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我妻参考人 ただいま
委員長から、
法案作成の
経過とその
骨子を説明するようにということでございますが、
先ほど御紹介の、
原子力災害補償専門部会の
部会長といたしまして
審議をしました
内容は、
昭和三十四年十二月十二日付で
原子力委員会の当時の
委員長、
中曽根委員長に
答申を出しております。それをごらん下さいますと、
審議の
経過と
問題点が相当詳細に出ております。従って、ここではその
骨子だけお話し申し上げようと思います。
もうすでに御
承知のことと思いますが、この
賠償法案は、
原子力事業を営む者
——事業者と申すことにいたしますが、この
原子力事業者に、いわゆる
無過失責任を負わせて、
原子力事故から生ずる
災害について、
事業者が故意または
過失がなくとも
責任を負うという
無過失責任を
骨子としております。この
無過失責任と申しますのは、
部会におきましては、
原子力産業のような、一方において非常に
社会のために役に立つものだけれども、しかし、同時に、はかり知ることのできない大きな
災害を必然的に含んでいる
企業を
国家が許してやらせる以上は、
無過失責任を
事業者に負担さして、
被害者に
損害をこうむらさないように、つまり、
泣き寝入りにさせないようにしなくちゃならないということでは、
部会の
委員は
全会一致で、反対はありませんでした。これは申すまでもないことだと思いますけれども、最近になりまして、いろいろな
科学技術の発達によって、
社会の役には立つけれども、人力をもってしてはとうてい防ぎ得ない何パーセントかの危険を含んでいるという
企業がだんだん多くなりましたものですから、昔のように、
過失なければ
責任なしというわけにはいかぬというので、
世界各国で
無過失責任を認めております。
交通事業、
鉄道とか船とか飛行機というようなものは、ほとんどすべての国が
無過失責任を認める立法をいたしております。
日本はその点ではややおくれておりますけれども、しかし、
鉱山業、いわゆる
鉱害の
賠償について、それから、近くは
自動車災害なんかについても
無過失責任を認めました。そうした
わが国の
事情からいっても、
世界の趨勢から見ても、
無過失責任を認めるということについては異論がない。ただ、その
無過失責任を認めると申しましても、
やり方がいろいろありますので、その
やり方について、
部会では相当激しい論議を戦わしたわけであります。
やり方がいろいろあると申しますのは、一方の端には、私の
企業がそういう
災害を起こした場合には、その
損害は
企業の
責任とすればそれでいい、
一つの例をあげて申しますと、たとえば、
銅山を
経営するために鉱毒問題を生じているというような場合には、
銅山は相当もうけているのだから、その
企業に当然含まれる
損害として計算すべきであって、
銅山を掘ることから
日本の米の
収穫が減ったなら、その
収穫を十分に埋める、また、魚が死ぬなら、その魚の
損害を十分に埋めるということが、
銅山を掘るために必要な
経費だと
考えろ、そして、その
経費を十分まかなった上でプラスが出たら、それは会社の
利益として配当してもよかろう、しかし、それを埋めない限りは
利益を計上すべきじゃないのだという
考え方で、
企業そのものが自分で
責任を負うというのが、いわば一方の
端っこであります。ところが、そういうふうにやっていきますと
企業は成り立たない、そろばんがとれないということが
企業によっては当然生じてくるわけであります。そのときは、今度は、
国家がその
企業の
重要度に応じてそれを助けていかなければならない、そして、
企業だけにそれを負わせれば
企業が滅びてしまうから、
国家がそれを助けていかなければならぬ。その助け方もいろいろな
やり方があるわけです。だんだんその
程度が多くなりますと、
最後には、それでは私の
企業にしておくことがおかしいということになって、これは
国家の
経営に移すべきじゃないか、
国営事業になるというところまでいきまして、これが一番こっちの
端っこだ。その
私企業のみが
責任を負う
無過失責任と、
国家の
経営に移していく
無過失責任に至るまで、その中間にはいろいろな
バラエティがあるわけです。その
バラエティにおいて、
日本では何をとるべきかということが、
部会の議論になったわけであります。そして、これから申し上げるような
骨子をもってでき上がったわけでありますけれども、その
性格は、
一言にしていえば中間的なものだ。
私企業というものを
正面に立てて、そして、それに
責任を負わせて、ただ、それでは
私企業が
責任を背負い切れないことがあるだろう、あるいはそれを背負っては
企業がつぶれることがあるだろうという場合に、
国家がそれを直接間接に支援していこう、そういう骨組みになっておるわけであります。
そこで、入口のお話はそのくらいにしまして、この
法案の
骨子ですが、これは、おそらく十分御理解のことかと思いますけれども、一応御説明申し上げますと、
原子力あるいは
原子炉が故障を生じて
災害が起きるという場合には、原則として、すべて
企業者が
責任を負う。ただ、異常かつ巨大な戦争というようなもの、あるいは異常かつ巨大な自然の
災害、ちょっと予想のつかないようなものが
原因となっているときを除いては、すべて
事業者が、いわゆる
青天井で、その生ずる
損害がいかに大きなものになっても
責任を負う。ですから、きわめて異常な場合は
責任を負わない。これは非常にわずかな場合であろう、あるいはほとんど生じないだろうと
考えられる場合は
責任を負いません。しかし、それから
あと、大きな幅の
損害は、その
災害が幾ら大きくなっても常に
青天井で
責任を負う、これが
骨子であります。ところが、この
事業者が
責任を負う範囲全体、幅も上も、全部を
保険がカバーしてくれれば問題は非常に楽なわけですけれども、しかし、
わが国の
保険業界の
事情あるいは
保険というものの持っている
性格、それから、
世界の
保険市場、再
保険します
市場など、いろいろなことがからみ合ってきまして、この大きな幅の中から
地震、
噴火それから
正常運転によって長い間に蓄積してくるやつ、それから
災害が非常におそく、十年以上もたって現われてくる場合、この
三つですね、この
三つは
保険ではカバーし切れない。この点も、
部会ではいろいろ
保険業界の
代表者と押し問答しまして、なるたけ
保険のカバーする分野が少なくなるようにいたしましたのですけれども、
保険の方も
一つの
業者でありますし、それから、
先ほど申しましたように再
保険をしなければならぬということもありますので、やはりどうしても
保険のカバーし切れない
事故があり得るわけです。そこで、それは仕方がない、
保険はカバーしないのだから、そのほかのところは
保険でカバーしよう、そして、その
保険のカバーしないところは
国家との
契約で
——本日御
審議になっておりますもう
一つの
賠償契約の方で
国家と
補償契約をして、そして、そこはカバーしていく。ここはちょっと押し合いになって、もし、将来
保険が十分にすべてをカバーするようになれば、
国家と
補償契約をすることは要らなくなるわけです。その
意味で十年と期間を限っているのだろうと思いますが、とにかく、現在のこの
法案の
状態によりますと、大
部分は
保険契約でカバーする、それから、
保険契約でカバーしない
地震、
噴火その他のものは
国家の
補償契約でカバーする、こういうふうになる。これが
建前であります。ところが、
保険は五十億しかカバーいたしません。今日の
保険の
事情からいって五十億ということになっております。そうすると、それにならいまして、
保険のカバーしない、
国家補償契約をする
地震、
噴火その他のところも、やはり五十億というふうに切っております。そうすると、五十億をこした場合はどうかという問題が残るわけです。この五十億をこした場合はどうかということと、一番先にとっておきました異常かつ巨大なという場合、これはだれも
責任を負わない、この
二つが残るわけですが、五十億をこす
部分については
国家がそれを
——企業者の
責任は、さっき言いましたように
青天井で、五十億の
保険契約をしていても、それ以上の
損害が生じたならば
企業者は
責任を負うのですから、その
企業者の
責任を
国家が
援助するという
格好で、それは終わりの方の、たしか十六条だったと思いますが、十六条で
国家が
援助して、
建前は
企業者の
責任だが、
国家はそれを
援助する。ただし、さっき言いましたこの五十億の中の
保険とパラレルにいく
補償契約は、これは
契約上の
責任ですから、
国家は必ず払わなくちゃならぬのですけれども、この五十億をこしたところは
国家の
援助という形で、必ずしも
法律的な
義務とはなっておりません。それから、この横の方の異常かつ巨大なというところは、
業者自身も
責任はないわけでありますから、そこは
国家はどうするのかといいますと、これは十七条の
国家措置というので、簡単に言いますと、
伊勢湾台風のときに
国家がそれを救助するというような、そういう立場でこれを救助していこうというのが十七条の
やり方だと
考えていいだろうと思います。
もう一ぺん繰り返しますと、最も普通に生ずるであろうところは五十億の
保険でいく、それから
地震、
噴火その他非常にまれだろうと思われるところは
国家との
補償契約でいく、ただし、それはいずれも五十億までで、五十億をこしたところは、
原因の
いかんを問わず、
国家が十六条の
援助という形でそれを埋めていこう、それと異常かつ巨大だという例外的の場合には、これは
国家が救助をするという
格好でいく、こうなっております。これが
法案の
骨子であります。
ところで、この
建前は、
先ほど申しました
無過失責任——災害を生じたときに
被害者が何ら
損害をこうむらないように、
原因を与えたものから
賠償してもらえるという、その
無過失責任という
理想を実現するためにもいろいろ
やり方があると申しましたが、その
やり方のうちの中間的なもの、
企業者の
責任というものを
正面に立てて、そして、
国家がそれを支援するという
建前になっておるということがおわかりになったろうと思います。
ところで、これと全く違う
やり方があり得るわけで、
部会ではその違う
やり方でいこうという説が相当有力であったのでございます。それは、
建前をひっくり返しまして、およそ
原子力災害を生じた場合には、すべて
国家が
補償する、異常かつ巨大であろうが、
地震、
噴火であろうが、あるいは
保険がカバーするものであろうが、それから五十億をこそうが、およそ
原子力災害を生じたときには
国家が
責任を負う、ただし、その
国家が負った
責任を、だんだん回収してくるわけです。
企業者には
保険をつけさしておいて、その
保険金を国は回収する。それから、
地震、
噴火については、
国家が
補償料をとるのもけっこうでしょう。とにかく、今と同じような
やり方をするにしても、まず、
被害者に対しては
国家が
責任を負う、そして、
あとは、その
国家のはき出した金をどうやって埋めるかという内部的な
関係として問題を処理していくということが
考えられるわけです。そして、
部会としては、そういう
意見が相当強かったのであります。そして、私
個人としても、まさに、その
行き方でいくべきではないか、その方がすぐれていると
考えます。しかし、
先ほども申しましたように、同じ
無過失責任という
理想を実現するについても、いろいろ
やり方があると申しました。そのいろいろな
やり方というものは、やはりその国の他の
法律制度との
関連とか、あるいは
産業の
状態というようなことと相関的に
考えなくちゃならないことでありまして、必ずしも頭の中で
考えて一番すっきりしていると思われることがその国で一番いいとも言い切れない。これは
理論の上でどっちが正しいという問題ではなく、
政策の問題だ。言いかえますと、
日本の
原子力産業というものに、どこまで
国家が力を入れてそれを発達させていこうとなさるのか、その
国家の
政策の問題としていかなる手段をとるかということが決定されるべきであって、
法律家が
法律技術的にそれを決定するものではない。だから、
部会としては、そうした
国家が第
一段に全
責任を食うという形がすっきりしていて、その方がいいと思うのだけれども、しかし、
政策問題として、もし、それがとれないときには、こういう
行き方をすべきだろうという
審議をいたしましたので、その点は幅を持たして
答申をいたしております。それを
政府当局がいろいろ内部で御検討なさった上で、私
個人の
考えとしては、その方がすっきりしていると思うと申し上げましたものとは相当違った、さっきから申しておりますように、
事業者の
責任というものを第
一段にして、それを支援するという
建前になったわけであります。それなら
政策の問題だ。といって、それじゃ、どうきめても何も問題がないのかとお尋ねになりますれば、私
個人の
考えとしては、それは結局
運用の問題だということになるだろうと思います。なるほど、五十億をこえる場合は
援助するということになって、
契約上の
義務あるいは
法律上の
義務にはなっておりません。しかしながら、それでは
国家がはたして
被害者に
損害をかけないような、
泣き寝入りさせないような
措置をとるかどうかということは、それは、まさに
政府の
仕事であり、さらには
国会の
仕事だ。だから、
国会における皆様の
決心いかんによって、それを十分に
運用なされば
不都合は生じないだろう。それから、異常かつ巨大だ、何人も
責任を負わないという場合でも、
先ほど、いわば
伊勢湾台風と同じような取り扱いをすると申しましたけれども、それは決して保護が不十分だろうという
意味で申し上げたのではありません。
伊勢湾台風でも相当の処置をおとりになったと拝察しておりますが、
原子力の場合でも十分の
措置がとられるであろうということを期待いたしますので、そうした
意味で、
理論的に見てすっきりしない点があるということは遺憾に思いますけれども、しかし、
運用よろしきを得て、また、
運用よろしきを得るようにいろいろ苦心した
条文が入っておりますから、それらの
条文を
手がかりとして、
最後には、
政府及び
国会の良識によって
不都合を生じないであろうと
考えながら、この
法案に結局において賛成しているわけであります。
それから、一、
二つけ加えますと、たとえば、この問題は、
国際間にいろいろ問題を生じますので、
国際条約が
審議されつつあります。これは
第三者に対する
災害の
補償という問題と、
原子力船の問題と
二つありますが、
わが国でも
代表者を派遣して
審議に参加しておりますし、私の
部会でも始終それと
関連をとって研究しておりまして、この
条約ができたときに、現在御
審議中の
法律とどういう
関係を生ずるかという疑問を生ずるわけでありますけれども、
二つと申しましたうちの船でない方、
第三者に対する
損害をいかに
賠償するかという方は、結論を申しますと、この
法律と抵触するようなことはなかろう、その
条約が通ったところで、改めなくちゃならぬようなことはなかろう、ただ
一つ、あるいは
原子力発電所なら
発電所に働いている
従業員の業務上の
災害は、この
法律で除いております。これは
労働者災害補償の方で
考える、
内容においても違う点があるだろうというので、別に
考えるというのが
政府の方針らしいのであります。従って、もし、この
条約の中で
従業員も入れるような
条約になりますれば、その点は何とか手当をしなくちゃならなくなるだろうと思いますけれども、ただ、
法律全体の骨格には
関係のない問題であるということになります。それから、船の方は多少
事情が違いまして、この
法律は一応船も入れておるのでありますけれども、要するに、
原子力発電所あるいは
原子炉というようなものとはだいぶ
事情が違いますので、船の方の
条約ができたという時期になりますと、あるいはこの
法律の中から船を除いて、船についてだけ特別の
法律を作らなければならなくなるようになるかもしれないと
考えます。しかし、その場合でも、
条約は非常に大きなワクを作っておるのですから、この
賠償法と全然
性格の違ったものを作らねばならぬというようにはならないだろう、やはり同じ
性格のものでやっていけるだろうというふうに、私
個人として想像しております。
最後に、
一言つけ加えますが、
原子炉の
運転されるまでにはまだ日があると思います。御
承知の
通り、もう何年か後にならないと
原子力発電所のような大きなところの
運転はまだ始まらないだろうと思います。しかし、
設備に長い月日を要しますので、
用地の買収とかあるいは
設備を建設するということは、もうすでに着手し、あるいはまたどんどん着手されておるようでありますが、そのときに、地元の
人たちが、
賠償はどうなっておるかということを心配いたします。その
賠償が、
法律のこまかな点はともかくとして、
被害者に決して
泣き寝入りはさせないようにするのだということがはっきりいたしておりませんと、
設備を作るにも、
用地を求めるにも非常な困難に際会されるだろうと思います。従って、その
意味では、
運転を始めるのは数年先だといたしましても、
被害者に対して
安心感を与えるということは、現在もうやらなければならない時期、あるいは少しおくれたといってもいいくらいの時期になっていると思うのであります。従って、
先ほどから繰り返しておりますように、
理論的に見ると、この
法律は、私が予想したものとは少し違う
子供ができておるように思いますけれども、しかし、私の
考えている
理想をそんなに不十分にする
子供でもないように思いますので、一日も早く
法律になることを、私
個人として希望しておるわけであります。
以上、御説明申し上げましたが、きわめて簡単でありますから、御
質問があれば、また、それにお答えすることにいたします。