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1961-04-07 第38回国会 衆議院 文教委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十六年四月七日(金曜日)     午前十一時三十九分開議  出席委員    委員長代理理事 竹下  登君    理事 臼井 莊一君 理事 米田 吉盛君    理事 小林 信一君 理事 山崎 始男君    理事 山中 吾郎君       伊藤 郷一君    灘尾 弘吉君       花村 四郎君    松永  東君       松山千惠子君    八木 徹雄君       高津 正道君    前田榮之助君       三木 喜夫君  出席国務大臣         文 部 大 臣 荒木萬壽夫君  出席政府委員         文部政務次官  纐纈 彌三君         文部事務官         (大臣官房長) 天城  勲君         文部事務官         (初等中等教         育局長)    内藤譽三郎君  委員外出席者         専  門  員 石井  勗君     ————————————— 四月五日  委員井伊誠一辞任につき、その補欠として帆  足計君が議長指名委員に選任された。 同日  委員帆足計辞任につき、その補欠として井伊  誠一君が議長指名委員に選任された。 同月六日  委員井伊誠一君及び野原覺辞任につき、その  補欠として矢尾喜三郎君及び足鹿覺君が議長の  指名委員に選任された。 同日  委員足鹿覺君及び矢尾喜三郎辞任につき、そ  の補欠として野原覺君及び井伊誠一君が議長の  指名委員に選任された。 四月五日  学校教育法の一部を改正する法律案内閣提出  第一七四号)  学校教育法の一部を改正する法律施行に伴な  う関係法律整理に関する法律案内閣提出第  一七五号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  学校教育法の一部を改正する法律案内閣提出  第一七四号)  学校教育法の一部を改正する法律施行に伴う  関係法律整理に関する法律案内閣提出第一  七五号)  学校教育に関する件      ————◇—————
  2. 竹下登

    竹下委員長代理 これより会議を開きます。  濱野委員長都合により、私が委員長指名によりまして、委員長の職務を行ないます。  学校教育法の一部を改正する律法案内閣提出第一七四号)及び学校教育法の一部を改正する法律施行に伴う関係法律整理に関する法律案内閣提出第一七五号)を一括議題とし、その提案理由の説明を聴取いたします。     —————————————
  3. 竹下登

  4. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 このたび政府から提出いたしました学校教育法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  この法律案は、工業に関する中堅技術者を養成し、もって産業発展に寄与するために、学校教育法の一部を改正して新たに高等専門学校制度を創設することとしたものであります。  現在、わが国における産業経済の著しい発展に伴いまして、科学技術者の需要は著しく増大し、特に工業に関する中堅技術者の不足が痛感される情勢になったのであります。  このような情勢に則応し、政府においても各方面の意見を勘案して検討を重ねました結果、このたび、新たに高等専門学校制度を設け、社会が強く求めている有為な中堅工業技術者の養成をはかる必要があると考えた次第であります。  次に、この法律案概要について申します。  まず、第一に、新たに高等専門学校制度を設けることとし、これを学校教育法における学校の種類の一つとして明記したのであります。高等専門学校は、深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的とし、高等の職業教育を行なう専門教育機関の性格を有するものであります。  第三に、高等専門学校には工業に関する学科を置くことといたしました。さきに述べましたように、高等専門学校制度創設理由は、中堅工業技術者に対する社会の要求にこたえることにあるのでありますから、高等専門学校学科は、工業に関するものとすることを規定したのであります。  第三に、高等専門学校入学資格は、中学校卒業程度とし、その修業年限は五年といたしました。このような五年制の一貫した学校制度により、専門教育の強化と基礎教育及び一般教育の効率的な実施をはかったのであります。  第四に、高等専門学校及びその学科設置については、文部大臣認可を必要とすることといたしましたが、この場合においては、認可の適正を期するために、高等専門学校審議会に諮問することといたしました。  第五、高等専門学校の教職員についてでありますが、高等専門学校には、校長教授、助教授、助手及び事務職員を置き、必要に応じて講師技術職員その他必要な職員を置くことができるものといたしました。  第六に、高等専門学校を卒業した者は、文部大臣の定めるところにより、大学に編入学することができるようにし、また、公、私立高等専門学校の所轄、名誉教授公開講座等に関しては、大学に関する規定を準用することといたしました。  なお、高等専門学校の発足につきましては、設置基準の作成、高等専門学校審議会審査事務及び申請者便宜等を考えて、昭和三十七年四月一日から設置することができるものといたしました。  次に、このたび、政府から提出いたしました学校教育法の一部を改正する法律施行に伴う関係法律整理に関する法律案について、その提案理由及び内容概要を御説明申し上げます。  この法律案は、学校教育法の一部改正による高等専門学校制度の新設に伴い、各関係法律所要改正を加えたものであります。  内容のおもなものを御説明申し上げますと、第一に、建築士法等の一部を改正しまして、大学または短期大学卒業程度資格要件の全部または一部とする工業関係技術者資格規定に、高等専門学校卒業者を加えることといたしました。  第二に、文部省設置法の一部を改正しまして、高等専門学校審議会文部省に設けることとし、また、同等専門学校に関する事務大学学術局でつかさどることにするなど、文部省所掌事務について所要改正を加えることといたしました。  第三に、私立学校法の一部を改正しまして、私立高等専門学校及びこれを設置する学校法人に対する私立学校法の適用については、私立大学及びこれに設置する学校法人に準じた取り扱いといたしました。  第四に、畑地農業改良促進法等の一部を改正しまして、審議会構成員等大学教授とあるものについては、同等専門学校教授を加えたことであります。  その他、学校教育法の一部改正による規定整備に伴い、関係法律所要規定整備を行ないました。  以上が、この法律案提案理由及び内容概要であります。  何とぞ、両案について十分御審議の上、すみやかに御賛成下さるようお願い申し上げます。
  5. 竹下登

    竹下委員長代理 両案についての質疑は追っていたすことといたします。
  6. 竹下登

    竹下委員長代理 次に学校教育等に関する件について調査を進めます。  質疑の通告がありますので、これを許します。三木喜夫君。
  7. 三木喜夫

    三木(喜)委員 この愛媛の問題につきまして、大臣並びに初等中等局長にお伺いいたしました。その後文部省においてこれを調査した上で、諸般の問題につきましてお答えする、こういうことでございましたが、その調査をどのように行なわれたかということと、この前の質問に対しまして、私の力で多少納得がいきかねる点がありますので、その点につきまして再度お答えを願いたい、こう思います。最初に文部省の方で調査をどのようにされ、どういう手配をされたかということについて、お答え願いたいと思います。
  8. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 これは政府委員会でいろいろ御質疑がございましたので、愛媛県の教育委員会宇和島教育事務所が共催しております研修会の企画あるいは受講者の問題、あるいはこの前お尋ねになりました旅費の問題、講義内容の問題その他にわたりまして、できるだけ詳細な報告を求めたわけでございまして、愛媛教育委員会から総務課課長補佐宇和島出張所の主事が参りまして、文書で報告をして参りましたので、この講習会概要につきまして承知したわけでございます。  特にこの研修会につきまして、文部省から補助金が出ているかというお尋ねもあったように思いますが、それは調べた結果、文部省文教施策普及徹底費、及び研究団体助成費、いずれも支出しておりません。これは愛媛県の宇和島教育委員会と北宇和郡地教委連絡協議会、南宇和郡地教委連絡協議会宇和島教育事務所、この四者が共催で行なったものでございまして、昭和三十六年の一月七日、八日、この二日間にわたって中堅女子教員研修をしたわけでございます。その際に班別にして、組合員と非組合員に何か席を指定したというようなお尋ねもございましたけれども、この会場が公民館でございまして、非常に施設が狭かったというので、やむを得ずしたわけでございまして、何か組合対策というような観点からやったわけでもない。受講生は一応指名いたしましたけれども本人都合によってそのうち二名は交代をさせておるのでありまして、必ずしも無理やりに出したというのではなくて、参加できる者を求め、その参加する人に対しては出張命令を出したわけでございます。  それから三百円何がしをとったというお話でございますが、これは二等旅費のほかに宿泊費として三百五十円県の方から支給をいたしております旅費の支払いがおくれましたので、とりあえず追加払いをしたという程度でございまして、これまた何らとがめることはないと考えております。県の教育委員会は直接はこの計画にはタッチしておりませんが、県の宇和島出張所がいたしたことでございまして、責任宇和島出張所及び先ほど申しました四団体関係にあるわけでございます。  特に菊池講師お話が出ましたが、菊池講師のこの講演内容を見ましたところ、速記録はございませんが、要旨だけが出ておりますが、別にとがめ立てすることも私はないと思う。菊池講師は七十五、六才の方で、教育界の元老でもあるし、大へん前に視学をされたこともある、その退職後の私生活も非常にりっぱであって、教え子や後輩が非常に多いのでございます。ことに県下の教育界として菊池講師を呼んでぜひ話を聞きたいということで呼んだようないきさつでございます。本人は、七十五才でもりあますので、年を取っておって、私は感覚的にズレもあるでしょう、だから私の話は一つの参考にしてほしいという、非常に謙虚な態度講義されておるのであります。  講義内容といたしましてはおもな点は二つあるようでございます。一つは現在天皇制に対する否定の動きや、やゆし、からかうような不謹慎な事例も出ておる、天皇日本国及び日本国民統合の象徴であるという点を歴史からいろいろ述べておる、それからこのごろの風潮として親子の愛情も薄れておるというようなことを嘆いてお述べになったようでございます。講義自体については何ら問題にするところはないのではなかろうか、要するに教育者としての心がまえを話し、「松下村雑記」とか「君臣の義」というような古典をテキストに使って教師の心がまえを説いたというだけでございます。ただ問題にされました、あとから先年が私信受講者に配られたあいさつ状がございます。このあいさつ状の中には、国民一人々々が思い上がって、主権者になったような気持になることはこっけいであるばかりでなく、悲しむべきこととか、あるいは皇国護持のおんため御勇奮あらんことをというようなことが書いてあって、これはどうも私どもは用語が適切を欠いておる。しかし先生講義自体についてはそういうことは全然なかった、こう聞いておるのでございます。あいさつ状はあくまでも本人個人で出された私信でございますので、講習会責任を負うべきものではなかろうと思います。それから、受講生に対して感想を求められておりますが、受講生は、これは署名入りでございますが、一人の先生を除いては全部が、私どもが予期したような意図的なものじゃなかった。非常にいい講習会だということを書いて感謝の手紙も出し、感想文も出しております。そういうところを見ますと、講習会全体として問題があるような講習会ではなかろうと思うのであります。  で、こういう講師を選定したところの責任お話でございましたが、以上申し上げたような理由で、愛媛教育委員会が直接タッチしたわけではございません、この講師選定等につきましても従って御心配になるようなことではなかったように、私ども報告を受けた次第でございます。
  9. 三木喜夫

    三木(喜)委員 ただいまの報告当局側意図はよくわかりました。しかしながらこれを受けた側のこれに対するところの批判、それからその実態というものを、ただいまの県の教育委員会を通じての報告というものの中には、非常な違いがある。これはやはりどちらから考えまして一方的な考え方ということは免れないと思うのです。従いましてただいまのこの報告に対する問題につきましては、あとでとくとこの委員会の皆さんにお話し申し上げて、なお関係者の意向を聞くような方法をとりたい、こう思うのです。しかしながらそれ以前に、先般の委員会内藤初等中等局長の方からお話がありました件について、私は疑問に思い、このことに対する誠意のある答弁はなかったように思いますので、再度この点についてお伺いをいたしたいと思います。  それは、この講習会が短期間で、二日間に行なわれ、しかも冬休み中であったので、講習会やり方としてはやむを得なかったというお話なのですが、女子教員に対して十時ごろまでやることは、私としましてはこれは労働基準法違反ではないかと思う。内藤初等中等局長の方からそういうこともやむを得ないということになれば、今後こうした講習会が各地で行なわれても、文部省見解としてはやむを得ないという見解だと解釈して、そういうことが行なわれる心配があると思う。これは局長として一つ責任のある答弁をしていただきたいと思う。この前はやむを得なかったというようなことでこの問題はいなされておるような感じがするわけなので、その点一つはっきりお答えいただきたいと思います。
  10. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 出張を受けた場合に、出張旅費なりの中には日当、宿泊費が入っておるわけでございます。単に二日間の出張命令が出た場合に、所定の時間でやり得る場合もやれない場合もあろうと思うこれは私ども地方出張いたしました場合でも同じでございまして、執務時間は五時までときめましても五時で終わらない場合が非常に多いわけでございます。この講習会やり方として、宿泊講習がいいか悪いかということは、私は問題になろうと思う。宿泊講習でやるということはどうしてもいかぬというわけには参らぬと思う。もちろん講師方々が御協力していただいて、宿泊講習でけっこうですということで御承諾になった場合は、これはとがめ立てすることはなかろうと思う。文部省講習会にもいろいろございまして、過去何回か教育課程講習会あるいは道徳教育講習会で、やむを得ず実は宿泊講習をやったわけです。特に組合から非常な妨害を受けましたので、受講生方々を全部旅館なりあるいは宿舎に泊めて、夜まで宿泊講習をいたしました。ですから宿泊講習が原則的にいかぬとかなんとかでなくて、十分受講生の御理解、御協力を受けてやっておる限りにおいては問題はないと思う。労働基準法にどうとかいうお話もございましたけれども労働基準法の問題以前の問題として、受講生理解協力を得るなら差しつかえない、こういうふうに考えておるわけでございます。
  11. 三木喜夫

    三木(喜)委員 まだ釈然としないわけでありますが、こういう宿泊講習というものを承諾した線というものでなくて、ただいまの内藤局長お話でも、当局指名をしたということ、本人はそういうことについて承諾も何もないわけです。天下り式なんです。そういう中に問題が一つあるということを過般の委員会でも指摘しておきましたが、このたびもその点についてはやはりほかされておると思うのです。なお労働基準法違反かどうかということ以前の問題ということをおっしゃいますけれども、このこと自体、十時ごろまでやるということはよいことか悪いことか、あるいはそれが違反でないか違反であるかということをはっきりしていただきたいと思うのです。これは個個の事実も、承諾はしていないわけですね。それは参加したんだから承諾したといえばそれまでですけれども割当式に、指名式にやられておる。ここにこの講習会の問題の一つがあるということを過般の委員会でも申し上げておいたわけなんです。その中で行なわれておる事実を一つ考えてもらいたい。
  12. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 女子の深夜業禁止規定がございます。しかし今回の講習につきましては労働基準監督機関了解を得て、女子の深夜業禁止違反する日程ではない、こういうふうに愛媛県の労働基準監督機関了解を与えておるわけですから、別に労働基準法違反ということはないものと心得ておるわけでございます。  それから研修会やり方でございますけれども、どういう者を研修させるかということは、これば任命権者意思できまることだと思うのです。その場合に相手方の都合を聞いて、できるだけ相手の立場も尊重することも私は必要だと思うのです。今回の場合にどういう者を受講生の対象にするかということはあらかじめ指定したわけなんです。しかし指定したけれども本人都合が悪いというものまで引っぱり出したわけじゃないんで、この受講生の中で二人は交代させているわけなんです。ですからおっしゃるように強制したということじゃないんで、講習会やり方として、本人の完全な自由意思のもとで希望参加でやる場合と、それから任命権者が特定の人を選んで、そしてその者に特に必要があるからやるんで、その必要性に基づいて講習計画をすることはこれまた当然なことであります。その場合にあくまでも本人意思を無視してやることは、これは私よくないと思うのですが、今回の場合にはそういうことではないと承知しておるのでございます。
  13. 三木喜夫

    三木(喜)委員 この問題についてはなお私たちの方としても調べる必要があると思うのですが、女子の深夜業の時間の問題について労働基準監督署の方でこれを認定した、その根拠をわれわれとしても知りたいと思いますが、当事者でもありませんからここでその問題を追究する必要もない。ただ、今言われましたように、この講習についてはだれが出席するかということについて、校長も知らなければ地教委も知らなかった。そういう中できめられたということはこれは事実なんです。これは本人意思を尊重したということにはならないと私は思うのです。なおただいまも、本人意思を尊重しておれば深夜業でもやむを得ぬのじゃないかということを、冒頭そういう御答弁をなさったのですが、もちろん研修については県教委あるいは地教委で人選する道もあると思うのです。しかしながらこれは深夜業と関連をしておったからして、了解を得ているか得ていないかという問題を提起したわけなんです。そのことについては、私たち調査の方では、校長も知らなければ地教委の方もだれが出るか知らなかった。その中でやられたということになりますと、地方出張所の独断によるというほかはないと思うのです。なおこのことについて県教委責任がないというただいまの御答弁でありますが、これも私は問題だと思いますが、これは後刻に譲りたいと思います。  次に第二点として、これも局長にお伺いしたいのですが、座禅方式がとられておるということについて、これも講習会一つあり方である、これもやむを得ぬじゃないかというような答弁をなされたわけですが、これとても宗教方式一つだとも思いますし、あるいは近時財界人によって、座禅ということが自分の自発的な意思によって、そして座禅によって自分意思を鍛練したりすることに用いることはあるとしても、全体一律的にこういうことを課そうとするような計画も、講習会あり方としてやむを得ぬのじゃないかというような考え方は、私は局長のお考えとしては行き過ぎではないかと思うのです。このことが容認されるということになれば、その他の宗教的な儀式というもの、あるいは方式というものをとり得るということになり、そのことがひいては一つ宗教の形を押しつけるという形態が教育の中に生まれてくるのじゃないかということを懸念するのです。そういう点について、先般の内藤局長答弁に対しての不満が私はありますので、もう一回これについては、はっきり文部省責任者としての態度を表明してもらいたいと思う。
  14. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 先ほどのお尋ねでございますが、人選と出張命令地教委が出したそうでございまして、宇和島出張所が勝手にやったわけではございません。  それから座禅は、この前やったというお話が出ましたが、座禅はやっていない。かりにやった場合どうかというお尋ねでございましたが、やっても、一つ方式でございまして、これは宗教とは関係ございません。宗教というものは、あくまでも宗教礼拝とか教義ドクトリンを説く場合が宗教でございまして、座禅は直接宗教関係ないと思う。それは、発生当時にいろいろそういうことがあったかもしれませんが、今日の段階座禅宗教に直接結びつくということは、これは考えられないと思う。講習会の形式としてそういうことをおやりになることも一つ方法だと、この前申し上げたわけでございます。それをやるかやらぬかは、結局主催者側意図と、それを受ける受講生側協力態度いかんだと思う。あくまでも講習会だから、座禅を強要するということは、これは慎まなければならぬと思うのですが、主催者意図及び受講生態度がこれに協力的であるなら、これは私は差しつかえないと思うのでございます。
  15. 高津正道

    高津委員 関連して。座禅宗教でないというと、宗教でなければ何ですか。
  16. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 私ども学校教育宗教を排除しておりますのは、宗教教義礼拝でございます。ドクトリンとリチュアル、この二つを、宗教に結びつくものとして学校教育の中では排除しておるのでございます。もちろん私立学校では、宗教は自由でございますから、礼拝もいたしておりますし、キリスト教学校ではキリスト教教義を教え、仏教学校では仏教教義を教える。ただ、座禅というのは、発生当時いろいろと宗教関係のあったことは私は認めるのでございますけれども、今日の段階においては、一つ精神修養方便として使われておる。仏教でなくても座禅をやっておる人はたくさんあるわけであります。ですから、一つ方式としてそういうものを持たれることは——強制してはいかぬと思いますけれども、持たれることも一つ方法である、こう申し上げたのでございます。
  17. 高津正道

    高津委員 信仰壮厳より止まれる、非常にきれいに、奥ゆかしく、古めかしく荘厳をしてあると信仰がそこから生まれる、そのくらいにいわれるものであって、僧侶が座禅という——これはむろん禅宗ですが禅宗修養方法として、禅宗のみにあるものですから、それはうんと宗教的なものであって、禅宗の一部じゃないですか。禅宗の諸君は、あれは宗教じゃない——スポーツでもないし、あれは宗教でないというと、宗教課長や、あるいは宗教当事者は怒るようなことじゃないですかね、あなたの定義は。
  18. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 座禅そのものを切り離して考えますと、別に仏教の信者でなくても、座禅を組んでいる人は多いわけなんで、精神修養一つ方便として、それは現在でもやっておりますから、座禅宗教という考え方は、これは現在では少し行き過ぎじゃないかと思います。
  19. 高津正道

    高津委員 その講習会に集まる者に対して、座禅というものもあるということをあらかじめ教えてあったのか、そこで来たものにそれをやったのか、伺いたい。
  20. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 座禅はこの講習会でやっていないのです。ただこの前三木委員から、座禅を強要したというお話があったから、座禅講習会としてどうだという一般論あり方がありましたので、私ども調査しておりませんでしたから、その際は一つ方法でしょうと申し上げたわけなんです。調査の結果座禅はやっていないということが判明いたしておりますので、ただいまの高津委員の御質問は、ないものについて質問をされているのですから、お答えするわけには参りません。
  21. 三木喜夫

    三木(喜)委員 ただいま宗教的なものと座禅とが組み合わされていないということなんですが、計画としては座禅があった。なお宗教的なものとして勤行聖典というもの、「観自在善薩。行深般若波羅蜜多時。」これがテキストとして出されておる。これが宗教的なものでない——座禅はのけたかもしらぬが、これと関連してこういうものがテキストとして出ているのです。これが宗教の押しつけでなくて何であるかという問題ですね。一つそういう点をはっきりしていただきたいと思うのです。
  22. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 勤行聖典は、食事五観を食前に唱和して、食事後に五観の各一条ずつを解説した、こういうことでございまして、これは大山講師が準備したもので、大山講師講義のテキストじゃないということです。古典をやる場合に、これは私ども宗教とは考えていないのです。たとえばバイブルを学校で教えた、あるいは仏教の教典の一部を教えた、こういう場合に、これば宗教教育だというふうにとっていないのでございます。これはあくまでも古典として教えることは差しつかえないと思うのです。
  23. 三木喜夫

    三木(喜)委員 座禅の問題はそれくらいにしたいと思うのですが、座禅計画し、なおこういうものをテキストとして持ってきたものを古典として考えるか、宗教的な一つの行事として考えるかということについて問題点があると思うのです。私はこれは宗教的な一つの行事を取り入れて、その中で精神修養をねらったものだ、こう考えるのです。古典というような考え方は、ずっと話して自宅で研修する、それがわからなくて質問したとかいうことならいいのですが、一律にこのことを行なったことに問題があると私は思うのです。それでもこれは現地を両者寄って調査しなければわかりませんけれども、こういうテキストがあり、なお一律にやられ、座禅計画しておったというところに宗教的な行事が行なわれようとしておった、それを文部省としては、それが事実とすればどう考えられるかというのに対して、この座禅一つの形式なり。そういう付帯的な条件をつけずして、座禅だけを取り上げたときには一つの形式かもしれませんけれども宗教行事的なものがはっきりここに付随しておるわけなんです。その中でこれはやむを得ないというような解釈を内藤初等中等局長としておとりになることは賢明でない、誤解を招くと思う。その点をお聞きしておったわけです。その点最後に一つはっきりしていただきたい。
  24. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 この勤行聖典が出たので誤解を招いたと思いますけれども、実は受講生も漢文は苦手でございまして、漢文はあまりわからなかったということを言っております。ただ「松下村塾記」の点につきましては講義もいたしておりますし、テキストに使っております。しかし、「松下村塾記」につきましては、私ども日本の教育界の大先生であり、りっぱな教育者としてのお考えを聞くということは、古典として私は非常に大事だと思う。特に最近の教育の中では古典が欠けているのではなかろうかと思う。古典について十分な理解を持つことは非常に必要であろうと思う。ですから「松下村塾記」については問題はなかろうと思う。ただ勤行聖典につきましては、先ほど申し上げましたように食前に唱和したということでございまして、別に講義に使っておるわけではございません。これと座禅を組み合わされて、これが宗教的な講習会であったという断定を下すには非常にほど遠いように思うのであります。
  25. 高津正道

    高津委員 勤行聖典を一同に読ませたということは——勤行聖典を読むということは宗教行事じゃないですか。宗教行事でないと言い切れますか。
  26. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 勤行聖典を読ましたからといって、これが宗教だというものではありません。宗教というものは、あくまでも教義の宣布なんです。教義の宣布及び布教をすることが宗教なんでして、勤行聖典を読ましたからといって宗教だというふうにするわけには参らぬと思います。しかし、ここで勤行聖典全部じゃなくて、食事五観というのがある。食事五観を食前に一つずつ唱和したということであります。これは大へん感謝をする。私どもは、食事について感謝をするということはほんとうにいい心がまえだと思うのであります。だからそれをいきなり宗教教義の宣布だというふうにとるのは、あまりに私は行き過ぎだと思うのです。
  27. 高津正道

    高津委員 それは宗教行事であるか宗教行事ではないかという、そのイエス、ノーを求めておるのです。
  28. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 宗教と関連はあったかもしれませんが、現実にこれが宗教行事だとは考えておりません。
  29. 三木喜夫

    三木(喜)委員 これでこの点は終わりたいと思うのですが、これだけの材料を用意して、しかもその方が宗教家であるという中で行なわれたわけです。すなわち勤行聖典と座禅和讃と菩薩願行文、延命十句観音経、誓願文、そして食事五観、これだけのものが用意されておって、そしてこのことは一一取り扱うのにそういういとまはなかった。なおその取扱者が宗教家であるということにおいてこのことが取り扱われ、関連されたことがあなたのおっしゃるように宗教的行事を意図しておったのではないということは、私は牽強付会の、言だと思うのです。  それくらいにしておきまして、第三の点につきましてお伺いいたしたいのですが、これは最も問題になることでありまして、当時テキストだけでははっきりしないということを局長もお述べになっておりましたので、その通りでございますが、ただいまの調査報告によりまして、この講師がその講習後に、私信として講習生に出した手紙の内容が、先般も御指摘いたしましたように、皇国護持のために皆さん御勇奮下さい——ふるい立ちなさい、まるで戦争中の言葉のような文章が出ておるわけであります。これはただいまのお話でもありましたように、宇和島の各教育委員会も、講習後に行なわれたことはおれは知らない、なお県教委の力におきましても、このことはおれたちの関知したことではない、またはなはだしい方の言い分としては、出張所が主催したことだ、出張所は県の出先ですが、それは県教委としては責任ないとただいまの御答弁ではありましたが、このように言っておるわけなんですが、私たちが問題にしたいのは、その人の一つの世界観を押しつけ、その人格から陶治されるところのものを各個人が取り入れるのは自由であるというあなたの逃げ方があるかもしれませんが、しかし少なくとも文書にして皇国護持のためにふるい立ちなさいというような私信を出されたような、いわゆる一種の世界観を押しつけるような講師をもってこの講習をやったところに、私は問題があると思うのです。従いまして、このことについて、このの前はテキストだけではどうかというようなお話でしたが、ただいまもはっきりこれは遺憾であると言われておったように、こういう教育講習会の中で押しつけたというのは事実なんでありますから、この点について、文部省当局責任者としてどういうふうに考えられるか、かなり事態がはっきりして参りましたので、この点について御意見をお伺いしたいと思います。
  30. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 先ほど申し上げましたように、講習会内容を見ますと、これは問題にするに値しない、こう考えておるわけでございます。ただ先ほども述べましたように、あとから出したあいさつ状の中で用語が適切を欠いておったということは、私どもも認めております。しかし講師のお考えは、日本国憲法において、天皇日本国及び日本国民統合の象徴としての地位が明確になっておる。にもかかわらず、最近の風潮では天皇制を否定したり、あるいはやゆするような傾向があるので、これについて戒めたのであって、決して皇国護持という言葉からくるような印象は、講義の中では見られない、こういう点で、この講習会自体については、別にとがめだてすることはないのじゃなかろうか、かように考えておるわけですが、宇和島出張所がこれに参加して、主催者の一員になっております。講師の選定、その他について宇和島出張所は十分関係したと思いますが、県の教育委員会は、この程度講習会は全部出帳所まかせにしておりまして、出張所責任において処理した。こういうことでございまして、全然県の教育委員会責任ないという意味じゃございませんで、出張所長を任命したのは、県の教育委員会ですから、そういう間接的な県の教育委員会責任は、私はあろうと思います。しかし事はあくまでも講師あとで出したあいさつ状なんで、あいさつ状まで追及するのは、これは講習会とは、直接関係ない、こう申したわけでございます。
  31. 三木喜夫

    三木(喜)委員 局長としては非常に先をおもんばかった言い方だと思うのです。でき過ぎておるような感じが私もするのですが、この講習会でこういうようなあいさつ状を出す人が、その内容についてどうしだこうしたということの検討は、局長もおそらく、それに立ち会っているものでもなし、私も立ち会っていない。ただ内容については行き過ぎであったということをわれわれは聞いておるのであって、なお局長は一方的な報告によって、そんな行き過ぎ講習内容ではないという報告を受けられた。しかし、はっきり証明するのは文書に残ったものが証明する。それは講習会とは直接関係ないかもしれないけれども、このあいさつ状内容が、講習内容が何であったかということを証明づける、その人の人格を表わしたものであって、その人格から出たものが内容を裏づける、こういうようにわれわれは解釈して、この問題を考えるわけであります。両者ともはっきりしない中で、はっきりしておるものは、このあとに残ったあいさつ状が文書として残っております。皇国護持という、今の憲法にいうわが日本の国は皇国なんですか、いわゆる帝国なんですか、ここに私は問題があると思うのです。これを局長は容認されるような言い方、許容されるよう言い方、その点からお伺いしたいと思います。
  32. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 少なくとも戦時中考えられた天皇主権の皇国とは私は違うと思う。ですから皇国の意義、内容にもよると思う。少なくとも戦時中いわれたような皇国というものは憲法上現在は存在しないわけです。そこでこの講師がどういう意味でお使いになったかということは、結局講義内容を見なければわからない。講義内容から見ると、天皇の地位というものについての十分な尊敬を払わなければならぬということをおっしゃっているわけです。それは今、日本の歴史を解明をされながらされたわけです。天皇主権は今日憲法上認められておりませんけれども天皇日本国及び日本国民統合の象徴であるという点は、現在の憲法でも歴然としておるわけで、その点から皇国護持という言葉を使われたとすれば、用語が適切でなかったのではないか、しかしその意味するところは私どもにも理解できるのではなかろうか、かように思うのでございます。
  33. 三木喜夫

    三木(喜)委員 何かくつの上からかゆいところをかいておるような御答弁で不満足なんですが、とにかく皇国ということ自体天皇の国、読んで字のごとく解釈するのがいいのか、そうしたあなたのような解釈が別にあるのか、その点をお聞きしておるのです。もう一ぺんこの点お答え願いたいと思います。
  34. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 普通の用例は天皇に統治されるわが国の意であるとすれば、これは現在は日本の憲法から見ますと、そういうことはあり得ない。ですが、この講師意図を善意に解するならば、講義内容というものから判断しなければならぬと思う。講義内容を見ると、日本国及び日本国民の統合の象徴である天皇の地位に対する尊敬の念を私ども国民は持たなければならぬ。それは最近の風潮が特に天皇制を否定したりやじったりする風潮があったと思う。ですから、その点から見れば、老講師の御心情は察するに余りあると思う。ここでこの皇国護持という言葉の意義だけで判断することは、私行き過ぎではなかろうかと思う。
  35. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 関連。今局長の話を聞いておりましたが、皇国護持ということは、熟語として、歴史的な用語として使われてきておるので、いろいろ詭弁を弄しておりますけれども皇国護持というのは、君主国家としての国家というものが前提として皇国護持というものが使われてき、それ以外の用語はどこにもないはずです。そこで善意に解釈を——善意と言っているけれども、なぜそういう無理をするか。一体皇国護持という言葉の中に、新憲法における主権を有する国民の国家という民生国家としての概念は、あなたが幾ら説明したって出てこない。従って皇国護持のためにふるって立ち上がりなさいというこの人の国家観は、客観的に見て君主主権国家を前提しておるということだけは常識として必然じゃないですか。それを無理してどうしてそういうことを言うか。われわれはすなおに憲法を解釈しなければいかぬですよ。すなおにわれわれは憲法を解釈して、民主的なものを発展さそうとしておるのですから……。今のように話を聞いておりますと、歴史的な用語として皇国護持というものが出てきておるのに、内藤主観解釈だけが出てきておるのであって、それは認めるわけにいかない。もう一度すなおに答えて下さい。
  36. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 皇国護持ということは、私どもも戦時中たびたび聞かされたことだし、その感じにおいては用語が適切でないということは私も最初に申し上げたわけです。ただこの講師がどういう意味で使ったかということになりますと、講義内容を調べてみないとわからない。それで講義内容を調べてみますと、そういう日本国憲法に矛盾するようなことは、講義では言っていないのです。ですから先ほど申しましたような意味にとったわけであります。
  37. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 それじゃその次にお伺いしますが、新憲法下における文部省教育方針の基本というものは、旧憲法のいわゆる君主主権国家の理念から民主国家理念に移って、まだそういう民主国家の感覚というものが国民に育っていないのであるから、教育方針としては国民に主権があるということを強調していくということが、文部省の憲法下におけるところの教育の基本方針であろうと思うのですが、いかがですか。
  38. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 お説の通り、民主国家においては基本的人権を尊重し、国民主権であるということを明確にしなければならぬと思うのです。ただ同時に天皇の地位に対して、天皇をないがしろにするというような考えが一部にあるとすれば、これは非常な誤まりだと思う。私ども日本国憲法第一条のことも十分頭に置いて、天皇の地位に対して明確な態度を堅持しなければならぬと思うのです。こういう点についても、今回の新しい教育課程では天皇の地位を明確にしたわけでございます。
  39. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 これは大臣にお聞きすべき問題だろうと思うのですが、おそらく戦年前の教育によって日本の国民感情というものは、いわゆる天皇主権、万世一系の天皇この国を統治するという第一条及び「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という第三条に基づいて教育をされてきた。そこで人権思想がなくなってきておる。それで新しい憲法は、数百万の同胞を犠牲にして間違いを起こしたところの反省のもとに、国民に主権があるということを前文においても第一条においてもうたっている。これを教育的にどう見るかというときには、天皇崇拝の国民感情は長くずっとあるのですから、そのために民主的な思想が発達してこなかった、人の上に人があり、人の下に人があるような、福沢諭吉の言葉を借りれば、人間に対する差別観というものがあって、そのために民主思想というものが発達してこなかったので、この新憲法下における国の育教方針として強調すべきことは、国民に主権があるという思想を強調するのが憲法、教育基本法を守る文教政策の正しい方針である。そして天皇に対する考え方というものは長くずっと続いてきておるので、天皇を尊重するということが天皇が統治権の主体であるということと結合しておるから、その点はそっとしておいて、国民に主権があるということを強調していくことが戦後の文部省の方針ではないか。それを同じように今のような話をされるから、結局君主国家という思想が強調されることにむしろ文部省教育方針があるんだということを答えておるということになると思うのです。そうでなくてもっとすなおに、主権が国民にあるということを強調したあとに、象徴としての天皇観というものが自然に入ってこなければ、それを先に言えば旧憲法の国家観と同じ教育基本方針だと思うのです。今のお答えについては、無意識かどうか知らないけれども、旧憲法の教育方針だと思うのですが、そうでないですか。
  40. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 国民主権の点は十分に理解させ、また納得させなければならぬと思うのです。ただ国民主権を強調するのあまり、天皇制を否定し、あるいはこれをないがしろにするような考え方も一部にあろうと思うのですが、それは間違いであると思います。ですから国民主権を大いに強調し、同時に天皇の地位についても明確な態度をとって、国民天皇に対する敬愛の念を持たせることはやはり教育上必要だと思うのです。
  41. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 歴史的に、戦後における文部省教育方針というものは、国民に主権があるということをしっかりと教え込むということを第一の重点としてとってきたはずなんです。そうしてそのあと国民の統合の象徴としての天皇という国民感情がついてくるのがいいのであって、国民感情としての天皇象徴を先にこういう教育委員会主催によって強調していくことは——憲法ができてまだ十数年です。どこを強調するかということの中に教育方針が出てくる。そこで、基本法にしてもすべて人権の思想から説いてきておるわけなんですから、もし今こういう講習会を、適当であるのだ、奨励すべきものであるというような方針があるならば、私は教育方針は憲法に忠実でないのだと思うのですが、大臣、いかがですか。
  42. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 お答えいたします。憲法をすなおに説くことが第一義だろうと思います。主権在民を先にするか、象徴天皇の講釈を先にするか、そのときどきの便宜によってけっこうだろうと思うのであります。憲法は厳然として存在しているわけですから、それを説く人がその場の必要性において象徴天皇制を先に説いたからといって、主権在民がでんぐり返るはずのものじゃないのですから、そういうふうなことをあまり神経過敏に考え過ぎることもまたすなおな憲法の解釈ではないのじゃないかと思うのであります。ことに今問題になっております愛媛県の講習会の問題は、がんぜない義務教育課程の子供に教えたものでなくて、日本の憲法とはいかなるものかということは当然知っておればこそ免状を持っておる教職員に対する話でございますから、ことに神経過敏になるほどのことでもないのじゃなかろうか。ただ主権在民じゃなしに、主権在天皇であるがごとき講釈をしたとすれば、この前申し上げましたようにばかじゃないかと私は思ったんですけれども調査の結果によりますと、当該講師教育界の元老であり、また講釈の内容からいきましても、現在の憲法を十分理解された内容において説明をされておると聞きますから、現実問題としては、私は大して懸念すべき事柄じゃなかろうと思います。
  43. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 今問題になっておるのは、私は、教育委員会主催の講習会が適当であるか不適当であるかということの論議をしておるつもりなんですね。そこでお聞きしたいのは、愛媛県の教育委員会主催の講習会の目的はどういうふうに向こうで明示をしておったかお聞きしたいのです。
  44. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 趣旨は、管内の中堅女子教員の資質の向上をはかる、こういう点が目的でございます。
  45. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 資質の向上ではあまりばくとしてわからないのですが、あるいは教科課程の講習会であろとか、あるいは教育技術の講習であるとか、あるいは教育専門知識の講習であるとか、あるいは現代の教育思想としての憲法、教育基本法をしっかりと人生観あるいは教師の態度として教え込むという講習会か、資質の向上というのはどういう内容として解釈されておるのですか。
  46. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 これは教科課程の研究とかあるいは教育技術の研究とかというものでなくて、教職員心がまえなり態度というものについて教育長や菊池講師等が言っていらっしゃるわけです。私は、やはり教師として一番大事なものは教師の心がまえだろうと思うのです。教育技術だけで教育するものじゃなくて、あくまでも精神的な修養ということが大事だと思うのです。その精神的な修養の面だと思うのであります。
  47. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 教師の必要な条件というものは、やはり必要な知識と教諭技術とあなたのおっしゃる心がまえというのですか、教師としての正しき態度、この三つは必要だと私も思います。そこでその一番あとのことを目的とした講習会として主催をされたとすれば、正しい教育観、正しい教師としての考え方というものを前提として、講師講義全部を考えなければならぬ。そこで一つ一つ講義内容というものが偏向しておるかどうかというようなことは、これは第二の問題であって、講義内容全部を合わせて憲法、教育基本法というものに基づいた正しい教育家たる心がまえというものが、この講習会の目的と合っているかどうかということだと思うのです。そこでお調べになった内容は「松下塾村記」、「勤行聖典」、「食事五観」というふうに、そういう講義ばかりずっと並んでおるとすれば、私は文部省としても不適当な講習会であるという判定を下すべきものではないかと思う。たとえば憲法と教育権本法についての講義が一方にある。出典としての、「勤行聖典」もある。それから古典としてまたその他の日本の一つのものがあってもいい。あるいは現在の近代思想というふうなものもそこへ持ってくる。あるいは教師観の講義もする。それがずっと入っているならば私はわかる。しかし愛媛の場合については、講習の全部が非常に偏向したものであって、これはすなおに文部省が見たときに、教育委員会主催の講習会としてはまことに偏向した不適当な、主催すべきものではない、民間のものならばいいということを、講義の全貌からいうならば当然判定すべきものではないかと思うのですが、その点はどうでしょう。
  48. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 それはお説のようにいろいろやった方がいいと思いますけれども、これはわずか二日の講習会でございます。そこでどこが教師として欠けておるかという点になろうと思います。おそらく憲法なり教育基本法がわからない先生が教壇に立つはずがないわけなんです。それも私はけっこうだと思うのです。これが理解がなければ十分理解させるような講義も必要だと思います。しかし当面宇和島女子中堅教員を集めてやったのは、特に教師としての心がまえなり精神的な修養というものが一番大事だと思うのです。そこで教育界の元老であり大先輩であり、県下の人々の尊敬を集めておる菊池講師を頼んだということは、私は別にとやかく言うことはないと思うし、古典についての理解が最近の教育者に欠けておることも事実なんです。だからいろいろ古典についての心がまえを話すということも、これはけっこうだと思うのです。要はそれぞれ地方地方によって何が最も必要であり適切であるかという判断の問題だと思うのです。その必要であり適切であるというその時点に立ってお考えになったことであって、必要であるからこういう講習会をやられたと思うのです。そう考えてみますと、これを文部省がとやかく言うべき性質のものではないと思います。
  49. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 地方々々によってそれは特質がありますから、地方々々によった特性のある講習会はやってしかるべきだと思います。愛媛の場合は、教員組合を三分の二が脱退している。そして三分の一が組合員である。そして教育委員会はそういう意図を持ってやっているということも大体推察できる。そういう地方の実情をながめたときに、こういう皇国護持、ふるい立てとか、十八世紀の古い思想を鼓吹するということは、心がまえと思想が一緒になっているから、私は文句を言うわけです。それは私は不適当だと思う。それはそれとして、局長が今言ったように、菊池講師という者はりっぱな人格者であり、愛媛県の元校長をした人であり、教育界におけるりっぱな人であると思うのです。しかし教育委員会が主催する講師ということは、りっぱな人格者であるということと、現在の基本法のもとにおける教育方針の上に立っている場合には、少なくとも現在の憲法のもとにおける民主思想を持っておる、それくらいの近代感覚を持った人でなければ私は不適当であると思う。りっぱな人格と近代の民主的な思想という二つを持っていなければ、適当な講師とは言えない。いわゆる中世紀的な思想を持ち、まだ君主国家思想というものがあり、民主的な感覚を持っていない思想の人であるならば、りっぱな人であっても私はまことに困った人であると思う。その人の人格そのものはけっこうですよ。しかし現在の憲法のもとにおいて教育方針を立てている限りについては、やはり憲法に合う思想と、それからりっぱな人格と二つなければならぬ。あなたは今菊池さんはりっぱな人だと言われた。その点はりっぱだと思う。決して個人生活にみだらなこともないし、いろいろのことを考えているりっぱな人だと思う。しかし教育委員会主催の講師としては、りっぱな人格であるということと、今の憲法、教育法に合う思想を持った人を選ぶということは、教育委員会主催の講師を選ぶときの基本的条件でなければならぬと思う。そうじゃないですか。そこで今までの話を聞いていると、やはり講習やり方についても不適当だと思うのですが、それはいかがですか。
  50. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 講義内容から判断すると、現在の憲法なり教育基本法に反対の意見を述べているわけではございません。またこれに矛盾した思想を持っている人とも考えられない。ただあいさつ状が用語の適切を欠いたということは先ほど申し上げた通りでございます。そういう点を考えますと、講義内容及びその人の人柄等から考えても適切である、こう教育委員会が判定したのでございまして、私どもはそれが適当である、こう思っておるわけでございます。
  51. 三木喜夫

    三木(喜)委員 私がこのことをお聞きしておる一つ意図は、今後文部省の主催で教育会館を作られ、地方において教育研修の場を持つことを奨励されることが計画されておるわけです。そこでこういうことが行なわれていくということになると問題があるということ。なお今度の教育課程の改定にあたりまして、もちろんわれわれは愛国心とか、あるいは日の丸、国旗、君が代という問題に対して、やはり考えなければならない問題があると思うのです。こういう点について先ほど文部省が、私たち心配しておりました皇国観的な教育を進められるとするならば、この愛媛の問題を一つの契機にして問題だと思うのです。それなるがためにこの問題をお聞きし、文部省の腹を国民の前に一つはっきり出していただきたいという切なる念願から、この問題を提起しているわけです。従ってそういう観点でお答を願いたいと思うのですが、この皇国護持の後の私信に問題がある。用語が不適当だ。ただし講義内容については問題ではなかった、こう言われますけれども一つその内容を申し上げたいと思うのです。この点をお調べになりましたか、どうか一つお聞きしたいのです。「もしも人々が思い上って自ら国の主権者の地位を獲得したかのように妄想し」と述べている。どうですか。われわれ国民主権者の地位を獲得したのではないでしょうか。私たちは憲法で天皇を尊敬しなければならない。このことも大事ですけれども、各人の人格も、これも尊敬しなければならない、大事にしなければならないということは、子供たちとともに今まで考えて参りました。にもかかわらず、これを独断で切り離して講習会で述べられるということ、妄想しとは、一体この講師は何を言わんとしておるか。これはやはり最後の私信にもありました、その人格が講習の中ににじみ出るということを申し上げたことを、如実に現わしておるのじゃないかと私は思うのです。憲法にそういうことが規定してあるかどうか、そういうことを局長が、ここで一方的な調査報告によってそんなことはありませんというように否定したりあるいは言を左右にされるようなことがあれば、この問題追及の意図がぼかされるだけではなくして、文部省考え方というものそれ自体が非常に疑問になってくる。ここに私は問題の焦点を合わさなければならぬと思うのですが、一つその点について「妄想し」というようなことを言っていることが憲法に示してあることに正しいかどうかということをお答え願いたいと思います。
  52. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 今の点は、先ほど申しましたようにこれは私信の中にあるので、講義内容ではございません。ただ私信の中にこういうことも書かれておるわけなんです。「この国が天皇を中心として組織せられ、団結せられ発展し来って二千幾百年の歴史を織り成した事もまぎれもない事実である」この講師天皇は対する尊敬というものを十分に持ち、また天皇を中心として日本が今日まで発展してきた、憲法上の主権、この言葉が用語が適切を欠いたと申し上げたのは、私はこれは冒頭に言ったわけなんです。   〔竹下委員長代理退席、臼井委員長代理着席〕 「人々が思い上って自ら国の主権者の地位を獲得したかのように妄想し天皇との関係が昨日までとは逆転したかのように考へるならば」こう書いておりまして、天皇を中心として日本が発展してきたのだ、団結してきたのだ、この二千年来の事実というものは、これは事実だ、ここを強調するの余り、現在申し上げたような用語の不適切があった、これは私どもは認めているのです。だけれども、この人は憲法学者じゃありませんので、用語が適切を欠いたことはこれは私どもも率直に認めますけれども、これは講義内容じゃございません。あいさつ文の中でございます。
  53. 三木喜夫

    三木(喜)委員 その問題点につきましてはやはり私は問題が残ると思うのです。私が非常に心配をしておりますことは、右翼思想がここで強調されたのではないかということ、それから宗教の押しつけが行なわれておるのじゃないかということ、組合誹謗がなされて脱退勧奨がなされおるのじゃないか。これは明らかに私ども調査の方では、そういうことが講習会の中で座談の形で出て行なわれておるということ、それも私ども調査でありますからして、文部省はただ報告をお受けになっただけで、共同で調査すればまだまだ疑問点が解明されると思いますが、その点はあとに残しておいて、ただこの中で天皇を非常に尊敬しなければならない、皇国護持だという考え方で進められておるということが問題ではありますけれども、それよりも私は基本的な人権がこの研修会の中で侵されておったのではないか、侵されるような言辞がなされたのではないかということをおそれるのです。それはたとえて申しますと、この講習の中で、女教師は便所のそうじをしておったらいいのだ、かわいがられる女教師でなければならぬというように、研修会それ自体がもう少し研修をして識見を高めていかなければならないのに、そういうようなことが言われておる。あるいは女教員は卒業したときがやまであって、だんだん子供を産んで、これから教育力が低下をする、こういうことは女教師としては戒むべきことである。こういうことは、女子ならば教育力が低下するのが当然とは言いませんけれども、子供を産むことは当然のことでありまして、こういったことを問題に取り上げたところの講義内容あるいは講習ということに問題があり、冒頭に申し上げましたように、時間的な、労働基準法的な問題、それから一律的に座禅を組ます、あるいは宗教行事を押しつけようとしたのではないか、それから一方ではそうした内容が女教師の人権をすら踏みにじったような言動がなされておる。その中で右翼思想をたたき込み、なお組合誹謗というようなことが行なわれておるということを、非常に憂うるものです。それだからこの問題を提起したわけでございますが、一応この問題を後刻調査していただいて、私は自民党であろうと社会党であろうと、両者、寄って、正しい中正な教育を推し進めていくことが大事だと思いますので、この問題は両党とも真剣に取り上げていただきたいと思うのです。ただ一愛媛の事象と考えず、愛媛の事象はやがて本年度から行なわれる教育研修とつながりますし、文部省の考えとつながっては困ります。従いまして、この点については再度調査をするとかなんとかの形で慎重に取り扱っていただくことをお願いしておいて、この次の質問に移らせていただきたいと思うのです。  第二点といたしましては、私はこの内容に先ほどから申し上げましたような心配を持っておりますので、先般の大臣のお考えでは、こうしたことをやっておるような講習会あるいは講師なれば、ばかたれではないか、しかしながら今日では愛媛からの報告によると、そういうことが行なわれていない、しかし私たちの方では行なわれているという、こういう見解の相違ができておる。あるいは調査の基礎の問題もあろうと思うのですが、そこからこういう見解の相違ができておるのですが、かりに大臣が言われるようにばかたれなれば、これに対する文部省としての法的な措置あるいは監督的な立場でどういう措置をとられるかについて、質問したいと思うのです。根本的には、先ほどこちらからもお話があったように、文部省地方教育行政については自主的な立場をとらすということは、これは大事なことです。しかしながら行き過ぎがあった困ったことがあれば、これに対するところの見解なり措置というものについては、ある程度の方策を持っていただかなければならぬのではないかと思います。この立場について、この問題をお聞きしたいのですが、私はこうした講習会を主催し、あるいはこれを地方教育委員会ないしは地方出張所にやらしたとはいうものの、直接県の教育長も講師として認めておるのですからして、教育長の責任ではないかと思うのです。そういうばかたれの講師を連れてきて、その内容についてそうした行き過ぎたものがあり、その方法についても問題があるとするなれば、やはり教育長の責任ではないかと思うのです。従いまして私の考えでは、この憲法の十八条、十九条、二十条、これらに違反するところの講習だったと思う。従いまして、これについて文部大臣としては、法に定められたところの立場から、たとえて言えば地方教育行政の組織及び運営に関する法律の十一条の五項にきめてあることがありますが、それに従って、この講習をやった者に対するところの措置を考えられるかどうか、これについて、これは文部大臣にお聞きしたい。
  54. 荒木萬壽夫

    荒木国務大臣 この前三木さのお尋ねにお答えして、今御指摘のような意味のことを申し上げたのであります。それはあくまでも——今にして判明しましたことは、菊池先生私信の中にある用語、それが講習の場でそれを強要するようなことでやられたならばという前提、その気持の前提に立って、今の憲法を知らない人であり、またそういうことをあえて言うならばばかじゃないかと感じますと申し上げたことは確かであります。ところがだんだん調べてみますれば、講師の菊池先生は、何度も話が出ましたように、りっぱな人格者であり、教育界の大元老であり、県民がひとしく私淑しておるような方であり、同時にその方が講習会の席上でお述べになったことは、現行憲法の趣旨も十分念頭に置いて、また教育基本法の趣旨もわきまえた前提のもとでのお話であったということがはっきりいたしますので、仮定に立ったとは申しながら、菊地先生そのものがばかであるがごとき印象をもしこの前のお答えで与えておるとすれば、菊地先生に申しわけないような気持がいたします。もし憲法に違反し、教育基本法の趣旨に違反するような講習会等がございましたら、むろん与えられた権限の範囲内において指導助言すること等は、これは今後当然のことと思います。
  55. 三木喜夫

    三木(喜)委員 大臣のお考えは非常によくわかりました。菊池講師についてそのような認識をされておるのだったら、その調査というものが非常に一方的で甘いと思うのです。私が現地の県の指導主事に菊池講師の人となり、この講習会におけるところの考え、話というものをただしましたときに、県の指導主事でさえ、時代的なずれがある人である、かつては教育界の先輩であり、そして尊敬を得ておる人ではあるけれども、それは過去の業績に対してのものであって、現在的感覚からは非常にずれておるということを思いましたということを如実に言っておる。当局側においてすらそういう批判が出ておるくらいでありますからして、大臣がただいま言われたようなこういう調査大臣にお与えして、こういう方でございましたというようなこういう見方では、問題の核心をつくことにも何にもならない。こういう中でこういうことを論議しておっても、それはお互いに水かけ論になってしまうと思うんです。従いましてただいま大臣がおっしゃいましたように、このことが憲法違反であり、教育基本法に違反しておるということなれば適当な処置をとる、こういう工合に言われておるわけなんですが、それでわれわれの方としてはよくわかったわけなんです。  その次に私は、やはりここにこうした現象を生むところの一つの源泉になっておることは、愛媛教育委員会教育委員長の問題です。この教育委員長はすでに師友会というところの団体に属している。この師友会というのは右翼団体として、しかも調査の対象になっているとかいうことを聞いておるわけであります。その人が県の支部長で、そうして紀元節を復活するというところの一つの政治運動の先頭に立ってこのことをやられたということを聞くわけであります。こういう委員長がおり、そうして教育長、そうして菊池さんを呼んでの講習というところに、私は問題の核心にだんだん触れていくような気がするんです。従いましてこの師友会について、こういう問題が出されておるようならば御調査を願いたい。そうして調べておるようでしたらお聞きしたい、こう思います。  なおこうした政治団体と見るべきものに教育委員長がおることについての可否について、大臣のお答えを願いたいと思うのです。お調べになっておられぬようでしたら、政府委員の方からでもけっこうですから、一つお聞かせ願いたいと思います。
  56. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 師友会についてお話がございましたが公安調査庁では師友会は調査の対象にしておりません。従って別に右翼団体というほどのものではないと思っております。それから師友会について今後調査しろ、こういうお話でございますが、よく研究はしてみたいと思いますけれども、私どもそういう団体に対する調査機関でもございませんので、この点については慎みたいと思っておるのでございます。ただ竹葉委員長が師友会の鳥取支部の支部長をしていることは聞いております。紀元節のデモの先頭に立たれたことも聞いております。しかし竹葉委員長は長い間愛媛県の教育界に大へん功労のあった方でもあり、愛媛県の知事が議会の承認を得て任命された方でもございますので、私は大へんりっぱな方だと常々尊敬を払っておる方でございまして、決して右翼思想の持ち主だとは私一度も考えたことはございません。
  57. 三木喜夫

    三木(喜)委員 県議会の承認を得ることは当然でありますし、知事が推薦していくことは当然であります。過去の業績がそうだったら現在はこうだというような、その考え方には無理があると思うわけなんですが、そうした先頭に立ってやられた事実がいま一つある中には、先がたのいわゆる潜在意識、その人の持っておるところの人格というものが端的に私は現われたものだと思うのです。こういう行為はやはり一つの政治運動だと私は思うのです。そういうことを県の教育委員長がやられるということについて、私はこの地行法の十一条がやはり問題になってくるのじゃないか、「又は積極的に政治運動をしてはならない」ということが示されておるわけです。それとの関連も私はここに問題になってくるのじゃないかしらと思うわけです。たとい師友会というこの会が右翼団体でないとしても、そうしたことを、今のところもちろん自民党のこの休日の計画の中には紀元節の問題はあるようですけれども、しかし現在の時限においては、紀元節というふうなものは一つの政治運動、こう見るべきだと思うのです、復活せよというようなことは政治的な運動だと思うのです。このことの先頭に立つということは右翼思想ということとともに、私は問題だと思うのです。
  58. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 竹葉さんが自分の個人の自由意思で師友会の支部長をされ、また紀元節を祝するという気持でデモの先頭に立たれたということは、これは個人の自由ではなかろうかと思うのです。別に教育委員長という資格でおやりになったわけじゃございません。教育委員長としては教育委員会は合議制の機関でございますから、教育委員会を開催する場合の議長となって、議会の取りまとめをされるのです。その場合に紀元節云々というようなことがあれば、これは問題かと思いますけれども、個人の資格で紀元節のデモに参加せられたから、これはけしからぬという性質のものでは私はないと思うのです。
  59. 三木喜夫

    三木(喜)委員 この点は局長の御意見をよく承っておきたいと思います。これの反対のことがかりに教師によって行なわれても、これは個人としてやっておる場合にはいいわけなんですね、そういう論法でいけば……。あるいは夜やった、あるいは放課後やったということになれば、その点はいいわけなんですね。個人としてやれば…。
  60. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 別にデモに参加されたからといって、公務に支障ない限りはこれは個人の自由でございます。
  61. 三木喜夫

    三木(喜)委員 この点はよくわかりました。次に愛媛県の教育研究協議会の性格と文部省との連係というものについて質問したい、こう思うわけです。これは先般文部省に対して、いわゆる地方に対するところの教育研究助成金としていろいろな名目で出されておりますが、それについてのデータを要求しておきましたが、いまだにそのデータが出ていないように思います。私の手元にはもらっていない。従ってそれからの判断ということは後日に譲るといたしまして、きょうはその教育研究協議会なるものと先がた申しました研修会との関連も一つ考えてみたいと思いますし、当局の御見解も承りたいと思います。  それは愛媛県にはすでに御存じの、先がた山中委員も申しましたように、あの勤評以来教員組合には相当脱退があるわけであります。よかれ悪しかれ法に従ったところの組合が、こうして脱退の形をとっていくということは悲しむべきことだと思います。これは文部省としても、それはよいというようなお考えはおそらくないだろうと思います。これは同一観点に立ってものを言っていきたいと思うのですが、そういうことは非常な悲しみであると私は思うのです。それが、愛媛県の実情においては、教育研究協議会という形でこのことが慫慂されている、勧められておるような考えを持つのです。この研究協議会については、すでに昨年の八月の二十六日に有志によって発議されて発足しておるのですが、二学期、三学期を通じましても、何ら研究協議が進められていないのですね、何ら研究協議らしいものもない。それが一つ。それから第二組合的な性格を持っておる。それから活動の内容といたしましては、教員組合を脱退した人たちは全部入会の資格があるという形をとっております。それからその内容、活動計画については、その研究会の持つところの研究、二、構成、三、組織の問題、四、教育予算について要求をするとかいうようなことがその活動計画の中に述べられておる。こういうふうに考えていきますときに、この教育研究協議会というものは明らかに第二組合的な性格のもので、私たちが非常に疑問に思うことは、これは人事委員会に届け出てやらなければならない職員団体ではないかということが一つ組合を脱退した者でなければ入れない——今はもう両方に入ってもいいというような格好になっているそうですが、当時はそういうような形を持っておった。それが疑問の第二点。第三点としては、その活動内容が、先がた申しましたように、予算に対して、あるいは勤務条件に対して要求をしておることは、これは明らかなる職員団体だと思うのです。今後文部省の指導において、各県でそうした研究協議会が持たれると思いますが、そのときに、この見解を明らかにしておかなかったら、この問題は今後混同されて、第二組合的なものがたくさんできていくというようなこともあり得ると思うのです。なお、この行なっていることが不当労働行為であるというような点も出ておるわけです。  まず最初に明確にしたいことは、愛媛県の実情を調査されているかいないかわかりませんけれども、この教育研究協議会は、私たちの判断ではそのような性格を持っておるので、これははっきりした職員団体のように思うのです。その点はどういう工合にお考えになっておりますか。
  62. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 愛媛教育研究協議会は、この規則によりますと、「本会は教育職員の親和提携を密にして教育上の諸問題を研究協議し、本県教育の刷新伸展に審与することを目的とする」こう書いてありまして、この目的から見ますと、明らかに教育研究団体でございます。その活動状況につきましては、それぞれ小学校部会、中学校部会等がございまして、その中に国語なり社会なり算数、理科、図工、音楽、家庭、体育、それぞれの研究部会がありまして、研究の事項も出ておるわけであります。国語の読解指導と言葉のきまりの指導とか、あるいは社会科では単元構成と学習内容の研究、それぞれ研究項目も出ておりますし、活発な研究活動をしておる、こう承知しておるわけでございます。ただ研究団体だからといって、これが教職員の福祉増進のことをやってはならないという規定はどこにもないのであります。私は、教職員の研究協議会が福祉向上のことを心配することは、これまた当然のことだと思います。ただ第一義的に教育研究をする団体か、第一義的に教育職員の勤務条件の改善をはかるかということによってきまると思います。職員団体は第一義的に勤務条件の改善及び待遇の改善をはかるのが目的であります。そのためには当局と交渉する道が開かれております。交渉するためには登録要件が必要である。この研究協議会はそういう団体じゃない。あくまでも教育研究を主に考えて、あわせて教職員の福祉の増進をはかるということをしておるわけであります。ですから登録する必要はないし、従って当局側はこの待遇改善について交渉しなければならぬ義務は存在しないわけであります。ただ教職員の待遇改善をやるのは、私はいろいろな団体があって差しつかえないと思います。PTAがやってもいい、父母会議がやってもいい、この研究協議会がやっていって一向差しつかえないと思います。そういう意味から申しまして、これを第二組合だというふうに断定するのは少し行き過ぎではなかろうか。それからこの団体への加入、脱退は自由でございます。ですから自主的にどうおきめになるか、それは御自由でございまして、この規約の中から見ますと、別に職員団体から脱退しなければ加入してはいかぬという規定はございません。ただ事実上そういう取り扱いをしておるということを伺っておりますけれども、これは結局組合なり団体か自主的におきめになることだと思っております。
  63. 三木喜夫

    三木(喜)委員 そういうような表向きの把握の仕方だけでこの問題を見ておられることは皮相な観があると思います。それは何においても表はそういうことにすると思うのです。ただ私は活動の内容を申し上げたのです。八月二十六日から協議して二学期かに発足し、三学期も通じ、何らこのことに対する研究は進めていない。この会の副会長に私どもはただしたのですが、何ら研究は進めておりません。ただ宿直料とか旅費とか、あるいは教育予算とかというものに対する交渉はやりました。そうすれば表向きはこういうような名前をつけてはいるものの、その実、活動の第一にやっているところのものはこれであった。二学期からかかって、八月から三月までかかってこのことだけしかやっていないのですから、これははっきりした第二組合的な動きです。しかし表向きでわれわれは判断しなければならないし、文部省としては当然されなければならないと思いますので、そういうお答えでよいと思いますけれども、そういうことが研究協議会の名において愛媛で行なわれていることが、文部省としては何ら差しつかえない、こういう会則だからけっこうだ、こういうことにお考えになるかどうかということを私は聞きたい。将来こういうものができてきて研究協議会だということになれば、それもまたお許しになる。またあなたがお考えになっているところの教育会館なるものがこういうものによって占められていく、教員組合の研究には教育会館が使われない、こういう問題も出てくる。従ってこういう問題を最初に提起してお聞きしているわけです。実際的な活動の問題は第二組合的だ、こういう工合に私は申し上げたのですが、その点どうですか。
  64. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 教職員の待遇の問題を陳情したからといって、これをすぐ第二組合だというふうに断定するのは行き過ぎだと思う。この会は教育研究をまじめにしておる団体だと私どもは承知しておりますし、組合員であろうとなかろうと、教育研究は教職員の生命ともいうべきであって、これは当然推進すべき文部省責任があると思うのです。そういう団体が各所にあるわけです。その団体について文部省教育研究の活動の実態を見て、これに援助していきたい、こういう趣旨でございまして、この愛媛教育研究協議会は第二組合ではない、こう私は断言できると思います。
  65. 三木喜夫

    三木(喜)委員 私どもは第二組合だと思うのですが、研究の内容を見て援助をしていきたい、こうおっしゃるのですが、今はまじめな研究をしているというお話でしたが、一体どんな研究をしているか御調査になっておりますか。
  66. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 いろいろ講習会で教職員を集めたり、研修会もいたしておりますし、先ほど述べましたように、それぞれ小学校部会、中学校部会には教科別の研究部会がございまして、研究の題目も出ておるわけでございます。で、この研究事業を進めるために非常にわずかではございますが、文部省は助成をしておるのでございます。二十五万円出しておるわけでございます。  先ほど資料の御要求がございましたので、文部省としては文教施策の普及徹底、研究団体についての委託費、これは私の手元から離れて出しておると思いますが、どこかでとまっておるとすれば至急督促いたしましてすみやかにお手元に届けたいと思います。
  67. 三木喜夫

    三木(喜)委員 私はこの会の副会長から何ら活動しておりませんという話を聞いたのです。あなたはその調査をどこでされましたか。何かそこに食い違いがあると思うのです。私はこういう活動をせぬでおいて、そうしてもっぱら教職員の待遇とかそういうことを取り扱って、しかもおれたちがやってやったから君たちの待遇がよくなったというようなことを組合員に言っておる事実も聞くわけなんです。それはどこで調査されましたか。
  68. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 これは愛媛県からきた報告書でございまして、愛媛教育団体助成費計画得が文部省に参っておるわけでございます。  今お尋ねになったこの副会長のどなたがそういうことを言ったのか、その氏名を明らかにしていただけば私の方でも再度調査したいと思っております。
  69. 三木喜夫

    三木(喜)委員 名前はあとで申し上げます、記録がありますから。  それで今計画書ということをおっしゃいましたが、それは実施した様子はないわけです。実施はされていないと私は言うのですが、それは計画書にはいろいろなことを書きますよ。それをもってしたかのごとく言われるところにあなたの言葉の魔術がある。そういうことでものの正体を見きわめようとすれば、この委員会が混乱するばかりです。そうでなくて、やったかやらないかということを私は聞いておるのです。それをやらぬでおいて、そのこと自体を、教職員のそういう問題を取り扱うということは組合の仕事じゃないか。第一義にあげていないけれども、第一義にやっておる仕事だということを私は申し上げておるわけです。その点をもう一回お聞きいたします。
  70. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 ただいま申しました計画書については、いずれ報告書が参りますから、報告が参ったらお手元に差し上げたいと思っております。  なお、愛媛県の教育委員会から私が直接聞き、また見た事実では、確かに愛媛県の教育研究協議会主催の講習会はしております。
  71. 山中吾郎

    ○山中(吾)委員 ちょっと……。今、計画書によって補助金が交付されておるのですから、実施をしない場合にはその補助金は取り上げられることになると思うのですが、取り上げられますか。
  72. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 それば当然未実施の場合は退避させます。
  73. 三木喜夫

    三木(喜)委員 先ほどの副会長の名前は、鶴岳小学校校長の間口という人です。愛媛教育研究会副会長です。  ただいまのは、いろいろ活動しておりますということであったのですが、これは調査するということで訂正されたと見てよろしいですね。内藤局長の御答弁は事実でないというのですね。
  74. 内藤譽三郎

    内藤政府委員 私が申し上げたことは事実でございます。愛媛県の教育研究協議会主催の講習会がありました。私も講師として列席したことを覚えております。ですからその眠りにおいては事実でございます。それ以外にどういう講習会をされたか、あるいはどういう研究協議会をされたか、具体的にはここに計画が出ておりますが、いずれ報告書によりまして御審議をいただきたいと思っております。
  75. 三木喜夫

    三木(喜)委員 大へん昼が過ぎてしまって非常に申しわけないと思いますので、この辺で中止していただいて、問題はあとにたくさんございますので、後刻やっていただきたいと思います。これで終わります。
  76. 臼井莊一

    ○臼井委員長代理 それでは、本日はこの程度にとどめ、次会は公報をもってお知らせいたします。  これにて散会いたします。    午後一時二十六分散会