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1961-05-24 第38回国会 衆議院 法務委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年五月二十四日(水曜日)    午後一時二十五分開議  出席委員   委員長 池田 清志君    理事 田中伊三次君 理事 長谷川 峻君    理事 林   博君 理事 牧野 寛索君    理事 山口六郎次君 理事 井伊 誠一君    理事 坂本 泰良君 理事 坪野 米男君       上村千一郎君    加藤鐐五郎君       菅  太郎君    岸本 義廣君       小島 徹三君    佐々木義武君       富田 健治君    楢橋  渡君       早川  崇君    阿部 五郎君       猪俣 浩三君    中村 高一君       畑   和君    鈴木 義男君       志賀 義雄君  委員外出席者         参  考  人         (弁護士)   小野清一郎君         参  考  人         (一橋大学教授田上 穣治君         参  考  人         (明治大学教授藤原 弘達君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 五月二十三日  委員玉置一徳辞任につき、その補欠として鈴  木義男君が議長指名委員に選任された。 同月二十四日  委員原彪君及び鈴大義男辞任につき、その補  欠として赤松勇君及び片山哲君が議長指名で  委員に選任された。 同日  委員赤松勇辞任につき、その補欠として原彪  君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  参考人出頭要求に関する件  政治テロ行為処罰法案坪野米男君外八名提出、  衆法第一六号)  政治的暴力行為防止法案早川崇君外七名提出、  衆法第三九号)      ————◇—————
  2. 池田清志

    池田委員長 これより会議を開きます。  日本社会党坪野米男外人名提出政治テロ行為処罰法案及び自由民主党、民主社会党共同提案にかかる早川崇君外七名提出政治的暴力行為防止法案の両案を一括議題といたします。     —————————————
  3. 池田清志

    池田委員長 この際右両案について、参考人に関する件についてお諮りいたします。  理事間の申し合わせによりまして、本日ただいまより、小野清一郎君、田上穣治君、藤原弘達君、以上三人の方を参考人として選定し、両案について意見を聴取することといたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 池田清志

    池田委員長 御異議なしと存じます。よって、そのように決しました。     —————————————
  5. 池田清志

    池田委員長 ただいま御出席参考人は、小野清一郎君、田上穣治君のお二人でありますが、藤原弘達君は午後三時ごろには御出席になる御予定でございます。  この際、小野さん、田上さんに一言ごあいさつを申し上げます。  前会に引き続き、御多用中のところ重ねて御出席をわずらわし、まことに恐縮に存じます。これより各委員から質疑が行なわれますことになりますので、お答えをお願い申し上げます。  それではこれより参考人に対する質疑に入ります。  なお、田上参考人には、よんどころない公務のため、二時半ごろには御退席になられますので、あらかじめお含みを願っておきます。  質疑の通告があります。順次これを許します。畑和君。
  6. 畑和

    畑委員 参考人の方には、先ほど委員長が申されましたように、再度のお出ましをいただきましてまことに恐縮いたします。  この前、午後の部でございましたが、私の質問の途中で議事が打ち切られましたので、私も若干質問が残っておりましたし、またそのほかの方にも同様まだ諸先生方に伺っておきたいという点がありましたので、再度お願いいたしたような次第です。特に午前中の部の小野先生におかれましては、そういった関係ではございませんでしたが、特に私たちこうした刑罰法規を新たに制定するわけでございますので、非常に国民の人権にもかかわることであるから、われわれ国会議員としての責任、それからまた私自身法律家としての良心から、どうしてもこうした法案は徹底的に一つ権威の方々にお聞きを申し上げて、そして十分な検討の上でこの可否をどうするかということにしたいと考えまして、お出ましをいただいたような次第でございますので、そういう趣旨から一つわれわれにお教えを願いたい、こういう観点でございますから、党利党略では決してございません。どうぞさようにお願いいたします。  最初に小野先生に御質問いたしたいのでございます。私前会の参考人においで願いましたときに、午前中若干時間的におくれましたので、小野先生の本論を実は聞いておりません。あるいは見当違いのこともあるかと存じますけれども、その際にはお教えいただきたいと存じます。  基本的の問題なんでございますが、私がこの自民民社の方の法案をずっと調べてみますると、調べてみればみるほど、何か非常にちぐはぐな感じを受けるのであります。もちろんわれわれの方の案、政治テロ行為処罰法案、これはわれわれが一応立案したものでございますから、しかも非常に対象がしぼられておる関係もございまして、自分たちで知っておりますから大体いいのでありますが、政治的暴力行為防止法案、これの方には、今言ったように、非常に疑問の点が多いのであります。そういう観点からお尋ねいたしたいのでございますが、この政治的暴力行為防止法案は、ひとしく政治的暴力行為という言葉でもって定義をいたしまして、それに第四条におきまして、いろいろな対象をきめております。  ところで破壊活動防止法の立て方を調べてみますると、暴力主義的な破壊活動ということでずっといろいろな行為を並べておるわけでございまするが、破壊活動防止法の方では、主として破壊活動をする団体規制、これをあくまで中心としておるようであります。それで、ただそうしたいろいろな行為の中に教唆扇動あるいは予備、こういったものがありますので、それに対する刑罰補整をいたしておるというふうに見受けられるのでございます。ところが本法案につきましては、団体規制もしておるけれども、同時にまた第四条に並べてある政治的暴力行為というものに対して、おのおの、またそのあとの方の各本条におきまして処罰規定をちゃんとなさっておる。しかも、それが刑法あるいはその他の刑罰法規加重が全部なされておるわけです。そういう点において非常に破壊活動防止法案に似たようでまた非常に重点の置きどころが違っておる、こういうふうに考えるわけでございます。  そういう点から見まして、この法案が、しかもいろいろな点で破壊活動防止法の方の規定を援用しておる。従ってまた破壊活動防止法特別法のような感じがするし、処罰の方については刑法特別法だ。特に加重を非常にしておるという点でそういう感じがいたしておる。非常につぎっこはぎっこのような感が深いのでございます。そういう点で、多年小野先生刑事法の方の権威でございまするし、また法制審議会刑法部門部会長でもあられるようでございます。また法務省の最高法律顧問でもあられるわけでございまするが、そういった刑法学者として、大きな刑法体系刑事法体系、こういうものの観点から見まして、との法案が適当なものかどうか。体裁の上からいい、また対象の上からいい、そうした観点から刑法体系を大きくくずすものではないか、こういうような感じがいたすのでありまして、その点概括的に小野先生の御所見を承りたい、かように思います。
  7. 小野清一郎

    小野参考人 今回の二つの法案は、いずれも昨年来の国内情勢に対応して、それを契機として、申さばそれに対する臨時の手当をしようとしているかのごとく拝見いたします。その点では、私は防止法案処罰法案も全く同じことである。のみならず、内容においても相当重なり合っているから、何とかこれを一つ法案合糅と申しますか、統合と申しますか、できないものであろうかということをさきに申したのであります。  破壊活動防止法との関係でございますが、多分に似たような政治的な立法でありますけれども、今回の方が一そう臨時的な色彩が強いと思うのであります。それで、この社会党処罰法案が、三年の限時立法となさろうとしているこの点は、私はまことに適切なお考えだと思いますし、いずれにいたしましてもこれは臨時的な立法考えております。破壊活動防止法の方は、仰せのように団体規制の方が主になっておるようでありますが、しかし、刑罰規定補整も同時に行なわれておりますので、そこから、両者の間にやはり相当連続したような感がございます。考え方によっては、破防法を、何と申しますか、増幅していこうとするかのごとき、そういう感じも受けるのであります。私は破防法破防法として、第一条の目的規定からしてねらいが少し違っておるのですし、今回のは全くの臨時法であるという見方からいたしまして、やはりもし政治的な必要があるという一つ国会における判断が成り立つならば、何とかこれを統合して一つ法律として成り立てたらどういうものか。私はむしろこれは絶対必要な立法であるとも考えません。刑法だけで何とか運用——むしろ運用と、それから警察、検察等行政面考えることの方がより適切ではないかと思うのです。けれども、国会がこぞって必要と認められる以上は、私は学者としては建設的にこれを成り立たせる方向に考えておるわけであります。
  8. 畑和

    畑委員 大体わかりました。そうすると先生の方では、積極的にこうした法律が望ましいとは考えておらぬけれども、国会での意思決定が、どうしても必要だということであれば、しかも何とか相重なり合っている部分について一致した、しかも時限法で決定するのが妥当である、かような結論的なお考えです。  続けて、それに大体関連するのでございますが、少しこまかい質問を申し上げます。  この自民民社案によりますると、先ほど申し上げますように、第四条において、殺人傷害からその次、逮捕監禁強要、例の暴力行為等処罰ニ関スル法律政治目的があった場合を政治的暴力行為、こう称しております。以下大臣官邸あるいは国会構内への乱入、そういったものも同じく並べてございまするが、特に私考えますには、この五号の暴力行為等処罰ニ関スル法律、これはそもそも暴行脅迫等刑法の各本条の罪のさらに特別法だ、多衆の集団的な暴行脅迫あるいは器物損壊、こういう罪であるからこれを特に加重するという特別法だと存じております。さらに本案によりますると、そのまた特別法というようなふうに理解いたすわけでございますが、その通りに理解して、この体裁上よろしいかどうか、またそうしたところで、そうした特別法のまた特別法ということで加重加重されるというようなことが、一体こういった場合にそれほど必要があるであろうか、こういう刑事政策的な考え、あるいは体裁の上からいって、先生の御所見を承りたいと存じます。
  9. 小野清一郎

    小野参考人 この第四条の定義規定というものには、私ははなはだ疑問を持っているので、かりに刑罰規定補整を必要とするとしても、ここに何もずらっと定義を掲げないでもいいと思うのでございます。のみならず、一昨日も私の所見を申し上げました通り、この第七号、第八号のごときは全く不要なんで、こういうものを置かないでも十分まかなえるし、これが暴力行為という概念を不当に拡張する点で、私はどうしても承知ならぬのですよ。なぜかというに、暴力行為というのは、暴行それから脅迫までが暴力行為なんである。これは従来の立法におきましても、御承知のように暴力行為等処罰ニ関スル法律という特別立法がございますが、この場合でも暴力行為等といって、等をつけているぐらいでありまして、この暴力行為というものの概念を勝手にこのように拡張することは、立法として決して当を得たものではないと思います。第七号、第八号のごときは、暴力行為をねらった行為であっても、それ自体は言論であり、暴力にあらざる言動でありまして、広い意味表現です。ですから、これを政治的暴力行為ときめてかかることが間違いであって、これは非常な概念の誤りです。このような立法は、これを消しても一向差しつかえないのです。ただいまお話しの第五号のごときは、特別法のまた特別規定になりますけれども、これはむしろ実体がこれでよければ害がないのじゃないか、これに反して、これを全部ひっくるめて政治的暴力行為であるということは、将来の刑法に、少なくともこういうものを恒久立法とされることは、私どもは絶対日本刑事法のためにとらぬのです。
  10. 畑和

    畑委員 その点よくわかりました。  それから同じ条項でございますけれども、第三号の逮捕監禁、第四号の強要、こうしたものは、政治的な目的を持ってすれば、政治的暴力行為として刑が加重されるということなんでありまするが、ところで刑罰運用によっても、こういった規定がなくても、こうした程度のものはそれによって取り締まれるのじゃないか、そういう観点から、この点は必要ないのではないかというふうに私考えるのでございまするが、その点はいかがでございましょうか。
  11. 小野清一郎

    小野参考人 定義としての問題ならば全くその必要なし、実体については多少私は留保いたします。実体について、もしこれらの刑罰補整する必要があるというのであれば、うしろの、いわゆる罰則のところで直接にそれを規定すればいいのであるし、また団体規制関係でも、必要があればそのつどいった方がむしろわかりよくて、第四条の第一項第何号の行為とかなんとかということは、しろうとには全然わかりにくくて、おなれになっている方はいいだろうが、私などはどっちかというと、直截簡明な法律家なものですから、大きらいなんです。第何号をあっちへ持っていったり、こっちへ持っていったりすることは、私におまかせになれば、絶対にこういうことはいたしません。(笑声)
  12. 畑和

    畑委員 それから次にお伺いいたしますが、それは初めの概括的質問とやはり関連いたしますけれども、破壊活動防止法の方におきましては、その暴力的破壊活動という定義の中に内乱を初めとするいろいろな規定がございます。その中に、第二号の政治上の目的によっての騒擾を初めとする各行為がございますが、その中にも殺人というのがもちろん規定してあります。ところでこの殺人行為だけを、実は破防法を改正して、これを削除して、そしてこの規定だけを持ってきて政治的暴力行為という中の第一に載せておる。そうしてそれを重く加重いたしておるわけであります。こういったのが体裁上もきわめて——私はこれだけを引き抜くという意義がどこにあるのかと思います。それからまたそれに関連いたしまするけれども、たとえばやはり破防法暴力主義的破壊活動の中の、政治目的をもってする殺人と似たような強盗、こういったものはそのまま置いておいて、こちらの方に移していない。しかも強盗その他の破防法規定するものにつきましては、特別に刑の加重規定罰則一つもない、強盗については加重していない。殺人についても加重していなかった。ところがこの殺人だけを持ってきて、本案政治的暴力行為防止法というのに、殺人だけ抜いて持ってきて加重しておる。こういうことは、私はどうも技術的にもおかしいと思いまするし、当を得ていない。大体この法案説明者あるいはその他の統一した見解によりますと、大体破防法の方は大規模なものを対象としておる。この政治的暴力行為防止法案の方は小型のものを相手にしておる。あるいは片方は集団的であって、片方は個人的な行為だ、こういったような説明をいろいろされました。私も初めはなるほどなと実は思っておったのでありまするが、いろいろ詳しく両方法案をひっくり返して比較検討いたしてみますると、そういった点でどうもまことにちぐはぐな感じがいたします。必ずしも事の大型小型、あるいは行為集団性あるいは個人的な行為であるという区別でもなさそうな感じがいたします。その例としては、今いった、なぜそうしたら強盗の方はこっちの方に入れないか、またさらにこの破防法の方には第四条第二号のリによって、検察官や警察官の職務を多衆で妨害したといったようなことについて、公務執行妨害職務強要ということに対する規定がございますが、これも別に破壊活動として団体でやったのでなければ、団体規制にもならぬし、またさらにそれに対する処罰加重もしていない。ところがさっき申し上げましたような、単なる多衆のやる暴力行為、これの方はこの法律で、抜いてきてこの中に特に入れてそれを加重しておる。片方公務執行妨害の方は破壊活動防止法の方にある。この場合にはちっとも処罰されていない。それをこちらの方ではなぜ処罰しないのだ。暴力行為等処罰ニ関スル法律と同じようになぜここへ持ってこないのだろうか、こういったような非常な疑問が、体裁上の点もありまするし、権衡といいまするか、そういった点から申しましても非常に私疑問でございますが、先生はその点どうお考えになりますか。
  13. 小野清一郎

    小野参考人 ですから、それぞれのねらいがあり、しかも今回のは、全く浅沼事件とか嶋中事件とかいうものを念頭に置いて、続々としてそれが行なわれていくかもしれないという一種の危惧からこれは行なわれた立法でありますから、殺人傷害を主にするのは私は当然だと思います。破壊活動防止法のねらいは、私が今ここで説明申し上げるまでもなく、ねらいが違うのですから、それを一緒に抽象的な文句だけでお比べになることは間違いだと思います。
  14. 畑和

    畑委員 それから、本法案におきましては罰則規定が、ほとんどすべてといっていいと思いますが、懲役または禁錮という選択刑を使っておるわけでございます。これはおそらく政治犯だということでの配慮、あるいは破防法の方であわせて禁錮選択をしておるから、従ってそれにならったということであろう、立法にあたって案を作られた方の意思はそこにあるのだろうとは思うのでありますが、こうした同じ政治犯でも殺人とかその他いろいろな行為そういったことについて禁錮選択として使うというのはいかがなものであろうか、かように考えます。特にそういう点からおかしくなりますのは、尊属殺の規定があります。尊属殺あるいは尊属傷害尊属傷害致死、その次に位するもの、そういったものについての規定が各条にあります。ところで尊属殺あるいは尊属傷害致死、そういったものについては刑法の各条項規定を排除するものではないということにしておる。これは刑の権衡の問題からきておると思います。そうかと思うと、それより少し程度の低い尊属逮捕監禁、そういったものについては多分その点は排除するのだ、この規定が優先するのだといったようなことになっておって、あっちこっちいろいろなそういったことで応接にいとまがないという感じを受ける。極端な例を申し上げますと、たとえばこういうことはめったにないと思いますけれども、政治的目的を持って主義が違うからというので親を殺したという場合には、尊属殺の規定が適用になるのだから、従って禁錮ではない、懲役になる。ところでそれ以外のもっと程度の軽いものについては禁錮刑選択もできるということになるようでありまして、この点も体裁上また均衡上もおかしいと思うのです。大体政治テロあるいは政治的暴力行為について禁錮刑にするということが、非常に私はそういう点でも疑問であるのでありますが、その点に対する先生の御所見を伺いたい。
  15. 小野清一郎

    小野参考人 懲役禁錮という問題は大へんむずかしい問題でございまして、これは何と申しますか、道徳感覚の問題が加わって参ります。ただいま刑法改正について準備会と申しますものがありまして、準備草案を作って、もはや一通りの案が確定して理由書とともにこの秋には発表できる。昨年発表いたしましたのは未定稿で、御批判を請うための発表でありましたが、今度は準備会としては一応確定案として発表いたすつもりでありますが、その際にも準備会議論といたしまして、いっそ懲役禁錮という区別を廃止したらどうかという議論と、やはり道徳感覚からして在来区別を存置する必要があるという議論とがちょうど半々でございまして、再び甲案乙案という形で発表することになりました。これはたとえば本法なども在来からやはり政治目的の犯罪については、いわゆる破廉恥という言葉は、破廉恥性がないとか乏しいというように考えられる場合がある。そういう考え方は古いのだと言い切ってしまえばそれまででありますけれども、やはり国民道徳感覚からして、これは決して日本だけではない、政治犯に対する特別の配慮というものは各国の立法にもあるのであります。従いまして、私はやはり禁錮という刑の種類を存置する立場なのでありますが、もしそうだとすれば、懲役または禁錮としておいて、それはその具体的な場合の被告人の態度とか、考え方とか、ものの考え方によって裁判できめればよいことで、しいてこれを全部懲役にしなければならぬという理由は、ちっともないと思うわけであります。
  16. 畑和

    畑委員 実はまだ小野先生に対する質問が若干残っておりますが、田上先生が御用事があって二時半まででお帰りになるそうでございますので、私の質問はほんのちょっとでございますから、田上先生に対する質問を先にやらせていただきます。  田上先生に一点だけお尋ねいたします。先生憲法学者でございますので、そういう観点から伺いたいと思いますが、私たち自分自身で提案しておきながら非常に心配いたしておることがございます。それは両方法案関係があるのでありますが、われわれの案の方の例の賛美——殺人行為等賛美、第十条、これについて表現の自由、そういったものを犯すおそれはないか。憲法違反のおそれはないか・ということ。それから自民民社案の方の第二十四条ですか、やはりこれに似たような規定がございます。この両方とも一応苦心して、何とかしてこうした行為を捕捉しよう、それを処罰対象にしようという考えでおのおの頭をひねったのでありますが、この点について憲法違反になるおそれがあるかないか。この点、われわれとしても非常に良心的に考えておりまして、そういった学者意見を非常に尊重いたしたいと思うのですが、その点に対する先生の御見解はいかがでしょうか。
  17. 田上穣治

    田上参考人 私の考えは、実はこの点あまりはっきりしていないのでございまして、表現の自由につきましても、必ずしも絶対無制限ではなくして、公共福祉によって制限を受ける。けれども公共福祉は御承知のように狭く解釈をしなければならないものであって、原則と例外とを取り違えて、表現の自由が、むしろ原則として制限されるということになると、憲法原則に反するわけでございますから、その意味最小限度、これはいろいろな方からも言われておりますが、一定原則を適用いたしまして、必要の最小限度において規制すべきであると考えたのであります。その意味ではたしてこういう公然賛美したものを罰する必要があるかどうか、これが第一にまず考えなければならない点でございますが、私は最近の情勢考えますると、絶対に野放しでなければならない、実際にそれが教唆扇動の段階、その範囲に至らなければ、取り締まることは憲法違反であるというふうには考えないのでございます。問題は法定刑をどの程度にするかということでございますが、実は私この点はあまり専門でございませんので、きょうおいでになっておりまする小野先生などのお考えに実は従っておるのでございます。まあしろうと考えでは三年以下の懲役というのが少し長期なあるいは重いかと思うのでありますけれども、しかしこの点の判断は私はあまり確信を持って申し上げるわけではないのでありまして、できるだけこの刑は軽い方がよろしいという程度のことを申し上げるのであります。ただもしこの社会党案憲法違反かという御質問でありますると、この程度ならば私は憲法違反とは思わない。けれども適当かどうかという点につきましては、どうもはっきり申し上げられませんが、もし専門的な立場からごらんになって、三年よりもう少しこれを軽く、短くすることができるとしても格別の不都合はあるまいということでありましたら、あるいはもう少しこれを軽くするということが適当ではないか、けれども違憲とは考えないのでございます。  もう一つ自民民社の案でございますが、大体法定刑罰則の点は同様に考えております。ただこれも政治的暴力行為という範囲が一昨日も申し上げましたが、少し広いような感じもするのでございまして、その意味で第四条七号でありますとか、あるいはついでに申し上げますると、例の国会議事堂あるいは総理大臣官邸に侵入するということにつきましては、私は未遂まで罰するというのは少々きびし過ぎる。これもあえて憲法違反であると思いませんけれども、しかし国会法律をお作りになる場合には、むしろ未遂のようなところは削った方が適当であろう、立法政策でありますが、その点をついでに申し上げておきます。
  18. 畑和

    畑委員 もう一点だけ田上先生にお尋ねいたします。これは小野先生の方が適当かと思いまするが、ただ団体規制に関することでございますので、お伺いいたしたい。  それは自民民社案の方の第四条の四項であります。一番最後の方でございますが、「この法律で「団体の活動」とは、団体意思を決定する行為又は団体意思に基づき若しくは団体主義、方針、主張に従ってする団体の役職員若しくは構成員の行為をいう。」こう書いてあるのでありまするけれども、結局団体の活動ということになりますると、団体として活動するということが団体規制になり、団体行動を制限され、かつ最後には解散されるという重大な問題になってくるわけです。それを、団体の行動といっても結局個人の行動である。そういう点から一つこの規定が私はちょっと疑問なんであります。それというのは「「団体の活動」とは、団体意思を決定する行為又は団体意思に基づき」まではよろしいのでありますが、「若しくは団体主義、方針、主張に従ってする」云々、これだけはどうも少し幅が広過ぎるような感じがする。結局団体意思決定、これは団体活動だ、その意思決定に基づいてする団体の役職員または構成員の行為、これも団体の活動である、これはよろしいと思うのでありますが、団体主義、方針、主張というばく然たるこの書き方になって、それに従ってする団体の役職員または構成員の行為、こうなりますると、ばく然たる主義、主張あるいは方針こういう目的に従ってやったということによって、団体の構成員あるいは役職員がやった暴力主義行為、これによって団体全部が拘束を受けるというおそれが多分にあると思います。その点に対して私のような懸念を先生はお持ちか、そうでないか、ちょっと承りたい。
  19. 田上穣治

    田上参考人 私もただいまのお考えのように、その場合は団体の役職員自体の責任はあると思いまするけれども、団体規制する理由としては弱いように考えております。
  20. 畑和

    畑委員 それでは、以上をもって私の質問を終わります。
  21. 池田清志

  22. 坪野米男

    坪野委員 田上先生の御都合がおありのようですから、田上先生に先に時間の許す限りお尋ねしたいと思います。  田上先生は、この両法案を拝見されて、憲法違反の点はない、憲法学者としてそういう御見解のようでありました。その憲法違反でないという根拠は、公共福祉に反する場合には言論の自由の制限はあり得るのだというような根拠で、非常に抽象的、原則的な立場から本法案憲法違反でないと解釈、判断しておられるようであります。刑罰法令でございますから、刑罰法令の個々の条文が憲法違反であるかどうかは、社会党案のテロ賛美処罰法案は言論の自由を侵害するかどうかというような観点になるでありましょうし、また他の条項については、罪刑法主義その他の刑法原則に照らして、被疑者あるいは犯人の人権を侵すような過酷な刑罰あるいは構成要件が非常にあいまいであって、乱用のおそれがあるような、そういう刑罰規定憲法上の人権を——個々の条文に触れるかどうかの問題よりも、憲法の精神あるいは憲法の基本的人権に反しないかどうかという掘り下げた御検討をいただかないと、ただ公共福祉云々という大ざっぱな憲法論だけでは、おそらく大ていの法案憲法違反という疑いは出てこない。私らの常識憲法論でも一応そうは理解するのでありますが、刑罰法令でありますから、個々の条文について、もちろん刑法学の知識も加味して憲法違反かどうかという点の御検討をいただかなければならないのではないかと思うわけであります。そういう意味で、憲法学者としての先生の御意見と、それから先生自身刑法学についてはしろうとだとおっしゃりながら、しろうととしての御意見を述べておられますので、私も、学者ではございませんが、小野先生に二十年前に刑法の教えを受けて、弁護士として、在野法曹として幾らか刑事法運用に携わってきた者でございますが、私もしろうとでございますので、前回御陳述になった点について、若干疑問の点をお尋ねしたいわけでございます。  そこで、この法案憲法違反ではないか、このような立法が必要かどうかという点については、自民、社会あるいは民社、それぞれ立法府が判断すべきものであって、私に批判の能力がない、こういう御意見でございましたが、良識ある世論を代表される憲法学者として——刑法学者としてではございませんが、法律学者として、この法案が必要であるかどうかという御意見を聞かせていただけたら聞かせていただきたいと思います。
  23. 田上穣治

    田上参考人 第一点につきまして、罪刑法主義関係でございますが、私も公共福祉のために必要な自由に関する規制を加えるということにつきまして、二つの場合を区別するのであります。つまり罰則が相当きびしい懲役とか禁錮とか、それ以上のかなりきびしい罰則でありますると、これは行政目的よりも、むしろ結果といたしましてその罰則を適用される関係者あるいは被告人、そういう者の人権を尊重する必要があるのでございまするから、そういう場合は、刑法の理論に従いまして、犯罪構成要件は明確に規定されなければならないと思うものでございます。この法案は、大体におきまして、その意味では行政目的ももちろんあるのでございますが、しかし罰則は相当きびしいものでございますから、今の構成要件が明確に規定されなければならないというような点におきましては、刑法と同様に考えておるものであります。一般の行政法規につきましては、また必ずしもそういうものでなくて、相当な裁量の余地を残す不確定な概念を用いることは格別違憲と思わないのでありますが、罰則がきびしくなると、結果的には刑事法規と同様に考えるものであります。  それから第二点の立法の必要があるかどうかということでございますが、あるいはこの前私の申しましたことが言葉が足りなかったかと思うのでありますが、私は一応必要であると考えておるものであります。それは、このようにこの案の内容はかなり食い違っているようでありまするが、しかし、社会党の案を見ましても、殺人のような点につきましてはかなり強硬であり、私はこの法定刑がきびし過ぎるということを前回に申し上げましたが、とにかくそういった立法の必要を私も感ずるものであります。また、民社自民の方の案を見ましても、今日の情勢下におきまして十分に何らかの立法の必要があり、全く法律を作らないで刑法なり従来の現行法によってまかなうということが適当かどうか、そういう点で私は一応必要があると考えるものであります。けれども、その必要は必ずしも恒久的な、永続的なものではなくて、これは先ほど小野先生の言われましたように、やはり今日の幾分というか、かなりアブノーマルな事態において必要なのであります。だから、本来はこれは限時法の性格を持つものと考えるのであります。立法も、新憲法のもとでは公共福祉を維持するために必要な最小限度にとどめなければなりませんから、そういうアブノーマルな情勢というものはそういつまでも続くとは思いませんので、性格はやはり限時法的なものである。けれども限時法にいたしましても、三年ということが社会党法案に出ているのでございますが、これは少し短過ぎるのではないかと考えております。もっとも社会党法案のように、死刑、無期、これは殺人の場合でございますが、そういう非常にきびしいものでありますと、あるいは三年、これを長くすることは無理があるように思うのでございますが、この法定刑をもっと軽くして、また適用される範囲を、自民民社法案をもう少ししぼって狭く考えますると、三年ではちょっと短過ぎるように、あるいは適当でないように考えるものであります。何年くらいがよいのか、ちょっとこれもはっきり申し上げられませんが、今日の裁判が遅延することも考えまするし、またこういう情勢をいろいろ考えまして、初めから三年ときめてしまうのは幾分短過ぎるように考えております。簡単でございますが……。
  24. 坪野米男

    坪野委員 私は最初に、この法案先生は賛成だ、一応理由があると考えておる、ただし、全然必要もないという意見もあるが、自分には批判の能力がない、こうおっしゃったから、別に刑法学者としてでなくて、良識ある国民の代表として必要があるかどうかの御意見を伺ったのですが、今のお話ですと、やはり結局一応必要があるということのように伺いました。  そこで次の問題ですが、政治上の主義、施策、思想的信条、どういう三つの要件が構成要件の中に出ておりまして、先生の御説ですと、暴力より守らるべきは、主義のみならず、施策も守らるべきだ、だから施策についても構成要件に加えるべきだ、こういう非常に単純な論理で御説明になりましたが、いやしくも刑罰法令でありますから、構成要件を厳格にしよう、しかもしぼろうというのが私たち考え方、しかも刑法があるのだから、刑法で不足の部分、刑法で捕捉しにくい、あるいは刑法だけでは不十分だといった部分についてのみ限定しようという考え方から、一方乱用を防止するという考え方から、社会党案では政治上の原則的な主義という一点にしぼっております。そうして施策に反して人殺しをすれば、これもやはりもちろん政治的な殺人でありましょうが、刑法がりっぱにあるのだから、刑法で十分じゃなかろうか。われわれは政治上の施策といいましても、地方政治におけるいろいろな行政上の争い、そういうことまで含まれてくる〜、政治上の施策という言葉は非常にあいまいな言葉でありますから、およそ政治に関する一切の政策、施策についての争いから、突発的にその場で傷害事件が起こり、あるいは傷害致死、あるいは殺人事件が起こるという場合も予想されますが、そういうものは刑法で十分だ。政治テロというものは、謀殺、計画的な殺人、それも思想、主義に基づく計画的な殺人であるという観念で、われわれはそういう計画的な殺人を行ないやすい典型的な形態をとらえて政治上の主義だけにしぼろうというので、これが社会党考えであります。施策まで含めると、世の中の政治上の争いごとがすべてこの法律規制されて、町のヨタモノやごろつきが人殺しをしたのよりは、政治上、政策上の争いからはずみで人を刺してしまった、殺してしまったというようなものを特に重く罰しなければならないということが出てきやしないかということから、われわれは、政治上の施策まで含めることは、刑法原則からいっても少し行き過ぎじゃなかろうか、また憲法の精神からいっても少し乱用のおそれがあるという点で、憲法違反とは言いませんが、望ましくない立法だという考え方でおったのです。ただ先生は、主義だけでは不十分で、施策もと言われますが、そういう乱用のおそれがあるということについてお考え及びになりましたかどうか、お尋ねいたします。
  25. 田上穣治

    田上参考人 ただいまの御質問につきまして、私は、政治から暴力を排撃するということは民主政治の根本であって、それは単に主義にとどまるものではないという考えを持っているのであります。しかし、確かに御指摘のような懸念もございますので、それは自民民社の案でありますと、第四条の第一項の一号ないし八号まででございますが、この点で、法定刑をあまり重くしないように、そちらの方で行き過ぎのないように考えたいことと、もう一つは、罰則のみでなくて、行政的な措置と申しまするか、要するに事前にそのような施策を推進する、あるいは反対するような意味暴力を用いることを未然に防ぐ必要があるのではないか。罰則の強化というよりも、むしろそういった意味政治的な暴力の組織をある程度制限する必要がある。この意味におきましては、主義のみならず施策につきましても必要を感じているのであります。ただ、御指摘の罰則をどこまで強化するかという方法でありますと、初めから法定刑はそれほど重くする必要はないし、また、この第四条の第一項に列挙されておりまする暴力行為の一々につきましては、さらに検討して幅を狭くする必要がある。たとえば、先ほど申し上げましたが、内閣総理大臣の官邸への侵入とか、国会議事堂の構内に侵入するというような場合の未遂のようなものは一応削除するのが当然であろうと考えるのであります。
  26. 坪野米男

    坪野委員 前回伺っておりますから、時間がございませんので答弁は簡単でけっこうでございます。  先生の御意見では、構成要件を厳格にしぼることよりも、もちろんこれは刑罰法令だけではなしに、予防措置としての団体規制の条文もあるのだから、法定刑を軽くすべきだ、こういうことを前回もおっしゃいましたが、法定刑を軽くといいましても、この自民案、民社案はいずれも現行法よりも重くなっているわけでしょう。だから、できるだけ軽くすべきだという抽象的な言葉では解決がつかないが、私は法定刑を軽くすべきであるということではなしに、現行刑法と同じ法定刑でよければ新立法の必要なし。ですから、現行法で不十分だから、法定刑を現行法より重くすべきであるというのが両案ともの立法趣旨であるわけですから、法定刑をできるだけ軽くというだけでは無原則になってしまうので、どの程度法定刑が他の刑罰法令との均衡上妥当であるかという御判断でなければ、ただ軽くさえすれば構成要件がどんなにあいまいであってもいいんだ、極論すればそういったことにもなるかもしれないので、学者としては、法定刑ができるだけ軽くというのは、人権尊重あるいは現時の刑罰法令の進化の例からいってそうでありましょうが、ただ、それでは私は問題の解決はつかないと思うのであります。  そこで予防措置のことは抜きにいたしまして、社会党案に対する御批判として、罰則について非常に刑罰がきびしいという御批判がありましたが、具体的にどの点が重いのかということをお伺いしたいわけです。その前に、社会党案全部にわたってお答えいただくのはなかなか繁雑でございますので、私のお尋ねする点に対して、重いのか軽いのか、あるいはどの程度であれば妥当であるとお考えになるのかという点についてお伺いしたいと思うのですが、テロ殺人、これは社会党案では「死刑又は無期懲役」となっております。現行刑法でも、「死刑又ハ無期若クハ三年以上ノ懲役」とあります。この殺人の三年以上の刑というのは、自民党案では「七年以上」となっておりますが、その程度ならば重くないが、社会党案のように「死刑又は無期懲役」では重いとおっしゃるのか。あるいは殺人の予備、陰謀の点に対して重いとおっしゃるのか。あるいはその他の条項について法定刑刑法よりうんと重くなっておりますが、端的にこの社会党案を見て、刑罰が重いというのは、どの点をとらえてそういうようにお感じになったのか、その点をお伺いしたいと思います。
  27. 田上穣治

    田上参考人 私は行政法学者でございますから、法定刑の点は実はあまり十分にお答えできないのであります。しかし御質問がございましたので、社会党案で私の考えておりまするところを申し上げますと、やはり第四条でございます。「死刑又は無期懲役」これが重いと、率直に申して考えておるものであります。これは御承知のように上の方は、現在の刑法百九十九条でも死刑ではないかとおっしゃるかもわかりませんけれども、これはもう御専門の方で大体お気づきになるように、われわれの方は下限というか、短期の方が肝心なのでありまして、「死刑又ハ無期」というのは、御承知尊属殺あるいは内乱の首魁であるとか、その他の強盗致死であるとか、そういうふうなきわめてまれな場合でありまして、それと比較いたしますると少々バランスがとれないということを率直に申し上げます。  その他の法定刑につきましては、もちろんそう一々現行の刑法と比較をしているわけでもございませんし、二、三当たってみたところでは確かに幾分重くはなっておりますが、それほど私ははっきり申し上げているわけではないのでありまして、端的に第四条が重過ぎるということ申し上げられると思います。
  28. 坪野米男

    坪野委員 私も立案者の一人としてずいぶん検討いたしましたが、むしろ第四条以外の方が若干重いのではないかと、私たちは若干の専門的検討を加えて修正の必要があれば修正ということも考えておりました。第四条第一項のテロ殺人が「死刑又は無期」とありますが、これはまさに強盗致死罪と同罪でございます。結局先生は、物取りに入って、物取り強盗が逃走するために、あるいは抵抗を抑圧するために人を殺す、または人を傷つけて死に至らしめたという、いわゆる強盗殺人強盗致死、こういったものは最も罪状の重い方の犯罪だというお考えのようですが、自己の政治主義、信念と相いれないからといって、相手の言動を憎んで、その相手を計画的に殺さなければならない、殺すことが正しいのだという信念を持って、計画的に謀殺をした、こういう犯罪は、物取りの逃走手段として人を殺したという強殺に比し、情において同情すべきだ、情が軽いというお考えのように私は受け取ったのであります。私たちは、少なくとも強盗殺人強盗致死とは同罪以上に情が重いのだ、そういう国民の世論を盛り上げなければ、テロを根絶することは刑罰だけではとうてい不可能だという観点で、少なくとも強盗殺人と同罪以上の法定刑をもって防止しなければいけないのだという考え方を持っておりますが、先生強盗殺人よりはテロ殺人の方が情は軽いのだ、こういうお考えですか。
  29. 田上穣治

    田上参考人 一がいにそうは申しませんけれども、いろいろな場合が出てくると思うのであります。政治的なテロ殺人と申しますか、私は一般的に申しまして、こういう刑罰規定の仕方におきまして、死刑、無期というようなことは、旧刑法のような考え方でありまして、裁判官の裁量を非常にしぼっておる。私はそういう意味において、これは実は賛成できないのであります。しかしこれは見解の相違でございまして、御議論に私が反駁することになるかどうかは別でありますが、実を申しますと、こういうテロ殺人が憎むべきものであることは私も十分承知しておるのであります。が、私としては、そういうふうな直接手を下すというか、殺人行為を行なった者も罰しなければなりませんが、やはりその背後にある組織の力というものがむしろ非常におそるべきものだと考えております。全然組織に関係のない散発的なものももちろんいけないのでありますけれども、実際に立法の必要性ということから考えますと、私自身は、やはり組織について規制を加える方がより重要であると思う。ところが社会党案は、率直に申しまして、第四条に重点を置かれている。だから組織をお考えになっていらっしゃらないわけではないと思いますが、しかし実際に手を下した者を取り上げてこれを厳罰にする、そうしてそれが将来の犯罪の予防にとにかく効果的であるとお考えのようでありますが、この予防という点は、応報刑というか、制裁刑という点からいえば別でありますが、とにかく予防という点ではむしろここにあまり力を入れるよりも、ほかの方が必要だと考えております。
  30. 坪野米男

    坪野委員 今の結論は、そうすると、一がいには言えないが、強殺よりはテロ殺人の方が情が軽いのだ、こういうお考えですね。そう伺っておきましょう。  そこで、社会党案の第一印象は、死刑、無期というテロ殺人の刑が非常に重い、これは常識的にそういった印象があるようですが、われわれは重くないと思います。  次に、自民党案についての先生の御批判は、刑罰対象を非常に広げ過ぎておる、こういう御意見を前回に述べられたと思うのであります。社会党では、殺人及び殺人の可能性のある傷害脅迫、そういうものに限定しておるわけでありますが、自民党案では、逮捕監禁強要暴力行為、集団的な器物損壊まで含めての政治的動機、原因、目的が加わればということで、対象が非常に広過ぎる、法定刑さえ軽ければ対象が幾ら広くても問題はないのだというお考えなんでしょうか、刑罰がいかに軽くて、現行刑法以上の刑罰を課しようというわけですから、そういう対象を広げることはやはりよくないというお考えなのか、前回述べられた点をもう少し、簡潔でけっこうですからお述べ願いたいと思います。
  31. 田上穣治

    田上参考人 私も御指摘の点は一応考えてみたのであります。ただ、特に問題は、労働組合、労働運動の規制ということでございまして、最近の労働争議などを見ますと、いわゆるつるし上げであるとか、あるいはカン詰というふうなことがよく新聞に出て参ります。しかし、これはまた私考え直したのでありまして、そういうことは正常なというか、あるいは相当大きな組織を持った日本の労働組合には実はあり得ない。だから、そういう意味におきまして、今申しましたような意味の労働争議がこの規定によって不当に制限を受けるというふうなことは実はないのじゃないか、多少そういう懸念もちょっと感じてみたのでありますが、どうもそこまで、特に三号、四号を削る必要があるとは実は考えないのであります。
  32. 坪野米男

    坪野委員 その第四条の三号、四号を削る必要はないと弁護をなさっておるようですが、団体規制の点に触れる前に、この第四条は暴力行為云々という政治的暴力行為規定でございますから、むしろ小野先生がさっきおっしゃったように、あとの刑罰規定の部分に触れてくるわけですが、かりにあとの刑罰規定に触れましても、簡単にいいまして、自民党のいう構成要件を一言で言って、政治的目的をもってする逮捕監禁あるいは強要、強制といいますか、強要罪あるいは暴力行為、これらの行為は、この法案で、衣の下によろいがちらついているといいますか、なるほど構成要件の規定の仕方は個人々々の犯罪の構成要件が規定されているように見えますが、政治的な目的をもってするこれらの逮捕監禁あるいは強要罪、暴力行為——少なくとも暴力行為は集団的、複数ですね。「数人共同して」という規定がございますから、二人で十分やれるわけですね。そういった規定、私たちが必要ないと考えるこの三つの規定は、よく読んでみれば、集団的な犯罪行為が想定されているようにお考えになりませんか。専門家じゃありませんが、一応……。
  33. 田上穣治

    田上参考人 そういうきらいはちょっとあるのでありますが、私は、繰り返して申し上げますように、これは刑法の問題だけでなくて、やはり先ほどから繰り返して申しますような団体規制ということに関連を持っていると思うのであります。だから、ただいま御指摘の罰則の方のおしまいの方に入れるということが考えられる。また、私も暴力行為の中にここまで入るかどうか疑問があると思うのでありますが、しかしこれは立法体裁でありまして、私はやはり初めの方と申しますか、第七条あるいは第八条とか、こういうふうな面で一応必要があると考えております。
  34. 坪野米男

    坪野委員 もちろん、その点についてお尋ねしますが、刑罰法令と二つに分かれているわけですね。ですから、今の質問刑罰法令について必要かどうか、少なくともこれは体裁刑法規定を引き写しておりますから、個人々々の犯罪を普通は規定したものですが、大体今の団体規制との関連において本法がねらっているというか、ずっと条文を読めば、集団的な行動がいわゆる暴走して暴力的な事犯に発展した場合の規制をねらっているということは一見してわかるだろうと思うのです。その点どうですか。
  35. 田上穣治

    田上参考人 これは結局第四条と申しますか、初めの目的を認定するときに問題になると思うのでありまして、法文の上では私は必ずしも集団的とは考えないのであります。
  36. 坪野米男

    坪野委員 ですから、対象が広過ぎても刑罰が法的に軽ければそれでいいということは、刑罰理論の上から言ってそう言えるかどうかということは、私は問題があると思う。あなたが前回申されたように、対象が広過ぎるということは、単なる町の批評家の批評のように、対象が広過ぎるからこういった立法は再考慮の余地があるという意味でおっしゃったのかどうか、そこを私は聞いたのですが、そこまでの強い御意見ではないようですね。ただ批評として対象が広過ぎるという、だれが見てもわかり切ったようなことをおっしゃっていると思うのです。  それで、最後にあなたの御専門の憲法、行政法の問題に触れて参りますが、この団体規制の仕方、破防法とは別個にこのような団体規制をされたわけです。団体規制に関連して刑罰ももちろん加わっております。破防法にもあります罰則規定にも触れているわけでありますけれども、単に団体規制の必要があるという大ざっぱなことではなしに、一条々々を逐条的に御検討になって、この団体規制団体の正当な活動を制限するおそれはないかどうか、あるいは団体の活動を不当に制限するようなおそれはないかどうかという点の御検討を十分なさったかどうか、その点イエスか、ノーかだけをお答えいただきたいと思います。
  37. 田上穣治

    田上参考人 私は、第四条との関連において、団体規制は、罰則よりも前の条文、第四条の一号ないし八号、こういった点におきましてもう少し範囲をしぼる。たとえば先ほど申した七号とか八号とか、こういう点は、罰則ではなくて、団体規制が幾分広過ぎるということを申しているのであります。
  38. 坪野米男

    坪野委員 この団体規制の条文について若干お尋ねしたいと思うのでございますが、一番問題になりますのは、第七条においては、「団体の役職員又は構成員が、」というこの構成員というところが問題です。労働組合の組合員、あるいは一政党の一党員が「当該団体の活動に関し、又は当該団体目的の実現に資するため、」云々、こういった場合にその団体意思団体の行動としてではなしに、その構成員の主観的な独断でもって人殺しをやる。あるいは人殺しだけではありません。これを見ますと、政治テロ殺人の予備、陰謀、教唆扇動をやるというような場合に、あるいは殺人の未遂を行なったという、こういうことを最高裁判所の有罪判決が確定してどうこうとなるのではなしに、公安審査委員会が認めるに十分な理由があれば、それでその構成員に対して、あるいは役職員に対して「団体のためにする行為をさせることを禁止することができる。」こういう規定であります。私はこの規定は非常に乱用のおそれがあるということで、しかもこれは団体に対する制裁であると同時に、その団体の構成員たる個人に対する制裁——刑罰ではございませんが、二つの制裁があり得ると思うのです。有力な活動家である構成員に団体のための活動をさせたいという団体に対しての打撃になり得るでしょう。またその個人の団体のためにする活動が制限を受けるという、二つの制限というか制裁が規定されてくる。連座といいますか、二つの制裁が規定されてくると思うのですが、そういう重要な条文でありますから、「団体の活動に関し、」というような非常に広い、また「当該団体目的の実現に資するため、」という非常に広い概念でもって団体規制するということは、正当な団体活動を制限するおそれがあるのじゃないかということを非常におそれているわけなんです。  それからもう一つは、次の、こまかい点ではいろいろありますよ、しかし時間がありませんから省略しますが、第八条は団体の活動としてこういった行為をした場合にはということで、今度はいろいろの制限が書いてございますが、「団体の活動として政治的暴力行為を行なう」——逐条的には時間がございませんからあなたにお尋ねしても無理かと思いますのでいたしませんが、団体活動としてなすということを公法学者としてどのように——これは公法学の分野というよりもむしろ公安審査委員会が判断するにしたって、やはり刑法学的に厳密な構成要件を固めていかなければ私は大へんなことになると思うのですが、団体の活動として行なうということをどういうふうに解釈なさっておるか、それを一つ御参考に伺いたいと思います。
  39. 田上穣治

    田上参考人 それは先ほど別の点で御指摘があり、第四条第四項の方でございましたように、団体意思を決定する行為団体意思に基づく行為というところまでは私もわかるのでありますが、「団体主義、方針、主張に従ってする団体の役職員の行為」、「構成員の行為」という、ここまでくるのは広過ぎると考えております。これは先ほどの畑委員にお答えしたところかと思いますが、そういうふうに思います。
  40. 坪野米男

    坪野委員 私もこの第四条第四項の規定意味がよくわからないのですが、これを読んでみておわかりになりますかしら。「「団体の活動」とは、団体意思を決定する行為又は団体意思に基づき」云々とありますが、私は団体意思を決定する行為団体意思がどこが違うのか、第一、日本語を読んで疑問に思うのですが、学者としてそれを疑問に思われなかったですか。団体意思を決定する行為というのは、たとえば大会で決議するというような行為でございましょう、そし決議された行為はまさに団体意思じゃありませんか。そうすると「団体意思を決定する行為又は」とありますが、どこから引っぱってきた条文か知りませんが、団体意思を決定する行為団体意思というものは私は同意語だと思うのですが、何か区別ありますか。
  41. 田上穣治

    田上参考人 私の考えでは、いわば国家の場合の立法とそれからこれを執行する行政と申しますか、そういうふうな団体意思を決定して、かつこれを執行する、こういうふうに考えれば一応段階をつける、区別をすることが不可能ではないと考えております。
  42. 坪野米男

    坪野委員 そういうふうに伺いましょう。一方は意思の決定の機関による意思の決定、一方は団体の代表者の意思が即執行面において団体意思だ、そういうように理解したらいいわけですね。  そういうことで、この条文でいろいろ規定してございますが、私はこれはほとんど無意味規定だと思うのです。一体この条文で規制し得るものはどういう行為かということになってきて、およそ意味のない不必要な規定であって、せいぜい意味があるとするならば、労働組合なり政党その他の政治団体の行なう殺人教唆扇動等の行為を機関紙誌でやる、あるいは集団行進、デモ行進、そういった場合にそのデモ行進を規制する、それ以外にほとんど意味がない。しかもそれは団体としての行為か、個々の構成員が勝手にやった行為か、あるいはそのうちの数人が相談してやった行為かということでとらえにくい。われわれも団体規制の必要があることは十分最初承知してかかったのでありますが、立法技術的にきわめてむずかしいということで、謙虚な気持からはずしたのであります。この自民案をここで逐条的に検討して不安になると同時に、この団体規制で一体どういうものが規制できるのかということになったら、ほとんどその必要性、実効性がないのじゃないかというふうに私たちは理解しているのです。その点十分御検討いただいた上で効果があるという御意見でございましょうか。
  43. 田上穣治

    田上参考人 実際には、御承知のように、自民民社案でありますと、破防法違って、すでに過去において反復あるいは繰り返してそういう暴力行為があったという場合でなければ団体規制はできない、殺人の場合は別でありますが、——そういう意味で、めったに、そう簡単には適用されないものと考えております。しかし、そういう要件を継続反復してそういう暴力行為が行なわれた場合に、なおかつそれを放任してよろしいかというと、私は、個々の犯罪行為刑罰によって規制する、これに制裁を加えるほかに、やはりその組織そのものにおきまして、これを正常な姿に直すためにある程度規制をする必要があると考えております。
  44. 坪野米男

    坪野委員 それはその通りでございますが、私のお尋ねしたのはそういう点ではなしに、団体の活動としてというようなことでとらえ得るかどうかという点にむしろ重点を置いておったわけでありまして、私はそう意味——しかも禁止される行為が集団示威運動等において行なわれた場合と機関紙誌において行なわれた場合だけの禁止規定であって、それ以外にもっと重要な、政治暴力団体の行なった暴力的な行為に対する規制は何もないという、比較的ゆるやかな部面についての規定だけあって、非常に悪質な政治的暴力行為に対する団体規制が最後の解散以外にほとんどないという点からも、非常に無意味な、不合理な団体規制だと考えておるわけです。そういう点まで御検討願ったかどうか。
  45. 田上穣治

    田上参考人 一応考えてみたのでありますが、繰り返しになりますが、やはりこの団体規制はそう容易にはすべきでない、その点は今のような要件がかなり厳格になっておりますから、乱用というよりも、むしろあまり実効性がない、その方では、破防法と比較いたしまして、破防法が今日までまだ一回も適用されていないということを考えますと、そういう意味でこの程度規定であれば行き過ぎはあるまいと考えております。
  46. 坪野米男

    坪野委員 終わります。
  47. 池田清志

    池田委員長 志賀委員から田上参考人に対して一問の質疑があります。これを許します。志賀義雄君。
  48. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 お尋ねしたい点は全体で百ばかりございますけれども、一点だけにしぼってお伺いしたいと思います。  その前に、この前田上先生は、公安調査庁は何もしていないとおっしゃったのでございますが、公安調査庁はあらゆることをしております。公安調査庁から出た「安保闘争の概要」という文書にはそれがよく出ております。大体公安調査庁は共産党に対してヤマイモ掘りと申しまして——ヤマイモ掘りというのは、ゴボウ抜きにできませんから、周囲を掘っていくのだ、それでやるのだと言っているのでございますが、三十五ページを見ますと、松本治一郎、原茂、太田薫、これはいずれも社会党の方でありますが、安井郁、上原専祿、内山完造、石井あや子、青野季吉というような名前が出ております。これを調べてみますと、ただ共産党だけでなく、社会党、総評その他外部に発表しないで決定されたことまでが全部出ております。こういうことを見ますと、田上先生のおっしゃるように公安調査庁は何もしていないというのではなくて、要するに憲法法律に違反してやっておりますから、一つ先生は、これを公安調査庁に請求して、よくごらんになって御発言願いたいと思うことをまず希望申し上げまして、一点だけ質問申し上げます。  私が一昨日小野先生に伺いまして、第六条はどうかというのは、つまり「何人も警察署に通報しなければならない。」という点を申し上げました。私は、この法案は撤回すべきものだという立場から質問申し上げましたところ、小野先生は、これは削除すべきだ、こう言われました。そのあとで田上先生も、これは削除した方がよろしい、こういうふうに言われたのでございますが、私のお尋ねしたい一点は第五条においてであります。一問一答になりますと、最初の一問で委員長からぶち切られますから、ずっと通しでやります。そういう一問にいたします。  第五条は、御承知通り「何人も、政治的暴力行為がわが国の民主主義の発展を阻害するものであることにかんがみ、その行為の発生を防止するように努めなければならない。」きわめてばく然とした訓示規定のようなものでございますが、これを実際にやるとなると一体どうなるか。何人もということになると、赤尾敏君も入るのであります。第六条の「何人も、政治的暴力行為が行なわれるおそれがあることを知ったときは、直ちにその旨を警察署に通報しなければならない。」ということが、小野先生田上先生の御意見でも削除すべきものとすれば、この第五条もそういう点ではやはり同様の性格のものではなかろうか。この点について先生はどういうふうにお考えであろうか。つまりこれがスパイ奨励になるということですね。警察、公安調査庁から金が出る、その警察、公安調査庁その他がどういう金を使っているかということは、毎日法務委員会で暴露されている通りで、捜査費が芸者の花代にまでなっているというのが実情であります。この第五条の規定が第六条よりもっと困ることは、「政治的暴力行為がわが国の民主主義の発展を阻害するものであることにかんがみ、その行為の発生を防止するように努めなければならない。」とするならば、国民各人が独自に認定して、これは民主主義の発展を阻害するものだと思ったら、防止をやるために、こういうことをやったんだということになります。逸脱した行為自体が違法性を阻却される結果になりはしないか、こういうことが一つの点になるのでございます。たとえば「風流夢譚」が殺人をそそのかして、これは政治的暴力行為に該当するというのは、あとの条項扇動だけでなく、扇動に至らないものもこれを処罰するという規定があることに対応して、こういうことも決して私の独断的な立論ではないと思います。そうなってきますと、これを阻止しなければならない。中央公論の発送を阻止するというような行為が発生するとします。この場合、普通ですと、業務妨害罪に問われるのでありますが、この法案が成立したとなりますと、この本文により刑法第三十五条の「正当行為」ということになるおそれがあります。そういうことは先生はいかがお考えでございましょうか。出版の自由という憲法規定にも反することになり、また三池争議の際のように、第二組合は外部右翼団体に利用される、右翼に虐殺された久保清君、これも正当行為として認定されることになりはしないか、実は私あのとき法務委員会で聞きましたところ、一応、久保清君を殺害した連中を理由がない、証拠が不十分だというので、釈放まで警察がしているという状態であります。こういうふうになりますと、第五条で何人もその行為の発生を阻止するように努めなければならないとなると、各人が自由に判断できる、何でもできる、違法性の阻却の根拠が全然なくなる。第六条について、先生が反対される立場からさかのぼってみれば、これにも十分問題があるだろうと思いますが、その点先生はいかがお考えでございましょうか。
  49. 田上穣治

    田上参考人 簡単に申し上げます。  初めの、これは御質問でなかったのでありますが、公安調査庁に関する点は、あるいは私の言い間違いかと思いますけれども、公安審査委員会のことを申しておりまして、公安審査委員会が今日まで活動していないということを申し上げたつもりでございまして、私も公安調査庁で……(志賀委員「たしか公安調査庁と言われたので私は取り上げたのです。」と呼ぶ)それならば私の言い誤りでありまして、公安調査庁が全然活動していないとは私も考えておりません。(志賀委員「大へんよけいなことをやっております。」と呼ぶ)それはある程度存じております。  それから御質問の点でございますが、第六条は、この前に申し上げましたように、私は御指摘のような弊害も考えられますので、一応削除した方がよいという意見でございます。  第五条の点は、ただいま御指摘がございましたが、私は、一方で教唆扇動に至らない行為まで一応この法案では規制することになっておる。これはもちろん、そういたしますと、他方でほかの社会党法案の方にも十年以上にするというようなところが罰則として少し行き過ぎではないかという感じがするのでございますが、自民民社案でありますと、第四条第一項のおしまいの七号とか八号あたりでございますが、そういう点はあるいは削った方がよかろうかと考えておるものであります。そういう前提でもって第五条を考えますと、第五条は、私は、大体訓示規定であって、実はこの規定があるから、刑法第三十五条の適用にあたって特別な意義を持ってくるとは考えないのであります。(志賀委員「六条も訓示規定であります」と呼ぶ)第六条は一応削除した方がよいと考えておりますが、第五条につきましては、積極的にぜひ削らなければならないとは思っておりませんけれども、しかし率直に申しますと、私の考えでは、第五条は置いておいて格別実害はあるまいという意味でありまして、この規定を特に重く見ておるわけではございませんから、もし……(志賀委員「どういう実効がございましょうか。置いておいて実害はないとして、実効の方をお答え願います。」と呼ぶ)一部の行き過ぎに対して関係者が自粛するという意味でございまして、だからそれを理由に取り締まるということではない、そういうふうに考えております。けれども、私の意見としては、ぜひ残さなければならないというふうには考えていないのでありまして、もし削除するという御意見があれば、格別私は反対ではないのであります。
  50. 池田清志

    池田委員長 田上参考人に対して申し上げます。  本日は御繁忙中再度おいでをいただきまして、委員質問に応じ貴重な御意見の御開陳をいただき、まことにありがとうございました。委員一同を代表して厚くお礼申し上げます。——お引き取りを願います。
  51. 畑和

    畑委員 小野先生にちょっと聞き残りがございましたので、お尋ねいたします。  去る二十二日の委員会で、いろいろ補充的な問答がございましたが、そのときの先生のお考え、それは私の聞き間違いかどうか知りませんでしたけれども、自民民社案の中の第四条の第一項第六号、例の官邸乱入、それから国会乱入、この項目でございますが、この点について、先生はこれは別にそう削る必要はないであろう。その問答の中で、私、先生の御意見はこうじゃなかったかと思うのでありますが、刑法の住居侵入、その点によってはこうした国会の建造物でなく、そのまわりを囲繞するさくとかへいとか門とか、そういったものに入っただけでは捕捉できないから、そうした意味でやはりこれはこのまま存置をしておく必要があるのじゃないか、こういうような御意見でなかったかと思いますが、その点をもう一度確かめておきたいと思います。
  52. 小野清一郎

    小野参考人 これは解釈上問題があるだろうと申し上げたのです。御承知のように、刑法第百三十条には、「故ナク人ノ住居又ハ人ノ看守スル邸宅、建造物若クハ艦船ニ侵入シ」云々と、こういうことになっておりますね。これはもともと外国の立法例では、個人の住居のハウスレヒトと申しまして、家庭的な生活の安全を脅かされることのないようにという趣旨が本来なんでございます。ところがそれでは狭過ぎるという趣旨だと思いますが、この「邸宅、建造物」ということになっておる邸宅は、ほとんど住居と同じような意味だと思いますが、場合によっては住んでいない別荘のようなところもあるという意味だろうと思うのです。住居というものの安全は、極力保護しなければならないという考えが主になっていると思いますので、住居については問題はないと思います。そのまわりのへいとかさくを越えて故なく入ってきたら、これは住居侵入である、こう言えると思うのです。しかしながら、しばらく国会をのけて、普通の官庁の構内ですね。まさか人の通行するあの大学の構内などは問題じゃないと思いますが、人の看守する建造物という、この場合に、建造物というものは、やはり地上に建築された建物をいうと思うのです。建物というほどでなくてもいいかもしれませんが——ですから、その建造物自体の中に入って来れば、これは問題なく侵入である。しかしながらそれを取り巻く若干の空地を囲いしてある場合に、その中に入って来たら、それが住居でなくても邸宅でなくてもあるいはそれが官庁であろうが会社であろうが国会であろうが、すべて建造物というものがある囲いに囲まれている場合は同じだと思います。これは看守はされております。看守はされておりますけれども、へいやさくを乗り越えて入れば、それで建造物侵入罪になるかということは、私は一つの問題だと思っているわけなんであります。ですから先般の国会の構内に入ったというのは、この建造物には入らない。さくを乗り越えて入った者を直ちに建造物侵入として起訴できるかということは、私は問題にしていいのです。当局の意向は一向に知りません。ですから、そういう意味からは私はやはりはっきりとこれは規定した方がいいと思うのです。
  53. 畑和

    畑委員 そうしますと、そういうこともあるからはっきりして、しかも刑を加重する必要がある、こうおっしゃられたのだと思いますが、実は私はちょっとその辺勘違いいたしまして、建造物侵入の事件につきましては、昭和二十四年に最高裁の判例があって、飛行場の敷地へ入れば、囲繞物を越えて入ればそれが建造物侵入罪になるという判例もございますので、そういうことのためにそれを捕捉するためにやはり必要だ、こういう御意見かと思いましたから、そうとすればこういう判例があるから、それは一般の住居侵入、建造物侵入の事件として取り締まれるのではないか。こういう点からそうなればこの第六号は要らないという結果になるのではないか、実はこういうふうな考えを持っておったのです。そうすると先生の方はそうではなくて、そういう問題もあるからはっきりさせるためにという意味ですね。  それから、同じ事件について、同じ六号でございますが、これは未遂を罰しております。しかも侵入だけではなくて「暴行若しくは脅迫をして侵入し、建造物若しくは器物を損壊して侵入し、又はさく、へい若しくは門を乗り越えて侵入した者は、」こうなっておるわけでありますが、しかもそうした未遂を罰するというが、はたしてそのときの未遂実行の着手というのはどこであるかという問題がある。それでこれの立案に関係した衆議院の法制局では、この前の方の「暴行若しくは脅迫」、「建造物若しくは器物の損壊」、こういうことの事実に着手しておりさえすれば、この未遂罪着手ということになって未遂罪になるのだ、こういうような説明を衆議院の法制局ではしておられたのであります。その点について、小野先生の御見解がどうであるかということを一つ承りたいと思います。と同時に、私の考えでは、これは個人犯罪のような建前で書いてあります。ところが実際にはおそらくこの前の安保闘争、ああいうことは何回もないでしょうけれども、あれに似たようなことで入れろ、入れないというので入れない。無理して入るということがこれに入るのだと思いますが、その際に、同じ暴行というのにも、いろいろ御承知のように態様がございます。刑法にいろいろ暴行と書いてありますけれども、そのうちには暴行の種類には四通りか五通りあるように聞いておりますが、程度の問題が各個条によってそれが違っておるように見受けられるのであります。こうした暴行、たとえばちょっとした暴行暴行はいいとして脅迫、こういった点も、ちょっと入れろというので脅迫する。そうするともう住居侵入、しかも本法の六号の住居侵入の未遂になる、入れろと言っておどかしただけで未遂になる、こういうふうになっておる。また同時にこれはおそらく立法者の考えとしては、集団的なものを実際には捕捉しようというところに真意があると思うのです。というのは、さく、へいや門を乗り越える。こういう点は、門のところでもみ合って、そうしてへいやさくを乗り越えるということならばこれでいいと思うのですが、ところがそうやっておるうちにとんでもないところの方から個人的にすっとへいやきくをちょっとくぐって越える。こうしたときには、もう一人でちょいとこっそりやってもりっぱな既遂である。こういうように実は私はこれだけで非常に疑問を持つのですが、先生はこの点についてどういうような御意見を持っておられますか。   〔委員長退席、林委員長代理着席〕
  54. 小野清一郎

    小野参考人 私は立案者でございませんから、立案の意図を十分知ることはできないのですけれども、この第十七条ですね。これが現行法になった場合には、私は先般の国会乱入のときはこれで処罰されておることになるだろうし、私はそれでいいと思うのです。あれは行き過ぎである、はっきり私はこう申し上げます。
  55. 畑和

    畑委員 私としましてもこの間の事件のような全学連によるああした不法侵入、これは私も同感であります。ただ、それに至らぬ程度のもの、ちょっとした暴行あるいは脅迫、入ろうとしての脅迫、そういったものが未遂にまでなる、こういうことはちょっとどうかと思うのですが、この点の未遂の関係については、先生いかがですか。
  56. 小野清一郎

    小野参考人 参考人の方で未遂は罰としなくてもよくはないかというような御意見の方があったように何かで拝見しましたが、私もそれはごもっともな意見であると思います。既遂だけ罰してもいい。しかし、刑法で未遂を罰しておりますし、そのつり合いからいっても、やはり未遂罪を罰する必要があると私は思います。  そういたしまして、どこから着手になるかということは、これは解釈上非常にむずかしい問題であります。具体的な事例をひっさげてでないと、ちょっと抽象的に論じてもあまりきき目はないと思います。
  57. 畑和

    畑委員 以上で終わります。
  58. 坪野米男

    坪野委員 お疲れのところ恐縮でございますが、相当こまかいことにわたるかと思いますが、少し御容赦願いたいと思います。  最初に自民民社案のいわゆる防止法案についてお尋ねしたいと思います。  第三条に訓示規定、注意規定がございますが、自民党、民社党の方では、この法案に対する世論の批判が非常にきびしいので、勤労者の団結権、団体交渉権、その他正当な団体行動を制限するものでないという注意規定を盛り込んで、そういった反対を抑えようというような修正案がきょうの新聞に民社案として出ておったのでございますが、第三条の規定は、私から読めば単なる注意規定でありまして、一般的には無意味な、ほとんど無価値な規定であって、ここに幾ら労働運動を弾圧するものではないというようなことが書かれておりましても、罰則規定の第十四条以下にそういったことが構成要件に規定されない限りは、労働運動そのものはもちろん処罰する規定はございませんが、労働運動に派生して起こってくる第十四条以下の罰則に触れる規定を排除する効果はないのではないか、このように考えますが、先生の御意見をお伺いいたします。
  59. 小野清一郎

    小野参考人 第三条に限らず、第二条でも、先ほどの質問の中にありました第五条でも、法律規定としてはさほどの効果がないとも考えられますけれども、立法の趣旨と申しますか、精神をうたうということが、法規を適用する上において若干の意味がある、その程度だと思います。法律規定というものははっきりした概念的に直ちに適用される法規のほかに、法の精神とか趣旨とかを規定したものもだんだんとございますので、憲法なんかほとんどそうだといってもいいと思うのです。私はこれを置いて必ずしも差しつかえないと思います。
  60. 坪野米男

    坪野委員 その通りだろうと思います。しかし本法は刑罰法でございますから、刑罰法に限定して考える場合には、法の趣旨、精神を盛ったという以上の何ものでもないということになるのではないでしょうか、その点をお尋ねいたします。
  61. 小野清一郎

    小野参考人 そう思いますけれども、あたかもそのことが刑罰法規の適用に際して、ある影響を持つと考えます。
  62. 坪野米男

    坪野委員 その程度のものと伺ってよろしゅうございますね。
  63. 小野清一郎

    小野参考人 はい。
  64. 坪野米男

    坪野委員 それから第一条にもありますが、「政治上の主義若しくは施策又は思想的信条を推進し、」云々という中で、思想的信条という概念が非常にあいまいで、拡張解釈のおそれがあるということで、これははずすような意見が出ておるようでございますが、政治上の主義から進んで政治上の施策というところまでを含めるという場合に、先ほどの田上先生にも私質問しておりましたが、構成要件上、政治上の施策という概念が非常に広範に過ぎて、労働運動あるいは政治的な運動に派生して起こる本条規定されるような犯罪行為ですか、違反行為にそれが適用されるおそれがあるのじゃないかと考えますが、その点はいかがでありますか。
  65. 小野清一郎

    小野参考人 こまかい修正の個所はこのところだけに限りません。もし筆を入れろということをおっしゃるならば、いろいろ筆を入れる場所もあると思います。これなども施策という文字を入れるのがいいかどうか、しかしこれはたしか破防法にもあったのじゃございませんか。これは初めての立法ではないのですから、私は大目に見ていいと思います。
  66. 坪野米男

    坪野委員 私は破防法以上にきびしい法律だということで——というのは、犯罪行為の態様が非常にやわらかいところへきておりますから、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条とか、あるいは逮捕監禁とか、破防法の場合もっと重い内乱その他の重罪——重罪という概念でもないでしょうが、重い類型についてあったのでありますが、この場合は比較的軽い犯罪類型についても適用されておるだけに、立法者の意図とは別に刑法学者として考えた場合に、本法の立法上、「施策」というものははずした方がいいのじゃないか。これは私の意見ですが、私が自民党案を検討して修正するとすれば、まず「施策」という点はどうしてもはずしていただきたいと考えるのですが、刑法学者という立場から先生はこの「施策」という点はあった方がいいと言われるのか、あってもかまわないと言われるのか、あるいはない方がいいと言われるのか、その点をお尋ねいたします。
  67. 小野清一郎

    小野参考人 これは「施策」という文字を削れば、やはり主義という方がだんだん広く解釈されるであろうということを一昨日は申しましたが、あればさらに広くなるとも考えられるが、しかしいやしくも政治上の主義といえば、その主義から派生してくる施策なんですから、末梢的なことにまで主義の問題だといわれればそれまでであって、私はあってもなくてもそれほど違わないと思いますので、しいて削除する必要はないと思います。
  68. 坪野米男

    坪野委員 そういう御見解であれば、そう伺っておきましょう。私はこれは非常に重大な規定だというふうに理解しておるわけです。  それからその第四条の二、傷害罪ですね。テロ傷害、これはもちろん刑罰規定ではございませんが、テロ傷害社会党の方は銃砲刀剣類等所持取締法にいう銃砲刀剣等の凶器を用いてなす傷害というふうにしぼっております。ということは、先ほども説明いたしましたが、謀殺あるいはそれに近い、要するに凶器を準備しての計画的な傷害だけにしぼっておって、政治上の主義あるいは施策というように非常に広げていきまして、政治上の施策に反対するためにもみ合い、押し合いをやっているときに、単独または集団的にささいな、殺人から比べて軽微な傷害事件が起こった場合にでも、やはり本法の適用を受けるということになるわけであります。私は政治的な暴力事犯と一般的な暴力事犯について、テロ殺人、しかも殺人の正当性、必要性を確信する計画的な殺人に限って、謀殺以上にこれはおそるべき、憎むべき犯罪だという考えを持っているのですが、それ以外の殺人にしても、殺人はもちろんどんな手段でもいけませんが、少なくとも傷害ですね。瀕死の重傷を負わせる。しかも計画的にねらって刺すという場合と、その場にある石を投げつけて傷害させるという場合には、そういった傷害行為は、町のごろつきによってなされる傷害事犯と情において何ら異なるところはない。そういう考え方から、刑法学的にもこの種の政治的暴力行為としての単純傷害、凶器を用いない、あるいは突発的な傷害を一般の傷害よりも重く罰するという理論的根拠に乏しいのではないかという意味で、社会党案程度にこの傷害規定を限定する方がいいというように考えておりますが、先生はその点どういうお考えでありますか。
  69. 小野清一郎

    小野参考人 率直に申し上げますが、一昨日も申し上げた通り罰則規定などは社会党の案の方が直截簡明で、はるかにすぐれていると申しております。
  70. 坪野米男

    坪野委員 それでは次に第四条三号の逮捕監禁罪、それから四号の強制罪というのですか強要罪というのですか、それから五号の暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項違反という、この三号に該当する十四条以下にある刑罰規定でございますね。この規定は、なるほど政治的暴力行為と言えるものと言えないものと、先生の御見解からいってもあるようですが、私はかりに政治的暴力行為であっても、現行刑法規定で十分だ。六号を除きまして五号までで一応のお尋ねをいたしますが、現行刑法で、量刑その他の点からいっても法定刑を引き上げる必要を認めないし、これで十分規制ができるという考え方を持っております。先生は、刑法学者として、この規定があった方がいいというお考えか、ない方がいいというお考えか、あっても差しつかえないというお考えか、その点をお尋ねしたいと思います。
  71. 小野清一郎

    小野参考人 根本的に言えばそれほどの必要はないということはすでに申し上げていると思いますが、社会党案にはない。なくていいと思います。ただ第一号、第二号がおもなねらいで、あわせてこれらの点も考慮したというのがこの防止法案だと思うのです。私は立案に一切関係しておりませんから、一々弁護する必要もありません。
  72. 坪野米男

    坪野委員 それから、それに関連してちょっとお尋ねしたいのでございますが、この暴力行為等処罰ニ関スル法律の第一条第一項に、「団体若ハ多衆ノ威カヲ示シ、団体若ハ多衆ヲ仮装シテ威カヲ示シ又は兇器ヲ示シ若ハ数人共同シテ」とあります「数人共同シテ」ということは、複数、二人以上の共同でいいわけだと思いますが、その次に「刑法第二百八条第一項」、これは単純暴行でございますとか、それから「第二百二十二条」、脅迫罪でございますね。それから「第二百六十一条」、器物損壊「ノ罪ヲ犯シタル者ハ三年以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金ニ処ス」こういう規定があるわけでございますが、この一方刑法二百六十一条の器物損壊罪は、これの法定刑がまさに三年以下の懲役に処すると書いてありまして、特別法である暴力行為等処罰ニ関スル法律違反は、集団的その他の構成要件が加重されておるにもかかわらず、「三年以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金」、これで刑が加重されたことになるのかどうか。私、刑法の総則の方は忘れましたが、あまり加重されたとは思わないのですが、何の必要があって、単独で器物損壊をやっても三年以下なのに、集団でやっても三年以下または五百円以下の罰金ということなのか、これはだれが立法したか知りませんが、こういう必要があるのでしょうか。それともこれは立法者が法律を忘れてつけ加えたものでしょうか。先生の御見解はいかがですか。
  73. 小野清一郎

    小野参考人 きょうは暴力行為等処罰ニ関スル法律について御質問を受けるとは存じませんでしたが、しかしついでをもって考えてみまするに、今御指摘のように、「又ハ五百円以下ノ罰金」がつきますと、むしろ軽くなるというのは、こういう仰せになった場合などは軽い場合もあるということではないでしょうか。
  74. 坪野米男

    坪野委員 やはり必要があってこういう立法をなされたのでしょうか。
  75. 小野清一郎

    小野参考人 私はこの立法には関係しておりませんから……。
  76. 坪野米男

    坪野委員 ちょっと私今非常に不合理な規定のように軽くなっているのではないかと思ったのですが、暴力行為を重く罰しようという規定刑法は……。
  77. 小野清一郎

    小野参考人 それは集団で行なうことによって軽くなる場合もあるのです。内乱罪のような場合などに付和随行者が軽いのがそれであります。
  78. 坪野米男

    坪野委員 そういうように理解するのが合理的なわけですね。ではその点はけっこうであります。  そこで先生はあえて必要ないとおっしゃったから、この暴力行為というのはずいぶん労働運動から派生する暴力事犯に適用されている法律ですから、特にたった二人で器物損壊という程度の犯行がここで取り上げられて重く法定刑を引き上げられるということは、非常に問題がある。自民党さんの方では、決してそういった団体の正当な運動を妨害するものではない云々とおっしゃるのですが、まさにこの規定などは集団的な暴力対象としたずばりそのものの規定と読めるわけです。集団暴行、集団脅迫、集団器物損壊ということですし、それから三、四号も逮捕監禁強要というのはもちろん法律規定からは個人による犯罪、あるいは数名による犯罪もありますが、この規定の形態、特に第四条は行政的な規定だと言われる。後に刑罰規定がありますから、この法体系全体から見ると、やはり集団的な政治的暴力行為が予定されておる。予定されて、それの刑が法的には加重されておる、こういうように論理的に解釈しても誤りでないでしょうか。
  79. 小野清一郎

    小野参考人 そうだと思います。
  80. 小島徹三

    ○小島委員 関連して。——私は一昨日でしたか、ちょっと質問したことがあったのですが、この法律を作る目的憲法の保障する思想、表現の自由、つまり簡単にいえば民主主義を守るという目的であるだけに、集団的力によって逮捕監禁するというようなことは極力避けなければならぬという意味でこの法案ができておるのではないかと私は思うのであります。一つの例を申し上げますと、はたしてその例がいいか悪いか議論があろうかと思いますけれども、たとえば勤評問題のときに、たびたび集団的に教育長とかと交渉するというような場合に、教育長の自由を全く束縛してしまって、それこそ生理的な現象すら果たすことができない。極端な例では、その場合に女に対して、たくさんの人の前で、バケツを持ってきて、ここで小便しろというようなことを言って、ついに何時間も半日、一日と監禁したというようなことがあるものですから、そういう事案を防ぐために、そういう民主主義というか、自由を保護しなければならぬ、政治的な自由を保護しなければならぬという立場からできたものと思いますが、そういう意味からいって、これは加重されても差しつかえないし、当然あっても差しつかえない、当然あるべき条項だと思いますが、どうですか。
  81. 小野清一郎

    小野参考人 御意見通りだと思いますけれども、この法案提出理由にある昨年来の当面の情勢に対処する立法としては、今の集団的な、そういった団体交渉の場合などにおける不都合な行為は眼中にあまり置いてないのではないかと思いますが、どうでありましょうか。かえってそういうことを入れて考えると、この法案通りにくくなると思いますが……。
  82. 坪野米男

    坪野委員 私は先生刑法学者としての立場、また法学者の良心においてお答えいただいたらよいのですが、第四条の第六号の国会乱入でございますね。これもたびたび質問がありましたから、お答えもありましたので、重複は避けますが、暴行もしくは脅迫をして侵入するという要件と、それから建造物もしくは器物を損壊して侵入するという、こういう態様と、さく、へいもしくは門を乗り越えて侵入するという行為と、三つございますが、大体住居侵入あるいは建造物侵入というものは、通常どろぼうが住居侵入することがありますが、通常の形態として門のあいておるところをこっそり入るのもありましょうけれども、へいを乗り越えたり門を乗り越えたりするような侵入行為というものは、暴力行為とはいえないのじゃないか。通常不法に、故なくして侵入する行為の通常あり得る態様じゃないかと思うので、この政治的暴力行為という中に、なるほど暴行脅迫をして侵入するとか、あるいは器物損壊をして侵入するという行為は、一応暴力的な行為という態様の中に入っておかしくございませんが、どろぼうが住居侵入するのに、へいを乗り越えて入ったりすることがよくありますが、へいや門々乗り越えて侵入する行為というものは、それ自体はもちろんこれも法衣の下のよろいでありまして、集団的な不法侵入を想定していると私どもも見ておりますが、単独でやっておっても同じことですが、政治目的を持って一人でこっそりへいを乗り越えて入っていくと刑が加重されるというような、これは全学連が国会乱入したときの事実だけ想定して、こういう法律考えておられるようですけれども、ちょっとそれは立法としては、あまりにもただ一つの事案だけを考えておると思う。これは暴力行為にはならぬと思う。さく、へい、門を乗り越えて、それは不法な態様ではありません。それは通常の住居侵入の典型的な態様の一つじゃないかということで、これが暴力行為になるかどうかということは、先生、社会通念といたしましてどういうお考えでしょう。
  83. 小野清一郎

    小野参考人 ですから、さっきからくどく申しているのですが、暴力行為というものではないと言っておるのです。ですからこれを削ることには賛成ですね。しかしながら第十七条は必要ですよ。たとい一つの例だといっても、これは重大な例でございまして、国会の尊厳を侵す、そこをいったら嶋中事件やわずか二、三の例にすぎないでしょう。
  84. 坪野米男

    坪野委員 先生は必要だというお考えですが、私は不必要な規定であるという意見を持っておりますので、そういう意見からお尋ねいたしますが、国会の構内が建造物であるかどうか、私は勉強しておりませんから、判例がどうなっておりますか、先生の学説はよく承りましたが、かりに先生の学説の通りとしても、国会の構内に入るという行為自体、不法にこのような方法をもって入るという行為自体は、もちろんけしからぬ行為でありましょうが、それを規制する現行法がないかどうかということになれば、私はあると思うのであります。それは通常想定される不法侵入、国会の構内に政治的目的を持って、暴行脅迫はあまりないでしょうが、しかしへいを乗り越えて入ってくるという程度のことは、門が締まった後に入ってくるということもあり得るでしょうが、通常想定される場合、もちろんこれは明らかに集団的な不法侵入を想定しておるようであります。通常そういった場合に警備がある。国会構内における衛視、その他の監守人がおります。また特別の場合に、集団的な請願行勅、デモ行動の場合には、警察官が動員されて警備に当たるわけであります。そういう場合に道路交通取締法というような便利な法律があり、また公安条例ですか、都条例等において、無届の集団デモ行為だというようなことで、警察官がそういった比較的軽微な法違反としてこれを阻止する。少なくとも国会警備に当たる立場上、多数一度に入ることを阻止するという、警察官の事実上の阻止行為が行なわれるわけでありまして、こういった警官の阻止行為に対して、暴力もしくは脅迫をもって構内に侵入する場合には、これは公務執行妨害その他の犯罪行為が通常起こり得るわけであります。または器物を損壊して入るということは、器物損壊罪というりっぱに刑法規定もございますし、私は必ずしもこの構内にこういう形で入るということが問題ではない。ただ構内に入る、直ちに建造物の中に入る、それを未然に防止する意味で構内への乱入を罰しようというわけでありますが、私は建造物でないという御見解であっても、通常あの安保闘争において行き過ぎた乱暴行為があったとしても、それを規制する法律は現行法で十分あり得ると考えられる。先生の御見解が七年でなければということであれば、私はこれは見解の違いでやむを得ませんが、ほかに取り締まり法がないということならば、建造物侵入罪で考えなくてはならない。その点だけを取り上げればそうでありましょうが、あの去年の事件を想定してのそういうものを取り締まる必要がある、その取り締まりの必要があるのに、法規の不備があるというように私は考えていないのですが、この点はどうですか。
  85. 小野清一郎

    小野参考人 あなたは法規の不備がないとおっしゃるけれども、私はあると思う。なぜなら、ほかに刑罰法規、たとえば道路交通取り締まりとかそういうことだけでこれはとらえるべき筋合いではないので、筋合いが違います。
  86. 坪野米男

    坪野委員 先生政治家ではございませんから、現実に警察がどのように取り締まっているかという点まではお尋ねいたしません。
  87. 小野清一郎

    小野参考人 政治の問題ではない、刑法の問題です。
  88. 坪野米男

    坪野委員 ですから、現在の刑罰法としてはたくさんございまして、現実に取り締まり得ると私は思いますが、その点はその程度にいたしておきましょう。  それから、禁錮刑については、先ほど御意見がございましたが、私の見解が間違いかどうかだけお尋ねしておきましょう。この法はほとんど懲役または禁錮というように選択刑になっておるようでございますが、私は、今日の民主主義の時代に、労働軽視の観念からする禁錮刑という観念は、もう通用しないのじゃないかという考え方を持っておるのですが、先生は、道義的にテロ殺人犯人は一般殺人犯人よりも優遇する必要があるということで、ここに書かれておる禁錮刑はすべて妥当であるというお考え方ですかどうか。
  89. 小野清一郎

    小野参考人 私も懲役禁錮という二種類の自由刑を認めることがいいか悪いかについてはずいぶん考えておりまして、多年の問題として刑法改正準備会でも三年考え抜いたのです。結論は私一人の問題じゃない。これはやはり準備会は七人対七人です。
  90. 坪野米男

    坪野委員 その原則論の点はけっこうですが、本条規定されておるすべての刑について禁錮刑という刑を選択刑としてくっつけることの当否について、学者として先生の御意見を伺いたい。
  91. 小野清一郎

    小野参考人 禁錮刑を置くとすれば、選択刑として、政治的なこうした犯罪ですから、禁錮刑を置くとすれば、それも禁錮だけに限っておるのではないのですから、内乱罪とか何とかだったらまた話が違いますけれども、殺人や何かも入っておりますから、もちろん懲役もあるし、懲役または禁錮ということに何にも差しつかえない。
  92. 坪野米男

    坪野委員 この法律団体規制に関する規定がございますが、この団体規制に関連して、その条項に違反した罰則規定がございます。そういう罰則については禁錮刑がなしに懲役刑だけが規定されておるわけでございます。こういうずさんな刑罰があって、これでも学者としての批判に耐える条文とお考えかどうか、お尋ねをいたします。条文を指摘いたしましょう。第二十七条以下全部であります。禁錮刑はございません。行政犯に対して懲役刑だけであります。
  93. 小野清一郎

    小野参考人 実はこのためばかり私は生きておるのじゃないのだから、あまりこまかいことまで……。
  94. 坪野米男

    坪野委員 第二十七条以下懲役または罰金です。禁錮がなくて矛盾がないかどうかの御意見を伺います。
  95. 小野清一郎

    小野参考人 これは禁錮があった方がいいかもしれませんけれども、おそらくは立案者はこれまで行政犯と申しますか、取り締まり違反のような場合には懲役と罰金として、軽いものはなるべく罰金で済ませるという建前になっているようでありますから、これを立案なさった方はその例に従われたのだと思います。しかしながら御意見のようにちょっとつり合いのとれぬようでもあるというのは、この団体というのは、そもそも政治的な目的を持ったためにいろいろ規制されているのでありますから、あるいは禁錮を入れた方がいいかもしれません。しかしこれはよく考えてみないと、ちょっと今直ちに入れた方がいいとまで言い切れない。あとでもう少し研究した上で……。
  96. 坪野米男

    坪野議員 藤原先生見えたようですから、時間もありませんので、問題点だけたくさんございますが、はしょってお尋ねします。だいぶ飛びますが、第二十三条であります。第二十三条に、政治テロ殺人それから普通殺人もしくは尊属殺人教唆扇動を五年以下の懲役禁錮、こういう規定がございます。第二号には、テロ傷害及び単純傷害教唆扇動、それから三号は国会乱入、この点については教唆扇動がない方がいいという御意見のようにも承っておりますが、これは同じ五年以下の禁錮懲役というように、殺人教唆扇動国会乱入の教唆扇動も同罪である、同じ法定刑だということは、これは削除されればいいですが、このままであれば矛盾しているのではないかと思いますが、その点御意見を伺いたいと思います。
  97. 小野清一郎

    小野参考人 どうもつり合いがとれないようでございますね。
  98. 坪野米男

    坪野委員 それから団体規制規定先生の御意見を伺いたいと思うのですが、第七条以下に団体規制規定がございますが、第七条に、「団体の役職員又は構成員が、当該団体の活動に関し、又は当該団体目的の実現に資するため、」云々という規定がございます。こういう「団体の活動に関し、」とか「目的の実現に資するため、」というような広い規定団体規制するということは、個々の構成員の違法な行為によって団体の正当な行動、団体の活動が規制を受けるというようなことになりますので、もう少し構成要件的にといいますか、条項を厳重に規制する必要があるのではないかと考えますが、その点先生はどういうお考えを持っていらっしゃいますか。
  99. 小野清一郎

    小野参考人 それはごもっともなお考えのようですけれども、やはりこれで相当にしぼったつもりではないかと思います。団体の役職員または構成員のやったことをすべて団体の責任にはしない、「当該団体の活動に関し、又は当該団体目的の実現に資するため、」これは相当しぼったおつもりじゃないかと思いますが、私は立案者でないし、弁護人の地位にはないので……。
  100. 坪野米男

    坪野委員 もう一点お尋ねいたします。同じく第八条に団体活動の制限の規定がございます。これは団体の活動としてこれこれの行為をなした場合に、そうしてしかも「継続又は反覆して」云々と非常にごてごてしております。そうして第四条の第四項でしたかに定義がございますが、団体の活動としてこのような行為をした場合にこのような制限があるとして、その処分は、「集団示威運動、集団行進」云々の場合に行なわれたときには六カ月間なり四カ月間の公開の集会の禁止とか、機関紙誌によって行なわれたときにはその印刷、頒布を禁止するとか、こういう処分の規定の場合とか、それから構成要件の場合とは、団体の活動としてこのような行為を行なうという場合を想定することがほとんどないのじゃないかという意味で、実効のない規定だという考え方一つ。それから団体の活動としてという認定が非常に困難だから、厳密に解釈していけばこういう条項に触れる団体というものがほとんどなくなってくるのじゃないかという意味で、実効性が少ないのじゃないかということが一つ。それからそれに対する処分が、機関紙誌において行なわれる犯罪行為といえば、殺人行為が行なわれるわけでもあるまいし、せいぜい殺人教唆扇動、正当性、必要性の主張というくらいのことでありまして、また集団示威運動、集団行進、公開の集会において行なわれる第八条の主文に書いてある犯罪行為の態様から見ましても、ここで考えられるのは、むしろ政治的暴力行為その他の逮捕監禁云々といった四条の三、四、五号あたりに出てくる行為が想定される場合以外には考えられない。非常にこけおどしに団体活動を制限するぞと言っておきながら、そこでとらえられておる行為は非常に軽微な部分だけで、大衆運動の中で派生的に起こるであろう集団的暴力行為だけが想定されるような規定になっておる。しかも、その処分そのものも、団体の活動として人殺しをした場合にはどうなるかということには全然当てはまる項がない。公開の集会で人殺しをする場合はあるでしょうが、第二項の場合には、機関紙誌によって行なわれる犯罪行為といわれれば、もう言論犯罪だけですから、そういうふうに、そうした言論犯罪にあらざる団体の活動として行なった殺人行為もしくは殺人の予備、陰謀、そういう行為が集団行進の場所でないところで行なわれた場合の処分規定がない。それらとの間の均衡もとれていないのじゃないか。軽い方だけがここで団体規制対象になっておって、第八条の初めの部分に載っているような比較的重い条項、第四条第一項の一号は殺人でありまして、第七号はそれの正当性、必要性の主張でありますが、こういう重い場合に対する処分規定がないわけであります。軽い場合の規定だけがここに書かれている。現実に機関紙誌において殺人が行なわれるはずはないのでありますから、そういうふうに考えて、参りますと、非常に矛盾がある。少なくとも均衡を失した団体規制規定だというように私は理解したのであります。先生はそっちの方まであまりよく条文をお読みいただいていないのかもしれませんが、お考えいただいたことがありますか。
  101. 小野清一郎

    小野参考人 率直に申しまして、そこまであまり十分に研究しておりませんのですが、できれば、団体規制、ことに言論に関する規定はあまり好ましくないと思います。機関紙誌の継続発行を禁止するとか——これは第二号の分ですが、これなどはほんとうは好ましくないと思いますけれども、しかし団体規制がなくていいかというと、やはり何々党というようなものとして集団的な活動をすることもありますし、あれを規制する必要はあると思うのですが、その規制の仕方が適正であるかどうかということは……。(坪野委員「御検討いただいていないわけでありますか。」と呼ぶ)どうも十分には私は……。
  102. 林博

    ○林委員長代理 この際、藤原弘達君が御出席になられましたので、藤原さんに一言ごあいさつを申し上げます。  前会に引き続き、御多用中のところを重ねて御出席をお願いし、まことに恐縮に存じます。これより各委員から質疑が行なわれることになりますので、お答えを願います。  それでは参考人に対する質疑を継続いたします。猪俣浩三君。
  103. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 藤原先生にお尋ねいたしますが、先生政治学者でおられるのであります。政治学と申しますか、政治史と申しますか、そういう観点から日本のテロ行為を、また各国のテロ行為を研究しますと、おおむねその民族の特殊性や政治環境が明らかになるので、非常に興味あることだと思います。われわれはまだその研究はできておらないのでありますが 日本におきましては、大久保利通の殺害事件以来相当の政治テロが行なわれ、日本の名物だと外国では批評されていることは、先生御存じの通りであります。ただし、その方向を検討いたしますと、大久保利通を初めとして、時の権力者、あるいは財閥という支配階級、こういうものに対してやいばを向けられるのが大体大多数であります。大久保利通、原敬、井上準之助、団琢磨、あるいは浜口雄幸というような事例みなしかりであります。ただ、私が少し調べてみた範囲におきまして、政治権力の座にあらざる者、時の反対党なりあるいは全くの民間人なりで政治テロのために倒れている人はあまり数多くないのでありますが、第一には板垣退助であります。これは自民党の遠い先祖に当たる。この自由党の総裁板垣退助、この人が明治十五年に愛知県の小学校の先生の相原という者のやいばでやられている。この相原という人物は荒木文部大臣が非常に心酔をするような性格の人物でありますが、彼が刺した理由は、板垣は共和主義者だということで刺しておる。それから現われますのが今度は大杉栄であります。これは大杉栄及びその妻の野枝及びおいにあたります七つの宗一、三人を一挙にしてその生命を奪っております。これも大杉栄がやはり社会主義者だ、共産主義者だ、無政府主義者だということでやられておるわけであります。それから現われますのが山本宣治であります。これも野党の代議士であって、権力の座になかりしものであるが、これももちろん社会主義運動のゆえをもってやられておる。最後は浅沼稲次郎であります。もちろんこれもそういう意味で一環の意味がある。いずれもわが国体に反するというようなことが殺人の動機になっている。今度の浅沼稲次郎に対しまする山口二矢の殺人の動機は明らかになっておりませんが、結局浅沼は国際共産主義の手先である、その中心指導者であるという認定のもとにやられたことは明らかであります。  そこで、民間人が政治テロの犠牲になりまするのは、大体においてこういう国体観念に反するとか共産主義を推進しておるということでわが国においてはやられていることは、歴史の証明するところなんです。先般藤原先生は、何か集団的のデモの行き過ぎの連鎖反応でテロが起こるやの説明をされたかと思う。私の聞き間違いであればそれは訂正いたしますが、しかし厳として浅沼のテロの動機は明らかになっております。何ゆえに彼は凶刃に倒れなければならなかったか。板垣退助の場合、これも明らかでございまして、私は歴史というものは実におもしろいというか何というか、繰り返すと申しますか、板垣退助の凶刃の際にも、板垣は共和主義の指導者だという国粋主義者によって刺されたわけであります。今の自民党の歴史を書いた自由党史を見ますると、板垣の遭難は時の政府、与党が板垣を危険なる思想を持っているものであると相当宣伝したことがそれを誘発した原因であると書いてある。今の自民党の先祖の政党史にちゃんと書いてある。自民党の諸君はこれをよく読んでみた方がいい。同じことが繰り返されて浅沼が命を落としておると私は思う。安保反対闘争をもって国際共産主義の手先としての運動だということを彼らは認識し、社会党を売国政党なりとののしり、その中心が浅沼なりというて山口二矢の事件が起こったことは明白なる事実です。小森にいたしましても、彼は「風流夢譚」がわが皇室を軽蔑し、国体を破壊する思想なりとしての行動である。いわゆる在野におきまする者に対しての右翼団体のテロのやり方というものは、明治十五年以来一貫している。だれが一体デモの行き過ぎがあったからテロをやったと言っておるか、小森が言ったということはない。山口も言っておりません。そこで私どもが自民党の案に徹底的に反対するゆえんのものは、こういう真実に反したる宣伝に使って、集団デモの行き過ぎがテロを起こしたごとく宣伝し、そこでテロを憎む人々に対して、その人たちがテロはいけないと思えば思うほど、その原因がデモにあったとすれば、デモはいけないと思うのは人情の自然であります。その盲点を利用いたしまして、そうしてこのデモ、集団行動を弾圧する、これがこの法案にほかならぬ。私は提案者に——あなたじゃない、提案者に聞いてみるのです。われわれのこのテロ防止法案対象になるものは、現在浅沼事件だけしかないという解釈のもとに立案している。この浅沼事件の原因というものには、デモの行き過ぎがどこにも出てきていやしない。そこであなたは政治学者として、わが国における民間人に対する被支配階級に対するテロ事件、これがおおむねかような矯激な反共団体あるいは矯激に反共を推進するところの保守政党、こういうものの宣伝がこのテロを誘発する根本原因だと私は考えておりますが、あなたの御感想を承りたい。
  104. 藤原弘達

    藤原参考人 ただいま猪俣さんから、この右翼テロが起こってきたのは、左翼の集団行動の行き過ぎから起こったのではないかというような表現が、この間の私の参考人としての陳述にあって、ちょうど社会党が提案理由の中で述べておられるようにテロとデモとを同一視する議論ではない、おそらくこういう御質問の趣旨だろうと思うのですが、その点ははっきり申し上げておきますが、私はテロとデモとを同一にはちっとも考えておりません。この点が第一点。   それからさらには、このテロの中に、大きく分けてみますと、反権力テロという一つの型があると思う。時の権力者を殺すことを目的として行なわれたテロ、いま一つは権力者が、表面的にはこれを認めないにもかかわらず、その権力者の好ましいと思われるような形において行なわれるテロというものも一つの範疇の中にあると思う。猪俣さんの言われたのはおそらく後者の方のテロだ。特にそういうものの中では、右翼テロ、たとえば五・一五、二・二六ないしは血盟団というようなものは、見方によればそういう後者の範疇に属するテロであった。一口に愛国のためにやるテロ、テロといいましても、大久保利通をやったテロ、それから浜口雄幸をやったテロ、こういうものとはやや違うテロではないか、こういうように私は思っております。日本政治の中で、初期の段階、愛国主義をモットーとして行なわれるテロにおいても、武士道的な感覚というものが、かなり残っている事件においては、いわゆる反権力的テロという形態をとった。しかしそれが、反権力的な運動や思想やこういうものが、その権力をくつがえすような脅威感をかなり感じてくるような社会情勢、経済情勢政治情勢を生んでくると、たとえば革命によってその権力が倒されるという脅威を持つがゆえに、ないしはそういう脅威感を極度に持つがゆえに、反権力的な運動をする者をテロによって倒すという形態が起こってくる。これは日本だけではないですね。現在アジア、中近東、アフリカ、中南米あたりでもそういう形態——私旺文社から出ている「時」という雑誌に東西暗殺史を書いてこまかく暗殺の類型を書いておりますから、それをごらんになれば分類がよくわかります。必ずしも日本だけが特殊性があるとはいえない。これはやはり後進性の現われであるということは言えると思う。言論や民主的ルールによって物事を解決していくという習慣、考え方というものが成熟していない国において起こりやすい現象であるというように私は大体考えております。そういう意味で、もちろんそこには右翼テロというものは日本では強い伝統を持っている。これはともかく日本の民主主義といいましても、わずか十何年しかたっていない。それまでは天皇制をもって絶対としたそういう国体思想のもとにあった国であります。そういう国においては、たとえば戦争中に非常にファシストであった人も、みな生き残っております。またいわゆる愛国者といわれた人も、十何年たってもみんな生きている。憲法が民主主義の建前になったからといって、頭の中の改造まではなかなかできない。特にこういう自由民主主義という建前、自由主義的な基調を持っている憲法のもとにおいては、たとえば中共におけるがごとく洗脳するというような強硬な手段で頭の中をきれいに洗い去ることは、政治的には今のところ不可能であるということは私は言えると思う。それはやはり長い伝統によってだんだん成熟してくるのじゃないか。残念ながら今の日本にはかなりの程度そういう狂信的な反共心、アメリカのマッカーシズムに封建性のついたような考え方を持っている人々がいることは、私は否定できないと思う。私のやりました調査においても、昨年行なった調査では、やはり千人に一人くらいの割合でテロリズム、暗殺を肯定する人が今の日本にはあるのです。これは私は否定できない事実だろうと思うのです。そういう意味では、日本には、そういう日本の伝統から見ても、日本政治史の特色から見ても、猪俣さんのおっしゃったように、右翼的テロリズムと申しますか、こういうものの要素が強いことも、これは否定できないと思うのです。ただ御質問の趣旨で、左翼の集団暴力というものが、非合法的な、たとえば法の一定の基準を破って暴力化する次元というものになってくると——これが素朴な愛国者という、たとえば山口二矢少年にしても思想以前といっていいほどの狂信的な考え方を持っている。私は、皆様のような立場の方なら、明らかにそういうものでは趣旨が違う、こういうふうにごらんになるかもしれないけれども、そういう十八才の少年だったら、強烈な何らかの先入的なイデオロギーが入っている場合には、みそもくそも一緒といいますか、テロという次元において同じだという考え方を持って、そういう行動に出る可能性は、今の日本政治の中にはかなりあるということは言えるだろうと思う。だから私は右翼テロと集団デモ、特に合法的なデモとを同一天びんにかけるがごとき暴論はちっとも持っておりません。それはあくまでも違うものであり、特に合法的な合憲的な形で行なわれる集団示威運動は、正当な、憲法上に認められた権利でありますが、そういうものが違法な形態をとり無届けで行なわれ、しかもさらにはいろいろな不祥事件を起こすという次元の暴力というものが、現在の日本にないとはいえないということを言ったわけであります。
  105. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私どもも集団的デモの行き過ぎ、これが決していいものだと思いません。これを何らかの形で規制することにしいて反対するものではないのです。しかし現在浅沼テロ事件によって天下を聳動し、世界的にこれが宣伝をされました大事件、そして諸般の空気がまた終戦前の血盟団事件を思わせるような雰囲気が出てきた際に、民主社会を防衛するためには、その原因を突きとめて、これを根絶する確固たる決意を持たなければならぬ、そういう意味において私どもは政治テロ防止法案を出した。ただ浅沼事件がぼっと出るとにわかに起こってきたのなら、それほど心配いたしません。しかしあなたがおっしゃったように、日本の右翼の中に、いわゆる天誅思想、独善的な一人よがりの思想があって、人の命をとることを何とも思わない。何とも思わないだけではありません。あなたもお聞きになったであろうと思いますが、浅沼が刺殺されました翌日、霞山会館に集まりました右翼団体の諸君がどういうことを言っておったか。これがちゃんとニュースで放送されている。驚くべきことです。よくよく自民党の諸君も考えていただきたいと思う。一体山口の所属しておった赤尾敏は何と言っおったか。テロの原因が決してデモの行き過ぎではないということは幾多の例証があるわけであります。赤尾はこう言っている。「このままほっといたら、四、五年のうちに、共産主義の革命に転落するかもしれない。だからわれわれは力がないから、全力を挙げて、社会の刺激力となるように、国民は目を覚すように、惰眠を覚すように、ワサビの役をしているわけだ。自らを犠牲にしてですよ。」「個人的な国を思ってやったテロなんてものはね、稚気愛すべきものなんだ。素朴、純真、むしろ推賞すべきなんだ。こういう人がおればこそ、日本の社会はもっていくんですよ。」そういうことを堂々とニュース放送しておるのであります。自民党の諸君は大いにかっさいするかもしれないが、これはとんでもない考え方であります。なお霞山会館における懇談会において何と言っておるか。「昨日は社会党の浅沼稲次郎君が、日比谷の公会堂で、天誅の刃に倒れたのであります、あの精神、あの行為は、実にりっぱな国士の態度であろうと思うのであります」「マスコミは右翼暴力といって、このかれんなる少年愛国者である山口君の行動を、ふくろだたきにしておるのであります。私は、山口さんのおやりになったことは、これはりっぱなことであると、日本民族の血の叫びであり、日本生命の発露であり、天地正大の気時によって反撥するという、一つのあらわれだと思います。」これはテレビ放送でやっているんですよ。右翼懇談会なるものは浅沼の刺殺せられたその翌日です。それからなお驚くべきことは、これは憲法改正思想につながっておる。憲法学者と称する人物、名前は大ていわかりますが省略しまするけれども、「第二、第三の山口氏を出さないですむような世の中にすることが、われわれの山口氏のやられたことを生かす道であると思うておるのであります。どうすればよいか。それは治安の確立をすることであります。治安確立ができない原因がどこにあるか。それは帝国憲法を置き去りにしているからであります。帝国憲法というものは、われわれの大御親であらせられる天子様が、われわれのことをお考えになって、われわれのために自由人権を尊重しておつくりになった、世界一の民主主義憲法であります。私は憲法学者であるから申上げます。まず山口氏の美挙を意義あらしめるために、われわれはすぐ憲法を復活させる運動に努力していただくことを、願うてやまないのであります。」こう言っておる。これは憲法学者らしい。こういうとほうもないことを相当の憲法学者が言っております。有名な憲法学者です。自民党の憲法調査会にも入って、いつも活躍しておる人物であります。こういうとんでもない考え方、私どもがテロ賛美の言論に対して規制する気持になったというのも、御同情いただけると思う。かようなことが野放しになっていいかどうかということが問題になってくる。私どもはだから立法する際に何が一体原因であるか、かような民主政治の基盤を破壊するようなこういう一人一殺的なテロ行為の病源はどこにあるか、極端なる反共宣伝であります。そうしてすべて社会党、労働党みんなこれは反共の手先、岸信介氏は内閣声明で、安保反対なんということは国際共産主義扇動に基づいてやっている、自分は証拠があると言っている。証拠は何だと言ったら、中国の安保反対闘争委員会から日本の総評の国際部長にきた指令書なるものがこれだ、こう言うらしいのでありますが、これはまっかなにせものであったということは当法務委員会で明らかになった。そしてそれを鬼の首をとったように政府の諸君は宣伝をなさる。これを愛国党その他の右翼団体は信じ込んでいるかもしれません。ですから愛国党のごときは、売国政党社会党というビラを全市に張り渡している。一国の二大政党の一大政党を売国政党とは何を言うのですか。こういうところの偏狭な教育を受けて、この反共精神の発露として浅沼はやられておる。ですから、現状における一人一殺のテロを根絶する問題は、極端なる反共を振りまいて、わが国の治安を腐乱しておる。しかもこういうにせ分子には国際謀略機関が関係している疑いが十二分にある。私は当法務委員会に、徹底的に国政調査権に基づいて調査を要求しておりますけれども、自民党の諸君が賛成しませんために今日できない。どうもこれには深い謀略がひそんでいるように私は思います。こういうふうな反共を看板にした謀略的な治安撹乱工作、こういうものによって山口二矢はそれを確信しておったかもしれません。浅沼を倒さなければ日本の国は危うい。その証拠には、朝日新聞の愛国党の青年と日本社会党の青年との対談があります。この中で興味ある一問一答をやっておる。その中で愛国党の青年がいわく、浅沼を倒したのは正当防衛だと言う。どうして正当防衛かと言ったら、社会党みたいなものを大きくすると日本はついに共産主義になってしまう。共産主義の国になってしまえばわれわれはみんな首をちょん切られる。そこで自分の生命のために正当防衛をやったのだ。こういう議論をやっておる。こういうのが人を刺すのです。そういうふうに信じ込ませるような宣伝をまたやるものがある。私はおそるべきことだと思う。そこで私どもは、こういうテロの中心課題がどこにあるかということを、今政治学者としてのあなたの御感想を聞いているわけなんです。こういう反共的な精神、反共的な態度というものが、日本の現在の右翼テロの大きな動機になっているのじゃなかろうか、これに対するあなたの御所見を承りたい。
  106. 藤原弘達

    藤原参考人 私も、大体右翼テロリズムを憎んでおられる猪俣委員の御趣旨には賛成でございます。ただ日本政治でこういう種のテロリズムというものが政治的にどの程度の影響を持ち、どういう評価を行なうべきかということが御質問の趣旨だったと思うのですが、私はきわめて、西欧民主主義陣営と申しますか、そういう国の学者立場——私の立場かどうかちょっとわかりません。私に対する御質問かもわかりませんが、とかく国内では一定の政治的対立がございますと、とんがったものを言うような傾向がございますので、私は、やや外から冷静にこの右翼勢力を評価しているある一人の学者日本政治に対する評価をあげて、この考え方は大体国際的に通用する考え方ではないかという参考にしたいと思います。これはアイバン・モリスというイギリスの学者ですが、この人が「戦後の日本のナショナリズム及び右翼について」という大きな本を書いております。これは去年の秋に出た本でございますが、その本の中でこういうことを言っているわけです。大体日本の右翼特にテロに出る青年右翼団体というような者が現におる。これは非常に好ましくないけれども、ただこれは非常な確信を持っておる、確信犯であり思想犯である。——これは思想犯と言えるかどうかは、これは猪俣さんに言わせれば思想犯でもない気違いだということになるかもしれませんが、しかしとにかく私は一つのやはり思想であると思うのです。これは革命思想でも、暴力革命を肯定しても、やはり思想であると同じように、愛国のために人を殺すというイデオロギーも、これはイデオロギーとしてないことはない。歴史的にも現にあるのですから、そういうことは言えると思うのです。だからこういう考え方が強く残っておる日本において、こういう人間が出てくる必然性があるということをやはり言っております。そうしたら、左の脅威と右の脅威とどららが日本においてこわいと考えるかというような点の一つの発想をしておるのです。つまり日本の民主主義を維持していくという意味において何がこわいものと考えられるか。日本の民主主義のこわれる条件には大きくいって二つある。一つは外からの脅威を受けて、何か大きな戦争が起こるとか局地戦が起こるとか、そういう段階においては、日本の民主主義というものは非常に急速に崩壊する可能性を持っておるということを一つ言っております。それからいま一つは、ここ十年間における経済的な危機である。経済的危機がどういう形で起こるかということである。そういう経済的の危機、社会的な危機というものがなければ、そういう極端な分子というものの蠢動する余地はなくなるのだから、やはりそういう危機状況というものの診断が必要である。そういう目で見た場合に、左の方が非常に強くて、日本暴力革命がすぐにでも成就するようなことを言う人もあるけれども、率直な目で見て、日本では右翼的なエレメントの方が強いと考える。右翼的エレメントという言葉を使っているのです。これは右翼団体と言っていない、右翼的要素である、こういうことを言っている。私は、これは自由民主党の方の中にも、かなりそういう右翼思想に共鳴される方もないことはないと思うのです、いろいろ御発言なんかを見ておりますと。それから日本社会党の中にも、かなりかつて右翼テロを、肯定したんじゃないですよ、しかし右翼的イデオロギーの系譜にあると考えられるような方もやはり私はおると思うのです。民社党においては申すまでもなく——申すまでもなくと言ってはいけませんが、(笑声)これは失言でございますが、私はいろいろそういう日本政治思想史を調べておりますから、そういう傾向のある方がおられるということは否定できないというように考えておるものであります。そういう目で見ると、やはり右翼的エレメントが強い。だからそういう非常な危機状況にあった場合に、ちょうど韓国にクーデターが起こりましたが、韓国のようなクーデターという形態をとるかは別として、右翼的な要素によってそういう危機を乗り越えようという公算が強いということを言っておるわけであります。そういう点で、そういう非常な危機状況が切迫した、たとえば昨年の安保のときのように非常に危機状況が切迫したということになると、権力を維持する側は、少しでも非合法な暴力というものが権力にぶつかってくれば、自己を防衛するという本能にどうしたってかられてくる。そうなってくると、たとえば岸内閣が右翼団体を雇ってやったなんということは私は決して申しませんけれども、しかしそういうものが国家権力の崩壊なり革命になるんじゃないかという脅威感を持って、暴力的手段に出る人間が出てくる可能性というものがやはり今の日本では多分にあるということは、いわざるを得ないと思うのです。ですから、そういう意味で、右翼というものを非常にファナティックな一定の人間集団であって、どうにもならない存在だというような法案考え方というものには、私はいささか同意しかねるものがあると思うのです。そのアイバン・モリスの本の最後に、これは私の恩師である東京大学の丸山真男教授が序文を書いておられるのですが、そこでこういうことを言っておられます。われわれは右翼々々と言うけれども、戦前の日本においては右翼はエブリボディであったということを言っておられます。これは非常に私は反省的な言葉としてむしろ聞いた。戦後すべての人が右翼からとたんに民主主義者になったとは言わない。われわれはそういうやはり日本のかつてのあり方というものに対する反省というものを持って、右翼というものについても、これを限界状況に追い込むということだけがはたして健全な民主主義社会を作る上にいい方法かどうかということについては、かなり疑問をやはり持たざるを得ないという点で言ったわけであります。
  107. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私どももデモの行き過ぎに対しては規制をするということに反対しないということを先ほどから申しておりますが、同じ法案でこれを作ることは、テロも悪いがデモも悪いという俗説と、それを背景にしてテロの憎しみの原因をデモに転嫁し、そこでデモをやるなということを世人に訴えるという目的であって、ほんとうに人の生命をとるというこの凶悪犯罪とさようなこととを、次元が違うものを同評価のもとに置いて、それを政治的暴力行為として処罰するということは、量刑のいかんを問わず、われわれは絶対に承服できない。これはなぜかというと、結局あなたにお聞きしたいことは、戦前の血盟団事件その他、これに対しまして、とにかくテロも悪いけれども政界も腐敗している、財界も腐敗しているというようなこと、これを両天びんにかけて、あれも悪いがこれも悪い、これは結局テロ容認の思想であります。これで、いかにテロを憎むかという国民のテロに対する総反撃を静めてしまって、かえってテロをやった人を志士仁人のごとく言って、続々としてこれが起こり、個人テロが遂に集団テロ、クーデターに発展したことは、これはわれわれの近い歴史が証明するところなんです。私どもはそれをおそれるのです。そしてその事例は実にたくさんあるのです。血盟団事件の井上日召だって、あれだけのことをやって六年でもう出獄しております。しかも時の総理大臣の近衛さんの屋敷にかくまわれておった、こういうようなことがその後のテロの続出になってきた。あの血盟団事件、五・一五事件のときに減刑嘆願書が三十五万通も軍法会議提出されたということは何に原因するのですか、一体そのような状態を再現していいのかどうかということが私どもの心から心配したところなんです。それですから、デモの行き過ぎに対しても考慮しなければならないが、ひとまず、とにかく今また芽を出さんとしておる一人一殺の思想を根絶しなければならぬという確固たる国会意思をここに表明しなければならぬというのがわれわれの立法理由なんです。あなた方はそういうことに対して、やはりテロを処罰するにはデモの行き過ぎも処罰しなければならない、同一法案においてしなければならない、あるいはすることが適当だ、こうお考えになりますかどうか、政治学者としての御意見を承りたい。
  108. 藤原弘達

    藤原参考人 日本政治で、そういう右翼テロの危険性というものが最もこわい。これはかりに右とか左とかではない、おそらく代議士の方も、自民党の方だって護衛がついたと思う。私なんかでも言論人として護衛がついた。もちろん私はお断わりいたしました。自分で身を守るつもりでありましたからお断わりいたしましたが、しかし、これは冗談でありますが、ともかくこの右翼テロがいけないという点においては、これは戦前と比較しておられますが、私はテロ否定の感覚というものは、戦後の民主主義の中ではかなり徹底した考え方になっておるという確信を持っております。私は戦前の天皇制のときのような野蕃な暴力をそのまま肯定するようなばか者は、日本国民の中のほんとうの一握りであるというように確信しているのです。しかもそれは非常な少数者になればなるほどマイノリティ・グループというのがございますから、極端な少数者であればあるほどファナティックになるという危険性があるというように、これは社会学なんかでもよく言うのですが、ただ日本では右翼的なエレメントがかなり社会にあるわけです。前から言うようにありますから、そうするとそういうものによって常に支えられる可能性があるのです。だから私は山口二矢少年のあれを見ても、あのくらいの少年でわざわざあんなわけのわからない辞世を書いて残すという気持なんかというものは、これは後世吉田松陰とかいろいろそういう人と同じような愛国者であろうということを世に示したい意思があったから、ああいう行動に出た、子供らしいといえば子供らしいのですけれども、日本の従来の右翼のビヘヴィアとも言えば言える。だから戦前の観点に立って、たとえば五・一五のときに甘い刑罰にしたから、血盟団のときに甘かったから、その後二・二六になった、二・二六のときは確かに北一輝以下全部銃殺になって確かによくなった、よくなったようだけれども、右翼テロがなくなったかというと、その後の日本はどうですか、そのエネルギーを吸収してどんどんファッショ化した、この歴史的経験の他の面というものが忘れられているのではないかということをむしろ感ずるわけです。だから現在においてこれほどテロ否定の感覚というものが国民の中に徹底をしておる場合においては、少なくともテロという問題について何といっても国会がしっかりしてもらわなければいけないのですから、自民、社会、民社が少なくとも暴力という点において一致した議員立法として成立する限り、これに異議を差しはさむ考えは全くございません。ただしかし、その点について少しでも解釈が違うとかウエートが違うとかいうようなことが立法の過程で出てきたら、私は現在の日本の民主主義のはなはだ脆弱な段階においてはよくない、こういうふうに申し上げているのであります。猪俣さんが言われる右翼テロとか、ともかく政治的信条がいい悪いは別として、ともかく愛国者であろうが何であろうが、人を殺すことは絶対にいけない、これは決して左翼のデモなんかと同じ天びんにかけるものでも絶対にありません。おそらく私は自民党の方だって民社党の方だって、かつてやや右翼的な思想に感染された方だって、現在の民主主義の段階においては、その点については全く一致できるだけの議会主義、民主主義についての確信を絶対に持っておられることと確信しますから、その点でできるだけまとめてもらいたいということを言っておるわけです。それでまとめられないというものを、そのまま、まとめられないままで出てくると、私はやはりそういうわからない分子というものは右にも左にも一部いると思うのです。左の中にもいないとは私は言えないと思うのです。これは残念ながらいないとは言えないので、そうすると、そこにはやはりそういうものを起こしてくる原因が出てくるので、せっかく国会立法によってこれを防止せんとしながら、政治的な原因としての卵の処理ができないということになったのでは何にもならな  いのではないか、そういう意味では、そういう意味立法をしようとする熱意に燃えてやられたことによってかなりの効果が出ておる、もう少し情勢を見てもよい、さらには自民党だって、  一昨日のあのときに早川さんが何かおっしゃいましたが、ともかく民社となにして集団暴力というような点を引っ込めたのだ、こう言われておる、民社と突き合わせて話される限りにおいても、あの法案について、従来の社会党の右翼テロのみを対象としておるかのごときものに対して、かなり相殺されてきた。それなら社会党自民民社と三者で突き上げてやっていかれれば、私は必ず通るものになると思います。そう確信しております。
  109. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 岸信介氏くらい大衆から攻撃をせられた人はないと思う。あれだけの猛烈なる反撃をせられた総理大臣は私は過去にないと思うのです。しかし岸氏に左翼の人たちは指一本触れた者がありますか、岸を刺したのは右翼です。あなたは左翼にもあるかもしれぬとおっしゃったが、ありませんよ。左翼は論理の正当性を重んじ、革命の必然を信じておりますから、テロなんてやりません。そして今自民党だって信用してやったらいいじゃないか、そうおっしゃいますけれども、これはちっと信用できない。なぜかと申しますと、これは私が信用できないと言うのではない。私は反対党だから、信用できないといっても、信用しないということに大した価値がないかもしれませんが、右翼の巨頭として有名な人物、これは津久井龍雄という人物、これがラジオで言っております。「右翼というが、考え方においては、いまの自民党が右翼だと私は言ってるんですよ。あれ以上の右翼というものは、思想的にはないだろうと思うんですね。ただ行動の上において、それを過激、極端にやるかどうかというところが別れ目じゃないか。だいたいにおいて、例外はありましょうが、自民党の人と右翼の人は同じ考えですよ……。(右翼は)自民党の尻を叩く、もっと自民党の政策を右の方へ強化しようというような考えをもってると思いますね。」「テロリズム」という表題でこう言っている。私が言っているのじゃない。津久井竜雄という右翼の巨頭が言っているのだ。その巨頭から自分たちがまだ右だと言われるのだから、諸君を信用せいといったって無理かもしれない。とにかくかような自民党の諸君が、今まで私どもがテロについて何とか対策しなければならぬということを池田総理大臣初めあらゆる機会に言うても、町の暗いところに電灯をつけるとか、あるいはけがした巡査に報奨金をやるとかいうような法案が対案みたいなことを言って、さっぱり要領を得ない。そうしてわれわれの提案を二カ月もそのまま据え置きにしておきまして、今日突如としてこういうものを出してきて、毎日でもこれをやろう、こういう態度で押してきますから、あなたは信用せいとおっしゃいましても、ちと信用できない状態なんです。そうして三党の話し合いはけっこうなんだ、私は幾らでも話はいたします。きょうも、あした話をしようと相談したのだが、それはやはりテロの真の原因がどこにあるか、それを根絶するという決意をどこに持っておるかということで妥協しないと、テロを憎む心をほかに転化して、何か漁夫の利を得ようという頭でやっておられたら、同調できるはずがない。自民党諸君が大いにそういう気になって下さるならば、あなたの勧告もありますし、またこの法案学者から見てどっちもどうもけちをつけられていますから、話し合いの余地はあると思います。ただそこで私どものけちのつけられ方は、自民党の法案と違うのだ、さっき小野先生がおっしゃったように、社会党の方がすっきりしておる、こうおっしゃった。ただ刑が重過ぎるということです。一体人の生命をとるという凶悪犯罪は、最高裁判所の判決によっても一人の生命は全地球より重いと判決理由に書いてある。命をとることを初めから計画して強盗殺人——強盗はものを取るのを目的とする、こっちは全地球よりも重い命をとるのが目的だから、これ以上の凶悪犯罪はない。自分の考えが違うといって人の命をとるということは、民主社会において許さるべきことじゃない、これに対して学者は少しセンチメンタリズムになっているのじゃないかと私は思う。  そこでお尋ねしますが、今私は過去の歴史を申したわけですが、テロのほんとうの原因を追及せずして、そうしてあれも悪いがこれも悪いという相殺論法を用いることは、テロの憎しみを希薄にしてしまって、これはテロの防止にならぬ。というのは、戦前相沢中佐という人物がいた。これが永田鉄山を刺殺したときに、永田鉄山を殺したまま彼は赴任しようと考えておった。まるで自分の罪に対して自覚がない。これは国のためにやったのだ、おれは志士だ、こういう自覚。何のために永田鉄山をそんな悪人だと思うかと法務官が聞いたところが、いや伊勢大神宮のお告げだ、こう言っている。一体こういう人物をどう処理したらいいのか、全然犯罪感覚がない。自民党の中にこれと似ている者があるとすればゆゆしい問題だ。それをなぜ申すかというと、今度の浅沼テロ事件に対して、右翼の懇談会の中で同じ表現が出てきている。「山口君は昨日、その場で逮捕されていっておりますが、私の経験からしましても、彼は日ならずして出てこれると思うんでありますが、山口君を一日も早くあそこから出すように、皆さん方にせっかくお願いしたいと思う次第であります。」こういうことを言うている。すぐ出てくると思っている、これを一体どう処置しますか。反共のためにはどんなことをやってもよろしい、こういう右翼団体の激励が、ついに人の命をとっても神様に祭る人物だということになる。これを逮捕しているのは不都合だ、間もなく帰ってくると思う、こう書いてある。これを、そんななまやさしい学者のセンチメンタルで刑が重過ぎるの軽過ぎるの言うてよろしいかどうか、あなたの所見を伺いたい。
  110. 藤原弘達

    藤原参考人 どうもどういうようにお答えしていいのか、ちょっとわからぬのですが、一つは刑のことがあると思います。これは小野先生を前に置きまして——私は刑法小野先生に習いましたから、小野先生刑法は応報刑の考えに立っておられたので、目には目を、歯には歯をというのが応報刑の基本的な考え方だということになるわけですが、私は従来の経験でいくと、確かに、たとえば二・二六のときに死刑になったから、そうするとあとなくなったじゃないかということが感覚としてややあるのではないかと考えるのですが、その後はもっと悪くなったということを考えますと、どうもそれだけが問題でなく、まさに政治的な主義でやっている問題というのは、政治全体の問題がやはりあるから、それだけをかりにシラミをつぶすようなことをやってみても、これは逆にいったら、アブノーマルな人間をしょっちゅう目玉をぎらぎら開いて探し回らなければならぬ。特に予防的ということが立法の趣旨になっていると思うのですが、これはここで言うべくして実際はなかなか簡単なものではない。非常にむずかしい。それに、ただいまいろいろな発言をお出しになりましたが、私は、右翼の人がそういうテロを宣伝しているが、まず国民の九〇何%までは、何をばかなことを言うかと思っておそらく聞いただろうと思います。私もテレビなんかでもそういうように解説いたしました。それはけしからぬことはけしからぬけれども、しかし一方では、見方によれば、一つの人間集団の中には、百人おると一人、千人おると二人か三人ぐらいはアブノーマルなキャラクターが統計的にも必ずある。百人のうらに多い場合は四、五人ぐらい必ずある。そういうことは、私は常識ではないかと思うのです。だから、これに対しては刑法でも取り締まれるし、さらには特に今度は山口少年のような十七才、こういうのは青少年に対するいろいろな教化、指導、こういうところがら考えていかなければならない問題も多々あるのではないか。私は、猪俣さんがおっしゃるように、三党一致してテロという問題だけを排除するという法案がここでできるならば、あえて反対いたしません。問題はそうではないという政治状況が出てきているからであって、本質論としてテロがいけないとかいいとかいうことを私は議論したつもりはない。だから、政治状況と立法状況との対応関係の中にテロリズムを誘発する原因がひそむような形で立法されることは好ましくないということを言ったわけでありまして、その点については、私のイデオロギーを一々確かめられるような御質問に対しては、これを拒否いたします。
  111. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ただ私どもは、一時鳴りを静めておりました一人一殺主義がまた復活してきた、これを今にして根絶しなければならぬ。もちろんあなたの言うように、パーセンテージからいえばそういう狂犬みたいな者は数は少ないでしょう。ですから、私どもこの社会党政治テロ防止法案に今実例としてあげられるものは山口二矢だけだということになっているわけです。小森は入らないわけです。こういうきわめて局限せられた場合において、私どもはこの重刑を課している。しかも時限立法にしておる。それというのが、十二分にあなた方の御趣旨のあるところを体して、刑は重きをもってとうとしとせずということです。ただ何しろ浅沼刺殺事件以来、小森事件が発生し、天下騒然としている際に、とにかく一般的な警告としても、国家の確固たる意思を表示するにおいても、やはり法は相当厳罰をもって作られなければならぬじゃないか。そうしてその他の集団デモとかその他のものはそれに適応したる、また次元を同じくする事項を集めたる立法をするということが、立法技術としても、対策としても、適当じゃないかと私どもは思っているのです。藤原先生はやはりテロの処罰、いわゆる人の生命をとろうとする、人命、人身に加えた危害と、デモの行き過ぎでへいを乗り越えたりというようなものとを、同じような政治的暴力行為として処罰することが適当だと思いなさるかどうか。くれぐれも言っておきますが、デモの行き過ぎがいいなどという意味じゃないのですよ。防止法という法律の名において、政治的暴力行為としてこれを一緒くたにして——これは小野先生も反対せられておりますけれども、第四条においてみんなこれを政治暴力として、物に対する、あるいは住宅に対する侵入行為も、人の命をとるものも、みんな政治暴力だと規律することが妥当なりやいなやという問題です。その問題についての御意見を承りたい。
  112. 藤原弘達

    藤原参考人 だから私は違うということを言っているわけです。政治暴力の中でも、民主主義に脅威を与える度合いによって非常に違うことがあることを否定しないということを言っているわけです。ただ、そういう点についての概念の一致をされるのは、皆さんがおやりにならなければいけないことであります。そうであって、われわれは客観的にそれが違うということを言うだけで、参考人の義務は十分だと思います。
  113. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 違うということならそれでよろしい。それはよくわかりました。
  114. 小野清一郎

    小野参考人 ちょっと猪俣さん、一昨日あなたにお答えが足りないので補足したいと思っておりますうちに退場されましたので、その点を一言補充させていただきたいと思います。  それは扇動定義であります。私あの扇動定義を批判いたしました際に、東京高等裁判所の判例を引用いたしましたが、その際それと同時に、あるいはそれよりも前に、破壊活動防止法の第四条を引用すべきであったのを、つい失念いたしまして引用をしなかった。そのことをあとであなたがちょっとお触れになった。まさにその通り。しかしながら、その破壊活動防止法の第四条の扇動定義がいけないと私は思いますので、実質的にはあの批判は訂正を要しません。御了解を願います。
  115. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ちょっとそれに関連しまして——私のお尋ねいたしましたのは、その破壊活動防止法のときの扇動教唆区別について、政府は、扇動とは不特定多数の人間だし、教唆というのは相手が特定しているのだと答弁している。それだけでいいかどうか。私どもは、教唆とはある決意を生ぜしめることを言って、その決意に基づいて実行する。ところが独立罪であるから、実行しなくても教唆になる。これはわかりますが、私なら私の言動によって彼に決意を生ぜしめたことでいいのであるか。ただ彼に刺激を与えればいいかというところに、扇動教唆区別ができないだろうかということを実はお尋ねしたかったわけです。特定、不特定ということも一つ区別になりましょうが、刺激を与えればいいので、相手がそれに対して決意を生ずる必要がないということになるのじゃなかろうか。どうも政府委員の答弁はそのように見受けられるのです。そうすると、これは非常に広範囲になるわけです。教唆と範囲が非常に違ってくる。その意味で実はお確かめしたかったわけです。それはどうでございましょうか。
  116. 小野清一郎

    小野参考人 私は政府委員ではございませんから……。  ただいまの扇動教唆との区別はなかなかむずかしいとは思いますけれども、第一には、特定の者をして犯罪の実行を決意させようとするかどうか。教唆の方は特定の者に特定の犯罪を実行させようとする意思でなければならぬし、刑法の場合においては教唆犯はそれによって相手が決意して実行までいかなければいかぬわけです。しかし独立で処罰するとちょん切ってしまいますから、そういう実行させる意思があればいい。特定の者に特定の犯罪行為を実行させる意思を持ってそそのかす、こういうことです。扇動の方は特定の者である必要はないのみならず、特定の犯罪でなくてもいいのですね。ただ抽象的な殺人行為扇動するようなことを公衆の前でアジってもいいことになりますね。そしてその結果必ずだれかがだれかに決意をさせるというまでの意思も私は必要でない、こう思います。ですから扇動は非常に広くなります。だから扇動処罰するということは、よほど考えなければいかぬのですけれども、こういう政治的な罰則にはやはり扇動も含めて、教唆の独立罪だけでは足りない、こういうことになるだろうと思うのです。そこですでに扇動を罰するならば、第二十四条の教唆または扇動に至らないものまでも教唆扇動と同じにということは行き過ぎておる、これは一種の行き過ぎです。私はそう思います。それでこれを削除していただきたいということを提案するのです。私はおよそあの五カ条をよく読んでいただきますとたいてい尽きると思うのですが、なお第六条などは削除して一向差しつかえない。それからあとはまた……。
  117. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 ついでということはありませんが、私はやはり先生質問したと思うのですが、自民党案の第一条に「政治上の主義若しくは施策又は思想的信条」ということがある。この「思想的信条」という言葉は初めてのようですが、「信条」ということは既存の法律では国家公務員法の第二十七条、それから労働基準法の第三条にあるわけです。学者の解説を見ますと、まず信仰上の問題、だがそれよりもやや広くて思想上の問題も含むというようなことを「註解日本憲法」にも、あるいは宮沢さんの「日本憲法」の本にも大体そういうように書いてあります。ところが自民党の諸君の提案者に質問しますと、信仰上のこと、宗教上のことは含まぬのだ、こういうことをおっしゃるので、そうなると学者の通説とまるで違った意味でこれを用いていられることに私はどうも危険性がある、こう思ってお尋ねしたわけであります。
  118. 小野清一郎

    小野参考人 宗教上の信条を除くことは必ずしも危険でないと思います。除けばけっこうだと思います。それでおそらく「政治上の」というところからそういう含みを持って説明されているのだろうと思います。思想、イデオロギーといいますのは、政治的なイデオロギー的なものをさすものと思いますけれども、これにまた宗教的なものなどを含ませたらまた問題がややこしくなって、それは取りのけるのがむしろ当然だと思います。しかしこの思想というのは伝統的には宗教も含むのですよ、ほんとうは。ですからそれを取りのけることは、この文句だけでも当然取りのけられると思うけれども、「思想的信条」などは省いて、「政治上の主義若しくは施策」または「政治上の施策」にとめておいた方がよろしいですね。
  119. 林博

    ○林委員長代理 阿部五郎君。
  120. 阿部五郎

    ○阿部委員 過日来の先生方のお話を聞かしていただきまして、まことに啓発されるところが多かったのでございまして、まずもって厚くお礼を申し上げたいと思います。  私が最初にお尋ねいたしたいと思いますのは、この政治的暴力行為防止法の第一条のことですが、これはお二方に御意見を伺いたいと思います。といいますのは、まことに、ごく基礎的なことなんでありますが、この第一条には、「この法律は、政治上の主義若しくは施策又は思想的信条を推進し、支持し、又はこれに反対する目的をもって」云々と規定なさって、そして最後に「もってわが国の民主主義の擁護に資することを目的とする。」こういうふうに規定をしておるのであります。この最後の「わが国の民主主義の擁護」というこの民主主義というのは、この最初に言うておる政治上の主義、こういうもののうちのやはり一つであろうと思われるわけなんであります。そうすると、この第一条は、政治上の主義にいろいろあって、そのおのおのの主義がおのおの主張せられ、そこに戦い、争いというようなものが行なわれることを前提としております。そうしてそれが暴力的な手段で争われた場合に、この法律をもって鎮圧しよう、こういうのでありますが、そういうことをする目的が、やはり最初の政治上の主義一つである民主主義を擁護することをもって目的とする、こういうことになって参りますと、これはちょっと見たら、民主主義の擁護だから大へんいいようには思われますけれども、独立してこの法律ができていって、そのまましかもこれが時限立法でなくて、永久法として適用されていくことになりますと、この政治上の主義のうちの一つであるこの最後の民主主義というものが、これに反する政治上の同じく同列にある三義を、国家権力の刑罰をもって弾圧するものだ、こういうものがこの法律の性格になってくるわけであります。そうなってくると、当然にこれは戦前において皇室中心主義とか、尊皇とかいうようなことが政治一切の基礎であって、それに少しでも反するものは、これに刑罰をもって圧迫する。こういう建前になりますと、ここに非常に過酷な政治が行なわれたという実例もありますし、またそうなると、この民主主義というものも、何が民主主義であるかという争いも起こってくる余地が生まれようと思います。現在においても民主主義と一口にいいましても、たとえばソ連側においては、アメリカ側の民主主義を、これは民主主義でなくて、ブルジョア独裁であるというし、またアメリカ側においては、ソ連側をこれはもちろん民主主義じゃなくて、独裁である、ファッショのうちの一種類にすぎない、こういうふうにいいますし、とにかく民主主義争いというものが起こる余地も現われてくるわけであります。民主主義の本家争いなんというものが政界に持ち込まれるということは、これは非常におそるべきことだ、こう思われるのであります。そこで私が思いますのは、こういう政治上の一つ主義が国家によって保護せられ、そしてそれに反するものを国家の刑罰権をもって弾圧する、こういう形をとることは、物に刑罰法規などを立法する場合においては、極力慎重な扱いをし、避けなければならぬものでなかろうかと思うのであります。そういたしませんと、これがお互いにおれの方は民主主義だから、こういう法律はあっても、民主主義擁護のためにやったのであるとすると、この法律立法目的は、民主主義の擁護にあるのであるから、多少暴力行為をやったって、この法律にはかからないという理屈も出てこないとも限らないのであります。たとえば、ここで日本において議会政治原則をじゅうりんした態度をとるような政治が行なわれた場合、それを排除するためにはやむを得ない、こういうようなことも言われないとも限らないと思うのであります。そこで私は、こういう立法の仕方というものは、第一条にこういう定め方をしたならば、この法律全体の性格をきめてしまいます。そうして政治上の主義は、おのおのたくさん主義がある。その同列に立ったものが、ほかの主義を国家権力で弾圧する、そうなってきますと、これはどうもいけないのじゃないか。そこで、こういう場合には、立法者というものは、主義がいろいろあって、立法者といいましても、その個人々々である議員などは、それぞれ自分の主義、主張を持っておるのは当然でありますが、それが法律になってくる場合の形は、こういうふうに一つ主義を擁護するために他の主義を弾圧するのだ、こういう形はとらないようにしなければならない。この点は、注意深い上にも注意深くすべきものではなかろうか、こう思うのであります。法律先生、尊敬する先生であられる小野先生、並びに政治学上、藤原先生にこういう点はいかがなものであろうかと思うのでありますから、お教えを願いたいと思います。
  121. 小野清一郎

    小野参考人 ただいまの御質問は、法哲学あるいは政治哲学の根本に触れる問題を含んでいると思いますが、ここで法哲学や国家哲学、政治哲学を申し述べることは適当でないのではないかと思います。  ただ、いかなる国家、たとえば民主主義の国家であろうとも、国家というものは、やはり力のエレメントを持っておりますので、従いまして、自由といい、民主主義といっても、限界があると私は思うのであります。どこまで反対の考え方をトレレイトするか、どこまで寛容するかということは、それは問題である。いわゆる全体主義権威主義的な政治の体制では、それが非常に狭くなるわけです。民主主義、自由主義の国家体制、従いまして法律の体制では、できるだけその自由の範囲を広くしようとするでありましょう。けれども、批判的に申せば、民主主義といい、自由主義といっても、およそ政治には自由に限界があり、民主主義、そのことにも限界があるのであります。そのことを認めなければ、一切の政治立法もできないと思います。ですから、あまり民主主義に思い上がってはいけない、私はむしろそういう考え方をとる一人であります。これは政治としてやむを得ない。ただ問題は、民主主義を擁護するためにこういった団体規制したり処罰を重くする法律を作る、しかもそういうことを第一条に目的をはっきりうたうということは適当であるかどうか。私はうたおうがうたうまいが、そういうものだと思う。それで、この民主主義は、要するに日本憲法を前提としていると思います。だから、日本憲法を否定する立場の人は、勢いどうしても十分に自由にふるまえない、これは当然だと思うのです。けれども、これは政治の宿命といえば宿命的なもので、それはいかんともすることができない。ここにうたうのはむしろ正直なんです。従いまして、民主主義を否定するということは、これは現在の国家は過去の国体論の横行した時代とまた違います。現在の国家としてはうたおうがうたうまいが、その通りなんです。これを隠しておいても出しても、同じことだというぐらいのことしか申せないと思うのであります。しかし立法としてはどうか。わざわざ「わが国の民主主義の擁護に資する」というようなことをうたうことが賢明であるかどうかということは、これはまたそれ自体一つ政治的な考慮でありまして、これは立法府においてよろしくお考えになったらいいと思うのですが、私といたしましては、書いて差しつかえはない。むしろそう書いていいのではないかと思います。
  122. 藤原弘達

    藤原参考人 私も特に小野参考人から言われたことにつけ加える必要は認めないと思うのですが、ただ、民主主義というものは一つ政治的な主義ではないかということ、これは現象的にはそうだと思う。ただ、およそ、どこの国にも一種の国是と申しますか、国家の基本的な正当性の原理と申しますか、そういうものを掲げておる。こういうものとして現在の日本では民主主義を掲げておる。民主主義がにしきの御旗になっておるということであって、日本においては反民主主義的行動は、これは法益ということになると別ですが、自由なる言論活動、自由なる政治活動というものと相対する暴力である、こういうように私は見なしていると思うのです。だからこの民主主義ということも、具体的になれば、政治的な主義ではないかという御批判でございますけれども、現在の第一条の規定をもって見ても、これが日本憲法の建前から見ても何から見ても、ちっともおかしいものではない、こういうふうに思います。
  123. 小野清一郎

    小野参考人 ちょっと追加いたしますが、たとえば、ほかのところ、自由世界でなく共産主義世界でも民主主義といっておりますが、ここの民主主義は、先ほど申しましたように、日本憲法の民主主義である、こういうワクがあると思います。
  124. 阿部五郎

    ○阿部委員 お話は一応わかりました。ところが、小野先生はお答えのうちで一部をさして言うたのかもしれませんが、私が言いたいのは、もちろん日本憲法は民主主義を建前としているのは言うまでもありません。そうして法律も強権を持たせなければならないのは当然のことであります。それが悪いというのではもちろんないのであります。ところでそれを刑罰法規立法目的に掲げるということ、こうなってくると、少し問題が違ってくるのではないかと思うのであります。われわれは賛成しておらないものでありますけれども、たとえばこれに似たようなものに破防法というものがありますが、破防法でもやはりその立法目的をいえば民主主義の擁護になるであろうと思いますが、あえてそういうことは掲げておりません。むしろそれよりももっと素朴な、もっと平凡な——国民の平穏なる共同社会生活の安寧を守るというような、そういうふうなもっと高飛車に一つ主義を掲げて、この主義を守るのだというふうな形ではなくて、もっと素朴な表現をしております。これは決して偶然ではないのであって、一つ主義を守るためにほかの主義処罰するのだ、こういう形、そういう政治というものは、形の上から、実質は同じだとおっしゃるかもしれませんけれども、それはまことによろしくないのであって、少なくとも形においては、法律というものは、国の定めというものは、そういう主義よりも一歩上の方の地位において、そうして国民の共同生活を守るために、こういうことをした者は死刑にするのだ、こういうふうな定め方にすべきではないかと思うのでありますが、いかがでございましょうか。
  125. 小野清一郎

    小野参考人 先ほど申しましたように、政策的にこういう言葉を出すことがどうかというお考えと思いますが、それはしごく同感であります。考え直す必要はあると思うのです。たとえば、補整する趣旨のものであることを目的とするということは、そういったようなことで打ち切っても格別違いはない。それでもやはり日本国の現在の体制としては、いわゆる民主主義でありましょうから、それを擁護することになると思いますけれども、そこは正直に言うか、そっとして政策的にしておくかというだけの違いである。ですから政策的にその方がいいという御意見が多数であれば、もちろんけっこうであります。
  126. 藤原弘達

    藤原参考人 私も特につけ加える点は、その点ではございません。
  127. 阿部五郎

    ○阿部委員 私はもう少しこの問題は重視しなければならないものかと思うのであります。すなわち、主義上の争いをこの法律の中まで持ち込む余地を開いた、こういうふうに思うのでありますが、御意見はわかりましたから次に移ります。
  128. 林博

    ○林委員長代理 この際参考人にお尋ねいたしますが、御両名とも五時までというお達しでございましたが、なお御協力が願えますでしょうか。
  129. 小野清一郎

    小野参考人 御熱心ななんでございますから、せっかくでありますから、もし御質問があれば、私は差しつかえありません。
  130. 藤原弘達

    藤原参考人 私はちょっと困りますが、どうも議論が少しダブってきておるような気がいたしますから、だから国民の義務として協力はいたしたいのですが、私、仕事がありますから、その点やはりある程度しぼられたような質疑をしていただきたいと思います。
  131. 阿部五郎

    ○阿部委員 まことに時間がおそくなって恐縮でございますが、私は始めたばかりでありますので、重複をしないようにあと一点だけお願いします。  やはり暴力行為防止法案でありますが、第四条第一項第七号であります。これは小野先生にお尋ねいたします。この条項につきましては、過日来、政治的暴力行為という定義を定める中に、こういう言論にすぎないものを入れるのは適当でない、こういう御意見を承りました。それでありますれば、当然次の行動、たとえば扇動のごときもやはり同じことであり、それから平穏とまでは言わなくても、さくを乗り越えて門内に入るくらいのことも、またこれは暴力行為定義の中に含めることは、形の上から整っておらないということはわかったのであります。ところが私の承りたいのは、小野先生の言われたのは、単に第七号につきましては、形が悪くて法律用語の上に混乱を来たさせるばかりではなくて、除くべきであるという御意見であったのであります。ところがこれにつきましては、御存じの通りに、ある団体があって、その構成員の中から浅沼殺害事件もまた嶋中事件も起こっておるのであって、そしてその団体の主宰者となるべき者はその構成員に対してそういうことがいいことであり、やるべきことであるということまで、ずいぶん説き聞かせ、教育したであろうと想像されるわけであります。そこでその事件が発覚し、逮捕せられましてからは、当然そこに教唆あるいは共同正犯こういうような問題が発展していくということを世人は大てい予想しておったでありましょうし、われわれもまたそういうふうに期待をしておったのであります。ところがそれが何のことはなくて、犯罪の容疑なしということになって解き放され、自由だ、勝手次第だ、こういうような結果に終わっておりますから、こういうことではとうていこれはわれわれ一般国民の正義感を満足させることもできないし、また国民の生活の平穏を守ることもできない。そこで、教唆にならないから、犯罪を構成しなかったものとすれば、教唆に至らずともこういう決意を生ぜしめ、実行させる行為、こういうものは独立して犯罪として規制しなければならぬというのがおそらく立案者のお気持ではなかったであろうかと思うのであります。  そこで私が小野先生に伺いたいのは、そういう必要はない、この程度行為であれば教唆に至らないのであるから、自由にほっておいてよろしいというお考えでありましょうか。それとも、具体的に言いますが、あの赤尾敏という男の行為でありますが、それはほっておいてよい行為であるというお考えでありましょうか、それとも具体的に自分がほかの者にああいうことをさせるような影響を与えておるのでありますから、ああいうものは教唆のうちへ入って処断できるものであるというお考えでありましょうか、その点を伺いたいのであります。
  132. 小野清一郎

    小野参考人 それは教唆を独立に処罰できることになり、また扇動も独立に処罰できることになれば、第二十四条は不必要である、これが私の答えであります。
  133. 阿部五郎

    ○阿部委員 今のお答えではまだそれだけではどうも、現にあの男が無罪になって……
  134. 小野清一郎

    小野参考人 現行法はないからしようがない、現行法と違います。
  135. 阿部五郎

    ○阿部委員 今のところ教唆は独立犯ではありませんけれども、とにかく教唆された者が実行し、実行に着手したばかりでなく、それを完成しておるのでありますから、現行法においても教唆犯が成り立たないというわけはないと思うのであります。
  136. 小野清一郎

    小野参考人 それは事実問題ですよ。
  137. 阿部五郎

    ○阿部委員 どうも不思議なことになります。そうすると、先生のお考えでありましたならば、ある人間に何らかの影響を与えて、暗殺をしろと、こう言わなくても、それの正当性や必要性を説き聞かせて、その者が暗殺をやってしまったとすれば、これは教唆になるというお考えでございますか。
  138. 小野清一郎

    小野参考人 そこらは事実を立証した上でないと判断できないです。お答えの限りじゃないです。要するに教唆扇動を罰する規定ができればそれでいいのである、これが私の信念です。
  139. 阿部五郎

    ○阿部委員 それからこれは重復になるかもしれませんけれども……。
  140. 小野清一郎

    小野参考人 もう一問だけにして下さい。もう幾ら繰り返しても私の答弁は同じことです。それから五時半になったら退席しますから——人権問題だ、これは……。
  141. 林博

    ○林委員長代理 阿部君に御注意申し上げますが、小野先生は五時半に退席せられるそうでございますから、その点御了承願います。
  142. 阿部五郎

    ○阿部委員 もう一つ伺いますが、今度の立法目的の重要なる点の一つは、政治的暗殺などを行なう団体があって、それに資金が供与される、こういう事実を見て、それを完全に防ぎたい、こういう趣旨が大きな部分を占めておるのであります。ところでこの法律案に規定せられておるものを見ますると、非常に念が入っておるのでありまして、何条でございましたか……。(小野参考人「第二十二条でしょう」と呼ぶ)そうでございましたか。第二十二条であります。現に実行しようとする者に対して事情を知ってとは書いてありませんけれども、当然これは行為犯でありましょうから、当然それを知った上で金銭、物品を供与しなければ、犯罪の構成要件を満たさない、こういうことになっております。そこでこれは通常の場合に行なわれるのは、現実にこの第十四条の第一項もしくは第三項または第十五条の罪を実行しようとしておるものに対して金品を贈与するとか、利益を提供するのではなくて、その者の属しておる団体に、ほかの者が請求してきて、そうしてそれに与えるというのが普通の形であろうと思います。それをこの条文によって規制することができるでありましょうか、できないでございましょうか。
  143. 小野清一郎

    小野参考人 できませんと思います。
  144. 阿部五郎

    ○阿部委員 大へんお疲れのようでございますから、私の質問はこれで終わります。
  145. 林博

    ○林委員長代理 次は坂本泰良君。
  146. 坂本泰良

    ○坂本委員 私最後に一つだけお聞きしたいのです。それは先日もお話しがありましたように、ただいま議題になっております二つの法案は、これは刑法の構成要件を変える重大な法律であるというふうに考えまするときに、私たち法律家の一員としてこれを審議し、それを通すか否決するかということについては重大な責任があると思うわけでございます。そういうわけで、日本刑法改正については、刑法改正準備会がございまして、先生議長で長年御検討になりまして、昨年ようやくその成案を得ているようなわけであります。それでこの審議にあたりましては、実はそれの審議をやった政府委員の答弁というのがないもんですから、議員立法の長所でもあるけれども、大いなる欠点であるわけであります。そこでわれわれは、まず参考人の方々の御意見を聞いて、その上で慎重に審議しなければならないという立場でお願いをいたしまして、小野先生にはたって本日も御足労願ったのもそこにあったわけであります。  そこで私一つだけお伺いいたしたいのは、このような現刑法の構成要件を変えるような重大なる法律案、ことに教唆扇動を独立犯として、構成要件としてきめること、刑法についてわれわれが罪刑法主義を是認します以上は、人民のための刑法でなければならぬのが、それが乱用されまして、そうして民主主義を守るということを法の第一条に宣言しながら、これの悪用によってはこれを破壊するという結果になるわけであります。従って社会党の方は、先ほど来いろいろありましたように、テロ防止——政治的信条が違っても、相手方に対して被害を与えた場合には厳罰をもって臨まなければならぬ、しかもこれは三年間の時限立法にするというので、われわれが持っております刑法理論には時限立法という建前でいささか譲歩いたしまして、社会党案は出したわけであります。ところが一カ月後になりまして、自民民社共同提案の法律案が出まして、それを見ますと、単にテロ防止だけでなくて、集団暴力——テロも悪いが大衆運動も行き過ぎは悪いと、これを両天びんにかけて、ここにこの法律案が出て参ったものですから、われわれとしても、真野さんの意見じゃありませんが、二つの重なっておる点を検討して、そのほかはまたあとの問題にしてもいいんじゃないかというようなこともありましたが、この大衆運動の抑圧になるような政治的暴力行為防止法案は、これはこの際政治テロ行為処罰に関する点で、その罪質の法定刑の重いのは軽くする、こういうような程度でやって、そうして大きいこの問題は、破防法の拡張になるようなこういう法案は、また後日に慎重にやった方がいいんじゃないか、わずか残された十二、三日の国会の期間でこれを参議院まで回してやるというのはとうてい不可能じゃないか、こういうふうにわれわれは考えるわけです。従いまして、刑法改正準備会で長年かかって成案が出たような点を顧みますと、やはりこの際は政治テロの問題に対しての時限立法を作って、あとの大衆運動その他の行き過ぎについては現刑法でよろしいのじゃないか、こういうふうに考えるわけでありますが、その点についての御所見を承りたい。
  147. 小野清一郎

    小野参考人 それは私は初めから臨時立法であるという前提のもとに考えておりますので、一昨日も申しましたように、これを恒久立法とすることには反対であります。  それから社会党の案が限時法——皆さんは時限法とおっしゃるが、時限爆弾みたいで、刑法学の専門語としては限時法と言っておりますから——限時立法であることには敬意を表する、これも何べんも申しました。これ以上繰り返す必要はないと思います。
  148. 坂本泰良

    ○坂本委員 われわれも、参考人の方々の御意見も聞いて、明日でも話し合いをしようという話が自民党の方からもあるわけですが、この大衆運動の行き過ぎ、第四条第一項の六号とかあるいは十何条でしたか、そういうものは、教唆扇動の認定を裁判官がまずやるのでなくて、大衆運動の現場においては警察官がやるわけです。そこで、非常に乱用のおそれがある。かつて尾崎行雄氏でありましたか、選挙演説をされたときに、一警察官が天皇を冒涜する演説であるというので演説の中止を命じ、一晩逮捕し留置したわけですが、その際の尾崎氏の言葉を私覚えております。天皇を冒涜したかどうか、その判断は国務大臣に数回なった自分がよく知っているのだ、それを一警察官の判断で、冒涜したといって逮捕する、その判断を警察官にまかせるというところは非常に遺憾であるということを聞いておるわけなんです。そこでこの大衆運動もここで巻き込んで、そうしてその教唆扇動判断を裁判官や検事がやるだけでなく、下級の警察官がこれを認定して逮捕したり、あるいは自民党の案によりますると運動を停止させる、そういうようなことをわれわれはおそれておるのでありまして、この点は一つ現段階においては刑法運用によってこれを処理することにして、全然別個にして、これを除いた方がいいのじゃないかと考えますが、その御所見を伺いたい。おもなるものは、第四条第一項の六号、それから七条、八条、九条、十条です。
  149. 小野清一郎

    小野参考人 お答えいたします。尾崎氏の場合、あれは純粋の言論でありまして、ですから私は、正当性の主張であるとか扇動とか教唆もあわせて非常に危険である、こう言うのであります。けれども、国会内に闖入することは私は絶対に許せないと思う。これは規定してもいい。これは何も両天びんにかけるのでも何でもありませんよ。これは臨時立法として十分その理由があると私は思います。
  150. 坂本泰良

    ○坂本委員 重ねてお聞きしますが、現在の一般のいわゆる民主主義運動と申しますか、それの行き過ぎは現行刑法で十分に取り締まる、特にこれを規定する必要はない、また、これを規定したがゆえに憲法第二十八条に保障された労働運動の弾圧が一警察官の認定によってどんどんやってくるということになりますから、それをわれわれはおそれておるわけでありまして、そういう意味から削除したらいいのじゃないかという考えを持っておるわけです。
  151. 小野清一郎

    小野参考人 労働者の団結権に基づいて国会に闖入した例というものを私は知りません。あれは政治運動です、純粋の。
  152. 坂本泰良

    ○坂本委員 大へん失礼ですが、政治家であられないから——こういうような規定をして、これだけでなくて、いわゆる大衆運動の抑圧にこれを悪用される、しかもそれを実施するのは下級の警察官である、だから、こういうのは全然別個にして考えるべきであって、この際は政治テロ防止だけにすべきじゃないか、こういう考えを持っておるわけですが、その御所見を承って私の質問を終わります。
  153. 小野清一郎

    小野参考人 どうも考えが違うので仕方がない。幾ら問答してもこれ以上どうも……。
  154. 林博

    ○林委員長代理 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には、御繁忙のところ再度御出席をわずらわし、長時間にわたりお引きとめをし、貴重な御意見の御陳述をいただき、委員一同を代表してここに厚く御礼を申し上げます。これにてお引き取りを願います。  これにて両案についての参考人に関する議事は終了いたしました。  明二十五日は、午前十時より理事会、午前十時三十分より委員会を開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時二十九分散会