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1960-03-29 第34回国会 衆議院 法務委員会 第15号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年三月二十九日(火曜日)     午前十時三十四分開議  出席委員    委員長 瀬戸山三男君    理事 鍛冶 良作君 理事 小島 徹三君    理事 田中伊三次君 理事 福井 盛太君    理事 菊地養之輔君 理事 坂本 泰良君    理事 田中幾三郎君       綾部健太郎君    世耕 弘一君       高橋 禎一君    中村 梅吉君       馬場 元治君    阿部 五郎君       猪俣 浩三君    志賀 義雄君  出席政府委員         検     事        (刑事局長)   竹内 壽平君  委員外出席者         検     事         (刑事局参事         官)      高橋 勝好君         参  考  人         (中央大学教         授)      市川 秀雄君         参  考  人         (一橋大学教         授)      植松  正君         参  考  人         (近畿大学教         授)      前田信二郎君         参  考  人         (明治大学教         授)      安平 政吉君         専  門  員 小木 貞一君     ————————————— 三月二十九日  委員井伊誠一辞任につき、その補欠として河  野正君が議長指名委員に選任された。 同日  委員河野正辞任につき、その補欠として井伊  誠一君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 三月二十六日  裁判所書記官及び調査官の勤務時間延長反対等  に関する請願井岡大治紹介)(第一五五六  号)  同(久保田鶴松紹介)(第一七二五号)  同外一件(久保田鶴松紹介)(第一七二六  号)  同外五件(久保田鶴松紹介)(第一七二七  号)  同外一件(坂本泰良紹介)(第一七二八号)  悪質泥酔犯罪者に対する保安処分法制定促進に  関する請願河上丈太郎紹介)(第一五五七  号)  同(岡本茂紹介)(第一六一一号)  同(山中吾郎紹介)(第一八四六号)  法務省登記簿台帳一元化作業中止等に関す  る請願井伊誠一紹介)(第一七二四号)  鎌倉簡易裁判所庁舎の改築に関する請願中村  梅吉君外二名紹介)(第一八四七号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  刑法の一部を改正する法律案内閣提出第八〇  号)について参考人より意見聴取      ————◇—————
  2. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 これより会議を開きます。  刑法の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、前会の決定によりまして、参考人として、中央大学教授市川秀雄君、一橋大学教授植松正君、近畿大学教授前田信二郎君、明治大学教授安平政吉君の御出席を願っております。  この際参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は、御多忙中のところ、貴重な時間をおさき下さいまして御出席をいただき、まことにありがとうございました。今回参考人各位より御意見を承ることによりまして、本案の審査に多大の参考になることと期待しておる次第でございますので、各位におかれましては、忌憚のない御意見を御開陳下さるようお願い申し上げます。  御意見開陳順序は、最初に市川秀雄君、次に植松正君、次に前田信二郎君、次に安平政吉君の順序にお願いいたしたいと存じます。  時間の都合もありますので、御意見開陳はお一人大体二十分程度におまとめ下さるようお願いいたします。  参考人全部の御意見の御開陳が終わりましたあとで、委員から参考人に対し質疑がある予定でございますので、あらかじめお含みのほどを願っておきます。  なお、念のため申し上げますが、御発言の際は、そのつど委員長の許可を得ることになっておりますから、さよう御了承願います。それでは参考人より御意見の御開陳を願います。市川秀雄君からお願いいたします。
  3. 市川秀雄

    市川参考人 御指名によりまして、私から先に意見を述べさしていただきます。  不動産窃盗に関する法律を作ることがよろしいかどうかということでございますが、私といたしましては、現行刑法の二百三十五条の解釈論といたしまして、日本刑法におきましては、不動産に対しても窃盗罪成立し得るものと考えます。と申しますのは、日本刑法には、不動産をもって窃盗罪客体となり得ないという明文はございません。窃盗罪客体動産、可動物件に限るといたしますのはこれは通説で、ドイツ刑法では明文がございまするので、ドイツでは異論のないところでございます。フランス刑法ではこの点について明文はございませんので議論はございますが、フランス通説といたしましては、やはり窃盗罪客体動産に限っておる。こういうところに影響を受けた次第でございまするか、日本刑法窃盗罪動産に限って成立する、こういうことになっておるようでございます。これは古くから旧刑法のもとの判例からそういうことになっておりまして、詐欺罪には握取、遷移行為を要しないとして不動産に対する詐欺罪成立は認めておりますが、不動産は、この目的たる財物の握取、遷移犯罪行為の本質とする窃盗罪対象とはならないとして、不動産窃盗は認めておりません。理論といたしましては、不動産は、いわゆる窃盗があったとしても所在が不明にならないし、場所が変わりませんので、権利回復が容易であるからして、不動産窃盗は認めない、こういうのが泉二博士の説かれるところ、その前に大場博士も同じような観点に立たれておると思います。それから小野博士の旧説がやはりこういう御見解に立っておられると考えます。  ところが、理論としてこの奪取の観念に対する遷移説あるいは隠匿説と申しますものは、実は日本判例自身一般にとっておりませんし、判例は単に所持の移転をもって足るとしておりますので、不動産についても、所持侵害がある以上、それについて窃盗を認めて差しつかえない、こういうふうに考えるわけでございます。この窃盗罪客体動産に限定いたしますのは、ローマ法流れを引く大陸法系で、先ほど申し上げましたような理由から不動産窃盗対象とならない、こういうことになっていたわけでございます。ところが、実生活上の事実について考えてみますと、不動産所持侵害されますと、不動産はその所在を変じないにしても、権利者権利実行及び回復に非常に困難を来たしておるのが実情でございます。これを民事事件にいたしますと非常に長期化いたしますし、その解決警察に頼んでも、民事事件として警察はそれに介入しない、こういうようなことで、実は権利実行及び回復に非常に困難である、こういうようなところからでございますか、学説として不動産窃盗を認めるのが今日では通説になっておるわけでございます。この不動産窃盗成立現行刑法解釈論として最も早く展開させたのは、私の師匠の牧野博士で、すでに明治四十年代からそれを説かれており、自来宮本博士それから滝川博士等がやはり不動産窃盗を認めるという立場にあられるのでございます。小野博士構成要件上からは不動産窃盗を認めることに疑義を持たれておられるようでございますが、しかし、終戦後になりまして、被害者権利実行及び回復に困難だということからして、不動産窃盗成立を認められることになったと考えます。そういう次第で、学説は今日では不動産窃盗を認めるということが通説になっておりますし、なお改正刑法仮案使用窃盗規定に「一時ノ使用ニ供スル他人財物ヲ不正ニ取去又ハ摘占シタル者」とございますが、この改正仮案にあります擅占という言葉は元来不動産についての用語だ、こういうふうにいわれております。そういうふうに考えますと、不動産窃盗罪客体となり得ると解釈して差しつかえないと私は考えるわけでございます。  そこで先ほどドイツ刑法フランス刑法では不動産窃盗を認めないと申し上げましたが、不動産に対する窃盗を認めないので、ドイツ刑法フランス刑法、いずれも境界変更罪を特に規定する必要があったのではないか、こう私は考えるわけでございます。  そこで、学説は、わが国におきましても、不動産窃盗解釈論としてすでに認めておりますにかかわらず、判例は今日まで不動産窃盗を認める新しい判例を打ち出しておりません。そうして従来の判例傾向から考えますと、不動産窃盗成立を今のところ早急に認めるということは困難な事情にあるのではないか、こういうふうに推測するわけでございます。しかし、私ども実社会要求は、不動産窃盗を認めることの要求の切なるものがございますこと、これは皆さま方がすでに御承知のところであろうと思います。要するに、これは今日では一つ刑法問題を越えて社会問題ということになってきつつあるのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。ところが、今申し上げましたように、今日まで判例は、正面から不動産窃盗を認めましてこの社会問題を解決したものがございません。そこで、これと関連して回想されるべきものとして、私はフランス冷気窃盗事件、これは日本電気窃盗事件とはなはだ似たものでございますが、フランスでは、電気ではなくて、冷気窃盗ということで事件が始まったようでございます。この冷気窃盗事件について、フランスでは従来の財物観念を支配しておりました有体性説を捨てまして、管理可能性説によって冷気窃盗事件判決解決したのでございます。ところがその後ドイツにおいて、やはり電気窃盗事件というものが起こりましたが、ドイツではこれを罪刑法定主義の建前で——なかなか理論のやかましい国でありますので、これは判例では電気窃盗を認めなかったのです。しかし、その後立法電気窃盗を認めるということになり、よく調べて参りませんでしたが、たしか一九五三年の第三次のドイツ刑法改正においては、使用窃盗規定とともに、電気窃盗刑法の中に取り入れる新規定を設けたと思うのでございます。要するに、フランスでは率直に、解釈論によって、判例冷気窃盗を認めたわけでございますが、ドイツではそれを判例で認めないで、回り道をして、立法解決をした、こういうことになっておるわけでございます。  そういう意味で、実は不動産窃盗を認めろという実社会要求が切なるものがございますので、私は、解釈論として認めることができるというのならば、判例でこれを認めていただけば、あえて立法問題としてこれを論ずる必要がないのではないかと考えるわけでございます。しかし、不動産窃盗につきましては、判例が出るどころでなく、実は初めから、検察庁の方で起訴されるまでにいまだ至っていない、こういう実情でございます。しかし、検察庁勇気を持って起訴し、裁判所勇気があれば、私は解釈論として、この不動産窃盗の問題は解決ができるのではないかと考えるのでございます。しかし、フランス判例では、冷気窃盗事件管理可能性説をとって勇敢に解決したわけですが、ドイツでは先ほど申し上げましたように、判例電気窃盗事件実社会要求を無視して成立を認めなかったので、そこで結局は回り道はいたしましたが、電気窃盗罪成立立法で認めた、こういうことになるので、やはり日本でも実社会要求を無視することはできないので、しかも判例がこれを認めないというので、立法化する要求が始まったのではないか、こう考えるわけでございます。回り道でございますが、しかし、先ほど申し上げましたように、判例が当分これを認める傾向にないということになりますと、私としては、次善の策として、やはり立法解決するより仕方がないのではないか、そういう意味で、立法解決することに賛成することを惜しまない、こういうわけでございます。  冷気窃盗電気窃盗事件を、先ほど私例に申し上げたのでございますが、やはり裁判官による契約改訂権ということが実はドイツでもフランスでも民事事件の方で問題になりまして、これは特に終戦後に起こりましたような貨幣価値の大変動ということと関連して、いわゆる事情変更原則理論と関連して、当事者のなした契約が、何人も予測することができないような大変動があった場合には、裁判官はその契約改訂する権利があるかどうか、こういう問題、これが実は今申し上げました裁判官契約改訂という理論でございます。ドイツの方では、判例で率直に裁判官第三者として契約改訂する権利があるということを認めたのでございますが、フランスの方では、フランス民法には、有効に成立した合意、すなわち契約法律と同じ効力があるのだ、こういう規定がございますので、そこで裁判官といえども第三者として当事者が有効に合意をした契約を勝手に変更することはできない、こういう観点からして、私の考え門違いございませんければ、フランス行政裁判所契約改訂権を認めたわけですが、最高裁判所に当たりますフランス破毀院は、結局行政裁判所判決と違って、反対して、それを認めなかった。こういうことでフランスでは、判例ではそういう意味裁判官契約改訂権を認めなかったわけでございますが、その後立法によって裁判官契約改訂権ということを認めるということで、ちょうど冷気窃盗事件のときにおけるフランス態度ドイツ態度反対の現象を呈したのでございます。私どもは、判例がそういうような実社会要求を無視して、それを認めない場合には、おのずから立法でこれを解決するということになるのではないかと考えますが、しかし、それは先ほど申し上げましたように、私から言いますと、一つ回り道をしたことになるのではないか、こう考えるわけでございます。  そこで問題は、今のように判例が認めなかったので、実社会要求に動かされて、不動産窃盗——不動産窃盗と申しましても、この法案にございます不動産の侵奪行為不動産不法占拠が主になろうかと考えますが、このような不動産窃盗立法化した場合に、よく実社会要請にこたえ得られようかということが私の疑問とするところでございます。というのは、法務省のある方も、これは個人意見として書いているので、役所の意見ではないということを断わってお書きになっておるのでございますが、不動産窃盗被害者要求しておるところは、将来不動産が侵奪されないというような将来の保障そのものよりも、既往になされておる侵害を排除してもらうことと、権利回復ということを非常に欲求しておるのは申すまでもないところだろうと思います。ところが、この罪刑法定主義、すなわち法律既往にさかのぼらないという原則の結果、既往事件にはさかのぼりませんので、罪刑法定主義のもとでかような立法をもって対処することはあまり意味がないのじゃないか。むしろ民事事件としては適当な方法がございませんので、今後この種の行為に対して一般予防的な意味で役立つのだ。従って今度行なわれます立法に先んじ、またはその立法と並んで民事上の措置を考えて、民事事件の審理の促進をはかることが急務だ、こう言っておられ、そしてさらに不動産窃盗、特に不動産不法占拠に対する立法をしただけでは、今私が社会問題と申しましたこの問題を解決したことにはならない。これに先行し、または付随して解決しなければならない問題がある、こういうふうに法務省の、多分今度の立法化の立案に当たられた方ではないかと思うのですが、その方がすでに、個人意見でございますが、そういうことを言っておられるわけでございます。そういうようなところからいたしますと、私が先ほど申し上げましたように、現行刑法解釈論で十分に不動産窃盗を認めることができると思いまするので、わざわざこれを立法に付する必要はないのではないか、十分現行刑法の範囲内でまかなえるのではないか、こう考える。現行刑法判例として認めるということになりますと、先ほどある法務省の方が言われたような罪刑法定主義を持ち出す必要もないということになるのではないか、こう考えます。しかし、実情としてなお当分の間判例不動産窃盗というものを容易に認めそうもない、こういうことになりますと、やはり社会要請にこたえる意味において、不動産窃盗というものを立法化する必要があるのではないかと考えるわけでございます。そういう意味で、私は不動産窃盗立法化に結論的には賛成をする、こういうことになるわけでございます。  ちょっと時間を五、六分超過いたしましたが、あとのことは御質疑のおりに譲って、はなはだ簡単でございますが、私の意見はこの程度でとどめることにいたしたいと思います。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)
  4. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 次に、植松正参考人より御意見の御開陳を願います。
  5. 植松正

    植松参考人 財産罪保護法益というものが、歴史の流れの中でどう変化してきたかということを考えてみますと、所有権ということに初めは重点を置いておったけれども、近代化するにつれて、ことに現代におきましては、所有権ということも大切でありますけれども、それにもましてと言っていいくらい、所有権よりはむしろそれを利用する権利の方に保護の目を向けなければならない、こういう状態になってきていると思うのであります。専門家の方が委員諸公の中におそろいでございますので、こまかいことを申し上げる必要はもはやないと存じます。  御承知窃盗罪についての領得意思ということについての考え方につきましても、御承知のように、領得意思は必要でないという説もあるわけですが、近ごろ必要であるという説であっても、なおその領得意思内容がだいぶ変わってきているように考えます。主としてドイツあたり学者傾向でありますけれども、昔はいわゆる実質説と申しましょうか、向うの言葉ではズブスタンツ・テオリーでありますが、実質説と訳してよいかと思います。こういう考え方で、所有権ということを非常に重要視してきたのであります。最近実質説という言葉はよくないというので、所有説、アイゲンツムス・テオリーというふうに言い直している学者もあるようでありまして、その方がよりよく実体を把握していると思います。つまり領得意思というものは所有説というものから始まって、所有権内容を変えるという考え中心であったのに、近ごろはそれが変化いたしまして、経済的価値排他的利用というふうに変わってきたと見ていいと思います。後者の方の説、私は簡単に価値説と言っていいかと思いますが、ドイツ学者の言っておる言葉のまま申しますと、ザッハ・ヴェルト・テオリー、こういうふうに申しております。こういうふうに学説の変化があると言ってもいいと思うのであります。後者の方の説によれば、今までの領得意思は必要でないと言った説にきわめて接近した、あるいは同じだと言っていいのではないかと思うのですが、そういうふうに変わってきております。こういう点から見ますと、私、従来考えております考え方として発表して参りましたところでは、使用窃盗というようなものも、ローマ法などとは違って、認めるべきであるという考えを持っておるわけであります。もとより使用窃盗を認めると言いますと、きわめて軽微な他人財物使用犯罪になるというのでは困るではないかという判例があるのに相違ないのでありますが、こういうことにつきましては、いわゆる軽微な、零細な反法行為違法性がないという議論、御承知の一厘事件判例がとった理論根本に置くならば、不都合な結果は生じない。根本的には、使用窃盗を、ローマ法以来の考えにむしろ反して、これを認める方がいいのだと私は考えております。使用窃盗窃盗として認める方がいいという考えは、何も私の発明ではございませんが、その理論づけは、ただいま申しましたように、窃盗罪その他の財産罪保護法益についての考え方が、所有権内容ということよりは、経済的価値利用といういう方に動いてきた、ここにあるのであります。経済的価値利用という点に中心を置きますと、どうしても不動産窃盗というものは処罰すべきである、こういう考えに到達せざるを得ません。法益は決して軽微ではないのであります。従って、これを処罰するのが、社会正義の上から正当であるという考え根本に私は持っております。  そこで今度の立法の問題にだんだん入って参るわけでありますが、ただいま市川教授がるるお述べになりましたように、不動産窃盗は、私も市川教授と同様に、従来から自分著書に書いておりますところによりましても、窃盗罪として罰することが現行法のもとでも可能である、そうすべきだ、こう説いておるのであります。しかし、それは現行法解釈論として私がその仲間入りをしておるというだけのことでありまして、実際の裁判はそう動くかというと、すでに市川教授からお述べになりましたように、動いていないのであります。皆さんの御承知のように、そういうふうには動いておりません。そうなれば、判例がいいと言いましても、それは他力本願で、当てにはならない。それこそ立法の場においてこれを作るという必要があるんじゃないか、つまり私ども自分解釈論としては現行法でも不動産窃盗を罰し得るのだというふうに考えておるのでありますけれども、そう私が考えたからといって、実際がそうなっていく見込みはさしあたり見通し得る将来にないと考えます。そうすれば、この際立法化するのが相当である、そういう意味において不動産窃盗を処罰する立法をすることに賛成であります。この不動産窃盗を罰するということについては、あるいは反対意見の方もあろうと思います。すでに、これからお述べになる前田信二郎教授はその方の研究の専門家でありますが、その御著書などにも、そういう意見のあることが書かれております。しかし、それは一部の意見であって、反対立場に立って現行刑法解釈する、つまり不動産窃盗現行法のもとでは罰し得ないと考えておる立場の方でも、私と同じように、むしろそういう方こそと言った方がいいかもしれませんが、私と同じように不動産窃盗処罰の必要を感じている人も相当あろうと思うのであります。そういう意味で、現行法解釈についてどちらの説をとろうとも、現在不動産窃盗を処罰する方向に移行することがいいと考え考え方は、かなり有力なものであろうと思うのであります。私もその一員としてさように考えるのであります。御承知の、有名な大阪駅前梅田事件、あれについて、大阪高等裁判所は、正当防衛として、いわば不動産窃盗者に対する破壊行為を違法でないものとする判断を示したのであります。裁判長はちょうど私の友だちでもありますので、偶然学会で会った機会などにも申しましたし、あるいは公の席などでも、その意見は発表していたのですが、私どもは、それは正当防衛ではなくて、いわゆる自救行為として解釈すべきものだと考えておるのであります。しかし、そのいずれの解釈をとるにいたしましても、あれは違法性がないという考え方においては一致しているわけであります。裁判所が何か、私どもから見ると無理な理論構成をもって正当防衛と認めた、やや無理だと私ども考えるのですが、にもかかわらず、そういうふうにしたというのは、御承知のように、判例が自救行為というものを正面から認めておりません。そこで高等裁判所としては自救行為だということを言いにくかったのだろう。正当防衛という方をやや拡張的に解釈して入れれば、とにかくこの人を罰しないことができる。つまり罰しないことが正義にかなうという根本思想が、やや無理な理論構成をとったが、正当防衛だという判断を生んだのだと私は想像するのであります。これは裁判所でありますから、そういう方向に行って別段弊害なく事件解決したと思うのでありますが、世間一般の人ですと、そういう道を必ずしもとりません。御承知のごとく、こういう不動産窃盗ともいうべき事件にからんで、お互いに権利を主張するものが暴力ざたに及んでおるということは枚挙にいとまがない次第であります。つまり法が十分な救済の道を講じなければ、社会の秩序が紊乱する、こういうことを表わす一つの例であると考えます。これを立法的に解決することによって、将来の禍根を断つべきであると思うのであります。また民事事件として解決すればいいではないかという議論があるようでありますが、民事裁判がきわめて迅速に行なわれるならば、権利者保護という点では、一応それで十分なんだろうと思います。権利者は、多くは人を処罰することを望むよりは、自己の財産的利益の回復の方を望んでおるのが通例かと思いますので、それでほぼ目的は達するかと思いますが、これまた御承知のように、民事裁判では民衆の要求に合うように迅速化されるということは、見通し得る将来において、ちょっと考えられない。刑事裁判でこれを救済する方がいい、かように私は考えます。のみならず、民事でやれないことを刑事でやれと言うのではないのでありまして、先ほど来申しますように、正義要求という面から考えましても、その種の行為犯罪として処罰することは正当であると考えますから、その意味で、この立法の方針に賛成であります。  それでは、本案はどうであるか。この政府から提出されております案は支持してよいかどうかという問題になりますが、私、せっかくここへ出てくるのですから、実は政府のちょうちん持ちばかりしたくないという気持が内心あるわけです。あるわけですが、昨晩つぶさにこれを拝見いたしましたが、結論としては、全部政府案に私は賛成したい、こういう結論になったのであります。いささかその意味では張り合いがないのですが、実際賛成であるものを不賛成というふうに無理に持っていくわけにも参りませんので、率直に申し上げますと、全部この案は賛成であるという結論になります。  さてやや詳しく申し上げますと、この案の二百三十五条の二、不動産侵奪罪というものですが、侵奪という言葉が問題であります。侵奪という言葉は親しみがない、今まであまり世間に普及した言葉ではありませんけれども、これは政府の説明書にあるように大体解釈することは無理がないと思うのであります。  大事な点を上げますと三つばかりになるかと思いますが、第一が即時犯であって継続犯でないということ。ただいま市川教授から法務省当局者の執筆されたものを引用されて、この法律ができる前から不法占拠している者に対する処置ができないと、あまり効果がないではないかというお話がありましたが、それらの人に対しては効果がないかもしれませんが、それらに効果が及ぶようなやり方は、市川教授も指摘されましたように、法律不遡及の原則等にのっとりまして無理であると思います。そして不遡及の原則そのものではなくとも、やはりそれに近いような状態、きょう法律が施行になったからきょうから不法占拠になる、犯罪になるということも、従来の状態の継続という面から考えますと無理だと思います。その点から、侵奪という表現によって、即時犯であるということをはっきりさしたことは大へんいいんじゃないか。これから先、積極的な行為によって奪う、こういう状態の発生を要件としている点は大へんいいと思います。  第二に、今のと関連があるのですけれども、賃借権消滅後等における継続使用、これがいかに不法であってもこれは侵奪でないということが、侵奪という言葉から読み取れると思います。従って、民事上の契約期間が過ぎてなお不法占拠しているというのはこれに該当しないということは、言葉自体において読み取ることが可能であるのみならず、反対説を入れることは非常に困難であると思いますので、おそらく法務省解釈方向解釈されるだろうと思います。  第三に、労働運動のすわり込みということが問題でありましょうが、これは占拠ということにはなりましょうけれども、いわゆる領得意思というようなことを問題にして考えますと、侵奪ということは言えないのじゃないか。不当弾圧に乱用されるおそれはないかということについては、まず私はそういう心配はないだろうと考えます。暴力によって占拠するというような場合がありますと、暴力を行使して労働運動をするということにおのずから制限がくると思いますけれども一般的にはこの心配はないであろうと考えるので、これらの三つの点に特に注目いたしまして、二百三十五条の二という立法は支持できると考えます。  二百六十二条の二の方が第二の焦点でございましょうが、いわゆる境界毀損罪という方ですが、これは構成要件をつぶさに読んでみますと、大体これで心配がない、この方がなおすなおに理解できるものであります。やや刑が重きに過ぎるかということは比較法的には考えられるのでありますが、わが国の立法の体系からいえば、その前後に規定された器物損壊罪等の刑との比較上、やはり五年以下というようなところがちょうど落ちつくところであるように思いますので、これもけっこうであると思いますし、非親告罪としたという点も、二百六十条の建造物損壊とのバランスの上からいって、非親告罪にした方がやはりいいのだと考えます。その意味において、焦点は以上述べました二百三十五条の二と、二百六十二条の二でありますが、その他のこまかい親告罪その他の規定につきましても、ほぼ原案が妥当であると考えます。  なお、いろいろ、たとえば次に述べられる参考人の方々から、こまかい点でいろいろ私と違った御見解、御意見があれば、私もそのこまかい点についてもう一ぺん考えてみて、ああ、そこはなるほど言われる通りいけないと思うことがあるかもしれませんが、以上私が原案を拝見しました限度においては、全面的に支持して差しつかえないものと考えております。
  6. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 次に、前田信二郎参考人より御意見の御開陳を願います。
  7. 前田信二郎

    ○前田参考人 今もお二人の参考人の先生方からお話がございましたのですが、私は一握の土地もないプロレタリアートの立場であります。ですから、これは地主立法にならないようにこの問題を考えておったわけなんですが、やはり法史的ないしは法理的に見まして、前二人の参考人の先生方と若干違ってきております。この不動産窃盗というものを観念的にとらえますと、大体窃盗罪でいけるのだ、現行刑法二百三十五条でいけるのだ、こういうことになっておるのですが、実態を見た場合に、はたして窃盗罪の運営だけで十分にできるだろうか、私はできないと思うのです。その証拠に、今まで牧野博士等のお説がありましたのですが、判例が全然ない、こういうことなんです。そこで実態調査を大体百件ばかりやりましたので、その結果に基づいて私の意見を述べさしていただきまして、法務省案の批判をさしていただきます。  大体不動産窃盗と広くいわれておりますものに、いろいろな形態があるわけです。厳密に被害法益の問題から問題を出しますと、これは所有法益と占有法益と二つございます。これが一緒にごたになりまして今まで不動産窃盗といわれておったのですが、たとえば牧野先生たちが研究されましたような土地登記簿の不実記載、これは土地所有権侵害でございます。これは詐欺的窃盗、だまし取るというふうに私は解釈しております。それからこの案のあとに出てきます境界の侵略事件、これはまた所有権侵害として原則的にとらえます。これは明らかに境界をごまかしまして、自己の所有地を拡大するという不法領得意思が出てくるわけです。それから、今社会問題になっております土地の不法占拠の場合は、これは、民事上の争いでは、原状回復の訴えでございます。ですから、これは所有を侵奪するのではなくて、借りた貸さぬいうことが民事上の立証の争いになっておりますので、無断借用という形でございますから、いわば類型的には継続的な使用窃盗になるわけです。所有権の収奪ではございません。もう一つ別の類型が出てきます。これは山畑などで見られますあぜ掘り、あぜ道を取るんじゃなくて、あぜの下を掘って作男が自分の収穫を上げるというわけで、あぜの下を掘って斜めに土を取って、そこに豆やなんかを植える。これを類型的に地殻窃盗と申しております。これもやはり所有の侵奪になります。こういう立場から境界侵略、不法占拠、それから地殻窃盗の三つの類型を私は実態調査から出してきたのですが、大体各国の立法もこれと同様の傾向と見るのであります。  ところがこの三者の法定刑のきめ方が違っておりまして、この法務省案とは逆に、窃盗罪と同じ重さにあるのがこの境界侵略なんです。つまり所有権及び所有権内容をとるという行為が、不法な物上支配の完全な遂行というような形態ですから、境界侵略と普通の動産窃盗との刑の重さは同じなんです。それから不法占拠の場合は、所有権侵害しませんで、事実上占有の奪取でございますから、これは従来の民事的な法理から見まして、占有の方が所有よりも軽いと思われておりますので、これは量刑上若干軽くなっております。法務省案はこれと逆に、不法占拠が重くて境界侵略が軽いのでございます。それから農山村の境界侵略事件を見ますと、これもやはり財産犯罪として考えなければならない。法務省の案は、石を動かしたり立木を動かすということその行為自体に重点を置かれまして、彼らがそれをどういう目的でするのかという行為内容については看過されております。たとえば山の尾根がございますが、そこで隣の谷の毛上を、自分の所有林と同じだけに伐採しまして境界を侵略していく。だから、立木の長さ、大きさ、育ち方によって境界が遠くから目測されるのですが、遠眺しても境界が侵略されたことはわからない。それでもって山林地の所有が侵奪されるという行為ができ上がるわけです。ですから、この案につきまして、自己の所有物の毀損というふうな観念で境界侵略を考えることは、ほんとうは実体的に見て誤りではなかろうか、こういうふうに思うのであります。  そこで各論的に一つ一つ検討していきたいと思うのですが、そういう意味で、まず二百三十五条の二の「他人不動産ヲ侵奪シタル者ハ」という表現でございますならば、市川教授植松教授の意見をミックスいたしますと、このようなものを作らなくても、少なくとも二百三十五条で十分やっていけるのだ、なぜこういうものを出さなければならないかという点では、この二百三十五条の侵奪の説明が不十分であります。もう少し解説いたしますと、この不法占拠と申しますのは、ただいま申し上げますように、所有権侵害されませんが、先在的な占有による財産的な利益が不法に領得されるというところに意味があるわけです。そうしますと、侵奪という言葉を用いるならば、これは明らかに即成犯的な観念でございますが、そうするといわゆる他人の土地に立ち入るという行為と一体どこで区別がつくのか、使用窃盗というものは動産にはございませんが、不動産の場合にはその不動産の財産的利益が侵害されておるということは、明らかにこれは長時間を要します。イタリアの破毀院判例でも、他人不動産の中に立ち入った、侵奪したというふうなことは処罰の対象にはならないで、瞬間的ではない継続的な無断立ち入りというのが破毀院の一九三六年十月三十日の判決で、また永久的居住を必要とするという一九三五年十二月二十五日及び一九四〇年一月二十九日の破毀院判例があります。こういうふうになっておりますので、不法占拠の実体と申しますのは、侵奪と申しますよりも、これは継続的な使用窃盗であるという内容なんです。所有権、たとえば先ほど申しましたように山林地の所有権確認の争いというふうな民事訴訟の内容は、すべて境界侵略というものでございます。所有権確認の争いが境界侵略なんです。不法占拠の場合は、データもございますように、これは原状回復の訴えでございます。ですから、自己の不動産が支配されて、その利益が領奪されるためには、一定の時間そこに入っておる。たとえば実体的にはその上に不法占拠者所有のバラックが建てられます。バラックが建てられると、これがかりに建築基準法に違反する建築でありましても、保存登記を申請いたしますと、登記官吏はこれを受理いたします。そうすると第三者に対抗できますので、そうするとますますもって原状回復は困難になる。原状回復が困難になるということは、不動産の経済的利益が侵奪されていくことである。フランス等においてはこれを軽罪であるというふうにいっておりますが、はたして一坪何万円というようなものが軽罪であるかどうか、非常に疑わしいと思います。  時間の関係で要点だけお話し申し上げますが、さっきのようなお話で不法領得意思というものの認定ですが、不動産を意識的、積極的に侵奪した場合に、これは被害法益が一体何かという点で、侵奪という言葉が逆に被害法益をはっきりさせていない。むしろこれは住居等の平穏を害する行為ではないかというふうに思われるのです。そうしますと、私の意見としましては、不法占拠の正既遂時期は実体的に見まして、それは侵占した者が家作を行なった時期であるというふうに私ども解釈しているわけであります。そういうわけでございまして、不法占拠の場合の法益は明らかに経済的な利益である。不動産不法占拠という特別の類型の犯罪にすることは、保護法益がはっきりしないと書いてございますが、これは明らかに二百三十五条二項の「他人不動産ヲ侵奪シタル者」というよりも、不法占拠という現実の形態から逆に保護法益をはっきりさせているのである、こういうふうに思います。  それから、いろいろな解釈が生まれる危険性がございます。例を申しますと、さっきも植松教授がお話しになりましたように、継続犯というようなことにすれば、一時的使用でなくて継続的使用でありますから、これは継続的使用によって初めて法益侵害されるのです。そういうふうに不法占拠解釈した場合には、いろんな問題が出てくるわけです。たとえば先ほどのすわり込みはどうなるかと申しますと、これは継続犯でございません。一時的使用でございます。ですから、すわり込みなどは、継続犯とした場合は明らかに構成要件に該当しない。それから家屋賃借権の消滅後の継続的使用というものも、これは不法占拠構成要件をはっきりした場合には、構成要件の欠缺であるのではないかと思うのであります。たとえば、どういう例があるかと申しますと、不法占拠罪、これは侵占罪でも何でもけっこうですが、権原なくして他人不動産を積極的かつ継続的に占拠する者はというようなものであります。それで、積極的かつ継続的に占拠をするという要件を入れますと、すわり込みや家屋賃貸借契約の満了後の居すわりは、これに該当しないことになります。構成要件というものは、こういうふうな侵占という行為態様だけを掲げるよりも、その手口なり方法となるようなものを厳格に作り上げますならば、類推適用の可能性は非常に薄れて、逆に人権問題が起こらないのじゃないか。ただ二百三十五条の二項の言葉だけでは、私はいろいろな解釈が出てくると思うのであります。  それから即成犯、即時犯と解釈した場合に、どういう弊害が出てくるかと申しますと、これはさっき申しましたように、侵入罪と区別つきません。侵入罪と区別つかないとしますと、一番大事な不動産窃盗としての意味の財産犯罪としての性格が全く失われてしまう。一時使用ではまたその被害法益が奪われたということになっておりません。継続的に使用するということによって初めて不動産が侵奪されるというふうな解釈が正しいのではないかと思います。そこで、即成犯としますと、これは動産のように一時的使用を認める立場からは、スト規制法はまだ御審議中でありますが、あの場合にもすわり込みが該当します。帯に短したすきに長しで、両方とも欠陥がありますが、財産犯罪としてあくまでこれを取り扱う必要がある。もう一つ問題を出します。私は不法占拠をイタリア刑法と同じように親告罪にいたしまして、告訴期間は刑事訴訟法と同じように六カ月とし、これは即成犯というような考え立場からでは救済できないところの民事くずれのような事件、まだ示談の余地がある事件警察権力が介入してくるという可能性が非常に強くなりますので、私は親告罪としたいわけであります。  それから重要な問題といたしまして二百六十二条の二の境界標を損壊する条文でございます。これを入れるのであったならば、二百三十五条の二項を改正して、そのあとの三号として出していくべきである、こういうふうに思うのであります。なぜかと申しますと、境界を侵略するという行為は、石などを——自分の境界石ばかりではございません。他人の境界石でもこれを排除する。だから二百六十二条の条文の中に一緒に加えるということについては若干疑問があるのではないか、他人の標識でも自分の標識でも、これは標識でございますから、背中と腹と同じ効果を持ちます。ですから、これを変更したり棄損したり不明にしたりするという行為は、それだけでありましたならば、あまり重要なことでないわけであります。つまり土地の所有を自分が横奪するという行為の手段としてそれが行なわれておるわけでございますから、この条文でありますならば、不動産侵奪行為の所有、占有ということを区別しない不動産侵奪罪の未遂の段階で十分につかまえられるはずなのであります。ですからイタリア刑法等の事案を参考にいたしますと、所有の権原がない者が、それを不法領得する意思でもって境界標識を棄損したり不明にしたりするということが実体なのでありまして、自己の所有物の棄損という意味とは全く違うのであります。ですから、私としましては、農村的な、むしろ古典的な形態としての不動産窃盗は、境界の侵略である、こう思うのでありますが、これが財産犯罪から出されてこちらの方に回っているという点に非常に不満を感ずるわけであります。またこの法体系のつけ方にいたしましても、問題はもう少し深刻であるにかかわらず、侵奪罪との関係で刑の重さが非常に不均衡であると思うのであります。  最後の問題になりますが、これは実務的な問題であります。不法占拠の実体は、不法占拠地上にバラックを建造して、容易に立ちのかないというのでございます。この場合に侵占罪によりましても、また私の考えているような方法によりましても、検事が有罪と認めた場合に、果して刑の執行ができるかどうかであります。刑法十九条による任意没収をして、その建造物を取り払うことができるかどうか。刑事訴訟法の四百九十条及び四百九十六条によって検事が執行を行なうことになりますが、犯罪組成物の没収撤去ということは、こういう場合には社会保障の義務がついております。有罪を言い渡したから、それをお前は有罪なんだといって、そのまま不法占拠地上に物件を置いておいて占拠を続けさせる、こういうことはできないのでありまして、結局任意没収の対象になります。刑法十九条の犯罪の組成したる物、犯罪から生じた利益、これの没収が普通なんであります。これは有罪判決と同時に言い渡されるわけであります。ところがこれは刑の執行ができないわけであります。どういう方法によりましても、理論的にはちゃんとこういうふうにでき上がってくるわけでございますが、実務的に見まして刑罰の執行ができない。没収刑執行不能の状態に陥ります。これが現実でございまして、そのままこの人間をほうり出してしまうという権限は、刑事判決にはないわけであります。検事は社会保障的な義務を持っております。これは法律ができたが、また人権の問題というものも一応考えられるのだけれども、そういうわけでもって、実務的に非常に無理があるのではないか、その点が、検察官がこれを起訴しない大きな理由であります。執行不能ということの問題であります。  そのほかいろいろ具体的な問題や考え方がございますが、時間の関係で御質問によってお答えいたしたいと思います。
  8. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 次に安平政吉参考人より御意見の御開陳を願います。
  9. 安平政吉

    安平参考人 今から三十年ほど昔、私台北におりました。ところがその当時、不動産窃盗というものが罪になるかどうかということを当局から聞かれました。どうしてそんなことが問題になるのかということを聞きますと、いやこれについては大へんな問題が起こっているので、今台湾全土で問題にされ、裁判ざたにまでされようとしている。この種行為は有罪になるのか、無罪なのかよくわからないということでありまして、だんだんと聞いてみますと、当時私の調査しましたところでは、全土に不動産不法占拠という場面が数多く見られたのでありまして、人数からいって、たしか何十万という数であったのであります。これは皆さん御承知のことかとも存じますが、あの地には当時官有林、それからこれに準ずる私有地と官有地との中間地帯、予備地帯とでも申すべきものがございまして、これらの土地は自然のままに放任されておりました。そこでこれら地帯に接近して居住する人々が、これを遊ばしておくのはもったいないというわけで、勝手に耕したり、利用したりして相当の収入を得ていたのでありまして、こういう事件が当時たくさんあり、これがとうとう問題とされたのであります。当時、私はまだ若かったのでありまして、刑法に対し単純に理論解釈を試みていくという立場より割り出しまして、先ほど市川教授から言われましたような理論から割り出して、窃盗罪と認めていいのではないかという一種の解釈論裁判所の方などに私見として申し上げたのでありますが、しかし結局のところ、裁判の上では採用されるに至らず、ただ、ほとんど不動産窃盗として処罰してもいいとされるところまで来ていたのでありますが、とうとうそれがやはりものにされず、日本現行法解釈としては、そこまで踏み切るわけにはいかないというので、そのままあやふやに経過してしまったのであります。こういう事実を今思い起こすのであります。  その後昭和十五年に内地に帰って参りまして、そのうちに戦争が済みました。その後和歌山県の熊野神社にお参りしたのでありますが、その熊野神社のところで驚きましたことは、神社の境内の中にたくさんの民間の住宅が建っている。これはどうもおかしいと思って、その案内人の人に聞きますと、これは町に住む家のない人が神社の境内に勝手に入ってきて、家を建てて住んでおるのだというということであります。こんなことをどうしてほうっておくのかと尋ねますと、いや何とかして追っ払いたいのであるが、やはり場所が神社の境内で、神さんが住んでいられる神域に住んでいる人間さんなんだ。その人間さんには家族もあるし、子供もいるし、生活に困って、ここを去って落ちつくところもない。せめて神社の境内なりと利用して神さんの恩恵に浴している。それを神主さんも追っ払うことはできないのだということでありまして、なるほどとうなずけて、そこを去ったことがあるのでありますが、しかし、いかに神さんの保護とは申しながら、この境内にこの様子は困ったものだというように考えて帰ったのであります。その後東京で私の厄介になっている上野の寛永寺あたりの境内におきましても、これによく似たような問題が起こって参りました。そこで坊さんは、これらの建造物などを何とかして取り払いたいものと努力したのでありましたけれども、仏の手前そういうむごい、手荒らなこともできないというので非常に困って、皆さん御承知の通り、あの跡始末には相当に問題が残され、解決は長引きました。  これは最近の問題でありますが、古くは、かの大正十二年の関東大震災のときにも、こういうような問題が生じたことは周知の通りでありまして、そこには一種の不動産不法占拠、他の一面には最後の生存権の問題を生じました。人間と申すのは、法律は何であっても、いざというときには、人間の享有する生命だけはどこまでも維持していかなければならない。この人間の最後の生存権の前には、所有権は譲歩しなければならないと主張されたのであります。人間の最後の生存権ということと、所有権制度の主張の二律背反、こういうものが衝突した場合、そのことをどう処置すべきか。先ほど前田教授も指摘されましたような、今日全国的に見て統計にも載っておりますように、いろいろな場面において、あるいは所有権制度あるいは基本的人権あるいは生活権、そういうものとのあつれきの一場面として深刻な問題を起こしているのは皆様御承知の通りであります。  では、これをどうしたらいいかという問題が起こるのでありますが、ここで一つ考えてみなければなりませんのは、不動産不法占拠あるいは不動産の侵奪の問題であります。この問題は、学者は抽象的な言葉をもって片づけておりますけれども、この実体を掘り下げてさぐってみますると、これはその内容は千差万別でありまして、正直に申し上げますとまことにお気の毒である、無理がないというふうに、同情に値いして、これを一がいに犯罪あるいは不法行為として制裁をもって臨むことの困難なものもあるのであります。しかしまた、事案によりましては、正義観念から申しまして、断じてそういうことは許すべきではない、一日といえどもそういう不法侵害というものは看過すべきではないというふうに考えられる事案もたくさんあるのであります。  そこで私つらつら考えまするに、大体におきまして、この種事案は、法律的に観察しますれば、三つの形態に分けることができるのではないかと思うのであります。そのうちの一つは、所有権侵害そのものを取り締まっていきたいという考え方であり、次には不法な不動産の占有事実的支配でありまして、ある土地なら土地、建物なら建物を不法に占拠する行為それ自体を法律上許されない行為とすることであります。第三は、不動産を不法に自分の支配のもとに置き、これを利用し、不動産の経済的利用を持続していく行為犯罪として取り締まっていきたいとする考え方であります。いわゆる不動産窃盗と申しますのは、右の果していずれの場合をさすのであるか。右一の所有権それ自体の侵害あるいはこの不法占拠をさすのであるか、それとも第三の意味における不法占拠して不動産の経済的利用を続けていく場合をさすのであるか、今次法務省において立案せられました不動産に対する侵奪罪は右のいずれに当たるのでありましょうか、私の見るところでは、案における侵奪罪の本質は、大体右の第三の型、すなわち不動産に対する一定の意図をもってする不法占拠及びこれによる不動産利用あるいは経済価値取得にあるようにながめられるのであります。もしそうだといたしますならば、今日のわが社会実情としてこのカテゴリーにおける不動産侵奪を取り締まっていく必要があるのではありますまいか、私はこういうふうに考えるのであります。今日、不動産所有権々々々と言ってみましたところが、不動産に対して地上権とか何とかそういう不動産を利益する権利他人の手に渡っておりますと、本来の不動産に対する所有権というものは、ほとんど用をなさない場合が数多く見受けられます。そこで実際上不動産について大都会におけるこの社会的機能を考えてみますると、不動産に対する占有を奪い、かつ不動産の経済的利益価値を奪っている事態が生じておりますと、今申しましたように、不動産社会的機能は阻害されることが明白でありますから、この種違法行為一般犯罪として刑罰に結びつける必要があるように考えられるのでありまして、これが案における不動産侵奪罪と考えられるのであります。でありますから、現在考えておりますいわゆる不動産窃盗と申しますのは、右のような事実不法な占拠及び不動産利用価値奪取という事実——厳格な意味不動産窃盗罪ではないのかも知れません。大体常識から申しまして、窃盗すなわち盗み取ると申すのは、物を取って持っていくこと、そういうことであります。これは見解の相違かも存じませんけれども、常識的に申せば窃盗と申すことは物を取り去ること、すなわち動産というものが前提に置かれることになる。ところが、不動産というものは持ち去ること、よそへ持っていくわけにいかない。いわんや今日それは登記制度というものがあって、完全な所有権の移転には登記を要するので、不動産窃盗ということは容易に是認されない。これが今までの伝統的な考え方なのでありまして、ここにいわゆる不動産窃盗とは、要するに不動産に対する不法な占拠によるその利用価値の奪取として理解されているのだと考える次第であります。こういう考えが浮かんで参りますと、不動産に対する不法占拠それ自体を一般に処罰するという考え方は排斥されなければならないこととなるのであります。たとえば、賃貸借契約をして、そして明渡しの時期が迫って、催促を受けておるにもかかわらず、ただ場所をのかないだけでは、一種の不法占拠ではありますが、これをもって直ちに犯罪ということにはならないと考えられるのであります。けだし、これだけで犯罪として罰せられることになりますと、刑罰権が広がっていって、結局国民に対する人権擁護の見地からして危ぶまれることとなるのであります。そこで右のような意味で、案第二百三十五条の二という条文を置いてはどうかというのが、この案第二百三十五条の二「他人不動産ヲ侵奪シタル者ハ十年以下ノ懲役ニ処ス」という規定であるといたしますならば、これはおもしろい立法考えるのであります。ところで、この二百三十五条の二にいう不動産の侵奪とは何でありましょうか。いただいております理由書を拝見いたしますと、侵奪というのは、不法領得意思を持って、不動産に対する他人の占有を排除し、これを自己の支配下に移すことであり、実質的には、窃盗罪における窃取と同じ意味である。ここにいう不法領得意思とは、窃盗罪成立要件として必要とされるそれと同様に、その次が大事でありますが、ほしいままに権利者を排除し、他人のものを自己の所有物と同様に、この経済的用法に従い、これを利用し、または処分する意思意味するとしてあります。おそらくこれは単なる不法占拠それ自体を処罰するのではなくて、そのほかに悪意を持って不動産の実質的、経済的支配状態を侵害するという一種の侵害行為を取り上げて、これをもって犯罪としている趣旨と考えられるのでありまして、それは単なる不動産に対する不法占拠一般を罰するのと少し違いまして、大体におきましてこれは他人不動産だということがはっきりわかっているにもかかわらず、それを何とかして、必ずしも所有権まで取ろうというのではありませんが、それの事実的支配を自分の手に移し、これによって不動産利用の経済的利益を取得しようという行為犯罪に取り上げているのだと解せられるのであります。不動産利用方を奪取する、そういう意味の一種の侵奪罪を新しく立法に取り上げられた、これが本条の規定解釈いたします。  それでは今世界の国々の刑法を見まして、さような意味不動産奪取という一種の行為をピック・アップして犯罪として規定している国があるということを、ちょうだいしました立法資料によりまして、私少々忙しくありましたので、他の諸資料につき、よくは検討して参らなかったのであります。検討してみますと、ドイツ刑法フランス刑法、こういう大国の刑法中には、さような不動産に対する窃盗罪と申すようなものは見当たらないのでありますが、ただいまの案文に一番接近しておる外国の立法といたしましては、ポルトガル刑法第四百四十五条の規定が右の案文に近いように見受けられるのであります。それからイタリア刑法の第六百三十三条、同第六百三十四条の規定並びにスペイン刑法第五百十七条、なおニューヨーク刑法第二千三十四条、同第二千三十六条の規定もこれに近いもののようにながめられるのであります。これらの諸国におきましては、右のような条文で不動産の侵奪にあらずんば、不法な経済的利用、ときには不動産に対する不法占拠を罪として処罰しているのを見受けるのであります。特に御注意願いたいのでありますが、これらのある国の立法におきましては、実質上は不法占拠、こういうような行為犯罪として規定しているところもありますけれども、少なくともただいま指摘しましたポルトガル刑法の第四百四十五条、イタリア刑法第六百三十三条の条文を見ますと、まさしく日本のただいま法務当局において立案されておるようなこの侵奪罪に非常に近い一種の規定が見受けられるのであります。こういたしますと、この種の立法はヨーロッパ大陸のドイツ系の国よりかむしろ南のラテン系のイタリアあるいはポルトガル、こういうところにあるということになるのでありまして、これを立法しましたところが、日本のが珍無類というわけではありません。今申しましたように、私は現在の社会実情から見まして、この種の立法は特に悪質な不法占拠並びにこれによる不動産利用に対する不法侵奪として、社会一般常識に訴えまして不当ではないと思料するのであります。そういう意味におきまして、私は、今度の案の不動産侵奪罪、これには賛成であります。  それから、その次に、案第四百五十六条を見ますと、これは境界標の問題であります。この立法でありますが、これまた、世界諸国の立法を見ますと、たとえば、ドイツ刑法第二百七十四条一項二号、あるいはフランス刑法第三百八十九条、四百五十六条、あるいはスイス刑法第二百五十六条、あるいはイタリア刑法第六百三十一条、あるいはギリシヤ刑法第二百二十三条、ポルトガル刑法第四百四十六条、スペイン刑法第五百十八条というふうに、諸国においてこれに大同小異の規定を設けているのであります。これは比較刑法の見地から見ましても、右のように十ヵ国に近い諸国の刑法にこういう規定を設けていることは、やはり社会の実用性に基づくことを意味しているのでありますから、これまた私は賛成していいと思うのであります。  これは実質的にながめて、一種の不動産を侵奪する手段行為ないしはこの前提行為としての準備活動、そういうふうにながめていいのでありますが、こういう境界標の損壊行為等をひとまず取り上げ、これによって土地の境界を不明ならしめる行為をここに新しく犯罪行為としてピック・アップすることも当然のことであろうと思うのであります。かように考えますので、ただいま拝見いたしました二つの条文、これはともに、私は、立法賛成なのであります。いな、むしろこれが立法はおそきに過ぎたとさえ思うのであります。かような立法は、台湾なんかで問題になりましたせめて三十年前にでも気のきいた立法をしておけば、だいぶトラブルを起こさずに済んだのではないかとさえ思うのであります。今日のわが国における不動産窃盗と申すことは、現行刑法解釈上から、直ちに不動産それ自体に対する窃盗罪を認めるわけにいかないでありましょう。拡張的な解釈は罪を肯定する方向——刑法で有罪を解釈をしていく上では許されておりませんので、勝手に拡張解釈して、この種の窃盗罪を認め、刑罰の名によって国民を縛るということは、よほど考えなければなりません。裁判官でさえもそれは無理だとしているのに、しかも国民の人権は極度に保障されなければならないとされる現代において、いたずらに解釈をし、しかも拡張解釈によって刑罰の範囲を広げていくことは考えものであります。これはちょっと無理だと思います。ほんとうに人権を擁護するならば、少なくとも立法によってはっきりと条文をきめていって、そして国民に対して、今後相済みませんが、こういう行為をすれば犯罪になるのでありますと、あらかじめ法文ではっきり示して、しかる後に処罰するのでなければおさまらない。現行刑法の条文を見ても、こういう行為は罪になるのだとはっきりし、検察官も、裁判官も、犯罪として処罰するに至るであろうと思われるのであります。学説だけで有罪だといってみたところが、刑事司法は容易に動くものではありますまい。私は、人権擁護の今日の時代において、単に学説の上から刑罰の範囲を拡張していこうとする考え方の理解に苦しむ一人なのであります。社会の必要があって取り締まりをするというならば、まず法文の上ではっきりした条文を設けていくのが本来の取り締まりに関する本格的な姿ではないかと思うのであります。  次に、当局のお示しになっております案文の中に、私の見そこないかも存じませんが、侵奪罪の未遂を罰する規定が見受けられるのであります。たしか案文で未遂処罰の規定が見受けられるのであります。申し上げるまでもなく、日本立法というのは未遂処罰がなかなか好きなのでありまして、何でも犯罪を認めるという段になると、その未遂処罰ということがよく考えられるのであります。  思い浮かべる一事は、明治四十年のわが刑法改正のときに、片方は貴族院を代表しての富井政章代議士、他の一方は衆議院を代表して花井卓蔵代議士の二人が、未遂の立法的処置に関し見解が対立して、それがために刑法の全部的改正が危機にさらされ、ために、ついに貴族院と衆議院との両院協議会を開いて、やっと、一面はフランス法主義の主観主義理論を代表される富井政章博士の見解を一部取り入れ、他方はドイツ刑法理論を代表しての花井卓蔵氏の見解を取り入れ、ここに妥協が成立して、この妥協裏になったのが現行刑法第四十三条の未遂処罰の規定であり、これだけ未遂犯という問題は、わが刑法における深刻な問題となっておりますので、いざ刑罰立法となれば、いつも未遂犯をどうするかが問題とされるのは無理のないところと思惟されるのであります。それはともかくといたしまして、取り締まりの面から申せば、さしあたって窃盗罪——現行刑法二百三十五条の窃盗罪に未遂を認めており、しかもこれが主として動産に関するものである限り、今ここに不動産窃盗について十年以下の刑罰を認めることになれば、これに対しても未遂罪を認めていこうとすることはむしろ当然のことと思われるのであります。  現に、実際問題としても、トラックに材料を積んでそれを空地に持っていき、しかる後建物を建設して不動産侵害しようとするやさきに、警察官がかぎつけて、これを未遂罪として、やっとこれをとりやめさせた場面も考えられるのでありますから、処罰することは必ずしも不当ではないでありましょう。ただ一つ、私が不思議に思いますのは、この点検討が不十分であるかもしれませんが、ただいまいただいております諸外国の立法資料によりますと、いかなる国の立法を見ましても、不動産侵奪罪の未遂処罰の例は一つもないのであります。今申しました不法侵奪罪について、ポルトガル刑法の四百四十五条、イタリア刑法の六百三十三条、同六百三十四条、ニューヨーク刑法の二千三十四条、同二千三十六条、スペイン刑法の五百十七条を見ましても——あるいは総則かどこかに規定されているのかも存じませんが、少なくとも各別のところでは、私の研究不足かもしれませんが、一つもその例を見出さないのであります。この種の未遂処罰の外国立法例が見当たらない次第なのです。もちろん、何も外国になければ立法できないということはありませず、外国をまねる必要はないのでありますから、日本だけ、合理性に訴えて、必要があるならばどしどし立法していいのでありまして、何もそれに反対する意味ではありません。反対するわけではありませんが、どうも外国に既遂の点に例があって、未遂にその例がちょっと見当たらない。これはだんだん考えてみますと、この罪は一種の侵奪罪という現実的結果の発生を必要とする罪でありますから、あるいはその現実的結果の発生がない未遂を処罰する合理的根拠はないと考えられたのではないかと思うのであります。ただし右は別に反対せんがための反対をいたしているわけではないのでありまして、ただどうも不思議に思います点を指摘したにすぎません。日本は未遂立法が好きだから、日本ではそれをどしどし取り上げていけばよいということでありますならば、これでよいのであります。  以上、私は今御提案になっております当局の立法形式につきましては、むしろ日本の基準としてはまだ立法おそきに失したうらみがある。しかし、今からでも決しておそくないのでありますから、これは立法されてしかるべきであり、決して無理ではないと信じている次第であります。しかも、そこには単なる不動産に対する不法占拠ではなく、相当にしぼりがかかっておりますので、人権を侵すことにはならないと思うのであります。それからまた、ただいまいただきました資料によれば、これを立法してきたところが、既成の事実に遡及するものではない、刑罰不遡及の原則に従って、将来に発生することあるべき悪質な侵奪、それのみを処罰するのだというように、趣旨が大体はっきりしておるようでありますから、これを立法しても、別に既往の不正事実についてとやかく言うわけではなく、人権擁護からいっても別に危険はないと思うのであります。  ただ一言、この立法に際して御参考にしておきますが、実際問題として、はたして侵奪となるかならないかということになりますと、すなわち本案に規定しておる侵奪という観念になるかならないかというきわどいところになりますと、その前提としてどうしてもあるいは賃貸借とか、売ったとか買ったとかが問題となり、これは民事関係として、まず民事的に解決しなければ、はたして不法侵奪になるかならないかと判定がつかないということになりまして、実際問題としてなかなか見当がつかない場面も生じてくるのではないかと思うのであります。それはどういうことになるか私も見当がつきかねますが、おそらく、この立法にやられておるのは、そういうややこしい民事訴訟によって、はたして権利があるかないかわからぬようなそういう場合は、多くは侵奪のうちに入れて考えられない。個々の侵奪行為は、社会常識からいっても、何人が考えてもこれはけしからぬというような、ちょうど窃盗罪と同じように、客観的に、不動産に対する一種の利用価値侵奪、それの違法な侵害、それが今日の社会観念に訴えて明確な場合に限り適用を見ることと考えている次第であります。  以上、私といたしましては、結論から申し上げますれば、今度の立案には全面的に賛成であります。
  10. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 これにて参考人全部の御意見の御開陳は終わりました。  これより参考人に対する質疑に入ります。坂本泰良君。
  11. 坂本泰良

    坂本委員 本日は、四参考人におかれましては、御多忙のところおいでいただきまして、豊富な御経験と学問的結果を御報告いただきまして、われわれ議員としましてなかなかその研究ができない立場におる者は、耳から聞かしていただきまして、非常に裨益することがありましたことをお礼を申し上げる次第であります。  時間がありませんから、ほんとうは各参考人の方々に御質問申し上げたいと思いますが、総括的に大体まとめて二、三お伺いいたしたいと思います。  その第一は、大体立法の技術的問題その他からは、四参考人とも賛成のようでございます。ところがわれわれ立法府にあります者は、この法律を作って、そして九千四百万の日本の国民に適用する場合において、はたして必要であるかどうかという点を、解釈論よりもまず先に考えるわけであります。この刑法の改正法律案の提案理由を見ますると、こういうことがあります。「現在問題となっております不法占拠のうちには、終戦直後の社会的混乱期に行なわれたものも少なくありませんが、国民生活もおおむね安定し、社会秩序も平常に復した現在におきましても、なお同種の行為が跡を絶たない実情にあります。」こういうことがあります。私たちも、先ほどお話がありましたように、関東の震災直後に、他人不動産に対しまして、住むに家なく、着るに衣類がない場合に、やむを得ず生活の問題として東京都内に起こったということは承知しております。さらに今回のこの敗戦によりましては、御存じのようにアメリカ軍の焼夷弾爆撃によりまして国富の半分を烏有に帰しました。そうして全国にわたり、ことに東京、大阪におきましては、家を焼夷弾によって焼かれ、住むに家なく、着るに衣類もなく、防空壕の中に住み、さらに他人の土地にバラックを作って住まわなければならぬ状態が起きたわけであります。従いまして、家の賃借人でありましても、その焼け跡に家を建てた者は十年間の賃借権を認めるという臨時措置法ができまして、生活の安定、居住の安定を認めて、現在に至っておるわけです。日本が初めて戦争に負け、ことにアメリカの焼夷弾爆撃によって都会地、ことに東京、大阪においては建物はほとんど焼き尽くされた。その終戦後の状況におきましては、社会秩序が紊乱いたしましたのは当然であります。さらにこの社会的混乱に乗じて、他人不動産を侵奪と申しますか、使用するという状態が起きたのは周知の事実であります。従ってその間、不当な者がこの機に乗じまして、将来繁華街になることを見越してそれを安く買い受けるとか、あるいは不法占拠をして非常な問題になった。前田教授の本に出ておりますいわゆる梅田村事件というのもこれの一つの現われだ、こういうふうに思うわけです。ところが十五年を経過しました現在においては、社会秩序も平常に復しておるわけであります。そこで「なお同種の行為が跡を絶たない実情にあります。」と提案理由にありますが、法務省から提出いたしております資料には、なお現在同種の行為が跡を絶たないという資料は一つもないわけです。いずれも現在から前の、過去の実例をあげてあるわけです。それでわれわれは過去の実例の、そういう不都合な他人の土地を侵奪した、侵略した、こういうもののあったことは認めるのであります。社会秩序も平常に復した現在においても絶無ではない、それはあるでしょうが、同種の行為が跡を絶たない実情にあるということは申せないと思うのです。またこの刑法改正ができましても、以前の問題については、これは法の不遡及の原則によって適用できませんが、今後こういう問題が起きた場合に適用されるわけであります。そういたしますと、もちろん今後起きた問題は、民事訴訟法の促進も叫ばれておりますし、また過去の問題も、やり方によっては原状回復の仮処分、それから原状回復の訴えによって相当救済されております。今後起きた問題については、現在の民事訴訟法をフルに活用いたしまして、一晩でバラックを建てたようなものは一カ月後に取りこわしてあけるとか、断行仮処分とわれわれ弁護士も言っておるわけですが、そういうような救済方法があるから、今後起こる問題について、特にこの二つの刑法の条文を作って、国民をいたずらに処罰をする、犯罪者にするというような必要はないのではなかろうか、これは私たち立法者の立場として考えるわけであります。今後の審議にあたりましても、政府側に、「同種の行為が跡を絶たない実情にあります。」というのですから、それでは昭和三十五年の一月からどういう実情にあるかという資料の要求を今いたしておるわけであります。昭和三十四年度もあわせていいのですが、そういう事案はあることはあるけれども刑法改正までしてそれを処罰しなければならぬという必要はないのではなかろうか。何度も申しますが、断行仮処分その他民事訴訟法の方法によって十分権利者の擁護はできるのではないか、こういうふうに考えるわけでありますから、その点について一つ四先生の御意見を承りたいと思います。  それから次は二百三十五条の二について、植松参考人と前田参考人不法占拠の場合の例をあげられまして、植松参考人領得意思がないから、この場合はこの刑法の適用は受けない、こういうような御意見であったように存じます。前田参考人の御意見では、これは一時使用であるから構成要件から離れる。従って、居すわることは適用されない、こういうような御意見があったと思います。やはり適法な労働運動やすわり込み等については、このような解釈で刑事責任を問うわけにはいかないと思うわけです。なお私たちが心配いたしておりますのは、アメリカ資本によって日本の独占資本が強化をいたしました。現在中小企業が非常な不況に陥りまして、中小商工業に対する問題が非常にふえておるわけです。東京、大阪の小さい百人以下の工場においては、ストライキその他で非常な問題が起きているわけであります。従ってその中には、今後あろうとも思われますが、もう企業者はどうせもうからない、労働者をこのままかかえては困るからというので、企業を投げ出すわけです。そうすると当然そこに生産管理の問題が起こるわけです。生産管理の問題が起きますと、労働組合がやはりその生産に参加いたしまして、このメーカーはいいメーカーであるから生産をやろうじゃないかというので、経営者と話し合いの上でうまくいっているところもあるわけですが、それがうまくいかない場合がある場合に、生産管理と同様な行為が現在行なわれておるわけであります。その場合にこの法律ができますと、企業者は労働組合を追っ払うためにこの法律を適用してやることになるわけであります。そういたしますと、検察庁にまでくればいいですが、警察の段階において、二百三十五条の二の、新しいこの法律の侵奪だ、これは不動産の侵奪だといってこれを排除する、こういうことになりますと、結局労働組合に対する不当弾圧の理由づけになる。現在行なわれております不当弾圧というのが犯罪になるかならぬかは第二にして、当面の問題を解決して、ストライキを解決すればいい、メトロ自動車の問題にいたしましても、主婦と生活社の問題にいたしましても、その他の問題にいたしましても、そういう傾向があるわけであります。従ってこういうような場合に、この法律を適用して、将来裁判になって有罪、無罪になるかは第二にして、乱用するおそれがあることを非常に心配をいたすわけであります。こういうような点について法務省側の答弁は、不動産を侵奪といっても、不法領得意思がなければならないから、そういう場合は問題ない、こういうことを言われますが、二百三十五条の一の場合は「他人財物ヲ竊取」とありますから、一般法律知識のない者でも領得するということが考えられます。この場合は「他人不動産ヲ侵奪シタル者」ということで、侵奪といえば、先ほど詳しい御説明を聞きましたが、普通の者が他人不動産を略奪する、侵害をする、それだけでも犯罪になるのじゃないか。下部警察官なんかは、そういうふうに解して、これを乱用するのではないか、こういう点が考えられますから、それをはっきりするためには、他人不動産を不法領得意思を持って侵害した者はこれこれというふうに、今の政府側の答弁の段階においては、不法領得意思が必要だということを表わす必要があるのじゃないか、こういうふうに私たちは考えます。その点もあわせて前田先生、植松先生に御意見を承りたい、こういうふうに考えるわけであります。  それから次は二百六十二条の二の問題ですが、立法者として考えますときに、前田参考人の先ほどのお話のように、御調査によれば、あぜの下を掘って侵奪をする、そういうようなことを言われましたが、そういうようなのは二百三十五条の二の方に入るわけでありまして、今さらこの法律を作る必要はないじゃないか、こう思うわけです。現在境界標が明瞭になっておりますのは、鉄道の沿線にはある距離を置いてちゃんと境界標が立っておるのです。それ以外は、民間地の境界においては、境界標というのは立っておるところもあると思いますが、それは非常に少なくて、境界標というのは大がい木を植える。山の境は境界木といいまして、両方の所有者が切らない。大きい木が境界になっておるわけです。それを神様だなんと言って、いなかの人はあがめて、その木は切らない。その木を切ると腹痛を起こすと言っておるのですが、先祖代々から山の境はこの木であるということでやっておるのです。従って、作為的な境界標というのは鉄道の沿線くらいであって、実際は少ない。今一番問題になりますのは、日本のアメリカ軍の基地、これに境界が立っております。戦前は連隊がありまして、民間地と連隊の演習場、そういうところには境界標が立っておりました。現在ではこの昔の連隊にかわってアメリカ軍が日本を占領しておるわけです。そこに境界標が立っておる。戦前においてはこの連隊、いわゆる兵舎と演習地並びに民間地の境には境界標がありました。しかし、この境界標の損壊ということは問題が起きなかった。それで現在問題になりますのは、米軍基地と民間地の境、これに境界標が立っておるわけです。ですからこの二百六十二条の二の規定は、従来起きていなかった問題に対してあらためてここに刑法を加えるということで、立法者の立場からいいますと、これはアメリカ軍の日本占領を擁護するためにこの規定を作るのじゃないか。従って、この規定ができましたならば、アメリカ軍の境界地に入った場合にはどんどんこの規定——境界標を損壊したり移動したり、移動は少ないでしょうが、除去する、こういうような行為が軍事基地反対闘争の場合においては起きるわけです。そういう場合に、この刑法規定を乱用するのじゃないか。それでなければ、そのほかにこの法律の適用されることはないと思うのです。この境界標の損壊とか移動もしくは除去とかいう問題が民間人同士に起きた場合には、これこそ私は断行仮処分とかあるいは原状回復の訴えとかいう民事事件解決されるのじゃないか。従って、われわれが想像することは、アメリカ軍の基地の擁護のためにこの法律を作るのじゃないか、こういうふうに立法者として考えるわけであります。参考人の方々にそこまでの政治について御意見を承るのは無理かとも思いますが、やはり権威のある学者の方々がせっかく法務委員会においでになりましたから伺いたい。できた法律を学問的研究において、あるいは諸外国の立法例をとって解釈され、正しい人民に対する法の適用を指導されるその立場は、これはもう今後の問題でありますが、この法律を作る際において、やはりそういう必要のない法律は作らぬ方がいいじゃないかと思う。先ほど安平参考人から未遂罪の問題で、独法系と仏法系が日本の国会で問題になりまして、そして現行の刑法ができたということを初めて私なんか承って承知したわけなんですが、ただ未遂だけの問題でなくて、今刑法仮案が審議されてできておる現段階において、私たちはこの刑法の改正の促進をはかり、そうしてりっぱな刑法を作るというのはもちろん賛成でございますが、今この二つの刑法の条文を作ることは、特に労働組合運動に対する弾圧の手段に使われるのじゃないか、こういうふうに心配するわけです。それは、暴力行為等処罰ニ関スル法律というのがございます。これは私たちまだ政治家になる前の、ずっと戦前の古い何年ですかにできたわけですが、これは当時暴力団が人民の住居あるいは財産権を侵害するというので、現行刑法の暴行罪、脅迫罪あるいは傷害罪等で処罰するのは、なかなか立証等も困難であるから、この暴力団取り締まりのために一つ法律ができたということを承知しているわけです。ところが、この法律が現在何に使われているかと思いますると、現在の警察の無力の点もございまするが、暴力団の勃興に対してはこの法律を使わずに、労働運動にこの刑法を使っておるわけです。従いまして、われわれの解釈といたしましては、合法的なストライキであり、経営者側に対する大衆的希望の要望だ、こういうふうに考えられる点も、やはりこれは多衆の威力をもってやったんだというので労働組合員を警察官が大量に逮捕して、そうしてせっかく交渉がまとまりかけるのもまとまらない場合もあるし、また経営者の悪らつな者は、そういう点を見越して、警察官の発動を見越して、横着をきめて、真に労使双方の打開をはからないという点が現われておるわけです。われわれはこの弁護に立っておりまするが、この暴力行為等処罰ニ関スル法律で、労働運動の少しの行き過ぎを直ちに起訴する。特に暴行して全治二日間の傷を負わせたものであるという、われわれにすれば、けつまずいてかすり傷を負うた程度でも、やはり暴力行為等処罰ニ関スル法律で起訴をいたしまして、そうして長年のいわゆる法廷闘争と申しますか、裁判をしているわけなんです。暴力団を取り締まる法律が、現段階では労働組合の運動に対して、労使双方の労働問題に対してこの法律を乱用しておる。従って、この法律を乱用しますから、警察ファッショとか検察ファッショとかいうことがいわれておるわけでありまして、法の制定当時はまことに善意でありましても、一たんその法ができますると、その法の解釈によってあらゆる社会問題に対してこれが適用されておるというのをわれわれは目の前に見ておるわけであります。そういうことを考えますると、二百六十二条の二の境界標の問題は、これは今のところアメリカ軍基地と民間の基地の境界標だけしかない。国鉄の鉄道の沿線の境は、これを損壊して処罰されたというようなことは、われわれは今まで聞いておりません。人民はやらない。しかしながら、アメリカ軍の占領につきましては、今全国的に軍事基地反対闘争を展開いたしておるわけでありますから、このいい悪いは砂川事件以来大きい問題でありますし、われわれはこの問題に対して今後やっていかなければならない、そういう場合にこれが適用されるのじゃないか、この心配があるわけであります。二百三十五条の二の場合は、重ねて申し上げて恐縮ですが、生産管理とかすわり込みあるいはすわり込みからもう少し進んだ程度までに至った場合に、この法律が適用になる場合に乱用されるのじゃないか、こういう立法者としての心配があるわけであります。この点について法の研究は、単なる現行法解釈だけでなくて、ことに立法に際しては、学者の諸先生も、この法律ができたならば、社会的にどういうような関連をしておるかという点についても一つ御見解を披瀝していただきたい、こういうふうに考えるわけであります。  以上、おもな三つの点について御見解を承りたいと思います。
  12. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 御答弁を願う前に、委員長からちょっと坂本委員に申し上げますが、今の御発言中、アメリカ軍が日本を占領しておるという御発言があったのですが、ちょっと適当でないと思いますので……。
  13. 坂本泰良

    坂本委員 それは安保条約をわれわれは認めておりませんから、占領という言葉を使ってもよいと思うのですよ。安保条約は違憲であって、認めてはいない。従ってアメリカ軍が日本を占領しておる、一般大衆もまたそう考えておると思うのです。
  14. 植松正

    植松参考人 実態につきましては前田参考人が特によくお調べでございますから、そこから詳しいお答えがいただけると思いますが、まずただいま坂本委員から御質問のありました点は、要点は二つかと思いますので、それを取り上げて申し上げますと、第一が生産管理という問題なんですが、これは結局限度の問題だと思うのです。ある限度までは労働争議権の範囲ということで、すわり込みがあっても、この犯罪になるものではなかろうと考えます。その限度をどう考えるかは、今までの学者の見解は、労働法学者はかなりゆるく考えるようでありますし、刑法学者はややきびしくというか、すわり込みをする人たちに不利な考え方が多いかと思います。そこいらは説のいろいろ争いもありますし、実際的には判例の持っておる線で考えるよりははかなかろうかと思いますが、それは限度の問題であって、ある限度までは争議権の範囲と考えていいものと思います。卑近な例で申しますと、たとえば人のうちへ借金の催促に行った、催促される方が、お前帰れと言った、すぐ帰らなければ不退去罪になるというような解釈現行刑法のもとにおいてもできないわけであります。同様にこれも限度の問題である、こう考えるのであります。  それから、それに関連しまして裁判所の問題としては、今申し上げたごとくで、侵奪と窃取という言葉についての問題です。これは不法領得意思というのを表面にうたったらどうかという御意見ですが、うたえば一そうはっきりするということはわかりますが、窃取についてもうたってないし、その他の場合についてもうたってありません。のみならず、不法領得意思を有するか有しないかについては、判例は有するという見解をとっております。実際的には有するがいいのでありますけれども学説としては両説あるので、どうも片方だけに割り切ってしまって、はたしていいかというこがいつも立法のときに問題になるのであって、そこに表現することにはなお問題があろうと思います。のみならず、不法領得意思解釈が、先ほど私が冒頭で申しましたように、やや動いてきております。私も実は不法領得意思ということを言う必要はないのだという考えを持っておるのですが、最近比較的有力になってきたいわゆる価値説という考えでいえば、不法領得意思がなくても犯罪になるという考え方が相当できるわけであります。これは窃取についても言えることですが、窃取と侵奪と言葉が違うから、では侵奪の方にだけ必要かといいますと、窃取は御承知のごとく、文字解釈としては「ひそかに取る」のでございますし、侵奪は「侵し奪う」奪うということと「取る」ということは、その観点ではきわめて似ておるのです。ただ「侵す」というのが、本来の字の意味から言うと急激にくるのではないのを意味している。「侵す」というのは徐々にくるのを意味しているようですが、そういう文字の末にこだわりませんでも、大体「侵奪」という言葉と「窃盗」という言葉が、特に一方には領得意思という表現か必要だということに私は考えません。ほかの、たとえば前田さんから違った御意見があるかもしれませんが、私はさように考えます。そうして先ほどの坂本委員の御質問にも、生産管理についての労働争議権の問題は、理論としては必ずしも私の言うことに御反対であるようには思いませんが、運用上心配があるんじゃないか、こういう御意見かと思うのですが、運用上のことは、ことに警察官や検察官の運用は法務当局に一つ国会で十分の御注文をなすっていただいて、法務当局の指導よろしきを得るように願うよりほかはないのではないかと思うのであります。どうも一方の味方をするというような運用がときにあるかもしれません。それはしかしながら傷害罪とかあるいは殺人罪とかいう規定でも、御承知のように検察官が起訴の専権を持っております以上は、あるいは一方的な運用をしようと思えばできないことはない。法律規定をそう乱用されないようにというのでむやみにしぼってしまうわけにもいかない。あまり放漫にしておくことはできないが、この程度であれば、ちょうど傷害罪や殺人罪の規定と同様の意味において、悪用しようと思えばできるかもしれないけれども、これは法政上の監督よろしきを得るように御指導願いたい。ことに立法府において国政調査権等もあるわけですから、十分御監督を願う、あるいは検察審査会等もあるわけですから、そういう方面の規制によって足りるのではないか、かように考えるわけであります。  それから、境界標の問題ですが、これは私どもとかく実情にうといのでありますが、知人の家やわれわれ個人の土地などにつきましても、やはり境界標はおおむねあるのではないかと思っておるのです。これは後ほどほかに実情に詳しい方から伺いたいのですが、たとえば私のうちもわずかながらの土地があって、隣との境は花商号の境界標が埋まっております。必ずしも露出はいたしておりませんが、少し上の土をどければわかる程度になっておりますし、ほかにも私の知っておる場所は、離れておる所ですが、やはりさような状態になっておる親類のうちの事情も知っておりますので、必ずしもこれはアメリカ軍の基地とか鉄道とかいうことに限定されないものであろうと実情を認識しておる次第であります。  それから、これは御質問とちょっと離れますけれども、御質問の中に出ておりました、また安平参考人から先ほどお話のあった未遂の問題です。これはやはり形態として考えますと、未遂まで置いておいた方がいいのではなかろうか。と思うのは、土地を占拠しよう、境界を動かそうとかいう侵奪罪の場合ですが、侵奪罪の場合に、建物を建てようとして測量をしておるという状態のとき、なおこれは国家権力によって阻止できるということの方がいいのではないか。あくまでもでき上ってしまわなければいけないというのでなくともいいだろう。それは窃盗罪に未遂を設けたというような意味において、これにも未遂の形態においてとらえなければならないような場合が考えられると存じますので、未遂の規定を置くことに私は賛成であります。
  15. 前田信二郎

    ○前田参考人 今の坂本委員の御質問は、非常によくわかるわけであります。私どもももちろんそういうことを十分に考慮しておりまして、まず最初の侵奪罪に関する場合の問題は、この侵奪という言葉だけでは非常に不明確であって、類推適用の可能性が非常に多い。ですから明瞭な行為態様を規定した構成要件を入れて、不法占拠という実態が社会問題化しておるというこの内容があくまでも住民の居住権との関係において発生しているのだ、大阪などの日本一といわれる恵美地区の不法占拠を見ますと、これはとうてい刑法によって解決できない不法占拠の実態であります。これはむしろ社会問題として他の立法の問題に関連するのじゃなかろうかと思います。実際問題として、不法占拠が処罰されるという可能性のある事件は、事実上非常にまれでございます。たとえば梅田村事件というような、地主あるいは商売をやっております人たちによる侵奪という行為がこの問題に上がるわけであります。また緊急な居住の場合に、不法占拠を認めるにいたしましても、これはやはりその不法占拠する数の大きさ、ジェーン台風とか伊勢湾台風によって起こった膨大な数の不法占拠、これはこの法一条一項の規定をもってしては解決できないのではないか、こういうふうに思われるのです。ですからこの二百三十五条の二項として、実はその内容が新たに不法占拠を処罰するというのならば、もっと明確な構成要件をきめていく、あるいは領得の目的をもって他人不動産を積極的かつ継続的に不法占拠するのだというふうなことをきめませんと、今おっしゃいましたようなすわり込みのような問題は、先ほどつまり私がこの本質を継続的使用犯と申しましたのですが、一時的な占拠に該当する、こういうふうなおそれが出るのであります。  それから生産管理の問題でございましても、侵奪罪という名前を私はあまり好きではございません。侵占罪の方がいいのでございますが、構成要件を今のように定めますと、生産管理が全く財産犯罪として土地所有、土地保有に対する侵略、占有の侵略、侵奪というふうな形になる問題でございますから、これは明らかに生産管理の内容とは離れてくるのだという判断が生ずるのではないかと思うのであります。ですから、技術的な問題としまして、そこが重要なのでございますが、拡張解釈ができないように、類推適用ができないように、構成要件の厳格な構成と申しますか、それが必要でないかと思うのであります。ですから私は二百三十五条の二の「他人不動産ヲ侵奪シタル者」という表現には反対でございます。  それから基地問題でございますが、境界侵略の場合は、坂本委員がお出しになったのと違いまして、私どもは裏日本から九州の北、ずっと奥の方を回りまして、およそ百件ばかり山林地所有権確認の訴えの民事事件法律要件の上から刑事事件法律要件を引き出して、これが古典的、農村的な不動産窃盗だというふうに考えまして、そういうふうな立法要求したわけであります。米軍の基地問題も実は研究討議などをしておるときに盛んに出てきた問題でありますが、アメリカの基地というのは、私自身は不法占拠罪的ではないかと思っております。それからこの事件は若干違いますが、さっきの梅田村事件と同じようなケースでありまして、これに対し勤労大衆が自救行為正当防衛を行なう可能性が残っているんじゃないか、そういうような印象を受けるわけでございますが、これもやはり植松教授が今おっしゃったように、はっきりと境界侵略という概念を立てていきまして、そういう問題とは関係ないんだというふうな、できれば構成要件の中にこれをはめていこうという努力が必要なのであります。今の御質問の中で、米軍基地だけだとおっしゃいましたが、実際農山村に行きますと、ずいぶんたくさんの境界侵略がございまして、大木を切りまして株を置いてある事例は少なくて、小さな石ころを置いたり小さい木を植えまして、それに荷作りなわを張ったりしまして、非常に幼稚なんです。賢い人はその下に穴を掘って、コールタールや石炭などを入れまして、山どろぼうが境界を侵略したのだということを立証する手段とする。前にあった境界はここだったということが、コールタールや石炭は腐りませんので立証できるわけです。そういうことが非常にたくさんございまして、これは地主相互間の争いでございます。山林地主の胴欲なつらの皮の争いでございます。これが非常に古典的なケースでございます。  そういうわけで、私の言いたいこととしましては、非常に社会的な問題になっておる土地問題は、このような条文ではまだまだ足りないんだ、少なくともこれが地主立法だとか階級立法と言われないように、構成要件の厳格な規定が必要だと思うわけであります。ですから、私自体は、何度も申しますように、二百六十二条の条文にも反対でございますし、それからくる二百三十五条も、いずれも実体的でない、類推適用の可能性があるという意味でこういう立法には反対なのであります。
  16. 市川秀雄

    市川参考人 先ほど坂本委員から二百六十二条の二の規定、これは置く必要がないのではないか、こういう御質問だと思ったのですが、私が先ほどの説明の中でも申し上げましたように、ドイツ刑法フランス刑法では、窃盗罪規定の中に不動産を入れておりません。しかし、文書偽造罪の規定として境界標損壊、移動、除去等を処罰する規定は、ドイツ刑法フランス刑法にもございます。結局二百六十二条の二の規定は、ただ境界標を損壊、移動、除去する、そのこと自体が目的ではなくして、それは要するに、不動産窃盗と申しますか、侵奪あるいは不法占拠の方法として行なわれるということになりまするので、その点で器物の損壊と違いが起こるのだろうと思うのですが、私が申し上げましたように、不動産窃盗を、日本で申しますと、二百三十五条の規定の中に入れて考えることになりますと、この規定は置かないでも差しつかえないのではないか、これも二百三十五条によってある程度まかなっていくことができるのではないか、私はこういうふうに考えるわけでございます。  それからもう一つ。第一の御質問でございますが、日本刑法ばかりではございませんが、今までの刑法は、要するに市民法的な刑法として、私どもが市民生活においていろいろなトラブルが起こった場合を予想して作ってございます。決して現代のような、社会的な、個人的生活以外のいろいろな社会運動その他を目標として作ったものでございません。その意味で、私はこれは個人法的な刑法あるいは市民法的な刑法だ、こう考えるわけでございます。しかし個人法的な刑法を直ちに、そういうような社会運動あるいは大衆運動のような場合に、構成要件をそのまま適用するということは考えものではないか、そういう場合は、個人刑法社会法的刑法に妥当するように解釈し直さなければならないのではないか、こういうことを実は主張しておりまするので、このことは前田教授が御関係の近畿大学で、私が日本刑法学会の御依頼によって、公開講演で、市民法的刑法から社会法的刑法へ、これが今後の刑法の動きではないか、こういうことを申し述べたのでございますが、そういう意味で、刑法の中に暴行という言葉があるから、それでそれを、労働運動その他における暴行行為が行なわれた場合に、直ちに従来の考え方をその暴行という行為に適用するということは考え直してみる必要があるのではないか、要するに、社会運動あるいは社会的行動の範囲内において相当性ということを標準にして、暴行なら暴行ということを解釈しなければならないのではないか、ならず者が人をなぐった暴行と社会運動における暴行とを同一視して解釈するのは誤っているのではないか、そういう意味で、個人刑法は、労働運動とかなんとかいう特殊なニュアンスのあるものは、そのニュアンスに沿って、それに妥当するように解釈する必要があるのではないか、こういうふうに考えますので、ここに侵奪という文字があるからといって直ちに——これはおそらくは個人が市民生活において不動産を侵奪した場合をさしておるので、そういうような特殊な運動の場合における侵奪までさしているのではないのじゃなかろうか。そういう場合はこの侵奪という言葉を、社会的相当性といいますか、そういうような基準でこれを解釈し直す必要があるのじゃないか、こういうふうに考えます。その点は、そういうふうに解釈していただけば、そう御心配になるほどのことはないのじゃなかろうか、こう考えます。ただ私がそういうふうに申しましても、裁判所でそういうふうに解釈し直してくれなければしょうがないじゃないかという御意見があるかもしれませんが、しかし、ある事件について、今ちょっとここでどこの裁判所でしたかを申し上げるのは手控えも何もございませんが、ある下級審で私の申しておるような立場から、たしか暴行事件だと思いましたが、そういうのを、直ちに従来の市民法的な考え方で、——はっきりそう申してはおりませんが、特殊なそういうものにそのまま昔の概念を持って適用するのは妥当ではないのだという判決をいたしております。これはその判例批評をその後私が講演をいたしましてから、警察大学で出しております警察学論集の刑事法判例研究会でありますか、それでその判例の批評をしておりまするので、徐々にそういうような機運が裁判所でも動いてきておる。今のところ、まだ初歩にすぎませんが、まあ情勢はそういうふうに動いてきつつある、こういうことを御参考までに申し上げておきます。
  17. 坂本泰良

    坂本委員 現在の市民法的刑法解釈について市川教授の御意見を承りまして非常にわれわれも賛成ですが、なかなか裁判所というのは一審の判決は進歩しておりますが、高裁はその進歩をさえぎり、さらに最高裁はそれをさえぎるということで、具体的問題が起きました場合に非常に困難なんですが、権威ある学者の方々でそういう理論が出てきたことは、これは今後非常に裁判判例においても影響すると思うわけであります。  それで前田教授にちょっとお伺いしたいのですが、先ほどの御発言の中に二百六十二条の二は二百三十五条の三にむしろ持っていくべきである、こういう御発言がありましたが、私もちょっと見まして、やはりこれを領得罪の一種として、かかる際にはそっちの方に持ってきた方がいいじゃないかと思います。これは本日の参考人の発言によって今後いろいろこの二百三十五条の二の構成要件についても学者の方の御意見が発表されることを私たち期待いたしております。そういたしまして、二百三十五条の二を、単に不動産侵奪といえば領得意思は要らぬじゃないかというふうに、一般人民は非常に誤解しやすいような関係がありますから、私はまだはっきりした考えを持ちませんが、この法律ができるとすれば、この構成要件の点について条文上もっと考えなければならぬのじゃないか、そうして二百六十二条の二を二百三十五条の三に持ってきますと、領得罪の範囲がわかってくるから、その方がいいと思うのです。そうしますと、私が一番心配しております二百六十二条の二の適用について、米軍基地なんかについての心配が立法上なくなってくるのではないか、こういうふうにも考えるわけです。その点について、二百三十五条の三に持ってきた方がいいじゃないかという点についての御意見をもう少し伺っておきたいと思います。
  18. 前田信二郎

    ○前田参考人 私はこの問題を中心にして今まで研究をしたのであります。今の御質問のありました通りに、境界侵略事件と申しますのは、何と申しましてもこれは所有の侵奪なんです。それをただ行為の方法である境界の石をゆるがしたり、荷作りなわを取り払うという方法だけでもって問題を出しておるので、こうなりますと実は二百三十五条の実行の着手のとき、他人のたとえばだれだれの土地所有というものを取りまして、そこの中に入って、しかる後にバラックを建てる、こういうケースが非常に多いのですね。そうしますと、二百六十二条の二はとりもなおさず二百三十五の二の未遂の段階なんです。またそういうふうな行為が、さっき申されましたような他人の土地の中に入って測量を開始したというような場合に、侵入罪に該当するわけであって、いたずらにそういうふうな類推が出てくるような立法はいけない。ですから不動産窃盗というふうな概念が社会問題としてあるのは、これこれはあくまでも土地を不法に領得するあるいは権原もないのに、領得意思を持って継続的にこれを使用するというふうなことが根本概念であることを、もう少し一般にPRする必要があるのじゃなかろうか。解釈上いろいろ問題の多いということが刑法の各論の中でずいぶん見られます。しかしこれはその犯罪法益というものがはっきりしていないためです。裁判官警察官も——警察官では無理かと思うのですが、そのような方々にもう一度この不動産窃盗というものの基本法益が何であるかということの研究が望まれます。一応同じような刑法の一部を改正する法律案として出ておるのは、不動産窃盗の問題として境界事件も出されたのに違いないのであります。ところが二百三十五条の二未遂を認めておる限り、実は二百六十二条の二の犯罪行為の態様がひっかかってくるが、これは工合が悪いからこれを半分に分けて、別々の条文にしてしまおうじゃないか、こういうふうな錯覚があるのであります。だから安平先生のおっしゃいまししたように、未遂の問題はこれは取り上げなくてもいいので、両方の未遂は他の犯罪を構成すると思います。侵入罪的な構成のものであったり、あるいは器物毀損ないしはドイツのような文書の偽造ではなくて、変造罪を構成したりいたしますので、他の構成要件に該当するような可能性のあるものまでが未遂という名によってこの中に入ってくるということは、私は了解できません。ドイツの文書偽造罪は、未遂はございます。しかし、これはドイツのゲルマン法以来、実はドイツにも昔のドイツ普通法、ゲベーレというものがあって、不動産の問題にも関連しておるのですが、これは民法だけに追いやってしまって、刑法はゲベーレという物権表示、物上の支配の問題に追いやりました。イタリヤではポセシオというものがございまして、これがローマ法以来あるのです。小野先生などは、ローマ法時代には不動産の侵奪というものは犯罪にはならなかったとおっしゃっていますが、実はプロキュールス派というのがございまして、これがポセシオを中心にしまして、現在のイタリア刑法不動産窃盗根本をなしております。ですから、イタリアでは不動産窃盗、つまり暴力的な方法を用いる不動産窃盗の中に、インパジオーネとユスウルパジオーネを入れておりまして、決してこれはほかの犯罪ではなくて、財産犯罪、しかも窃盗罪の同種類型なんだというふうに規定しております。この点やはりローマのポセシオ以来の思想としまして、私はイタリア刑法のあり方が一番いいんじゃないか。また日本のいろいろな現状から考えてみまして、このイタリアの破毀院などの例を見ますと、非常に妥当性があるのじゃないか。ですからそういう点を裁判官、検察官にしっかり理解していただいて、あたら労働問題などもその中に運託生に巻き込んでくるというような危惧を起こさないように、これは財産犯罪なんだぞということを明確にする必要があるのではないか、そういう意味で私は法務省の案に対しましては非常に不満でございまして、疑問があるわけでございます。
  19. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 志賀義雄君。
  20. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 刑事局長はどこへ行かれたのですか。私に三十分ばかり用があると言われて出て行かれたのですが、委員長に連絡がありませんでしたか。
  21. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 刑事局長は一時からどうしても用がありまして、それで参りました。
  22. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 参考人の先生方に申し上げますが、実はこの問法務委員会で、ここに立法例として文書が先生方にも参っておるかと思いますが、侵奪という言葉について、これは一体どこから来たかというと、実はイタリア刑法のなにから来た、こういうことです。これはウスルパチオーネの方に侵奪ということが書いてございまして、あとの六百三十三条のインパチオーネの方については、はなはだあいまいな占領というような言葉を使っております。つまりオキュパイ、日本語で言う普通占領というようなことについては占拠とそこに書いてある。第三人称で、動詞の現在形が使ってあるわけでありますが、そういうことで、どうしてそれを一緒にしたかと聞いたら、これを統一して侵奪ということを今度の刑法改正の一部に入れた、こういうことです。これは委員会あとで、どうも訳が不適当と思うから、ほんとうにイタリア原文からやって下さい、そういう問答のうちに、実はドイツ語の翻訳からの孫引きであるということがはっきりしました。早稲田大学の斉藤教授から意見書というのできょう出ておりますそれを見ましても、どうも植松先生のおっしゃるように、坂本委員の質問に対して、法律の適用のことは裁判官の方で適当にやればいいと言われるのでございますが、そもそも立法の方法に、こういうふうに両方一緒くたにしたりしてあいまいなことでやっておかれる。そしてイタリア刑法には、はっきり未遂罪のことは規定がございません。また被告の告訴を待ってというふうにはっきりあるのも省いてあります。そうしますと、これは非常に乱暴な結果が起こることも、先ほど暴力行為等取締法の問題で坂本委員も言われましたが、現に戦後のこの法務委員会で鉄道公安官の権限についての法律を作ったときにも、きょうは来ておられませんが、猪俣浩三委員は、まさかそんなことはあるまいと思って作ってみたところが、それが労働争議を鎮圧するのに、国鉄の主要道具になった。そういうこともありますので、何も適用のことについて参考人の先生方にあれこれと申し上げて注文をつけるような質問をするのではございませんが、立法の初めにあたって、先生方に来ていただいた以上は、あいまいな解釈を許すような、それから言葉にしても、あれとこれとを一つにくっつけて侵奪というようなものにしたというようなあいまいなことでやられたら、結果はおそるべきものがあるので、はっきりと伺いたいのでございますが、侵奪という用語を、窃盗に関する刑法二百三十五条の二に侵奪という字でむぞうさに入れた意味が、私ども非常に危惧を感ずるのです。他人財物を窃取したる者というのが動産窃盗であるならば、不動産窃盗についてもう少しはっきり規定しておきませんと、もう立法の過程で、刑事局から出される原案そのものについても、今のようなあいまいなことが起こるわけであります。市川先生でございましたか、電気窃盗の問題ですね。これはイタリア刑法にははっきりと、電気及びその他経済価値を有するエネルギーはこれを動産とみなすという規定がございますから、こういう場合はこういうふうにはっきり規定すればわかるのでありますが、不動産の場合に侵奪ということであいまいな言葉を使っておりますと、あとでとんでもないことになると思います。ことに前田先生はイタリア刑法にだいぶ御造詣の深い方でありますから、例の問題になりましたウスルパチオーネとインパチオーネの問題などについて、これをいきなりむぞうさに一緒にして、しかも他人財物を窃取するということと同じように不動産窃盗という概念で表わして、しかも解釈動産窃盗の場合と違って、状況証拠なんかも非常に複雑になってくる不動産窃盗の場合に、こういう規定で間違いはないものかどうか、先生自身多分に疑念を出しておられます。類推解釈、拡大解釈安平先生もおっしゃっておられましたが、そういう点でもう少しはっきり御意見を聞きたいと思います。これが第一。  それから、「各都市における不動産不法侵害実情について」という文書がございますが、政府の提案説明には、「現在問題となっております不法占拠のうちには、終戦直後の社会的混乱期に行われたものも少なくありませんが、国民生活もおおむね安定し、社会秩序も平常に復した現在におきましても、なお同種の行為が跡を絶たない実情にあります。」と書いてあります。こういうことを書く以上は、刑事局は実例をあげるについて、戦争直後の問題でなくて、現在跡を絶たないその実例をあげなければいけないわけです。ところがそういうものが一つもないのですよ。東京の白山御殿町から始まって、横浜、名古屋、大阪、京都みんな戦争のあとでバラックを建てて、その問題ばかりがここに出ておるんですよ。京都の例は若干違います。二例ほど別の例があがっております。一つは引揚者で、住む家がないから、明治維新前後からよく使われたあの鴨川の橋の下の川敷を使った例であり、それからもう一つは、結核患者で入院しておる者が建てた家、こういう特異な例しかあげてありません。あとはみんな戦争直後のトタン屋根のバラックから起こっておる問題です。今に至るまで跡を絶たないという例は一つもありません。こういうことでもってこういう実情の例をあげてきて、戦争直後のそういうやむを得ない安平先生の言われる最後の生存権の問題のところを引っぱってきて、参考書類に出しておいて、実際にはその実例は一つもあがっていないというのが刑事局のやり方なんです。先生方はいろいろいなかに行くと、農村なんかで土地に対してこういう不動産窃盗に類することが多いということを言われました。それならそれでそういう場合を対象として、民間の貸借問題のこじれとか、あるいは不法領得意思を持って土地を占有するとか、こういう場合のことをはっきり規定しませんと、こういう実例をあげてきて、こういうあいまいなイタリア語をごまかしたようなことで立法をやられた日には、とんでもないことになると私は思うのであります。そういうことですから、先生方も刑事局のこういう文書をごらんになるときには、今後も十分御注意下さらないと、うっかりだまされることがしばしばある。その実例を今私は申し上げたわけでありますが、明らかにそうなっております。私もいわゆる何々組というようなものが他人の土地を不法に占拠して、暴行、脅迫でやってくる実例は知っております。そういう被害が私どものところにも相談に来られる例もあります。それならそれで、そういうものをはっきり取り締まる範囲を限定して、用語に至るまで概念を明確にしてやるべきものであるのに、今言ったようなことでずるずるべったりにやられた日には迷惑する。という証拠には、この逐条説明書の最後の方をごらんいただきたいのでございますが、こういうことが書いてあります。
  23. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 志賀委員、御発言中で恐縮ですけれども、御意見はできるだけ簡潔に願います。
  24. 志賀義雄

    ○志賀委員 逐条説明書の終わりの二行目のところをごらんいただきたいのでございます。「なお、本罪の構成要件としては、不動産不法占拠という特別の類型の犯罪にすることも一つ考え方として検討されたのであるが、そうするとその保護法益がはっきうしないだけでなく、処罰の範囲が広くなりすぎて、土地家屋に関する賃借権消滅後の継続使用や、いわゆる「坐り込み」などにも適用される余地が生じ、また、継続犯と解される結果、改正法施行前からの不法占拠についてまで本罪の適用をみることとなり、このようなことは立法政策上妥当でないと考えられたので、採用しなかったのである。」こういうふうに書いてあります。不動産不法占拠と書くから問題が起こるので、不法領得意思を持つ不動産窃盗ということをもう少しはっきりすれば、こういうことは問題にならないのです。こういうふうな説き起こし方をして、こう読んでいきますと、最後に——何々組の連中が喜んでいることは、私は現在知っている。これではおれたちのやったことは処罰の対象にならないといって、今までずっと継続犯云々でやってもめてきた人間は今喜んでいる。そうなってくると、この立法、改正案をここへ出すまでに約一年余り刑事局はPRをやってきております。肝心のそのPRで言われた者は網からのがれて、かえってすわり込みを含むまでの者がやられてしまう。それから安平先生の言われる最後の生存権で、いまだにどうにもならない人の方がやられてしまう、こういう結果になるだけだと思うのです。そういう点で、これをもう少しはっきりするには、先生方の方でどういうふうにやったらいいかという御意見がございましたならば、お伺いしたいと思うのです。  それからもう一つは、諸外国の立法例を見ましたが、今のようにイタリアも何かはっきり未遂罪を規定しておりませんし、被害者の告訴を待ってというようなことがあります。これは植松先生がおっしゃいましたが、比較法学上他の国に比べれば重いようだけれども日本の他の法律の体系上のつり合いから見れば、これでもいいだろうということでございますが、今のような立法の仕方をしますと、迷惑する者が良民で、悪いことをする者は、今申しましたように、おれたちはこれで大丈夫だというようなことを現に言っている者のあることも私は聞いております。そういうことになりますが、それを防ぐためにも、そうしてまた刑の量定をそういう悪い者に対して適切にするためにも、ここをはっきりしませんと、どこの立法例を見ましても、不動産に関する罪の場合は最高二年あるいは三年でございます。なぜ日本窃盗の場合に十年とするのか、ほかのつり合い上それでいいんだということでなく、なぜ日本不動産の不法領得による窃盗は十年という重罪にしなければならないという根拠があるのかという問題が一つでございます。どうもその点は刑事局長に、この間雑談的にこういうふうに聞いたのでありますが、そこは何とも明快な答弁がありませんでした。おまけにギリシャの立法例がありますけれども、これはドイツ語から訳されたのです。どう考えたって、これは一学期ドイツ語を教わった人が翻訳しても間違いのできないようなドイツ語の文句の二年以下の懲役、三カ月以上の懲役というのを、二年以上の懲役、三カ月以上の懲役と訳しているのです。こうなってくると、刑事局には何とかして懲役十年以下ということを正当化しようという魂胆があるというふうに疑われても、これは痛くない腹を探られたと開き直るだけの資格がないと思うのです。そういうわけで、とにかく正確な翻訳をよこしていただきたい、こういうふうに言って、きょうここに配られているわけでございます。実にどうも立法の意図について明確を欠く点が多々あるのであります。  結局これで見ますと、先ほど坂本委員が質問したように、これから貿易・為替の自由化で中小企業はどんどん倒れるようなときに、やはり生産管理、経営管理をやりますと、これで十年以下というようなこともやられる。それから砂川のような場合には、特に問題になりますのは、測量の終わった部分で明け渡しに反対している人を、くいを打って針金なり、綱なりで柵をしてしまう。それを出入りするのに破っても、これにかかるというようなことになってくる。坂本委員がおっしゃったよりももっと具体的なことで申せば、そういう場合も起こってくるわけであります。ことに問題になりますのは、いなかの境界線です。やかましいことは、聖人でもあぜを譲らないということわざがあることでもはっきりしますけれども、コールタールや石炭がらまで非常に具体的に申されましたが、何か境界のところへ木を植えて、その木の植え方が、根がこっちに張り出したから、自分のところの境界を侵奪する意味でやったんだ、これは未遂罪だというようなことになったら、いなかのことですから、とんでもない問題が起こる。(笑声)——お笑いになりますけれども、そういうことは必ず起こりますよ。そういう意味からして、これをもう少しはっきりほんとうに今のよくない連中をやる範囲に限定して、善良な人々に、ことに社会運動に影響を及ぼさないようにするには、どうはっきりしたらいいかという点を伺いたいのでございます。
  25. 前田信二郎

    ○前田参考人 今四、五点ほど御質問がありましたが、事件の事例は、私が二十九年以後の不法占拠の事例を百件ばかり集めまして、大阪商工会議所に、不法占拠として罰せられるもの、罰せられないもの、疑いのあるものとえり分けまして大体十五件ほど出しております。これは私の著書に十五件だけ書いておりまして、裁判官がどういうふうに認定するかということも書いてございます。不法占拠は一応昭和二十九年に完了いたしたのですが、その後京都の事例——私は京都に住んでおりますが、あの事例はたしか出してはいかぬと言ったのです。この事例は「自由学校」の五百助のようなもので、非常に楽しい生活をしております。これは不法占拠と思っても、自分は賀茂川がはんらんしてもしようがないというようなことを言っておりまして、これは不法占拠の中ではあまり意味がないのではないか。むしろ京都の事例としましてはやくざの問題などを……。(志賀委員「やくざの事例は一つも出ていないのです。」と呼ぶ)私の事例には出ております。私は大体やくざのなわ張りの問題をやろうと思いまして、それから研究を進めているうちに不法占拠の問題に来てしまいまして、そういうわけで動機は至って優秀でございます。  それから志賀委員のおっしゃいました中で重要なのは、われわれが継続犯か即成犯かを非常に問題にしているのに、法務当局がこの問題を一条でしか触れておらないということであります。イタリア刑法中心にして考えローマ法のボセシオの原理を考えたら、これはどうしたって継続犯にならざるを得ないのですが、そこまで討議しておらなくて、一般窃盗犯という認識が頭にあって侵奪犯という言葉をお使いになったと思います。  それから刑事罰をやってみろという場合に、私はお伺いしたいのは、先ほど申しましたように、不法占拠の実態というのは先生も御存じだと思いますが、非常にものすごい、数千件の不法占拠が行なわれております。これはもちろんプロレタリアートによる群生蟠居の実態でありますけれども、これはかりに一戸建てといたしましても、さっき申しましたように、とにかく地上に建造物を建てております。これが裸で地面の上にあぐらをかいているというような徹底した不法占拠者はおりませんで、いろいろな事例をあげておきましたが、必ずその地区の地域ボスと、それから不動産の悪徳ブローカーと不良な材木屋が広大な不法占拠地の中に巣食っておりまして、そこにバタヤ、ニコヨンなどに家を建てて借しておるのです。だから私は不法占拠の中でひどいと指摘するのは、そういうような常習的な営利犯であって、緊急的な局住者ではないのです。またそういう場合ですと立証が非常に容易であります。畳一枚千円で貸しておるというような事例もたくさんございます。バラック建てが四坪くらいで貸金が十万円というようなのがございます。こういうような事例を見ますと、そういうような地域ボス、悪徳土建屋というような共犯関係、職業犯罪人というものをとらえるのが不法占拠の眼目であって、かりに一戸建てのものとしましても、これは先ほど申しましたように不法占拠者の所有家屋なんです、この所有家屋を、いかに有罪であっても、どういうふうにして刑法第十九条の任意没収で取り上げるか。つまり結論から申しますと、即成犯にしろ継続犯にしろ、検事が没収を執行するにあたって、詐欺名義と同じような方法でできないのです。イタリアではこの方法をどうしておるか、考えておるのですが、そこまでまだいきませんが、おそらく土地に対するこっちの事情が非常に違いまして、土地商売の大手筋が万能の経済王であり、土地を対象とする資本の集中がインフレを高進し、異常な景気をあおることは欧米諸国には見られないのでございますして、これが行なわれているのはおそらく日本だけだと思います。それで昭和二十六年後半の一般物価指数の七倍半というのが現状でございます。ますますもってこの不法占拠立法ができるというようなことで、さっそく大阪の地主連中が、これは土地の値段が高騰すると言っておりますが、これは実はそうは参りません。これは刑の執行ができないのです。没収刑の執行不能なんです。そういう点まで考えますと、つまり大体百五十件に上るこの不法占拠罪というものの実態から判断いたしますと、結局梅田村事件とか、山林の侵略とか、それから地主の侵略とかいうのだけが一応立証できるものでありまして、あとの問題は、ニコヨン、バタヤ等による不法占拠は、刑事政策上考えましても、犯罪社会学的に考えましても、これは実は刑法対象でなくて、社会保障とか住宅の問題の対象なのであります。だから、これを起訴するだけの勇気は検事にございません。おそらくないと思うのです。大阪の座談会でも、この点を検察官に問うたのです。「あなた、できるか」と言ったら、やはりそういうふうな没収の刑の執行の場合、不動産対象になった場合は、これは必ずほかの土地にその家を建ててやらなければならない、だから検事としては、そういう社会保障の義務がありますから、これは執行できない、あなたの言われる通り、立法はできても、こいつはできませんというのが検察官の意向でございます。  それから最後の問題でございますが、十年というのは、これはおそらくはイギリス中世のエリザベス時代の救貧法からの影響ではないかと思うのです。窃盗と浮浪者が増大したという時代の面影でございまして、これが実際は一番多い犯罪です。一番多い犯罪にこういう重い刑罰を課するというのは、私はいつも刑法各論のときに言うのですが、処罰できないものを処罰する、これはおかしな法律だというふうに思っております。大体志賀先生の御質問に対しまして、以上お答え申し上げます。
  26. 植松正

    植松参考人 私の前に申し上げましたことで大体尽きていると思うところを省きましてお答えするとすれば、二つかと思います。一つは、十年の懲役という問題であります。これは十年の方も五年の方も同じような問題があるわけですが、一応十年の方を例に上げて申しますと、動産窃盗は十年ということが現行法規定されております。ですから、これに対して、不動産の、より重大な法益侵害になるところのものがそれより軽いのはおかしいだろう、こういう意味で、私はこの立法に何も関与しておりませんが、そういう意味でこれを見ますときに理解できると思います。もともと窃盗の十年は重過ぎるという御意見が今ありますが、これはかなりごもっともなことと思います。しかし、そのごもっともということを私が言うまでもなく、運用している裁判所なり検察官なりが同じように考えているであろうと思いますのは、実際に言い渡される刑は、御承知のごとく、一年前後が初犯については通例であります。しかも検察官の起訴の状況を見ますと、窃盗罪というのは、犯罪の中では、おそらく一番起訴率の低い犯罪一つだと思います。最低かどうかはわかりませんが、非常に低い。簡単な比較を言えば、賭博——このごろはあまり検挙がないようですが、戦前ですと、賭博もずいぶん検挙になっておりましたので、検挙数のところで見ると、賭博の方が窃盗より大いに少なかった。しかし、起訴されて裁判所対象になっているものを見ると、賭博の方が多くなっている。これは賭博のような軽い刑の犯罪はどんどん起訴するが、窃盗のように重い刑の犯罪は起訴しない。つまり気の毒な事情の者がいるということを検察官が認識してやっているからそうなっているのだろう、こう思っているのです。そこで刑が重過ぎるかもしれませんが、現行刑法の一部改正ということになれば、窃盗罪との対照上、どうもここいらにおさまるんじゃなかろうか、こう思うわけです。  それともう一つは、これは日本刑法全体について言えることでありますが、法定刑の幅が非常に広いものですから、非常に重いような形態に対しては重い刑を課する。しかし、ゆるやかなもの、まあ犯情の悪くないものには軽い刑を課する、こういう運用を今までもやってきておるし、そういう関係で非常に重い形態を考慮に入れて上限を十年に押えるというようなことが明治四十年の立法の際に行なわれたものと推察されるのであります。  それからもう一つ、継続犯にしないということについて、私はしない方がいいじゃないかと思いますのは、法というものは現状を変更するということには一般に非常に保守的なものであります。不法に占拠したかもしれないが、それで長年の間ほうっておかれた犯罪とされないできているという状態で今まできたわけです。これは中には目に余る何々組という非常によくないのもありましょうけれども、そうでないのもあるだろうと思うのです。それら両方をひっくるめて考えての話なんですが、そういう右向きとか左向きとかいうことと全然無関係に、ただ形態それ自体をとらえますと、何年かの間安定した状態できておるのを、今度新たに犯罪にするというような法律が施行になると、その日からいきなりつかまえられるという形に持っていくのは少し酷ではなかろうかと思いますので、継続犯にするよりは、今後新たにいわゆる侵奪行為のようなことをやった者を罰すれば足りるんではなかろうか、かように考え賛成した次第です。
  27. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 今の侵奪のことと窃盗のことについて、これはあそこに一項、二項と並列することは非常に困りはしないかという問題を私はお伺いしたのです。
  28. 市川秀雄

    市川参考人 十年の点について私からも意見を述べさしていただきます。私どもは、実はちょっとラディカルな主張なんでございますが、刑法規定に何年の懲役とございますが、あれは実は、私ども考え方からいたしますと、全部とってしまった方がいいんじゃないか、こういう考えでございます。処罰するのは、やった行為を処罰するんじゃなくて、やった人の悪性をあくまで処罰するということになりますと、それを十年の懲役とか五年の懲役とか、機械的にきめるのははなはだもって妥当ではないんじゃないか、現に日本刑法規定をごらんになりましても、二百三十五条の窃盗罪規定は十年以下の懲役、ところが二百五十二条だと思いますが、二百五十二条の横領罪の規定をごらんになりますと、これは五年以下の懲役になっております。何ゆえに窃盗罪が十年で、横領罪が五年かというと、これはおそらくどなたも合理的な説明はおできにならないと思うのです。要するに、常識的の範囲を出ないので、そこで今植松教授がおっしゃいましたように、二百三十五条の窃盗罪規定が十年だから、そのつり合い上、不動産の方も十年にする、これは何ら合理的な根拠がない。要するに便宜的な単なる計算的な考えでやっておるんじゃないか。そこで私どもはそういうふうに刑に限界をつけることは実は反対で、これは全部とってしまった方がいいんじゃないか、あくまでも犯人の悪性に応じて適宜に処罰すればよろしい、こういう主張を従来私はやっております。一九五六年でございますか、グリーンランドに新しく刑法典ができました。これを見ますと、これは私いち早く紹介したのでございますが、刑ということが全然書いてないのです。ですから、それは刑法典という名前をつけておりませんで、犯罪法典という名称です。要するに裁判官は悪性に応じて適宜な処罰をするということで、刑のワクは何も書いていない。こういうことは、私が主張するだけでなしに、イタリアで今法律哲学では最高峯といわれておるデル・ヴェッキョ教授が、すでに刑のワクをきめることは不合理ではないか、こういうことを書かれておりまして、私の論文を読まれて、私がやはりそう言っておることに自分は全面的に賛成する、こういうような手紙も実はデル・ヴェッキョ教授からいただいておる。私どもはそういう意味で、まず窃盗罪を二百三十五条の刑が十年の懲役としたこと自体が要するに便宜の規定で、合理的な根拠のない規定だと思うので、そこでやはりそれをもとにして、不動産のあれの刑のワクをきめることになりますと、やはり不合理で、つり合いを考えて十年ということになりますので、そういうことになりますと、根本的にもっと刑のワクをつけるかっけないかということを考え直してみる必要があるのじゃないか。現に今申し上げましたように、グリーンランドの刑法はそういうことをやっておりますが、これはつい最近できたばかりの法律でございますから、今後はたしてそれが全面的に承認されて——できてから五年目に検討して、またそういう点は改正するということがグリーンランドの刑法に書いてございますが、五年後にどうなったか、私実は資料を手にしておりませんので、わかりませんが、とにかく傾向としては、実際にそういう立法もある。そういうことになりますと、繰り返して申し上げますと、今の不動産の侵奪が十年ということも、要するに常識的な範囲を出ないものだろう、こう考えるわけでございます。
  29. 瀬戸山三男

  30. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 今度の法律犯罪客体動産であったのを不動産にして、そして窃取というかわりに侵奪という言葉を使って、独立して実質的に不動産窃盗罪、これができたわけです。ところが今度の法律には、ただ二百三十五条に対応する不動産の侵奪罪ができただけでございまして、暴行、脅迫のいわゆる強盗に匹敵する規定はないと思います。先日刑事局長に、暴行、脅迫をもって不動産を侵奪した場合は、一体何の犯罪になるかということを質問しましたところが、二百三十六条の強盗罪の二項で処罰するのだ。つまりこの犯罪は、それでまかなえるというわけです。そこで今問題になっておるのは、犯罪の本質もしくは体系として、形として不動産の侵奪罪を端的に認めるならば、やはり私は法の建前として、二百三十六条に匹敵する不動産の強盗罪を別に一条目立てるべきではないか、そうでないと、この不動産の侵奪罪ができたのに、端的に強盗罪を認めずに二百三十六条の二項にあるのにまかすということにすると、何だか今の、それでなくても不動産の侵奪罪という、いわゆる侵奪という言葉にからんで、犯罪の本質というものは非常にあいまいといいますか、不明確になってくる。ですから、はっきりと不動産窃盗罪を認めるならば、強盗罪に匹敵する規定も並べて作るべきではないか、そうしないと今のような不動産の侵奪罪がはたして独立してできるのであるか、できぬのであるかというような幾らかの疑惑を生んでくるし、また罪質論として一体はっきりとそれができるのかという疑問を持ってくるわけです。ですから私は一条立てて、不動産の強盗罪の規定を今度のこの規定に置くか、二百三十五条の二の次にそれを置くか、さもなければ二百三十五条の次の次に、あるいはそれを変えて、他人財物というかわりに動産不動産もしくはその他の財物を窃取もしくは侵奪したる者は、窃盗といいますか何々の罪とするということに、この一条で動産不動産をまかなってしまえば、その次の二百三十六条の強盗罪の規定は、その一条でまかなっていけるのではないかと思う。ですから、条文の整備といいますか、犯罪の構成といいますか、そうするためにはそうした方がすっきりするのではないかというふうに私は考えておりますが、その一点をお伺いしたい。  それから第二点は、ただいま問題になりました二百六十二条の二であります。不動産の侵奪罪の未遂罪をやはり認めるのでありますから、不法領得意思を持って不動産の侵奪ができなかった場合は未遂罪で全部これがまかなえる。未遂罪にならぬ場合がこの二百六十二条の二でできてきたわけでありまして、いわば二百六十二条の二というのは、不動産の侵奪罪の、既遂、未遂のワク外にできた犯罪であるはずであります。しかもこの二百六十二条の二を見ますると、行為は、境界標を損壊、移動もしくは除去するという行為であります、その行為の結果によって生じたのは、土地の境界が不明確になったという結果です。そこで外国の立法例をいただいたのを見ますと、境界を損壊、撤去、除去というようなことの罪になるのは、いずれも不法の利益を得るとかあるいは領得意思があるとかという目的を必ずここに書いてあります。必ずこれを書けば、わが国の刑法では未遂になるのですから、これは書く必要がない。その意思を持てば未遂罪になるのですから。そうすると、この二百六十二条というのは、これは結果犯だ、標識を損壊、移動、除去したことによって不明確になったという、その結果が生じたということだけでこれは犯罪を構成する、ただいまの市川先生のいわゆる悪性というものがここになくても、その行為によって、この行為をやった結果が生ずれば、悪性のいかんを問わずに五年以下の懲役に処するというふうにこの条文は解釈できるのではないか。それでは犯意はどこにあるか、この二百六十二条の犯意をどういう点に置くかといえば、刑法理論からいいますならば、他人の境界標であるということの認識があれば、それをとるということの認識があるわけですけれども、それだけでは罪にならない。その結果として境界が不明確にならなければならぬのですから、私は、ここの犯意というものは、自分領得するという意思でなくして、境界が不明確になるという、いわゆる犯意のうちにそれがなければ本来は成立しないのではないかと思う。しかし、それが書いてない以上は、単純に標識を取り払ったという結果、境界が不明確になった、これでもっていわゆる犯意、悪性があろうがなかろうが、こういう非常にきびしい刑罰を受けなければならぬということは、私は犯罪の本質としてもまた処罰としても、非常にきびし過ぎるのではないかというふうに考えるわけです。その点に関する御意見を伺いたい。
  31. 志賀義雄

    ○志賀(義)委員 関連しまして。——私が先ほど伺ったのは、類推解釈し、拡大解釈をしないためには、立法措置をどうしたらいいかということも含めてお伺いしたのですが、今田中委員の質問の第一点に関連して、あわせてお答え願えればよろしいと思います。また別に質問に立ちますと時間がかかりますから……。
  32. 安平政吉

    安平参考人 ただいま御質問の第一点でありますが、不動産侵奪の場合に、他の意思を抑圧する暴行、脅迫という手段をとってした場合にどうなるか、これは不動産の強盗ではないか。だが現行法はそれを一体どう扱っておるかという問題でありますが、これは私個人意見でおそれ入りますけれども、たとえば不動産登記との関係で少し考えてもよくわかるのであります。短刀を突きつけて、どうだ、あの土地をおれによこせ、よこさないとこれだぞと言われて、それの所有権を移す証文を書き、これによって不動産所有権移転の登記をしたような場合は、登記面を通じての不動産支配の利益を取得したのでありますから、刑法第二百三十六条第二項の財産的利益に対する強盗罪が成立しようと思うのであります。わが刑法では、窃盗罪の場合と異なり、刑法の第二百三十六条第二項という規定があり、財産上の利益というものも被害の客体の中に入っておりますから、登記面を通じての不動産支配ということになれば、一種の財産上の利益強取として不動産に対する強盗罪と見ていいのではないか。刑法第二百三十六条第一項の方は財物でありますが、そしてかりにこの財物を有体動産としますならば、右のような意味における不動産に対する利益取得は、まさしく前記法条二項の財産上の利益に対する強盗罪ではないかと思うのであります。ただ一国の刑罰立法技術として、何も窃盗と強盗とをこのように区別しなくてもいいのではないか、これは一つの形式に改めた方がよいという考え方は、一個の考え方として成り立つ。だが、ともかく右のように現行刑法がなっております以上、これで不動産強盗は十分に取り締まることができるものと申すべく、あえてこの点の立法を今しなくても事は足りると思うのであります。今申し上げたのは不動産登記上の名義を取得する場合でありますが、そうでなく、土地なら土地という不動産を強奪する場合も、右のような刑法第二百四十六条第二項の罪として処罰することもできようと思うのであります。ともあれ、右は立法技術の問題でありますが、私は今の法律のままで取り締まれる、こう思っておる次第であります。  それから第二の、二百六十二条の二でありますが、これはもし領得意思を持って二百六十二条の二、こういうことにいたしまして、途中で発見して問題にされた場合、これはまさしく前記案第二百三十五条の二の未遂罪であり、案二百六十二条の二ではなかろうと私は考えるのであります。不動産の侵奪罪二百三十五条の二の未遂になるのではないかと思います。この案におきますところの二百六十二条の二というのは、不法領得意思を必ずしも予定してはいないと思うのであります。読んで字のごとく、結局平たく申しますれば、物をただ毀損する意味で毀損する、ただしその結果として土地の境界を認識することができないようにしたとき、これを処罰する趣旨と考えるのであります。この案第二百六十二条の二の規定は、御質問の御趣旨の通り、案第二百三十五条の二の罪の未遂としての侵奪罪とは、直接関係がないと考えている次第であります。ここは一種の物件毀棄罪に相当する別の規定に当たるものではないかと思うのであります。  例をあげて申し上げますと、私はいなか育ちでありまして、子供のときを今でも思い出すのでありますが、ちょうど郷里の生まれた村から一里ほど北の山道を登っていきますと、そこに小野尻坂峠というのがあります。それは播州の北の国境と丹波の南の国境との国境になって、今から五十年ほど前には、郡の界標みたいなものが立っていたのでありますが、それを人通りの少ないときに、丹波の人が通りかかって播州の方へおりてくるときに、いたずら半分に自分の丹波の領域が広くなるように、小さい標なのでこれを抜いて動かし、またこれを見て、反対に播州の方から丹波の方に向かわんとするときには、逆に動かして播州の方を広くするというようなこともあり、そういうことを耳にしたこともあるのであります。それからこれは私、既往において、不動産、土地というものをいじりまして、いささか体験した事柄でありますが、実に日本所有権というものの実証的な存在はいずこにあるかとの実体を掘り下げて検討してみますると、不動産登記簿上の権利証書や、また必ずしも現実としての土地そのものではなく、実際における土地所有権の範囲いかんは、土地台帳に付属している不動産登記簿付属土地図面というものがありまして、これが最後にものを言うことを知ったのですが、さてそれでは図面の境界が現実としてどこかということになりますと、それは結局境をしるしづけるくいならくい、石なら石で、これが実際として境界標として、不動産なら不動産の支配権の限度を示すこととなるのであります。この意味におきまして、界標のごときは、不動産所有権の限界をきめる上におきまして、大切なものはないのであります。それから財産問題のごときも、不動産という土地の問題になりますと、これは同時に人間の感情となるのでありまして、それは深刻な争いになるわけであります。現にわれわれ毎日東京都内においても見ております道路建設の問題にいたしましても、往々にして十幾間もあるようなところを切り開き、石垣を築いて道を作っているようなところがありますが、そのがけを築くところを見ますと、断崖からあと一寸足らずのとくろに家が残されておるようなのを見受けるのであります。これははたから見ますと、残された家は危険千万で、いつひっくり返るかと思いますけれども、やはりこれは所有権の限界のしからしめるところで、権利がないと、これはどうすることもできないのでありますから、たまたま人の土地に少しばかり侵入して家でも建てておりますと、いざ道路にとられるようなことになれば罰はてきめんで、こういう危険な状態となるのであります。道路がついて公用徴収ということになりますと、徴収金の支払い額などは正確に登記簿通りの面積に従って支払われるためでありましょうか、家ははみ出しておるまま取り残され、賠償はしてもらえないというような事態もひんぴんとして発生しているのであります。  これらを考えてみますと、人間の生活が多く一番安定するのは、土地に対する所有権制度の確立であり、われわれの大事な生活を保障してくれます土地に対する所有権に関する限界の範囲を明確にいたします境界標のごときは、社会的に重要な機能を演ずるものであり、それを自体保護の要があり、そのものを取るということは、危険として、別個に保護する要があろうと思うのであります。こういうものが、容赦なく動いていき、これが放任されるということになれば、民主主義の生活の上におきまして多くのトラブルを生ぜしめる。そこでこれがみだりに動かされ、棄損されないよう立法的技術を要するのではないかと思うのであります。幸いにして諸国の立法におきましては、この種の行為を取り締まる型が相当数多く見出されるのでありますから、案第二百六十二条の二という規定は、案第二百三十五条の二の規定からひとまず離れて設ける要があるのではないかと存じます。日本の今日の実情に徴しましても、私はこの案の規定は、相当に今日の秩序を維持し、人心の安定、財産権に対する信頼保持というような意味におきましても必要であると思うのであります。ただし、この規定は、侵奪罪とは直接に関係がない。もちろんこの境界標を損壊する罪は、不動産侵奪罪の手段としてなされる場合は認めますけれども、しかし、法文設定の体系の上では、侵奪罪の未遂罪として認められているのではなく、要するに境界標それ自体の安固を保持し、これによって土地の境界を判然ならしめる趣旨で立法の必要があろうと考える次第なのであります。
  33. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 そうしますると、この二百六十二条の二というのは、土地の侵奪の未遂ではない。そうしますると、法益は境界標そのものをこわしたというのも、これも別に罪に問われておらぬのですから、これは手段ですから、条文をお読みになれば、方法をもって土地の境界を不明確にするということなのですから、侵害された法益というものは、土地の境界の不明確ということです。物を取れば取ったで、はっきりとしますし、それから未遂なら未遂でこれもはっきりします。ところが、土地の境界の不明確ということは、これは法益のうちで、個人の何になりますから、また境界標を取ったからといって、境界が不明確になったという判定をやるということが、法益を確定するということが、私は非常にむずかしいと思うのです。境界標を取ったからといって、必ずしも境界線そのものが不明確になるとは申されません。これは幾らか痕跡があれば何ですが、取っただけでは罪にならない、不明確にならなければ罪にならないのですから、その厳格は犯罪の既遂をきめるということに対する限界が非常にむずかしいと思うのです。法益が明確でありませんから、私はそういう不明確なことを犯罪で決定するというのもむずかしいであろうし、不動産も取られていないのだ、ただ不明確になったということだけでこれだけの罪を着せるということは、あまり過酷ではないか、こういうふうに私は考えるのです。
  34. 安平政吉

    安平参考人 ただいまおっしゃいましたことと、結局において私どもも同意見であろうと思うのでありますが、境界標というものの、一つの独自な社会的機能を保護し、これによって結果的には土地の境界を判然ならしめようとするところに、立案のねらいがあろうと思うのであります。もし境界標というものを取りのけても、棄損してもかまわないということになりますれば、結局実質的には不動産という財産権の範囲があいまいになって参りましょう。財産権としての不動産所有権の限界がはっきりしないことになりますと、われわれの財産権の限度も不明確を免れません。そこでこういう不動産権の限度を示す社会的機能をもつ境界標なるものに対しては、相当に尊重し、それが棄損されないよう保護していく必要があろうと思われるのであります。従ってこのような棄損の結果を導いてくる場合、たとえば境界標を動かすとか、それに類似するような何かの行動形式がなされますと、これらの多くは、結果としては所有権の限界範囲があいまいになることは申すまでもありませんが、その原因としての境界標それ自体の、ありのままの保護ということが、さしあたりこの案文の立法趣旨と考えられるのであります。
  35. 田中幾三郎

    ○田中(幾)委員 この条文は逆になっておって、土地の境界を不明確にならしめる目的をもって、反対に境界標を除去し、損壊するというならば、損壊そのもの、除去そのものは罰則の対象になります。ですから、ここにいただいたギリシャの刑法によりますと、やはり「他人に損害を加える目的をもって」云々、この目的を書いて、そして「境界を表示する境界標を除去をする」云々、こう書いてあります。そうしてこの目的がなくとも、「故意に前項の行為をした者は、」というので、目的がなくとも第二項に行為そのものを処罰して、非常にこれは軽くしておる。ですからギリシャの刑法によれば、目的をもってやった場合には、ある程度それは処罰する、それから前項に規定した目的がなくとも故意に前項の行為をした者、すなわち行為そのものを処罰する場合には三月以上の懲役または罰金、こう書いてあるのです。ですから先生の今のお考えは、この犯罪構成要件といいますか、その中に標識の除去、損壊そのものも入っておるように御解釈になっておるんじゃないかと思いますが、これは行為の手段であって、目的はやはり境界を不明ならしめるということです。ですからそこに私はこの犯罪規定の非常に厳格であるということ、それから犯罪成立を決定する上において非常に困難が伴うのではないか、従って幅を非常に広くこの規定が適用されるのではないかというおそれのあるということを申し上げておるわけです。
  36. 前田信二郎

    ○前田参考人 私は安平先生の意見と若干違うのです。今の御質問は、私の考えとしましては、土地の不法占拠の場合に強盗的な方法によるという多くの事例があるのです。が、これが独立条項を設けるならば、もちろんそれはあった方がいいかと思うのでありますが、罰金と懲役刑の併課でございますね、両方課するという条項を設ける必要があるんじゃないか、私はそういうふうに考えて研究しておるのであります。それよりかむしろ営利犯、不法占拠をやっている人々を利用して、その土地から不法な利得を受ける、こういうふうなことが職業的に行なわれている場合、それが営利的むしろ職業的に行なわれているような事例が非常にたくさんでございますので、これを処罰するという条項ならば加えてもいいんじゃないか、こう思うのであります。それからもちろん暴行を方法とするようなことは、これはもう牽連犯として解釈してもいいんじゃないかと思うわけであります。  それから今おっしゃいました境界の石を取るという行為そのもの、つまり石を取るだけで何もしないというやつは、よっぽどばかなんです。ちょうど試験期になりますと、有名な人の家の名札を取るというようなあまり意味のない行為がありますが、圧倒的に多い農山村における境界侵略の民事事件は、すべてがこの土地所有の確認の問題であります。それで、そういうことでもって単にこの石の形がおもしろいということだけで境界石を盗んだり、あるいはおもしろ半分にマツタケ山などに行って荷作りなわを引きちぎるというようなことも、解釈としましては、この法務省の案に該当するのでございます。また類推適用をすれば、今までのような住居を標示します名札のようなものを取っても、あるいはそうなるかもしれない。そういう行為に関しまして、あるいはまた労働運動にもこれは関連してくると思うのです。たとえば、労働争議で、経営者側がくいを打ち込んだところに、それを侵略しないで、くいだけを抜き取るということだけでも罪になると思うのであります。ですからいろいろな特殊事情は別にしまして、現在境界領得、境界侵略という犯罪が何のためにあるのかということを各国の刑法及び日本実情から考えますと、やはりこれは構成要件としまして、はっきりと他有地の不法領得の方法ないしは目的として、土地に対する所有を標示する標識を損壊、移動、除去またはその他の方法によって境界を損壊したものというふうに書かなければいけないと思うのです。特殊のケースとしましては、ほとんど意味のない児戯に類するような境界標識の破損とか隠匿とか、いうようなもの、つまり土地を領得するという意思のない目的のない、行為を処罰するということは、私は刑法の目的、むしろ刑法の本質を毀損するものだと思うのです。刑法はもっと大きな目的がありまして、たとえば刑罰というものがありまするならば、これはやはり教育という目的がございます。構成要件だけを考えまして刑罪の問題を考えないというような立法は、これはもう意味がないと思うのであります。ですから、安平先生の御意見には不賛成なんでございますが、やはり不法占拠罪か、あるいは不動産侵占罪としての明瞭な占有侵害ということをうたう罪名と、それからそれに対しましては法務省の案とは違って、不法領得意思によって他人の財産に対して積極的に占拠するものというふうな明瞭な構成要件を置く必要があると思うのであります。それから境界侵略の方は、境界を侵略して、その土地を領得するというものが刑事立法対象であって、石をどうするか、こうするかということはこれは手段でございます。ですから、はっきりとその点で他有地の不法領得の方法としてその石を動かすということが罰すべき行為であり、単に石だけを動かす、これを毀損するというようなことは一塊の石にどれだけの経済的価値があるか。器物毀損罪にしても、器物毀損ということは物の効用をなくすることなんです。ほとんど意味のない石炭がらや、わらくず、灌木を毀損したからといってこれを器物損壊罪にするということはおかしいと思うのです。ですから、そういうふうなあいまいな条文を作らないで、ギリシャ刑法ではゆるく罰しているのでありますが、それは要らないのでありまして、はっきりとした不動産立法の趣旨、目的を考えまして、私は明確な立法が必要であると考えるのであります。これはむしろ法務省の方にお願いをしたいと思うのであります。
  37. 植松正

    植松参考人 ただいま田中委員から御質問の点、ちょっと私の見解と違うところがありますので申し上げますが、強盗については安平参考人の先ほどお答えの通りと私はり考えます。強盗罪は二項があるから特に規定を設けなくてもいい。それから一カ条でまかなったらどうかという御意見です。窃盗と侵奪罪を一カ条で、これはそれでもいいかと思います。極端なことを言えば、立法の文章の趣味の問題かと思います。それからその次に、今の二百六十二条であります。これは目的罪の形態をとって規定するのも一つの方法でありますが、私は目的罪の形をとらない方がいいと思います。というのは、現在の刑法にも目的罪の形をとったものがありますけれども、刑事訴訟法の改正等に伴いまして、主観的な行為者の意思にかかっているものは非常に証明が困難であります。無理に証明しようとすると、自白強要という形に追い込むおそれがある、こういう点で相なるべくは目的罪でなくとらえたいと私は考えます。  それから田中委員の一番御心配な点は、「能ハザルニ至ラシメ」云々というので、初めそういうふうにしようと思わなかったのだが、結果的になってしまった場合に罰せられるのではないかということにあろうかと思います。だから、前田参考人も同じようなお考えであるかに伺ったのでありますが、私はこれは「能ハザルニ至ラシメ」というところまでが故意犯であるので、それまでの認識がなければ本罪にならないものと解釈すべきものと思います。そうでなく、反対解釈が出てくるおそれがあるという御心配がおありならば、もう少し言葉を変えるという道はあろうと思います。たとえば「能ハザルニ至ラシメ」というのは、いかにも単に結果的であるように聞こえるかと思いまするので、「能ハザラシメ」としてもいいのではないか。御承知のように強盗致死につきましては、「死二致シタルトキ」という文句になっておりまして、これが一体故意に人を殺す者まで入っているかどうかということにつきましては、学説上争いのあることは御承知のごとくでありますが、通説並びに判例は一応故意に人を殺した者までも含むという解釈に踏み切っております。それと同じ意味で、「能ハザラシメ」とやれば一そうこの点が明瞭になるのではないか、田中委員の御心配の点はそういうふうに直すことによって目的を達するのではないかと思います。
  38. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたします。  参考人には、御多忙のところを長時間にわたり御意見の御開陳をいただき、まことにありがとうございました。これにてお引き取りをお願いいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後二時二十一分散会