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足鹿委員 とにかくあなた方が急いでおられるということはわれわれも仄聞をしておりますが、地元がこの問題で非常にもめておるときに、本庁とも連絡も持たないそのような勝手な言動を、しかも施設整備でありますから、司令自体には
自衛隊法上においてそういう権限はないと思う。そういうことを発表せしめるというようなことについては、今後厳重に対処してもらいたいと思います。
そういうことは別としまして、去る二月二十七日に島根県議会が特別調査
委員会を設けまして、三島
委員長が現地調査の上帰って報告をいたしております。それによりますと、御存じのようにあの地帯は
昭和三十七年を実施の目途としまして、われわれが過去十数年間にわたって山陰の僻地の中に、一番将来性のある臨海工業地帯あるいは淡水化干拓等によって理想郷を建設しようということで農林省もそれを認め、
長官も御存じでありましょうが、二千五百町歩の埋立干拓を行ない、樋門を設けて中海を真水にして臨海工業地帯を建設する。また一方
昭和十六年、大東亜戦争の初頭におきまして当時の海軍の軍事基地ができました、そのときに約三百町歩以上を、当時の金で三百六十円程度で、お国が勝つためにというので地元民は涙をのんでほとんど強制的に飛行場の用地に提供いたしました。その後アメリカ軍がさらに通信施設を拡充しようというので、これも二年越しの大紛争をいたしましてやめられた地帯であります。その三百数十町歩を奪われた農民たちに農地をいかにして提供するかということで、現在も代行干拓等によってこの沿岸には干拓、埋め立てが行なわれ、すでに耕作に入ったものもございます。そうして中海干拓淡水化の問題では、国費八十六億を概算として計画がすでに着手寸前にまで進んでおる地帯であります。
〔
委員長退席、宮澤
委員長代理着席〕
地元の事情を
長官は御存じかどうか存じませんが、これは島根半島と弓が浜半島に抱かれた内海でありまして、この弓が浜半島は一番狭いところは一里に足りません。そしてこの地帯は
日本の農村としては全国一の人口稠密地帯であります。平均耕作面積は三反余り、特に飛行場等で農地を奪われましたために、営農方針を変えて酪農、養豚、養鶏あるいは高度の蔬菜園芸等によって、辛うじて生計を
維持しておる地帯であります。しかも現在輸送航空団が使用されております飛行場は、米子−境港線の国鉄に約二、三十メートルの差で飛行場の末端が接近をし、県道がその周辺を通り、交通もきわめていいところであります。しかも民家には五十メートルというところであります。おそらくこのようなものも戦争中なるがゆえに、軍の至上命令なるがゆえに、また当時の地方住民は
日本が勝つためにというので、すべてを忍んで犠牲を払ったと申しております。そのものを実は持って逃げてもらいたい、これがほんとうの私どもの気持でありますが、すでに現在設置されておるものについては、今にわかにこれを撤去といっても、なかなかそれはむずかしいことであろう。少なくともこれ以上地元民に迷惑を与えないようなことが好ましい。それが
思想やイデオロギーを越えた一般の住民の声であります。騒音のために住宅を移転される。その場合は一戸三百万円もらえるそうだ、はなはだしきに至っては一戸千五百万円もらえるそうだというような宣伝を一部にしつつある者があり、またその宣伝を真に受けておる者がありまして、そしてアメリカが朝鮮爆撃の基地として使ったときに、これについてきた特殊な婦人や、あるいは飲食店等の流れついた人々がおります。そういう人々は当時の味が忘れられなくて、そうしてこの事情のわからない素朴な農民や、地方住民が困っておるのにつけ込んで、莫大な補償金がもらえるのだから賛成をせよ、こういうような事情であります。そして賛成署名が若干あったようでありますが、判こを押した人に直接聞いてみると−そういうものはない、今の
防衛庁の補償
基準あるいはその他の
基準によりますと、そういうものはないのだと言いますと、そんなものがもらえぬならいやだ、何でこれ以上われわれが痛めつけられなければならぬのか、こういう気持であります。これは決して私は
一つのイデオロギーや
思想に基づいて申し上げておるのではない。素朴は地方住民の声を私は
長官に申し上げておるのでありまし、て、私どもとしては、ほんとうの気持としては、一番耕地の少ないところでありますから、持って逃げてもらいたいが、今あるものはこれはもう泣き寝入り、こういった気持にほかならぬと思うのであります。それをいいことにして、全国にも例のない、海面を埋め立て、しかも中海干拓淡水化のそのどまん中へ埋立工事をする、こういうことは地方民としては、これは先ほど申し上げましたように絶対反対であります。
すなわち安来の市議会が二月六日、その前後、東出雲町外八ヵ村が続いて議会で反対議決をし、
昭和三十一年には境港、米子市ともに市議会は党派を越えて反対の意思を決定して、今日に至っておるのであります。そういう自然的、地理的、
経済的、社会的諸条件が整わないところに、何を苦しんであなた方は地方民の抵抗を排除して、これを強行されなければならない
理由がどこにあるのでありましょうか。私はそういう点から、私ども地方民の夢を託したこの中海干拓淡水化に伴う臨海工業地帯、そうして家畜を主体とするところの新しい農業経営の建設ということこそが、今後における山陰の、僻地で、他に見るべき資源のないこの地帯としては、その方針で進むべきものである。この見地に立って、私も一議員として過去十カ年間中海干拓淡水化の推進に当たって、昨年五百万円の実施設計、本年も千八百万円の実施設計が現に組まれ、八十六億の概算経費でもって来年はこれがすでに実施に入ろうとしておる。そういう今までの経過と現状、将来の上に立たれましたならば、
防衛庁はこの計画を断念せられるのが私は至当であると思う。地方の住民の協力を得られない、その反対の上に立つ、いわゆる国土
防衛上の施設がはたしてどの程度の意義を持つものでありますか、よくお考えを願いたい。
また
昭和三十二年にはアメリカの無人機が人家の上に墜落し、また現在の輸送航空団のダグラス輸送機が中海に墜落し、多大の被害を与え、また地方民に衝撃を与えております。今の状態は、飛行機が始動を開始するときには鉄道も一時停止をする。人馬の通行は全部制限をする。そういったまことに狭小なところにことさらにこのような大計画を持たれるということは、しかもF104Jのロッキードの配置も、ないとはおっしゃいますが、はたしてその保障もない。そういうことは私どもとしてはとられざるところではないかと思いますが、そういう点について、過去の状態、そして現在の状態というものを、もっとあなた方は虚心たんかいに把握されまして、この問題に対処されることが、私は最も妥当であり、正しい問題ではないかと思う。当初はこの大根島上空へ航路を向けられた。村民の絶対反対で、今度は島根県の松江市へ航路を向けられた。今度は農林省が二百数十町歩の干拓をしようという揖屋干拓の工区の上を上昇するような航路を定められた。もうこれ以上どこへ航路を変更する余地がありますか。おそらくこのような無理なところへ持ってこられること自体が誤っておる。話し合いなり調整の余地というものはおそらく限定されておると私は思います。それを、あとのこまかいことは申し上げませんが、長きにわたって、秘密裏にいろいろな調査をされ、しかも昨年の暮れから本年の三月にかけて、大蔵省の行政一般財産を
防衛庁の行政財産に移管のための実地測量を行なわれたり、あるいは数年前から海底地盤の調査、水深その他の調査をされた疑いもございます。そういうふうにして地元民には秘密裏に秘密裏にし、しかも一方においては莫大な補償が出るような宣伝がどこからともなく出て参ります。そういう責任は、昨日も私は
経理局長に申し上げましたが、地元住民の誤解だということをおっしゃいますが、地元住民の誤解ではない。これは大東亜戦争以来、地元住民はこの飛行場をめぐって非常な迷惑を受けておる。何ら得るところはない。外来の、よそから流れてきた人は別として、何ら利益を受けておらない。迷惑こそ受けておれ、利益を受けておらない。従ってその人々は、金がもらえるなどといったそういう一部の人々の盲動に乗って、困っておりますから、わらをもつかむ気持から、そういうことを言っておるのであります。ほとんど全部といってよろしい住民は反対であります。そういう点をあなた方
防衛庁の
事務当局は、まず昨日の
質疑で意向はわかりましたが、
防衛庁の
長官として、国務大臣として、同じ国土の一部をなす地方住民、しかも
政府は所得倍増を唱え、産業間、
地域間の格差の解消、均衡をはかるのだといって、現にそこは通産省の工場立地調査の
対象になり、自治庁の基幹都市の構想の
対象となり、あるいは
経済企画庁の大山出雲総合開発
地域計画の中心点であります。われわれは、もしそこにそのようなものを設けられたならば、国が今まで巨費を投じたものはすべてなくなるとは申し上げませんが、その効果はほとんど半減され、あるいはあるものによっては全くその目的に反する事態を招来しはしないか。そのような立地条件や経過について、
長官は事態をどのように認識しておられますか。いわゆる未来永劫に
長官をやられるわけでもございますまい。少なくとも民意把握の上に立って、この問題に対処されることが、私は最も妥当な
考え方だと存じますが、そういった私がるる申し上げましたような最近における、また過去の経過から見た地元住民の感情、気持、また自然的、
経済的、社会的な諸条件から判断して、これが適地だと考えておられますか。その点について真摯な態度で、この際御所信を承っておきたいと思います。