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高津委員 この
小山富士夫という人は
美術研究所、今は
名前を変えて
文化財研究所、それの
昭和二十六年四月の第百六十一号ですが、「
美術研究」という国を代表する国の出版物ですね、その出版物の中に北宋の修武窯、この論文が全くカールベックというスエーデンの人、学者の初めに発言したものを取って、しかもカールベックを非常に攻撃しながら、
名前まで無作窯という
名前であったものを、自分が新たに修武窯という
名前にして発表したために、世界的に問題になり、
日本の陶芸
研究家の中でも非常に不道徳といって問題になって、その結果ボストン博物館で出しておるファー・イースタン・セラミック・ブリティン、極東
陶器会報と訳しましょうかね、それの中へ
謝罪文を発表する、
小山さん自身が
謝罪文を発表しております。これはナショナル・ミュージアム・トーキョー、フジオ・コヤマ。この英文ページの翻訳もむろんここに持っておりますが、
謝罪文を発表せねばならないようなことに立ち至った人物である。国内では全然、
日本の活字でどんなに攻撃されても、何号も何号も
雑誌で続いて攻撃されても、全く黙っておって、外国にはすぐこういう
謝罪文を発表しておるのであります。その
謝罪文の翻訳は
専門家の翻訳でありますから、間違いないものですが、こういう書き出しです。「焼作、すなわち修武に関する私の議論には、ある
日本の学者たちもまた反対でした。私があの論文を書いたときには、他に緊急を要する仕事があったので、急いで書いたため翻訳に誤りがあり、また書き方にも足りないことがあったのをおわびします。」といってずっとこれから書いてあるわけです。私は、国内で
日本の活字で
一つもあやまらないで、外国には、指摘されたら、どうもしようがないから、こういうものを書くという人は芸術選奨には値しないと第一に思うのです。これが第一点です。
第二点は前田幾千代という人が、これは、おそらく御存じの有名な
陶器の学者でありますが、その人の書いた薩摩焼の
研究というものがあって、その原稿を
小山さんが見せよと言うから見せたわけです。そうしたら、それを自分の
名前で今度出して、そうして前田さんは間違っておるというようなことをあちこちに書いて、攻撃しながら、名誉を自分で取るということをやられたから、非常に前田幾千代という人が怒って、この
日本美術工芸という
雑誌に六カ月にわたって反論を書いて、誤りを指摘したわけです。こういう有名な
事件がございます。ものをはっきりさせるためにちょっと読めばいいのですが、たくさんありますから、読みませんけれども、こんな不道徳なことはないということで責めてあるわけであります。そのような人物を何ゆえに芸術選奨の中に入れるのか。これは質問ですよ。
それからもう
一つは、
懲戒処分には値しない、事務処理か何か、
職務を遂行する上で、ちょっと間違いがあったのだ、そう言われるが、このような疑いを持った人間をそういう地位に置かれるということは、私は大へんだろうと思うのです。文部省の外郭団体が一ぱいあるのだから、次官でも
局長でもみな外郭団体へどんどん出ておられるから、せめてそういうことでもなさるのかと思えば、それもなさらず、ずっとそこに居すわっておれば、これは非常に困るだろうと思うのです。今の外郭団体へ出しなさいという私の提案は言い過ぎであるかもしらんが、私はこういう場合は免職にすべきだろう。
資料が要るといわれるならば、
資料を提供します。ここにちゃんとありますから。
懲戒には値しないですかね、時効ですかね、そういうことは。