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田中一君 そこで、今日個人が所有するもの、国が所有するもの、あるいは公共団体の所有する
土地というものは、少なくとも
実態とはおよそかけ離れているものであるということが、これはもう私自身固く信じているのです。むろんそれも、ことに戦後行なわれたところの
土地改良とか、その他の問題につきましての
登記は、一応
実態に即したものであるであろうと考えますけれ
ども、自分の持っておる財産を売るつもりもなければ貸すつもりもないというものは、おそらく
明治初年の
土地台帳に
登記しているものそのままが実在しているということではなくして、少なくとも
実態はふえているのが現実ではないかということです。いわゆる通俗な
言葉で言うと、どの
地籍もなわ延びがあるということです。私ちょうど数年前ですが、国土総合開発審議会の
委員として、
国土調査法による
調査の結果——まあ特定なる所を一つ地点をきめまして——その報告を受けました。山林などは八〇%も
登記よりも延びているというものもございます。田畑はおおむね二、三〇%の延びを示しておる。宅地においては、もはやこれは論外です。実際は宅地でありながら山林であったり原野であったり、はなはだしい所は湖になっている、池になっているというものもあるわけです。従って、
実態と
登記されているものとが、おそらく大部分のものが違うのだというようにわれわれは考えておるのです。で、これは国土総合
調査法という
法律を、徴税の面からも考えられましょうし……というのは、妥当なる徴税という面から、
国民が公平な負担をしなければならないという
建前からもくるでしょうし、あるいは農地と米の供出とかという問題もあるでしょうし、いろいろ問題があると思います。しかしながら、おおむね
権利が動かない
土地というものは、
実態とはおよそかけ離れたところの
登記がなされているということ、現状は、私はそうであろうと考えております。そこで最初に局長が言っているように、一つの
権限、
土地家屋調査士というものに与えられる
権限——むろん、これは義務もございましょう——それを信用して
家屋に対しては大体
抹消あるいは増築、新築等の、
実態調査はするけれ
ども、これは徴税の面でするのだと思うのです。おそらく
土地に対しては、その実際のものが、一方的に、
登記しようとするもの、移動された場合に
登記しようとするもの、それだけを信用して
登記をするということは、これははなはだ危険ではないかという考え方を持つのです。私はいろいろな事例を知っております。たとえば隣地がこうあると、これは実際百坪といいながら百三十坪ある、三十坪の面を隣地からかまわずこれはおれのものだという
登記をする場合は、重なって
登記をする、二重
登記をする、地積を
登記をする場合はこれを調べよう、実際正しいものを求めようということは、この
登記法には
方法はございますけれ
ども、これは実際としてはないということです。なるほど、こっちはなわ延びしている、二百坪というけれ
ども二百五十坪あるのだ、二百坪というものは一々立ち会ってものをやっておりませんから、古い時代の動かない
土地というものは二重にも三重にも——三重はないでしょうけれ
ども、二重の
登記ということはあり得るのですね。従って実際今使用して、自分の
権利であるといわれているところの
土地を調べてみると、二百五十坪あった。五十坪分は隣の人がいつの間にかおれのものだという
登記をしている事例がたくさんあるのです。しかしこれはなわ延びの二百五十坪。五十坪余分に実体を持っているという人は、自分はこれを動かす必要はない。自分の父祖伝来の
土地で、売るつもりはない、貸すつもりはないというので眠っているわけですね。新しく生じた間違いを発見しょうという気持もない。まあこの
法律じゃ、結局その場合には真の所有者がそれに対して何といいますか、裁判でもって、その決定を見なければ自分のものに戻らぬという
実態が多々あるわけですね。今度の、ちょうど十年前に作られた十地
家屋調査士という主役者が、これを自分で言っております。この連中が言っております、ありますと。しかし私は
田中一という所有者から、自分の
土地の
実測を頼まれ、
登記するのだ、だから何も隣の人からどうこうと言もれても、これは確かにあなたのものでございますというような
証明をもらわぬでも、
登記所は受けつけてくれるから、そのままでやればいいのだ、それから
土地家屋調査士は、これはおれの
土地だと言われて、指図されて
実測したものは、これは間違いじゃないのですよ。
土地家屋調査士にかりに間違いがあった場合でも、悪意ではないわけでございますね。おれのものだ、現におれが使っているのだと言うから、現にその
登記をしているにすぎないというのですね。これは罰則を与えられないのが
現行法です。そうした間違いを正すのが
登記所の役目なんです。
国民の利益を守る、
国民の所有権というものをはっきりと法の裏づけをもってそれを確定させようとするところに、
登記法本来の役目がある。かつ
法務省が戦後これを所管したということも、
法務省ならせめてそういう間違いでも正すであろうというアメリカなんかの期待があったと思うのですよ。現在法文ではそれはそのようになっておりますと、しかし、
実態に合っていないということを、今、
平賀さんから承って、まことに寒けがするものです。
国民としておそろしいものだと思うのです。いつの問にか自分の
権利がなくなっている、そうして他人に移っている、困るなら裁判しなさいということでは、ひまがあって金があって力があるやつが裁判に勝つ。
土地の紛争というやつは五年や十年で片づくものではございません。現在あるところの
登記台帳というものが、
登記簿というものが、
実態と異なっているという事実をわれわれは認めなければならないのです。今度のこの
改正案全部を見ると、少なくともわれわれの、
国民の持つところの利益を守るかのごとき印象を率直に受けるわけなんです。また守ろうとする意欲があることは認めます。しかしながら、
実態というものと現在
登記されておるのが違うという場合には、これをまず正すのがこれは
法務省の役目なんですよ。それがいまだにその面については……。なるほど
申請がある、あるいは紛争が起こって初めて立ち会うということがあり得るでしょう。しかし、それは単なる立証者にすぎないのであって、あなた方は公簿と
土地とを見て、何年何月にこれを
申請しましたと、それには
土地家屋調査士という職権を持っておる者がやったものでございまして、その
通りでございますと言うにすぎないのでして、この
信憑性の正しさを求めるということはできない、十年たち、二十年たった後には。これでは、ほんとうに
国民の
権利を守る
法律ではないと言うのです。というのは、
条文の上では守られても、実行しておらぬのではないかということになるのです。ことに戦後保守内閣の政策というものは、
土地に対する異常なる注目を与えるような政策をとりつつあるということは、地価の値上がりが起こっておるという現状から見ても、今後もそういうトラブルが多くなるのではないかという心配をしておる。当然今回の
法律案も、御承知の
通りわれわれ社会党としては、まあ、ざる法ではあるけれ
ども、売春禁止法と同じように、ないよりあった方がいいということで態度をきめておりますけれ
ども、何といってもあなた方が当然この
法律によってしなければならないという義務を怠っておるという事実を見のがすことはできません。だれが一体各人所有しておる
土地に対する
信憑性の正しさを求めるかというと、公簿以外にない。
裁判所に行っても公簿によってきまるわけなんです。あなた方はその
手続上の間違えさえなければ、それが公簿に載っておるものは正しいのですと
答弁をする以外にない。なぜなら、たとえば隣地の所有者に対して、あなたの境界はここでございます、これでよろしゅうございますねという承認を受けたわけでもない、一面また隣接するところの
土地の所有者に一々、
登記をいたしますからあなたの方で境界線を
証明して下さいと、こう頼んでも、隣とけんかをしておると、なかなか
証明してくれない、そうするとそれも
登記ができない。あいつはにくらしいやつだから、うちの庭のまっ正面におしめを干すからといって、その境界に対する
証明をやってくれないときには
登記できないということになっても困る、一体どうすればいいかということです。現に、きょうの新聞でしたか、投書欄でこんなのが出ておりました。御承知のように、自分の家を新築するのに、自分の家の空地の建築基準法に基づく建蔽率を、他人の庭を自分の所有の
土地であるかのごとく
申請をして、一ぱい一ぱい、たとえば四割なり五割という制限を受けるべく空地と
建物との建蔽率は建基法できまっておりますが、これは借りている、借りられるのだという前提で認めているという事実があるのです。建築基準法によりますと、これは何ら実体というものをつかむことができない。なぜならば、隣の人が自分にこれを貸してくれることになっておりますからと、あるいはこのあき地は空地として
承諾しておりますからということで、一方的な
申告でもってそれを認めているのが現状なんです、建築基準法においても。今度の場合には、現在、個人が持っているところの地積というものは、
登記されておるものよりもおおむね内法が多いという現実を考えますならば、いかに、どういう
手続上の簡素化をはかり、
国民の
手続上の費用の軽減をはかったところが、実体そのものの
権利というものが擁護されない限り、これは話にならぬ。ざる法といわざるを得ないのでございまして、私
どもは、今日では帳簿に載ったものを信ずる以外にない。実体と公簿面とが違うという事実を、少なくとも正しさを求めようとするところの
法務省の態度としては、このような形ではいけないということを言っている。どうすればいいか。
法務省が戦後、なぜこの
法律を所管することになったかという経緯を一ぺん反省して振り返ってごらんなさい。