○大内
公述人 私は大内でございます。
きょうのお求めは農業問題
関係について
意見を述べろということでございますので、その点を中心に二、三の
感じておりますことを申し上げさぜていただきたいと思います。
ことしのまず農林
関係の
予算ということでございますが、これは二つの点で注目しておくべき特徴があるかと思います。
一つの点は総額が
かなりふえたという、いわば量的な増大ということでございます。これも農林
関係の
経費というのをどういうふうに計算するかということはいろいろむずかしゅうございますが、簡単なために、農林省所管というふうに限りますならば、御承知の通り千六百八十二億ということになりますが、昨年に比べますと百六十八億円ほどの増大になっております。従来この農林
経費というものは、御承知の通り戦争直後、特に
昭和二十五年ごろから例の食糧増産ということが非常に問題になっておりました際には、
一般会計の
歳出の中で非常に高い比率を占めていたわけであります。たとえば
昭和二十八年でとりますと、一六・六%ということになっております。ところが、いわばそのころを頂点といたしまして、農林
経費が少しずつ削られまして、絶対額として減った場合もございますし、それから絶対額としてはふえましても、
予算全体の中における比重から申しますと、少しずつ低下をしてくる、こういう傾向を示しておりまして、
昭和三十四年には、遂に七・五%というところまで下がってきたわけでございます。その当時世間
一般では、御承知の通り、安上がり農政ということがしばしば言われていたわけです。ところが、それからまた少しずつ農林
経費の比重が高まって参りまして、今度の
予算では、一応農林省所管だけで計算いたしますと、大体八・六%ということになるかと思いますが、比率では昨年とほとんど同じでございまして、三十五
年度が八・八%でございますから、まず同じと見ていいわけでございますが、ともかく全体の
予算規模が
膨張いたしましたのに大体対応して、農林
関係の
経費がふえている。こういうことは、一応農業問題が非常にむずかしくなっておりますし、それから、この点あとでまた申し上げますけれども、特に
所得倍増計画との関連におきまして、農業の持つ
意味というものが非常に大きくなっている際から考えますと、ある
意味でけっこうなことだと申し上げていいかと思うのであります。ただその総額という点で、一応そういうわけで大体
予算の
膨張にテンポを合わせているということはできますが、これを絶対額として考えてみますならば、やはり
かなり乏しいと申しますか、貧弱であるという
感じがしないでもないのであります。
特にその中で
一つだけぜひ申し上げておきたいと思いますことは、例の農業基盤整備費と呼ばれる、つまり公共事業
関係の
経費でございます。これは御承知の通り、以前には食糧増産対策費、こういう名前で呼ばれて参りまして、土地改良事業を中心といたしまして、干拓、開拓というようなものがそれに含まれていたわけでございますけれども、それが昨
年度からだったと思いますが、農業基盤整備費という名前に変えられたわけであります。この
経費は、今度の
予算で拝見いたしましても、確かに一応ふえていることはふえておりまして、たとえば土地改良事業だけで申し上げましても、約五十億ほどの
増加を見ているわけであります。ただこの土地改良事業につきましてのいろいろな考え方といたしましては、世間
一般にはこういう考え方が往々に行われているわけでございます。それはすでに今日
日本におきましては、米が十分に生産できるようになっている。むしろ米は現在でも大体需給均衡の
状態にあって、いわんや二、三年先になれば多少とも余ってくるだろう。こういう考え方が一方にありまして、そこで米の増産ということには、もうそれほど力を注がないでいいのではないか、こういう考え方が
かなり広く見られるのではないか。そういうことから、また従来水田の改良というものが中心になって参りまして、米の増産ということと結びつけられて参りましたこの土地の改良
関係の費用というものが、ともすれば軽視されるという傾向が出てきているのではないかと私は感ずるのであります。ところが、この土地改良事業というものは、実は将来の
日本の農業の発展ということから考えまして非常に重要な
意味を持っているというふうに考えます。特にこれからの
日本の農業の進み方ということになりますならば、それはいろいろありますけれども、何と申しましても、
かなり大型の機械を農業に導入する、特に米を中心といたします主穀の生産におきましては
相当大型の、たとえば三、四十馬力の中型トラクターというものまで導入する、こういう技術体系を考えませんと、これからの農業の近代化ということを考えることはできない
状態になりつつございます。またあとで申し上げますように、
所得倍増計画との
関係におきましても、その目的を達することはできないだろうというふうに思われます。その場合に、この土地改良事業というものをそういう条件の中において考えてみますと、おそらく土地改良事業というものの考え方を従来とは根本的に変えなければならないということになってくるのではないかと思われます。
それはより具体的に申し上げますと、たとえば従来の土地改良事業のやり方と申しますものは、大体一枚の水田を一反歩
程度に
整理をしていくということを中心としておりました。しかも水田の形といたしましては、なるべく四角い形もしくは四角に近い矩形というような形を考えて土地改良事業が進んできた。これはなるほど牛馬耕ないし小型の自動耕耘機
程度の技術でございますと、こういう水田の形というものは最も適している形だったわけでございますが、もし中型のトラクターを入れるということになりますと、そういう水田の形ではとうてい能率的にこれを使用することはできないと考えます。むしろ一枚の面積をはるかに大きくいたしまして、同時に水田の形をずっと細長くするということを考えませんと、機械を能率的に使うことができない。従って、当然これはアメリカあたりでやっておりますように、等高線に沿ってうねを作りまして、それによって長い水田を作る、こういう形を考えていか、ざるを得ないわけです。そのことを
一つ考えましても、土地改良事業は、まだ土地改良が済んでいない土地、それも
相当残っておりますけれども、その部分に土地改良事業を広めていくということだけではございませんで、戦後一度土地改良事業をやりました部分につきましても、もう一度やり直さなければならない、こういう問題がおそらくあるだろうと思うのであります。そういうことを考えてみますと、土地改良事業は、もう米の増産はあまり必要ないのだからそろそろ手を抜いてもいいんじゃないかというような考え方はどうしても成り立たないと思うのでございます。そういう
意味で、たとえば土地改良事業を中心とした
経費というようなものがもっと優遇されていいのじゃないかというふうに私は感ずるのであります。そこで、全体の農林
予算の
規模が、そういう
意味から申しますと、もっと伸びた方が望ましいのではないか、また、その全体が伸びる中で特に土地改良事業のようなものにもつと
重点を置く、こういう考え方をすることはできはしないか、こういう
感じをまず持つわけでございます。
それから第二番目に、今度の新しい
予算の中で特徴的な点は、いわば新農政のためのいろいろな
経費が
かなり大幅に顔を出してきた、こういう点かと思います。そういう
意味で、いわば質的な転換ということになるかと思いますけれども、この農林
予算の質的な転換と申しますのは、厳密に申しますならば、実は昨
年度と申しますか、
昭和三十五
年度からすでに始まっていたわけでございますが、ただ
昭和三十五
年度におきましては、多くの新しい構想を盛った
経費というものはせいぜいごく少額のものが顔を出したという
程度にとどまっておりまして、いわばそういう
意味で試験的なものにとどまっていたわけです。それが今度の
予算におきましては、それぞれ
かなり金額も多くなりまして、ようやく新農政が本格的な軌道に乗ってきた。こういう
感じを受けるわけでございまして、その限りにおきまして、これは一応賛意を表することのできる
予算の組み方ではないか、こういうふうに思うのであります。なぜそれが賛意を表することができるかと申しますと、申すまでもなく、
日本の農業は今大きな転換期に立っているわけでございます。その転換の基本的な方向がどういうものでなければならないかということにつきましては、これもいろいろの
意見はございますけれども、大体の方向づけというものは、御承知の農林漁業基本問題調査会の答申に示されているわけでございまして、およその方向づけというものはもはやできているかと思います。従って、今日どうしても
政府としてやらなければならないことは、そういう新しい方向に大胆に踏み出すということであろうと思われるわけであります。そういう
意味で、いろいろなこの線に沿いました新しい構想が盛られた、そういう
予算が組まれたということは、十分評価することができるものだろうと思われるのであります。
ただ、もちろんその点につきまして、一応それを評価いたしましても、われわれといたしましては、いろいろ不満な点があるわけでございまして、まず総額という点から申し上げましても、それは三十五
年度に比べれば
かなり金額はふえたと申しましても、絶対額として見ますと、
相当少ないといった方がいい
感じでございます。しかも農業の変化というものは非常に激しく進んでいるということがございますし、それからまた、おそらく国際情勢の動き、特に貿易自由化との関連におきまして、外国農業の影響が
日本に及んでくるという時期も、私は
かなり早いのではないかというような
感じを持っております。それから他方では、後ほどもう一度申し上げるつもりでございますが、
所得倍増計画というものを一方において考えますと、これを達成することは、農業
関係におきましては最も困難ではないか、こういう
感じを私は持つのであります。かれこれあわせて考えますと、農業政策なるものはもっと積極化されていいのではないか、また農業のいわば近代化のテンポをもっと早めなければならないのではないか、こういう
感じを持つのでございますが、そういう点から申しますと、絶対額として考えまして、どうも貧弱であるというような印象を持つことを禁じ得ないわけなのであります。
しかし、ここで絶対額が多いとか少ないとかいうことになりますと、これはまたほかのいろいろな
予算との振り合いの
関係もございますから、一がいにここだけをふやせというふうに申し上げるわけにいかないかと思いますが、さらに新しい
予算に顔を出しております農業近代化のためのいろいろな
経費の
内容的な点にもう少し立ち入ってみましても、いろいろな疑問が出てくるわけでございます。基本的な方向づけは間違っていないといたしまして、その方向に持っていくためのいわば具体的な手段として今度の
予算に盛り込まれている諸対策というものが、はたしてこれでいいのかどうか、こういう疑問はわれわれとしては非常に強く持たざるを得ないわけなのであります。その点につきまして、実は申し上げたいことは非常にたくさんございますけれども、時間の
関係もございますので、ここでは特に二つの問題だけか取り上げまして、多少立ち入った私の考えを申し述べさせていただきたいと思うのであります。
その
一つは、ことしから大幅にふえました麦対策費なる
経費でございます。これは今度の
予算におきましては四十億円というものが計上されていることは御承知の通りであります。この麦対策費の基本的な考え方は御承知かと思いますが、すでに
日本の麦作というものが、現在におきましては行き詰まりの
状態にあるわけであります。それはまず第一に、麦そのものが非常に過剰生産の
状態に陥っておりまして、食管の手持ちが非常にふえております。それからまた輸入との
関係におきましても、
日本の麦は最も国際的競争力の弱い作物の
一つでございます。従って、とうていこのままでは自由化の方向に耐え得ない、こういう性格を持っております。しかも、それを従来は食管の運営を通じまして価格支持をやって参りましたために、食管にはまた非常に大幅な赤字を生ずる、こういう問題も起こる。そういう
意味で、麦そのものについて何らかこの辺で基本的な対策を立てなければならない。こういうことは自明のことでございまして、そういう
意味で今度この麦対策費なるものが大幅に計上されまして、麦の対策に本格的に手をつけられるようになったということは、その限りにおきましては時宜を得たことであると申し上げることができるかと思います。ただ、その
内容になって参りますと、いろいろ疑問が出てくるわけでございまして、この麦対策の
内容をなしておりますのは、ごく荒っぽい筋を申し上げますならば、御承知かと思いますが、一方では大・裸麦をできるだけ
整理をする。その大・裸麦の
整理の
方法は、
一つは飼料化、家畜のえさにするということを考えるけれども、その多くの部分は作付転換を考えるということであります。その作付転換の方向といたしましては、小麦とてん菜、それから菜種というものが主としてあげられているようでございまして、そのほかその他の飼料作物への転換ということも一応うたわれています。さて、そういう作付転換をさせるために、反当にいたしまして二千五百円
程度の作付転換費、補助金を交付しようということがこの主たるねらいではないかと思われます。そのほか麦作の技術改良とか、いろいろの
内容がございますが、主としてここにねらいがあるといっていいと思います。
ところで、この対策にはいろいろな疑問があるのでございますが、それはまず第一に、大・裸麦を
整理して、その作付転換の方向の
一つとして小麦を考えている、こういう点に私は
かなり危険なものを
感じるのであります。それは、なるほど短期的に見ますと、つまり現状だけで見ますと、非常に過剰の
状態が著しくなっておりますのは大・裸麦でございまして、小麦は全体として見ますと必ずしも過剰だともいえないような
状態にある、こういうことは事実でございます。しかし、これをやや長期的な
立場から見ますと、むしろ大・裸麦は飼料として将来性を持っていると考えられるのでございますが、小麦の方は、はたしてそういう将来性を
日本の小麦が持っているかどうかということについては、確定的なことはむしろ言えないといった方がいいのではないかというふうに私は考えます。と申しますのは、少なくともパン用小麦というふうに考えますならば、このパン用小麦は、御承知の通り強力粉がとれます硬質小麦というものが
一般に使われるわけでございます。特に
日本人の食慣習といたしましては、アメリカ式のパンを大体消費しておりますから、従って当然硬質小麦が必要になって参ります。ところが、従来の試験結果その他の実験の結果によりますと、大体
日本で硬質小麦を生産するということに成功したということは、ごく限られた地方にしか見られないのであります。
一般的にはそういうことが不可能であるというふうに大体言われているといっていいと思います。もちろん麦に対する試験研究というものは非常におくれておりますので、これからいろいろ品種改良をしたりなんかいたしますならば、あるいは硬質小麦が
日本の国内でできるようになるかもしれませんけれども、少なくとも現状におきましては、そういうことが可能であるという見通しをわれわれは持っていないわけであります。そういう
意味で輸入小麦と比べますと、
日本の小麦というのはまず品質的に非常に劣っております。それから御承知の通り、価格の上におきましてもとうてい競争できないという
状態、そういうことを考えてみますと、全体としてのやや長期的な方向は、小麦をむしろ
整理いたしまして、そして大・裸麦その他の飼料作物というものを拡大いたしまして、それと畜産とを結びつけていく。こういう形で考える方が、私はより正しい考え方ではないかというふうに考えておりますが、そうなりますと、
政府の考えております麦対策というものは、どうも逆行をしておると申しますか、少し方向を誤っておるのではないか、こういう疑問が持たれるということが
一つ。
それからもう
一つは、大・裸麦の転換の先といたしまして、先ほど申しましたように、てん菜及び菜種というものを考える。ところが、このてん菜及び菜種という作物がまたはなはだ厄介な、ことに将来性という点から考えますと、私は
かなり厄介な問題を持っておる作物であるというふうに思うのであります。特にてん菜糖につきましては、御承知の通り、輸入糖との
関係というものがございます。これは砂糖の輸入対策の問題になりますので、将来どういう政策がとられるかということによりまして条件はいろいろ変わってくるということになるかと思いますけれども、御承知の通り、現在の
日本の砂糖価格というものはべらぼうに高いわけでありまして、ほとんど世界一高いと言ってもいいような砂糖を
日本人はなめさせられておるわけであります。将来貿易の自由化ということが進みますならば、当然この砂糖価格というものはある
程度下がってくる——国際価格にまで下がるかどうか、それは関税政策とか砂糖消費税その他の
関係がございますので一がいには申されませんが、少なくとも下がっていく傾向があるということは疑い得ないのであります。他方におきましては、てん菜糖というものは、世界的に見ましても、サトウキビの砂糖というものにはたして競争できるものかどうかということは
かなり疑わしいわけでありますし、特に
日本で、北海道は別といたしまして、いわゆる暖地ビートといわれておりますてん菜糖が、そういう条件の中でどれだけ将来性を持っておるかということは
かなり疑問ではないかというふうに私は思うのであります。そこに
一つの問題がやはりあるかと思います。
それからもう
一つは菜種でございますが、これも御承知の通り、大部分は油脂作物、つまり油をとる作物として作られておるわけであります。一部は家畜の飼料なり、青刈りがございますが、大部分は油のためのものでございます。その油脂作物としての菜種というものは、大豆との競合
関係というものが非常に強いものであります。大体戦前におきましても、
日本の菜種というものは衰退作物であったわけでありまして、年々衰えていったわけでございます。その衰えた主たる原因は満州大豆との競争に勝てなかったということだろうと思います。従って、今後これも大豆の自由化という問題と関連いたしておりますけれども、もし大豆の自由化が
相当大幅に進みまして、今よりもはるかに大量に、かつ安く大豆油が供給されるという条件が出て参りますと、おそらく菜種の将来性というものも、飼料として使うことを除きますならば、そう大きいものでないのではないかというふうに考えます。
こういう
意味で、この転換の方向という点になりますと、私はいろいろ疑問を持つわけでございまして、むしろ、もっと飼料化という方向へはっきりと踏み切るべきではないか、その飼料化を通じて畜産の増大という方向への結びつき方をもっと強めて考えるべきではないかというふうに思うのであります。その点が麦対策
関係の
一つの大きな問題点ではないかというふうに思うのであります。
それからもう
一つ第二番目に申し上げたいことは、その次の農業近代化
資金融通促進費というふうに呼ばれておる
資金であります。これは金額といたしましては三十五億という
予算が計上されておりますが、この
内容は、御承知の通り、農業近代化助成
資金というものを作りまして、そうして農業の近代化のための、ことに新しい技術ないしそれに伴う施設の導入のために使おうということでございますが、その具体的方向といたしましては、原資は系統の、つまり農業協同組合系統の
資金を利用するということでございまして、その総ワクは三百億円というふうに予定されております。それに対しまして、
政府はおそらく二分くらいをお考えになっているようでございますが、大体二分くらいの利子補給をする、そのほか債務保証もいたしますが、その結果として農協の
資金を大体七分から七分五厘くらいになるかと思いますが、ともかくその
程度の利子に下げさして、そうしてこれを技術改良のための、いわば
制度金融として利用しよう、こういう考え方かと思います。この近代化
資金なるものはことし初めて顔を出したわけでございますが、こういう
制度金融、特に系統の
資金を利用いたしまして、系統の
資金に利子補給ないし債務保証をする、こういうことで系統の
資金を利用しようという考え方は、これは新しいものではございませんで、すでに
昭和三十年ころから、農業改良
資金、その他いろいろな名目をもって行なわれてきたものなのであります。そういう
意味では、今度の構想は、いわば従来行なわれておりましたそれを大
規模にしよう、こういう考え方に立っているといっていいかと思います。ところが従来からやって参りました
制度金融なるものも、この
内容ないしその運営状況を見て参りますと、そこにきわめて重大な考えなければならない問題が出てきているというふうに私は思うのであります。そういういろいろの問題点を十分に
検討することなしに、それをさらに大
規模にしたような近代化
資金というものを考えるということはいかがなものであろうか、こういう疑問を持つわけなのであります。
それでは従来の実績から考えまして、こういう
制度金融なるものが、いかなる問題点を持っておるかということでございますが、これも数えあげれば非常にたくさんの問題点を持っているというふうに思われますが、特にここでは非常に重要だと考えられます三つの点だけをごく簡単に申し上げておきたいと思うのであります。
その
一つの問題は、こういうことでございまして、この
制度金融というやり方でやります場合には、その
利益を実際に受ける農家というものを考えてみますと、これは非常に少数の比較的上層の農家に限定されるという傾向が強いということでございます。この点は、いろいろな資料からもわれわれは推察することができますが、大体農家がどういうところから金を借りて
資金の運用をはかっているか、こういうことを統計的に押えてみますと、大体において非常に上層の農家、かりに内地の耕作反別で申し上げますと、一町五反くらいから上というところに、この
制度金融の
資金は非常に集中をするという傾向を持っており、それから下、一町五反くらいから下、五反歩以上くらいのところは、大体農業手形を主として利用する、こういう
資金の利用の仕方をしております。五反未満になりますと、これはほとんど完全に、そういういわば近代的な金融というものから見放されておりまして、大部分は個人から借りるとか、あるいは商人から前貸しを受ける、そういうような形のものになっているようでございます。そこで、そういう
意味で、この近代化
資金の場合でも、おそらくこれは非常に上層の農家に片寄って流れる、こういう
性質を持っておるのではないかというふうに思います。
もちろんこれはある
意味で理屈があることでありまして、近代化のために新しい技術を導入するというようなことは、実際問題として、上層の農家しかできないのだから、従って上層に流れるのはあたりまえだといえばあたりまえでございますけれども、しかし
日本の農家というものを考えてみますと、必ずしも将来成長力を持っておる農家、つまり経営的な意欲を持ち、成長力を持っておる農家というのは、必ずしも上層の農家とは限らないわけでありまして、実は中
規模のところの農家、特に一町前後のところの農家というものに、私は非常に成長しようという意欲の強い階層が、そこに含まれているのではないかというふうに考えておりますが、そういう点から申しますと、そういうところに十分な
資金的な手当がつかないのではないか、こういう問題が
一つの疑問点であります。
それから第二番目の疑問点といたしましては、これはおそらく農協の採算という点から申しまして、二分
程度の補償をして、七分ないし七分五厘という利子で貸し出す、こういうやり方は非常に農協としては苦しいだろうという
感じを持つのでございます。この点は明日一楽さんの公述が予定されておるようでございますから、むしろ一楽さんの専門の領域でございますので、そちらにおまかせしたいと思いますが、少なくとも私が知っております限りでは、従来の
制度金融の場合でも、農協は二分
程度の補償をもらって、利子補給をもらって、七分
程度で貸し出すということではとうてい採算がとれないという声を非常に聞いておるのでございます。そのために農協はあまり喜んでこの
資金を貸し出そうとしない、こういう傾向が出て参るので、せっかくこの三百億というワクを作ってみましても、はたしてそれが消化できるものかどうか、こういう疑問を持つわけでございます。そのことにも
一つの問題があるように思うわけでございます。
それから第三の問題は、もう少し根本的な問題になりますけれども、私はこういう
制度金融というやり方で、系統の
資金に
政府がいわばひもをつけまして、それを農業政策に利用する、こういうやり方がはたして
日本の農業協同組合の健全な発達、特にその自主的な発達というものを考えた場合に、いいことであるかどうかということに非常に大きな疑問を持っております。こういうふうに政策的に
政府が使う、そういう
意味で、これはある
意味で
財政資金たる性格を持ったものでございまして、そういう
財政資金たる性格を持ったものの
資金源といたしまして農協の金を使って、しかもそれに
政府が非常にこまかい規制を設けまして、その方向に従って貸さなければ利子補給をしてやらない、こういう形で規制をいたしますことは、結局農協の自主的な活動を完全に封じ去ってしまうことになるおそれがあるわけでございます。それが比較的小
規模な場合には、農協が片手間にそれをやっておりまして、自主的に動ける分野というものが
かなり残っておることになりましょうが、三百億というような非常に大きな金がその中に入って参りますと、おそらく農協の
一般的な貸し出し、農協自体の貸し出しというものはできなくなるだろうというふうに私は思うのであります。
というのは、農協の
資金はもともと利子が高いわけで、一割か場合によっては一割をこえるわけでありますから、そういう金は農家としては借りなくなりますから、従って当然農協の自分自身の金は余裕金という形で余ってしまう。この
制度金融の部分だけがむしろ貸し出されるとすれば貸し出される、こういう形になって参りますと、農協はますますいわば
政府の下請機関だという形になってしまいまして、農協の本来の
意味を失ってしまうのではないか、こういうことを感ずるのであります。そういう
意味で、こういう
制度金融のやり方を際限もなく拡張していくというような政策は、私には非常に疑問に思われるのであります。
もちろん今日の農協というものは、
政府の何らかの支持がなければ、自分だけで成り立つということはなかなか困難だということはよくわかるのでございますが、その場合にはおそらく政策の考え方としては、農協の自主性をなるべく強めてやる、こういう形で援助をすべきであって、農協を
政府の政策のために利用する、こういう形で農協を助けてやろうという考え方は、私はどうも賛成をいたしかねるということでございます。従ってこれを信用事業について申し上げますならば、同じく
政府が
資金を補給してやって、そして農協の金利を下げてやろう、こういうことをお考えになりますならば、むしろ農協が自主的に使えるようなファンドを農協に持たすべきであって、一々それにひもをつけた形で農協の
資金を流そうとするこういうやり方は、どうもよくないのではないかと思います。
この点で御参考までに申し上げておきますと、たとえば戦争前の
状態で考えますと、御承知の通り、
政府は農林中金、当時の産業組合中央金庫でございますが、産業組合中央金庫に対しましては、半額の出資をしていたわけでございます。三千万円のうちの千五百万円を
政府が出資していたわけでございます。しかもこの千五百万円につきましては、十五年間配当を免除するという形で、いわばただの金を中金に持たせていたわけでございます。当時の系統金融というものは、このただの金千五百万円というものを
一つのプールにいたしまして、そこで金利を調節するという形である
程度運営される、こういうやり方ができていたわけでございます。いわばそういうやり方ならば、系統の金融事業というものを健全に伸ばすことが可能だろうと思いますけれども、これをこの利子補給という形で一々ひもをつけてしまったのでは、私は系統の系統たる
意味がなくなってしまうというふうに
感じるので、その点が
一つの問題点ではないかというふうに思うのであります。
それから最後に、これはことしの
予算と直接
関係がない、むしろことしの
予算に十分顔を出していないという
意味で、私は大へん残念だというふうに
感じておりますことを、
一つだけ申し上げて終わりにしたいと思いますけれでも、それはこういうことでございます。
この
政府のお作りになりました
所得倍増計画というものを拝見いたしますと、御承知の通り、十年間に
所得を倍増させるということでございますが、その場合に農業生産の伸びというものは、年率二・九%というふうに見込まれております。これは大体従来の実績に合わせたものだと思います。従来も大体
日本の農業の成長率は、ほぼ三%
程度といわれておりますので、それに大体合わせたものかと思います。ところでその年率二・九%で農業生産が成長していく、こういうことを考えました場合に、その中で
所得率がどういうふうに変化するかということは、むろん問題でございまして、普通学者が考えておるところによりますと、
所得率がある
程度下がるだろうというふうに予想を立てておりますが、かりに
所得率が下がらないと仮定をいたしましても、総生産が二・九%伸びるとすれば、
所得も二・九%ずつしか伸びないということになりますから、そのままで計算いたしますと、十年たちましても約三〇%余りしか伸びないということになるわけで、とうてい倍増はいたしません。
そこでこの農業
所得を、それにもかかわらず倍増するということを考えますと、それは兼業
所得であとはめんどうを見るのだということも
一つの考え方かと思いますが、もしこの専業農家を健全なる自立的な専業農家に育成していくという考え方が他方にあるといたしますと、どうしても農家戸数及び農業人口というものが
相当大幅に減らない限りは、
所得が倍増するということは考えられないということになるかと思います。単純な算術計算をすれば、
所得は三〇%しか伸びないわけですから、農家戸数及び農業人口が三分の一に減らなければ倍増はしない、こういうことになりますが、もう少しほんとうはいろいろな条件を入れなければなりません。そういうわけで、ともかく農家戸数を減らす、あるいは農業人口を減らすということが、この
倍増計画をささえる非常に大きな柱になるのではないかというふうに思います。
ところでその農業人口を減らすとか、農家戸数を減らすということは、ある
意味では非常に望ましいことでございまして、従来から
日本の農業は、非常に過剰人口をかかえ込んでおりまして、しかも非常に零細な経営になっておるわけでございますから、できればこれを減らすという方向を打ち出すということは、もちろん当然考えなければならないことだと言っていいと思います。ただ、その場合に、減らすと申しましても、なかなか簡単にはいかないことであることは御承知の通りでございます。それに対して万全の対策というものを講じておきませんならば、しばしば非難されておりますように、いわゆる貧農の首切りになるおそれがあるわけであります。首切りにならないように、農業人口及び農家戸数を
整理するための十分納得的な対策というものが、そこに盛り込まれていなければならないのではないかというふうに思うわけであります。
その場合に、もちろんそれはどういうことが必要かということになりますならば、いろいろな問題が考えられるわけでございまして、いろいろな対策をやらなければならないということになると思いますけれども、今まで少なくとも今度の
予算の中で、ほとんど考えられていないのではないかという問題といたしまして、私は、一方におきましては転業したいというふうに考えている農家、これは兼業農家が多いと思いますが、特に老人その他だけが残っているというような農家で、できれば転業したいと思っているような農家が、円滑に転業ができると同時に、その農家が従来持っておりました土地が、将来専業農家として伸びていくような農家の手に円滑に入る、こういうような対策を
かなり強力に考えるということが
一つ必要だろうというふうに思います。
ところが、それに関連して、今度考えられております政策といえば、ぜいぜい農地法を多少
改正いたしまして、農地法の規制を多少ゆるめるということと、農業協同組合に対して信託経営ですか、委託経営ですか、そういうものを認めようという
程度のことしか考えられていないのであります。それ以上のことは何も
予算にも出ておりませんし、政策としても登場していないように思われるのであります。
しかし、この場合に最も重要なことは、私は、そういうふうに農業から離れていこうとする零細な農家というものに対して、彼らの持っております土地を、どういう形で買い上げてやるかということが
一つ問題だと思います。この場合の土地買上
資金というのは、言うまでもなく、そういう出ていこうとする農家にとりましては転業
資金になるわけでございます。従いまして、それが高ければ高いほど、円滑にそういう農家が農業から離れていくことができる、こういうことになる。従って、なるべくその土地も高く買ってやった方がいいということになるかと思います。他方では、今度は専業農家として伸びていく農家の方を考えますと、その土地はあまり高い値段で買ったのでは、とうてい経営として採算がとれませんから、むしろできるだけ安くそういう農家に土地が渡る、こういう措置が望ましいわけでございます。
そこで、それを解決いたしますためには、できればいきなりこの土地のいわば二重価格
制度をやりまして、売るものからは高く買ってやって、買うものには安く売ってやる、こういうことをやれば一番いいわけでございますが、ただ、そのためには莫大な
財政資金が必要でございまして、とうてい簡単にはできないことかと思います。従って、次善の
方法といたしましては、非常に長期の、一種の土地銀行のようなものを作りまして、そこから非常に長期低利の
資金を融通いたしまして——非常に長期低利という
意味は、おそらく三十年とか五十年とかいうような長期を考えまして、その範囲で土地の売買を行なわせるような
方法というものを工夫すべきではないか、そういう点についての問題が全然考えられていないということに非常に不満を持つわけであります。
それから、またそれと関連いたしまして、今度はそういうふうに手放されました農地ができたといたしましても、それがほんとうに経営的に伸びようとする農家の手にうまく入るということがどうしても必要になる。このことは、売買の場合だけではございませんで、従来からの経営地を考えましても、いわゆる交換分合という形で集団化をいたしませんと、機械化ができないというような問題もある。そういう
意味で、総合的に村の段階で考えるか、どこの段階で考えるかは別でございますが、とにかく、ある比較的小さい単位のところで、そういう管内の土地、その範囲の中にある土地を最も合理的に配分し得るような自主的な管理機構というものをどうしても作らなければならないものかと思います。つまり一種の土地管理組合のようなものがどうしても必要になってくるだろうと思います。そういうものを作るということにつきましても、法制的な措置も必要でございましょうし、場合によっては
予算的な措置も必要かと思いますが、そういうものもほとんど出てきていないということにも疑問を持っております。
それからもう
一つ最後に申し上げたいことは、そういう専業農家の経営
規模をある
程度大きくするということは、単に離農を促進いたしまして、そこから浮いてくる土地を専業農家に集めてやる、こういうことだけではございませんで、言うまでもなく、従来農地として利用されておりませんでした山林原野を利用するということによって、農業の経営を拡大するということが十分考えられなければならない。特にこれからの成長農業部門は、御承知の通り果樹、畜産というものでございますが、そういうことになれば、山林原野は非常に大きな利用価値を持っているわけであります。これは樹園地でも、それからいわゆる草地、放牧地、こういう形といたしましても非常に利用価値が大きいものでございます。現に方々の地方でその山林原野をそういう方向に利用していこうという動きは出ておりますが、この場合に非常に障害になりますのは、従来の山林地主というものがなかなかその土地の利用を開放しないということであります。それは値段の問題もございますし、それからまた山林地主の方は、そういうふうに人に貸すよりは、自分で植林をしてそれを持っていたいという考え方もあるかと思います。そういうことがいろいろ障害になりまして、せっかく村の中でそういう新しい方向への動きが出てきながら、それがそこにぶつかって阻害されてしまっているという例が幾つも出てきております。従ってこれも早急に考えなければならないことでございまして、まずこの山林の開放という点につきましては、これを法制的にも所有権の移動でやるか、あるいは利用権の設定でやるか、こういう問題を考えなければなりません。
それからまたいずれにせよ、そのための土地の価格というものをいかに適正にきめるかあるいはそれが農家の
負担になるということであれば、それに対して適当な財政的な補助をする、こういうことを考えなければならない。いろいろそこには解決すべき問題があるかと思いますけれども、とにかくこの山林原野の土地問題というものをある
程度解決して参りませんと、農家の経営
規模も拡大いたしませんし、経営
規模が拡大いたしませんと
所得を倍増するなどと申しましても、実際問題としてはできませんし、第一、
日本の農業の近代化そのものが行き詰まってしまいます。そういうことがほとんど今度の
予算に盛り込まれていないように見えますことを私は大へん遺憾としているわけでございます。
以上、二、三の
感じましたことを申し上げまして御参考に供した次第であります。(拍手)