運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1961-02-17 第38回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年二月十七日(金曜日)    午前十時二十一分開議  出席委員   委員長 船田  中君    理事 愛知 揆一君 理事 青木  正君    理事 野田 卯一君 理事 保科善四郎君    理事 井手 以誠君 理事 川俣 清音君    理事 横路 節雄君       赤澤 正道君    井出一太郎君       臼井 莊一君    江崎 真澄君       小川 半次君    上林山榮吉君       菅  太郎君    櫻内 義雄君       園田  直君    田中伊三次君       床次 徳二君    中野 四郎君       羽田武嗣郎君    橋本 龍伍君       前田 正男君    松浦周太郎君       松本 俊一君    三浦 一雄君       山崎  巖君    淡谷 悠藏君       木原津與志君    小松  幹君       河野  密君    田中織之進君       高田 富之君    楯 兼次郎君       堂森 芳夫君    永井勝次郎君       野原  覺君    長谷川 保君       松井 政吉君  出席政府委員         行政管理政務次         官       西田 信一君         科学技術政務次         官       松本 一郎君         法務政務次官  古川 丈吉君         大蔵政務次官  大久保武雄君         大蔵事務官         (主計局次長) 谷村  裕君         文部政務次官  纐纈 彌三君         農林政務次官  八田 貞義君         通商産業政務次         官       始関 伊平君         運輸政務次官  福家 俊一君  出席公述人         全国消費者団体         連絡会会長   中林 貞男君         東京商工会議所         中小企業委員会         委員長     石田謙一郎君         一橋大学教授  高橋長太郎君         全国農業協同組         合中央会常務理         事       一楽 照雄君  委員外出席者         専  門  員 岡林 清英君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和三十六年度一般会計予算  昭和三十六年度特別会計予算  昭和三十六年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 船田中

    船田委員長 これより会議を開きます。  昭和三十六年度一般会計予算、同じく特別会計予算、同じく政府関係機関予算につきまして、公聴会を続行いたします。  この際、御出席公述人各位にごあいさつ申し上げます。  申すまでもなく本公聴会は、目下本委員会において審査中の、昭和三十六年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算審査の際の参考に資するためのものでありますので、公述人各位におかれましては、忌憚のない御意見開陳せられるようお願いいたします。  議事は、中林さん、石田さんの順序で御一名ずつ、順次御意見開陳及びその質疑を済ませていくことといたしまして、公述人各位の御意見を述べられる時間は、約三十分程度にお願いいたしたいと存じます。  なお念のため申し上げておきますと、衆議院規則の定めるところに従いまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また発言内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっております。なお、委員公述人質疑をすることができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承いただきたいと存じます。  それではまず中林貞男君より御意見開陳をお願いいたします。
  3. 中林貞男

    中林公述人 私は、ただいま御紹介を受けました消費者団体連絡会中林貞男でございます。私はもっぱら消費者立場から、三十六年度予算について意見を述べさしていただきたいと思っております。  三十六年度予算は、池田内閣高度経済成長政策の遂行を基礎に、いわゆる所得倍増計画の第一年の予算だということで、減税社会保障及び公共投資三つに重点を置いて、国民各層にその成果が均等に及ぶようにしていくのだということを大蔵大臣財政演説で言っておいでになるわけでございます。ところが、私は今度の予算について一番疑問に思われますことは、このことは日本予算編成ということが一年ごとと申しますか、原則的に単年度主義になっているというようなこととも関連するのかもわかりませんが、十年後に国民所得を倍増する、そしてその第一年度の予算であるということであれば、やはり長期にわたって具体的にどういうふうにしてやっていくのだということを、もっと明確にして、それをやはり国会予算審議の場で十分討議をしていただいて、国民の前にそれを明らかにされることが必要なのではないか。そのことが予算審議過程を通じてちっとも明らかにされない。いわゆる日本経済の将来像というものを、具体的にどういうふうに持っていくのかということが、具体的に私らは知りたいと思うのですが、企画庁でお出しになっている、参考資料としていただきました倍増計画のものなんかを読ませていただきましても、机の上で数字でいろいろ計算なさったことが出ておるわけでありますが、政策としてそのことが具体的に示されていないというところに、非常に私は不満を感ずるわけでございます。私は何回か外国へ行きまして、ヨーロッパ各国のいろいろな予算なり国の政治ということを私たち立場からいろいろ聞きましても、政府はやはり長期計画をもっていろいろなことを積み重ね、後世の国民のためにやっておるというふうに考えられるわけですが、日本予算編成は、毎年場当たりで、何かそのときどきの人気取り——と申しては悪いかもわかりませんが、人気取りで何かやられているのではないかという印象を受けるわけでございますが、しかし今度はそのことが、池田内閣になりまして、今度の予算編成が十年後に国民所得を倍増するという形でいろいろ組まれておるなら、今度の予算くらいはそのことをもっとはっきりと示してもらいたかった。その点まず全体的に私は第一点として不満を感ずるわけでございます。  そうして国民成果を均等に及ぼすということでございますが、三つの柱といわれております減税社会保障公共投資というものの中において、なるほど社会保障の金額がふえたり、あるいは減税ということも行なわれておるのでございますけれども、三つの柱の中においては、やはり産業基盤強化ということを中心とする大企業の利益と申しますか、そのことが最優先的に取り扱われておって、一般国民婦人労働者中小企業者、農民というような面には、やはり非常に薄くなっておるのではないかということを全体的に感ずるわけでございます。これはいろいろな面から私たちは感ずるわけでございますが、しかしきょうは私に物価の面から意見を述べろという仰せでございますので、その点を中心にして私は述べてみたいと感ずるわけでございます。  政府は、昨年の総選挙前の九月三十日に、物価抑制に関する閣議決定発表になっておいでになりまして、独禁法運用強化公共料金抑制ということと、それから各省間の消費物価抑制に関する連絡会議という三つのことを閣議決定をして、選挙前に国民の前に発表になったわけでございます。なるほど第三番目の各省問消費者物価抑制に関する連絡会議というものは行なわれておるようでございますが、前の二つの点が全然ほごにされている。このことについて私は、池田内閣ができましたときに、前の岸内閣というものに対して国民の持っていた気持から、何か池田内閣はやってくれるのじゃないか、そういうような点において、この九月三十日の物価抑制閣議決定などは国民一つの期待を与えたと思うのでございますが、そのことが今度の予算編成を通じて私は裏切られたということを非常に強く感ずるわけでございます。  すなわち国鉄料金値上げ郵便料金値上げガソリン税引き上げ、あるいはまた低所得者公営住宅なり公団住宅の家賃の引き上げというようなものが予算編成過程においてきめられ、そうして、それがすでに各地の私鉄バス料金あるいはガス代水道代——私も昨日北海道から帰ったのでございますが、北海道に旅行してみますと、各都市の水道料金とかいろいろなものの値上げが、新聞に次々と出ているのを私は見ました。そうしてまたそれに続いて各私立大学授業料が上がるということもすでに発表になっておりますし、最近の新聞を見ますと、バターだとかソースだとか日用品も次々と上げられる、いわゆる物価値上げムードというものは全面的に起きてきている。このことを政府はどのようにお考えになるのか。特に九月三十日の閣議決定の趣旨から申しますと、私は全くこのことは矛盾しているのではないだろうかというふうに考えるわけでございます。  そうしまして国会における予算審議過程における大臣方たちの御答弁というものを新聞で読ませていただいておりますと、いや消費物価が上がる上がるといわれているけれども、消費物価値上がりは一・一%くらいだろうというふうに政府統計の上で出しているということを言っておいでになりますけれども、どこから一・一%という数字を具体的にお出しになったのか、その点ではこの間の予算審議過程においても社会党の方ばかりでなく、与党の議員の方からもそのことは鋭くつかれている点でございますけれども、私は消費者団体連絡会責任者として、物価問題について御婦人の方、家庭主婦の方とこのごろ会合を持つ機会が多いわけですけれども、家庭主婦の方々は理屈とかいろいろなものからではなくて、やはり家計を預かっている主婦として、家計簿を通じて毎日の買いものを通じて非常な不安をみんな訴えておるわけです。このことは国会の諸先生方にも、ぜひ今度の予算編成過程において、どういう影響を与えるのだということを、皆様方の奥様にぜひ伺っていただきたい。私は会合を持ちますときに、いろいろな方の奥さんおいでになっております。その奥さんたちがみんな、主人主人なんです、しかし私ら台所を預かっている者からいえば切実に訴えなくてはならないということを言っておいでになるわけでございます。  それで私はきょうここへ出ますにつきまして、何か具体的にそのことを申し上げる数字を得たいと思いまして、実は厚生省が指導しております各府県に保健指導所というものがございます。保健指導所料理献立指導などもやっております。それで東京都の世田谷区のある保健所につきまして、その保健所が二月の料理献立表出しております。大体一日の副食費を三百円で上げるという形の献立表夕食の副食費が二百円で上がっている去年の献立表でございます。ハンバーグステーキとかニンジンバターいためとかいろいろな献立があるわけであります。二通りの献立がありますが、両方とも夕食の副食費が二百円ということです。その去年の二月に示されていた夕食の二百円の第一の献立表、これは材料としてはひき肉とか卵とかジャガイモ、タマネギ、ニンジンそれからそのための調味料としてバターだとかコショーだとか砂糖、油、ケチャップ、いろいろなものが使われているわけです。その去年の二月の献立表をことしの二月現在そのままの晩のお料理をしようとして——去年の二月においてはそれがきちんと二百円で示されている献立表でございます。それをことしの二月にやろうとすると、現在の値段で二百六十五円になっているわけでございます。それは主婦の方が一々それを同じ店で買って、それで去年の二月の夕食において二百円でできたお料理が、二百六十五円ということになっております。これは五人家族家庭でございます。それから一方の料理では、同じもので去年二百七円のお料理が、現在では三百五円になるというような副食費値上がりでございます。私たち会合を持ちますと、このごろの若い奥さんたちなら家計簿をみなつけておいでになりますから、家計簿から具体的に物価値上がりということをお訴えになるわけです。それで今申し上げましたように夕食のお料理献立の面からだけ見ましても、去年の二月に二百円であったお料理が現在は二百六十五円、一方の二百七円であったものが三百五円というふうな、非常な値上がりをすでにしているわけでございます。  このことが、さらに主人定期子供通学定期というようなものからいろいろなものが値上がりをことしするということで、現在主婦人たちは非常に自分たち生活が破壊されるのではないか、そして給料は思うように上がるものでもないだろうしということで、非常に婦人人たちは不安を感じているということを、私はきょうはぜひ諸先生方にお訴えをしなくちゃいけないのじゃないかというふうに思って出て参ったわけでございます。  このことをやはりある五人家族において、一月という月は特別の月でございますから省きまして、去年の二、三、四の三カ月間と、秋になりまして十、十一、十二の三カ月間における月平均をとりまして、五人家族ということでお野菜の代金はどうなっているかと見ますと、春と秋で一八%お野菜値段が上がっているわけです。それから子供のお菓子、おやつ代がやはり一八%強上がっているわけでございます。  それからさらに私たち消団連で調べてみますと、三十四年から三十六年の一月まで、つまり二年間において上がりました公共料金中心にして、その他お野菜値段だとかいろいろなものを見まして、五人家族——主人がお勤めである家庭で、上のお子さんが勤めておいでになって、二番目の方が大学へ行っていて、三番目が小学校へ行っていて、収入が四万三千円という御家庭家計簿を見ますと、二年間に二千四百六十三円、家計簿の支出が上がっておりますし、さらにそれをことしこれから値上げ発表されておりますところのもの、国鉄運賃私鉄電気料金水道料金バス代、牛乳、そういう現在すでに発表になっているものだけについてその家庭で試算しますと、五百七十円上がる。これは現在発表になっているものだけでございますけれども、これに関連していろいろなものが上がってくると、実際に家計簿にはね返るのはもっとはね返ると思うのでございます。  従って政府消費物価値上がりは一・一%であるということを数字的に言っておいでになりますけれども、そのことはどういうところからそういうことを言っておいでになるのか。やはり私たち数字で生きているのではなくて、ほんとう生活をしているわけでございますから、政治というものは数字を扱うのではなくて——学者数字でいろいろなことをやるでしょうけれども、政治というものは数字とかいろいろなものを参考にして、やはり国民の福祉を考えていただくということが政治の基本でなければならないということになりますと、私は国会の諸先生方にはもっとそういう具体的な数字というもの、具体的に家計簿なり毎日の店頭でどういうふうにそれが現われているかということを御承知いただきまして、そうして物価の問題の御検討をぜひいただきたいという工合考えるわけでございます。  従ってそういうような点におきまして、私は今度の予算というものが予算の規模が非常に大きくなって、そうして新聞などでもこれは刺激的な性格を持っているということを言われておりますが、予算性格そのもの物価値上げムードを作るような一つ性格であって、しかもその内容において国鉄料金郵便料金という公共料金値上げをやっておいでになるということになりますと、消費物価に与える影響というものははかることができないほどこわい。私自身も大ぜいの子供を持って学校にやったりいろいろしておりますと、非常にこわい感じが実はするわけでございます。そうして特に最近の昭和三十年から現在まで消費物価が一〇%上がっておるけれども、去年から消費物価値上がりの速度が非常にカーブが激しくなってきておるということも数字の上でも現われてきておるわけでございますから、私はそういう点において、今後の予算というものが国民生活に最も結びつくところの物価の問題について何らお考えにならずに組まれておるのではないかということを非常に残念に思うわけでございます。  そうしまして、さらにそのことは、数字では平均ということで国民所得平均、何の平均ということで出されるわけでございますけれども、私たちはその平均ということが統計の魔術であって、国民の中にも税金さえ納めることのできない低所得者並びに要保護者というような層が非常に日本においてはたくさんあるわけでございます。そういうような低所得者層に与えるいろいろなものの影響というものは、数字の面における平均というものよりももっともっと深刻な影響を与える。運賃の問題にしましても何にしましても、これは運賃であれば平等でございますけれども、平等の場合においては、月何十万という収入のある方と、それから要保護者なり低所得者に与える値上がり影響というものは、その収入によって非常に違うのだけれども、そういう点について、予算全体の中においてそのことのためには減税なり社会保障ということが十分考えられなくちゃならないのですけれども、その点が薄いとするならば、与える影響というものは非常に私はひどいのではないかという工合考えるわけでございます。  そうして、では公共料金値上げということが、公平な立場において国民が納得する形で考えられているかということを私調べてみまして、まず例を国鉄料金にとってみました場合において、国鉄料金赤字の原因はどこにあるのか、現在全体的には国鉄はここ二、三年は黒字になっているということが国鉄発表しております数字でも明らかになっております。しかしその中のいろいろな数字を調べてみますと、国鉄の採算のとれていない点はどういうところにあるのかといえば、やはり貨物運賃——貨物運賃でも大企業への原材料の輸送ということが貨物の八〇%を占めておって、それが非常な赤字になっているわけでございます。それからよくいわれますところのいわゆる政治的な赤字路線の問題なりあるいは国鉄当局の経営に対する無責任の点なりいろいろあるわけでございますけれども、今度私たち消費者にはね返って参りますところの特に現在の二等旅客運賃、あるいは私たち東京なり大阪近辺におけるところの通勤なり通学定期というものは、これは全部黒字になっているわけであって、これは数字もいろいろはっきりしておりますけれども、黒字になっているわけであって、むしろ公平な負担なりいろいろなことでいきますならば、原価主義でいくのなら、二等旅客運賃なり通勤通学定期はむしろ現在よりも値下げをして、そうして赤字になっているところをどのようにして赤字にしないようにするかということが考えられなくちゃならないし、国鉄が公共的な施設であるというなら、私はその点は国の負担において考えられなくちゃならない。にもかかわらず、現在すでに黒字になっておって、しかも東京とか大阪の私たち朝出勤しますところの電車というものは全くすし詰めであって、朝早いときなどは、若い学生諸君が乗るときは私ら立っておっても押し飛ばされて乗ることができなくて、二台、三台待たなくちゃならない。そうしてその二等旅客運賃なり通勤通学というものは——通勤通学の場合は定員の二倍、三倍を乗せておりますから、それは黒字になっているわけです。その黒字の面の私たちにはね返るところの二等旅客運賃なり通勤なり、通学定期をなぜ上げなくちゃいけないのか、それはある面から見ればやはり私は大衆課税としての収奪としてしか考えられないのじゃないか。そうして御主人通勤定期のことはこのごろ会社負担事務所負担ということが非常に多いわけでございますが、学生さんの通学定期値上がりということについては、家庭奥さんたちはやはり家計簿に与える影響というところから非常に不満を持っておいでになるわけでございます。従って公共料金値上げが公平に行なわれるのではなくて、今申し上げましたような形で黒字になっているものをさらに引き上げるというような形で問題を処理する。なるほど私たち国鉄の五カ年計画のいろいろな計画というものの中には賛意を表するものがたくさんあるわけでございますが、しかしそれをわれわれの負担において、われわれの犠牲においてその料金を上げることによってそれをやらなくちゃならないのかどうかということは、もっと国会の諸先生方十分消費者立場から、国民全体の立場から公平に御判断をいただきたいという工合考えるわけでございます。具体的にはそういうようなことでございます。  政府消費者物価値上げということに対して、国会において諸先生方の御質問に対して、消費者物価は上げないように行政指導するとか、押えるとかということを大臣答弁をしておいでになるわけでございますけれども、その答弁に何の具体的な保証がない。どういう保証があるのだということを私はお聞きしたいのですけれども、その保証というものが全然ない。そうしてそればかりではなくて、閣議決定独禁法運用強化して、物価の上がるのを押えるということを言っておいでになるわけでございますけれども、今度の国会における提出を予定されている法律案を見ましても、輸出入取引法の改正とか、あるいは機械工業振興法というようなものが出まして、そうしてそれらは独禁法適用除外というようなことが考えられているわけでございますが、すでに歴代の内閣によってせっかくありますところの独禁法適用除外が次々と行なわれている。そういうような形で独禁法運用強化するということをおっしゃっても、この国会にすでに独禁法と相反する法律というものが出ることになっており、今までも毎国会において独禁法骨抜きになっていっているわけでございます。その点について閣議決定運用強化するといいながら独禁法骨抜きにしていくということでは、私は政府政策として終始一貫していないのでないかという工合考えるわけでございます。  この点は、西ドイツなりヨーロッパ諸国におけるところの独禁法運用というものを、私たち消費者団体立場でいろいろ調べてみるわけでございますけれども、諸先生方もよく御承知の西ドイツのエアハルト氏などは、やはりカルテル消費者の敵だ、カルテルを何とか撲滅しなくちゃならないということを、ヨーロッパ西ドイツなり各国保守党政治家人たちも言っておいでになるのです。そういうような点につきましては、日本政府におかれても、特に私は自由民主党の諸先生方に、日本における独禁法運用というものと、西ドイツその他における運用というものと、そうしてまた価格の抑制をするために独禁法をどのように運用していかなくちゃならないのかということを、一つ十分お考えをいただきたいということを切に考えるわけです。  そうしまして、三十四年度の公正取引委員会年次報告を見てみますと、各種の適用除外法律によってカルテルが現在すでに三百五十、それから通産省の勧告操短に基づくカルテル類似のものが四十できているということが、政府数字にも出ているわけでございます。いわゆるカルテル消費者の敵であるということが、ヨーロッパ保守党人たち——社会党や労働党の人はもちろんのこと、保守党の人たたちも言っておいでになる。そういうような現状においてカルテルが次々と日本において作られていくというような姿、そういう姿を日本政府はどのように考えおいでになるのか、そういう点について国会答弁と実際のおやりになるところの政治というものが、非常に相反した形でその結果が現われてきているということを私は非常に残念に思うわけでございます。  そういうような点になりますと、ほんとう独禁法強化池田内閣はおやりになるのかどうか。そしてそのためには公正取引委員会の機構の強化とかいうようなことなり、あるいは公正取引委員会委員の中に消費者代表が全然入っていないというような姿、そういうこと自身に私は非常な矛盾を感ずるわけです。そうして見ておりますと、政府では、国会答弁では消費者物価を押えるとか、閣議決定では独禁法運用強化するということを言っておいでになりますけれども、実際の面に現われているのは、その反対の方向だけが現われてきているということを、私は非常に残念に思うわけでございまして、そのことをぜひお考えをいただきたい。これは日常の行政、政治の面においてそういうことをお考えいただきたいと思うのでございます。  もう一つは、私が関係しております運動の面からこれを申し上げますと、ヨーロッパにおいては、イギリスでもフランスでもドイツでもスエーデンでも、協同組合、すなわち都会における日本生活協同組合、農村における農業協同組合、漁村におけるところの漁業協同組合、この協同組合の組織というものを通じて、経済機構の中において、独占物価値上がりを押えるような経済構造というものが仕組まれているわけです。ところが、流通秩序をどのように協同組合組織を使って確保していくのか、そうして物価の安定をはかるのかという点について、日本においてはほとんど具体的な考えが行なわれていない。私は国際協同組合同盟の会議なりいろいろなものに何回か行っているわけでございますけれども、ヨーロッパ各国においてはみんな協同組合組織によって物価抑制をやっている。そうしてその会議には保守党の代表の方もみんなおいでになっているのだけれども、独占の横暴というものをどのようにしてコントロールしていくかということが現在の政治において一番大事なことだということを、私はイギリスへ行きましたときも、フランスへ行きましたときも、西ドイツへ行きましたときも、そういう話をよく聞くわけでございます。独占の横暴をコントロールするための経済秩序の中におけるところの運動として、農業協同組合、生活協同組合、漁業協同組合という協同組合組織を活用する、それによって独占の横暴を世界各国はコントロールしている。ところが日本においてはその協同組合組織の充実ということについて、政策の面においてほとんど考えられていないんじゃないか。そういう点は、私は日本の経済組織の中における大きな盲点ではないだろうかという工合考えるわけでございます。  そうしてさらに最近の一つの傾向として、このことも昨年の暮れ私らのところへイギリスの代表が来たときに、東京大阪、京都を案内しましたら、日本において広告の盛んなのに驚いたわけです。そうしてこの莫大な広告費というものが消費者の方々に転嫁されてきているんじゃないか、物価にはね返っているんじゃないか、なぜこのものすごい広告というものを規制することを消費者立場から政府に要請しないんですかということをイギリスの人から言われたわけです。それで、私は調べてみますと、昭和三十三年における新聞、雑誌、ラジオ、テレビに正式に出たところの宣伝広告費だけで一千六十五億円になっているわけです。新聞、雑誌、ラジオ、テレビに大企業が使ったところの三十三年の広告費が一千六十五億、従って三十四年、五年という中においてはもっともっとこれが莫大になっているでしょうし、そうしてこれらに出ないところの広告費というものは莫大な額に上っているだろう。これをマスコミということによってこのままふやしていくと、それが全部物価にはね返ってきているのだ、このことをぜひ国会においてお考えをいただきたい。そうしなければ、いわゆる物価にはね返る要素ばかりを積み重ねておいて幾ら物価抑制をやると言っても、なかなかむずかしいことではないか、そういう点について十分お考えをいただきたい。  なお、最近の技術革新だとか、オートメーションという中における生産性の向上ということを考えましたならば、全体的には物価を押える条件なり材料というものはすでに生まれてきているんじゃないか。上がった生産性によって出たそれを物価を押えるために使っていくというためには、やはり国会の力、政治力によってやらなくちゃできないことではないか。そういうように、最近の生産性の向上の中において十分物価を押える条件というものが、私は日本においても出てきていると思われる。にもかかわらず、独占企業におけるところの物価抑制ということがあまり行なわれていない。そういうような点については、国会政府において十分私は御配慮をお願いしたいというふうに考えるわけでございます。  時間が参りましたので終えたいと思いますけれども、従って、全体的に物価政策というような面から見ました場合において、今度の池田内閣の三十六年度の予算編成というものは、消費者生活を守るという立場においてはほとんど配慮がなされていない。いわゆる高度経済成長政策という形において、どのようにして日本の経済力を伸ばしていくか、その伸ばすということだけが考えられていて、その裏の面においてわれわれの生活国民生活考えるということについて十分配慮がなされていないし、むしろ池田内閣予算編成政策の中においては、消費経済に大きなウエートを置いているということを言っておいでになりますし、またそれが大きな特徴だろうと思いますけれども、消費経済にウエートを置いているということは、消費者に犠牲をしいるという形において消費者に大きなウエートが置かれている。政府消費者行政というものも消費者生活を守るという形ではなくて、大量生産されたものをどのように消費者に売るか、消費者の購買力をかり立てるための消費者行政ということであって、消費者生活ほんとうに守って、福祉を考えるというあたたかい配慮というものが私は今度の予算編成なり、政策の中にないということを非常に残念に思うわけでございます。特にこの面については、最初にも申し上げましたが、主婦方たちは理屈とかイデオロギーとかいうものではなくて、なまに自分たちの毎日の財布から出して買いものをする、家計を守るという立場から、このことを切実に訴えているわけでございますので、この主婦の素朴な感情というものを政治の面において、諸先生方にぜひお考えをいただきたい。主婦が言っても、そういうものは力を持たないというような形で踏みにじっていくというようなことになりますと、この素朴な主婦たちの感情というものが爆発すると、それは男の場合よりもよりおそろしいものである。従って主婦中心とする国民の、この物価値上げに対する非常に恐怖を持っている感情というものを、政治の面においてぜひお考えをいただきたいということを申し上げて、私の意見を終わりたいと思います。(拍手)
  4. 船田中

    船田委員長 ただいまの中林公述人の御発言に対しまして、御質疑があれば、この際これを許します。
  5. 永井勝次郎

    ○永井委員 中林公述人にお尋ねをいたします。物価問題は本委員会でもだいぶ取り上げられてきたわけでありますが、政府は一・一%程度の値上がりであり、これは計算をすればもっと低い指数になってくるのであって、実際の家庭への影響というものはほとんどないんだ、こういうふうに答弁をいたしておるのであります。そういうような点から、家計費の実態調査の上に立って、鉄道運賃値上げ郵便料金、ガソリン、あるいは医療費、消費物資、その他物価値上がり傾向というものが、政府の言うように、ほんとう家計に響いていないのかどうか、政府が言っておるのはただ数字だけにかじりついて、実態を見ようとしない結果、消費者を犠牲にしておる、こういうふうに見られるのでありますが、その点はどうであるか、これが第一点であります。  第二点は、やはり池田総理はカルテルその他の独占価格というものの維持のための独禁法違反の事実はない、こう言っておるのでありますが、われわれの見るところでは、実際において潜在カルテルもたくさんあるし、また公然とカルテルを組んでおる事実もあるし、また政府の方向としては、独禁法強化する方向ではなくて、特別立法によって一つ一つこれを緩和して、独禁法骨抜きにしていく政策をとっておる、こういうようなことから独占価格というものが大手を振って、大道を濶歩しておるのではないか、こういうふうに思われるのでありますが、その関係はどうであるか、一つ具体的な事例があれば、それをお示し願いたいと思います。
  6. 中林貞男

    中林公述人 今、永井先生のお尋ねの、家計に及ぼす影響いうものは、とうてい政府国会答弁をしておいでになります一・一%どころではなくて、非常な影響を与える。たとえば先ほどもちょっと申し上げましたが、昨年の二月におけるところの二百円でできた献立表、これは厚生省が指導しておりますところの各府県にある保健所が、一般の庶民の生活指導のために作っております献立表、昨年の二月、二百円でできた夕食献立がことしの二月では二百六十五円、家計簿ではかかっておる。二百七円でできた晩のごちそうが三百五円かかっておるという形で、家計簿には莫大なはね返りを見せております。従ってそういう意味において主婦たちは非常に不満を持っておるわけでございます。従って家計簿にはね返る影響というものは、国会政府が言っておいでになること、あるいは役所でお考えになっておることと想像もつかないほどひどいはね返りがあるというふうに私たちは具体的な数字の面で感じております。  それから独禁法については、政府独禁法運用によって物価抑制するということを言っておいでになりますけれども、実際に現われたものはそうではなくて、今、永井先生がおっしゃった通り、独禁法骨抜きというものが歴代内閣によって行われているというのが現状であると私は考え、そしてそのことはカルテルによって独占価格というものが形成されて、そして巨大な独占メーカーが価格をコントロールしておるというところに大きな問題があるというふうに考えておるわけでございます。先生と同じ考えをその点においては私は持っておるわけでございます。
  7. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 今、中林先生からいろいろ詳しい事情を承りまして、大へん啓発されたのでありますが、私しみじみと思いますことは、日本ではどうも消費者を保護する立法、制度というようなものがほとんど皆無であるというように思うのであります。これは外国では必ずしもそうではなくて、相当なものがあると思うのであります。そういうものをどういうように作っていったらいいか、突然のことでありますから十分なお答えをいただけないかもしれませんが、消費者を保護するための制度、立法、そういうものにはどういうものを考えたらよろしいか、これが伺いたい第一点であります。  それから第二点は、確かにそういう消費者を保護するのに、御説の通り協同組合というものは非常に大きな役割を占めております。ところが、今度の予算を見ますと、きょうは予算書を持ってきませんでしたから正確なことを覚えておりませんが、わずかな貸付金が一般会計から用意されております。五千万円くらいでありましたか、わずかなものです。それも昨年より減っておるように私拝見したように記憶しております。こういうふうなわずかなものではとうていものの役に立たぬと思うのであります。今申しましたような独占価格というものを押えていく大きな役割を占めます生活協同組合に対しては、はるかに大きな金を用意しなければいけないのではないかと思うのでありますけれども、その点についてどういうようにお考えになりますか。また消費者団体連絡会等としては、その点につきましてはどれくらいのものをほしいとお考えになっておりますか。  それから第三点としましては、協同組合が火災あるいは生命保険と申しますか、共済と申しますか、これを経営しておられますが、御承知のように非常にわずかな額で押えられております。しかし、本来この保険の額を無制限的にすべきである、そういうようなことになって参りますれば、これはそこで大きな金融の道が一方出てくるのではないか、そういうように思うのでありますが、これが御承知のように日本の金融資本の大きなものであります生命保険会社等で反対して、従来行なわせないようにしておるわけであります。これについては一般消費者団体、ことに生協等においてはどういうような考えをしておられるか、もしそれが今日のような小さな額に制限されなければ、ここで大きな金融の道ができて、協同組合が発達し、従ってそこで消費者を保護する道が大きく出てくると思うのでありますけれども、そういう点についてのお考え一つ承りたい。  それから第四点として、どうも日本の協同組合がなかなかうまく進歩しない、発達をしない。最近はしかし各事業所等で事業所の生活協同組合がだいぶできておりますが、これはなかなかよく発達をしておるようですけれども、どうも地域の協同組合というものはなかなかうまく発達をしないのでありますが、この発達しない一つの原因として、私はむしろ小さな免税措置などは今日のような段階ではあまり大した発達のための役に立っていないのではないかというように考えられるのです。それで私もスエーデンでありましたかノルウエーでありましたかで協同組合をたずねたときに、こういう免税の制度をやっておりませんでした。むしろこういうことよりも員外販売を自由にやって、そしてむしろ金融の措置等を十分にしていく、今のような生命保険などをそこで十分にやっていく方がよいのではないかというようにも感ずるのでありますが、それともこういうような免税措置はやはり依然として必要であるかどうか、いずれにしても確かに協同組合の発達ということが消費者を保護する一つの大きな役割をするとは思うのでありますけれども、そういう点で御意見を承りたいと思います。
  8. 中林貞男

    中林公述人 ただいま長谷川先生のお尋ねの、消費者保護のための立法というものがどういうふうに外国で行なわれ、どういうふうに考えているか、私たち消費者保護立法を日本でもぜひしていただきたいという工合考えております。それからそのためにはまず何といっても独禁法強化ということを私たちはぜひやっていただきたい。ところが政府独禁法の改正というようなもの、独占価格を押えるための立法というものをお考えになっているかどうか。その点西ドイツやオランダやノルウエー、デンマークというようなところなどにおけるいろいろな立法もあるわけでございますので、そういうような形において独占価格を押えるような措置というものを法的にぜひお考えをいただきたいと思いますことと、それからヨーロッパでは多く消費者協会というようなものがあるわけです。そしてそれに対してあるところでは政府が助成金を出してやっている。ところが消費者協会にもいろいろありまして、大きなメーカーが金を出して作っている消費者協会、それはその大きなメーカーのための宣伝機関のようになっている消費者協会も国によってはあります。そういうようなもののあるところでは、必ず労働組合なり、生活協同組合なり、婦人団体が一緒になって消費者運動というような性格消費者協会もあるというようなことでございますが、国によっては政府が中立の立場一つの金を出してそうして、商品分析といいますか品質の検討なり価格の検討というようなものを公平な立場でやる仕組みで、消費者協会というようなものを作ってやっているところもあるわけでございますが、いずれにしましても私たち消費者を保護するためのそういうものを、ぜひ日本においてはお考えをいただきたいという工合考えるわけでございます。  それから生活協同組合に対する貸付金が毎年減ってきているということは、私もその関係者の一人として国会に陳情に参ったりいろいろしているわけでございますが、現在は七百万ぐらいに削られているわけでございます。私たちは少なくともこれは政府の低利の貸付というものを一億ぐらいにしていただきたいという希望を持っているわけでございます。  それから火災共済、生命共済の問題につきましても、一般の営利保険会社との関係においていろいろな制限、制約を私たちは受けているわけでございますけれども、その点につきましても私は協同組合運動全体として、あえて生協とか農協ということではなくて、協同組合運動全体の立場からこういう問題についてはもっと十分自主的な一つ国民運動として、営利を目的とするそういう企業というものと、その営利を目的とする企業が一部独占の営利に走らないように、やはりコントロールしていくためにも自主的な生活協同組合あるいは農業協同組合という運動をやはり助長するという姿勢で、私は政治日本においてもやられなくちゃいけないのではないかという工合考えるわけでございますが、その点は農業協同組合は古い歴史を持っておりますので、まだよろしいのでございますけれども、生活協同組合はまだ歴史はあまり持っていないということなどから、政治的にも十分配慮されていない。しかしこのことは、四番目に先生がお尋ねになりましたこととも関連するわけでございますが、私は決して生活協同組合だけがよくあればいいというような形において問題を考えているわけではございませんので、日本において生活協同組合の問題が論じられますときに、常に小売商人、中小商業者との関連の問題が問題とされるわけでございますけれども、そういう面においては、私は政府においても中小商業者に対する政策、立法あるいは予算措置というものは十分お考えをいただきたい。生活協同組合のことが問題になりますのは、やはり中小商業に対するはっきりした政策のないところに一番大きな原因があるのだと私は思います。従って中小商業者のことも考えると同時に、私は自主的な国民自分たち生活を守ろうということのために作る生活協同組合の運動は自由に伸びるように——それを、とかく現在の日本においては員外利用というような形で生活協同組合が伸びることを法律で押えているわけでございますが、そういうようなことなども外国においては、員外利用というものを法律で押えるというようなことなどは考えなくて、生活協同組合を伸ばす。生活協同組合と小売商人の問題はどこの国でもあるわけでございますが、それは十分調整をしてやっていくという形でやられているわけでございまして、私も生活協同組合の関係者でございますけれども、生活協同組合をもっと伸ばす姿勢と、そうして一方小売商人の問題をどのようにしてその振興をはかるかということを十分お考えをいただくことによって、もっともっと生活協同組合に対する免税の問題なり、いろいろな問題を私はぜひお考えをいただきたいと思うのですけれども、日本においては生活協同組合の員外利用というものを禁止することによって、生活協同組合は国民の自主的な運動であるにもかかわらず、それをがんじがらめにして自由に伸びようとすることも伸ばさないようにがんじがらめにしているというのが現在の日本の現状でございまして、このことは先ほども私の意見開陳のときに時間がありませんでしたので触れませんでしたが、ヨーロッパ各国どこに行きましても、生活協同組合の運動というものを法律でそのような制限をしているところはどこもなくて、そのことはヨーロッパでも非常な重大な問題で、日本生活協同組合法のあり方というものはもっともっと検討する必要があるということを私らも言われておりますし、その点につきましては、別の機会に私はぜひ諸先生方に十分御配慮をいただきたいというふうに考えておるわけでございます。
  9. 上林山榮吉

    ○上林山委員 中林公述人に一、二お伺いいたしてみたいのでございますが、ただいま長谷川君の質問で、私の質問も半ば尽きたわけでありますけれども、まず一点として伺いたいことは、地域、職域を通じて生活協同組合を強化していく、それについては国としてもそれぞれの施策をとらなければならぬ、ここまでは私ども一応了承できるのでありますが、さらにそういうふうにして統制をとり、あるいは強化をしていくことになりますと、現実の問題としては中小商工業者と競合するわけです。そこで中小商工業者を蚕食していってもいいとはおっしゃらないけれども、何らかそこで話し合いなり、中小商工業者は商工業者独特の立法助成をして強化していく、こういうことになりますが、結局は両方とも強化して、その強化した線でお互いが競争すればいいんだ、こういう御見解でございますか。それともこれをイデオロギーを超越して、ということにもなりましょうが、自由主義的な経済、中小商工業者はどちらかといえばそういうような環境なり、そうしたような思想なりを背景にして育ってきておるわけなのです。一方生活協同組合はどちらかといえば組織の力によって半ば統制した考え方を背景にしたいわゆる協同組合でございます。そういうことでありますので、どこでどの程度の調和をはかり得るという何か具体的な御研究をされておるものかどうか。されておるとするならば、その調和点をもう少し具体的に承ることができれば——実際政治に携わる者とこれを批評する者とは立場がそれぞれあるわけでございまして、われわれも苦労しておるわけでございますが、そういう意味でその点をまず伺っておきたい。  なお協同組合全体の運動、こういうことで、漁業組合あるいは農協、あるいは生活協同組合、あるいは中小商工業組合、こうしたような協同組合の全体の運動という範囲を拡げての御開陳もあったようでございますが、これはそれぞれ立場が違っておる点も相当にあるわけで、そうした矛盾をどういうふうに調整するか、あるいは統一的運動としてはどういうものができるか、たとえば農協のごときは、御説にもありました通り、非常に歴史が古いし、また協同組合としての機能も一部弛緩した点はございますが、また改正を要する点もございますけれども、相当これは強力に、地域では、あるいは職域では根を張っておる組織です。そういうふうにして出発がこうちぐはぐに違ってきているわけですが、この辺の御見解がもう少し具体的に伺えれば幸いと思います。
  10. 中林貞男

    中林公述人 上林山先生の第一点の、生活協同組合と中小商工業者との具体的な調和をどのように考えているかというお尋ねでございます。これは私たちも地方に参りますと、このことがいつも問題になる点で、どうだということはやはり具体的な問題として考えていかなくてはならないという工合考えているわけでございます。ただ中小商工業者、特に小売商人の方たちは、生活協同組合がどんどん伸びるからわれわれの商売は上がったりになっていくんだというようなことをよくいわれますけれども、労働組合などで生活協同組合を作るという場合には、労働者の中にはお父さんが商売をしていらっしゃる、兄弟の方が商売をしていらっしゃるということで、やはりこのことが非常に問題になるわけです。しかしこれはぜひ諸先生方にお考えをいただきたいと思いますことは、現在の日本の中小商工業者が経営的に非常に生活に困っている原因は一体どこにあるのかということでございます。私はやはり一番の問題は、日本の人口問題とも関係することかもわかりませんが、失業人口と申しますか、あるいは潜在的失業人口というような形で、首を切られたり定年退職すると、みんな商人になっていくというような形で無限に中小企業、特に商人の場合はふえていくということに一つの大きな問題がある。それから百貨店なり大きなメーカー、特に最近は電機メーカーにしましてもあるいはいろいろな大きなメーカーは——戦前は小売は小売商人にまかせておけということだったが、最近は流通秩序の中においても系列化ということが出て、小売商人の人たちの仕事の範囲がだんだんとやはり巨大な資本の力によって狭められてきており、下からは失業人口を流し込まれて、上からは仕事の範囲を狭められている。ここに一番大きな問題があると思うのでございます。そういうような点について、ぜひ私は国会の諸先生方政治の問題としてお考えをいただきたい。従って完全雇用の問題なり社会保障の拡充、これは政府でも一応いっておいでになることでありますが、私どももそういう立場で、先ほどは時間の関係で触れませんでしたが、そういうようなところに、やはり日本の人口のところで小売商人の問題はどうだという狭い範囲だけではなしに、小売商人を一体どうしていくのだということをもっと広い視野でお考えいただきたい。そうすれば生活協同組合と小売商人の問題というのは十分話し合いがついて、そこに自由競争——生活協同組合でも悪いものがあります。まただめなのもあります。そういうのはつぶれたらいいと思う。それで生活協同組合の悪いものとかいけないものを全部何から何まで政府で保護しろというようなことを申し上げようとは思っておりません。それは国民の審判の結果、公平な立場で伸びたらいいだろうし、生活協同組合でも伸びるものもまたつぶれるものもあるだろう。しかし中小商工業者も生活協同組合も自由に仕事ができるように——私は中小商工業者に対する保護立法と申しますか、その点は基本的には今あげましたような点に十分政治的な御配慮をいただいて、保護立法をして、中小商工業者が伸びるようなことを考えていただく、また生活協同組合をがんじがらめにするような措置は一切排除していただいて、生活協同組合も自由に伸びるような形、そうして免税措置とか、租税特別措置法によって大企業にいろいろな免税措置があって、そうしてわれわれの方にその免税措置が全然ないというようなハンディキャップの条件においてではなくて、われわれ弱い者に対する免税措置ということも十分、大企業にお考えになるならば弱い者に対してはさらに一そうお考えいただくという公平な立場で、私たちは自由に競争していくという形でやっていきたい、そうして商工業者と生活協同組合の間では私は十分話し合いができるし、またやらなくちゃいけないというふうに考えているわけでございます。  第二点の協同組合全体という問題については、私らも農業協同組合、漁業協同組合、生活協同組合という私たちの間ではしょっちゅう連絡の会合を持ち、そして協同組合相互が連携をして伸びていかなくちゃいけない、外国ではみんなそういう形をとっておりますので、農協、漁協、生協の間では協同組合連絡協議会というようなものを持って、たとえば農協の全購連と生活協同組合の購買事業と漁協の購買事業というものの間にはもっと有機的な連携をもってやっていくという形になれば流通秩序の民主化、合理化、近代化、そういう面においても新しい秩序が出てくるし、外国ではその秩序によって物価が押えられている、独占物価をコントロールする力にそれがなっているという工合考えておりまして、これは現に私たちはそういう連絡会合などを持っておりますので、政府並びに先生方にもそういう点について日常的に御指導をいただきたいというふうに考えておるわけでございます。
  11. 三浦一雄

    ○三浦委員 私は簡単にお伺いしたいと思うのですが、われわれの終戦後の体験から申し上げますが、都会地におきましても非常に生活のきびしいときに、生活協同組合等の設立がひんぱんに行なわれましたことは御承知の通りです。その際の過程におきまして、どうしてこれが成功しなかったかといいますと、もとより組合に加入した人の心がまえの問題もあろうと思うのです。それからまた組合を運用するにつきまして、積極的な面がなかったと思うのです。これはそう思いますが、この生活協同組合におきます最も欠陥といわれたことは、サービスの非常に悪かったということ、第二に希望する品質の品物が供給されなかったということ、それからまた取引の関係においてへんぱな措置が非難され、そしてこれがやがて生活協同組合の崩壊を招いた。同時にわずかではございましたけれども、出資された金はうやむやのうちに消えてしまったということが生活協同組合の発達を非常に阻害したと私は思うのです。これはわれわれの体験からそう言えると思う。こういうことでございましたが、きょうは時間がございませんからなんですが、あなたの属している消費者団体連絡会というものの性格、御活躍の模様等はわれわれ十分存じておりませんが、こういうような方面でも、これらの生活協同組合等を育成し、強化するということが重大な職責だと思うのですが、制度の上からいいますと、組合の設立といい、これらに対する金融措置といい、一応のことは整っておる。ただいま仰せになった減税等は、協同組合の方面では今全面的に軽減せいということが出ております。これはしばらく別として、将来において改革すべきことはあろうと思いますが、基本的な制度はある。それを運用する場合に、先ほど私が申し上研たようなことは時々出ておるのですね。それでございますから、私はこれは消費者の活動、消費者の団結的行動によってのみ生活が守られるとは思っておりません。しかし重要な要素ですからお伺いする。つまりこれが発達し得ない、いつの間にか雲散霧消してしまうということに私は問題があると思うのですね。消費者の方の利益を代表して、重要なお仕事をしていらっしゃるのですが、これらについてもう少し将来の消費組合、生活協同組合等の発展のためにどうなければならないかということを、先ほど上林山君の質疑に対しまして、大きな政治問題に転嫁されて、顧みて他を言うような気味もあったと思うのですが、きょうは私とあなたの間で討論をするわけではございませんから、そのことについてのお考え一つお伺いしたいと思うのです。  第二点は員外利用の問題でございますが、これは先年私たちは中小企業の調査に参りまして、現実に私は資料として持っております。その際に、九州における八幡地方あるいは関東における日立地方におきましては、歴然として生活協同組合と市内の商工関係のものと摩擦がある。そして現実に売っておりますものも顕著な差を出しておるのです。それは安い方はいいには違いないですけれども、その間の、あなたは連絡協議会等を設けておるといいますけれども、その所在の場所におきましては、それこそ圧倒的に組合の方が独占的に力が強い。何ら協調のなにが見えなかった。これは制度を置きましても運用できないということが、員外利用を禁止するという一つの立法になったと私は思うのです。つまり条理でもってあるいは良識をもってやればあえて法律を作らなくていいのに、権利の乱用みたいなことをするから、ここに一つのワクがはめられるということになるのですね。これはやはりお互いに深く反省しなければならぬ。こういうことに私は立法の経緯があると思うのです。その二つの点について、私たちも協同組合について若干のなには持っておりますけれども、生活に即しての組合の育成強化、同時に機能の点につきましてお伺いをしたいと思うのであります。
  12. 中林貞男

    中林公述人 今戦後の生活協同組合がばたばたと倒れていったり、あるいは発達しない原因として、三浦先生から生活協同組合が非常にサービスが悪いということを言われましたが、そういう点は私らもあると思います。そういう点は大いに反省して直していかなければいけないというふうに考えます。それからまた取り扱っている品物も非常に限られていて、消費者の希望というものを十分満たしていないじゃないか、その点も私はあると思います。ただ品物の点になりますと、生活協同組合に対して、これは独禁法違反じゃないかということでよく生協の方では騒ぐのですけれども、荷どめということをやられるわけです。品物を、たとえば毛糸なら毛糸で冬に売ろうとすると、いい一流の毛糸を生活協同組合には問屋は卸してくれないという、いわゆる荷どめということが各地で行なわれておるのです。これはやはり独占の横暴だ。生活協同組合にも自由に売るようにさせたらいいのだけれども、これを荷どめという形で生活協同組合に扱わせない。たとえば資生堂の化粧品についても現にそういうことがあるわけでございます。私はこれはわれわれ自身として解決しなければならぬ問題だと思いますけれども、いろいろなそういう問題があるわけです。もちろん生活協同組合の努力の足りない点も私はあるかと思います。  それから三番目のへんぱな措置、これは政治的に一つの党派に片寄ったり、いろいろなことをしているのじゃないかというような御指摘がありますが、生活協同組合は特定の人の利益を考えるとか、あるいは特定の政党のための利益を考えるとかいうようなことは厳にやるべきではなくて、これは消費者の経済機関ですから、あくまで中立の立場でその運営はやられなくちゃならない。ところが今三浦先生の御指摘になったように、とかく個人の利得のためにいろいろなことがやられたり、あるいはいろいろしたという例は、私は幾らも知っております。そうしてそういうところは必ず問題を起こし、出した出資金も返さずに、先生のおっしゃったように雲散霧消した例も日本ではたくさんあるかと思います。そういうような点はやはり戦後の生活協同組合の運動をはばむ大きな原因になってきている。従って生活協同組合の運動を進めるためには、これは第二点の先生の御指摘の点ですけれども、やはり民主的な組織でございますが、中心になる人が一番重要な問題であるということ、従って人の養成、組合員教育、教育活動ということが積極的にやられなくちゃいけない。外国へ行きましても、協同組合の本部をたずねますと、最初から最後まで教育の重要性ということをみんな強調をしているわけでございますが、日本においては、農業協同組合は協同組合短期大学というものを世田谷に持っておりますけれども、やはり生活協同組合においてもそういういわゆる教育活動ということをもっと積極的にやることによって、人の養成あるいはまた組合に対する啓蒙、宣伝ということが現在一番大事なことではないだろうか。それが積極的にやられることによって、またそれを通じてお互いに自覚が高まる。その上に私は、政府のいろいろな施策というものが積極的に行なわれるということによって運動が発展をしていくという工合考えているわけでございます。  ただ、先生が最後におっしゃいました員外利用の点でございますが、八幡と日立とおっしゃいましたが、よくこれが国会先生方に誤解されて困ります点は、いわゆる会社の購買会です。八幡で問題になっておりますのは八幡製鉄所の購買会、日立で問題になっておりますのは日立製作所の購買会なんです。購買会は会社の補助でやっていて、そうして値段を安く売っている。これは町の商人も問題にしていますし、生活協同組合のわれわれも問題にしているわけでございまして、従って購買会の安売り主義というものは、生活協同組合の立場でもあるいは小売り商人の立場でも、八幡などが非常に問題になっているのでありまして、これはやはり法律生活協同組合というものに組織がえさせるなら組織がえをして、そうしてきちんとやるようにしていただかなくちゃいけない。これは一昨年の商工委員会で、団体法の公聴会のときに私申し上げましたが、通産省でも政府でも購買会は生活協同組合に切りかえるように指導をしていきたいということを、中小企業庁の長官からお答えをいただいたこともあるわけでございますが、生活協同組合もむちゃくちゃな員外利用ということではなくて、現在、生活協同組合は一人の員外利用もいけないという法律上の建前になっているわけです。ところが生活協同組合は自主的な運動ですから、組合員を伸ばしていかなくちゃならない。組合員をふやしていくためには、生活協同組合に出資金を出して、それから生活協同組合に出資金を出して買いものをなさいますか、それとも三カ月なりあるいは半年生活協同組合を利用してみて、これはよかったということの納得の上で生活協同組合にお入りになりますかということを尋ねてみますと、十人にお聞きしても、私は国会で与党の先生にも社会党の先生にもお聞きしたのですが、一人残らず、それはあたりまえだよ、利用してみてからよかったら入るし、悪かったら入らぬよということをおっしゃるわけです。しかしその組合員になる前に生活協同組合を利用するということも、現在の生活協同組合法では員外利用としてこれは禁止されているわけです。ですからそういう点は、生活協同組合が自主的な運動として認められているなら、そういうがんじがらめの員外利用ということは経済事業体として不合理なことではないでしょうかということを、私は国会へ来て、よく与党の知った方なり社会党の方のところに行って言うと、それはその通りだ、それは適当なときに直したらいいじゃないかということを個人的に皆さんから言われるのですけれども、いざ法律として直すということになるとなかなかむずかしいということで、私も困っているわけでございまして、その点はむちゃくちゃな員外利用を言っているわけではないのでございまして、農業協同組合法などでは、二割の員外利用ということを、法律で認めているわけでございます。従って、生活協同組合も自主的な経済事業体として伸びていく程度の員外利用というものをぜひお認めをいただきたいということを申しておるわけでございまして、先生のおっしゃった、よく国会で私も先生方から言われるのですが、北九州の場合は八幡の購買会が一番問題になっておるわけでございます。生活協同組合でもかつては終戦直後ごろには先生のおっしゃったようなインチキな組合もずいぶんありました。そういうものは私たちもいけないという考え方で、正しい生活協同組合運動の発展という形で考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
  13. 三浦一雄

    ○三浦委員 私も材料が不十分なために今の点があったかもしれませんので、その点は取り消しておきます。  その次に消費者団体の方では今公共料金の問題について、国鉄料金の問題に触れられました。いずれも該博な知識で、かつ高度の政治性のある問題について御論議になったのですが、この問題等につきましても、これは国鉄が決算の上では黒字になるというのですけれども、これにはいろいろ理由があることで、もう一歩進めて御研究になればおわかりになることですが、これらもただ単に値上げすればいいということではないのであります。そこで消費者団体の方でも、ことに連合体等のような大きな組織の上に立つものは、これらの問題についての核心をつかんで、ある程度までわかっていただかなければならぬ。ただ値上げになった、これがいかぬということを宣伝する機関じゃないでしょうから、その点についてはどういうふうに運営上お考えになっておりますか、ちょっと御説明を願いたい。
  14. 中林貞男

    中林公述人 私らも何でもかんでも反対々々ということをただやっておっては、これはやはり国民の支持を受けることができないというふうに考えております。従って、物価の問題でもきめのこまかい研究をしなくちゃいけない。それですから私もきょうは予算委員会でございましたので、国鉄料金のことについてはただ一、二点だけ申し上げたわけでございますが、当局から出している資料、それからまたエコノミストその他いろいろな雑誌にいろいろな方が分析しておいでになります資料、それから国鉄労働組合の出しております資料、そういうものに基づいて私たちは具体的に検討して、そして反対の点はこういう理由で反対だという形でいかなくてはいけないのではないだろうか。従ってきめのこまかい形で物価問題を取り上げていかなくちゃいけないというふうに考えております。ただ国鉄料金は、私いろいろな本なり資料なりを見てみましたわけですけれども、今度の国鉄料金値上げというものは非常に不合理であるという私は考えを持っておりますので、その意見を述べたわけであります。
  15. 船田中

    船田委員長 他に御質疑がなければ中林公述人に対する質疑は終了することといたします。  中林公述人には御多用中のところ御出席をわずらわしまして、貴重な御意見の御開陳をいただきましてありがとうございました。委員長より厚く御礼申し上げます。(拍手)  次に石田謙一郎君に御意見開陳をお願いいたします。
  16. 石田謙一郎

    石田公述人 私は今度の国会に提案されておる予算について、中小企業立場からいろいろお願いやら何やらいたしてみたいと思います。  私どもは、今国会で冒頭に総理大臣あるいは大蔵大臣からいろいろお話がございましたが、その中に、特に中小企業立場から印象深く覚えたものが二、三ございます。これは皆さんに申し上げるまでもないことでございますが、国民所得を倍増するということが目標で、特に農業と非農業、あるいは大企業と中小企業、あるいは地域相互間に存在するところの格差を是正して、これが結果としてわが国経済の底辺を引き上げ、その構造と体質の改善をはかる、これは総理大臣のお話でありましたが、同様に、大蔵大臣からも、国民各層を通ずるつり合いのとれた生活へ向上させる、そういうことが結局福祉国家としての当然の責務である、この意味で、総理大臣のお話と同じように、産業間、地域間、階層間の格差、特に所得格差という言葉を使われておりますが、この縮小をはかることが必要だということをはっきりと申されておるのであります。私どもこのお話については全く同感でありまして、まさにぜひその通りやっていただきたい。政治のあり方というものは、やはり乏しきを憂えずひとしからざるを憂うということが昔からあるそうでありますが、そのように九千万国民すべてが乏しいならこれまたやむを得ないと思うのであります。しかしながら、その間に公正でないもの、不公正なものがあるということならば、それは最も注意をしなければならぬことじゃなかろうか。こういう意味から私は特に大蔵大臣が農業と中小企業の近代化あるいは後進地域の開発並びに社会保障施策の充実に努めるというお話を伺ったので、大へんけっこうなことだと感じておるわけであります。そして、こういう点から私は本年の予算というものも、こういうふうな点と所得倍増計画というものの中身に基づいて当然予算が盛られたというふうに私どもは感じておるわけであります。そういう点からこの予算を中小企業立場として拝見をしてみますると、精神においては私はまさしくその通りであろうと思う。  大体今日までの日本の中小企業政策というものは、諸外国と比べても、政策的にはあまり劣っておるとは私は思わない。私はまだアメリカだけしか見ておりませんが、アメリカを二回ばかり見て参りまして、あちらの中小企業庁あたり等のお話を伺いましても、日本の中小企業政策と申すものは、決して向こうに劣らない。きめのこまかい、いろいろな点で非常に注意をされた政策であるということは私どもも認めざるを得ないと思うのであります。しかしながら、この中に、政策がこまかいということと、予算の面でそれが実際に現われている点とはおのずと相違があるのではなかろうか、こういう点で私は実はいろいろ中小企業立場から、所得倍増計画の中でわれわれが振り返ってみなければならない点が二、三ありますので、申し上げてみたいと思います。  それは何かというと、第一点は、中小企業の姿、特に小規模企業を含めての姿が、所得倍増計画の一応の目標である昭和四十五年にはどうなるであろうかということなんであります。これはいただきました資料の中にも出ております通り、あまり変わらない、むしろやや劣っていくだろうというふうに私どもには解釈ができるのであります。この点大へん情けないことでありまして、私ども中小企業立場としては困ったものだと思うのであります。ただこの問に、私どもが欧米各国を見ますると、中小企業者の数としては、欧米各国の九五、六%に対し日本のように九九・九%という例もございまするが、あまり変わらない。しかしながら、その企業に働く人の数と国民経済に及ぼす影響というものは、欧米各国日本とはずいぶん違うと思うのであります。雇用人口も、日本では働く人たちの中の六割近くが中小企業に働いている。欧米各国では大体二割くらいであります。そして国の経済に及ぼす影響も、欧米各国ではよく見て三割、普通では二割であります。日本においては、産業構造の中でのいろいろな形が六割ないし七割、特に輸出に至りましては、間接輸出を入れますると、八割が中小企業者の力でできておると思うのであります。こんな点をまず注意してみなければいけない。そして所得倍増計画一つの背景としては、四十五年には、輸出は現在の輸出の三倍以上になるところの九十億ドルというものを達成しなければならぬ。こういうことを考えてみますると、いろいろなことが諸外国の政策の上で問題になります今日、今の日本の輸出が三倍になるということは、決して多量なマス・プロのものだけが出るとは私どもは考えられないのであります。やはり国々のうちで受け入れやすいところの、金額的にはごく少ないが、自然と国民性にマッチした日本の物を受け入れていただくようなことにどうしてもなるのではなかろうか、一ぺんに多量なものが出るということで輸出が三倍になるとは思えないのであります。そういたしますると、倍増計画の中にありまするところの中小企業の国の経済に占める比重は今と同じくらいであろう、やや劣るかもわからない、あるいはその比重が半分くらいになるということについては、問題が一つあるのじゃなかろうか。かりに倍増計画そのものを是認するといたしましても、その場合には、少なくともよほど中小企業が輸出できる態勢になければいけない。ということは、貿易自由化というものがこの四月からぐんぐん門をあけられるといたしますると、やはり日本の大企業も中小企業も小規模企業も世界の国際場裏で競争しなければなりません。大企業は、目下の状況では、私は十分競争ができるのじゃないかと思うのであります。しかしながら、中小企業なり小規模企業は、今の生産性あるいは付加価値の作り出すところの力では、競争できないものが大部分じゃないかというふうに考えられるのであります。そういたしますると、今まで温室のようなところであり得た中小企業がいきなり冷たい風にさらされて、十分うまくいくとは毛頭考えられません。まして十年後にこういうふうな階層を土台としたところの輸出が三倍になり得るとは、私は思えないのであります。こういう点にまず問題があるのではなかろうかというふうに考えられるのであります。  第二の点は、この所得倍増計画の中についておりまするところの小委員会報告を見ますると、中小企業の中の十人以下の小規模企業に対しては、現在の生産性を大企業に比べて二六%と押えております。私どもの調べたところでも大体二六、七%であろうと思うのでありますが、この人たちを十年後には四九%に引き上げたいというふうに書いてあるように見受けられるのであります。もちろんこれは所得倍増計画そのものではないのでありまして、付属書類でありますから、一応実情をあげられたのだろうと私は思うのでありますが、この四九%というものがかりに十年後の小規模企業の姿であるといたしますると、これまた私どもはずいぶん問題があると思うのであります。欧米各国の生産性を見ましても、小規模企業でありましても、大企業に劣らない、むしろすぐれている場合が多いのであります。悪い場合でありましても、七五%以下という例は一つもないのであります。なぜないかということについては、いろいろ問題もあろうと思います。今日までに諸外国がすでに完成した今日の姿だけを見て、過去においてもそうであったというふうには考えられないのでありまして、過去においてはやはり日本と同様なときがあったろうと思うのでありますが、ともかく今日では小規模企業といえども七五%以下ではない。なぜないかというところに長い生産性向上の歴史があり、国家の助成の歴史があると同時に、私は大きな人道問題があると思う。  最近のアメリカの経営学を申し上げるまでもなく、最近のアメリカの経営者の申しますることは、一番最初に経営において注意しなければならない特徴として、ヒューマン・リレーションをあげております。その次に何をあげておるかというと、マーケッティング・リサーチをあげておる。そしてコスト・コントロールというものをあげて、この三つが経営の特徴でなければいけない、価格の安いもので、しかも市場を十分注意して、そうしてこれらを作り出す人たちに対して、人間関係の調整という見地からも、ヒューマニズムに土台を置いたところのヒューマン・リレーションというものを企業の特徴としなければならぬということを申しております。こういうふうなことは今の経営学としては当然の考え方であり、われわれ中小企業者といえども同じように考えなければいけないと思うのであります。  この場合に、中小企業の経営者がその経営に働く人たちに対してなさなければならない大事な点がございます。それは、この働く人たちに満足をさせるという場合に、物心両面を満足させなければならない。物と心であります。これはもう賢明な諸先生方によけいなことでありますが、心の面は別といたしましても、物の面といえば、ずばり賃金だと私は思う。かりに十年後に四九%の生産性というふうなことになりまして、これも日本の中小企業の特に小規模企業立場でやむを得ないといたしまして、半分しか生産性がない場合に、はたしてその企業に働く人にどのくらい賃金を与えることができるであろうか。あるいは支払うことができるであろうか。ここに大きな問題があるのではないかというふうに考えられるのであります。そういうときに、はたして円満な労使の間の関係を維持することができるか、こういう点でこの所得倍増計画というものを見なければならない。まして四九%に小規模企業を上げるにいたしましても、今の生産性の二・九倍と申しまするから、三倍の生産性を持たなければならない。大企業は一・六倍であります。毎年五%ずつ生産性を伸ばして参りましても、所得倍増計画の通りになると思うのであります。小規模企業のものがこれから十年間に、今十の生産性しか持たないものを三十に上げるということになりますると、毎年二割五分ないし三割近く上げていかなければならない。これはなかなか大へんだろうと私は思うのであります。  しかしながら、とにかくいろいろ詳細な調査の結果得られたこれらの計画について、私どもは一応その姿をすなおに受け入れながら、何とか努力をしていきたいと思うのでありまするが、こういう中で、はたしてしからばわれわれの予算はどうなったであろうか。私は冒頭に、日本の中小企業に対するいろいろな対策は諸外国にも劣らないと申し上げた通り、今度の予算の中にもその通りいろいろなものが盛られておると思うのであります。そして今のような問題を一応是認しながら私どもが参りますると、こういう中で何が一番大事であろうかということが問題になってくると思うのであります。それは予算の面で、私これから申し上げて参りたいと思うのでありますが、一番根本は、やはり生産性を伸ばすためには、設備の近代化ということに当然なると思うのであります。設備の近代化と申せば、これはもういろいろな機械も器具も、あるいはそれに付帯するものも直していくことで、これについては中小企業そのものの力と、それから国がいろんな助成策をとるより道がないと思うのでありますが、それが今回は二十五億円認められたわけであります。そしてこの二十五億円も、中小企業庁がお出しになった数字を百パーセント認めたわけでありまして、この点で私は大へんありがたいと思うのであります。ただ不幸にして今回の予算に対しては、予算を作り出す場合に一つのワクがきめられておりまして、五割よりふえてはいかぬというふうな話があったそうでありまして、そのために中小企業庁では非常に遠慮した予算をまず盛られた、ここに大きな問題が私は実はあったと思うのであります。五割というのは、国の予算——今回は二兆円予算というような膨大な予算になったわけでありまするが、この予算の中で、全体としては五割よりふえちゃいかぬということ、しかしながら、やらなければならないもの、あるいは所得倍増計画のスタートを切る年として、これだけはどうしてもやろうということになれば、それに対してのワクというものは、私はかなりゆるめられてよかったと思います。こういう点で私どもは、この二十五億円というものが、一応中小企業庁としては要求され、それを御承認になられたということについてありがたいと思うのでありまするが、どうもこの点では、われわれの側では、ことに少ないのではなかろうかという感じがいたすのであります。ということは、東京都の本年の予算を目下審議いたしておりまするから、まだはっきりいたしませんが、東京都でも、機械の貸し出しあるいは商業関係の店舗の改造資金その他を入れまして、本年大体二十億円になる予定であります。昨年までがたしか十六億円でございます。そういたしますると、東京という特殊な場所であるとは申しながら、国の予算の約一割ないし一割二、三分を占める東京都の予算が二十億である場合に、国としてはやはり少なくとも十倍くらいに見ていただいてよかったのではないか、こういう感じが実はいたします。こういう点で、この二十五億円は、百パーセント認めていただいたので、私ども中小企業者としては大蔵大臣にお礼を申し上げなければならぬのでありましょうが、どうもその立て方の根本に少し誤解があったのではないか、このように考えます。  そこで、これについては目下いろいろ御審議をいただいているときでありまするからなんでありまするが、そういうふうな考え方がわれわれにあるということをぜひ御考慮いただきたいと思うのであります。そしてこれと同時に、設備の近代化ということについては、このような見地から考えていただく。しかもそれが所得倍増計画及び貿易の自由化と二つの面から緊急にやらなければならない。十年後にどんなにたくさん金を投じてもいいのではなくて、この最初の年、あるいは二年目、三年目、この両三年の間にうんと金を投じなければいけない。先は細くなっても今が一番必要だと思うのであります。その必要なときに、少ないのに対して、はなはだ遺憾だと実は思います。  そうして、これと同時に、この設備近代化の中に含まれております予算として、団地計画というものが三億円あるように承っておるのでありますが、これも私どもは実は、その額が少ないので意外とするところであります。中小企業の団地計画と申しますのは、御承知の通り、ただ中小企業を各都会から移せばいい、あるいは新しく作り出せばいいというものではないのでありまして、現に非常に困っておりますところの中小企業を何とかしてその生産性を伸ばし、同時にその伸ばす方法として、共同化することによって、先ほど中林さんからいろいろそういう問題が出たのでありますが、力を合わせて共同化させるためには、どうしても団地計画というものが要ります。たとえば足利地区のトリコットの問題、あるいは静岡地区の木材関係の企業東京でありますと、芝田村町から佐久間町にかけての家具、建具の業者を移すということ、これが現今の場合ではどうしても移さざるを得ないのであります。新しい道路交通法ができて、往来に車をとめられない。道路でもって仕事をやれない。しかもこの仕事をやれる場所を、今までそういうふうなものに依存しておった小規模企業者が今まで通りの仕事を継続するとすれば、どうしても別な場所に移さなければならぬ。しかも別な場所に移れば、そういう問題を解決するばかりではなく、共同化することによって、共同の検査所も共同の研究所も持つことができる、あるいは材料を受け入れるにも共同化によってコストを下げることができる。こんなような見地から、どうしても必要ではないかというふうに考えられるので、これは中小企業、特に小規模の企業に対しては非常に大事な問題だと私は思うのであります。またこういうふうなことをやらない限りは、中小企業者は、これから先設備近代化をやる場合にもばらばらになってしまって、非常に工合が悪い。これが機械振興法の一つの目的でもあろうと思うのであります。あの振興法に盛られた内容のように、機械ばかりではなく、ほかの中小企業に対しても十分こういう点が必要ではなかろうか。そういたしますと、一番最初に必要になりますことは、今小さな規模の企業が都会のまん中で、あるいは端っこでも無理してやっておったものを移す場合に、一番先に必要なものは土地でございます。いかなる土地でも、今土地らしい土地は一万円以下のはございません。ちょっといい場所ですと三万円いたします。埋め立てましても一万円から二万円であります。こういうところに移る場合に、土地を買う資金はもちろん、家屋を建てる資金もない中小企業者に対して、今この弱い生産性を伸ばすためにも、どうしてもやはり一応は国なり自治体なりが力をかさない以上は、できないと思うのであります。そういう意味から、この中小企業の団地という問題については、もう少し今後の見通しを持っていただいて、うんと力をかしていただく必要があるのではなかろうか。またそうでないと、今の小規模企業は、十年先も同じようだ、あるいはちょっと弱くなる。所得倍増計画の中にいわれているように、なくなってしまうのではないかというふうに感ずるわけでございます。  そうして、そういうふうな見地から、なお業種別指導ということになりますか、あるいは小規模企業指導と申しまするか、本年はだいぶたくさんの費用を実はこの点に見ていただけたのであります。東京の例でありますと、昭和三十五年には、たしか四十名くらいの指導員を置くことができたのでありますが、来年は百三十何名か置くことができます。この点については、私は政府一つの進歩だと思うのであります。今まで見捨てられておったところの小さな製造業者あるいは小売業者、サービス業者というふうなもの、あるいは環境衛生の関係の人たち、こういう人たちに対して、こういうふうな形から、きめのこまかい指導をやるということについては、全くありがたいことだと思うのであります。しかしながら、ここで一つ見落しておられることがあるのではなかろうか。ということは、こういうふうな多種多様な業種で、農業のように土地に依存して物を作るというような単純なものではなくして、物を作る、売る、あるいはサービスをする、あるいは賃金を得るような環境衛生の方々に対する指導というものは非常に複雑で、大へんだと思うのであります。こういうふうな仕事に対して、ただ人だけを与えていいかどうかということがまず一つ。その人がこういうふうな多面的なものをやる場合には、相当の力を持っていなければいけないのじゃないか。ところが昨年は二万円でございましたか、都会に対しては一人当たり二万円の月額をいただいたのでありますが、本年は、この予算では二万三千円かに上げていただいております。しかしながら、二万三千円という金を一カ月で見ますと、この人たちが賃金としてあるいは給与として得る金は、せいぜい一万六、七千円だと思うのであります。一万六、七千円の給与しかもらえない人たちにはたしてそのようなこまかい指導ができるかりどうか、私どもは実はここに非常な心配があると思うのであります。さしあたりは、まだこういう仕事に入り、これから訓練し、伸びていく人たちでありますから、がまんをするであろうと思うのでありますが、今後はなかなか大へんじゃないか。この点についても、今後の見通しについて、毎年この人たちが伸びていけば給与も上げなければならぬという点について御注意を願いたい。  同時に、この全国にわたって数千の指導員ができる場合に、この人たちの力を組織化したものがはたしてあるであろうか。私は東京でありまするから、実はこの点については都に強く要請をしております点が二、三あります。ということはこのたくさんの百数十名の指導員の方一人々々が万能ではございません。さすれば、この百三十名の人がいろいろな商売の方の人の指導に当たり、あるいは小さなものを作る人たち指導に当たり、サービス業の指導に当たる場合に、この人たちの力を上手にあんばいする機関が要るだろうと思うのであります。東京でありますると、この役に立つものは、一つには工業奨励館という制度がございます。もう一つは、商工指導所という制度があるのでございます。あるいは繊維関係でありますると、繊維工業試験所と申しますか、電気でありますと電気研究所というものがあるのでありますが、これらの機関はあくまでも都だけのものでありますので、なかなかこの人たちに力をかしてくれません。私どもは東京都でありますから、都の者にもこの点を強く要望したのでありますが、国がこういう人たちを置きます場合に、この人たちの力をいろいろ合わせ、なおこの人たちに教育をし、訓練してやっていくためには、どうしても中央にこの人たちのそういうふうな組織化するための機関が必要だったのではなかろうか。そして、府県と申さなくても、幾つかの県を合わせてブロックとしてもいいと思うのでありますが、そういうふうなブロックにこの人たち指導する機関が必要ではなかろうか。こういうものがないと、この人たちは全くばらばらのさむらいになってしまうと思うのであります。これでは私は困るだろうと思うのであります。やはりこういう人たちを組織化し、教育し、訓練して参るところに、この数千名の人が日本の中小企業に対して十分な指導ができ、かつ非常に効果的な指導ができていくのじゃないかと思う。こういうふうなただばらばらにあるという形に対して、結果的に申せば、そのために商工会があり、商工会議所があるということになるのだろうと思うのでありますが、実は商工会といえども、あるいは商工会議所といえども、なかなかそういうふうなことはできないような体制でありますし、予算もございません。東京の例をあげましても、百三十三、四名の指導員をお預りすると同時に、実は東京の商工会議所だけで二千万円新たに補助金が要るのであります。国と地方の予算のほかに、商工会議所自体が、小規模企業者より上の人たちの会費のうちから二千万円を一カ年間に投じて、小規模企業指導をやっていることになるのであります。こういう例を見ますと、やはりせっかくここまでおやりいただいたのであれば、そのような形でぜひお願いをしたかったと思い、またぜひそのようになるようにお願いをしたいと思うのです。  この問題を取り上げながら、私どもが考えてみたいと思うことは、実は先ほど申し上げた貿易の問題でございます。貿易の問題については、三倍になり、それに対してわれわれ中小企業の力が耐えられるかどうかということが非常に問題だと思うのであります。この貿易の予算は、今回一応御審議願っている中身というものは、輸出振興として四千五百九十三万三千円でありますか、昨年よりは一割ばかりふえておるのでありますが、見ておられるわけであります。しかしながら、この中の一つの技術研究を取り上げても、これが千七百四十六万円、あるいは試作奨励費補助は二千四百四十万円というようなものであります。まして、中小企業の優秀品の展示費が百十万六千円というような額があげられております。そして輸出向きの特産品の販路開拓の資金も二百五十八万円であります。こういうふうな数字については、私どもは実は問題にならないと思うのであります。このほかに見本船をお作りいただくということが、何かいろいろな方法で御決定願っておられるように聞き及んでおりますので、これなんかもこの中に当然入るべきものだと思うのでありますが、ともかくも輸出を三倍にするためには、これはよほど奮発をしていただかないと工合が悪いのじゃないかというふうに考えているわけであります。そして、こういうふうに予算の面で私どもは希望をいろいろ申し上げるものでありますが、とにかくこのように、いろいろな形でお願いしているものがこまかく取り上げられたということは、今度の予算一つの進歩でありますが、ただ取り上げられただけでは工合が悪いのでありまして、やはり政策をお示しになると同時に、その政策が生きて動くように十分な予算措置がぜひ必要ではないか、このような考え方を私どもは持っているということを申し上げたいと思うのであります。  それから、中小企業問題で特に問題になります点がもう二つあると思うのであります。一つは、中小企業の金繰りの問題だと思うのであります。資金をどうやってやるか、私ども本年の今審議されております財政投融資の中身を拝聴いたしますると、私どもに対してお出しいただく金が、中小企業金融公庫で四百二十五億、国民金融公庫で三百七十五億、商工組合中央金庫で四十億、中小企業信用保険公庫で二十億というふうになっているように仄聞しておるのであります。合計して八百六十億ということになるわけでありますが、昨年の当初の予算が六百五十三億、補正予算を入れまして八百五十三億でありますから、これよりはまさにふえております。大へんありがたいことだと思うのであります。しかしながら、ふえておりまするが、この場合に、はたしてそれでは純増はどうだろうかということを一ぺん見てみたいと思うのであります。本年こういうふうな各機関から政府にお返ししなければならぬ金が五百四十五億ございます。そうしますと、八百六十億出していただけるのでありますが、返済する金が五百四十五億でありますと、実際の貸し出し増というものは三百十五億になるのであります。昭和三十四年度を見てみますと、貸し出しは、本年から見まするとずっと少ない、七百九十二億でございます。しかしながら、返済がこのときは少ないので、三百五十二億しかございません。そういたしますと、昭和三十四年度では貸し出し増と申すのが四百四十億実はございました。これだけ中小企業は潤ったのであります。三十五年を同じような見方で見ますと、純貸し出し増では三百二十五億なんであります。そして本年は、当初予算ではこういう計算でいきますと三百十五億の貸し出し増でございます。これから補正予算もございますし、あるいはこの予算の審議の過程で、こういう実情を御記憶願っていろいろお直しいただくことがあるのかもわかりませんが、ともかく問題は大部分決定したように思いますと、私どもはだんだん逆に減っているのだ、三十四年度に四百四十億の純増であったものが、昨年は三百二十五億になり、ことしは三百十五億になったというふうにしか受け取りにくいのであります。この点についてはぜひ一つ御考慮願いたい。そしてこの点が、実は中小企業者が要望しておりますところの安い金利、長い貸付期間という、この長い貸付期間ができない一つの理由なんであります。貸付期間を長くしてやるためには、毎年どうしても純貸し出し増が相当なければいけないということを各公庫とも申しております。そういう意味からも、この点についてはもっと御奮発を願う必要があったのではないか。ということは、所得倍増計画の中小企業委員会報告で見ましても、政府がかりに貸し出す金を五百数十億、本年の貸し出し純増を五百六十億と見ておるようでありますが、この純増に対して、それでは所得倍増計画にうたわれておるところの、十年先に小規模企業なら四九%になるのだというときでも足らないのだ。そしてそういうことではいけないので、三十六年度には千二百六十二億円貸してやらなければだめだという指示がこの小委員会報告に出ております。これから見ますると、三分の一、四分の一にしか実はなりません。こういう点で所得倍増計画とこの予算というものの関係が私どもはちょっとずれてきているんじゃないかというような感じがいたしますので、特にこういうふうな点には御注意願って御奮発を願いたいと私は思うのであります。  最後に、私は中小企業で目下非常に問題になっておりまする労使の関係を申し上げてみたいと思うのであります。この問題については、もう皆さんの方が御承知のように、本年はいよいよ労働攻勢が激しく、中小企業でも三千円ぐらいのアップを要望されるような姿になっております。中卒七千円ないし七千五百円、高卒九千円から一万円というのが今の姿でございますが、こういうふうな姿の中で初任給だけが上がれば問題はございません。私は最低賃金委員会委員をしておりますが、初任給の上がった数字の大体半分が全体の企業では賃金が上がってしまいます。初任給が二割上がるときにはその企業の働く人たちの賃金は約一割上がるというのが今までの平均した数字でございます。こういうふうな点から見ますると、ことしから各中小企業というものは非常な苦労をなめるだろうと私は思うのであります。しかしこれも人道的な見地に立てば、企業の経営者が安い金で、大企業から見たら半分ないし四割にもならないような金で各人に働いてもらうということはわれわれの間違いであって、もちろん十分な金を払わなければならぬのでありますが、しかしこの払えない理由、生産性が上がらないために払えないということも一つの理由でございます。さすればこの点はお互いにいろいろと労使の間で話し合いをしなければならないし、また話し合いをしながら漸次生産性を上げ、賃金も上げていかなければばならぬと私は思うのであります。  こういうふうな場合に私ども中小企業者としては、賃金の面では政府のいろいろな助成策をいただきながら生産性を上げ、そして幾らかでも満足を得るようにしていかなければなりませんが、それ以外のいろいろな福利施設の問題であります。こういうふうな問題でも実は中小企業ではできにくいものがたくさんございます。商工会議所のかつての調べでありますると、商店関係で小売商の店で働く人は月間約三百円という福利費でございます。卸問屋さんで働く人は三千円でございます。月の間に、働く人にその小売商なり卸問屋さんが福利費として使う金でございます。製造業関係では、中小企業でも小規模企業ですと、月間五百円、大企業は五千円でございます。これだけが平均して使われておるという数字が出ておりまするが、このように小さな企業と、大企業では十倍も福利費を使っておる。でありますから、賃金だけの差ではなく、こういう面で中小企業に働く人がだんだんなくなり、本年のように充足率がわずかに数%というような、百人人を求めて数人しか得られないような実情になってきておると思うのであります。  こういう点で政府が中小企業退職共済のような問題について御考慮をいただいて、いろいろ手直しをされたということについては私どもは感謝をしておるのであります。こういう点が確かに今後役立って参るだろうと私は思います。しかしながら遺憾に思いますることは、こういうふうなものと同時に、この人たちに対してやらなければならない共同でやる施設、簡単に申せばいろいろな厚生施設、福利施設というものがございます。いこいの家という形で呼ばれておる場合もありますし、働く者の家という名前でやられておるものもありますし、地方自治体もずいぶんやっておりますが、こういうふうなものがやはり必要だったのではなかろうか、あるいはまたこういう人たちに対して与える施設を政府がやるという気がまえをはっきり法律として現わす必要があったのではないか、中小企業に対して働く人たちに対する福祉法案とでも申しますか、こういうふうなものが私は必要だったと思うのであります。  若い中学校を出ただけの者あるいは高等学校だけを出た者が昼間働き、夜勉強し、あるいは昼間働いてわずかでも税金を納める、この人たちに対して、政府が学校へ通い大学を出るこの人たちと同じように、あたたかい気持を私は持っていただくことが必要だったのではないかと思います。官立大学で申しますと、一人の生徒に少なくとも年間十万円かかっておると思うのであります。こういうふうな人たちに対して、国の将来をになう大事な人たちでありますから、金を出すことに対して私どもはやぶさかではありませんし、賛成をいたしたいと思うのでありますが、同じときに、働いて国の産業に貢献し、わずかでも輸出をしておるこの勤労青少年に対して、やはり同様なあたたかい考え方が必要だったのではないか。そういたしますと、私は本年はどんな形であっても、勤労青少年に対する福祉法案というふうなものがぜひのっけていただきたかった、そして予算の関係でできなくても、できるだけやろうという形にしてほしかったのであります。厚生年金でまさに三十億円、こういうふうな予算が用意されておるというふうに伺っております。しかしながら、金というものだけで私はものが済むとは思っておらぬのであります。やはり働く青少年に対して、国が、所得倍増計画の一翼をになうものは中小企業であり、あなた方若い青少年だ。千五、六百万あるうちの三分の一は若い人たちだと思うのでありますが、この人たちに対して、そういうあたたかい思いやりから国があげてあなた方の福利厚生施設に対しても力を入れますということを言っていただいたら、どのくらいよかったかと実は私は思うのであります。こういう点でこの点がお取り上げにならなかったことについては私は残念だったと思うのであります。  私のいただいた時間も大体参りましたようなんで、一応本年の二兆円予算に対して、中小企業予算というものが四十五億、昨年から見ますれば八割ふえたことについてはお礼を申し上げたいと思うのであります。しかしながら、いただきましたこの「三十六年度予算の説明」の三十三ページに中小企業予算のことが出ておりますが、二、三ページ進みました三十六ページに、私は偶然見ましたところが、麦対策費というものがございます。この麦の対策費が本年は四十億円ございます。三百三十万の中小企業者、ここに働く千五百万の勤労者に対しての施策費が四十五億円である、そして麦だけに対する施策費が四十億円であったということについては、ちょっと私どもも意外な感じがいたします。国の政策にはいろいろ問題はございますと思いますが、しかしながら私どもが考えますることは、政府の施策に対しては十分協力をして参りたい、参りたいけれども、それに対してはあくまでも公正、公平であってほしい、そして国が示された所得倍増計画というものについては、われわれはすなおについていきたいと思う以上は、その示されたものについてはぜひ予算の上でも現わしていただきたいというふうに考えておるわけであります。  大へん失礼を申し上げました。ありがとうございました。(拍手)
  17. 船田中

    船田委員長 ただいまの石田公述人の御発言に対しまして、御質疑があれば、この際、これを許します。
  18. 永井勝次郎

    ○永井委員 ただいま石田さんの公述によりまして、三十六年度の中小企業対策関係の予算は、スズメの涙ほどの予算にすぎない、また所得倍増計画が進めば、中小企業はその被害者になるのだというような御趣旨に了解したのでありまして、われわれの分析と大体同様であることがわかりましたわけであります。  そこで一、二お尋ねをいたしたいわけでありますが、今まで中小企業振興の対策として幾つかの法律が議決されました。たとえば団体法であるとかあるいは百貨店法あるいは商工会法あるいは下請関係の法律というように幾つかの法律が出ました。ことに団体法関係については、これは中小企業の背骨になるのだ、これが憲法なんだ、これが通れば、ここを足場にして中小企業は非常に振興されるのだ、こういう旗じるしでこれらの法律が次々と生まれて参りましたわけでありますが、これらの法律が実際に中小企業の振興にどのような役立ちをしておるのか、具体的に伺いたいと思います。
  19. 石田謙一郎

    石田公述人 この数年来中小企業問題がやかましくなりまして、団体法あるいは百貨店法その他が出て参りました。私どもこの出たということについては全くけっこうだと思うのであります。  団体法がどのような役をしたかというお言葉でございまするが、私は団体法というような法律がなければならない日本の姿というところに実は相当問題があると思うのであります。私ども中小企業者がいかに無力であり、環境に順応するといいまするか、長いものには巻かれろというような長い間の伝統というものが災いをしておると思うのであります。私の意見を申し上げることは失礼でありますが、アメリカで、商工会議所法あるいは団体法という法律があるということを申しますると、みんなに笑われます。自分たちの利益になるならば、法律によらずとも、自分たちが組めばいいじゃないか、そして声を上げればいいじゃないかというような彼らの考え方でありまするが、日本は遺憾ながらまだそのような形にはなっておりません。  そしてこんな形の中で団体法がどういう効果を発揮したかということになりますると、徐々ではありまするが、団体法の結果として弱小な企業がいろいろな形で芽を吹きつつある。たとえば、かねて困っておりましたミカンのカン詰めというふうな、数年前には輸出に対しても過当競争をやり、どうにもしょうがなかったものが、団体法のおかげでいろいろな形でうまくいきまして、現在では毎年全部さばけて、その企業に従事しておる人たちも非常によかった。あるいは輸出を全部だめにされたマッチ企業というものが、この団体法のおかげで最近はよくなって、逆に最低賃金もやろうかというような機運も見えております。こういう意味で私は団体法というものが日本人にはやはり必要だったのだ、そしてその団体法の効果というものが、非常におそかったけれども、ぼつぼつ効果を現わしておるというふうに感じております。私は中小企業安定審議会の一員でありまするから、現実にいろいろ御議論を拝見しておるのでありますが、そんなわけで最近団体法の効果らしいものがかなり出てきたというふうに私自体は考えております。
  20. 永井勝次郎

    ○永井委員 マッチやミカンなんか部分的なもので、中小企業全体としての方向にどれほどの役立ちがあったかということを伺ったわけでありますが、それならば、たとえば百貨店法、下請関係の支払いなんかがこの法律によってどのように救われておりますか。まだ手形の済度が二百日とか、ひどいのになりますと二百五十日とか、こういう済度がある。また済度の面ばかりではなしに、たとえば引き受ける場合、二十日の日に検収したものを翌月払うというものは、二十日過ぎてから、二十二、三日からどんどん検収して、そこで一カ月ただもうけしている。さらにその上に手形済度が何百日というのが出ているというように、下請関係なんか大へんひどいものになっておるのではないか、こういうふうに思うのであります。  たとえば百貨店法関係だって、これによって規制するということによってかえって、逆に百貨店の設備の増強が急速に運ばれた。この法律の出るのを、時間をかせぎながら拡張した、こういうようなことであります。現実に中小企業関係の立法で効果を上げているのは、火災共済関係のものが現実に効果を上げておる。そのほかにはその法律でうたっているような問題はほとんどなくて、まあ害にはならぬけれども役立つほどのものではない、こういう実態だと思うのですが、どうかその点はっきりと、今後われわれが立法活動するにあたりましても、中小企業を代表されてこれでけっこうなんだというならけっこうですけれども、そうではなくて、これは法律だけで、中身はちっとも効果はないのだ、こういうことでありますならば、われわれやはり今後こういう関係については、もっと突っ込んだ立場で検討していかなければならぬ、こういうのでありますから、正直に一つはっきりとおっしゃっていただきたいと思います。
  21. 石田謙一郎

    石田公述人 私自体の考え方といたしましては、まず申し上げてみたいと思うのでありますが、団体法というものについては、私の立場では積極的ではございませんでした。まして百貨店法あるいは下請代金というものの法律制定については、私の立場では積極的ではない。なぜかというと、団体法というふうなもので特に不況要件を取り上げるようなあの形でやるよりは、もっとゆるい形で商工組合法というものが必要ではなかったかと私は考えておるのであります。しかし、法律化された結果において、私は総体的に見て、徐徐ではあるが団体法の効果は現われつつある。しかしながら、できた法律そのままではいけないので、たとえば不況要件というようなあのきびしいものはもっとはずしていいというふうに考えております。同時に、中小企業対策というものが、この長い間かかって不況になった中小企業、特に戦後に苦しい目にあった中小企業を救うのには、なかなか半年、一年ではだめなので、これは食事をしてすぐに腹がくちくなるようなわけにいきにくい。ですから効果はずいぶんかかると思う。  それから百貨店法に対して効果というお話がありましたが、私はこの百貨店法ができたために起きた現象、あのときに、実は百貨店法ができるというので、ちょうど五割近く百貨店の売場面積がふえてしまいました。この点については、確かに法律ができるというときに起きる不思議な現象で、いかに企業というものがすばやいかということを私ども思い知らされたのでありますが、こういう問題がありながらもその後数年間、今日まで百貨店法は相当の効果があった。私は東京の百貨店審議員の一員をやっておりますが、百貨店法のおかげで今日までふえておる面積は確か七千平米ぐらいじゃないかと思います。非常に少ないものです。しかし、今日その時期がいろいろ問題になっているということは言いますが、今日までの形では、百貨店法というものは決してむだじゃなかった、効果があったと私は感ずるものの一人であります。  下請代金に対しては、これはあくまでも道義立法というものでありまして、なかなかこういうものがうまくいくとは思っておりません。ネコに鈴をつけるのにネズミに行けと言っても無理なのでありまして、とてもこれは法律でもって金を払えと言ったところでできないのであります。むしろ大企業の方のふところがゆるくなれば、お話のような二百五十日なんというような手形や、例の台風手形、お産手形というようなばかげたものは減るだろうと思うのです。しかし、それじゃ法律がなければそれでいいかということになりますと、私はやはりこういうふうな法律ができて、あまりひどいということで新聞に出されたり何かするようなことになれば、大企業も自粛をされる。ただやはりこういうものは経済の実態に沿うために、なかなか法律というものは、ずばりと腹のすいている人に食事をさせるようなわけにはいかないという点があるのではないか。しかし、私どもはこういう法律が、今後いろいろ日本でできて参ると思いますが、その法律一つ一つが即時効果はなくても、順次効果を上げていくし、またあることによっておのずと規制するものがあり得るという考え方から、私どもはあった方がいいし、あってほしいというふうに感じております。
  22. 永井勝次郎

    ○永井委員 こういう立法措置にいたしましても、あるいは予算措置にいたしましても、それによって大企業に大きな影響のない範囲で、大企業影響を少なくしながら中小企業の方の顔を立てる。中小企業に、これだけやっているのだと格好つけるために法律を作っているのですから、それ自体が中小企業の振興にはなってこない。あるいは予算にいたしましても、前年に比べてこれだけふえたという数字的計算をしているだけであって、中小企業の実態に相応したような予算措置がなされていない。見本のように一つのモデルとして予算が組まれているだけであって、経済の中小企業に対する実態としての役割は果たしていない。この事実を中小企業の皆さんがほんとうにつかんで、そうしてその壁を破らない限り、幾らかでもふえたらそれだけ効果があるんじゃないか、こんないいかげんなところで妥協していたのでは、中小企業の振興というものはあり得ないわけであります。所得倍増の計画からいったって、これは、中小企業関係からは有業人口が減って、そうしてその減ったものは雇用に回るのであって、みんなつぶれるのです。みんな有業関係の企業がつぶれて雇用に回る、こういう計画なのですから、これによって中小企業所得が倍増されるなんと期待をすることが無理だと私は思う。  そこでもう一つ伺いたいのですが、金融関係ですが、政府はこの裏づけとなる措置をしないで、たとえば商工中金あるいは中小企業金融公庫、国民金融公庫に対して一斉に三厘値下げされた。三厘下げるような条件を整備してやらないで下げたわけでありますから、それだけ金融機関は内部の合理化ということでこれを吸収していかなければならない。そういうふうになりますと、貸し出しの関係は一そう安全性の確立という方向に動いて貸し出しがシビアになってくる。上の方の力のあるものだけが対象となって、力のないものはどんどん削られていくという逆効果が出てくるのではないか、これが一点です。  それからもう一つ、このように三厘値下げいたしましても、商工中金と中小企業国民金融公庫との間にはなお三厘の格差があります。これからの中小企業の振興の方向というものは共同化の方向でなければならない。共同化の方向でなければならないときに、その主要な金融機関である商工中金が三厘ほかの機関より高い金利でなさなければいけない。ことにこういうふうになって参りますと、先ほど公述人からもおっしゃいましたが、四十億政府出したといいますが、これは債券を引き受けるということだけであって、原資については金利のかからない安い原資というのは、三十五年度の補正で二十五億か、これを計上しただけであります。でありますから、この三厘値下げしたことによって商工中金は七十五億という赤字がこの面からは出て、それを経営の中で吸収しなければならない、こういうひどい状態になっておるわけであります。そういたしますと、商工中金におきましても貸し出し関係においては一そうシビアにならざるを得ない、こういうことが起こってくるのではないか、これが一点。  それから設備近代化その他のいろいろな方向というものが、個人企業を対象にしている、個人企業を対象にして協同組合というものの対象が非常に少ない、おしるしだけだ。こういうふうになって参りますと、個人企業を対象にしていきますと、やはり二分の一は自己負担でありますから、負担能力のある、力のあるもののところでなければこれがいかない。そうなりますと、そうでなくても過度の競争に苦しんでおる企業の中で、力のあるもののところにこういう近代化資金、設備資金というものが充てられる。さらに金融の面でこれがその方面に振り向けられる、力のある上にますます土を盛っていく形、そうすると、同じ一つの土俵の中で、横綱のところにうんと力をつけて、ふんどしかつぎのところは切り捨てて、そして五分に勝負をやらせるというのですから、ますます優勝劣敗の形というものが中小企業のワク内で起こってくるのではないか。当然こういう関係は親企業等の系列化に入る、あるいは系列関係の企業にこういうところが集中していって、大企業間接援助の形になって、独立企業の関係はどんどん削られる、金融の面からも、設備近代化の面からも、両面からこういうことが出てくるのではないか、こうわれわれは考えるわけです。その点についてどういうふうに分析をされ、中小企業はこれでけっこうであります、近代化資金がつきますからこれはけっこうですと、両手をあげて御賛成でありますかどうか。これは中小企業のこれからの方向をきめる問題ですから、私は、従来のやり方をただ金融やその他の予算でちょっとふやしただけで、やり方は同じでは、中小企業は救われないと思う。やはり質的な転換がなされなければいけない、こう思うのでありますが、どうか正直に、またずばり、御遠慮なしにおっしゃっていただきたい。
  23. 石田謙一郎

    石田公述人 私どもがアメリカを引っぱり回されておるときに、向こうの方々が言われたことは、日本の中小企業問題は大へんむずかしいそうだけれども、それはむずかしいけれども悪いことではない、アメリカの中小企業のようにものを自主的に、自分の判断で考えるものが減ってしまった国はいろいろ心配がある、だからアメリカではSBAで一生懸命やっておるということを申して、やり方によっては日本の方がいいのだという、慰めともとれる言葉を再々私どもは聞いてきたのであります。その通りでありまして、日本に中小企業企業者の多い、あるいはそれにつながる人たちの多いことは、一面では日本の近代化あるいは資本主義化には問題がありながらむだではないと私は思うのであります。問題はやはりわれわれの心がまえと政府のやり方だというふうに考えておるのであります。  そういう面から今二つの点を御質問があったのでありますが、私は、中金の金利が三厘高いということについては全く意外です。これはなぜかというと、御指示のありました通り、中金は協同組合を中心にしておりますために、このものにプラスいたしまして傘下の組合の費用がいろいろかかるのであります。でありますから、現今のように九分三厘、九分六厘というような金利であった場合には、少なくともこれに七厘ないし一分プラスしますから、みんな一割以上になっております。お説の中にありましたように、協同組合あるいは共同化ということは中小企業の体質改善の一つだと思う。すべてではないと思うのですが、一つの道である以上は、逆に直接各企業にずばりと金を貸せるところの中小企業金融公庫のようなものに対してよりも中金の金利が安いのが当然だ、負担していいと私は思います。この点は全く同感の感じがいたします。そして、それが日本の中小企業の近代化に役に立つので、ぜひこの点については、今後いろいろな形での資金を中金にお出しいただいて、この中金につながる共同化されたところの企業の助成にお力を出していただきたい、こういうふうに私自体も考えます。  それから次に、今問題になりましたところの、今のような形でいくと金利負担がだんだん各機関に片寄るために優良企業にいくのではないか、あるいは設備近代化資金を二分の一負担するのでは優良企業だけが借りられるのではないかという御注意でありますが、まさにその通りであります。私どもがこの数年来国にお願いしまして、かつての補助金の国の六分の一というのを、ようよう御承知の四分の一にしていただいたのもその理由でありまして、今のところ二分の一自分の資金を出すのでも、実は優良企業に片寄る傾向が地方では多くなります。特にこの資金は東京とか北海道は借りておりません。それ以外の各府県でありますから、まあ割合に力の弱い企業を持つところの各府県では、危険を防止する意味からも、つい、その各府県のむしろ借りなくてもいい企業に貸している傾向がないではない。ですから、この点につきましては、やはり今後なお御努力願う必要があるのではないか。そしてほんとうに困っている企業、しかも困っているけれども将来伸びそうな企業にぜひ借りられるように私はお願いしたいと思います。そしてその結果として中堅企業でもいい方だけが残って弱小企業がつぶれるのではないか、これは所得倍増計画の中にずばりと言っておりまして、今後の中小企業というものは、大企業につながる傘下企業、それから中小企業の中の力のある、中小企業の大、中というようなものとが残り、小規模企業はだめになるだろうということを非常にやわらかい言葉で言っておりますが、私はそういう傾向があると思うのであります。これがいいか悪いか、私はいいとは思っておりません。ですから、やはり所得倍増計画というものをお出しになり、あの中に現状分析をいろいろされておられる以上は——この中でおのずと経営力が弱体だからつぶれるということになれば、これは私やむを得ないと思うのです。私ども自体が中小企業でありますが、自分のやり方が悪く、あるいはやった方法が悪いというならば……。しかしながら、正しいやり方で、しかもまじめに経営力もあるものがつぶれるようなことのないようにぜひしていただきたい、このように考えるわけであります。
  24. 小川半次

    ○小川(半)委員 石田公述人に一点だけお伺いしたいのでございます。  お説のように、現在中小企業の問題として、金融の問題あるいは設備近代化の問題等、いろいろ重要かつ必要な問題がありますが、その中でも現在最も必要なのは、中小企業の求人難の問題ではないかと思うのでございます。新聞等にも載っておりますように、求人難のあまり、新しく中学を卒業する子供を養子縁組したり、いろいろあの手この手で求人に大わらわになっている中小企業者の姿が目に見えるようでございます。そこで、ちょうど今就職の時期で最も注目すべき点であるのでお尋ねしたいのですが、最近この求人問題にからんで特殊な現象があるわけです。それは職業安定所を通じて、各中学へそれぞれの事業場から募集がきているわけですが、そういう場合、日教組、組合活動の強い学校の教職員の人たちは、その教え子を中小企業の方へ世話するということは全然ないのです。大企業の方へ、大企業の方へ推薦しているという形なんですが、それはもちろんおそらく理由があるのです。それは自分の教え子を、給料の低い中小企業よりもやはり給料の高い大企業の方へ世話したい、福利厚生施設のあるところへ世話をしたいという気持はわかる。しかしそういう場合に、もう一つつけ加えてよく教え子にしゃべっていることを私たちは耳にするのですが、労働組合のある職場でないといかぬ、中小企業には労働組合がないから、これからは労働組合のある職場へ行かなければならぬ、こういう点も、もちろんそれは必ずしも否定すべきものじゃないのです。労働組合があれば、それだけ自分たち立場をその団結の力で擁護するという場合も考えられるので、その点を私は否定するものではないのでございますが、その場合やはり中小企業者人たちはもっとPRしなければならぬと思うのです。それは、中小企業日本の産業構造の中において欠くべからざるところの重要なる役割を持っておるのであるという点とか、あるいは大企業に一工員として入った場合は、将来独立しようとしても、部分的な仕事しか与えられておりませんから独立の要素がないのだ、中小企業の職場に入る人は比較的幅の広い要素を修得できるわけです。ですから入ったときの給料は安いけれども、将来自分が独立して営業をやる可能性を修得できる、こういう点などをもよくPRしなければならぬのじゃないかと思うのです。  もう一つは、今度も大体新しく中学を卒業する若い子供たち、事業所に就職していく人たちは全国に四十万人弱いるでしょう。さっきあなたがおっしゃったように、中小企業へは四十万人のうちのわずか数%、五%もいかぬと私は見ているのですが、そういう状態であると、中小企業の将来というものは、結局求人難のために破滅していく、そういう傾向に大体あるといわねばならぬわけでございます。そこで推薦するところの教職員のそういうことは別としても、やはりその少年たちは福利厚生施設のあるところ、そうして昔のように、あの住み込みというのをきらうのです。今日は昔のように、たとえば時間の不規則な、そうしてどういう名目のもとの使用人かわからないような扱いを受ける、そういう職場をきらうのです。とりわけ今申し上げたように、あの住み込み制度というものをきらうのです。そういうことを考えてみるときに、中小企業者はここに一大決心をしなければならぬと思うのです。それは先ほどあなたがおっしゃったように、共同の福利厚生施設を持っこと、共同の寄宿舎のようなものを持たなければならぬと思うのです。そういうものを持たずして、ただ新しい少年たちが大企業にばかり行くといって、叫んでいたところでだめなんです。やはり自分たちがその受け入れ態勢を持っていなければならぬと思います。  そこで先ほどあなたは、いろいろ共同の施設を持ちたい、寄宿舎のようなものを持ちたい、それは政府がすべきであるというお説がございましたが、これは政府があるいはやってもいいでしょうけれども、しかしそれはあまり虫がよすぎるのじゃないかと思うのです。それじゃ大企業の方は一々従業員の寄宿舎を持っているが、みな政府の援助で、政府の金でやっているかといえば、そうじゃないのです。ですから、私はその業者あるいは組合などが少なくとも半分くらいの資金を持って、そうしてその半分を政府の方から補助してくれとか、こういうふうな対策を立てなければ、そういう中小企業の従業員の宿泊する施設は政府で作れ、そういうことは過去においても、私たちは長年国の予算に携わってきているものですが、そういう虫のいい施設は少ないのでございます。ですから、あなた方少なくとも業者が相集まって、こういう施設をする、とにかく国からいくばくかの援助は受けられるけれども、まずわれわれでやらなければならぬと、こういう立場に立たなければならぬと思うのですが、現在そういう動きとか、あるいは、中小企業皆様方はそこまでやるという決意とか熱意というものはあるのですか、その点を私は伺っておきたいのです。
  25. 石田謙一郎

    石田公述人 お話の求人難の問題、それに伴って起きるところの黒字倒産、まさに今ぼつぼつ起きております。仕事はあるけれども人がない。これについてはいろいろな問題がありまして、いたずらに安い賃金の人を求めなければならない中小企業の姿というものに大へん問題があろうと思うのであります。しかしながら現実にはそういうことがあるということ、そしてそういうふうな問題を考えるときに、思想的な意味からどうこうということについては私は存じません。しかしながら御説にありましたように、賃金がいい、あるいは福利施設が十分整っているというところへ流れるとか、あるいは将来の安定性があるからだということについては、まさにその通りだと思うのでございます。そしてわれわれ中小企業が中小企業のいい点をPRする、これまた必要だと思うのでございます。アメリカを歩くと、SBAが常に、大企業も中小企業から、とかあるいは、フォードも五人から、というようなモットーを掲げてやっておりますが、まさにその通りで、中小企業には中小企業のいいところがあると思うのであります。そして中小企業も自分の力が悪いためにつぶれるものがありまするから、その中でなら独立心の強い人が独立することもできる可能性がある、まさに御説の通りであります。そしてこのためのわれわれのPRは今後ますます必要じゃないか。会議所、中央会その他を通じて必要でありますし、最近は中小企業のPRセンターもできましたが、これも政府から今度幾らか助成金をいただけるようでありますので、できるだけやらなければなるまい。そしてそういう問題がありながらも、私が先ほど申し上げた寄宿舎その他を政府だけに依存するのはおかしいじゃないか、まさに私はその通りだと思うのであります。われわれ中小企業者、特に私どもは、かつて中小企業に対して、いわゆる助成金という、与えられっきりの金を、私自体が要求したことはないのです。中小企業はこじきじゃないから、必ず貸してくれ、金利が安いことは必要だ、長い返済も必要だけれども、貸してくれる金でいい、われわれこじきをすることは、中小企業をかえってつぶすことになるから、という要望をしたのです。ただここで問題になりますことは、大企業が建てる建物にはいろいろな助成施設がございます。東京都にも、たしか三千万円でございますか、勤労者の住宅のワクがございます。ございますが、本年まだそれは全部使い切っておりません。なぜかというと、中小企業はみずからの設備、あるいは商品の仕入れその他に忙殺されて、実はそれに対して、宿舎その他を建てる資金の手当ができません。そのために、お話のように、考え方としては全くその通りでありまするが、東京都のわずか三千万円の金さえも実は使い切れていない実情なんです。そして、それじゃ全然そういう考え方がないかというと、最近はそうではないのでありまして、堀留からあちらへかけての問屋さん、これも大きい問屋さんではございません。これが何とか集団住宅を建てよう、そしてその中に施設を作ろうというような動きがございます。これについては中小企業としては、できるならば自分の力でやりたい。ただできないときにお願いしたいという考え方を持っておるのでありまして、政府の方でもぜひ力をかしていただきたいということは、今の中小企業の、特にこういうふうな施設の住宅資金というものは、どうしても大企業、及び中小企業の大にばかり流れていってしまいまして、いろいろやかましい条件がつきますために、中小企業の中以下のものにはできません。  それともう一つは、個々の小さな企業ではだめなので、共同化をしないと工合が悪い。ところが実は共同化というものがなかなかむずかしい。なぜかというと、あちらの町に一つ、こちらの町に三つというようにばらばらにございまして、そこで私は先ほど団地という問題をお願いしたのでありますが、やはりこういう点から考えても、同じような業種はなるべく寄せた方がいい。そうすると、こういうふうな施設もうまくいくのじゃないか、私はこのように考える、だからそのようにお願いしたい。ただ私ども中小企業者はいたずらに政府にだけ依存して建ててくれてどうこうということは思っておりません。私どもも十分力を出す決意と覚悟を持っております。これだけは私三百三十万人中小企業者全部がそういうふうに思っておると思うのであります。
  26. 三浦一雄

    ○三浦委員 先ほど中小企業の重要問題点として三つあげられました。二番目のマーケッティング・リサーチの問題でございますが、将来わが国の中小企業の貿易に占むる地位の大きいのにかんがみまして、この問題は一そう重要になると思うのであります。ただいまでも若干の施策はありますけれども、将来を考えます場合に、それをもってとうてい十分だとは考えられませんし、現状から見ましても、どうしてもこれを拡大して参らなければならぬと思うのであります。現に、企業者の方におきましても、いろいろな企画をいたしておりますし、実行していることもあろうと思うのでございますが、将来これに対するいかような施設、いかような方面に特に力点を置くべきかという点について、従来の御検討になった結果をお聞かせ願いたいと思います。  第二点は、東南アジア方面の開発に伴いまして、私は農業開発の点に触れて、しばしば経験したことでございますが、いろいろなプロジェクトが出て参っております。その際によくいわれますことは、中小企業の形態のままで移してほしい、企業そのものを持ってきてほしい、こういうことがしばしばいわれておるのでございますが、なかなかこれが困難であろうと思うのであります。日本の現状から見まして、これに応じて参りますことは、その地方の開発にも寄与するし、日本の中小企業の将来につきましても、一つの光明を与えるものだと思うのですが、これも実行の段階になりますと困難でございます。いろいろの事情があろうと思いますが、これらに対する中小企業側として非常に苦痛な点、あるいは今後これを解決すべき要点等につきまして、御意見の御開陳が得られるならばそれをお示し願いたい。すなわち前段はマーケッティング・リサーチについての積極的な考え方、第二段は中小企業そのものを移すことについての困難な事情、並びにこれに対する対策の考え方について、御意見をお示しを願いたい、こう存じます。
  27. 石田謙一郎

    石田公述人 アメリカ経営の特徴のマーケッティング・リサーチこれは非常にアメリカでは力を入れておりまして、ニールセンというふうな人がやっておりますものは、数百人をこれだけで使っております。大きなビルを持ってやっておりますし、こういう点を見ましても、アメリカではもうすでに買手の世界になってしまいまして、どこに買手がいるか、それからその買手が何を求めているか、こういうふうな問題が解決しない限り、物を作り出してもむだだというふうになっております。日本でもこの点はもうそろそろ同じじゃないか、所得倍増計画の基礎も私どもが推察すると、供給不足でなくて、供給過剰ということが、あの一つの前提じゃないかと私は思うのでありますが、こんな点からもマーケッティング・リサーチが非常に必要じゃないか。その方法としては、一つには個々の業者には力がないということ、やはり協同組合化するか、あるいは小さな中小企業が力を合わせていくということになると、おのずとその仕事も専門化することになると思うのです。そうしてそういうふうな形の中でマーケッティング・リサーチはやはりこういう個々の中小企業者、あるいは中小業者の集まる団体等、それからやはり私は中小企業の場合には、政府の助成策が要ると思います。ということは、なぜかというと、日本の国内のマーケッティング・リサーチだけでありますと、比較的問題は簡単であります。しかしながら、世界各国の需要の動きを見るということになると、小さな企業者、雑貨をやったり、おもちゃをやっているものではなかなかできにくいのであります。そうしてこういうふうな人たちに対しては、何らかの方法で政府が力をかして、その方法はどういうことかというと、たとえば今度の予算にはあまり織り込まれておりませんが、こういうふうな輸出を開拓して歩く人たち、しかも現実の仕事をやっている人たちのチームを作り、世界じゅうを一応回らせる。そうしてそういう費用については一応貸しておき、長い償還で返させるというような形をとりますればかなり違う。もう輸出も今求めて出る時代ではございません。そうして案外目に立たないものが出ております。例の栃木県の益子焼ですか、ああいうふうなものがかえって出る、しかもわれわれの知らない一升どっくりみたいなものがうんと出ていく。何に使うかというと、電気スタンドに使うとかいうようなのがございます。こんなような形を見ましても、われわれの方でマーケットを十分注意して開拓するならば、額はふえないけれども、相当いくのじゃないか。しかし、これには今の中小企業者、年額数百万円あるいは数千万円ぐらいしか出さない、こういう業者では、百万も百五十万も使って世界を見て歩くことはとても不可能です。しかしながら、これもその仕事が将来性があり、輸出できるならば、こういうふうな資金を一時貸してやっても、見せてやる方がいい。そうするとこれが実を結んで、思いも寄らない巨大なものになるのじゃないか、そういう意味から、この際われわれの方もいろいろな形で団体を作る必要があると同時に、政府の方でもこれに対しては助成策をぜひとっていただきたい。そうして力を合わせてこのマーケッティング・リサーチについてやらなければいけないのじゃないか、私どもはそう考えております。これは急速にやらないといけないのじゃないか。大企業は商社その他を通じてやっておりますが、中小企業はできません。しかもこれは下手をすると、商社を通じてやることは、中小企業の独立性を失うことになる。これも一応われわれとして考えてみなければなりませんので、どうしてもそういう助成策をお願いしなければならぬと思うのであります。  それから第二の東南アジアその他の開発の問題でございます。これも実はお話の通り、たくさんございます。ただ、現地の事情がいろいろありまして、金は出すから全部向こうの施設にしてしまいたい。簡単にいうと、全部何年かたったら自分のものだという形でないと受け入れないところもございます。こうなりますと、実は日本のほかに競争国を下手をすると作ってしまいます。こういう危険も実はないではない。また中には、ほかのいろいろな材料的な問題などが現地の事情のためにできない企業もございます。ただ要望はお話の通り、確かに日本での中小企業の形のままでなるべく移せという声が実はずいぶん多いのであります。しかしこれも非常にむずかしいので、実は会議所あたりでは、技術者の交換をやっております。日本の技術者の中で海外に移住したい、出ていきたいという若い希望者を登録いたしまして、そうしてこれを出しております。向こうの希望でいろいろな仕事がございますが、中小企業のものが主体でございますが、こういう仕事の技術者を出して、これは毎月数人ではありますが、現に出ております。これがぼつぼつ実を結ぶと、それではその仕事に使うプラントなり設備をよこせということになってくると思うのであります。これがやがて相当実を結ぶのじゃないか、私どもはこのように考えて、商工会議所では、目下細々ではありますが、そのようなことに力を入れてサービスをいたしております。それから今後起きる問題は、材料あるいは部品は日本でやる。ミシンは、ブラジルでありますが、現にもう出ております。そうしてこの部品は全部向こうに出しまして、あちらで組み立て工場を作る。大体が、実は東南アジアでありますと、賃金が安いのでありますが、そのかわり能率がうんと上がらない。それから南米あたりでありますと、比較的日本人ぐらいの能率を持っておりますが、賃金がばか高い。そこで全部を作ると逆にどうしてもかなわないということになりますので、やはりミシンあたりでありますと、部品を全部こちらで作って持って参って、あちらでアッセンブルする、こんなふうな形になるのじゃないか。東南アジアの後進国に対しては、われわれがあまり利益本位でなく、やはり中小企業の輸出ということを考えていいのじゃないか。それを輸出すると同時に、その企業をより高度に進めるようにわれわれの方は考慮する必要がある。もし政府でお考えいただくならば、その輸出、そういう中小企業の設備を出すことについての助成策と同時に、その出したあとでの対策をぜひ考慮していただく必要がある、こういうふうに私は考えております。
  28. 船田中

    船田委員長 他に御質疑がなければ石田公述人に対する質疑は終了することといたします。  石田公述人には御多用中のところ、長時間にわたり御出席をわずらわしまして、貴重なる御意見の御開陳をいただきましてありがとうございました。委員長より厚くお礼申し上げます。(拍手)  この際午後二時まで休憩いたします。    午後一時十一分休憩      ————◇—————    午後二時十七分開議
  29. 船田中

    船田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  公聴会を続行いたします。  御出席公述人各位にごあいさつ申し上げます。申すまでもなく、本公聴会は、目下委員会において審査中の昭和三十六年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算審査参考に資するためのものでありますので、公述人各位におかれましては、忌憚のない御意見開陳せられますようお願いいたします。  議事は高橋さん、一楽さんの順序で御一名ずつ順次御意見開陳及びその質疑を済ませていくことといたしまして、公述人各位の御意見を述べられる時間は、約三十分程度にお願いいたしたいと存じます。  なお念のため申し上げておきますと、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また発言内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっております。なお、委員公述人質疑をすることができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承いただきたいと存じます。  それでは、まず高橋長太郎君より御意見開陳をお願いいたします。
  30. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 それでは御指名によりまして、私から明昭和三十六年度予算案の中で特に社会保障関係の経費につきまして感ずることを申し述べたいと思います。  最初にお断わり申し上げたいことは、第一に、社会保障というのは、申すまでもなく非常に長期間にわたるものでございますので、単に三十六年度の予算だけについて、ある費目が何%増したと申し上げても、これはあまり意味がない、むしろ長期的な観点から考えたい、こういうことであります。  第二は、ちょうど所得倍増計画の第一年度に当たりますので、やはりこの所得倍増計画というものを基本に置いて、その過程において社会保障がいかにあるべきかということを中心に申し上げたい。ことに所得の倍増ということは何年、たとえば十年先に所得が水準として二倍になるということでございますけれども、その間に問題になりますのは、二重構造、格差、こういう問題だと思います。特にこの格差というのは、同じ質の賃金その他のものに起こります最高と最低の幅でございます。この幅を縮めるということがもし社会保障に与えられた一つの任務だとすれば、社会保障はどの程度までこれをなし得るかという観点が重要かと思います。一体格差を縮めるのに一番有力な手段、あるいはそれ以外にないと思われる手段は、やはり所得の再分配という点であります。従いまして、三十六年度ばかりでなく、これからの予算案におきまして、はたして再分配という観点から見て十分であるかどうか、こういう二つの点から申し上げたいと思います。従って、私の話はやや多少抽象にわたるかと思いますけれども、それをあらかじめお断わり申し上げたいと思います。  社会保障中心となりますのは、申すまでもなく公的扶助と社会保険であります。それぞれもちろん任務が違いますが、先ほども申し上げました最高と最低の幅という最低というところに連関いたしますのは公的扶助でございます。公的扶助というのは生活の最低限を保障するというのがその任務かと思いますが、その最低限をどのくらい上げたらいいかという問題、これはむしろ算術的にはっきりいたします。というのは、所得の水準をかりに十年間で二倍にする、つまり年率約七・二%ずつ平均水準が増していく、そのときに最低水準も同じ割合で同じスピードで増したならば、やはり二倍になるというだけでありまして、格差は一向に縮小いたしません。そこで最低限だけは、もしも平均水準が二倍ならば三倍くらいに上げなければ格差は縮小しない。もし三倍にするとすれば年々何%ずつ上げていけばいいかと申しますと、毎年、十年間でありますが平均して一二%ずつ上げなければならない、こういうことになります。これは算術的に明白であります。三十六年度の予算案では、厚生大臣が二六%の引き上げでだいぶ御苦労なさったようですが、結局は一八%の引き上げ、これは従来に比較いたしますと非常に大幅の引き上げでございます。肝心なことは、ある年にただ引き上げたというだけでは、先ほど申しました三倍にはなりません。毎年平均して一二%ずつ上げなければ三倍にならないということであります。これは何か三倍ということに非常にこだわるようでございますが、それはあとで内容的にその理由を申し上げますが、とにかくそういう措置をしなければならない。実際は非常に困難なことはわかり切っておりまして、この公的扶助の上には、もちろん賃金体系が乗っておりますし、あらゆる経済の問題が乗っておりますから、実際は容易でないと思いますが、そうしなければ三倍にならないということは明白なことでございます。  そこで問題なのは水準と内容でございます。なぜ三倍と申し上げたかという理由は、現在の公的扶助の水準が国民全体の消費のせいぜい三割程度である。このままでもし所得が二倍になりますれば、国民全体の消費のわずか一五%ということになってしまう。だからこれを三倍に上げて、せめて四五%ぐらいにするという意味でございます。  ところで内容でございますが、これは実はいろいろな七つばかりの扶助がございますけれども、御承知のように大部分が医療扶助であります。これがあとで申し上げます医療保険と密接不可分の関係にあるということであります。  第二に、生活の最低限と申し上げましたけれども、実際は消費の最低限、しかも消費の中の医療のいわば最低限、生活というものは単なる衣食費で成り立つものでなくして、生活環境の上に成り立つわけであります。とかく社会保障公共投資というものは別々のものである、あるいは敵と味方くらいに考えられやすいのでありますが、私はそうではなくして、公共投資による生活環境の整備なくして、いかほどこの公的扶助の水準を上げてみてもほんとうの意味の生活の充実にはならない。こう思いますので、両者タイアップしてこれは考えなければならない問題だと思うのであります。  そこでその次でありますが、社会保険に移る前に、ちょうど公的扶助と社会保険の両方にまたがっているようなものがございます。それが年金の中の福祉年金とそれから三十六年度に発足する国民年金であります。この両方にまたがっているということは、あとに申します医療保険のときに大いに考えなければならない問題だと思います。あらかじめ予告的に申し上げますと、同じ年金が両方にまたがっている。一つは公的扶助にきわめて近いものであり、福祉年金と申しますのは言うまでもなく無拠出の、しかも全部税金でやる、こういうものでございます。それで公的扶助のときに申し落しましたが、公的扶助というのは納税者の負担において非納税者の生活の最低限を保障するというのでありますから、完全な所得の再分配であります。これほど完全な所得の再分配はございません。つまり、もう一ぺん繰り返して言うならば、納税者の負担において、税金を納める能力のないような人の生活を維持する、こういうわけであります。従って福祉年金も同じような性質のものでございまして、無拠出というのは一銭も保険料を取らずにもっぱら税金で、つまり納税者の負担において老齢の人に給付をする、こういうことであります。内容は全く同じものであります。なぜ日本では年金がこう二つに分かれて、しかも福祉年金というのがあるかと申しますと、これは公的扶助が至らないからだ。公的扶助が十分になって、先ほど申しましたようにむしろ三倍になる。こういたしますと、福祉年金は要らなくなるとは申しませんが、だんだんこれは少なくなってしかるべきだ。従って公的扶助と福祉年金はやはり密接な関係がございます。一方がふえれば、一方は少なくともふえないまでも減るかもしれない。こういう関係にあるということを特に強調いたしたいと思います。  そこで問題の国民年金、これは三十六年度から発足するもので、内容的には全く社会保険の仕組みだと私は思います。ところで、この国民年金の仕組みでありますが、これはどんな形になっているかは御承知でございますが、実は利子収入というものが非常に大きな財源をなしまして、あと十五年ぐらいたちますと、利息収入の方が保険料収入をこえて、そうしてそのときの積立金が一兆円になる。そういうことはすぐわかるのでありますが、一体国が出す年金の費用というのはふえるのか減るのかというと、ほとんどふえません。百二、三十億から一番多いときで百八十億、しかもだんだん減っていく、いわばこのくらい安定したものはないわけであります。社会保障の中で一番安定しております。しかしながら再分配という見地から見ると、これは利息収入による再分配、つまり利息収入がいわば大きな財源になりまして、そうしてこれによって生活水準の低い人に、しかも老齢者にこれを給付する。つまり今までの再分配と全く違いまして、利息による再分配、こういう特殊なものであります。  ここで問題になりますのは、従って利息収入ということと、低金利政策とがどういう関係を持つかということでございます。さらに物価水準というものとこの利息とがいかなる関係があるかということでございます。今つづめて申すならば、物価が上がれば当然今度は給付を上げなければならぬかもしれません。しかしながら、利息収入物価と同じように上昇するならばこれによって十分に給付水準を上げることができる。そういう問題につきましてはまたあとで申し上げたいと思います。いずれにいたしましても、国民年金は特殊な仕組みになっております。中心が利息収入である点が特に強調したいところでございます。  こういうように見て参りますと、公的扶助、これは完全な所得の再分配である。それから福祉年金もそれに類似しておる。それから国民年金はやや違いまして、利息による再分配、こういうことを申し上げておきます。  ところで目下問題になっておる医療保険ですが、これにつきましては非常に世上やかましいのでありますが、この仕組みは非常に特殊な仕組みで、名前は保険という名前がついておりますが、民間の保険と非常に変わっております。どこが違うかと申しますと、民間の火災保険や生命保険でございますと、事故が起こったときには、あらかじめ約束した保険金額を支払えば済む。金銭給付でそれでおしまい。ところが医療保険は物的給付である。言いかえますと、火事になって家が焼けた。そのときに家を補修あるいは再建するところまでやる保険なのです。そうしますと、どうしても大工さんが出てくる。お医者さんを大工さんにたとえては失礼でございますけれども、事柄は同じである。普通の保険では出てこない大工さんが出てくる。そして今やかましい一点単価ということも、この比喩から申せば大工さんの手間賃の問題、この手間賃をできるだけ安くしてもと通りの家を建てろという、そこにいろいろな無理が生ずるのは当然であります。のみならず、これは予算的に申しますと、もっと重要なことは、その手間賃が大工の生活に連関しておりますから、いわば人件費的なものを含んでおる。先ほど物的給付と申し上げましたけれども、これは単に薬その他の値段で動くものだけではなくして、お医者さんの生活水準が上がれば当然に膨張するという非常にめんどうな人件費的なものを含んでおるという点で注目すべきだと思うのです。これをいかに解決するかということは、私の公述の範囲を越えますし、また別のしかるべきところで目下審議中と承っておりますけれども、もしも御質問があれば何なりとお答えしたいと思います。すでに暗示的に私は申し上げましたように、公的扶助の大部分が医療扶助である。それから年金が二つに分かれておる。  もう一つ、つけ加えさしていただきますと、大工の手間賃と申し上げましたけれども、医療サービスの料金というものは、実は鉄道などの公共料金、あるいは電気などの公益料金にきわめて近い。どこが違うかというと、鉄道や電気の場合は膨大な資本、設備を要する。片方は純粋の技術というサービスであるという点が違うだけで、これは公共料金あるいは公益料金並みに考えないと算定ができない、こういう仕組みになって参ります。もう一つつけ加えて申し上げますと、鉄道の旅客運賃には一等、二等の区別がある。お客さんの負担能力に応じて自由に一等に乗ることも二等に乗ることもできる。現在の医療サービスに対する料金は、いわば二等一本、そこにいろいろな無理がある。あとは範囲を少し越えますから、ただ暗示的に申し上げておきます。  さてこれは、はたして再分配として見たときにどうかというと、非常におかしいのです。というのは、今強調いたしましたように、二等料金一本でございますから、お金持ちでも安い保険の診療で治療を受ける。こういたしますと、実は所得の再分配といいましても、逆の再分配が行なわれる可能性がある。つまり普通再分配と申しますと、なるべくお金持ちからお金を集めて、そして貧しい人の方に所得を移すことを再分配といっておりますけれども、医療保険に限りましては、今申しましたように、お医者さんのサービス料金の特殊性からきて、逆の再分配が行なわれ得る可能性がある。ここにやはり私は医療保険の一番の問題点があるかと思います。  以上通観いたしますと、結局今度の予算案で、むしろ予想以上に上がった。そして将来も上がるべきものは公的扶助である。ただわずかに一八%上がっただけで安心ができないのは、先ほど申しましたように、もしも十年後に平均水準が二倍になる。そして格差を縮めるために公的扶助を三倍にするといたしますと、毎年上げなければならない。それを実際に五年目にせよ三年目にせよ、とにかく連続的に上げねばらぬという問題であります。  それからその次の年金の問題は、つづめて申せば公的扶助の補完的な福祉年金、これのあり方、それと国民年金め利子の収入、つまり資金運用という問題。それから最後の医療保険というのが、先ほど申し上げましたような特殊な保険である。保険金の定めがないということは、給付に限度がない。しかも物的給付である。その物的給付たるや、ただ品物を与えれば済むということでなく、お医者さんの医療行為というサービスで、もと通りの健康になおす。ここが問題だと思います。従ってこの料金は、もう一ぺん申し上げますと、公益料金あるいは公共料金並みに考えなければならぬ、こういうことでございます。  さて次に、社会保障というのは、何でもかんでも国が一切の費用を負担して、国がひとりでやるものではございません。申すまでもなく、個人と企業政府と、三人がお金を出し合って、つまり相互扶助の精神のもとに初めて実現するものであります。近ごろ医療保険について利害関係者なんという言葉が出ておりますが、社会保険には利害関係者というものはないはずであります。そういう人たちが、どのくらいずつ負担したらば一番給付が上がるかという問題であります。それで外国の例を申し上げますと、何も国ばかりがやっているわけではありません。企業つまり事業主でありますが、それの負担の非常に高いのはフランスとイタリアで、それから個人の負担、つまりわれわれ国民負担の割合の非常に大きいのはニュージーランド。政府負担の相当大きいのがスウェーデンとイギリスであります。これを数字について申し上げますと、ILOが一九五八年に「社会保障の費用」という報告書を出しております。つまり言いかえますと、社会保障のうちにどれだけの割合を個人と企業政府が分担しているかという分担の割合でございます。先ほど申し上げましたフランスとそれからイタリアでありますが、企業がフランスの場合は六三%、イタリアの場合は六七%負担しておる。ニュージーランドの場合は個人が、これは特別税を含めまして五六%負担しておる。ところが、政府が非常に負担しておりますのは、先ほど申しましたスウェーデンとイギリスでございますが、スウェーデンは約八〇%政府負担しておる。ほとんど国がやっておる。イギリスは言うまでもなく相当高いのでありますが、これが約六〇%、こういうふうに、国によりまして個人と企業政府のそれぞれ社会保障の費用の分担の仕方は違うのであります。日本はと申しますと、ややイギリスに近い仕方でございます。これは国の事情もございましょうけれども、今の所得倍増計画という点から見て、はたしてその割合がいいか悪いかということは、次に申し上げます。  それではどこの国が給付水準が高いかというのは、みんなが分担した結果——結局ねらいは先ほどの所得の再分配効果を上げて給付の水準を高める。どこの国が高いかということになりますと、先ほど来申し上げている政府が一切やっているイギリスが比較的低いのであります。同じILOの資料でございます。以下申し上げます数字は、すべて国民の消費支出の中に占める社会保障費の割合、それが高ければ消費のうちどれだけを社会保障でやっているか、こういうことになります。イギリスの場合は、一〇・五%であります。われわれの生活費の約一割が社会保障の恩恵を受けている、こういうことであります。ところがフランスは一五・九%、つまり約一六%、それからニュージーランドでは一四・二%、イタリアが一三・二でございます。だから社会保障というものは、必ずしも政府がやったから給付が上がるとは限らない。これはもうはっきりわかるのは、イギリスはせっかく政府が介入し、政府が非常な努力を払いながら、実は再分配効果というものをあまり考えていないのではないか。御承知のようにほとんど均一に何でもやっていく、こういうやり方でございますから、肝心の給付水準があまり上がっていない。なぜこういうことを申し上げるかと申しますと、今まで申し上げました社会保障、これは国の負担する分だけについて申し上げたのであります。社会保障はあくまでも個人と企業政府が仲良く費用を分担し合って、相互扶助の精神のもとに、ねらいは給付の水準を上げるということになろうかと思います。  ついでに西ドイツの場合でございますが、これは世界で有数な給付水準の高いところであります。先ほどの数字、すなわち消費支出に占める社会保障の割合で申しますと、一九・五、つまり消費の約二割が社会保障のおかげである、こういうことになっております。その西ドイツで一体どんな負担の割合をしておるかということを見ますと、企業が約四〇%、個人が四二%、政府が五四%、あとは財産収入その他であります。このパーセンテージは、先ほどお断わりいたしましたように、個人の消費支出の中に占める社会保障費の割合、つまり消費の中でどれだけが社会保障のおかげであるか、こういう数字でございます。(「数字がちょっと合わぬじゃないか」と呼ぶ者あり)もう一ぺん申し上げます。西ドイツの場合の数字でございますが、こまかく申し上げますと、個人の負担、その中が二つに分かれておりまして、個人の負担が二一・八、税金が二・九でございます。企業が三九・五、政府が中央が二七・一、地方が二・七、そういう負担でございます。ほとんど四〇%ずつの負担に近いわけであります。こういうふうに考えますと、三つの主体がおのおのどれだけずつ分担するかという問題、もう一つは再分配によって給付をどれだけ上げたらいいか、この二つの問題を含んでいるのが社会保障だと思います。  日本の例でございますが、同じILOのこの数字によると、日本におきましては、消費の中に占める社会保障の割合が同じ一九五八年でわずかに六・九、これはやはりイギリスと同じように、政府がせっかく介入しながら、再分配効果が十分に上がっていないのではないか、こういうふうに考えますと、やはり一番最初に戻りまして、所得倍増という、平均水準が二倍になるという計画と同時に、社会保障による格差の縮小、つまり最高、最低の幅を縮小するというときには、どうしても再分配ということを中心に検討しなければならぬ、こういうふうに考えるわけでございます。  以上、やや抽象的に申し上げましたけれども、私の申し上げたかったことは、一番最初に申し上げましたように、社会保障そのものが長期計画でございまして、三十六年度だけをとりまして、公的扶助がたとえば一八%増した、国民年金が百八十億増したと申しましても、この国民年金というのは三十六年に初めて始まる、最初のいわば経過措置としてかかる費用である。そういうわけでございますので、ある一年度だけの費用をとってこれを検討しても、実は社会保障の費用の検討にならぬ。こう思いまして、故意にやや抽象的な原則的なことを申し上げたのであります。  以上で私の公述を終わります。(拍手)
  31. 船田中

    船田委員長 ただいまの高橋公述人の御発言に対しまして、御質疑があればこの際これを許します。
  32. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 高橋先生のお話を承りましたが、今のILOのコストの問題でありますが、今のお話で、一九五八年の統計ではありますけれども、日本出しておりまする割合が諸外国と比べまして非常に少ないというわけでありまして、先般来これがときどき問題になっておるわけであります。しかし非常にむずかしい問題で、ずいぶんまた大きな問題になるわけでありますが、今の日本の国力として、日本の国から社会保障の費用として出しまする金のふさわしい率、ただいまの六・九というようなことでは私は少ないと思うのでありますが、どのくらいまで出すのがふさわしいのか、これは非常に大きな問題でありますから困難な問題だと私思いますし、こういうところで伺うには少し問題が大き過ぎるかと思いますけれども、先生の御意見としてどれくらいが一体ふさわしいとお考えになるか、御意見を承りたいと思います。
  33. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 ただいまの問題は、ある意味でむずかしいと申せば、いろいろ精密な計算をしなければならぬと思いますが、私がわざと故意に個人と企業政府のそれぞれの分担と申し上げた意味は、とかく世間では、社会保障費と国民所得とを比較して多いとか少ないとかいう。そうではなくて、社会保障は個人も負担するし、企業負担する。国だけの負担の分を国民所得と比べて多いとか少ないとかいうけれども、これは問題にならぬということを申し上げたかったのであります。先ほど申し上げましたように、フランスのように企業負担が多い国では、その社会保障に国が出しておる分と国民所得と比べてみると非常に小さく見える。しかし、日本は相当程度国がやっておるのに、国民所得と比較して、少なくともイギリスあたりと比べて低い。これは事実だと思います。そこでどの程度に上げたらいいかということはにわかに——数字をあげればお答えできますが、方向的に申し上げますと、先ほど来申し上げましたように、所得平均水準が二倍になるときに、そのうちの何%かを占める公的扶助がかりに三倍になるといたします。そうすれば、おのずからほかのものがどれくらいになるかという見当がつき得るのじゃないか、このくらいのお答えを申し上げてみたいと思います。
  34. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 それから国民年金の問題が、さしあたって三月末日までに登録をするせぬということで、非常に大きな問題になっているわけです。今の国民年金の問題を見まして、やはり反対するだけの理由があると私は思います。私どもとしては、これはあくまでやめないでやるべきだと思うのでありますけれども、しかし、ずいぶんと問題がたくさんございまして、それをやはり訂正するということが非常に大事で、われわれはそれを強く主張して参りましたが、政府の方でもわずかながらあちこちこうやくばりのような改正をするということになって参りました。まあ少しでもよくなることはけっこうなことでありますが、しかし、また今度は非常に大きな問題として残っておりますのは、物価が上がっていくときに、それにスライドしなければだめじゃないか。スライドするということが、読み方によっては法律の中に書いてないではありませんが、少なくとも今反対している諸君を納得させるには、どれくらい物価が上がったらどれくらいいつ訂正をするか、給付金の改正をするかというこの基準というものを、少なくともここに書くべきだと思うのでありますけれども、その点は先生はどういうようにお考えになっておりますか。  それからもう一つ国民年金の問題で、今御承知のように、日本のボーダー・ライン層というのは非常に大きい数でございます。この諸君で、年金の掛金を免除される諸君、つまり生活保護基準の諸君はいいのでありますけれども、それより少し上のいわゆるボーダー・ラインの諸君になりますと、なかなか——夫婦で一回に千円くらいかけていかなければならぬ、年四回かけて年四千円かけなければならぬ。それを十年かけなければ全然もらえない。十年かけないときには、老齢年金としてみればこれは全然もらえないでゼロになる。こういうことになりますと、一番社会保障として見なければならぬ、社会保障をやる目的の一番大事なところのボーダー・ライン層とわれわれが呼んでおりますそのたくさんの人々が、逆にこれは掛金をある程度して、そのまま老齢年金は給付されないでだめになってしまうということになるわけです。ここに国民年金というものが、今の福祉年金という線では、確かに公的扶助的な性格でもって所得再配分という形ができてくるのでありますけれども、しかしそのボーダー・ラインの諸君で、少しかけたら途中でだめになっちゃったという諸君にとっては、これは全く掛け捨てという形になりまして、逆配分という形になってしまう。この問題を当然すみやかに解決すべきだ寸改正すべきだと思うのでありますけれども、これらの点について先生の御意見を伺いたい。
  35. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 今二つの問題の御質問でありましたが、第一の物価上昇あるいはインフレーションに対して、国民年金は何らの規定がないが、これはどう考えるべきかという御質問、これに対しましては、厚生大臣が答えるべきだと思うのですが、私はたまたま社会保障制度審議会の国民年金の臨時委員ということで、実はあの国民年金ができますときの過程を比較的知っておりますので、厚生大臣にかわって御答弁申し上げますと、(笑声)実はそれは非常に問題になりました。しかしながら、いかなる国も英国さえもと言っていいと思いますが、御承知のように年金の一番発達しているのはイギリスでありますけれども、実はインフレーションに対する規定が何一つございません。そこで労働党が非常にそこをついておるわけであります。しかし日本の場合を申し上げますと、五年目に改定するというのはその含みだと考えております。  それからその次に、物価が上昇したときに、むしろ私の懸念するのは、利子率がどうなるかということの方が、先ほど申したより重要ではないかと私は思います。物価が上昇します。そして給付を上げなくてはならぬ。しかし利子も上ってくれれば利子収入はふえる。こういうわけで比較的うまく解決ができますが、物価と利子率の問題は、日本にいい統計がございませんが、イギリスの非常に長期の、百年ぐらいにわたる物価長期利子率というのに、問題の年金は、おそらく証券投資ということで長期の利子率が問題になります。物価というのは卸売物価でございます。非常にうまく並行しておる。はたして日本でそういうふうにきれいに並行するかどうかは別問題です。もちろん戦争中とか戦後の時期にはどこの国でも並行いたしません。しかし平和のとき、正常のときには長期利子率と卸売物価が比較的並行して動いておる。従いまして物価が上昇した、給付水準を上げなくてはならぬというときに、利子率の方も上ってくれれば、今まで申しましたように保険料を上げなくても給付も上げることができるし、一方において利子収入でまかなっていける、こういうことであります。だから一にかかって物価水準の上昇よりも、それによって長期利子率がどうなるかということの方が、国民年金の場合には重要ではなかろうか、こういうふうに思います。
  36. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 もう一つ、積立金の運用の問題でございますけれども、これは特別勘定を作るか作らぬかということが、今政府の方でも迷っているようでございます。社会保障制度審議会の方では、少なくともさしあたって特別勘定を作れというお話になっている。できればそれは全然別途の会計にしろというように申し入れをしておられるようでありますけれども、これは私どもぜひこういう零細な人々のかけた金でありますから、その人々の福祉のために専門に使うということを中心として考えてもらうことは当然だと思うのであります。そこで運用をして参ります審議会に、私はやはりそういうものをかけました人々の各層の代表者というものを運用に参加さすべきだということを考えますが、この点について先生はどういうお考えでいらっしゃいますか。
  37. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 今申し上げましたように、国民年金はほかの社会保険と違いまして、利息の収入というのがある新しい要素として入って参ります。この利息はどうして生まれるかというと、申すまでもなく積立金、これもまたほかの社会保険に絶対ない新しい仕組みでございますが、それの運用いかんにかかっておるわけです。従って、これをいかに運用するかにつきましては、二通りの意見があり得るわけです。一つは厚生省側と申しますか、むしろ社会保障制度審議会側と、もう一つは大蔵省側、ところが私は、この両方の意見に少し混乱があるのじゃないか、こういうふうに考えます。というのは、零細な資金には違いありませんけれども、これをだからどういう運営をするかというのは別問題です。言いかえますと、先ほど来申し上げておるように、できるだけ利息収入は高いほどいいわけです。ところが零細だからなるべくそういう人に直接役に立つようにということで、かりに病院その他保護施設を作りますと、そこからほとんど収入は上がってこない。こういう矛盾が起こると思います。従いまして、この運用ということと資金の性質とは切り離して考えるべきではないか。あたかも郵便貯金を資金運用部資金で公共投資に充てているように、そのお金がいかなる性質であるかということと、この運用をいかにするかということは別問題である。私の意見を申すならば、やはりなるべくは資金というのは一元化するほど効率的な運用ができる。第二にそれをいかに運用するか、投資先をどうきめるかというのは、それは資金運用委員会の問題でございます。構成メンバーの問題よりも、その人たち考え方の問題です。こういうふうに私思うのですから、従ってある矛盾したような考え方も統一できるのじゃないか、つまり結論を申しますと、なるべく資金はばらばらにしないで統一的に運用した方が効率的な運用ができる、投資先をどう考えるかということは、資金の問題ではなくて運用委員会人たち考え方だ、こういうふうに考えます。
  38. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 それから生活扶助の基準でございますが、今度御承知のように一八%アップしたわけでございますが、この基準がその程度でよろしいとお考えでしょうか。それとも、保護基準という問題は学問的にいってもずいぶんむずかしい問題だと思いますけれども、現実のこの時点においてあの程度でやむを得ないというようなお考えでしょうか。それともまた、この間もここで厚生省当局に聞きますと、二六%にアップするのと一八%でどれくらい金が違うかといったら、十億円ぐらいだ、こういうのです。私ども十四億円ないし十六億円違うのじゃないかというふうに考えているのですけれども、厚生当局は十億円と言っている。そうすると、十億円ばかりならもっと上げたらどうかという気がするのでございます。社会党としましては、むしろ五〇%ぐらい上げるべきだというのが年来の主張なんでございますけれども、現時点において一八%ということで、先生が学者としてお考えになりまして妥当とお考えでしょうか。もっと上げるべきだとお考えでしょうか。
  39. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 生活保護の基準、これが低いか、高いかということは、すでに裁判ざたになったことがあります。私は基準のきめ方、算定方式そのものに問題があると思う。というのは、あるいは御承知ないかと思いますが、いわゆるマーケット・バスケット、理論生計費と申しまして、実際の生計費ではなく、いわば最低生活に必要な品物をより上げまして、お米とかみそとかなんとかいうものだけを考えた生計費で、これは極端に申しますと、今まで基準が上がったというのは米価改定のときだけといって差しつかえないのじゃないか。つまり、最低生活をしている人の主食と申しますか、主として米でございますが、そういういわば最低生活を営むに必要と思われる商品だけをとって、それで考えたいわゆる理論生計費でございますから、実際の生計費を離れることは、はなはだ遠いわけであります。従って、こういう算定方式でなく、むしろ現に調査しておりますCPSとかいうものを根拠にして、そして所得の何円以下の家計調査というものを根拠にすれば、もう少し現実的な、実情に合ったものが出てくるのじゃなかろうか。つまり高い低いよりも、算定方式そのものが検討を要するのじゃないかというふうに私は考えております。
  40. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 先ほどちょっとお触れになりました医療費の問題、今ずいぶん大きな問題になっておるわけです。この点一〇%アップするか、二〇%にするか、三〇%にするかというようないろいろな問題があるわけでございますけれども、学者といたしまして、この問題をどうお考えになるか。  また今日の医療保険の制度というものが、このままでは非常に大きな矛盾をはらんでいると思うのです。一つは今問題になっておりまする技術差というものが、これではどうにも浮かび出てこない、技術差に対する対価というものが浮かび上がってこないということです。それから療養費払いというようなことで、つまり保険者が負担すべきものを医者が負担しているというような形になって、今の保険制度になっておりますが、療養費払いにすれば、その点は、保険者が持つべきものは持ち、医者が負担すべきものは負担するというような形になるのではないかというような問題もありますし、そこのところにまた保険のいろいろな煩瑣な事務という問題も解決をする道もあろうと思うのです。しかし、これもまた一面金のない者はすぐ簡単に医者にかかれないという大きな問題も出て参ると思います。療養費払いというような問題も非常に検討すべき困難な問題だと思います。そういう問題もはらんでおるし、非常にたくさんな問題をはらんでおると思いますが、これらの点について先生の学者としての御意見を伺いたいと思います。
  41. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 先ほど来医療保険につきましてはやや内容に立ち入って申し上げたのですが、重複して申し上げますと、フランスのように金銭給付の場合には、患者が医者にかかって、その治療費をしかるべきところへ持っていって査定を受けて、お金で解決するという仕方をとっております。ところが、わが国ではドイツ流と申しますか、物的給付である。その物的たるや、先ほど来御説明申しましたように、単に薬や何かの値段ではなくして、医師の生活費つまり人件費的なものが入っている。だから、たとい薬がどんどん安くなりましても、所得倍増で医師の生活費が上がるということになりますと、これが直接間接に医療保険の費用に響く、こういう特殊な仕組みをとっておりますために混乱が増しているのではないかと申し上げた次第です。  さっきの療養費払いというのは、先ほどの金銭給付にやや近い考え方でございます。ただ、これの一つの困難は、所得の低い人で、お金を払うといったって払えないじゃないかということであります。私はフランスの事情をよく知っておりますが、そこの間に立てかえて払う機関があるようであります。やはりそういうような措置をしなければ、すぐ金銭給付というわけに参りません。言いかえますと、低い階層ほど物的給付でなければだめなんです。高い階層と申しますか、所得のある人は金銭給付でもいける、こういう二段になり得るわけです。先ほど公述の範囲をこえるために申し上げませんでしたけれども、もっと別の二段の考え方もあるわけです。言いかえると、一本で考えるというのには無理が出てきているのではないか、ことに所得が倍増ということになって比較的豊かな人というものが出て参りますと、今のように施療から出発して、いわば最低の医療をするというところから出発しました医療保険というものは、根本的に考え直さなければならぬ時期がもう一度、二度あるのじゃないか、こういうふうに予想しております。
  42. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 今のアップの問題で、一〇%アップしたということになっているのですが、この点はいかがお考えでしょうか。
  43. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 政治的な問題で、一〇%というのはどういう根拠か私はよくわかりませんし、医師会の十三円という根拠もよくわかりませんけれども、かりに九%ずつ所得が増していく、お医者さんの生活もまたそれに応じていくといたしますと、先ほど来申し上げておりますように、その人件費的なものが毎年何%ずつかふえざるを得ないという格好になるのじゃないか。たまたま一〇%という数字が出て参りましたけれども、この根拠は私は存じませんが、何%にせよ、これが慣例となりまして、毎年上げていくというめんどうなことになりやしないか、そういうおそれを感じております。
  44. 長谷川保

    ○長谷川(保)委員 先ほどのお話にもただいまのお話にもありましたが、医療保険というものが、施療から始まった最低の医療というところに無理がある。あるいは二本立のように、つまり医療保険で保障するものはここまで、これは保険料を払っての保険でありますから、それ以上の医療については医療保険として保険をすべき範囲を越えているというふうに考えて、それは自分で払うというような面も加味をしていくというように先生は意味して言われたのかどうか、医療保険としてはそういう方がやはり理想的に考えられるのか、あるいは私の質問が先生のお考えと見当違いになるかもしれませんが、今伺っておりまして、先生のおっしゃるところが、医療保険として保険すべきものはこの程度、それ以上の医療についてはまた別の方法で、こういうお考えを含んでいるのではないかというふうに伺ったのでございますけれども、やはり医療保険としてはそういうように行く方が将来合理的とお考えになるのでしょうか。
  45. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 御承知のように、昔のお医者さんというのはほとんど自由診療で何らの制約もなかったわけでありますが、だんだんと自由診療が少なくなって保険診療に移ったというところに問題があるわけであります。しかも、その自由診療と保険診療が、せめて自由診療が四〇%くらい残っておって、六〇%を保険でやる、こういう余裕がございますれば、今日のようなせっぱ詰まった問題は出てこないと思いますが、御承知のように、九〇%近くが保険になったということは、自由診療がほとんどなくなったということであります。つまり一本化してしまったわけであります。そこで、私は、暗示的に申しましたが、あまり個人の意見を申し上げなかったのでありますが、今日の時世になって、それでは自由診療を復活するといいましても、にわかには復活できない。そうしますと、やはりあくまでも保険の中で、二段がまえと申しますか、ある程度の二重措置をしない限りは、とても解決できないのではないかというふうに考えております。
  46. 井手以誠

    ○井手委員 ただいま長谷川委員に対する御説明の中で、いわゆる暗示的なもの——今ある程度までお触れになりましたけれども、もう少し具体的にお尋ねしたいのであります。  医療費というのは、公共料金、公益料金並みに扱うべきである。現在は国鉄の一等、二等と違って二等一本だ。私は、一等お医者さん、二等お医者さんという意味ではなくて、かかる方に、一等患者とか二等患者というわけでありませんけれども、その方に意味があるのではないかと思っておるのであります。今でも所得に応じてある程度の差はつけてありますが、その国民健康保険の料金徴収などにもっと差をつけるべきではないか、こういう御趣旨ではなかろうかと思うのであります。所得の多い者はもっとうんととれ、所得の少ない者はなるべく据え置いて、所得の再配分ができるように、しかもそれでお医者さんも生活ができるようにしてはどうかという御趣旨ではなかろうかと私は暗示を受けたわけでありますが、その辺を一つ、先刻委員長からも大胆に率直にというお示しがありましたから、この機会に具体的なあなたの御意見を承りたいと思います。
  47. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 先ほど医療保険のあり方につきましてしかるべきところで検討中と申し上げましたように、社会保障制度審議会で目下検討中で、この月末までに一応の結論を出す、こういうことになっておることは先刻御承知かと思います。従いまして、私が比較的率直ならざる暗示的なことを申し上げたのも、多少差しさわりがあるというのではっきり申し上げなかったのでございます。しかし、今御質問によりまして、私個人の純粋の、別にまとまった意見ではございませんが、感じだけを申し上げますと、大体今までの質疑でおぼろげながら形が出て参ったと思いますが、現在のお医者さんのサービスに対する報酬、つまりサービス料金というものの評価が非常にむずかしいのは、先ほど申しましたように、公益性とか公共性を持っていながら、鉄道や電気のように巨大な資本を持って、その資本に対する社会的な評価できまるのではなくして、全く個人的な技術できまる、技術をどう評価するかというところできまるわけでございます。昔はこれがどうきまっておったかというと、ちょうど今の料金を公定価格といたしますと、自由価格の時代を回想してみるとおのずからはっきりするのではないかと思うのでありますが、そのときにはお医者さんがやや勝手に料金をきめたわけであります。えらいお医者さんは、高いけれども、患者さんがやはり来るというのは、高いだけの社会的評価がちゃんと現われておる。もしもへぼなお医者さんが高い料金をつけたって患者は来ない。それはあらゆる物価と同じように需要供給できまるものでありますから、幾ら高くても、命にはかえられないから、りっぱなお医者にかかりたいという患者があれば、その料金でうまくいけたわけでございます。それまでの大きな幅を今持つことは困難であることはわかっておりますけれども、やはり社会的評価の反映するような料金でなければ、大学を出てほんの五、六年のお医者さんが一番収入が多いというのは、どこかそこに社会的評価を反映していないところがあるのじゃないか、こういうことを特にはっきり申し上げたかったわけであります。従いまして、この料金を根本的に考え直すとすれば、やはり何らかの意味の二重あるいは二段にしなければならなくなる、こういうふうに申し上げました。そのときに、では患者の方の所得か何かで制限したり、お医者さんの腕の方で制限するかという問題になりますが、現にイギリスはちゃんとスペシャリストという別の階層のお医者さんがあるわけです。日本で専門医制度を置くということは、これは前々厚生省が考えておられるようでありますが、非常にむずかしいのは、お医者さんの仲間でだれがそれでは専門医かという評価がまたむずかしいと思います。また所得で制限をして、お前は所得が年額幾らだから、こういうえらい医者にかかってはならぬということも、これまた行き過ぎだと思います。これはやはり患者の自由選択、昔のようにやはり自由に選択できるということにして、ある場合には、非常に重大な病気だ、重態だというときにはスーパーなお医者さんにかかる。かぜくらいなら保険でやるというくらいの自由がないと、運用がうまくいかないのじゃないかということを申し上げたいのでございます。
  48. 井手以誠

    ○井手委員 今のは技術の方の関係ですが、いま一方の所得の再分配という意味から、所得の多い者からよけいに保険料をとる、その点についてのお考えはどうですか。
  49. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 つまり保険料という形でとるか、差額徴収という形でとるかという御質問じゃないかと思いますが、そうでございますか。
  50. 井手以誠

    ○井手委員 今のお医者さんの方はわかりましたけれども、先刻、あなたの公述によりますと、所得の再分配といわれる社会保障の中の大きな医療の問題について、逆分配になりはせぬかというお話があって、そのあとで医療費の問題が出て参りましたが、暗示の中に、もっと所得のある者からよけいとるような工夫が必要じゃないか、所得のうんとある者から保険料をよけいとり、所得の少ない者からは少なくとる——今でもそうなっておりますけれども、もっとそれに差をつけた方が、医療の問題において所得の格差を埋めるに合理的ではないかというふうに私は受け取ったものですから、その辺の具体的な案があればお示しを願いたいというわけであります。
  51. 高橋長太郎

    ○高橋公述人 あるいはそういう点で誤解を招いたかと思いますが、それはやはり二通りあると思います。一つは、昭和三十年に厚生省で、厚生大臣の諮問機関と申しますか、俗に七人委員会という委員会がございまして、私どもそのメンバーのときの答申のおしまいの方に、差額徴収ということをうたったことがございます。それはあくまでも保険の範囲はくずさないで、しかし、濃厚診療と申しますか、特に今の制限のワク以外の特別の治療を必要とするというときに差額の徴収をしたらどうだろうか、差額というのは、その保険のワク以外のものだけについてという考え方でございます。具体的には非常にむずかしい問題があると思いますが、そういう考え方でございます。  もう一つは、これは先ほど外国の例を申しましたときに特別税を込めて申し上げましたように、フランスとかイタリアでは、社会保障に特別税をかけておる。このかけ方はおそらく個人の所得税に付加税としてかけるのではなかろうか。そうしますと、おのずから累進がきいて、所得の高い人には所得税の付加税としての社会保障税というようなものがかかるということになれば、なるほど所得の高い人からは高い保険料がとれるということになります。しかし私は、そこまでいかなくても、今の差額徴収ということで、やはり患者の自由意思で、場合によっては高度の近代医学の恩典に浴する、そのかわり金額は普通の保険のワクを少し越える、こういうことからやっていく方がなだらかにいくのではないか、こんな感じがしております。
  52. 船田中

    船田委員長 他に御質疑がなければ、高橋公述人に対する質疑は終了することといたします。  高橋公述人には、御多用中のところ御出席を賜わりまして、貴重なる御意見の御開陳をいただきまして、まことにありがとうございました。委員長より厚くお礼申し上げます。(拍手)  次に一楽照雄君に御意見開陳をお願いいたします。
  53. 一楽照雄

    ○一楽公述人 私お話をすることが非常に不得手であることを自分で自覚しているくらいでございます。その上、本日は少しかぜと疲れで、からだが本調子でありませんので、特にお聞き苦しいことになるかと思いますが、あしからずお許しを願いたいと思います。なお、この公述は学識経験者意見を述べさせるという御趣旨のようでございますが、私は育ちが全く研究学者あるいは学者の世界に住んでおりません。ずっと実際の仕事をやってきておるものでございます。また長い間農林中央金庫におりましたが、最近は現在の職につきまして、もう何でも屋になっておりまして、何にも専門のないものでございます。専門がありませんが、立場としましては、御承知の通り終始一貫協同組合関係におります。協同組合の組合員はよく世の中で、税金を払わぬ層だといわれますが、払わぬのではなくて、所得税のかけていただけない所得しかない。そういう方々の組織の上に立って、できる限りそういう構成員の人々の立場に立った考え方をしなければならないという立場でずっときておりまする関係上、専門がないことと両方で、私の意見というものも、そういった生活程度の低い、しかし大多数の方々の感じ、願い、念願というものを台にしてお願いをするというようなことで、感覚的といいますか、直感的なことでありまして、理論的に詰めた学者的な論議はできないわけでございます。そういうわけでございますので、ついあるいは非常にむちゃなとお感じになることを希望意見として申し上げることになるかもわかりませんが、お含みおきを願い、この点もお許しを願いたいと存じます。  まず、今回の三十六年度の予算に関しましては、かねて政府並びに与党の方におかれまして天下にお示しになっておられました政策の具現化にお努めになっておられるということが、相当に了解されたというわけでございます。しかし、本日の使命は、なおこれに対して、私どもの立場からの希望的意見を述べさせていただくということが趣旨でございますので、あるいはすぐにできないこと、ちょっと無理なこともあるかと思いまするが、いろいろ希望的意見として申し述べさせていただきたいと思うわけであります。  まず第一に、減税々々ということがいわれておるわけでございまするが、今回の御措置は、ほとんど所得税並びに法人税という直接税にお手をおつけになっておって、そしてそれらが、このワクの中におきましては、低所得者負担をなるべく軽くするという方に重点を置かれておりまして、けっこうだと思うのでございます。しかしながら、先ほども申し上げましたように、農民の九割以上はこれらの税金をかけていただくだけの収入がないわけでございまするので、これらの直接税をいかに減税されましても、その効果は及ばないわけでございます。  なお、人間の手間賃の引き上げと関連して公共料金引き上げ、すなわち企業においては労賃の引き上げというようなことが趨勢としてあるかと思うのでございまするが、これが企業、特に大企業等におきましては、これを緩和する要素も、金利の低下というようなことで生じておるわけでございます。農業者は、この手間賃の引き上げによる公共料金引き上げ、またそれに伴う若干の他の物価値上がりというようなものを、自分の経営の中で消化することはできない。逆にそれらのものがそっくりそのまま農民の負担になってしまいますから、結果としては農民の手間賃が安くなるという結果になるわけで、これが大体の傾向だと思うわけであります。  例を申し上げますと、農産物の野菜、果実その他の運賃等は、そっくりそのまま、消費者ではなくして、生産者の負担に帰属するものであります。こういう事態を緩和する要素というものは、ちょっと拝見されないわけであります。従って、減税の趣旨をもう一そう徹底さすためには、どうしても間接税に手をつけていただいて、お酒をもっと安く飲めるように、あるいはたばこをもっと安く吸えるように、または砂糖を安くするようにというようなことが考えられるわけでございますので、どうかそういう点についての問題も御研究願ってしかるべきではなかったかと思うわけでございます。もちろん税制のこと等につきましては、理論的にも実際的にも非常に関連がある、簡単には御措置ができない点であろうと思いますので、もし本年度間に合わないといたしますれば、引き続きこういう面の御検討を進めていただきたいと思うわけであります。  また、私どもは専門家でありませんから、必ずしも税の問題だけで片づけていただかなくてもいいわけであります。今の減税においては今のような進行状態でやむを得ないといたしますれば、それにかわるべき措置として、この多数の低所得者が恵まれるような方法——ちょっと気がついたことでございますが、たとえば義務教育の国庫負担をもう少し徹底させる意味において、学校給食の費用を国が全額持つとか、あるいはせめて教科書だけはその費用を全部持つというようなことも、これは大した財源を要しないので、比較的実行可能ではないかと思うのでございます。特に、御承知の通りに、入学は四月でございます。そうして春の修学旅行等が行なわれるのであります。農家にとってみますと、お米の代金もほとんど使い果たしてしまったときであります。雪は解けてこれから春耕の肥料その他のものを買い入れなければならない最も金の詰まっておるときであります。そのときに子供が学校に入学する、そうしてまたすでに入学しておる生徒が、引き続き修学旅行に行かなければならないというようなときに、せめて教科書を買う代金だけでも全額国から支給するというような措置でも——これは例でございますが、おとりいただけないものかどうかということを感ずるわけでございます。  なお税金につきましては、これは地方税になりますが、工場の分散、地方にだんだんと工場を作るという趨勢になるかと思うのでございまするが、固定資産税が、現在は大工場の設備も、農民の農地も同じく固定資産税という一つの税金の対象にされておりますけれども、これは社会的、経済的性格が相当違うものではないかと思うのでございます。工場に対する固定資産税のごときは、これは国税にして、そしてその全額を平均的あるいは条件の悪い地帯に、その悪条件を補正する意味において再配分するというような方法を講ずるべきであって、今日のように工場が来ることによって、そのことだけで周囲の経済が非常に潤うに加えて、なおかつその市町村の財政収入が非常に急激に楽になり過ぎるというような矛盾は、これは全く逆ではないか、工場の来た町村は、固定資産税の分は一つも来なくても、ほかのことで非常に潤いがついておるではないか、そういう点が今度の税制改革の中にまだ問題視されておらないことを私としては遺憾に存ずる次第でございます。  そういう大きな問題はしろうとでなかなか強い意見は申し上げられないのでございまするが、できればそういう問題に着目して、今後御研究願いたいと思うのですが、さしあたって具体的なこまかい問題で、御理解をいただければ、ほとんどさっそくできるであろうと思いまする問題について申し上げますと、それは所得税について今度白色申告にも専従者控除を認めていただけるということは、農民にとって非常にありがたいお取り計らいだと思って喜んでおるわけです。欲を言いますと、その金額に制限がある。これはまだいろいろ欲はありますけれども、とにかく長年のわれわれの念願を実現させていただく手はずになりましたことについては、非常にありがたく思っておるわけであります。しかしながら、所得税を払っている農家は非常に少数であり、所得税だけであれば大多数の農家はこれは関係がないわけであります。この白色申告を受ける専従者控除の部分も、青色申告における専従者控除と同じように、住民税の課税対象にしないというお取り計らいを願いませんと、青色申告者と白色申告者との問に大きな懸隔ができてくるわけでございます。また先ほど来申し上げましたように、この点についてのお取り計らいをいただきますと、国税においては、所得税は払っていないんだから、減税は受けないけれども、住民税において税金が安くなるとか、これは金額はわずかなものでございますけれども、零細な農家の側から見ますると、われわれもまた少額ながら減税の御利益を受けたということになるわけであります。もちろんそのことが七、八十億の地方税の収入減になると思いますが、これは当然国の方の交付税を増額していただいて、地方財政を苦しめないようにしていただかなければならないと存じますが、金額からいえばその程度でございまするし、これは私個人のみならず、農協の組織をあげて強くお願いをしている点でございまするので、ぜひお願いをしたいと思うわけでございます。  それから、法人税につきましては、これも若干の手直しが御計画されておるようでございますが、私どもの関係におきましては、従来農林漁業組合整備促進法というのがありまして、この連合会の整備促進が済まないまでの間は、剰余金の中から内部保留をする。その内部保留する金については、その累積額が出資払い込みの四分の一になるまでの間は課税対象にしないという特別措置法のお取り計らいをしていただいておるわけでございますが、この整備促進がほとんど本年度くらいで終わる状態にあります。それからまた、払い込み出資に対する積み立ての残高の四分の一というのも、満額になる時期に来ておるわけでございます。従って、このままでいきますと、内部保留する金についても全部特別法人税がかかるという筋合いになってくるわけであります。生活協同組合の方は整備促進法がありませんでしたから、農協とのつり合いをとって昨年の三月末の間、臨時措置としてその払い込み出資の四分の一までの内部保留についても非課税対象ということになっておったわけであります。これなんかも、われわれとしては、本来協同組合に対する特別法人税はかけないようにしていただきたい、これがずっと一貫した要望でございますが、その要望がもし困難といたしましても、せめてこのことについては四分の一という限度を二分の一に引き上げていただく、そうして整備促進が済んだらかけるというのでなくて、整備促進が済んでも、引き続き従来通りにその分については非課税にするという措置を継続していただきたい。これは利用協同組合でも生活協同組合でも同様にその利益を受けることになるわけでございます。なお、これは金額からいえばほんのわずかで、財政収入からいうとわずかでございますが、いろいろ理論上の問題として、税当局においては御意見があるようでございますけれども、特に私が申し上げたいのは、協同組合法においては、毎年の剰余金の十分の一以上は内部保留をしなければならないというふうに法律で強制をしておるわけでございます。強制をして積み立てさせて税金をかける。法律で強制するほどに内部保留を奨励なさっておるのでありますから、一つついでに一定限度においては、従来通り、これには特別法人税をかけないようにしていただきたい。これもわれわれの方の組織としての強い要望でございます。  なお私の個人の意見になるかと思いますが、また協同組合以外の一般の大企業等にも共通の問題でございますが、一般法人税また特別法人税を通じて退職引当金のその積み立てについては、退職規程によって毎年必要とする増加してくるその金額の累積が半分までしか非課税の対象になっておらないわけでございます。ところが今は労働協約があります。そうして、退職規程を作っておりますと、労働者との関係においては、退職金の支払いというものは最も優先的に払わなければならない債務になっておるわけであります。この債務に相当するものを積み立てるのに半分しか損失として認めないというのは、私は非常に無理ではないかと思います。これは税当局等におかれましては、退職金は一ぺんに払うのではない、全部の職員に一度に払うなんということを考える必要はないんだから、その所要額の半分程度積んでおけばいいじゃないかという理屈でございますけれども、私は、これはまことに乱暴な議論だと思うわけであります。そういうことをいいますと、金融機関なんか、金を預かって、どうせ預金者は一ぺんにとりに来るわけではないから、一割か二割置いておけばいい、あとの七、八割は使っていいんじゃないかということになるわけでございます。非常に強い債務である性質のものを半分しか損失と認めないというのは、これは農業協同組合関係のみならず、一般の法人にとっても、長い目で見て、将来の経理に対して非常に大きな脅威になっておると思うわけであります。  それから、直接農業に関係の問題といたしまして、食糧管理制度についてでございまするが、これは本年度も三百九十億という金を一般会計から食管に繰り入れる、そういう事態にかんがみて、食管制度に対する改変の意見が方々にあるようでもございます。政治家の方々にはあまりないようでございまするけれども、ジャーナリスト等には非常にそれが多いようでございまするが、私は、この食管制度については、一般会計から、従来、また今回繰り入れようとする金額は、大きな金額ではないという考え方をするわけでございます。この食管制度が消費者のために、また生産者のために役立っておるということを前提といたしますれば、この金額は大きな金額でない。ことに食管会計の中に、一般事務費だけでも百五十億円という予算があるわけであります。国が食糧という大事なものを統制する。その統制する事務費までを、農民あるいは消費者負担にかけるという理屈はない。少なくとも事務費あるいは保管料、運賃等の相当部分を分析して、これは一般会計で持ってしかるべきじゃないかと思うのでございます。今の三百七十億が非常に大きいというような考え方に立つことは、私はそういう意味でおかしいと思うのでございます。従来とも、この事務費並びに管理費の相当部分は、むしろ一般会計から赤字補てんの意味じゃなくて、当然のこととして繰り入れてしかべるきじゃないかと思うわけであります。もちろん、私は、現在の食管制度が永久にこのままで続かなければならないと考えません。これよりいい代案を、一般国民のため、また生産農民等のために、われわれはすみやかに案出して、そのかわったよりいい案ができた暁にこの食管制度の改変を論ずべきではないか、もし今日の大麦、裸麦のごとくに米が絶対的生産過剰になるというような事態が将来あるとすれば、その事態までに、今私が申し上げましたような代案というようなものを実現しておかなければならないと思うのであります。  次に、予算面から、農林予算としましては相当大きな比重を占めておりまする農業災害補償法についてでございまするが、これは一つ、真に抜本的に改正をしていただかなければならない。これは文字通り共済を基準とした実体に立って、この共済を国が補助するという制度にするか、あるいはその共済なくしても国家が補償するという制度にするか、いずれかでありまして、どちらにしましても、保険方式によってこれをやっていくということの矛盾、実体的な不合理というものは否定すべくもない。いかに考えても、保険の方式に立っては、理論的にも、また実際的にもこれは困難であると思う。往々にして、保険制度に立っておるからこそこれだけの国の支出が行なはれているのであって、保険制度をやめればこれだけの金が政府から出ないのだというようなことをよく言われますが、そういう考え方は私は適正でないと思う。もし国家補償だけではいけないというのであれば、農民の共済的な支出、積み立てを前提として、その上に国が補償すればいい、共済的積み立てだけ農民にやらせればよいのであって、保険制度をやってその掛金の補助をするというやり方は経済的でない。国家的見地から、財政当局的見地から見て非常に不経済だと思うわけでございます。  次に、農業協同組合のことにつきましてもいろいろ御配慮をいただいてありがたいわけであります。また、合併促進等のために予算が計上されておりますが、こういう合併等の場合にも、町村合併のときに行なわれたように、上から、あるいは行政庁、権力機関から強くこれを推進するということのないように、奨励はしていただきましても、大きな総合的官庁である県庁等から強い勧告を発するというようなことを立法措置に企てることはいかがかと思うのでございます。何といたしましても、農協がしっかりし、体質改善をしなければならないのは事実でございますが、農協の体質改善の基本は、自立自助の精神を根本にし、自立自助に基づいた相互扶助、共存同栄でなければならない。いろいろ御援助また御期待をしていただくことはありがたいわけでございますが、この協同組合の精神的基盤であるものをそこなうようなことは、かえってひいきの引き倒しになるということを、立法措置等の場合に十分お考えを願いたいと思うわけであります。  さて、現在最も重要な問題として取り扱われておりまする農業基本法をめぐる農業基本政策についてでございますが、この問題につきましては、内閣に設置されました基本問題調査会の答申が中心になって今施策が考えられておると思うのでございます。この答申に対する私の意見は、二つの点においてまた補充していただきたいといいますか、欠けたる観点があると思うのです。その一つは、農業をできるだけ他産業並みに発展させる、あるいは農民の所得を他の職業の人に均衡さすようにするとか、そういう目的のためには農業経営の拡充、農業生産力の発展というようなことが強くうたわれております。その言葉には決して反対するわけではないわけでございまするが、農業の発展、農業経営の拡大あるいは近代化というものを、いたずらに農業経営の、土地の面積の拡大に考えるというのでは問題が解決しないと思うのです。一農家が倍の土地を持てば、人数は半分になる。明らかなことであろうと思うのです。それよりも、もっと基本的問題として、農業経営の内容を充実するに必要なことは、現在のように農業が原始産業の部門だけを受け持って、その上にある加工業、二次産業、三次産業は、農業以外の企業によって経営されている。また、商品経済の中で農業が多大の資材を投じなければならない、その資材がまた農業以外の他産業の企業経営からきているというところに農業の受け持った幅は、最も割の悪い自然の影響を受け、手間のかかる能率の上がらない部面だけを担当しているのが今の農業——いわゆる原始産業部面だけを受け持っているわけです。従って、農業経営を拡充し農民の所得を広げるためには、農業の幅を縦に、もっと原料——農業の消費する農業資材の自分の手による製造、また農産物の加工、その加工の高度化、そういうものを、言葉は悪いですけれども、農民の勢力範囲の中でこれを行なっていく、それがやりやすいようにしていただくということこそ最も重要なる農民の所得を確保するための手段ではないか、そういう方面への拡張を考えなければ、土地の面積だけでいきますると、広がった農民はいいけれども、土地を取られる農民はたまったものでないと思います。  もう一つの答申案における私から言っての盲点は、協業ということを盛んにうたっておられます。協業というのは新しい言葉ですけれども、私どもが使いなれておりまする共同と何ら変わりはないようでございます。ところがあの答申の中で扱われておりまする共同は、単に生産部面の共同を強調して、流通部面における共同の必要性を軽視しておると思うのでございます。今日の世の中といいますか、経済界は、資本主義発達期の時代ではなくして、非常に高度に進んだ、いわゆる学者さんたちがおっしゃる、私はよくわかりませんが、独占資本とか金融資本主義の時代だといわれておるような段階になっておるわけであって、産業も系列化され、そして大企業の下に小さい工場、下請工場というように、一連の縦のつながりが、大きなものと小さなもの、零細なものとに、そういう縦のつながりができておる時代でございます。農業者が経営を大きくして、たとえば今いわれている程度の自立農家になったところで、この何百万という農民が自由勝手に過当競争をしているこの姿では、生産面がいかに合理化されても、流通面で農業者の地位は向上しないと思うわけであります。従って、農業者が他の経済との間での関係において、農産物を農民以外の人に買っていただく、あるいは農業者が必要なものを他の生産者から買い入れるというような、そういう部面については、できるだけ、農業者が六百万あっても、企業でいえばカルテル化して、そして力強い対等の立場に立つようにする。それができ上がらなければ農民の所得を他の産業並に均衡さすということは困難ではなかろうかと思います。  こういうように言いますと、まことにどうも我田引水的になりまして、結局政府の施策もさることながら、農業協同組合がもっとしっかりしなければならぬじゃないかという結論になると思うのでございます。私は、そういう意味において農協が強く体質改善をしなければならぬと考えておりまするが、政策の面におかれましても、そういう農民における共同意識が強くなるよう、またその共同意識の必要性を、直接協同組合員でない政策面、あるいは識者の方々からやっていただくことが非常に効果的ではないかと考えておるわけであります。  なお、国民年金積立金につきましては、加入者の大部分が農民でございますので、私どもは専門家ではありませんけれども、非常に重大な関心を持っております。この制度ができまするにあたって、福祉年金の方はもちろんけっこうでございますが、拠出制については、ほんとうにこれにこの際賛成をしていい時期か反対をしなければならない時期かということに迷ったわけでございます。ところが、いずれはやらなければならぬ、また趣旨もいいとするならば、やはりこの際賛成でなくても、少なくとも反対をしない立場に立って、そうしてそのかわりこの制度をよくして、相当な拠出をしても真に農民たちが喜んでこれに意を払うように内容を変えていただきたい。その強い注文に、あの制度は早々のうちに成立しまして、この拠出制が実施されるまでには二カ年間もあるから、その間によく注文を聞いてやろうというようなことをおっしゃっていただいて、それに期待をして今日まできたわけでございます。大体のところは、これは問題が、次々に小さい問題、大きな問題と限りなくあるわけでございますが、国民年金審議会の席において主張を述べ、そこで非常に審議が行なわれ、またそれが政府等にも取り上げられまして、私どもの要望しました、たとえば六十五才では遠過ぎるから六十才から払ってもらいたい、あるいは途中でなくなった人も元金だけは払っていただきたいというようなことが、一〇〇%ではないけれども、六、七分どまりでございますけれども、着々と実現をしていただいておるということは、世の中は、その程度でしんぼうしなければいかぬ点はしようがないのじゃないかと思っておりますが、ここに一つまだ六十点にまでいっておらない問題は、この積立金の運用という問題でございます。これは保険理論あるいは保険の筋を通すというような立場からいいますと、先ほどの公述人の方からもお話がありましたように、運用問題と給付、国民年金とは別だといいますが、それは理論としてはそれでいいかもしれませんけれども、農民、拠出者側からいえば、そういう理論はどうでもいいのでございまして、自分の気が済むか済まぬかという問題であるわけであります。とにかく、これは他の資金運用部資金と違って、他の資金運用部資金も零細である、零細であるけれども、これは強制的なものではない。やはり貯蓄部分である。貯蓄部分であるから金融界の一部を占めておる。金融上の金だ。従って、それが一般的財政投融資に投ぜられるということは当然でございます。今度のこの国民年金の掛金は、強制的に零細な人から取り立てるものであって、貯蓄の部分の形態がかわったものではなくして、本来消費として消費されるべきもの、極端にいえば生活程度を切り下げて支払う金でございまするから、この資金をもって国家経済上の再生産資金に充てる必要は、国家的財政的見地から見ても、財政経済の見地から見ても必要がないわけでございます。もともと消費すべかりし金を集めたのでございまするから、それはやはりその年度内において消費することが、かえって国民の購買力を減退をさせないで、全体の産業界のためにも好ましいことなのであるわけです。また先ほどお話がありましたように、物価が上がってくる、これはもちろん政府として調整を相当にされるでしょうけれども、何といたしましてもそれが十分に行なわれにくいということは考えなければいけない。また少なくとも一般大衆はそう考えるのもやむを得ないのじゃないかと思うわけです。私どもがこの国民年金制度に期待しますのは、今苦しい中から三十年、四十年、四十五年と掛金をして、その先に年金をもらうということよりも、そういう先に給付を受けるということよりも、零細な金を多くの人が集積すれば、その年においてその金を活用することによって、現実的にお互いの生活内容をよくするという部面に使われる、今まで百円ずつ月に使っておった、それを使わないで、一年に千二百円、それを大勢の人を集めることによって、個々の消費にはできないけれども、全体としては生活内容を高めることに使える。従って、そういうことが社会福祉にこの金を使うべきであるということの根本思想の理由であるわけであります。ところが御承知の通りに保険方式というものでございますから、利息を確保しなければならぬ、元金を確保しなければならぬ、その特別会計は厳として一般資金運用部資金と同じような性格を貫かなければならないと思います。従ってこの金だけで福祉施設はできない、この金を一つの促進剤にして、公共団体なりまたその他の団体が、これの償却費、維持費等は、これだけ元金はあるのだから、つけたして、そして福祉施設をやっていくという、その福祉施設に関する金融上の元ができたということでございますから、それの方面にこれを優先的に使う、そしてその年々に使えないものは一般財政投融資の方にいっていいわけです。使えるような条件ができた、償却費、金利、管理費等の用意ができたから、この金を福祉的に使えという需要があったときには、これが優先的に使えるという、そういう趣旨においていただければ、国民年金制度の創設ということが単に年金を給付するということではなくて、日本の福祉施設を推進する原動力になる。そういう意義を高く私どもは買っておりますので、単にこれを役所のなわ張り根性等の問題として、この分離運用云々を考えられるのははなはだ心外に考えておるわけでございます。そういう意味におきまして、この問題は、大きな国民年金の可能なる役割というものを年金制度という保険技術的な面にのみ限らないで考えていただきたい。日本の今日の現状において、ほかの福祉施設とのつり合いにおいては少し早過ぎたようなこの制度だけれども、これが全体の福祉施設の推進力になれば非常に幸いじゃないかと思うわけであります。  最後に一つ、本年度の予算を拝見いたしましても、国際関係についての予算がまだ不十分でないかと思うのです。私どもは移民関係についてもう少しまとまった確固たる国策を立てて、その実行を容易ならしめるようにしていただきたい。この移民を私は日本の人口問題として考えるのではなくして、日本民族が国際的に親善関係を強化する方便として考えなければならないのではないかと思うわけです。また留学生をたくさん外国に出し、また留学生をたくさん外国から受け入れるというようなことも、日本としては非常に立ちおくれているのではないか。そういう面の予算も、これも単に学術を交換するというような意味でなくて、民族、そして日本の国家の国際的親善を強めるという意味で非常に力も注がなければならない。そういうことを担当している役所ですか、あるいはいわゆる圧力団体がない関係か、どうも日本の場合はおくれているのではないかと思うのです。特に東南アジア等の後進国開発のためには、目先の貿易促進のための経済協力というようなことでは私は相済まないのではないか、そういう問題を離れ、国際親善、特に後進国に対するあたたかい共存共栄の手を差し伸べるという意味においての、そんなに目先の欲に関係のない、経済的効果をねらってでない、そういう資金を相当使わなければならない。それは現に世界各国は後進国の開発に手を染めておる。御承知の通り後進国はすべて農業関係でございます。具体的に後進国開発のためには、やはり農業の開発から始めていかなければ、あのインドの五カ年計画が失敗したのでもわかります通りに、地についた開発にはならないわけであります。農業の開発促進に手をつけるということになりますと、農村における協同組合ということになるわけであります。協同組合ということになりますると、アメリカもヨーロッパも、あまりにも基礎条件が違ってお手本にはならないわけでございまするから、私どもは日本の農業協同組合が政府と協力させていただいて、東南アジアの農業協同組合運動を促進することによって東南アジア各国との提携親密化を強力にしていくということは、きわめて実際的な措置ではないかと思うのであります。そういう点については一つアジア経済協力基金が五十億円増加したということとは別問題に、一つ深い御配慮をわずらわしたいと思う次第であります。  大へん勝手なことを申し上げて失礼をいたしました。(拍手)
  54. 船田中

    船田委員長 ただいまの一楽公述人の御発言に対しまして、御質疑があればこの際これを許します。
  55. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 日本の農業体質の革新に伴いまして、協同組合が一つの体質改善をしなければならないという説には私も非常に同感なんです。しかしいろいろお話を聞いておる間に、私自体農業協同組合の経験を持っておりますので、今初めてではなしに感じますのは、この辺で日本の農業全体が根本的に変わらなければならないように、農業協同組合、特に中央会あたりの考え方がどうもこの辺で思い切って変わらなければならないのではないかと思うのです。大体おやりになっておる仕事は販売、購買、信用、利用でしょう。このうち販売、購買が一番農民には密着しているのですけれども、この販売と購買は一つのものとして、両方欠いてはならない問題なのですが、二つ合わせてみた場合に、頭と足を失っている機構ではないかと私は思う。一番密接に農民に関係しておりますのは、購買事業でしょう。購買事業が一番密接に関係しているようです。その場合に、購買事業のさまざまな物資が他の商人や、他の会社よりは高いという声が非常に大きい。確かに大きいのです。これはいろいろございましょう。全購連あるいは県の経済連あたりの歩合金の問題もありましょうけれども、それよりも根本的な問題は、メーカーじゃないということですね。他の大きな会社から肥料でも、あるいは農薬でも、一応買ってきてそれを末端の農民に配給するという形なので、どうしても本気になって競争する場合に他の会社よりは高くつくことは争えないと思う。これは頭を失っている証拠です。購買事業は頭を持っておりません。一方、米やその他の農産物については、農協は末端の農民に手を差し伸べて、販売機構としては末端を握っておりますが、これが消費者の段階へきますと、生活協同組合等がございましても、まだほんとうに頭を出したばかりで、いろいろ問題があります。農協自体が末端における販売機構は持っていない。農民は確かに販売しますけれども、消費段階においてこれを直接やるような機構を持っていない。メーカーにつながらない購買の事業というものは頭を失い、消費者につながらない販売事業というものは足を失っている。そこに農業の流通過程に入らなければならない段階にきまして、非常に大きな欠陥を暴露していると私には思われるのですが、その辺に対して、予算を離れてもかまいませんが、一つ一楽さんの将来の農協のあり方に対するお考えを率直にお話し願いたい。私も農家ですから、別段学理は伺わなくとも、実際に農民の声としてそういうのが出ておりまするので、これに対するお考えを率直に述べていただきたいと思います。
  56. 一楽照雄

    ○一楽公述人 現在の農業協同組合がその使命にかんがみて非常に不十分であるという実態、それの一言に尽きると思うのであります。その点についての自覚は十分でありまして、全く同感であるわけであります。問題はこれをいかにしてその使命にまで、満点とはいかなくても点数を上げていくかということでございます。そういう場合に、その目標については今先生の仰せられたのも私が申し上げたのも同じかと思うのであります。一にその目標に向かっていかに徹底して進んでいくか、それについてどうしてこんなにはかどりがおそいのかといいますと、どうしても協同組合についての考え方が不十分で、まだ徹底していないことにあると思うのです。ちょうど宗教界でいいますと、仏教のように惰性でお寺もあり坊さんもありまするけれども、多くの仏教徒は信仰心はない、従って力が弱い。他の医師会を初めその他の団体は、人数は少ないけれども新興宗教のごとくに信仰心が非常に強い。そういうような関係でございますので、私どもも農協に協同組合の魂、理念を植え付けていく、ところがそれもお説教ではだめで、御想像の通りでございます。やはり現実的にやっていかなければならない。そのためには単協の活動をそういうむずかしい経済面、金もうけの面だけでなくて、もっと日常生活について農民、組合員が生活をエンジョイする部面についての、あるいはまた家庭生活、農村生活を明るくするというようなことについての共同活動を強化することによって、協同組合理念が徹底するのではないか。その点についてのことが六十年の農協運動において欠けておりましたので、私はその点を大きな具体的方策として今考えておるわけでございます。
  57. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 農協精神については今初めてじゃなくて、産業組合時代から産業組合精神というのはずいぶん説かれたのですが、私はまさか一楽さんが農協を新興宗教まで持っていく気はないだろうと思いますので、もっと具体的に現実的な問題として、このメーカーじゃない購買事業、消費の組織を持たない販売事業というものは、他の一連の資本主義的な販売事業、購買事業に対して太刀打ちできないということは現実なんですね。この隘路を、組合精神なんていうところへ逃げないで、もっと具体的に、物質的に一体どういうふうに解決していくか。ないならないでけっこうです。われわれは別に考えてみますから。あなたに全部げたを預けるつもりはない。明らかに欠陥なら欠陥としてお認めを願えば、またわれわれとしては考えますが、これは精神では片づかない問題ですから伺いたい。
  58. 一楽照雄

    ○一楽公述人 私は申し上げたつもりだったのですがどうもやはりその点の説明が下手だったのですが、さっきの基本法のところで農業経営は原始産業部門のところだけでとどまっておったのではどうやってもだめだから、そこだけの生産合理化をしてもだめだから、原料の入手並びに農産物を外へ出す、そこのところで農民が結集して、他の経済界との関係においては農民があたかもカルテル化したかのごとき、一経営であるかのごとき方向にいかなければならない。その中に今おっしゃいました通りに、流通過程消費者のところまで持っていくという問題もあれば、重要なる農産物の加工の問題もありますし、資材の自己生産という問題もあるわけでございます。それを農業基本問題調査会の答申の批判として申し上げましたけれども、実はわわれ自身のより強い批判とならざるを得ない問題であるので、全く同感でございます。
  59. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 私も貯蔵並びに加工を農業の一環としてやれという説は持っているのです。ただそこまで入りますと私はもう二点ほど伺いたいと思うのですが、やはり、加工あるいは貯蔵をするにしましても、あるいは販売の面でもそうですが、集荷に対する経費というものは非常にかさむのですね。なぜならば生産者が零細で分散しているからです。どうしてもここに今の基本法に出てくる協業の問題、われわれが考えている共同化の問題も出てくるでしょう。その場合に零細農を機械的に集めるだけでは近代経営にはなりません。経営の根本を変えなければならない。経営の根本とは何かというと機械化と動力化です。動力と機械との入らない近代農業はない。その場合にあなたのおっしゃった土地の広さはこれはいいんだという——まあいいんだとは言われないかもしれませんけれども、やはり機械が入り動力が入るためには、協業の形にせよ共同化の形にせよ、農家の経営から農場の経営に飛躍する必要が絶対にあると思うのですが、その場合に現在の一割七分という日本の耕地のパーセンテージでは、とうてい間に合わないというデータが出てくるのですがね。これはおそらくあなたもその点は否定なさらないだろうと思う。これを急に経営規模を変えることもむずかしいでしょうが、将来は日本の農家の経営規模なり、特に農場となった場合に、相当広い近代的な農業に耐えるような経営規模だけは持たなければならないということは変わらないでしょうね。念を押しておきたいのです。
  60. 一楽照雄

    ○一楽公述人 そういう点は全く同感でございます。私がこの席で強調いたしましたのは、基本問題調査会の答申において農業経営の領域を広げるという点についての考慮がないことを強調して申し上げたのです。これは非常に極端なんでございますが、たばこの専売制度また酒の取り扱いの今までの制度、農民がたばこの葉は自分で作る、ところがそれを加工して自家用のたばこも自分で吸えない、一枚でも吸うと罰金を食う。それはまた別といたしましても、お酒を農民が飲む、その原料は清酒なら米、しょうちゅうならイモ、ビールなら大きな工場を要しますが、自家用の酒を作れないという例が世界のどこにあるかという例を、私は今人に聞いておるのですけれども、まだどなたもそういう例はないと言っておるようです。あまりにも昔から行なわれている制度だからどなたにもほとんど不思議を持っていませんけれども、この酒とたばこという農産加工、この農産加工の最も引き合わない天然に自然に支配されるところは農民が引き受けて、加工部門、そして利益になるところは今の国の財政でやっておられる。私は日本の経済の明治維新からの発展の上で、地租とこういう体制が必然的であって、こういう方法によってこそ日本の明治維新が独自性を持ってきた、その功績を認めるわけでございますけれども、今日の経済の発達の段階においては、こういうように農民の自由を奪って、自分の飲む酒も作れない、自分の飲むたばこも作れない、その明治初期において必要であった制度をそのまま保持し、かつ強化していくというようなこと、そこに日本の農業経営の幅が狭められて苦しい点があるということを特に強調して、政策問題でございまして農協論でありませんから、そちらの方に主点を置いたわけでございます。
  61. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 別段農業の規模が拡大するということに御反対ではないようですが、ただ関連しましてさっきの移民の問題ですが、これはこの前に南米移民がいろいろ問題になりました場合に、外務省がやるか農林省がやるかで、だいぶこれはもめた問題です。これは外務省はもう農業移民の段階じゃないと言っている。農業移民はやるべきじゃないんだ、もっと技術を持った人間が行くべきだ、こう言っている。何かさっきのあなたの話を聞くと、まだ東南アジア等に移民として農民を送りたいといったような構想がうかがわれるのです。そうでなかったら私はこの質問は申し上げません。ただ、もしそうであった場合にかつての農協、あのときの産業組合ですか、有馬さんなんかが一役を買ってやりました満州における日本の農業移民、あの移民はまあ軍事行動でバックアップした移民だったので違いますけれども、それを離れましても、海外における日本の農民の位置というものをどういうふうにおとりになっておるか、一つお聞かせ願いたいと思います。
  62. 一楽照雄

    ○一楽公述人 私はそう具体的に治安も安定していないようなところへ人を入れるとか相手国が喜ばないところへ無理に入れるとか、またかつての満州移民のような意味でやることは不賛成でございます。ただ貿易の自由化が唱えられ、そうして資本の移動の自由化も唱えられておる、それを完全に実施するためには、人間移動の自由もやらなければならない。人間移動の自由について、従来かたいワクを持ち、閉ざしておって、そして資本の移動の自由、貿易の自由というのは、これは何だかわれわれとしてはふに落ちない。そういう点、これは国際的要求になりまするから、外国の機運を——しかしそういう念願をわれわれとしてやはりはっきりとしておらなければ、それを行なうのにかえって国際親善をそこなうようなやり方では困りますけれども、そういう意味からいっても、その前提としても、目先の貿易拡張等のためでない、国際親善のための手を、じみだけれども、国力の可能なる限りもっと積極的に打たなければならないのじゃないかと考えております。
  63. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 今農業移民というのは非常にむずかしいので、かりにやったとしましても、作物が違うし、農法が違うし、気候風土が違いますから、これはただ観光に行くのとはかなり違ったものが出てくると思いますし、特に東南アジアは別としまして、変なところへ農業移民としてやりますと、日本の農業的クーリーの性格を持ってきますので、この辺はよほど慎重に考えないと、危険を伴うのではないかという危惧を持ちましたのでお伺いしたわけなんです。  最後に一点だけお伺いしますが、金融の問題です。体質改善をやっていくためには、農業に対する非常にたくさんの基盤整備の資金が必要なことは、もちろん御承知の通りでございまして、一楽さんも苦労されていると思いますけれども、この間からこの委員会でしばしば論議にもなり、また公述人の方の公述でも伺ったのですけれども、どうも、貯金、預金などは農協の本質として割合に高利だ、農民なども金利が安ければ貯金はしないという傾向がある。これはとてもそのままじゃ還元して貸し先に行かない。他の大企業に対する融資とは比較にならないほど農業金融が高くなっていることは事実なんですね。同時にこれは日本のおくれた農業を発達させるために長期低利である必要がある。そういう点、現実は一体どうなっておりますか。何か悩みはございませんか。その点を伺っておきたい。
  64. 一楽照雄

    ○一楽公述人 農村金融あるいは組合金融の問題につきましては、今非常に脚光を浴びて論議されておりますが、御承知の通りに協同組合が相当貯金を集めておりながら、それの使い方がきわめて不十分じゃないかという御批判であるわけです。これは制度の問題ではなくして運用の問題、また指導の問題であり、私ども責任を特に重大に感じております。そして最近はこの是正ということについて強い、明確なる考え方を指導方針として打ち出しておるわけでございますが、まだこれが浸透する時間が十分でないのが実情なんでございます。  本来協同組合が貯金を扱うのは、貯金自体が切り離した目的ではなくて、貸す金を調達する手段として貯金を集めるものでなければならない。ところが手段だけ一生懸命にやって目的の方を忘れるということは、単に意識の問題、考え方が堕落したとかいうことだけではなく、それの一つの条件といいますか、客観的条件があったと思うのです。  それは、御承知の通りに、組合金融は本来は貸すために必要なる資金を調達して出資金及び貯金でとってきたのですけれども、昭和十五、六年になりまして戦争、戦時経済、その準戦時体制として国債消化というのが大きな問題になって、各種の金融機関が全部それに動員され、そして戦争勃発ということになりました。ちょうど農家が本来の田畑の仕事のすきを捨てて銃を持ったのと同じように、農協も本来の貸し出しという使命を捨てて貯金を集めることをもっぱらやったわけであります。それが昭和十四、五年から戦争中続いたわけであります。戦争が済みますと、大ていのことは逆転したのでございますけれども、貯蓄奨励だけは、またこれは経済復興のために必要だということで、農村の破壊度よりも工業の破壊度の方がひどかったものでございますから、農家が農業生産をするためにもまず肥料産業が興ってもらわなければならぬというので、この農協の金を迎え水にして肥料産業が興ったことは皆さん御承知の通りでございます。これもこういう国家的要請があった。そういう戦後における経済復興のためにまた徴用されておったわけであります。もうそろそろその徴用から解除されていいのではないかというのが私の説であるのみならず、客観的事実であると思うのです。  その意味において、早く頭の切りかえをして、集まった金は貸すようにしなければ意味がないのではないかということ、そうして金利が高い高いとおっしゃいますけれども、コストが高いということはいわれておりますけれども、これはコストが高いのは、中央金庫とか信連とかいう上の段階でございます。単協の段階の預かり金のコストは、やはりその預かり金利率が金利調整法で制限されておりますから、そう高い金ではないわけです。それで問題は、中金が余裕金をたくさん持って外に出しているのはけしからぬ、信連が外に出しているのはけしからぬというのではなくて、本質問題は、単協が村の金を十分村のうちで消化しないで、村の外の信連に持っていく、信連からまた県外の中金に持っていく、持ってきた以上はコストが高くなるのは当然のことでございます。そういう意味において、単協がもっと村内においてそれを貸すようにしなければならぬ。ところがおっしゃいます通りに、今の日本の零細経営でありますれば、その前提として農業経営が技術的にあるいは資本的に高度化する、そのための金でなければ金を使っても効果がないという問題、またその前提としての負債整理もやってあげませんと、金を貸してもそれは効果がないというようなことになりますので、農村金融においては、金を貸すことが非常に必要であるけれども、その金を貸すためには農家の負債整理を援助し、また農家の農業経営改善について、技術的また資材的な援助をやり、その上で金を貸すといういわゆる指導金融を徹底さしていく。問題なり筋道は、はっきりしている。要は実行するかしないか、われわれの指導が、口で言うのは強く申し上げられるが、なかなか実行がいっておらないのはお恥ずかしく思っている次第であります。
  65. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 これでやめますが、大体一楽さんおわかりになっていていろいろな事情でおやりになれなかったのだろうと思いますが、私はやはり米の販売代金などのあのピーク時におけるプールを見ましても、相当大きな農民の信用というものはあるはずなんです。ただ普通の金融と違いまして、ああいういびつな形になりますけれども、これは日本農業の体質改善の上からも、勇気をふるってやっていただきたい面がたくさん出てくると思います。いろいろお話を承りたいこともございますけれども、時間もだいぶたちましたし、また機会もございましょうからやめておきますが、今からでもおそくはないと言い切れないくらいおそくなっておりますが、この際ですから、十分にそういう点で御考慮を願いたいと思います。  ありがとうございました、
  66. 川俣清音

    ○川俣委員 一楽公述人に四点ほどお尋ねしたいと思います。前もって先に申しますが、あなたの公述の順序に従いまして、食管問題について、次は農業基本法に関連して肥料の問題、次に金融の問題と国民年金に関する問題とをお尋ねいたしたいと思います。  食管制度につきましては、このまま永久に継続することは困難だと思う、こういう公述でございましたが、それではこの直接統制からおそらく間接統制に変わらざるを得ないであろうということであろうかと思いますが、そこでどんな間接統制をお考えになっているのか、お尋ねいたしたいのです。この公述の中には、今の食管制度の中で直接政府負担すべき事務費とか行政費などは初めから負担をいたしまして赤字を少なくすることが必要だというお説でございますが、それは農協といたしましても一歩も二歩も前進したことになったと思って、その点は喜ぶのでございます。しかし、それだけではまだ足りないと思うのです。おそらく間接統制になれば間接統制の場合における国の負担というものは相当大きいんじゃないかと思うので、これは私の見解ですが、あなた方はどんな見解を持っておられますか、その点を明らかにしてほしい、こう思うのです。
  67. 一楽照雄

    ○一楽公述人 米の問題は、川俣先生が日本の権威者でございまするし、私の方にも荷見会長という米の神様がおられますので、つい不勉強で間に合うものでございますから、私の弱点になっておるわけでございます。私の申し上げましたのは、条件付で言ったわけでございますけれども、もし米の生産が絶対的過剰になれば、この統制方式が維持できなくなる、もし絶対的過剰にならなければこの統制方式を続けていくべきであろう。もしこの統制方式を云々するとすれば、代案をもっていただかなければ、生産者、消費者ともに困るという意味で申し上げたのです。  なぜそういうことを申し上げたかといいますと、とかく世間では、農協はあまりにも保守的であって統制反対ばかり言っておるという印象を与えておりますが、単純に反対ばかり言うのではなしに、事のわかった、双方とも弊害がないことでいいことがあれば、それはわれわれも賛成していくんだ、いい代案なくして現制度を動かそうとするような言動については承服しがたいという意味で申し上げたのでありまして、米のことについては一つこのくらいでごかんべん願いたいと思います。
  68. 川俣清音

    ○川俣委員 それでは農業基本法についてお尋ねしたいと思うのですが、これに関連いたしまして政府所得倍増論がございますが、農村の側から見て何としても一つ足りない点があるのじゃないか。私はそう思うのですよ。というのは、農業所得が二・八%あるいは三%の上昇を示す、こういうわけです。所得上昇の年率ですね。これについて何かあなたも疑問を持っておられるのではないかと思うのです。というのは、農業部内におきましては生産量というものは非常に幅を持つのだ、すなわち豊凶の差というものがあるのだというのが、農業経営の中における大きな要素になっておるわけです。これは明治初年以来、何といいましても豊凶の差があるわけです。振幅の度合いが大きい。この振幅の度合いの大きいのが農業の特質だということを見落としておるのじゃないかと私は思うし、一般の農民が思っておるはずなのです。従って農民の側に立たれる農協としては、この政府の倍増論の中で、年率三%または二・八%でもいいですが、何かそこに豊凶の差ということを見落としておるのではないかという懸念をお持ちにならないかどうか。この点を一つ……。
  69. 一楽照雄

    ○一楽公述人 仰せの通り、豊凶の差というようなものも私どもは気になりますが、もっと基本的に、農業の特質、他の産業との違いというものをはっきりと見きわめた上での基本対策でなければならない。これを単に一般企業と同じように、生産力を高めろとか、そういうことではおかしいじゃないか。私はあの基本問題調査会の答申の中に、まず農業の特質、すなわち生きものを育成するという、ある意味において高度な技術、また家族経営の実情、土地を必要とする、自然の影響を受ける、そしてまたその生産物が空気や水に次いで一日も欠くべからざる国民生活必需品である、それの安定が国の経済全体の安定の基盤になっていく、そういう重要性、この農業の特殊性とか重要性についての認識を、文字の上でもう少し明確に書いていただきたい。従って今度の農業基本法に伴う農政審議会の構成メンバー等につきましても、私どもは、財政、経済の学識経験者にしても、財政、経済の知識の必要なことは当然でございますが、この農業の特質、その重要性についての御理解だけは持った上での財政、経済の学識経験者であっていただきたいということを、現在の自民党案等の審議会についても御注文を申し上げておるわけであります。
  70. 川俣清音

    ○川俣委員 農業生産が伸びても、農業所得は必ずしもそれに並行して伸びないのだということは御説の通りだと思います。そこで政府の、いわゆる農林省案によりますと、作物の転換が示されておる。これは需要の面から言われておるようでありますが、一楽さん御承知の通り、転換する場合に、一日の労働報酬の高いものに転換することならば可能でありましょうが、政府のは、ただ大麦から菜種に転換する、こういうことですが、従来菜種は、御承知の通り一日当たりの農民の労働報酬は低い作物です。大麦よりも菜種の方が低いのです。高い報酬をとっているものから低い報酬へかわれという転換策、これはなかなか不可能じゃないかと思うわけです。大麦におきましても、大麦を飼料にしなければならぬ。大麦を食糧から飼料にかえるのだ。大麦の値段を下げることは困難だけれども、飼料に下げるのだ。飼料になるとすれば一日当たりの労働報酬は下がらざるを得ないわけです。食糧であればこそ相当報酬が要求されるわけですが、えさとなると結局労働報酬が下がってくる。いわゆる労働報酬が下がるということは、農民所得が減ることです。そういう方向に追いやろうとしてもなかなか追いやれ得ないのではないか。その点が多分農協から御指摘があるのではないかと、大いに期待して待っておったのでありますが、落とされたのではないかと思いますので一つ伺っておきたいと思います。
  71. 一楽照雄

    ○一楽公述人 具体的な何がどうということはなかなかむずかしいと思うのでございますが、一つの例としてお話しいただいたわけであります今の飼料の問題のときにおっしゃいます通り、飼料に転換して、その購入飼料と比べて損になるというような問題のときに、それでは飼料はだめだからもっといい作物をということを考える。これはあればけっこうでありますが、しかしそのときに農民が考えなければならないのは、飼料を作った場合の手間賃が安いということだけでなくて、そんな高いえさを買わなければならないのか。そうなりませんか。——これはちょっと話が逆ですね。購入飼料の方が安いのですから、それは私の錯覚でございました。その意味で転換して、急に所得を確保することができない場合には、やはり農民所得の確保という見地から、名目はいかようにあっても、やはり今日の案になっておりますような補給金とか転換補助金等は出されることが必要になるのじゃないかと思います。
  72. 川俣清音

    ○川俣委員 次に、何といいましても生産資材のコストを下げていかなければならぬ、こういうことなんです。農産物の重要なコストとして肥料があげられる。肥料の対象として硫安が考えられるわけでありますが、従来政府も農業団体もこぞって戦後肥料工場、肥料商に対していろいろと合理化を迫り、また資金の融通をいたしまして、生産を上げることに協力してきた、あるいは時に高い肥料を買ってまでも肥料工業の基礎を作るために相当の犠牲を払ってきたわけなんです。ところが幾分過剰になるということで、幾らか生産制限をして、肥料の値を上げておるわけですが、全体の需要量からいいますというと、三十六年度はまだ七十八万六千トンくらい不足だ、こういう計画になっておるようです。この七十八万六千トンを生産するに、農協の側からいけば、農民の側からいけば、なるべく肥料が安くなるような工場を指定してほしいというのは当然だと思うのですが、通産省は事好んで原油分解方式などをとるようなところに増産を命じておるようです。むしろ肥料価格が下がるようなところは避けて、肥料価格の上がるような工場に増産を命じておるようなきらいがあると思うのですが、これに対する御見解を承っておきたいと思うのです。
  73. 一楽照雄

    ○一楽公述人 この問題につきましても私ども非常に弱いのでございまして、肥料審議会に荷見会長とか三橋全購連会長が出ておられますので、つい私が不勉強になっておるわけでございますが、ただいまおっしゃいますように、私どもが承っておるところによりましても、今のお説の通りに、これこそ経済の原則、今の経済界の方々が日本の農村に経済の原則をもっと貫かなければならぬということをよくおっしゃっていただいておりまするが、このことこそ財界の方に私は御返上申し上げたいと考えておる点であります。
  74. 川俣清音

    ○川俣委員 農村金融についてお尋ねをしたいと思うのです。今度農業の近代化のために政府は資金を出すわけですが、これはあなたの方から見るとありがたいことであるけれども、二分ぐらいの利子補給でひもつけされまして引き回されるというと、あまりありがたいことではないんじゃないか。あるいは二分くらいの利子補給では、むしろ採算割れをするんじゃないかという懸念もあるわけですけれども、この点についてどのような御見解でございますか。政府は二分利子補給すれば十分だというような見解のようでございます。これはどうも二分くらいでは、農協の組織ではむしろ採算割れをするような結果になるんじゃないか。もう一つは、農業本位に立つ皆さんにとって不本意なひもつきになるおそれも出てくるんじゃないか、こういう二つの心配があるわけです。この点についての御見解をお示し願いたいと存じます。
  75. 一楽照雄

    ○一楽公述人 組合金融、農村金融に対する私の基本的問題は、先ほど申し上げましたように、まず村の組合がせっかく集まった金で組合員の需要をみな満たしているかどうか、個人貸借は相当行なわれておるのに、金が余ったといって系統機関なり他の金融機関に持っていくということを直すことが第一義的な問題であって、そういう点についての指導啓蒙等を政府等におかれましても力を入れていただきたいと思うのです。で、応急措置といたしまして利子補給等をやっていただくというその御好意に対しては感謝をするわけでございまするが、こういうことがあたりまえだと思って、これを構造的にまたそれの拡大をのみお願いするというのではいけないのではないか。もちろん国の農業投資として、組合金融ができない部面に対して、より徹底した金融措置をとっていただくことは必要であります、それは技術の高度化、経営の拡充というような意味で、もう少し大きな規模、一人々々の農家の範疇をはずれた、もっと基盤的なものについての農業投資の方に政府、国としては力を注いでいくべきである。もしそうではなくて、本来組合金融が果たすべき役割を国の制度金融がかわったのでは何にもならぬのではないかと思います。しかし、こういうことは抽象論でございまして、現実政治といたしましてはそう簡単にいきませんので、私どもとしましては、今度のような措置をせっかくとっていただきました御好意に対しては、これに甘んじることなく、われわれ本来の責務はなお一そう果たすように指導しなければならないと考えるわけでございます。
  76. 川俣清音

    ○川俣委員 もう一点ですが、国民年金に対する強制拠出でございます。農民の所得がかなり低いところにこういう強制拠出の状態が起こると、農村内における金融がかなり逼迫をする結果になるのではないか。これは生産の上がったときでなく月々ですから、相当農協からの引き出しや、あるいは購買の焦げつきができるということになって、農協活動に大きな影響を与えるんじゃないかと私どもは憂えておるわけです。相当な所得があれば別でございますが、あるいは果樹地帯等においてある場合もありますが、広く農村を見た場合におきましては、この強制拠出は相当農村の金融を逼迫させる、購買力を引き締める結果になるんじゃないか。その場合に一番大きい打撃は農協じゃないかと見ておるのですが、御安心なさってしかるべきとお考えになっておりますか、不安を感じておられますか、この点を明らかにしていただきたいと思います
  77. 一楽照雄

    ○一楽公述人 その点も若干あるかと思うのでございまするけれども、しかし私どもは、農協経営上都合が悪いから国民年金に反対するという筋合いのものでもないわけです。むしろもっとおそれておりますのは、農協に貯金をしたこともない、郵便局にも貯金をする余力もない、その最低生活の人が、さらにこれを切り詰めて拠出する血のにじむような金が相当ある。それはしかし四十年後に返ってくるのだから、保険の理屈が通ればいいじゃないかということではなくして、その金がめいめいが月々百円づつ使うよりも、国民年金の掛金を払ったことによって国民的結集、まとまりによって厚生施設がすみやかにできていく、社会福祉が促進されるということになれば、それが救われることになる。そういう意味において、私は国民年金積立金の資金運用運用からの分離運用、その分離運用が今申し上げたような機能を発揮するために、分離運用が必要であるという念願を持っておるわけで、今日までそれに期待をつないできたわけでございまするが、もし、こういうような考え方があまり御採用になりませんと、私の考え方もまた自信を失ってこざるを得ないと思っておるわけでございます。この席にもそういう方面に非常に御心配をいただいておられる先生方、特によろしくお願いをいたします。
  78. 三浦一雄

    ○三浦委員 だんだん時間もたちましたし、一楽さんはおかぜをお引きになり、かつ御疲労のところでありますが、一、二点お伺いしたいと思います。  今、日本の農政は転換期にきておるということで、政府も今度は農業基本法というものの制定にも準備を進めておる。また社会党の方におきましても、これに対する対案をすでに用意せられておる。こういう重大な段階になっております。そこで明治、大正の年代はいざ知らず、昭和の年代におきましても、御承知の通り第一次欧州大戦争の後に、世界恐慌から受けた日本の農業恐慌時代には、日本では経済更生運動が展開されまして、そして当時の危機に対応したことはもう申すまでもございません。その際にわれわれ思い出すことは、当時の産業組合、さらに農会等を結集しまして、いわゆる農業団体が打って一丸になって、ほんとうに熱火の勢いでもって当時盛り上げてきたと私は思うのであります。しかるところ、農業の基本政策の樹立を希望するということは先年来出て参りましたけれども、現状を見ておりますと、この点は非常に私はもの足らぬ感じがするのであります。もとより私がこう申し上げることは、農業団体に相当に期待を持ち、かつまたいかに政府の施策がだんだん進んで参りましても、農民の人たちの協力なしに、かつまた組織立てられたる農業団体等の活躍なければ、その効果の十全を期し得ないことは当然であるからでございますが、どうもこの方面に関しては、従前のような元気がないと申しますか、当時産業組合運動等の先達としてお働きになった人たちのことを思い出しますと、非常に心細く思うのであります。悪口を申し上げるわけではございませんけれども、農業協同組合等の系統機関、その他の農業団体等も老化してしまって、パント錠を飲ませなければならぬというようなことになったとは申しませんけれども、こういうことであっては農政の伸展上非常に憂うべきことだと思うのであります。一楽さんは終始協同組合運動に挺身された方でございますが、これらをもっと生き生きした活動に持っていくように御配慮が願えないものかどうか、その系統の内部における情勢はいかがでございますか、この点をお伺いしたいと思うのであります。  時間の制約の関係上次の問題をお尋ねします。先ほど農業基本政策の問題につきまして淡谷委員からも触れられましたが、お言葉でございますと、原始産業の方面だけに限定して担当させられておる、流通並びに加工、販売等の面においては非常に十分じゃない、こういうことでございました。昨今政府は、将来畜産、酪農等に大いに力をいたしたい、その方面に飛躍的な増強した手段を講じ、その方面の生産力も高めたい、こういうことをすでに言うておるのでございますが、いち早くすでにいわゆる大産業の方面で進出してきた。水産業界の方でも同様だし、二、三日前の新聞を見ますと、三井物産が養鶏方面ですでに大量の生産計画を農村に打ち出している、こういうのでございます。これらはまさに農協あるいは農業団体が打って一丸になって前進すべき領野じゃないかと思うのでございますが、依然この方面では進んでおらぬ、こういうふうに考えるわけでございます。これは進出し、前進するについて農協の現在の機構なり、それらについて、支障を来たすいかなる問題があるかということでございます。  私はこの際、これに関連してお伺いしたいのは、単協はいわゆる総合農協として活躍しておりますが、地方に参りますと、むしろ特殊農協の方が非常な効用を発揮している向きがあることはもう御承知の通りであります。私は先年四国等に参りましたが、むしろ特殊農協の方がどんどん進んでおる。こういう状況も見てきたのでございます。協同組合等の運営はしかく簡単じゃございませんけれども、利害が一緒になって、しかも前進しようとする目的が合致するものならば、その方面をむしろ育成し、それを伸ばすということが必要じゃないかとも考えるのでございますが、特殊農協を農村における場合と、さらにこれを拡大した場合とに考えまして、この関係はどうか、こう考えるのであります。私の経験によりましても、酪農協同組合等の中央会はほとんどふるわない。あるいはその他の類似のものもあるわけでありまして、現在石井君の担当しております全販連等は米に終始しておる。こういうようなことでございますが、しかし先ほど淡谷君も示唆されたように、この面に拡大していくことが、現在の当然の帰結じゃないかと思うのでございますが、いわゆる特殊農協との関係と現在の農業協同組合の進め方としてのお考え方を、この際お伺いしておきたいと思います。  最後に、これはまことにくだらぬようなことでございますが、今所得倍増計画につきまして、経済企画庁等の審議会でいろいろ論議されておるのでありますが、今度予定されております農業基本法に予定しておる審議会等には、農業の実際に通暁しておるベテランを簡抜して、しこうしてその上にもっと高い意味の財政経済のわかる人を採用せよ、こういう御発言でございました。これに類似のことでございますが、経済企画庁等の所得倍増の審議会、これは今後も運営されると思うのでございますが、その方面に農業団体等の事情のわかる人、同時にまた農業に通じておる人が参加しておりますかどうか、同時にまた農業団体の方面からそれに対する呼びかけ等をいたしておりましたかどうか、この点をあわせてお聞きをしたいと思います。私はこの三点でとどめます。
  79. 一楽照雄

    ○一楽公述人 三浦先生の最初のお話は、身にしみて感ずるわけでございます。三浦先生が当時の経済更生部の総務課長等からやっておられました時代には、当時の農協陣営も協同組合の理念に燃え立ち、同時に経済更生運動を提唱される農林省も同様に燃え立ち、相協力をして、この運動としての強い情熱がほとばしり、これが民間の運動にも、政府の行政にも貫いておったと思うのであります。今日は、遺憾ながらわれわれの方におきましても、その情熱が、先ほどから私が申し上げますように新興宗教的ではなく、仏教的であると同時に、そのことは三浦先生の跡を継いでいらっしゃる農林省の方々におかれましても、中には、もう協同組合の理念なんて古くさい、もっと資本主義化しなければならぬというような考え方がちらほらするような情勢であります。私は、先ほど来申し上げましたように、農協の体質改善をお役所に依存するわけではございませんけれども、しかし、われわれの至らないところは、お役所初め、外部からも一そう御鞭撻をいただければ効果的だと思って期待しておるわけであります。  第二の、現在の農協機構が、今後の農業の伸展に対して十分間に合う機構になっておるかどうかという点の御指摘につきましては、全く同感といいますか、大きな機構上の問題があると存じます。にもかかわらず、農林省は単協の合併ということに非常に御熱心でございまするが、系統機構の現在のあり方に対する正しい建設的批判、検討というものが十分になされておりません。しかし、私どもは自主的にこの問題を解決すべきではないかというので、二年来組織整備強化実行委員会という委員会を大々的に作って、組織だけはできたのでございますけれども、まだなかなか具体的に進行していない。つくづくと民主主義というものは時間のかかるものであるということを痛感いたしておる状況でございます。  ただいま御指摘のありました特殊農協の問題でございますが、仰せの通りに、今の単協の総合農協、要するに金融事業をやっている組合を総合組合といっており、それをやっていないのを特殊組合とか専門組合とかいっておりますけれども、われわれはこれは強く自己批判をいたしますと、総合農協は金融並びに米麦組合であって、それほど総合的な仕事をしていないではないか。ところが特殊農協になりますと、畜産なら畜産、柑橘なら柑橘、リンゴならリンゴについて、ある程度総合的な仕事をやっている。これが連合会段階になりますと、家畜のえさは全購連、卵や肉は全販連、これは専門化しております。畜産については全購、全販が専門連でございます。畜連になりますと、えさの世話もします、販売物の取り扱いもいたす、技術指導もいたす、畜産という分野においては、いわゆるわれわれが言っている専門連の方がかえって総合連になっている。そういうような矛盾は少なくともこれは再編成を考えなければならない問題であるということをつくづくと感じておるわけです。もちろんその特殊連あるいは特殊組合が総合農協よりかえって活動的じゃないかというのは、御鞭撻として十分承るわけでございますが、それならそれで、今の専門組合並びに専門連だけを助長さえすればそれで事足りるかといいますと、それについても私どもは明るい希望が持てないのであります。なぜかなれば、資金を握っておりませんので、ややともすると、商業資本に隷属したり、産業資本に隷属するというような形に行きやすいものでございますから、どうしましても単協においては、総合、特殊、名前はどうでもいいですが、信用事業と他のあらゆる農業の事業を結びつけた実質のある総合連を作り上げる、これが第一の問題である。それを基盤として連合組織は相当専門的に分化する形をとらなければならない。しかし、それは分化しましても、さっき申し上げましたように、販売と購買が肩合わせで分かれるのではなくて、畜産だとか、園芸だとか、米作だとか、麦作だとかというように、作物的に専門化すべきである。そうしてその次に、そうやって分化したものが分化しっぱなしでは、今度は、人間もからだが右手、左手、右足、左足、首と切ってしまえば、これが人間でなくなるのと同じように、専門化しっぱなしでありますと、その連合体は総合農協、単協の立場、そして組合員の立場が立ちにくくて、事業のための連合会、上からの事業を推進する機構になりやすいわけでございますから、専門化によって経営を能率化するとともに、その専門化された各種多数の機関が、やはり農協として全国一万三千の総合農協の性格を持った一つの統一体の中に、その傘下におさめられて、大所高所からの制約はそこから受ける。ちょうど一般財界でいえば、系列における本社があって、その傘下に各種系列会社があるような格好にならないといかぬじゃないか、今は中央に二十ほどの各種代表の連合会があります。中央会はそれらを会員としてあります。これは本来連絡調整の機能を果たすべきでありまするけれども、なおそれが金と権力とどちらも持たない中央会でございまするので、この組織ではその統一機能が不十分であるということを自覚しておりますので、もう少し中央機関は分化してもいいのじゃないか。しかしそれが大きなところでは農民的立場を逸脱しないで運営されるだけの統制力がどこかから働いてくる、その統制力がやはり民主的な農協から積み上げた力でそれが行なわれなければ、これは一つ農林省でやって下さいなんというのは非常に簡単なのでございますけれども、それでは困りますので、機構問題を現実の問題として関係者で論議をしていただいておる状況でございます。  それから農業基本法の審議会の問題についてお話が出ました。私が申し上げたのはもう少し寛大でもいいのです。農業に熟達した上で、財政経済にさらに通じた人とまでいかなくても、熟達しないでも、農業の特殊性、特異性またはそれの国民経済における地位というものを、最小限正当に理解だけはしていただいて、その上での財政経済の専門家も加わっていただくことはやぶさかじゃない。農業の特殊性及びその重要性についてお考えがなくて、ただ一般の経済原則だけで律するというような考え方の人がたくさん入られることはいかがかと考えております。  なおこれと関連して企画庁の審議会等に農業関係の代表が委員となって行っているかというお尋ねでございまするが、こういう点でいつも新聞発表の各種委員を見ていますると、いつの場合でも農民はほとんど無視されているといって、私はいつも憤慨をしているわけでございます。先ほど来申し上げました、最近における東南アジア経済協力基金の発起人等の名簿を見ましても、あれだけの人数があれば、少しは百姓代表だって入れたって悪くはないのじゃないかということを痛切に感じ、また税制調査会等を見ましても、なるほど農林省で長らくお役人をしておられた方が一、二お入りになるのが通例のようでございますけれども、もう少し直接に農民的な立場の人を考慮した方が、せっかくの委員会を意義あらしめるのではないかということは、各方面にわたって感じております。そういうことについて、いろいろ積極的に申し入れをしたかということにつきましては、まだほとんどそういうことをやっておらないことを申し上げておきます。
  80. 松浦周太郎

    ○松浦(周)委員 お疲れのところ恐縮ですが、今のに関連しまして、簡単にお伺いしたい。ただいま三浦さんのお尋ねになりました所得倍増計画に対する十年間に十六兆円投資するに対して、農業に対しては一兆円ということが党内でも大へん問題になりまして、これをいろいろ検討すると、あれだけの大冊のものの中に一ページか二ページくらいしか農業のことを書いていないわけです。それではせっかく基本法を作っても、投資量がきまっているのですから、われわれは問題にならぬということでいろいろ追及しますと、二百何十人かの人が集まってあれを作り上げたというが、それならば農業関係からも相当の権威者が入っていなければならないはずです。今三浦さんのお尋ねに対しては、入っておらぬということですが、これはわれわれ政治家の大いに考えなければならぬところでありますと同時に、系統団体として全国農民を指導される皆さんにおかれましても、それぞれの行政機関を通じて今後そういう会合に出ていただくように強く要求してもらうことが、私は必要であると思うのです。先ほど来の御議論を伺っておりますと、もとより、もちろんそうでありますけれども、一楽さんのお考え中心は、やはり高度の資本主義を皆さんの考えによって修正していこうという線が貫かれておる。ところが、農業基本法をこしらえ上げて農業の所得を倍増するとするならば、先進的な企業の益金を後進のものに分けてやって、それによって発達させるという行き方以外に、資本主義の維持の方法はないのです。それに要求する方が今のような弱いことでは、とても私どもの希望を達することはできません。今後われわれも大いにそういう面に対しましては、今まで手落ちだったものですから、そういう片手落ちのないような審議機関にしなければならぬと思いますが、皆さんの方も積極的にもっと要求をしてもらわなければならないと思うのであります。今後一体どういうお考えか。そうでないとこれは議論倒れになりまして、成果が上がらぬと思うのです。そういう点についてのお心がまえを一つお伺いしたい。
  81. 一楽照雄

    ○一楽公述人 ちょっとお断わりいたしますが、先ほどの経済審議会関係の委員に農業代表が入っているかどうかということについて、私が入っていないとお答えしたようですが、実は、それは具体的に委員会の名称も名簿も知らないで申し上げたわけで、私が申し上げたのは、一般的傾向として申し上げたので、そのように御理解願いますと、あるいはその委員の方には失礼なことになると思いますが、この点訂正さしていただきます。しかし一般的傾向としては、先ほど申し上げたことを何も訂正する必要はないと思うのでございます。  農業に対する国の政策は、基本法なんか作る前に、農業に対する国の基本態度を確定していただいて、それが法律に現われるのでなければならぬ。その意味においては、やはり資本主義経済が発達すればするほど農業と非農業との問の格差は激しくなるのが必然であるわけでございまするから、それを是正するために、言葉は農業の保護といいますか、育成といいまするか、どちらにしましても、国が農業に手厚い援助をするということが基本にならなければならないと思います。それに対して、日本の農業が神武以来変わらぬとか、天照以来変わらぬとか、お前ら何しているのかというように言われただけではいけないのであって、個々の農民としては、日本の農民くらい勤勉であり、また能力のある農民はないわけでございますから、これに、経済の成長の度合いに応じて、加速度的に農業に対する援助も必要とすると思うのです。農村に経済の原則を貫け、貫けという主張は、全く世界の大勢を知らない、理論的にも実証的にもこれは知らない人の論だと思うのです。どこの先進国に行きましても、工業国であればあるほど、農業に対する手厚い補助、援助をしているわけであります。農業が、ほんとうの意味の自立経営がどこの国においてできておりますか。そういう点からいいますと、農民自体については私どもは自立精神を強く主張しておりまするけれども、また協同組合という組織は強く自立精神を貫かなければなりませんけれども、国の立場は、農業に対して、経済成長がすればするほど能力もでき、必要も増すわけでございまするから、強い保護政策といいますか、育成の政策をとるということを基本に置いて、その線に立ってこそ農業基本法の制定の意味があると思う。それが幾らか不十分ではないか。しかしそういうことがなぜそうなったかといいますと、大きな組織の形は組織作られておりまするけれども、まだそういう点についての魂が十分に備わっておらないわけでございまして、日夜自分の系統組織の経営の赤字を出さぬことにきゅうきゅうとしているような部面もあるくらいでございますので、御指摘の通りに、もっとわれわれもよく勉強をして、そうして先生方にも、ぜひこれを実現していただきたいということを、法案ができてからあとから反対々々と言うのではなくて、初めからそういう法案を作っていただくように、積極的にやらなければならぬということもよくわかっておるのでありますけれども、まだその線においてははなはだお恥ずかしい現状でございます。今後も、一つただいまお話しのような御鞭撻を、これはずうたいが大きくてのろのろとしかいかないと思いますが、どうぞしんぼうして、気長く御鞭撻を願いたいと思います。
  82. 船田中

    船田委員長 他に御質疑がなければ、一楽公述人に対する質疑は終了することといたします。  一楽公述人には、御多用中のところ、長時間にわたり御出席をわずらわしまして、貴重な御意見の御開陳をいただきまして、まことにありがとうございました。委員長より厚く御礼申し上げます。(拍手)  以上をもちまして公聴会の議事は終了いたしました。  明十八日は午前十時より委員会を開会し、昭和三十六年度総予算について質疑を続行することといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時十六分散会