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1960-02-17 第34回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年二月十七日(水曜日)     午前十時二十二分開議  出席委員    委員長 小川半次君    理事 上林山榮吉君 理事 西村 直己君    理事 野田 卯一君 理事 八木 一郎君    理事 井手 以誠君 理事 田中織之進君    理事 今澄  勇君       青木  正君    井出一太郎君       江崎 真澄君    岡本  茂君       加藤 精三君    川崎 秀二君       久野 忠治君    倉石 忠雄君       倉成  正君    小坂善太郎君       櫻内 義雄君    田中伊三次君       綱島 正興君    床次 徳二君       保利  茂君    松浦周太郎君       水田三喜男君    山口六郎次君       山崎  巖君  早稻田柳右エ門君       淡谷 悠藏君    岡  良一君       木原津與志君    北山 愛郎君       島上善五郎君    滝井 義高君       楯 兼次郎君    堂森 芳夫君       永井勝次郎君    横路 節雄君       佐々木良作君    鈴木  一君   出席政府委員         行政管理政務次         官       新井 京太君         北海道開発政務         次官      大森 玉木君         自治政務次官  丹羽喬四郎君         経済企画政務次         官       岡部 得三君         科学技術政務         官       横山 フク君         法務政務次官  中村 寅太君         外務政務次官  小林 絹治君         大蔵政務次官  奧村又十郎君         大蔵政務次官  前田佳都男君         文部政務次官  宮澤 喜一君         厚生政務次官  内藤  隆君         農林政務次官  小枝 一雄君         通商産業政務次         官       内田 常雄君         運輸政務次官  前田  郁君         労働政務次官  赤澤 正道君  出席公述人         全国中小企業団         体中央会会長 山屋八万雄君         民主社会主義研         究会議事務局長 和田 耕作君         産業経済新聞論         説委員     西谷弥兵衛君         埼玉大学教授  秦  玄竜君  委員外出席者         議     員 久保田 豊君         専  門  員 岡林 清英君     ————————————— 二月十七日  委員周東英雄君、小平忠君及び堤ツルヨ辞任  につき、その補欠として倉成正君、門司亮君及  び佐々木良作君が議長指名委員に選任され  た。 同日  委員倉成正辞任につき、その補欠として周東  英雄君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和三十五年度一般会計予算  昭和三十五年度特別会計予算  昭和三十五年度政府関係機関予算      ————◇—————
  2. 小川半次

    小川委員長 これより会議を開きます。昭和三十五年度一般会計予算、同特別会計予算、同政府関係機関予算について公聴会に入ります。開会にあたりまして、御出席公述人各位にごあいさつ申し上げます。本日は、御多忙のところ貴重なお時間をさいて御出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員長といたしまして、厚く御礼申し上げます。  申すまでもなく、本公聴会を開きますのは、目下委員会において審査中の昭和三十五年度予算につきまして、広く学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算審査を一そう権威あらしめようとするものであります。各位の忌憚ない御意見を承ることができますれば、本委員会の今後の審査に多大の参考になるものと存ずる次第であります。議事山屋さん、和田さんの順序で、御一名ずつ順次御意見開陳及びその質疑を済ませていただくことといたしまして、公述人の御意見を述べられる時間は、議事の都合上約三十分程度にお願いいたしたいと存じます。なお念のため申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また発言内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっております。なお委員公述人質疑することができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承いただきたいと存じます。それではまず全国中小企業団体中央会会長山屋八万雄君より御意見開陳をお願いいたします。
  3. 山屋八万雄

    山屋公述人 私はただいま御紹介を受けました山屋八万雄でございます。本日は、私ども中小企業意見を三十五年度予算に対して聞いてやろうという機会をお与え下さいましてまことにありがたく、厚く御礼を申し上げる次第でございます。三十五年度中小企業対策予算につきまして、過日御送付いただきました予算内容を拝見いたしまして、その中から特に中小企業に対するところの問題を抜粋いたしまして、本日所見を述べさせていただきたいと思うのでございます。私の申し上げますことは、私どもは平素うちに帰りますと、中小企業の実際の仕事をいたしておりますし、また一歩踏み出ますと、中央会その他におきまして、中小企業指導等をいたしておるわけであります。特に中小企業設備近代化補助につきまして、三十五年度予算十三億円、昨年度は十億円でございましたが、三億円ふやしていただいた。これは私ども非常に関心を持っておるものでありまして、今日中小企業の中でも小から零細方々は、もはや機械と申しましても時代おくれでありまして、人を雇うにつきましても、工場が古い、機械が古いということになりますと、容易に人もこの節では雇えないわけで、小から零細方々は、何とか楽な資金機械の購入をいたしたいということが常に悩み一つでありまして、これに対しまして、こうした国が親心を示し、さらにこれに対しまして都道府県が同額を加えまして貸付をいたしておるのであります。今年は増額をいたしていただいておりますが、昨年の地方庁の貸付を見ましても、借り入れ要求の四分の一くらいにしか貸付ができないようなわけでありまして、どうかこうした国の財政のことでもありますから、一度にこれらを満足させるようなこともできますまいが、できますならばもっと徐々にふやしていただきたいということをお願いを申し上げ、大へんけっこうな予算であるということを申し上げる次第であります。  次に小企模事業対策費でございますが、これに対しまして四億三百六十万円の三十五年度予算であります。三十四年度ばわずか六千二百十九万円でありましたが、申し上げるまでもなく、小から零細業者が非常に多いわが国でありまして、ことに工業におきましては従業員が二十人以下、商業におきましては五人以下のものが最も多いので、大企業との格差が非常にはなはだしいのであります。従来これに対する施策というものはきわめて不十分でありまして、これらの指導にあたりましても大へん困難を来たしておったところであります。今回この大幅な予算を通して、これらの業者育成指導をしていこうということは大へんけっこうなことでございます。ただしこれに対しまして悩みと申しますか、何と申しますか、私が本日全国中小企業団体中央会の副会長として選ばれて、この公述人となっておるわけでありますが、先に誕生した中央会の方は、予算の面では非常に貧弱でありますが、仕事の面ではこれと重複するようなことをやっておるわけであります。これが執行にあたりましたら、競合、重複等の問題を十分避けるような指導方針をとっていただかなければ相ならぬと思うのであります。この点を御留意なさいますように申し上げておきたいと思うのであります。次に、中小企業振興事業強化費についてでございますが、三十五年度が二億四千四百八十二万円、三十四年度が一億九千二十七万円、これに比較いたしますと三〇%の増でありますが、本年度は、目下話題の中心になっておりますところ貿易自由化、これの問題に対しまして、大企業の下請をやっております中小企業といたしましては、非常に悩みの種になっておるわけであります。さらに一方労働問題では、最低賃金法の制定に基づいて、これらの急速な普及の情勢に対処して、中小企業は緊急欠くことのできない課題の山積しておる今日でありまして、これがための一般的の対策としては、増額をした予算と申しながらも、まだまだ非常に不足ではないかという感がするわけであります。今後もっと高度に中小企業を引き上げようとするのにはいろいろな問題が起こって参りますが、とりあえずこうした予算を年々組んでいただきまして、徐々に引き上げることは大へんけっこうなことでありまして、非常に私ども喜んでおる次第でございます。次に中小企業等協同組合共同施設費補助でございますが、これも三十五年度一億七千五百万円、三十四年度の一億四千五百万円に比較いたしますと、三千万円の増額でありまして、これは零細業者にとりましては、今や零細業者はやはりこれも人を求めることにおいていろいろ困難を来たしておる時代でありますので、いやが上にも共同施設という羽目に追い込まれつつある今日でありまして、これをお考え下すってこの補助金を交付されますることは、国民生活安定の上に非常にお役に立つことと存じておる次第であります。願わくはこうした補助金増額をもっとちょうだいして、今や家庭工業のような方々にどんどん共同施設をさせまして、そうして一家の生活の安定をはからなければならぬ今日の情勢に追い込まれておるようなわけでございます。次に中小企業団体中央会補助金でございますが、これは我田引水のようなことになるかも存じませんが、全国を通じた五千万の予算では、何としても二階から目薬のような観があり、役に立たないというようなことにも申し上げられるのでありますが、本年度先生方を通じて一千四百四十八万円の増額をいただいたといたしましても、この増額は、いろいろ発生する労働問題の指導員を置くということにおいて、やはり指定予算でありますので、中央会自体の使い道というわけにはいかないのであります。そこで中央会といたしましては、さきの問題と重複をする、今度発足をいたしますところの商工会なるものと比較をいたしますと、もうすでに発足して四年間活動いたして、しかもその効果は目に見えないとは申しながらも、全国を一丸として指導いたしております関係上、今度の商工会の予算から比較いたしますといかにも微々たるものであります。この点は非常に私どもなげいておる次第であります。せっかくと仏を作って魂を入れないとも申し上げたいほどのわずかな中央会予算であります。できますならば、中央会予算特段な御配慮が願えれば大へんしあわせと存ずる次第であります。次に金融公庫等の問題でありますが、中小企業金融公庫につきましては、三十五年度三百十五億円、三十四年度が二百七十五億円でありますから、約四十億の増額をされたことは大へんけっこうなことでございまして、これに関しては一般中小企業方々も非常に喜んでおるところでございます。ただしここに借り入れをしようとしての悩みは、いずれもこれは担保貸し出しでありますが、もはや中小企業には非常に担保が少なくなっておるということでありまして、さらにこの担保を提供いたしましてその査定を受けます場合に、非常に担保査定が辛いというようなことも常に伺っておるわけであります。公庫の方では、聞きまするところ、さらに新店舗を各所に増築をしてどんどん貸し出しはふやすということを申されておりますが、貸し出しにあたって実際上あまりに辛い査定をされるようなことがあるとするならば、直接貸しということは有害の方がはるかに多くなるのではないかというようなことも考えられます。今後店舗をふやすよりは、むしろ代理貸し機関をふやして、保証の足りないところ代理店保証を加味して、どんどん増額された貸し出し執行されることが、大へん中小企業のプラスになることと存じまして、一言申し上げておく次第であります。さらに国民金融公庫でございますが、これも三十五年度二百九十億円、三十四年度が二百五十億円でありますから、四十億円の増となっておるわけであります。国民金融公庫執行にあたっては非常に喜ばれておるところでありますが、ただしここに一つの問題は、法人個人に対する貸し出し最高限度の差がはなはだしいのでありまして、すなわち法人は二百万円まで、個人は五十万円ということでありますが、今日個人で営業をやっておりまして、五十万円の借り入れを申し込める方というものは、中小企業法人組織というものは大部分が同族会社でありまして、かりに税金の査定を受けるときにおきましても、ほとんど申告通りに通して下さるようなところはなくして、必ず査定ということが加味されておるわけであります。してみますならば、税務署の取り扱いが個人と同じように扱われておる会社でも、法人という名前があるだけに、この国民金融公庫貸し出し法人という名前の方には二百万、個人はいかに内容がどうであろうと、五十万ということになっておりますと、非常に格差がはなはだしい。これは先般も青色申告会大会に参りましたところが、ぜひこの格差は直してもらいたいというようなことを中央会に対してお話があったわけで、特に一つ賢明な諸先生方の肝いりでこういう点を一つ改革をしていただきたい、この点をお願い申し上げておく次第であります。次に、中小企業信用保険公庫でありますが、これに対しましては、去る十二日にも商工委員会公述人として呼び出されまして、若干意見を申し上げておきましたが、この信用補完制度が今日までは保証協会信用保証融資保証、こういう二手になっておりましたが、今度は法律を改正して融資保証の方は削除して保証一本にするということでありますが、せっかく国がこうした機関をこしらえましても、これが保証協会の上にすわって資金のパイプにすぎないということにおきましては、この執行のいかんによっては悪いことはないのでありますが、要するに、たまたま地方の保証協会というものは、そうした資金のルートによって大ワクを変えて横暴なことをするきらいがないでもないのであります。従いまして、この保証協会制度というものはもうすでに申し上げるまでもありませんが、保証協会担保もなし、保証人もないが、事業調査の結果非常にいい仕事だ、これに対して金を貸せば伸びるのだ、必ずよくなるのだということにおいて保証協会制度というものができたわけであります。ところがこの保証協会保証するから何か担保はないかというので、まず金融機関の窓口と同じような形になっておるわけであります。保証協会はから手で保証するのではなくて、要するに担保をとって保証する、保証協会そのものはころんでも損をしないというような行き方であるとするならば、保証協議会資金を流して保証協会が好きな銀行にその金を回してやるということは、保証協会の力をつけるものであって、中小企業に対しての力づけということには、あまりクッションが入り過ぎるのではないか、少し遠ざかったきらいがあるのではないかというようなことは申し上げられるわけであります。この点は一つ特に申し上げておく次第であります。  次に、商工組合中央金庫につきまして、これはもうすでに諸先生方にも中央会大会のつど、われわれ中小企業者金融機関商工中金だということで、商工中金オンリーでやっているようなところが相当多いのであります。ところがなかなかこの金利が高い。もうとにかくこの金利の問題は非常に悩みとするところであります。私どももこの点はいろいろ研究いたしておりますが、今日商工中金出資は五十八億円でございまして、一般出資は二十億九千七百九十万円、これには年々配当を五分いたしておるわけでありますが、五分の配当というものは日歩にして一銭三厘七毛であります。政府出資が三十七億二百十万円でありまして、これは無配であります。これだけ無配出資をかかえ込んでおって、今の二銭五厘、六厘という金利は何としても高過ぎるということが、われわれから考えましても申し上げられるのであります。中小企業としては非常に商工中金にたよっておるものが多いのでありまして、何とかこの際、商工中金金利引き下げをいたしていただきたいということを特に希望されておるわけであります。  今年度外貨が自由になる、あるいは貿易が自由になるということになりまして、大企業の方から今度は資本面が変わって参りますと、もちろんいろいろ金利の変動もあろうと思うのでありますが、目下ところ中小企業のお願いするところは、商工中金融資の対象といたしておりまして、商工中金金利引き下げということを毎年大会のつど決議をいたしてお願いいたしておるわけであります。この点は特段の御配慮をお願い申し上げ、同時にいろいろ所見を述べさしていただきましたことを感謝申し上げまして、私の所見といたす次第でございます。(拍手)
  4. 小川半次

    小川委員長 ただいまの山屋公述人の御発言に対しまして、御質疑があればこの際これを許します。上林委員
  5. 上林山榮吉

    上林委員 山屋公述人にお伺いいたします。ただいまの公述を承っておりますと、三十四年度中小企業関係予算に比べて三十五年度予算はそれぞれでこぼこはあるが相当増額されておる。これはけっこうであるが、その中で特に留意していただきたい点は、中央会に対する助成金が非常に少ないという御指摘でございました。これは公述にもありました通り指定的な補助を組んで一千数百万円増額しているわけでありますが、あなた方がほんとうに要望されておる額は、これぐらいあったらこれぐらいの建設的な仕事ができるのだという、そのめどは一体どの辺にあるかという点が一点。  第二点は、小企業金融公庫増額も四十億円あった、あるいは国民金融公庫増額も昨年に比べて四十億円ふえた。これはいいことだが、しかしながら中小企業金融は、主として商工中金方面関心が深いのだからそれについては金利が高い。この金利をどの程度に——これは安いに越したことはないのですが、この程度であったら貿易自由化、その他に対処していろいろ中小企業の助長ができるのだというような点。  それから最後に一括してお尋ねしておきたい点は、われわれは貿易自由化はこれはどうしてもやらなければならぬ。それについてはものによって段階を追うてそういう道を開くものもあるし、業種によってそれぞれまた区別をして考えていかなければならぬ問題もあるが、いずれにしても今の状態においては勇気を振ってやっていかなければならぬと考えているのですが、その結果中小企業にどの程度の影響をどの方面に及ぼすのだというふうにお考えになっておるか。  具体的にいろいろお尋ねしたいことも多いのですが、時間の関係もあるので、この三つの点、特に最後の点は遠慮なくおっしゃっていただくことがいいのではないかと考えております。
  6. 山屋八万雄

    山屋公述人 お答え申し上げます。中央会予算は一億円お願い申し上げておるわけでありますが、本年増額をされましたあの金額指定金額でありまして、労働指導員を入れる、それに対するところ金額でありますから、今度はそれに非常にプラスして人を入れなければならぬ。ところが実際上の問題として、この交付を受けております程度で人を何人雇えという指定をされるわけであります。ですから、その金額によってその数を入れるということにおいてはいい人は求められない。この節安い給料でいい人を求めようといったところで、中小企業の中にもみんな相当りっぱな人がおるわけです。その上に立って指導するということは、その人よりももっとりっぱな人を入れなければならぬということにおいて、この労働指導員の分として増額をされたこの分自体も、人員に当てはめたところ増額でありますから、大へん不満といたしておるところで、少なくとも私どもがお願いいたしております一億円の予算はちょうだいしなければ、満足な仕事はできないというように考えます。明細は後日文書をもって提出をいたしてよろしいと思うのであります。この点で御了承願いたいと思います。  それから次の商工中金金利の問題でありますが、これは安いほどけっこうだということでありますが、しかしそれほどむちゃなことを申し上げるわけでなく、銀行でも二銭四厘、とにかく銀行で二銭三厘、二銭四厘という金利の相場を出しておるわけでありますが、ただしこの銀行で借りられる人というものはなかなか中小企業には少ないのです。銀行で百万借りられる人は、常に当座の残高無利息で三十万ぐらいの残高を常に遊ばしておく人でなければ、百万、百五十万という金は借りられない。従いまして無利息で三十万遊ばしておくとすれば、金利は二銭四厘で借りたものも、やはり二銭七、八厘についてしまうわけであります。中小企業銀行を相手にせず、商工中金を無二のたよりにするところはそこにあるわけであります。そこで商工中金金利、この金利と申しますと、まず仕事をするについてこれだけの仕事をする、これだけの金を借りる、金利はこれだけかかるというのでありますが、いざ借りる面になると、金利が二銭八厘になった、三銭になったということになりますと、どうしても今後は予算が狂うわけでありますから、商工中金金利の妥当というものはやはり二銭、高くて四厘ないし五厘というところで、七厘、八厘という数字は出ないように抑制していただきたい、これがお願いするところであります。  次に、貿易自由化によって零細な商家の方々がどういうふうな心配をされておるかということでありますが、これはまだばく然としたことでございまして、たとえば昔の濱口内閣のときに金解禁をして、当時は非常に宣伝をして、金解禁をすれば、日本国に非常に利益があるのだということを言っておりましたが、オープンにしたその後たちまちにまたそれを封鎖しなければならぬというようなことで、貿易自由化によってまず外国資本で押されるだろうということと、輸入製品によって中小企業の品物が圧迫されるだろうというような点で、ばく然といたしておりまして、まだその点は私どもの頭ではそう深いところ研究をいたしておらぬわけであります。これからこの問題と取り組んで中央会に別の委員会を設けて、特にみんなの意見を聞いて研究をしようということになっております。大へん恐縮でありますが、この程度一つお許しを願いたいと思います。
  7. 小川半次

  8. 永井勝次郎

    永井委員 山屋さんに二、三お尋ねしたいと思うのであります。第一に予算でありますが、一兆五千数百億の予算規模産業投融資関係ではやはり六千億に近い規模、そういう大きな予算金融規模の中で、中小企業に対する予算の配分というものが、中小企業立場から見て、これでけっこうでございますというような状況であるかどうか、これを伺いたいと思うのであります。産業関係事業所関係でいえば、九九%までが中小企業だ、従業員関係では八〇%以上が中小企業関係だ、これほど膨大な数を持っている。その数に比例して、また中小企業の置かれている現在の経済的な実勢の上に立ちまして、この予算規模というものは中小企業にとってけっこうでございますということが言えるかどうか。私たちの立場から申しますと、これは項目だけはたくさん並べてあるが、中身はさっぱりないのではないか。ただ見本のように予算を盛ってあるだけではないか、こう思うのですが、あなたのお考え一つ聞きたいと思うのであります。
  9. 山屋八万雄

    山屋公述人 お答え申し上げます。国家全体の予算から見ますときと、日本中小企業比率等から見ましたとき、これは何と申しましても決して満足な予算とは申し上げませんが、これまで中小企業が非常に冷遇されておったことは事実であります。これが着々こうした予算面に現われて参ってくることが非常に喜ばしいと申し上げたのでありまして、これで満足だということは申し上げておらぬわけであります。
  10. 永井勝次郎

    永井委員 もう少し詳しく内容に入りまして、たとえば中小企業関係の法律、最近幾つかできたものもありますが、その法律がほんとうに有効な形で動いているのかどうか。法律は作ったが裏づけとなる予算はない、あるいは金の裏づけがないというようなことで、ただ見せもののように法律があるというだけのことに終わっておるのではないか。こういう法律関係がたくさんあると思うのですが、あなたの立場から見て、そういう法律はどうなっておるのか。  それから税金関係なんかでも、中小企業が恩典に浴するようないろいろな税の関係はほとんどないのではないか。大企業については租税特別措置法等によって年額膨大な、一千億に近いような減額措置が講ぜられているが、中小企業にはほとんどないのじゃないか。そういう関係をどういうふうに比較されてお考えになっておるか。あるいは金融関係でいえば、制度金融という関係で、やはり信用の点でしぼられてくる。そうしてそのコマーシャル・ベースに乗らない金融についてはいろいろな制度で補完的な保証であるとか、保険であるとかいろいろなことがなされるわけでありますけれども、そういうものが手数がふえ、関門が多くなればなるほど金利が高くなって、安い金利でやらなければならない中小企業が、かえって高い金利だ。そうして高い金利でも十分やっていけるような大企業関係については、いろいろな低利な金が貸される。しかも造船のように利子の補給とかなんとかいうものがある。中小企業にそういうものがあるのかどうか。中小企業の皆さんは、こういうやり方で——政府の今の中小企業対策で、前に比べたら予算が幾らかふえている、こういうことは言えるかもしれないけれども中小企業の系列の中だけで見ないで、もう少し目を広げて、縦横にらみ合わしてみて、世間並みにひどく虐待されておるではないかという感じをお待ちにならないかどうか、この点をもう一つお伺いします。
  11. 山屋八万雄

    山屋公述人 きょうの私の立場公述人でありまして、いろいろ窓口を広げますと、これは枚挙にいとまもないほど問題は出て参ります。けれども立場のやむを得ざるところ一つ御承認を願いたいと思います。法律問題にいたしましても、いろいろできておりますが、その裏づけの予算がありませんので、これはやむか得ないという泣き寝入りになっておるようなこともございます。さらに税金の御指摘の面におきましても、事業税の撤廃等においては再三再四お願いをいたしておるわけでありますが、これもなかなか実行にはいかぬという点もございますし、さらに金融の面におきましても中小企業金融ということになりますと、それでは公庫を作ろうとか、今度のお医者さんの問題でも、じゃ医療金融公庫を作ろうというような、すべて半分政府機関のようなものだけができている。従ってこれに金利を食われる。現存の金融機関の窓口を使えば、ほんとうのわずかの手数料だけで済む問題が、そういったような固定した、年額幾らという予算を持ってかからなければならぬような公庫とか、金庫とかいうところ金利を食われるということもいなめない事実でありまして、こういう点の問題等を考えますと、決して満足とは申し上げませんが、公述人としての立場はこの程度ところしか申し上げ得られないということを御了承を願いたいと思うのです。
  12. 永井勝次郎

    永井委員 公述人立場でほんとうのことが言えないということであればこれはやむを得ませんし、本日のお立場もありますからけっこうでございます。  それじゃ次に最低賃金、それから共済制度、こういうものの実施状況がどういうふうになっているか、そしてそれが実施の状況が非常に思わしくないというなら、その思わしくない原因がどこにあるのか、それを個条書きでけっこうでございますがお教え願いたい。
  13. 山屋八万雄

    山屋公述人 お答え申し上げます。最低賃金は、私が申し上げるまでもなく、先生方は本職でありますが、中小企業にとって非常に悩みのありますのは、中小企業の方に参りますところの、かりに職員といたしましても職工といたしましても、まず一流、二流、三流会社でみな扱わない人間が来るわけであります。どっちかというと、ものを教えるのに、一流、二流会社で入社させる人たちは三月から四月で覚えてしまうが、これらが三年くらいかからなければ一つのものを覚えないというような、ぐっと程度の下の者が入ってくるわけであります。これが一律の最低賃金で押えられることになると、ばかを使って今度は金だけは一人前に出さなければならぬということになったら、言わずとしれて零細企業が立たないということになるわけであります。従いまして最低賃金の悩みというものはそこにある。世間の相場というものは中学卒業が幾ら、高等学校は幾らというように大体流布されておりますから、やはりそれよりもあまり下回ったこともできないだろうということで、悩み悩んでなかなか最低賃金の決定ができないということになっております。  それから共済事業の方でありますが、昨年の十一月から実行いたしております中小企業の退職金の共済の問題でありますが、これは私どもぜひ一つこれを立法化していただきたいとお願いした一人であります。当初の五カ年間というものは非常にばかばかしいのであります。でありますから、この退職金の方に加盟しようとすると、これはその間に生命保険会社とかあるいは貯蓄銀行のような方から、これに入りますよりもむしろ生命保険に入った方がお得ですとかいろいろそろばんをはじいて勧誘されますから、ついああした退職金の制度ができましても、これが思うように契約ができないということであります。利益はなくてもよろしいが、掛金をして損をしないように、当初の五カ年間の掛金をやむを得ず途中解約するような場合、あの五カ年間をもっと有利にする、それとまた中小企業、その主人公とともに長く貧乏でもいようというような人はない。大体ここで三、四年覚えたらいいところに行こうというので、中小企業はどっちかというと、職工の養成所のような形にこの節ではなっておるわけであります。ですから力を入れてかけてやって、結局本人もいなくなる、そのかけた退職金も損をするというようなことで、この発展性がないわけです。これに損をかけないような方法でいきますならば、とにかくかけた金は戻ってくるのだから、契約をしてかけておこうということになるのではないかというように私どもは承知をいたしておるわけであります。以上であります。
  14. 永井勝次郎

    永井委員 最後に商工会の設立の問題についてお尋ねいたします。中小企業といってもいろいろあると思うのですが、やはりずっと下の方は企業というべきでなくて生業だ、生業という範疇の関係のものは、これは経済政策とかそういうものではなくて、社会政策的なものが主になった内容のものが対策になっていくだろうと思う。それから上の方は企業として経済べースでいろいろな対策が立てられるでありましょうが、そういうふうに区別していかなければならぬ。従来商工会議所等においてはこれを一緒くたにして経済ベースでいろいろ対策をしていたから、零細の方が切り捨てになっていた。今度商工会はそういうところを見捨てた関係を手厚くやっていこうというのができたと思いますが、そういう関係の問題の多く発生しているのは都市だと思います。その都市における商工会議所というのは、従来そういう関係は不十分であった。そういうことは、百貨店その他のいろいろな下請関係の問題とか、従来起こってきた問題に対する処理が十分でなかったということで実証されておる。そうすると町村関係は割合都市に比べると安定した条件にある。そこへこの商工会ができた。そして都市の方の関係は従来のようにやはり商工会議所のベースでものをやっていくということになると、こういうやり方が適切でないかということが一つと、それから先ほど来のなけなしの予算で、中小企業が乏しい予算でやるというときに、商工会議所に相当多額な金を出す。こういうことは今中小企業対策として、商工会議所という指導的なものが、あなたの公述になったように二重、三重になりそうな、競合しそうなそういうものがほんとうに現在それほど必要があるのか、これが一番有効適切な手なのか。そうではなくて、これは中小企業対策というよりは、世間では自民党の中小企業の組織化、自分の陣営に引き入れるための、公費を使っての選挙運動、組織活動だ、こう言う人もあるのですが、私は、それほど現在必要に迫られてはいない問題ではないか、それが出てきたらそこに疑いが持たれる原因があるのではないかと思いますが、その点について、商工会の設立と運営についての諸問題について一つ伺いたいと思います。
  15. 山屋八万雄

    山屋公述人 お答え申し上げます。先ほど私が中央会との重複の点があると申し上げたのでございますが、今の商工会はもちろん日本の商人の擁護と申しますか、過当競争させないとか、いろいろの点で指導する意味においては必要だと思うのであります。日本の都市の美観から考えましても、商店をつぶすわけにはいかぬ。これらの人たちの指導ということは、さきに誕生したわれわれの中央会では、なかなか予算も微々たるもので、その指導までいかない。それと企業という問題がありますので、なかなか商店の方が乗ってこないというところもあるわけであります。一方今度誕生するところの問題は、大体商人を中心というような気分を持たせるというところに非常にいい点が生まれてくるんじゃないか。ただ問題は、依然として大都市の商工会議所が中心でやるということが、今度中から小、零細の方にはたしてどういう御理解がなされるか、その点だけだと思うのであります。  以上のようなことでありまして、まだこの問題には深く研究いたしておりませんから、この程度で御了承願いたいと思います。
  16. 小川半次

    小川委員長 他に御質疑はございませんか。——他に御質疑がなければ、山屋公述人に対する質疑はこれにて終了いたしました。  山屋公述人には御多用中のところ出席をわずらわし、貴重なる御意見の御開陳をいただきましたことを委員長より厚く御礼申し上げます。     …………………………………
  17. 小川半次

    小川委員長 次に民主社会主義研究会議事務局長和田耕作君に御意見開陳をお願いいたします。
  18. 和田耕作

    和田公述人 本日は三十五年度予算公述人としまして、ここで皆様に御意見を述べる機会をいただきましたことを深くお礼を申し上げます。  私は、衆議院から送っていただきました資料で一わたり今年度予算を拝見いたしましたが、個別的な問題についてはその知識もありませんし、十分な御参考になる御意見も申し上げることができないと思います。ただこの予算が発表されましたときに、新聞紙上等でいろいろな批判が行なわれております。つまりこのような重大な時期におきまして、予算の編成について何か一貫した態度というのか、社会がどういうふうになるのか、どういうふうにしなければならないのかというようなことについてのはっきりした御見解が、政府の方にないのではないかというふうな感じの報道をよく見受けるわけであります。そこで国民の一人といたしまして、そういうふうな問題について私が最も大事だと思われる幾つかの基本的な問題についての考え方を申し述べまして、今後の予算審議の御参考にしていただきたいと思うわけであります。  第一に私が考えます点は、わが国の現状から見て一番大切なことは、現在行なわれております階級間の激しい争いを緩和して、そして話し合いによる解決の状態に持っていくためにはどうしたらいいのか、政府の施策としてできるものがあればどのような手を打てばいいのかということではないかと思います。現在行なわれております階級間の争いは、当然そのような争いが起こる基盤があることは言うまでもないことでありまして、この状態に目をつむったり、またいろいろな形で押えつけたり、あるいは説教をするというふうなことでは解決できる問題ではないと思います。またそれだけでありますと、反対に階級間の疑心暗鬼を深めるだけだとも思うのであります。戦後十数年にわたって、組合等の人たちは、闘争によって生活を引き上げていくという考え方が支配して参りましたが、このような形は経営者の側から見ましても、あるいは労働者の側から見ましてもはっきりと一つの壁に突き当たっていることは、現在九州で行なわれております三池の闘争の中にこれを証明することができると思います。  しからばどうすれば階級闘争の基盤をなくすことができるのか、争いがいかぬというのではなくて、争いが起こる基盤をどうしたらなくすことができるのかということになりますと、いろいろむずかしい問題でありますけれども、私は、これは結局本腰を入れて福祉国家の体制を作り上げ、その問題と取り組む以外には方法はないというふうに思うのであります。そしてこの福祉国家の体制を進めていくということになりますと、その重要な柱になる一つ考え方というのは、最近、英国、ドイツはむろんのことでありますが、日本でも唱えられておりまするいわゆる中産階級化という問題ではないかと思うのであります。この福祉国家を作らなければならないということについては、政府方々もあるいは自民党の方々も早くから主張されておることはよく承知しております。また社会党の方々も多くの福祉政策の実施を強く要求しておることもよく承知しております。これは大へんけっこうなことでありまして、これに対してこの席上でとやかく意見を差しはさむつもりはございません。ただ私が気になります点は、福祉国家というものについての考え方が双方とも相当中途半端ではないかということであります。政府考えておられる福祉国家の政策というのは、本年度予算にもいろいろと計上されておるのを見ましても、個々の社会保障制度を中心とする、いわば福祉制度あるいは救貧政策、つまり食うに困る人たちを救ってやれというふうな色彩の強いものだという感じがいたします。またこの点を強く追及しております社会党は、多くの福祉政策の実施を要求してはおりますけれども、しかしその意見あるいは主張を聞きますと、どうしても実施しなければならないのだといった具体性といいますか裏づけといいますか、そういうふうなものが感じとれないような気がするのであります。また全体として、福祉国家を作るという考え方そのものが何か過渡的な、つまり経過的な一つの措置といった、少し踏み込みの足らない腰の入れ方が足らない、という感じを受けるのであります。このような中途半端な立場から福祉国家の政策と取り組んでみましても、実りの多い成果を得ることは困難ではないかと思うのであります。  私の考えますのに、福祉国家政策というのは単なる現在の制度の欠陥を補うといったような福祉制度というものでもないと思います。また福祉国家政策というのは単なる過渡的、経過的な社会の状態でもないと思います。言ってみますれば、ある一定の安定性を持った社会の体制だと考えるべきものだと思うのであります。高度な完全雇用、それにささえられた高度な社会保障の体制、重要性に従って優先順位をよく考えた合理的な統制と計画、重要産業とサービスに対する国家的な施策等々を柱にした一つの社会の体制だと思うのであります。  従来社会主義者の中には、現在の資本主義社会から一足飛びに社会主義社会にいくものであるというふうな説が一般的に行なわれてきましたけれども、しかし最近の資本主義のかなり進んだ先進諸国で見られます一般的な傾向は、そうではなくて、その中間に福祉国家体制という社会の体制が必要で掛るということについては、多くの学者が指摘している点であります。西欧の先進諸国、イギリスあるいは北欧諸国、ドイツ、フランス等々、すべてこのようなものとして福祉国家政策を考え、このようなものとして福祉国家の政策と取り組んでおると思っていいと思うのであります。つまり社会の体制として考える場合に、このような体制の中で社会の階級は二つに分極化されるということではなくて、集中化されていく、そして所得の差が少なくなり、あるいは階級の差が少なくなり、また階級感情が緩和されていくというふうなもの、そういった役割を持つものだと思うのであります。このような福祉国家の役割の中心にすわるのが、つまり中産階級化の問題として提起されなければならない、そういうふうなものとして考えなければならないのではないかというふうに思うわけであります。  最近、多くの先進諸国でいわゆる中産階級化の問題がやかましく論ぜられております。わが国でも、新しくできた民主社会党はこの問題を政策の中心として考えておることは周知の通りであります。また自民党や社会党の良識のある人たちも、早くからこの問題に着目していることも御承知の通りであります。しかしこの問題は簡単な問題ではないと思います。世上でよく言われておりますように、二万五千円以上の所得者を中産階級というのだ、それを目標とするのだ、あるいは三万円以上の者がそうなんだといったことがよく論ぜられております。このような提出の仕方は、一つのキャッチ・フレーズとしては意味を持っておると思いますけれども、しかしこのような取り扱い方は必ずしも当を得たものとは思われないのであります。この問題は、先ほど申し上げましたように、福祉国家体制の中心的な一つの政策を柱といたしまして、もっと基本的に考える必要があるし、その点はつまり何万円の所得というふうな形ではなくて、社会が分極化していくという傾向から、集中化していく傾向としてとらえる、そういったとらえ方が必要ではないか。つまり社会は必然的に、と申すのはちょっと語弊がありますけれども、そういう方向に進んでいくのだというふうな、そういうものとして、中産階級化の問題を階層の集中化の問題としてとらえる必要がある、私はこのような明確な立場をとることが一番大切な問題ではないかと思うのであります。  このように考えてきますと、日本における中産階級化の問題は、アメリカは言うまでもなく、英国やドイツに比べましてはるかに複雑な内容を持っております。まず日本においては中産階級化の問題は二つの側面があると思います。第一は、新しい資本主義の展開に伴いまして発生しつつある新しい中産階級の出現の問題であります。第二は、従来から存在している中小企業や小農民や一般市民の問題であります。この第一の側面は、中産階級という問題を社会の発展的な要因とするものでありまして、重視されなければならない点であります。これを中産階級化の積極的な面だということにいたしますと、第二の側面は中産階級化の消極的な面だとも言うことができます。しかしこうは言いましても、第二の面を軽視することは許されません。特にわが国の政治的な社会的な状況から申しますと、第二の側面に対する適切な政策は、第一の側面に対するものよりも一そう重要性を持っておるということもできるのであります。というよりも、第二の側面に対する適切な対策なしには、第一のこの新しい中産階級の側面を推し進めていくことができないといった方が適切かもしれないと思います。中産階級の問題としては、第一の側面を縦糸とし第二の側面を横糸として総合的に関係づけるといった考え方が必要ではないかと思うのであります。なぜなら、中産階級の問題を社会の発展の先頭を切る題目に押し上げているのは、第一の側面だからであります。このように考えてみませんと、確信を持ってこの政策を推し進めていくことが困難になるわけであります。  これと関連して、第二の側面の問題について一言したいと思いますが、中小企業と小農民の問題について多くの政策が行なわれており、また今年度予算でもかなりたくさんの項目が載っております。先ほどの公述人から申されましたような配慮があることも確かだと思います。しかしこのような政策を行なう心の底では、これらの人たちは今後伸びていく大事な人だ、社会を進めていく大切な人だといったような感じを持ってこのような政策をしておるのではなくて、やがては滅びていく人たちだが何とかしなければならない、しかしこれは何とも解決のしようのない問題だ、あるいはまた、経済問題ではなくて社会的な救済の問題だといったような感じでもって、この問題と取り組んでおるのではないかといった感じがするのであります。もしそのような確信のない態度だとしますと、この中小企業の問題なり農民の問題をどのように強調したとしましても、また時にいろいろな必要から大きな資金の援助をしてみたとしましても、それはしみじみとした、あるいは的をついた政策になるとは思われないのであります。  一番大切なことは、わが国における中小企業と小農民が、国家的に見て非常に大きな役割を果たしているものであるし、今後もまたわが国においては重要な役割を果たすものだという認識を確立することだと思うのであります。現在小企業と小農民が行なっている経営の仕方は、大企業の経営のそろばんから判断しますと、お話にならないような不合理な点があることは否定することはできません。また資本主義社会の個々の私企業のそろばんから申しましても、採算の立たない不利な立場に立っておることも否定することはできません。しかし立場を変えて、個個のそろばんから離れ、あるいは個々の企業の採算から離れて、もっと広い団体、地域あるいは国家の大きなそろばんからこれをながめてみますと、この人たちの果たしている役割は偉大なものであると思います。これは現在の輸出の面でも、あるいは国内の国民生活の面でも十分立証できることであると思うのであります。つまり国の資源をたんねんに加工して、国全体の富を引き上げているのであります。もしも普通の、つまり資本主義のそろばんでこの人たちを見ますならば、困った存在だと思われるかもしれません。それで、いっそのこと成り行きにまかして、合理的な経営だけの企業にして、余った人は社会保障で救ったらいいじゃないかというふうな人も間々あります。有識者のうちにこういう考えを述べる人もあります。あるいは述べなくても、心の底でそういうふうに考えている人も多いのではないかと感ずるのであります。しかしこれははなはだしい短見だといわなければなりません。何となれば、高い完全雇用の状態なしに高い社会保障制度を維持することは困難であるし、そういうことのできたためしはどこの国にもないと思うのであります。資本主義のそろばんからは採算のとれないものとして放置されるけれども、国全体のそろばんからは重要な仕事をこの人たちは担当しておるのでありますので、いわばわが国の人口の過剰と国土の狭小という条件のもとで、損な役割を国のために受け持っておるのだというように考えるのが当然かと思うのであります。また、こういうふうな損な役割を担当する人なしには国の全体の生産力は高まらないし、国民の生活は確保されないというふうに考えるべきだと思うのであります。このような観点に立ちますと、この人たちに対して国家が責任を持って仕事がしやすいように、できるだけ捨て去られる価値を有意義な価値に仕立てるように、援助をすることは、これは、してやるのじゃなくて国家の当然の義務だと思うのであります。こういうふうな点から見ますと、現在の施策は、つまり一つの統一的なしっかりした考え方に立っておるとは思われないのであります。今まで申し上げましたように、中産階級の問題は、社会の発展の方向を代表しておるという確信を持つことが、何よりも大切な点だと思うのでありますが、しからば、この発展的な面はどういうことなのかということを一言したいと思います。ブルジョアジーとプロレタリアートの二つの階級にはさまれてやがて、没落していくものだと考えたのは、一つの常識的な見解になっていたのでありまして、従って中産階級化を唱える人たちに対して反動呼ばわりをしたり、はなはだしいのになりますと、ファッショ化の誹謗を放ったりする人があるのであります。しかし、私が考えますのに、このような誤解の起こるのはマルクス主義の社会の分析に基づくからだと思います。マルクス主義は、資本主義社会は発展すればするほど一方では一つかみのブルジョアジーができ、他方ではプロレタリアートの大群が生まれて、社会は分極化し、プロレタリアートはブルジョアジーを打倒して権力を握って社会主義社会を実現するのだといった想定をいたしました。このマルクスの想定が誤りであることは多く述べるまでもありません。もう現在では全く常識化しておるといってよいと思うのであります。現在の社会ではブルジョアジーは二つの要素に分解し始めています。所有と経営の分離がそのことであります。この傾向はむろん国によって違います。日本では英国や米国に比べてさほど顕著でないことも言うまでもありません。しかしながら大切なことは、現代におけるこの種の重要な課題というのは、国を異にする、あるいはその発達の程度を異にするにもかかわらず、重要課題の同時代性と申しますか、同じ課題と取っ組まなければならないといった性質は、きびしく貫いておるのであります。日本でも資本が不十分な発展の状態でありますけれども日本での資本家といわれておる人たちが、所有者的な性格から次第に経営者的な性格に近づきつつあるということも否定できないのでありまして、この傾向の中で、所有者は株式所有者として大衆化していく、経営者は社長、重役以下、下は係長、主任以上の集団を形成しつつあるのでございます。他方またプロレタリアートの中にも、知的で技術的なサラリーマンあるいは上級労働者といった人たち、あるいは労働組合を背景とする上級、下級の社会的な重要な活動家の集団を作り上げておるのであります。このような人たちが新しい中産階級を形成していくいわば中核体とでもいえると思うのでありますが、こういうふうな人たちのまわりには、なお株式の所有者として大衆化されていく人たちがおる、あるいはまた労働者として高まり行く賃金と時間が少なくなっていくという中で、その所有者と労働者が相まみえていくといったような関係が進行していくことも否定することはできません。このように申し上げておりますのは、現在の日本の状態を言っておるのではありません。非常に不十分な日本の状態を、こういうふうなものであると言っておるものではありません。社会の発展の傾向がこうであるし、先進諸国の状態がこうである。しかも現代の課題の同時代性というものは、日本にもあまり遠からない状態においてこれを問題にしなければならないという意味で、このことを申しておるのであります。私が中産階級というのは、社会の階層の集中化の傾向としてとらえなければならないというのは、このような意味からでございます。このような中産階級化は、福祉国家の体制において最も適した地盤を得るものでありますし、また中小企業や農民等の従来の中間層とも接触でき、そしてそれを維持、発展、再編成するのにも最も合理的に行なわれることができる条件を作るものだと思うのであります。以上の諸点を念頭に置いて、明確に把握して、初めて国民生活の向上のための施策を系統的に前向きに実施することができると思うのであります。次に申し述べたいことは、今度の予算でいろいろの経済政策を掲げられておりますけれども、まず一番大きな問題として戦争の脅威と申しますか、つまり戦争があるかもしれないといったようなことからのお互いの精神的な解放が必要ではなかろうかと思うのであります。戦争があるかもしれない、戦争になったらどうしようといったような感じが潜在的に強くあると思うのでありますが、こういうふうな感じから精神的な解放を行なわなければならないということであります。言葉をかえて言いますと、戦争があるかもしれないという意識にゆがめられないで、国際の平和ということをはっきり念頭に置いて、その基盤に立って経済政策を進めていくというふうな心がまえが必要ではないかと思うのであります。御承知のように、わが国では明治以来長く国防国家建設という前提に立って、アウタルキーの観念に支配されてきたのであります。現在この観念を露骨に主帳する人は少ないと思います。しかし、長くつちかわれた観念は、政策のそこここに強い影響力を持っているように思われます。政府は本年度予算を作成するにあたりまして、自由化を促進することを柱の一つにしております。私はこの方針はけっこうだと思います。大いにやってもらいたいと思います。しかし自由化を大いにやるためには、それ相当の本腰の準備が必要であります。日本の産業が自由な国際競争のあらしに耐えて発展するためには、根本的な体質改善をはかることが必要でありますが、そのためには国の集中的な援助、集中的な努力が必要であります。またそれに対する労使の理解のある協力が必要であります。またやむを得ざる犠牲に対しては十分な補償を行なう必要もあります。また国際自由競争に打ち勝っためには、合理的な国内の統制が必要であります。このような施策を行なうためには、この予算におきましても個別的にあちこちと見られるのでありますけれども、しかしこれを本格的に行なうためには、もっともっと多くの資金が必要であります。本年度予算案を見ればその点を必ずしも十分に考えているとは思われません。そればかりでなくて、国際の緊張緩和を意識的に過小評価するといった傾向が見られるのでありまして、安保条約の改定と防衛力の漸増のため本年度予算並びに将来予算に大きな負担を課していると感ぜられるのであります。この点が予算に見られる基本的な矛盾点だといわなければならないと思うのであります。私は国土の防衛のために必要最小限の経費を見込むことに反対するものではありません。またどの程度が必要最小限であるかということについては、いろいろと議論のあるところでもあろうと思いますが、かりに保守党の態度といたしまして、現在以上の兵力を増加させないという線を堅持しないと、どのように自由化を唱え、福祉国家の建設を唱え、産業の体質改善を唱えてみましても、それは国民の気持をとらえることにはならないと思います。何となれば体質改善のために必要な資金は軍備を増強するために使われると感ずるからであります。あるいはまたこういうふうな態度は一部の人たちからは軍備を増強するためのカムフラージュだという誤解も出てこようかと思うのであります。最後に申し述べたいことは、あくまでもわれわれの頭の中にある、戦争はあるかもしれない、戦争になるかもしれないから、こういう産業施策が必要である、あるいは防衛力の増強が必要であるといった考え方を捨て去ることが必要ではないかと思います。必要な防衛力の措置はいいでしょう。しかし経済施策を考える場合にはもっと伸び伸びとした、戦争の観念にとらわれない、それから解放された考え方で、国際平和を確信し、これを伸ばす方向で経済政策を考えていく方が、現在に適した方法ではないかと思うのでありまして、特にこの点について皆様方のお考えをいただきたいと思うわけであります。以上のようにいろいろな根本的な問題について私の所見を申し上げたのでありますが、このような問題から今度の予算案をながめますと、今後の御議論の際に、私の考えでは十分参考にしていただけるというふうに確信いたしまして、あえて貴重な時間を拝借した次第でございます。どうもありがとうございました。(拍手)
  19. 小川半次

    小川委員長 ただいまの和田公述人の御発言に対しまして御質疑があれば、この際これを許します。岡良一君。
  20. 岡良一

    ○岡委員 和田公述人の御所見はきわめてプリンシプルと申しますか、世界観と申しますか、非常に深い根底の上に立っての原則的な御所見開陳でございました。私はその際御指摘になった点について、若干昭和三十五年度予算とは離れておるかもしれませんが、先生の御意見について一言だけお伺いをいたしたいと思います。それは先生の肩書きを見ますと、民主社会主義研会議でございますか、一つの主義が掲げられておるのでございますが、この民主社会主義というのは、一体社会主義を目的とするのか、民主主義を目的とするのかということが、しばしば新聞、雑誌等で問題になっておりまするが、先生の御所見を理解する上からも、その根本の基本的なお立場をこの際まずお聞きをいたしたいと思うのであります。
  21. 和田耕作

    和田公述人 この予算委員会の席上で民主社会主義の説明をするのは、あまり当を得ないかとも思いますけれども、私は社会主義という制度なり目標の中で、民主主義というものは最もよく行なわれていくものだというふうに考えております。そしてまた社会主義というのは、民主的な方法でのみ実現されるべきものだというふうに考えております。
  22. 岡良一

    ○岡委員 こういう国会の委員会で世界観の問題が論ぜられることは、これからいよいよ必要なことだと思って私はお尋ねをしておるわけでございますが、そういう意味で先生の端的な御所見は承知いたしました。ただ理論的に、民主主義は社会主義社会で実現されるし、社会主義社会は民主主義的な方法で実現されなければならないというテーゼはわれわれは了解いたしまするが問題は、そういう観点において民主主義と社会主義が一体化であるというならば、なぜそういうふうに新しい近代的な社会主義理論が発展してきたのかという歴史的な事実というものを、私どもはやはり知らなければいかぬと思う。そういう意味で、スエーデンや英国労働党が政権を担当し得た、社会主義政党が政権を担当し得たという経験なり、あるいは素朴なマルクスの公式論を越えて、ブルジョア民主デモクラシーを通じて国民の一人々々が主権者であるという意識をもってより高められてきたというような、そういう歴史的な事実というものが、新しい社会主義、民主社会主義の発展の歴史的な基盤ではなかったかと私は思っておるのでございますが、しかしこういう問題はいずれまた先生とさしでお話をお聞きいたします。  次に政策の問題でございますが、中産階級という先生も御指摘のように、今日本で直ちに中産階級政策を——こういうものがあるかどうかはわかりませんが、することは非常に困難であることは当然でございます。しかしながら中産階級政策というものが、あるいは西ドイツなりあるいは英国なりにおいて政策として成功しておるかどうかわからないが、社会構造の中で中産階級というもののウエート、幅、深さというものがだんだんと発達をしてきておる。しかしながらこれと日本と比べてみた場合に、やはり日本の持っておるもろもろの条件、先生の御指摘になったように国土が狭隘である、人口が多い、資源が貧弱である、資本力がきわめて弱い、技術が低いというもろもろな条件の中で、直ちに中産階級理論というものが政策として具体化することは非常に困難である。そこで私どもは、やはりこの中産階級ポリシーと申しまするか、こういうものを発展し実践化するというならば、当然これらのマイナスの諸条件を克服し分配の理論としてではなく、生産のポリシーとして中産階級化を進めていくならば、完全雇用ということが当然問題になってくる。完全雇用については、すでに昨年の五月有澤廣已会長を中心とするきわめて周到な答申案が出ておるわけです。これが今年度予算においては、結論は何ら現われておらない。こういう点から出発いたしまして、すなわち予算に即して先生の完全雇用についての御構想があったらお伺いをいたしたいということと、もう一つは、もろもろの日本の現在持っておる経済的なマイナスの条件から考えますと、しかも古典的な日本の現在の資本主義のあり方から考えましても、やはり先生の御指摘になったような重要産業、基礎産業に対するある程度の計画化というものは、どうしても必然ではないか、それをどの程度規模においてどのような形におけるところの民主的な計画化ができるかという、そういう二点について具体的な御構想があったら、この機会に承っておきたいと思います。
  23. 和田耕作

    和田公述人 今岡さんから御指摘の点について、十分なお答えをすることはできません。ただ完全雇用の問題について今後考えるべき問題として、先ほどいろいろと申し上げたのでありますけれども、絶対に必要なことは国が大きく関与する、国が大きな財政支出をするというようなことなしには、完全雇用は特に当面の間は非常に困難であるというふうに思うわけであります。もう一つは、完全雇用の問題はむずかしい問題でありますけれども、先ほど中小企業の問題で申し上げましたように、つまりそろばん勘定に乗らない、十という価値が普通であるとすれば、五か六しか生まない価値を生産しておる人たちが中小企業であり、農民のたくさんの人たちであるわけです。この人たちをそのようなものとして、先ほど申し上げたような意味として、十分に働かしていくような措置を講ずる。つまり中小企業なり農民というものが、完全な一つの生活者としてできるような措置を講じていく。これは全体の彼らの持っておる役割から見て当然のことだと思う。そういうような政策の中で産業構造がだんだんと高度化していくことと相待って、その間のつなぎ目をそういうふうな政策をもって埋めていく必要があるのではないかと思うのであります。そしてあとの点も今の問題に関連するのでありますが、私が特に先ほど中産階級化というふうなものに関連して申し上げた考え方でありますけれども、これは一番の骨子は、資本主義社会と次に福祉国家の一つの社会というものを想定する、はっきりそういったものを目標に設定するという考え方でありまして、そういうようなことは——マルクスはこういうことを申しておるわけですね。奴隷社会があり封建社会があり資本主義社会がある。奴隷社会の中では、奴隷が奴隷所有者を転覆させたわけじゃない。奴隷社会の中で違った要素ができてきて、これが地主と農民の封建社会を作ってきた。この封建社会というのは農民が地主を、あるいは封建領主を転覆打倒して権力を取ったわけじゃない。その中で資本家と労働者という新しい要素ができて、これが次の資本主義社会を作ってきた。この現在の資本主義社会においてだけ、マルクスは労働者が資本家を打倒して権力を取って社会主義社会を作ろうという結論をした。これが間違いだというのですね。かりに弁証法という考え方が正しいとしましても、つまり資本主義社会の中で資本主義社会とは違った要素が出てくる。つまり所有と経営の分離、所有者と経営者が出てくる。労働者の中には一般の労働者と漸進的な労働者が出てくる。この大衆化していく経営者と労働者の上層の部分とが次の社会のにない手なんだ。これが一つの福祉国家の態勢なんです。そのにない手を中心にして、一般の生活の高まっていく労働者と、そして大衆化していく所有者というものがしっぽが結び合うのだ。ここで階級のない、あるいは所得差の少ない社会が準備されていく。福祉国家の役割の中で、社会主義社会といわれるような条件が作られていく。これがノーマルに発展していく社会の状態だというふうな意味で今申し上げたわけでありますが、そういうふうなものとしてとられないと、つまり平和的な社会の発展、革命を否定した社会の発展というものはできないし、漸進的な改革というものが熱意をもって進めていくことができないというふうに私は思うわけであります。そういうふうな点で、特に中産階級化の問題をそういうふうな発展の見通しに立って確信を持ってこの方向に進んでいく。そこで初めて漸進的な改革の構想が出てくる。この点は、保守党の方たちにもぜひお願いしたいことでありまして、私は日本の経営者の方々がりっぱな経営者だとは現在思っておりません。ただしかし社会的な機能としての経営者が重要なのは、今までの所有者であり経営者である資本家と違って、社会の、あるいは国家の公共的な権力と接触しやすい性質を新しい経営者は持っておるということと、経営者は単に社長とか重役でなくて、係長と主任以上のたくさんの経営者陣というものが構成されてきておるということ、その二つの性質をよく見きわめて、経営者に対する新しい見解なり、あるいは所有と経営の分離に対する実際ありのままの認識を持つ、そういうようなことになりませんと、つまり一番当初に申し上げましたように階級間の闘争というものから話し合いというふうなものへの発展はできない。またそういうような経営者と漸進的な労働者の間には当然利害の相違がありますが、そういうふうに理解いたしますと、その二つの間は話し合いによって解決できていくというふうに思うわけであります。これは先ほど申し上げたように、日本の実情とは少し離れておりますが、しかし現代の重要課題の同時代性というものはそういうものだというふうに考えて、やがてはこの問題に取り組まなければならない。ちょうどオリンピックで同じ百メートルの課題を、寸法は違っておっても、体重が違っておっても、あるいは顔の色が違っておっても、同じ種目を戦わなければならないと同じように、日本の労働者もイギリスの労働者も、あるいは日本の経営者もイギリスの経営者も、準備は違いますけれども、同じ課題と取り組まなければならない。つまりこういう狭くなった世界の現在においては、そういう同時代性の立場から、国の相違、あるいは社会の発展の相違というものを考えてみないといけないと思います。従っておくれた国では当然非常な困難な問題に逢着いたします。解決困難な袋小路に入ることもありましょう。しかし問題は、どういうふうに困難であっても、その問題を回避することはできない、目をつぶることはできない、取り組まなければならない。そこにわれわれが当面している問題があるし、予算の問題にしましても、そういうふうな問題意識からできるだけ筋の通った予算を作ってもらいたいというふうに私は思うわけであります。
  24. 岡良一

    ○岡委員 私が最後に申し上げておきたいことは、古い社会主義であろうと新しい社会主義であろうと、やはり根底的に、もしそういう言葉が許されるならば、人道主義的な共通面というものは、所有の権利が理不尽に勤労の権利を圧迫しておるという点にあると思う。中産階級論というものは、やはりそういうスタートがあっていいと思う。そういう考え方から、日本の特殊的なもろもろの劣悪な条件の中で、この中産階級政策というふうなものを具体的に実現していくとすれば、完全雇用というものをどう考えるかということが大きな命題になっていく。同時にまた、現在のいわばきわめてクラシックな日本資本主義の構造というものに対しても、やはり重要産業の計画化、統制化ということが当面の問題になってくる。そういうことについて、この予算面に即して先生の具体的な御批判をお聞きしたかったのでございますが、これはまたいずれ後日の機会に譲りたいと思います。以上申し述べまして私の質問を終わります。
  25. 小川半次

    小川委員長 西村直己君。
  26. 西村直己

    ○西村(直)委員 時間がございませんから、ごく簡単にお答えを願いたい。簡単にお答え願える問題でないかもしれませんが、ちょっとお伺いしておきたい点が一つございます。  それは今、岡君から民主社会主義というお話があったのでありますが、そうすると民主社会主義に相対して、何かおかしな表現でございますが、非民主社会主義というものがあるのか。その点でございますが、よくわれわれの旨言葉としてはソシアル・デモクラートという言葉が長い歴史の過程においても使われておったわけでありますが、それに対してちょっと私は解せないような感じがする。  それから、まとめて申し上げますが、社会主義の中においてのみ民主主義は成り立ち得るというようなお考えがありましたが、おそらくあなたの大体のお考えはフェビアン・ソサイエティ的なお考えが基本になっているような感じがいたしますが、その場合においてもそれは少し独断的ではないかと感ずるのであります。これが第二点。  第三点は——まとめて御質問します。討論の場でございませんから理論闘争は申し上げませんが、第三の点は、自衛力について最小限ということをお認めになっておられるような言説でございますが、この自衛力というものもきわめて現実的なべースでお進めになるというような議論から発展して参りますと、国際情勢認識、それから国力、国の主として財政力、経済力、これらとをかね合わせると、将来に向かっての漸増というものを御否定になるのか、これは否定しないで、それはそれなりでおもむろに考えていくという態度をおとりになるのか、ここらの点を公述人の方から御意見を述べていただきたい。さらに非常におもしろい議論を御発表いただければ、岡君と同じようにまた別の機会にさしで御意見を承ってみたいと思います。
  27. 和田耕作

    和田公述人 民主社会主義という考え方についての御質疑がありましたが、これはつまり、社会主義というものの一番中心であるマルクス主義という形が実際に行なわれたのはソビエトの体制だ、このソビエトの形に現われた社会主義というものがとんでもない変な社会主義だ、えせ社会主義だという感じ、そういったものに対する体験がこの民主社会主義を生む一つの決定的な要素だと思います。この民主社会主義という考え方が現われたのは、一九五一年の社会主義インターの創設を中心としていることである点を見ても、その点が明らかではないかと思います。もう一つの点は、平和的な方法で、労働組合なりあるいは社会党なりの力でもって、そういう力がバックになって改革ができるのだ、漸進的な改革ができるのだ、実際にそういう改革をやったその成果というものを正しく、評価の上に立って、今後もそういうふうな改革ができるのだというふうな前提が一つあると思います。そういう二つの前提が民主社会主義をささえておると申しますか、ごく最近の一つの思想の形態として押し出してきた重要な要素だと思うわけであります。またこの考え方によりますと、改革の可能性があるのだというわけでありますから、国家の政治につきましても産業支配という点につきましても、漸進的に話し合いの中で、あるいは正当な力の使用ということは当然ありますが、そういう中で改革ができるのだというような考え方、あるいはそうした方がいいのだという考え方が中心になっていると思います。  あとの防衛力の点でありますが、この点については先ほど私が、保守党の立場としても現在以上の防衛力を増強する、漸増するということは間違っておるということを申し上げたのでありますが、われわれの考えところでは、防衛力は最低限度というふうな言葉でしか現在言い表わすことはできません。というのは、何万、何千というふうな形で表わされるべく、あまりにいろいろ武力的な内容が変化しているという問題もあり、国際的な状態も変化しているというような問題もあると思います。ただはっきり言えることは、日本としては国際の平和というものを確信し、福祉国家を作るということが日本の国民の生活を最も高めていくことができる方法であり、あるいは今後来たるべき技術革新という問題に対して最も正しく対処できる方法であるという確信に立てば、国際の緊張をできるだけ緩和するような方向に向けていくということが、一番大切なことではないかと思うのでありまして、その意味で、兵力というものはできるだけ少なくしていく。可能なだけ少なくしていく。また必要な最小限度のものも、日々の産業開発の問題と関連せしめていくというふうな考え方が大事ではないかと思うわけであります。
  28. 西村直己

    ○西村(直)委員 いや、将来漸増を否定なさるのかどうか。
  29. 和田耕作

    和田公述人 漸増は否定いたします。漸増は必要でないと思うのです。所得が上がってくるから、それに応じて兵力を高めてもいいじゃないかという考え方は、僕は誤っておると思います。
  30. 西村直己

    ○西村(直)委員 第一と第三の問題はあとにしまして、わが党にとりまして大事な問題は、社会主義のみが民主主義の基盤であるというような御議論は、私としては飛躍した議論のような感じがいたします。またわが党の立党の精神としての自由民主主義というものを明らかに旗じるしにしておる。この点について、あなたのお話がちょっとはっきりしないのでございます。たとえば政治哲学としての考え方からいきますと、個人の権利、あるいは個人というものを基盤にして民主主義というものは成り立っておる。個というものを発展させていく方法に、社会主義的な方法もあれば、あるいは自由主義的な方法もある、こういうのが大体フェビアン・ソサイエティあたりの基本理念なんですね。それに対して、社会主義でなければ基本の個というものが発展しないのだと飛躍なさっているような議論のように聞こえたものですから、ちょっとその点だけを確かめておきたいと思います。先生とここで理論闘争をやろうという意味ではありませんが、ただ社会民主主義というか、民主社会主義のみが民主主義であるということは、ちょっと誤解を与えはせぬかと思いまして、その点をちょっとはっきりしておきたいと思います。
  31. 和田耕作

    和田公述人 今西村先生から、自民党の方も個人を大切にする、個人の発展、個人の人格の完成といったことを主帳しておる。民主社会主義の方もそれを中心としておるので、大体似通った考えじゃないかというふうな御質問ではないかと思いますけれども、しかしこれは重要な点で違うと思います。というのは、個人の人格の完成ということでありますが、たくさんの人の最大多数の最大幸福という観念はイギリスにずっとあるわけですが、私企業の自由ということが中心になった、つまり個人の自由という観念に対して社会主義が出てきたのは、企業の自由ということから圧迫され、阻害されていく大衆的な人たちの自由を守る。しかしその自由を守るということは、直接ある一定の生活が保障されないと自由というものが名目的なものになるという問題、その個人の自由というものを名目的なものにしないために、つまり個人の生活を豊かにし、保障するというために、一つ制度的な変革が必要になってくる。あるいはそのために必要であれば、個々人あるいは企業家の個個の自由というものは束縛されざるを得ない。しかし個々の少ない人たちの自由は、ある程度束縛されても、そのために絶対に大衆の自由を実際上保障するために必要であれば、それは仕方がないことなんだという観念に立っておると思います。しかしその観念をもっと強く進めていきますと、共産主義の議論も成り立ってくると思います。共産主義の議論は、つまりある一定期間こういう強制をやっていくのだ、その上で国民の生活の基盤が高くなってくるから、そうしたら自由が出てくるのだという議論も出てくると思います。しかしそういうふうな共産主義者の議論は、現実においてソビエトの体制で失敗しておるわけであります。理想とは反対の状態になっておる。従って、先ほど申し上げたように共産主義の実践の失敗というものが、民主社会主義の一つの成立条件になっておるというのは、それであります。われわれが最も重視すべき個人の自由というものは、言論、出版、集会、結社の自由という問題、あるいは思想の自由という問題、これを抑圧することは、いかなる制度的な変革の要求からいっても、あるいはいかなる理由があっても侵すことはできない。ただしかし先ほど申したように、それ以外の個々の自由な行動というものは、社会全体のもっとたくさんの人たちの観点から見る必要がある。そういうふうな点から、今のような民主社会主義の考え方、あるいは社会主義という方法でなければ、民主主義が徹底していかないという考え方が出てくると思います。その場合に、マルクス主義の描いておる一つの社会主義のデッサンと、われわれの描いておる社会主義のデッサンとはっきり違います。それは制度というようなものに最重点を置くのじゃなくて、そこに人間の尊重という問題があくまでも中心に置かれるというような点が、一番大きな違いの点ではないかと思うわけであります。そういう意味で申し上げました。
  32. 小川半次

  33. 松浦周太郎

    ○松浦(周)委員 簡単にお尋ねします。先ほど私はちょっとおくれてきたものですから、その前にお話があればもうお聞きすることは要りません。  中産階級を多くするという社会、これは私どもの非常に望んでいるところですが、その一つの経済手段として、ドイツでやっているような共同決定法的な三位一体、いわゆる資本と経営と勤労の一体ということは望ましいことであると思うのです。中産階級を多くするためには、もちろん必要なことであると思う。ところ日本でこれを行なおうとしても、なかなかできない要素があります。それは今お話しになったように、マルクス主義の闘争原理というのが今のような姿である以上は、これは行なえない。ドイツではすでにマルクス主義を社会党は捨てております。そういう社会を作るために、私は自由主義とか、資本主義とか、あるいは社会主義とかいう一つの思想系統に基づいたものではなくして、その民族固有の民族精神というものがなければ、今の共同決定法はできないと存じます。ドイツの社会主義の人も、自由主義の人も、ゲルマン民族精神というものが上から下まで通っておるのです。でありますから、この共同決定法のようなものができると思いますが、日本のように、一方には闘争原理による革命的思想、一方には古来からきた自由主義の思想というものがクロスしておるものですから、話せば話すほどその先端は開いてくる。でありますから、私は中産階級を多くするということに対しては、経済手段としては、共同決定法そのものをそのまままねする必要はありませんが、これに近寄ったような労使並びに消費者まで加えた三位一体的なものでなければならないと思うのです。それにはやはり一つの民族精神というものが貫かれなければならない。一つの話し合いをするにしても、富士山に登るのに、駿河から登っても甲斐から登っても、ふもとは違うけれども、同じ高ねの月を見るという境地にならなければ、これは行なえないと思うのですが、一方に闘争原理のマルクス思想があり、一方に日本の従来やってきたものがある。それが話をすればクロスするのです。だから先端と先端は常に変わってくる。この行き方では中産階級を多くしようとしてもできないと思います。私は経済手段としては共同決定法的なものが必要である。それをやるためには、日本の民族精神が一つ貫かれていかなければならぬ。戦争終了後においてそれはやまと魂といわれたから、これはいかぬといって全部捨ててしまうような考え方は誤っているのではないか。悪い点は修正して、三千年の間日本民族が作り上げた精神文化というものを、修正すべきところは修正して、それを貫かなければ、お話のような世界はできないのじゃないか、こう思いますが、この点……。
  34. 和田耕作

    和田公述人 今の共同決定の問題は、今後民主社会主義者でも、あるいは労働組合の運動家にとっても、非常に重要な問題になってくるということは言うまでもないことだと思います。ただこれがドイツではできておるが、日本では現在の状態ではなかなかできない。何か日本の固有の民族精神というようなものを再び何かの形で出してこなければというふうな御意見のようでございますけれども、私はこの点はそういうふうには考えません。ただドイツにおきましても、ああいう共同決定法ができるまでには約百年間の非常に苦しい労使の闘争があったわけなんです。ときには内乱的な様相も示した状態があった。長い年数がたっているわけだと思います。そこで日本の場合にはまだわずか、そういう問題については、戦後の十数年間という一つの経験しかございません。かなり自由な条件のもとで、労使が対立し合うということは、まだ非常に時期が短い。その意味では、ドイツが数年前からやっております共同決定の問題を日本として取り上げることは、時期尚早だというふうな意見も当然説得力のある意見だと思います。しかしそこで私が申し上げたい点は、先ほども申し上げましたように、労使の協議、労使の経営参加、共同決定というこの課題は現在の重要な問題でありまして、その重要課題というものは世界の場所が変わりましても、準備の程度が変わりましても、何としても取り組まなければならない問題であるということであります。従って経験は浅くして準備はなく、あるいはまたそれをこなす能力が少ないということを前提にしましても、しかもなおこの問題を避けることはできないというふうな問題でありますので、非常にむずかしい問題、あるいは論議の多い問題ではありますけれども、できるだけこの問題を労使の真剣な努力で解決していくということが必要なのじゃないか。これは単に共同決定の問題だけでなくて、日本の政治、経済全部の問題に当てはまる問題だと思います。いろいろ議論すればたくさんの議論ができます。というのは、もともと無理なんです。イギリスなりドイツなりが百年かけたものをわずか十年でやろうというわけですから、もともと無理なんです。といってそういったものを無視してみたり、それはたとえば共産党の方では、そんなことは資本家の支配を長引かせるだけのことなんだというふうに言ってみたり、あるいは資本家の方では共同決定なんていってみたって、労働者などというものは相手にならないというような態度をしてみたりすることになるわけでありまして、そうではなくて、いろいろなむずかしい問題はあってもこの問題は取り組まなければならない、解決しなければならない。これは福祉国家の問題として、全体の問題として同じことだと思う。時期は早い、準備は足らない。にもかかわらず現在の重要課題の同時代性という、つまりそれを解決しないと人並みの国際国家としては発展することはできないという問題としてこの問題を考え、御議論もあるだろうけれども、議論も十分尽くした上で、何とかその方法を見つけ出していくという努力が各党の間にも必要であると思いますし、経営者と労働者の間にも必要である。幸いそういったものを必要とするいろいろな政治、経済あるいは労働方面での経験が短期間のうちではありますけれども、累積されておる。どうしてもこれを解決しなければならないというふうなことではないかと思うのです。お答えになるかならぬかわかりませんけれども、そういうような問題として、とにかくめんどうな問題でも避けることはできないのだというふうな形で、解決に当たっていくという心がまえが必要ではないかというふうに私は思うのです。
  35. 松浦周太郎

    ○松浦(周)委員 そうおっしゃいますけれども、努力しても努力してもそこに到達し得ないような要素がある。それは闘争を原理とするマルクス思想を持った指導原理では、これは何ぼ相談してもいかない。それはどうお考えになりますか。
  36. 和田耕作

    和田公述人 そういう闘争原理というものは、つまり一番初めに申しましたように階級闘争的な運動を発生さす基盤が現在はあるのです。その基盤を次第に制度的に、あるいは政策的に変えていくという努力なしに、マルクス主義の思想がいけないといってこれを押しつぶすことはできないと思うのです。その基盤をつまり階級闘争という形でなしに、利害の衝突を話し合いによって解決していくということをするためには、福祉国家の体制というものが必要だし、福祉国家の体制というものは単に便宜的な意味ではなくて、社会の一つの必然的な発展の段階なんだというふうに考えることが必要なんだ。これを単に手として考えたり、あるいは過渡的な問題として考えたりすることでは、腰の入った国民生活向上の政策は作ることはできないというふうに思うのです。そういうふうな意味である一定の長期にわたった一つの社会の大勢なんだ、その大勢の中で階級間のいろいろな衝突の問題、中心の問題が話し合いのできるようなことになっていくのだ、つまり将来の理想社会がどういうものか知りませんけれども、そういうものに近づく状態がその中で準備されていくのだ、そういうふうに理解した方がマルクス主義から考えても正しいと思うのです。私はマルクス主義者ではございませんけれども……。
  37. 松浦周太郎

    ○松浦(周)委員 もう一ぺん御質問しますが、そういうわけですから、やはりマルクス主義の人も、自由主義の人も、あるいは穏健社会主義の人も、みんな一つになっていけるという場が必要ではありませんか。従来のような日本民族精神と一口に言っても、侵略主義者に利用されたりした歴史がありますから、そういう面は修正する必要がありますが、その場を作るために日本民族精神というようなものがあって、そういうものを基幹にして話し合って寄っていくということでなければ、今のような姿で——しかし先生のおっしゃるのは福祉国家の形成というのがそこにあると思いますけれども、それに貫いたものがなければならないのではないかということをお聞きします。
  38. 和田耕作

    和田公述人 その点は私さっき申し忘れましたが、非常に重要な点だと思うのです。ただ日本精神というようなものでなくて、現在のたとえば共産主義、社会主義、自由主義といったような近代思想の一番重要な諸思想というものは、百年にわたってわれわれの生活を律してきたわけですが、しかしこれは次第に思想というものがあまり第一義的な重要性を持たなくなってきたというふうな状態もあると思うのです。しからば思想にかわるものは何かといえば、的確にこれだということは言えませんけれども、何か科学的なもの、あるいは政策的なものあるいは経験的なもの、といったようなものが、近代思想の一つのドグマ的な内容をもった近代思想の各分野のものにとってかわりつつあるというように思うのです。そういうことになりますと、つまり近代思想はわれわれの生活にとって一等大切なものでなくなってくると、そのために命をかけて血を流して戦うというようなあほうなことはだれもしないと思うのです。ちょうど中世では宗教というものが非常に大切なものであった。国民生活にとって一番第一義的な重要性を持ったものであった。その時代には宗教のために血を流し、宗教のために命をかける。人類の歴史が始まって以来宗教戦争で血を流した人が一番多いと思うのですが、これは宗教が国民生活にとって第一義的なものでなくなり、それにかわって近代思想が出てくるというと、つまり第二義的なものになると、これは共存を始めた。最近はどこの国でも、仏教でもキリスト教でもマホメット教でもみな共存をしている。第二義的なものになったから共存をしているわけです。現在ではますます近代思想、つまり共産主義、自由主義、社会主義というふうないろいろな思想は第二義的なものになりつつある。やがてこれは共存していくでしょう。その次に待っておるものは何かといえば、やはり国民生活の最もいい姿を目ざしての政策、総合的なプログラムというものが思想的なものにかわっていくという過程に現在入りつつあるのではないかと思う。現在共産主義者といわれる人の中で、自由主義者といわれる人よりはもっと穏健な政治的立場をとる人があります。ユーゴーがそうでしょう。フランスのサルトルという人は自由主義者でありますけれども、最も急進的な共産主義者に近いといわれた時期を持っておる。日本でもそういうような人はたくさんある。日本の社会主義者でも自由主義者よりはもっと穏健な政治的立場をとる人もおるし、日本の自由主義者といわれる人でも、あるいは共産主義者、社会主義者よりはもっと左の立場をとる人もたくさんおる。こういったような状態は今まで過去百年のわれわれの生活を律した思想的な区分というものが一等大切なものではなくて、もっと大切なものが出てきたのだ。それは平和という問題もあり、あるいは思想的にはもっと政策的なもの、思想の相違はあっても、ある一つのプログラムに対しては賛成だというふうな考え方なり運動が次第に各方面に出てきつつあるというふうなことじゃないかと思うのです。従って今の経営参加というような問題にしましても、何らか特定の日本の精神というものでなくて、もっと経験的に考えてみて、あるいは生活の向上という一つの目標を考えてみて、それをやるための政策はこうなんだということになってきますと、その政策がほんとうに正しいものであれば、みなそれに向かって、考え方の基礎の違いを越えて、その考え方に一致していくという状態が出てくるのではないか。すでにイギリスの労働党というところは、だいぶ前からそういうような形になっている。民主社会主義というのは、一つの思想がないのだ、あるいは考え方がないのだということでずいぶん攻撃されてきたわけでありますが、またそれをわれわれもちょっとひけ目に感じておったわけでありますけれども、実際そうではなくて、特定のドグマ的な思想がないということが、最近の最も強い強みになってきつつあるのではないでしょうか。いろいろな思想の差を越えて、一つの重要なプログラムに向かって集中していく、その傘下に集まっていくというふうなことが重要になってくる。つまり思想の共存時代がやがてくるのじゃないでしょうか。
  39. 小川半次

    小川委員長 北山愛郎君。
  40. 北山愛郎

    ○北山委員 和田さんとここで理論闘争するつもりはないのです。初めの民主社会主義とかあるいは福祉国家なり中産階級、こういう問題についてはあまりにも明瞭だと思うのです。ただその中で感じられますのは、社会主義と資本主義の対立というものをことさらに薄めて、第二義的なものに考えておる。これは現在の世界政治経済の面で、やはり社会主義経済と資本主義経済の闘争、競争というものが基調をなしてきておる現在においては、少し合わないのじゃないか、非常にかけ離れているのじゃないか、こういうふうに思うのです。この点はお答えになってもならなくてもよろしゅうございます。  ただお話の中で自由化の問題がございまして、自由化には賛成されておる。しかし現在問題になっておる自由化は、わが国の経済に非常な影響を与えますが、特に中産階級というか、中間階級というか、中小企業なり農民に対しては非常な圧迫になるであろう、これは常識になっておるわけです。しかも中産階級を育成するための農民なり中小企業というものに対する非常に影響のある自由化を賛成されるということは、むしろおかしいのではないか。それからアウタルキーではいかぬから自由化をするのだというのですけれども、しかし世界経済のいろいろな経済圏の中で、共産圏は計画貿易でありますから——しかし計画貿易であるということは必ずしも封鎖経済ではないのではないか。ことに将来はソ連も外国との貿易をどんどんやると思うのです。それから東南アジアみたいな後進国については、これは自由化はできません。ですから自由化という考え方は、現在ではやはり先進資本主義国の圏内での問題であって、広い世界的な問題ではない。もう少し自由化を広い考え方、概念でつかめば、将来は国際の分業、社会主義も資本主義もみなひっくるめて大きな意味の自由化ということは言えるかもしれませんが、当面しておる、現在問題になっておる自由化はそういう意味でありますから、そういう点でやはり中間階級というものを圧迫する要素になります。この点はちょっと矛盾しているのではないかということです。  もう一つは自衛力の問題でありますが、最小限度の自衛力というのは、現在の自衛隊程度のものは認められるお考えであるか、以上二点お伺いいたします。
  41. 小川半次

    小川委員長 和田公述人に申し上げますが、午後の公述人の時間が一時から迫っておりますので、ごく簡潔にお願いいたします。まことに失礼ですが、どうぞ。
  42. 和田耕作

    和田公述人 今の自由化の問題でありますが、自由化の問題は、つまり今北山さんがおっしゃいましたような、非常に大きなショックを日本の産業、特に中小企業とか勤労者の中に与える要素であることはその通りだと思います。それであるからこそ、政府は十分なそれに対する対策を必要とするし、相当巨額の資金を必要とすることも当然だと思いますが、その点に対して非常に制度が不十分だ。従って今の自由化をとなえていく政府の方針と、片一方防衛力を漸増していこうという方針とこの矛盾は、これはいろいろな議論もありましょうけれども、この予算の持っておる根本的な一つの矛盾点だと思うのです。従ってこういったような自由化を進めていく、わが国経済の体質を強化していくということは、やがて日本の国民の生活を上げていくという見通しが立つ限り——立つと思いますが、立つ限りその転換期の問題を全力をあげて解決していくためには、防衛力の漸増に国の資金を回すのではなくて、その資金をこの方向に持ってくることが必要だということを強調したわけであります。そういうふうな意味で私が述べました点には、私自身としては矛盾がない考え方だと思っております。  最後の防衛、自衛隊の問題でありますが、私は自衛隊は漸減すべきだと思っております。
  43. 小川半次

  44. 佐々木良作

    ○佐々木(良)委員 私も一、二お尋ねしたいと思っておりましたけれども、先ほどから委員長がだいぶ時間を気にしておられますので、私は和田公述人に対しまして、理路整然と私ども考えておることに対しましてお話をいただき、大へん参考になりましたことを心から感謝して、質問を省略させていただきます。
  45. 小川半次

    小川委員長 他に御質疑がなければ、和田公述人に対する質疑はこれにて終了いたしました。  和田公述人には御多用中のところ長時間にわたり御出席をわずらわしまして、貴重なる御意見の御開陳をいただきまして、委員長より厚く御礼申し上げます。  この際午後一時まで休憩いたします。     午後零時四十分休憩      ————◇—————     午後一時四十四分開議
  46. 小川半次

    小川委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  公聴会を続行いたします。  この際御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。  本日は御多忙のところ貴重なお時間をさいて御出席いただきまして、まことにありがとうございます。委員長といたしまして厚く御礼申し上げます。  申すまでもなく、本公聴会を開きますのは、目下委員会において審査中の昭和三十五年度予算につきまして、広く学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算審査を一そう権威あらしめようとするものであります。各位の忌憚ない御意見を承ることができますれば、本委員会の今後の審査に多大の参考になるものと存ずる次第であります。  議事は西谷さん、秦さんの順序で、御一名ずつ順次御意見開陳を願いました後、その質疑を済ませていくことにいたしたいと存じます。公述人各位の御意見を述べられる時間は、議事の都合上約三十分程度にお願いいたしたいと存じます。  なお念のため申し上げますが、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は、委員長の許可を得ることになっております。また発言内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっております。なお委員公述人質疑することができますが、公述人委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承いただきたいと存じます。  それではまず産業経済新聞論説委員西谷彌兵衛君より御意見開陳をお願いいたします。
  47. 西谷弥兵衛

    ○西谷公述人 私西谷でございます。  今度委員会の方からお話がございまして、本日意見を述べさしていただく機会を得ましたことは、大へん感謝にたえないところであります。委員会の方からのお話では、農業問題に関心を持っておるならば、農林予算を中心に意見を聞かせろ、もし都合が悪ければ財政一般について話せ、こういうふうなことでございましたが、私農業問題は専門といたしておりませんので、日ごろ産業政策全般に関心を持って幾らか勉強もいたしてきております関係から、産業政策を中心といたしまして、今度の予算について若干の意見を述べさしていただきたいと思うのであります。  現在日本の経済が当面しております問題は、非常に複雑多岐にわたるものがあるのでございますが、その中で特に私関心を持っておりますのは、農家と非農家、つまり農家以外の階層、この両者の間にある所得の格差という問題であります。昨年七月七日に発足いたしました農林漁業基本問題調査会というものがございますが、この農林省の基本問題調査事務局が、最近に発表いたしました「農業基本問題に関する資料」というものを見ますと、日本の農業というものは所得が非常に低い。のみならずその成長率もまた非常に低いというふうな、きわめて不利な状況に置かれているようであります。これは昨年の暮れに発表になりました「国民生活白書」によりますと、日本の農家は戦前に比べて約一・七倍の所得増加を記録したというふうになっておるのでありますが、それにもかかわらず、現在の農業所得は非農家の所得と比べますというと、やはり問題にならないほど低いというのは、これは非常に重大な問題であろうと思うのであります。この農林省の基本問題調査事務局の資料によりますと、就業者一人当たりの三十三年度の所得を見ますと、農業就業者工業の二九・五%という非常に低いものになっております。これを別の角度から見まして、家族一人当たりの農家所得を見ますと、都市の勤労者世帯の一人当たりの収入に対して、昭和二十六年ごろはやや均衡がとれておったのでありますが、三十二年度に至っては、農家は勤労者世帯に対して六五・五%の所得にしか達しておらぬということが報告されているのであります。  それでは今後の農家所得の増加状況はどういうふうになる、だろうかということでありますが、同じく農林省の資料によりますと、十年後の農業所得は、非常に条件のいい場合、つまり一般の経済成長率が低くて、逆に農業関係の成長率が高い場合、こういう場合でも、十年後の農業所得は非農業所得に比べて四六%にしか達しない、こういうことが報告されております。その逆の場合、つまり経済成長率が高くて農業成長率が低い場合には、農業所得は非農業所得に比べてわずかに二四%にしかならない、こういうことが報告されているのであります。この条件のいい場合、つまり経済成長率が低いのに農業関係の成長率が高いという場合は、農業人口がこの十年間に約四百万人ほど非農業へ移動するということが想定されているのでありますが、これは非常に無理な想定でありまして、経済成長率が低い、つまり工業の伸びが低い場合に、農業人口がそっちへそんなに多く吸収されるということは考えられない。従って悪い場合、つまり農業所得は非農業所得に対して二四%にしかならないという想定の方が、やや実際に近いようであります。  これをまた別の観点から見ますと、農業の経営規模というものが非常に小さい、つまり全体の農家の平均耕地は〇・八ヘクタール弱、つまり八反弱だということが報告されておりますが、これをさらに見ますと、〇・五ヘクタール未満のものが二百三十二万戸つまり全体の農家の三八%、もし一ヘクタール未満、つまり一町歩未満の農家というものを考えた場合には、全体の農家の七一%が実に一町歩未満の耕地しか持っていないということが報告されているのであります。  こういうふうな状態でありますというと、現在所得が低い、のみならずその成長率も低い。同じく農林省の資料によりますと、成長率は非常にいい場合でも三・二%にしか達しない。悪い場合にはせいぜい二・五%あるいは二・二%程度にしかならないだろうということが報告されておりますが、工業の成長率、国民経済全体の成長率というものが、最近に新聞等に報じられております経済企画庁の三十五年度年次経済計画によりますと、三十五年度は約六・六%の成長を見込んでおりますが、これに比べて農家はわずかに三%以内、二・五%あるいは二・二%という、こういうふうな低い成長率、しかも現在も所得が低い、こういうことでありますというと、今後日本の経済が伸びていく場合に、この農業所得の低いということが非常に大きな障害になる、そういうことが考えられはしないかと思うのであります。そうしますというと、一体どういうふうにしてこの農家の経済というものを高めていくかということ、これが今後工業全体の発展にとっても非常に大きな問題になるであろうと思うのであります。  その意味で申しますと、今度の農業予算、農政全般については、このあと埼玉大学の秦教授がいろいろお話しになるそうでありますが、この農業予算をざっと見ますと、三十五年度は総額一千三百十八億円、前年比二四%という非常に大きな増加を見ているようでありますが、この増加の内訳を見ますと、食糧管理特別会計の赤字穴埋めが百二億円増し、災害関係費が七十三億円増し、そうすると、大体これでもって増加のほとんど大部分が消えてしまっているわけです。そのほかに農業基盤整備費、従来食糧増産対策費ということになっておりましたものが五十三億円増しということになっておりますが、これで見ますと、食糧管理特別会計の赤字の穴埋めとかあるいは災害関係費というものは、これは農業の生産性を高めるとか、あるいは農家の所得を増加するとかいうことにはまず一応関係がない。もちろん食管会計の赤字というものは、御承知の通り生産者保護のための現在の統制制度、買い上げ制度というものからきておるのでありますから、その限りでは農家の所得をささえているものではありますが、積極的に所得を増すとかあるいは生産性を高めるとかいうふうには、これは考えられない。そうしますと問題は、農業基盤整備費その他の積極的な農業の生産性向上策ということになるわけでありますが、これが一体どういうふうに今後展開されていくであろうかということは、産業政策全体にとっても非常に大きな問題になる。つまり現在の産業というものがこれからどんどん伸びていく、そうして非常に多くの人口をそこへ吸収することができるというふうになれば、これは非常にけっこうなのでありますが、一方において農業生産の方が停滞して、ここに人口が吸着しているというか、あるいは非常に多くの人口が農業に定着しているというか、そういうふうな状況のもとにありまして、今後産業の発展ということも望み得ない。そうすれば、農業生産を増大せしめて、そこから産業の必要とする労働力が得られるというふうになるのが、全体としての政策であろうかと思うのであります。  そこで、農業の生産性を増大するために本年度予算でどういうふうな政策がとられておるのであろうかということをちょっと調べてみたのでありますが、そうしますと、従来に比べまして非常に特殊な予算費目がだいぶあがっているようであります。一つは農業機械化促進対策費、あるいはまた生鮮食料品市場対策費、あるいは家畜畜産物の流通改善費とか、あるいは果樹園実験部落の設置費、輪作改善実験部落の設置費、あるいは農業機械化実験部落の設置費、飼料改善施設の設置費、こういうふうなものが幾つか新しく顔を出してきて、なるほど農業生産性向上のための努力がかなり払われていることが認められるのであります。一方また農林省所管以外でも、職業訓練所を農村に十四カ所設置する、あるいは就職あっせん協力員を約二千人置くとか、そういうふうな新しい政策も予算面に現われてきているようであります。しかしこういうことによって、はたしてこの農業の生産性というものがさっそく向上していくであろうかということは、やはりこれはかなり疑問であろうと思うのであります。たとえば先ほど申しました農林省の「農業基本問題に関する資料」というものを見ますと、今後の農業政策として、全体に食糧の自給度を高めて輸入を減らすというふうな積極的な政策をとりました場合にも、年率三・二%程度の成長率しか見られないのでありますが、この場合にはどうしてもそれだけの生産を維持するためには、米価の問題にしましても高米価を維持しなければ、生産意欲というものはわいてこない。一方需給の緩和によって、消費者米価の引き上げはやはり困難である。作付奨励金とかあるいは支持価格制というふうな政策をとるとすれば、これまた財政の負担が非常に大きくなるというふうなことから、この農業の生産性の向上というものは、あっちこっちでいろいろと壁にぶつかっているようであります。そうしますと、こういうふうな農業の生産関係というものを根本的に改善するためには、結局先ほど申しましたような非常に零細な土地耕作農態勢というものをまずどうするか、そうしていわゆる適正規模にまで経営規模を拡大する、そういうことが何よりも先決の問題になるであろうかと思うのであります。そのために政府では農地法の改正によって、従来全国平均約三町歩に制限されております経営面積を拡大するとか、あるいは小作地の制限を緩和する、あるいは農地の売買、移動を自由にして経営規模の拡大をはかるとか、そういうふうな方法も考えられているそうでありますし、また例の農業法人によります共同化あるいは農業専従者の所得控除、そういうふうなこともこれまた考えの中に入れられてきているようでありますが、それだけをもってしてもやはりこれは十分ではない。  もう一つの問題は、こういうふうにして経営面積を拡大するあるいは農家の経営規模の適正をはかるといった場合に、ここから生じてくる次三男というものはそれではどこへ向かっていけばよいのか。いわゆる農家の次三男対策でありますが、これは産業政策の方と密接にからんでこざるを得ない。つまり先ほど申しました経済企画庁の年次計画によります六・六%程度の経済成長率、その程度の経済拡大によって、農家の次三男というものをはたして工業の方へ吸収していけるであろうかどうかということ、こういうことはかなり問題であろうと思うのであります。この点非常に警戒的な論議と、あるいは別の意味で楽観的な論議と、この二つが対立した形でいろいろと論議されているようでありますが、たとえば国民金融公庫理事の下村治氏などあるいは木内信胤氏、そういう人たちの議論はかなり積極的でありまして、日本の経済が年率六%あるいは七%、その程度の成長では決して十分ではない。もちろんそんなことで、経済の景気の過熱であるとかそういうことが心配される理由はない。下村氏あたりの議論によりますと、年率一一%ぐらいまでは日本の経済は成長率を持っていても決して危険ではないというふうな主張がなされているようであります。その点いろいろと論議の余地があろうかと思いますが、もし農業の生産性を向上させていくということになればそこから出てくる、つまり農業労働力として今非常に低い生活程度あるいは所得に甘んじながら農家に定着している次三男というものが、この工業関係の方に吸収されていくためには、おそらく非常に高い工業成長率というものがやはり期待されねばならないのではないかと思うのであります。  そういたしますと、三十五年度予算の編成の形を全体としてながめますと、これはいわゆる中立予算、つまり経済の過熱を刺激しない、といってもちろん経済の後退は防ぐ、こういうふうな建前から、いわゆる均衡予算が出されたというふうに一般にいわれておるのでありますが、私これを見ますと、たとえば財政投融資の場合に開発銀行の分が三十五億円減っている、また輸出入銀行は増減なし、こういうふうなことであります反面におきまして、農林漁業金融公庫あるいは愛知用水公団、国民金融公庫中小企業金融公庫、住宅金融公庫、道路公団あるいはまた首都高速道路公団、こういうふうなものは全般的にかなりのふえ方である。そうしてこの財政投融資考え方全体としましては、いわゆる基幹産業向けの融資はこれを押える。その一方では、中小企業であるとかあるいは農林漁業であるとか、そういうふうなものに重点を置く。さらに政府事業の建設投資は九百六十六億円ということで、前年度比二百六億円という大幅な増になっておりますが、こういうふうにしていわゆる公共事業を拡大する、あるいはまた中小企業あるいは農林金融、そういうふうなものを拡大していって、基幹産業の分は押える。これによって経済の過熱を防ぎながら全体として経済基盤を育てていこうというふうな考え方のように見受けられるのでありますが、そういたしますと、これは先ほど申しました下村さんとかあるいは木内さんとか、そういう方の考え方とはむしろ反対で、経済の安定か、成長かという二つの考え方のうち、むしろ安定の方をとる。そうしてできるだけ過熱を押えながら、徐々に経済を育てていこう、こういうふうな考え方のように見えるのであります。  しかしながら、なるほどそれは非常に健全であり、かつ均衡のとれた考え方のように見えるのでありますけれども、そういうふうにしまして、現在基幹産業向けの融資を押えながら、ほかの方へ費目を拡大していくということになりますというと、一方において農業政策に関する予算が、今先ほど幾つかあげましたような農業機械化、あるいは麦作の改善であるとか果樹園とか、そういうものに対して新しい費目が設定されて、これを推進しようとされます反面で工業の方は基幹産業の融資を押える、こういうふうなことでは、この二つの、つまり産業政策とそれから農業政策との間に若干の矛盾があるのではないかというふうに見受けられるのであります。そういたしますと、私はむしろ三十五年度は繰り越し財源であるとかあるいは取りくずし財源であるとか、そういうものが三十四年度に比べて減る、あるいはなくなっているというような事情にありますために、減税とかその他の方策は見送られたのも、これはある程度やむを得ないと思いますが、しかしながら一方においては農業の適正規模、農家の適正規模への向上をはかる。それによって農村の次三男対策一つ推進する。そういうふうな政策を一方で進めておきながら、一方では産業方面に対しては、常にいわゆる過熱を押えていくというふうな方針、つまりこれを積極的に前向きに推し進めていくのではなくて、走り過ぎを押えながらやっていこうというふうに見えますのは、どうも私には納得できない節があるように考えられるのであります。  むしろ産業政策にとりましては、基幹産業向けの融資はさらに拡大してもよろしい、あるいはまた財界方面からもかなり要望があったと聞いておりますが、ここ数年来常に問題になっております設備の償却を早めるために、機械の耐用年数を縮少するとか、あるいはその他の助成措置を講ずるとか、あるいは法人税を減税するとか、そういうふうなことももっと考えられていいのではないか、こういうふうに思うのであります。なるほどことしあたりは経済が非常に順調に推移いたしておりますために、ある産業たとえば繊維産業であるとか、あるいは中小企業などは、新しく人を採用するのに非常に困難な状況にさえあるというふうなことで、これは大へん喜ばしいことだと思うのでありますけれども、一方財政計画というものは、こういうふうな経済の動きに対して常に抑制的に働いている。少なくともこれを積極的に推進しようというふうな方向に向いていない。こういうことはかなり再考を要するところではないかというふうに私は考えるのであります。  この点、いわゆる福田農政といわれておりますものは、まず第一に農業の生産性向上、第二には農山漁村の環境の整備、第三は農家の次三男対策というこの三つの柱によって進める方針たということを聞き及んでおりますが、これは農業の生産性向上はもちろんといたしまして、農山漁村の環境整備であるとか、あるいは次三男対策というふうなものは、いわゆる農業政策それ自体ではない。むしろ産業政策であるとか労働政策であるとか、あるいは厚生政策であるとか、そういうものと密接にからんでくる。その点非常に幅の広い農業政策の打ち出し方であると考えますし、また私はそういう考え方に立たなければ、農業問題を解決することはむずかしいというふうに考えるのでありますが、にもかかわらず、先ほど申しましたように、一方においては産業政策の方はかなり消極的であるというのは、これは一体どういうふうなことであろうかというふうに思うのであります。  特に三十五年度予算のみについて言いますならば、不幸な災害によりまして、治山治水というものが非常に重視しなければならぬ、あるいは災害復旧というものを急がなくてはならぬというふうな特殊な事情がありますために、ほかの新規の計画あるいは積極的な政策というものが見送られることになりますのも、ある程度やむを得ないことではありますけれども、それにしても中立予算であるとかあるいは均衡予算であるとか、そういうふうなことを考える余りといいますか、あるいはそれを考え過ぎて、先ほど申しましたように基幹産業向けの融資が押えられておる。そういうふうなことが一方においては出てきているということは、三十五年度予算全体の構成の仕方として、幾らか私は疑問の余地があるというふうに考えるのであります。むしろ国民経済の成長率はもっと大きい。つまり、昭和三十年から昨年度までの間に日本の生産は約二倍に伸びておりますが、こういうふうな非常に早いテンポ、また非常に大きな規模の拡大は今後望み得ないとしましても、それにしても、六%ないし七%程度の成長率、しかもその中で、先ほどから繰り返し申しておりますように、農業の成長率に至っては三%以下、そういうふうな成長率をもってしては、岸内閣が常に標榜しております所得二倍増加計画というものも、これは非常に心細いことにならざるを得ないと思うのであります。むしろ財政はもっと積極的な建設計画を持ち、それからまた農業政策と産業政策との間にギャップがないようにすること、そういうことが非常に肝要なことであろうというふうに考えるのであります。  元来政府の政策というものは、ことにこういう資本主義経済におきましては、国民経済全体を指導するというか、あるいは計画化するというか、そういうふうな指導的な役割を演ずるものは、社会主義国家と違いまして、国家財政のみが計画性を持ち、かつ指導性を持っているということは一般によく知られているところであります。そうしますと、この資本主義国家における財政計画というものは、社会主義国家における計画経済の果たす役割を非常に多くになっておるといふうにも言えるわけでありまして、こういう政策のギャップが内部にある。あるいはまた消極的である。そういうふうなことでは、今後の経済発展、特に貿易自由化を控えまして、日本の産業の基盤の強化、また農業それ自体もそうでありますが、この基盤の強化ということが非常に重要な問題になりつつありますときに、これは考え直さなければならないことではないか、そういうふうに考える次第であります。  私が今度の予算を見まして感じましたことは、大体以上の通りでありますが、これで公述を終わりまして、皆さんの御質問があれば承りたい、こういうふうに考えます。(拍手)
  48. 小川半次

    小川委員長 ただいまの西谷公述人の御発言に対して御質問があれば、この際これを許します。——他に御質疑がなければ、西谷公述人に対する質疑は終了いたしました。  西谷公述人には御多用中のところ出席をわずらわし、貴重なる御意見の御開陳をいただきましたことを委員長より厚く御礼申し上げます。     …………………………………
  49. 小川半次

    小川委員長 次に、埼玉大学教授玄竜君に御意見の御開陳をお願いいたします。
  50. 秦玄竜

    ○秦公述人 私、秦でございます。  私に与えられました問題は、貿易自由化と農業ということについてでありますが、貿易自由化ということについては、私はあらためてここにいろいろ述べるまでもないことだと思います。ただ、われわれ貿易自由化ということを考えます場合に、やはりその前提条件というのは一応考えてみなくちゃならない問題が種々あると思います。言うまでもなく、工業の水準が一定の程度に高まってくる、あるいは農業について言いますれば、それに対応するだけの農業構造を持っているということが当然に必要でなくちゃならないだろうと思います。  その観点から私たちが農業というものを考えてみます場合、日本の農業というものは、御承知のように、これはほかの資本主義諸国の農業というものと比べてみますと、非常にいろいろな問題を含んでおる農業であります。この点、私たち貿易自由化ということと、それからそれが直接日本の農業に及ぼす影響というものを考えてみる場合には、よほど慎重に考えないといろいろな困った問題が起こらざるを得ない。これは当然のことでありますが、そういふうに考えられるのであります。従って、同じ自由化といいましても、工業部面に対する自由化と、それから農業部面に対する自由化ではいろいろ違ったやり方がなくちゃならないでしょうし、自由化のスピードあるいは段階というものについても、よほど慎重にやらないと、日本の農業生産というものがかなり大きな打撃を受けるのではないか、こういうことがまず考えられます。これはごく簡単に申しますと、日本の農業の特性と一般に言われておりますのは、きわめて零細な農業経営であるということ、それからその生産性、とりわけ労働の生産性が農業においては非常に低いということ、これはいろいろ詳しい数字がありますが、非常に低い、それから農村のいわゆる過剰人口の問題、こういうものが控えております。そういうことから、当然に、最近では日本の農業の体質改善とか、あるいは構造改善ということがかなりやかましく言われておるのであります。  ここで若干数字をあげてみますと——これはFAOの発表の数字でありますが、御参考になると思いますので、あげてみます。産出量百キログラム当たりの平均投入労働時間は一体日本はどういう地位にあるだろうかというような数字があがっております。それによりますと、私もっぱら農業について申しますが、小麦については、アメリカ一時間、イギリス二・八時間、ベルギー四・二時間、日本は何と五十四時間という工合になっております。それから牛乳で、同じく百キログラムについてみますと、アメリカが五・三時間、イギリスが八・四時間、ベルギー六・一時間に対して、日本は十七・一時間ということになっております。それから米についてみますと、アメリカは一・三時間、日本は実に四十九時間であります。これはわれわれが農業における労働生産性というものを世界的に比較した場合このような大きな開きがあるということをまず念頭に置いていただきたいと思います。  それから日本の農業生産者は所得が非常に低い、農家の所得は非常に低劣だということをよく言われます。これについて若干見ますと、一日当たりの労働報酬というのは、小麦で五十八円ということになっております。これは三十三年度の数字であります。牛乳で二百十二円、これは三十二年度の数字、こういう工合な推算が出ています。米が若干人並みに近い所得を上げておるのでありますが、これでも一日当たり労働報酬は九百三十五円、これは三十三年度の数字であります。  こういう工合に、労働生産性がきわめて低い。それから、それにつれて労働の所得報酬というものも、非常に低いということがわかります。  由来、日本の農業政策というものは、米麦中心の、いわゆる食糧自給政策というものが中心になっていたと思います。ところが、御承知のように、戦後の一般的な趨勢を見てみますと、だんだん米麦中心の政策ではやっていけないような場面が、いろいろ出てきております。新しい傾向として出てきていますのは、畜産物とか、果樹だとか、野菜だとか、そういったものへの嗜好の増大、需要の増大というものが、非常に急激にふえてきております。  ところで、今まで日本の農産物に対して、何らかの意味で政府が干渉をして、それに対する価格が、何らかの意味で支持もしくは維持されているものというのは、大体全農産物の七割であります。その七割というのは、今申しました畜産物、果樹、野菜を除いた以外の七割であります。米麦を初めとして、カンショ、澱粉類、バレイショ、繭、こういったたぐいであります。従って、新しく伸びてきているもっぱら商品的な作物である畜産物、果樹、野菜、こういうものは、そういった政府の干渉を全然受けていない。ただ一つ関税的な措置を受けていますが、とにかくそういった状態になってきているということです。  ところで、私たち新聞を見てみますと、通産省が八日に締め切った、テスト・ケースとして外国からのいろいろな消費財の輸入申請をとった結論を出しておりますが、それによりますと、この場合、消費財の輸入の申請に対して、最もたくさん出てきたのは何かといいますと、主として食料品であります。朝日新聞の記事によりますと、内訳のおもなものは、ジュース、メロン、ブドウなどの青果物、それからバター・チーズ、ミルク、こういったものが輸入申請の約七割を占めているということであります。そうしますと、日本国内で全然価格の上で政府の干渉を受けていない畜産物、果樹、野菜、こういう類が、実は一番求められている対象であるということが、非常によくわかります。この点から、日本の農業が商品的な農業というものに、今後伸びていくことは当然でありますが、それにもかかわらず、日本の農業が、従来あるいは現在の段階でも、ある程度米麦中心の食糧自給政策的なものに、政策の重点がかなり大きかったということ、これは一つ考えておかなくちゃならない点だろうと思います。  そのために、私たちが考えますことは、今後の日本の農業のあり方というのは、そういった国内の需要の転換あるいは国際的な需要の転換、私が言いましたこういった畜産物、あるいは果樹、野菜への需要の転換というものは、これは単に日本だけではなくして、世界的な傾向であります。私ドイツにいましたときに、やはりドイツでも同じような問題にぶつかっておりましたが、そういった世界的な傾向であります。そういう点から考えましても、農業の将来というものをわれわれが慎重に考える場合には、農業というものの将来は、一体どういう方向に向かいつつあるかということも、十分計算に入れて、一定の政策を立てなくちゃならないと思います。  従って、直接問題になってきますことは、今までの米麦中心の日本の農業政策というものから、日本の農業は将来は、やはり商品的な作物農業へ移行する方向を、一応考慮に入れて考えられなくちゃならない。それから、先ほど申しました日本農業の特有のいろいろな性格というもの、こういうものをわれわれが打破して、そして、そこから世界経済に対抗できるような準備というものが、まず当然必要になってこなくちゃならないのであります。これには、いろいろな技術的な問題、あるいは制度的な問題が当然考えられなくちゃならないし、またそのためには、相当思い切った政策の転換というものが当然考えられなくちゃならないと思います。  よく日本の経済は、二重構造だということがいわれます。この二重構造というのは、先ほどの公述人の方からも言われましたように、工業生産と農業生産における格差が極端に開いているということ、あるいは農業所得が非常に低位であること、あるいは労働生産性を比べた場合に、農業における生産性と工業における労働生産性が、非常に開いているということ、こういったことが、国民経済という観点から見た場合に農業が非常に立ちおくれ、停滞している——これは相対的な意味でありますが、停滞しているということは、国民経済的な観点から見た場合には、非常なウイーク・ポイントをなしている。こういうウイーク・ポイントを持ったなりに、そこに対する根本的な政策を持たないなりに自由化の方向へ向かいますと、これはかなり容易ならぬ問題が起こってくるのじゃないか、私は特にその点を心配するのであります。  そういうことで、農業に関します限りは、おそらく自由化の方向というものも、工業面と違った一定の段階を持って進んでいかなくちゃならない。総合政策研究会のものによりましても、そういう段階的なものは、かなり考えられているようでありますが、いずれにしましても、かりに貿易自由化というものが、ある程度でも農業に適用されてくるというようなことになりますと、日本の農産物は海外の農産物と、直接的な競争の立場に立たされるということは、早かれおそかれそういう状態に置かれるということは、これは当然考えてみなくちゃならない点であります。そういった場合に、先ほど言いましたような日本の農業の状態で、はたして外国のそういう農業生産物と太刀打ちできるかどうかということに、一つ大きな問題があります。  それから、かりに自由化という方向になってきますと、その反面には、たとえば肥料とか飼料、農薬、農器具というようなものが、ある程度外国から入ってくるでしょうが、国内の最近のいろいろな状態を見ますと、企業の系列化とか、そういうことはかなり急速に進んでいますが、そういう安い外国の資材類がかりに入ってきたとしても、はたしてそういう安価な外国の資材に、農家がそのまま均霑し得るかどうかということも、考えてみなくちゃならない一つの問題であります。  それから、体質改善ということは、農業がかりに自由貿易に向かわせられた場合には、これは当然根本的になさなくちゃならない問題であります。  ただ、そういうことはだれでも一応はわかることだと思いますが、現在私たちが政策の面から考えました場合に、そういう当然なことが、はたして農業政策の面にはっきりした態度で打ち出されておるかどうかということに、非常に疑問を抱くのであります。これは、農業基本問題調査会の結論待ちだということを、私たちはよく聞きますけれども、現在の段階で、すでに自由化ということは相当目の前に迫った問題になってきているときに、なおかつ結論待ちということで、はたして過ごせることであるかどうか。これは非常に差し迫った問題であるだけに、私たちはもう少し、予算の面でもそういう点でははっきり出していただきたかった点であります。  それからもう一つ予算の具体的な面に入ります前に考えていただかなくちゃならないのは、こういう自由化の問題というものを考えてみます場合、御承知の東南アジア諸国の問題が当然あわせて考えられなくちゃならない問題だと思います。東南アジア諸国というのは、総じてこれは農産物の生産地であります。そういう観点から考えてみますと、日本自由化というのは、かりに機械その他ということでかなり大きな方向に向いているとしますれば、東南アジア諸国と日本自由化という関係が、なかなか困難な問題がそこから出てくるんじゃないだろうか。きょうあたりの新聞を見ましても、東南アジア諸国は、日本が東南アジアから買い入れるものがないならば、中共との取引を進めていくというようなことを、すでにエカフェの会議で出しているようでありますが、こういう問題が日本ではチンコム、ココムにかなり押えられておりますが、そういう問題とからまって、また自由化の問題をよほど慎重に考えてみたいと、かえって自由化をしながら日本がアジアにおいては孤立化しなくちゃならないというような問題さえ出てきかねないと思います。これはことに農業に関する限りそういう問題が出てこざるを得ない。それから東南アジア諸国からまた物を入れるということになりますと、東南アジア諸国と日本との農産物についての競争的な立場というものがある程度出てこざるを得ない、こういうむずかしい問題も出て参ります。  そういう観点から、私たちが三十五年度予算というものを、これは一々小さく検討していくことはなかなか時間がかかって大へんでありますが、一応私が見ましたことから申し上げます。  農林省の予算編成方針というものは、述べられているところによりますと、農業生産基盤の強化、それから生産性の向上、経営の合理化、流通の改善、農山漁村の環境改善、過剰人口対策というようなものが予算編成方針として述べられているのであります。ところが、こういった編成方針の基礎が、具体的に予算にどういう工合に出ているかということを考えてみますと、編成方針というものが一応柱には立てられているが、必ずしも貫かれていないのじゃないかという感がいたします。  この第一の農業生産基盤の強化というのは従来の食糧増産対策費の名目が変わったものでありますが、この点についても、これは主として土地改良あるいは小団地開発というようなこと、あるいは愛知用水だとか、北海道の泥炭地の開発だとか、特定地開発事業というものがあがっておりますが、一般的に日本の農業の基礎をいかに固めていくか、あるいは具体的には労働の生産性を高め、やがては貿易自由化に対処できるような農業を日本で育成するために、この生産規模をいかに強化していくか。こういう点で、私たちははたしてここに立てられているような問題だけで事が済むのかどうか、非常に疑問を感じます。  それからこの生産性の向上とからみまして、当然に畑作改善ということがかねてから問題になっているのでありますが、この畑作改善につきましても、その中心であるたとえば麦作の対策というものを一体どう考えておられるのか。麦生産合理化対策に対しましては五千九百八十五万という数字があがっておりますが、現在農家の話を聞きますと、麦からほかの作物へ転換したいという意向がかなり強いのでありますが、この転換対策を一体、どういう工合に解決しようとしておられるのか、こういう点についてはほとんどノー・タッチであります。これはわれわれが貿易自由化ということを考える面からでも、非常に重要な問題だと思います。それから大豆、菜種こういうものは、このジュネーブの会議の農林省の説明によりますと、この雑穀類というのはまず第一に自由化するという方向に向かっているようでありますが、こういった雑穀類に対する対策というもの、これは千二百三十五万円と、技術普及とかその他の特別地区を設けてあげてありますが、こういうことで一体この雑穀類に対する対策というものがいいのかどうか、この点も私いささか言葉が過ぎるかわかりませんが、何だかどろなわ式にこういうものが名目があげられているような感じがするのであります。それから今後この果樹栽培という点については相当大きなウエートがかけられなくちゃならない面がありますが、この果樹栽培ということに対しましても、はっきりした方向というものがまだまだ出てきていない。二千四百十五万円というきわめて小さな数字があがってきております。もっともこのほかに五億円の農林漁業金融公庫からの融資というものが用意されておりますが、この点でも私個人としましてはいささか不満な点であります。  それからそういう生産性の向上とからみまして経営の合理化、これはしょっちゅう言われておるのでありますが、経営合理化という点に関しましても、何だか今度の予算措置の中では積極性が見られない。合理化に関して根本的にはたしてどういう対策を持っておられるのか、積極的なものがあまり見られないのじゃないか。  同じように言われている流通改善についても同じことであります。三千万円というのは食料品の中央卸売市場の機構刷新というものにあがっておりますし、家畜食肉市場の新設というようなこともうたわれてはおりますが、この流通改善問題というのはかなり大きな問題でありまして、今後十分考えてみなくちゃならない問題でありますが、この点に関しても、私は政策としてどういう基本的な政策を持っておられるのか、はっきり見取ることができないのであります。  それともう一つ、先ほども公述人が述べられました食管会計の問題であります。この食管会計はことしはかなり予算がふえているようでありますが、一体この食糧政策というものに対して、ことに自由化というようなことを頭に置きながら政府はどういうことを考えておられるのか、この点がやはり予算の面あるいは政府発言の中にもはっきり出てきていない。この点もやはり——われわれがことに今までの米麦中心の農業政策というものから何らかの意味で転換していかなくちゃならないというような政策転換の場面に差しかかってきている場合、食糧政策に対して基本的にどういう方向に向かおうとしておるのか、こういうことを明らかにする、これは当面非常に必要なことだと思います。この点ことしは相当食管会計は増大しているのでありますが、一定の方針に従ってはっきりした増大を見せているならいいと思いますが、そうでなくして、行き当たりばったりというような工合にこれが処理されているのだったら非常に重要な問題だろうと思います。何しろ限られた予算ですべてを満足させるということはできないのでありますから、まず第一に問題は、こういった日本農業の置かれている立場あるいは貿易自由化というようなものを念頭に置いて最も基本的な農業政策、計画的な農業政策ということを立てることがどうしても必要である。そういうものに従ってこの政策が立てられているかどうか、あるいはアジアにおける諸国との問題、そういうことも考慮に入れながらこの政策が立てられているのかどうか。こういう点で私は予算を見て——これは基本問題調査会の結論待ちかどうか知りませんが、そんなにのんきにいっておられる問題じゃないだろうと思います。  それから御承知のように兼業農家の問題、これは実は残念ながらこの予算面の中からは私はあまりはっきりしたものをくみ取ることができません。何しろ職業訓練というようなことはあがってきておりますが、そういうことではたして日本の兼業化あるいは農村の過剰人口というものが救われるのかどうか、こういう点はもっと根本的な問題があると思います。御承知のように日本の兼業農家というのは全農家の六五%を占めているのであります。しかもこの兼業化の方向というものはかなり急速なテンポで進みつつあります。こういうことを考えますと、兼業化の問題あるいは兼業対策というものは、農業政策の中でも相当重要な柱にならなくちゃならないと思います。これは過剰人口の問題とからみまして当然出てくる問題でありますが、こういう点も予算措置の中ではほとんど出てきていないのじゃないかと私は考えます。農業に関します限り、当然貿易自由化というようなことを頭に置きますならば、それに対処し得る日本農業の基礎というものがまずない限りは、あるいは政策としてしっかり打ち立て、そういう方向に向かうというはっきりしたものを打ち出していかない限りは、うっかりすると日本農業は非常に大へんな目にあわざるを得ない、こういうことはだれでも考えることだと思います。それが三十五年度予算に関します限りは、私はどうもそういう点はっきり見取ることができないというのが、私の率直な感じであります。  基本問題調査会というのがいろいろ考えられているそうでありますが、私、御参考までに若干申し上げておきたいことは、ドイツの場合——私はしばらくドイツで農業基本法の研究をしたのでありますが、その場合に感じましたことは、ドイツでは御承知のように一九五五年から基本法を施行しております。その基本法を施行して、現在の欧州経済共同体から貿易為替の自由化というものを打ち出してくるまでの間約五、六年にわたって、それに備えるための十分な準備をしているのであります。そういう準備を経てヨーロッパ経済共同体の中から貿易自由化の声というものが非常に強く打ち出されてきている。ちょうど日本は今ドイツの一九五五年くらいの時点に立っているのじゃないかと、これは政策的に考えまして思われるのであります。五五年まではドイツはもっぱら工業の資本蓄積ということに重点を置いていましたが、五五年以後は農業に対する資本蓄積の増進、農家所得の増大だとかあるいは労働賃金の引き上げということにあらゆる力を注いでいったのであります。そういうことの結果、ドイツの農業がある程度の基礎ができ、ここで貿易為替の自由化というものをやってもまずまず問題ないというところにきて、初めてああいった思い切ったことを打ち出してきたのでありますが、日本の場合、そういった準備が現在一体行なわれているかどうか、この点私は非常に疑問に感ずる。言うまでもなく、私はドイツの農業基本法のやり方の全部が全部必ずしもいいと思いませんし、事実内部的にも若干の問題を含んでおりますが、にもかかわらず、やはりある程度の成果をおさめているとすれば、やはり日本の場合にもそれだけの十分な準備がなされた上で事を処置してもらいたい。ことにこれは予算の面でそういう点がはっきり打ち出されてきていないことと関連いたしまして、私はそういうことを非常に痛感するものであります。ことに日本の場合には、すぐ隣りには中国あるいはソビエトあるいは東南アジア諸国というような、非常に複雑な政治的な関係の中に置かれていながら、はたしてそういうことについての配慮が、ことに農業の場合に十分行なわれているのかどうか、こういう点にも私は若干納得のいかない点があるのであります。  大体私の感じましたこと、あるいは自分で思っていることを申し上げたつもりであります。一応これで終わります。(拍手)
  51. 小川半次

    小川委員長 ただいまの秦公述人の御発言に対して御質問があれば、この際これを許します。倉成正君。
  52. 倉成正

    倉成委員 秦さんにお尋ね申し上げたいと思いますが、先ほど外国からいろいろ安い農産物ないし農業用資材が入ってくるという点で、農薬の事例をあげられましたけれども、私の知る範囲では、農薬につきましては外国と技術提携その他やっておりますけれども、安いのが入ってきて、日本の農薬が非常に困るという事例を承知してないのでございますが、何かございましたら一つお教えいただきたいと思います。
  53. 秦玄竜

    ○秦公述人 農薬が非常に安く入ってきている事例と申しますのは、私、具体的にまだこれこれの品目がこれだけ安く入ってきているということをはっきりつかんでおりませんが、そういうことは十分考え得ることだと私は思います。
  54. 倉成正

    倉成委員 具体的なスケジュールで慎重にやっていかなければならないということはお説の通りと思いますが、それでは品目としまして、砂糖、飼料、羊毛、酪農製品あるいは肥料、最後に食糧、こういうものについて何か具体的な御意見があれば一つお教えいただきたいと思います。
  55. 秦玄竜

    ○秦公述人 これは食糧、現在輸入されているのは米麦が中心であると思いますが、こういうものにつきましては、もう私がここで説明するまでもなく、農林省関係のいろんな安く入っている資料は出ていると存じます。それから酪農製品につきましても、これは大体ポケット農林統計を見ましても、こういうことははっきり出てきていると思います。それから砂糖でありますが、これも大体いろいろな農林省関係の統計の資料を少し見てみますと、すぐ出てくると思いますが、私、きょうそういうのをあいにく準備して参っておりませんので、数字であげることはちょっとできません。
  56. 倉成正

    倉成委員 それではそういった具体的なスケジュールについての御意見を別としまして、三十五年度の農林予算について、自由化に対するいろいろな施策が非常に薄いということで、麦作あるいは大豆、これについての合理化施策の一例をあげられましたが、これはなかなかむずかしい問題と思うのです。それでたとえば千三百十九億の予算のワクをいろいろいじって参りますと、いろいろ問題があると思いますが、現在の予算の範囲で秦先生お考えになって、自由化対策としてもっと積極的にやったらどうかという、何か具体的な名案があれば、一つこれも御教示いただければ幸いだと思います。
  57. 秦玄竜

    ○秦公述人 現在農林省では麦生産合理化対策というのがあげられまして、多条まきを中心にした省力多収穫栽培というものがこの麦対策としては主としてあがっているのであります。そのために部落四百五十を選定して、まずやってみるということが出ているのでありますが、もちろんそれもけっこうだと思いますが、私は、やはりそれでは麦からほかの作物へ転換する場合——こういう希望に、農家を実際私たちいろいろ実態調査をやってみるとしばしばぶつかる問題でございます。ことに私は埼玉にいます関係で、麦作中心の埼玉県でよくこういう問題に、ぶつかりますが、こういう場合、それではほかの作物に転換して、一体それで安定的な経営ができるかということに、実は農民は非常に不安を抱いているのでございます。この点、やはり政府としては、転換した場合に、一定のこれこれの条件を持っていれば麦よりもより有利だというような、政策的な指示がなくてはならないだろうと私は思うのであります。ことに麦の問題というのはきわめて大きな問題でありますが、この点今まで、これは県当局もそうですが、農林省からそういうことに対して、一体何か具体的な指示があったかというと、私は、ほとんどなかったように思うのであります。それではお前は一体どういう政策を持っているのかということになると思いますが、やはりこれから伸びていく商品作物として、先ほどあげました幾つかのものがあります。野菜類だとか、あるいは果樹だとか、酪農問題があります。それからまた適地適作の問題も、この場合には十分考えなくてはならない。そういう観点から具体的な地域地域についてわれわれが農家とつき合わせながら具体的な策を立てていくということが一番好ましいと思うので、一般的にお前は麦から何にかわれということは、これは言い得ない問題だろうと思います。
  58. 倉成正

    倉成委員 それでは果樹の問題でございますね。これは私非常に深い関心を持って研究しているのでございますが、果樹の振興につきましてこれから先非常に問題のありますのは、需要がこれから十年間くらいのうちに二倍以上になってくるのじゃないか、また生産もそれ以上伸びていくのじゃないかといわれていますが、これに対して何か具体的に、予算的に先生がお考えになっている施策、農林省がただいま政府予算の中であげておりますものもその一部と思いますけれども、何かありましたら一つ……。
  59. 秦玄竜

    ○秦公述人 果樹は当然これから伸びていくものだと私は存じますが、ことにこれからの栽培については、よほど品質ということを考えていただかないと、ただ果樹を作りさえすればいいという問題じゃないと存じます。それから私一つ考えますのは、ヨーロッパに行ってみまして、ヨーロッパの果樹の品質と日本の果樹の品質を比較してみますと、日本の果樹というのは非常に優秀なくだものでありますが、こういうのが一体ヨーロッパとか、その他外国に輸出されているのかどうか、こういう点で私非常に疑問を持ったのであります。かなり優秀な日本の技術をもってするりっぱな果樹というものが、何らかの方法によって大量に外国にでも輸出できるというような方法を今後はもっと考えられなくてはならないのじゃないか。国内の需要が増すという内需を目的とするだけでなくして、ある場合には加工をし、ある場合にはなまのままでも、もう少し輸出ということも十分考えられてしかるべきだと私は考えます。
  60. 倉成正

    倉成委員 果樹については具体的な御意見もないようでございます。今輸出は、ミカンがカン詰が九十億、それからなまが七、八億出ていることは御承知の通りでございますが、最後に過剰人口対策、兼業問題と関連しまして、経済の成長率を非常に高めることによって農業からはみ出す人口を吸収するという御意見を先ほど西谷先生もお述べになりましたが、秦先生一体どういうふうにお考えになっておりますか。
  61. 秦玄竜

    ○秦公述人 その点西谷さんと全く同意見でありまして、私、日本の場合にはドイツなんかとその点根本的に事情がかわっていると思います。ドイツでは現在過剰人口、失業人口というのは大体十六、七万といわれていますが、それに対する職業を求める側は実に三十七、八万でありまして、超完全雇用だといわれております。こういう点から考えましても、日本の場合と経済構造が本質的に違っているのじゃないかということが考えられるのであります。この点、日本の場合には、当然やはり工業における成長率の拡大ということによって農業の過剰人口を吸収する、何らか国民経済的にその点十分検討され、将来ぜひそれを実現されていかなくてはならない問題じゃないかと考えております。
  62. 倉成正

    倉成委員 どうもありがとうございました。
  63. 小川半次

    小川委員長 上林山榮吉君。
  64. 上林山榮吉

    上林委員 秦公述人にお伺いするわけでございますが、これは西谷公述人にも関係がございますので、席を改めてまたお話を伺いたいと思います。というのは、立場こそ違え、与野党ともに予算を審議するたびごとにそれぞれ質疑が行なわれたり、また悩んだりしておる問題でございます。というのは、先ほど秦公述人のおっしゃるには、日本農業の特殊性から考えて、自由化を前提としてやがては日本農業を強靱なものに持っていかなければならないが、当分農業の保護政策というものも加味しなければならぬ、こういうふうに私は結論的に受け取ったわけでございますが、私も、その点についてはその通りである、こういう前提に立ちましてお伺いしたい点は、お話にもありました通り、食管会計はもう壁にぶち当たって、この辺でカーブを切りかえて思い切った施策にかわっていかなければならない、ここまでは私どももわかるのでありますが、実際それならば、具体的にこれをどういうふうにカーブを切って転換するか、こういうことになりますと、責任のある立場の人々は、これは相当慎重に考えてやらなければならぬというので、まだ最後の踏み切りまで来ていないわけであります。しかし、やがてはこれは取り組んでいかなければならぬ難問題だと考えております。  そこで、日本の農業を保護するために——これは私ども保護しなければならぬと思っておりますが、農業を保護するために、高く米麦を買って、消費者にこれを安く売っておるという、これはもう財政学的に考えれば、確かに大きな矛盾だと私は思うわけであります。高く買って、赤字を出して安く消費者に売っているという二重価格制度は、やむを得ざる段階としてこれをとったわけでありますけれども、あなたのおっしゃるように、もうこの問題はカーブに来ておるから何とかせなければならぬという、その何とかせなければならぬという具体的な御構想があれば、一つ参考に承っておきたいという点であります。なお、これに含んで、これは言うまでもなく、国民経済上の消費者の立場からもいろいろ検討していかなければならない問題があるので、財政学一本で処理できない矛盾もあったので、こういうふうに一つはしておるわけであります。そこで、その一つの案の中に、自由販売制度というものを間接なり、あるいはもう直接なりどちらでもいいから、自由販売制度に切りかえる時代に来ておると思っておられるかどうか、この点もあわせて一つ伺っておきたいと思います。
  65. 秦玄竜

    ○秦公述人 非常にむずかしい問題でありますが、私は結論から先に申しますと、いきなり今の食糧問題を自由に野放しにするということは、まだまだ現在の段階では危険ではないかということ、それから食の内容がかなり戦後急速に変わりつつありますが、まだまだ現在の段階では、米麦というのはやはり国民の主たる食糧であるということ、それからもう一つは、日本の消費者——農民もある程度含めてですが、消費者の生活水準が、今おっしゃった高く買って安く売るという政策をやめても、国民のそういう所得水準からいって、はたして国民生活が破綻なくやっていけるかどうかという点で、私はなおかつ若干の疑問を抱くのであります。最近生活水準が一般に非常に上がったといわれますけれども、まだ非常に低い部分もたくさんあるのであります。そういう点から考えまして、完全にその制度をやめるということに対しては、私はまだ危惧を持っているということを率直に申し上げます。主食の自由販売の問題については、私は、結論的に申しますと、大体そういう考えであります。それから、具体策を何か持っているかというお話だったと思うのでありますが、残念ながら私は今すぐここで申し上げられるような具体策はまだ持っておりません。
  66. 上林山榮吉

    上林委員 それならば、当分はやむを得ざる制度として二重価格制度をとっていかなければならない、こういうことになるのでございましょうか。それから当分二重価格制度をこのままでとるとするならば、赤字を半分にでもするような何か構想を練られたこともあるかどうか、これが第二点。第三点は、これは現実にはやみ値が配給価格よりも安いという府県が相当に出てきておると思うのです。もっと出てくるだろうと思います。御承知の通りに、農業の生産性が高まってくるし、かつまた幸いにしてここ三年間は豊作である。こういう実情から考えていくと、やはりそういう府県がまだ追加されてくるだろう。こういうことをお考えになって、——壁に来たということだけは、当該委員会の諸君は、一応それぞれニュアンスは違っても、大がいその点はみな心配しておる点なんです。われわれが聞きたいのは、そういうようなところももし聞けれはお聞きしておきたい、こういうわけでございます。  そして、翻って最初の第一間に返ってくるわけですが、現状は、財政学的には、財政上のやり方としては、確かにそれは矛盾だが、当分は日本の食糧事情からいってその矛盾を続けていってよろしい、こういうふうに結論づけられるかどうか、これは西谷さんに時間があれば伺いたかったのでございますが、この点を一つ……。
  67. 秦玄竜

    ○秦公述人 私、今おっしゃったように、最近は非常にやみ価格が公定価格よりも下がっておるというようなことから考えましても、早晩これはやはりそういう今までのような食糧政策というのは何らかの形で改められるか、あるいはもっと合理的な方法に切りかえられなくちゃならないということは、私も当然認めるわけであります。ただ、その場合にそれをいかに具体的に改めるかとか、あるいは合理的な食糧政策に切りかえていくか、これは日本の農業政策とも非常に重要な関連を持っていることだと思いますが、これはいろいろな点で重要なひっかかりがありますし、それから上林山さんもおっしゃったように、財政学的な問題も相当からまってくると思います。その点、私どうそれを処理していいかということを具体的に聞かれましても、今すぐここでここをこう曲げたらいいだろうとか、それをこう改めたらいいだろうというようなことは、はっきり申し上げることはできないのであります。
  68. 小川半次

    小川委員長 淡谷悠藏君。
  69. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 二、三点お伺いしたいのですが、実はさっきの倉成委員からの質問のように、現在の政府予算のワクで何とか農業政策の転換をはかるということは無理な注文だろうと思うのです。やはりこの際もっと保護政策を徹底さして、曲がりかどに来た農業政策の曲がり方を遂行させなければならないのじゃないかという考えを持っております。それでお伺いしたいのは、さっきのお話で大へん興味深く思ったのですが、農業の生産性という問題なんですが、どうも日本の現状では、ただ現物の農業生産物を多く生産するというだけでは、生産性の向上にならぬのじゃないかと思います。そこにやはり商品経済に乗ってきたわけですから、商品として販売したあとの所得が増大されないと、生産性の向上ということは言えないのじゃないかと思いますが、現在の農業問題の考え方の中に、現物の生産をもって直ちに生産性の向上だというふうに考えて、いろいろな予算措置あるいは農政を立てるという面がまだ残っているように思いますが、その点はどうでございますか。
  70. 秦玄竜

    ○秦公述人 生産性の向上ということは、もちろん私きょう申していますものは、農業における労働の生産性の向上ということを申しているのであります。それから、その場合に農産物の質の問題ということは当然問題になってくる。もちろん私その中に含めたつもりでものを言っているのであります。これはまたドイツの話になって恐縮でありますが、ドイツなんかでも最近非常に問題にされておるのは、農産物の質の向上というのが、技術指導あるいは品質の改善あるいは流通改善の問題ともからんで、非常にやかましく言われておるのであります。この点はやはりわれわれが日本の生産性を向上させなければならないという場合には、当然にそのことも考えの中に入れて質の改善ということ、あるいはそれにさらにからんで流通改善の問題も考えられなければならないことであります。その点はたしてどの程度まで農業政策の中に盛り込まれているか。ことしは試験研究費とかその他あるいは技術研究、試験所に対するといういろいろな程度のものがあっちこっち見えておりますけれども、それが私が先ほど申しました基本的な農業政策とからまってそういうものがはっきり打ち出されてきているならいいのでありますが、何かこういうことが言われるからといって、思いつき程度にあっちこっちにそういうものをちらちら出してくるというのでは、私はほんとうの生産性の向上とか質の改善あるいは自由貿易に対処するような準備というものはできて来ないと思うのであります。
  71. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 私も実は貿易自由化という現実の問題が迫っている場合に、貿易自由化はあえてやるような勇気を持ちながらも、農政を大胆に曲げていくためには非常に予算措置が乏しいということを感ずるのであります。さっきの話の中にもありましたが、百キロ当たりの投入労働時間は、米の場合、アメリカの一に対てし日本は五四、それが牛乳はアメリカの五・三に対して日本は一七・一と申しますと、投入する労働時間というものは米の方が非常に多いのですが、所得という面から見ますと、米は一日当たり九百三十円、牛乳は二百十二円と申しますと、これはやはりそこに現在の食管制度というものが農家の所得を非常に多くしているということが立証されているわけです。特にまた今度の貿易自由化で牛乳、酪農製品、それから果樹、野菜といったようなものの自由化にからまる輸入要求があるというのでございますが、現実の国内の生産を見ますと酪農製品でも果樹生産でも、野菜の生産でも、生産という面からしますと、少しオーバーしている形が多い、しかもこのオーバーしている生産品が十分に消費し切れないというのは、消費市場における価格と生産者の手取り価格の中に三倍、四倍、ひどいのは十倍くらいの差を持っているという流通過程の矛盾が非常に多いのであります。これは消費段階の組織ができていないというのが一つと、また小売商人などの零細性が生産者の零細性と同じように扱われているところから、非常に販売費用がかかるということもございましょうが、この辺に大胆に手を入れませんと、なかなか自由化されましても、国際的な生産物との太刀打ちもできないばかりではなくて、同時にまた国内にあり余るものがみすみすなくなってしまうということも出てくると思うのであります。お話の通り、やはり今年度予算を見ますと、こうした流通過程における矛盾を切るような大胆な予算措置が私どもの目には見えないようでございますが、どうお考えでございましょうか。その点ももう一ぺんお聞きします。
  72. 秦玄竜

    ○秦公述人 今おっしゃいました流通機構の問題でありますが、私もその点は大体同感であります。流通改善に関しましたことしの予算措置というのは、中央卸売商品市場の三千万円と、それから肉畜の市場を開設するという幾らかのあれが出ておりますが、おっしゃる通り流通機構というものはきわめて複雑な機構を現在持っておりまして、これを改善するためには、よほど思い切った措置が講じられなくては合理的な流通機構というものはなかなか作り上げられないだろう。そのためには予算も若干必要になってくるでしょうが、その点もこれはできるところから一つずつやっていかれるという御方針かもわかりませんが、全体的に考えます場合には、やはり流通機構の改善ということは非常に口やかましく言われているにもかかわらず、何か具体的に大幅にそれを改善していこうというような政策の裏づけとなるべきものが、私は残念ながらまだまだ非常に足りないのじゃないかという気は強くしております。
  73. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 保護を受けております米、麦などの場合と、果実、野菜、酪農製品の場合とでは、ここに判然たる区別のある農政が行なわれなければならないと思うのです。特に米が保護を受けまして、農家の収入が比較的増しながら国家が大きな矛盾を来たしているという食管特別制度ですが、これなども食管特別制度だけをいじるのではどうにもならぬと思うのです。この保護政策の上に安住して、非常に生産構造の停滞性を見ております米麦の生産構造を変えなければ、米麦の問題は処置がつかぬと思っておりますが、それにはやはり現在の経営技術の面まで手を入れまして、特に耕地などの広さについても、さっき西谷先生がおっしゃったように、従来の一ヘクタールを基準としたような規模じゃなくて、もっと思い切った大栽培にいかなければ、米麦、主穀の問題は解決がつかぬと思いますが、同時にまた保護からはずれております一般の作物につきましては、現在の法人化の問題、あるいは農業協同組合の生産共同化の形にまで持っていって、近代的な農業にまで発展しなければ、何としても、この行き詰まった日本の農政の、曲がり角は曲がれないと思うのです。ところがこっちの方は予算的に見ますと、さっぱり曲がっていないで、ただ自由化だけ促進して、農政の行き詰まりを自由化で押し通そうとするところに、私は非常に大きな農政の混乱を招くのじゃないかということを多分に考えております。さっきのお話の通り、ここで準備を要し、調査を要し、緊急を要するのは貿易自由化の方であって、予算措置を大胆にとって成功するのは具体的な農業政策の方じゃないかと思うのですが、本年度予算を見ますと、逆になりまして、準備を要する自由化の方はどんどん進め、実際実行予算を組まなければならない曲がり角に来た農政の予算が非常に少ないという感じを持つのですが、これは先生方から見ますと、どういうふうにごらんになりますか。もう一ぺん教えていただきたいと思います。
  74. 秦玄竜

    ○秦公述人 米は先ほど私が数字をあげましたように、九百三十円というように非常に労働報酬が多いのでございまして、一番保護を受けている米が、そういう工合になっております。その他のものはきわめて低いというのが実情であります。従ってそこに米の生産構造、それから日本の農業の中における米の地位というものは、現在の経済的な段階から比べて非常に根本的な矛盾があるということは、これはどなたもお認めになることだと思います。矛盾があるならば、政策の上でできるだけその矛盾をなくするような方向に切りかえていただくということも、また当然なことだろうと思います。ただ予算的にそれがどう裏づけられた政策として打ち出されてくるか、それは当然に食管会計を今後どうするかという問題とからまってくるのでありますが、そこまでやはりもう少し政府としてははっきりしたものを、今後はこう持っていくということを出してきた上で、まず当面はこういう措置をするのだという工合に、私は示していただきたかったと思うのであります。  それから日本零細経営の面でありますが、御承知のように日本零細経営というのは、外国ですと大体十ヘクタール以上、十ヘクタール以下というのは零細経営の中に入るのでありまして、ドイツなんかで今育成しようとしているのは、大体三十、五十ヘクタールというのが、適正規模として育成しつつある規模であります。そういうことから考えますと、日本の一ヘクタール以下の大体八十アール程度というのは、これはそういう面からいうと、ほとんど問題にならない零細規模であります。それを一体どうするかというのは、農業法人の問題にからみまして、かねてからいろいろ問題になっている点であります。何らかの意味でやはり農地法というものに対して日本の農業が一つ企業もしくは産業として、資本採算のとれる仕事として将来立っていかなければ、かりにいつか自由化にならなければならないと考えた場合に、非常にこれは必要になってくる問題であります。そういうこともやはり今後の農業政策というものは十分考慮に入れて、耕地問題にしましても、あるいは米の国民経済的な地位ということに関しても十分考慮してもらいたいと私は考えます。
  75. 淡谷悠藏

    ○淡谷委員 ありがとうございました。
  76. 小川半次

  77. 永井勝次郎

    永井委員 一言だけお尋ねをいたしたいと思いますが、今の自由化という一つの国際的な動きの中に、農産物がほうり出されてきているわけでありますが、その自由化の問題を含めて、その背景になっているものは何かといえば、今の政府の所得倍増ということがその背景になっております。所得倍増を背景にして、そうして国際的な自由競争の中に日本の農産物を投げ込んで、さらにその中で鍛えて、体質改善ができるのかどうか、そういう可能性の条件があるのかどうかということをお聞きいたしたいと思うのであります。  ただいま公述人からお話がありました通り日本農業には零細農の問題があり、開拓者農民のいろいろな内部の問題があります。これをまず国内的に解決していかなければなりません。また鉱工業所得と農業所得との均衡という問題においても、これは内部的にまずやらなければならないいろいろな問題があります。そういう問題を内部的に——国際市場に問題をもち出さなくても、国内的にそういう当面やらなければならないいろいろな因子をたくさん持っております。また農業の直においては、科学技術なり、試験、研究、調査というような基礎になる問題がほとんど等閑に付されておる。そういう農家の経営の体験の中でいろいろな問題を解決していかなければならぬ、そういう問題を含めておりながら、またそういう条件を内在しながら、いきなり準備なしに自由化へほうり出されたというのが現状ではないかと思うのであります。ですから、こういうような条件の中で、まず国内的に整えなければならない条件を抜きにして、いきなりそこへ持っていって、そうして目標は所得倍増であり、体質改善であり、零細農の解消であり、鉱工業の所得との均衡である。そういうようなことが一体可能な条件があるのかどうかということ、それだけを一つ伺いたいと思います。
  78. 秦玄竜

    ○秦公述人 体質改善なり、あるいは日本の根本的な農業構造の改善ということがはたして実現の可能性ありやなしやという問題でありますが、これは相当思い切った政策が必要であるということは当然でありますが、政策の立て方によっては私は可能な問題だと思っております。
  79. 永井勝次郎

    永井委員 今のこういった政府のやり方の中でそういう条件があるかということです。
  80. 秦玄竜

    ○秦公述人 少なくとも今そういうことを農林省もおっしゃってはおりますが、それでは具体的にそれをどう解決するかという点については、私先ほどから説明しましたように、まだはっきりしたものを打ち出しておられないということは、非常に私の残念とするところであります。
  81. 小川半次

    小川委員長 久保田豊君より委員外発言を求められております。  公聴会でございますので、委員外発言を許したいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  82. 小川半次

    小川委員長 御異議なければこれを許します。久保田豊君。
  83. 久保田豊

    ○久保田(豊)議員 秦さんにちょっとお伺いいたしますが、やはり問題の一番重点は、国内的な観点から見ても、自由化に対する面から見ましても、時期的ないろいろの問題はありますけれども日本の労働生産性を高めるには、どういう経営方式がいいかということが一番根本になると思います。今基本問題調査会等でも、今後一番問題があると思うのは、さっきお話のありましたような、いわゆる日本での適正規模、つまり個人経営の適正規模農家を作るか、あるいは共同化という線を通じて規模を大きくしていくかということの二つに、政策の目標は結局最後は帰すると思うのであります。この点につきまして、いずれをいきましても非常な困難があるわけです。特に零細な、つまり貧農層とでもいいますか、あるいは兼業農家層は、相当これを農業外に切っていかなければならぬという問題が、どっちにしましても、実際問題としましてはあるわけです。その場合に、日本の農業なり、日本のこれから置かれる——今の政府の政策とかことしの予算という問題ではなくて、一番基本のこの点の思い定めをどこに置くかということが、私どものこれからの農業問題なり農政問題の一番の基本になろうと思いますが、この点についてはいずれの方法がいいかということについてお伺いいたしたいと思うのです。下手をしますと、どっちつかずで、あっちへふらりこっちへふらりというような農政が、おそらく今後行なわれると思うのであります。この点をはっきりしなければ、日本の農業の根本的な体質改善なんというものはできっこない。いずれにいたしましても、どっちの道を行くにしても、非常な困難がある。特に繰り返していいますが、小さな、ほんとうの極零細農家というものの始末問題という大きな問題が出るわけですが、このいずれがあなたは日本の国情に沿っておるとお思いでありますか、この一点だけをお伺いしたい。
  84. 秦玄竜

    ○秦公述人 私は国内問題として、国内の農業として考えましても、あるいは世界的な傾向として考えましても、根本はやはり一定の企業として成り立ち得るような、そういう方向に持っていかなければいけないということが前提であります。従って相当の部分が今後やはり農業から脱落をせざるを得ないような問題が出てくるだろう、これは当然だと思います。ただその場合にぜひ考えていただきたいことは、そういう零細農とかあるいは兼業農家の一部分というものについては、十分の措置が講じられなければならない。それは政策的にいいますと、確かに農業からだけ申しますと、そういう適正なしっかりした農家を育成するというのはいいにきまっておりますし、そういう農家でこそ初めて生産性が上がるのでありますが、ただ農業だけの問題ではなくして、それを吸収するだけの準備がなくてはただそれがいいといって一方的にやられては困ると思うのであります。国民経済的にそういう出てきた余剰の労働力というものを吸収するという条件を備えた上で、そういうことを考えていきたいと思います。
  85. 久保田豊

    ○久保田(豊)議員 もう一点その問題でお伺いいたしたいと思う。日本の場合に、個人的な適正規模農家が日本の農業問題の解決の方向として、一つの概念といいますか、ずっと昔からあった。これは私は、今のような非常に零細な多数の経営のある場合においては、いわゆる企業として立つといっても、限度があるように思うのであります。従って共同化には企業性という点では非常に困難性が出て参ります。しかしこの点を国なり何なりがもっとめんどうを見る、はっきりした方針をとるかどうかによって、日本の農業が共同化すれば個人の適正規模農家よりははるかに大きな規模を持ち得ることは、政策のいかんによってはできるわけであります。ところ個人の適正規模農家ということでは、これからの自由化なりあるいは日本の商品経済下における日本の農業というものの発展性というものは、非常に限定をされるのじゃないか。下手すると、また数年たつと今と同じような自作農的な、いわゆるその段階になればまた零細企業の問題が出てくるのではないか、こう思うのです。今お話のように、そういう中からはみ出される人に対する保護政策なり転換政策は、十分考えなければいかぬと思いますが、それらを含めて、この二つの考え方のいずれが日本に適するか、もう一回お伺いいたしたいと思うのです。
  86. 秦玄竜

    ○秦公述人 私その点に関しましては全く同感であります。これは現在の日本の農家のきわめて上層の一部分は、個人でもそういう経営に乗り移れる農家があると思いますが、しかし将来は、集団化、共同化ということを日本としてはよほど研究をしていただいて、そういう方向に持っていくことを考えていただかなくてはならないと思います。これは何も共産主義的な方向とかそういう問題じゃなくして、こういった資本主義的な商品農業をやる場合の一つの競争の方法として、特に日本のような零細な経営をやっておる農業の場合には、私はやはり有力な競争のやり方だと思います。もちろん共同化、集団化のやり方にはいろいろな段階がありますし、方法がありますが、それはそれぞれの地域なり、経営しておる作物のいかんによって、その形態はそれぞれ選ぶべきであって、これは当然将来は共同化なり集団化なり、何らかの意味でそういう方向に強力に持っていく必要が私は起こってくると思います。
  87. 小川半次

    小川委員長 他に御質疑がなければ、秦公述人に対する質疑は終了いたしました。  秦参考人には御多用中のところ出席をわずらわし、貴重なる御意見の御開陳をいただきましたことを、委員長より厚く御礼申し上げます。  明十八日は午前十時より開会し、公聴会を続行することといたします。本日はこれにて散会いたします。     午後三時二十八分散会