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大谷贇雄君 きょうは飛び入りに本
委員会に出させていただきまして、名
委員長、名
理事の格別のお計らいで、同僚の厚い御親切で
質問を許していただきまして、大へんありがたく思います。きょうは私も実は
大蔵委員会があるのですが、どうしてもやむにやまれぬ
気持で、
郵政大臣初め
郵政当局に緊急に御
質問を申し上げたいと思います。
ということは、去年も一昨年も、ことしの正月はややよかったのですが、とにかく全国的に
郵便物の
遅配が多い。そこで、これは
最初に、御迷惑でしょうが、事実を申し上げます。この十九日の日曜日に
名古屋で、私がヨーロッパへ行ってきた話をぜひ聞かせろということで、
主催者の人が
会場を借りて、そうして十一日に、四百五十人に、
往復はがきの入っている
案内状を出した。ところが、私が十七日の金曜日の夜、
名古屋の家へかけて、十九日に行くが、たくさんお集まりになるのかと家へ聞いたら、
返事がまだ四人よりきておらぬ。
大会場を借りて、たった四人よりきておらぬ。そこで私は土曜日のお昼に
名古屋へ着きまして、そうして聞いてみましたら、六通より
返事がない。そうするというと、せっかく私は
東京からはるばる行って、また
主催者の人も
会場を借りるとか、いろいろ経費もかけて、
往復はがきまで入れて発送してあるのに、当日の前日になって、わずかに六通より
返事がない。これでは会は開かれぬわけです。そこで私も非常に心痛をいたしまして、それで
名古屋の
郵政局長に
電話しましたら、もうおられませんで、
文書課長さんが出られた。実はこういうことで
主催者は会が開けぬ、多額の金をつぎ込んで、会合の準備を整えたということで、
主催者は非常に心を痛めておる。どういうことですかと、私が尋ねたら、
課長はどこへお出しになったかと言う。それは聞いてみましたが、
名古屋の
昭和郵便局へ出した、こういうことでございます。それから三時ぐらいに、二時間ぐらいたってから
昭和局の
郵便課長が私のところにおいでになった。どういう
事情ですか、どういう
事情ですかと私に尋ねるのです。私は、二時間前に
文書課長に言ったのを君は知っているはずだから、わかっているはずじゃないかと言うたところが、それを
一つ聞かして下さいというから、のんべんだらりんとしていてはだめじゃないか、あなたの方のことですよ。そうして
事情を話しました。それから私は
文書課長さんに
電話をして、今
昭和局の
課長さんが来て下さったが、どうもこれは
昭和局だけではないらしい。私はその日の昼、
名古屋の東本願寺に行った。それは私の家から十町ぐらいのところです。そこの輪番やら、あるいは別院内の
教務所長やらに、あした君らくるのかと言ったら、何ですかと言う。ちょうどそこで県の
学事課長にも会った。そうしたところが、
名古屋へお帰りになるのは珍しいと言う。いや、こういうことなのだ。そんなこと
知事もだれも知りませんよと言う。
手紙は
主催者からちゃんと出してある。それでそういうばかばかしいことですから、
文書課長に、
昭和局だけの問題ではない。愛知県の各郡市の
有力者に
案内状を出したのだそうだから、それを調べていただいて御
返事をいただきたいと言うたのですが、いまだに
返事がございません。そうしたら、前の晩の六時か七時ぐらいになって、
昭和局の
郵便課長さんが私のところへまたこられた。
主催者は私のすぐ近所だものですから、私の家にどさっと
返信用の
はがきを持ってこられた。二百何十通、
昭和局にほったらかしになっている。下積みにしてあるのかどうしたか知らぬが、とにかく来ておるものをほったらかしにしてあった。こういう
状況です。
それでも、まあまあそれだけ
返事がくれば、
会場のお茶が濁せるわけです。そこであくる日、十九日の日曜日に、百三、四十人集まった。ところが聞いてみると、大事な人が来ておられぬという。
知事もその他の人もむろん来ておられぬ。そうするというと、いまだに着かぬわけです。そこで私はきのうの夜
電話をしてみた。その後
返事なり何なりが来たかと尋ねたところが、まだ
手紙も何も来ぬという。それは十六日に一ノ宮の人が、私どもが最も近しい人が
名古屋へ来て、
名古屋のお寺で見て、こういう
手紙はおれのところには来ぬ。それで
主催者のところへ
電話をかけてきて怒りつけた。私の
女房にも怒ってきた。
女房はわけがわからんものだから、それはあやまるに限ると思ってあやまった。こういうことなんです。そこで
主催者の方ではさらに、やむを得ないから、十九日の会合を、十八日の晩に速達をまた百何十通追っかけて出したそうです。
主催者の心を痛めたことは大へんなことだ。むだな費用を使う。そうしてまあようやくお茶を濁すことはできましたが、いまだに
知事のところにも着いておらぬらしい。県の首脳者にも着かないらしい。全然着いておらぬ人もある。
そういうことを一体
——私がたまたま国会議員として行ったから、郵政局にも申し上げ、
昭和局の方々も来て下さった。一般の庶民はこんな事態があって
郵便局に行ったって、けんもほろろのあいさつに違いない。そう簡単にはいきませんよとかなんとか……。現に私は、十九日にその会が済んでから、
名古屋の石川さんという、
日本画で名高い人の家へ行きました。その話がたまたま出た。困ったことです。実は私は、
日本画家の新年会を一月十日にするので、私が幹事ですから十二月二十五日に
はがきを出した。しかし、ひょっとしたら年末年始にかかるからいかぬと思って、さらにその晩速達を出した。そうしたら一月九日までに半分
返事がきた。それで一月の十日が新年会で、済んでしまってから
手紙が着いたといって文句を言ってきた人もだいぶありました、こういうことです。さらに私はその日に東本願寺の者がブラジルに行く、その送別会があって、その者に会いました。ところが、送別会があったけれども、われわれに
手紙がその翌日着いたというのです。これでは、私がたまたま帰ってそういうことを申し上げたから、あわてて片隅にほうり込んでおったかどうか知りませんが持ってこられたが、それも半分以下です。あとまだいまだにほうったらかして、今は
名古屋から
東京へきてしまったからいいということかもしれませんよ、いまだに何もこない。
郵政局長さんからは一言も
電話での
お話もない。
昭和局は
課長さんがきて下さったわけですが、
局長さんは知らぬ顔なんです。国会議員はうるさいからほうっておけ、しかし
郵便遅配はあたりまえだ、そんなこといわれるのは迷惑だということかもしれないが、それでほうったらかしになっておるのか、小うるさいということなのか、国会議員を軽蔑しておられるのか、これでは一般国民も
承知しませんよ。こういうような
状況は、おそらく全国各地にあると思うのですが、一体どんな
状況であるかを第一に承っておきたいと思う。