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1961-03-16 第38回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年三月十六日(木曜日)    午前十時二十一分開会   —————————————   委員の異動 本日委員大竹平八郎君辞任につき、そ の補欠として森八三一君を議長におい て指名した。   —————————————  出席者は左の通り。    委員長     館  哲二君    理事            梶原 茂嘉君            中野 文門君            平島 敏夫君            米田 正文君            阿具根 登君            占部 秀男君            松浦 清一君            千田  正君            杉山 昌作君    委員            太出 正孝君            大谷 贇雄君            金丸 冨夫君            上林 忠次君            小柳 牧衞君            小山邦太郎君            後藤 義隆君            塩見 俊二君            白井  勇君            手島  栄君            一松 定吉君            武藤 常介君            村松 久義君            村山 道雄君            山本  杉君            湯澤三千男君            木村禧八郎君            小柳  勇君            田中  一君            高田なほ子君            羽生 三七君            森 元治郎君            森中 守義君            東   隆君            田畑 金光君            辻  政信君            中尾 辰義君            岩間 正男君   政府委員    外務政務次官  津島 文治君    大蔵政務次官  田中 茂穂君    大蔵省主計局長 石原 周夫君   事務局側    常任委員会専門    員       正木 千冬君   公述人    東京教育大学教    授       美濃部亮吉君    農業総合研究所    研究員     並木 正吉君    評  論  家 菱山 辰一君    経済評論家   高橋 亀吉君   —————————————   本日の会議に付した案件 ○昭和三十六年度一般会計予算内閣  提出衆議院送付) ○昭和三十六年度特別会計予算内閣  提出衆議院送付) ○昭和三十六年度政府関係機関予算  (内閣提出衆議院送付)   —————————————
  2. 館哲二

    委員長館哲二君) これより予算委員会公聴会を開会いたします。  先日、委員長に選定を御一任いただきました公述人は、お手元にお配りしてあります公述人名簿通りに決定いたしましたので、御了承願います。公聴会の問題は、昭和三十六年度総予算であります。  公述に入る前に、公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。本日は、御多用中にもかかわらず、委員会のために御出席いただきまして、まことにありがとうございました。お礼を申し上げます。当委員会といたしましては、去る三月六日から、昭和三十六年度総予算に関しまして、連日慎重なる審議を重ねて参りました。本日及び明日にわたる公聴会におきましては、学識経験者たる各位から御意見を拝聴することができますれば、今後の審議に資すること、きわめて大なるものがあると存ずるのであります。  これより公述に入りますが、議事進行の便宜上、お手元にお配りいたしております公述人名簿の順序に従いまして、各三十分程度で御意見を述べていただき、お一人ごとに質疑を行なうことにいたしたいと存じます。  まず、美濃部公述人にお願いいたします。
  3. 美濃部亮吉

    公述人美濃部亮吉君) 私、ただいま御紹介にあずかりました美濃部でございます。  三十六年度予算全体について、これが日本経済全体についてどういう影響を及ぼすであろうかというような点について、私が考えておりますことを一言述べさせていただきます。  三十六年度の一般会計予算は、ほぼ二兆円に大蔵省原案ではなっておりまして、その通りであるとすれば、昨年度の一般会計予算に比べまして、二四%くらいの拡大になるということでございます。それは一般会計予算だけでございますが、それにつれて地方財政財政投融資あるいはその他政府関係機関予算相当に膨張すると思います。それで、通り抜け勘定を抜きました全体の予算がどのくらいになるかは、はっきり計算できませんけれども、おそらく五兆円前後になるのではないかと思います。国民総生産十二、三兆に対しまして、五兆前後のお金が、片方では税その他のルートを通じて財政に入る。そうしてそれが片方においては支出されるのでありますから、その経済全体に対する影響というのは、相当に大きいものであると考えて間違いないと思います。それで、一方においては租税その他を通じて国庫に入る。そうして一方においてはそれが支出されるのでありますから、その影響する面は、非常に多種多様であるというふうに言わなければなるまいと思います。そうして、そのいろいろな面について、ここで一々私の考えを述べる時間的余裕はございませんので、その最も重要であろうと思われます点について、私の考えを述べたいと思います。  それは支出の面におきまして、その総体として考えますならば、財政が膨張したということは、それに応じて地方、中央の政府あるいは政府関係の諸機関を通じて、いろいろな物及びサービスに対する需要がふえるということであろうと思います。国民総生産の中で、この財政を通じて政府財貨及びサービス購入する割合は、従来、今まで発表されております数字は、三十一年から三十四年まででありますけれども、大体において国民総生産の一八%台を占めております。三十三年に一度一九%になったことがございますが、これも一九%ちょっとこえただけでありまして、大体一八%台であるといって間違いはないと思います。三十六年度の予算は二四%の拡大、また財政全体としてはどういうふうになりますかわかりませんが、今までの大体の傾向を見ますと、一般会計予算拡大程度よりは、地方財政政府機関を合わせますと、少し財貨及びサービスに対する需要ふえ方は多くなるのが普通であります。そうして成長率は大体九%、あるいは九%少し上というふうに予定されておりますから、この国民総生産の中に占める政府財貨及びサービス需要割合というのは、三十六年度においては一八%台よりも相当に高くなるというふうに考えなければなるまいと思います。それがどのくらいの割合になりますか、これは単なる推定にすぎないので、確実な数字というわけには参りませんけれども、ごく大ざっぱに計算いたしまして二〇%、国民総生産のうちの政府関係財貨及びサービス購入はほぼ二〇%少し上になるのではないかというふうに思われます。それで、その二〇%という政府財貨及びサービス購入割合というのは、過去の日本歴史を振り返って見ますと、大体昭和十二年ごろの数字に当たります。満州事変が起こります前の昭和五年ごろは、政府財貨及びサービス購入は、経済企画庁の推計によりますと約一五%ぐらいでございます。それが満州事変中は約一八%に上がりまして、昭和十二年の支那事変が始まったころから二〇%台になり、そうして太平洋戦争が始まってから三〇%、最高は四〇%になっております。状態は違いますけれども、その点においては昭和十二年の二三・四%という政府財貨及びサービス需要割合状態にほぼ近い。そこまでには少しいかないと思いますけれども、ほぼ近い状態になっていると思います。そしてこれに対しまして、国民支出のうちの個人消費割合は、最近、その今の政府財貨及びサービス購入が多くなるのと反対に低下しております。政府財貨及びサービスがほぼ一八%台できました間は、大体個人消費需要は六〇%台を続けておりましたけれども、三十四年はこれが五五%に下がっております。そういたしまして、ちょうど昭和十二年というのが個人消費割合が五五%になっております。戦前の昭和五年ごろはそれが七六%でございました。それが政府需要拡大するに従って、国民総生産の中に占める個人消費割合が低下いたしまして、そうして昭和十二年には現在と同じ五五%に下がっているのでございます。  それで、このことは、経済構造の中において、政府支出、つまり政府需要を作り出してその需要を柱にして経済が発展する、そうして個人消費から出てくる需要の力がだんだん弱くなって、そうして政府需要が国の経済をささえる大きい力になって——もちろんその場合に、満州事変支那事変の場合には、やはり軍需品需要というのが中心になっておりますし、今日においてはそれが高度成長政策実現ということに変わっておりますけれども、政府需要がだんだんと経済をささえる力として大きい力になりつつあるという点において、そうしてその程度においては昭和十二年の日本経済構造にやや近い状態になっているのではないかというふうに思われます。そしてこの点は、日本とそれから西ヨーロッパ経済を比較してみる場合に、非常に大きく現れておるのでありまして、西欧欧州経済協力機構に加盟しておりますいわゆるOEEC諸国総合数字を見ますと、政府需要はこれは西欧国々はもちろん軍備を整えておりますから、軍備から出てくる政府需要をも合わせたものでありますが、それは国民総生産の一四・五%、一九五九年に一四・五%になっております。そうして、それに対して個人消費は六四%になっております。それでありますから、その経済構造の中におきまして、西欧国々個人消費割合が非常に強くて、そうして政府需要の方が非常に日本に比べて弱いということになっているようであります。そこで、そういう状態になっている場合に、どういう問題があるだろうかということが問題として考えられます。日本財政を大きくしていく目的と申しますか、あるいはそうしなければならなくなった理由は、やはり高度成長政策実現のために必要であったのではないかというふうに考えられます。つまり、高度成長実現いたしますためには、どうしても生産を刺激する必要がある。そのためには資本主義経済のもとにおいては、どうしても需要を大きくしなければならない。そこで、財政の面から需要を大きくして、そうして高度成長政策実現を促進する、そういう役割を持っているであろうと思います。そうしますと、その場合に、政府需要を作り出していくということには、積極と消極との二面があると思います。積極面と申しますのは、それで需要を作り出して積極的に生産を刺激して生産拡大していくという面でありますし、それから消極の面と申しますのは、過去の設備投資拡大によって生産力が拡充して、やや生産の過剰的な気味になっている場合に、その過剰生産健全化と申しますか、過剰生産の悪い影響が現われないようにするために、その過剰部分を吸収するために財政を通じて需要を作り出す、そういう役割をも持っていると思うのであります。もしそういうふうに考えるのが正しいといたしますならば、高度成長政策を続けていくためには、やはり財政規模はそれに応じて、これからだんだんとますます拡大していく傾向があるのではないかというふうに思われます。要するに、過去の設備投資によって生産力は非常に拡充された。ある面においては生産過剰的な傾向が多く出るようになった。そうして今後もますます設備投資は多くなろうとしております。また、高度成長実現するためには設備投資を多くしなければなるまいと思います。そういたしますれば、現在においても、すでにある面においては生産過剰的な様子になっておりまして、その生産過剰からくる悪い影響をなくすために、財政を拡充して需要を作り出していかなければならないというのであるならば、高度成長を続けていくためには、程度の差はあるでありましょうけれども、財政は今後ともに拡大するという勢いにあることは否定することができないと思うのであります。  そこで、もちろん経済が拡充いたしますれば、それにつれて財政収入もふえます。いわゆる自然増が出てくるのは当然でございます。従って、財政の拡充の程度を、経済拡大から上がる収入の増大によってまかない得る限度内に財政拡大がとまっていれば、そうすれば問題は格別シリアスには起こってこないと思います。問題が起こる場合には、自然増以上の速度財政拡大するという場合に問題が起こる。ということは、そこでインフレーションを起こさないためには、税をもう少し重課しなければならなくなる。税を重課しなければ財政上の赤字が出る。どちらかになると思います。そういたしまして、ごく概括的に申しまして、そういう情勢が起こる可能性がある情勢としてはどういう場合が考えられるかといえば、それは国民総生産の中における財貨及びサービス需要割合が、政府財貨及びサービス需要割合が、そのパーセンテージが大きくなっていくときであろうと思うのです。そのパーセンテージが大きくなるということは、要するに経済全体の拡大規模に比べて財政規模拡大速度がより早いということでありますから、その結果として、大体、税収入というのは経済全体の規模によってきまるものでありますから、そこに食い違いが生ずるおそれがあるということであろうと思うのであります。日本の過去の歴史を振り返ってみますならば、先ほども申し上げましたように、支那事変が始まったころからして政府財貨及びサービス購入は二〇%台に上がり、そうして昭和十六年から三〇%に上がり、そうして戦争最終の年の十八−十九年が四〇%に上昇しております。そうして、戦争中及び戦後のあのインフレというのは、この政府財貨及びサービス購入割合が非常に急速に拡大していったということ、つまり政府財貨及びサービス購入をまかなうための財政支出の額が、経済の全体の規模よりも拡大速度がより早くなっていった。そうして、そのことから財政赤字赤字公債の発行と、そしてインフレという経過をたどって行ったのであると思います。  そこで、一体どのくらいにそのパーセンテージがふえた場合にインフレが起こるかという問題は、決定することがむずかしいと思います。しかしながら、今一八%から二〇%台に上がるというこの時期は、全く同じだとはもちろん言えませんけれども、ちょうど満州事変時代の一八%から支那事変時代の二〇%台に上がったときとよく似ている、数字づらはよく似ている。そうして個人消費割合も、それまでは大体七〇%ないし六〇%台であったのが、五〇%台に下がってきているという、非常に似た状況になっているのではないかと思います。もちろん今後どういうふうになっていくかということが決定的に重要であります。満州事変支那事変の場合には、それが戦争の遂行ということと関連して、急速に政府財貨及びサービス購入がふえざるを得なかったのでありますし、今日においては、それを決定しますものは高度成長政策、それから世界経済全体の状況であろうと思います。ただ、過去の経験に比べて、この政府財貨及びサービス購入がこれ以上ふえていく、そうしてそれが二五%になり三〇%近くになるということは、インフレの危険を非常に含んでいるのではないかと思います。そうして、西欧経済に比べて見ますときに、先ほども申し上げましたように、西欧の現在は日本満州事変以前の、つまり政府財貨及びサービス購入が一五%であり、そうして個人消費が六四%である、こういう状況になっているので、今日、日本インフレーションとかいうものが顕現しているとは申しませんけれども、こういう西欧経済に比べますと、よりそのインフレの危険に近いところにきているのではないかということが言えるのではないかと思うのであります。そういう点において、問題は今後に残されているというふうに思われます。  それでは、きめられました三十分が過ぎましたから私はこれで終わります。(拍手)
  4. 館哲二

    委員長館哲二君) 美濃部公述人に対し質疑のおありの方は順次御発言願います。
  5. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 ただいま貴重な御意見を拝聴させていただきましたが、結論として美濃部先生は最近の政府高度成長政策について、まあ少なくとも現状においてはそういう心配はないけれども、こういう速度でいけばあるいは来年、再来年、将来に赤字公債を出す危険が出てきて、インフレの危険があるという懸念も全然ないわけではない、そういう点を警告されておられると思うんです。で、私はどうも先生の御趣旨はよくわかるんですが、少なくとも来年、昭和三十七年ぐらいを想定してみますと、最近は政府の税収が非常に過小見積もりなんでございますね。それで先生のおっしゃるように、自然増収以上に政府支出が多くなるときにインフレ懸念が出てくるということでございますが、三十五年度についてもすでに政府は二回の補正を組んだのでありますが、さらにまだ六百億ぐらい自然増収がある。そうすると、引き揚げ超過になるわけですね。それから三十七年度を想定してみますと、政府は三千九百三十億の自然増収というのですが、三千九百三十億よりさらに多くなるだろうということは、この前財政法第二十九条の問題が問題になったときに、慶大の高木教授の御意見開陳がございまして、かなり大きな自然増収がある、で、そうしますと、三十六年度において下期あたりで景気が非常に悪くならない限り一応まあ政府の想定する名目で九・八%、実質で九・二%の成長を遂げるとすれば、非常に自然増収は多くなって、政府見積もりよりかえって多くなる。そうしますと引き揚げ超過の危険が出てくる、かえって補正でも組まないと。そうしますと、私はむしろ三十七年度に過剰生産の危険の方がインフレの危険よりは大きいんじゃないかというような気がしておるんです。そういう点も質問してみたんですが、どうも企画庁の答弁はあいまいでして、はっきりしなかったのです。美濃部先生の御意見はもっとかなり長期的な見通しに立っての立論だと思うんですが、そういう三十七年ぐらいのごく短期見通しなんでありますが、そういう点については間違いかどうか。どうも私もそういう立論はしてみたんですけれども、もっと将来になればそういう要件があるようにも思われます。そういう点についてお教えを願いたい。
  6. 美濃部亮吉

    公述人美濃部亮吉君) どうも短期見通しというのは、大がいはずれるのがあたりまえで、非常にむずかしいと思いますが、今木村さんの言われた通り、非常に複雑な要素がからみ合っていますので、その総合的な結論がどうなるか、これは非常にむずかしいんじゃないかと思うのです。今もお話しになったように、いわゆる生産過剰ぎみになる傾向、これは特に世界経済全体の動きとにらみ合わせて一方ではあり、それから消費者物価中心とする物価の値上がりの傾向がある。そうして大きく言うと、その二つがからみ合って結論としてどう出てくるか、そうして高度成長実現が予定通りいくかどうかというふうなことになるんですけれども、長期見通しとしては、今申し上げましたように、国民総生産の中における政府財貨及びサービス購入割合がどういうふうにふえていくかということが一番大事だと思うのです。しかし短期見通し、三十七年というふうにここ一年間の日本経済動きの問題については、私はそれよりもむしろ生産の過剰の問題が決定的に重要だと思うのです。そうして、それはつまり世界経済全体の様子が少し変調を呈している。そうしてアメリカが悪い、西欧が少し悪くなっている、それから一時よくなった低開発国状況が最近また悪いと、そういう状況とにらみ合わせまして、輸出問題輸出を通じての需要動きの問題、それから過去におけるたくさんな設備投資生産力実現にかかってきている時期、そういうのとにらみ合わせて、生産の問題が短期の問題としては非常に重要になってくる。そして日本経済短期動きを決定するファクトとしては、そちらの方が大きく作用するんではないだろうかというふうな気がしておりますが、それがはたして具体的にどういうふうになるかということは、私よりも今木村さんその他の方の方があれで、計算してどうなるかということは、決定的には言えないんじゃないだろうかと思います。
  7. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 もう一つ長期的な見通しに至った場合、政府所得倍増計画ですね、美濃部先生のただいまお話し長期見通し立論とは問題は別でありまして、政府所得倍増政策を見ますと、それ自体の中にどうも過剰生産になる、インフレになる可能性よりはむしろ過剰生産になる要素が多いように思われるんです。それはこの間もこの委員会質問したんですが、かりに九%の成長と見た場合に、国民消費はどのくらいの——過剰生産にならないためにはどのくらいの増加率が必要かという場合、大体消費性向が同じと見てやはり一〇%ぐらい増加が必要だというんですね。その場合の賃金はどのくらい増加が必要かというと、賃金は七%ぐらい見ているんですね。しかもそれは非常に大きく見て七%、あとでそれはちょっと訂正しまして、勤労所得は一二%というんですが、勤労所得の場合は重役さんの所得なんか入っておりますから、それは比較にならないと思う。大体七%が賃金増加だというんですね。今までの賃上げの倍ぐらい賃上げしていかないとその増加率にならぬ計算なんです。ですから一〇%ぐらいづつふえていかなければならぬのに、七%ぐらいしか見込んでない。そうなれば、どうしたって所得倍増計画自体の中に、ほかの要素は別として、過剰生産になる可能性の方が、インフレになる可能性よりも多いというように感じたんでございますが、その点一つ……。
  8. 美濃部亮吉

    公述人美濃部亮吉君) 今の御質問でございますが、私は生産過剰的な傾向になることそれ自体がやっぱりインフレ傾向を刺激するんで、インフレ生産過剰か、エントウエーダー・オーダーという問題でないので、たとえば第一次欧州大戦後の場合のように、生産過剰であるけれどもインフレ、そのインフレは、積極的には物価は騰貴させない。つまりもっと下落させるべく物価を支えるという形でインフレが現われるので、つまりそれと同じことじゃないのです。そうして将来のことは、つまり生産過剰が大きくなれば大きくなるほど、それを吸収して需要を作り出すために、財政から需要を作り出さなければ、それはインフレを起こす。それはつまり生産過剰の規模をできるだけ少なくする、そういう消極的な役割を演ずるけれども、それでもインフレインフレだというふうに考えられるのでございますが。
  9. 羽生三七

    羽生三七君 先ほど満州事変支那事変当時の政府支出財貨及びサービス規模一八%ないし二〇%、それに近い様相を最近の高度成長政策が示し始めてきた、こういうお話でざざいましたが、その場合に、軍需生産をやる場合と、それから今日のような生産条件にある場合とでは、これは今日の場合は再生産が行なわれることになるわけですが、それは同一の条件考えていいものかどうか、これが一点であります。  それからもう一つは、昔からいわれておるインフレーションと、今、木村さんが言われた過剰生産の場合にインフレが起こるかどうかということを考えてみると、私たちが従来言ってきたインフレ概念と、最近公共料金あるいは若干のサービス部門に起こっておるこういう物価値上げ現象等は、同じ概念で論じていいのか、区別して論ずべきものか、この二点を伺いたい。
  10. 美濃部亮吉

    公述人美濃部亮吉君) 前の御質問でございますが、そこにはやはり非常に大きい差異があると思うのです。今、木村さんの御直間になった点と関連すると思うのですけれども、軍需生産の場合には、今のお話のように、完全に不生産的消費であり、高度成長の場合には生産的な消費であり、その財貨及びサービス購入それ自体でないにしても、設備投資とあわせて生産力自体拡大が起こって参りますから、その場合には、軍需品需要中心になった場合には生産過剰という問題は起こらない。しかし、今度の場合は生産過剰が起こる。従って、またインフレという形も、その両方のバランスによりますけれども、物価を積極的に上げるというよりも、下がるべき物価を支えるという役割を演じると思う。しかし、その場合に、商品の種類によって非常にでこぼこができるのではないか。つまり高度成長によって生産力が拡充される生産部門と、そうでない生産部門との間に開きができて、そうして一方においてはインフレ的な影響は一様に及ぼしますから、生産力が過剰的なところの物価はあまり上がらない、あるいは下がる。しかし、生産力が拡充しないところは非常に上がる、物価のでこぼこが非常にできてくるのではないか。そういう点、その軍需品需要中心とする場合よりも、起こってくる現象は非常に複雑になってくるのではないかというふうな気がいたします。そうしてその物価の騰貴あるいはインフレの現象という問題、第二の御質問の問題もそれと関連しているので、物価動きを決定するファクトとしては今も昔も変わらないけれども、その現われ方が非常に複雑になってきて、そうしてその現われ方は、昔のようには現われない。別に複雑な現象になってくるというふうに考えられますけれども。
  11. 占部秀男

    ○占部秀男君 地方財政の問題に関連をして、先生に二点お伺いをいたしたいのでございますが、ただいま先生お話によりますと、過剰生産の顕現化を防ぐために需要を増大させなければならない、従って、そういう意味の政府支出というものは大きくなってくる。従って、政府、いわゆる中央の財政規模も大きくなっていく、こういうお話でございますが、実はことしの、先ほど出ました三十六年度の地方財政計画を見ますと、地方財政規模もきわめて大きくなってくるわけです。たしか三千億以上に大きくなっていると思っておりまして、これは従来の地方財政計画からみますと、飛躍的な拡大という形になっているわけであります。その中を分析しますと、道路五カ年計画を初め、いわゆる国の公共事業、これに伴ういわゆる国の補助事業であるとか、そうした面が約三分の一以上を占めているわけであります。従って、そういうように非常に大きく国の土木事業その他がなっているということは、これは今言われたように、需要増大の役割を、やはり地方財政の上でも政府は果たさせているのではなかろうか、こういう点が考えられるのですが、その点が第一点です。  それから第二点は、この地方財政規模の増大に伴って、特にことしは地方のいわゆる地方負担分というものが例年になく拡大されておるわけです。これは先生御存じだと思いますが、道路その他国の補助事業に伴って地方が出す金であります。ところで、これを調べてみますと、三十六年度の総規模のうちの一般財源が伸びている、この一般財源の伸びているものの約四割近くは、国の事務、事業に伴うところの地方負担分の激増と、国の事務、事業に伴うところの使用、まあ県や市町村はやりたくないけれどもやらなくちゃならぬと、こういうところに占められていると私たちは分析しているのですが、そうなると、地方の政治というものは、さような意味で国の経済高度成長政策のあおりを食っているのじゃないかということが考えられるわけでありますけれども、その二点について先生の御意見をお伺いいたしたいと思います。
  12. 美濃部亮吉

    公述人美濃部亮吉君) 先ほど申しました政府財貨及びサービス購入というのには、中央政府はもちろん、地方政府も含め、その他政府関係機関全体が含まれております。そうして今までの傾向を見てみますと、政府財貨及びサービス購入増加率は、一般会計予算増加率よりも、常に若干大きくなっております。それでありますから、つまり政府需要を作り出そうという場合に、それは一般会計予算より以上に、地方会計予算にその仕事を分散するという傾向は、ずっと今までそういう傾向を続けていたというふうに思われます。それでありますから、中央財政が今度のようにふえた場合には、やはり今までと同じように、それよりも若干大きい割合地方財政の方が伸びるということが、大体今までと同じような現象として起こるのではないかというふうに思っております。従って、その結果として、あとのお話のように、どうしても地方財政が、自分自身の地方のための支出よりも、中央からくる一部分の負担をするというのがどうしてもふえるのではないか、それはどうもこういう状態になったときには、根本的に財政組織を変えない限りは、どうしてもそういう傾向になるのじゃないかと思います。
  13. 館哲二

    委員長館哲二君) 他に御発言もなければ、美濃部公述人に対します質疑は、これで終了したものと認めます。   —————————————
  14. 館哲二

    委員長館哲二君) この際、委員の変更について報告いたします。  本日、大竹平八郎君が辞任されまして、その補欠として森八三一君が選任されました。   —————————————
  15. 館哲二

    委員長館哲二君) 次に、並木公述人にお願いいたします。
  16. 並木正吉

    公述人(並木正吉君) 議題は、昭和三十六年度総予算についてでございますが、私が農業問題をやっております中の専門は人口問題でありまして、その性質上、取り扱いが長期にわたるわけでありますので、ここでもやや長期お話を申し上げたいと存じます。  第一点は、国民経済における農業の地位ないしはその役割という問題でございすまが、農業人口は、現在大よそ千四百五十万人ということになっております。これは農業就業人口でございますが、それに対して、工業、商業その他で働いている者全部を合わせてみますと、現在はほぼ四千五百万人ということになっておりますので、総就業人口に対する農業人口の割合は、現在すでに三分の一という状態になっておるわけでございます。農業人口の比率は、大よそ就業人口の四割というのが今までの通り相場であったわけですけれども、現状においては、すでにそれより低下しておるというふうに考えてよろしいかと存じます。それだけではありませんで、若い世代だけを取り上げてみますと、もっと激しい低下が見られるように思います。若い世代と申しますのをもう少し具体的にいたしますと、中学、高校、大学を卒業いたしまして、その年に就職する者全体をかりに一〇〇といたしますが、その中で家に残って農業に従事する者がどの程度の比率になっておるかということを見てみますと、現在すでにその値は十分の一ということになっております。中学、高校、大学を卒業いたしまして就職する人数は、毎年男女合わせて百三十万人から百五十万人の間でございますが、そのうち、農業に従事する者は大よそ十五万人前後というとこになっておるからでございます。この値を先進諸国と比べてみますと、御承知のように、現在アメリカでは、農業就業人口の割合が全体の十分の一というとこになっておりますし、西ドイツあるいはフランスにおいては、大よそ二割前後ということになっておりますので、日本の現状は、若い世代に関する限りは、すでにアメリカ並みのところに落ちついてきておるということになっておるわけであります。あるいは換言いたしますれば、アメリカの状態におくれることわずかに一世代のみであるというふうに考えてもよろしいかと存じます。  このような状態を設定いたしてみますと、この私たちの若い世代と申しますか、若い世代が成人いたしまして、それが国の就業人口の大部分を占めた状態でありますが、大よそこれから三十年後と考えてよろしいわけでありますが、そのときにおける農業がどれだけの能率を発揮しなければいけないかということを考えてみますと、現在より非常な飛躍的な能率を発揮しなければ国の必要とする食糧をまかなうことはできないということが導き出されてくるかと存じます。先ほども申しましたように、現在農業に従事しております人口は、ほぼ三分の一でございますが、従って、農業者が、自分を含めて、一人で三人分の食糧を生産しているということになるわけでございますが、将来は十人分の食糧を生産しなければいけないということになるわけでございますし、あわせて食生活の高度化ということを考えますならば、のものに比べて数倍の能率を発揮しなければいけないということになるわけであります。これについては食生活がどのように変わっていくか、農産物に対する需要がどのように今後変化していくかということが、非常に大きなポイントになるわけでありますが、それは私の専門分野ではございませんので、この点につきましては、私の同僚であります中山誠記氏の研究を若干引用いたしたいと思いますが、彼は、西ドイツの食糧消費がどの程度規模になっているかということを推定いたしまして、一人当たりの国民所得が、西ドイツの現状は日本の約三倍であるという前提をとりまして、その事実から、日本国民所得が二十年後にかりに三倍になった場合に、西ドイツ並みの食生活をするというふうに設定いたしまして、そのときに必要な食糧消費を大よそ五兆億円と押えております。五兆億円と申しますと、ドルに換算いたしまして百四十億ドルということになりますが、この食糧をこれから、何といいますか、日本の農民が作っていかなければいけないということになるわけでございます。もしそれが失敗いたしますと、当然食糧の輸入ということになりますし、食糧の輸入がふえれば、当然輸出が減退をする、そうすれば、当然今考えられております高度成長は困難になってくるという事態になることでありますが、参考までに現在の貿易の規模を申しますと、大よそ三十億ドル前後でありますから、将来要求されます食糧消費といいますか、食糧生産を前提にいたしますと、その大部分は国で生産しなければいけないということが生まれてくるかと思います。これはまあ高度成長経済が農業に出した注文書であるというふうに存じます。  かように考えてみますと、高度成長経済日本の農業に対して要求いたします規模と申しますものは、それは非常に大きなものである。従って、それは現在の農業に対して根本的な改革を要求するものであり、従って、農業投資に対しては非常に大きな額を要求しているものであるということになろうと存じます。逆に申しますと、この農業改革といいますか、農業の再編成が失敗しますれば、先ほども申し上げましたように、高度成長に対して支障が起きる、こういうことになるかと存じます。で、このような需要をまかなうためには、第一には、既存の耕地の土地改良ということが今まで以上に進められなければならないということがございますが、今申しましたこの食糧消費の高まりというものを設定いたしますと、おそらくは既存の耕地の集約的な利用のみでは足りないということになろうかと存じます。この場合は、当然食糧消費の内容が高度化するということを前提にしております。米麦だけで国民の必要な食糧をまかなうということであれば現在の耕地で十分でありますけれども、新しい食糧の消費ということを考えますれば、新たなる耕地の造成の必要は、おそらくは避けられないというふうに存じます。  もう一つは、最近の都市近郊における農地が、宅地ないし工場にかなり激しい勢いで転換しておるということがございますし、それに伴って、地価の値上がり、農地の値上がりというものが起きております。そのような状態では、都市近郊においていかに効率的な農業を考えて参ろうといたしましても、この地価の高まりに対しては太刀打ちできないという状態が生まれて参っております。そういう意味でつぶれ地があるわけですから、それに見合うものを作るという意味においても必要になるわけでありますが、もう一つは、この経済的な収支計算の問題であります。戦後における土木事業における大きな技術的な変化及び農業の変化を考えてみますと、このような土地の造成事業が、経済的に見て収支償わないものだという考え方にはならないように存じます。一方において近郊地で一番生産力の高い農地をつぶしておきながら、一方において新たなる農地の造成の必要を言うのは、一見矛盾しておるようでありますけれども、これは日本経済の発展段階が新しい段階に到達して、そのためにこれまでの国土の利用というのですか、資源の配分が再調整を要求されておる、こういう事態ではないかというふうに存じます。  第二点は、人材の確保、農業の発展に必要な人材の確保の問題でございます。先ほど申しましたように、農業人口は減少していくわけでありますが、この減少する農業人口で、しかも農業の生産性を高めていくということを考えますためには、農業労働力の質的な向上が必ず前提になるわけであります。これについては、現在農業労働力が女性化する、老齢化するという面が指摘されております。従って、そのような傾向の中で、日本の農業の近代化、高度化、再編成は不可能であるということが指摘されておるわけでありますが、私はその危険を無視するわけではありませんけれども、しかし、現状においては明かるい一面もまた生まれてきておるように存じます。  その面を若干御説明申し上げてみたいと思うのでありますが、第一に、農業人口の減少の仕方でございます。ここ数年来、農業人口は年々ほぼ三十万人程度を減少して参りました。年率で申しますと二%ずつになるわけでございますが、その経路を考えてみますと、一番大きいものは農業人口の退出者——退出者と申しますのは、退いていく人たちでありますが、農業から退いていく人たち、これは転職をしていく人たちではございません。死亡する人と、年寄りになって労働力ではない人たち、非労働力人口になっていく人たちでありますが、この人たちが、現在の統計によります限り、年々男女合わせて四十万人に達しております。これはいわば農業を一つの学校とたとえますならば、その学校から卒業していく人たちというふうに考えてよろしいかと思いますが、ところが、この農業という学校に対する新入生と申しますか、入学してくる人たちは、これは戦前は卒業生とひとしく四十万人程度あったわけでありますが、最近は激減をいたして参りまして、一昨年は十六万七千人、昨年におきましては十二万七千人というふうに、十五万人を割るに至っております。従って、かりにこの中間をとりまして十五万人といたしましても、卒業生が四十万人に対して新入生が十五万、差し引き二十五万人が減少するということになるわけでございます。農業人口が減少して参ります一番大きな経路は、この卒業生と新入生の差し引きということになっておるのでございます。  第二の経路は、これはよく問題になります転職という経路をとるものであります。農業をやっておる者がほかの職業に転職していく場合でございます。学校の例で申しますならば、していくということになるわけでありますが、これがどの程度規模に達するかということを調べてみますと、農業から他産業に転職していく者が、昭和三十三年、三十四年においておよそ二十万人、非農業部門から農業へ転職してくるというか、戻ってくる者が十万人、差し引きほぼ十万人が農業からの転職超過ということになっております。御承知のように、昭和三十四年は、国民経済成長率が年率一八%という異常に高い成長を示した年でありますが、その年においてすら、農業からの転職者は年十万人程度であったということが非常に大事なことかと思います。このようになりました理由は、農業人口の構成を考えていただけばよくわかると思われますが、先ほど申しました千四百五十万人の農業人口を、世帯主と世帯主の妻というふうに選び出してみますと、その両者で六割を占めております。それから跡取りと跡取りの配偶者を選び出してみますと、その二つで一七%を占めます。それから経営主の父と経営主の母を選び出しますと、その両者で一三%、以上三者を合わせまして九〇%を占めますが、残りの一〇%が次三男及び娘ということになります。従って、農業人口の大部分は配偶者持ちということになるわけでありますが、現在のような高度成長の中におきましても、新卒、学校を卒業してきた新規労働力が異常な人不足を訴える中で、中年及び高年の労働力については、労働の移動性が阻害されているということが訴えられるわけでありますが、このような労働市場の中で、農業就業人口からの転職が相当に困難を伴うということがこの統計が示しておるように存じます。しかし、そう申しましても、先ほど申しました卒業生と新入生の差し引きという大きな流れがございますので、そうしてこの流れは、今後の経済成長が幾ら鈍化いたしましても続くというふうに考えられますので、農業人口の今申しました程度の減少は、私は今後も続くというふうに考えます。  そのように考えます一つの理由は、先ほども申したことでありますが、農業人口の比率が現在三割、総就業人口に対する比率でありますが、三割になっている、こういう事実であります。この事実をなぜここで強調するかと申しますと、工業、商業の方で伸びます、いわばそこでふえる力が農業人口を減少させる、その作用は、かつて農業人口が五割あるいは七割を占めたときに比べて、画期的に大きくなっておるという構造的な変化といっていい事実があるからでございます。そのことは、一面において景気変動に際して、農業人口が戦前以上に大きな影響を受けるということも意味するわけでありまして、このような意味におきましては、失業者の起きた場合の失業対策が、農業人口問題を考える場合に、きわめて重要な問題になってきておる、こういうふうに考えるわけでござ  います。  こういうふうに農業人口は減ってきたわけでありますが、そこで、その減り方は、今申しましたように、卒業生と新人生の差し引きということになっておりますが、そういう中で明かるい面というのは何かと申しますと、それは先ほど申しました農業に残って農業に従事する人たちの学歴が向上してきておるという事実でございます。統計を示しますと、昭和三十年には、新しい農業への新入生のうち、高等学校を卒業した者が二九%、短期大学以上を卒業した者が一%を占めておりましたが、昭和三十五年三月の卒業生については、同校卒が四一%、大学卒が一%というふうになってきております。これは陽子の場合でございますが、このような学歴が上がってきているという事実、それともう一つは、この学歴が上がって参りましたその中身でございますが、高校卒以上の大部分は農業高校を卒業した人たちでございます。これも統計を使いますと、昭和三十年では、高等学校を卒業して農業に従事した者のうち、農業高校を出た者が五九%を占めておりましたが、三十五年には七三%を占めております。いわばこの実情から申しますと、これからの日本の農業をになっていくものの中心は、農業高等出、あるいは短期大学出の人たちであるということになるわけでございますが、ところが、この点につきましては、実情は農業高校の不振ということが指摘されております、農業高校への志望者が毎年減ってきておるという事実、それから農業高校を卒業しても、農業に従事する者が年々減ってきておるという事実があるわけでありますが、私は、それは一般的に農業と工業との所得の格差が開いてきておるという事実に基づくと思いますが、もう一つは、この現在の農業局校あるいは農業教育制度が、これから農業が要求する程度の教育といいますか、そういうものを満たすだけの技術なり、あるいは学校の先生なり、設備なりというものを備えていないというところに非常に大きな問題があるように存じます。このような意味におきまして、農業コースといいますか、農業課程の整理というもの、それをほかに変えるという問題は量的には起きて参りましょうけれども、質的に考えますならば、それに今までに比べて、はるかに大きな投資をすることが必要であろうかと存じます。その場合にもう一つ必要なことは、このような人材に、これからの農業をやっていきます場合に、必要な資金を与えるということでありますが、資金をこれから農業に回す必要性はいろいろ指摘されておりますけれども、どういう形で流せばいいかということについては、まだいろいろ意見が分かれておるようでございますが、私は、人材の確保ということと結びつけて考えてみますと、一定の教育、あるいは一定の講習会というのですか、技術資格を受けた者に対しては、その資格を、基準といいますか、条件といたしまして大規模な資金を融資するという制度をこれから考えていくことが必要ではなかろうかと存じております。  第三点といたしまして、農地制度の問題に触れてみたいと思うのでありますが、私は、率直に申しまして、これからの農地制度を考えます場合に、これまでの自作農中心考え方から脱皮して、借地農という制度を大幅に取り入れていく必要が生じてきておるように存じます。この問題は第二種兼業農家の将来ということと結びつくわけでございますが、この第二棟兼業農家の離村、離農を促進するという必要上が一つ。それからもう一つは、高い地価、高地価の負担をできるだけ少なくするという、その二つの観点から借地農制度が必要になってきておるというふうに思うのであります。第二種兼業農家と申しますのは、御承知のように、農業を従とし、兼業の方が主であるような農家でございますが、この第二種兼業農家は、現在農家戸数のほぼ三分の一を占めておりますが、将来これは全農家の半分を占める可能性が十分にあるということが統計によって明らかにされております。と申しますのは、農家の兼業に従事する者のうち、世帯主と跡取りで兼業に従事しているものが全農家の半分を占めるからでございます。従って、その半分のうちの三割は、すでに第二種兼業農家でありますが、残りの二割は第二種兼業農家に将来なるであろうという予備軍というふうに考えてよろしいかと思うのであります。そして、第二種兼業農家がこのようにふえていくということはどういう意味を持つかということを考えてみますと、第一には、第二種兼業農家のままでありましても、第一種兼業農家であったときに比べて、耕地面積が当然減ってくるであろうということが考えられるのであります。そういう意味では農家戸数の減少を来たさない場合においても、残って農業をやっていこうとする農家、あるいはそれを自立経営と考えるか、あるいは共同経営と考えるかは自由でございますけれども、残って農業をやっていきます経営単位を、一人当たりの耕地面積の規模拡大していく余地はその中から生まれてくるわけでありまして、もう少しそれを促進していきますためには、さらに進んで完全離村ということが必要になってくるわけであります。これは根本的には労働者の賃金、その生活が、賃金が高まり生活が安定してくることが必要になるわけであります。もう一つは、農地制度の問題を解決していくことが必要かと存じます。  この兼業問題を考えます場合のもう一つの問題でありますが、それは将来必要とされるであろう農業の性格といいますか、農業生産の再編成を前提といたしますと、これから伸びるであろう作物は、兼業との両立を困難にする作物であります。一番端的なものは畜産でありますが、そのような意味で、中途半端な農業はだんだん困難になっていくということがございます。それにに対して、兼業と両立しやすい作物は米でございますが、この場合でも、米を自給する、米を食べるという意味は、所得水準の向上に伴ってだんだん低下してくるわけでありますが、それにもかかわらず、農地を放さないということがあるといたしますと、その一番大きな理由は、私は地価の値上がりの問題ではなかろうかと存じます。そのように考えてみますと、この点を、農地制度を改正し、そして高地価の負担を免れるといいますか、あるいはそれを軽減するために今の自作農主義の考え方を改めていくことが必要ではないかというふうに思うのであります。  第四番目に申し上げたい点は、今私が申しました三つの問題は、その考え方といたしまして、新卒と申しますか、若い世代を中心に起きております変化を頭に置いて申し上げたわけでありますが、若い世代を中心に見てみますと、そこに一種の明かるいといいますか、農業の再編成が可能であるという展望が開かれておるように私は思いますけれども、しかし、一方、中年令、高年令の人たちは、労働市場においても非常なしわ寄せを受ける。この日本経済の再編成といいますか、高度化の中でしわ寄せを受けておると同じ意味において、農業の中でもこういうしわ寄せを受ける階層が多く残っておるわけでありまするが、これらの人をどのようにしていくかということが、非常に大きな問題として残るというふうに存じます。これに対してどのような対策をとっていけばいいかということについて、私はまだ確たる成案を持ってはおりませんが、ここで私が強調いたしたい点は、これらの農家がどのような実情にあり、どのような動きをしておるかということを把握するに足る十分な統計資料の整備がまだできていないということでございます。そのような意味におきまして、これらの農業の再編成に伴いまして、一番犠牲を受けやすい階層の動向、実態を把握するためにも、また、今まで申しました就業人口の減少、あるいははそれに伴う農家の再編成と、実情を正確に把握するためにも、新しい考え方に立った統計の整備というものが今必要な段階にあるのではないかというふうに存じます。  時間も参りましたので、私の話をこれで一応終わりたいと存じます。(拍手)
  17. 館哲二

    委員長館哲二君) 並木公述人に対し御質疑のある方は、順次御発言を願います。
  18. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 一つ伺いたいのでありますが、並木先生の先刻御指摘になった農地の価格の問題であります。私は、今度の農業基本法の施行の上で最大のネックといいますか、最も困難な問題は、土地の価格の問題であると思います。最近いろいろ物価の問題が論議されておりますけれども、一般の物価と違って、土地の価格、特に農地の価格というものは、今の状況でいきますると、都市近郊はもちろんのこと、工場誘致の計画、あるいは後進県へのいろいろな公共的な事業の積極的な施行というものと関連いたしまして、どうしても農地の価格が上がると思うのであります。並木先生のお考えでは、それを、自作農制度を考え直すことによって、何といいますか、そういう面からチェックするといいますか、それをうまく避けていくというふうなお考えのようでありますけれども、はたして、かりに、農地を貸すというふうな考え方をとりましても、やはりそこには小作料、賃借料の問題もあり、地価が高ければ必然的にそれが制約になるであろう、何らかこの農地の価格について基本的な考え方といいますか、対策といいますか、これが立たないものであろうかということの心配を実はするのであります。私も、こういう対策を立てればいいであろうという実は考え方が浮かばないのであります。  そういうことと、それからもう一つ、この農地の価格の間に実質的な差が出てくる問題ですね。たとえば非常に条件のいい所は、これは農地を離れて、農地という考え方じゃなしに、価格が上がっていく。ところが、東北方面といいますか、農地以外には持っていきようのない、本来の農地の価格というものは、逆に低下していくようなことがありはしないか。これも、基本法の考え方からいうと、いろいろの問題をそこに起こしてくる一つの要因であろうと思いますが、もう一度、この農地の価格についてのお考えを承りたいと思います。
  19. 並木正吉

    公述人(並木正吉君) ごもっともな御質問でございますが、一番最初の借地の制度をとることによって高地価の負担を避けるということでありますが、これはいわば土地を買い取るのを、小作料を払うことによっていわば軽減するという程度にとどまるわけでありまして、おっしゃるように、根本的な解決にはならないわけであります。根本的な解決をはかる問題といたしまして、私は最初にちょっとその点を申し上げたかと思っておりますが、新しい農地の造成ということを最初に申し上げたわけでありますが、それは日本経済の新しい発展段階に応じて、国土の利用の再調整ということが今大きな規模において必要になっておる段階であります。そういうことを前提にしていかなければ、今の都市近郊あるいは工場誘致地帯における地価の問題は、根本的に需給関係から申しまして解決はしないのではないかというふうに考えておるわけです。そういう大きな手を打って、その上で農地の値上がりというものを、その利益を国民全体が公平に享受するという対策を別途講ずべきではないかというふうに存じます。  それから二番目の点でございますが、一方において地価の値上がりが、農地で値上がりする所があると同時に、一方においてむしろ値下がりをしておる所があるという御指摘でございますが、これは全くその通りであると存じます。現在のように、農村から人が出ていくということがかなり激しい勢いで行なわれております実情においては、農地としてしか役に立たない所においては、むしろ地価が相対的にとのいいますか、相対的にと申しますのは、いわば物価の値上がりあるいは農業の生産力の発展に比べてという意味でございますが、むしろそういう地帯においては地価は値下がりしていくというのが傾向であって、私は農業の再編成ということを考える場合には、それはむしろ歓迎すべきことではないかというふうに存じております。
  20. 白井勇

    ○白井勇君 並木さんのきょうのお話の重点じゃなかったかと思いますが、ちょっと触れられました第二種兼業の問題ですね。推算しますと、現在の三分の一のものが将来は半分になる、こういうお話でありますが、こういうものが将来農村の望ましい姿としまして、と申しますか、どういうような格好になることが理想的なものか、何か描いていらっしゃいます構想がありましたらお知らせ願いたいと思います。
  21. 並木正吉

    公述人(並木正吉君) 私は第二種兼業農家というのが非常に能率の悪い生産手段をもって、能率の悪い農業生産をやる形において、しかも、その能率をかりに落とさない場合においては、かなり主婦に対して負担をかけた形で残っておるという実情は、国の資源の効率的な利用、それから国民全体の福祉の立場からいって決して望ましい形ではないというふうに存じておりますので、これが完全に離農できる状態、離村できる状態を設定することが一番望ましい姿であるというふうに考えております。ただ農業人口が減少していく割には農家戸数は減らないという問題が一方あるわけでありますが、その農家戸数は減らないという事実は一方にありますけれども、私が前段で強調いたしたかった点は、全体としての農家戸数は減らない、その中で農地の再配分が行なわれ得る、そういう変化が徐々に進行しておるという事実を申し上げたかったわけであります。そういう事典の上に立って、さらにそれを促進するという考え方が当然とらるべきでありますし、それは私はできることではないか、こういうふうに考えております。
  22. 阿具根登

    ○阿具根登君 ちょっと一、二点御質問申し上げますが、並木さんの御説明の中で、自作農が減ってきて、借地農家が多くなってくると、いわゆる第二種兼業農家の場合でございますが、これについてもう少し詳しい考え方と、それから耕地が減って造成地がふえてくる、こういう二つを考え合わせる場合に、現在の農業のあり方のままで借地がふえてくる、しかも、造成地がふえて耕地が減ってくる、非常に逆なコースが進められておるような気がするのですが、そのためには一体国としてどういう考え方で進まねばならないか。いわゆる農民の数が減ってくるのに、残っている人は借地とそれから造成地——新しい地でやっていかなければならない、こういうことになれば、個人の能力では非常に負担が重過ぎる、こういうようなことになってくると思うのです。どういうように解釈したらよろしいでしょう。
  23. 並木正吉

    公述人(並木正吉君) 今の二点でございますが、私は現状の動きというよりは、現在の農地制度の建前は申すまでもなく、自作農主義の原則に立っておるわけでありますが、その原則に立つ限り、農地の効率的な利用というものが困難になるような状態に現在あるのではないか。従って、その困難になっておる条件を改めることが必要ではないかということを第一点で申し上げたわけでございます。  その次の農地の造成につきましても、ここ五年とか十年とかという期間をとってみますれば、既存の農地だけで増大する国民の食糧需要をまかなえるという考え方もあるいは成り立ち得るかと存じますが、さらに遠い将来のことを考えてみれば、それではおそらく困難になるという事態が必至だというふうに思いますし、一方、工業を発展させていく、それから宅地の問題を解決していくということも緊急の事態になっておりますので、新しい経済の発展段階に立って、これまでの国土利用を根本的に再調整していくということが、私は必要ではないかというふうに申し上げた次第でございます。  そういうふうにやっていきます場合に、自作農主義ということの関係を申しますと、自作農主義は、そういう新しい国土の再利用といいますか、国土の利用を調整するという考え方を入れるには、袋が古過ぎるのではないかというふうに申し上げたつもりでございます。
  24. 館哲二

    委員長館哲二君) 他に御発言もなければ、並木公述人に対する質疑は終了したものと認めます。  午後は一時に再開いたします。暫時休憩いたします。    午前十一時五十四分休憩    ————————    午後一時三十二分開会
  25. 館哲二

    委員長館哲二君) これより公聴会を開会いたします。  最初に、公述人の方々にごあいさつを申し上げます。本日は大へん御多用のところ、委員会のために御出席いただきまして、まことにありがたく御礼を申し上げます。本委員会は、昭和三十六年度総予算につきまして慎重な審議を続けて参っておるのでありますが、本日は午前から公述人の方々の有益な御意見を拝聴して参りました。ただいま御出席の皆様方におかれましても、忌憚のない御意見を拝聴することができますれば、本委員会としましてはまことにありがたく存ずるところであります。  これから公述に入りますが、議事進行の便宜上、お一人が三十分程度で御意見を述べていただきまして、お一人ごとに質疑を行なっていきたいと存じます。  まず、菱山公述人にお願いをいたしたいと思います。
  26. 菱山辰一

    公述人(菱山辰一君) 私は市井の一評論家なのでありますが、社会保障の問題をしょっちゅう取り上げております立場から、今度の新年度の予算について若干の感想を述べてみたいと思うのであります。  で、この新しい予算は、いわゆる所得倍増計画の最初の一年の予算であって、しかも、それは三本の柱として社会保障の拡大ということと、それから公共事業投資、それから減税ということがうたわれておったのでありますが、私どもは、この過去のいろいろな実積を見てみますと、所得の倍増というものの根本になっておりますこうした成長ということが、同時に過去において相当所得の較差と大きくしているということは、これは事実でございまして、厚生省の厚生白書を見ましても、いろいろ綿密に書いてあるのであります。で、私はこの見せかけの表面的なブーム、それはまあ消費ブームとか、あるいはレジャーブームとか、いろいろ縄文景気などといわれて、今確かに表面国民生活はよくなっているように見えるのでありますけれども、このムードと違って、そこに相当貧困の層の沈澱というものが社会の中にはある。厚生省の数字では、いわゆるボーダー・ラインの層というものは、一ころは一千万といわれたのでありますが、このごろは半分くらいになって、四千五百万とかといっておりますが、その貧困層の沈澱ということは、都市生活においてはことに見られるのでありまして、これが相当不安な状態になるわけであります。で、非常に世の中は天下泰平であるというようなことが盛んにいわれておりますが、いろいろな社会不安、犯罪とか、そういう新聞の社会面に出ますできごとの大半というものは、これは貧困層の中に起こっている問題でございます。私は都下のある小さな町に住んでおりますが、いろいろ保護司の人たちの話とか、あるいは民生委員の人の話とか、青少年問題を見ますと、そのできごとの大半が、この保護世帯から起こっている、あるいはまた低所得者であるために生活が困難である、そういう原因から犯罪を犯したり、あるいは非行青少年が生まれたりしているわけであります。ことに、私の住んでおります町は半分農村でございまして、この農村の次男、三男というものが自分のうちから働きに出るのでありますが、これが順調な形で、たとえば中学校を出たとか、あるいは高等学校を出たという形で就職する場合は、確かに農業人口が工業人口に吸収されているわけでありますけれども、その間にやはり中小企業の中でも零細経営なんかに入った連中というものは、点々として、いわば一種のルンペン化が行なわれているわけであります。いろいろなヨタモノとか、あるいは無法者というようなものが、大部分はそういうふうな結果出てきて、貧困の中から、そういう犯罪を犯しているというようなのがございまして、私は所得倍増計画というものをほんとうに進めていくためには、やはりこの社会保障制度というものの一つをてこにしまして、社会の二軍構造の解消というようなことや、あるいはいろいろなゆがみの問題がありますが、それを直すのに、やはり力を入れていかなければならない、そういうふうに考えますと、今度の社会保障予算というものが、数字は非常にふえているように見えますけれども、実際から言うと、非常に少ないのじゃないか、こう私は思うのであります。  で、国の総予算案が昭和三十六年度では前年度の当初予算に比べまして三千八百三十一億円、二四%もふえておりますけれども、その中の社会保障関係費のふえ方というものは、わずかに二八%しかないわけであります。また内容を見ますと、非常に総花式になっておりまして、非常に水割である。この社会保障の優先というようなことが今度の予算では裏切られた感がするわけであります。私は重点的に低所得者対策に力を入れて、貧困の追放ということにやはり重点を置かなければならぬと思うのでありますが、この低所得者対策というものが非常にしっかりとしておらないのでありまして、圧力団体が今度の、つまり予算のふえたのをみな食ってしまった。たとえば医療費の引き上げというようなことが、この予算を食ってしまったというような感がするのであります。大体詳細にわたってみますと、いろいろな問題がございますけれども、まず端的に申し上げますと、私は生活保護基準が、厚生省の真剣な要求では、これは二六%の要求であったのが、わずか一八%に削られたということであります。これは厚生省の要求も、私どもから申しますと、まだ足りないと思うのでありますが、最低生活、つまり国民の最低生活の水準というものの基準をきめます生活保護基準、これが非常に現実を遊離しておるのであります。これは今度上がったところで、物価がいろいろ上がっておりますから、非常にそれでは人間らしい生活ができないのであります。実情を見ますと、みな隠れて内職をするとか、あるいはパチンコをやるとか、あるいはまたいまわしい商売をやるとかいうようなことでもって生活をしている人が多いのでありまして、この現行の扶助料というのは、東京で五人世帯で月九千六百二十円五十三銭というのが今度は一万一千三百五十二円二十三銭になるのでありますが、これでも健康で文化的な最低生活が営めるかどうかということ、これは疑問なのであります。これは実際保護家庭を一々ごらんになればわかるのであります。で、この一般世帯の生活水準を一〇〇としますと、被保護世帯のそれは三九・七なんです。それから所得の一番低い層を一〇〇としても五七という低位になっておるのであります。この厚生省の要求をいれないばかりでなく、このように盲点になっております生活の扶助というものをこのまま放っておいては、私は社会保障制度というものは肝心の柱を失っていると思うのであります。政府は、これは減税の恩恵も受けないし、また公共料金を初め軒世みの物価値上がりによって生活を一番おびやかされておりますこの被保護世帯、それからまたボーダー・ラインの極貧者階層というものを何とか苦しみから救い上げるという、そういう熱意が私はほしいと思うのであります。この問題はいろいろどなたも言うのでありますけれども、私は重点的に一番大切なところは、公共扶助の生活保護基準を上げるということ。今度の予算でまだ税収入がふえるというのでありますが、これだけはぜひ手直ししていただきたいと、こう思うのであります。医療費の引き上げとか、軍人の恩給増額とか、あるいは公共料金の引き上げというのにあれほど御熱心だった政府が、最低所得者の階層になぜもっとあたたかく救済するようなことをやらないか。これを欠いて、福祉国家の建設というような政治は政治とは言えないのであります。  その次は失業者の問題であります。これはニコヨン労働者の生活実態というものをよく見ますと、一度ニコヨンに転落するというと容易にはい上がれないのであります。これがやはり賃金を安く押えておくということのために、もう絶えず不安な生活を送っているわけであります。やはり社会保障制度というものがほんとうにものを言うならば、ニコヨンの生活というようなものをもっと希望の持てるようなものに変えていく、これは失業対策というものが検討されなければならないのでありますが、私はとにかくこの貧乏の一番原因は失業ということが第一、それからまた病気ということが第一、けがをするということもあります。また働き手がなくなってやもめ暮しになるということ、あるいは年をとる、老齢ということもまた貧困の原因になるのでありますが、ともかくもこの失業者を減らすということは雇用政策であり、また、低収入をできるだけ、これを引き上げるという意味では、最低賃金制度の確立ということをやはりやらなければならないと思うのであります。  それから国民年金制度の問題でございますが、これは今度、政府の方では何もこれに対しては努力を払っていないわけであります。私は母子福祉年金というのは、二十五才以上の子供がいても、その子供の所得が七十万円以下の場合には支給することになったとか、また祖母や姉が十六才未満の孫や姉妹を養っておる準母子世帯にも、この母子福祉年金は支給するようになって、これは非常にいいことだと思いますけれども、母子福祉年金の資格制限についてもゆるめられたのでありますが、それにもかかわらず、軍人、遺族団体の圧力に政府が屈して、予算の最後まで福祉年金のワクを広げるという努力を全然しなかった。これは私は非常に問題ではないかと思うのであります。それからまた、四月一日から保険料の徴収が始まりますが、この拠出制年金というものの加入届というものは、政府考えているほど簡単ではないように思うのであります。医療費の値上げということをかぶりまして、国民健保、日雇健保の被保険者の負担が相当増して参りますから、年金の保険料の円滑な徴収というものは非常に今のところむずかしいのではないか、こういう点で、国民年金については一つ根本的に検討していただきたいと思うのであります。  医療費の問題は、これは非常に大きな問題になりまして、御承知の通りに平均一〇%の値上げをし、七月一日から実施することになりますが、これはどういうふうにやるかについては、今後の医療協議会の結論を待たなければならないのでありますが、率直に申しまして、医療費の一〇%引き上げということが、はたして妥当なのかどうかということを国民が判断され、納得するだけのまだ資料が出ていない。自分が体験したことなのでありますが、この日本の社会保障制度というものは、実際は地方財政が大きな負担をしているわけでありまして、国がこれを補助するという形が相当あるわけであります。ですから、せっかくこの制度で、大いに包括主義でもって何でもこの国民健康保険とかというような形で伸ばして、国民皆保険体制というものを作りましても、実際の運営の上では、たとえば中央財政が窮屈でありますと、地方にいろいろ制限するわけであります。これは窓口でもってごらんにならなければわからないのでありますが、今度いろいろ社会保障の関係の費用がふえましても、これを実際運営しますときの中央財政の非常な負担が激増して参りますので、地方財政の方では、これは何とかかんとか、やっぱりきびしく窓口でもってしぼるという形が出て参りまして、内容は社会保障の後退ということが起こる危険があるわけであります。ですから包括主義でもって何でも平等にいかにも一見いくように見えますが、実際はそれが事実違って参るのでございまして、よく実態というものを一つ考えていただきたいと思うのであります。私は日本の社会保障制度というものは、ウナギの寝床みたいにいろいろばらばらで、それがあとからあとからとできて、つながっておるのでありますが、こういうような社会保障の体系というものをもう一ぺん整備して統合し、また経済的な計算単位の最も合理的なものは社会保障なんでありますから、資金の効率を増すためにいろんな工夫あるいは機構を改革する。場合によっては、労働組合というようなものも、これは社会保障関係の事務をまかせてもいいようなことを考えたらどうだろうか。今の社会におきまして、階級間の対立が非常にはっきりしておりまして、まあ一方の方はたとえば労働組合を非常な敵視するというようなことがありますけれども、一つの労働組合を国家機構の中に入れるというような意味で、労働組合というものがもっと社会保障についてこの機構の中に入っていく。いろんな年金その他社会保障関係の資金の運用につきましても、今までのようにただ一方的に政府がきめるんでなくて、もっとそれを活用して、社会福祉政策というものを同時に進める。社会保障政策というものは社会政策でありますが、同時に、社会福祉対策というもので、たとえば低所得者の住宅問題の解決とか、やるべきことはたくさんあるわけでございます。こういうことでは、社会保障関係の財政というものは相当大きな資金を持っているわけでありますから、それを十分に活用するということを考えていただきたいと、こう思うわけであります。  非常に乱暴な意見でありますけれども、町に住んでおりまして見ていますと、貧乏で苦しんでいる人が相当おります。また、それがいろいろと社会悪を生んでおるのでございまして、よく国民の実態をつかんで、そして政治というものをお考え願いたいと思います。天下泰平だからといって、外国にばかりあまり出かけるというようなことはよくお考え願いたいと私は思います。(拍手)
  27. 館哲二

    委員長館哲二君) 菱山公述人に対し御質疑のおありの方は、順次御発言を願います。
  28. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 社会保障について御意見を拝聴いたしまして非常に参考になりましたが、私どもも、この予算委員会で、社会保障、特に今御指摘の一番底辺にある人たちの予算の増額の要求をいろいろするのでありますが、どうも政府の御答弁は満足できないので、またいろんな疑問の点もたくさんありますので、生活扶助の問題に限って四つばかり御意見をちょっと伺いたいんであります。  その第一は、社会保障の財源は、自然増収が非常に多くてたくさんあるわけなんですね。三十五年度の予算につきましても、まあ第一次補正で千五百十四億あったのです。その次が四百四十億自然増収がまた出てきた。これを産業投資の方に振り向けるわけです。今お話しのように、生活困窮者がたくさんあるんですから、これを社会保障の方になぜ向けないかという質問をするわけです。財源がないということも一つの理由らしいのですが、しかし、財源については、四百四十億第二次補正であったわけです。それを、産業投資の方に振り向ける財源としてはあるのですが、社会保障の方には振り向けない。さらに、三十六年度は六百億もまた自然増収が見込まれている。ですから、財源がないということはどうしても甘えない。いろいろ厚生f大臣に質問したところが、過去の生活扶助の水準があまりに低過ぎたので、そこでここに一挙にあまりたくさん引き上げることは困難だということなんですね。今度は、厚生省の二六%の引き上げ要求に対して、大蔵省は一八%引き上げた。今までは大体三%ぐらいの引き上げで、六倍ぐらいの引き上げだから、ずいぶん思い切って引き上げたんだ。しかし、過去があんまり低過ぎたんだと。今実際に生活しているあれは、実態調査ですと、今の生活保護費の大体一・七倍くらいなんですね。東京ですと、三千四百円ぐらいの生活をしている。生活扶助ですと二千円くらいですけれども。そこで、一挙にあまり引き上げることは困難だ、過去にあまり低過ぎたら、ここで実態に合うようにするにはうんと上げなきゃならないので、そこで困難だと、こういうことらしいんです。こういうことは理由になるものかどうか。これが第一番。  それから、もう一つは、物価の問題なんです。消費者物価は三十五年度三・七%ぐらい上がっているわけです。一番低いそういう生活をしている人の生活扶助の場合、物価は上がっても調整がないんですね。ないんですよ。今度これから鉄道運賃がまた上がるという場合に、そういう場合に物価との関係ですね。あとになってから、一年たってから予算措置をいつもするんです。それでは意味がないのじゃないかと、こういうことが第二点。物価との関係ですね。特に消費者物価。何か調整をする必要があるのじゃないか。  それから、第三は、生活扶助費はふえたんですけれども、対象人員があまりふえていないんです。ボーダーライン階層がたくさんいるんですから、一八%ふえれば当然対象人員もふえなきゃならないんです。ところが、対象人員の方はあまりふえていない。それがどうも不思議なんですね。これはなるべく生活扶助の適用を厳重にして、あまり適用させないようにするのじゃないかというようにも疑われるんですが、その点がよくわからない。第三です。  最後に、第四点は、先ほど非常に適切な御指摘があったんですが、地方財政との関係なんです。今、生活扶助とか、その他社会福祉とか、そういう社会保障関係は機関委任になっているんですね。機関委任ですから、地方議会で予算をふやそうと思ってもできないんです。政府の方の機関の委任ですから、政府の方でワクはきまっちゃうわけです。そこで、どうしても地方自治体の段階になると、生活扶助が十分にできないということになる。逆に、地方財政は、自分の財政負担分がふえるのをきらって、社会保障を一生懸命さぼろうとするわけですよ。さぼってその方を浮かして、ほかの方に予算を使う、こういうような形ですね。ですから、地方財政地方自治体の段階になると、社会保障をさぼろうさぼろうとするわけです、地方財政が困難ですから。そっちで浮かした財源をほかに向けようと、こういう実態になっているんですね。先ほどの御指摘はほんとうにそうだと思うんです。ですから、機関委任という形じゃいけないんじゃないだろうかというふうに感ずるのでございますがね。  その四点について御意見を伺いたいと思います。
  29. 菱山辰一

    公述人(菱山辰一君) 今、木村先生のおっしゃった意見は私も大体同じなんでございまして、別にそれにつけ加える必要はないと思いますが、ただ、財源ということをしょっちゅう言いますけれども、これは一人の人間の生存権を、つまりやるという考え方になれば、これはやっぱりやらなきゃならないじゃないでしょうかね。私は、一般には、日本の社会保障がおくれているということは人権思想の未発達というところから来ると思うんですけれども、やはり強い民主主義というものを育てようとするなら、ほんとうに生活していく、それも単に動物的な生活でなく、社会的生活ができるものですね、そういうふうにやっていかなければ、そこから子供が盗みをするとか不良になるとか、事実犯罪が起こってくるということはそういうところから起こるわけですからね。ですから、私は、社会保障制度をやる場合に、財源がないからということは言えないと思うんですね。また、対策としても、もう少し柔軟性を持たせて、たとえばお米が大へん余っているというようなことだったら、一つ保護世帯に特別に配給して飯でもうんと食わせてやるぐらいな親心があっていいんじゃないか、現金支給が原則ですけれども、物でやってもいいわけですからね。それは米なんかうんと余って中央に援助もしょうというようなお話も出たように聞いておりますが、実際保護世帯なんかでかゆをすすっておる者が多いのです。ですから、米を、現物で米をやるとか、みそ、しょうゆをやるかというようなこともやれることじゃないかと思うのです。  それからまた機関のあれも、確かに私は望ましいのはやはり国が直接やって、ただその手続だけやるのが一番望ましいと思います。確かに先生が御指摘になったような点、私自身も体験したのですが、窓口というものはとかく冷ややかなものです。ことにいなかなんかに行きますと、その窓口の役人というものがいまだに家産国家的な考え方で、自分のものをくれてやるのだという恩恵的な考え方を持ったり、あるいは顔をきかせるボスが来れば何とかするけれども、そうでない人間にはやらないとか、そういう不公平がずいぶんあるのですね。これはもう、ことにみんなそういった転落して貧乏に苦しんでいる連中というのは卑屈になってしまう、そういうものは当然このやれるものだという考え方がないですからね。それは実にいろいろな点でおくれているところなら、なるほどよほどそれを助けてやることが必要じゃないか、こう思うのです。あとは先生と全く、地力財政。同じ考え方でございます。
  30. 館哲二

    委員長館哲二君) 別に御発言もなければ、菱山公述人に対します質疑は終了したものと認めてよろしゅうございますか。——それでは菱山公述人に対する質疑は終了したものといたします。どうもありがとうございました。   —————————————
  31. 館哲二

    委員長館哲二君) 引き続いて高橋公述人にお願いいたします。
  32. 高橋亀吉

    公述人(高橋亀吉君) 私は所得倍増計画と一般の経済の動向に関連して公述をするようにということでございまして、そのつもりで参りました。  まず、所得倍増という考え方、これが経済に、あるいは金融に、国際収支にどういう影響を及ぼしてくるかという点になりますと、一番大事なポイントがぼんやりしているように思うのであります。それはぼんやりしておるというのは、国会の審議やマスコミに現われておる面等から申すわけなのであります。それは一体所得倍増、池田内閣の九%三カ年というのは前年度の実績に対して三%増加というのか、あるいは一定の基準でいっておるのか、その点のいかんによって見通し影響も非常に違うのでありますが、しかし、たとえば財界から出ておる意見として、ドル防衛等で事情は非常に違ったから、池田内閣九%成長の公約にとらわれることなく、新事態に適応した政策をとれ、こういう意見が出ております。これは池田内閣の九%成長はとうていできないのじゃないか、無理せずにやれと、こういう意見なのでありますが、この意見は明らかに実績に対して九%、こういう考え方だと思うのであります。ところが、所得倍増計画の閣議の承認した文書によりますと、明らかに基準を示しておる。それはその面だけをいいますと、三十五年度十三兆六千億から年平均九%の経済成長を達成し、昭和三十八年度に十七兆六千億の実現を期する、これがこのように三十八年度には十七兆六千億、それの達成を期するというふうに明らかに数字が出ているわけです。そうすると、今三十五年度のGNPは、昨年末企画庁は十四兆二千億といっておりますが、しかし、その後税の方も自然増収がさらに多くなっておるということからいたしましても、当然これはふえるわけであります。現在のところ十五兆になる公算が大きいと思うのであります。これに対して九%三十六年度にふえ、さらに三十七年度にその実績に九%ふえる、計算してみますと、三十七年度に十七兆八千億になる、三十八年度に達成しようとする数字が今のテンポでいけば三十七年度にでき上がってしまう。こういうことなのでありまして、九%の成長ができるかできないかという問題ではなしに、行き過ぎはしないかという問題として把握し研究すべき問題ではないか、私はそういうふうに思うのであります。不思議にこの基準の問題が新聞等にも当時出ておりません。私自身所得倍増計画には関係がありましたので、一体政府はどういう基準でいっているのかというのが重大問題だといって気をつけていたんですけれども、当時新聞には出ていない、あとになってこの所得倍増計画政府の閣議決定のときに、国民所得倍増計画の構想という、これだけの文書を加えております。これの中にはっきり出ておるということを発見したのであります。マスコミにはほとんど出ていない、経済界も今言ったような、財界の大御所連中が言っていることが今言ったようなやり方をやっておる、国会の審議もその辺がきわめてぼんやりしているのではないか、そういうふうに思うのであります。ところで所得倍増計画なり、九%三カ年成長なりというものは、これがどうなっていくかということ、現にどう進行しているか、今後どういうふうに進行するか、この問題は、所得倍増計画におきましては明らかにこれのおもなるにない手は民間経済だ、自由経済のもとで経営する民間経済がやることなので、政府はせいぜい女房役程度だと、一応の目標をささえる、それは政府がささえるほかはない、この目標に従ってどういうふうに動いていくかということは自由経済のもとでありますから、民間の事業家がどう動くかということにもっぱらかかる問題である。こういう点をわれわれは強く主張してきていたのであります。しかしまた、それに政府がいろいろな下手な統制を加えない方がいいという考え方であったのであります。大体そういうような方針になっておるのでありますし、実際にはそういうふうに動きつつあると思うのであります。ただ、所得が倍増するのには政府としてやるべき仕事、政府でなければできない仕事、政府が担当すべき任務、分野がたくさんあり、この方面だけは計画的にやるべきだ、こういう意味合いであります。しかしながら、所得倍増計画のもとで、日本経済がどういうふうに動いていくかという、おそらく大部分の主導権をとっておるのは民間経済人の行動であるわけであります。そこで、こういう計画のもとで経済がどういうふうに動いていくか、従ってその実際の経済動き方に即して、国会なり政府なりはどういう対策をとるか、こういうことが実際次の問題になるのです。つまり、計画通りにいくかいかないかということは民間の経済の、自由経済のもとでありますから、これは統制しておるわけではないし、強制しておるわけではないのでありますから、それが当然動いて参る。これをとらえてどういう政策をとるか、これが問題になるのだと思うのであります。政府の計画を対象にして議論すべきではなしに、それもあります、そういう方面からの議論の角度もあるでありましょうけれども、しかし、ここで、そのもとで実際の経済がどう動いていくかということが論議される限り、今言ったような角度から見るべきだと思うのであります。そこで、それを考えるということは第一は、所得倍増計画なり池田内閣の九%三カ年成長、こういうことを民間の経済はどう受け取ったかということが第一の問題、その受け取った受け取り方によって次の行動が起こる、民間の行動が起こってくる。どういうふうにこれを受け取ったかということが、従って大きな問題の点になるのであります。いろいろの角度から受け取り方はありますが、ここで一番大事な点は、日本経済の高度の成長相当長期にわたって続け得る、そういう自信を持ったということだと思うのです。自信を持った……。それ以前におきましては、政府全体の、日本全体の多くの考え方は六・五%の経済成長は一応正常だ、実際それ以上に伸びると行き過ぎだ、こう診断して常にブレーキをかけてきておる財政金融政策の面からブレーキをかけてきておる。民間の経済は実際にめいめいの事業の皮膚を通じて計画以上に実際の経済が伸びておることを知っております。実際に計画以上の、六・五%以上の活動をいたしましたけれども、この場合といえどもそれを一時的だと見た、長く続かないのじゃないか、そこで前途に対して十分の確信を持っていなかった。従って、目先はいいけれども、前途に対して確信がないというもとで民間経済の行動は行なわれておったわけであります。それが確信を持ったということになると、ここに今度民間の経済の行動が当然違ってくるわけであります。そこに問題があるのだと思うのです。というのは、自由経済のもとで五年後にはここにくるのだ、十年後にはここまでいくのだ、少なくともこの高さまでは十年以内における。それに対して確信を持った場合に、民間の事業家はどういう行動を起こすであろうか、これが実際の経済の上に現われてくるわけです。  第一は、これはもうきわめて合理的な動きでありますけれども、それはたとえば五年後にこの点までいけるのだということがはっきりする、十年後にそこまでいけるのだということがはっきりいたしますと、それに疑問を持っていた時代はそれを何段階かに区切って事業の拡張計画をやる、そうしないと心配である、どうなるかわからぬ、確信を持てば相当規模な事業計画を立てる、その方がコストが非常に安い、そうしてある一定の期間設備を遊ばしておっても、そういう最も経済的合理的に安くつく経済規模、そういう工場規模において事業を拡張する、それが有利である。当然そういう行動が起こってくる。計画の当初に言いますと、数年後の計画までも初めから大規模な拡張計画に着手してくる。こういう傾向を自由経済のもとでは当然に持つということであります。  第二は、今後の販路の拡大が予想されます。年々この拡大される販路をできるだけ自分がとろう、つまり、今まで以上に大きくなろう、シェア、占拠率を大きくしよう。そうする競争が当然起こってくるのであります。これはお互いに競争して早目早目に事業を拡張しよう、こういう運動となって現われる傾向が強いわけであります。  第三に、今私は自由経済のもとと申しましたけれども、実際は中途半端な自由経済であります。一番重大な、自由経済でない点は、行政指導という名において、設備拡張その他を主管省が握っておるということです。主管省の承認を得なければ、何らの法律根拠がないけれども、主管省の承認を得なければ銀行融資も得られませんし、外国に注文をしても為替がおりない。それがためにどうしても認可を、認可という言葉は語弊がありますが、承認を得なければならない。了解を得なければならない。主管省の方では一定のワクを持っております。計画によってワクを持っている。そのワクが一ぱいになればあとからきた人はもうワクが一ぱいだからというので、どうしても断わる。そういう傾向にある。そうすると、早目にワクを取った方が勝ちだという形で、この方面からも早目々々に事業の拡張が起こってくる。こういう傾向を当然持つわけであります。それがどういうことかというと、所得倍増計画なり、池田九%の成長で、五年後にはここへいく、三カ年後にはここへいくんだ、この目標に沿っては経済界は動いてこない。この計画がこのカーブであれば、別のカーブを描いてくる、こういうことであります。当然現在の動きは、そういうカーブで動いている、そう理解せなくちゃならないカーブだ。それは設備投資が予想外に大きい、こういうことであります。  問題は従ってこれが故障なしにいけるかいけないか、そういう問題になるのでありますが、こういうふうに予想以上といいますか、一応の日本経済の望ましい線だと考えていた線以上の急カーブを描く、こういうことは、一つ所得倍増計画自体がそうでありますけれども、控え目に見がちである。従ってある点以上、それ以上に伸びた方が必ずしも行き過ぎじゃないのだ、こういう面もありましょう。しかしどう見ても、今申しましたように、経済人の大部分が所得倍増計画というものに確信を持ってくる。自信を持ってくれば、こういう動き方を当然するであろう、そういう見方が正しいといたしまして、事実またどうも最近における設備投資というものの急テンポというものは、そう説明しないと、少なくとも私には理解ができない。ということはテンポが早過ぎる、こういうことになるわけでありますが、つまり所得倍増計画がいけるかいけないかじゃない。どうも早く来過ぎて困る、こういう傾向ではないかと思うのであります。こういう傾向が、当然とがめが自由経済のもとではあるわけであります。社会主義経済のもとでもとがめは当然出るのでありますが、自由経済のもとでは、どういうとがめが出るかというと、従来であれば、当然これは物価騰貴というとがめが出るはずであります。しかし、現在の日本経済の体質は、数年前に比べて非常に強くなっております。物価騰貴という形でこのとがめが出るという公算はきわめて少ないと、私は大へん大胆でありますが、物価騰貴というものはほとんど起こらない、こう見ていいと思うのであります。というのは、過去において、二十八年、三十二年に同じような問題を起こしておりますが、このときはなぜ物価騰貴、インフレという形でとがめが出たかといえば、当時は、第一は為替管理を強化して、外貨が十分でありません。輸入は一定の量に限られておった。輸入の量を限っておったその上に、国内の生産設備はまだ非常に貧弱でありました、どちらかというと、国内の消費をまかなうに十分な設備を持っていなかった。そこへ消費が急激にふえてきます。当然物がなくなる、輸入は一定の限度がある。だから物が足りない、こういう形で物価騰貴は当然起こって参るわけであります。従って過去の例からいうと、物価騰貴が起こるのじゃないかという議論が一応ありますけれども、根本事情がまるっきり違っているのであります。それは第一は、輸入はほとんど自由なんです。現在若干の為替管理はありますけれども、実質的にはほとんど自由です。外国から幾らでも入れられる。  第二は、設備はここ数カ年非常にふえておりますから、設備が相当金裕を持っております。需要がふえれば操業をふやしていけば十分やっていける。もし足りなくなっても外国から物がどんどん入ってくる。こういう形態において、物価騰貴というものが現われるはずはないわけであります。現に経済力の強い国では、国内における景気が相当過熱して行き過ぎても、物価騰貴という形はあまり出していないのです。日本の過去のように物価が非常に暴騰する、いわゆる底の浅い経済、そういうのとはまるっきり違うのでありますが、大体日本経済において、物価をものさしにしてこれは正常であるとか正常でないとか、こういうものさしはもう役に立たなくなっておる、そういうふうに私は思う。それはちょうど今まで子供がひよわであった、弱い、少し運動をやるとすぐ熱を出した、過激なことをやると熱を出した、熱を出したかどうかということを、ものさしにして見れば大体いい。今度子供が非常に丈夫になった、少々行き過ぎたことをやっても、熱なんか出しやしない、熱で丈夫かどうかという判断はできなくなった。大へん卑近なことでありますけれども、それに似た変化が起こっておる、こういうふうに思うのです。ここで物価といいますのは、むろん卸売物価であります。小売り物価等には別の問題があるのでありますが、それはインフレになるかならないかという問題とは全く違った問題であります。こういうふうに私は割り切っていい、そういうふうに思っております。  物価という形でテンポがどうも早過ぎるというとがめが出ないとすれば、次に出るとがめは、どういう症状であるかというと、国際収支の面にそのとがめが出やしないかという問題であります。これも過去の日本経済の体質であれば、当然国際収支が相当赤字になるという形が出るのでありますが、現在経常収支は、私今後赤字にある程度になると思うのでありますが、この場合経常収支を中心にして問題を考えていいかどうかというと、現在の日本のように非常な建設段階にある、そういう時期においては、経常収支ばかりでなしに、外国から資本を入れて事業の拡張をやる、これは当然なことなのであります。少しも不健全ではない。従って現在の日本の段階においては、外資の流入、輸入というものを入れた総合収支で見るべきだ、こういうことになると思うのであります。総合収支を入れて考えるということになると、国際収支の面から破綻がくる、経済に破綻がくるということは大体考えられないと思うのであります。これを裏返して申し上げますと、たとえば財政赤字で国際収支が赤字になったとか、あるいは国民の生活水準がその国の経済能力以上に出て赤字になっておるとか、こういう赤字であればこれは大へんです。こういう赤字であれば、非常な警戒を要すると思いますけれども、そうではなしに事業の新設、拡張、近代化のために赤字になって、そこから外資が入ってきておるんだ、こういうことであれば心配要らない。それも手持ち外貨が非常に貧弱で、日常の国際経済の運営を脅かすということになれば、いかに心配に及ばない性格の赤字でも、これは故障を起こしてきますけれども、現在のように二十億ドル近くの外貨を持っておって、そこから数億ドルなくなったところが大したことはない。こういう段階においては、そういう形で破綻もこないし、また政策としてもそういう形で問題を取り上げるべきでない、そういうふうに思うのであります。そこで、では何らの故障が起こらないかといえば、今どんどん設備が拡張されております。それがいよいよ完成して生産がいよいよできてくる、ところが需要の方はこのカーブでふえるという政策がとれる、これが考えられるわけです。生産がこのカーブでふえたとなったら、一時需給関係にアンバランスが起こる、そういう形で問題がくる公算が一番大きい、そういうふうに思うのであります。要するに昨年の下期からことしにかけてのこのカーブは正常のカーブでない。今言ったようなこのカーブは早晩こういうカーブになるかこういうカーブになる、ことによると、こういうカーブになるかもしれない、こういうカーブになってこういくかもしれない、そういう性格を多分に持っている、こういうことであります。  そこで問題は二つあると思うのです。皆さんの国会でお考えになり、われわれが考えるという場合にも、この設備が一時過剰である、これをどう理解してどういう手を打つかという問題だと思うのであります。これを高度成長日本経済をできるだけ早く高く成長さすというアングル、その角度から見ますと、こういうことが言えるわけであります。第一は、それはそこまでいかなくても、従来の日本の設備というのは一〇〇%以上操業しているわけです。居残りまでしてやっておる。これは正常じゃないんだ、まあ正常の経済であれば八〇%の操業で十分ペイできる。ペイ・ラインは八〇%の操業でやっていける、そういう経済基盤でなくちゃいけない。そこへ持っていくというためには、今までより二〇%ばかり余ってもまだいいじゃないか、こういう観点が一つ出ます。第二は物が余るということによって、本気になった輸出ドライブをやるであろう。生産過剰なんですから突破するために輸出販路の拡大あるいは国内販路の開拓、国内販路を開拓するなら安くしなくちゃならないという面もあります。新たなものを作るという面もあります。そういうことをやるであろう。同時に合理化に全力をあげるであろう。そうすると、一時そういう景気の反動といってもいいものはいろいろありますから、大きな反動が起こるとは思いませんが、そういう生産過剰という形を一応与えて、そこで今言ったような努力をさす方がさらに大きく伸びるじゃないかと、そういう見方が一つ出るわけです。この見方も一つだと思う。しかしそういう場合には景気に相当の変動があっていいと、こういう見方に立つわけでありますが、他方景気の変動をできるだけなくする、それを少なくする、そういう政策をとる必要があるんだ、こういうことであると、この行き過ぎをできるだけ行き過ぎないように民間に働きかける、あるいは政府としてやられる範囲においてはそういうことをやる、そういう問題が起こってくるわけであります。どちらをとるか、こういうことが従ってそういう場合の、どちらをとったらいいかという対策を決定する基準になると思うのであります。  今申しましたように、この場合におきましては、外資が入っておるということは、今までにもう一つなかったところであります。二十八年のときも三十二年のときもむしろ世界は日本経済に対して非常な危惧の念を持っておりました。今まで入れていたものまでも引き上げてていく、三十二年のときは。今度は日本経済成長力に対して信任をしておる。これはどんどん外資が入っておる。これがいま一つ二十八年、三十二年と今と違うわけであります。これは今私は、この外資をできるだけ使っていいという立場で、そういうふうに考えるのでありますけれども、これにも問題があれば、それだけやっていいかという問題も起こりますが、同時にそれがあるために、従来であれば当然ここで金融の逼迫その他という形が出るはずのやつができておりません。将来もそう締めねばならないという問題にはならないと思うのであります。つまり、金融を締めてどうという形よりも、さっき申しましたように、どういう理由によって設備拡充を急いでおるか、その理由にメスを入れ、そこに問題の解決をしない限り、金融の面から締めようとしても、私は効果は上がらないと思っております。  同時に、それに関連して私もう一つ起こっております問題は、アメリカなり世界の景気が悪いじゃないか、それで日本所得倍増計画等がはたして実行できるかできないかという、そういう角度からの問題がときどき提起されておるようでありますけれども、この日本の現在の景気は数年前とは非常に違う。外国の景気と日本の景気との関連は数年前とは非常に違っております。それは、外国の景気が悪いということは、日本経済にそれだけマイナスであることは同じであります。しかし、それが日本経済の景気の上にどういう影響を及ぼすかということになると、それは日本経済の体力との関係において問題が出てくる。卑近な例で言いますれば、同じ程度のかぜを引きましても、からだが弱っているときは一週間も二週間も寝込んでしまう。あるいは、肺炎になるかもしれない。からだが丈夫であれば、それくらいのかぜは同じかぜでもトンプク一服飲んで眠れば、朝なおっている、そういうことがありますから、日本経済は、今、日本の景気を支配している比重は、国内の要因の方が非常に強くなってきている。数年前のように国内市場が非常に小さくて、外国市場の影響、外国の嫌気の影響が非常に強かった時代とは非常に違っておるのであります。従って、ここで、昨年からアメリカが景気が悪いのですけれども、しかし、アメリカの景気と独立して日本の景気はよくなっておる。そういうことは、今度よくなったからといって、来年以降さらに非常によくなるということにはならないことになる。これは日本ばかりではない。欧州の経済も、弱いときは、アメリカの経済がくしゃみをすれば欧州の経済はかぜを引くといわれたのですけれども、今はアメリカの景気とは独立して、欧州自体は欧州自体の景気を出しておる。アメリカの景気が悪くても欧州自体の景気はいい。それに似た関係に日本もあると思います。そういうふうに、むろん世界の景気がいいに越したことはありませんが、これは所得倍増計画を進めるのに大きな障害になる、その点が非常に大きく取り上げられておるということは、私はそこに問題はない、こういうふうに思うのであります。問題は、実は私どももげすのあと知恵でありまして、初めからそういうことがわかっていれば大へん先見の明があるわけでありますけれども、所得倍増が進行するには当然フリクションが伴う。現状のままでこれがぱっと大きくなるわけじゃない。大きくなるには、産業構造構造的変化がなければ、日本経済は大きくならない。そこで相当の過渡期のフリクションが伴う。いわんやそのテンポが予想以上に高いということになれば、このフリクションは一応さらに大きく現われてくる。そのフリクションに対応してどういう措置をとるか、そういう面が所得倍増計画ではほとんど出ておりません。私どももうかつにしてその問題を取り上げていない。しかし、そのフリクションと所得倍増計画、フリクションがあるから所得倍増計画がだめだというのは、これは議論の飛躍であります。どんないいことでも、それが今までのことを変えていけば、過渡的にフリクションが起こってくるわけであります。それは過渡的なフリクションであって、その過渡的なフリクションをどういうふうにするかということが大切なことなんで、それは過渡的な手段であって、計画自体がいいものであれば、それとは関係がないのだと、そういうことではないかと思うのです。そういう意味において、過渡的なフリクションと政策自体とは別に考えて対策をとる必要がある、こういうふうに思います。むろん、そう申しましても、所得倍増汁日が百パーセント正しいのだと、そういうふうな意味合いじゃ全くありません。それ自身にも間違いもありましょうし、解決すべきものもありましょうが、根本は、過渡的なフリクションと、根本的に変えなければならぬ問題と、これをごっちゃにしないで国会において審議していただきたい、いい方向に持っていっていただきたい、そういうふうに思う次第であります。  私の申し上げたいのはそれだけなんでありますが、実はいま一つ最後に、私もずいぶん年を取りましたので、申し上げます。私のためでなしに申し上げたいと思いますことは、実はここに公述人の交渉を受けましたときに、私、一応お断わり申した。第一は、一体ここへ来て、ずいぶん手間をかけて来て、一体どれだけの効果があるのか。マンネリズムになって、自分の犠牲を払って行くに値するかどうか、僕は疑問なんだ。その上に、今いただいたのですけれども、ここへ来ていただいたものが千三百円なんです。こんな待遇の仕方で、ほんとうに時間をかけて調べてこれるかということなんです。これは大事なことであれば一応やります。われわれも国のためだと思います。しかし、皆さんも、国会議員も国のためにやっていながら、やはり相当の年俸がほしいし、なにが要るわけなんです。これは業者が自分のことを陳情するような意味においてここでやったら、むろん何でもありません。しかし一番大事なことを皆さんがやられるのは、中立の、業者でない人の意見を尊重して聞かれることだ。その人には相当の報酬を払って、そうして十分準備したものを聞いていただくような慣例にしたい。そうすると皆さんも聞きがいがあると思う。千三百円ではこれは何もならない。(笑声、拍手)
  33. 館哲二

    委員長館哲二君) ただいまの高橋公述人に対して質疑のおありの方は、順次御発言を願います。
  34. 羽生三七

    羽生三七君 一点だけお伺いいたしたいと思いますが、ただいまの御意見総合して、所得倍増計画は達成できるかできないかではなしに、むしろそのテンポが早過ぎることが、問題であるという趨勢にある。その結果、私は生産過剰、設備過剰、そういう趨勢、基調にあるというふうに理解いたしましたが、その場合に、三十二年秋のようなことを再現せしめないためには、金融引き締め等というような措置でなしに、逆に国内有効需要を高めるために、減税、社会保障の充実あるいはその他、低所得層の所得増加のための諸施策を今日、今から、つまりそういう条件が起こったときにやるのでなしに、今日、今からそういう条件を整えるならば、三十二年秋のようなことを二度繰り返すことはないのではないか。もちろん、政府としてはいろいろ財源、その他諸般の事情に籍国されるでしょうが、そのことはとにかく、方向としてはそれが正しいのではないかと理解をいたしますが、いかがでありましょうか。
  35. 高橋亀吉

    公述人(高橋亀吉君) 私は、今の御質問とは結論において逆なんです。つまり三十二年のようなことは起こらないと考えております。三十二年はどうして起こったかといいますと、国際収支が赤字になりました。その赤字になったのも、政府が、国際収支が危ない、危ないといいますから、非常な輸入思惑をやった。そこで非常に金融を締めたわけです。金詰まりから、みんな手持ち商品を投げざるを得なくなって、そういう形で、表面的には生産過剰、つまり供給過剰という形をとったわけであります。今度の場合は、国際収支の面から金融を急激に締めなければならない、その面から経済活動が非常な圧迫を受けて、在庫、手持ちをうんと減らすとかその他から、供給過剰が起こるということは考えられない。そういう形にはならないであろう、こういうふうに思っております。従って、むしろ現状においては、今言った程度でありますから、現在の時点におきましては、需要の方が多くなる傾向すらある、こういうふうに見ております。問題は来年度以降です。来年度以降になると、私は、もしこれだけの設備が今の通りできたとすれば、当然考え方を変えなくてはならないと思う。というのは、公共事業、その他政府の方の、国全体から見て施設のおくれている方面には、相当公債政策等をとって、できるだけその面を、生産過剰の圧迫をできるだけ緩和する、そういう措置が要るようになるのではないか。現状においてその必要があるというのとは、私は逆になると思うのです。これは一般論です。その面からですよ。ほかの理由から、所得をふやす必要があるかどうか。これは一応ここで私議論いたしませんが、さっきから問題になっているような社会保障、そのいろいろな面、それは違うアングルからの問題であって、需給関係の調節の面からは、その面はない、こういうふうに思うのであります。
  36. 羽生三七

    羽生三七君 三十二年秋の趨勢は、私自身も、あれは在庫投資から起こっただろうということは理解いたしております。その結果、この例の赤字が非常に急速な速度で黒字基調に転じたことも、そこに理由があると思います。それはそれでよろしいのですが、問題は、今のような設備投資のテンポにおいて過剰生産になった場合に、私の今言う有効需要をふやすというのは、個人消費支出が、先ほど筒橋先生もおっしゃったように、国際的な影響力よりもむしろ国内の方の力が強くなっておるという場合に、私は個人消費支出がむしろ足りなくなるのではないか、個人消費が。そういう意味でイデオロギッシュに社会保障をふやすべきであるとか、ないとかという議論でなしに、私は、本年は約数千億のこれは引き揚げ超になると思うのですから、税制の面からいっても、そういう意味からいっても、なおかつ国内有効需要若干高めることによって、むしろ私は均衡がとれるのではないか、こういうことを申し上げておるのですが、いかがですか。
  37. 高橋亀吉

    公述人(高橋亀吉君) 結果としては同じ意見であります。というのは、私どもも、ことしは国民消費は、政府が予想しておるよりも相当ふえると思います。国民消費は、政府が予想しておる数字よりは相当ふえるであろうと思う。政府の予想しておる数字よりは現状で相当ふえるか、足りないかという点に問題があるわけですけれども、実際には予想しておるより相当ふえる。自然的に今の勢いでは相当ふえてくるはずだ。政府の予想は、その面においては過小評価ではないか、そういうふうに思っておるのでありますから、結論としては同じになるのですけれども、現状の認識が、私どもは現在の勢いでは相当ふえてくると、こう見ているのと、現在の勢いではまだ足りないから、もう少しふやす必要があるのではないかという点になると、幾らかニュアンスが違ってくるわけですけれども、少なくとも政府の予想しておる国民消費よりは相当ふえる、こういうふうに思うのであります。
  38. 木村禧八郎

    木村禧八郎君 はなはだ少ない謝礼で貴重な有益な御意見をお聞かせいただいて申しわけないのでありますが、高橋先生の言われておる今の点については、よほど考えなければならぬと思いますが、二点ばかりお伺いしたいのです。  その一つは、私は所得倍増計画自体の中に過剰生産を含む内在的な一つの矛盾があるのじゃないかということを絶えず考えておるのですが、この点一つ倍増計画にも実際に御関係になった先年からまず伺いたいのですが、と申しますのは、先生の言われますように、この倍増計画は設備投資中心として、それで民間の産業投資、しかもそれは自由企業の原則、完全な自由経済ではございませんから、高橋先生の言われる通りですが、自由企業原則でやる。そういう場合に、先ほど非常に先生が明確に——私たちは少しほんやりばく然と理解しておりましたが、非常にはっきり先生が、自由企業原則でやる場合に、どうしても十年間に達成しようとする目標がもっと早まってしまう。特に鉄鋼なんか非常にはっきり出ていますね。四十五年のを四十年くらいにも達成するような四千七百万トン計画が出ております。そうしますと、どうしてもこの計画より早くなる。それに対して、今度は国民消費の有効需要の方がマッチするかどうかといいますと、この前の予算委員会経済企画庁に聞いたのでありますが、かりに一〇%の成長率を達成する場合の有効需要はどのくらい必要か、大体一〇%くらい必要だ。それには賃金の方はどのくらい引き上げるべきかというと、賃金もやっぱり一〇%くらい上げなきゃならぬと思うのです。ところが実際には賃金がこれまで非常におくれているわけですね。毎年五%くらいの引き上げ率になっております。で、今後の計画では、三十六年度では七%を見込んでいるというわけですね、政府は、そうすると、そこにもうおくれがあるわけなんですね。どうもそこにね、生産力と有効需要とのおくれがあると、それはわかる。現在それが過剰生産にならないのは、設備投資をどんどんやっているために、設備の有効需要が出ているわけですね。そこで私は、設備投資をどんどんやっている間はそれで矛盾は出てこないでしょうが、もし設備投資が、まあ近代化が一応終わったというような場合にですね、そこで個人消費なり、あるいは在庫投資なり、あるいは輸出なりがふえないというような場合には、そこに非常な過剰生産現象がくるのじゃないかと、そういう内在的な矛盾を一つ持っているのじゃないかという点なんですね。それは一番基本は自由企業原則にあると、だから自由企業原則で、はたして十年間この倍増計画が、そういうひどい景気変動を起こさないで順調にいけるかどうかということを一つ質問に思っているわけなんです。  それから第二の問題は、来年度の問題なんですが、どうも三十七年度には——まあしろうとの私は計算でございますが、大体一兆円ぐらいのどうも有効需要の不足が出てくるように計算したわけです。そのときに経済企画庁の、いわゆる産出係数ですね、生産能力を計算する場合に、産出係数を私は〇・七と見たわけです。それから更新投資ですね、リプレースメントを一五%と見たわけです。ところが、企画庁の方では、更新投資一五%というのを、そこはそういうような見方をしているのじゃないと、有効需要との積み上げ方式で計算しているのですね。生産能力との関連で計画が立っているのじゃないと、こう言うのです。で、先生に、この問拠点は、リプレースメントを大体一五%くらいに見ていいのかどうか、それが非常識かどうか、大体適正だと思うのですが、まあその程度でどうか。それから産出係数大体〇・七と、これは非常に内輪に見たつもりでございますが、それが適正かどうかですね。そういう点です。  で、最後に、過剰生産になった場合の対策について先生御指摘でございましたが、二つ指摘されたわけです。景気変動を前提とした場合と、景気変動を起こさないようにする場合ですね。景気変動を前提とした場合、多少の景気変動はいいという場合、稼働率ですな、稼働率で調整するということ、それから輸出ドライブですな、輸出ドライブをかけるということ、それからもう一つは、私はこれからの産業分散計画による投資は不妊化の期間が非常に長いと思うのですね。ですから、そういう点はあると思うのですが、しかし、なるべく景気変動を起こさないようにするためには、設備投資を調整する、あるいは消費をふやすと、こういう方法で、暑気変動はあまり起こさないように過剰生産の問題を調整する必要がある。こういうふうに先生言われたんです。その場合、実際問題として先年としてはどちらをおとりになった方がいいとお考えか。多少の景気変動はあっても、稼働率で調整するか、輸出ドライブ、そういう形か、あるいは分散投資ですね。最近のこの産業立地ですか、地方開発とか、そういうような投資不妊化の期間を長くするということ、そういう形でやった力がいいのか、あるいはある程度設備投資を調整し、それと同町に有効需要を、先ほど羽生さんが言われたように、特に個人消費です。間接税の減税とか社会保障の引き上げとか、そういう形で調整し方がいいのか、この点お伺いしたい。
  39. 高橋亀吉

    公述人(高橋亀吉君) 第一点の今たのやり方でやれば、生産過剰の傾向を必然に持っておるのじゃないか、こういうことであります、自由経済のもとでは。私は、そういう傾向があるということが、当然の景気の変動があるということを前提としなくてはいけない、こういうふうに思っておるのです。  従って所得倍増計画の答申にあたりまして、一部では景気の後退を防遏する措置が要るという議論も出たんですけれども、答中にあたりましては、これは当然景気の変動があるはずなんだ。うっかりその文句だと、景気の変動をなくせるというふうにとられる危険もあるのだから、むしろ景気の変動の幅をできるだけ小っさくするという言葉にかえるべきじゃないかというので、そういう言葉になっています。これは偶然に出ているのです。たとえば「日本経済」から出ておりました所得倍増計画、あの方では原案が出ています。それから企画庁が出したやつでは訂正されたものが出ておる。比較してごらんになると、そのニュアンスがわかります。つまり資本主義経済では、現在は非常な景気調整の機構があり、手段が発達しましたけれども、なくすることはできないと言われる中心は、そこにあるんじゃないか、そういうふうに思うのであります。  ただ、現在の傾向というものが、このなりに見ていいか。つまり設備投資の勢いというものを、こういうふうに見ていいかというと、私は若干今の計画に現れわれている数字なり、その他の勢いというものには擬装があると思うのです。というのは、さっき申しましたように行政指導がありますので、一応自分のところにフェアーをとっておかねばならない。そうすると陽動的には、相当やるんだという形でないと問題にならない。ある程度、拡張でなければならない。だから計画だけは非常に大きな計画を作る。しかし自由経済である限り、そんなばかなことをやるはずはないのです。それでおそらく来年度ぐらいの情勢を、今の計画は、今までの計画なんです。この計画ができ上がって、それでいよいよ本式に次の計画に入るというのは、当然慎重になると思います。慎重になるはずなんです。それがないのだったら、自由経済めちゃめちゃになるはずだ。ただ、今言ったように中途半端な統制が、つまり行政指導があるということが波を大きくしている。これが自由であればやりませんよ、みんな。今どんどんやっているところがへたばったときに、おれは出ていこうというのがあるに違いない。今そんなことをやるよりも、みんなやっているやつは必らず失敗するのだから、おれはあとでゆっくり出ていこう、こういうのが出るはずですよ。それをやったんでは今の行政指導のもとで、自分が出ようというときには、もうワクがないのです。そういう面がありますので、鉄なんかに現われている十年計画が五年にはできるというような一画が、これが、そのなり実行に現われるとは私は考えない。それほどばかではないと思うし、また自由経済の調整は、その形においては一応できるだろうと思います。しかし景気の波動は、当然防ぎ得ないのではないか。できるだけそれを小っさくする、その努力は依然としてやらねばいけない。従って予防的にも、できるだけ小っさくする。予防する。でき上がったときには、これはできるだけ小っさくする事後対策が要る。事前対策、事後対策は、十分とらなければならない。けれども、それにもかかわらず景気の変動というのは起こるんじゃないか。  そこで最後の問題——次に飛ばしますけれども、順序上。つまり景気の変動というものを認めるか、できるだけそれをなくするという立場で政策をとるか。変動を認めて、より高い、より早い成長という観点から考えるか、どちらをとるかという御質問でありますが、私は両方を考えるほかはないと思う、実際問題としては。現実を基礎にして考えるからには、両方を考える。一方のいい面も利用する。というのは、今設備投資をやっておりますものは、当然に従来と違いますことは、従来生産設備ができたら百パーセント運用できるという建前でやっておる。これができないものですから、金融にそごを起こして非常な混乱を起こすのですけれども、今大きな大部分の拡張というものは、一、二年は余るということは覚悟でやっておる、大きな設備を。ですから、それにたえ得る力を持っておる設備、つまり生産ができても、それが現実に生産過刺の圧迫という形にならずに、操業率の低下と、こういう形で調整がとれる公算が従前に比べて非常に大きくなったということです。そこに独禁法その他の問題にも関連してくるのですけれども、これは当然そういう形が法に触れない形で起こるはずだと、そういうふうに思うのであります。従って、生産設備ができ上がれば、三十二年や二十八年、九年のような非常な現実には生産過剰の圧迫という形になって現われるかというと、操業率の低下という形で調整のできる範囲が非常に多くなる。ちょうどこの前の景気の悪いときにはアメリカがそうでした。ほかの国も大部分、日本のようにあんなばかな生産過剰で物価暴落をした国はなかった。それは向こうは生産操業率を調整するという形でそれにたえていった。こういう形になるのじゃないかと思います。日本の場合は、さっき申しましたように、まだまだ長い目で見れば伸びるのだという場合に、ある点までの操業率の余裕を持っておる。そういうことは一面から言うと望ましいことでもあるわけです。鉄やなんかは相当持っていなければ、すわ足りないからといって着手したのではおそい。そういう面もある。そういうふうに、その辺は見てもいいのじゃないかと思うのです。  それから個人消費をふやしていくということ。これは所得倍増計画において日本所得が十年以内に倍になり得る、そういうことは、当然それだけの高い賃金を支払い得るような近代産業がうんと発達するということですが、その大部分は、個人消費がふえるということを予想しておる。ふやさねばならない。この点についても、数年前の日本経済と現在とでは体質がまるきり違ってきたのです。数年前においては、勤倹節約を言っておった。この段階においては消費がふえると、輸入誘発率が高かった。そういうものをうんと使ったときも、御承知のように六割前後の輸入原料、これがだんだん自給力がふえてきた。国内で生産されたものが使える。その上に加工度の高いものを使う。こういう形になると、従前であれば半分は輸入しておったとすると、  一兆億国民消費がふえましても、国内の経済を潤し、国民全体の所得を潤したのは五千億なんです。一兆億ふえても。あとの五千億は、外国の収入を潤し、景気をよくした。これが九割は国内で使われる、そういう形になれば、同じく一兆億でも、国内を潤すものは九千億になる、外国には一千億しか出ない。そうなると、国内消費の意義が全く違ってくる。つまりそれだけやっても、輸入誘発率は少ない上に、そういう加工度の高いものを今度は使い出す。そうなると、それが高度に産業を発達させる基礎になってくる。マス・プロのいろいろ高度のものができてくるし、全体の産業の発達になる。  そういう意味において国民消費をふやすということは、数年前考えられていたような、いわゆる勤倹節約的な思想を必要とした経済じゃ全くなくなったのです。そういう意味において、僕らは、どんどん国民消費をふやすべきだという意向なんです。ただバランスを破らないということだけは必要なんです。それでなければ、所得倍増計画は達成できない。そういう意味で国民消費をふやすということには、全くその努力をすべきだ。ただテンポとバランスの問題だけが残る、そういうふうに思っておるのです。  要するに問題が起こるのは、そういう破乱が起こるのに対しては、操業短縮という形で調整能力があるかどうか。ということは、国際収支の面から大きな破たんが来ないか、来なければ、それでいいけれども、そこへ来れば、金融を相当締めてこなければいけない。その圧迫から破乱が大きくなる、こういうことになるのじゃないでしょうか。  私は、皆さんがいろいろ政策をお考えになる基礎になる問題の考え方を申しているだけで、どういう政策がいいということは、実はきょうは触れないつもりで参ったのであります。  もう一つ言わなくちゃいけないのですが、〇・七とか、一五%とか、これは、僕には権威を持って申し上げるだけのなにがありません。その辺は私も、ああいう近代的な方は、人に追っついていっているので勉強に一生懸命な方で、権威を持って申し上げるほどのものを持っておりません。
  40. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 高橋さんに一点お伺いしたい。  所得倍増計画のスタートといいますか、基準のとり方について、一番初め御指摘があったのですが、私も非常に重要なことだと思う。それに関連するわけですけれども、従来の——従来といいますか、池田内閣以前の所得倍増の考え方は、終始十カ年ということを言ってきた。高橋先生も非常に御苦労されまして、御説明いただいておる所得倍増計画は、一応十年という、ある終局の目標を基準として持っているわけです。もちろん自由主義の経済ですから、各年別に、計画通り日本経済が進むとは思いませんけれども、十年で所得倍増になるということが繰り返し言われて、そういう考え方で来たわけです。それに関連して、この数年間の日本経済成長の見方が、一般的に、また政府においても、結果においては常に過小ということになっておる。過小ということは、高橋先生お話のように、政府財政金融政策が、ある程度日本経済成長をチェックしてきたわけです。チェックがあったにかかわらず、ともかく伸びてきた。  ところで今度、今の内閣考え方は、十カ年の目標ではなくて、むしろ十カ年以内ということに私は大きく変わったと思うのであります。その変わり方は、相当私は重要だと思うのであります。先ほど御指摘のように、三カ年九%につきましても、これは基準のとり方にもよりますけれども、一年半なり二カ年で、その目的を達することはあり得るわけです。十カ年以内ということは、これはできれば、早ければ早いほどいいのだということにもなるわけであります。反面、先ほどお話のように、日本経済の実態からいえば、理想もありましょうけれども、ピッチを上げるという空気を非常に醸成——といいますか——しておると思うのであります。もちろんその反面、景気変動というものは、不可分の問題としてつきまとってくる。しかし大体十年でいくのだという考え方と、早ければ早いほどいいのだという考え方では非常に違うというように私は思うのであります。  私のお伺いしたい点は、日本経済の実態から見て、あるいは世界経済の中の一つ日本のあり方等から見まして、早ければ早いほどいいのだという考え方が適当なのか、ともかく十年でいくのだというところにその重点を置くといいますか、そこに一つ——これは将来の基準ですけれども、それを持ってかかった方がいいのか、その判断が、実は私にはできないのであります。一つ商橋先生のお考えを承りたいと思います。
  41. 高橋亀吉

    公述人(高橋亀吉君) 企画庁でやりました所得倍増計画十カ年というのは、およそ十カ年という意味合いなので、正確な意味において十カ年という意味合いでは全くないのです。というのは、当初は、九年と十一年くらいの幅のあるものを作る必要があるのではないかという議論も出ていたくらいであります。しかしできれば、できるだけ早く目標に達するということは、むろん一番いいことだと思う。それで問題はない、ただ、できるだけ早く達するという内容が問題になるわけです。というのは、早く達成しようとするのには、まず第一には、全体が調和がとれて、十カ年で予想しているやつが六カ年でできるということなら、これは問題はないのですけれども、ある点以上急ピッチになると、全体の調和が非常に破れてくる。それから非常にフリクションが大きくなる。たとえば、所得倍増計画所得が倍増されるという産業構造が急ピッチにできますと、相当斜陽産業ができるわけです。この打撃を十年で解決するのと、六年でやろうというのとでは、かなり問題が出るわけです。農村問題の解決も、その一つでしょう。その他たとえば中小企業にしても、設備の近代化ができて、賃金、給料を相当高く引き上げるというのだったら、やっていけるのですけれども、まだ設備も何もできないうちに、非常に賃金、給料のレベルがぐんぐん上がったというのじゃ、これはとてもやっていけないから、余裕があれば、生きて発展ができるものを、中途で倒れざるを得ない、そういうようなものも出て参るでありましょう。そういう意味において、そういうことのないような形において、少なくともそういうフリクションというものを最小限度にして、それからそれに対する対策、フリクションを何とかして緩和し克服する政策、これと並んで全体がいける、そういう形においては、できるだけ急ピッチでやった方がいい、こういうことではないかと思うのであります。  ただ、違う方から言うと、それだけの発展に対して、そんな発展をしたところが、やった事業がうまくいくかいかないかという問題が起きてきます。そういう不安を持つ方からいえば、そんな急ピッチでやるべきでないという……、いま一つは、どんどん今機械設備等が非常な勢いで改善されております。だから、もう少したてば、はるかにいい設備ができるやつを今やっちゃったら、あとになって、かえって日本の方がおくれたと、そういう問題が起こりはしないか、そういう面も問題にはなりますけれども、そういうことを考慮しながら、できるだけ早くということには問題はありませんけれども、できるだけ早いのが、山を起こして、大きな景気の変動を起こすということであると問題になるでしょうね。大きな変動、それから多少の景気の変動というのはこれはまあ仕方がないけれども、ある点まで、あまり急ピッチに行っちまうと変動が大きくなる、その危険があるような急ピッチでは、これは困る、こういうことになるのじゃないでしょうか。  考え方としては、できるだけ早く、それを達成されるということは望ましいが、以上、申しましたようなことが、起こらないような範囲において、できるだけ急ピッチ、こういうことのように思うのであります。
  42. 梶原茂嘉

    ○梶原茂嘉君 その点は、その通りだと思うのです。ただ、経済審議会等で、いろいろ各角度から検討されて、大体十年ということは、何も十年にとらわれるわけじゃありませんが、今の農業の関係、あるいは中小企業の関係、いろいろの点から考えましても、やはりある程度の調和というものをとりながら、所得倍増をやっていくとすれば、急ピッチでいく考え方を取り入れても、日本経済の実態から言えば、まず十年ぐらいを必要とするのでなかろうかというのが、私考え方の基礎にあったのではなかろうかと、実はこれは、想像するのであります。  ところが、それが一応はずれて、できるだけ早く、早ければ早いほどいいのだというような空気になっていくと見ますと、その波が非常に大きくなりまして、まごまごすると、その跡始末をして、所得倍増がかえって十年先に延びるというようなことがないわけではない。御承知のように、格差の問題もいろいろ論議されておるのであります。ピッチが早いというと、地域格差にいたしましても、いろいろの面で、格差あたりの調整というものは、なかなかこれは容易なことでは実はないと思うのです。従って、早ければ早いほどがいいのだという考え方には、これは見方にもよりましょうけれども、若干危険性がありはしないかという感じを少し私持ったものですから、お伺いしたわけであります。  大体、お尋ねすることはこれだけです。
  43. 館哲二

    委員長館哲二君) 他に御発言もなければ、高橋公述人に対する質疑は終了したものと認めます。  高橋公述人には、大へん御多用のところをおいでいただいて、貴重な御意見を拝聴させていただきましてありがとうございました。(拍手)  明日は、午前十時より公聴会を開会いたします。本日は、これにて散会いたします。    午後三時二十四分散会