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細野参考人 中央大学教授の
細野日出男でございます。私は今日この
郵便法の
改正案につきまして、
交通学者、
公益事業学者としまして、主として
公益事業料金の
決定の理論並びに
料金政策の
立場から
意見を申し上げたいと存じます。
結論としては、大局上
郵政事業の
サービスの
改善並びに
経営の
改善のために必要な
改正として、
原案に賛成いたします。そういうことでございますが、この
法律の
改正案は非常に大小さまざまの
改正点を含んでおるようであります。非常にたくさんの点が
改正されるようになっておりますが、
国民の
利害休戚に関する問題、
郵便の
利用ということはそういうことでございますので、
法律によって
国会がおきめになるという建前が戦後特に強化されてきておったのでありますが、中にはその
内容の
重要性あるいは政治的な
重要性がそれほど大きくないもの、すなわち事務的あるいは行政的な
手続程度のものまで
法律に盛り込まれてしまっておった、そういう点が今回
政令や省令に譲られるというようになった点が
一つここにあるわけであります。しかしながら、やはり一番の重点は
料金の
改正という点にあると存じます。主として
料金に関する面についての
意見を申し上げたいと存じます。
郵便事業は、各種の
公益事業の中で、実は残念ながら一番その
サービスの
内容が以前に比べまして復興していない、あるいは進んでいない、もしくは積極的に落ちている。たとえば
郵便物の
東京都内における取り集めの
回数とかあるいは配達の
回数といったようなものも、
戦前に比べると落ちているわけであります。そこへもってきまして、最近は
遅配というようなことがかなり深刻に常態化しているというような状態になっておりまして、三
大国営公益事業であります
国鉄、
電電、
郵政を比べてみますと、
国鉄は
財政上非常に苦しい
経営を続けてきてはおりますが、
サービスの
改善ということについては、
戦前に比べまして、復興を終わって、さらに
格段の進歩をしておることは、
国民のよく知っておられるところであります。ところが
郵便事業につきましては、こういうところがよくなったといって
戦前に比べて自慢のできるような点があまりない。むしろ
遅配といったような深刻な事態が起こっているというようなことでありまして、これは
国営事業としまして、
国民に対しては、
国会、
内閣の政治を担当なさる
方々も
郵政当局とともにお
考えをいただかなければならない点だと思うのであります。しかしながら、
郵政事業というものは、これは非常に
経営のむずかしい、
赤字的性格の強いものであるということを近ごろ私いろいろ
数字を見ましてつくづく感ずるのであります。というのは、いわゆる機械化的な面が非常に少ない。
電電のごときは機械化的な面が非常に進んでおりますために、コストは漸減的な方向にあるわけでありますが、
郵政事業は現実的に極端に申せば
明治時代とあまり変わることのない、主として
人的サービスでありまして、
機械施設、
オートメーション化といったようなものの入ってくる面が非常に少ないということと、もう
一つは全国的な
普遍サービス——これほど全国的な
普遍サービスをするものはないわけでありますが、それだけに、人口希薄であって
利用が非常に少ないというところに普遍的な
サービス施設をこしらえて、人を配し、その
サービスを継続しなければならないということが、
赤字的性格の非常に強いといわざるを得ない点でありまして、その点
郵政事業の
経常改善並びに
財政の
改善ということには、なかなか大きな困難があるものだと思います。
公益事業の
料金決定原則という点から申しますと、これはいわゆる
独立採算を通すということをまず前提といたしまして、正直で能率がいい
経営のもとにおいて、かかっただけの
経費が総括
原価として
料金総収入とひとしからしめるということが、いわゆる公正合理
料金原則ということでございます。これは
利用者にとっても、全体的な
立場から見れば、能率がよくて正直だという
経営のもとにおいて、かかった
費用だけは払わなければならないのは、本来当然の
立場であります。また企業側としましても、かかった以上はとらないということであります。これは民間企業におきましては、資本に対する報酬の問題に適正報酬という問題があるわけでございますが、
国営事業においては、適正報酬の問題は借り入れ資本があります場合にその利子は当然算入されますが、いわゆる利潤に当たるようなものはどの
程度とるかというところに非常に問題があります。
原則はとらないでいいということを言うわけでありますが、しかしながら
国営事業の場合でも、いわゆる剰余金、利益に当たるものが出ませんと、拡張再生産が困難であるということが実情であります。また
経営、
財政の安定をはかるということが困難であります。
国営事業の場合で毛、企業の拡張、改良のための資金は、国家から出資してもらえなければ、国債もしくは鉄道債券のような外部資金で調達するということになるわけでありますが、しかし外部からの賃金だけではなかなか調達しきれないということが実情であります。この実情にかんがみますと、やはりある
程度の益金を上げるということが必要なわけであります。それによって拡張再生産が行なわれ、
サービスの改良が行なわれるということになるのでありまして、やはり国営
公益事業におきましても、ある
程度の剰余金、端的に申せば益金を上げるということが必要なわけであります。ところがこの
郵便法を拝見いたしましても、第一条には「なるべく安い
料金で、あまねく、」云々ということがございますけれども、
料金決定原則に関する規定らしいものは欠いておるわけであります。各個に
料金それ自身はきめておりまして、
原則そのものには触れるところがない。なるべく安い
料金ということは
一つの
原則といえばいえるかもしれませんが、それははたして何を意味しておるかということがはっきりきめられているわけではない。私は、
国会としてこの国営
公益事業の
料金に関する
法律をおきめになります場合には、やはり
決定原則それ自身をまずきめられて、
個々の
決定そのものはその
原則に従って、しかるべき機関において、つまり
国会のような最高機関ということでなく、
国会から権限を委譲された特別独立行政
委員会あるいは規制
委員会といったようなものに
決定させるということが適当な方法ではないかと
考えてきておった次第であります。今回の
法律改正にはそういう
趣旨が盛り込まれておるわけではございません。やはり従来通りの各条文ごとの各個
料金の具体的
改定が盛り込まれて、
原則そのものは別に打ち出されておるわけでないという点は、
公益事業学の
立場から申しまして、実は満足ではないのであります。そういう
料金の
決定原則がないということは結局どういうことになるかと申しますと、
改定のつど世論の反対をこうむる、あるいは各種のいわゆる圧力団体、利益代表的団体の陳情あるいは反対運動といったようなものに押されまして、紛乱を重ねる。結局政治的価格に陥るということがしばしばある。これは合理性を見失ったという点が困るわけであります。現行
郵便法にはその
料金決定原則が盛られておらない。従ってやはりそのつど四囲の情勢に押された従来の
料金の手直し的なもの
——圧力の強いところはもっと上げるべきものが上がらない、圧力のかからないところは割方高くなる。これが結局
料金体系のアンバランス、不均衡を起こす。これは国有鉄道の
運賃等についても同じようなことでございますが、そういう結果になるという点が困った点だと思っております。今回の
料金改正につきましてもそういう不均衡点がやはり見当たるわけでございますが、
公益事業料金原則から申しますと、結局
独立採算を通せば、総括
原価をいかに各種の
サービス、
料金に配分するかということであります。その場合に黒字になる
料金と
赤字になる
料金、両方出ておりまして、その黒字になる
料金の方の合計の黒字というものが、
赤字になる
料金の方の合計の
赤字というものでもって帳消しになって
独立採算ということになるわけであります。ところがこの
赤字になるコストの方ではあまり違わないけれども、
料金の方では相当差をつける。これをいわゆる差別価格と申すわけであります。コストの方ではあまり変わらないが、差別価格を作るということは
一般の自由企業ではほぼできないことであります。独占
公益事業において初めて独占力をもとにして差別価格というものができるわけでありますが、伝統的には
国鉄運賃、
郵便料金は最も差別価格の強いものであります。たとえば第
一種の
郵便は二十グラム十円である。一グラムに直しますと、一番目方の重い場合五銭である。ところが現行の第
三種の低料扱い、日刊新聞紙のごときは百グラム一円ですから一グラム一銭であります。つまり五十分の一、五十対一といったようなこんな大きな価格の開きは世間にはないわけであります。これは
国鉄の場合でも、学生定期の一番割引率の高いところで、普通
運賃に比べますと十二対一ということになっております。
これが
国鉄の場合も非常に問題になっておりますけれども、十二対一でさえもひどい。ところが
郵便の場合は第
一種と第
三種低料扱いとでは、形式上は五十対一、目方等を勘案しました実質的にも三十対一ないし二十五対一ぐらいであります。これはやはり差別価格としても極端な行き過ぎであるという点は、先ほどお話も出ましたように、結局第
三種の方はいわゆる直接費も償わない。
郵政当局の調査なさったものを伺いますと、三十五
年度の
予算のもとにおいて大体直接費は第
三種の低料扱いで三円三十銭くらいにつくということでありますが、それが一円だということになりますと、一通扱えば二円何十銭損をするというわけであります。従って、年間何億何千万通ということになりますと、それだけでもって三十億円近い
赤字が出るということになるわけであります。この扱いを吸収しているものが結局第
一種、第二種、それから速達や書留における黒字のわけであります。ところが、高いものは売れない、安いものは売れるという
原則がこの場合でも働きますから、安いものの方はどんどんふえる。第
三種、第五種も
赤字のものでありますが、こういうものはふえる。その
赤字をカバーすべき黒字の第
一種や第二種のふえ方は少ないということであります。そこに
郵政財政がだんだん中身が悪くなる。悪くなっていけばこれは
サービスの低下は避け得ないことになるのでありますからして、この辺のところで、差別価格の理論も必要なのでありますけれども、行き過ぎは是正する必要がある。今度は第
三種低料扱いが二円になったという点が一番の
問題点であると思うのでありますが、二円ではまだまだ
赤字は直接費も償わないということでありますので、これでは私は長期需給の
料金体系にはなり得ないのではないかというふうに
考えます。ある
程度安過ぎるものは、結局
国民経済の施設や
国民資源や人的労働資源といったようなものの適正使用を破壊する。適正使用でなく、つまり
国民経済全体から見ても
赤字になるようなところに資材や労働が費やされ過ぎるということを結局起こす傾向を持つわけであります。そういう大局的な
立場からも直接費は償うという建前を通す必要があるのであると思います。私はこの第
三種の低料扱いの二円というものが出版界に与える
影響の非常に大きいことはもちろん認めます。しかしながらそれが結局
郵便の
経営全体を悪化するような原因になっては、一部の公共の利益のために全体の公共の
サービスを害する、公共利益を害するということになりますからして、やはりこの点は慎重にお
考えいただく必要がある点だと存じます。
なお先ほど
学術出版物のお話がございましたが、私は日本交通学会の常務
理事と
公益事業学会の副会長をやっておりまして、直接責任者でございますので、
学術出版物に対する特別の扱いがない、大体第五種の扱いでございますが、そのことはやはり学会の運営上非常に苦しい点でございます。ただし御
承知の通り、今度は国家公務員系統におきましては、教育
関係、
大学の教授連はだいぶベース・アップとなりましたので、学会の方は学会の
経費を三百円とか五百円でなしに、もっと八百円でも千円でも徴収してもらってもよろしい、教育公務員に対して特別ベース・アップがあったことは研究のためであるということでありますから、学会の
費用はもっとよけいとってもいいと思いますが、しかし
学術出版物は、最も高い文化的、公共的な意味におきまして、やはり特別の扱いがあることが望ましいと
考えます。
それから
政令の方に移されます問題のうちで、たった一点だけちょっと御注意を喚起申し上げたいことは、
法律案の十八ページのところに出ております第三十一条のおしまいから三行目のところにあります黒い活字で書いてありますところに「
小包郵便物の
料金は、
郵便事業に係る
原価、
小包郵便物に係る役務の提供に要する
費用、
日本国有鉄道の小口扱貨物
運賃、
物価その他の経済
事情を参酌して、
政令で定める。」と書いてございますが、実は私ども研究的な
立場からいえば、
小口扱い貨物というものは
小包郵便と対比されるべき性質のものではなくて、
小包郵便と対比されるものは、鉄道においてはいわゆる客車便といっております小荷物
運賃であります。小荷物
運賃ということの実はミス・プリントだと思いましたけれども、そうではないそうでありまして、これは法制局等におかれて、
政令に移すのであるから、参酌するものは法定事項に準ずる。
国鉄運賃法の方では車扱い
運賃が法定事項であります。
小口扱い貨物の
運賃はこれに準ずると総裁が運輸大臣の認可を経てきめるということになっておるのであります。そういう意味でもって
小口扱いにしたのだということでありますが、
小口扱いは三〇キログラム以上であり、二トン、三トン、四トン、五トンにまでも及ぶようないわば大きな貨物であります。
小包郵便は六キログラムまでというものでありますので、これは
郵便局で断わるから鉄道の貨物に持っていく貨物ではないという
立場から申しましても、この点は法制局等の御
意見もあるようでございますが、私は問題のところではないかということにつきまして、まだ
国会における御検討を
お願い申したい次第でございます。
大へん長くなりましたが、これで私の公述は終わります。