答弁となって現われ、お答え申し上げておるような次第であります。
  114. 野原覺

    ○野原(覺)委員 まあ、いずれ速記を読み返してみると驚嘆に値することが次々と出てくるであろうと私は思うのです。  そこで、教育委員会がこの実施はできないというところがありはしませんか。そういう報告が文部省に来ておるとすれば、それはどこの教育委員会でどのくらいありますか、お尋ねしたい。
  115. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 教育委員会はどこの県もやるということで努力しております。ただ地教委等の関係で、福岡と北海道については百パーセントできるという見通しは両県ともとっておりませんが、その他の県においては大体いけるだろう、こういう見通しを立てておるのでございます。
  116. 野原覺

    ○野原(覺)委員 私の質問がまずかったと思いますが、地教委なんです。すでに地教委では、予算の裏づけができない、このために相当金がかかりますから、まずその金を確保しなければならぬのだが、それが議会を通過しない、こういうことも一つの原因となったのでしょう、あるいはその他の原因もあるのかもしれません、いろいろございまして、遺憾ながら実施できないというところが文部省には入っておるはずです。そういうところにはどう対処してあしたは実施させるのか。そういうところはやむを得ないものとして見送るのか見送らぬのか。そういうところも違法であるというので、事と次第によっては警察官でも派遣するか何か知りませんが、そういう非常手段に訴えてでも強行するのか、できない地教委は遺憾ながらやむを得ないとしておあきらめになるのか、文部大臣に伺いたい。
  117. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 私は、建前として、この一斉学力調査が実行できないところが出てくるとは考えません。そんなことはあるはずがない。ただ、御指摘のように、ある公共団体でもって、最小限度の経費は支給はいたしておりますが、それだけでは足りないと判断をして、公共団体の経費支出の協賛を求むべく議会に諮ったところが否決された、否決されたから経費の面でできないと、その公共団体教育委員会が判断した、その判断に立って現実にやれないということはあるいはあるかもしれません。現実にあることをなからしめる方法はございませんから、結果的にそんなところも出てくることは絶対ないんだということは言い切れませんけれども、原則としてこの学力調査が本来できないんだ、できないところがあるのが当然だとは一つも考えておりません。
  118. 野原覺

    ○野原(覺)委員 いや、当然だなどというような、そういう質問はしておりませんよ。地方の教育委員会ができなければやむを得ない、こう言ってお見のがしになられるのでしょう。片一方教師の方は、どうも教育本来の教師の職責から考えて、おれは授業するんだ、その場合は業務命令を振りかざして、教壇からおりなければ、警察官の職務執行法か何か知りませんが、警察官の公務執行妨害というようなことで下ではやるかもわからない。あなたのようなお考えで指導しているのですから、私はやるだろうと思います。そういうところが全国には、遺憾なことでございますけれども、明日は出てくるかもしれません。学園に警官が入る。学校ではどろぼうがありましても、学校現場というのは警官が入ることを好まないのです。現実に盗難があっても、子供のおるときには影響があるから警察官は呼ばないのです。教師が自分の本来の職責の授業をしない。問題用紙を持ってくる者を、ピケを張って、労働組合が手を広げて通さないというようなことでありますと、これは公務執行妨害というようなことであるいは警察官派遣という事態にもなるかしれませんが、教師がおれは授業すると言っておるものを、もしもそういうようなことでもあると私は大へんなことだろうと思う。だから、あなたは教育についての責任者です、一校や二校あるいは何校になるかしれませんけれども、学力テストをでかすために警察官の派遣を強行するなどということは断じてしてはならぬという指示を都道府県の教育委員会には出すべきだ。それが文部大臣です。僕は僕の信念でこういう調査をやる、けれどもどうしてもできなければそれはやむを得ない、しかしながらどうしてもおれがやる以上は何が何でもやってのけなければならぬ、聞かぬやつは処断をしてしまえ、けさの新聞談話にも書いてあるように、処罰をしてしまえ、そして警察官でも何でもいいから、呼んででも強行しろ、こういうような指導ですか、前の方の指導ですか、どういう指導学力テスト実施についてはなさってきたのですか、お尋ねしたい。
  119. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 指導しましたのは文書で主管局から出しておるようですが、それ以外の指導はしたこともないし、しょうとも思いません。警察官を出動させるなどということを言おうとは毛頭思っておりません。ただ暴力で職務執行がはばまれたということが現実にあった場合どうするかということは、その地方々々の判断のことでありまして、文部省という立場からかれこれ言うべき筋合いじゃないと心得ております。
  120. 野原覺

    ○野原(覺)委員 もう時間がないようですから、私は残念ですがこれは中断しなければならないかと思うのですけれども、もう二、三点お尋ねして終わりたいと思うのです。  それは、すでに前の委員から質問があったことかと思いますが、人材開発という問題です。私、文教委員会に最初から出ていないから、この点は重複することかもわかりませんがお聞かせ願いたい。これは人材開発のテストだ――あなたは、学習指導要領改善教育条件整備、こういうことは耳にタコのできるほど聞いておるわけですけれども、人材開発ということは最近どうもおっしゃらないのです。この人材開発はどこにどうなったのか、これはいかがですか。
  121. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 人材開発という目的を持っておるかいなかという事柄については、最近申さないのみならず、初めから申し上げておりません。新聞等に何かそんなことが出ておるようでありますが、文部省の考えとは全然関係ございません。もししいてそういうことに関連ありということを申し上げるとするならば、育英奨学の規模をもっと拡大したいと私どもはかねがね思っておりますが、そのことについて全国的な信憑性ある資料というものが事実上ないのであります。たとえば特別奨学一万二千人高等学校実施したいということで、現にお認め願っておるわけですけれども、明年度はもっとこれをふやしたいということで概算要求を実は出しておりますが、そういうことを主張するといたしまして、なぜ一万二千人でいけない、もっと多くなければいかぬか、多々ますます弁ずではありますけれども、一応二万なら二万として計算します場合、その根拠が何だというよりどころというものがないのであります。多々ますます弁ずという以外には率直に言って根拠がない。従って今度の調査を通じまして、家庭の事情等の一定の型の者があり、進学の希望があり、テスト結果の成績もある程度以上の者がどれだけか出てくる、完全なテストではむろんないけれども、一応やりましたテストを通じても現にこのような数字が出てきたんだ、それに比べれば現在の特別奨学、一般奨学、両方ともこれほど不十分だという根拠としては、日本唯一の基礎資料としてものを言う値打らがあるということを期待しておりますが、そういうことがはしなくも人材開発などと結びつけられたのじゃなかろうかとは思いますけれども、人材開発的な内容、要素があるとすれば、そういうことを目的、効果の一つに期待しておりますことから、はしなくもそういうことが言われるのじゃなかろうかと想像するだけでございまして、いわゆる人材開発、その定義もはっきりいたしませんけれども、何か正面に出しておる目的なり効果の期待等とは全然違った、他意あるがごとき意味においての人材開発などということは、毛頭考えておりません。
  122. 野原覺

    ○野原(覺)委員 人材開発ということをあなたはおっしゃっておりませんか、学力テストに関して。最近は不思議なことに言われないのですよ。ほんとうにおっしゃっておりませんか。――うなずかれておるところを見るとおっしゃっていないようですが、これはどこから出たわけですか。昭和三十六年度の予算要求額事項別表、当初予算に、九千五百万円の予算の説明をするときにおっしゃっていませんかね。これは三十八国会の当初予算の説明でございますから、本年の初めです。書いておるじゃないですか、言葉じゃなしに。私が実は不思議に思ったのはここなんですよ。あなたがそういうことをごまかしちゃいかぬですよ。この予算要求、これは「人材開発計画立案のための調査」と書いておりますよ。そう言って予算をとってきたのですよ。これは出初予算をとるときに響いておる。ところが今になると、そういうことは言った覚えはない。それは池田さんの所得倍増計画だ何だかんだということが一部から論評されておることと関連して、ここに書いておりますよ。これは何ですか。こう言って私どもには予算要求の説明をしてきたんだ。これは昭和三十六年度予算要求額事項別表だ。見たければ見なさい。これはちゃんと書いてあるじゃないですか。
  123. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 この予算につきまして今お尋ねの点でございますが、初等中等教育局の方で学力テストの予算が約八千万ほど出ておるのでありまして、その下に千九百万ほど人材開発の資料、こう出ておるのは、これは調査の結果を分析いたしますので、そこで人材開発という言葉が誤解を受けたと思うのです。先ほど大臣が申された通り、この内容は育英ということでございますので、ここで誤解を受けたので、その言葉は以後一切使っていないのでございます。文部省学力テスト実施要綱をごらんいただきますればおわかりいただけますが、これ以外に今回の学力テスト指導通達は出ていないのでございます。公文書としては一切出ておりません。ただ御指摘の予算の中に、分析調査のところにそういう言葉があったので、これは誤解を招いたと思うのでございます。
  124. 野原覺

    ○野原(覺)委員 これは予算を獲得する場合に、通常国会で年度の予算を私どもが審議するにあたっては、私も予算委員をしておりますが、こういう文書で出されたものによって、私どもは審議をしていくわけです。私はこれを見て、なるほど金額は学力テストの紙のところにありませんけれども、分析した結果として人材開発というところが、計画立案のための調査学力テストに関連して出てきておるわけです。従って、そのほかの言葉は何にも出てきていない。これは私は重大なことだと思いますよ。これは今になって訂正すると言えばそれまででございますけれども、年度予算を審議するときになぜ訂正しなかったのですか。これは育英か、それは育英ということが人材開発だ、こう強弁される。育英という言葉は人材開発と言えば言えないこともありません。ところが、今度の労力調査育英じゃないでしょう。条件整備学習指導改善、それが大半でしょう。育英というものは、それは条件整備と学習指呼について出てくるのかどうか知らぬが、学習指導改善条件整備です。なぜあたりまえの言葉で予算委員会で説明しなかったのですか。文教委員会でなぜあたりまえの説明をしなかったのですか。文部大臣責任ですよ。いやしくも予算額を国会で審議することは重要なことだ。その際になぜほんとうのことを、またあたりまえのことをおっしゃらないのです。ところが、実はそうではなくて、人材開発計画というのが活字で出てきておる。あとの言葉は何にもないのです。ここだけ出てきておる。学力調査に九千五百万円計上をする。人材開発計画立案のための調査、それ以外に何も出てきていないですよ。学習指導とか教育条件整備というものは、同僚諸君から言われたように、学力調査から本質的に出てくるものではないのです。学習指導改善ということは、現場教師の声を聞くことです。現場教師が国語を教えたところ、この単元は一時間では無理だ、これは二時間にすべきだ、こういうことは教師がよく知っておるのだ。あるいは教育条件整備についても、第二室戸台風で校舎が傾いたとかいうことは、そういうことの調査でとったらいい。鉄筋校舎にしてもらいたいとか、あるいは校庭の一人当たりの坪数は幾らか、そういう教育条件整備だったら、教育条件整備調査でやれますよ。学習指導改善教師の声を聞いてやったらいい。一億円の金をかけて、都道府県の金を入れたら十億円になるかどうか知らぬが、莫大な金です。しかも教育界に大問題を起こしてやって、それが教育条件整備学習指導改善の裏づけになるというような御説明は、私は何回も申し上げますが、納得できない。こういうごまかしの説明で予算を通してきたのです。文部大臣は一度も育ったことがないと言うが、ここに文部大臣、あるのですよ。あなた方から文教委員に出たのですよ、予算委員には川なかった。しかしながら予算委員会においてもこれを参考にして審議をしておる。あなたは九千五百万月の予算を通すときに、教育条件整備学習指導改善という説明をいまだかつてしておりませんよ。そうして今になってそういうことを言って、おれは人材開発と言った覚えはないということは、一体何たることですか。  そこで次にお尋ねしたいことは、あなたが今言った育英なんですが、学力テスト育英とどう本質的に結びつくのですか。育英というのは、頭がよい、能力がすぐれておる、しかし残念ながら家が貧乏だ、金が足らぬ、これは高校にやりたいものだ、理科がすぐれておるから、将来これは工業方面の大学にでも入れたらすばらしい男になるのだがというのが育英でしょう。それは教師が知っておる。校長が知っておる。何人いるか報告さしたらいいじゃないか。今度の学力テストはあなた方が集計して、そのほかの調査は今のところされないのであるから、その答案の採点だけから一体この学校育英資金を出さなければならぬものが何十人おるかなんという判断がどうして出てくるのですか。そこのつながりを御説明願いたい。私にはわからないのです。そこをお教え願いたいと思うのです。
  125. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 もちろんおっしゃるように先先が一番よく知っておる立場だと思います。そのことは私も疑いませんが、ただ全国的な立場でものを見て、そうして主張するということを念頭において考えますと、学校ごとの、クラスごとの一人々々の先生が一番よく知っていることは間違いないにいたしましても、全国的レベルでどうだろうという回答にはならないのが恨みでございます。従来は、すでに御案内のごとく、日本育英会が実務を担当いたしまして、学校と連絡しながら、また教育委員会と連絡し、協力を求めながら既定予算を有効に配分する努力をいたして参っておりますが、それでもなかなか全国的レベルで優秀な人はだれだという判定資料というものはないわけであります。さりとて今度のテストだけでそれが十分にわかるとはむろん申し上げませんけれども、一つのよりどころではあるということを考えまして、今度の学力調査の結果の分析につきましては、育英、奨学のことを考える場合に、全国的視野に立ってどれだけのおよその対象があるだろうということを調査できるような調査をあわせて行ないますので、その関連において育英と関連がある、こう申し上げるわけであります。
  126. 野原覺

    ○野原(覺)委員 質問することが前後して申しわけないのだが、都道府県の持ち出す金は今度の学力テストで総計どのくらいになりますか。
  127. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 数千万、一億足らずであろうかと思っております。少ないところで十数万、多いところで五、六百万、平均は大体百五十万から二百万くらいが多いようでございまして、総計で六千万円でございます。
  128. 野原覺

    ○野原(覺)委員 それは各都道府県に指示して裏打ちその他についての了解をとっておりますか。
  129. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 裏打ちにつきましては、都道府県の交付税を計算する際に、標準教育費の中に一件当たり五十万程度の交付税を積算をしたわけでございます。五十万というのは必ずしも十分ではないと思いますが、文部省がやる経費は必要最小限度の経費でございまして、用紙と分析表その他の経費は全部文部省で持つわけでございますが、その他に運賃あるいは保管料あるいは謝金等、必要量小限度のものは見ておりますが、県はこれを県段階で今後活用する分が非常に多いのでございますから、その関係で都道府県の交付税を計算する場合に、一件当たり平均五十万程度自治省と協議して見込んだわけでございます。それに基づいて各県で予算を組まれたわけでございます。
  130. 野原覺

    ○野原(覺)委員 市町村教育委員会なり都道府県教育委員会で、そういうことについては了解してないところが多分にあるように私は聞いておるのです。ところがそんなごくわずかの金を申されましたが、そういう金で学力テストなんかできはしないということを聞いておる。この問題は将来に残ります。  それからもう一点大事な点は、私は一番最初に尋ねたことに戻りたいと思うのだが、処罰の問題なのです。大臣処罰すべきだと思う、こういう談話を出しましたね。いかがですか。
  131. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 違法行為として処罰されることがあり得るという意味のことは念のため申しました。処罰すべきだなどというはずもございませんが、要は法律に違反したことはしないようにしようじゃないかということを申したのであります。
  132. 野原覺

    ○野原(覺)委員 ところがあなたは法律に違反したことばっかりやっておる。思い当たりませんか。そうして法律に違反したことをやられるあなたが法律に違反しないことを要求するというのはいかがかと思うのです。私ははっきり申し上げますが、あなたの法律に違反したことということは、たとえば学校教育法にしてもそうなんです。あなたは文部大臣調査権限においてやるのだというけれども、文部大臣がこういうことに対する調査権限は今日学校教育法は与えておりませんよ。学校教育法のどこがあなたに調査権を与えておるのですか。五十四条二項だというでしょう。五十四条二項は、これは地方教育行政法律でありますよ。この三項は教育委員会が自己の権限において調査するもの、自己の権限において調査した事項をあなたが報告を求めるのです。権限の主体は教育委員会です。文部大臣ではございません。文部大臣学力調査ができるということならば、それこそ教育の国家統制ですよ。教育の内容統制です。教育の内容についてあなたはそんな権限はないですよ。失礼ですけれどもありませんよ。あなたは新聞には義務教育の水準を高める、義務教育文部大臣責任だ、学習指導要領を作る責任がある、そういうことを道義的に持たれることはよろしい。しかしながら責任だからといって教育上について一切の権利があると思われる、調査権が文部大臣にあると思われることは、思い過しではございませんか。私は、この点は重大ですからあとに残すと言ったのはここですが、いかがですか。あなたはやはり学力調査の権利は文部大臣にある、調査をやってよろしいとすれば、その法的根拠をお示し願いたい。五十四条二項は教育委員会が自己の権限に基づいて調査をすることです。あなたが調査をするのじゃないのです。いいですか、あなたがあることを指示して、都道府県にたのんで調査してもらったことを、あなたが報告を求めるというだけのことなのです。あなたが調査をするのじゃない。調査をする主体は今日の法令では教育委員会ですよ。いかに任命制になったといいながら、教育委員会教育については権限を持っているのですよ。あなたは最高の権力者だ、一切の指示ができる、教育内容についてもできる、こう、言うかどうかわかりませんが、私はこうなるとこれは大へんなことだと思うのです。これが教育の国家統制ですね。文部大臣は何でもできるのだ、こうなったら私はゆゆしいことだと思うからお尋ねしておりますが、それでもやはり調査の主体はあなた、調査の権利はあなた、都道府県にはない、こうお考えですか。これは間違いじゃないですか。
  133. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 何でもなせるということならば、おっしゃる通り大へんなことだと思います。そんなことは法律のどこを探してもないことを私は承知いたしております。毎度申し上げておることですが、日本教育、ことに義務教育につきまして、地方分権の建前で行なわれる姿になっておるということも承知いたしております。ただ例外的に、小学校については学校教育法二十条、中学校については三十八条に、とれも何度も申し上げましたが、教科に関することは監督庁がこれを定める、その監督庁は文部大臣とするというその法律に基づいて、教科に関することは文部大臣責任を持たねばならぬ、また定める権限を与えるぞと例外的に法律で明記しておるのであります。その限度において教育内容に文部大臣がタッチする、タッチせねば法律違反だという立場に置かれておるということを申し上げておるのであります。教育内容を具体的に列挙すれば私の知らない部分たくさんあると思いますけれども、すでにして小学校、中学校においての教科というものは、国語と数学と社会と何と何というものを、法律に基づく施行規則を定めることによって列挙しております。同時にその教育内容を一週何時間、こんなふうな事柄を教えなさいという、相当具体的なところまで、全国一律の学習指導要領を定める権限と責任も与えられておるということは、義務教育なるがゆえに相当立ち入って教育内容に国がタッチせねばならぬ、やり方によって国民責任を持たねばならないと、法律そのものが規定しております。その法律によって命ぜられ、与えられた責任と権限を行使するその一つの現われ方として、学力調査を通じて教育改善に当たりたいということから発しておる学力調査でございます。地方教育行政法の五十四条二項を何度も引用しましたが、野原さんの御解釈では教育委員会だけがやる調査だという御解釈のようですが、教育委員会が自走的にやります調査も、文部大臣が権限に基づいて調査を指示し、命令し、それに基づいて調査する。両面を含んだのが五十四条二項と私どもは理解しております。ですから、文部大臣が何でもできるということなんか毛頭考えておりません。やれる範囲というものは、あくまでも法律に明記された、法律上そうだと考え得る範囲以外にあろうとは、むろん思っておりません。
  134. 野原覺

    ○野原(覺)委員 何でもできないから、あなたも、何でもできないということをお認めなんです。五十四条二項は、文部大臣が都道府県の教育委員会に頼むのですよ。学力調査をして下さいといって頼む。いいですか。だから委託じゃございませんかと、この前も押し問答やったのです。頼むのです。そして都道府県の教育委員会が断わることもあり得るわけなんです。断わることは望ましいことでないかもしらぬが、都道府県教育委員会の本来の職責からいって、断わることもあり得る。指定統計調査とは違うわけです。これは統計の指定調査じゃないのです。そこのところはこの前議論をして、あなたはそうがんばられたのですけれども、あなたが、何でもできないということをお認めならば、そこまで認めなさい。あなたは、何でもできるものじゃないとおっしゃっておりながら、学力テストができるんだと言う。その根拠は、学校教育法の二十条ですか、それを出して、教科については監督庁がこれを定めることができるとある、とこう言う。あれは国語、算数、理科、英語、音楽、図面、体操、そういう教科目を文部大臣が定めるのですよ。あの二十条というのは、各県によって、あるところは妙な科目ができて、あるところは五つしか科目がない、ある県に行ったら十二もある、こういうことをやられたんじゃいかぬから、教科目をきめるのですよ。あれを受けて、あの施行規則ですか、二十四、二十五と発展してきておるわけなんです。ですから、当然学力テストなんかできやしませんよ。教科をきめるだけです。何の学力テストの法的根拠になりますか。これこれの教科目を小学校には置く、これは文部大臣の権限にしないと、各県ばらばらになるから工合が悪いといって置いておるだけじゃありませんか。とんでもないことを言っちゃ困りますよ。そんなものじゃ学力テストの法的根拠になりませんよ。しかも五十四条二項というのは、何といっても統計の調査報告を依頼するだけの条文ですよ。こんなものは法的根拠になりませんよ。私はそう思う。  そこで、大事な点を一点聞きます。教育をつかさどるという問題が、私はやはり一番大事になってきたと思うんです。これはあなたの答弁いかんによっては学校教師も考えなければならぬと思う。だからこれは慎重にお答え願いたいのだが、子供教育に対して、教師は校門に入ってから責任があるのですか。その受け持ち教師の、その児童化徒の教育における責任というものの限界、それは一体どこなんです。
  135. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 学校における活動について責任があるわけでございます。
  136. 野原覺

    ○野原(覺)委員 そうなると、始業時から責任があるということですか心学校においてとはどういうことなんですか。
  137. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 学校における責任教員が負うわけでございます。ですから、執務時間がきまっておりますれば、その執務時間の範囲内は教師責任でございます。
  138. 野原覺

    ○野原(覺)委員 今度テストを、午前九時何分か知らぬが、始める。教師責任になっておるわけですが、この子供は受け持ち教師責任なんです。だから、受け持ち教師が出かけていって授業を始めたとする。これは文部大臣、違法ですか。受け持ち教師責任ですよ。受け持ち教師は自分の責任です。子供が教室に入って、先先も教室に入って、授業を始める。教師責任です。だから、子供の命に間違いがあってごらんなさい、まっ先に腹を切るのは受け持ち教師です。校長より先に責任を問われる。教育委員会なんか何の責任を問われますか。あなたは、教育委員会学校管理とか、文部大臣責任があるとか言いますけれども、あなたに何の責任がありますか。子供に問題が起こったら、子供が一番、あとになって涙を流すのは親、受け持ち。校長も幾らかある。しかし教育委員会文部大臣じゃないですよ。この子供がかしこくなってくれたといって一番喜ぶのは親であり、その次に受け持ち教師ですよ。受け持ち教師が、自分の責任だから、子供が教室に入れば教壇に立って授業を始める。そうすると、とんでもないのが問題用紙を持ってきて、君は教壇からおりろ、こう言うのです。これは教育権の侵害ですよ。あなたはこれは侵害ではないと言い張るかもしれない。私はこれ以上は質問しませんが、教育権の侵害ですよ。私どもは、この問題については徹底的に争います。だから、今度のことであなたは処断したければ大いに処断しなさい。私どもは、裁判においても国会においても、この問題は、今日の日本教育あり方に関する重要な問題でございますから徹底的に争いますが、ただ、最後に、私の質問のあと山中委員が質問されるようでございますからこれでやめますけれども、最後に申しておきたい。  このようなことで教育界混乱させて――あなたにはあなたの教育的確信がおありかどうか知りませんけれども、私ども社会党は、きのう文部大臣に、国会対策委員長その他幹部が申し入れをしたはずだ。その申し入れには、学力テストをやめろとは書いてない。こういう混乱があるから、しばらくこの理解と協力を求めるために時間をかせいでやったらどうか――予算が通っていることでございますから、これは簡単にやめろと言ってもやめれぬことは私どももわかる。しかしながらこの混乱を何とか切り抜けて、学園に警官が入るとか、受け持ち教師と役場の事務員さんが子供の前で口論をする、そういった教育自体を泥ぐつで踏みにじるようなことはやめて、もう少し何とか時間をかせいで話し合うということはできないかというのが私ども社会党の申し入れだったのです。このことについても、あしたのことでございますから聞く余地はないとあなたはおっしゃるでしょう。万事休す。明日始まるでしょう。しかしこの混乱責任は究明します。私どもは徹底的に追及します。教育界にこういう混乱を与えた責任を私ども会社党は追及する。このことを申し上げて質問を終わります。
  139. 櫻内義雄

  140. 山中吾郎

    山中(吾)委員 学力テストについては、数回の常任委員会であらゆる角度から論議をされましたし、その中で非常に複雑な問題であるということと、法律的な職務権限の問題までいろいろと論議をされて、そう簡単にこういう問題は実施をすべきものでないということが明らかになりました。それで明日この問題がどういう姿で出てくるか、一〇〇%実施されるか、五〇%になるのか、あるいは各府県の教育委員会教師が自主的な判断に基づいて、よりよいテスト方法を考えて実施をするのか、あるいは文部省のままにうのみにしてやるかは、あすにならなければわからぬと思う。そういう結果は別にいたしまして、これからの文教行政を建設的なものにしなければならない。これだけ混乱をし、これだけいろいろと論議を戦わしておって、そうして最後に残るものはマイナスだけであったということでは、これは日本文教行政のためにまことに遺憾でありますので、ずばり六点について私は文部大臣にお聞きいたしますから、文部大臣も率直にずばりお答え願いたい。再度またお答えを要求したりする気はありません。  それで第一点は、しばしば今までの御説明の中にも教育条件整備するためにこの学力テストをやるんだと強調されておりました。その結果、これは当然僻地の学校都市学校には非常な差が出てくることは、私はもうテストをやらなくてもわかっておるのでありますが、テストは手段であって、そのテストがうまくいったからよかった、よかったというならば、これはおかしい。テストは手段であって、そのテストによって教育条件整備することを明示して天下に公表されて、PTAを啓蒙されておられるようでありますので、それについて文部大臣は、三十六年度、三十七年度以降の、このテストの結果において教育条件整備するという目的を明示されたことについて、責任を持って予算その他に措置をされるかどうか、それをまずお聞きいたしたいと思います。
  141. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 もちろん仰せの通り手段であって、結果が出ましたならばその結果に立脚して可能な限りあらゆる改善の努力をすべき責任があると思います。ただ現実問題といたしますと、三十七年度中に、今度のテストの結果どういうことが具体的に反映したかという必然的な結びつきの御説明ができる姿では出てこないと思います。と申しますのは、概算要求の建前が八月末日に提出をするということで、各省ともやっております。途中の追加要求は認めないという建前だものですから、ことにまたこのテスト分析した正式の結果がはっきり出ますのは来年の三月ごろにならざるを得ない必然性を持っておるようであります。ですから三十七年度には当然反映できないと思いますが、それ以後において極力そのテストの物語る客観的な合理的な根拠と目すべき資料に基づいて、単に僻地のみならず、もろもろの物語る線に沿っての改善努力をする責任があると思います。
  142. 山中吾郎

    山中(吾)委員 よく覚えておいていただきたいのです。  それから第二点は、指導改善ということが強調されてこのテスト実施されるように数回にわたって御答弁になっております。今までの論議の中に、指導改善する資料にするということになれば、最もいい方法は、問題作成はみずから教育をした教師の意向が入らなければいけないのだという意見を私も述べたのですが、その論議は別にしましても、結果についてはどういうふうに評価をし判定をするかということは、担当教師が参加しなければ、担当教師を無視して結果が出てきても指導改善資料にはならない。従ってその結果について、これをどう処理するかということは、現実教育を担当する教師が参加をしなければ御趣旨は合わないと思う。この点について私は参加さすべきであると思いますので、これも率直に大臣からずばりお答え願いたい。
  143. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 おっしゃる気持はわかりますが、現実にはできないと思います。のみならず、何回も御説明申し上げておりますように、文部省立場において、同時に、同じようなテスト全国的にやりますことは、もともと学習指導要領ないしは検定教科書というものが、指導要領に基づき、あるいは定めました教育課程に基づいて検定もされるわけなのですが、教科書のことは一応抜きにいたしまして、教育内容について、文部大臣という立場で相当立ち入って義務教育に関与しなければならないという建前になっていますから、その到達度がどの程度まできておるであろうかを知り、それを知った結果に基づいて文部省として直接責任を持たねばならない事柄の改善に資していこうというのでありますから、学習指導要領を編さんする能力を活用して、その学習指導要領の期待する共通的な試験問題を作るという責任文部省に本来ある。その問題を作り、もしくはさかのぼれば学習指導要領そのものを決定します場合に、現場教育の体験を持った人の意見を聞くべきことは当然でありますが、またそうしておるようですが、そうした立場に立って問題は作らるべきもので、そのほかに、お話のように都道府県、市町村の段階でそれぞれ地方の特色を盛った、ことに現場教師現実考え方も盛り込んだ問題が出されてのテストというものは、全然別途に特色のあるテストが行なわれてしかるべきもので、それについては特に今のおっしゃることがぴたりとすると思いますが、全国共通の独立の同時的なテストというものが必要であればこそやっておる。その問題を作ります場合には、それぞれの地域の千差万別の地方の特色を持ったことを体験上身につけておる教師意見を聞くということが事実上不可能でもありますし、必ずしも必然的の関係には立たない。あくまでも学習指導要領を定めなければならないという責任の範囲内において適切な問題を探す能力が文部省にある、そういう前提で良心的な問題が選定されておる、こういうことでございますから、今の御質問に対しましては、当然そうしなければならないということとは考えません。
  144. 山中吾郎

    山中(吾)委員 二度とお答えを求めないという原則で今話したのですが、今のように誤解されては困りますよ。問題作成については論議はありますが、それは今触れなかった。結果は、全国一律の問題であるからこそ、その問題についての評価は、ここに明らかにお書きになっておるように、自学の学習の到達度を知ってその長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料にするということが書いてあるのですから、各地域々々の改善に資する先生に評価をやらせなければできないのですから、文部大臣は誤解しておると思います。文部大臣はそうおっしゃるが、これはやはり参加させなければいけないのじゃないか。これが不可能だという今のお話は何か誤解だと思います。  第三点は、将来高校入学試験にこういう五つの科目を前提として、いわゆる主知主義的な方法で、ただ一回のペーパー・テストでその子供の運命を決定するような高等学校の入学試験にとれに使うことがあると書いてありますが、これをお使いになるか、あるいはお使いにならないという現在の方針であるかをお答えを願いたいと思います。
  145. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 お答えします前に、さっきのお尋ねに対するお答えに補足させていただきます。文部省として全国的な立場で必要とするテストでありますから、その結果の集計その他は、指示しました通りにしてもらわないと結果が出ないからその通りにいたします。そこでそのテストの結果を、都道府県、市町村の段階で、あるいは学校ごとの段階で活用されるということも期待しておるわけであります。そのことに文部省としてかれこれ容喙する意思は毛頭持っておりません。最も地域に即した立場において、その資料をその地域なりに自主的に判断していただいて教育改善のために活用していただきたいということこそ思っても、その他にかれこれ申す意思は毛頭ございません。  それから第三の今のお尋ねに対しましては、すでに委員会でもお答えした通りでございまして、何か文部省の者が、将来そんなふうなことに使う段階があるかもしれないと想像されるような書きものを書いておることを御指摘に相なっての御質問があったやに記憶いたしますが、それはその書いた者の頭の中で、その思考過程において何かあったことを、つい書いたのであろうということを推定するほかに、文部省としてはそういうようなことは考えたことはないということを申し上げます。それでもっと具体的にお答え申し上げますれば、高等学校の入学試験にそのテストの結果を使おうとすれば、文部省令を改めまして、内申書の中にこれを書き込みなさいという改正手続をしないことには利用する段階にはならない。文部省令をそういう意味で改正する意思は毛頭ございません。
  146. 山中吾郎

    山中(吾)委員 いろいろ文書その他のことを論議すると矛盾があるのですが、ずばり大臣の御意見を聞くだけですからそれでけっこうだと思います。  それから第四番目に指導要録に記入すること、私は現在ただ一回の初めての試みの中に強制することは、教育的にどこから見ても不適当であると考えておるのですが、たとえば育英関係からいいましても、現在の状況においてたった一回のペーパー・テストで東京の生徒と岩手の生徒についてこれを少なくとも育英資料に使うというふうなことも、これは確実に不公平千万な結果が出ると私は見ておるのだし、少なくとも数回試みたあと指導要録に入れるべきであるとかいうことを文部省でまた論議されるのはわかりますが、今こういう過程において指導要録の中に強制して入れることは教育政策上不適当である、そして今までの間にこの国会大臣は、指導要録に記入しないという地方があれば強制することはできないとも答えられている。ほぼ私と同じような思想をお持ちになっていると私は推察はしたのでありますが、これもずばり、このテストの結果を指導要録に入れることを強制すべきでないと思うのですが、大臣はどうお考えになりますか。
  147. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 民間テストでも信憑性のあるものは書いておきなさいと指示しております。民間テストは部分的であり独断的であり得る。今度のは全国的な立場に立ったテストであり、文部省国民責任を持つ良心的なテストでございますから、民間のテストに比べればはるかに信憑性のあるものと信じます。ですから、民間のものすらも信憑性ありと思ったものは確実に実施したら書き込みなさいとなっておるならば、もちろん書き込むべき筋合いのものと心得ます。さりとて書き込まなければ法律違反だと強制するという立場にはないと思います。ですけれども、望ましいことであると判断されることを地方の教育委員会が書き込まぬでもよろしいと文部省意思に反して指示しましたこと、そのことは適切ではないと思います。
  148. 山中吾郎

    山中(吾)委員 まだあいまいな御答弁ですが、一応大体の大臣の今のところの心境を私なりに受け取って、それはそれといたします。  第五点、今度のテスト大臣自身は最もいいテストだと信じておるというお言葉ですから、そういうことも想像しまいが、それは別問題として、客観的にその結果が予想するほどいいものでなかった、また続けてこれをやるとか拡大をしていくというテストの価値が出なかったというふうなことがもし現われた場合において、来年度の実施について再考するとか、あるいは三十七年、八年以降については、その結果によってそのままこれを実施していくとかしていかないかということを含めて再検討されるべき御意思があるか。私は教育政策上されるべきだと思う。それについてはいかがですか。
  149. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 五年前から抽出テストをやり来たっておりますが、そのことについてはいささかも悪い批判は出なかったと思います。もっと検討すれば足りなかった点がある、加えたらどうだという批判はあり得たと思いますが、それが自主的に地力が判断されまして、いつも申し上げる六〇%を上回るところの参加校があるという事実は、抽出テストすらもがまさに教育的効果があったと判断されておるものと言い得ると思います。それをさらに竿頭一歩を進めて全国テストにいたしますことは、今までの抽出テストと基本的なやり方において変わっていない。むしろ科目をふやした点においては前進しておると判断いたします。従ってこれを実施しまして、PRの仕方が適切でなかった、足りなかった、あるいは問題の出し方、選定そのものにも批判の余地があった等の批判はあり得ると思います。適切な客観的な批判であれば、その批判の建設的な部分を取り入れて次の改善に資するという責任を当然感ずるわけでございますが、これをやめねばならぬという結論はあり得ないことじゃなかろうか、私はこう判断しております。
  150. 山中吾郎

    山中(吾)委員 そんなに力まないですなおに、私はすなおに簡単に言っているのですから、悪ければ悪いのはこれを実施をしないということも入らなければ、文教政策が進まないから言っておるのです。もう一つは、テストの性格を、大臣抽出テストよりも全員テストが必ずいいんだという偏見といいますか、そういう先入主をお持ちなんですが、これは間違いです。抽出テスト全員テストというやつは、テスト目的によってどららがよいかという問題なんですから、教育条件整備ということになれば、これは抽出テストで十分完全にできる、二、三〇%抽出すれば。それで育英、英才、人材開発という論議になっておりますが、英才を探すとかあるいは全国的にその中から特別すぐれた者を探すということになると、個々の能力を見なければいけないから全員テストは必要であります。その目的によって違うので、今大臣が前提として言われた、今までやった抽出テストさえいいんだから全員テストはさらにいい、これはテスト通則常識からいえば非常識です。その点から今のような結論を出されるのは間違いです。これは私が言うんじゃなくて、テストその他に関するすべての学者の常識です。そこでその結果について率直にまずければ方法を変えるとか、あるいは廃止することも含めて論議されることが私は正しいと思います。ただし今大臣が、そういうことを言うと何かひっかけられるかと思って私に変な答弁をされておりますが、それは本意でないと私は受け取っておきます。そんなはずはない。今まで数年やったから永久にやるなんという文教政策どこにあります。数年やった結果、これはまずいと思えば廃止して、また新しいいい金の使い方を考えるのが文部大臣の正しい行き方であり、私はそういうことなら協力いたします。しかし今のようなお考えであるべきではないし、大臣がそういう気持で言っておるとすれば名大臣ではないと思うので、名大臣としては訂正して受け取らなければならないと思って聞いておきます。  第六点に、これは最後にお聞きします。教師がこういう学力テストについては、これは教師の本質的な責務から自由に批判をし、そうして学力テストというものが任命権者その他からでもやることを要望されても、自分の教育思想からはやれない、テストというものはやるべきじゃないという教育思想さえあるわけです。忠実なるそして最も教育精神に燃えた教師の思想の中に、そういうようにテストというものは子供に対してやるべきじゃない、あるいはペーパー・テストというふうなものはかえって人間の評価にあやまちを下すからこれは反対であるという、こういうことを言う教師こそ、非常にすぐれた教師がその中にあるというのが私の教師観なんです。そういうことを考えて参りましたときに、こういう学力テストに対して教師批判をする、そうして文部大臣がこれをやることを希望し指示したもの、そういうふうなものについて、あるいはそれをやらないとがんばることは、不当という言葉は使えるかもしれぬ、しかし不当であっても処罰に親しまない不当であると私は思う。そういう教師をほかの行為と同じように批判をして処罰をしてもいい、すぐできるんだという思想は、私は決していい教師を育てるものではないと思う。テストというのは教育活動の中核になるもの、こういうものについては自由な批判をして、もし理解をしない、まだ誤解があるというならば、話し合いができるまで、こういう学力テストの問題については任命権者もあるいは指示権者も現場教師も話し合いをすべきであって、途中からすぐ処罰という問題に乗り移るべき本質の問題ではない。従いまして私は、こういうテスト関係で、文部大臣自身が答弁をされておるのは、違法という言葉を使われておる、だから違法であるかどうかということは論議いたしませんが、それが違法であっても、文教行政立場から、このテストの問題については処罰に親しまない違法行為であると私は思う。処罰で解決すべき問題ではない。そこでこういう問題についてのいろいろの予測せざる処理はどうなるか。私はあすのことはどういうふうになるかわかりませんが、こういう跡始末の場合について処罰をもって臨ますような助言指導は、県教育委員会、市町村教育委員会になさるべきではない。この問題はしかも子供対象にしたものであり、テストというものについての是非論ということは、これはほんとう教師の自由にまかすべき問題であって、行政的にこういうテストをやるときに、ただ聞かない、けしからぬ、処罰――けしからぬまではいいが、処罰対象に持っていくという性格のものではないと私は思うのです。そういうところからは日本文教行政が健全に発達をしないし、そういうことをすることによってこの学力テストというものは破壊的なものに導かれていくだけであり、今後またこのテストをやる側については、教師が協力することが前提でなければこういうものは効果は上がらないということは、もうだれが見てもわかる。そこで私はこの跡の始末について、文部大臣地方教育委員会に助言指導をされるときに、いろいろの問題と同じように単純に考えられて、処罰もあえてというふうな、けさの新聞のように軽率に単純にお考えになるようなことはされるべきでない、こういうように私は確信をするものなんです。今度のテストの結果がどうなるかということは私予想しません。しかしどういうことがあっても処罰をもって臨むということをお考えになることはおとりやめ願うべきである。そうでなければ日本の百年の大計である教育行政によい教師を包み出すというふうな結果をもたらすものではない、私はこう思うので、その点について大臣のこれも率直な御意見をお伺いいたしたい。長くお答え願わなくてもけっこうです。簡単に、そうして率直にお答え願いたいと思います。
  151. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 法律違反は、違反した者が法律上の責任を負うことは、これは法治国で当然のことだと思います。それ以上のことは考えません。また教師人々々が意見があるととも当然だと思います。意見を述べることは自由でもある。またよき意見は尊重すべき立場にも上司たる者は当然ある、そう理解いたします。しかしながら公務員である限りは職務命令には従わねばならないということは鉄則だと思います。意見があるからといって従わないというととは、意見があるというだけでもって違法性あるいは職務命令に従わないという不当性を阻却するものではないと思います。意見があるならばあるで、将来に向かってあくまでも意見を主張し、それを通すことを進言するという態度は公務員すべてに要求される態度だとも理解いたします。要は法律違反を犯しながら責任を免れることは法治国にあるまじきこと、職務命令に従わずして、従ったと同様だとすることもまた法治国にあるまじきことと思います。ただその処置をしますものは文部大臣じゃないので、権限を持っておりますのは教育委員会でございますから、教育委員会の自主的判断にまかせてしかるべきものと思います。  それに関連して思いますことは、私は毎度同じことを申しておそれ入りますけれども、労働団体たる、職員団体たる日教組がこの学力調査を全面的に実力をもって阻止するという団体意思を決定しているということであります。そのことのために末端良識ある先生が、組織の圧力におびえて心ならざる違法行為、心ならざる職務命令違反をなさることを私は欲しない。だからそういうことがないことを希望するがゆえの意味文部大臣談話の末尾にも加えたわけでございまして、処罰なんということは目的では絶対にあり得ない。違反ということがないことを欲するという基本的な考えで今後も臨みたいと思います。
  152. 山中吾郎

    山中(吾)委員 大体私、結論的にお聞きしたのはそれだけなんですが、今の最後の大臣考え方は、僕は法律家に聞いておるつもりじゃなかった、文教行政の健全なる発展のためにお聞きしたのであります。刑罰規定にしても、処罰をすることができるということなので、あらゆる問題についてそれは処罰をしないで済ますという政策がどこにもあるのであって、そのところをお聞きしたのですが、そういうお答えでなかった。また今のお話では文部大臣が始末なりするのでなくて、地方教育委員会の問題だ。そうしたらなぜ新聞にああいう処罰をする方針だとお載せになったのか、そういう矛盾もあると思うので、最初からお聞きしたのは、こういうテスト問題については指導助言の立場においてそういう処罰をあえて好んでやるというふうな指導はさるべき性格のものではないんだ、そういうことを申し上げたのであるけれども、わかってお答えになったのか、そうしてお答えになったのか知りませんけれども、これは日本文教行政の発展のために、こういう問題についてはそうやたらにそういう形式ばった冷たい法律論だけでは決して発展するものではないと私は確信をするので、あえて私の意見を申し上げておきます。  時間も過ぎましたけれども、数回の常任委員会において政策論、法律論あるいはその他の教育的な論がさまざまの立場から論議をされて、学力テストの問題はここに至ったのでございますけれども、明日テストが行なわれる。こういうテストの行ない力いかんによって日本文教行政が破壊されるとかマイナスになるとかいうようなことがあってはならない。こういう一つの問題の中から、やはり戦後の文教行政というものがもっと実のある、そしてしかも対立抗争の中から常に文部当局が現場教師けんかするような雰囲気で、国際的にも恥をかくような姿がいつまでも続くことを私は希望しないし、あってはならぬ、そういうふうに思うので、文部大臣の今後の問題を含んで、学力テストについても、もっと国家百年の大計から、また教育政策の特質というものを考えて、また日本教師の現代的な傾向、特質というものも十分のみ込んで、そうして見通しを持った政策を常にお考えになり処置をされることを念願をいたしまして、私の質疑を終わりたいと思います。
  153. 櫻内義雄

    櫻内委員長 次会は明後二十七日、金曜日、午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後七時八分散会