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参考人(
赤木正雄君) まず私、本日
参考人といたしまして、治水問題、ことに
砂防問題について私の意見を述べる機会を与えていただいたことを大へん幸いに思っております。これは水害に困っておる水源
地方の
全国民にかわって私はありがたくお礼申し上げます。のみならず、大臣にこの
砂防問題について深くお考えいただいていますが、重ねて私の意見を大臣の前にお述べする機会を得たことを大へんにありがたく存じております。
まず、私お話し申したいのは、いろいろな問題がありますが、治山治水の根本
計画をお出しになるについて、治山と
砂防の問題がどういうふうになっているか、このいきさつを一応お話し申したい。御
承知の
通りに明治二十九年に
河川法ができました。三十年に
砂防法ができました。一方、
砂防事業は、森林の仕事が多いのでありますから、むしろ農林省でこの法案を作るべきではないかという意見がその当時ありました。しかし治水という観点から、
河川は内務省でやっていますから、これに密接な
関係を持つ
砂防はやはり内務省でしょうと、これは農林省とも協議の結果、明治三十年に
砂防法ができました。そうして
砂防はこの法律に基づいてやりましたが、その当時は農林省にはこれに該当する仕事は全然ありませんでした。ところが明治四十三年のあの
全国的の大水害があった際に、初めて第一回の治水会議が行なわれました。その第一回の治水会議のときに、いわゆる農林省の側からも
委員が出ました。どうも
砂防事業を内務省ばかりでやっておられるが、森林は農林省に
関係しているのである、農林省もこういう仕事をやるべきじゃないか、こういう意見が出たのです。そこで初めて農林省では明治四十四年から荒廃地復旧工事という名前で仕事をしました。ところがやってみますと、
砂防事業と何ら変わりがない。そのために両方の仕事の統一もない。ただ迷惑するのは地元の人ばかり、両方で労銀のかさが上がります。また芝その他の材料が高くなる。こういう観点から、この仕事を一つの省にまとめてくれという意見がずいぶんその後あったのであります。それがしばしば国会に反映しまして、
砂防事業、荒廃地復旧事業を一つの省に持ってこいということがありました。しかしそれがなかなかまとまらぬ。ところが大正十二年のあの関東大震災がありました。これに関連して、内務省は
直轄工事といたしまして、東京そ他の関連
災害府県に、
砂防で堰堤を作りました。そうして小さい単位の堰堤は、これは
府県の
補助工事として
砂防でやりました。そうしてただはげ山に木を植える、これは農林省の所管でやったのであります。そういう例がありました。この仕事を一省にまとめてくれという声は国会でますます高くなりました。
そこでどうしようかというので、「
昭和三年十月の閣議で荒廃地復旧及開墾地復旧に関する事務(農林省所管)と
砂防事業(内務省所管)との間に存する権限整備は次の如く決定された。」、これはちゃんとうたってあります。これを見ますと、「(イ)原則として渓流工事及山腹の傾斜急峻にして造林の見込みなき場合に於ける工事は内務省の所管とす。(ロ)森林造成を主とする工事は農林省の主管とし、尚渓流工事と雖も右工事と同時に施行する必要ある場合に於ては農林省の主管とす。(ハ)右詳細は実施に先ち実地に付両省に於て具体的に協定するものとす。」、こういう
閣議決定がありましたが、これを読んで見ますと何が何だかわかりません。自分の方に勝手な都合のいいように解するからどうにもならないのです。一体この
閣議決定ができたときに、私は内務省の
砂防関係技術官として、これは一向わからぬ、どういうふうにして解釈していいのかわからぬ、それで大臣に強く申しまして、こんなことでは現場の人は困るばかりだ、これをもっとはっきりしなければ困るということで、ではこれをいかにも不都合な点があるというので、内務大臣、農林大臣協議の上、この
昭和三年の閣議の決定事項は次のように解釈するのであるということを
昭和四年十二月に内務、農林両次官から各
地方長官に通牒を出しました。
それは「
砂防事務と荒廃地復旧及開墾地復旧事務の取扱の件の依命通牒が各
地方長官に発せられて現在それに基づき両事業施行上の権限が確定されている。」それによりますと、「一、
閣議決定(イ)の場合に於ける取扱造林の見込ある場合と難も渓流工事の維持上必要とする近接の箇所にして面積狭少のものは渓流工事と併せ内務省に於て施行すること」、さきの初めの閣議の決定事項は造林の見込みないときにすると、そういうべらぼうな決定をした。こんなことはないというので、造林の見込みのある場合でも渓流工事と関連する山腹工事の中の面積の大きくないものは内務省、今日の
建設省でする。「二、同(ロ)の場合に於ける取扱山腹工事の保護又は維持上必要とする箇所に於ける渓流工事は農林省に於て施行すること、」これは非常に大事なんです。つまり農林省は渓流工事をやりませんが、山腹工事の保護または維持上必要な渓流工事は向こうがやってもいい。どうしても山腹工事は農林省の主たる仕事なんです。これで両省の仕事をする範囲がやっと明確になったのです。しかもこの場合に三といたしまして、「三、渓流工事の維持上施行する山腹工事にして面積大なる場合及山腹工事の維持上施行する堰堤多数に及ぶときは各主管の部課に於て、工事の連絡を採る為め協議すること。」、かようにして両省の施行分野がはっきりいたしました。
ところが、こうやって参りますと、終戦前の内務省、つまり
建設省で所管している
砂防工事をかりに三といたしますと、農林省所管の山腹工事の割合が一、つまり三対一、つまり山腹工事はそういうふうに扱うが、それに反して渓流工事は非常に金がかかる、大体三対一という割合で仕事をやったのであります。ところが終戦後になりまして、安本ができまして、
砂防事業の経済効果は何か、こういうことが問題になりまして、その当時安本には
砂防専門の技術官がいなかったのです。
砂防の経済効果を、堰堤を作って、その堰堤で何万立米の土砂をためる、これは
砂防の経済効果だ、こういう線ばかり出たのです。そうして
砂防事業というものは根本的に縮小された。これに反して農林省の仕事はだんだんふえてきました。私はその当時GHQの方へ行きまして、GHQの人と、あるいは山梨県あるいは神奈川県、方々視察して、一体これはどういうふうに考えるといったところが、GHQの連中も、
砂防工事は非常に重要だ。しかし、GHQがそういっても、安本としてはGHQの方で制約しているから
砂防はできないのだ、こういうふうにいいましたら、GHQが安本に抗議するといって、
砂防をなぜこういう、ふうに軽視するかというふうな強い抗議が出た。それでやっと
砂防がものになろうと思ったときに進駐軍が帰ってしまった。こういう情勢で、とにかく両方の事業というものはどういうふうにするか、これは非常に大きな問題で、要するにこれは予算の割合ということです。それで
昭和二十八年の治山治水基本対策要綱を決定する際に、私はやはりその
委員でありました。ことにこの
砂防問題と治山問題、荒廃地復旧問題、これは密接な
関係があるから、特に私はそれを十分
検討するように、こういうふうに話を受けたのであります。それで私は
建設省の
砂防課長の部屋に行きまして、農林省のお出しになる治山事業を全部お出しなさい、それから
建設省の
砂防事業を全部出しなさい、そのうちでこれは渓流と山腹ではない、あるいはこれはむしろ農林省に属するべきものだ、それを大体明確にいたしました。その結果、この治山治水基本対策要綱にあがっているように、ちょうど
建設省の所管の
砂防事業は三千八百二十五億、それから農林省所管の荒廃地復旧工事は二千二百八十億であります。この割合は、
建設省の一・六八に対して向こうは一・〇〇、こういうふうで、これでよかろうということで、この治山治水基本対策要綱ができて、これは閣議でも御了承になった
数字であります。
そういうふうでありますから、この治山の問題と
砂防の問は非常に重大な
関係がある。今大臣がおっしゃった
通りに、山の上からおさめなければいかぬ、これは非常に大事なことであります。しかるに、私は非常に不可解に感じましたのは、今度のお示しになりました予算に対して、実は今回の治山
治水事業は前期は、五百五十億、後期は七百五十億でありますが、それに今まで持って参りました特別会計の費用をあげますから、治山事業の前期五カ年では六百五十六億になるのであります。それから後期五カ年では八百七十三億にこれは特別会計で決定いたしました。念のために申し上げますが、治山事業と申しましても、いろいろの林野
関係で保安林の編入とか保安林の管理とか造林事業とかありますが、この中で
砂防と最も不可分の
関係にある荒廃地復旧事業だけのことを申しますと、それが農林省ではこのほど決定しております。これに関して、さきの一・六八をお掛けになれば、少なくとも両省の仕事がうまく関連していくのには、
建設省の
砂防は前期で千百二億、後期で千四百六十六億要します。それに今回お示しになりましたこの治山冷水の根本対策では、前期に七百三十億でありますから、これでうまくいくはずはない。私ここに申しますが、六月十七日に第一回の
河川審議会が開かれたときに、これはそのときには速記録はなかったのです。テープレコーダーで、
河川局長は、今後の治山事業、
砂防事業は
昭和三年の閣議
——今私の申したところの閣議の決定によってやるのだということをはっきり申されております。それなら、治山事業がこれほどの予算があるならば、それにマッチする
砂防事業でない以上は、治山治水に相関連していい仕事ができるはずはないのです。
もう一つ参考に私申しておきます。では現在どういうふうに向こうは仕事をされておりますか。私はしょっちゅう山にいきました。これはなかなかその仕事を見せません。しかし、私が写真で集めたところでみると、これが現況なんです。全然山腹工事をやっていない。これは当然
建設省のやるべき
砂防工事です。これは治山工事としてやっているのです。これはどの県でもたくさんありますから、
あとから大臣なり各
委員諸君がごらん願いたい。
こういう両省の決定違反の仕事をしていながら、しかも治山事業をどうする。私はこの間も
静岡県の
災害等を見ました。山に入りますと、手をつけていやせぬ。そうして
砂防の仕事をやるのに、渓流仕事をちゃんちゃんと
計画している。昨年のあの奈良県の水害も見ました。ほとんど全部といっていいほど山腹の崩壊を放棄して、この渓流工事ばかりやっています。私は農林省を非難しません。けれども、国民といたしまして、山がはげて、それを治めてくれない。渓流ばかりやっている。何の効果がある。どうしても治山事業に関連してやってほしい。
そういう意味から、渓流ばかりなぜやるかといえば、言いかえるならば、
砂防費が少ないから、
砂防費とそれから治山費とがうまくマッチしていませんから、こういう結果になっています。どうしたらマッチするかというと、先ほど申し上げたように、一・六八に対して一・〇〇、これでやってうまく仕事ができる。それを無視して七百三十億でいい、これは
建設省として、はたしてそうやすやすと長年苦労している問題を、一朝一夕に
河川局長、
砂防課長は、これで支障がありません。そんなばかなこと言えるはずはないと思うのです。
私は
地方にいくたびに、どうして
砂防事業、治山事業をうまくやってくれませんかといった場合に、山がはげているのを何にもやってくれないじゃありませんか。あれは君、農林省の仕事だ、こういうふうに渓流工事ばかりやっている。これが現状です。私は案内してくれとおっしゃるならば、今でも案内します。それが実態なんです。
建設省は実情を見ていないのです。今日の
砂防はまことに私から言いますならば、例の安本の結果、大きな堰堤を作って、これに土砂を何万立米溜めればいい、そんな安易の、
砂防の道をはずれていて、これで大臣ほんとうに
砂防はいいか、昨年山梨県下に
被害がありました。これは前の大臣もよく御
承知です。こういう厳たる事実がありますから、単に
砂防を圧迫しようとか、そんな簡単な考えでやられたのでは、国民はたまったものじゃありません。そういう観点から、私は治山治水の十カ年
計画は、なぜ
砂防と治山と分けるか。局長は簡単に片づく、
砂防工事はこれで差しつかえありません、どういう責任をもって、それが言えるか。私はわからない。これは非常に不可解である。まずこれから……。