○野原(覺)
委員 安定した立場を与えるということでございますが、私はいいかげんな教師という
ような言葉は使いたくありません。しかしこれは言葉の正しい意味においてはいいかげんな教師です。法の要求する教職
課程を履修していない教師でございますから、しかも今日の
免許法は
大学卒業であること、教職
課程を履修した者であること、この二つを
免許法の
改正の点として規定しているのに、これはその二つを充足していないところの中身しか持っておりませんから、いいかげんな教師といっても、これは間違いないと思います。そこでそのことに対して、かつての
文部省が何と言ったと思いますか。われわれに何と言ってきたかと思いますか。これも御参考までに申し上げておきましょう。「たとえば今回の
免許法では
教員になろうとする者には一定単位の教職
課程を修めることを一つの条件とした。ところが、
教員不足で正規の
教育訓練をうけた人達を
採用することが出来ない場合に限り、この教職
課程を修めていない者を、もって
教員とすることを認め、」これは、私筋の通ったことだと思います。そういう非常事態がある。そうしてそのかわりに、「これに臨時
教員免許状を与えることにした。」これが五条三号です。そして「この人達は
免許状の有効期間が一年である。」この一年にしたわけは、「
教員の生活安定の面から見れば、まことに苛酷であるというべきである。けれども国民大衆の側からいえばその
子供達がこの
ような
教員としての特別の
教育をうけていない未熟な人達から
教育せられることは正規の
教員から教えられるよりも、その成長と発達の上において不利である。」これはそうです。「なるほど経験を重ねることによって次第によい
教員になるであろうが、それは
子供達のぎせいにおいてよくなるので、
子供達はそのぎせいを償われることなくして最も大切な或る期間をすごしてしまうのである。だから、そういう
教員は真にやむを得ない場合に限り、一箇年毎に任命することとし、」臨時
教員免許状というのは、一カ年ごとに任命する。だから、やってみて一年間悪かったら、もうやめさせるのです。そうしなければ、
教育はよくならぬ。
子供が犠牲を受ける。国民大衆が犠牲を受ける。そのくらい実はこの
免許法は、厳格な
考えでこれはやってきたのです。「一箇年毎に任命することとし、もしもっとよい
教育をうけた人があった場合はその人に職場をゆずる
ようにするのが国民大衆の利益を
よう護することになるのである。もとより臨時
教員免許状をもって教壇に立つ人達も、所定の研修をつづけて一定の単位をとれば、上級の
教員となることが出来る
ようにしてある。」というのが、この昭和二十四年にできた
免許法でございます。今の
文部大臣が、その人が安定するというえさでもってつってみても、
教員になる人はごくわずかです。ごくわずかの
教員をその
ようなえさでつって、
教育界にいろいろな問題を引き起こして——わずかといえども、その者が
工業学校で将来の優秀な
生徒諸君を教えることのできる実力は私は持てないと思う。持てないからこそ、教職
課程を必修にしたのです。そんなことで、昔の
工業教育ならいいですよ、この宇宙時代の
科学技術のやかましいときに、そういう間に合わせの
教員で一体できるかというのです。今までの教師は、これは立場がなくなりますよ、そんな者が入ってきたら。何だということにたる。
生徒がどだいばかにしますよ。あるいはその
学校教育法の一部
改正で
教員になった教師かということで、
生徒が言うことを聞きませんよ。もう少しそこら辺を御
検討になって、私はこの法案については
文部大臣の言うこともわかりますよ。足らないのだからということもわかりますけれども、全体の
教育というものを
考えた場合には、もう一ぺん
検討して、これは今すぐやらねばならぬことでもないのですから、次の臨時
国会も通常
国会もあることですから、そのとき出し直したらいかがかと私は思うのですが、これは出し直すことはできませんか、
文部大臣の御意見を承ります。