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政府委員(山内一夫君) この問題、実は検討申し上げると、なかなか複雑な問題でございますが、
笹森委員の御
質問があるということを四、五日前に伺いましたので、各省集まって相談した結果にわたりますが、私
法制局といたしましては、歯舞、
色丹に対するところの
施政権というのは、先ほど
笹森先生おっしゃいました
通りに、一九四六年一月二十九日の
覚書によりまして、一応
日本の本来の
施政権から分離されたという実情があるわけであります。そこでこの
施政権が分離されたということは、
日本の
政府が属地的管轄権を歯舞、
色丹に対しては持たないという事態になったと思うのです。こういう事態は沖縄、小笠原についても、
平和条約の発効後の状態を
考えますと、今の小笠原、沖縄と同じ事態になるわけでございます。その
施政権が分離され、そうしてこの
施政権が
ソ連の行使するところとなりましたその事態と申しまするのは、先ほど笠森先生のおっしゃいました、ハーグの
陸戦法規が予想していないところの一つの
占領行政の形態がそこにでき上ったというふうに私
どもは
考えるわけであります。これは大体におきまして学者あたりもそういうふうに
考えておられるというふうに思っているわけでございます。
そこで、この
施政権が及ばなかったのが、ここに
ソ連の
施政権が入ってきたという事態におきましては、わが法令の属地的
効力が及ばなくなった、こういうふうに私
どもは
解釈いたすわけであります。従いまして、旧
漁業法の
漁業権に関する
規定は、歯舞、
色丹に及ばないということになった、こういうふうに
解釈いたします。
漁業権は物権としての
取り扱いを受けておりますし、物権としての法規というものはわれわれは属地法と、こういうふうに理解するからであります。そこで歯舞、
色丹におられた漁民の方々には非常にお気の毒ではございますが、そこで一応
漁業権は消滅したと、かように
考えるわけであります。
そこで領海の存在がどうなるかということは、もう一つ別の問題として残りますが、私
どもは最終的に歯舞、
色丹が
日本の施政下に復するということになった場合にはどうなるかという問題はあるわけでございますが、これは、御承知のように、日ソ共同宣言で、
日本政府と
ソ連政府との間に
平和条約ができたときには引き渡す、トランスフアーするということになる。ですから、引き渡される可能性を持っておるわけであります。しかも、われわれ
政府としては領土権を持っていると
考える。そのときには、歯舞
色丹の
漁業権がどうなるかということになりまするが、私の
考え方としましては、
占領から引き渡しの間に、
ソ連の
行政が行なわれている、この時間的な一種の空白のあとに、しからば
占領の当初にわれわれがなくなったと
解釈しているところの
漁業会の
漁業権というものは、そこでもってなくなった、完全になくなったというふうに取り扱っていいかと申しますと、私はこれは条理の問題でございますが、そうではないというふうに思うわけでございます。引き渡されたときに、
日本の
施政権がずっと入っていく際に、引き渡しについて奄美大島等が復帰したと同じように、経過法がおそらく法として要ると思いますが、その際には、かつて
昭和九年にあった
漁業権というものの存在が
昭和二十一年になくなった、この事態を
考えながら、その空白
期間は、やはりそこに眠っていたという理解のもとに、そこに復活して
考えていくべきものであろうというふうに一応思うわけでございます。ただ、その
漁業権のあり方につきましては、旧
漁業法と新
漁業法の
考え方が違っております。それと同時に、
漁業会というのは、実を申しますと戦時中の組織でございます。その後
水産業協同組合法ができまして、新しい組織も生まれております。そして新しい
漁業法にのっとった
漁業権を、そこに歯舞、
色丹等にも付与すべきである。しかし、そこで、もと持っておられた、
漁業会を構成していらっしゃるところの方々が、その
漁業権の本質的な担い手だと思いますが、そこに一つの
補償をして、そうして新らしい
漁業権制度を打ち立てていくというふうに
考える。つまり、歯舞、
色丹等が引き渡されたときに、そのときに新
漁業法を
施行するというような
考え方で、文字
通りには
施行されませんけれ
ども、その時間的空白がございますから、ある種の修正と申しますか、モディフィケーションが必要だと思いますが、そこで、引き渡されたときに、新
漁業法を
施行する、こういうふうな形で進む、そういうふうな形で経過法を作っていくというふうに
考えるべきじゃないか。そういう意味において、私
どもは、
占領の当時あった
漁業権というものを、一応今はないと思っておりまするが、それは全然ないわけではなくて、復活の可能性のある
漁業権として理解すべきではないか。ただ、今現在においては、
漁業権というものはないものである、こういうふうに思うわけでございます。
そこで、
漁業会の存在がどうなるかということでございまするが、これは民事局長が御説明になりましたように、私
どもとしては、一応先ほど民事局長お述べになった条文に該当して、一応あそこで
清算法人になったというふうに
考えるのが当然ではないか、かように
考えるのであります。それなら片一方においては
施政権がないといい、片一方においては、
漁業会に関する法令ではあるかのごとく
答弁しておるのではないかというふうな御疑念もございましたが、それはたしかにそういう御印象をお受けになるのはもっともと思いますが、私
どもは一応
漁業会に関する
法律というのは、
漁業会という
法人に関する
法律でございますから、そこは属人法として理解しまして
色丹に設立された
漁業会もそういう意味においては一応は
法人格を持ち得る。ただ
清算法人として現在のところは存在しているのじゃないか、こういうふうに理解するわけです。
お答えになるかどうかしりませんが…。