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参考人(
赤木正雄君)
村上委員の御
質問ですが、
治山治水基本対策を二十八年に作りましたが、この
基本対策に対する
考え方が、どういうふうに違うか、これは第一の問題でございます。そこで
基本対策を作った場合に、当時の
建設大臣戸塚大臣は、その際私は国会におりましたが、二十八年の十月十三日に国会で、「今後の
治山治水の対策をどういうふうに持って行くべきかというようなことにつきまして、
政府として根本的な恒久対策を立てる必要があるというふうに
考えたのであります。」「大体の根本的に
考えましたことは、従来
砂防が割合遅れておったといいますか、堤防の改修のほうに重きを置かれておって、山の元地に対するやり方が足りないのじゃないかという点が
考えられますので、
砂防に重点を置くということを
考えた。」これが
基本対策を国会で大臣が
説明されたときの当時の御意見でございます。
その後この
基本対策に対して各大臣、たとえば三十年の五月十日に竹山
建設大臣は、かように述べております。「その他、前内閣がというよりも、あらゆる各界の方々によって技術的、科学的に立てられた
計画というものは、これはいろいろ政治情勢の変化があろうとも、私は少なくとも尊重をいたし、またそういう科学的な
計画というものは変えるべきじゃない、」「従って
治山治水計画につきましても、それを
基本に最大の努力を払って実現をいたしたい。」かように国会で述べております。
また次の大臣、三十一年の五月二十四日に馬場
建設大臣は、「
治山治水の根本的な
方針として、
昭和二十八年にただいま御指摘の
治山治水対策協議会というものが設置せられました。御
審議の結果、対策が樹立せられたことは、御指摘の
通りであります。この対策はどこまでも推進をいたし、これをできるだけすみやかなる機会に実行に移したいというのが、私の信念でございます。」「その要綱にうたわれておりまする
趣旨並びに具体策につきましては、どこまでもこれを推進いたして参りたい、かように
考えておる次第でございます。」これをやはり、今申します
通りに馬場
建設大臣は申されました。またこの前の前大臣もやはり
治山治水の根本対策に沿うて九千二百億を実行したい、これをあなた方に御
説明なすったことは、各
委員御
承知の
通りであります。
かように申しますると、私はこの
治山治水を立てた当時の一
委員といたしまして、やはりあの二十八年大水害をどうして防ぐか、これは、各地方の
災害の状況にかんがみて、
砂防事業をやったところは比較的に水害が少ない。これはどうしても
砂防を根本的にやらねばならぬ、こういうことが大きな動機になっていたことは明らかであります。
かような観点から、私はせっかくできた
治山治水基本対策は、
災害を防ぐんだという観点から、しかもそれには、
砂防を重視せねばならぬということは、はっきりうたわれたと言わざるを得ないのであります。こういう観点からいたしまして、今後の
計画に対して、はたして
砂防は妥当であるかどうか、これはいろいろと見方がありますが、また
考えを変えまして三十三年のころでありますが、
建設省からお示しになりました三、四、五、六、七、この五カ年の
計画をお出しになっています。これも
委員各位の御
承知のことであります。
それを見ますと、
河川費は三十三年には二百二億三百万円、ダムは九十三億八千六百万円、
砂防は六十九億三千八百万円、海岸は七億九千七百万円、機械が七億円、合計三百八十億二千四百万円、三十四年は
河川は三百六十二億、ダムは百六十五億一千万円、
砂防は百二十四億、海岸は二十一億、機械は十二億、合計六百八十四億一千万円、三十五年は
河川は三百七十一億、ダムは百六十五億三千三百万円、
砂防は百五十八億、海岸は二十五億、機械はやはり二十五億、合計七百四十四億三千三百万円、三十六年は
河川は三百七十八億、ダムは百六十四億六千八百万円、
砂防は二百十二億、海岸は三十億、機械は二十四億、合計八百八億六千八百万円、三十七年は
河川は三百八十六億九千七百万円、ダムは百六十五億三百万円、
砂防は二百七十三億六千二百万円、海岸は三十六億三百万円、機械は二十一億、合計八百八十二億六千五百万円、このうちの三十三年と三十四年は済みましたから、三十五、三十六、三十七年の三カ年の
事業を
考えてみますと、
河川は千百三十五億九千七百万円、ダムは四百九十五億四百万円、
砂防は六百四十三億六千二百万円、海岸は九十一億三百万円、機械は七十億円、合計二千四百三十五億六千六百万円、とにかくこういうふうにして、
基本対策に基づいて
仕事をやるんだということをわれわれは
説明を聞いています。従ってこの三カ年の
事業に対しても、はたして今回
政府のお示しになっている
砂防が当を得ているか、全然当を得ていません。もしもこの割合からしてやっていくならば、
砂防は少くとも
前期に九百六十三億六千四百万円、
後期五年に千二百八十億四千万円、合計二千二百四十四億四百万円、こうなります。従ってつい二、三年前にお示しになったこの
河川、ダム、
砂防、こういう
方針でやっていくのだとおっしゃってから、まだそれほど年限がたたないうちに、かように
数字の変わった形をお出しになりましても、これは実際、どこに
基本を置いてあるか。多少の疑いを入れざるを得ない。ただいま
村上委員から御指摘がありましたが、私もやはり、
砂防だけにしわ寄せがきているのではないか。端的にそういう感じがするのであります。
また先ほど
治山と
砂防とのお話がありました。この数年は、むしろ
砂防事業の方が、
治山治水事業よりも少なかった。やっと本年度になって少しふえた。これも事実でありましょう。しかしこれは、根底が私は間違っていると思います。御
承知の
通りにむしろ大蔵省がほんとうにあの
昭和三年並びに四年の
閣議決定を尊重して、ことに二十八年の
治山治水の根本対策というのを、その当時大蔵大臣も
委員でありましたから尊重するならば、やはり
砂防の一・六八に対して
河川、
治山の一・〇〇、先ほど吉江
委員からして、両
事業に非常に不合理の点があると。私も、率直にそれを各地方で認めております。ここに
一つ例外と申しますか、
昭和三年に
閣議の
決定で、
荒廃地復旧工事と
砂防工事をどういうふうにきめるかという場合に、淀川流域の山腹
工事はこれは明治十一年以来
内務省で
砂防の
仕事をしておりますから、よし両省で、どういう
決定があっても淀川流域の
直轄の山腹
工事だけは
内務省でやる、こういう例外のもとに、あの
昭和三年並びに四年の
閣議の
決定ができております。そういう観点からして、先ほどお話のありました一・六八の
砂防費と、一・〇〇の
治山費が合うならば、これはともかく
閣議の
決定に沿うて、両方ともよく円満に、先ほど御指摘のあったようなことのないように
仕事ができる。かようになるのであります。しかし何分
砂防事業費が少ないから、そこに非常に両省の
仕事が、円滑に
仕事ができない。いわゆる
治山治水の実を上げがたい。こういう実態にあります。
こういう点からいたしまして、なるほど
河川も大事でしょう。しかし
砂防が、いかに
治山治水の
基本対策を
決定した当時において重視せられたか。また
基本対策そのものが
砂防を重視せんならぬという基礎のもとにできているということを、ここにはっきり申してあります。
そういうことを一言お答えいたします。