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1961-05-22 第38回国会 衆議院 法務委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年五月二十二日(月曜日)    午前十時二十一分開議  出席委員   委員長 池田 清志君    理事 田中伊三次君 理事 林   博君    理事 牧野 寛索君 理事 井伊 誠一君    理事 坂本 泰良君 理事 坪野 米男君       上村千一郎君    加藤鐐五郎君       唐澤 俊樹君    菅  太郎君       岸本 義廣君    小島 徹三君       佐々木義武君    富田 健治君       楢橋  渡君    早川  崇君       阿部 五郎君    猪俣 浩三君       中村 高一君    畑   和君       玉置 一徳君    志賀 義雄君  委員外出席者         参  考  人         (弁護士)   小野清一郎君         参  考  人         (都立大学教授戒能 通孝君         参  考  人         (東京大学教授団藤 重光君         参  考  人         (弁護士)   毛受 信雄君         参  考  人         (一橋大学教授)田上 穣治君         参  考  人         (日本労働組合         総評議会法規対         策部長)    種橋  茂君         参  考  人         (明治大学教授)藤原 弘達君         参  考  人         (弁護士)   真野  毅君         参  考  人         (中央大学教授)武藤 光朗君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 五月二十二日  委員井村重雄君及び鈴木義男君辞任につき、そ  の補欠として富田健治君及び玉置一徳君が議長  の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  政治テロ行為処罰法案坪野米男君外八名提出、  衆法第一六号)  政治的暴力行為防止法案早川崇君外七名提出、  衆法第三九号)      ————◇—————
  2. 池田清志

    池田委員長 これより会議を開きます。  日本社会党提案にかかる坪野米男君外八名提出政治テロ行為処罰法案及び自由民主党、民主社会党共同提案にかかる早川崇君外七名提出政治的暴力行為防止法案の両案を一括議題といたします。  本日は両案について参考人から意見を聴取することといたします。  ただいま御出席参考人は、小野清一郎君、戒能通孝君、団藤重光君の三人でありますが、後ほど毛受信雄君に御出席を願うことになっております。なお午後に予定しておりました毛受信雄君につきましては、御本人の承諾を得ましたので、午前中に繰り上げて意見を聴取することといたします。  この際議事に入ります前に、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多用中のところ御出席をわずらわし、まことにありがたく存じております。さきに御通知申し上げました通り、本委員会において審査中の両法案は、各界の関心を集める重要な案件であると存ぜられますので、委員会の決議をもって、ここに学識経験を有せられる各位参考人として選定し、各位の両法案についての御意見を拝聴し、もって本委員会審査に慎重を期することといたしたのであります。つきましては忌憚のない御意見の御開陳をお願い申し上げる次第でございます。  なお議事の進め方につきましては、まずお一人二十分以内程度において、小野さん、戒能さん、団藤さん、毛受さんの順序で御意見の御開陳をお願い申し上げます。四人の御意見の御開陳が終わりました後、委員から質疑が行なわれることとなっておりまするので、お答えをお願い申し上げます。  それでは、まず小野清一郎君から御意見の御開陳をお願いいたします。小野清一郎君。
  3. 小野清一郎

    小野参考人 この二つ法案につきまして、刑法学者立場から意見を申し上げたいと思います。  この二つ法案を比較して検討いたしましたところによりますれば、両者はその目的において全く一つでございますし、その内容におきましても、重要な部分が重なり合っておりますので、私ども第三者立場から拝見いたしますと、何とか一つ法律に合糅できないものかと存ずるのでございます。  しかしながら、それはともかくといたしまして、以下両案につき、それぞれ私の所見を申し述べますが、まず第一に政治テロ行為処罰法案、これはもっぱら政治的なテロ行為に対する処罰を重くしようということに限定いたしておりますので、その内容はまことに直截簡明でございますし、その施行期間を三年といたして、つまり三年間の限時立法としようとしておりますが、この点などはしごくけっこうだと存ずるのでございます。しかしながら、何と申しましてもこの刑は重きに失するのではないか。法定刑といいますか、最初新聞などに発表されましたところよりは幾分軽くなっておるようでありますけれども、どうもまだ刑が不当に重きに過ぎるという感がいたします。それと、政治的テロ行為背後関係をなすところの団体についての措置というものが欠けているということは、何と申しましても重大な欠陥であろうと存じます。政治的暴力行為防止法案の方は、それらの点においてはすぐれておると存じますが、これは相当研究されたものであろうと思いますが、その規定はむしろ煩瑣に過ぎまして、その間法律技術的に疑問とすべき点があるように思います。後ほどそれらの点を申し上げたいと思いますが、なお、この政治的暴力行為防止法案の方で問題となるのは、政治テロ行為のみならず、暴力をもって国会等に侵入する行為をも同時に取り締まろうとしておるようでございますが、これは確かに問題があると思いますけれども、近来の集団デモにはやはり行き過ぎがあるということは、国民一般に感じておるところでありまして、それを抑制するためには、やはりこの点もやむを得ないのではないかと私存じます。  そこでまず政治的暴力行為防止法案——かりに防止法案と申しますが、防止法案の方から具体的に若干の批判的検討を加えてみたいと思うのでございます。時間に制限がございますので、いろいろ他にも問題とすべき点があるとも思いますが、私はごく気づきました重要な技術的欠陥を指摘しておきたいと思うのであります。  第一に私の問題とするのは、第四条第一項の政治的暴力行為定義でございます。この政治的暴力行為定義に入ってきます第一号から第六号まで、これは明らかに暴力的な行為でございますが、第七号それから第八号、これらを暴力行為と申すのはいかがなものでございましょうか。暴力という概念の不当な拡張になり、また乱用になるおそれがあるのではないかと存じます。しかもそれは言論表現内容とするものであるだけに、事柄はきわめて重大であると存じます。言論表現の自由にもその限界があることは当然でありますが、たとい暴力行為正当性または必要性を主張するものであっても、言論暴力行為そのもの定義することはいかがなものでありましょうか。教唆扇動にしても同じことであります。  私の考えでは、暴力行為とは、あくまでも物質的な行為意味するものでなければならない、これを言論表現に拡張することは、単に概念の混同であるばかりでなく、おそるべき言論抑圧をもたらすおそれがないとは言えないと思うのであります。この第七号、第八号を削除いたしましても、暴力行為防止目的を達することは十分にできると思います。この法律政治的暴力行為という語を用いている条文は二、三ございますが、今それに当たってみますと、第五条、第六条でございます。第五条、第六条における政治的暴力行為、これは第四条第一項第七号、第八号を除きましても一向差しつかえがないと思います。次に、第八条の規定の中にある政治的暴力行為でありますが、これは立案者としては第七号、第八号の行為を含めたいところでございましょうが、私はその必要がないと思います。かりに立案者の御意向に従うことにいたしましても、それを表現するのには、あとにある罰則規定の方を引用すれば十分それで意味が明瞭にされるのであって、暴力行為という概念思想表現言論に拡張することは、これはどうしても筋が通らないと思います。大体この第八条というものは、「明らかなおそれである」とか、「必要かつ相当な限度」とかいったような抽象的な文句が多過ぎまして、乱用のおそれがあります。のみならず、その運用は実際上おそらくは不可能に近いことになるのではないかと思うのであります。特に第七号、第八号の関係において重大な問題があるということをお考え願いたいと思います。ちょっと拝見いたしましたところ、政治的暴力行為という語が用いられているのはこの三カ条だけであるようであります。従いまして、第四条第一項からその第七号、第八号を削除いたしましても一向差しつかえないし、また削除するのが相当であると信ずるのであります。  次に、防止法案が新たに設けようとしている罰則のうち、二、三の点について申し上げたいと思いますが、まず第二十二条、これは政治的殺人、その予備、陰謀または政治的傷害の罪の幇助者独立犯として罰する規定でございますが、この規定は、実行しようとする者であることについて十分の認識がなくて、請われるままに金品を与えた者が犯罪の嫌疑を受けるおそれがあると思います。この点は政治テロ行為処罰法案第八条に「情を知って」云々規定しているこの方がすぐれていると思います。しかもテロ行為処罰法案の方では、その第五条の教唆扇動の罪と区別いたしまして、幇助の方はそれよりも軽くしております。これは立法技術的により慎重な規定の仕方であると思います。少なくともテロ行為処罰法案にならって暴力行為防止法案の第二十二条を修正すべきであると思います。私はできればさらに一歩を進めまして、第二十三条、第二十四条と同じくこの第二十二条にも、その冒頭に「政治上の主義若しくは施策又は思想的信条を推進し、支持し、又はこれに反対する目的をもって」という主観的要素をつけ加えるのがよくはないかと思うのであります。そういたしませんと、第二十二条の刑と第二十三条の刑とが同一になって、つまり両者いずれも五年以下の懲役または禁錮ということになっておりますが、これはその刑の均衡を失するものであります。これは単なる技術の問題ではない。まさに正義の問題になると思います。  次に、防止法案の第二十四条でありますが、この第二十四条の立案の意図には了解できるものがありますけれども、どうも私としてはにわかに賛成いたしかねるのであります。これは教唆にも扇動にもならない行為教唆者扇動者と同じく処罰しようとするものであります。かくのごときは刑法一般原則に反し、しかも言論表現に対して前例のない制限を加えるものであります。もちろんそれは政治的殺人行為正当性または必要性を主張する行為に限られてはおりますが、それにいたしましても、単なる主張を罰するということはいかがなものでございましょうか。政治テロ行為処罰法案教唆扇動独立罪として規定するにとどまっております。防止法案第二十四条のごとき規定を置いてはおりません。これは正しい法律感覚表現していると思います。防止法案はこの点においてもよろしく処罰法案に譲るべきであると思います。  その点に関連いたしまして、防止法案第四条第二項の扇動という概念定義、これにも疑問がございます。その定義によりますと、「この法律で「せん動」とは、特定行為を実行させる目的をもって、文書若しくは図画又は言動により、人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめ又は既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいう。」というのでありますが、かような定義扇動概念をことさら狭く限定するものであって、その結果第二十四条のごとき不当な処罰規定を案出しなければならないようになっていると思います。これはまさに自縄自縛と言わなければなりません。大体この定義規定東京高等裁判所昭和二十八年七月二十八日の判例、それは国税犯則取締法第二十二条の解釈に関するものでありますが、その判例によったものと思われます。その文句をほとんどそのまま借用しているのでありますが、大事のところでその文句からはずれて、しかもその点で誤っている。右判例特定行為とは申しておりません。扇動はある罰則に触れている行為を実行させる目的を持ってすることで十分であります。「特定行為を実行させる目的をもって、」云々という規定は、扇動という概念の本来の意義に反し、不当に狭くこれを限定するものであります。特定行為を実行させる目的を持ってするならば、むしろ教唆または幇助であります。教唆扇動との区別をあいまいにしてはなりません。第二十四条に規定する行為はおおむねこの意味扇動に当たるものと思います。  なお、その規定の中で「刺激を与える」という言葉がありますが、ここにも多少疑問があります。刺激を与えるとかりに申しましても、それは感情に訴えることを意味しないものでなければなりません。もし感情に訴えることを必要とすると解されるのなら、「刺激を与える」という語は避けた方がよろしい。犯罪行為正当性または必要性を合理的に主張して、それを実行する決意を生ぜしめまたはすでに生じている決意を助長させるなら、それはやはり扇動と申してよろしいのであります。特定行為決意させることになると、それは教唆であります。他方第二十四条は、特定の者が同条の行為により影響を受けて犯罪を実行するに至ったことを処罰の条件として、扇動の罪と同一の刑で処罰するということになっておりますが、これは法律的評価の混迷であります。もし両者同一に評価するのなら、第二十五条による刑法教唆犯適用をも認めなければならないことになると思います。しかるにこの法案は、この当然の論理を避けようとするもののごとく解されます。これは明らかに自己矛盾であります。かような自己矛盾は、そもそもこの暴力行為防止法案が第四条第一項第七号において、第二十四条に当たるような行為を考えながら、それを政治的暴力行為定義していることに由来するものと思います。最初申し上げましたように、この規定を改める必要があります。この規定は明らかに不当であります。わざわざカッコをいたしまして(その特定の者がその影響を受けて第十四条第一項の罪を実行するに至った場合に限る。)云々というような規定をしておりますが、これは処罰規定なら格別、暴力行為概念をこのように規定することは、つまり結果を生ずれば暴力行為になるが、生じなければ暴力行為にならないというのであるが、これはもう立法技術的にきわめて拙劣なものであると思います。  次に政治テロ行為処罰法案について一言いたします。これは何としても重刑主義であります。また結局威嚇的な立法にすぎないといわれてもいたし方ないと思います。これは法定刑をずっと引き下げるのでなければ、国民一般政治感にマッチしない、かように私は存じます。しかしこれを三年の限時立法としようとすることは、満腔の敬意を表するものであります。政治的暴力行為防止法案といえども、結局これは臨時の立法でなければなりません。かような法律を恒久的な立法とすることは好ましくないし、またその必要もない。三年後また五年後にこれを存続させるかどうかについてあらためて考え直してみるべきであります。  またテロ行為処罰法案の中で、第五条の教唆扇動の罪と第八条金品供与等の罪とを区別し、後者の刑を前者の刑より軽くしていることも、健全な法律感覚の現われとして敬意を表するものであります。ただし両者ともにその法定刑重きにすぎます。その点ではとうてい賛成できないと思います。私は政治的な提案をする権限はもとより持ちませんが、刑法学者としてもし修正意見を述べよというのであれば、基本的には政治的暴力行為防止法案を採用いたしまして、次の諸点においてそれに修正を加うべきものであると存じます。  一、第四条第一項第七号、第八号を削除する。二、同条第二項の「特定行為」とあるのを、「この法律によって処罰される行為」と修正するか、さもなくば全文を削除して、学説、判例にゆだねる。三、第二十二条の構成要件に「情を知って」を加え、法定刑を「三年以下の懲役または禁錮」とする。四、第二十四条を削除する。五、附則第七項として、「この法律施行の日から五年を経過したときはその効力を失う、ただし五年を経過した日以前の行為に対しては、その経過後においてもなおこの法律適用する」規定を設ける。  以上でございます。失礼いたしました。(拍手)
  4. 池田清志

    池田委員長 次に戒能通孝君から御意見の御開陳を願います。戒能通孝君。
  5. 戒能通孝

    戒能参考人 政治的テロ行為という問題につきましては、私も非常に軽微でございますが、むしろ被害者の一人でございます。ともかくある政治的な発言をいたしますと、ボディ・ガードがつくほどのことはございませんけれども、何かおどしを内容とするような手紙を送ってきたり、電話をかけてきたりすることが実際ございます。中でもことしの二月二十四日の飯守裁判官発言の以後におきましては、おどしの内容によけいな要素が加わってきているようであります。裁判所もおれたちうしろについているぞというふうな言葉電話についてくることがございます。もちろん飯守裁判官発言内容は、裁判所が右翼のうしろについている、テロうしろについているということを意味しているわけじゃないと思いますけれども、しかし暴力団の理解というものは大へんに頭が早いということだけは確かだと思います。背後に力があると思いますと、それを自分たち援助者だというふうに考えるということは真実だと思っているわけであります。たとえば、財界お金をくれれば、財界自分たちうしろにいると考えることは、これは非常に起こりやすい現象でございます。ところが、最近でございますけれども、関公安調査庁次長のお話を伺ったのでございます。そうしますと、各会社におきましては、こうした若干のテロ的要素がある団体に対しましてもお金をやるような予算が組んであるということでありまして、ともかくもらいに来たらやるというふうなことでございます。  それから、第二に警察の態度でございますけれども、警察でも、たとえば石井一昌という人物がございますが、この人に対しまして一緒ビールを飲んだというふうな事実がともかく法廷に出たところにおいて現われております。ところが石井は郡山の愚連隊であったようでございまして、前科四犯の犯人でございます。しかも東京地裁におきまして昭和三十四年の三月二十七日判決というものにおきまして、恐喝等によりまして三年六カ月の懲役刑を受けておりまして、現に控訴中の人物でございます。こういった人物一緒ビールを飲むというふうなこと、それが捜査上やむを得ない、情報収集上やむを得ないといわれれば、そうかもしれませんけれども、たしかに問題があるということは事実だと思っているわけであります。  第三に検察庁立場でございますけれども、検察庁がいわば学生団体とかあるいは労働組合なんかに対すると同じほど十分に努力すれば、たしかに暴力団体というものに対しましてもっと強力に出ることができると思うのでありますけれども、事実の点におきましては、暴力団体に対してはたして十分に強力な立場をとっているかどうかということになると、疑いなきを得ないことは事実でございます。たとえば、ハガチー氏が来日されたときにおきまして、テレビには棒を持って、そして集まった人に向かって振り回している男が実際写っておりました。ところが、この棒を持って振り回した人間というものが起訴されたという話は私存じておりません。また和歌山県の勤務評定反対闘争ということがございました。このときにも、このすわり込んでいる教職員組合の人々の中に黒めがねをかけた男が踏み込んでいたという点がテレビに出ていたわけでございます。しかしそれらの連中というものが起訴されたという話は私存じていないわけでございます。勤務評定に反対することがいいか悪いかということは別問題でございますけれども、デモンストレーションやすわり込みに対する取り締まりは警察がやれば十分でございまして、黒めがねをかけたり、腕まくりをしたような人間が踏み込むということになりますと、明らかに行き過ぎでございますけれども、それに対しまして検察庁が十分な捜査をしたかどうか、私としては疑いなきを得ないわけでございます。  第四に裁判所でございますが、裁判所も、もちろん裁判官は起訴されたものについてしか審理できないわけでございますから、従って起訴されない事件について判断することができないことは言うまでもございません。しかし、起訴されかけた事件というものにつきまして、相当同情的立場を示すというのが飯守裁判官なんかの事件においてははっきり現われているわけでございます。しかも、田中長官在任当時におきましては、集団運動に対しましてもっときびしくなれということをしばしば言われたわけでございましたけれども、しかし暴力行為に対してきびしくなれということはほとんど言われておりませんでした。こんなわけで、何らかの意味において法律が必要じゃないかと思うのでございますけれども、しかしよく考えてみますと、これは法律が必要なのか、それとも法律執行者が不適任なのか、法律執行者の選任の点におきましてもっと考える余地があるのか、この点において疑問があると感じるわけでございます。私としましては、法律は必ずしも不足ではない、むしろ法律執行者適任性適格性というものにつきまして厳重な批判が必要ではないのかと思うわけでございます。ところが拝見いたしました二つ法案というものは、問題が法律不足であるという立場でとらえられているようでございます。法律不足である、よって法律の整備をしなければならないという形でとらえられているようでございます。だが私といたしましては、残念ながら法律不足という立場で問題をとらえることについてはどうしても賛成できない気がして仕方がないわけでございます。  まず第一に簡単な方の法案、つまり政治テロ行為処罰法案について申し上げます。この法案が非常に強く応報的要素を持っているということは、提案者自身説明によっても明白でございます。しかし、同時に、この法案というものが実際に適用されたならば、はたして何らかの意味において役に立つであろうかと申しますと、これは実際問題になりますと、ほとんど役に立たないと思っております。テロ行為処罰法案によりますと、いずれも自己政治上の主義と相いれないことのゆえをもって人を殺傷することなどが、これが政治的テロ行為というふうに定義されているわけでございます。ここに問題になるのは、自己政治上の主義という言葉でございます。この主義という言葉は、少なくとも統一的な観念でございまして、個々政策あるいは行政上の措置というものを含まないというふうに提案者が御説明でございましたけれども、私も多分そうだと思っているわけでございます。そうなりますと、個々殺傷行為というものが発生いたしましても、これは主義の点じゃないんだ、自分はあの人の政策に反対している、あの人の意見と異なる意見だというふうに説明してしまえば、この法案適用を受ける余地というものがございません。現に河上丈太郎氏を刺した事件が、東京地裁で昨年の十二月十日に判決が出ているわけでございますけれども、これなどはどう考えても政治上の主義による殺傷事件だろうとは思えますけれども、しかし、これは判決によっても明瞭にされています通り被告人自身が特に知能が低劣でありまして、学業成績も低劣、知能はやや低格であり、衝動性が出現しやすく、要するに精神医学上内性的人格または分裂気質者というふうに呼ばれる者に属していたと言われるような人物でございますので、つい政治上の主義が表に出てくるようになるわけでございます。若干の準備をしたテロ行為者というものになって参りますと、おそらく政治上の主義というふうなことは言わないであろう、むしろ政策上の問題で彼と意見を異にしていた、そこで傷害したというふうな形で説明するであろうと思うわけでございます。従って、政治テロ行為処罰法というものが現実に制定されましても、これは動く余地がないということになりはしないかと思うのでございます。第十条というものを見ますと、これについては、たとえば山口神社建設運動というふうなことがかかりそうでございますけれども、山口神社建設運動というものでありましても、たとえば山口という人間が浅沼委員長を刺したからそこで神社を作るというのではなくして、よく責任をとったから神社を作るのだというふうに言ってしまえば、結局第十条にもかからないということになるのではないかと思うのであります。むしろ意味のないものを提案せられるよりも、この法の執行者を厳選できるような、厳重に監督できるような法案をお考えいただけば、よりよかったのではないかと思っております。私といたしましては、具体的に、警察法を改正されまして、公安委員の公選制度というふうなものをお考えいただくことがどうであっただろうかということ、その点をまずお考え願いたかったわけでございます。また政治資金規正法につきましては、商事会社、営利会社につきましては、もう少し若干の制限を設けてもいいのではないだろうか。この自然人につきましては思想の自由、表現の自由等は当然でございますけれども、営利会社、商事会社に対しまして、はたして政治的自由を完全に保障しなければならぬかどうか、この点につきましては、私必ずしも肯定できないわけでございますので、商事会社の政治資金提供というものにつきましては、若干の規制があってもいいのではなかったろうか、そちらの形で問題を提起された方がより正しかったのではないかと思うのであります。  第二に、条文の多い方の政治的暴力行為防止法案について申し上げてみたいと思います。  この法案は、率直に申しますと、テロを憎む国民の気持を利用いたしまして、政治運動に対する制限に置きかえているということになるのではないだろうかという印象を持つわけでございます。この法案によりますと、必ずしもテロを憎悪するという意思は出ていないように存ずるわけでございます。  第一にテロとそれから集団行動というものの間におきましては、性格上明白な差異がございます。テロは原則として穏密の間に謀議され、行なわれるものでございます。ところが集団行動は常に大衆行動でございますので、これは公然たる行為をとる以外にないわけでございます。従ってこの集団行動というものと、それからひそかに謀議されるテロ行為というものとが一緒に——一人一殺というようなものが一緒になっているというところに、この問題と違った要素が出てくると思うのです。  条文について申しますと、第四条第一項第六号というものは全く異質的なものがそこに入っていると思うのでございます。殺人とか傷害につきましては、もちろん刑法におきまして処罰規定がございます。この法案はその上の方を少し大きくし、下の方を少し重くするという形はとっておりますが、考えようによりますと、下の方を重くすることによりまして、逆に刑を軽くするという作用さえも持たないとはいえないと思うのであります。たとえば、傷害罪でございますが、政治的な傷害罪の点になりますと、これは下の方の刑が重くなるということにはなっておりますけれども、しかし実際上の点になりますと、常識ある裁判官ならば、政治的な傷害行為というものについてはおそらく三年以上の有期懲役を課するだろうと思います。つまり三年以上あるいは五年というふうな有期懲役を課するだろうと思います。現に河上丈太郎氏の事件につきましては、東京地裁は殺人未遂をもって取り扱い、懲役五年ということにしているわけでございます。ところが三年というふうに限定して参りますと、これは条文が違いますから別の場合が出てくるかもしれませんけれども、限定して参りますと、三年ならばいいという点で、むしろ裁判所に対して軽い刑を課することを奨励することにならないかという気さえするわけでございます。もちろん政治的なテロ行為であるということの証拠の収集はさらに非常に困難でございます。浅沼委員長や嶋中中央公論社社長の家庭に対する殺人行為というものが、これが赤尾敏というものの主宰しておるところの団体に属した人が行なったことは一般に知られておる事実でございますけれども、この政治的暴力行為防止法案が成立したといたしましても、赤尾の行為というものも、この法案に適合するような形で立証することは非常に困難であると思うのであります。ところが第四条第一項第六号のデモ行為になって参りますと、これは明らかに違います。しかもこれは未遂も罰せられる。さらに実行しようとして遂げなかった場合におきましても、団体規制の対象になるということになっておるわけでございます。その上に通報ということも行なわれるということになってきておるわけであります。現実問題として考えてみた場合に、私といたしましても、たとえば日韓軍事同盟条約を提案されたというふうなことを抽象的に考えてみますと、現在の条件のもとにおきまして、日韓軍事同盟が提案されたような場合は、私もデモをやろうと思っております。国会に反対デモをやろうと思っておるわけであります。ところがその際におきまして、第四条第一項第六号違反の行為をやろうとしておる、そういう通報があるということになりますと、未遂罪の嫌疑ですでに主催者、責任者というものが逮捕されるというようなことになり得るわけでございます。さらに逮捕されたあと、団体が行動を停止させられるということになって参りますと、その連鎖反応が必ず起こるということは、これは当然であろうと思うのであります。連鎖反応が起こった結果といたしまして、甲の団体に属していた人が乙の団体に入る、そうなりますと乙団体というものが今度は甲団体の構成員を入れたということによりまして、その活動が不能に陥るということになっていくんではないだろうかと感ずるわけであります。要するに、第四条の第一項第六号の行為、これは私の主義には合わないことでございますけれども、しかし衆議院あるいは国会の中に入るという程度のことにすぎません。これはすぎないとあえて申し上げます。それ自身殺傷行為ではございません。それはデモのある場合におきましては、爆発行為というものにすぎないわけでございます。私の主義には合わないといたしましても、ともかくそれは起こり得べき行為にすぎないわけであります。しかもここの国会の周辺というのは、これだけ広いところでございますから、従ってへいを乗り越え、さくを乗り越えるというようなことは、激発されておる場合におきましては、起こり得べきことにすぎないのではないかと思うのであります。第六号の条件というものが全部抜きにされてしまったら、はたしてこの法案はどういうことになるかと申しますと、結局動く余地がないのではないだろうかということになると思うのでございます。しかもこの法案におきましては、主義が問題になっているのではございませんで、施策が問題になっておる。施策が問題になっておるということになってきますと、重要なことは、こうした法案によって施策に対する反対運動を制限することではなしに、むしろ非常に大きな反対運動を呼び出さないような政策をとられる、行政上の施策をとられることはないかと思うのでございます。施策や思想的信条まで暴力行為防止法が拡大されるということは非常に重要なことであります。大へんなことでございます。しかもそれがデモンストレーションの行き過ぎにまで拡大されることは、もっと重要なことであるというふうに感ずるわけであります。  個々の条文につきましてはさらに御質問等が出れば幸いでございますが、私の結論といたしましては、両法案ともこの際お考えいただく、そうしてこれはぜひとも両法案とも審議未了にしていただくことをお願いいたしまして、そうしてほんとうにテロを防止することができるように、法の執行者の責任の問題につきまして、もっと御考慮いただきたいとお願いしたいわけでございます。
  6. 池田清志

    池田委員長 次に、団藤重光君から御意見の御開陳を願います。団藤重光君。
  7. 団藤重光

    団藤参考人 団藤でございます。  まず政治的暴力行為防止法案について申し上げますと、この法案は、率直に申しまして、破防法の拡張であるような感じがいたすのであります。私の立場としましては、破防法そのものに反対しておりましたその同じ立場からして、これを拡張することについて消極的であるのであります。私も左右いずれであるとを問わず、暴力行為というものを何とかして防止したいという気持においては人後に落ちないのでありますが、はたしてこのような形においてそれを実現するということが適当であるかどうかという点に疑問を持つのであります。  まず三つの部分に分けて申し上げますと、最初に全体に共通な部分としまして、第一条から第五条あたりのところを取り上げてみたいと思います。  この第一条にすでに現われております通り、「政治上の主義若しくは施策」ということと並べて「又は思想的信条」という文句がここに入っております。これはこの法案全体に通じていることでありますが、これは破防法にはなかった文句でありまして、こういう形でこれを入れることによってかなり大幅に適用の範囲が拡張されるように思いますので、この点もよほど慎重である必要があると思うのであります。その関連において第三条で乱用防止の規定があるのでありますが、私は、この法案がもし法律になった場合の乱用のおそれというものは、必ずしも団体の規制あるいはそのための調査によるばかりでなく、むしろそれ以上に罰則の運用による場合が非常に多いのじゃないかと思うのであります。そういう意味において、第三条は破防法の先例にそのままならったものと思われますが、私は破防法のこれに当たる規定についても同じ印象を持ったのでありますが、この規定については、少なくともこの罰則適用についても同様である趣旨を明確に表わす必要があるように思うのであります。  次に第四条の関係においては、一号、二号はまさにテロ行為でありますが、三号以下の事柄につきましては、これと同列に置いていいかどうかという点について疑問を持ちます。特に三号ないし六号についてはこれがいわゆる大衆運動に関係が非常にあることは容易に想像がつくのでありまして、六号のデモの場合のみならず、争議行為の場合に起こるいろいろな態様の行為を考えますと、三号ないし五号についても同じような問題が起こり得るのではないか。特にそれが思想的信条の推進、支持あるいは反対ということが加わっておるために、この点の乱用も心配になるのであります。七号、八号については、先ほど小野先生が御指摘になりましたと同様の疑問を私も抱くのであります。との第四条の第四項につきましては団体の活動の定義でございますが、かりに団体の規制ということを認めるとして、このような程度の文句でもってはたして十分に実効を上げ得るか、疑問の余地があるように思うのです。たとえば構成員がその団体を脱退した後にある行動をしたという場合でありますと、少なくともこの文字の上から申しますと、これには当たらないことになります。この趣旨はそうではないと思いますが、この文句ではそういうものが抜けてしまうわけであります。  次に、第五条についても問題があると思うのでありまして、むろんこの趣旨は私は賛成でありますけれども、たとえば政治的暴力行為を挑発するような原因になる行為をすべていけないのだということを言ってしまっているようにも思われる。たとえば風流夢語みたいなものを書いてはならないのだ、そういうことをして暴力行為を挑発するようなことをしてはならないのだというような趣旨がもし表われているとしますれば、これははなはだ適当でないように思うのであります。  第二の点は、団体の規制の関係でございます。破防法の拡張に反対という意味団体の規制全体に私は消極的でありますが、特にこのような右翼の団体についてこういった種類の団体の規制の仕方がはたしてどの程度に有効であるかという点に疑問を持っております。ある団体という形をとらないで、親分子分という糸でもってつながっている関係がしばしば見られるのでありまして、そういうふうな場合に団体としての規制をしましたところで、はたしてどれだけの痛痒が感ぜられるのか、疑問ではないかと思うのであります。むしろ資金源の規制であるとか、そういう面からの回り道でも通っていかなければならないのであって、団体の規制という形ではたして実効的であり得るかという点を私は疑問とするのであります。のみならず、また一面においては、この団体の規制の行き過ぎの面も考え得るわけでありまして、たとえば第八条の第二項の点につきましては、第四条第一項の二号ないし六号の関係行為団体の活動として行なわれた場合に活動の制限が行なわれるわけでありますが、たとえば暴力的なデモが行なわれたということによってこの要件が認定されたといたします。そういう場合に、はたして将来一定期間にわたっておよそ集団的な活動が禁ぜられるというととが適当であるのかどうか。その集団活動が非合法である場合は、その非合法であるという点において押えるべきでありまして、合法的な集団活動を行なおうとする場合においてもなおこれを制限しようというのは適当でないのではないか。むしろこの種類のものは、その行為ごとに規制を加えていくのだという方向でいかなければ、憲法の表現の自由あるいは集会の自由等の精神に反するおそれがありはしないかと思うのであります。  次に、第三のグループとしまして、罰則関係でございますが、全体としましてこの程度の刑の加重ということによって一体どれだけの効果を上げ得るのか。裁判所において刑の量定をする場合に、確かにその量定に響くことは疑いをいれませんけれども、むしろどうやってこういう行為を押えていくかという面に重点が置かれなければならない。刑の引き上げということによってどれだけの効果があるのか。刑を引き上げるということは、しばしば言われますように、むしろ行為者の英雄的な気持を満足させる、そういう効果さえもあり得るのでありまして、こういう種類の方針に私は疑問を持つのであります。まして政治犯という形をとりますからして、刑法犯としては懲役であったものが、この法案によりますと禁錮が選択刑としてつくことになり、禁錮がつくことになれば、しばしば言われますように、むしろ右翼の方については禁錮という傾向が起こってこないと保証することはできません。そういうことにもしなりますと、右翼的なテロ行為を押えるよりもむしろこれを醸成する働きさえも持つのじゃないか、こういう心配を持つのであります。  こまかい点につきましてもいろいろと問題があると思います。たとえば、ごくこまかい点でありますが、十五条では傷害罪の規定がありますが、刑法では傷害罪についての行為は暴行の行為でもって足りるという解釈になっているのであります。はたして同じことがここでも言えるのか、あるいはここでは違うことになるのか、そこらのところは十分はっきりいたしません。それよりももう少し大事なのは十七条であろうと思います。十七条の行為自体、こういう種類の構成要件自体が問題になるのでありますが、特にこういう形にした場合に一体未遂罪の範囲はどうなるのだろうかという問題も起こってくると思います。普通の住居侵入罪の未遂でありますと、たとえば雨戸をあけようとしたが、そこでつかまったという種類の場合に未遂罪になるのでありますが、第十七条のような構成要件でありますと、入ろうとして暴行、脅迫を始めた、そこでおそらくこの未遂罪が成立することになるのではないかと思われます。しかもこの関係では、第二十三条の第三号によりまして、教唆扇動が罰せられることになっておりますので、特にこれが大衆運動に適用される場合を考えますと、かなり乱用の危険があるように思われるのであります。少なくともかりに第十七条をしばらくおくとしましても、第二十三条の関係でこの第三号が入っているということについては、非常に疑問があるように思います。  次に、第二十四条でありますが、これは先ほど小野先生が御指摘になりましたように、私もこういう種類の新しい犯罪の範疇、新しい構成要件の範疇というものを作り出すということについて疑問を持つ者であります。一面において、この第二十四条で一体どれだけのものを押えることができるのか、今まで起こった事件につきましても、あるものはこれによって押えることができるかもしれません。しかし今まで起こったほかの事案については、おそらくこれをもってしても処罰の可能性がないのじゃないかというふうに思われます。かりにこの規定自体としてはそれほど大きな乱用のおそれがないといたしましても、殺人だけの関係でありますから、比較的乱用のおそれが少ないといたしましても、こういう種類の立法上の先例を開くということについて非常な危険を感じます。そして学問的に申しますと、教唆扇動でないところの新しい範疇がここでできてきたということについて私は非常な疑問を持つ者であります。  なおこまかい点いろいろありますが、その程度にいたしまして、次に政治テロ行為処罰法案について申し上げたいと思います。  この法案については、団体の規制が削られている点では私はむしろこちらの方がいいと思うのであります。しかし罰則の作り方において、こういう行き方がはたしていいのかどうかという点については、やはり私は非常な疑問を持たざるを得ないのであります。まず全体を通じて政治テロ行為規定の仕方でありますが、「自己政治上の主義と相容れないことのゆえをもって人を殺傷する」というふうな、こういう規定の仕方ではたして政治テロ行為規定できるのかどうか、押えることができるのかどうか、そういう疑問があると思います。今まで出てきた事案でうまく割り切れないものがあると同時に、またこの規定によって一方では広くなりすぎる面もないわけではない、これをもし文字通りにとりますと、たとえば政治上の議論をしていた、それがもとになってけんかを始めた、そこで殺傷事件が起こった、こういう種類の場合に、自分政治上の主義と相いれないということでもし相手をやっつけたということになれば、これは少なくとも文理解釈としてはこれらの条文に当たることになるわけでありますが、これはおそらくこの法案のねらいとはだいぶんはずれてくるのじゃないかと思われます。多少やぶにらみの感じがするのであります。このような形になっておりますために、ここでは政治犯という扱いをしないで、死刑または無期懲役等々、禁錮ではなくて、自由刑としては懲役の方だけが規定されているのでありますが、もし政治的なテロ行為ということを正面から規定するとすれば、おそらく政治犯としての扱いをせぜるを得ないのじゃないか。そうしませんと、禁錮というものの現行法上の体系がくずれてくるように私は思うのであります。そしてまた刑が著しく重いという点については、先ほどの小野先生の御意見と私も全く同様でございます。たとえば第四条の予備、陰謀の場合に、無期または五年以上の懲役ということになっております。場合によっては刑の減免ということがあるわけでありますが、その減免との間の段階は非常に段があるのでありまして、五年というのを酌量減刑しても二年半であります。二年半にするかそれとも免除してしまうかということになるわけで、減免の場合の減刑と免除との間の差が非常に強くなってくる。これはこの種のものの法定刑があまりにも重過ぎるということの一つの現われだろうと思います。  次に、第五条の関係で申しますと、これは自己政治上の主義と相いれないことのゆえをもって殺人の教唆扇動をした罪でございますが、この場合に被教唆者が殺人を実行した場合は一体どうなるのか、これは第十二条の規定によって、刑法総則の規定によって本来の殺人教唆の責任を負うことになりましょう。この場合に、被教唆者も同じような動機を持っており、同じような主観的な要素が備わっていたといたしますならば、第四条第一項の教唆ということになりましょう。しかしながらたとえば殺し屋を教唆して自分目的を達した、こういう場合をかりに考えますと、殺し屋の方は刑法第百九十九条の通常の殺人罪が成立いたします。そういたしますと、第十二条の結果によって、もし本人が被教唆者であるところの殺し屋が実行した場合には、単に刑法第百九十九条の教唆の責任を負うにすぎないことになる。それでは第四条との権衡がはなはだとれないことになるように思われます。  次に、第七条の関係でありますが、ここには「凶器を準備し、これを用いて人の身体を傷害した」という構成要件が出ておりますが、この関係の未遂罪もやはり問題でありまして、こういう形にいたしますと、おそらく凶器の準備そのものが構成要素に入ってくる。そうすると、凶器の準備だけですでに未遂罪になる。実行の着手が未遂罪になるという解釈になりそうであります。この点立案者がどちらの御趣旨であるか私つまびらかにいたしませんが、たとえば次の第八条の条文とのつり合いを考えますと、そういうふうに考えざるを得ない。しかし第十一条との関係を見ますと、おそらく実際に身体の傷害に入ったところで未遂ということになるという趣旨かと思われますが、そこいらがはなはだ技術的に見て割り切れておらない、整っておらない感じがいたすのであります。  次に、第八条につきましては、これは幇助行為でありますが、先ほど小野先生の御指摘の通りに、第五条との関係では刑の権衡が十分に考えられているように思われるのでありますけれども、たとえば第四条との関係で、かりに第四条の幇助になった場合を考えるといたします。第八条によって凶器を提供して、そして提供された者が実際に第四条の行為をしたという場合を考えるといたしますと、刑法総則で申しますならば、第四条の法定刑の刑を、減刑を加えたものでもって処断されることになるわけでございます。そういたしますならば、かりに無期懲役を減刑いたしましても七年以上の有期懲役ということになるわけであります。そういたしますと、ここで五年以上の懲役にすぎないという点は、その関係では権衡を失することになります。  特に私が指摘したいと思いますのは第十条の関係でございまして、これは先ほど戒能教授も指摘されましたけれども、この賛美の仕方によって幾らでもこれはくぐることができる、そういう罪を犯した者を平生の行状の点で、あるいは人格の点で大いに賛美するということをやりましても、これは第十条には当たらないことになります。これは幾らでもくぐることができるのみならず、このような単なる賛美ということだけをこういう形で罰則を設けるということについて、私はやはり疑問を持つのであります。  最後の限時法の関係、附則の第二項の関係では、私も小野先生の先ほどおっしゃったのと同じ感じを持つのでありまして、できればこの政治的暴力行為防止法案についても限時法とするのが適当であろうと思います。ただ率直に申しますと、私はこういった種類の法律はむしろ危機感を醸成するのに役立つのが落ちではないか、一体どれだけの効果があるのか、むしろこういう規定ができることによって危機感をかもし出すということになれば、これはマイナスの方がはるかに大きいのではないか、限時法としますならば、まさに現在が危機であるということを認めることになるわけでありまして、私はそのような客観的情勢があるのかどうか存じませんが、もし現行法でまかなえるといたしますならば、これはできるだけ現行法の運用によってまかなっていくということが望ましいのではないか。私は、全体といたしまして、両法案ともに消極的な感じを持つのであります。(拍手)
  8. 池田清志

    池田委員長 次に、毛受信雄君から御意見の御開陳を願います。毛受信雄君。
  9. 戒能通孝

    毛受参考人 この両法案とも、民主主義の健全な発展に大きな障害を与える政治的暴力行為を排除し、民主主義を擁護し、その基盤を確立することを期することを目的とすることにおいて、その目的とするところに差異はないようでありますが、両案を比較してみまして、その差異の著しい点は、法案を見ればおのずから明瞭でありますが、政治テロ行為処罰法案の方はいわゆるテロ行為のみを取り締まりの対象としております。それに対してきわめて重い威嚇的な刑罰をもって臨んで、この種のテロ行為の予防に資せんとする考えのようであります。ところで、政治的暴力行為防止法案の方は、いわゆるテロ行為のほかに、デモその他の集会等における集団的な力による、その際派生的あるいは意識的に起こるいわゆる集団暴力、そういうものを対象といたしましてこれを取り締まる、そうして、従ってこれに続きまして、この種集団の団体行動について規制を加える、そうしてこの種の暴力行為の防止をするというところに大きな違いがあります。こまかい点におきましてはなお相当の違いがありますが、要するに、両法案のねらうところの大きな違いというものは、そこにあると思うのであります。  ところで、私は結論において、集団暴力を予防することがわが国の民主主義の正常なる発展のために必要なるものと考えまするがゆえに、政治的暴力行為防止法案の方に賛成いたしたいと思うのであります。  デモ行為に伴って行なわれました昨年の安保騒動、国会あるいは内閣総理大臣官邸に対するデモの行き過ぎというものは、単なる行き過ぎであるということを言われる論もあるようでありますけれども、しかし、集団示威運動、集団行進、その他国民に与えられておるところの言論表現の自由というものは、ともかく法律の許す範囲において正常にそして秩序正しく行なわれなければならないことは申し上げるまでもないことであると思う次第であります。   〔委員長退席、菅委員長代理着席〕 そのデモの行き過ぎとしてある種の行為を看過し得るものではないと考えるのであります。従って、先ほど来問題となっておりまするが、政治的暴力行為防止法案における第四条第一項第六号のごとき行為もこれを防止しなければならない、これに対して刑罰をもって臨むということは必要なる立法であると私は考えるのであります。この政治的暴力行為防止法案が破防法の趣旨を一歩拡大し、進めるものであるというのでありますが、従って破防法の改正でいいのではないかという説もあるようでありまするが、しかし、破防法とこの政治的暴力行為防止法案とは、その目的とするところの大小に、——大小といっては語弊があるかもしれませんが、破防法の目的とするところと、この政治的暴力行為防止法案目的とするところに、取り締まりの範囲の対象に大きな違いがあると考えまするので、破防法の規定とは別個にこの種の法を作りまして、集団、団体活動を規制するということも必要なるものと私は考えるのであります。  大体におきまして、こまかい用語上の問題とかあるいは立法技術の面におきましてこまかい点をあげればいろいろ議論をすべき点もあるように考えまするけれども、大体の方向といたしまして、政治的暴力行為防止法案がこの際立法を必要とするという考え方には、私は賛成いたしたいと考えるわけであります。  政治テロ行為処罰法案の方は、確かに、いわゆる右翼テロを排除する点において、その立案の意図せられるところはわかるのでありますが、先ほど来もお話のありましたように、刑罰を単に重くするということだけで、この種の確信犯的犯罪を防止することができるかどうか。この種のテロ行為の防止に際しましては、現行の刑法、あるいは暴力行為処罰ニ関スル法律等に適用すべき法条があります。新しく加えられようとする第十条の規定、これは実施にあたりまして相当疑問もあり、実効が期せられるかどうか、疑問の点のありますことは、先ほどもお話のありました通りであります。第十条をもし除いてということになりますれば、この種のねらいだけでは、この立法を特にしなければならないという必要性は非常に少ないものと考えまして、反対ではありませんけれども、必要性は少ないという点を申し添えておきたいと思います。  先ほど最初に申し上げましたように、結論として私は、政治的暴力行為防止法案の全体につきましておおむね賛成であるということを申し上げておきたいと思います。  なお、御質問があれば、こまかい点についてお答えをすることにいたします。(拍手)
  10. 菅太郎

    ○菅委員長代理 これにて午前中御出席参考人の御意見の御開陳は終了いたしました。  これより参考人に対する質疑に入ります。質疑の通告があります。順次これを許します。林博君。
  11. 林博

    ○林委員 ただいま参考人の皆様方の御意見を承りまして、非常にいろいろと参考になる点がございました。そこで私は、個々のこまかい点にわたる点につきましてはなかなかお伺いをする時間もございませんので、ごく大筋につきましてお尋ねをいたしたいと存ずるのであります。  まず小野先生にお伺いをいたしたいと思うのでありますが、先ほども小野先生から御指摘もありましたように、特に社会党のテロ行為処罰法案は非常に刑が重くなっておる。小野先生も刑が重過ぎることを御指摘になっておったわけでございますが、たとえばその一つをとりましても、殺人の予備、陰謀に対しまして、自民党案は五年以下、社会党案は五年以上、無期というような刑になっておるのであります。また殺人に関しましては死刑、無期というような、非常に厳罰主義と申しますか、威嚇主義をもって臨んでおるのでございますが、ただ私どもの多年の経験からいたしますと、この威嚇主義がはたして確信犯に対して効果があるかどうかということに対しまして、非常な疑問を持っております。この確信犯に対しましては、威嚇主義が効力があるかということは、従来も学者の間にも相当議論があるところではないかと思うのでありまして、あるいは不定期刑をもってしろとか、あるいは保安処分をもって臨めというような議論までなされておるところでありますが、小野先生は、この確信犯に対しまして、威嚇主義というものがどの程度効力があるものであるかということについて、まず御意見を承りたいと思います。
  12. 小野清一郎

    小野参考人 刑の実際的効果というものは、これを知ることがきわめて困難で、いろいろの統計的資料その他によりましても、効果を実証的に確定するということは、私はほとんど不可能であるとさえ思っております。なかんずく、御指摘のように、確信犯といわれるものに対しましては、ある意味で、刑が重くなればなるほど、英雄的な気持からその行為をあえてするということも考えられる。しかし私は、威嚇的効果が全くないと言うのも間違いだと思います。ある。あるが、それは個々の場合にいろいろの人にいろいろの影響を持つと思いますが、その点は一がいには申せないと思うのでありまして、やはり刑が重くなるということの効果だけを考えてはいけないので、その刑を受ける人の自由にどれだけの制限が加えられるか。紙の上で立法する場合は簡単でありますけれども、死刑とか無期とかいうことは、そう簡単に紙の上にも書くべきことじゃないと、私はそう信じております。
  13. 林博

    ○林委員 先日も私が指摘いたしましたごとく、社会党はかつて死刑廃止の法案を出しているわけです。今回の法案では非常に威嚇的な態度をもって臨んでおりますが、この点は別といたしまして、次にこの各個の条文につきまして、まず基本的になることを一点お尋ねいたしたいのであります。社会党の法案を見ますと、まず第一条は、「自己政治上の主義と相容れないことのゆえをもって」こういう規定になっております。また自民党案を見ますと、「政治上の主義若しくは施策又は思想的信条を推進し、」こういう規定になっておるのでありますが、先ほども御指摘のありましたごとく、社会党案の「政治上の主義」ということは、非常にいろいろ解釈されるとも思うのであります。そこで、社会党の提案趣旨の説明によりますと、実はこういうことになっております。「政治上の主義とは、たとえば資本主義、共産主義あるいは民主主義というように、政治によってその実現を企てられる比較的、基本的、一般的かつ抽象的な原理をいうものであり、政治上の主義、信条と解釈して差しつかえないと考えます。従って現実的、具体的な政策や、行政上の施策は含まないと解釈すべきであります。」こういうことになっておるわけであります。そこで問題になるのでありますが、このように社会党の提案者の方々のお考えによりましては、この「自己政治上の主義」ということは非常に限定して考えられておるわけでございます。従いまして、具体的な施策についてこういう犯罪が起こったというときにはこれに含まれない。先日の私の質問に対しましても、それでは今まで相次いで起こった事件のうちで、どれがこの法案政治上の主義に反するということに当てはまるのか、該当するのかという質問に対しまして、それは浅沼事件のみであるという答弁を賜わっておるわけであります。嶋中事件のごときはこの法案の中には入ってこないわけであります。ところでこの立案の最初原動力になりましたものは、嶋中事件に端を発しておると思うのでありますが、ところが一方、そのように限定されて立法者は解釈しておるにもかかわらず、先ほど団藤先生から御指摘もございましたように、政治上の議論をしておる際に、たまたまけんかになって、それからこの事件が起こったというふうな場合にも、このような法案適用されるおそれがあるというようなことでございます。  そこで、私は、問題は政治上の主義という解釈が、社会党の提案者の言うように、この法案がもしできました際に、そのように限定されて解釈されるものであるかどうか、またこれが非常に拡張解釈されて、将来とんでもないことになるのではないかというようなことも考えられるのでありますが、まな自民党の案にしても同様でございます。今までの破防法に適用された概念に沿いまして、思想的信条ということが入っておるのでありますが、こういうような立法にあたりましては、このような概念規定を持ってよろしいのでありましょうか。将来、乱用というか、法というのは立法者の意思を離れて独走するものでありますが、各国の立法例を見ても、このような規定の仕方をしておる立法例がございましょうか、またこのような規定の仕方で妥当であるとお考えでしょうか、これを一つ小野先生、団藤先生並びに戒能先生にお尋ねをいたしたいと思います。
  14. 小野清一郎

    小野参考人 政治上の主義という言葉は両案に共通しております。これは広くも、狭くも解釈できると思います。ちょうど政治というものの概念の範囲も、場合によって、いろいろに限定されて考えられるのでありますが、この自民党の案のようだと、並べてあるから主義というものが狭くなって、それからそのほかに施策とか思想的信条というようなことが規定してある以上は、主義の方は狭く解釈される。しかし私はもしこの社会党の案が通りますと、主義というものは相当広く解釈されるだろうと思うのであります。  それで、立法例とおっしゃいますが、これは今資料をここに持っておりませんが、かつてドイツにゾチアリステン・ゲゼッツという社会党取締法というものがあった時代もございますが、今日それはない。それからある意味では治安維持法とか、ああいうものも、その背景はやはり政治的な主義の問題があったと思うのですけれども、露骨に、かように政治上の主義だとか、施策だとかいうことを法文の上に現わしたものは、もしあったとすれば、私今ここには資料を持っておりませんが、過去の第十九世紀の終わりごろのゾチアリステン・ゲゼッツなどにあるいはあったかもしれません。そのほかにフランスにもたしかアナーキスト——無政府主義取締法があった時代があると記憶しますが、何分にも資料を持ち合わせませんので、もし御要求があれば取り調べます。
  15. 戒能通孝

    戒能参考人 政治上の主義と申しますと、私もやはり社会党の御提案者説明がほとんど尽きているんじゃないかと思いますけれども、先ほど団藤先生がおっしゃられて、ああそういうこともあったということをちょっと気がついたわけであります。政治論をやっておるうちにけんかしちゃったというふうなことがあるということ、これはちょっと大へんなことになるなという印象を持ったわけでございます。しかし問題はやはり何といっても立証の問題じゃないかと思います。つまり政治上の主義による殺人傷害であるかどうかというふうに立証されるかどうか、そこが問題じゃないかと思っているわけであります。検察側の立証と、それを裁判所がどういうふうな心証をとるかというところに問題があるんじゃないかと感じているわけであります。従って、立証が困難であれば、これは政治上の主義による殺人傷害にはならないという結果になってくると思います。つまりもっとはっきり申しますると、被告人自身あるいは被疑者自身が何と自白するかというところに問題はかかってくるのじゃないかと思っています。従って自白の誘導その他の問題が起こる可能性はないとはいえないという印象を持ちます。  それから、古い立法例の問題でありますけれども、私も資料を持ってきませんでしたので、明確に申すことはできませんけれども、アメリカの初期の法律なんかには確かにあったような気がいたします。つまりアメリカ独立後、アメリカの革命政府といいますか、独立政府ができたあと、反対派に対しまして鎮圧をしなければならぬというふうなときには、主義の問題が出てきた法律はあったかと思うのであります。要するに、革命当時とか独立当時とかいう場合であって、反対派があって、どうしても鎮圧しなければ国家的統一が保てないというふうなときには、主義の問題は立法的にも出てきた例はあると存じますけれども、しかし平時の場合におきましては、主義はあまり問題になっていないという印象を持っているわけでございます。
  16. 林博

    ○林委員 団藤先生にお答えを願う前に、先ほどの質問にちょっと追加をしてお尋ねをしたいと思います。この自民党の案によりますと、具体的な施策の場合も問題になるわけで、そうしますと、たとえば国会内において議長をカン詰にしたとか、あるいは傷害が行なわれた、それが政治上の目的を持った場合には、これも適用されるということになるわけでございます。そういうことにも関連をいたしまして、それも含めまして、一つ先ほどの質問に対して御答弁願いたいと思います。
  17. 団藤重光

    団藤参考人 私も林議員と全く同じ疑問を持っております。
  18. 林博

    ○林委員 いま一点だけお尋ねをいたしたいと存じます。これは、社会党案の第十条、先ほどいろいろ御指摘がございました、それから自民、民社案の第二十四条、これと憲法との関係ですね。言論の自由と憲法との関係について、御意見があれば、小野先生、戒能先生にお伺いしたいと思います。
  19. 小野清一郎

    小野参考人 憲法というものはそうこまかなことでなしに、原理的な規定でありますから、そしておおむね原理的な規定であるだけに抽象的であって、具体的な立法の際に、どの程度の立法が憲法に矛盾するから無効であるとか、そういう問題になれば、非常にむずかしいと思います。精神からいえば、社会党の案の第十条と、それから自民党の案の第二十四条でありましたか、いずれも好ましくない、しかし制度としては、これをおきめになった場合、これが有効であるか無効であるかなんということは、最高裁判所の判断に待つほかない。私としては、単なる見通しとしてなら、現在の制度における最高裁判所はこれを無効と宣言しないだろうと思います。それはしかし事実の見通しの問題、ザインの問題でありまして、私がさっき第二十四条に反対いたしました趣旨は、憲法の精神にもとると、こういう考えからであります。
  20. 菅太郎

    ○菅委員長代理 発言者は団藤先生の御意見もお聞きになりたいですか。
  21. 林博

    ○林委員 戒能先生に。
  22. 戒能通孝

    戒能参考人 私も多分小野先生と同じような結論になるのじゃないかというふうに、事実としては見通しておるわけでございます。そして問題は、どうした事件が起訴されるかということによって結論が違ってくるのじゃないかと思っているわけであります。ただしかし憲法に合致するということは、これはいい法律であるということにはならないと思うのでございます。憲法にどうやら合致しましても、中身が悪ければ、やはり悪い法律ということになるのじゃないかと思うのであります。社会党案第十条、それから自民党、民社党案第二十四条というものは、かなりしぼってあるように思いますので、この表現の自由はあるけれども、明白に現在の危険がある場合には、表現の自由の制限は合憲であるという論理におそらく入るのじゃないかとは思いますけれども、しかし若干両方とも行き過ぎになる可能性はあるのじゃないかと思うのでございます。たとえば、政治的殺人をしたといたしましても、昔の話ならばずいぶんございました。藤原鎌足が政治的殺人をしても、藤原鎌足がお宮を作ったということでございましたら、だれも起訴する人はいないだろうと思います。犯罪だと言う人はいないだろうという感じがするわけでございます。どんな事件が起訴されるかということによって中身が違ってくるということになりまして、一たん起訴されると、だんだん拡大されるという印象を持っているわけでございます。
  23. 菅太郎

    ○菅委員長代理 小島徹三君。
  24. 小島徹三

    ○小島委員 私は戒能先生に一点だけお伺いしたいと思いますのは、先ほど先生のお話の中に、社会党提案政治テロ行為処罰法案は別として、自民党提案法案というものは、むしろ政治活動を制限するおそれがあるものであるということをおっしゃっております。私は、社会党の提案にいたしましても、自民党の提案にいたしましても殺人なんか行なわれた場合に死刑を課するということになっておりますが、殺人をしたときは死刑を課することは現行法にもあるわけでありまして、結局この法案目的とするところは、社会党案にいたしましても、自民党案にいたしましても、個人の言論の自由とか、つまり大きく言えば民主主義を守っていうこというところに目的がある、そう考えますと、先ほど先生のおっしゃったように、社会党提案は、これはテロ防止の方はむしろ隠密の間に行なわれるものである、自民党の提案なるものは集団的なものは公然とやられる、そこに非常に差違があるのだということをおっしゃいましたが、両法案目的とするところは、個人の政治の自由、思想の自由、つまり民主主義を守るのだということにありますならば、隠密に行なわれようと、集団的に公然と行なわれようと、私はどちらも規制すべきものではないか、かように思うわけであります。従って私といたしましては、政治テロの社会党案だけで十分であるとは考えられないのでありまして、自民党提出のこの法案政治的暴力行為に対する規制法案としてこれも必要とするのだ、こういうふうに考えるのですが、先生の御意見はいかがでございますか。
  25. 戒能通孝

    戒能参考人 自民党案で特色のある点は、デモンストレーションの禁止、つまり国会及び内閣総理大臣官邸に対する乗り込みの禁止というところが特別に強く出ていることだと思うのでございます。もちろんこの行為でありましても、現行法のもとにおきまして、住居侵入罪とかあるいは暴力行為処罰法に違反するとかいう事実は起こって参りますので、現行法でかなりの程度まで制限されている。むしろ現行法でおそらく全部制限されていると言っていいと思うのでございます。問題はむしろそれを団体にまで拡大しているというところに重要な点があるのではないかと思います。私も死刑廃止論者ではございませんので、刑法が一定の条件のもとに死刑にするということに対して反対はしておりません。従って、政治的殺人がときによって死刑になるということは、これは当然あり得べきことだと思っております。それから、個人的な恨みも何もない人に対する殺人行為殺傷行為は、相当重い刑罰を課するのがしかるべきものだと感じているわけでございます。ただしかし、これは刑法にまかしておいていい程度のものが社会党案に出てきているものでございますから、しいてこういった法律案は要らないのじゃないかというふうに申し上げたわけでございます。ところが自民党、民社党の案の方でございますと、刑法規定のない条文が出てきた、しかも団体の規制まで出てきておる。この団体の規制というものは、実際やってみますと、ちょっとやられたらぶっこわされてしまうことがはっきりしている。安保条約の問題について私は反対したわけでございますけれども、実際デモンストレーションをやってみますと、いろいろな人が入って参ります。つまり気心の知れない人、顔を見たこともない人が実際入ってくるわけであります。従って、これらの人々に対して公然たる活動をしなければならないというのが大衆行動の原則であります。その中には気性の激しい人がありまして、若干の条例違反をやるかもしれません。しかしそれも入ってはいけないとは申せませんし、予備審査もできないわけでございます。従って、だれかがこうしたことをやるというふうなことを実際通報しますと、すでにデモンストレーションの計画そのもの、集会の計画そのものもこわされてしまうということも起こってきて、だめにされてしまう、これだけは明らかだと思うのでございます。さらに団体の規制というものは、先ほど団藤先生がおっしゃった通り、合法的な活動まで一定期間停止されてしまうわけでございます。集団的な行動というものが、ある種の施策について賛成しもしくは反対する場合には、不可能にされてしまうということになることをおそれるわけでございます。私としては、どうしても第四条の第一項六号という問題を、これは性質の違うものがこの中にまぎれ込んできているのだというふうに感じないわけには参らないわけでございます。
  26. 菅太郎

    ○菅委員長代理 猪俣浩三君。
  27. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 小野さん、団藤さんあるいは戒能さん、お三人にいずれも御意見を承りたいと思うのであります。さきの小野先生の御発言中にありましたが、自民党案あるいは社会党案をなるべく一本にしたらどうかという御発言がありまして、一本にするような交渉もあったわけでありますが、ただどこでわれわれが一致できないか。いずれも政治テロ行為、民主主義を破壊するような行為に対しましては反対であります。   〔菅委員長代理退席、林委員長代理着席〕 これを刑罰法案として出す際にどうしても一致できなかったことは、さっき戒能先生もおっしゃいましたが、テロ行為なるものと集団行動なるものとを同じ政治的暴力行為として、同じ一つ法案でこれを処罰する。要は、浅沼事件以後盛んに唱えられましたテロも悪いがデモも悪い、こういう世論に便乗したと私どもは思う。そこで一体、自民党案の政治的暴力行為防止法にありますところの、政治的暴力行為として第四条の三号以下、こういうものと一号、二号、人を殺すこと、人の身体を傷害すること、こういうものとは保護法益が全く違っているものじゃないでしょうか。人の生命、身体、それを直接法益とするということと、その他のいわゆるへいを乗り越えることだの、威嚇、脅迫、器物をこわしたことなどということと同じ法益のようにして、これを一からげに政治的暴力行為として規定したところに私どもと根本的対立がある。一体刑法学者として、そのような全く法益の違うもの——第一に法益が同じかどうかを聞きたい。自民党案の第四条の三号以下の法益と一号、二号の法益とは、一体法益の性格が同じものかどうか。しかもこれを同じく政治的暴力行為としたこと、これが一体妥当であるかどうか。小野先生はやはりこういう集団暴力というものをテロ行為と並立的に処罰するということに対しては、あながち反対でもないようにお聞きいたしましたのですが、私どもと自民党との根本的対立はそこにある。その点について、私はお三方の意見を聞きたいと思うわけです。一体、法益についてどうか。これを一からげにして、政治的暴力行為として処罰することはどうか。私どもはデモの行き過ぎを放任せよと言うのではありません。それはそれとして、現行法の罰則規定を改定するなり、あるいはそれ自体に対する特別法を作ってもいいと思うのです。しかし、この政治テロ処罰する、浅沼刺殺事件のごときものを根絶せんとするわれわれの決意を明らかにする意味において、そういういろいろなものをひっくるめるということが、予防的見地から見ましても、このテロ行為なるものが、人の生命身体を殺害することがいかに民主政治下において凶悪むざんなものであるかということを、強く国家の権力意識として打ち出す意味において、私は不適当だと思うわけです。そこでそれについての御所見を承りたいと思います。
  28. 小野清一郎

    小野参考人 確かに第四条第一項第一号、第二号あたりの殺人とか傷害とかいう人の生命、身体を直接の保護法益とする規定、それから第六号——第七号、第八号に反対であることは、先ほどるる申し述べましたのですが、第六号のごときは、法益が違うとおっしゃれば確かに違います。第六号のねらいは、おそらくやはり国会における審議が阻害されないようにというような、そういう意味のやはり一種の政治的な法益を保護するものであろうと解されます。今日の刑法は、もちろん、個人の生命、身体の保護を目的としております規定もありますが、刑法の法典でも、御承知のように、政治的な秩序、法律的な秩序、一般の侵害をも規定しているのでありまして、これを一緒規定することが当を得ているかどうかということは、はなはだむずかしいのですが、基本になる刑法では一緒規定されておる。この臨時立法において、テロ行為と集団行動の行き過ぎとを同時に規定することが当を得ているかどうかということが最後に残る問題だと思いますので、その点はいろいろ見解が分かれると思いますし、政治的な立場の相違が、おっしゃるように、二つ法案一つに合標することを不可能にしていることもよくわかります。わかりますが、これを一緒規定しては絶対にいかぬというほどのことは、私ども第三者から見て言えないのではないか。やはり昨年来の浅沼事件、嶋中事件のみならず、その他のテロ行為を憎むべきことは申すまでもありませんけれども、それとの関連が、集団行為行き過ぎとそれらと全く関係がないとも言い切れないのではないか。そこで立法は便宜の問題でありまして、お話のように、これを別個に立法するなら差しつかえないとおっしゃるのでありますが、別個に立法ができるならば、それもけっこうである。むしろ理論的には法益が違うからというので、別個に規定することも一つ立法の方法だと思いますが、便宜上一緒規定することは、絶対に許されないというほどの理屈もないように思われます。
  29. 団藤重光

    団藤参考人 私は第四条の三号以下の場合でありましても、場合によってはそれがテロの本質を持つ場合がないとは言えないと思います。言えないと思いますけれども、しかしそれよりも一そう起こり得る場合として、労働運動なりあるいは大衆運動の弾圧になるおそれがあるのじゃないか。すなわち、このような三号以下の行為については、テロ行為的なものとして行なわれる場合があると同時に、表現の自由という形で集団行動が行なわれる。それが行き過ぎになったという場合を含むので為りまして、その行き過ぎになった場合は、むろんこれは違法であって、押える余地はあるのでありますけれども、いわゆる問答無用ということで政治的な対立を暴力によって直接行動で解決してしまうという行き方ではない。表現の自由としての集団行動という形をとっていく。ただ、それが行き過ぎになった場合とでは、本質的な違いがある。すなわち三号以下の場合には、三号から六号までの間にはその両方の場合を含むのでありますが、むしろ後者の場合をよりよけい含む可能性があるのではないか、そういう意味で一、二号と三号以下とははっきり区別しなければならない。三号以下はむしろ削る方がいい、かように考えております。
  30. 戒能通孝

    戒能参考人 非常に観念的な法益論ということになって参りますと、これは確かに観念的には違いますけれども、政治上の主義あるいは施策という形をくつけることによりまして、観念的には同じにすることもできるのじゃないかと思っております。しかし問題の本件は必ずしも形式論ではない。法益が一致しているか一致していないかということではない。どういうことがテロなのか、どういうことを鎮圧しなければならないのかということにかかっているのではないかと思っているわけであります。私も殺人、傷害ということ、特に政治上の殺人、傷害というものにつきましては、大いに憎みたいと思います。従って、これに対して阻止する方法があれば、できるだけやりたいと思うわけでございます。しかしその政治上の殺人、傷害があって、それに対する憎悪心が非常に強い、それを利用してデモまで、集団行動まで規制しようとか、あるいはまた一般的な強要罪と申しますか、一般的な集団強要というものまで規制しようというところに問題が非常に実体的にあるんだ、観念的な問題ではないというふうに感じているわけでございます。
  31. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私どもがこのテロ行為を特別立法といたしまして厳罰に処した理由のものには、日本の歴史、伝統が含まっているわけであります。それはやはりそういうわれわれの過去の苦い一人一殺主義の血盟団式の思想が現在も残っておる証拠には、テロも悪いが、デモも悪いのだ、そうしていかにもデモそのものの行き過ぎから浅沼事件が起こったがごときことを世間に宣伝しておる国家公安委員さえある。しからば山口二矢なるものがいかなる理由で浅沼を刺殺したのであるか、デモの行き過ぎから刺殺したのであるか、幾ら右翼の没理性的な人間といえども、さような飛躍した論理をとるはずはありません。国会に侵入せんとしたことが行き過ぎだから浅沼を殺してしまうなんという、そういう理由はない。これはもうすでに国会でも明らかになりましたが、中共の指令書なるものが日本の総評や社会党を動かして、国際共産主義の手先になってやっているのだ、その認識からきたことは明らかである。彼が最後にアジア反共青年連盟に身を置いて、浅沼を刺殺したことでも明らかである。しかも、この指令書なるものは、まっかなにせものであって、これを作ったものの中には、国際的な暴力団体があるにおいがするのでありまして、さような現実だ。しかるに保守政党その他の人たちは、いかにもデモからああいう治安撹乱の一人一殺が起きたがごときことを宣伝し、その宣伝に乗ってこの法案ができておるものであります。私どもはこれはおそるべき結果を来たすということを極力主張してきておる。なぜなら、過去において、血盟団事件においても、一人一殺も悪いかもしれないが、政界が腐敗している、財界も腐敗しているということで、かような軍部や右翼団体の宣伝に乗って国民が人の命をとるというようなことを容認するような傾きがある。これが個人テロから集団テロに発展して日本の運命を狂わしたじゃありませんか。われわれはこういう過去の歴史にかんがみまして、デモも悪いがテロも悪いというような全く法益の違うものを一つ処罰法案にすることに反対してやってきたわけであります。  それと関連いたしまして、刑が重いという批評があるわけであります。しかし、わが国におけるこの天誅思想なるテロ思想、これを根絶する予防対策として、やはり重刑というものが必要だということが出たのでありますが、私がお聞きしたいことは、一体自分と考えが違うということで、人の命をとるというようなこと、その凶悪性において強盗殺人、あるいは怨恨による殺人より以上に凶悪性を持っている。なぜなら、それはもう人の生命をとることが目的であり、謀殺である。そうして周到な計画のもとに、しかも人の思わざるところにやみ討ちをやる。諸般の点について、強盗殺人などより重い。強盗は物をとるのが目的であります。たまたま他人から騒がれてついに殺すということが起こる。物をとれば目的を達することは、大野伴睦氏の遭難事件で明らかじゃありませんか。あれが政治上の主義で来たのなら、必ず命をとっていきますよ。しかし物が目的だから、金を与えられたらそのまま感謝して帰っておる。ですから、強盗殺人犯人より、怨恨はもちろんのこと、個人的の恨みからやる、こういうことから考えると、私はその凶悪性において、自分と考えが違うからといって相手の命をとるということは、極悪むざんな行為だと思うが、それに対しまして、一体これは刑が重過ぎるというような結論が出るでありましょうか。もちろん厳刑に処することによって予防の目的を達せられるかどうかは別問題といたしまして、全地球よりも重い人の命をとるということが凶悪であるならば、そのうちの最上のものはこの政治テロだと私は考えております。それに対する小野先生ほかお三人分意見を承りたいと思います。
  32. 小野清一郎

    小野参考人 政治的なテロ行為政治的な主義が一致しないからといって人を殺すというようなことがきわめて凶悪な犯罪であるということについては、全く御意見と同じであります。しかし、強盗殺人と比べて一がいに、この政治犯人、一種の確信犯というものが、常にその方が凶悪であると言い得るかどうか、強盗殺人といいましても、具体的な事犯はいろいろありまして、一がいには言えないと思います。ですから、この立法としてテロ殺人を普通の殺人より、あるいは強盗殺人よりも重い法定刑規定するということには一向反対ございません。ことに限時立法としてなさろうというのでありますから、お考えはよくわかります。わかりますが、たとえば社会党案の第四条の、殺人の場合には死刑または無期であるのみならず、未遂もまた同様であるということになり、予備陰謀は無期または五年以上の懲役である。こういうことは今までの立法例に徴しましてもちと重過ぎやしないか、やはり殺す者も人間であるということをお考え願いたい。
  33. 団藤重光

    団藤参考人 私はたとえば強盗殺人との比較以外に内乱予備との比較をも考えてみたいと思うのであります。内乱の予備、陰謀は一年以上十年以下の禁錮でございます。この場合はなるほど民主主義の建前として許すべからざる行為であるということが言えるかもしれませんが、しかし内乱罪においても同じようなことが言えるのであります。内乱罪の場合にも殺人を伴う場合は幾らもあるのであります。内乱罪の予備、陰謀と比べて、あまりにも刑が重いという感じがするのであります。
  34. 戒能通孝

    戒能参考人 私観念的には猪俣委員のおっしゃった通りでございます。賛成いたしたいと思います。がしかし、問題は刑法にも、人を殺した者は死刑、無期懲役、または三年以上の有期懲役に処するという条文がございますので、死刑をも含み得る、無期懲役も含み得る。裁判所がそれに対して適当な死刑を選択し得るということになっておるのでございます。従って裁判所がもし不適当な刑を選択した場合におきましては、その判決に対して大いに批評して、それからまたそれを世論の前に出していただくことの方がより重要じゃないかと思っておるわけでございます。
  35. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私どもは、この殺人は生命の尊重、人格の尊重を基本といたしております民主主義、民主政治の根幹をゆるがすものであるという観点についてその凶悪性というものを考えているわけでありますが、その意味においては強盗殺人や怨恨の殺人なんかよりは民主政治の維持発展というところから見ると、民主社会を防衛するためには、その対象としては最も凶悪性のものだというふうに考えるわけであります。なお今裁判の結果という戒能先生の御意見がございましたが、過去におきましていわゆるテロも悪いがデモも悪いという国民感情を反映いたしましてか、この一人一殺主義者に対しまする裁判というものが刑が軽過ぎる。それは遠く大杉栄夫妻及び宗一という七つの子供、三人の生命を奪った甘粕は十年の懲役、しかも四年で仮出獄して満州国へ行って活動しておる。現在右翼団体の総元締をやっております日本愛国者協議会とかいう団体の議長をやっておる佐郷屋嘉昭、彼は浜口さんを狙撃した。もちろん死に至らなかったけれども、それが原因となって翌年なくなられた。これも現在もう出獄して盛んに活動しておる。その他血盟団事件の井上日召、これも四年で出獄しておる。小沼正、その他橘孝三郎、みんな恩赦で出獄してしまった。あれだけの血盟団事件として天下を聳動しました者にして死刑になった者は一人もいない。結局これはテロも悪いがデモも悪いというような俗論にこびた裁判をやったのじゃなかろうか。これがいかにわれわれの民主政治を破壊する軍部独裁を助長したか、私どもはこういう過去のなまなましい欠陥を知っておりますがゆえに、こういう特別立法によって国家の意思を明らかにしなければならぬと思ったわけであります。過去の一人一殺その他のいわゆる政治テロ事件に対します裁判の結果というものに対して、一体どういう御感想がありますか、承りたいと思うわけであります。これは小野先生ほか御三人の方にお願いいたします。
  36. 小野清一郎

    小野参考人 過去の裁判についての感想をということでございますが、これはそれぞれの具体的な事件内容を十分に審査した上でなければ、死刑を言い渡さなかった裁判が不当に軽かったということも直ちに断定いたしかねます。おおむね軽過ぎたという点では私も感想は一致しておりますけれども、はたしてその具体的事案に対して死刑が相当であったとも言いかねるという場合もあると思います。この法定刑を高めるということは、裁判における宣告刑を自然重くするという多少の効果は確かにあります。もしそれをねらわれるならば法定刑を重くするということに意味がありますけれども、同時に私は、御承知の通り目的主義者じゃないので、防衛目的だけで刑罰を論ずるということは、とかく個人に対し過酷になりやすいのであります。刑を受ける者はことごとくこれ国民でありますから、そういう点を十分に考慮するのが、応報刑といわれますけれども、実はこの方が自由主義なのでありまして、目的一辺倒は私は賛成いたしかねます。
  37. 団藤重光

    団藤参考人 私は過去の裁判のことを正確に記憶しないのでありますが、二、三の例だけで申しますと、たとえば神兵隊事件の民間被告に対する刑の一免除判決などは、これはどう見ても十分納得がいきませんでした。それに反して、たとえば浜口首相暗殺事件の佐郷屋留雄に対しては、これは死刑が確定いたしましたが、数次にわたる恩赦でもって、結局比較的短期に釈放になったのでありまして、これなどはむしろ裁判よりは恩赦の運用について問題があるように思うのであります。その程度でごかんべん願いたいと思います。
  38. 戒能通孝

    戒能参考人 私も原則として、過去におきましては、たとえば大杉栄氏を殺害したような事件につきましては、刑は軽過ぎたという印象は持っているわけであります。しかしその軽い刑を言い渡した社会的環境が何であったかということがより重要であると思っております。現在のように民主主義的勢力がしっかりしているならば、裁判所も大杉栄氏を虐殺した犯人に対して非常に軽い刑を言い渡すことはおそらくなかったろうと思います。また浜口首相を暗殺した佐郷屋に対しまして、確定した死刑判決があるにかかわらず、数次の恩赦によって現在釈放されている。しかも現在におきましては、恐喝、それから暴力行為処罰法違反などを繰り返しておるというふうな事実は起こらなかったであろうと思っているわけであります。一番重要なことは、刑罰が法定刑として重いのではなくして、観念的な言葉になってしまいますけれども、民主主義的な勢力を確立していくことであると感じているわけであります心もしそれがございませんと、死刑もしくは無期懲役ということにしておきましても、やはり情状酌量、酌量減刑というふうな形でずっと刑は減らされていく、そして恩赦されるというふうな事実が起こっていくのではないかと思っておるわけでございます。私自身むしろ社会党案に対して非常に大きな危惧の念を持ちましたのは、これは猪俣議員にも申し上げたことがございましたけれども、この案を提出されることによりまして、テロも悪いがデモも悪いというふうな形で相打ち案みたいなことが行なわれはしないか、むしろ対立案のようなものが出されるととをおそれたわけでございました。
  39. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 確信犯人に対する刑罰の効果というものについては、これは純然たる法律論でありますからここに省略いたします。刑罰の効果というものを認めないとなると、一体刑罰を付した法律なんて意味ないことになる。自民党案も同じことです。これは私どもは一般予防を確信してこういう立案をしたわけでありますが……。  そこで、なお社会党案は刑が重いようなお話でありますけれども、これは自民党諸君になお審議の将来にわたってお尋ねしてみたいと思いますが、今問題になっておりまする第四条の第六号で、へいを乗り越えただけで七年の懲役にされるわけです。へいを乗り越えたというのは、現行法は軽犯罪法であって、ごく軽微なものに取り扱っている。これをいきなり七年とやった。そうするとこれは私は非常なとっぴもない重刑だと思うわけです。たとえば人を殺した者でも、自民党案なら、第十四条を見ると、最低七年になっている。へいをぴょんと飛び越えた者でも、人を殺した者でも、同様の刑を課することができるわけです。人を傷害した者になると、自民党案の第十五条では一年である。へいをぴょんと飛び越えた者が七年なのに、人を傷害した者が一年、傷害致死でもって第十六条で三年です。第四条第六号の規定を置かなければならぬとかりにいたしましても、刑の均衡、あるいは重いとか軽いとかいう問題になってくると、これは一体どういうふうに説明したらいいか。これは諸先生方はみなあまり賛成なさっておらなかったのでありますが、刑そのものの規定として、一体へいを乗り越えたような者に七年というようなことは妥当でありますかどうか、これも御三人から御意見を承りたいと思う。
  40. 小野清一郎

    小野参考人 現行刑法の解釈といたしまして、これは住居の場合だったと思いますが、不法侵入罪、住居侵入の罪は、へいを乗り越えただけで成立するような判例がございます。しかし国会は住居ではございませんから、私はその点は解釈上まだ疑いが残っている、判例として確定していないというように記憶しております。しかし建物の中に入れば、これは明らかに建造物侵入になります。国会だとてそれは当然であります。しかし、国会はあたかも民主主義を守るための特別の殿堂ではないでしょうか。そういう点をお考えになったらいかがでしょうか。
  41. 団藤重光

    団藤参考人 私はこれについては刑法の三年以下の懲役で十分であろうと思っております。
  42. 戒能通孝

    戒能参考人 私ももちろん重過ぎるというふうに感じております。しかしそれよりも重要なことは、国会の構内あるいは首相官邸の構内に侵入することにつきまして、未遂罪を処罰する規定が出ていることでございます。つまり、入ろうとする気勢を示したというだけで処罰されるということでございます。別にこの処罰されるということは、デモンストレーションを本気になって組織する人に対しては大してこわいことではないと思っております。これは確信犯でございますから、別に処罰自身がそんなにこわいというふうには感じないと思います。それから裁判所もそんなに重刑は課さないであろうと思うわけであります。それよりも重要なことは、この未遂罪ということを理由にいたしまして、しかも通報ということを理由にいたしまして、第六条でございましたか通報の規定がある。これを理由にいたしまして、何か悪いことをしそうであるからというので途中でとめられてしまうということにかかってくるのではないかと思っているわけであります。
  43. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 これは先ほど小野先生がおっしゃった扇動規定ですが、実は社会党案にも扇動規定があるわけです。おそらく自民党案と同じじゃないかと思うのですが、社会党案は第三条です。そこで一体「この法律において「せん動」とは、特定行為を実行させる目的をもって、文書若しくは図画又は行動により、人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめ又は既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいう。」というのは、これは実は破壊活動防止法にあります条文の文句をそのままそっくり借用してしまったわけであります。破壊活動防止法の第四条第二項にやはりそれと同じような文句があるわけであります。それを借用したわけであります。  そこで、扇動教唆の違いですが、小野先生に言わせれば、これは教唆ではないとおっしゃられるのですが、破防法ではこれは扇動といっておる。そこで一体扇動教唆の区別はどこにあるのかという問題になるかと思いますが、先生の御意見を承りたいと思います。
  44. 小野清一郎

    小野参考人 これは、学者によりましては、教唆扇動とは同じではないかとおっしゃる方もあります。たしか牧野先生もそうおっしゃったことがあるように記憶しております。しかしやはり教唆と区別して扇動という言葉がだんだん使われてきているのは、語感の上からしてすでに違っているからでありましょう。それを概念的にせんさくいたして参りますと、扇動は、たとえば大衆に向かって扇動するのでも扇動である。教唆特定の人に向かって特定行為決意せしめることであります。その点に違いがある。だいぶ違うと思うのであります。ですから刑法プロパーでは教唆というものは罰しますけれども、扇動を罰する規定はない。だいぶ行為の実質に違いがあるのではないかと思います。
  45. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 一般特定人にやれば扇動で、特定人ならば教唆だということであります。それはわかりますが、扇動の結果、被扇動者がある犯罪行為決意を一体扇動の場合には要するのか、教唆の場合にはもう殺人の教唆などには被教唆者が殺人の決意をして、その決意に基づいて殺人を断行したということが刑法教唆になっておりますが、独立罪として扇動罪を処罰する場合におきまして、扇動したことによって相手の決意が生じたことが必要であるのかないのか、そういうことによって教唆扇動を区別する点があるのかないのか、その御意見をお伺いいたします。
  46. 小野清一郎

    小野参考人 教唆は、刑法上の教唆犯といたしましては、相手が決意することが必要であるのみならず、それを実行することが必要であるということになっております。扇動というのは初めから独立して扇動行為そのものを罰する場合に用いられるのでありますが、ただ、この教唆行為をも独立に罰する場合がだんだんと特別法で認められて参っておりますことは御承知の通りであります。その場合に、やはり教唆行為自体を罰するのであります。そこで扇動行為は初めから独立の罪として罰するのですが、行為そのものだけをとって考えて、そこに違いがないならば何も特に扇動という概念はそこへ必要としないだろうと思います。
  47. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 この自民党案によりますと、目的の第一条に「政治上の主義若しくは施策又は思想的信条を推進し、」とありまして、相当社会党と違っておるところがあります。思想的信条という定義でありますが、これは一体どう解釈したらよろしいか、団藤先生にお伺いしたいと思います。なお、限定して参りますが、この中に宗教的の信仰が含まれるのか、含まれないのか、それが重点になるのです。
  48. 団藤重光

    団藤参考人 私はその点は実はわかりませんので、おそらく宗教的なものも含めて広く思想的な信条一般をさすのではなかろうか、そのためにこれは非常な不確定な範囲の広いものになるおそれがあるのではないかというふうに思っております。万が一この法律が出て参りますれば、あるいは限定的な解釈をするかもしれませんが、しかし広くなるおそれは十分にあるように思います。
  49. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 これはちょっと今記憶しておりませんが、国家公務員法だかあるいは労働組合法だか何かに、思想的信条という言葉があるかと思うのです。私、調べたのですが、それをきょう持ってきませんでしたが、ただし私の記憶によれば、思想的信条という中には、必ず宗教的の信仰のみをいう場合と、あるいはそれよりも広くいう場合とがある。しかしいやしくも思想的信条というのには、宗教的信仰の問題、宗教的な世界観というものが必ず含まれるような学者の解釈だと私は記憶しておるのです。ところが自民党諸君の提案者説明によりますと、宗教的信仰問題を含んでいないのだというお言葉があったかと思うのです。そこで今お尋ねするのです。そうすると一体思想的信条というような言葉はほかの法律にあって、その学者の解釈というものは信仰的な問題を含むというふうに通説がなっておるわけですが、しかし、同じ言葉を使っておって自民党の諸君は、これは宗教的信仰を含まないのだというような説明をされておる。これは今団藤先生がおっしゃったように危険だと思うのですが、それについて戒能先生の御意見を伺いたいと思います。
  50. 戒能通孝

    戒能参考人 私も思想的信条という言葉がどの法律にあったか、ちょっと覚えておりませんが、信条という言葉は労働基準法にも入っております。この信条という中には、これは思想だけでなく、宗教的信条も含むというふうに通説は理解されておると思います。
  51. 猪俣浩三

    ○猪俣委員 私はちょっと用事ができましたので、この程度で終わりたいと思います。
  52. 富田健治

    富田委員 ちょっと関連して——ただいまの問題ですが、小野先生は思想的信条に宗教的信条が入ると思われるのですか。
  53. 小野清一郎

    小野参考人 思想的信条といえば、歴史的な伝統に従えば宗教的信条を含むのです。しかしこの際、私は自民党員ではありませんが、ただこの法案では宗教的なものを含まない意味だろうと解釈されるのは、もともと政治的暴力行為防止法なのでありますから、思想的といっても、政治的な意味を持った思想である。従いまして、宗教といえども全くこれをのけものにすることはできないと思います。宗教が社会的、政治的な意味を持ってくる場合には、やはり含まれる、こう解釈しなければならないと思います。従いまして、私も団藤参考人と同じで、この「思想的」を入れることには非常なちゅうちょを感じます。むしろ反対します。
  54. 林博

    ○林委員長代理 坪野米男君。
  55. 坪野米男

    坪野委員 私、参議院の方に参っておりまして、小野先生その他の先生方の御意見を聞いておりませんので、あるいはもう答弁済み、あるいは御意見の中で回答済みの質問もあるかと思いますが、そういう点は御注意いただいてけっこうでございます。時間の関係もありまして、私の疑問に思っている点をなるべく簡単に要点だけお尋ねしたい、特に小野先生に私はお尋ねしたいと思うのでございます。  この種の治安立法は、必要最小限度のものでなければならないということが私ども社会党の考え方であり、同時に自民、民社案も同じ考え方に立っておると思うのでございますが、私のお尋ねの第一点は、自民、民社案が、はたして必要最小限度の法案であるか、あるいは不必要の条項が相当多いのではないか、こういう質問なんです。私は、自民、民社案が全部不必要だとは申しません。社会党案と共通の点もございます。またわれわれ社会党案も、これではたして社会党の主張するように、必要最小限度の法案なりやいなやという点は、党内では論議いたしましたが、若干われわれも疑問に思っておりまして、刑法学者その他の学者、あるいは国民の良識ある世論を聞いて、不要であるという点についてはわれわれは再考しなければならないと考えておるわけなのであります。特にお尋ねしたい点は、社会党案も同様でしょうけれども、主として、自民、民社案は、これで必要最小限度のものだとお考えになっておるかどうかという点を、最初にお尋ねします。
  56. 小野清一郎

    小野参考人 先ほど意見を申し述べました際に、数カ条はぜひ削除してもらいたいという意見を申し上げたのですから、それは速記録によって御了承願いたいと思います。  それ以外におきましては、一応自民党案に、いずれかといえば、私は傾くわけですけれども、刑法というよりは全体、この刑法だけではないのでして、団体の規制ということはよほどむずかしいことだと思いますので、私としてはなるべく自分の専門の罰則関係を申し上げたいと思うのでありますが、団体の規制については、どういうものであろうという疑問は持っております。   〔林委員長代理退席、委員長着席〕
  57. 坪野米男

    坪野委員 では具体的にお尋ねしますが、自民党案の政治的暴力行為の中に、逮捕換監禁罪、それから強要罪、暴力行為処罰ニ関スル法律違反、住居侵入、こういう社会党案にない案が出ておりますが、これらの犯罪は、いずれも刑法犯として規定されておるわけであります。たとえば、住居侵入罪は、刑法では三年以下、これが自民党案では七年以下というように、非常に刑が加重されておるわけでありますが、この量刑を、実証的な研究に基づいて、今の三年では不十分であって、七年でなければならないという学問的な根拠を持って、この案に御賛成になっておるのでしょうか。それともこの点は必要なしとして、私は最初聞いておりませんので 必要なしとして削除が妥当であるという御答弁をなさったのでしょうか。その他の点についても量刑の実証的研究から、現在の第一審の裁判所で最高の法定刑が課せられておる事案が何%であるか、平均してどの程度の量刑が現実に行なわれておるかというような実証的研究に基づいて、法定刑の引き上げが必要であるとお考えになったかどうか、その点を一つ具体的にお答えいただきたいと思います。
  58. 小野清一郎

    小野参考人 さっき私は第四条の第一項第七号、第八号はぜひ削除していただきたいと申したのであります。第六号につきましては、これは非常に問題はあるであろうが、やはり集団運動行き過ぎということもないとは言えないから、このような規定が考え出されることに相当理由があると思う次第であります。  ところで刑の問題でありますが、刑よりもまず第一に、第六号が直ちに住居侵入のあの条文に当たるかどうか、実は問題であります。住宅の場合は、へいを乗り越えたのを行き過ぎに問うた判例がたしかあったと思いますけれども、国会は住居ではないものでありますから、建造物ですから、一体さくの中に入れば、すでに建造物に侵入したと言えるかどうか、私はちょっと現行法の解釈として問題があると思うのです。少なくとも判例において確定されてはいない点であります。ですから、そういう点からいうと、第六号は構成要件の上ですでに穴を埋めようという意図があるように私は解釈いたします。  それから刑の問題でありますが、一般的な量刑は、最近においていろいろ調査されておりますが、幅がある場合には、裁判の刑はずっと下回っておることは事実であります。ですから、最下限を引き上げることが多少上の方をずり上げる効果はあると思います。
  59. 坪野米男

    坪野委員 量刑の実証的研究を京大の宮内教授が発表されておりますが、昭和二十七年から三十一年の五年間の量刑実態調査の中で、住居侵入罪で最高の三年の刑を打たれたのはわずかに〇・三%、そうして六カ月未満が三〇・五%、六カ月以上一年未満が五三・七%、非常に軽いわけでございます。他の暴力行為処罰ニ関スル法律も最高の三年がわずかに〇・一%、六カ月以上というのが四六・七%、あるいは強要罪も同様に六カ月以上という程度が四六・二%、あるいは逮捕監禁罪も五年以下ということになっておりますが、これも六カ月以上一年未満が四七%というように、非常に軽い量刑がなされております。私は自民、民社案のように政治的暴力行為なるがゆえに特に最高刑をもって処罰しなければならないかどうかという根拠も非常に疑問に思っておりますが、いわんやこの法定刑刑法以上に引き上げなければならないという理論的根拠あるいは過去の裁判の実例からしても、合理的根拠を見出すのに苦しむわけであります。その点刑法学者として、こういう過去の裁判実例からいって、上限を上げれば、おのずから刑期も上がるだろうという程度以上に、そういう御答弁以上に、三年では低過ぎて、どうしても七年でなければ、あるいはその他の暴力行為、強要罪についても現行法令の法定刑では低過ぎるんだということを納得せしめる理論的根拠がおありかどうか、この点もう少しお尋ねしたいと思う。
  60. 小野清一郎

    小野参考人 法律上の刑、すなわち法定刑というものは、もちろん裁判所において宣告刑をその範囲内で量定するようにという一つの訓示的な意味を持つのでありますが、それと同時に、法律上の刑というものは、そういう行為に対する社会の道義的判断、価値観念なんです。どれだけの悪い行為であるかというこの価値を表現するものでありまして、実証的といっても、それは過去の統計をいろいろ調べて、これでは軽過ぎるということは幾らでも実証できますけれども、これから新しく立法しようという場合には、それは参考にとどまるのであって、結局はいかなる価値観念をそこに表現するかということで、問題はやはりこの価値体系の問題になってくるわけでありまして、それを今立法する際に、社会学的な実証といっても、それは参考にとどまるのであります。
  61. 坪野米男

    坪野委員 私は今、政治暴力を規制する上からしても、社会党案にない逮捕監禁、あるいは強要、こういったものの法的な引き上げの必要がない、何ら理論的根拠がない、現行法で十分だという考えを持っておるわけでありますが、その点はその程度といたしまして、先ほどの、国会は住居じゃない、建造物だから、構内への侵入が刑法にいう建造物侵入罪になるかどうかという点が、判例上疑義がある、こういう御意見のようでございましたが、これは人の看守する建造物という概念に入るかどうかという点に疑問がある、こういうことでございますか。
  62. 小野清一郎

    小野参考人 この中に入れば建造物なんですが、さくを越えればすでに建造物であるといえるかどうか、そこに疑問があるだろう、こういうことなんです。
  63. 坪野米男

    坪野委員 次にお尋ねしますが、自民、民社案では、このテロ政治的暴力行為構成要件として、政治上の主義もしくは施策、思想的信条と、非常に広く、破防法よりもむしろ広い構成要件になっているようですが、政治上の施策に反対する、あるいは政治上の施策を推進するために、規定のような暴力行為に出た場合に処罰を受けるという、この政治上の施策というものを含ませるということは、少し広きに失するのではないかという意見を私たちは持っておるのですが、この点について御答弁になりましたかどうか、お尋ねいたします。
  64. 小野清一郎

    小野参考人 社会党の案には、ただ政治上の主義ということだけが見えているのでありますが、しかし主義がやがて施策に及ぶのであるから、主義という概念が自然に広がってきて、ある程度施策にも及んでくるのではないかと思います。しかし特に施策と書けば、もちろんはっきりとしているし、具体的な施策までを含むことになる。これは当然でございますから、施策と書くことによって、またその範囲が一そう広くなるということは考えられます。
  65. 坪野米男

    坪野委員 そういたしますと、政治上の施策を推進するために集団暴力が行なわれれば、本法案で、暴力行為以上の処罰を受けるということになるようでありますが、地方政治において、いろいろな地方の利害にからむような政治上の政策、こういったものも、ここにいう政治的施策推進云々という条項に触れることになるのではないか。あるいはまた行政上の施策と政治上の施策というように概念を分けてみて、行政上の施策に反対するような場合にも、この政治上の施策という言葉の拡張解釈をされて、やはり政治暴力としてこの法に触れるようなおそれがありはしないか。そういう点を私たち非常におそれるわけですが、政治上の施策といってしまえば、ほとんど、およそ政治関係する、あるいは政治と行政の区別がはっきりつかない場合には、あるいは政治、行政に関するいろいろな政策、具体的には大小ございましょうが、個々政策に反対するような場合に、たまたま暴力事犯が起こる、あるいは逮捕監禁、強要等が起こるというような場合に、やはりこの法に触れるおそれがあるのじゃないか。特に地方政治においてもそういった問題が起こるのじゃないかと考えるのでございますが、そういう点、一般暴力事犯よりも重く罰しようということは、法の趣旨からして、少し行き過ぎではないか、乱用のおそれがあるのではないかという点が心配されるわけですが、そういう点についての御判断、御意見を伺いたいと思います。
  66. 小野清一郎

    小野参考人 自然、地方の政治にも及ぶということは避けられないと思います。
  67. 坪野米男

    坪野委員 私たちはそういう意味で、自民案は危険なものをはらんでおると考えるわけであります。必要最小限度の域を越えておると、私が最初に申し上げたのはそこであります。  そこで次にお尋ねしたいのは、政治暴力というものと、政治的にあらざる一般的な暴力というものを区別いたしまして、その情状と申しますか、量刑をする上の判断において、政治暴力だけ特に重く処断をしなければならない、あるいは法定刑を重くしなければならない——一般暴力で、町のごろつきが殺傷行為をやるのと比較して、政治暴力、暴行傷害から不法監禁、あるいは強要、あらゆる政治暴力事犯は、すべて一般暴力事犯よりも悪質として、これを重く処断しなければならないという、学問上あるいは刑事学上の、何か合理的な根拠があるかどうか、この点を一つお尋ねしたいと思います。
  68. 小野清一郎

    小野参考人 これは、何と申しましても臨時の立法であろうと思います。その点は自民党の案も社会党の案も同じことである。さっき申し上げましたように、社会党の案では三年間の限時法とするという、これは大へんけっこうなことである、ぜひそういうふうに願いたいと申し上げたので、三年で短か過ぎるというなら、五年を経過したら、もう一度ここで考え直す方がよろしいでしょう。実際問題として、やはり期間を切っておきますと、期限なしで、そのときに廃止するかどうかということを論ずるよりは、これを存置するかどうかを論ずる方が、目的にかなった判断ができると思うのであります。何しろ昨年以来の政治テロ、こういう国内の情勢に当面しての立法でしょう。ですから理論上とおっしゃるけれども、そう抽象的な理論であるよりは、やはり当面の一つ立法的な施策だろうと思います。
  69. 坪野米男

    坪野委員 十分のお答えをいただけていないと思いますが、私の質問の意味がよくおわかりいただいていないと思いますので、少し補足いたします。社会党の考え方は、文字通り必要最少限度でなければならない。そこで、政治テロ根絶の道はいろいろございましょうが、緊急する当面のテロ対策として、われわれは刑罰の加重ということを考えたわけでありますが、これも必要最小限度でなければならない。必要最小限度とは何か。それは政治テロすべてをわれわれが新たな立法で根絶しようというような、おこがましいことは考えておらない。政治テロの中のテロ殺人だけを何とかしてわれわれは根絶したい。そこで社会党の案の中心は、テロ殺人であります。また殺人の可能性のある教唆扇動、予備、陰謀等、刑法体系からいえば異例の殺人罪の修正された構成要件に対しても重い刑をもって臨んでおりますが、と同時に傷害にいたしましても、われわれは、げんこつで相手をけがさせようと、刃物でやろうと、あるいは劇毒物を用いようと、傷害には変わりがないわけでありますが、テロ殺人の可能性のある傷害にだけしぼろうということで、凶器の定義までして、銃砲刀剣類等の限定された凶器を用いてなす、しかもこれはあらかじめ準備をした計画的な傷害、それが瀕死の重傷から殺人に発展する可能性のある傷害だけに限定しようと、非常に謙虚な気持でしぼっておるわけであります。また脅迫にいたしましても、こういう殺人の可能性のある、凶器を示してなす脅迫は、殺人へ発展する可能性があるという考え方から、脅迫についても、示凶器脅迫という規定を設けたわけでありまして、社会党の考え方は、テロ殺人を防止するということに尽きておるかと思うのであります。団体規制も考えました。けれどもわれわれが下手に立法技術を非常に検討を要する問題に行なうことは、自民、民社のように非常に即席にできた案に問題があるし、われわれはもっと十分検討しなければいけないという考え方から、必要性は認めながらもはずしておるわけであります。このように社会党はテロ殺人を防止するための暫定立法ということで非常にしぼっておる。これもまだ世論の批判があればもっともっとわれわれはしぼっていくだけの謙虚な気持を持っております。ところが今の自民党の案は社会党が意識的に漏らしたところをつけ加えてきておるわけなんでありますけれども、それは現行刑法で十分規制できる。三年以下が七年以下でなければならないというような合理的な根拠はどうしても見出せないということから、私たちは不必要だ、そういう考え方に立って自民案を批判しているわけです。今のお答えですと、そういうことは政治家が考えればいいので、学者の考慮の外であるというような御答弁にも受け取れたのですけれども、謙虚な気持で刑法学者あるいはその他の一般の法学者、さらには言論人あるいは一般国民を代表する良識ある世論の批判を受けて、現行刑法ではいけないのか、どうしても自民案がいう程度まで法適用を高めなければいけないのかどうかということを十分世論に聞いてわれわれは立法すべきだという考え方から、その代表的な、特に日本における権威者であらせられる小野先生に、学者の立場から自民案のこの程度の量刑を引き上げるということは、テロ対策、テロだけでなくて政治暴力の根絶は必要でございますということだけでなくて、しかし現行法令でもって十分取り締まりできる、規制できるということであれば、それ以上に重くする必要はないのじゃないかということで、私は刑法学者としてまずどうお考えになるかということがお尋ねしたかったわけであります。  そしてもう一つは、政治的な暴力一般的な暴力と、犯情において必ずしも政治暴力を重しとする根拠はないと私は思うのであります。むしろ軽いという御意見もあろうかと思うのであります。しかし私たち政治テロ、特に自己政治上の主義、信条——もちろん個々政策的な面で人を殺すということもけしからぬことであります。しかし刑法がございます。私たちは特に思想的確信犯といわれる政治的な主義、信条を異にする相手を殺傷するという典型的な政治テロ、これを規制するために、殺人に連なる一連の行為だけを暫定的に重く規制しようという考え方でこの立法に当たったわけですが、自民、民社案は一切の政治暴力は許されないとする。もちろん許されないことでありましょうが、それが一般的な町のごろつきの暴力よりも犯情において重いんだという考え方が基礎になって、法定刑の引き上げが考えられておりますが、私は一般暴力政治暴力とは犯情において何ら異にするところはない。ただ政策的にわれわれは殺人を防止するために特に政治殺人、民主主義の根幹をゆるがす政治テロを根絶するために、テロ殺人に通ずる政治暴力のみを当面規制しようというような考え方に立っているのです。今の一般暴力政治暴力とを、政治暴力の方を特に重く法適用しなければならぬという理論的根拠と申しますか、学問的な根拠というものがおありであったら一つお教えを願いたいと思います。
  70. 小野清一郎

    小野参考人 刑法学者といたしましては、あらためてこういう特別立法をする必要があるかどうかということは、根本的には疑いを持つのです。しかしながら自民党からも社会党からも、しかも内容的にある程度一致した案が出ているとすれば、私どもはこの法律だけは、やはり政治的なある決断を前提としなければならぬ。政治的決断をなさるのはあなた方の権限なんで、私どもはひそかに疑いを持ちながら、立法しなければならぬなら、せめてこの条文は削除していただきたいということをさっきから申しているわけなんです。それで猪俣さんでしたか、この政治的なつまり確信犯がひどく重くて、強盗殺人よりも重いのだということを一がいに言われますから、そうは言えないのではないかということを、むしろあなたと近いことを申したのです。ですから、こういう立法をしないでも現在の刑法で十分取り締まれるとも思いますから、それがさっき戒能さんなんかの言われる御意見なんですが、思いとどまっていただくならそれまたけっこうだと思います。
  71. 坪野米男

    坪野委員 私は先生の最後のお言葉を待っておったわけなんです。もちろんわれわれは政治家でありますから、われわれの決断とわれわれの責任で立法し、あるいは反対するわけでありますが、しかし学者の良心においてこの法案が必要であるかどうかという御意見を承りたかったのでありますし、また全部が全部でなくても、部分的に、これは困る、どうしてもこれだけはいけないという点をわれわれは、自民、社会両党とも謙虚に反省をしなければいけないという考え方でお尋ねしておったわけであります。私たちはそういう意味で、ここの点についてこれはどうしても困るという点を言っていただいて、そうしてそういう点をわれわれは謙虚に反省して、削ってもなおかつ残ったものをわれわれが立法する必要があるかどうかという点をわれわれ自身が検討しなければならない、このように考えておるわけであります。そういたしますと、先生としても、こういった立法必ずしも必要としないというお考えを持っておられるわけですね。そのように今承ったわけでございます。  それからもう一つお尋ねしたいのでありまするが、そういう治安立法刑法の大幅の修正を、特に刑を加重するというような法律を審議するにあたって、私は相当広範な世論を聞く、特に学者その他の専門家の意見を聞く必要があろうかと思うのでありますが、数人の学者の意見を聞き、あるいは数回の審理で、こういった法案を多数で最後は——民主主義の原則は多数決でございますが、多数で強行するということが望ましいことであるかどうかという点を、小野先生、団藤先生、戒能先生に御意見を承りたいと思います。
  72. 小野清一郎

    小野参考人 その点はどうも私にはお答えする権限がないんじゃないかと思うのですが、まあ慎重に審議をなさって、その上で多数でおきめになることは仕方がない。しかし慎重審議といっても、やはりおのずから人間の制度でありますから限度がある。そこは私のかれこれ申し上げるべき範囲に属しないと思います。
  73. 団藤重光

    団藤参考人 私は先ほど二つ法案とも不必要であろうということを申し上げたのであります。
  74. 戒能通孝

    戒能参考人 私も先ほど両案ともこの際お取りやめ願いたい、これはお願いしておるわけでございます。それよりもむしろ警察法を改正していただくことをお考えいただき、御検討をいただきたい。特に公安委員の制度の改正というものをお考えいただきたい。あるいは政治資金規正法のうちで、法人の政治献金というものについて御研究いただきたいということをお願い申し上げておるわけであります。
  75. 坪野米男

    坪野委員 もう一点だけ。あるいは御答弁があったとすれば恐縮でありますが、社会党案について、テロ殺人賛美の罪、これは小野先生にちょっとお尋ねしたいと思いますが、この点についておそらく御批判があったかと思いますが、この社会党案のテロ殺人賛美の罪が違憲の疑いがある。言論の自由に対する侵害行為として違憲の疑いがある。あるいは明白かつ現在の危険がないじゃないかというようないろいろな御批判があろうかと思いますが、この社会党案のテロ殺人賛美の罪によく似たのがドイツの共和国擁護法の中にもあるようでございます。こういう法案の保護法益というものは一体どういうように理解すればいいのか、あるいは、こんなものは保護法益ではないから犯罪たり得ないものということになるのでしょうか、この点ちょっと、重複しておれば恐縮でございますが、ぜひお聞かせ願いたいと思います。
  76. 小野清一郎

    小野参考人 結局の法益は、やはり人の生命、身体だろうと思いますのですが、ただ、それが公然と賛美するということによって多くの人に、いわば思想的な影響を与えることをおそれての立法でありましょうから、直接生命、身体に危険があるというところまでいかなくてもいいのでしょう。つまり、いわゆる形式犯であろうと思います。
  77. 坪野米男

    坪野委員 テロ殺人直後のテロ賛美あるいはテロ犯罪の賛美を私たちは次のテロを助長する、新たなテロ犯罪テロ殺人を助長する危険な言論だという考え方でとらえたわけですが、このテロ殺人被害者のあるいは遺族の感情、あるいは復讐感情も幾らかあるかと思いますが、こういったものに対する侵害ということは理論的には考えられないかどうか、ちょっと参考までにお教え願いたいと思います。
  78. 小野清一郎

    小野参考人 それも間接ながら関係がないとは申せませんけれども、これはむしろ社会党案の立案者に伺いたいと思うのですけれども、やはり直接の立法の趣旨は、むしろ将来に向かってそういう行為を誘発するおそれがあるという、それを防ごうというお考えではないかと愚考いたすわけでございます。
  79. 坪野米男

    坪野委員 最後にもう一点お尋ねします。社会党案は三年の時限立法で、最小限必要悪として提案しているわけですが、自民党も同様に暫定的なものであろうというような小野先生のさきの御説明でございましたが、自民党案がそういう暫定的な立法だという御説明をなさる根拠は、この法文からどういう点をとらえてそういう御説明をなさったのか、御説明願いたいと思います。
  80. 小野清一郎

    小野参考人 提案理由などの御説明を伺ったことによって明らかであると思いますし、この立法が昨年来の国内情勢と申しますか、あれからきていることは明らかであろうと思うのです。そこで私は、これも、もしこの案が通るならば、三年または五年の限時立法にしていただきたい、こう先ほど申し上げたわけでございます。
  81. 坪野米男

    坪野委員 恐縮でございますが、もう一点。あまり聞く機会がないかと思いますので伺いたい。自民党案、社会党案の、この政治的暴力行為、あるいは政治テロ行為の基本的構成要件ですね。社会党案は、「自己政治上の主義と相容れないことのゆえをもって」という、動機をとらえて構成要件としております。自民党案の方は目的罪、しかも「政治上の主義」、「施策」、「思想的信条」というように、非常に対象を広げておるようでございますが、この両案の構成要件の優劣といいますか、どちらの方が立法技術的に、あるいは刑法上、理論的に妥当なものだとお考えになるか。小野先生の客観主義によると、大体目的罪とか動機をもって構成するというようなことは合っていないんじゃないかと私ども理解しているのですが、この両案は刑法の建前からいって、どちらがいいか、純立法技術的な御見解でけっこうですから、お教え願いたいと思います。
  82. 小野清一郎

    小野参考人 立法技術といたしましては、このようなあまりむづかしい主観点要素を持ち込むことは、決して賢明ではございません。なぜかというと、立証するということ、立証するためには、外からはわからないことです。すると、嫌疑を受けて被告人となっている者がどう言うかによって、どうしてもそれに重きを置かれることに相なります。しかし、何と申しましても、これは政治的な暴力行為なりテロなりを取り締まろうとするのでありますから、若干主観的要素を入れることは必要でありましょうが、できるだけその辺は——それは社会党案の方が直截簡明であると思います。
  83. 坪野米男

    坪野委員 一応終わります。
  84. 池田清志

    池田委員長 志賀義雄君。
  85. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 少しく時間をとりましたが、なるべく早くやりまして、この前の戒能先生みたいに、昼飯も食わせなくて人権じゅうりんということのないようにいたしたいと思います。  小野先生に伺いたいと思います。先ほど第四条第一項七号、第二十四条の削除を言われておりましたが、私の私見だけでなく、従来の法体系にない、しかも法律案としても非常に熟していないものがかなり取り入れられているように思うのです。きょう、五月二十二日の毎日新聞を見ますと、こういう記事がございます。学界の一部には「基本的人権、結社の自由など憲法の基本にかかわるこの種の法案、とくに刑法の実質的改正となる重要な法案」、こういうことがございます。また「政府・与党としては、この法案刑法の実質的改正となるので政府提案なら法制審議会にかけなければならず、その場合は少なくとも三、四カ月を要し、今国会への提出が無理なため議員提案の形をとったといういきさつもある。」こういうように消息を漏らしているのでございます。立法府でございますから、早川さんが委員長提案説明されて、立法はさしつかえないのでございますけれども、刑法の民主的な基本原則までも打ち破っていくというようなことになりますと、これは非常に困るのであります。昨年の定保反対のあの大きい運動の中で非常な危機感を持たれたと思うのでございますが、私どもは一向危機感を持たないからこそ、請願というような何人にも理解されるようなことを——実は、私、あれの最初の提案者でございまして、そういう形で進んだわけでございます。請願のあの大運動を危機とをお受け取りになってこういう立法をされて、しかも従来の法体系をすっかり打ちこわしてしまうというようなことになりますと、これは事が人権に重大に関係いたしますので、権力機関の発動の経験は、私など一番経験が深い方でございます。その点についてなお申し上げますと、従来は、憲法に従いまして、すべて法律は公共の福祉、公共の安全ということを申しておりましたが、ここに来まして突然民主主義という言葉が出てきたのでございます、今度の法律で。しかもその民主主義の名において、とんでもない反民主主義やアメリカなどにもマッカーシズムの例がございましたけれども、私が小野先生に伺いたいことは、本法案は現在の法体系にとって異常なもの、熟さないもの、こういうものがあるとただいま簡単な例をあげましたが、先生はその点どういうようにお考えでございましょうか。こういうものはもっと慎重に、学識経験者も集めて、法体系にも違反しないようにやるべきだというような点については、どういうことでございましょうか。
  86. 小野清一郎

    小野参考人 私も、これが恒久的な立法であるというならば絶対に反対いたします。三年なり五年なりの限時立法である、当面の。あなたは危機とお考えにならぬかもしらぬけれども、国民の中には、そういう感じを持っている人が多いので、さればこそ、政府党のみならず、在野党からもこういう案が出ているので、それをかれこれ考えますと、限時の立法としてならばがまんができようか、こういうことでございます。
  87. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 多くの人が考えていると先生がおっしゃられたのでございますが、選挙をやってみますとわかりますけれども、まだ危機感がどこへ行っているか、選挙の投票の当日なんかそこまでいかない人が多いのです。先生がおっしゃるほどでもございません。そういうようなことであわてて時限立法にする必要も私はないと思うのでございますが、先生も若干危機感に伝染しておられるようなあれでございますが、時限立法ということにしても、三年、五年と先生おっしゃいますが、その間にうまいこと押えつけておいてと、こういうようなことになりますと、これは押えつければ必ずその反動が来ることは、昨年あの安保反対運動というものは日本だけではございません。朝鮮にもございました。トルコにもございました。イタリーでも、ことしになったらこれは数え上げられないほど、あれはアメリカが無理やりに押えつけようとして結局押えつけられるものではない証拠なのであります。今度の韓国のクーデターでも、自民党は翌日になるとその反対が証明されるような科学的な調査を首相に報告されたようでございますが、あんなことをやったってだめです。三年、五年の時限立法ということになりますと、やはりその間に先生のお考えになるのと反対のことも出てくると思うのでございます。  さてそれはそれといたしまして、これをやりまして右翼テロ取り締まりに実効があるかどうかということでございます。社会党案は右翼テロ取り締まりということで言われております。それから自民党はデモも悪いから両方ということになっているのでございますが、私ども見ますと、どうも警察が右翼団体に金をやっている例は、これは文書でもって昨年島根県警の場合も発表いたしました。先ほど戒能先生でございますか、石井一昌の例も言っておられたのでありますが、こうなりますと本法は右翼テロに対してよりも主として労働組合、民主政党あるいは民主団体つまり反政府勢力に対する規制と罰則を強化し、破防法の改正、拡大、こういうことになるおそれがあるのでございますが、その点については小野先生いかがでございましょう。
  88. 小野清一郎

    小野参考人 どうも私は社会学者でも政治学者でもないものでありますから、適切なお答えができないかと思いますけれども、常識的に考えまして、今お話しのたとえば朝鮮のクーデターのようなことは望ましくないと切に考えるものでございます。志賀さんは共産党の立場ですから何ですけれども、社会党も自民党もこのような限時立法を必要だとお考えになることがまんざら無理とは言えないのじゃないかと、私はあなたと多少そこは考えが違います。
  89. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 団藤先生にお伺いいたします。本法案で問題になりますのは、御承知の通り政治的暴力行為、第四条にそういうように規定いたしまして、これで団体規制を行なおうとする点でございますが、先生は破防法には反対される、従ってこの立法にも消極的である。特に条項に従って非常に消極的である、こういうことをおっしゃったのでありますが、第四条は、破防法に比べまして、破防法にない強要、集団的暴行、脅迫、器物損壊それから逮捕監禁、傷害等々が加わっております。こういうことは今までの判例から申しましても、警察の実際にやった行為から見ましても、犯罪としてでっち上げられることが非常に多いのでございます。たとえば、先生の学校のの有名なポポロ事件なんかもそうでございますが、団体交渉あるいはストライキ、ピケットなんかに対して、今までは現行の刑法でやっておりましたし、特別法までも含めてやっておりましたが、これができますと、これにすべてひっかけられてくる、どういうおそれがあると思います。ことには扇動それから教唆扇動立法例は国家公務員法と破壊活動防止法にございますが、これ自体の定義規定も非常にほしいままのものでございますが、今度は教唆というようなことも入っております。このように政治暴力を一切広げてしまいますと、そうしてそれによって団体規制を行なうということになりますと、ことには第八条第二項には「これを遂げなかった団体」というようなこともございまするし、第二十条には強要の未遂というのがございます。たとえば首相官邸の前で、デモ隊が来て、わっしょわっしょやった、警官隊と小ぜり合いが起こったというような場合に、これは面会強要の未遂だというようなことになりますと、その程度ならいいけれども、あそこの前へいってははあここは首相官邸かと言って立っていたら、これは腹の中で強要するつもりであったというようなことにもなりかねません。こういうようになってきますと、非常に困るのでございますが、こういう点について団藤先生は特に破防法には反対したとおっしゃったので、こういう点について先生の御意見を伺いたいのでございます。
  90. 団藤重光

    団藤参考人 先ほど来私も大体同じ気持で私の意見を申し上げたのでありますが、ただ先ほど強要罪の未遂のことをおあげになりましたが、これは刑法でも強要罪の未遂は罰しておりますので、この点を特に取り上げることはないと思います。
  91. 池田清志

    池田委員長 志賀君に申し上げますが、参考人の諸君に対しまして、一時までと延期していただいておるのを、特に一時半までということで理事間で御相談をいただいておりますが、もう一時半も過ぎましたので、要領よく、簡潔にやって下さい。
  92. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 いつも私は要領よく簡潔にやっております。前の人のしり押しが私にきているのですからね。  今先生がおっしゃいましたが、私ども実際の経験でみますと、強要の未遂ということは、今言ったような形になって出てくるということが非常に問題なんでございます。  次に戒能先生に伺いたいのでございますが、これは犯罪構成要件の拡大に関連する問題でございます。でっち上げ、フレーム・アップによる本法案が成立した場合の運用の危険ということに関連するのでございますが、第四条第四項に「団体の活動」という規定をしております。これは破防法にないものでございます。団体主義意見という抽象的なものに従う構成員の行為を対象とするということになって、このためにでっち上げ、フレーム・アップによる団体規制という危険が非常に多いのでございまして、このことは決して私どもの危惧あるいは推測ではなくて、菅生事件によってもこれはもう明らかなことでございます。御承知の通り、菅生事件は交番爆破という大それたものでありますが、今回の政治的暴力行為が御存じのように強要、脅迫までも含めておりますので、この危険性は従来になく強まるものとなると思うのでございます。私どもはこの点で従来の警察あるいは検察庁のやり方から見て、そういう危険が非常に拡大されるというふうに思っているのでございますが、先生のお考えを伺いたいと思います。
  93. 戒能通孝

    戒能参考人 私もその点を大いに懸念しておるわけでございます。私自身たとえば安保条約に対しても反対したわけでございます。そのときにデモンストレーションをやった経験でございますと、これは確かにいろいろな人が入って参ります。気心の知れない方、顔の知らない方というふうなものがたくさん入って参ります。その中にはどんな方が入っておるかわかりません。あるいはスパイといっては悪いですけれども、そういう方も入っていらっしゃるかもしれませんし、あるいは少し気性の激しい、どこかに突っ込みたがる方も入っているかもしれませんし、これは全然わからないわけでございます。また集団行動というものは大体そういうものじゃないかと思うのでございます。従って団体活動ということをも規制するということ、これは最初の組織者あるいは最初の責任者の意思とは離れ得ることもあるわけでございます。ところが一ぺん離れるか、あるいは離れそうになっても、未遂という状態になりますと、次に今度は団体そのものが活動停止を受けるという形になってくるわけでございますから、破防法をはるかに上回る、つまり団体規制になるだろうと思っているわけでございます。私としては破防法の団体規制条項というものは一種の検閲ではないか、確かに文書の検閲等はございませんけれども、しかし傾向を洞察して、それによって予備的な行動をするわけでありますから、一種の検閲ではないかというふうに考えて、あれは憲法違反だと主張したことがございました。私としては今度の場合におきましてもやはり団体規制についてはそう考えないわけにはいかないわけでございます。
  94. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 特に今その点を申し上げましたが、第一条には思想的信条ということが入っておりまして、政治上の主義もしくは施策と、これとを合わせて入れておるのでございます。これは破防法にはそこは制限がございましたが、これを今度は取りはずしているのでありまして、ちょうど思想処罰法であった治安維持法と同じ結果になるのでございます。規制の基準、第三条でございますけれども、第三条第一項を破防法の第三条第一項と比べてみますと、破防法には「いやしくも権限を逸脱して、思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団体行動をする権利」というのが、これには抜けております。次に第三条第二項は、破防法第三条第二項の次の点が抜けております。「労働組合その他の団体の正当な活動を制限し、又はこれに介入するようなことがあってはならない。」この一番重要なことが抜けております。なるほどデモ、集会その他の団体活動と請願、陳情ということが書いてございますが、その請願、陳情なんということは請願法にもあることでございまして、こんなことはよけいなことなのでございます。肝心の今申した第三条第一項、第二項の問題がこれは抜けておりまして、強要、脅迫、集団暴行等労働運動に非常に関係の強いものが挿入されておりながら、こういう点を抜かしておる。この点は訓示的なものであるにしても、この法案自体を規制することになります。非常に重要な規定でございます。それが抜けている。これは学者の立場からごらんになりまして、こういうことを抜くということは一体どういうことを意味するのか、この点をなお戒能先生にお伺いしたいと思います。
  95. 戒能通孝

    戒能参考人 その点は提案者の方から御説明があることと思うのでございますが、もし提案者立場に立って私考えてみますと、この法律案は政治的暴力行為の防止法であるということでございまして、労働運動というふうなものは全然考えていない。この法律の中に入るということは考えていない。従ってそれらのものを書くには及ばなかったというふうにおっしゃるのではないだろうかと思うわけでございます。この法案内容というのは、おそらくはんとうの政治的殺人あるいは政治的な集団行動というものだけを取り扱うわけで、労働運動は取り扱わないというふうな御説明があるのではないかと思うわけでございます。しかし法律というものは一たんできてしまいますと、あとは独走するという事実もございますので、御説明がどうなるかということと法律がどう運用されるかということとは、これは違っていくという形になることをおそれるわけでございます。
  96. 池田清志

    池田委員長 志賀君に申し上げますが、この一問で終わって下さい。
  97. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 小野先生にお伺いしたいと思いますが、今戒能先生から御説明がございました、破防法も実際に動いてみますと、共産党とかなんとか調査対象だけでなく、それがほかの団体なんかに、労働組合なんかにも全部拡大解釈なのです。そういう時代でございます。第六条は小野先生御承知の通り「何人も、政治的暴力行為が行なわれるおそれがあることを知ったときは、直ちにその旨を警察署に通報しなければならない。」それを通報しなかったらどうなるかという罰則規定がここにございません。これは一体何かと申しますとわけがございます。スパイ政策、つまり協力者に対して金をやる、こういうことになっているのでございます。これは私が現につかんだ材料でもって幾らでもある。そうしてしかもそういうふうな協力者に対して報奨金を出すという名目で、一々計算してみますと芸者の花代までが入っているわけです。御丁寧に千鳥とか菊弥とかいう名前の入った受取書までが私どものところに入っている。これはのっぴきならないことなのです。こういうことを警察署に通報しなければならない。先生が刑法学者として判例その他を御研究になりまして、それからまた警察の実際刑事問題に関する場合に、こういう規定を置けば、これがどういうふうになるとお考えでございましょうか、この点……。
  98. 小野清一郎

    小野参考人 ただいま御指摘のような事実があったかもしれません。(志賀(義)委員「あったかもしれませんじゃない、あったのです。」と呼ぶ)私は存じませんが、この第六条などは、あってあまり益のない規定だと思いますので、削除して一向差しつかえない規定だと思います。
  99. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 それではもう一問だけお伺いしたいと思いますが、先ほど戒能先生がこれを廃案にするというふうなことをおっしゃったのでございますが、私どももその点には賛成でございます。とにかくこういう法律ができ上がりますと、法律というものはそれ自体独走しますし、破壊活動防止法は、あれほど重要な制限を受けて、実際には適用されていないのでございますけれども、やはりこれが動いております。そしてあれほどのものでも、作っておけばこれが将来また治安立法を拡大する橋頭堡になるということは、当時自民党の幹部の方も言われておったのでございます。たとえば私どもに対してスパイになれということを強要されて、しかも結婚問題をからませて、非常に困った労働組合の幹部の方が、公安調査官がうるさいから何とかこれを追っ払うようにしてくれ、こういうような要望があったことがございます。それについてその人を連れて私が公安調査庁に参ったことがございます。公安調査庁に参りますと、物陰から、玄関の入口のあいた部屋から私の写真をとるのですね。それで大喝しますと、今度はネズミみたいに逃げ出そうとするわけです。とうとう取り押えましてそのフイルムも外に出してしまったことがあったのですが、何も私の写真をそんなことまでしてとらなくたって、そこいらじゅう掃き捨てるほどあるのですがね。実にそういう点で微細な点にわたってまで、一たびこういう法律ができますと、めちゃくちゃに動いていくのであります。私はそういう意味でこれは廃案にすべきだと思っているのでございますが、先ほどこれは廃案の御趣旨について、社会党案との関連で申されました。今私はごく一つの例を申し上げたわけでございますが、この点について先生のこの廃案の必要な積極的な御意見をもう一度伺いたいと思います。
  100. 戒能通孝

    戒能参考人 積極的にというより、ともかく社会党案と言われているものでございますと、これは自白尊重になり過ぎるという懸念を持つわけでございます。つまり、政治的な主義ということになりますと、主義のために殺傷したか、殺傷する意思を持ったかというのは、もっぱら自白をする以外になくなるのではないか。そうして少しく職業化されているテロリストになりますと、これは自白をするときにはちゃんと用心をする、ある場合にはスタンドプレーをやるということになるんではないかと思います。そしてばかな者だけがかかっていくということになる可能性が十分あると思うのでございます。つまり、主義のための殺傷ということ、これはやっぱりいけないことでございますし、そしていけないことはわかっておることでごございますけれども、刑法にもあることでございますから、刑法に一応まかせて、そうしてその刑法の判断をつまり裁判所にまかせて、そうしてその裁判所判決に対して大いに批判をしていただきたいという印象を持っておるわけでございます。  それから第二に、自民、民社党案の方につきますると、これは趣旨がちょっと私の了解とは違うわけでございます。つまり、一番けしからぬテロ行為というのは、やっぱり殺傷行為だと思っております。殺傷行為に対する反対、特に嶋中事件のように、奥さんを刺そうとしたり、あるいは女中さんを殺してしまったりというような、ああいう行動に対する反感というものが、いつの間にか集団行動というものにすりかえられているということ。集団行動そのことでも、それはあまりみっともいいものばかりじゃございませんけれども、しかし集団行動を取り締まろうとする法規はほぼあると思っております。そして国会のさくを越えて入ってくるとなると、あまり趣味のいいことではございません。私も決してそれは趣味のいいこととは思っておりませんが、現にそれは阻止できるわけでございますし、それから、国会の回りにあれだけ警察官を並べていたわけでございますから、そういうことは実際不可能であるということになるのではないか。どちらにしても、積極的にというよりも、むしろこの形よりも、政治暴力の発生というものを阻止する他の形を御検討いただきたい。むしろ政治暴力の発生する、何と言いますか、職業的な暗殺者の発生する他の根源をお考えいただきたいというふうに申し上げたわけでございます。
  101. 池田清志

    池田委員長 これにて午前中の参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には、御繁忙中のところ長時間にわたりお引きとめをし、貴重な御意見の御開陳をいただき、委員一同を代表してここに厚く御礼申し上げます。これにてお引き取りを願います。  午前中の議事がずいぶん長く延びまして、午後二時になりましたが、この間委員諸君は昼食を済ましておりませんので、午後の参考人の方には御出席をいただいてまことに申しわけございませんが、三十分間お休みをいただきます。二時半から午後の議事に入ります。  午前中はこれにて終わります。    午後二時二分休憩      ————◇—————    午後二時五十一分開議
  102. 池田清志

    池田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  参考人に関する議事を継続いたします。  ただいま御出席参考人は、田上穰治君、種橋茂君、藤原弘達君であります。真野毅君及び武藤光朗君は後刻御出席になります。  この際、議事に入りまする前に、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙中のところ御出席をわずらわし、まことにありがたく存じております。さきに御通知申し上げました通り、本委員会において審査中の両法律案は、各界の関心を集める重要な案件であると存ぜられますので、委員会の決議をもって、ここに学識経験を有せられる各位参考人として選定し、各位の両法律案についての御意見を拝聴し、もって本委員会審査に慎重を期することといたしたのであります。つきましては、忌憚のない御意見の御開陳をお願い申し上げる次第でございます。  なお議事の進め方につきましては、まずお一人二十分程度以内において、田上さん、種橋さん、藤原さん、それぞれ御発言を願います。後刻お見えになりまする真野さん、武藤さんは、その順序に従いまして後刻にお願い申し上げます。各位の御意見の御開陳が終わりました後、委員から質疑が行なわれることになっておりますから、お答えをお願い申し上げます。  それではまず田上穰治君から御意見の御開陳を願います。田上穰治君。
  103. 田上穣治

    ○田上参考人 今回御提案になっておりまする政治的暴力行為防止法案、それから政法テロ行為処罰法案につきまして簡単に意見を申し述べさしていただきたいと存じます。  このような立法につきましては、私は、民主政治の上から一応理由があると考えているものであります。民主政治は、申すまでもなく言論によって政治を決定するものでありまして、直接行動、暴力によって政治を決定するものではない。この点は、たとえば憲法第五十一条におきましても、国会議員の院内における発言、表決の自由を保障していることからも明らかでありまして、このような政治の決定にあたりまして、力によってこれを左右する、ことにこれが生命の危険、生命を脅かすようなそういう暴力が外部から加えられますことは、民主政治の破壊であり、これは憲法の基本原則をくつがえすものと考えるのであります。憲法第二十一条で表現の自由が特に重んぜられますゆえんは、これが政治活動、日本の民主政治のいわば生命であるからでありまして、多数決政治の根本もここにあると思うのであります。ただ初めにお断わり申し上げたいのは、このような民主政治を守るために、今回のような暴力を取り締まる法律案が必要であるかどうかという点でございますが、私は政治の実情には必ずしも通じておりませんので、そういう立法の必要があるかどうかはむしろ自民あるいは民社、あるいはもう一つ法案を御提出になっておりまする社会党の方々の御判断を一応信頼するものでございまして、全然そういう必要がないという御意見も、あるいは一部にあるかと思うのでありますが、この点につきましては、私自身いずれが正しいのか十分に批判を申し上げる能力はないのでございます。ただ憲法を平素研究する学者といたしまして、どの程度の法律案であれば憲法上許されるのであるか、あるいは違憲であって、たとい国会が多数決によっておきめになっても、これは法理上許されない、あるいは裁判所において違憲として適用を拒否すべきものであるのか、その点に大体重点を置きまして申し上げたいと思うのでございます。  今回の両法案を拝見いたしますると、このような暴力に対して、あるいはテロ行為に対して、日本の民主政治あるいは国会を中心として国民政治を主として言論によって決定していくということを守る法案でございますが、これにつきまして、一つは午前の御議論にもあったようでありますが、これは自民、民社の案でございますが、冒頭の「政治上の主義若しくは施策又は思想的信条を推進」云々ということがございます。社会党の方ではこの政治上の主義については掲げられておりますけれども、施策については触れていないし、また思想的信条の点につきましてもお触れになっていないようであります。私は政治上の主義と、それから政治上の施策と、これはやはり一体ではありませんけれども、しかし、暴力に対して守らるべきものは主義のみならず、施策についても必要があるのではないかと考えております。ただしかし、この点も、具体的にそういう当面必要に迫られてないという御意見でありましたならば、私はこれに対してとやかくと申すわけではありませんけれども、しかしそうでなくて、主義の方はあくまでも暴力に対して守る必要があるが、施策はこれは必ずしも力に対して特に守る必要がないということでありますと、私はやはりこの施策についても、一応法案に入れる必要があると考えているものであります。繰り返して申し上げますが、民主政治が力によって暴力から守らるべきことは、主義のみならず具体的な個別的な施策についても同様だと考えております。ただしかし、この点についてのおそらく反対と申しますか、御懸念があるのは、そうなると一々の施策につきまして反対の立場で多少ともそこに強要とか、あるいはその他の法案に出ておりまするような行為がある、これが厳重な取り締まりを受けることになる、個人のみならず団体活動としても規制を受けることになるおそれがあるということが問題だろうと思うのでございます。私はこの点はむしろできるだけ罰則は軽くすべきである。またその罰則適用する範囲もできるだけ限定すべきであると考えております。ただ、刑法学者でございませんから、一々の犯罪につきましてこの条文はどうというこまかい議論を申し上げる立場ではございませんけれども、憲法の立場から申しましても、個人の自由は第十三条におきまして最大限度に尊重さるべきである。従ってこれに対する規制というか取り締まりは必要の最小限度にとどめなければならない。この点はきわめて重要な原理でございまして、その意味から申しますると、罰則につきまして、ことに法定刑でございますが、これはできるだけ軽くする必要があるということ、これが一般論でございます。  それからもう一つ初めにつけ加えたいのは、犯罪に対する事後の制裁よりも、むしろ事前の予防的な措置、ここに重点が置かるべきではないかということでございます。これは社会党の御提案になりまする理由にもその点触れているのでございまして、いたずらに厳罰を事とするのではなくて、それによって暫定的ではあるが、とにかく一部の行き過ぎに対してきびしい反省を促し、予防の措置、予防的な効果を上げるということを期待しておられるようであります。私もこの点はまさにそうだと思うのでありまして、今回の法案は、犯罪が発生した後にこれに対していわば報復的にきびしい罰を課するということにはおそらくねらいがないのであって、むしろ一般的に将来同様な犯罪暴力行為が繰り返されることを防ぐ、そこに期待されていると思うのでございます。そうだとすれば、私は一歩進んで、刑罰をもって臨むこともむろん一つの考えでございますが、しかし現実にはやはり暴力についての組織がある。この組織を行政的な措置によってある程度規制する必要があるのではないかということでございます。これもはなはだ不徹底な議論でございますが、そういう必要がそもそもないのであるということであればまた話は別になりまするけれども、しかしこういう二つ法案を御提出になっている事情から考えまして、最近の政治情勢にはまだアブノーマルなものがあるのであって、そうであるとするならば、一応ある程度の罰則を強化するとともやむを得ない。それならば予防的な効果という点におきまして、ことにその犯罪背後にあります組織についての行政的な規制というものも、もちろん最小限度でございまするけれども、考える必要がある、こう思うのであります。  これに関連しまして、もう少し敷衍して申し上げたいと思いまするが、それは第一にこのような団体の規制ということになりますと、破防法の問題がございまして、破防法についてもこのようなことは事前の規制であり、しかも行政機関による取り締まりであるという点で憲法違反だという議論がかつて繰り返し論ぜられました。  時間がございませんが、一つは今回の法案——これは自民、民社の法案でございますが、これは破防法と同様に公安審査委員会というものによって団体の規制が行なわれることになっておるのでございますが、この点において私は憲法違反ではないと考えておるものであります。二十七年以降のこれまでの実績を見ましても、公安審査委員会行き過ぎた決定をしたということはないのでございまして、むしろ何にもしていないといった方が真実でございます。  行政委員会の特色といたしまして、時の内閣の政治的な圧力を受けるおそれは大体ないものと考えております。むろんこれも委員の人柄によりまして、制度のいかんを問わず、委員が政府に迎合する立場でありますると危険がないわけではございませんが、制度としては、現在の公安審査委員会の機構、またその手続を見ますると、行き過ぎはあるまい、政治的に行き過ぎて政府反対なり、一方の政党、政治団体を弾圧するおそれはなかろうと考えておるものであります。  もう一つは、行政機関による規制が、御承知のように行政事件訴訟特例法によりますと、公安審査委員会の決定に対して訴訟で争う場合にも執行が停止されないという問題がございます。この意味において確かに行政的な規制はきびしいものであり、もし乱用され、訴訟で争って、最後にはその取り締まりが判決で取り消されるようなものでありましても、とにかく取り消しの判決が確定するまではものをいう。これはその意味で非常にきびしいものでありまして、この点でまた憲法違反という論議が起こるのでございます。しかしながら今回の法案で考えておられますととろは、おそらくそういう執行停止のような、あるいは仮処分的なものは考えられないと思うのであります。つまり実際にはそういう不法なあるいは暴力的な団体がありまして、これが一年、二年と判決確定まではその活動を停止されないというようなことは、法案立案されました御趣旨にも全く反するわけでございますから、この点執行力を公安審査委員会の決定が持つということで直ちに憲法違反である、あるいは行き過ぎであるという懸念はないものと考えております。  次にもう一点だけ最後につけ加えて申し上げますと、先ほどの規制を加えることは最小限度でなければならないという点でございますが、これは罰則についても当てはまるものであります。自民、民社の政治的暴力行為防止法案につきましては、犯罪の種類と申しますか、そういう点で政治的暴力行為として列挙されております範囲が、あるいは少し広過ぎるのではないかという感じを持つものであります。ただ繰り返し申し上げますが、今回の法案が直ちに憲法違反であるというふうには思わないのでありますが、立法として適当かどうかということになりますと、あるいは幾分広過ぎるような感じも持つのであります。また社会党案について申しますと、確かに殺人、傷害にしぼってある点は、狭い点で、比例原則につきまして問題はないと思うのでありますが、しかし罰則法定刑がかなりきびしい。ことに殺人につきましては死刑または無期の禁錮ということになっておりますが、現在の刑法におきましてこのような法定刑は尊属殺、そのほかには内乱の首魁でありますとかあるいは強盗致死などに見受けられるところでございます。ところで尊属殺につきましてはすでに判例もございますように、このようなきびしい重い刑罰を課することが憲法違反ではないか、平等の原則に反するのではないかという強い反対がございます。これは判例におきましては合憲となっておりますが、今回の目的政治に関連するということで、殺人が一般の殺人と比較いたしまして、法定刑に格段の差別があるということにつきましては、やはり程度の問題でございますが、あまり適当とは思えない。これはもう少し法定刑を軽くすべきものと考えるのであります。  なお一方の政治的暴力行為防止法の方でありますと、午前の御議論にもありましたが、たとえば警察署に通報するというようなことがございますが、このような点は削った方がよかろうかと思っております。  限時法という問題もございましたが、限時法ならば、そういうことが明記されれば、この法規としましてはそれだけゆるやかになるわけでございまして、明記された方がより適当かと思いまするけれども、これもやはり初めにお断わりしましたように、どの程度の必要があるかということにつきましては、私ははなはだ抽象的な考えしか申し上げることはできないのでございまして、もし実際にそれほどの必要がなければ、罰則についてももっと軽くするのが適当だと思うのでありますが、しかしこの法案の程度でありますと、二つございますが、いずれにしても憲法違反という結論は私は持っていないのであります。  はなはだ簡単でございますが、時間が参りましたから、なお御質問を承りまして、補足したいと存じます。(拍手)
  104. 池田清志

    池田委員長 次に種橋茂君の御意見の御開陳を願います。
  105. 種橋茂

    種橋参考人 私は、この委員会で、私たちが感じておりますところの疑問なり、疑義の点について、十分に御検討いただきたいと思います。  私の立場を申し上げますと、私は自民党と民社党とで共同提案されておる法律案については、反対という立場をとります。それと同時に、社会党が提出している法律案につきましては、原則的に賛成という態度を表明いたしたいと思います。  まず私は、今自民党、民社党両党から提出されておる政治的暴力行為防止法案について反対をいたします理由につきまして申し上げたいと思います。  その一つは、労働運動なり大衆運動に対し弾圧を加える根拠になるというごとについて、私たちは疑念を持ちます。その一つの大きな理由は、破防法の第三条の中では、勤労者の団結なり、団体行動権なり、その他労働組合の問題について、一応制定される段階の中で明らかになっておりますし、現行法律の中でも明記されております。そういう点から参りますと、私はこの法案を対比する場合に、まず今日存在をいたしておりますところの破防法の問題について十分に検討を加える必要があるという立場をとりながら、いろいろな条文について意見を申し上げたいと思います。  まず本案の第四条には、政治的暴力行為定義規定がございます。私はこの定義規定は実にあいまいであるし、同時に広い視野だけにとらわれているきらいがありはしないかという点を心配いたします。しかも労働運動なり、大衆運動の中で惹起しやすい行為がほとんどであります。私はこの法案を理解する前提に、まず破防法の経過と条文を比較したい、こういうつもりで先ほども申し上げたわけであります。それと同時に、この定義規定の中で、労働組合の活動の大部分が政治的暴力行為と見なされる規制の対象とされる結果になるという点が、私たちとしては予想されるわけであります。それと同時に、政治上の主義なりもしくは施策、または思想的信条を推進し、支持し、またこれに反対する目的をもってすることが第一の要件であります。しかし、これによると、政党の行なうデモ行進などはすべてこれに当てはまるものだと私は理解をするのです。またそのようなデモ行進の中で起きたところの一つ事件なり、一つの現象というものは、今日の刑法なりその他既存の刑罰法規の適用を受けることにとどまらず、本法案の強大な規制化のもとに置かれるのであるという点について、私たちは注目をいたします。また労働運動におけるところの労働者は、主権を有しますと同時に、国民の一人として、政治問題に対して、デモなり集会などを行なう権利が憲法に保障されておりますから、当然労働者の日常の経済的諸要求を解決するためにも、政府の政策に反対をしたり、またその対案として一つ政策を対置して組合運動を行なっていく必要があるし、それは正当なものだと私たちは今日理解をいたしております。たとえば、私が所属いたしておりますところの総評が、さきに破防法の問題なり、警職法の問題なりで反対をして参りました。同時に、昨年から行なって参りましたところの安保反対の闘争の中におきましても、また今日私たちが問題を提起しておりますところのILO条約即時批准の問題なり、それに関連するところの国内法の改悪の問題について反対をする、こういった問題について、私たちはいつも自分たちが被害を受けるといろ立場と、これからの日本の民主主義の本来の姿の道に立って、国民として正当な権利の要求なり、請願の行動を私たちは続けてきたつもりでいるわけです。また政策なり立法がきわめて影響が深いということは、いつも労働組合の日常活動の中で、私たち一つ一つ立証されているものだと思います。  しかるに、この法案の第四条の定義の問題の中で、政治的暴力行為に対する問題について、私たちがこの条文をすなおに見せていただき、この運用の問題等について心配していく場合に、特に問題になりますのは、国家公務員の人なり、地方公務員なり公共企業体、さらに地方公営企業、労働者、日雇いの労働者、駐留軍関係の人たちは、直接政府に政治的な施策についていろいろな要求を出したり、また政府の政策について、これはこのように考えるというような意見を述べたり行動をする自由が今日保障されておるものだと理解しておるわけです。これらの人たちは、直接賃金問題なり経済的ないろいろの要求等については、当然政府の財政政策なり予算措置によってかなり大きな影響を受けていることは事実じゃないかと思います。そういう意味からいたしますと、本案の第四条によるところの国公なり地公なり公共企業体なり、日雇い労働者の問題等の生活を向上させる活動が、政治上の施策に反対をするという、この一事によって規制を受ける対象とされるということについては、私たちはその懸念なり心配というものが強くあるのではないか、こういうふうに思います。  また一面、政治的暴力行為の要件の中の第二は、殺人、傷害、逮捕、監禁、強要、こういったいろいろな問題等がありますと同時に、午前中の質疑の中でも明らかになった国会議事堂の問題なり、往来の行進の問題なり、こういう問題について、私たち特定の人を殺すというような必要性なり、また正当性を主張するというような点なり、扇動ということになっておりますが、このうちの殺人に関する規定については、もちろん労働運動なり大衆運動の場合からは、本来何らの関係のない問題だと思います。これはまさに右翼テロリストに向けられたものであるというふうに今日も理解しておるわけです。しかし殺人以外の規定が労働運動や大衆運動に対するところの拡張適用を従来受けてきたという事実は、私たちはいなめない事実だというふうに理解をしておりますし、私たちの活動の中でも、そのような危惧というのは今日も存在をいたしております。たとえば二号の傷害の問題でありまするが、労働組合なり組合員が大衆的な団結の力で戦うことは、私は労働運動の原則であるというふうな立場をとっております。そういう中でもって、私たちは好んで暴力を欲するというような態度はいまだかつて行使したこともありませんし、またあやまちを犯したこともないということを私は訴えたいと思います。たとえば、最近起こっておるいろいろな事件の中で、警察なり、労働争議に対しまして経営者側の無理解、そういう問題の中で暴力行為というものが、労働組合に攻撃を加えられたり、挑発という形で行なわれてきたということは、私たちはいろいろの経験の中から立証できるものだと思いますし、その被害者の診断書さえあれば問題が何でも解決しておる、こういう点が今日の事件の場合にゆがんだ形で進められている、こういう形があるのではないか。たとえば、ごく軽傷の場合があります。傷あとがとどまっていない打撲傷等がある。こういうような形でも、長期の加療を要するがごとき診断書を書かせるという事例が、しばしば私たち運動の中でありました。その点については、私は総評弁護団のいろいろの事件を担当している中で、一つ一つ資料を点検してみる上から、私は言えると思いますが、その点について問題があります。たとえば警察官の場合でありますと、警察病院なり、鉄道公安官の場合は鉄道病院というところで診断書を書いてもらうというのが筋であります。そういうことになりますと、往々にして誇張な診断書が法廷等に提出されているという事例をとらえることができるのではないか。また傷害事件は、労働組合のピケ隊と第二組合なり警察官との接触点、労働組合のデモ行進と警察官と接触点において容易に作り得るのであります。  次に第三号の逮捕監禁について申し述べますと、特に団体交渉なり抗議、陳情の場合に、経営者側が誠意をもってこれに応じないで一方的に打ち切るということは、今日中小企業の争議の中でしばしば見受けます。そういうときに、経営者側が退場という場合に、労働者側が交渉を続けてくれという形でわれわれの気持を訴える場合に、そのことが場合によっては逮捕になったり監禁になったりするという問題が、今日の労働争議の中できわめて多いということを私は訴えたいわけです。さらに五号の中の集団的暴力行為の点で、従来、労働争議の中では、ピケなりデモ、団体交渉の場合にこれが適用されて参りました。このような四条二号以下の行為は、労働運動なり大衆運動に多く適用されております。この傾向は決して変わるものでないと思っているわけです。それと同時に、二号なり六号の教唆扇動も、労働運用に適用されては大へんなことになると思います。すなわち、この扇動の四条の二項に当たる点についての問題、「特定行為を実行させる目的をもって、文書若しくはは図画又は言動により、人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめ又は既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいう。」こういう点について、私は一つの事例をあげたいと思います。たとえば国鉄労働組合の機関紙が鉄道公安官ともみ合いを行なっている写真を掲載したという場合、集団的な暴行を実行させる目的をもって扇動しているんだというような解釈をつけられた場合に、このような問題が起こるのではないか。こういう点についても問題がありますし、また口頭で演説を行なったりしている場合においても、そういった問題について、それらの団体の機関紙の発行や言論の自由に対する圧迫を招くおそれというのは存在をしている。こういうふうにこの法案の中ではすなおに判断をいたします。  それと同時に、われわれは、政治的暴力行為に対して加えられる規制処分というのは、七条から十一条まで五カ条にわたって記載をされていると思います。しかし、このことは、一言に言いますと、組合員の一人でもが第四条第一項の各号の一つ一つ行為に当てはまった場合に、組合のための一切の行為、集会なりデモ、機関紙発行の禁止または解散というような重大かつ決定的な弾圧を行なうことができる、こういう点について問題を持っております。この点については、破防法の第三条では、明らかにわれわれの行為についての問題が提起されておりますが、今度の法案の中においては、どうしても破防法より一歩強められた法案の本質というものを私は見なければならないのではないかと思います。  さらに第七条についてですが、団体の役職員なり構成員の問題の中で、特に教唆扇動の問題なり未遂の問題、この点は公安審査委員会が当該団体に対して四カ月をこえない期間で定めるという条項になっております。こういう条項の中で、たとえば労働運動に対して大きな弾圧を加えるという規定が存在する以上、まず団体労働組合の役職員なり構成員の一人が傷害を与えたり、国会に請願行動の場合に扇動を受けて入った、こういった場合には、すべての役職員なり構成員がこれらの行動を禁じられるという点があります。かりにそれが刑罰法規に触れる行為としても、その者が処罰されるだけで十分であると私は思います。その点について団体活動まで介入するという点については少し問題があるのではないか。またそれが今日の近代刑法の原則であるというふうに理解をしています。しかるに、一定の刑罰を受けるにとどまらず、一定期間内の組合のためにする行動の禁止をするということは、私は絶対に許すわけには参りません。また組合のために行なう行為の広範な禁止であるというふうに私はこの条項をとらえて、問題として提起をしているわけです。また、たとえば一般組合員の場合には、デモに参加することもできないし、組合費を納めてはいけないということにもなります。そればかりではありません。七条の四項によれば、その行為者のみならず、その団体の役職員なり構成員もその処分の趣旨に反する行動をしてはならないとされているのです。つまりその行為者に対して、組合活動から完全に締め出す義務を負わせている。また第五項では、「いかなる名義においても」「禁止を免かれる行為をしてはならない。」ということになっていて、完全かつ徹底的な組合からの分離なり分断をはかり、組合の分裂を策するような印象をこの条文では受けます。この点については、当然労働組合の内部の問題だというふうに御指摘になられればそうでありますが、今日の日本の法律の建前からいたしますと、かなり影響をもたらすということを私は指摘しておきたいと思います。  また、それと同時に、公安審査委員会の権限の問題でありますが、公安審査委員会委員の一人々々を非難するわけではありませんが、この委員会の設置法の第五条によれば、委員長及び六人の委員は、「両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。」ということになっております。労働組合の代表がこれに参加できるという保障は今日も存在をしていません。この公安審査委員会には労働組合特にわれわれを代表していろいろな意見を述べることが——私はこの意見を述べることによって、両院の同意の問題もおのずと解決されると思います。こういう点から推しますと、一応過半数の委員という形でいろいろな問題の執行なり処理が行なわれておりますが、労働運動に対する権力乱用の弾圧というものについては、何回も私たちが身をもって経験をしておる中から訴えたことであって、その問題については、問題の提起をして、前進なり改善をされたという経験をしたことはありません。こういう意味から、公安審査委員会が活動禁止処分を行なうには、公安調査庁長官の請求を必要とした問題と同時に、その前に通知し、団体の役職員、構成員、弁護士などの代理人ら五人に限り意見を述べ反証を提出する機会を与えて、一応公平の外観を今日はとっておると思います。しかしこの法案の中では、その外観すらなくなってしまっておる。こういう点について、私たちとしては、委員会の構成なりこれらの進め方に問題があるのではないか、それと同時に、この委員会で集められる一方的な資料だけによって活動停止処分をやることができるということになりますならば、これは公安審査委員会の独走であると同時に、職権乱用を押えるという保障はこの条文の中からは引き出すことができないのじゃないか、こう思います。  次に第八条の中で、「団体の活動として」「継続又は反覆して」はいけないという問題等に触れられております。私はそれはそれなりに十分な理由があるとは思いますが、公安審査委員会が行なうすべての権限の定めの中で、その行為が集団示威運動なり集団行進または公開の集会において行なわれた場合は、六月をこえない期間及び地域を定めて、それぞれ、集団示威運動、集団行進または公開の集会を行なうことを禁止したり、機関紙誌の問題等について禁止できるというふうにしてあります。そして第七条と同様に、その団体のすべての役職員、構成員は禁止の趣旨に反する行為ができず、またいかなる名義でも禁止を免れないという点に問題を持っております。ここでいう団体活動というものについては、第四条第四項にありますように、役職員のみならず一構成員の行為でもよいのでありますから、ある団体の構成員のうち一人が事件を引き起こしたという場合に直ちに規制を受けるおそれがあるということでは、これは望ましいことではありませんが、一組合員の傷害事件等が起きた場合に、全組合員に四カ月集会なりデモなりこれらの組合活動の禁止を行なうという点に問題があります。たとえばある組合の機関紙に載せられた記事の一つなり写真一つが、その機関紙の発行禁止を招くという危険が将来出てきやしないかという点について私は心配をします。こういう点から見ますと、私は言論なり集会なりの自由を侵すということで、今日の憲法に制定されているところの精神を著しく侵害する事案であるというふうにとっております。  またそれと同時に、第九条にあります禁止期間中におけるところの業務計画の問題について、公安調査局長に届け出なければならないというように規定されておりますし、これに反してはいけないというふうに述べられておりまして、一万円の罰金というものがかかっております。私はこの点団体が四カ月の計画を示す場合にも、そのときにおけるところの政治の情勢なり今日われわれの存在している条件によっては、一応画一的に規定はできない問題だと思います。こういう点について、労働組合やすべての民主団体、大衆団体の行動についてある程度制限をしたり、また自由を奪われるという点で、この項について反対をいたします。  また第十条なり第十一条の中にいろいろな問題が提起をされております。私はこの団体の中で十分にそれらの点についての理由があるという点は認めるわけでありまするが、しかし十一条の問題なりそれらの点については、時間の関係がありますので、省略をいたしますが、すべての問題の中で特に私が問題になるのは、七条から十一条の本法案の骨格というものについて、一応われわれとしては重大な問題として理解をしたいというふうに思います。また公安審査委員会の判断の問題なりを考えるとき、今日存在をしておりますととろの憲法第二十一条の結社の自由の問題、同じく第二十八条の団結権を侵されるおそれがあるということを、今日の法案提出の中にある条文を率直にながめ、われわれの体験を通じて、その問題について申し上げたいと思います。  また社会党が提出している法案と特に自民、民社の共同提案がされているものの本質の問題については、私は政治テロという点では共通の広場を持っておると思いまするが、ただ自民党と民社党の共同提案法案の中には、かなり団体関係の規制を意図するところの問題があるのじゃないか、こういう点について私たちの職場なり、私たちの組合のいろいろな人たちの中からは、破防法の普及版であると同時に、この法案がもしこの国会で制定をされた場合には、破防法の決定版というふうにわれわれとしてはとらざるを得ないのじゃないか、こういう点において日本の民主主義の発展を著しく阻害するような影響をもたらす法案であるというふうに、私は一応社会党案と比較した場合に、問題として提起をしておるわけであります。そういう形の中から、私は社会党法案の中では、特にやはり凶器の問題についてもある程度の規制をしておりますし、この行動の中で社会党の原案で示されておるところの刑罰の問題については、あながち望ましいかという点、また三カ年間の時限立法というものについては、形罰はある程度今日の刑法並みに直していただくと同時に、もう一つ期間の問題については、日本の今日の情勢の中では、時限立法なら五年くらいを継続すべきじゃなかろうか、こういう意見を私たちとしては一応持っております。こういう形の中から、私はこの法律の中におけるところの集団示威運動なりあるいはわれわれ国民の権利として行なうところの請願権の行動というものについて大きく侵害をされるという点について、非帯に問題にしていると同時に、団体活動の制限を国会の立法措置として行なうということについては、日本の民主主義の発展ということについて非常に憂えるわけであります。  こういう点からして、この際この問題の取り扱いについても慎重に扱っていただくと同時に、今度の法案に対しては、労働組合の正当な活動、民主団体、大衆団体、平和を愛するすべての運動について正当な活動の保障を、この法案を制定する以前に一つ考えていただきたい。と同時に、政治テロの根絶というものは、一立法措置だけでは問題の解決にならないので、この点については政治の貧困なり、政府の政策、また与党の政策が、国民の共感を受けるような政治の方向に発展をしていただくこと、国民にいい気持なり、新しい感情を呼び起こすような政治をとっていただくことが、この法案を作る以前の一つの問題じゃないだろうか。特にその中でも、集団暴力なりこういったいろいろな問題のところで、現行法律の中で受けているいろいろな問題の中でも、この条文には公務執行妨害と威力業務妨害の罪状だけがはずされている以外は、すべての犯罪案件なり現行刑法が入っております。こういう関係から、今日労働組合の中でも、春の戦いの中で、傷害事件なり軟禁なりいろいろな問題について、たくさんの事件で起訴されております。この起訴されているいろいろな事例を判断をしていく場合に、一つ一つ審査なり点検をしていく場合には、それは当然裁判所の中でやればよいだろうという御意見もおありだろうと思いますが、私は事前に予防の措置の方向について、もう一段と現行法規の中での運用について誤らないようにしていただきたい。と同時に、もう一つは、先ほど午前中にも御指摘がありましたように、警察署に対する通報制度というものについては、労働組合の活動の中におけるところの大きな問題だと思います。このことは労働組合の活動と日本の問題について、公安調査庁と警察庁が一体になってやっていくという形で今日存在をしていると同時に、労働組合の中に悪く言うところのスパイ活動なり組織の混乱を導くような条項については、削除をしていただきたいと同時に、もう一つ問題になりますのは、今まで志賀さんの方からも御指摘がありましたし、私たちの地域からも指摘がありますように、いろいろな警察官が使われるところの機密費、調査費、こういう問題が、この法案が国会の中で制定をされることによって公然と合法化していくという危険が存在しているのではないか、こういう点等をとらえながら、私はこの問題について私たちの考え方と気持を申し上げますので、委員各位において十分に一つ御検討いただいて、私が今持っておるような疑問について一つ解明をしていただきたいということを希望いたしまして、私の陳述を終わりたいと思います。(拍手)
  106. 池田清志

    池田委員長 次に藤原弘達君から御意見の御開陳を願います。藤原弘達君。
  107. 藤原弘達

    ○藤原参考人 初めにお断わりしておかなければなりませんことは、参考人として呼ばれるにあたりまして、私、法律学者でもありませんし、法理論ないしは法解釈の技術というようなことについては、意見を申し述べる資格のない立場におりますので、そういうことはお断わりだと申しましたら、一つ政治論ないしは政治常識論として意見を述べてくれ、こういう御意見でございます。すでに二つ法案が出ておって、この法案内容についていろいろな議論をするというのが、おそらく参考人を呼ばれる大きな理由だろうと思いますが、この問題は政治暴力ないしは政治テロというものをどういうように見るか、考えるかということが、この二つ法案という形になって出ている背後の事情にかなりあるということが言えるのではないかと思うのです。そこで私は主として、法律学ではなくて、政治学的な立場で、政治暴力というものをどう考えるかということについての意見を述べまして、皆さんの御参考に供したい、こういうふうに思うのです。  こういうことは常識と言えば常識でございますが、言うまでもなく、現代の法と申しますか、近代の法体系というものは、一切の暴力を国家権力に集中的に持たせているわけであります。国家権力がそういう一切の暴力を集中的に持っている、従って権力以外の存在における暴力発動というものは原則として禁ずるという建前をとっておりますと同時に、逆に暴力外的な政治行動と申しますか——暴力をさらにこまかく申しますと、私はこれは物理的強制力ということになると思うのです。つまり一切の心理的自発性を拒否した、いやおうない強制力である。その最大限の発動は、国家権力の場合には、外部的に発動されれば戦争であります。内部において権力を打倒しようとして起こる場合は革命であり、クーデターであり、また暗殺であります。そういう形態となって現われる。現在戦争行為が国家権力の暴力的発動として合法的であるかどうかというようなことは、これはいろいろ議論があるかもしれませんが、少なくとも国家権力のみにそういうものを与えているということが私は言えるだろうと思うのです。こういう建前を近代国家の原則がとっておるということは、逆にいえば、心理的自発性を伴ったいろいろな政治影響力のあるような行動、言論、そういうものはできるだけ自由にする、つまり物理的強制力を集中的に権力が吸収すると同時に、他のモメントというものはできるだけ全市民、全社会的に解放するという原則ができている、こういうように解釈しているのであります。こういう政治暴力の問題が出てき、さらにこれが法案となるのは、一体どういう政治的状況のときであるかということであります。今度の法案も私はやはりノーマルなものとはとうてい考えられない。アブノーマルな政治状況に対応するための立法である、こういうことは言えると思う。つまり政治状況に対応する立法であるという性格を持っております。そういう面で見ますと、これは国家権力が合法的に行なうような、たとえば殺人行為を行なうから死刑も行なうわけですが、そういうものを国家権力以外のものが行なった場合には、すべてこれは私は政治的暴力行為に入る、原則的にはこれに入るという解釈になるわけであります。しかしこういう暴力に対しては、いずこの国においても法定刑によってこれを罰する建前にあることは申すまでもありません。ただ問題は、今度の立法の場合にはあくまでも私は最近の政治情勢、特に安保騒動以後の政治情勢の特殊性に対応したものである、こういうように判断しています。そこで暴力を排除しなければならない、根絶しなければならない、これは三つ子でもわかる議論でありますが、ただ問題は、どういうような暴力を取り締まるかという点で、はからずも二つの流れが依然としてあるということは、これは否定できない事実だろうと思うのです。率直に申しまして、先ほども総評の方から出ておりましたが、かなり自民、民社両党から出されておるところの法案については、これが非常に暴力の範囲を広くするものであり、労働組合行為を不当に規制するような可能性があるのではないか、こういう点についてこまかい御説明がありましたが、この状況対応、暴力はいけないという前提に立って状況に対応してくる世論や、さらには国会や、政治家の皆さんの判断の仕方に、かなり段階的なものがあったというように理解しているのです。ともかく右翼テロリズムがばっと一般化したときは、いかなる暴力もいけないという点では一致されたと思うのです。  それからだんだんこの暴力がいけないという点については、全国民的な世論であるから、非常に厳罰の法規で罰せよというような論調が新聞とか雑誌とかにずらっと出てくるような情勢を背景にして、私は社会党の案が成熟したといいますか、できてきたように理解をしております。その後だんだん政府与党の側からは、そういっても、そういうものを起こしてくる原因になったものは、安保騒動におけるところの不法な国会乱入とか、総理大臣官邸の乱入とか、こういう不法な集団行為があったからだ、こういう解釈がやはり内容的、実質的にはあったと私は思う。だからそういう意味では、これを取り締まる、そういう意味ではかなり広い範囲の暴力規定というものになっていった、こういう過程をたどっているわけであります。  さて、それでこうやって法案になって、私なんかも右翼テロなんかが起こったときには、文句なしに否定しなければならない、これは文句なしにそう思いました。しかし集団暴力のときには  集団暴力と申しますか、いわゆる安保闘争におけるいろいろないざこざというようなときには、かなりこれはデリケートに使い分けなければいけない、単なる暴力として一括的にいけないというような批評ないし評価というものはなかなかできにくいということは、十分認識してものも言ってきたつもりなのであります。だからこれをいけないという前提に立って、どうも政治暴力ないし政治テロを根絶したいという立法発想が出てきた。出てきたけれども、その後の政治過程、立法過程を見てみると、かなりそれがだんだん変わってきているということが感じられるわけであります。いよいよ法案という形をとって出てきたものを見てみますと、依然として、つまり政治暴力を発生せしめた要因になるような基本的な対立というものが残っているということを感ぜざるを得ないのです。つまりこういう暴力の発生する原因ということが、やはり政治的には問題にならざるを得ない。暴力がいけない、いけないと言ったってしょうがないのですから、なぜこういうものが起こってくるかという原因の追及というものをある程度ダイナミックに考えていかなければいけないということになるわけであります。私は原因はやはり現在の日本の政治のアブノーマルな点にある、正常でない国会のあり方にあるというように思っております。原因はかなり大きな部分がそこにある。そういうところから、一つ法案の審議においても相いれない激突がだんだん起こってくる。そういう起こってくるものが院外に波及してくる、院外に波及してきて、暴力的な不法事件が起こってくる。そうすると、それに対抗するためにいろいろなものが出てくる。こういう形になる。この暴力を一括して取り締ろうとすると、さらにはまた二つ法案という流れになってくると、卵かニワトリかという議論にややなるような循環的傾向というものが、やはりかなりあるのではないかというように思うのです。  そういう点で、私はこれは議員立法として取り上げられるという点では、一番望ましいことは、やはり少なくとく三党の一致した形で、暴力概念とか、範囲とかいう点については政治的な解釈を入れる余地のないような、一致した見解を前提として法案が行なわれることを強く要望したいのです。もしその意見が院外でも、この委員会においてもまとまらない、まとまらないのをまたそのままに強行すれば、院外にこれが波及していく。これは罰するといえば罰するで、それはけっこうかもしれませんが、しかしそういうものがかなり収拾のできないような過程をたどったというのがすでに過去の経験でございます。この経験をやはり生かすということが必要になるわけでありますから、そうなれば当然これは一致しているということが強く要望されざるを得ない。そういう意味では、私は時間があまりありませんから、結論的なことを申し上げますと、ともかく少なくとも三党の一致した暴力についての解釈というものを前提にした議員立法がこの際望ましい。その点で非常に本質的な意見の懸隔があるということはいいかげんにされないし、さらにはこれを強行採決されるとかいうようなことでお通しになると、暴力防止法案を制定しながら暴力発生の原因に国会の委員会がなったという世のそしりを免れかねないのではないかということを感じます。特に国民大衆の場合は、そういう点はかなり素朴に見ていると思うのです。それは法律家に言わせればいろいろこまかい説明はございますが、かなりその点は素朴に見ている。暴力という次元になれば、これは右も左もないのだ、悪いのだ、こういうようなある程度絶対的な評価で、しかし暴力はいけないという国民大衆の中にあるところの絶対否定感覚を政治勢力の名によって割らないという一つの良識を持って進んでいただきたい、そういうように思います。  そういう意味で、私はこの国会でこれができなくてもかまわないと思うのです。あわててお作りになる必要はない。もちろん私はもう一方から見ると、ともかく社会党で、あの非常にきつい内容を持った右翼テロを主とした対象にされたものががっと出てきた。これだけでも私は社会心理に与えた予防的効果はかなりある、こういうふうに思っております。さらに政府、与党もこれに取っ組んできたということを通じて、かなりの心理的予防効果を上げているということも言えるので、そういう意味では、こういう問題に真正面からお取り組みになった法務委員会の皆さんは、まさにそういう立法過程を通じて一定の政治効果のある行動をされたということにも私はなるのではないかと思って、その点は大いに多とするのであります。しかしまた同時に、との法案を成立させる過程における問題、これは暴力と、特に民衆の暴力発生ときわめて密接な関連があるということを一つ十分お考えになってやっていただきたい。日本は、クーデター相次ぐ、革命相次ぐ中南米の諸国とか、中近東の諸国とか、東南アジアの諸国なんかと違って、かなり民主的なルールというものに対する一般観念も発達しております。特に戦後は暴力否定の観念というものはかなり民衆の中には徹底した一つの観念になっている。暴力を肯定する人はごく一部おりますが、かなり一般的に普及した観念になっていると思うのであります。そういう意味では法によってこれをやるという考えよりも、一定の心理的効果をねらった有効な方法の方がいいというふうにどうしても考えざるを得ないのです。そういう意味で、今度の国会の会期中にできなくてもいい。ただ、あるテロが起こる、さらには集団暴力があった、これは昨年の経験からごらんになっても、連鎖反応を持っていることなんですね。連鎖反応を起こすことが非常に問題なんです。まさにこういう連鎖反応を起こしそうなときに、ぱっと国会において全員一致した意見において非常立法をおやりになる、連鎖反応を食いとめたらこの法案は廃案、こういうような政治的機動性を持ったそういうひな形を法務委員会においてお作りになるということだったら、私は全面的に賛成なんです。しかしこういう形になってくることはどうも、私は評論家の立場で呼ばれたのですが、国民に納得のいくような説明にもいささか困るのではないか、こういうように思っております。これだけであります。(拍手)
  108. 池田清志

    池田委員長 参考人の真野毅君が御出席願えました。  真野君に申し上げます。御繁忙中まことにありがとうございます。かねて御提示申し上げております両法案について、参考人からまず二十分程度以内において御意見の御開陳を願います。真野毅君。
  109. 真野毅

    ○真野参考人 私はこの法案の全部について十分な検討を遂げたということを申し上げる資格はございません。ただ与えられました資料その他前から自分の見聞していた材料に基づきまして、私がこの法案に対する所感と申しますか、というものの二、三の点にしぼって申し上げたいと思います。  まずこの法案を見まして私が最初に感じましたことは、この内容並びに表現がともに非常にごたごたした感じを与えられたということであります。それからもう一つは、こういう立法の必要なことについての焦点をしぼるというよりは、むしろその機会にいろいろな場合に対処できるように間口を広げ過ぎたのではないかという感じを持ったのであります。そういうことから生じまする私の結論としては、もっと中核的なものだけをまず規定し、さらに将来の経験をも考えまして他日の改正を待つという態度が望ましいのではないかという感じを持ったのであります。  まず最初に申し上げたいことは、何ゆえに法案がごたごたしておるかということでございまするが、その内容から申しますると、二つの方向の違うものを一ところにくくりつけてまとめ上げたというところにも、一つのごたごたの原因があるのではないかということであります。法文等のごたごたしないことを、よく日本では法三章でやれということを申します。法三章と申しますのはどういうことかと申しますれば、結局殺すなかれ、傷つくるなかれ、盗むなかれということに尽きるのであります。これは紀元前二百年の古いころかと思いまするが、漢の高祖が初めて天下を平定して都に入ったときに、民衆に約束した言葉というのがこの法の三章でありまして、人を殺す者は死——死刑ということであります。人を傷つけ及び盗むは罪に至らずということで、殺すなかれ、傷つくるなかれ、盗むなかれということを法の一番基本的な中核的なものとして掲げたのであります。これは必ずしも東洋におけるばかりではなく、旧約聖書のうちのモーゼの十戒というのがあります、ヘブライの律法者であるモーゼが神から授けられたという名のもとに十戒をこしらえた、この十戒のうちに、盗むなかれ、傷つくるなかれ、殺すなかれということが入っておりまするから、このことは、洋の東西を問わず、非常に古い時代からの法の根本として認められてきたところでありまして、これを犯す者を罰するということは、いわゆる法秩序を擁護するという立場からはどうしても必要なことでございます。これは必ずしも民主社会に至らぬ前、封建時代からずっと行なわれてきた原始的な法であるわけであります。  それから、この法案のうちの一方のうちにございます集団示威運動、集団行進、公開の集会というものは、それ自体としては近代の憲法におきまして、基本的人権として擁護されておるものでございます。これは、封建時代には、こういうものを擁護するという法律はなかったのでありまするが、近代憲法のもとにおいてこういうことが基本的人権としてだんだん認められてきて、わが日本国の憲法もまたこれを認めておることは、皆様とくと御承知のことであると思うのであります。こういう基本的人権に関する事柄を制約する必要のある場合の存することは、これもまた疑う余地はございませんが、しかしその基本的人権を制約するという立法をするにあたりましては、十分の注意と検討とを加えて、中核的なものから、必要に応じてだんだん広げていくという態度をとることが、立法の方法としては非常に賢明なものであると私は信ずるのであります。ちょうどこの政治暴力行為防止法というようなものは、いわゆる政治テロあるいは安保デモというようなものに刺激をされて、そういうアクションに対してリアクションという形でここへ現われておるものと私は見ておりまするが、アクション−リアクションということは、往々にして反射運動的な作用でありまするから、その間に十分なる検討を加えないと、理性的なものが完全にでき上がらないのではないかということを非常に懸念をするのであります。  そういう政治テロのうちの一番の中核は殺傷であります。政治的な見解を異にするがゆえに殺傷するということでありまするから、そういうことは秩序維持という方面から大いにこれを追及しなければならぬものでありまするが、一方は何しろ基本的人権というものの行動の行き過ぎをどう始末するかということでありまするから、両方の取り扱いは、ちょっと異質であり、同時に比重を異にしておるものを規制するわけでありまするから、この両者はやはり区別して立法することの方がよいと思うのであります。むしろ今の自民党並びに民社党、社会党の両案の中でおのおの範囲が重なり合っているところがあり、その点についてもう少し検討を加えて、その点、つまり政治テロだけに限ってこの際は立法をしていくことの方が、政治テロというものを根絶するのにかえって効果的になるのではないか。  先ほど、政治テロのごときは、今日の変態の情勢下に生まれたものであるという御意見もありましたが、なるほどそれはその通りでありまするとして、私どもが現に生きて経験した事実によれば、明治、大正を通じて相当政治上のテロというものは行なわれてきて、それによって相当のベテランの人が失なわれたということ、それによって日本の政治が進歩を妨げられたということもございまするので、この政治テロに関しては相当厳密なる規定を設けることが必要であると思うのであります。とは申しましても、社会党案のごとく、死刑または無期に限るというのは、いろいろな事情もありますから、行為の軽重もあるわけですから、それのみに限るというわけではなく、やはり有期懲役というもの、何年に限るかは別として、そういうものを加えるようにする方が適当ではないかと私は考えるのであります。  それから自民党案の中にありまする政治上の主義とか主張とか、そういうことじゃなく、思想的信念、信条という言葉、この思想的信条ということは、通俗的にはわかるといえばわかるでしょうが、そのわかる意味が、各人によって理解するところは大へん違うのではないか。思想という言葉提案の理由の御説明のうらには、思想ということについての内容的の説明はございません。ただ法案説明の補足のうちには、思想的信条と申しておりまするのは思想上の信念のことでございまして、信念というものと信条というものと同じものであるという御説明がありますが、思想ということ、それはどういう範囲のことをいうのかということは、これは容易にはきめがたいことでございまして、なるほど憲法の第十九条には思想の自由ということはうたわれてはおりまするが、その思想がはたしてどこからどこまでのことを意味するものであるかということは、いまだ確定したる観念もございませんので、思想という言葉をこの法案における犯罪構成要件のうちに加え、あるいはまた刑罰を加重する要件のうちに加えるということは、はなはだばく然たる観念をもって人を処罰するという結果を来たすわけでありますから、こういう言葉を使うということはよほどお考えにならないと、幾ら法案のうちに広く解釈してはならぬと書いてあっても、法案のうちに思想ということがある以上は、その思想は何であるかということがはっきりしない以上は、ずっと拡張してくる。思想ということをイデオロギーと解釈すれば多少狭くなりましょうが、憲法で使っております思想というのはイデオロギーではなくして、フリーダム・オブ・ソートという非常に広い思想という言葉で英文では表わされておるような次第でありますから、思想的信条ということでいくと相当広過ぎるのじゃないか。罪刑法主義立場に立っておる近代憲法下における立法の用語例としては、はなはだ不適当のように私には考えられるのであります。  それからもう一点、この法案を拝見すると、尊属に対する刑罰規定のところが五カ所ばかり出ておるのでありますが、この尊属殺、尊属傷害等に関する規定というものは、今日のわが刑法における最も封建的な残ったかすのようなものであると思うのであります。そういうものについてこの規定のうちに五カ所もそういう言葉が出てくるということは、これはいかがなものでありましょうか。その第一条によりますと、「わが国の民主主義の擁護に資することを目的とする。」ということがございますし、提案理由の御説明を見ても、民主主義の健全な発展と伸張をはからなければならないためにこの法案提出するということがうたわれております。それから提案理由の説明の中だけでも民主主義という言葉は九カ所も出ておりまするから、この法案立法する一番のもとは民主主義を尊重し、擁護するがために作るんだと言いながら、最も封建的なものとして日本の現在の法律の中に残っておる尊属ということに関する規定を入れるということは、これはむしろ民主主義の擁護ではなくして、封建主義の維持をはかるものだというそしりを免れ得ないものではなかろうか。つまり尊属というものに対して罪が犯されると、ほかの人に対するより重く罰せられるということは、憲法でいう平等の原則に私は反するものと思うのでありまして、民主主義の起源並びに発展のもとであるところのアングロサクソン民族、すなわち英米の系統を引く国においては、尊属殺、尊属傷害などという規定は初めからないのであります。大陸法の中でもその中核であるドイツにおいては、とっくに尊属殺、尊属傷害というような差別的の規定というものは廃止されておるように私は記憶しております。そういうことから申しましても、何だかこの規定は民主主義を守るものということを言いながら、ちょっとほかの方面へ方向が向いておるのではないかということを疑わしめることを感ぜざるを得ないのであります。先ほど、この法案法律化する場合においては、日本の民主化が、何という言葉をお使いになったか知りませんが、非常な阻害を受けるというような意味のことをお話しになりましたが、私は、この法案ができることによってそういうおそれがないとはとうてい断言することができないような気持がするのでございます。それでありまするから、古い時代から原始的の犯罪として認められておることが近代での姿をとって現われた政治テロに対しては、十分厳重なる規定、それも良識にかなう程度の規定を設けることは必要であると思うのであります。  それからデモの方面においても、第四条第一項六号ですか、国会侵入とかいうような事柄、それはいわゆる行き過ぎである、この行き過ぎ処罰する規定を設けるという方面からくるのでありまして、そういうものについては、それが民主主義の健全なる発展を阻害しないようによく注意に注意を加えていくということの方が、日本の将来のためによろしいのではないかというのが私の考えであります。  それから、私も法律家の端くれでありまするが、用語の点について少しく御参考までに申し上げてみたい。第三条に「この法律による規制及び規制のための調査は、」という言葉がある。これは読んで非常に四角ばって虚勢を張ったような形で読みづらいのでありまするが、一体文字からいうと、「この法律による規制及び規制のための調査は、」というと「この法律による」ということは、あとの「規制」にはかかっていない。意味としてはかかりましょうが、文章としては「この法律による規制」ということと「調査」ということが対立しておるわけでありまするから、「この法律による」ということは「規制」という文字にはかかり得ないのが文章上の正当な解釈であろうと思うのであります。そういうことよりも、「この法律による規制及び規制のための調査」というそのあとの方を、「この法律による規制及びそのための調査」とやれば、これで十分にして、かえってこの方が読んでさっとわかる。そして文章としても、「その」とする方がはっきりわかる。これはなるほど破防法にこういう言葉が使ってありまするが、使ってあるからそれがいいというわけではなく、それが自然に踏襲されたものとは思いまするけれども、やはり法文をわかりやすくするということは、現代の立法の上における一つの大きな要請でありますから、「その」とする方がかえって意味が正確になるというように私は感じます。  それから第一条を初めとして、「政治上の主義若しくは施策又は思想的信条声推進し、支持し、又はこれに反対する目的をもって、」という言葉がこの法文のうちにずいぶんたくさん出ております。同じことが繰り返し繰り返し十幾つか出ております。法文を読んでいって、これほどしんの疲れる法文はないと思いまするが、これを何とか整理ができないものかということをお考え願いたい。これはそんなにむずかしいことではございません。たとえば第一条のこういう言葉は、政治的暴力行為という言葉に直せばそれでいいわけであります。それでこの例は、やはりさっきの破防法の第一条の目的のところ、定義のところにそういう言葉でもって詳しく書いてある。定義のところへ一つ詳しく書けばそれでいいわけではないかと思うのです。  それから第十四条にもやはりそういう言葉が書いてありまするが、これをどう書くか。一番簡単に書くとすれば、「第四条第一項第一号の行為をした者」とすれば、それでも事足りる。それで疑い余地はないと思います。それがかりにいかぬとすれば、「第四条第一項に定める目的をもって第瓦石の行為をした者」、こうやればすぐわかります。政治的暴力行為の一々の行為がどういう罪に当たるかという罰則と対照する上においては、かえってその方がよくわかりいいと思うのであります。それでもいかぬということならば、「第四条第一項第一号の政治的暴力行為をした者」、こういう表現を用いてもいいんじゃないか。その他まだ適当な表現はあると思いまするが、適当にお考えを願いたいと思います。  これは小さいことでありまするが、第四条第一項第六号に、「不法に、」ということが書いてございます。この「不法に、」ということは、侵入ということにかかるわけでありますから、刑法第百三十条の住居侵入ということと関連を持つものと思いまするが、刑法第百三十条には「故ナク」という言葉が用いてある。この「故ナク」ということと「不法に、」ということとは意義が異なるものかどうかということを御検討願いたいと思います。  それから、なお小さいことでありまするが、第四条第一項第六号に、「内閣総理大臣官邸」と書いてあります。これは私の記憶違いではなかろうと思いますが、今では総理大臣のは、総理大臣並びに国務大臣、最高裁判所裁判官の昔の官邸という一束でいわれたものは、今では公邸ということになって、公邸と官邸とはやはり国法上の取り扱いが区別されております。そういう点は私の記憶があるいは違っておるかもしれませんが、気づいた一つの点でありますから、十分御検討をお願いいたしたいと思います。
  110. 池田清志

    池田委員長 これより御出席中の参考人の御意見に対しまして質疑を進めたいと思います。  質疑の通告があります。これを順次許します。菅太郎君。
  111. 菅太郎

    ○菅委員 先刻来、参考人の皆さんから貴重な御発言を賜わりましてありがとうございました。ただ承っておりますと、皆さんの御陳述の中に、自民党及び民社党共同提案のこの法案についての、全体的性格の御判断につきまして、一つの異質のものが混在しておる、一つは、このテロ防止的な社会党的考え方を一つ取り入れ、一方は、集団活動に対する規制を取り入れて、両方が混在しておるというふうなお話がございました。ことに藤原先生からは、政治評論家としてのお立場から、その政治過程をずっとたどってのお話さ、えいただきまして、御主張のほどはよくわかりますが、私はこの法案立案に補助的な立場から当たっておる者でありまして、その立場から見ますと、少し誤解があるのではないかと思いますので、私がその間の活動から得ました実感を申し上げて、そうしてそういうお考えを直していただくことができますかどうかという御質問をいたしたいのでございます。  なるほど率直に申しますと、まず第一番目に藤原先生がおっしゃったように、嶋中事件が起こりましたあと、それに対する一つの反射的な規制において、社会党のこのテロ厳罰、一種の革命裁判における威嚇主義みたいな色彩を持つものがぼっと出てきた。それからしばらくいたしまして民社の案が出て参り、そういう状況から一カ月もたちました後に、自民党側から要綱が発表されてきたのであります。これは率直に申し上げますが、自民党の最初の要綱を作りますときには、おっしゃいましたように、社会党案のようなこういう一つのきわめて特色のあるものに対する反射作用として出て参りました自民党の要綱は、いささか集団活動取り締まりの色彩を出したものでございました。現に草案を見ますと——というのは、藤原先生はその政治過程を非常に重視なさいますから申し上げるのでありますが、そのときの初めの方の自民党の案には確かにそういう傾向があります。たとえば「多衆共同して」とか、「数人共同して」とかいうことがちょくちょく入っておりました。まず一番問題になっております国会議事堂、首相官邸の乱入につきまして、「多衆共同して」ということが一つ犯罪構成要件になっておるということが一つあり、またその当時においては、たとえば公務執行妨害あるいは逮捕監禁あるいは強要等につきましても、「多衆共同」もしくは「数人共同」というような犯罪要件がありまして、ただそれだけの要件があるのみで刑罰が  一般罪よりも加重されるような案を盛ったことがありました。その当時までの過程においては、藤原さんのおっしゃるような一つの反射作用として出てきたのであります。しかしその後の審議の過程において、自民党側においてもいろいろ考え、特に民社党さんとの妥協をやるのには、こういう性格のものではまとまりませんので、実は自民党側がその意味における反射的な態度を思い切って撤回をいたしまして、それで民社党さんと妥協ができてこの共同提案ができたのであります。それから多衆共同して行為をすることによって刑罰を加重するという考え方を捨てて、もっぱら暴力行為取り締まり一本にしぼるという態度に後退したといいますか、改善したというか、その態度に改めたのであります。ですから今日最近でき上がりました成案をよくごらんいただきまして、その成案について御批判を賜りたいのであります。今日出ております共同提案文句をずっとしさいに御検討願います〉、全法案を通じまして、集団活動の上に取り締まろうというところは少しもございません。もちろんただ一カ所既定の法律を引用したところに「暴力行為処罰に関する法律」というので、集団的な暴行、脅迫というあれをやる法律を引用、導入してあるところはございますけれども、これは論外でありますが、それらを見ますと、「多衆共同して」とか、そういう意味で集団活動というものを目標にしたものは何もございません。問題になっております第十七条を特にごらんをいただきたいのであります。問題の第十七条は、政治目的がここに初めに書いてございまするが、それは不法侵入が乱入の域に達した場合のみ、つまり暴行もしくは脅迫をもって侵入すること、建造物もしくは器物を損壊して侵入すること、またはへい、さくまたは門を乗り越えて侵入する場合のみ、従ってこれを見ますると、要するに暴力的な侵入を罰しておるのでありまして、ここからは最初にありました「多衆共同して」侵入するという字は取ってしまったのであります。従って民社党との共同案を作りますときにわれわれ苦心しましたのは、この法案は集団活動の取り締まりの部分は除外する、もっぱら暴力行為に関するものを統一する、こういうことについての考え方をまとめた次第でございます。そういたしまして、この法律というものを、要するに民主主義体制下における政治的活動の安全及び自由を守る法律としての性格を与える。破防法が、御承知のように、内乱、外患その他の国家の根本的存立を危うくするとか、国家の根本的秩序を脅かすものに対してちょうど一つのたてとなっておりますが、この法律はそうでなくて、あくまで集団的なものを取り締まる理由を避けて、政治的なそういう暴力行為一本に押えていって、政治をする人間の活動の安全と自由を守っていく。特に政治的中枢はそういう意味で大切だから特に重く守ろうという意味はありますけれども、ことごとく一貫して、国会乱入あるいは首相官邸侵入を含めて政治活動の自由及び安全を守ろうというところにしぼる。対象はあくまで暴力行為である、こういうふうに後退いたしました。そういう苦心のあるところをお察しを願いまして、藤原先生が今後いろいろ政治過程についての政治評論を賜わります際に、そういうふうに社会党の一つ法案が出、それに対する集団的なものをつけ加えるという動きがあり、これが民社党と妥協をするという意味においてそれは後退して集団性なるものは全部消したのだという点を御承知をして、これから一つ御評論をいただきたいと思うのでございますが、藤原先生の御所見を承りたいと思うのでございます。
  112. 藤原弘達

    ○藤原参考人 時間の関係で、ただいま申されましたような自民、民社両党提案になったいきさつ、さらにはこの法案がかなり具体的な問題にしぼられていった過程、さらにはいろいろ苦心されて具体的な条項にしぼられた過程といいますか、こういうものが条文全体の中に流れていることはあえて私は否定いたしておりません。さらにそういう問題がどういう危険性があるかということについては、最もナーヴァスに考えておられるのは総評の方でございますから、どうぞそちらの方にお聞きを願いたい。
  113. 菅太郎

    ○菅委員 あとの参考人がお見えになりましたそうでありますから、簡単に端折りますが、一言だけもう一つ御質問をいたしたいと思うのでございますが、特にこれは種橋さんにお聞きをいたしたいと思います。  私は、政治活動をなさる方々がこの法案の成立によっていろいろな意味において不自由を感ぜられる、あるいは警戒をされる、あるいは危惧の念を持たれるということは当然だと思うのでございます。今申しました通り政治的の安全及び自由を守るとは言っておりますが、この法案規定すること自体が政治活動の自由を相当押えることになっております。御心配はもっともだと思いますが、しかしこれはあまりノイローゼ的になって心配をしてはいけないと思うのでございます。政治活動をする者にとっては、ひとり総評の皆さんのみならず、あるいは愛国陣営の諸君に聞いても、この法案の成立はやはり非常に警戒をするでありましょう。のみならず、率直に申しますと、われわれ国会人がこれは危惧を感じます。何となれば、国会内における乱闘というものはのがれもない、まさに政治目的を持ってする暴力でありますから、この法案が成立する以上、一番、まっ先にわれわれは院内における乱闘のごときは慎まなければ、これはぴしゃっとやられるのであります。そういう意味において、この法案の成立にあたっては、われわれはわれわれの立場のみを考えてはいかぬと思うのであります。そういう自分たちの属する団体活動、集団の活動、職業の活動ということもよく考えますが、やはり全体としての大局的判断をいたしますときに、そういうふうに政治活動が制限されましても、やはり大局において、そのことによって、この暴力行為によって侵害されるおそれのある日本の政治活動全体の安全なり自由がだんだん守られていくところにむしろ重点を置いていただきまして、それによって得る民主主義政治の擁護という点に重点を置かれまして、そして総評の方におかれましてもそういう点をお含み下さって、十分御警戒下さることは御警戒いただく、また乱用を慎む点はこの法の規定にも十分ありまするし、執行にあたっても十分それに気をつけるようにいたしますから、一つ大局的見地からの御判断を賜わりたいと存ずるのでございますが、その点につきましていかがでございましょうか。
  114. 種橋茂

    種橋参考人 先ほど御質問がありまして、私が意見を述べる前提といたしまして、この法案についてのたくさんの疑義なり私たち自身でも教えていただきたい問題がたくさんあるのだ、こういう立場から私は意見を申し上げたと思います。ただ問題になりますのは、私は、今御指摘がありましたように、この法案が制定される動機というものは、過去における浅沼事件なりまた一面嶋中事件といわれている問題について、特に右翼の問題について取り締まりと政治テロについての見解を明らかにしよう、こういう形で私は国会の中でも池田総理がそのことについて述べられていると思います。そういう点からすると、当然政府としての政治の指導の立場なり施策の中で、右翼テロの原因になるものについての排除というものが国民の中に明らかに示されることが、私たちのあの右翼テロに対する憎しみにこたえていただける政治の仕事であったのではないか、こういうふうに前提として考えております。  そこで私は、問題になっておりますところの法案の中での第四条の第七号に書いてありますところの、「予見しながら」とか、また「その者に対し、継続又は反覆して、」「特定の他人を殺す」というこの文章の中で、継続的に扇動をしたのではない、ものを言ったのではなく、断片的に言ったのがそういう影響があったかどうかということが今度の問題の中でも出てきているだろうし、この第七号を皆さんが立法措置の中で出されるならば、当然右翼の政治テロ、こういうものを取り締まるというならば、この条文はむしろざる的な傾向にありはしないかという心配をこの条文の中で持っております。それから院内の活動の中で暴力行為があるかどうかということは、私たちは院内に入る場合には所定の手続を受けない限り入ることもできませんから、傍聴席で院内における政党の審議というものを見、また一面報道機関を通じて国民政治に対する教育を受けているものだと思います。院内活動の問題については、私たちは外におる方が多いので、必ずしも万全の対策があったかどうかという点については問題の存在を明らかにつかむことはできないのですが、そこに受ける印象としては、問題の本質について話し合いを続けるという前提を開いていただきたいということを、民主主義の危機に対する希望という形で申し上げておきます。  いろいろ御指摘があった点については、私たち総評の活動の中でも、安保闘争以来のたくさんの経験から一面の反省は取り入れておりますし、この点についてはことしの総評の運動方針を正しく御理解いただくならば、私は今御指摘の点についての答えが明らかにされていると思います。
  115. 菅太郎

    ○菅委員 さっきから種橋さんのお話の中で労働争議のお話が出ておりますが、実は政治上の目的というのを明瞭に書きましたのは、経済的な労働争議にはこの法は適用されないという苦心をいろいろいたしてやったのでございまして、特にゼネストとか特別な場合でなかったらそういう御心配はないという点を書いておるのでございます。さっきからのお話で、そこは御混迷はなく、十分御認識の上でのお話であると思いますので、あえて質問するにも及ばないと思いますが、一言御質問申し上げる次第でございます。
  116. 種橋茂

    種橋参考人 先ほど御指摘の点で私たちが一番問題にしているのは、破防法の条文と今度の法案の条文に同一の文章がかなりたくさんある点であります。破防法の中に、勤労者の団結及び団体行動をする権利、その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を制限するようなことがあってはならないという点が第三条第一項にあり、その第二項に、労働組合その他の団体ということがある。こういう点について、この法案の中では、労働組合の活動を意識的にか無意識的にか除外されているのに、その他の条文は全部破防法の条文が適用されているという点に、私たちは拡張、拡大の危険のあることを心配するのであります。こういう点についての保障がこの条文の中には一切ないわけであります。こういう前提に立ってこの法案団体規制の問題についての意見を述べておりますので、一つ御理解を願いたいと思います。
  117. 池田清志

    池田委員長 参考人の武藤光朗君が御出席であります。  武藤参考人に申し上げます。御繁忙中わざわざおいでいただきまして、まことにありがとうございます。かねてお示ししておりまする両法律案について御高見を拝聴するためにおいでいただきました。  では、二十分以内に限りまして御意見の御発表を願います。武藤参考人
  118. 武藤光朗

    ○武藤参考人 ただいま御紹介にあずかりました武藤であります。私は社会哲学というような方面を専攻している者でありまして、主としてそういう方面から意見を申し述べてみたいと思います。  私どもの専攻しております哲学というような学問は、窮極的な真理を根源的に徹底的に追求する学問であります。特に社会哲学となりますと、そうした態度を社会生活の現実を通じて貫いていかなければならないわけであります。従ってわれわれの言論というものは、どうしてもここに御提案になりました政治的暴力行為防止法案の「政治上の主義若しくは施策又は思想的信条」というようなものに触れることになります。そして、結果においては、それらを推進し支持もしくは反対するということになる場合も少なくないのであります。そういう場合に、もし私どもの言論の趣旨が、自己の支持もしくは信奉するものと反するからという理由で、理性的な話し合いを無視もしくは拒否し、私どもの生命身体に危害を加えたりあるいは暴力をもって自由な言論を屈服、沈黙させる、こういうことを意図する個人や団体があり、またそういう行為を黙認もしくは肯定するような社会風潮が広がって参りますと、私どもとしては、職責の遂行にはなはだしく困難を感ずるようになるのであります。その意味で私は憲法の保障する言論、出版及び集会、結社の自由その他一切の表現の自由、並びにそれに関連しまして、憲法の同じく保障いたします基本的人権の保障を職責遂行の不可欠の条件として、その必要を切実に痛感しているものであります。もちろん同様のことは、政治活動を職責としておられます皆様方を初め、憲法の定める民主的法秩序のもとで、正当なる職責を果たしておられる善良なる日本国民のすべてが感じておることだと推察いたします。思想表現の自由その他一切の基本的人権の保障こそが、民主主義社会秩序を可能にする絶対不可欠の条件であるからであります。  昨年来引き続いて発生しました極右分子による一連の政治的暴力行為は、日本の民主的社会秩序を深刻に脅威し、善良な日本国民すべてのこうした民主的生活感情と念願とに、まっこうから挑戦する許すべからざる非行であります。しかも、今日においても、なおこうした政治的暴力行為を黙認もしくは肯定するかに見える個人または団体が、依然としてあとを絶たないのではないかとおそれてよい徴候さえ見られるのであります。善良なる日本国民のすべては、こうした反民主的な脅威と挑戦から、民主主義の根本原理である基本的人権を守ってもらいたいと切に念願していると信じます。善良な国民のこうした念願にこたえることは、国民の信託によって、国権の最高機関たる地位を占める国会の当然の責務であると信じます。でありますから、私はここに提案されました政治的暴力行為防止法案目的に賛意を表明するものであります。  もちろん本法案のような法的規制だけで、こうした政治的暴力行為を完全に防止することはほとんど不可能に近い難事でありましょう。わが国ではすでに刑法あるいは破壊活動防止法その他の取り締まり法規があり、それらによってある程度までは、政治的暴力行為をも取り締まることができるでありましょう。しかし前に述べましたような日本の昨年来の社会情勢を考慮いたしますと、この際国権の最高機関である国会が、善良なる国民の総意を体し、個人及び団体政治的暴力行為に対して、特別に考慮された本法案のような法的規制を定める、これに対する刑罰規定を補整し、この種政治的暴力行為を断固として排除する、こういう決意を表明することは、社会倫理上また社会教育上効果は相当大きいものがあると期待されます。その意味で特に本法案が第五条並びに第六条において、政治的暴力行為発生の防止のための自発的努力と、それからそれが予知された場合の警察署への通報を国民に義務づけておりますことに対しては、賛意を表明するものであります。  次に、同法案の第二十二条で、政治目的による殺人または傷害を実行しようとする者に対して、凶器または金銭、物品その他の財産上の利益を供与して、これを幇助する者を独立して処罰することにしたのも、政治的暴力行為の温床、特にその資金源にメスを入れる道々開いたものとして、私はこれに賛意を表するものであります。しかしひるがえって考えてみますと、政治上の主義とか施策または思想的信条に関する政治活動を規制の対象といたしまするこの種の法案は、いわばもろ刃のやいばであるという性質を持っております。それは本来この国民の基本的人権を不当な政治的暴力行為から守るためのものではありますが、それだけに反面国民の基本的人権、特に集会、結社、言論、出版その他表現の自由や、勤労者の団結権、団体行動権などを制限する危険を含んでいると存じます。その意味で私は、この法案が第三条で、政治的暴力行為に対する本法案の規制並びに調査がそうした危険を招かないよう、相当慎重に規制の基準を明記してあります、その配慮を了とするものであります。特に同条第二項で、本法案による規制並びに調査が正当な集団示威運動、集団行進、集会その他の団体活動及び適法な請願、陳情を制限することのないよう戒めておりますことは、本法案立法の意図が、いわゆるデモ規制にあるのではないことを明記しようとしたものと理解いたしまして、その意を了とするものであります。  こうした観点から、特に問題になると思われますのは、本法案が第四条の第一項第六号並びに第八号に規定された、政治的暴力行為並びにその未遜及び当該暴力行為教唆もしくは扇動が、第十七条及び第二十三条によって処罰の対象とされていることであると存じます。第四条第一項第六号の規定は、政治目的のためにする首相官邸及び国会への暴行、脅迫その他の暴力的手段による不法侵入、これは昨年の反安保大衆行動の経過に照らしてみてもわかりますように、事実上集団示威運動、集団行進、集会などの過程において発生する可能性のある政治的暴力行為であります。それはそういう過程においては暗示にかかりやすい群衆心理が衝動的に働くものであります。従って、この種の政治的暴力行為教唆または扇動の限界というものは、きわめて微妙なものがあります。たとえば集団行動の指導者もしくはその一般参加者の一部のちょっとした言動が、当該政治的暴力行為の実行の決意もしくはその助長を刺激するという場合も当然予想されるわけであります。もちろんそれだけに集団行動の指導者並びに一般参加者の理性的な自律が要望されなければならないのであります。しかしそうした場合に、その刺激を与える言動を行なった者が、当該暴力行為を実行させる目的を持ってこれを行なったかとうか、この認定は、本人の主観的意図を推定するという不確定な要素を含んでおるのであります。従ってそこに、法運用に際して権限官庁の主観が入り込む余地があるのではないかと懸念される次第でございます。もちろんこの点について本法案の第四全第二項では、扇動定義を明記いたしておりまして、その乱用の危険を防ぐ用意を示しておられます。しかしなお乱用の危険を避けるためには、同条第一項第六号の首相官邸、国会等への暴力的不法侵入行為に対する教唆扇動については、特にたとえば当該行為を明示して、文書もしくは図画もしくは言動に上り云々というような、これはかりに申し上げているのでありますが、そういった条件を加重するということも、その可否についてさらに御検討を願えないものかと考えるわけであります。  次に、第四条第一項に列挙されております政治的暴力行為のうち、この第六号の暴力行為は、その対象が物であって、人の生命、身体を対象とする暴力行為とは性質を異にする要素があるのではないかと思います。もちろん国権の最高機関である国会またはその指名になる総理大臣の起居する官邸への暴力的不法侵入、これは民主主義社会秩序の根底あるいは中枢を侵すもの、脅威するものとして処罰の対象となるべきことは当然でありますが、しかしその教唆扇動については、人の生命身体に対する政治的暴力行為に対する教唆扇動に比べまして、たとえばその量刑に若干の軽重の差をつけるというようなことが合理的ではないか、こういうふうに考える次第であります。でありますから、私は第二十三条第一号及び第二号に対しまして、同条第三号の量刑については、再検討をお願いできないものであろうかと考える次第であります。つまりここに何らかの暴力行為の性質の違いというものを法規範の上に表明することが論理的ではないかというふうに考える次第であります。  かように私は本法案について若干の再検討をお願いいたしたい個所を見出しているものではありますけれども、しかし本国会において別個の立法措置が講ぜられるのでない限りにおいては、本法案から第四条第六号に規定する暴力的不法侵入行為に関する関連諸条項、これを全面的に削除することに対しては反対の意見を持つものであります。  その理由として以下三点を申し上げておきたいと思います。  まず第一に、第四条第一項第六号は、犯罪構成要件を特にしぼり、内閣総理大臣官邸及び会期中の国会議事堂並びにそれらの構内に暴力的手段によって不法に侵入する場合と限定しております。さらにその不法侵入のための暴力的手段の形態としては、暴行もしくは脅迫、建造物もしくは器物の損壊、またはさく、へいもしくは門を乗り越えて侵入ずる場合と具体的に限定しておりまして、乱用余地を極力排除するように努めている意図が察せられるのであります。従って平穏な陳情とか請願とかその他適法な団体活動に対して不当な制限を加えるという危険はきわめて少ないのではないかと考えられる次第であります。  第二に、事実認識上の問題といたしまして、昨年来の一連の極右分子による政治的暴力行為の実行の決意に対しては、反安保大衆行動の過程に現われた本法案の第四条第一項第六号に規定する種類の政治的暴力行為によって表明されましたような、そういう国民間の敵対感情あるいは憎悪感情、そういったものが拡大していくという、そういった社会的傾向が相当大きな刺激を与えたと認められるのであります。そこには暴力の連鎖反応といわれるような事態が出現していたのであります。そうした暴力連鎖反応は、これをほっておきますと、わが国の民主主義社会秩序の基盤を危殆に陥れるものといわなければなりません。従って国権の最高機関である国会が、事実問題として昨年来右翼分子によって実行されました政治的暴力行為とともに、これまた事実上昨夏の反安保大衆行動の過程に生じた国会議事堂等への暴力的不法侵入行為をともに法的規制の対象といたしますことは、こうした暴力の連鎖反応を断ち切る断固たる国会の決意を表明することを意味し、特に社会教育上、社会倫理上、効果が大きいと考えるものであります。  第三に、さらに政治的暴力行為の実行をいたしました極右分子の思想を突き詰めて参りますと、自分政治上の思想的信条、すなわち日本民族の伝説あるいは神話に基づく自己流の世界観を万人に強制妥当させることのできる絶対無謬の真理と錯覚いたしまして、これに反対する者に民族の敵との烙印を押し、そうした民族の敵を排除、抹殺するための政治的暴力行為を倫理的に正当化しようとする傾向を示しているように思われるのであります。しかし、そうした点では、経験科学的にはまだ完全に実証されておりません階級的世界観を万人に強制妥当させ得る絶対無謬の真理と錯覚しまして、これに反対する者に階級の敵の烙印を押し、これらの敵を排除するための政治的暴力行為を正当化しようとする傾向を示しております一部の極端な左翼分子の暴力革命思想には、右翼分子の思想と共通の論理的構造が見られるのであります。かように、自己政治上の思想的信条のみを絶対無謬の真理として、排他的にこれを主張し、これに反対する者との理性的な話し合いを無視もしくは拒否し、これを屈服させるため、もしくは沈黙させるために政治的暴力行為も正当化され得る。こういう思想が社会を風靡することになりますと、政治上の主義や施策または思想的信条を異にする者の間の理性的な話し合いを根本原理といたします現行憲法の議会制民主主義は、存立が不可能になってしまうのであります。その意味でこの国権の最高機関である国会が、本法律案を通じて、事実上極右分子により実行される公算の大きい政治的暴力行為と並んで、ともに事実上極左分子によって実行される公算の大きい国会等への暴力的不法侵入行為を法的規制の対象といたしましたことは、後者に対して特別の立法措置が今国会で講ぜられるのでない限り、真の民主主義思想的基盤をつちかう上に有効な、やむを得ない措置であると考えるものであります。  以上述べましたことを総合いたしまして、私はここに提案されました政治的暴力行為防止法案の趣旨に全体として賛成するものであります。ただ望み得るならば、今国会の審議過程で、たとえば私がここで指摘申し上げましたような点などについて、さらに一そうの御検討の上、今国会で本法案が成立することを切に希望するものであります。特に本法案に期待される社会道徳上あるいは社会教育上の効果をより一そう大きくするという意味で、今日政治的暴力行為によって深刻に脅威されております議会制民主主義の擁護という点では、おそらく共通の基盤に立っておられると察せられます政党各位が、大局的な立場に立って本法案を審議検討され、できることならば各党一致の支持のもとに本法案の成立を見るに至りますことを、国民の一人として希望、念願する次第であります。  以上をもって、意見を尽くさない点が多々あったかと存じますが、私の意見陳述といたします。
  119. 池田清志

    池田委員長 参考人に対する質疑を継続いたします。畑和君。
  120. 畑和

    ○畑委員 両案に対します各参考人意見を順次拝聴いたしたのでございますが、その間にはいろいろのニュアンスがございます。  まず田上参考人の御意見は、大体に申しますと、この両案ともに憲法の立場から必ずしも憲法違反ではない、ただこうしたことで取り締まることもさることながら、組織を行政的に規制する方がよいであろう。そしてまた自民案の方は処罰の範囲が広過ぎる、社会党案の方はその点狭いけれども、きびし過ぎるのではないか。それから自民案の方については限時法とすべきである、また通報義務というものが規定してあるけれども、これは削るのがよろしい、こういうような大体の意見だったと思うのでございます。  また種橋参考人の御意見は、社会党の案を支持し、自民・民社の両党の案に反対し、その理由は、現下最も重要な問題は政治テロの防遏である。ところが自民、民社の案によると、政党に認められた、憲法上保障された大衆行動が非常に危殆に瀕するおそれがあるということで、いろいろな具体的な実際の経験に照らして、そうした危険について言及をされて、これに反対されておったように思うのであります。  またさらに藤原参考人は、政治評論家としての立場からいろいろ御意見を述べられておりましたが、とにかく政治暴力はいけない。ただこうした法案が社会党からまず提案され、さらにまた自民、民社の方から提案されたということは、ともかくあの浅沼事件、それからさらに最近の嶋中事件、それに対する世論の高まり、そういうことで、まず社会党として政治テロにとにかくしぼってこれを防止しようということで、ずっと世論も高まったということ、ところがその後またいろいろなリアクション等もあって、逆に、それもそうだけれども、そのもとをなすのは集団暴力だといったような考え方に重点を置く一方の考え方が出てきて、そうしてここで両案が出ることになった。ところで、これをこのまま一致をせずに、どちらかで押し切るというようなことは望ましくはない。やはり一致したところでこれをやるならばよろしいが、そうではない限りは、必ずしもこの国会において急いでやる必要はないし、慎重審議すべきである。かような大体の御意見だと思います。  またさらに真野参考人の御意見は、大体に申して、自民、民社案は非常に内容がごたごたし過ぎるのではないか、体裁から申してもさようである。それから間口を広げ過ぎるのではないか。そうしてその結果、結論としてはもっと中核的な問題にしぼって規定をして、他日その改正を待つべきではないか。その理由として、二つの方向のものを一つにくくったところにごたごたの原因があるというお説でございました。しかもさらにまた、一つ法案の中に、自民、民社案には異質のものがある、性質の異なったものが同居いたしておる感がある、こういうふうに言われておるのであります。この点なども実は私も全然同感でございました。私過般の本会議におきましてもこの点についてしぼって質問をいたしたのでありますが、一方においては殺人それ自体、それはもう政治テロであろうと何であろうと、その本質として、今の時代ではなくて、封建時代その前からもいけない行為である、最も憎むべき行為であるとされている、本来それ自体違法な行為である。それに比べて集団行動というものは、この憲法下において認められた合法なものであるわけであります。従ってそれがこうした安保その他のああいった問題になりますと、突発的に若干の行き過ぎをする、その行き過ぎをためようとするのが自民党の大体ねらっておるところであろうというふうに私も考えるのであります。この点異質のものが同居をしておるということにごたごたの原因があるし、またすっきりしない原因があると私自身も考えております。それで、真野先生は、こうしたものはやはりすっきりしないからすっきりさせて、結論としては両方の案の重なり合った、要するに両方ともにこれを支持しているところのものだけにしぼって、それを通すべきであるということだと私は理解するのでございます。  さらにまた次に武藤参考人の御意見は、これは真野先生の話ときわめて対照的な感じが私はいたすのでございますが、政治暴力ということで異質というふうにお考えになるかどうか知らぬけれども、これをこれから質問をしたいのでありまするが、それを同じ平面に置いてひとしく政治暴力という概念で考えておられるのではないか。ともかく民主主義とういものは、暴力によらず、言論によって自己思想表現し、自分の主張を言論に訴えてやるべきであって、暴力に訴えることはいけないことはもちろんでございます。要するにそうしたことを全部ひっくるめてこれを政治暴力として処罰しようということが自民党の案だと存じまするが、先ほども私が申し上げましたように、本来違法な殺人、本来合法なデモの行き過ぎ、これを一緒くたにすることは、私は実は反対なのであります。この点を武藤先生は若干の批評、批判はしておられます。すなわち自民、民社案の第四条の第六号ですか、この点の教唆の問題等について、それともまた第四条の一号、二号、この方の教唆、両方の教唆扇動同一であるということは権衡を失しておるように思うから、首相官邸その他の侵入の方、第六号の方は軽くすべきであるというふうな御意見だったと思いまするがその点は私も、同じ制定をするのならば——実はこの間の本会議でこの点に触れました。同じく五年以下ということになっておるけれども、この点非常に権衡を失する。従って自民、民社案の方は、やはり集団暴力にねらいがあると言われてもいたし方がないのではないかというふうに申し上げたのでございまするが、そうした、意見が同じところも若干ございますけれども、大体において武藤先生の言われた考え方は、その御発言の中にもございましたけれども、過般の安保闘争の際のあの集団的な暴力行為というか、そうしたことが、結局心理的に右翼団体刺激して、右翼がああした暴行をふるいテロをふるうようになったのであるというような考え方から、従ってテロも悪いがデモを悪いといったような考え方から、先生の御意見が出ておるのではないかと思うのです。私は先ほど申し上げましたような考えから、そうしたテロも悪いがデモも悪い、こういったような考えのもとに考えますると、こうした同じ平面の中に同じような政治暴力行為という定義ではめ込むということになり、そこに混乱が起き、なかなか当委員会あるいは国会においては意見の一致が見にくいというようなことになると思うのでございます。  そこで一つみんなの先生に次々にお尋ねしたいのでありますが、簡単に申しますが、結局真野先生のおっしゃった、ともかくこの段階においては重なり合った部分、すなわち共通な部分と申しますると政治的テロ行為だけでございますが、これなら一致します。ただ問題は、諸先生の御意見も、刑が少し重過ぎるのではないか、こういった御意見は大体あったと思う。この点につきましては、われわれもこの辺の点をいろいろ考え直さないではないのであります。従ってこうした点で一致できればと思っておるのでありますが、藤原先生もやはり同じような御意見だったと思いますが、そういう点が一つ、今言った異論のある自民、民社の案が数によって、社会党の反対のもとに通るということよりも、共通した部分を若干修正でもして通す方がよろしいとお考えになっておられるかどうか。この点一つ、田上先生はいかがでございますか。
  121. 田上穣治

    ○田上参考人 先ほど私の申し上げるのがあるいは十分でなかったと思いますので、お答え申し上げます。  社会党案につきましてただいま御発言がございましたように、私は殺人につきまして罰則法定刑が重過ぎるように考えております。それからもう一つは、行政的な措置というふうな、たしか今お話がございましたが、私が申し上げましたのは、自民、民社案にございますような、つまり刑罰をもって臨む、むしろこれは予防というよりは事後の矯正と申しますか、制裁が直接でございますが、それよりもむしろ組織を背景とする場合には、暴力的な組織を事前に抑制することによりまして、十分な予防的な効果を上げる必要があると思う。民主政治を守るために必要であると考えておるのございます。ただそれならば、自民、民社案に無条件に賛成であるかと申しますると、先ほど私罰則が少し広過ぎるというようなことを申し上げたと思いますが、実はどういう条文が不適当、行き過ぎであるかということまでは考えていなかったのでございまして、むしろほかの参考人の方々から御発言があったようでございまするが、労働運動をこれによって不当に抑制するようなことがあってはいけない。そういう意味におきまして、若干この罰則についても自民、民社案に問題があるように考えたのでございまする。しかし考えてみますと、またストライキ、争議行為につきまして、明らかな政治ストは私は行き過ぎである、これは判例によりましても行き過ぎであると考えるのであります。もちろん政治ストであるかどうか、本来の労働条件を適正ならしめるためのストライキであるかどうか、この区別はかなり微妙でございまして、一がいに一般行なわれておるものを政治ストであるというふうにきめることは、はなはだ危険でございまするけれども、しかし少なくとも政治ストのごときものにつきまして、それが暴力行為を伴うという場合は、やはり違法だと思うのであります。しかしこの暴力行為ということもなかなか実は具体的には判定が困難かもわかりませんが、そういう点で強要とかあるいは逮捕監禁というふうなところがかなりデリケートだと思うのでございます。しかしこれは私はやはり労働運動のあり方といたしまして、かなり行き過ぎがあると考えておりますので、特に罰則の点で強要がいけないとかあるいは逮捕監禁の条文をこの法案から削ってしまえということまではっきり申し上げておるわけではないのでありまして、しいて申しますると、教唆扇動あるいはそれをもっと広げておる規定が御承知のようにございまするが、そういう点で扇動の程度にとどめるということが一つ考えられるのであります。しかしそれよりも今申し上げました労働運動を不当に抑制しないという意味で、先ほどの通報の規定でありまするとか、これを一応削除するというふうな考え、それからもう一つは、これも御議論がここでございましたが、自民、民社案の第三条の中に、これは破防法との違いがあるようでございますが、ここに一つ破防法で出ておりましたような労働運動に対する不当な規制にならないようにということを入れるのはどうか。私はその趣旨は実は入れなくても当然のことだと考えておるのでありますが、しかし破防法との比較において、多少そういうふうに疑念を持つ向きがあるとすれば、そういう点を明確にする、こういうような点が自民、民社案に対しまする私の一つの御注文申し上げるところでございます。
  122. 畑和

    ○畑委員 次に真野先生に御質問いたしたい。真野先生の御意見は大体私の考えと同じでございまするが、結局先生の御希望せられておるところは、先ほど来申し上げますように、両党案の方で重なり合った部分について一致した点について通すということであってほしいという御意見だったと思います。そこで、やはり今の質問と同じようなことでありまするが、この非常に乱用の危険がありまする自民、民社案、これを一致しないで通すということよりう、やはり一致した部分について通した方がよいというふうな御意見かどうか、承りたいと思います。
  123. 真野毅

    ○真野参考人 私の先ほど申し上げたことは、一致するから通したらいい、一致しないから通さぬがいいということを根本の趣旨といたしておるわけではございません。いわゆる政治的のテロ、人を殺し、人を傷つけるということの悪いことは、もう昔からきまっている原始的の犯罪であって、しかも法ができた一番の根本のところであるから、それの悪いことは言うを待たぬのだから、しかも両方の案を比べてみると、その点においては重なり合っておるから、それについて規定を設けるということはさっそくやっていい。しかし一方の集団行進、集団活動についてということは、憲法の基本的人権というものは近代憲法のもとに起きた後の権利である、そういうものを制限するということは、それが初めから悪いから制限するんじゃなく、それがたまたま行き過ぎる、その行き過ぎを是正するというところに、あるいは行政措置あるいは刑罰をもって臨むということになるのであるから、両者を混同して一つ法律でやるよりは、まず両方が一致しているところをとらえてそれについて立法化する。それから私はこの第四条第一項第六号にあるような行為ですね、こういう行為が許されていいとは決して思いません。こういう行為を制約する法律を設けるということはそれでいいと思いまするが、この法案のうちにはいろいろ民主主義を擁護すると言いながら、そういう衣の下からよろいのちらちら見えるような姿がある。その一例として申し上げたのが尊属殺、尊属傷害、尊属逮捕監禁というような封建的な規定をもこの法律によって設けようという、そういうことによってうかがわれるから、これはよほど慎重によく討議をしてやる方がいい。今この国会でやるよりは、むしろ十分時をもってやる方がいい。第四条第一項第六号のごときは、当然憲法上許されるという主張ではない。それは憲法上も行き過ぎである、こう認めるが、そういうことに関する法案を作るということはよほど慎重にやらなければいかぬ。アクション・アンド・リアクションというような、反射運動的にやるべきではなく、頭を冷やして、最も理性的の態度をもって法案を作って、そういう規制も、行き過ぎを規制するということが必要であるということに私は考えておるのであります。先ほど自民党の方のお話にも、この法案というものは、初めはアクション−リアクションでずいぶんこういう行き過ぎの点があるということをおっしゃいましたが、私もそういう経過の詳しいことは一々存じませんけれども、やはりこの法案そのものを見ても、多少そういう趣きが見えるというわけでありまするから、新憲法下における基本的人権の行き過ぎを制約するということに対する行政措置並びに処罰法規を設けるということについては、もう少し頭を冷やして、落ちついてやる方がいいんじゃないか、あるいは継続審議という国会の技術があるかもしれませんが、あるいはそれでもけっこうです。あるいはもっと案を練り直して、次の国会とかさらにその次の国会とかに出すことによって、社会党の方も、あんまり行き過ぎのことについて何もかもいかぬ、こういう態度はとらないで、行き過ぎのところはやはり制約を設けるという方面に話し合いをつけていくということの道がいいのじゃないか、それが日本の将来の健全なる民主主義を発展せしめるゆえんである、こう私は考えるのであります。
  124. 畑和

    ○畑委員 ただいまの真野先生の御説明でよくわかりました。私も、かねての本会議におきまして、その点異質のものであるから、一致した点をまず通して、ほかのデモ規制にわたるおそれのある部分の方はこれを他日に譲って協議し合うということにする考えはないかという質問をいたしたのでございまして、大体先生の御意見と同じでございます。  さてそこで武藤先生にお伺いいたしたいのですが、さきの真野先生のお考え、それから私の考え等を申しましたが、そういう点からこの第四条第一項第六号、特にこの問題について大衆行動を不当に抑圧する危険はないであろうか、そういう点について先生はどうお考えになるか、承りたいのであります。
  125. 武藤光朗

    ○武藤参考人 ただいまの御質問に対しまして、私の考えておりますことを大体三つの点に分けてお答えを申し上げてみたいと思います。  第一に、第四条第一項第六号に掲げるような行為は、これは政治的暴力行為と認めることが正しいと思うのであります。それは、事実上、昨年の反安保大衆行動の過程において、おそらく団体活動としては偶発的に発生したのではないかと思うのでありますけれども、その行為自体を、政治的暴力行為として法的規制の対象にするということは当然であると考えるのであります。ただし、先ほどの意見陳述でも申し上げましたように、第四条第一項に掲げますその他の大部分の種類の政治的暴力行為が、人の生命、身体というものを対象として一おりますのに対して、この第六号の対象は物件であります。その意味でひとしく政治的暴力行為であって、法的規制の対象となすべきものであるけれども、その暴力の性質が違う、あるいは態様が違う、こういうふうに考えるのであります。従って、それならばこの種の政治的暴力行為を同じ法案の中で法的規制の対象とすることはどうか、これにつきましては、私も原則としては別個の立法措置をもってこれに臨むのが望ましい、このことは私の意見陳述の中でも条件をつけて申し上げておいたと存じます。  ただし私は、次に第二の論点に移るのでありますが、事実認識の問題あるいは事実論上の問題として、また第三に思想の問題として考えてみますと、先ほどからの意見陳述でも申し上げましたように、本法案をこの国会において御提案になりました意図は、これは民主主義の擁護ということにあると思うのであります。これをなぜ特に今日の段階において、今国会においてこうした法案提案しなければならなくなってきたかと申しますと、これはやはり昨年以来のわが国の社会情勢というものが背景になっていると思うのであります。そういう社会情勢を分析いたしますと、そこにはやはり事実上暴力の連鎖反応と認めてよい事実がございます。そういう点を考えますと、この際同じく政治的暴力行為であり、しかもその点においては異ならないけれども、ただしその対象において、対象を異にするという意味で差異を持っている、そういう二種類の政治的暴力行為をこの法案で同時に取り扱う、法的規制の対象にするということはやむを得ない措置である。と申しますのは、第三に指摘したいと思うのでありますが、この自己政治上の主義もしくは思想的信条というものを独善的に唯一絶対の真理とみなして、それを他人に向かって強制的に妥当させ得る、こういう思想的傾向が、ただいま申しましたような暴力の連鎖反応の背景にあると思うのであります。そういう思想的傾向は、これを放置しておきますと、やはり民主主義思想的な基盤を腐食さしていくものであると思うのであります。その際、本法案に対して、先ほども意見陳述で申しましたように、私は社会教育的なもしくは社会道徳的上の効果というものを非常に重く見たいと思うのでありますが、そういう点から申しますと、この第四条第一項第六号の政治的暴力行為に対して、今国会において同時に別個の立法措置を講ぜられるならば格別、もしそうした御用意がないとするならば、この同一法案においてひとしく法的規制の対象にすることは必要やむを得ない措置である、こう考えるのであります。ただしその場合に、先ほど申しましたように、暴力行為の対象の相違というものを考えてみますと、また、ことに昨年の、あるいは第四条第一項第六号の政治的暴力行為がしばしば偶発的に、自然発生的に発生する公算が大きいものであることを考えますと、それに対する教唆扇動について、特にその量刑について御検討をお願いすることはいかがなものであろうか、こう考える次第であります。従いまして、このデモも悪ければ政治テロも悪い、右翼テロも悪いというような単純的な思想で申し上げているのではございません。この法案によりましても、デモは規制されないと思います。規制されますのは、国会等暴力的に不法侵入する行為であります。デモそれ自体は、決してこの法案によって規制されることにはならないと思います。ただ、その点について先ほどから繰り返し申し上げますが、その教唆扇動については若干の考慮、再検討をお願いしたい、こういうふうに考える次第であります。
  126. 池田清志

    池田委員長 この際一言申し上げます。  参考人の自発的な意見の聴取は終わりまして質疑に入っておるのでありますが、参考人の皆さんには御繁忙のところをわざわざおいでいただいておりますので、御都合をお伺いいたしましたところ、田上参考人種橋参考人はずっと在席してもよろしい、藤原参考人と真野参考人はもうしばらくで退席したい、武藤参考人は六時四十五分まで在席いたします、こういうことでございますから、この際、参考人各位に対しまして一言お礼を申し上げておきます。  参考人各位には、御繁忙中のところ、長時間にわたりお引きとめをし、貴重な御意見の御開陳をいただき、委員一同を代表して、ここに厚く御礼申し上げます。(拍手)
  127. 畑和

    ○畑委員 先ほどの武藤先生の御意見、第四条第一項第六号、これは団体行動を規制し、処罰するものではないというようなお説でございましたが、これを文字通り解釈いたしまするならば、私も法律家でございまするから、確かにこの点はデモそれ自体を処罰する法でないことはわかり切っております。ただ、安保のときに見られるようなああしたことはなかなかめったにないと思いますが、あれに準ずるような場合に、とにかく門を閉ざして入れない、そうして入れろと言って脅迫する、脅迫的な言辞を弄することだけで、第四条第一項第六号によると、もうすでにこの未遂罪になる、それだけでなるわけです。そういうことを考えますと、私は非常に危険であろうと思います。この点ほかの参考人もちょっとそれと似たような御発言は実は午前中されておりました。非常に偶発的に起こり得ることである、ほかの団体の中にもいろいろな人が潜入することもあるし、そういうことはあり得るということでございます。また心理的にもそういった場合につい脅迫的な言辞を弄せざるを得なくなるような、相手の態度がそうであるからまたそうなるというようなことが往々にしてあり得るわけであります。そうした危険をわれわれは心配いたしておるわけでございまして、そういう点からいたしますならば、現在の法規をもっていたしましても、御承知のように住居侵入罪をもって、あるいは建造物破壊等のことによっても処分をされようといたしておるのでありますから、それが可能なわけだと思います。従って、そうした場合にこういった法を設けずに、今までの在来の刑法その他の刑罰法規によって規制をし処分をするということで私は事足りると思う。しかも今までの実際の刑の量定によって見ましても、最高限まではなかなか住居侵入といえどもしておらぬのが今までの判決の現状でございます。そういう点から、もしそういう点をきびしく処分するということになりますれば、最高刑をもって、従来の刑法上の刑罰で事足りると私は思うのであります。どうしてもことさらにこれを一緒に入れなければならぬというような御意見のようにも思われるのでありますが、その点は武藤先生いかがでございましょう。
  128. 武藤光朗

    ○武藤参考人 第四条第一項第六号の政治的暴力行為につきましての未遂については、私もそうした行為が自然発生的に発生する公算は非常に大きいものである、そういう意味において再検討をされる余地があるのではないかということを意見陳述の中に申し上げたものであります。  次に、それならば他の法律をもってこれを取り締まることが妥当ではないかという御意見でございますけれども、私が意見陳述の中でも申し上げましたように、この際暴力の連鎖反応的な社会的現実、こういうものが本法案立法理由の重要な動機になっていると思うのでありますが、そういう暴力の連鎖反応というような社会的現実を考慮いたしました場合には、この際先ほどから私も意見陳述の中でちょうちょういたしましたように、国会が国民に対して社会教育的に、もしくは社会道徳的にその意のあるところを決然としてお示しになる、そういう効果を期待する上からいいますと、本国会で同時に何らかの国会の意思表示を、そうした政治的暴力行為、つまり日本国の民主主義、社会秩序の中枢である国会議事堂並びに首相官邸というような種類の場所に対して暴力的な不法侵入をする、そういう行為はよくないのだという決意をやはり表明されることが望ましいのではないか。別個の立法措置を御用意になっているとすれば別でございますけれども、もしそういう御用意がないとすれば、やはりこの際は本法案の中に、こうした形で、また先ほどから申し上げましたような点を再検討の上、こうした形でお入れになることもやむを得ないのではなかろうか、こう考えるのであります。
  129. 坪野米男

    坪野委員 関連して——本委員会の審議についてでございますが、先ほど委員長の御説明ですと、真野先生、藤原先生に退席したいということであります。私たちは非常に貴重な、また重要な御意見を拝聴いたしましたが、この件について先生方に十分御意見をただしたい、質問をしたいと考えておるわけでございまして、時間的にももう六時十五分前という時間で、これから数時間を要して質問を申し上げることは、先生方にも非常に御迷惑なことであろうと思いますし、また途中で御退席になれば、われわれとしても御意見を一方的に承るだけで、若干の疑問点についての質疑ができないということにもなり、せっかくの参考人の御意見を承る機会が形式に流れてしまうと考えるのでありまして、先生方の御都合も承って、後日あらためて質問なり御意見をさらにお伺いするようにお取り計らいを願いたいと思うのでございます。   〔「前例がない」と呼ぶ者あり〕
  130. 池田清志

    池田委員長 速記をとめて下さい。   〔速記中止〕
  131. 池田清志

    池田委員長 速記を始めて下さい。
  132. 坂本泰良

    ○坂本委員 本日参考人の方々の御意見をお伺いするのは、まずもって参考人の方々の御所見をお伺いすると同時に、それに対してこの法案の直接の審議に当たっておるのはわれわれ国会議員でございますし、また本法案は自民、民社の共同提案、また社会党の提案両方が出ておるわけでございまして、やはり参考人の方々にわれわれ直接審議に当たる国会議員が了解のいかない点、また所見が違う点等々をここに開陳をしましてその御所見を承りまして、よりよく国民のための法案を作る、これが主たる目的だというふうに考えますから、単なる国会における審議の参考人からただ形式上聞くだけだということでなくて、われわれは真剣にこの法案に取り組んでおりますから、従ってそのための参考人の方の有益なる御意見を賜わりたいというふうに考えます。そこで、参考人の方々には大へん御迷惑なこととも思いますが、期日その他の点についてもありましょうから、委員長の方でその点についてのお取り計らいを願って、一つ善処を願いたいと思います。  さらに前例がないという自民党の諸君の話もありましたが、これは参考人の方の御迷惑を考えてのことだと思いますが、その日に限ったことはない、またわれわれがあまり多数参考人を午前から午後にかけてお願いをしましたから、その点技術的にわれわれのそごもございましたから、その点も一つ参考人の方々にとくと委員長から申し上げていただいて、善処されんことをお願いしたいと思います。
  133. 池田清志

    池田委員長 両君に申し上げます。きょう参考人意見聴取をする段取りまでは、御承知のように理事会の皆さんにお諮りをいたしまして、理事会全体の御同意を得ております。両君の御発議は動議に関するものだと思いますが、それを今直ちに取り上げることはどうかと思いますので、やはり理事諸君の御意向も承りまして、理事会でお諮りをいただくようにしたいと思います。
  134. 坪野米男

    坪野委員 理事会でそういう申し合わせをしたから、一日で終わることに反対することは道義に反する、こういう御発言でございますが、私たちは九名の参考人の御意見をきょう一日で十分納得のいくまで、夜を徹してでも御意見を伺えるのならば一日で終わってもいいわけでございます。しかしながら、御迷惑でもあるし、また一日でどうしても物理的に不可能だということであれば、きょう一日で上げなければならないという私は合理的な根拠はないと思うのでありまして、あるいはあす以後に続いて参考人意見を聞くことを続けても、ちっとも差しつかえなかろう。私は道義に反するというただいまの委員長の御発言は非常に心外でございます。決してそういう意味で私たちは打ち切りをお願いしているわけではないのです。今言ったように参考人の方々に御迷惑で、もう途中で予定の時間が来たから帰してくれというような御意見、それを無理に引きとめて、私はこれから二、三時間お伺いしたいこともございますが、夜を徹してということでは、私はよろしゅうございますが、参考人の先生が御迷惑だということから、おそらく会期延長も話し合いがついたようにも聞いておりますし、あす以後に延ばしたからどうだということはないのではないか。ですから新たに理事会を開いて、あす以後の日程についても話し合う余地は十分あると思うのでございまして、ただ何が何でもきょうの日に九名を全部時間を詰めても上げてしまわなければならないというような私はお約束をしたことはないので、できれば一日でという予定、ところが一名追加されました。最初八名でございました。八名でも一日では無理だと思っておりましたが、それが九名になり、しかも途中でお帰りになるということであれば、私は一人ずつ意見陳述して御質問すれば、あるいは九名のうちが四名で済み、あるいは六名で済んで、あとの方は次会ということも考えておりますが、全部一度に陳述させて質問の方は制限するという形の審議では、十分意見を聴取したということにはならないのではないかという意味で、信義に反するという今の委員長の御発言は、これは一つ御撤回願いたいと思うので、そういう意味で、決して私たちは信義に反しておらないということを申し上げておきます。
  135. 池田清志

    池田委員長 坪野君に申し上げます。信義に反するとは発言しておりません。今までの経過を申し上げたわけであります。ですから今後の進行については、理事会に諮って、皆さんの御意見を聞かなくてはなりません、こう申し上げておるわけです。  これにて本日の参考人に関する議事は終了いたします。どうもありがとうございました。  明二十三日午前十時より理事会、十時半より委員会を開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時五十四分散会