○
米田正文君 私は
三陸地方の
津波災害の
実情調査を命ぜられましたので、去る三十日出発をいたしまして五日に帰京いたしますまで一週間にわたりまして、
現地の
調査をいたしております。ちょうど他の
社会労働及び運輸の
委員会からも
委員の
派遣がございまして、一緒に視察をして参ったのでございます。
報告書はお手元にお配りをいたしておきましたが、その内容の
概要について御
説明を申し上げたいと思います。
被害の
調査の
概要をまず申し上げますが、私
どもの参りました
宮城、
岩手、
青森の三県で、いわゆる
三陸地方と称せられる
地域でございます。この
地方は御
承知のように、過去において明治二十九年の非常な大
津波がございました。その後、
昭和八年の三月にまた大
津波がございました。そして、
各地で非常な
被害を受けたのでございますが、今回の
被害は、さらにそれらの二回の大
津波の
被害を上回る
被害を生じたのでございます。
三陸地方は御
承知のように、
海岸が
リアス式と申しまして、非常にのこぎりの歯のようになった
海岸でございまして、ちょうど
津波を受けると、その湾に入ってさらに波の高さが高くなるというような地形のところでございまして、宿命的に
津波に対して非常に弱い性格を持っておる
地域でございます。今回の
災害におきましては、不幸中の幸いと申しましょうか、非常に
被害が大きかったのにかかわらず、
人命に関する
被害は比較的少なくて済んだということでございます。これは一に
地元民の過去二回の非常に尊い体験が
津波の来襲を予測いたしまして、そうして適切な
措置をとったからでございます。地元をずっと回って見ますと
各地に
石碑が立っておりました。
昭和八年直後に立てたものでございますが、
各地に見られましたがその
石碑には、
地震があったら
津波と思え、それから潮が異常に引いたら
津波と思え、というようなことを書いてあるものがあり、かつはそういう逃げるときの心得も書いてありました。そういう
避難をするときには物を持つな、物は全部家に置いて行け、というようなこまかいことまで
石碑に彫り込んで、もう村民、
部落民が毎朝毎晩その
石碑を見るようにしてありまして、私は非常な
感銘を受けたのでございますが、そういう
地帯でございまして、従って、今回の
災害についても、漁師は朝の三時ごろから海に出ていくわけですが、出ていってみたところが非常に潮が引いておって、非常に異常な引き潮だというので漁夫がびっくりして市役所、あるいは部落あるいは
市町村の長にそれぞれ朝早く連絡をした。従って、
市町村は半信半疑ながらその
報告を受けて手配をして、
避難の命令を出したということが、今回の
人命に関する
被害を少なくしたゆえんであったのでございます。
まあ、そういうような
現地における
人たちの
予報によって
処置がとられたのが、今回の特徴であったように私は感じて参りました。残念なことには、気象庁の警報が非常におくれて、もう
津波の来た
あとに通知があったというようなことでございます。この点は将来の問題でございますが、
予報の総合的な
対策を立てて、
予報が早くできるような
措置を、これを契機にして確立をする必要を痛感いたして参りました。
今度の
被害は三県を通じまして見まして、いわゆる
個人被害が非常に大きいのでございまして、
建物、
住宅あるいは非
住家、そういう
建物が非常に大きな
被害を受けて
流失、
全壊、
半壊というようなものが非常に多かったのでございます。
それに、あそこは
漁業地域でございますので、
漁船の
被害、漁具、
漁業施設等の
被害がまた非常に大きな額を示しておりました。
公共施設は
災害が非常に
金額あるいは
数量ともに僅少でございます。その理由の一つは、これらの
地域についてはまだ
公共施設が完備されておらない、
公共施硬の非常に少ない
地帯であるために、
公共施設被害が非常に少なかったという結果になっております。
そういう
現状でございましたが、その
被害の現況は、私
どもが参りましたときは
官民一体になりまして
善後処理をいたしておりまして、ようやく復興の途上にございました。特にまた今回も機敏な
自衛隊の
活動によりまして
地元民は非常に
感謝をいたしておりました。なお、
復旧も非常にそのために手ぎわよく
処置をされておったのでございます。
自衛隊は
倒壊家屋の整理、
施設の
補修あるいは鉄道の
復旧にも出て、それから防疫、給水、入浴に至るまでの仕事に携わっておりました。各
市町村においても、
市町村民は非常にその労に対して
感謝をいたしておりました。
それから、被霊地に発生しがちな
赤痢発生の予防のための
屎尿処理等も専門的に
防疫活動が行なわれておりましたし、日赤及び
県市町村の努力と相待ちまして、患者の発生を
最小限度に食いとめておりました。現在、
宮城県で当初、
真性赤痢患者が三名、
擬似患者が二十数名、
岩手県下で真性が十一名、擬似が十名程度出ました。これらはすべて隔離をいたして適切に
処置をいたしておるように見て参りました。
それから
救援物資が続々と
現地に届いておりますが、これも非常に順調に支給されておりまして、民心もようやく落ちつきを取り戻しておるという状態でございまして、それらの
処置についての不満がほとんど聞かれなかったということは、これらが非常に順調にいっておる、適切に行なわれておると言うてよかろうと思うのでございます。
次に、三県についてごく
概要を申し上げたいと思います。
宮城県の
被害概要でございますが、
宮城県下は、二十四日の未明四時ごろから潮が高くなって参りまして、波高が三メートルないし四メートルの
津波が四時を前後にいたしまして数回にわたって襲来をいたしまして、
津波による損害を生じた。
死者が四十二名、行方不明十二名、
家屋の
全壊が千四十五戸、
家屋の
流失が四百九十五戸、
被害総額八十六億七千九十八万四千円という
数字を県庁において
報告を受けました。
被害の甚大であった地点は、
志津川あるいは女川、塩釜、
石巻等でございました。これらの
地域においては非常な
被害を受けて、特に
志津川のごときは非常な
被害でございました。一見したところでは全
町全壊というような感じを受ける所でございます。町長は率先して先頭に立ってその
復旧に涙ぐましい努力をいたしておりました。その中でこの
委員会に
関係のあります
土木の
関係の
被害といたしましては、
総額四億四千三百万円で、
河川が二千八百九十三万、
海岸が四千八百二十三万、
道路が六千七百五十四万九千円、
橋梁が七千七十万円、
港湾が五千万円という内訳になっております。
次に、
岩手県を申し上げたいと思います。
岩手県は、
土木施設、
農林業施設及び
漁業施設、並びに
家屋等の全
被害額、
被害の
総額九十八億三百十八万七千円になっておりました。
人命の損傷におきましては、
死者五十五名、行方不明六名、並びに
重軽傷者三百七名というような
数字になり、
罹災者総数三万五千二百七十九人を数えるに至っております。
岩手県内におきましても
自衛隊の
活動は活発でございまして、非常に適切に行なわれておりました。特に米軍の
三沢基地軍用機及び
航空自衛隊の飛行機による食糧の
投下等が行なわれたりいたしまして、非常に活発でございました。本県内における主要な
被害、特別な
被害と申しますのは、
陸前高田市の
防潮林がその
中央部において
決壊をいたしておりました。そうしてそれから
津波が入って参りまして市街地に
浸水をいたしというのでございまして、この
陸前高田市の
防潮林と申しますのは、
昭和八年のあの
津波の
あと、すぐに町の
前面に、
前面と申しましても相当距離がありますが、二キロぐらい、半道ぐらいありましょう、その
前面の海の中に
防潮林を作って、ちょうどそれから三十年近くたっておるので、ちょうど松も相当に伸びて繁茂いたしており、
防潮林の効果を発揮いたしたのでありますが、残念なことに、なお弱い
部分があったためにそこから
決壊を始めて
津波が入ってきたというような
実情でございました。あの
昭和八年の当時には、最近のような
特別立法は行なわなかったんですが、そういうような
防潮林をやったり、あるいは
防潮堤をやったりするような、
施設をするようなことが行なわれておりますが、
各地に
昭和八年後の
対策事業が残っておる
実情を見て参りました。それから山田町も
前面防潮堤がございました。それからの
越水被害もありましたが、
織笠川以南の
防潮堤のない
部分から
津波が侵入いたして参りまして、
木材工場がやられましてその貯木してあった
木材が流れ出して、そして市内の町の
建物を
木材の衝撃によって破壊をいたしたという
実情でございました。
そういうような、私
どもはこの
岩手県におきましては、
昭和八年のときの教訓を非常に
感銘をいたして見て参ったのでございますが、なお、
田老町というところがございますが、ここは
昭和八年後にすぐ大
防潮堤を町の
前面に築きまして、それをさらに
昭和二十九年から
補修をいたしまして、
前面、りっぱな
防潮堤で町を囲んでおります。たまたま、ここには今度は大きな水がこないで、二メートルぐらいな高さの
津波しかこなかったので、ほとんど問題にならなかったのですが、まあしかし住民は非常に安心をいたしているということで、全然
被害はなかったということで、この
三陸地方の人は、その
田老町の提防を見て、ああいう堤防をやってくれというのが、どこに行ってももう——いろいろな
説明をしないで、
田老町のような
防潮堤をぜひ頼むというのが、合い言葉になっておるという
実情でございます。
岩手県の
総額は九十八億三百十八万七千円の
被害総額と
報告をされましたが、その中で
土木関係のものといたしましては九億千三万七千円ということになっております。これらも
河川が八千四品七十一万、
海岸が六千八百十万円、
道路が四億二千三百四十一万八千円、
橋梁が九百七十五万円、
港湾が二億八千七百七十八万五千円、
都市計画が、千六百二十七万四千円という内訳になっております。
主要な
被害を受けた
地域は、
陸前高田市、大船渡市、釜石市等でございました。その他ございますが、主要なるものはそういう
地域でございました。それに宮古市、普代村という
地域でございました。それに久慈市でございましたが、久慈市は比較的
被害は軽少でございます。
次に
青森県の
被害概要でございますが、これは
潮位が一番大きかったのでございまして、
潮位最高は五メートル以上にも達しておりました。特に
八戸市の
被害が著しいものでございまして、
八戸市にはもちろん
災害救助法が発動をされました。
自衛隊及び
航空隊の出動によりまして
人命救助、
道路維持、
給水等の
事業が実施をされておりまして、また三沢の空軍による
食糧投下の協力もあったのでございます。
今のところ判明をいたしております
死者は一名、行方不明が三名、
重軽傷四名というような、比較的
人的被害は少なくて済んでおりました。
住家の
被害は
流失家屋が二十四戸、
半壊は三十四戸という
数字でございました。ただ御
承知のように、
八戸はいわゆる
水産関係で
漁船の大
集結地でございます。
漁船の七、八割までがもう漁に出るというので、出漁の体制ができ上がって勢ぞろいをしておるところにこの
津波が来たというので、その集結をしておった半数にわたる
漁船が
被害を受けた。
動力船で三百七十三隻、無
動力船で百八十四隻というようなものが
被害を受けたのでございます。こういう
水産基地であるだけに、
水産関係の
被害が非常に甚大であったのでございます。
土木関係といたしましては、
八戸港の
工業港の防波堤が
決壊をいたしております。及び、商港の泊地が埋没をいたし、
浚渫船——これは
直轄工事の運輸省の
浚渫船が流されて座礁をしておる、ほとんど使いものにならなくなっておるというような
被害もございます。
土木関係全体といたしましては五億四千万百、全部では五億七千万円に
被害が及んでおります。で、
青森県の
被害総額といたしましては四十六億九千万円でございます。大
部分は
水産関係の
被害でございまして、
水産関係がほとんどを占めておりまして三十二億六千万円がその中に
水産関係として含まれておるのでございます。
八戸は
港湾施設が非常に進んでおりまして、それからいろいろな
工場施設等も最近非常に著しく伸展をいたしてきておる所でございましたので、その
被害の額が非常に上っておるのでございます。
地域の狭かった割に非常に大きくなっておるというような
実情でございます。最近でき上がったばかりの魚市場の
前面が今度の
津波で足が洗われて、まさに倒壊をしようとしておるような
実情でございます。その
対策を非常に急いでおる
現状でございます。
以上大体申し上げましたような
現地の
実情でございましたが、詳細は
報告書の中に各
主要市町村別に書いてございますので、
あとでお読みを願いたいと存じます。
で、最後に各県でいろいろと
要望がございます。今回の
被害の
復旧に対する
要望がございました。その点をまとめて書いてございますが、そのうちのおもなるものを申し上げてみますと、
宮城県におきましては、
公共土木施設災害復旧に関する
特別立法をしてもらいたいという点がございます。
それから第二は、
住宅、
工場等の
立地条件の改善のための
特別措置をしてもらいたい。これは
被災地区における
住宅、
工場等の
立地条件を改善するために
土地区画整理事業及び
宅地造成事業について、高率の
国庫負担をする
特別立法をしてもらいたいという
要望でございます。
それから、
公共土木施設の
単独災害復旧事業に対する
起債並びにこの
元利補給についてでございますが、これは今回の
災害に関連する
単独復旧事業については
起債を全額してもらいたい。そしてこの元利については、全額を補給してもらいたいという
趣旨でございます。
それから
失業対策事業でございますが、特別に今回の
津波対策として
各地に
失業者の
救済事業をやってもらいたい。そのためには現在行なわれておる
失業救済事業のほかに、
一般公共事業としてやれるような
事業を起こして吸収をしてもらいたい。というのは今回の
災害に限らずそうですが、
失業者として
安定所に登録をして、そうしてその登録を受けた者を
失業救済事業に使うという制度のほかに、自分らは
安定所に行って
失業救済の手続まではするのではない、しかし現在非常に何もかも流されて困っているからして、
工事に出てその日の賃金をもらいたい、
現金収入を得たいという
趣旨でございます。
失業救済としての
安定所に届出をして、
失業救済事業に吸収されるというのではない
措置をお願いしたいという
趣旨でございます。
それから
災害復旧事業費国庫負担の
対象限度額の引き下げについての
要望もございました。これは
現行法令による
国庫負担対象限度額は、県の
工事で十五万円、
市町村の
工事で十万円を
限度としておりますが、それぞれそれを五万円、三万円に下げるように
措置をされたいという
要望でございます。
災害住宅適用基準緩和と
建設基準の
引き上げ等についてでございますが、これは
公営住宅法第八条による
災害住宅の
適用基準を緩和するとともに、その
建設基準を、
県下全域における
滅失住宅戸数の二分の一以上に引き上げてもらいたい。そうしてその
建設費及び
既設公営住宅の
補修に要する経費は、
高率国庫補助とし、その他は
全額起債によって充当できるような
特別措置をはかってもらいたいというのでございまして、なお
災害公営住宅については、今回の経験にかんがみまして、なるべく
耐火構造とする、これはおそらく
永久構造という意味でございましょうが、特に
簡易耐火構造の二階建並びに
中層耐火構造を考えてもらいたい、これは各県でございましたが、
津波が来たときに一番最前列の家がみなやられて、それがまた
うしろの家をこわす、次々にこわしていく状態になっておりますので、海に面する
最前面の
建物は
永久構造物にして、
津波がきてもこわれないような家を最前列に建てたいという希望でございます。これは各県を通じての希望でございます。
それから
住宅金融公庫の
融資ワクの拡大と
融資条件の緩和でございます。
一般被災住宅の修繕及び
復旧等に、
住宅金融公庫の
融資ワクの
大幅増加をしてもらいたいというのと、
融資条件を緩和し、かつ
貸付手続の
簡素化をはかってもらいたいという
趣旨でございます。
それから
津波及び
高潮防災の
施設についてでありますが、これはしばしば
津波及び
高潮の
被害を受けておる
地域では、この根本的な
対策として
現地では
防浪堤とさかんに呼んでおりますが、いわゆる
防潮堤あるいは
防波形式のものを
全額国庫負担で
一つ至急にやってもらいたいという
要望が、これも
各地を通じての
要望でございます。
各県とも大体今の
宮城県の
要望のような点をそれぞれ
要望いたしておりましたが、それらはこの
報告書に書いてございますので、これでお読みとりを願いたいと存ずるのでありますが、要するにこの
災害復旧は比較的
土木関係の
金額は小さい、その
復旧金額も小さいのでございますが、
現地としては、今後また
津波が来てこういう
被害を受けることのないような、予防的な
措置の方に重点を置いていただきたいというのが
現地の強い
要望でございますので、この点を力説いたしまして私の
報告を終わらせていただきます。