○
中島(巖)
委員 関連して。
珍しく
主計局の
次長が来てくれたので、
主計局の
次長に聞いてもらいたいのですが、今まで
議論されている
次長の言葉、これからここにおいでになる
諸君の言葉は、この
法律が成立するときに二カ年間もみ抜いて、
日本のあらゆる経済人、あらゆる金融機関の人、そういう人を何十回となく参考人に呼んで、そのときもう
議論をし尽した
議論なんです。今ごろ経済効果がどうだの、交通量がどうだのという
議論をする段階ではないのですよ。そういうことでこの
法律が成立しているわけです。そこで、現在の様子は、皆さんの質問でもわかるように、
大蔵省はけしからぬ、こういうほうはいたる世論があるわけです。それで、先ほど
木村委員からも話されたように、官僚と軍部の思い上がりでもってあの大東亜戦争が始まったのと同じように、今の状態でいけばそういう状態になるのだという
議論さえあるのです。だが僕はそうは思わぬのですよ。どういう理由で思わぬかというと、
建設省は、この
道路に徹底的に反対して、法案成立のときもあらゆる
抵抗を試みたのですよ。それから、これが成立した
あとも、
小牧から
東京間はやらせまいということで、
大蔵省に数年にわたって吹き込んでいる。その頭であなたたちはおるのです。それから、失礼な申し分だが、自治省なんかはこの問題について何も
御存じないのです。大ざっぱな話で、
中央道はどこが
起点でどこが終点だといっても、おそらくお答えできぬくらいだと思うのです。大へん失礼な話だけれ
ども、
大蔵省としてはもっともだと思うのです。数年にわたってこれはだめだ、だめだと担当の役人に必ず吹き込んでおるのだから、その頭が抜け切らぬのです。それは当然だと思うのです。そこで謙虚な気持になってよくこれを研究してもらいたいというのが私の
考えなんです。
建設省関係のことは
あとで私
どもも究明しなければならぬと思うのですが、
道路局長がかわったり
大臣がかわったりして、
建設省も最近、前向きじゃないけれ
ども、横向きぐらいにはなったのです。横向きにはなったけれ
ども、今まで数年にわたってだめだ、だめだと吹き込んだ
大蔵省のあなたたちに、これはいいとは言えぬでしょう。現在の情勢はそういうものだと思うのです。ここをよく
考えていただかなければいかぬのです。
それから、私は資料として提供しますけれ
ども、
建設省は自分で
調査して、おそろしく金がかかる、だめだという宣伝をしておるわけです。そして
建設省は各方面に委託した資料を取ってそれを発表しておるのです。ところが、委託した資料まで、自分の都合のいい
中央道がだめだという資料ならどんどん発表するけれ
ども、
中央道がいいというような資料だと、ちっとも発表せずに秘密にしておるのです。実にけしからぬ態度です。それで
建設省の委託によって財団法人
日本経済研究所が
調査した
中央道沿線地域の経済
開発効果の報告書というものが出ておるのです。これはおそらくあなたの方にいっておらぬと思うが、これで見ると、
昭和四十二年に
中央道ができたとして、
昭和五十二年になればどうなるかと申しますと、
中央道ができずにおれば沿線の所得は八千五百四十六億だ。
中央道ができれば二兆四十五億だ。そうしてその差は、
昭和四十二年に
完成して五十二年の十カ年間で一兆一千四百九十九億だ。とにかく十カ年間に一兆二千億の所得の格差ができるということをはっきり
建設省は
調査した。相当
建設省はこれにブレーキをかけて、なるたけ不利なようにさせようと努めたと私は思うのだけれ
ども、それでもなおかつこういう資料が出ておるのですよ。そこで、私の申し上げることは、
国会で二カ年間をもみ抜いて、そしてあらゆる方面の権威者を参考人に何十回となく呼んで、敗戦後の
日本経済という広い視野から、
日本の経済も、
日本の
道路交通の状況も、
建設費の状況も、あらゆるところを勘案して成立したこの
法律なんです。それを今さら、
法律制定当時の経済効果がどうだとか
資金がどうだとか、あるいはペイするとかせぬとか、そういうことを論ずべきものではなくして、優先的にこれと取り組んで、もし
有料道路に
採算関係で縛られるとすれば、それを打開するような
法律を皆さんが作って
国会へ提出するというのがあたりまえじゃありませんか。たとえば今の資料だって、
権限のない
建設次官がわざわざ審議会を開いて不利益な
調査の報告ばかりしておって、こんな報告をしたことはないのです。それから、先ごろもそこにちょうどおられる高速道
路課長をわれわれの部会へ呼んで聞いてみれば、中津川−
小牧の間は十九号国道を開設すれば間に合うとか、あるいはそれを開設したために多治見だとかどこだかの
有料道路の料金収入が少なくなった、こんなばかなことを言っておる。そんな
一部分のことを言っておるのではない。いわゆる政治家が政治感覚によって、敗戦後の
日本経済はどう持っていかなければならぬか、こういうような大きな視野からきめた
法律で、役人はその
法律に基づいて忠実に仕事をすればそれでいいのですよ。根本的の問題として私はそう
考える。それで、何も国家は
道路でもうける株式会社じゃないのだから、
道路では欠損しても、
日本全体の上において大きく利益が上がってくれば、そういう観点でやるのが
国策事業なんです。なお
一つつけ加えて申しますと、
東京都では交通審議会というのがありまして、昨年の三月、この交通審議会が都知事に対して答申案を出しております。これは
道路ですよ。軌道も電車も何も入っておらぬのだけれ
ども、
東京都の中だけで、今後十数年において、それを整備するためには二兆四千億かかるということを飯沼一省さんが会長で発表しておる。そこへうちが建ってしまって、どうにもしようがないようになってから、おそろしく金をかけて
あとから
あとから後進性の
道路政策をやっておるのです。
そこで、この
中央道の問題でありますけれ
ども、法案制定当時さんざん持ち出した
議論を今ここでやるべきではなくして、とにかく二カ年間にわたって非常な
建設省の
抵抗でもって
議論をし、
日本の各方面の人の意見を聞いて、どうしても敗戦後の
日本を将来立たせるのはこの政策よりない、こういう結論でできた
法律でありますから、あなたたちは、
建設大臣とかあるいは
主計局次長とか主計官とかいう立場でおるわけなんだから、従って
法律を守らなければいかぬでしょう。いわゆる
法律を超越してほかのこともできるという人は、内閣法八条で定められたところの内閣総理
大臣よりほかないはずだ。官吏は
法律を忠実に守らなければいかぬのだ。
次に、さらに一言申し上げたいことは、実は土曜日に、水田大蔵
大臣と、参議院の
予算委員会が済んで本
会議が始まるその瞬間に出合ったのです。中村
建設大臣にもお目にかかったのですが、水田大蔵
大臣は、
東海道より
中央道の方がよっぽど
予算をつけてあるじゃないか、こういうことばかり主張しておる。私は何のことかちっともわからないのです。
あとで聞いてみると先ほど答弁のありましたように、
中央道というものは
東京と
富士吉田までの間のものだ、こういうように
大臣は頭から
考えちゃっている。
建設省の数年にわたるところの教育で、その教育された大蔵官僚のそこにおるお二人が
大臣にそういうふうに吹き込んであるから、
大臣はそういうとんちんかんなことを言っておる。従って、
東海道より
中央道の方が
予算がよっぽどついておる、こういう答弁なんです。これは昨年五月予定路線がついて、
中央道は現在は
東京−
小牧間というのはみんなの常識なんです。つまり十月四日ですか、
閣議決定で
均衡の
予算というのを、官僚のあなたたちが歪曲して、
富士吉田まで切り詰めてしまって大蔵
大臣に吹き込んだから、大蔵
大臣はその気になって、よっぽど
予算がついておる、こういうような
考えを持っておる。
そこで、その次でありますけれ
ども、これは
建設省が
昭和三十三年にこしらえてわれわれに出した資料だ。これを
次長見て下さい。
昭和三十三年に
道路整備五カ年
計画を策定したわけなんですよ。それは皆さん御
承知だと思う。ところが、
日本の
道路整備の緊急性から
考えて、いわゆる一兆の
道路予算じゃ足りぬのだということで、
昭和三十三、三十四、三十五年の三カ年でもって
道路整備五カ年
計画は改定して、現在の
道路整備五カ年
計画に入ったわけであります。そうすると、確かに
昭和三十三年から始まった
道路整備五カ年
計画は三年で打ち切ったわけでありますけれ
ども、打ち切ったのはどういうわけかというと、
道路整備は非常に重大だから、今までの五カ年の一兆
予算じゃ足りぬので、二兆もしくは二兆三千億の
予算で新しい五カ年
計画を始めなければならぬという、いわば発展的に五カ年
計画をそこで打ち切ったわけだ。従って、当然基本方針に変わりなく
道路整備を
拡張するということになれば、
昭和三十七年までに百二億四千万つけたのだから、
昭和三十七年からの新しい
道路整備五カ年
計画で
予算が倍額になっておれば、二百四億という
予算がつくのが当然じゃありませんか。それを、今聞いておりますと、来年度
予算は十九億という。これはどういうわけです。そんな理屈は成り立たぬじゃないですか。かりにあくまで
抵抗して反対するとしても、とにかく
道路整備五カ年
計画の理屈に合うような反対をすべきじゃないですか。この点について、これは
大蔵省に答弁せよといっても無理ですから、
道路局長答弁して下さい。