○
公述人(高橋亀吉君) 私は
所得倍増計画と一般の
経済の動向に関連して
公述をするようにということでございまして、そのつもりで参りました。
まず、
所得倍増という
考え方、これが
経済に、あるいは金融に、国際収支にどういう
影響を及ぼしてくるかという点になりますと、一番大事なポイントがぼんやりしているように思うのであります。それはぼんやりしておるというのは、国会の
審議やマスコミに現われておる面等から申すわけなのであります。それは一体
所得倍増、池田
内閣の九%三カ年というのは前年度の実績に対して三%
増加というのか、あるいは一定の基準でいっておるのか、その点のいかんによって
見通しも
影響も非常に違うのでありますが、しかし、たとえば財界から出ておる
意見として、ドル防衛等で事情は非常に違ったから、池田
内閣九%
成長の公約にとらわれることなく、新事態に適応した政策をとれ、こういう
意見が出ております。これは池田
内閣の九%
成長はとうていできないのじゃないか、無理せずにやれと、こういう
意見なのでありますが、この
意見は明らかに実績に対して九%、こういう
考え方だと思うのであります。ところが、
所得倍増計画の閣議の承認した文書によりますと、明らかに基準を示しておる。それはその面だけをいいますと、三十五年度十三兆六千億から年平均九%の
経済成長を達成し、
昭和三十八年度に十七兆六千億の
実現を期する、これがこのように三十八年度には十七兆六千億、それの達成を期するというふうに明らかに
数字が出ているわけです。そうすると、今三十五年度のGNPは、昨年末企画庁は十四兆二千億といっておりますが、しかし、その後税の方も
自然増収がさらに多くなっておるということからいたしましても、当然これはふえるわけであります。現在のところ十五兆になる公算が大きいと思うのであります。これに対して九%三十六年度にふえ、さらに三十七年度にその実績に九%ふえる、計算してみますと、三十七年度に十七兆八千億になる、三十八年度に達成しようとする
数字が今のテンポでいけば三十七年度にでき上がってしまう。こういうことなのでありまして、九%の
成長ができるかできないかという問題ではなしに、行き過ぎはしないかという問題として把握し研究すべき問題ではないか、私はそういうふうに思うのであります。不思議にこの基準の問題が新聞等にも当時出ておりません。私自身
所得倍増計画には関係がありましたので、一体
政府はどういう基準でいっているのかというのが重大問題だといって気をつけていたんですけれども、当時新聞には出ていない、あとになってこの
所得倍増計画の
政府の閣議決定のときに、
国民所得倍増計画の構想という、これだけの文書を加えております。これの中にはっきり出ておるということを発見したのであります。マスコミにはほとんど出ていない、
経済界も今言ったような、財界の大御所連中が言っていることが今言ったようなやり方をやっておる、国会の
審議もその辺がきわめてぼんやりしているのではないか、そういうふうに思うのであります。ところで
所得倍増計画なり、九%三カ年
成長なりというものは、これがどうなっていくかということ、現にどう進行しているか、今後どういうふうに進行するか、この問題は、
所得倍増計画におきましては明らかにこれのおもなるにない手は民間
経済だ、自由
経済のもとで経営する民間
経済がやることなので、
政府はせいぜい女房役
程度だと、一応の目標をささえる、それは
政府がささえるほかはない、この目標に従ってどういうふうに動いていくかということは自由
経済のもとでありますから、民間の事業家がどう動くかということにもっぱらかかる問題である。こういう点をわれわれは強く主張してきていたのであります。しかしまた、それに
政府がいろいろな下手な統制を加えない方がいいという
考え方であったのであります。大体そういうような方針になっておるのでありますし、実際にはそういうふうに
動きつつあると思うのであります。ただ、
所得が倍増するのには
政府としてやるべき仕事、
政府でなければできない仕事、
政府が担当すべき任務、分野がたくさんあり、この方面だけは計画的にやるべきだ、こういう意味合いであります。しかしながら、
所得倍増計画のもとで、
日本の
経済がどういうふうに動いていくかという、おそらく大部分の主導権をとっておるのは民間
経済人の行動であるわけであります。そこで、こういう計画のもとで
経済がどういうふうに動いていくか、従ってその実際の
経済の
動き方に即して、国会なり
政府なりはどういう対策をとるか、こういうことが実際次の問題になるのです。つまり、計画
通りにいくかいかないかということは民間の
経済の、自由
経済のもとでありますから、これは統制しておるわけではないし、強制しておるわけではないのでありますから、それが当然動いて参る。これをとらえてどういう政策をとるか、これが問題になるのだと思うのであります。
政府の計画を対象にして議論すべきではなしに、それもあります、そういう方面からの議論の角度もあるでありましょうけれども、しかし、ここで、そのもとで実際の
経済がどう動いていくかということが論議される限り、今言ったような角度から見るべきだと思うのであります。そこで、それを
考えるということは第一は、
所得倍増計画なり池田
内閣の九%三カ年
成長、こういうことを民間の
経済はどう受け取ったかということが第一の問題、その受け取った受け取り方によって次の行動が起こる、民間の行動が起こってくる。どういうふうにこれを受け取ったかということが、従って大きな問題の点になるのであります。いろいろの角度から受け取り方はありますが、ここで一番大事な点は、
日本の
経済の高度の
成長を
相当長期にわたって続け得る、そういう自信を持ったということだと思うのです。自信を持った……。それ以前におきましては、
政府全体の、
日本全体の多くの
考え方は六・五%の
経済成長は一応正常だ、実際それ以上に伸びると行き過ぎだ、こう診断して常にブレーキをかけてきておる
財政金融政策の面からブレーキをかけてきておる。民間の
経済は実際にめいめいの事業の皮膚を通じて計画以上に実際の
経済が伸びておることを知っております。実際に計画以上の、六・五%以上の活動をいたしましたけれども、この場合といえどもそれを一時的だと見た、長く続かないのじゃないか、そこで前途に対して十分の確信を持っていなかった。従って、目先はいいけれども、前途に対して確信がないというもとで民間
経済の行動は行なわれておったわけであります。それが確信を持ったということになると、ここに今度民間の
経済の行動が当然違ってくるわけであります。そこに問題があるのだと思うのです。というのは、自由
経済のもとで五年後にはここにくるのだ、十年後にはここまでいくのだ、少なくともこの高さまでは十年以内における。それに対して確信を持った場合に、民間の事業家はどういう行動を起こすであろうか、これが実際の
経済の上に現われてくるわけです。
第一は、これはもうきわめて合理的な
動きでありますけれども、それはたとえば五年後にこの点までいけるのだということがはっきりする、十年後にそこまでいけるのだということがはっきりいたしますと、それに疑問を持っていた時代はそれを何段階かに区切って事業の拡張計画をやる、そうしないと心配である、どうなるかわからぬ、確信を持てば
相当大
規模な事業計画を立てる、その方がコストが非常に安い、そうしてある一定の期間設備を遊ばしておっても、そういう最も
経済的合理的に安くつく
経済規模、そういう工場
規模において事業を拡張する、それが有利である。当然そういう行動が起こってくる。計画の当初に言いますと、数年後の計画までも初めから大
規模な拡張計画に着手してくる。こういう
傾向を自由
経済のもとでは当然に持つということであります。
第二は、今後の販路の
拡大が予想されます。年々この
拡大される販路をできるだけ自分がとろう、つまり、今まで以上に大きくなろう、シェア、占拠率を大きくしよう。そうする競争が当然起こってくるのであります。これはお互いに競争して早目早目に事業を拡張しよう、こういう運動となって現われる
傾向が強いわけであります。
第三に、今私は自由
経済のもとと申しましたけれども、実際は中途半端な自由
経済であります。一番重大な、自由
経済でない点は、行政指導という名において、設備拡張その他を主管省が握っておるということです。主管省の承認を得なければ、何らの法律根拠がないけれども、主管省の承認を得なければ銀行融資も得られませんし、外国に注文をしても為替がおりない。それがためにどうしても認可を、認可という言葉は語弊がありますが、承認を得なければならない。了解を得なければならない。主管省の方では一定のワクを持っております。計画によってワクを持っている。そのワクが一ぱいになればあとからきた人はもうワクが一ぱいだからというので、どうしても断わる。そういう
傾向にある。そうすると、早目にワクを取った方が勝ちだという形で、この方面からも早目々々に事業の拡張が起こってくる。こういう
傾向を当然持つわけであります。それがどういうことかというと、
所得倍増計画なり、池田九%の
成長で、五年後にはここへいく、三カ年後にはここへいくんだ、この目標に沿っては
経済界は動いてこない。この計画がこのカーブであれば、別のカーブを描いてくる、こういうことであります。当然現在の
動きは、そういうカーブで動いている、そう理解せなくちゃならないカーブだ。それは
設備投資が予想外に大きい、こういうことであります。
問題は従ってこれが故障なしにいけるかいけないか、そういう問題になるのでありますが、こういうふうに予想以上といいますか、一応の
日本の
経済の望ましい線だと
考えていた線以上の急カーブを描く、こういうことは、
一つは
所得倍増計画自体がそうでありますけれども、控え目に見がちである。従ってある点以上、それ以上に伸びた方が必ずしも行き過ぎじゃないのだ、こういう面もありましょう。しかしどう見ても、今申しましたように、
経済人の大部分が
所得倍増計画というものに確信を持ってくる。自信を持ってくれば、こういう
動き方を当然するであろう、そういう見方が正しいといたしまして、事実またどうも最近における
設備投資というものの急テンポというものは、そう説明しないと、少なくとも私には理解ができない。ということはテンポが早過ぎる、こういうことになるわけでありますが、つまり
所得倍増計画がいけるかいけないかじゃない。どうも早く来過ぎて困る、こういう
傾向ではないかと思うのであります。こういう
傾向が、当然とがめが自由
経済のもとではあるわけであります。社会主義
経済のもとでもとがめは当然出るのでありますが、自由
経済のもとでは、どういうとがめが出るかというと、従来であれば、当然これは
物価騰貴というとがめが出るはずであります。しかし、現在の
日本の
経済の体質は、数年前に比べて非常に強くなっております。
物価騰貴という形でこのとがめが出るという公算はきわめて少ないと、私は大へん大胆でありますが、
物価騰貴というものはほとんど起こらない、こう見ていいと思うのであります。というのは、過去において、二十八年、三十二年に同じような問題を起こしておりますが、このときはなぜ
物価騰貴、
インフレという形でとがめが出たかといえば、当時は、第一は為替管理を強化して、外貨が十分でありません。輸入は一定の量に限られておった。輸入の量を限っておったその上に、国内の
生産設備はまだ非常に貧弱でありました、どちらかというと、国内の
消費をまかなうに十分な設備を持っていなかった。そこへ
消費が急激にふえてきます。当然物がなくなる、輸入は一定の限度がある。だから物が足りない、こういう形で
物価騰貴は当然起こって参るわけであります。従って過去の例からいうと、
物価騰貴が起こるのじゃないかという議論が一応ありますけれども、根本事情がまるっきり違っているのであります。それは第一は、輸入はほとんど自由なんです。現在若干の為替管理はありますけれども、実質的にはほとんど自由です。外国から幾らでも入れられる。
第二は、設備はここ数カ年非常にふえておりますから、設備が
相当金裕を持っております。
需要がふえれば操業をふやしていけば十分やっていける。もし足りなくなっても外国から物がどんどん入ってくる。こういう形態において、
物価騰貴というものが現われるはずはないわけであります。現に
経済力の強い国では、国内における景気が
相当過熱して行き過ぎても、
物価騰貴という形はあまり出していないのです。
日本の過去のように
物価が非常に暴騰する、いわゆる底の浅い
経済、そういうのとはまるっきり違うのでありますが、大体
日本の
経済において、
物価をものさしにしてこれは正常であるとか正常でないとか、こういうものさしはもう役に立たなくなっておる、そういうふうに私は思う。それはちょうど今まで子供がひよわであった、弱い、少し運動をやるとすぐ熱を出した、過激なことをやると熱を出した、熱を出したかどうかということを、ものさしにして見れば大体いい。今度子供が非常に丈夫になった、少々行き過ぎたことをやっても、熱なんか出しやしない、熱で丈夫かどうかという判断はできなくなった。大へん卑近なことでありますけれども、それに似た変化が起こっておる、こういうふうに思うのです。ここで
物価といいますのは、むろん卸売
物価であります。小売り
物価等には別の問題があるのでありますが、それは
インフレになるかならないかという問題とは全く違った問題であります。こういうふうに私は割り切っていい、そういうふうに思っております。
物価という形でテンポがどうも早過ぎるというとがめが出ないとすれば、次に出るとがめは、どういう症状であるかというと、国際収支の面にそのとがめが出やしないかという問題であります。これも過去の
日本の
経済の体質であれば、当然国際収支が
相当赤字になるという形が出るのでありますが、現在経常収支は、私今後
赤字にある
程度になると思うのでありますが、この場合経常収支を
中心にして問題を
考えていいかどうかというと、現在の
日本のように非常な建設段階にある、そういう時期においては、経常収支ばかりでなしに、外国から資本を入れて事業の拡張をやる、これは当然なことなのであります。少しも不健全ではない。従って現在の
日本の段階においては、外資の流入、輸入というものを入れた
総合収支で見るべきだ、こういうことになると思うのであります。
総合収支を入れて
考えるということになると、国際収支の面から破綻がくる、
経済に破綻がくるということは大体
考えられないと思うのであります。これを裏返して申し上げますと、たとえば
財政の
赤字で国際収支が
赤字になったとか、あるいは
国民の生活水準がその国の
経済能力以上に出て
赤字になっておるとか、こういう
赤字であればこれは大へんです。こういう
赤字であれば、非常な警戒を要すると思いますけれども、そうではなしに事業の新設、拡張、近代化のために
赤字になって、そこから外資が入ってきておるんだ、こういうことであれば心配要らない。それも手持ち外貨が非常に貧弱で、日常の国際
経済の運営を脅かすということになれば、いかに心配に及ばない性格の
赤字でも、これは故障を起こしてきますけれども、現在のように二十億ドル近くの外貨を持っておって、そこから数億ドルなくなったところが大したことはない。こういう段階においては、そういう形で破綻もこないし、また政策としてもそういう形で問題を取り上げるべきでない、そういうふうに思うのであります。そこで、では何らの故障が起こらないかといえば、今どんどん設備が拡張されております。それがいよいよ完成して
生産がいよいよできてくる、ところが
需要の方はこのカーブでふえるという政策がとれる、これが
考えられるわけです。
生産がこのカーブでふえたとなったら、一時需給関係にアンバランスが起こる、そういう形で問題がくる公算が一番大きい、そういうふうに思うのであります。要するに昨年の下期からことしにかけてのこのカーブは正常のカーブでない。今言ったようなこのカーブは早晩こういうカーブになるかこういうカーブになる、ことによると、こういうカーブになるかもしれない、こういうカーブになってこういくかもしれない、そういう性格を多分に持っている、こういうことであります。
そこで問題は二つあると思うのです。皆さんの国会でお
考えになり、われわれが
考えるという場合にも、この設備が一時過剰である、これをどう理解してどういう手を打つかという問題だと思うのであります。これを
高度成長、
日本の
経済をできるだけ早く高く
成長さすというアングル、その角度から見ますと、こういうことが言えるわけであります。第一は、それはそこまでいかなくても、従来の
日本の設備というのは一〇〇%以上操業しているわけです。居残りまでしてやっておる。これは正常じゃないんだ、まあ正常の
経済であれば八〇%の操業で十分ペイできる。ペイ・ラインは八〇%の操業でやっていける、そういう
経済基盤でなくちゃいけない。そこへ持っていくというためには、今までより二〇%ばかり余ってもまだいいじゃないか、こういう観点が
一つ出ます。第二は物が余るということによって、本気になった
輸出ドライブをやるであろう。
生産過剰なんですから突破するために
輸出販路の
拡大あるいは国内販路の開拓、国内販路を開拓するなら安くしなくちゃならないという面もあります。新たなものを作るという面もあります。そういうことをやるであろう。同時に合理化に全力をあげるであろう。そうすると、一時そういう景気の反動といってもいいものはいろいろありますから、大きな反動が起こるとは思いませんが、そういう
生産過剰という形を一応与えて、そこで今言ったような努力をさす方がさらに大きく伸びるじゃないかと、そういう見方が
一つ出るわけです。この見方も
一つだと思う。しかしそういう場合には景気に
相当の変動があっていいと、こういう見方に立つわけでありますが、他方景気の変動をできるだけなくする、それを少なくする、そういう政策をとる必要があるんだ、こういうことであると、この行き過ぎをできるだけ行き過ぎないように民間に働きかける、あるいは
政府としてやられる範囲においてはそういうことをやる、そういう問題が起こってくるわけであります。どちらをとるか、こういうことが従ってそういう場合の、どちらをとったらいいかという対策を決定する基準になると思うのであります。
今申しましたように、この場合におきましては、外資が入っておるということは、今までにもう
一つなかったところであります。二十八年のときも三十二年のときもむしろ世界は
日本の
経済に対して非常な危惧の念を持っておりました。今まで入れていたものまでも引き上げてていく、三十二年のときは。今度は
日本経済の
成長力に対して信任をしておる。これはどんどん外資が入っておる。これがいま
一つ二十八年、三十二年と今と違うわけであります。これは今私は、この外資をできるだけ使っていいという立場で、そういうふうに
考えるのでありますけれども、これにも問題があれば、それだけやっていいかという問題も起こりますが、同時にそれがあるために、従来であれば当然ここで金融の逼迫その他という形が出るはずのやつができておりません。将来もそう締めねばならないという問題にはならないと思うのであります。つまり、金融を締めてどうという形よりも、さっき申しましたように、どういう理由によって設備拡充を急いでおるか、その理由にメスを入れ、そこに問題の解決をしない限り、金融の面から締めようとしても、私は効果は上がらないと思っております。
同時に、それに関連して私もう
一つ起こっております問題は、アメリカなり世界の景気が悪いじゃないか、それで
日本の
所得倍増計画等がはたして実行できるかできないかという、そういう角度からの問題がときどき提起されておるようでありますけれども、この
日本の現在の景気は数年前とは非常に違う。外国の景気と
日本の景気との関連は数年前とは非常に違っております。それは、外国の景気が悪いということは、
日本の
経済にそれだけマイナスであることは同じであります。しかし、それが
日本の
経済の景気の上にどういう
影響を及ぼすかということになると、それは
日本の
経済の体力との関係において問題が出てくる。卑近な例で言いますれば、同じ
程度のかぜを引きましても、からだが弱っているときは一週間も二週間も寝込んでしまう。あるいは、肺炎になるかもしれない。からだが丈夫であれば、それくらいのかぜは同じかぜでもトンプク一服飲んで眠れば、朝なおっている、そういうことがありますから、
日本の
経済は、今、
日本の景気を支配している比重は、国内の要因の方が非常に強くなってきている。数年前のように国内市場が非常に小さくて、外国市場の
影響、外国の嫌気の
影響が非常に強かった時代とは非常に違っておるのであります。従って、ここで、昨年からアメリカが景気が悪いのですけれども、しかし、アメリカの景気と独立して
日本の景気はよくなっておる。そういうことは、今度よくなったからといって、来年以降さらに非常によくなるということにはならないことになる。これは
日本ばかりではない。欧州の
経済も、弱いときは、アメリカの
経済がくしゃみをすれば欧州の
経済はかぜを引くといわれたのですけれども、今はアメリカの景気とは独立して、欧州
自体は欧州
自体の景気を出しておる。アメリカの景気が悪くても欧州
自体の景気はいい。それに似た関係に
日本もあると思います。そういうふうに、むろん世界の景気がいいに越したことはありませんが、これは
所得倍増計画を進めるのに大きな障害になる、その点が非常に大きく取り上げられておるということは、私はそこに問題はない、こういうふうに思うのであります。問題は、実は私どももげすのあと知恵でありまして、初めからそういうことがわかっていれば大へん先見の明があるわけでありますけれども、
所得倍増が進行するには当然フリクションが伴う。現状のままでこれがぱっと大きくなるわけじゃない。大きくなるには、産業
構造の
構造的変化がなければ、
日本の
経済は大きくならない。そこで
相当の過渡期のフリクションが伴う。いわんやそのテンポが予想以上に高いということになれば、このフリクションは一応さらに大きく現われてくる。そのフリクションに対応してどういう措置をとるか、そういう面が
所得倍増計画ではほとんど出ておりません。私どももうかつにしてその問題を取り上げていない。しかし、そのフリクションと
所得倍増計画、フリクションがあるから
所得倍増計画がだめだというのは、これは議論の飛躍であります。どんないいことでも、それが今までのことを変えていけば、過渡的にフリクションが起こってくるわけであります。それは過渡的なフリクションであって、その過渡的なフリクションをどういうふうにするかということが大切なことなんで、それは過渡的な手段であって、計画
自体がいいものであれば、それとは関係がないのだと、そういうことではないかと思うのです。そういう意味において、過渡的なフリクションと政策
自体とは別に
考えて対策をとる必要がある、こういうふうに思います。むろん、そう申しましても、
所得倍増汁日が百パーセント正しいのだと、そういうふうな意味合いじゃ全くありません。それ自身にも間違いもありましょうし、解決すべきものもありましょうが、根本は、過渡的なフリクションと、根本的に変えなければならぬ問題と、これをごっちゃにしないで国会において
審議していただきたい、いい方向に持っていっていただきたい、そういうふうに思う次第であります。
私の申し上げたいのはそれだけなんでありますが、実はいま
一つ最後に、私もずいぶん年を取りましたので、申し上げます。私のためでなしに申し上げたいと思いますことは、実はここに
公述人の交渉を受けましたときに、私、一応お断わり申した。第一は、一体ここへ来て、ずいぶん手間をかけて来て、一体どれだけの効果があるのか。マンネリズムになって、自分の犠牲を払って行くに値するかどうか、僕は疑問なんだ。その上に、今いただいたのですけれども、ここへ来ていただいたものが千三百円なんです。こんな待遇の仕方で、ほんとうに時間をかけて調べてこれるかということなんです。これは大事なことであれば一応やります。われわれも国のためだと思います。しかし、皆さんも、国会議員も国のためにやっていながら、やはり
相当の年俸がほしいし、なにが要るわけなんです。これは業者が自分のことを陳情するような意味においてここでやったら、むろん何でもありません。しかし一番大事なことを皆さんがやられるのは、中立の、業者でない人の
意見を尊重して聞かれることだ。その人には
相当の報酬を払って、そうして十分準備したものを聞いていただくような慣例にしたい。そうすると皆さんも聞きがいがあると思う。千三百円ではこれは何もならない。(笑声、拍手)