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国務大臣(
西村直己君) 私
どもの方で整理いたしました情報に基いていろいろ御
意見を申し上げます。
ただ、事柄は韓国の内政でございますから、私も、この問題の批判等については、できるだけ慎んで参りたいと思うのでありますが、事実は事実として、私
ども情勢判断した
部分を申し上げたいと思うのであります。
御存じの
通り、事件が三十六年五月十六日の午前三時ごろソウル市内で起こった。そうして八時ごろまでには一応の
目的を達したような格好になっている。それから革命
委員会ができているわけでございますが、それは
御存じの
通り、反共ということをはっきり言っていることと、それから国連憲章を重んずる、親米あるいは
自由諸国とは提携する、こういうようなこと、それから腐敗
政治を一掃するとか、
国民経済を建て直すとか、こういうようなこと等が
中心になっているように思うのであります。
それから規模は、私
どもの聞いている情勢では、大体全軍的なものではありますが、ただいま申しました第一軍というよりは、むしろ第二軍、言いかえれば、
補給、後方支援、こういったような、直接国連軍の指揮下に入っていないような面が
中心に動いている中で、憲兵隊だけは除外されているようでありますから、京城でも憲兵隊と軍との撃ち合いがあったということが報道されているわけでございます。そうして、これらによって行政支配権が握られて、各省にそれぞれの軍からの行政派遣員が行って、事実上の実権をとって
政治上のいろいろの問題の打開に当たっている、これが現状のように私は思うのであります。で、その中で特に
中心になったのはどの辺かと申しますと、はっきりわかりませんが、
一つは海軍の陸戦隊である、海兵隊というのが多少やはり
中心にもなっているように私は聞いております。空の方はあまり動いたような情報は私は聞いておりません。むしろ陸と海兵隊、これらが
中心のように私は感じております。
それから、
御存じの
通り、新聞に出ている
中心の方々は、比較的年令層が若い、李承晩革命と申しますか、李承晩前大統領が追われましてから、その後に古い軍人層はある程度退役された人もあるので、年令層が、比較的三十から四十にかけての人たちが軍の首脳者になっております。その人たちがずっと動いているように私
どもは情報を得ております。言いかえますと、これは青年将校という言葉が当たるかどうか知りませんが、
日本の二・二六の青年将校ではない。首脳者ではございますが、年令層が若い。それから原因というものは、はっきり私
どもが勝手に分析するわけに参りませんが、最近帰って参りました議員団の諸君の報告等もかみ合わせますと、
一つは経済情勢が非常に悪くて、失業者が韓国に非常に多いということが
一つの大きな理由であるから、比較的市民は、軍がああいうふうに動いたことに対して当然視をしている。生活が非常に悪い、と同時に、何と申しますか、失業者が多い、こういうところがら生活改革というものを非常に望む。張勉政権としては、あの自分たちの革命を遂げてから、革命の跡始末に追われて、積極
政策に入るまでにまだ手がつかないうちにあの
事態が起こった。それからいま
一つは、軍隊が、
御存じの
通り、
陸上がたしか正規軍が四十八個
師団で四十五万くらいで、それ以外に第二軍的なものもございますから、全体で五十五、六万かと思っておりますが、新聞は六十万といっておりますが、国防費は韓国経済の中で三割といわれております、財政の中で。だから多少国防費が多過ぎるという点もあるかもしれません。と同時に、韓国自体が経済的に立ち上がるのに、非常に
国内的に諸原因があって苦労をしている、失業者もあり、経済が非常に苦しい。こういうところがら
国民生活のふんまんがよって出てきた。それからいま
一つは、横川先生のおっしゃるように、私
どもの得た情報では、やはり統一運動と申しますか、そういうような学生を
中心にした動きがあったに対して、やはり軍内部でも批判があったのではないか、こう思うのであります。
それからいま
一つは、韓国全体の経済が苦しくて、軍が大きいから
給与が悪い、軍内部の
給与が非常に悪くて、軍自体も生活苦にあえいでおったのじゃないか。これらの諸要素と、それから
国際情勢全般のいろいろな影響もたくさんあるでございましょう。これらが私は諸原因になって今回の
事態に立ち至っているのではないか、こんな判断をいたしているのでございます。私自体の判断でございますから、万全ではないかもしれませんが、その点はお許しを願いたいと思うのであります。