○専門員(池田修蔵君) ただいまお手元に配布いたしました印刷物でございますが、これは、私がいろいろやはり従来とも
決算委員会のありかたについてのとかく疑問、どうも不審に思う点があるということを御質問を受けますものですから、私が去る三十一年の七、八月ごろから着手しまして、
調査室長としまして
意見をまとめまして、原案を作ったわけでございます。そうしてこれは私一個の考えを述べることも、それは
調査室長として述べてもいいかもしれませんが、やはり
事務当局としてのそう違った
意見を申し上げてもどうかと思いましたので、
委員部長、議事部長、それから
法制局の部長と協議をいたしまして、御了解を得ましたので、本案を外部に発表することはできませんが、御要求があればお配りしてもいいという意味で作ったものでございます。ただこれは
事務当局の統一見解というほどまだ決定的なものではございませんので、ここにカッコしまして仮案ということで御了解を得たいと思う次第であります。それで実はこれをずっと朗読しながら、少しぎこちない所を御
説明するのがあるいはよろしいかとも思いますが、きょうは時間がございませんから、少し端折りましてあと印刷物で御研究になりまして、あるいは私の口述につきまして御質問がございますれば、いかようにもお答えいたしますから多少端折って申し上げますから御了承願いたいと思います。
それからもう一つ、ぴらぴらのがり版で刷りました半ぴらの紙がございますが、これに書いてあることのごく概要を書きましたわけでございますが、これをまず最初に申し上げた方がよろしいかと思います。
「
決算の審議を一層有意義にするための
問題点につき左の諸点を述べている。」ということでございます。「一、現在
決算の議決は、法律案や
予算と異り内閣から両議院に別々に提出され、議決も両議院で別々に行っている。これを法律や
予算と同じく先議後議の両院交渉の議案とし、
国会としての単一意思を決定することの可否」そういう点をまず四ページから五ページにかけて述べております。
それから第二としまして、
決算の
審査は実質的にいかなる効果を有しているかを述べております。
決算の
審査をやっておりますが、これは実質的にどういう効果を有しているかということを述べ、かつそういう効果の性質に基づいて議決の方式もきめるべきであるということを述べております。
それから三番目には
決算審議を有意義ならしめるにつき、その審議をやりますときの着目点と具体的な運び方について、どうすればより有意義であるか、という大体要領をかいつまんで申しますれば、この三点について述べているものでございます。そこで多少端折りますけれども、初めの方はやはり大事でございますから、初めの方を朗読しながら御
説明さしていただきます。
「先ず現行憲法上
決算はこれを
対象として
国会の議決(両院交渉の議決)を要する議案とすべきか又はすべきでないかの問題である。」これはつまり法律とか
予算は両院交渉の議案としまして、先議後議の
関係で
国会単一の意思を決定しておりますが、
決算は先ほども申しましたように両院別々にございまして、議決も両院別々にやっておりますが、今の慣行と多少違って、いや、そうじゃない、法律案や
予算案と同じような議決の方式にすべきがいいじゃないか、いや、そうしてはいけない、かえって今の方がいいのだという両方の問題があるということでございます。これが形式的なことではございますけれども、とかく議論になる要点でございます。
それで二行目の先を続けて読みます。「法律案、
予算、条約、予備費
支出に付ては、之に対する
国会の議決、又は承認、承諾を要することが憲法に明定してあるが、」つまり法律や
予算は議決いたします。条約は承認をいたします。予備費
支出は事後承諾をいたします。こういうふうにしましてこれが憲法に明定してありますが、
決算においては憲法の第九十条において「内閣がこれを
国会に提出しなければならない」と規定してあるだけで、これに対する
国会の取り扱いを規定しておりません。どうしろということの規定がないから説が分かれるわけでございます。大体において二説ございまして、前者すなわち
決算に対して各議院は別個の議決をなす、今の慣行はそうでございます、のが妥当で両院交渉の議案とすべきでないとの説を
報告説と申します。このしかし
報告説にも種々ございまして、その一つは「
決算を各議院が
審査しこれに対し何等かの形による意思決定をなし得るし、又なすべきである」、それは
報告といいながらも、ただ
決算を
報告として受け取るだけではだめである。何らかの形による意思決定をなし得るし、また、なすべきであるとするものが多数ございまして、
決算を単なる
報告として
国会が受理して内容を
調査するにとどめればよい、という意味の
報告を取っている人は、きわめて少ないのでございます。ただ内閣が一たん提出すれば、一会期に審議未了であっても次の会期に再提出を要しないという点で、
決算を
報告という意味では、まあ、
報告と解してもよろしいかと思います。
そこで、「右の意思決定の方式として議案説は両院交渉の議案として
国会の単一意思の決定をすべきものとしているが、その論旨には強弱の差があり、」この議案説にもいろいろの説がございまして、議案説というから一本かといいますと、そうじゃございません。議案説の何といいますか、左の端と
報告説の右の端とはほとんど同じくらいのものでございます。そういうふうに「論旨には強弱の差があり、理由とするところも多少感覚の差はあるが、概ねは次の点に帰着する。」
これは要約しますと大体こういうふうでございます。つまり「憲法九十条には単に『
国会に提出しなければならない』とあるだけで、
国会に於ける取扱を明定はしていないが、憲法第四十一条の国権の最高機関たる性格及び第八十三条の
財政国会中心主義より判断されるものとして、次の様に」申しております。「即ち新憲法は主権在民の思想に基き、第四十一条で『
国会は国権の最高機関たる唯一の立法機関』なる旨を明定し、又第八十三条で、
財政処理の権限は
国会の議決に基いて行使しなければならないと規定している。」これらより観察しまして「
国会は
決算という
財政処理の最終段階に対しても監督権行使としての議決権を有している。」
決算に対しても、法律や
予算に対して議決するがごとく、議決権を有しているのだという説がございます。「それには
国会としての単一意思を決すべきである。尤も第八十三条は主として将来の守るべき規範を定めるもので、
財政処理の実績たる
決算に直接の適用はないとするも、
財政処理は
国会の議決した規範」法律または
予算のことを一応規範と申します。「などに基いて行わねばならぬことからして、その執行の結果の締め括りを付けるにも、
国会一致の議決によるのが当然であるとし、その議決の内容は
決算の承諾(又は不承諾)」にするかもしれませんが、承諾か不承諾であるべしという
意見でございます。
それから「又両議院の意思の不一致」がありますと内閣はどっちに従ったらいい、「適正に苦しむことも
国会一致の意思を要する根拠と」いたしております。「只現在の様に内閣は
決算を各議院に同時に提出し、各議院で別々に議決している取扱も真正面より憲法に違反するものではない」、違反するものではないけれども、先議、後議でやる方が憲法の精神には合うでしょうという程度でございます。
報告説の論旨を申し上げます。次のようである。「現行憲法には
決算を
国会に提出しなければならないとあるだけで、予備費
支出と異り、
国会の承諾を要するとの規定もなく、」これはございません。提出せよとは書いてございますけれども、予備費と違いまして、「
国会の承諾を要するとの規定もなく、又これを
国会が議決すべしとの明文もなく、その他の条文より見ても
国会一致の議決を要するとの根拠がないとし、又憲法には両院意思の不一致の場合の調整を図る規定がない」、つまり不一致の場合には両院協議会を開いて修正
意見があったら、回付してやるとかいうふうな、そういう調整をはかる規定がございません。こういうことも議案説に反対する理由といたしております。「或学者は両院交渉の議案として議案とすることは違憲である」、議案として憲法は実質的に憲法違反であるということまで言う学者もございます。これは京都大学等にそういう説があるようでございます。
それから、そこまで申し上げまして、その次に批判をいたしておりますけれども、その批判の点はきょうは少し時間の節約の
関係で省略いたしまして、五ページに飛んでいただきます。それを批判するところだけを省略させていただきまして、五ページの二行目でございます。「ようするに現行憲法にはこの点につき何れかの取扱を要求する直接の明文の規定がないし、又各種の条文から間接的に推論しても何れかの取扱が憲法に違反すると断定することはできないと思う。」これは明文がございませんから、あくまで学者がいろいろ議論するだけで、確たる証拠はございません。「そこで次の問題は右二つの方法のうち何れの取扱をするのが現行憲法に一層よく適合するか、又
国会に於ける
決算の審議議決を一層有意義ならしめるか、即ち何れの方式を採択するのが憲法の運用上妥当であるかの差異が生ずるに過ぎない」ものと私は考えております。そこで、それじゃお前がどう考えるかという結論がくるわけでございますが、私はこう考えます。「これ等の点を解決するには、先ず内閣の提出した
決算の
国会に於ける
審査及び議決の意義及び内容を
検討」まずこれを
検討したい。これを申しますのは、これはまことに私少し僭越なことを申して恐縮ではございますけれども、これまでいろいろ参考人の
意見を聞き、著書を読みましても、憲法学者は憲法の面だけでものを見ている。
検査院は
検査の面でものを言う。
国会は
国会の議決の方式からものを言う。大蔵省や内閣の
法制局は
決算とはいかなるものかという面からものを言うものですから、どうも言うことがちぐはぐで、
意見が違うとか何とか言いますが、これでは違うのがあたりまえです。幸いにして私は
国会に藉をおかしていただいております
関係で、憲法のこともかじっておるし、
決算のこともかじっているし、
国会運営のこともかじっているわけですから、これを総合的に判断して、こういう見解を出すのに非常に便利な地位に置かしていただいておるということを私幸いに思っている次第でございます。
そこで余談はさておきまして、それじゃお前はどう考えているかということが、五ページのうしろから五行目でございます。「憲法九十条及び之に基く
検査院法によれば
決算は会計
検査院が
検査した上これを確認して
検査報告を作成し、法律違反、
予算違反又は
不当事項」、「又は
不当事項」といいますのは、不
経済とか、非能率とか、物を買い過ぎたとか、
計画が悪くて無むだの
工事をやったというような一般的な
不当事項でございます。「その他一定の
事項」これは
不当事項を問うばかりでなくて、
検査報告には各種のことが書いてありますから、「その他一定の
事項を掲記すべきことになっている。この
検査報告は
決算と共に
国会に提出すべきものである。内閣が
決算を
国会に提出せねばならぬ目的、及び
決算の提出を受けた
国会に於ける
決算の
審査及び議決の意義は我憲法上大体次の様に考えることが出来る。」これは私の私見でございます。
そこで、六ページに参りまして、「内閣は主権たる国民の負託を受け、その血税を主な財源とする
財政処理の実績を主権者(の代表)」——主権者の代表、主権者に見せるということは、つまり
国会に見せればよろしゅうございますから「主権者(の代表)に示して、負託の執行に対する批判を受けるためである。しかして、内閣の
財政処理に対する批判行為の第一次的の機関として憲法は
検査院を置いている。」第一次に政府の
財政を批判するのは
検査院でございます。「その
検査院の
財政処理批判の
主要部分は
検査報告に掲記されている。その
検査報告事項の中核を占める違法
事項、
予算違反
事項、その他の
不当事項は法律的、
事務的には既に
検査院が判定確認したものであるが、それに加うるに更に
国会は何らかの形に於ける意思決定を為すものと考える。それは
国会が最高機関として、行政府たる内閣に対する
監督者として、殊に内閣の
財政権行使に対する統制者としての立場から行うもので、政治的意義を有するものと云えよう。その作用は
検査院が
決算に対し法律的、
事務的に判断する静態的作用に加えて国民の代表として断定し宣言するもので、その断定宣言は内閣の責任を追及しその意思と国民にも反映させる動力的作用(又は発動力)」——これも私の独自の言葉でございますが——そういう動力を持っておる。
国会というものは動力を持っておるのだと、「を具有するものである。」カッコの方は、あとでまた申し上げます。もう少し申し上げます。
「而して
国会の議決は
決算を
対象として承諾(又は不承諾)を与えるべきものか否かは憲法上の明文もなく、断定は困難である。又はそれは意思決定の形態上の論議に過ぎないものである。成程
決算を
対象として承諾するとの形態を持たせることは議決の形態を整えさせ、荘重感を加えることは確かであろう。しかし
決算の審議議決の意義は更に実体上から考えて行かねばならぬ問題であると思う。しかして
国会に於ける
決算の審議議決の内容及び効果は」これを三項目に分けまして、私はこういうものだと思います。「(一)
財政処理の実績を批判して、法律違反、
予算違反又は不当であると断定宣言し、政府を論難攻撃してその責任を追及し、且つ行政の監督作用として政府自らの反省を促し、政府が自発的に
批難事項の是正その他の処置、対人的処分及び将来の
改善策を講ずることを推進せしめること。(二)
財政処理の実績を法律違反、
予算違反又は不当と断定宣言し、それがそのまま将来の
財政処理に対する鑑又は指針を示し、又引いて将来の
改善処置の方向をも附加要求することとなること。(三)
国会が
決算審議の結果、憲法第八十三条に基き
財政処理の規範を定めるについての基盤ともなり、」これは政府の方でやる。その基盤を
国会が提供するということでございます。「規範を定めるについての基盤ともなり、又この規範設定の機能発揮を促す作用もあることにあると思う。」
そこで、こういうふうなものであると思いますので、私の説としまして、議案説
報告説かということになりますと、結論だけ申し上げます、簡単に。さっき申しました法律違反とか
予算違反というものは、私は議案説に近いのでございます。それからその他の
不当事項——不
経済とか非能率とかいうことについては、
報告説に近いのでございます。といいますのは法律や
予算というものは、
国会が両院一致の意思をもって
国会の単独意思をきめたものである、その意思に違反したと断定するには、おれたちが作った法律はこういうものであるということを、
国会が意思解釈するわけですから、そのときにはやっぱり両院一致の意思を決定して、これは法律違反であるとおっしゃった方が適当であろう。しかしながらその他は一般行政の自由裁量にまかせる。内閣にまかせた
事項について
国会が批判するときには、参議院は参議院、衆議院は衆議院でおのおの政府を批判してもいいじゃないか。つまり大臣に対する不信任の決議は各院別々に出せることでもありますから、行政府の責任を追及するのには単独の院の決定でもいいのではないか。これは
報告説に近いのであります。私のは悪くいえば折衷説かもしれませんが、理論的にはそういう説をとっているわけであります。