○下條
康麿君 私、ただいま問題になっております
農地被買収問題調査会
設置法案につきまして、二、三お尋ね申し上げて、
設置の
目的、実施の計画等について
趣旨を明らかにしておきたいと思います。
農地改革が一大社会変革でありまして、これが日本の農業生産の上に貢献のあったことは認めるのでありまするが、同時に、社会的な大きな変動をもたらしたということは、事実としていなめないところであると思います。もちろん、この
農地改革は終戦前から計画せられておったいわゆる自作農創設政策の延長であると私は思うのであります。ただ、その実施が、
農地改革の実施が、占領治下において、占領政策の力によって実現が可能になったということも、これまた否定できない事実であると思うのであります。従いまして、占領下において政治、経済、社会各面の非常な激動のさなかにおいて、土地所有権の問題等も考慮が十分に払われなかった形跡があるように思うのであります。従って、権力指導によって有無を言わさず強制買収された者にとりましては、かなり大きな衝撃があったのであります。すなわち、その
農地関係法規の中にかなり無理があったように思うのでありまするが、またそれを実施する際にまた行き過ぎがあったようにも思うのでありまして、二、三の例をあげてみますると、たとえば佐賀市におきましては、市の中に小さいみぞが流れております。ほとんどどぶみたいなみぞです。今日は水道が引かれておりますが、古くそれが水道のかわりに飲用水に用いられておるような細いみぞがありまするが、それがたまたま同一市町村内における農業
委員会の境界線であった。邸内にその川が流れておる。こちらにおもやがあってその川の向かい側に
農地がある。それが同一農業
委員会の区域外であるために不在地主ととられた、こういうことも、これは現実にあるのであります。また、たとえばこれは秋田県の例でありまするが、秋田県では邸内にリンゴ畑がある。出征をして留守中作男にその耕作を依頼しておりましたところが、それが契約による委託である、こういうことでありまして邸内の
農地、リンゴ畑が全部取られてしまった。ちょうどおもやからリンゴ畑を通って隠居屋に母親がいる。その母親に会うための途中のリンゴ畑が取られてしまった。母親に毎日会えないというような状況、これは現実に私見て参ったのであります。またずいぶんひどい話では、
農地だけでなく、
農地の付帯施設として宅地及び住居も取られまして、そうしてその宅地の中によく地方ではありまするが、墓場がある。その墓場も
農地として取られて、しかもその所有者の面前でそれが発掘されて、先祖の墓が露呈されたというような、これは福井県であります。その方は小学校の校長でございまして非常に先祖に対して申しわけがないというのでついに自殺をされまして、遺書が書いてありまして、私遺書を現に見たのでありますが、まことに涙なくしては読めないようなことが書いてございました。もちろん、地主のうちには、旧来の祖先の土地を持っておった方もありまするけれ
ども、またその個人の努力によって土地を作った人もある。これは岐阜県の人でありまするが、自分も老後の計をなすために
農地をほしいと思って常々勤勉力行してようやく三町歩まで取ったところが、
農地解放でとたんに全部取られてしまいました。老後の計を失なってとほうにくれておる。これは岐阜県の例であります。まあずいぶん北海道においても先ほど
お話があったように、実際
政府の
方針によって北海道に移住して営々苦心して、ようやく経済が成り立つ時期に全部取られてしまって、年令も相当に達して、もはや再び働く力がないというような人もありまして、まことにお気の毒の状態が所々に存在しているんであります。今申し述べたように、法自体にもずいぶん無理があったり、また、法を執行する適用の面におきましても、いろいろ行き過ぎがあったからして、そこにいろいろの社会問題が起こってきたように私は思います。
まず、第一に、精神的面から申しますると、所有権がほとんど無視された
関係から、これは一大衝撃を受けたことはいなめない事実であります。また、旧地主の大部分というものは中小地主、いや実は大体小地主であります。全国平均がわずかに九反であります程度で、実はこれはアメリカの方の話でありまするが、日本の地主というものを財閥と考えて、大財閥を整理するような考えでやったというような話も伝わっておりまするが、とにかくそれは間違いでありまして、実は非常に中小地主で、経済力は非常に希薄であります。そういうものがその経済の基盤であるところの
農地を一挙にして失いまして、そこに生活の基盤がなくなってしまつた。そこに起こってくるものは、生業は失なった失業であります。ほかの場合ならば、失業手当もあるし、また転職の世話もしてくれまするが、旧地主に限ってはそこに何ら、ただ
農地証券紙のようなほんとうに価値のないような
農地証券をもらった、まだずいぶん
農地証券をもらわない方があります。そういうような、実に気の毒な失業状態が発生して、次いで貧困になり、貧困になるいろいろの問題がまたそこに起こってくる。中には自分の子女の生活にも、教育にも困るというようなものも起こって参っております。もちろん、旧地主のうちには、生活保護法によって生活扶助を受けているものもありますけれ
ども、中には生活保護法によることをいさぎよしとしないものも多々ある。これらはまた悲惨な生活、中には餓死したものもあるようであります。そういう問題が起こってきた。それからまた、先ほど来問題に出ておりました
農地買収対価の問題でありますが、もちろん
農地については戦前戦後を通じまして
農地の移動とか、価格等につきまして統制があった、相当所有権が制限せられているわけ護ります。それらを十分考慮しましても、
一般的、経済的な評価から申しまして確かに安かったのは、何人も感じているのであります。しかし、これは国全体の大きな政策のためであるとがまんをしておったのでありまするが、それが一定年限の間
農地として利用すべき義務があったのが、それが解除せられまして無制限に、先ほど来問題になっておるような転用転売されておる。そして思わぬ商い価格でこれが売られまして、
農地改革という偶然の
機会から、全く明らかな不労所得が発生したということは否定できない事実であると思います。
農地改革にわれわれ賛成するゆえんは、耕す者が農耕地を所有するという原則、これはけっこうだと思うのであります。ところが、現実においては、先ほど御
説明がありましたが、許可がありましても、相当たやすく実は転売転用されておりまして、そして
農地を売却した者はその日にも困る生活をしておるにもかかわらず、それを買い取った者がそれを売りまして、利子生活をしておるというようなことは、非常な矛盾があります。ついこの間、これは日本経済新聞を見まして思わず感じを深くしたのでありまするが、これは日本経済新聞の今月の初めの新聞でありますが、そこにありました「日経柳壇」という川柳が載っておるのでありますが、「職をかえ
農地を売って利で稼ぎ」、この
通りの状態が実は現われておるのであります。まことにこの
農地改革の精神を没却した事実が現われてきておるそうでありまして、かようなこと、では、いわゆる旧地主は納得できない。終戦後間もなく行なわれた
農地改革に対して今なお十幾年もいろいろ主張を続けておる。そこに私は相当な理由があると思う。
これらは
一つ十分に調査会でお調べいただきたいと思うのでありますが、私たまたま
昭和三十一年から二年にかけまして、こういう問題を自分で調査してみたのですが、これは全国を東北、関東、北陸、東海、四国、中国、九州と分けまして、大体各地区にティピカルなサンプリングを二県ないし数県とりまして、全国で四万二千三百五十四戸調べたのであります。その結果出た
数字が、餓死した者が四十七名、変死またはこのために病死した者が二千二十三名、発狂または病気にかかって入院中の者が千七百七十一名、一家離散した者が八百五十名、通計四千六百九十名、これは実数でございます。ちょうど調査戸数に対して約一割強のこういうひどい状態が現われて参りました。これを、北海道を除きまして全国の推定戸数約三十万といたしまして、拡大推計いたしますと、全国で十四万四千八百十八人というような餓死等の不幸にあった者があるはずでございます。もちろん、これはサンプリンク調査でありまするから正確ではないのでありまするが、大体の傾向がわかるのじゃないかと思います。かような総戸数に対して一割強のいろいろの悲惨な事実が出たという政治は、これは私大いに考えなければならないというふうに考えます。明らかにそこに社会問題が発生しておると見なきゃならぬと思うのです。社会は社会構成員のために存在する。しかるに、社会の政治がある手段をとられた結果としてその社会の一割以上が非常に悲惨な状態になるという政治は、それ自身よほど反省しなければならない、かように思うのであります。そういうことを私は今度お調べになるのじゃないかと思います。
農地改革自体ではなくして
農地改革から流れ出たいわゆる社会的ないろいろな実態をお調べになって要すれば、これに対して適当な施策を講ずる、こういうことが、いわゆる第二条の「社会的な問題を調査審議する。」とこういう事項であると思いますが、
政府の御所見を伺います。