○米田
公述人 船主協会
理事長の米田であります。
私は
貨物運賃を中心としてお話を申し上げたいと存じます。結論的に申しますと、今回の
運賃の
値上げはやむを得ないものとして賛成するものであります。
以下その理由につきまして、今までの
公述の方々と重複するところもございますので、簡単に申し上げたいと存じます。
私、
考えますのに、この問題の基本といいますか、底に流れているものは、
国鉄の陸上輸送といいますか、国内輸送における地位をどう認識するかということからいろいろの
意見が出てくるのではないだろうかというふうに思われます。私の見るところでは、また実績の示しておりますところでは、いわゆる
国鉄が従来陸上輸送における独占的な企業としての
公共性を強く持っておったものが今日においては
かなり変わってきたということを認めなければならないのであります。そのことを多少実績について見ますと、三十四年度の輸送におきまして輸送トン数、いわゆる取り扱いトン数ですと、自動車が七六・八%、
国鉄が十三・六%、海運が六・七%でありますが、これにキロをかけていわゆるトンキロの
数字で見ますと、海運が四三・三%、
国鉄が四一・九%、自動車が一四・二%というふうになっております。この
数字から見ましても、
国鉄が国内輸送における地位というものは自動車、海運と並列的に
考えられるところまできておるのではないかというふうに見られるのであります。従って従来
国鉄がいわゆる独占企業としての形態から
考えられた
運賃、たとえば
運賃負担能力の大きいものについては高
運賃をとり、それから
運賃負担能力の少ないものについては低
運賃をとり、その
黒字と
赤字と
調整していく、そして全体の採算をはかっていくというふうな
運賃負担力主義の上に立ったやり方というものはもうできなくなってきている。自動車の方へ、たとえば比較的短距離のまた
運賃負担能力の多いものが参る。船の方へ長距離な
運賃負担能力の少ないものがいって
国鉄と
競争しているというふうな関係になっておるようであります。こういうふうに
国鉄の
運賃のやり方がいわゆる動脈硬化的になって参りますと、従来のやり方を変えまして、どうしてもここに独立採算を建前とする原価主義の上に立った
運賃制度をとらざるを得なくなるのであります。これは外国の例がどうだとか、こうだとかいうふうなこともございましょうが、しかし、今日の
国鉄自身の問題として、どうしてもそこへいかなければ生きていけないというところへきたのだろうと思います。これが三十二年に、いわゆる鉄道
運賃制度調査会というものが設けられ、二年間にわたって
運賃制度を根本的に洗うということをやった、基本的な理由ではないかというふうに
考えられるのであります。この
運賃制度調査会の答申の結果、やはり原価主義を徹底していくという線の上に立って、
制度の
改正ができたわけであります。
さて、その
制度の
改正の上に立って、今回の
運賃の
値上げの問題が起こりましたので、私はこの方針の上に立って、今回の
運賃値上げというものを
考えるべきであると思うのであります。ここに
運賃負担力主義とか、あるいは
公共性をもう一ぺん強く出してくるということは、せっかく軌道に乗り、それの実施に着手したものをして御破算にし、非常な
混乱に陥れることになるのではないか。
それからもう
一つ、先ほど申し上げましたごく簡単な
数字でもおわかりのように、
国鉄の
運賃をどうきめるかということは、
物価それ自身に関係を持つということ以上に、他の輸送機関に対して大きく響いて参りまして、
日本の国内輸送の円滑を危うくしていくという方向にいくことも
考えなければならないのであります。この点につきましては、
あとで簡単に触れさしていただきたいと思います。
そこで、今回の
運賃の
改正でございますが、これは申し上げるまでもなく、最近の
日本経済の異常な発展と、それから今回池田内閣によって取り上げられました
所得倍増計画の実施という上に立って、
国鉄の設備を拡充し整備していくための
資金として
運賃の
値上げを求めたのでありますが、この
運賃の
値上げについて、先ほどの、いわゆる独立採算制の上に立った原価主義というものを基調として
考えますときには、まず
国鉄自身が、その企業の
合理化を徹底的にやるということ、それから積極的には、
国鉄自身がその
経営を一そう旺盛にして、その収益をできるだけ上げることに努力する。この消極、積極の努力によって浮かび上がる
金額、これをもとにして
考えるべきである。それで足らないものについては、いわゆる独立採算、原価主義ということであれば、
運賃値上げの方にいくのもやむを得ないということになるかと思います。
そこで、この
経営の
合理化ということについては、先ほどいろいろお話が出ておったような点が、やはり問題になるかと思います。たとえば
赤字線に対する
考え、
新線に対する
考えというふうな、当然
赤字が予想せられるようなものをどう扱うべきかということ。もし
国鉄が
私企業であれば、このような
新線はやらないでありましょうし、あるいはそういう慢性的な
赤字を出している
経営部門については、勇敢に断ち切っていくべきだし、また断ち切っていくだろうと思います。しかしこれには、やはりある
程度の
現実との妥協ということも
考えなくてはならない面もあるかと思います。また先ほどの、
国庫預託金の問題等も、非常に大きな問題として
考えられます。また現在の
国鉄の
人件費というものは、
私企業として見た場合には、
かなり限界にきているという感じを強く受けるのであります。これをどういうふうに減らしていくか。私は、いわゆるただ人を
整理するということだけが、こういう
人件費の解決の問題とは
考えない。むしろ、その個々の生産性をどうやって向上していくかというふうな点が、やはり積極的に
考えられるべきではないだろうかと思います。ただ安易な
整理の方へだけ進むのは、少し簡単過ぎた
考えではないかというふうにも思います。
一面こういうふうなことをやって、なお
資金が足りなければ、
運賃値上げにいくのもやむを得ないということでありますが、その
運賃の
値上げ程度が、やはり一般
物価に
影響するということについても、十分配慮する必要があるかと思います。この点を強く感ぜられる人は、いわゆる
国鉄というものを、従来の
一つのでき上がった観念の上に立って、これだけの
運賃が上がると、これだけの値上がりがあるというふうになるのでありますが、先ほど申し上げましたように、
国鉄、自動車、海運というものは、おのおのその分野において同じようなものを輸送しておるのであります。そこで、それに対する全部として
国鉄の
運賃が
影響するというように
考えるのは、ちょっと飛躍しているものがあるのではないだろうか。たとえば蔬菜
一つとってみましても、なるほど
国鉄で運ぶものもあれば、自動車で運ぶものも
かなりたくさんあるのでありまして、そこら辺の
調整というものは、やはり
考えなければならないものがあるのではないだろうかと思われます。
それから今度の
運賃値上げの諸
物価への
影響が、
政府筋では、大体〇・一%何がしとかいうふうなことを申しておりますが、私も大体そんなことであるかと
考えておるのですけれども、ただ最近の値上がりムードと、それから
国鉄の
運賃値上げとをすぐ結びつけてしまうということは、これはちょっと早いのじゃないだろうかというふうな感じもいたしております。この
運賃の
値上げにつきまして、
物価に対する
影響をもっと明確に
一つ分析してみて、そしてただムードとして動かないように、何かそこに配慮するものが必要であるかというふうに思います。もしそういうふうな配慮があれば、そうおそれるようなものではないというふうな感じがいたしております。むしろ最近のそういう値上がりム−ドを刺激するというふうなことから
運賃をそのままに置いておくというために、いわゆる
国鉄の
輸送力の
増強がはばまれるというふうなことになったときの方が、
日本の経済、
産業に及ぼす
影響、あるいは
国民生活に対する
影響というものは大きいのではないだろうかというふうにも感ぜられるのであります。
国鉄は、今度の
値上げによって年三%何がしかの
輸送力の
増強というふうなことを
考えております。経済企画庁の
所得倍増計画によりますと、
国鉄の年の輸送
増強の率は五%に見ておるようであります。最近は毎年九%増が
考えられるというふうなときに、こういう三%の
増強あたりというふうなことでほんとうにうまくいくのであるか、経済の発展が円滑にいくためには、まず
輸送力が潤沢であるということが必要なのでありまして、どんなに生産がふえても、それがその生産された場所で停滞しているということであっては、ほんとうの経済の健全な発展はできないのであります。その前に、やはり
輸送力を十分に大きくして、いつでも
需要者の求めに応じ得るという形にしてこそ、初めてその
計画通りの生産の拡充ができると思います。こういう
意味では、今回港湾の設備の拡充、道路の拡充ということについては
かなり配慮が払われておりますが、
国鉄が、どういう
意味ですか、三%でもって遠慮したところで、まあこの
程度ということは何か中途半端な不徹底なものである。むしろ
国鉄としてはもっと勇敢に自分の地位を主張すべきであるというふうに
考えております。まして最近の
状態を見ますと、自動車も船も
国鉄も、ほとんど今までにないほどの
輸送力をかかえております。それでいるのにかかわらず、なお滞貨というものが減っておりません。やはり今までにないように滞貨があるのであります。こういう形で生産をどんどん
増強していくということになりますと、そこに非常な麻痺
状態が起こる。私は、多少の
運賃の値上がりによる
物価の
影響をどうこうということを心配するよりも、その方がむしろ心配になるものであります。
最後に、国内輸送の総合性の発揮ということが、どうしても問題として取り上げられてこなくてはならない、この総合性が発揮されてこそ、初めて
日本の経済が健全に発展し、
国民生活が安定していくということになると思います。それは一体何でありますかといえば、簡単にいえば、
国鉄、自動車、海運が、それぞれの分野においてそれぞれの特徴を発揮して、そして
輸送需要に応ずるという形を作り上げるということであります。で、
所得倍増計画の十年後の姿というふうなものを聞きますと、先ほど申し上げましたように、
国鉄については年率五%の増加、それから自動車については年率一一・八%の増加、それから海運については六・八%の増加というふうな一応の予想を立てております。しかしながら、これがこのようにいくための方策というものについて一体何が
考えられているかということであります。この点にいきますと、戦時中から実は海主陸従、最初の間は海の方でおもに運んで、その補完的に陸の方でもやる。ところが、だんだん戦争があぶなくなってきますと、船がつぶされるので陸主海従とかいって、陸の方に
輸送力の主力を置いて、船の方を従に
考えておるというふうなことがある。それから戦後には、海陸輸送の
調整とか、あるいは海陸の輸送分野の適正化というふうなことがよく叫ばれておりまして、何か
国鉄の方で非常に輸送が逼迫しますと船の方へ流すことをいろいろ
考える。しかしながら、戦争中の統制時代であれば、命令的に木材は船にいけ、石炭はこれだけ船へいけというふうにやれるが、今のような自由経済になりますれば、一体それをだれがどういうふうな
方法でやるかということになるのでありまして、戦時中のようなやり方はできない。そこで、これが円満にいくというためには、非常に平凡なことでありますが、
国鉄、自動車、海運というふうなものが同じ
経営ベースに達しているということがまず大前提でなければならないのであります。同じ
経営ベースということを具体的に申しますと、自動車、海運というものは、いわゆるコマーシャル・ベースでやる、
国鉄だけがひとり
公共性の必要性がまだ残っておるといいますか、何かそのコマーシャル・ベースに徹し切れない形になっておる。こういうふうな形でいくということになれば、これは総合性を発揮させようとしても実はできないのであります。そこでそういうものが全部同じベース、いわゆる採算性というふうな
考えの上に立って、みんながその
運賃をまずきめていく、そうして利用者がどれを選ぶことが自分の企業に対して一番有利であるかということの選択の自由を持たせるということによって、初めてその総合性といいますか、三者の円滑な行き方ができるというふうなことに
考えられるのであります。ところが、ここへもし
国鉄に
政策運賃的なものを与えるというふうなことをやりますと、その
影響はすぐに海運の方にも響いてきます。現在は、内航海運の
運賃というものは、大体
国鉄の
運賃との見合いにおいてきめられているという傾向が強いのであります。そこで
国鉄に
一つの
政策運賃をつけるということは
国鉄自身の問題だけでなくて、
日本の国内
輸送力全般に
影響する問題である。もし
国鉄が
政策運賃をとった結果、
国鉄にまた荷物がどんどん集まって海運その他に出ないというようなことになるとすれば、
国鉄の方も設備をどこまで拡張していいのかわからない。しかもそれが
国鉄の採算からいえば肯定できるものではないというふうなことの上に立って、今度は
国鉄に対する
需要がどんどんふえていく、それを追っかけて設備をまた拡充していく。こういう循環的な、つまり片方の海運とかいうものはこれに圧迫されて企業それ自身の存在があぶなくなってくるというふうな形もまたそこにできてくるわけであります。こういう
一つの悪循環といいますか、そういう循環を許すようなことは、やはり今日の
国鉄の地位からすれば許さるべきことではないというふうに
考えられるのでありますが、ぜひこれは現在の原価主義の上に立って
一つ進めていただきたい。
私はこの問題を少し観念的に申し上げましたので、実際面から言うと、私の申し上げた通りにはいかない。との妥協は
かなり出てくると思います。たとえば
赤字線とか
新線とかいうようなものを全部やめてしまえとかいったって、またできるわけではなし、理論的にいえば輸送機関といいますか輸送施設を新しく設けることによって
輸送需要が生まれてくるというのも、これは交通学の
一つの原則的なことでありますから、
新線が最初のときに
赤字であるから全部だめであるというようなことであってもまた困ると思うのです。そこにはおのずから
一つの妥協点といいますか、いわゆる
段階的に順を追ってそういう方針の方へいくべきではないだろうかというふうに
考えるのであります。もしこれを徹底すれば、あるいはそういう不採算のものをやめれば、もっともっと
国鉄の
利益が出て
運賃の
値上げの幅をもっと狭めることができるのかもしれませんが、しかしそれは
現実の妥協点としてはできないことである。私は冒頭にこの
運賃の
値上げはやむを得ないこととして賛成すると申し上げたのは、その点、いわゆる
現実の妥協という点からやむを得ないということで賛成いたした次第であります。
はなはだ簡単でありますが、ありがとうございました。
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