○
坂本委員 ただいま
委員長から申されました下筌・松原ダムの問題は、
建設省としても
計画を立てておられます筑後川総合開発の問題として、下流地域の洪水調節ダムということで松原・下筌ダムを作る、こういうことになっておるのでありますが、これによりまして地元民が三百戸余り水没するわけであります。
〔
委員長退席、佐藤(虎)
委員長代理着席〕
特に、熊本県側の約百戸の農民、山村のごくまじめな農民の方々がこれに反対をいたしまして、昨年の二月よりその反対が熾烈をきわめまして、途中、非常に豊かな愛情のある山村に警察官が出動するという悲惨な
状態が出ておりまするが、いわゆる蜂之巣城の戦いと申しますか、騒動といいますか、この問題であるわけであります。
私は、筑後川総合開発についての
建設省の
計画に対しまして、非常なる疑問を持っておるわけであります。従いまして、この
計画が真に公益のためにやられてるものであるかどうか。これは憲法上保障されました国民の財産権の保障、これに重大なる関心があるものでありますから、
大臣を切め
河川局長に、総合開発の根本的の問題について若干承りたいと思うのであります。
その前に、先ほど申しましたように、「蜂之巣城騒動日記」というような本が出まして、これは三千部刷ったそうでありますが、すでに売り切れまして、第二版はもっと充実した出版をする
計画を今立てておるようであります。
委員の皆さんにも全部差し上げたいと思いますけれども、ちょうど手元に二冊しかありませんから、
委員長と
大臣にこれを差し上げまして、質問をいたしたいと思います。
昨年来の経過を一、二申し上げまして本論に入りたい、こういうように
考えるわけであります。筑後川総合開発の洪水調節として、上流に二万六千トンのダムを作って下流の洪水を阻止する、そのためにダムを作るのである。それに対して、そのダムを作らなくても、ほかの方法で下流の洪水の調節はできるのである。いわゆる久留米以下のあの平野の穀倉地帯の田地の洪水に対しましては、現在のような
建設省の
計画では、その水害の防止はできない。もっとこれは、農林省との
関係において利水の問題と一致いたしまして、治水と利水の一致した
計画で、たとえば関東における荒川の放水路のような
計画が立たなければ、あの平野の洪水の調節はできない。こういうような
考えを反対側は持っております。ダムを作り、そうしてさらに、これはあるいは誤解かもわかりませんが、この二つのダムに九州電力株式会社が約四万キロワットの発電をやる。従って、これは下流の洪水調節を名目として、その実質は九州電力株式会社のダムの
建設にある。国家資本を利用しての電力会社のダムの
建設であるから、こういうようなものには、われわれの先祖伝来の田地並びに宅地すべてを水没するから、その犠性に供することはできない、これが反対の強いところでありまして、ことに熊本県側の約百戸は、室原知幸氏を中心としまして反対をいたしておるわけであります。決して室原氏が山林地主であるから、一人その財産擁護のために反対をしているのではなくて、むしろ零細な農民が水没すれば、その生活か全部剥奪されるというのでこれに反対をいたしておるわけであります。その証拠には、昨年トラブルが起きました際に、室原氏を逮捕してぶち込めば、あとは総くずれになる、そういうような
考えもありまして、室原氏が逮捕されたのでありますが、逮捕されますと、ますます団結が固くなりまして、反対の
意思が強くなって参ったわけであります。その点から見ましても、単に一人の山林地主でなくて、その部落全体がこぞってこれに反対をいたしておる。従って、この問題は農民一揆ともいうべき問題でございますから、一山村の単なる利益のための反対でなくて、社会問題にまでも発展をいたしますところの、また現在のダム構築によるところのこの弱い山村の農民、その他の権利の保障のためにも、これは明らかにしていかなければならぬと思うのであります。
昨年のトラブルにおきまして、室原知幸氏以下七名が公務執行妨害等の事件で起訴されまして、熊本
地方裁判所でその審理が進められておるのでありますが、来たる三月の二十九、三十日には、熊本
地方裁判所の山下裁判長の合議部が東京に出張して参りまして、はたして公務執行が正しかったのかどうか、こういうような点をただすために、村上前
建設大臣、総合開発の当時の
河川局長でありました山本現技監並びに現
河川局長山内一郎氏、前九州地建局長の上ノ土実氏、この方々をこの刑事事件の証人として、わざわざ東京に参りまして、その証人の尋問をなす。こういうようなトラブルに対しても、重大なる刑事事件の裁判についても、この総合開発がはたして正しいかどうかということが中心になりまして、その裁判が進められているような次第であります。
さらに、昨年
建設省は、この反対を押し切って強行するために、熊本
地方裁判所に妨害排除の仮処分の申請をいたしましたが、口頭弁論が開かれまして、そういう緊急性はないということで、これはついに
建設省側は取り下げになった。
さらに
建設省は、明治三十何年かの制定でありまして、一回もまだ適用したことのなかった
河川予定地制限令という
法律を持ち出しまして、そうして、この制限区域にこれを特定いたしまして、その反対を押えつけよう、こういうような方針に出たのでありますが、これに関する民事の訴訟も起きておるようなわけであります。
さらにまた
建設省は、このダムの
建設を促進するの余り、その反対派のダムのできる土地そのものを土地収用法によって収用して、そうして、そのダムのできる予定地から全部農民を排除いたしまして、そのダムの
建設を強行しよう、こういうような方策に出て、土地収用法に基づくところの事業認定が、当時の村上
建設大臣の手によって認定されまして、そうして、その収用の手続に入ろうといたしたわけであります。これに対しまして反対側は、東京
地方裁判所に事業認定無効確認の訴訟を提起いたしまして、東京
地方裁判所第三民事部でその審理が進められまして、去る三月の十日から十四日までの五日間、東京
地方裁判所民事三部合議部はこぞってこの現場検証を決定いたしたわけであります。そして、
建設省側の法定代理人であります法務省の訟務局からの代理人、反対派側の弁護人、また九州地建から総動員でこの現場検証に参加をいたしました。そして、筑後川の一番下流で有明海に流れるところの大川市から久留米市、それから夜明ダム、これを
通りまして、日田市に行き、日田市の上流は、御存じのように筑後川が二つの大きい支流に分れておりますから、左の玖珠高原から源を発しております玖珠川がこちらの方に向かいまして、森
地区からずっと上に参りまして、猪牟田ダム予定地、さらに玖珠高原の一環をなしております千町無田ダム予定地、ここまで調査に行き、さらに引っ返しまして、今度は問題の大山川の久世畑ダム、松原・下筌ダム、さらに上りまして杖立川の黒渕ダム予定地、こういうところを実地検証いたしました。同時にまた、その双方の川の上流が非常な火山地帯でありますから、川に対するがけくずれがある、そういう崩壊の
実情、さらに小さい砂防ダムの設置の条件のいいようなところはないか、こういうようなところを調査いたしました。十四日には熊本
地方裁判所において証人調べとなりまして、下筌の地質調査をいたした九州大学の理学部の地質学の種子田助教授を証人に呼びまして、その証人調べがあったわけであります。種子田助教授は九州地建から依頼を受けて調査をした人であり、いろいろの
関係もありまして、九電も福岡にあるというような
関係で、非常にわれわれとしては公平な証言ではないか、さらにまた突っ込んだ証言は後日の鑑定によるということで、その証人尋問もほんとうの中心まではいかなかったのでありますが、ただ、わかりましたことは、種子田助教授の下筌ダム予定地の地質調査は、五万分の一の調査で終わっておるわけであります。このダムの地質調査を進めるについては、さらに五千分の一の調査をし、さらに進んで五百分の一の調査をし、ボーリングを入れて、そして初めて決定しなければならない。そういうことを踏まずに、ただわずか五万分の一の調査にすぎないということで、この下筌ダムがダム予定地として決定されておる、こういうようなことだけは判明をいたしたわけであります。さらに、火山地帯の溶岩は、これは高堰堤ダムと申しまして、高いダムは絶対地質学上不適当である。低いダムならばよろしいけれども、高堰堤ダムは全く不適当であるという点は、この専門的な地質学者の証言からもうかがわれるようになったわけであります。
そういうような点からいたしますと、この筑後川の上流であります玖珠川、大山川のこの二大支流に、やはりこの火山地帯の溶岩に適した低い砂防ダムをたくさんこしらえまして、現在
建設省でも十一カ所の予定地を調査しておられますから、それにさらに、われわれしろうとが見てもわかるような両方の渓谷の砂防ダムに適した地はたくさんありますから、農民あるいは山林の被害をなくす小さいダムをたくさん作って下流の洪水の調節はできないものであろうか。全然被害がないということは申されませんが、ごく僅少な農民の財産権の被害によって下流の洪水調節はできないのであろうか。
さらにまた、下流の七十万筑後川流域の農民のために下筌・松原ダムを
建設する、こういうふうにして
建設省がこの強行をされておりますけれども、久留米以下の下流地帯は筑後川の洪水によってあのはんらんが生ずるのではない。他の支川あるいは、あの地帯はクリーク地帯であり、さらに有明海は、御存じのように
日本でも一番引き潮と満ち潮の差のあるところでありまして、その高潮から久留米付近まで潮が押し上げて、あの下流の農民の洪水になっておる。こういうようなことも勘案すれば、今、
建設省が言われるところの筑後川下流七十万農民のために下筌・松原ダムを作ってやるんだから、その犠牲は当然だというような、この公共性の問題はなくなるのじゃないだろうか。憲法上保障されましたところのいわゆる財産権は、これはやはり憲法上保障しなければならない。しかし、公共のためにはこれを出さなければならない。その公共性が、これははたしてあるかないかというのが大きい問題でありまして、現在のような
状態で、また、現在のような調査の
範囲内においてこれを断行いたしまして、上流農民の財産権を剥奪し、これを犠牲にするということは忍びないことであるし、また、やるべきものでもないと思うのであります。この点について十分なる検討をし、もしも検討が不十分であり、さらに二つの大きいダムを作って、そうして、そこに四万キロワットの発電会社を作らなくても、九州電力株式会社はすでに一割余りの電力の値上げをして、その電力の値上げは、世界銀行から借り入れをして北九州に対するところの火力発電をするという名目で
政府から許可をされる、こういう段階になっておる。でありますから、あの四万キロワットのダムによる発電を作らなくても、やはり農民のためを
考えたならば、上流の農民の犠牲も少なくするし、下流も農林省との利水と治水の
関係でその被害をなくしてやらなければならない。反対派が、電力資本のためにわれわれは犠牲になりたくないというスローガンのもとに反対をしているのも、決して意味のないものではない。確固たる根拠がある。こういうふうにうかがわれるわけであります。
これに対しましては、橋本前
建設大臣は、部落の代表である室原知幸氏と早稲田の同窓生でもあるというような
関係で、丁重な会見の要望も書面であったわけであります。しかしながら、ここにダムを作るということを変更せずして会見をしましても、ただ補償費の問題とか、そういうような問題であるから、反対派の連中は、決して金をよけいにもらおうとか、そういうようなことで反対をしているのではない。基本的に、ダムはここに要らないような方法でできるのだ、反対派は反対派なりに、科学的な方々にも頼んで調査をいたしまして、そうして確固たる信念を持ってやっておるものでありますから、
建設大臣がわざわざ丁重な面談の要望もありましたけれども、根本的の問題がもう決定しておるからそれを断行するんだ、そのやり方についての話し合いならばできないといって、それにこたえることができなかったわけであります。
中村建設大臣も、就任されまして、丁重なる手紙をやられてその打開に乗り出されておりまして、その点については、
大臣として全く農民の立場に立ってやられておられるということは、まことに敬意を表するものであります。
〔佐藤(虎)
委員長代理退席、
委員長着席〕
しかし、その面談も、やはりこの総合開発をやらなければならないものであるかどうか、別な方法でできはしないか、別の方法でできるならば、もう少し地質学的にも、あるいはその他の方法によっても、検討した上でやろうということになりましたならば、ここに話し合いは十分つくと思うのであります。しかしながら、
建設省が、すでにやりかけたことは、これはたとい間違っておっても断固としてやらなければならない、その強行の上に立つならば、これは絶対にできない。反対農民は、そこに水死してもこれに応ずることはできないという
考え方に立っておるのであります。
私が本日お聞きしたいのは、この筑後川総合開発を決定されるにあたって、どういう
考えで確たる信念を持ってやっておられるかどうか。またわれわれの調査も、反対派の調査も、十分聞き入れて、そうして、ことに火山地帯のがけがくずれるので、たとい下筌・松原ダムができても、十年ないし十五年のうちには、全部ダムが埋まってしまうというような危険のある点を、はたして打開できるかどうか。こういう大きな問題でありますから、その点について二、三おもなる点をお聞きいたしまして、そうして、なお足りない点は、ぜひとも
委員の皆さん方の御了解を得て、次の機会に譲りたいと思うのであります。
ただ、いろいろと
建設省側では五カ年
計画とか、十カ年
計画だと申されますけれども、その
計画だけでは、これは実行に移らないわけであります。十カ年
計画で百億の
予算をとっても、毎年十億ずつ
予算が出れば十カ年でできますが、二億しか国家
予算から出ないということになりますと、五十年も六十年もかからなければ、完成できない。そういうようなことがございますし、ほかの
河川にも——皆さんも御存じと思いますが、熊本の白川を対象にいたしましても、五十億の資金が要る。しかしながら、毎年わずか一億くらいの
予算では、これは五十年かかる。また、
昭和二十八年のあの大洪水は、百年に一回の洪水だといわれておりまして、これに対してはすでに明治年間から大正、
昭和にかけて、国家はこの対策を
考えて参りましたが、りっぱな
計画は立てましても、やはり国家
予算の
関係でそれができずに、ついに
昭和二十八年のあの大洪水に見舞われた。こういう結果もありますから、ぜひ
一つ、
建設省の方でお答えになります場合は、
計画だけでなくて、その
計画を実行するためには、国家
予算が伴わなければならぬ。その
予算が、はたして十カ年でできる
予算になっておるかどうか。こういう点も
考えあわせて、
一つ実のある御答弁をお願いしたい、こういうように
考える次第であります。
そこで、本論に入ります。まず第一に、筑後川総合開発
計画といわれておりますが、この全貌はどこにあるか。このことについて、その中心の概略でけっこうですから、承りたいと思います。