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政府委員(
西村健次郎君) ただいまモスクワで開かれております第四回の日
ソ漁業委員会の
交渉のこれまでの
経過につきまして、簡単に御
報告を申し上げたいと思います。
日ソ漁業交渉は去る二月二日に開始されまして、自来本日で九十九日でありますか、九十九日、あしたで百日と、百日
交渉を迎えたわけであります。いよいよ最後の大詰めということになったわけでございます。御
承知と思いますけれども、この
日ソ漁業交渉において取り上げられます
議題はいろいろございますが、魚についていえば、
サケ・
マス、
カニ及び
ニシン、この
三つでございます。まあ
ニシンにつきましては、すでに決定を見ましたし、また
カニにつきましても、これは
ソ連側が六
船団、
日本側が四
船団出ておりますが、これが各一
船団の
漁獲量は同じで、一
船団当たり六万五千箱ということで
妥結をいたしました。ほぼ昨年
通りの線で、
漁獲量が五千箱ずつ減ったというところで
妥結し、もう現に
カニの四
船団は操業に従事しております。残るのは
サケ、
マスの問題でございます。
サケ、
マスにつきましては、まず
サケ・
マスの
資源状態、それからその次に
サケ・
マスの
禁止区域あるいは漁区それから網目の問題、あるいは
魚種別の
規制、あるいは未成熟の魚の問題、あるいは
害敵の問題というような、いろいろ問題がございます。そのほかに一番大きな問題としまして、総
漁獲量というものが条約上きめられなければならないことになっております。さらにこれに
関連しまして、本年
ソ側が新しく提案をしてきましたものとして
規制区域の境界についてという
議題がございます。これは現在北海道の秋勇留島と、それから北緯四十五度を結ぶ線、それから北が
規制区域になっております。その
規制区域内において
漁獲量がきめられ、諸般の
規制措置が定められることになっておりますのを、その
区域を南に延ばそうという
議題でございます。
今度の
日ソ漁業交渉におきまして、私どもがこの
交渉に入る前から予想しておりましたことは、ことしは
不漁年である。
不漁年ということは、これは
偶数年が
不漁年、
奇数年が
豊漁年ということでございますが、この
不漁年ということは、
サケ・
マスの
主体をなします
マスについていわれることでございまして、その
マスが特にこれは二年ごとに、たとえば、ことしとられます
マスは、一昨年の親からかえった子でございますが、すなわち一昨年の一九五八年のカムチャッカにおける
マスの漁獲は非常に悪い。一九五六年、その前の
偶数年の年に比べまして十分の一程度であるということを
ソ側はその後言っておりますし、そういった観点から、ことしは
マスの
不漁年であるということ、しかも、そのカムチャッカの
マスが悪いために、これについて
ソ側が非常に強い態度をもって出てくるであろうということ、それからもう
一つは、
ソ側が昨年のわが方の母船式なり、以南の流し網漁業等の漁獲につきまして、いろいろ疑惑の目を持っていたろうということ、これらの点が予想されます。私どもとしまして、
政府といたしましては、こういう事態に対処し、わが方の
立場をはっきりさせるという意味合いにおきまして母船式の
船団の再編成、あるいはその後においてとられました中部以南の流し網なり、あるいは太平洋の
サケ・
マスはえなわ漁業についての日本国としての自主的な
規制、非常に強い
規制措置という一連の
措置を打ち出し、この
交渉に対処し、今年の漁業に臨む確固たる態度をきめたわけでございます。二月二日からの
交渉に入りまして、最初に
サケ・
マスの
資源状態につきましてわが方の予想したごとく、
ソ側の態度は非常に強いものでありまして、先ほど申し上げましたように、
サケ・
マスの
主体をなす
マスは、ことしはまさに破波的な危機に陥っている年である、従って、
マスは全面禁止の必要がある、こういうようなことを例によって例のごとく強く申してきたわけでございます。ただ、ここで
一つお断わりしておかなければいけませんのは、
マスは
偶数年が
不漁年であるということでございまするけれども、これはカムチャッカの
マス——これが
主体でございますが——についてはそのことがいわれますけれども、アムールとか、オホーツク、サガレンの方の
マスは、
偶数年、
奇数年、豊漁、不漁の年が逆転いたしまして、むしろ
偶数年が
豊漁年である。
奇数年の方が悪い。そのことは、昨年は
豊漁年であるにかかわらず、
ソ側は、ことしは
豊漁年であるけれども、
マスはそれほどよくない、それはアムールなり、その方面の
マスは実は逆転して
奇数年が
不漁年であるということを言っているわけでございます。従いまして、
ソ側は
不漁年であることを非常に強く出して参りましたけれども、わが方の観察によりますと、やはり今申し上げた去年の
ソ側の主張にもありますように、それは全体としては、なるほど
マスは
不漁年であるかもしれないけれども、その一部の
マスについては、むしろことしはいいということも考えられます。従って、
マスについては、大体
不漁年であるけれども、それほど悪い
不漁年ではない。それから白
サケ、あるいは銀
サケにつきましては、大体平年
通りの漁獲が予想される。それから紅につきましては、過去二、三年の漁獲の状況等から見て、ことしは過去数年来の一番高い水準にあるというふうにわが方は観察し、こういう主張をいたしたわけでございます。ところが、
ソ側は、そのすべてにつきまして、ことしは
マスは大
不漁年である。紅も白もよくないという、資源の状態の
魚種別の評価について大きく両国の主張が分かれたわけであります。従いまして、その後に討議されました諸般の
規制措置というものにつきましても、この
資源状態の評価というものの大きな分かれというものから、すべてが大きく分かれてきておる。
日本側は、先ほど申し上げましたように、全体としてはことしは決して悪くない。一九五六年程度の漁獲は見込み得るという主張をしておったわけでございます。ところが、
ソ連側は、どうしてもことしは
マスが
不漁年である、しかも、カムチャッカの
マスが決定的な年である、これについてはっきりした
措置をとらなければ壊滅的な状態に陥る、ということを軸としまして、それを実現するためにあらゆる
規制措置の提案をしてきたわけでございます。
規制措置のうちで非常に大きな問題、これは、
一つは
禁止区域の問題、それから漁期の問題、あるいは網目の問題、ことしはその網目の問題につきまして、
ソ側は非常に強く主張して参っております。そのほかいろいろございますが、
禁止区域につきましては、
ソ側は三月の末に最初の提案をしてきたわけでございます。その
区域は、すでに新聞等で御
承知のように、非常に広い
区域でございます。全く日本の沖取りを否定するというにひとしいものでありまして、かりにあの
禁止区域を認めてやったとしますと、
日本側の漁獲は例年の七割減にもなるだろうというような状態でございます。従いまして、わが方としましては、このような
禁止区域というものは絶対に認められない、大体
審議の対象にならないということで強く反対しておる。その後それをだんだん譲ってきておりますけれども、まだしぼられてきまして、後ほど御
説明しますが、
三つの大きな
地域に問題がしぼられてきております。
ところが、話が前後いたしますが、
ソ側はすべての論点を沖取りの不合理性というところに持ってきつつあるようでございます。これはことしに始まったことではございませんが、要するに、沖取りは非常に不合理だ、たとえば沖で流し網なり、はえなわでとっている。そうすると流し網の網で脱落する魚がある。それは本来河川に向かうものが脱落したために、その大部分のものが死亡してしまうというようなこと、あるいははえなわの針が糸が切れて針をくわえたままそれが河川に行くと繁殖力を失うというようなこと、それからさらに沖取りというものが資源の利用に非常に不合理だということを強調します
一つの点としまして、かりに沿岸でとった場合と沖でとった場合と比較すると、たとえば日本の去年の漁獲は十七万三千トンであります、全体の総
漁獲量。これを沿岸で、河川の入口でとると、もっと十万トンもふえる、こういうことも言うわけです。そういうことで、これは
一つの未成熟魚をとることになり、まだ大きくなるものを沖でとってしまう、こういう言い方をしているわけです。それはどういうことかと申しますと、なるべく河川の近く、入口でとれ、こういう
議論であります。ところが、一面、先ほど申し上げましたように、
禁止区域が非常に膨大なもので、まるで公海何百海里の沖合いでしかとれない。それでわが方から、お前の方の言うことはおかしいじゃないか、そういうことを言うなら、むしろ沿岸でとらせろということになり、この膨大な
禁止区域はそれと矛盾することになるじゃないかというようなこともございます。これについては、ただ黙って答えないというような調子でございます。いずれにしましても、日本の沖取りというものを大きくその不合理であることをクローズ・アップするというようなところに
一つの大きなねらいが置かれておる。
それからもう
一つは、
マスに
関連しまして、ことに日本の昨年の漁獲が、
区域内が八万五千トンである、
区域外が八万八千トンであるということで、
区域内における漁獲の非常な増大ということが
一つの大きな問題として
ソ側は取り上げておる。それが先ほど申し上げましたような
規制区域の拡大というような提案となって現われたわけでございます。これに対しましては、わが方から、国内自主
措置として、先ほど申し上げました中部以南の流し、あるいははえなわにつきまして自主的な相当きびしい
規制措置を本年から
実施することになっております。従いまして、その
規制区域の拡大につきましては、
ソ側はもはやこれはあきらめておる。わが方ももちろんこれを許すわけにいかないということで現在に至っております。
結局、いろいろな問題、網目の
問題等につきましても、これはすでに落着いたしましたけれども、昨年の
委員会におきまして現在まで母船式の漁業で使っております網は六〇・五ミリ、結節から結節までの間隔が六〇・五ミリという網でございます。この網目が小さ過ぎる。従って、未成熟魚をとる、あるいは脱落が多いというようなことを
ソ側が主張いたしますので、昨年の
委員会におきまして、それでは
日本側は
一つことしから試験的に四分の一、二五%は六十五ミリメートルの網を使おう、こういうことを言いまして、それで話がきまっておったわけです。ただ、その六十五ミリの網をどういうふうに使うかということにつきまして、
委員会でいろいろ
議論をいたしておりました際におきまして、ある日、大体ことしは全体としてどこの
区域でも母船式の
区域では六十五ミリの網をどの船にも四分の一ずつつけさせよう、来年はまたそれを、たとえば四〇%ずつつけさすというようなことを提案いたしましたところ、一たんは
ソ側はそれはけっこうだという同意を表したのでございますが、翌日になりまして、
ソ側からともかく六十八ミリを使えという、突如として途方もない提案がなされた。だから、
日本側としましては、六十八ミリという話は今まで話にもない。そんな網を使ったこともなくて、全然試験のデータもない。六十五ミリは去年試験してみましたから、データは多少ある。六十五ミリのデータすら足りないところへ、六十八ミリの網を使えということはとんでもない話だ。ところが、
ソ側はそれについてだいぶこだわりましてことしは六十五ミリでしょうがないけれども、来年は六十八ミリを使うということを約束しろということを迫ってきたわけでございます。これに対しまして、わが方としては、それは六十八ミリがどういうものか、まだデータも全然ないので、おそらく六十八ミリでは
マスはほとんどとれないということであろうと思います。そういうことはできない。結局、最終的には、
ソ側も、これは例によって
ソ側は非常に譲歩したということだろうと思いますけれども、六十八ミリというのは、使うかどうか、ことしから
一つ別に
調査船でそれは試験してみようということで話がつきました。
そのほかの
規制措置、たとえば漁期の問題、これは七月十五日という
ソ側の当初の提案は、その後
ソ側は撤回しまして、従来
通り八月十日ということで片づきました。そこで、残る大きな問題は
禁止区域、それから総
漁獲量、この二つでございます。これにつきまして福田大臣が何べんもイシコフ漁業大臣と会われて、これは高碕代表も同席されて折衝をしておるわけでございます。現在までのところ、
禁止区域につきまして、先ほど申し上げましたように
ソ側が少しずつ譲歩をしてきておりますけれども、まだ
妥結には至っておらない。それから総
漁獲量につきましても、
ソ側は五万トンという、非常にわが方としては、本年のわが方の自主的
規制策なり、国内
措置を整えていったこの態度について、はなはだ意外とする五万トンを提案したきりその後出しておりません。これにつきましては、イシコフは
日本側がいろいろな
規制措置をのめ、いわば自分たちの出しておる
規制措置について、これが話し合いがついたら
漁獲量を出そうという態度に出ております。従って、最近十日間、あるいは二週間と申しますか、福田大臣とイシコフと会談におきまして最終的に総
漁獲量と
禁止区域の問題をめぐりまして非常に難航を続けておる。この
禁止区域につきましては、先ほどから申しましたことをちょっと図面で簡単に御
説明しますと、当初、昨年の
妥結しました
禁止区域がこういう線でございます。ここが三角の大きな地帯、ここは非常にいい母船式の漁場でございますけれども、昨年も
ソ側の強硬なあれでついにこれは譲歩してこういう
禁止区域になりました。ところが、ことしの当初
ソ側の
禁止区域の提案は、こういう膨大なものでありまして、しかも、これが四十五度
規制区域の南に五度たれ下がっておる、こういう提案をしてきたわけであります。御
承知のようにこっちにもあるようでございますけれども、現実には遠距離でありましてあまり操業もできない、こういうことでこの辺が最もいい漁場でございます。そこを全く閉鎖しておる。しかも、
区域外においても
禁止区域の提案をしておる。これはいい流し網、はえなわの漁場で、中部以南は流し網の漁場であります。そこでわが方としては、こういうあれについては、
審議の対象にならないというので、全く沖取りの否定である、しかも、さっき申し上げたように、沖でとる魚は小さな魚をとるので非常に不合理だ、それをこんな沖でとるのはおかしいじゃないか。ところが、その後における会談におきまして、こういうふうに向こうは非常に譲歩を示したわけでございます。ところが、次に第三次に、ここを最初切って、結局今残っておるのはこういうあれでございます。簡単に申し上げますと、これは昨年
通りでございますが、この部分とこの部分と、この
三つが現在残っておる大きな
三つの
区域、三角と四角とこの東の張り出し、これは新聞で御
承知の
通りであります。そこで私の方としては、カムチャッカの漁場の
マスの保護を向こうは初めから言っておる。こっちはそんなに悪くないのです。むしろここはよかったのです、去年は。ところが、ここはカムチャッカに行く
マスの魚道じゃない。これは魚道じゃない。これはおかしい。ここをあけられてもあまりいい漁場じゃないらしいです。そこでここをあけた、あけた、大譲歩をしたと言っておりますが、これはカムチャッカに
関係がない。こういうことはおかしいじゃないか。しかも、北海道漁民の流し網の、小型の流し網漁場を全面的に
規制区域内として閉鎖する、これは譲らない。ここにつきましても、これは
マスの漁場じゃない。紅や白ならここは非常にいいわけですから問題はない。だから、ここについては問題はない。ところが、
ソ側としても、この辺はまだわれわれとしては絶対にのめないということを強く主張しておるわけであります。まん中につきましては、ある程度
日本側としても考えるが、しかし、こういうことを言いますと、そこはやはり流し網の漁場である。これを全面的に閉鎖する、大型の船を閉鎖するということは困る、こういうことで、この辺が現在のところ禁漁
区域についての最大の難関になっているわけであります。そこで、
ソ側としましては、この問題と
漁獲量、これはもちろん当初から予想したわけでございますが、この両者
関連しつつ、
日本側がこの程度のむならこうだということでくるのじゃないか。この点はおそらくきのうの福田・イシコフ会談、これは最終的ではありませんでしょうが、ここ一両日中に最終的な結論が出る
方向にある、こういうふうに思っております。
大体ごく大ざっぱに言って今申し上げた
通りでございますが、私どもとしましては、これは例年でありますが、ことし、ことにわが方として向こうに、従来からやっておるバナナのたたき売りみたいなことはよそうじゃないか、もっときちっとしたものでやろうじゃないか、これは本来そういう性質のものじゃないのです。たとえば資源論について、これは共通の場を持たないから資源論が並行である。これはどんどんお互いに科学者が長期駐在するというような
方向で、お互いに資料を同じ場に立って調べるというような提案を
日本側もしたわけであります。従って、科学者が場合によっては母船に乗ってもよろしいという提案、さっきの網目の問題につきましては、これは合意に達しまして、日本の
調査船にソ連の学者が若干名乗る。ソ連の
調査船に日本の科学者が乗ることが望ましい。これは現実に実現するかどうか、
日本側としては乗って行くつもりであります。そういうふうに
日本側としましては、今年は国内態勢も
整備して参る。
漁獲量の提示につきましても、現実的な数字として八万五千トンという相当ぎりぎりにしぼったところを出したのも、要するに
日本側としてあまりかけ引きと申しますか、バナナのたたき売りみたいなことをしたくない。これは本来そういうものじゃないということで
説明を言ったつもりでありますが、
ソ側は今の
禁止区域の提案について、御
承知のようにとんでもない大きな提案をして、それをちびりちびり削っては譲歩したと、きょうの朝刊にも出ておりますように、
ソ側譲歩、また譲歩と、いつも
ソ側が譲歩ということに出るということ、これははなはだわれわれとしては好ましくないことであります。こういうことは今後、きょうで九十九日、こういった長期の
交渉というものも今後やり方を変えるべきじゃないかということも別途いろいろ話は出しておるわけでございます。
大へんまとまりが悪いのでございますけれども、大体の
経過を述べまして、また御質問によりお答え申し上げます。