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兼重説明員 ただいま御紹介にあずかりました
兼重寛九郎でございます。
最初に、御
了解を得ておきたいと思います。去る二月二十二日から四月一日まで約四十日間、
宇宙科学技術海外調査団というので、
アメリカ合衆国、
カナダ、それから
ドイツ、
イギリス、
フランス、それに
ジュネーブの
国際機関を訪問したのでございますが、この
調査団は、こういうふうな国における
宇宙科学技術の現状、あるいはそれの
促進方策についての近い将来の
計画というようなものについて、できるだけ
調査検討いたしまして、それについて
報告を出すのでございます。私は、ただいま御紹介ありましたように、
宇宙開発審議会の
会長をしておりますものですから、この
調査団の
団長になりまして、今のような視察、見聞をしました結果、
日本は将来どういうふうにするのがいいと思うという
意見を出しますと、
あとで
開発審議会でその問題について討議をいたしますとき議長をしなければなりません私が、
団長として
意見を出すと、ほかの人を議論しにくくするというおそれもあるのであります。それで、私が
団長をお引き受けしますときに、そういう
意見めいたことは
調査団としては言わないことにするということで、
科学技術庁長官の
了解も得まして参ったわけであります。そこで、今のような
調査報告は、できるだけ早くまとめて提出する
予定になっておりますが、明日の午後、
調査団が
パリで解散いたしましてから初めて会合することになっております。そこでどういうような形で
報告をまとめるかというような
相談もすることになっており、それまでに、ついて行きました
科学技術庁の
村尾君が
資料を整理しております。私は、それにたよるつもりでおりましたから、
自分であまりメモも取っておりませんので、今日まとまった形で御
報告はできないかと思いますけれども、
国会の方の御都合もあることと思いますので、そういうような
程度でお許しを願うつもりで今日ここへ出てきましたわけでございます。ただいま、
委員長から、全体で二十分くらいで終わるようにという御
希望もありましたから、そのようにいたしまして、もし御
質問で、今私がお答えできないことがありましたら、またの機会に答弁させていただきたいと思います。
私どもの
調査団は全体で九人でございますが、そのうちの三人は、随員と申しますか、一人は
通訳の
吉田正男君、一人は
科学技術庁から記録をとるために
村尾君、もう一人、大蔵省の
主計局から下邨君という人が行ってくれました。
あと六人の中で、私を除きます五人は、
航空技術研究所長の中西さん、それから
東京天文台長の
宮地教授、それから東京大学の
生産技術研究所の
教授であります
高木昇さん、
国際電信電話株式会社の
難波研究所長、それに経団連の
事務局から千賀さんという人がついてこられました。そういう構成でございました。
最初に、二月の二十二日、
ロスアンゼルスで勢ぞろいいたしまして、
最初の日に、そこから日五十マイルばかり離れた砂漠の中にあります
ゴールドストーンという
通信を受ける大きなパラボラ・アンテナがありますところに、二台の飛行機に分乗して案内されたのを皮切りに、
ワシントンでは
NASAの木部で、次長のドライデンを初めいろいろな人に会いました。それから、その付近の
研究施設、あるいは
ニューヨークで、
民間の
会社が
宇宙通信と申しますか、
人工衛星に使う
通信の
計画をいろいろやっておりますものですから、
ニューヨークではそういう
民間の
会社を訪問いたしました。それから、南の方に下がって、アラバマ州の
ハンツビルにありますジョージ・C・マーシャル・
スペース・
フライト・
センターといっておりますのが、有名なドクター・
フォン・
ブラウンが所長をしておりますものでございますが、昔はレッド・
ストーン兵器廠とでも申しますか、そういう軍の
施設であった中に、今
NASAのそういう
フライト・
センターができまして、この
センターの中では、
写真もごく一部を除いてはとらしてくれるような
状態になっております。それから
御存じの
ケープカナベラルのランチ・オペレーションズ・ディレクレートという
名前のついておる、これもやはり
NASAの
施設でございますが、ここは、ほかに軍の
施設もありますために、
写真はお気の毒だけれどもとってくれるなということでございましたが、そこへも参りました。それで、
アメリカ合衆国で約半分の時間を使いまして、
カナダ、そしてほかの
団員は
ジュネーブに行ってもらいまして、私はちょっとほかの
自動制御の学会の
理事会がノルウエーのベルゲンでありましたために、その間、そちらの
理事会に三日ばかり出まして、
ボンでまた合流をいたしました。その
ジュネーブでは、ITUと申します何か
無線通信に関する
国際機構でございますが、そこをたずねてもらいました。これは
国際電電の
難波さんが、かねてそこの
会議へ始終出てよく知っておる
人たちでございますから、私は、おりませんでもちっとも支障がない、こう思いました。
それから、
ボンとゲッチンゲンの
近所の
研究施設へ参りまして、
ロンドンへ行き、ここでは
イギリスのステアリング・コミティ、
日本でいえば
宇宙開発審議会に当たるようなものと思いますが、それの
委員長などに会いまして、最後の日には、マンチェスターの
近所にあります有名な
ジョドレルバンク受信所、天文の
研究所へ参りました。
パリでは、もうイースターの休みが近いために、
ピエール・オージェというやはり
フランスの
国内委員会の重要な役割をしている人に会ったという
程度で終わりました。
今度見て参りました先では、実際に
ロケット飛翔体と申しますか、それを作っておりますようなところは
ハンツビルの
フォン・
ブラウンのところだけで、そこでは今サタンを一生懸命に
開発しておるわけであります。そこを見たくらいでありまして、ほかは、いずれも
宇宙科学の
研究をいたします
観測あるいは
測定機器の
開発をやっておるところ、あるいはそれの
通信、
テレメータリング、すなわち、
観測した
資料を
地上に送り返す、そういう
連絡の
方法をやっておるところ、あるいは
通信施設、そういうようなところが多かったものでありますから、今度の
報告にも、そういう
関係が多いわけでございます。
それから、たずねました先は、
NASAの本部、あるいは
各国の
審議会のおもなメンバーというふうなところが多うございますから、その国でどういう
組織でやっているか、あるいは
国際協力のやり方はどういう
方法があるかとか、そういうことが主でございます。
今日は
国会の皆様への
お話でございますし、第一、私
自身が
専門家でございませんから、技術的なことは省くことをお許し願いまして、大体どんなような
状況かということの概略を
お話しすることで済ませていただきたいと思うのでございます。
アメリカが
ロケットを使って、
スペースに
測定機器あるいは
あとでは人を乗せたものを送るという
計画に着手しましたのは、そう古いことではないわけでありますが、一番
最初にたずねました
ロスアンゼルスの
近郊のパサデナにあります
JPL——ジェット推進研究所というふうに訳されている
研究所がございますが、その
研究所は、
カリフォルニア工科大学に付属した
研究所ではありますけれども、そこの
設備に対する
費用、あるいは
運営費もほとんど一〇〇%に近い大部分の金が
NASAからの
委託研究という形で出ております。もちろん、そのカルテクといっております
カリフォルニア・インスティチュ—ト・オブ・テクノロジー、
工科大学の人も
研究を
手伝いにくるそうでありますけれども、これはあまり
人数が多くないのに、むしろ私は多少意外に感じたくらいでございまして、そこで専任の人がやっております。ここはレンジャー・ロプグラムと言ったと思いますが、月の
状況を調べる、近いうちに月にいろいろな
観測機器を着陸させて、そこでいろいろなサンプルをとって、それを
化学分析をして、その結果を調べるというようなことから始め、非常に遠い先へ送るつもりでございましょうが、とりあえずそういう
測定観測機器を送って
状況を調べるということ、それからもう
一つ、ディープ・
スペースと言っておりますのがもう少し遠い、たとえば、金星や火星というような、地球に一番近い惑星の
状況を調べる、そういうようなことをそこが担当しておるのでございます。ところが、そこでやっておりますのは、やはり
衛星とか、あるいは
測定機器の
研究でございまして、それを運ぶための
飛翔体自身は
ハンツビルの
フォン・
ブラウンのところとか、あるいは
民間の
会社——これはおそらく軍の
委託で
開発しておると思いますが、そういう
会社から供給を受けるものでありますから、そういう
ロケットなどの
開発、
研究はそこではやっていないのであります。それがずっと前にジェット・プロパルジョン・ラボというので出発いたしましたため、
名前は何となく
ロケットなどが主であるような
印象を受けますけれども、現在はそういう
仕事が主力でございます。それで、現在は、たとえばそこに
外国の人が
手伝い、あるいはトレーニングを受けるために行くということも可能なようでありますが、前には、そこが軍の
委託で動いておりましたために、非常に入りにくいところであったのでございます。そういう
印象がいまだに続いておると見えて、
日本からそこへ行った人は非常に少ないようでありますけれども、現在は可能であるのであります。
あと、
ワシントンで聞きましたり、あるいは昔から
NASAの前身であるNACAと言ったころからありました
ラングレーの
研究所でありますとか、
ハンツビルの
フライト・
センター及び
ケープカナベラルに参りまして一番目につくことは、
マーキュリー計画といっております人を乗せた
衛星を上げる
計画でございます。ついこの間、
ソ連がそれの先を越したわけでありますが、おそらく、これは
アメリカ人として非常に意外なことではなくて、その点は
アメリカの方が先にできるとはおそらく思っていないのではないかと思うのでありますが、それに対する
設備万端を整えるために
相当の金を使い、手順を進めておるということは、あまり発表されないと申しますか、発表されても、これが一般の
報道紙上に出ませんものですから知られておりませんけれども、それの金のかけ方は、ほんとうになみなみならないという気がいたします。たとえば、
ワシントンの
近郊にゴッダード・
スペース・
フライト・
センターというのが新しくできて、今完成に近づいておりますが、そこでそういうような
衛星を上げますときの
軌道の
計算をするだけに、IBMの七〇九〇という、現在では一番正確ないい
計算機、今
日本では、七〇九〇はたしか原研でそれを借りることになっておりますが、借り賃だけが一年に何億円かかるというので、だいぶ問題になったほどの性能の高い
計算機でございます。それを
軌道の
計算に使うだけに三台も持っておるとか、そのほかの
仕事をするために、ちょっと台数を今記憶しませんけれども、同じ七〇九〇をまだほかにも持っておるというくらいでございます。
それから、
ラングレーでは、御承知のように、七人の
宇宙航空士を
訓練しております。
ケープカナベラルには、そのときの総
指揮所ができておりますが、その総
指揮所の正面のステージには、
予定の
軌道が大きな図に出ておりまして、そこにいろいろあかりがつくようになって、今どこを飛んでおるとか、どこがどうとか、
地上の
連絡所とは
連絡がつくとか、つかないとかいうようなことが、すぐ
色電球で現われるようになって、また一面には、呼吸が
幾つ、体温がどう、脈がどうというようなことがグラフに出るようなしかけがしてありまして、それぞれ担当の者が指令を発したり、あるいは制御したりする台が
幾つか分かれております。それの総
指揮官のような者が
うしろの中央におるわけでありますが、さらに、そこにガラスですっかり仕切りまして、ちょうど
録音室とか、あるいは
国際会議場の
通訳なんかのおりますような、部屋が防音になっておるような、そういうところがありまして、そこに見ることのできる席が
相当人数分が用意してあります。そこでも
相当長い間の
訓練をしておるようでありますが、その
訓練を何人ぐらいでやっているかということを聞きましたら、
人間が二人必要なものに対しては三人を
訓練する、それから、その総
指揮官であるのは一人であるから、
予備を作れば二人になるわけでありますが、その総
指揮官は一人しか養成されていないようであります。なぜその大事な人を二人
——予備を一人持っていないかと聞きましたら、やはりそういうチームは、
人間としても非常によくまとまっていないと、こういう
仕事はとてもできないので、多くの人を得ることはできない、それで一人の人が全体を掌握してやるように、そういう
予備的なことは考えていないということでありました。従って、その
計画を実行するためには、その人がおそらく一番大事な人であろうかと思うのであります。そういう人のことはちっとも
新聞にも出ませんねと聞いたら、どうも
報道関係者というのは、実際に乗る人のことは派手に報道するけれども、そういう縁の下の力持ちになる人のことは何も書いてくれないということを言っておりました。そんなような
状況でございます。
あと、ほかの国は
アメリカとは全然違って、
自分でそういうことができるわけでございませんから、多くの国、たとえば
カナダなどは、
アメリカに近いために、
アメリカと
協力関係を持ちまして、
予定通りいけば来年の初めくらいに
アメリカの
ロケット、多分スカウトと思いますが、それに乗せて上げる
人工衛星を
一つカナダが
自分で金を出して作って乗せてもらうという
計画を進めておることがわかりまして、その
衛星の現在の
進行状況などを見せてもらいました。どのくらいかかるかということについては、ちょっと何かその数字が言えない事情があるのだそうでありますが、いろいろな話から推察してみますと、その
衛星が五百万ドルのオーダーであろうかと思われるのであります。そういうものを
カナダは作っておりますが、それを作って乗せてもらうようにするためには、
カナダ側が三人でございましたか、
アメリカ側がそれより少し多い
人数の
委員会を一年に六回ぐらい開いておるそうであります。これはでき上がるまでに二年以上もかかるようでありますから、
相当の回数そういう
打ち合わせ会をしておるということがわかります。この点、
カナダは隣国でありますので、ほとんど
一つの国の中で
打ち合わせをするのと同じでありますが、そういう
打ち合わせのために要する
費用も、もし国が遠い場合にはなかなかたやすくいかぬのじゃないかというふうなことは考えられます。
イギリス、
ドイツ、
フランスでは、昨年あたりから、
欧州共同で
宇宙開発あるいは
宇宙科学の
研究をやろうという話が出て参りまして、これには二つの
組織がありまして、
一つの方は、
学者あるいは
専門家だけの集まりで、それの
委員長は
イギリスの
ロンドン大学の
教授でありますが、サー・ハリー・マッセー、それの
事務局長と申しますか、セクレタリー・ゼネラルをしている人が
フランスのプロフェッサー、
ピエール・オージェという人であります。
ドイツもこれに
参加を求められておるわけでありますが、そういう学問的な方への
参加はいたしましたが、まだ何か……。もう
一つ、
イギリスの
航空大臣でございましたか、ソーニクロフトという人が、
イギリスの
開発しましたブルー・ストリークという
ロケットを使い、二段目は
フランスの
開発した、ちょっと
名前は忘れましたが、その
ロケットを使います。三段目は、またどこか、さらにほかの
ヨーロッパの国がこれから
開発するかもしれないものを使って、
人工衛星を
ヨーロッパで上げるということをやろうではないかという提案をしたのでありますが、これがまだ全部の国から返事がきていないために、どういうことになるかわからない
状況だということであります。
ドイツの
学者などに聞きますと、それにあまり乗り気であるようではありませんから、どういうことになるかわかりません。しかし、
政府関係者は、どうもそれに
参加する気であるかのような
印象を受けました。
そこで、私は、今度の
調査に参りますのに、初めに申しましたような理由で、
最初はちょっと消極的でございましたけれども、行って見ました結果は、やはり
自分で行き、いろいろ
質問をして、答えを聞いたということは大へん役に立ったと思います。これだけの
旅行ができるように時間と
費用を与えて下さった
関係の向きに非常に感謝しておるわけであります。私は、これから
宇宙開発審議会で
相談をしてもらいます
関係で、どういうふうにしたらいいということを今申すのはよくないと思いますし、また、
自分でもその案を持っておるわけではございませんが、
日本のカッパー・
ロケットはかなり方々で評判を聞きました。大へんほめられました。三月の末に三百五十キロ上がった、その記事は
ヨーロッパの
新聞にも出ておりまして、何か
日本は安い
ロケットを作って輸出するつもりらしいとか、
野澤誠一郎というのは読売の記者でありまして、まだ若い人でありますが、これが
日本の
ロケット協会の幹事みたいな人であります。その
セイイチロー・ノザワはこういうことを言っておるとか、ああいうことを言っておるとかいうようなことが
新聞にも出ておるくらいに割合に関心を引いております。ところが、
科学者の方の側は、それに比べると、どうも熱が足りないと申しますか、
自分でこういうふうなことをやるという意気込みが少ないのでありますか、どうも
ロケットの方の
開発に引きずられがちであるという気がいたします。たしか
カナダでありますが、たとえば、
ロケットを上げるプログラムなどはどっちの方の側で
主導権をとるかということを聞きましたら、もちろん
観測、
測定をする
学者、まあ、
物理学者ばかりではありませんけれども、そっちの方の側がイニシアチブをとって、
ロケットの方はそれに応じて、可能な限りその注文に応ずるようにしておるという話でありますが、
日本はまだそういう
状況にまでなっていないと思います。従って、
官地天文台長なんかに、あんた方ももっとしっかりしなくちゃいかぬのじゃないかということを
旅行の途中幾度か話をいたしましたが、
宮地さんも、そのときには別に私の
意見には反対ではなくて、どうもその点はある
程度肯定しなければならぬような
状態だということを言っておりました。おそらく、今後そういうことが改善されると思うのでありますが、ここであまりそのことを申すのはどうかと思っております。
時間をちょっと超過したようでございますが、
最初に御
了解を得ましたような
状態でございますから、一応ここで
お話を終わらせていただきます。もしも御
質問でも受けますれば、そのときにお答えするようにいたします。