運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1960-05-13 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年五月十三日(金曜日)     午前十時二十六分開議  出席委員    委員長 小澤佐重喜君    理事 井出一太郎君 理事 岩本 信行君    理事 大久保武雄君 理事 櫻内 義雄君    理事 椎熊 三郎君 理事 西村 力弥君    理事 松本 七郎君 理事 竹谷源太郎君       安倍晋太郎君    愛知 揆一君       秋田 大助君    天野 光晴君       池田正之輔君    鍛冶 良作君       加藤 精三君    鴨田 宗一君       賀屋 興宣君    小林かなえ君       田中 榮一君    田中 正巳君       床次 徳二君    野田 武夫君       服部 安司君    福家 俊一君       保科善四郎君    毛利 松平君       山下 春江君    飛鳥田一雄君       石橋 政嗣君    岡田 春夫君       黒田 寿男君    戸叶 里子君       中井徳次郎君    帆足  計君       穗積 七郎君    森島 守人君       横路 節雄君    受田 新吉君       大貫 大八君    堤 ツルヨ君  出席国務大臣         外 務 大 臣 藤山愛一郎君         国 務 大 臣 赤城 宗徳君  出席政府委員         外務事務官         (大臣官房審議         官)      下田 武三君         外務事務官         (条約局長)  高橋 通敏君         出席公述人         評  論  家 大井  篤君         東京大学名誉教         授       大内 兵衛君         ジャパンタイム         ス社長     福島慎太郎君         評  論  家 松岡 洋子君  委員外出席者         専  門  員 佐藤 敏人君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  日本国アメリカ合衆国との間の相五協力及び  安全保障条約締結について承認を求めるの件  (条約第一号)  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び  安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並び  に日本国における合衆国軍隊地位に関する協  定の締結について承認を求めるの件(条約第二  号)  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び  安全保障条約等締結に伴う関係法令整理に  関する法律案内閣提出第六五号)      ————◇—————
  2. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これより会議を開きます。  この際、西村力弥君より、資料要求について発言を求められております。これを許します。西村力弥君。
  3. 西村力弥

    西村(力)委員 資料要求をいたしたいと思います。黒いジェット機U2は、気象観測に従事しておる、なお、昨年の伊勢湾台風の場合においては、ことに重点的に気象観測をした、こういうことになっております。そうしますると、その気象観測の結果というものは、気象庁に当然通報になっているもの、こう思われるわけなのであります。それで、米軍気象観測機のRB66、そういうような飛行機による気象データ通報ではなく、U2による気象通報データを、全部というわけにも参りませんから、昨年藤沢に不時着をした九月二十四日、それ以前約一週間程度のU2から気象情報を、気象庁においてこの資料を整えられまして、御提出をお願い申し上げたいと思います。
  4. 小澤佐重喜

    小澤委員長 ただいまの資料要求に関しましては、委員長において適当の処置をいたします。      ————◇—————
  5. 小澤佐重喜

    小澤委員長 日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約締結について承認を求めるの件、日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並び日本国における合衆国軍隊地位に関する協定の締結について承認を求めるの件及び日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約等締結に伴う関係法令整理に関する法律案、右の各件について、公聴会を開会いたします。  本日は、ここに御出席をいただきました公述人評論家大井篤君、東京大学名誉教授大内兵衛君、ジヤパンタイムス社長福島愼太郎君、評論家松岡洋子君の四君より、右の三件について御意見を承ることにいたします。  この際、公述人皆様に一言ごあいさつ申し上げます。  皆様には、いろいろ御繁忙のところ、御繰り合わせ御出席下さいまして、厚く御礼を申し上げます。  申すまでもなく、これらの案件は本国会における最も重要な案件でありまして、本特別委員会といたしましては、連日慎重な審議を続けておるところでありますが、今回学識経験の豊かな、しかも、本件に深い御関心と御造詣を有せらるる公述人各位より、貴重なる御意見を承ることといたした次第でありまして、何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思うのであります。  なお、この機会に、本日の議事の順序等について申し上げます。午前中におきましては、御出席の四人の公述人各位からお一人当たり約三十分程度の御意見を順次開陳を願いまして、午後になりましてから、委員から公述人各位に対し一括して質疑を申し上げることになっております。  なお、念のため申し上げますが、公述人発言委員長の許可を受けること、また、公述人委員に対して質疑することができないことになっておりますので、お含みを願いたいと存じます。  それでは、これより順次御意見を承ることにいたしますが、その順序は、はなはだ勝手ながら委員長の指名によってお願いしたいと存じます。  まず、最初に、評論家大井篤君にお願いをいたします。(拍手)
  6. 大井篤

    大井公述人 私は、二つの問題について申し上げたいと思います。第一は新条約日本に必要なのか、どうかという問題であります。第二は、新条約日本に危険がないかどうかという問題であります。表面的には、各部論内容論にわたって、この国へお内外におきまして活発に議論せられておりますが、その底流をなすもの、根本に横たわっておるものは、この二つの点がなかなか論争になっておるのではないかと私には思われますので、一の点を二つ、私拾い上げた次第であります。  第一点の、新条約日本に必要かどうかという点でございますが、これは、日本が独力で対処できないようた致命的な脅威日本にあるだろうか、どうだろうか、こういう問題を考えてみたらわかるのではないか、こう思います。遺憾ながら、日本政体の異なる——われわれは議会主義の国でございますが、議会主義をあまり尊重しない政体の国があるわけであります。それから社会的信条人生信条とでもいいますか、それが違っておる。客観的事実の認定歴史史実認定にすら、あるいは解釈とでもいいますか、そういうことにすら、われわれ日本人の大多数と違っておる考え方を持っておる国もあるようでございます。価値判断が違っておる。そういう国がそういう体制——これは東西体制と大きく分けてみてもいいわけでありますが、そういう体制二つあったからといって、それは必ずしも脅威ということにはならぬわけでありましょうけれども、もし、そこに、どちらかに侵略性があるとすれば、これは危険なことだと申さねばならないと思います。遺憾ながら、歴史、それから現実に共産側が準備しておりますところ、ときどき彼らの外交的——これはおどしかもしれませんけれども、いろいろな表現の仕方、そういうものの中に、われわれはなかなか安心のできないものがあるわけであります。ことに、われわれは、歴史というものが、なかなか事実を言っているような気がいたしますので、私としましては、これは手放しにはいかないというふうに感じておるのであります。  そこで、最近、平和共存ということが盛んにいわれておりまするが、この平和共存ということは、主としてモスクワの方から唱えられているようにわれわれは思うのであります。これを一番よくまとめて論じましたものは、フルシチョフ首相の去年のフォーリン・アフェアーズの十月号に発表しましたオン・ピースフル・コーイグジステンス、「平和共存について」という論文じゃないかと思うのであります。それを私二、三べん読みましたが、それを読んだ感じでは、先ほどの私の心配が、やはりどうしても払拭できないどころか、ますますそれを深めるような感じさえせられるのであります。自分の方の体制を非常に自慢をしておる。それがいかにも、この事実の認定において、われわれの納得できないような点を堂々と主張しておる。何となくまあ、悪い言葉でいえば独善といったような点があるのであります。それから相手側は、それを資本主義といっておるのでありますが、われわれは、これは実は、資本主義社会主義体制ではなくて、これは議会主義体制とそうでない体制自由主義体制とそうでない体制というふうに分けて考えておるのでありますが、こういう点について、相手側を非常に悪く言っておる。さらに、そればかりではなくて、非常に曲解がある、不信がある、猜疑心がある。自由主義体制の方には戦争屋がおる、報復主義者がおるとか、そういうようなことを非常に言っておるようでございまするので、どうも、これはわれわれとして非常に脅威を感ずるのであります。しかるにかかわらず、なぜ平和共存を唱えたかということは、フルシチョフ首相は非常にはっきり言っておりますが、水爆ロケット時代戦争ができないから平和共存をやるんだ、これは好むと好まざるとにかかわらず、イネビタブルなことである、こういうことを言っておるのであります。これは逆に言いますと、水爆ロケットというものをこういうものを背景にして、まあ、日本アメリカ水爆ロケット背景にしておるような格好でありますが、NATO諸国しかり、こういうような団結があるということによって、初めてフルシチョフ首相をして平和共存を唱えせしめているのだ。今日の、平和は、水爆ロケットが平和をもたらしているのだという感じ方を、私などはさせられるのであります。そこで、われわれが、もし自由主義側水爆ロケットのもとに団結を固くしていなかったならば、どういうことになるだろうかという不安がここに出てくるわけであります。これが、やはり新条約日本に必要だと思う私の意見の、一部的ではありますけれども、理由であります。そのほかに、私は、最近「長期継続闘争」という本を訳しました。アメリカではプロトラクテッド・コンフリクトという本であります。その翻訳をしながら非常に感じたことでありますが、そこには、共産側行動原則戦術とでもいいますか、世界観とか、こういうものが非常によく書かれております。これを読みましてつくづく感ずることでありますが、彼らは戦術眼戦略眼が非常に広い。そうして、必ずしも軍事力のみによっての脅威はやってこないけれども、やはり自分の方に非常に圧倒的に有利な体制になれば、軍事的な手も使うというようなことをその中に述べております。それから、相手側分立政策をやるというようなことを盛んに述べております。これは毛沢東の「持久戦論」なんかを見ましても、よく書いてあります。毛沢東が戦後の一九四七年に書きました「現在の情勢とわれわれの任務」という論文にも、毛沢東は、分離したところ、分割しておるところ、集中しているものをあとにして、分離しているものからたたけというようなことを書いております。共産側には、日本が分離しておるという体制はすごく危険たというふうに思うようであります。こういう分離した体制で、向こうに攻撃の、たとえば攻撃誘惑心を起こさせ、それがために、日本火もとになって世界の平和を撹乱するもとを作るようなことになったら大へんだ、こう思うのであります。  それから、日本は、国力としましては、世界で大へんな力に回復しましたけれども、軍事力が非常に少ない。ところが、共産側は、先ほどのような平和共存体制を言いながらも、軍事力というものをなかなか準備しているのじゃないか、それも、しかも秘密裏に準備しているのじゃないか。たとえば、アメリカ軍縮会議なんかにおきまして国際査察ということを持ち出すと、共産側は非常にきらいます。そうして、そのときに軍事スパイ軍事スパイということを盛んに言う。これは、彼らが軍事力を使うという、それを意図しているのじゃないかというような疑いがされるのであります。それから、この軍事力心理戦外交戦の武器として盛んに使う。たとえば、安保条約に関しましてソ連から日本に参りました覚書なんかにも、ときどきあることでありますが、軍事的なおどしを使った文句が入っておる。それから一月十四日のフルシチョフ演説、あれは兵力削減演説でありまして、どうか、われわれとしては、平和の演説であれかしと願った演説の中に、やはり軍事力の偉大さを誇示しておる。こういった点、日本のように軍事力の少ない国としましては、なかなか不安を感ぜざるを得ないと思うのであります。  第二点は、新条約日本に危険かどうかという点であります。いかに日本条約が必要でありましても、もし、日本に命取りのような危険をこの条約が及ぼすならば、われわれは考え直さざるを得ないわけであります。そこで、この点を申し上げたいと思うのであります。  一般に、戦争に巻き込まれないということを盛んに言われます。私は、戦争に巻き込まれないという観点から、この条約価値を見るということは不同意なんでございます。なぜかといいますと、たとえば、これはアメリカソ連とか、中共とか、ああいう国との戦争において、日本のような地理にある国、それから、経済的にもそうでありますが、日本のような国が巻き込まれずにおれるだろうか、そういうような戦争日本の周辺に不可避的に及んでくる、これは日本が中立したいと幾ら願っても、それは避けられないことだ。それから、軍事技術の発達がそれに加わっております。破壊力、射程、兵力行動能力おまけに、放射能というようなものが入ってきますと、これは大へんなことでありまして、米ソ戦のようなものが起こりましたならば、日本のみならず、どこの国もなかなか戦争の圏外に立つことはできない。それから、それが核戦争に発展する可能性が非常にあるわけでありますが、核戦争破局性については、私がここで申し上げるまでもないことであります。従って、戦争に巻き込まれないなんということは、砂にダチョウが頭を突っ込んでおるようなものじゃないかというような感じがされるのであります。そこで、私は、アメリカとか、ソ連とかが戦争をするような、そういう戦争を防止するということを考えなければならないと思う。その必要性の方が大事であり、その方法をとることが大事である。それには、第一に、融和政策をとる方法兵力引き離しの政策をとる方法があるわけで、ありますが、これは遺憾ながら、歴史において、われわれの世代において明らかに失敗しておると私は思います。融和政策の失敗は、申すまでもなく、一九三八年、ベルヒデスガーデン、ゴーデスベルグ、ミュンヘンに、あのイギリスの老宰相チェンバレンがわざわざ出かけてヒトラーと話し込んで、そうして、ついにあのミュンヘン協定なるものをもらって、それを持ってイギリスのロンドンの飛行場に着いたときはイギリスの朝野は、彼を平和の天使のごとく歓迎した。ところが、それは結局はヒトラーを増長させるたけであった。これは、戦後に取ったドイツの機密書類によって明らかなことであります。従って、増長し、そのとどのつまりは、翌年の一九三九年の夏、とうとうあの第二次大戦が始まったわけであります。融和政策というものは危険なものである。  それから、しからば、兵力引き離しはどうであるかという問題でありますが、これは、朝鮮戦争というものが非常にわれわれの教訓だと思います。一九四九年、ソ連は三十八度線の北方から、アメリカは三十八度線の南方から兵力を引きました。おまけに、アメリカ側は、アチソン国務長官が、一月、上院においても、外交協会においても、朝鮮半島はわれわれアメリカ防衛地域から除くという声明を出しておる。りっぱな兵力引き離しであります。実に、兵力引き離しとしては模範的なものだと思うのでありますが、どうでしょう。その年の六月二十五日には、あの朝鮮事変の勃発があったのであります。三十八度線を北から大軍が突破してきた。こういうようなことで、われわれがこういう方策をとることが危険であるとするならば、何がここに残るでありましょう。これは、私は、今世界がとっておる抑制デターレンス戦争抑制、阻止とでもいう方法、これはわれわれとして検討すべきだと思うのであります。このデターレンスというものは、戦争をしかけてきたら、あなたは、そのしかけた戦争によって大へんなことになりますぞということ、そういう心理作用相手に起こすことによって、戦争を発生せしめようとする誘惑心、意思を抑えるという問題であります。戦争が起きたら防衛するというのではありません。もっと積極的な——積極的といいますか、心理的なものでありますが、この抑制が今日とられておる戦争防止方法だろうと思います。  そこで、しからば、戦争抑制というものは成功の可能性があるのかという問題であります。私は、これはあると思うのであります。ことに、これはまず第一に、共産側のコンセプト・オブ・ワー、戦争思想というものを考えますとわかってくると思いますが、共産側は非常に現実的であります。あの国の指導者は非常に現実的であります。ことに、戦略思想において現実的であります。一体、国というものは、エキスペーディエンシーで働くものである。クマ公、八公がけんかをするときには感情で働くことがあるかと思いますけれども、国家とか、そういう大きなオーガナイズしたソサエティは、利害、打算というものをちゃんと計算して行動をきめるものであります。それが、共産側はこの辺が非常に慎重である。力関係というものを計算する。それから闘争を進めるのには、戦争以外の、武力以外の手段を彼らは持っておる。彼らの戦略的ビジョン西欧側よりうんと広い。時間なんということはそう考えない。フロント・イズ・エブリホイア、どこでも彼らは戦場として使うことを知っておる。そういうことでありますから、彼らは、武力ではこれは引き合わないぞということを感じたならば、決して出てこないという習性を持っております。そういうのが、彼らとしてはほとんど習性というか、体質になっておるように思います。レーニン、毛沢東、彼らがたびたびこれを実際の言葉でも言っております。教訓的に言っております。これは時間がないからやめます。  それから、ことに核ロケットの持つ抑制力というものは、昔に比べると偉大なものになっておる。われわれの昔の古い軍事思想では考えられないほどの抑制力というものが、今度出てきたわけであります。水爆ロケット時代——フルシチョフも先ほどの平和共存の宣言で言ったごとく、これが出てきたということ、これは抑制可能性が非常にふえたということであります。これは、史実に見ましてもはっきりしておると思います。これは例でございますが、皆さんすぐ近いところを振り返って見られればわかりますように、アメリカ集団安全保障体制を作っているところで、今までソ連戦争をしかけたところがあるでございましょうか。がっちりしたところは、ないと私は思います。この前朝鮮戦争が発生したときと、このごろ韓国で大政変があって、韓国が大動揺したときに、前は兵力引き離しであったにかかわらず、大戦争が起きた。今度はずっと平静であります。あれは何を物語るか、これは私は抑制力というものを非常によく、説明しているのではないかと思います。この前の金門馬祖攻撃にしても、そうでございます。あの金門馬祖という問題は、アメリカ上院ではっきりきめたのは、澎湖島と台湾ははっきり守る、しかし、金門馬祖、オフショア・アイランズに対しては、大統領の裁量にまかせるというようなアンビギュアスなところを残している。あいまいなところを残している。そこで、北京から見ますならば、あそこは案外アメリカは来ないかもしれないぞという、プルービング、探索する余地を残しまして、そこで、すぐ上陸は危ないからということで、砲撃を始めてみたのではないか、これは私の解釈でありますが、そういうふうに思われるのであります。そうしたところが、砲撃が始まりましてから、アメリカ軍がやはり出て行った。アメリカが確実に参画したということで、その後の情勢は、あなた方御承知通り、今日はついにあの辺ではあまり砲声もなくなってしまったという情勢、こういう点が、私は抑制というものが成功しているんだという証明になると思います。この反対事例をどこにあげますか。反対事例を、私は、残念ながら寡聞にして、あげることができないのでございます。  それならば、今後はどういうことになるかという問題でありますが、今日、ソ連ICBMの力が非常に強くなったということをいいますが、どうも私は、今日の情勢では、ICBM時代におきましては、これがほんとうの本格的ミサイル時代になりますと、どちらがよけい持っておっても、ある程度のものを両方が持っておれば、それから余剰のものは、幾ら持っておっても、これは問題にならないと思う。そこにはいわゆるファイナイトな、デフィニットなものがある。最小限度のものがある。たとえば、ソ連には二百の軍事目標——これは都市も入れてでありますが、それをソ連が完全にやられるならば、再起不可能な状態になるといわれます。西欧側は、都市は大きいから、もっとよけいかもしれませんが、それだけのものがもし両方にあるとするならば、それだけ撃ち合ったならば、両方とも足腰の立たない状況になりますから、それ以上のディテーランスというものは余剰なものになる。だから、抑制力というものは、こういう点からは十分きくと思います。  それならば、奇襲開戦によって相手を初めにやっつけてしまったらどうかという問題があるわけであります。たとえば、これはソ連にも遠からずできるでありましょうか、アメリカ側は、皆さん承知通り、最近、ポラリス潜水艦というものが登場しております。これは、たとえば、先ほどのソ連の二百の重要目標を、一発のポラリスで十分やれるのであります。一隻の潜水艦に十六発ずつ持っているわけでありますから、算術計算でいきますと十三隻、よけいにしても二十隻もあれば、アメリカとしては最小限の抑制力は十分持てるということになるわけであります。具体的なことを言うと、もっとたくさんありますが、これは時間の関係上省略しまして、こういう情勢が出てきたわけです。それで、このポラリス潜水艦は、おそらく今度の予算で十四隻の予算が通過すると思いますが、それくらいになってしまいました。そして、それがすぐ役立つようになっておりますが、そういうような時代にもう入っております。  それから、これは日本アメリカ協力安全保障でありますから、アメリカ側を中心にして私申し上げますが、アメリカ側抑制力を申し上げますと、元来は、局地戦争力といいますか、地上兵力においては、ソ連側が圧倒的に強かったといわれておりましたのが、先ほど触れましたように、最近ソ連ではこの地上兵力を削減した。アメリカでは、こういうファイナイト・ストラテジー(限定戦略)、カウンター・シティ・ストラテジー(対都市核爆撃戦略)というものが採用されるようになりましてから、いわゆる戦略抑制力といいますか、大きなICBMとか、そういったものを限定して、ある程度に押えまして、その余剰軍事能力を、フレキシブル・レスポンス(柔軟対応戦略)、いわゆる限定抑制の方に使うようになってきたという状況になってきましたので、こういう局地戦争に対する抑制力も、アメリカ側が非常に強くなってきた、私にはこういうふうに思われるのであります。そこで、日本の一部には、共産側武力が強いから、あまり共産側を怒らすようなことをやってはいけない、それで、この安保条約も慎重にやってくれという声が方々にありますけれども、こういうような観点にとらわれては、頭が縛られてしまって、自分のほんとうの考えが出てこないじゃないか、そういうノイローゼといいますか、自分の恐怖心から一応解放された方がいいじゃないかと思うのであります。そしてもっとフリーに考えたらどうか、こういうふうに思うのであります。  私は軍事評論をやっておりますので、法律論とか、そういう人間の作ったものは、これからほかの専門の方が、きょう、あすにかけてたくさんおられると思いますから、そちらの方に十分聞かれたらいいじゃないかと思います。私の出て陳述したいと思いますところは、こういった人間の作った法を越えた、一つのローズ・オブ・ネーチュア、自然の法則、ローズ・オブ・プロビデンス、天の摂理——と言うと大きな言葉でありますが、もっと大きな戦略から論じてみたわけであります。しかし、それが案外国民の心配していることじゃないかと思いましたので、ちょっと申し上げました。陳述を終わります。
  7. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に、東京大学名誉教授、大内兵衛君にお願いいたします。
  8. 大内兵衛

    大内公述人 かぜを引いておりますので、あまり大きな声が出ないのですが、日本国民の一員といたしまして、この席に呼んでいただいたことを光栄といたします。  私が、なぜ安保条約締結反対であるかを述べます。  私は、十一年前、安倍能成、仁科芳雄両氏とともに、平和問題懇談会なるものを作りました。この会は、今日までに四たびにわたってその立場を表明いたしました。また、私は、一昨年以来、憲法問題研究会なるものを組織いたしまして、我妻栄、宮沢俊義両君とともにこの会の世話役をいたしております。この会は、憲法問題の研究を重ねまして、最近において、安保条約に対する態度を表明いたしました。この二つは、おのおの会員五十名内外の小さい学者のグループでございますが、僣越ながら、日本の学界をある程度に代表しておると信じております。本日ここで申し上げることは、もちろん、私一個の意見でありますけれども、私自身は、できるだけ忠実にこの二つの研究会の意見を代表したいと考えております。  われわれは、十一年前、平和問題を討議いたしまして、日本の一般的方向を定めまして、次に、朝鮮事変の勃発、サンフランシスコ条約締結を前にいたしまして、日本の国是を三つに要約いたしました。一つは、日本戦争をした諸国と同時に講和しなくてはならない、二つは、日本世界の対立せる戦争勢力に対して中立を保つべきである、三つは、日本はいかなる国にも軍事基地を提供してはならない、この三つの原則は、日本が、昭和二十年、戦争をやめたときに、当然に決心しなければならない原則であったのでありまして、そうしてまた、世界の人道主義の原理でありますが、たまたま昭和二十一年の憲法をもってこれが確定し、そうしてこれが日本国民の意思として表明せられたのであります。そういう意味で、われわれは、新しい日本国憲法をもってりっぱな憲法として守り通さねばならぬ。もし、それを改正するといたしますならば、それも憲法に基づく正当なる手続をもってすべきであると決心いたしました。すなわち、右の三原則は、日本の正義の立場であると同時に、日本国憲法の規定及び精神であるという確信が、われわれの精神であります。われわれは、そういう意味において立憲主義者、そういう意味において民主主義者であります。しかるに、その後日本の進み方は、われわれの正しいとするものと多くの点で反対でありまして、それを具体的に表明し、公然たる日本の国是としたものがサンフランシスコ条約と、それに付帯するMSA協定でありました。それは日本を中立から遠ざけ、それによって日本は軍備を持つようになりました。同時に、アメリカの軍事基地が、占領強制によらないで、日本の領土内に置かれることになりました。すなわち、日本の独立が失われたのであります。他国の軍隊をもって守られる国は、独立国ではありません。保護国であります。日本が保護国であるということは、一方においては、いろいろな基地問題において、MSAの実施において、秘密保護法において現われましたが、何よりも、自衛隊と称する戦力が、日本的装備ではなく、アメリカ的装備によって増強せられたことに現われております。一つの国が、独立国であるか保護国であるかは、その国の軍隊の性質によって定まるものであります。日本の自衛隊は、外形上はもちろん独立でありますけれども、機能土はアメリカに従属しております。  われわれが安保条約反対するのは、それが右のようなサンフランシスコ条約よりは、もっと根本的な憲法違反であり、従ってまた、反平和主義であるからであります。第一に、このような条約を結ぼうとするならば、その交渉の前に、その内容について国民の同意を得てから、しかる後にやるべきであって、まず秘密裏に交渉し、条文がきまってから、それを議会で説明するというのでは、それでは国民がいろいろ無用の疑問を抱くのもやむを得ないことであります。これは国民を無視する態度であります。しかし、重要なことは、やはり内容であります。サンフランシスコ条約はもちろん軍事協定であり、平和主義に反するが、あれは戦争の結果として、勝利者の命令であるからやむを得ないという点もあった。しかし、今度の条約は、日本の発意であります。そこでその反平和主義が露骨に現われたものと言えます。国民はその点を理解しないのであります。と申しますのは、一方では憲法があって、それに反するからであります。平和憲法があって、それに反するからであります。すなわち、これは、政府がみずから耳をおおって、みずからの鈴を盗むものであるからであります。しかも、それよりも悪いことは、その持とうとする戦力が、巨大なる全地球的、グローバルなものであるということであります。国民は、そういう兵力を必要とする大戦争を決して願っていないと私は考えます。日本国民は軍国主義を捨てたのであります。これについて、アメリカは、自分は軍国主義ではない、アイゼンハワーも、自分は軍国主義でない、岸さんも、自分は軍国主義でないと言っております。しかし、これはヒトラーも言った言葉であります。話は、そういうことではきまりません。社会的事実によってきまるのであります。一般にいって、国民が自由にコントロールし得ないほど、それほど大きな戦力ができたときに、または、外国がそれについて現実に脅威を感ずるほど大きな軍事力を持つようになったときに、その軍事力をさして、われわれは、学問的に軍国主義というのであります。国を滅す軍国主義というのは、そういう国力ふつり合いな戦力をいうのであります。日本の戦力は、安保条約によって、自衛を名としてアメリカと一体となります。そして今後今よりもますます大きくなります。そういう約束が安保条約であります。私の見るところでは、今の兵力でも、数量は戦前よりは小さいのは小さいけれども、戦力、すなわち破壊力としては、戦前の何倍かであります。そこで、これは数年のうちに何十倍になるかもしれません。これは兵器の性質がしからしめるのであります。それに対して、日本の国力はまだ戦前の倍にはなっておらないのであります。第一次大戦のときにおきまして、一人の兵を戦場に送るには、七人の銃後の人を必要といたしました。第二次大戦のときには、その五倍でありました。今後戦争が起こりますならば、これは十倍、二十倍となるでありましょう。すなわち、日本の軍国主義は明白であります。兵の勝敗は、必ずしも武器の大小ではない、経済力、精神力の大小であります。馬上天下を取るものは、馬上天下を失う。アメリカとともに持つ日本の軍備は、日本にとっては身分不相応に大きいものであります。言うまでもなく、アメリカ世界最大の軍国であり、予算の六〇%をもって軍備をいたしております。世界歴史の上で、こんな国はいまだかつてないのであります。日本の満州事変以後でも四五%の程度でありました。こういう世界第一の軍国主義と手を取って目的を一にすることによって、日本もまた軍国主義となるのであります。日本のような経済的、精神的な弱小国が、こういう大きいかぶとをかぶって世界の舞台に立つということは、たとえて申しますならば、私が横綱を張って土俵に出るのと同じであります。危険どころの問題ではなくして、こっけいであります。(拍手)決して国民の意思ではありません。国民は心ではこれを泣いておると思います。国民の反対の請願がなぜあのように大きいかは、このことを理解していただけば、わかると思います。  一般に申しまして、地域的集団保障の制度は、今や、世界の大勢上、無用有害となろうとする傾きであります。世界が軍事撤廃または制限に動きつつあるのは、そのためであります。もちろん、この運動はそう簡単には実現いたしません。しかし、せっかく、軍備を持たない日本、水爆の被害経験を持つ日本、実践をもってこの世界に新しい方向を示すのが日本の使命であります。少なくとも、自国の国民の力をこの一方に貸して、相対する両陣営のどちらかの危惧を大きくするということを避けて、それを一般的な安全保障、すなわち、国際連合の理想への道への案内にせんとすることこそ、日本国憲法に盛られた国民の理想と思います。まさに世界がこういう方向に行こうとするそのときにあたって、日本がみずから有力なる発言の資格を放棄するのは、せっかくの国民の理想の破壊であります。太平洋戦争における日本の敗北は、四百年前のスペインの敗北、六十年前のロシヤの敗北、四十年前のドイツの敗北などに比較いたしましても、国民として恥ずべき大敗北でありました。これを全世界の文明に対する罪悪であると意識して忘れないことが、新しい日本の道徳であると思います。  日本のこの戦争の罪とは、具体的に申しますと、日本が交戦国に与えた物質的、精神的損害のことであります。第一に、中国に対して犯されたもの、次には、東南アジア諸国に対して犯されたもの、第三に、アメリカその他に対して犯されたものと、数え上げることができるのであります。そこで、日本世界に対し、文明に対して、今後恥じない国として立とうと思うならば、アメリカに対して、イギリスに対してあやまる以上に、中国に対して、東南アジア諸国に対してまず謝意を表すべきであります。そういう意味でも、サンフランシスコ条約は体をなしていない。これは、これらの交戦国の一部とのみの講和であって、不公平きわまるものであります。インドがこれに賛成しなかったのは、十分理由があったと思います。ソ連、中国、以下多くの国がこれに反対したのは、当然であると思います。当時われわれは全面講和を主張して、こういう片面講和に反対いたしましたが、これは日本の正義のためばかりではなしに、実に世界の将来の平和のためでありました。このとき、日本アメリカとが、世界に対して共同の誤りを犯したということができます。あのとき、日本にとっては、中立主義と全日面清和とは同一の主義の表裏でありました。日本のそういう主義が、世界の冷戦の範囲を小さくし、中国の国際世界への加入のチャンスを与えるものであったのでありますのに、日本が片面調和をした結果、われわれの戦争直後の理想、従って、日本憲法の精神が捨てられたのであります。アメリカとともに、外国、ソ連や中国や、インドや東南アジアの諸国からも、疑いの目をもって見られるようなことになったのは、まことに残念であります。日本がそれを誤解だと幾ら言っても、彼らはみずからそれをそうは考えがたいのであります。と申しますのは、彼らはたびたび日本人の侵入を経験しております。日清戦争、北津事変、日露戦争、二十一ヵ条、満州事変、支那事変、太平洋戦争、しかも、そのたびに、日本または日本の支配者は、極東の平和を念願しと言ったのであります。彼らはそれはよく覚えております。役らは、日本が極東の安全平和を願うといって大声を出したときは、あるいは国境を越えるのではないかというような危険をさえ感じておるかもしれません。こういうことは、口で幾ら争ってもむだであります。問題は、戦力の大きさであります。安保条約は、文言上、攻守同盟という形は避けております。しかしながら、日本歴史的条件、地理的条件、その基地及び兵力そのものの構成から考えますならば、これを侵略的のものと解するのは、われわれにとってはともかくも、彼らにとっては全くやむを得ないところであります。現にアメリカの飛行機がソ連の国境を越える力を持っておる以上は、それを誤りだと言っても、何とも仕方のないことであります。  反省いたしますと、この日本が、一千万の支那人の台湾は国家と認めるというほど尊重するにかかわらず、一方、六億の中国人の中国、九百万平方キロメートルの全中国を、何ゆえ国家と認めないのであるか、それを、いつ侵略してもいい地域、すなわち平和条約外の地域と何ゆえにしておかねばならないのであるか、この方を日本人は考えた方がいいと思います。これは、数千年来文化をともにした日本人、生活と文字の形を同じくするアジア人として、口にするも恥ずかしいことではないでしょうか。いわんや、フィリピンや南ベトナムやビルマには賠償を払って、あたたかな心を委しておるのにかかわらず、千万人以上の国民を殺し、幾百万ドルの損害を与えた中国に対しては、一又の賠償もせず今日に至っておるということ、これについて一人の正式の代表者を送って罪を謝していないということ、そういうことをわれわれ国民は実に恥ずかしく思うのであります。ほんとうの日本人の心は、そういう意味におきましては、今日非常に心苦しいものがあると思います。  私は、中国に対する日本の経済的利益を考えますときに、この問題はさらに大きいものと思います。こういうことがいかに日本の経済に不利益が起こりつつあるかということを立証すること、そのことが、むしろ私の責任であろうと思いますが、時間がありませんから、結論を急ぎましょう。  要するに、私は、新安保条約は、日本が戦後に持った正しい理想、平和憲法に反するものと思います。このことを議論するのはばかげております。それについて、憲法第九条、憲法の前文、憲法公布の勅語、憲法についての政府の解釈、マッカーサーの解釈がすでにあります。これに対するいろいろの反対解釈ももちんありますけれども、それらにかかわらず、学説は今日まで一つも動いていないと思います。政府は、サンフランシスコ条約実現のために、憲法解釈上の無理、行政上の無理を幾つもいたしました。これは今や積んで山のごとくであります。たくさんな違憲の訴訟に裁判所は悲鳴を上げております。また、議会はそういう問題でいつも忙殺されております。世界どこの国にこういう例がありましょうか。これは憲法に威信がないということ、国民が尊重しようと思っても、どの憲法を尊重していいかわからぬということであります。これはだれの罪でありましょうか。行政の罪でしょうか、政治の罪でしょうか、憲法の罪でしょうか。私は、無理な条約が行政上にはね返っておるためであると思います。そういう国は法治国ではありません。法治国でない国を支配するものは、もちろん暴力であります。私は、岸さんが暴力はよくないと言ったと思いますが、こういう大きな無理を政治の上で持ちながら、国民に対してそういう教訓をたれましても、それは自己矛盾と響くと思います。  日本の裁判は、今や主要な問題についてその判断力を放棄するかに見えます。たとえば、砂川事件がそれであります。あの判決は、政治上やむを得ないことは憲法のほかである、従って、裁判のほかであるという意味に受け取れます。こうなりますと、MSAに基づくもの、あるいは今度の安保条約に基づいてできる法律命令は、すべて裁判のほかになります。そうして、こういう事件は今後非常にふえるに違いありません。巨大なる治外法権を持つ国は、もちろん独立国でありません。すなわち、安保条約は、日本の法治力を殺すものであると思います。  私は、いい国とはいい憲法を持つ国、国民がそれをとうとぶ国、そこで憲法の解釈が、政府、裁判所、国民において一致している国、憲法の理想と政治の理想とが一致している国だと思います。いい国でなければ、いい国民はない。いい国民でなければ、愛国的ではあり得ない。愛国的でなくては、強い兵隊はできません。どんなに大きな兵備ができましても、兵隊の精神に愛国の情熱が燃えていないならば、泥の軍隊であります。今日自衛隊はアメリカの兵隊に似ていますが、彼らが、アメリカ兵のような誇りを持っているというふうには、私には見えません。今日の士官は、戦前の桜といかりの誇りを持っているでしょうか。そもそも、独立でない国家に、こういうのもがあるでありましょうか。私は、政治家諸君が、国民の心のささえのために、この点を重く考えていただきたいと思います。  私は、右の意味において、安保条約改定に絶対反対であります。しかし、私は、私と異なった見地から、日本も軍隊を持つがいい、アメリカと協同するがいいという意見があることを、よく承知しております。そして、それも一見識であるということを決して否認いたしません。そして、ことに今日、日本アメリカとの経済関係、今までアメリカにこうむった恩顧を考えますときには、ある程度これは実際的な意見であると信じます。しかし、それならばそれとして、まず憲法を改め、国民の総意をそのように定めてから後、その実行に移るべきが順序かと思います。軍備に賛成、反対いかんにかかわらず、憲法改正が先、国民の了解がその次、そのあとでアメリカとの協定、そういう順序がほんとうの順序であります。それが民主主義の絶対原理であり、ぜひとも、議会はそれを尊重していただきたいと思います。サンフランシスコ条約も新条約も、順序がまさに逆であります。そういうことはアメリカには言いにくいというお話もあるかもしれませんが、日本国が独立国であるならば、いや、いやしくも独立を理想とする日本国でありますならば、まず、自国の主権者、国民の意思を定めて、しかる後に友邦の助けを請うべきであります。本来、アメリカは民主主義の国、無用と考えますならば、日本からでも直ちに兵隊を撤退した国であります。また、自分の提唱したウィルソンの国際連盟を簡単にボイコットした国であります。そこで、日本国がせっかくの安保改定について、もしもう少し考えていただきたいというふうにみずから考え、かつアメリカに申しても、それを少しも不思議ではないと、彼らは考えると私は思います。もちろん、それはいろいろのめんどうがありましょうが、それはしかし、世界相手として戦争をするよりは、よほどやさしいことであります。日本政府は、日本世界的使命と日本の正しい道を開くために、この解決方法を辞してはならぬと思います。私は、日本の議会が、この際一段の奮起を祈ってやみません。  私の言うようにして憲法改正の問題を先議し、しかる後に、あらためてアメリカと現在の安保条約の解消について交渉するということにするためには、もちろん、政治、外交の面において、いろいろの手続を要しましょう。歳月をば要しましょう。こういうことは、もちろん、複雑にして困難な問題であります。しかし、それにもかかわらず、私は、諸君がそれを切り開く道を知っておることをかたく信じております。新安保条約の停止、サンフランシスコ条約のやり直し、中国との国交回復、そういう基本方針に日本を立て直すこと、それを、日本国民の一人として私は諸君にお願いし、かつその成功を期待します。(拍手)
  9. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次にジャパンタイムス社長福島愼太郎君にお願いいたします。
  10. 福島慎太郎

    ○福島公述人 安保条約の御審議の過程で、私の意見を申し上げる機会を与えていただきましたことを、光栄に存じます。忌憚ないお話をさせていただきたいと思います。  安保条約は、もともと、でき上がったときから平和条約と抱き合わせであって、感心しないという話はありました。そういう面は、多分にあっただろうと思います。だからだめだということになるかどうか。それに関連しまして私が思い出しますのは、日本の憲法制定当時のいきさつであります。これも押しつけの憲法だということをいわれたことがあります。私は、当時総理大臣秘書官を勤めておりまして、当時の書記官長楢橋さんが司令部へ出頭して、これが日本の憲法であるといって渡された正副二通の英文の憲法に、受け取りを署名して帰ってきた、その署名するのを、通訳としてそばで見ておったことがあります。従って、ちょうだいした憲法であるということだけは、私に関する限りは間違いありません。だからといって、でき上がりが気に入らないからといって、さりとてその現在の憲法の原則がおかしいということは、われわれは考えていないと思います。憲法改正をすれば、改悪反対と言うにきまっておるいうような情勢というものは、憲法のでき上がり方は気に入らなかったけれども、その原則は、われわれの今日の憲法として、われわれの承認し得る憲法であるという考え方が広く支持されていると思います。安保条約についても、ふできのところはたくさんある。これ改良したらどうかという議論はありましょうけれども、日米の安保体制というものが、全般的に国民に承認されてきたということは、憲法と同じように、今までは事実であったのではないかと私は思っています。平和条約ができ、独立ということになり、これから、再建とか今後の生存という問題を考える日本としては、どういう方向で国の安定をはかっていくか、そういうときに、われわれは、アメリカとの協力によって日本の経済再建をはかっていこう、独立の保全をはかっていこう、大体そういう方式を、その当時は是認したのではないかと思っています。そういうことであればこそ、安保条約に関する論議というものは、今日はいざ知らず、数年前は、安保条約改正論というものが非常に盛んであったのではないかと思います。国会における当時の御論議というものはよく承知いたしませんけれども、少なくとも当時の新聞論調その他は、安保条約改正論、改正論というものが非常に盛んでありました。あまりさかのぼって言うわけにも参りませんので、とりあえず昭和三十二年の夏、岸首相のアメリカ行きの前後から、各社の新聞の、安保条約に関する社説を、一応念のために拾い上げて並べてみたのですが、ほとんど全部が、安保条約改定をしろという議論をしております。そして、その改定点などをあげております。世の中をあげて安保条約改定論が盛んであったことは、ここ三、四年間、間違いがない事実であります。その調子に乗ってかどうか、その支持を受けてかどうか知りませんけれども、また、そのほかに動機があってのことかどうか知りませんけれども、政府は、アメリカとの間に条約改定を取り上げ、どうにかこうにか改定案ができた。当時、少なくとも新聞の社説で取り上げた安保条約の改定点というものは今日の改正案においては一応取り上げられておる、ほとんど全部改定せられておる。  そういうことで、安保条約の新しい改正案というものができて、いよいよ最終的な審議ということにかかりますと、議論は一転して、改定論ではなくて、安保条約不必要論になったというのが、現状であろうかと思います。少し皮肉で申しますならば、政府もいいつらの皮であるということが言えるのではないか。そういう政治情勢の世の中、保守党と革新政党が対立しておる世の中でありますから、安保改定問題というものも、その与野党両党の間において争われている。争われている間にだんだん形が変わってきて、改定論から不要論になるというようなにとは、わからないでもございません。しかしながら、問題は、どうやって国の安全を将来に期待していこうか、国民の利益と繁栄を増進していこうかという、国策をきめると申しますか、政治上の態度をきめる問題でございます。政治問題として争われている間に、問題の根本が失われては困るということが、私ども局外者の意見でございます。政治問題と申しましても語弊があるかと思いますけれども、与野党両党の間の問題と化して、少し俗な言葉で申しますれば、条約改定問題は政治的なフットボールになって、あっちにけられ、こっちにけられしている間に、議論の内容が変わってくる。議論の内容が変わることがけしからぬということではございませんけれども、私どもとしては、扱い方にいささか不安を持つ。いわんや、これが与野党の間でなくて、政府・与党の間の、派閥の間の問題になって、扱い方が混乱するというようになったのでは、——日本人は、国際政治がわかるかと言われて、何を言うかという返事をしたかったんだけれども、ちょっと言い出しかねた、そういうことを、私の友だちがロンドンで経験したという話をして聞かせたことがあるのですけれどもわれわれは、国際情勢を、ほんとうにわかっているのだろうかという疑問をやっぱり持たざるを得ない。岸内閣に反対するのは自由であります。岸信介さんに反対するのも勝手であろうと私は思う。しかしながら、岸信介に反対する、岸内閣に反対するために、事のついでに、安保条約をその道具に使って、これに反対して目的を達しようということでは、問題の扱い方が違うのじゃないか。(笑声、拍手)何か立場の都合で、国際情勢を都合よく解釈して、それを前提として安保条約の議論をしよう、そういうことは行なわれるかもしれませんけれども、その都合で国際情勢が動いてくれるという保証はないのでございます。われわれは、国際情勢を見そこなって大東亜戦争に突入して、未曽有の敗戦を経験したことは、すでに一ぺんやっております。できれば、もうそういうことは繰り返したくない。言葉がぞんざいで恐縮でございますけれども、安保条約の改定といった問題は、一体どういう事情でこうなったのだろうか。三、四年さきは、安保条約を改定しろといったところで、アメリカが受け付けるはずはなかろう、改定々々という議論を盛んにしていけば政府が困るであろう、そういうことで、安保改定論が盛んであったのだろうと私は思います。政府が取り上げてみると、案に相違してアメリカが受け付けたということで、仕方がないから、今度は安保条約不要論ということで攻めなければならないということに、おそらくなったのではなかろうかと思いますけれども、しかし、これでは国民が、安保条約を理解して支持しようか、反対しようかというときに、困るのではなかろうか。  安保反対の議論はたくさんあります。しかしその中には、安保条約即徴兵制度、それならば反対安保条約戦争、それならば反対といった、一種の感情的な中立論もたくさんあります。そういうものを差し引いてみますと、安保条約反対論というようなもの、つまり、せんじ詰めて申せば、ここで安保条約不要だということを言う以上は、アメリカとの協力関係反対である、ソ連との提携によってこれから国を立てていこうということにならなければ議論にならないと思いますけれども、そういう意味の安保条約反対論が、この国で大勢を支配しているとは、私は考えておりません。  そこで安保条約というものを、われわれは、何の必要があって持っているのかということでありますけれども、少なくとも、その目的は、国の安全をはかろう、国民の繁栄をほかろうということから、結局出発していると思います。われわれのこれからの判断も、すべてこれが原則にならなければならないのではないか。今日、わが国は、不幸にして世界で孤立している、月の世界にたった一つある国といった状態ではございません。世界情勢の中に生活せざるを得ない。政治もしくは外交問題としては、現在、そうしてまた、将来予見し得る国際情勢のもとにおいて、どんなふうにこの国を立てていくか、どんな方角でこの国を運転していくか、どういう立国条件が、この国の目的のために、国民の利益、国の安全の目的のために適するかということを考えることが、当然安保条約審議の土台にならなければならないのではないかと思います。くどいようでございますけれども、すべての判断の基礎は、国民の利益、繁栄を前提として、国の安全を保障する方策と、安全度のより高い方に向かっていくという考え方で、判断されなければならないのではないか。問題は、国の政策の問題でございます。個人の問題ではありません。個人ならば、好ききらいはいろいろあります。利害関係もいろいろあります。場合によっては、個人は利害関係を超越しても差しつかえない。自分が好きならば、全財産を投じて、一ばくち打っても差しつかえない。負けたら負けたで、それであきらめるという手もございます。しかし、政治の問題としては、ばくちを打たれては困るということは、国民全部が考えております。絶対に、国の安全と国民の利益を、ばくちの対象にしてくれては困る。絶対的な安全度というものは、あるいは突きとめられないかもしれませんが、それならば、われわれの知り得る限りの条件のもとにおいて、最も安全と考えられる、最も国民の利益に合致すると考えられる方策を選ぶほか、ないのでありましょう。  今日の世界は、冷戦の世界といわれております。言わずと知れた、ソ連アメリカの対立というか、あるいは共産圏諸国と自由諸国家群との二大陣営の対立ということでありましょう。これからの日本が、どういうふうにやっていくだろうかということを考える場合に、日本がイニシアチブをとって、この二大陣営のどっちか、あるいはそれ以外の国に戦争を持ちかけるというようなことは、一応ここで考える必要はございますまい。それならば、われわれは、この国を将来どういうふうに持っていくかということになれば、その二大陣営のいずれかに属するか、いずれかに加担するか、あるいはいずれにも属しないか、いずれにもくみしないか、この二つの行き方しかないのではないか。われわれの日本が、国の政治制度として、支配的制度として、共産主義的制度を取り入れ、ソ連、中共に加担して、いわゆる共産国家の一員となる、これも一つの案であります。共産圏国家の実例は幾らでもあるわけです。存在しておる国もあるのでありますから、これが案にならないということはない。しかしながら、現在共産圏諸国家の一員として存在している国々を通じてわかることは、その国の政治は、ソ連共産党の指導を頂点とする統制のもとに生きていかなければならぬということであろうと思います。共産党員にあらざれば人にあらずというのを、一応承認してかかるわけであります。ほんとうの意味における民主主義社会で、これがあるとは、私は思いません。また、おそらく日本国民の大部分も、日本の将来に適する制度だと思っているとは、私は思っておりません。しからば、共産主義政治制度を取り入れないで共産圏の一員になる方法があるか、そういう国の実例はございませんので、ないのだろうと思います。遠い将来のことはいざ知らず、さしあたりの問題として考えますならば、日本が共産圏に加わる、それを国の方針とするということになることは、さしあたりはアメリカと手を切るということ、絶縁するということを意味するだろうと思います。われわれは、人口九千三百万人を養う政治、経済を維持していかなければならない。日本経済の存立の条件というものは、やはり自由国家群を離れて存在し得るかどうかということを、もう少しまじめに考えてみなければならない。経済、法律というものが、日本の将来にとっての要件であるということは、だれでも自覚していることである。のみならず、経済以上の問題に政治の問題があります。われわれが今日から得た自由、安保条約の問題をこれほどまでに自由に論議し得る自由、こういう政治というものを、私は民主政治だと思っております、この自由な民主政治というものは、われわれが、この戦争の犠牲において獲得したものであります。失いたくありません。共産圏に参加するということは、おそらくこの自由を失うということになるのじゃないか。ソ連で中ソ同盟条約の論議が、今日の日本のように行なわれたということは、聞いたことはありません。また、これは私の商売のことで申訳ございませんけれども、先般二カ月ほど前に東京で開催されましたIPI、世界新聞編集者会議というものがございますが、その会議の憲法として、新聞の自由を持たない国の代表は、参加させないということになっております。李承晩の韓国と一緒にソ連の代表者も、参加を認められておりません。経済条件から申しますれば、日本は、共産圏諸国になって生存するというめどは立たないと思いますけれども、申し上げた政治理念の問題は、われわれにとっては、それよりも大きな問題ではないか。日本が、今日まで何十年か知りませんけれども、いろいろ変転の歴史をたどって、今日獲得したこの民主政治というものを統制政治に置きかえるという行き方は、これからのわれわれの政治の問題として、賢い考え方だとは思うわけには参りません。私は、共産圏参加ということは、この国の将来の問題として成り立ち得ない、理屈はどうか知りませんけれども、私ども国民の大部分は、これを承認しないであろうということを申し上げておるわけでございますが、それならば、中立はどうかという問題があります。  多少ここで話がそれて恐縮でございますけれども、一つの経験を申し上げたい。私は、一昨々年になりますか、四年ほど前に、スイスヘ、飛行機会社の招待で、同行十四、五人の日本の各方面の諸君と一緒に旅行したことがあります。こちらは、ただですから、見物に行っただけなんで、大したことは考えておらなかったのですが、スイスの首府のベルンに着きましたときに、向こうの放送局から、日本からデレゲーションが来たんだからラジオのインタビューをする、代表者一人に出てきてもらいたい。しゃべる言葉関係で私が選ばれまして、放送局へ出かけていったのです。解説者を相手にして、今度の旅行の目的とかいうようなことを聞かれた。何のためにスイスに、これだけの同勢を組織してやってきたかというのです。ただだから来たと言うのは格好が悪いですから、スイスは有名な観光国であるから、見物に来たと言ったのですが、なかなか承知をしない。もう少しちゃんとした目的があって来たのだろう、日本は、それくらいの、いいかげんな目的で、ぶらぶらと外国を旅行できる国だとは思わない。もう少しちゃんとした目的があるのだろうということをしきりに追及しますので、なまの放送でもありますし、あいさつに困りまして、そのときに一つ返事をしてみました。われわれ、日本に暮らしておるんだが、日本では、従来世界二つに割れておると思っておった、ところが、近ごろ、世界にはもう一つやり方があるのじゃないか、三つ目のグループというものが、あるのではないかということが日本の中で論議され出してきたので、参考のため、大先輩たるスイスに見学に来たと返事をした。そうすると、若い人でしたが、その解説者は形を改めまして、それはもってのほかの心得違いである、スイスをこれから見物するということだから、よく見て帰るがいいけれども、スイスが、中立を維持するために、どれだけの犠牲を払ってきたか知っておるか、スイスの人口は四百万である、動員できる予備、後備兵力は百万である、スイスの上空にはジェット戦闘機が訓練のために常時飛んでおる、それのみならず、スイスの中立というものは、アルプスに囲まれた天然の地理的条件によって維持されておる、日本のような大国——と言いました、大国が、スイスと同じような中立を維持できるとは思えない、こういうことを言ったわけです。この人の言ったことがほんとうかどうか、日本は、スイスのような中立は維持できないのかどうかということを考えてみたいと思うのですが、問題は、日本が中立を維持したいとするときに、中立国同士が因縁をつけてくるということは、まずありますまい。そうなれば、因縁をつけてくるのは二大陣営のいずれかである。日本の中立を否認するような手段に訴える連中があるかというと、アメリカ側はどうかということになりますけれども、アメリカの建国以来の歴史に徴して、まず日本に領土的野心を持っておるとは、ちょっと受け取りにくい。現在の日本の政治体制を、変更しようと強制してくることは、ちょっと了解しかねる。われわれが今日維持しておる生活様式なり、政治理念なりというものを変更させたいとは、アメリカはおそらく迫ってくまい。ソ連、中共はどうであるか。鉄のカーテン竹のカーテンのことでよくわかりませんが、格別日本に対して領土的野心があるかどうか、おそらくないでありましょう。しかし、ソ連、中共いずれにしても、日本における共産主義運動の進展に興味を持っておると思います。日本における共産主義運動が、中立になれば、若干そのひもの強さが強くなるということは、覚悟しなければならないかと思います。いわゆる国際共産主義で、全世界の共産化がソ連、中共の理想であるというようなこと、私自身は、それを間違いないと主張する材料を持っておりませんけれども、ソ連、中共の指導者の言動の端々には、そういうことではないかと思われる点は出ております。少なくとも、日本の共産主義化には関心と興味を持っておる、共産主義化させたいと希望しておるということは事実である。孤立した場合に、日本が、そうはいかないということでがんばろうとすれば、ソ連、中共との間には若干のフリクションは考えなければなりません。結局中立主義というものも、日本の場合にとっては、なかなかむずかしい問題であるということは言えます。アジアにおける唯一最大の工業国であります日本は、これが孤立しておる場合には、共産圏にとっては非常な獲物でありましょう。興味の対象でありましょう。平和攻勢時代であるから、そういうとぼけた心配は、する必要はないという議論もあります。世界は雪解けであるというまくら言葉が、はやった時代もあります。しかし、ソ連、中共の指導者たちの言葉を聞くまでもなく、共産圏の平和攻勢は手段であります。当分の間というふうに彼ら自身も言っているわけです。その間に経済建設に邁進する必要があるからだと言っております。しかし、イデオロギー攻勢はやめないのだ、ますます推進するのだと言っております。武装するにせよしないにせよ、日本が中立主義を採用した場合の情勢というものは、イデオロギー攻勢の最大の目標になるということだけは、覚悟してかからなければならないのだと思います。  しかも、われわれの将来の状況を考えてみます場合に、中共の将来の発展というものは、どうしても勘定に入れておかなければならない。中共の資本蓄積というものは、何十年かの日時をかせば、あるいはさらにそれよりも早く、経済単位として成長するということは、私は当然だろうと思う。日本が自由諸国家群とのつながりを持たず、東南アジアにおける自由諸国群との経済協力とか、そういう面における用意が不足であれば、将来は、いつのことか私は知りませんけれども、孤立した日本の経済は、中共の経済にのみ込まれてしまうということは、覚悟してかかる必要があるのであろうと思うのであります。  現実の政治の問題としては、共産圏傘下も中立主義も、必ずしも確信は持てないということが事実であろうと思いますが、それならば最後の道はどうであろうか。自由諸国家群の一員としてやっていけるかどうか、それが日本の国にとって安全であるか、また、有利であるか、それが残されているだけであろうかと思います。そうして現在の日本はその道をたどっておる。さしあたりは、日米安保体制による安定の確保ということを、われわれの立国の基本にしておるというのが現状でございます。これによって、日本の生存のための経済的要件も充足しておる。最近の日本の経済状態がこれを有力に証明していると思います。われわれの世界というものは、究極は国連の充足による安全の保障という時代がくるのでありましょうけれども、そこにいけるまでは、当分は、日本は日米安保体制でやるほかはないと私は思っております。また、それならば、どういうふうな伸展を遂げつつ、どういうふうな体制を維持しつつ、この国は維持していけるかというめどがつくと思います  長くなりますけれども、もう一つ、ここで私に思い出話をさしていただきたい。私は、今日は、各種各様のいろいろなくだらないことをやっている人間でありますけれども、昔、外務省に働いたことがあります。二十七、八年前、一九三八年でございますから、それほど前でもございません。ワシントンで斎藤博さんがなくなったことがあります。私はニューヨークにおりましたので、ほとんど斎藤さんの最期の枕頭にはべったわけでありますが、斎藤さんは死にかかって半分意識不明だというときであります。支那事変が始まって、相当日米関係の工合の悪いときでありましたけれども、斎藤さんの少なくとも私に対する遺言としては、アメリカ人のコモンセンスを信じろ、日本アメリカに対していろいろな問題をこれから起こすのであろうけれども、その場合の考え方の基本として、アメリカ人の持っておるコモンセンスを信じろ、そういうことを私に言って聞かしてくれたことがある。私に関する限りは、このアメリカ人のコモンセンスを信じ切れなくて、大東亜戦争に突入して、斎藤さんの言った遺言はいやというほど思い知ったということであります太平洋戦争の原因はいろいろありましょう。いろいろありましょうが、その有力なものの一つは、当時われわれが世界情勢を見誤ったこと、アメリカは民族の寄り合い世帯だから、戦争になればばらばらになる、ヒトラー・ドイツは世界を征服する、勝つ方に加担した方が得なんだというコンプレックスから始まったのじゃないか。今日ソ連アメリカかと言っているわけですけれども、われわれはもう一度ここで、今度はわれわれ自身のコモンセンスを働かしてみたい。九千三百万の国民のために、最も安全度の高い国の方針をきめてみたい。常識的であることは、おもしろみが足りないかもしれませんけれども、しかし、事は国民の生活全体の問題であります。民主主義に特有なまだるっこさがあります。しかし、国民全体が選挙権を行使する、選挙権の行使を土台とする自由主義的民主政治の方が、幾多の弱点はありますけれども、選挙らしい選挙をやらないソ連、中共の政治に比べては、国民のための政治であるということは言えるのではないか。そう思うのは私だけではないと思います。  そろそろ結論を申し上げますと、現在の世界情勢下においては、日本の立場と必要を考えますと、日米の安保体制、その外交方針というものが、基本としては安全性が多い、安定度が一番高い。安保体制を基本的には承認するということになりますれば、今日御審議になっておりますところの改定案というものは、今日ここまで参ります、政府ですか、与党ですか、よく知りませんけれども、手ぎわそのものは、あまり芳ばしくないところも多々あるのではないかと思いますけれども、しかし、改定案とされているものは、従前のそれよりは一段の進歩であることは間違いありません。そういっても、今は改良の時期ではないという議論があります。前のままでいいじゃないかという議論であろうかと思います。それはソ連その他に対する思惑であろうと思いますけれども、日ソ共同宣言にも、日米安保体制の存在を前提としてというまくら言葉がちゃんとついておる。今さら安保条約がいかぬという理屈は、ソ連との関係においては存在しないのではないか。安保体制がいかぬという理屈はない。もしあるとすれば、それはこじつけであろう。いかぬという理屈がないとすれば、当事者が少しでも改良を加えたり、国民の利益、権益に関する部分について規定が十分でないものについては改定を加えたり、あるいはこれがディフェンシブに、防御的にできておる面が十分でない、もっと十分な防御的な性格を明らかにしたい、そういったような改定の努力というものは、一応この改定案には見られるところであろうと思います。完全ではないでしょう。なぜここをこうしなかったんだという議論は、私自身も持っております。しかしながら、物事は、一歩改良すれば前のものよりは悪いということはできない、これは単純な理屈であります。悪い方へ戻れという理屈は、私どもは今日成り立たないと考えておりますので、一歩々々前進していく日米体制、そういう意味において、今度の改定案は支持されるべきものだと思います。また、長い目で見ましても、日本は、二大陣営の対立の中心国であるアメリカ協力するということで、アメリカに対する日本発言権というものも、そう弱気であってはいかぬと私は思います。アメリカをして二大陣営門の戦争に突入させないように、日本の利益、日本意見というものを、もっとしっかりとアメリカに談じるという覚悟も持つ必要もあるし、そのためには、アメリカとの間の協力体制というものは、日本にとって、日本の最も必要とする平和の維持に近道であると私は考えております。(拍手)
  11. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に、評論家松岡洋子君にお願いいたします。
  12. 松岡洋子

    松岡公述人 先ほど委員長から、この問題は本国会で最も重要な議題であるということを言われましたが、その最も重要な問題を審議していらっしゃるこの委員会で、このように話す機会を与えられましたことを、私は大へんありがたいと思っております。もちろん、ここで申し上げますことは、これは私一人の責任において出し上げるわけでありますけれども、おそらく野党も含めて、皆様方があまり御存じない日本の多くのおかみさんたち、職場で働いている女性たち、あるいはまた、そこでニコヨンをしているおばさんたちというような人たちの会合に、この一年間ずっと出てきて、そういった人たちの持っている不安、あるいはまた、そういった人たちが何とかして機会があれば言いたいと思っていることを、私はここで幾らか述べさせていただくことができるのではないかと思うのでございます。(拍手)  昨年の初め、私自身も、この安保改定についてはわからないという一人でございました。政府の方は、これを対等な立場で自主的に改定する、私もなるほどもっともだと思いました。よくわからない。しかし、わからなければならない問題なのではないだろうか。先ほど委員長が言われたように、最も重要な問題だということは、わからないながらも何となくわかっておりました。ところが、その時分に、よくこの問題について知っている方々から、専門家でさえも賛否両論があるのに、ましてや女にはわかるはずがない、そういったような議論も流れておりました。そのときに、私たちわからない女は考えたのでございます。もしも、私たちのこの民主主義の社会というものが、ごく一部のわかっている専門家たちだけの意見によってきめられるとするならば、これは民主主義ではないのではないか。また、この国会にいらっしゃる皆様方、ことにここにいらっしゃるこの特別委員会の方々は、もう明けても暮れても安保の問題をやっていらっしゃるので、もちろん十分おわかりでしょうと思いますけれども、しかし、外交問題のあるいは専門でない方々もこの国会にはいらっしゃるのじゃないだろうか。そうすれば、私たちは一般の国民というものが、その人たちの背後にいるわけではありますけれども、みんなが一緒にこの問題について考える義務というものがあるのではないだろうか。そして、そういったような民主主義の義務であり、また権利である、そういったこの国民の立場というものを、この際、はっきり示すことこそ、私たちは民主主義を守っていけるのではないだろうか、そういう立場から、私たちは、この安保の問題について勉強し始めました。その勉強し始めたときに、私たちのように、つまり、皆様方のように、戦前から教育を受けていらっしゃる方々でない一般の女性というものは、どこから手をつけていいかわからないということもありました。そのときに、私たちは、やたらにむずかしい専門書を読むということが、必ずしも私たちにわからせてくれるのではないということも、わかってきたのでございます。昨年の春ごろ、私たちに大へんに参考になりましたのは、宇都宮先生が中央公論にお書きになったものでございました。そういったようなものから、私たちはいろいろとこの問題について学んでいったのでありますけれども、しかし最後には、私たちは、この条約というものは、自分自身でこれは読んでみる以外にはないというふうに考えついたのでございます。ということは、民主主義というものは、これはだれそれがこう言うからいいのであるとか、また、自分に大へん利害関係のある人がこう言うから、これはいいに違いないと考えるものではなくて、私たち一人々々の国民が、全く自主的に考えていくということの上から成り立っていると、私たちは考えたからでございます。  そして、私たちは、まず、現行の安保条約の条文というものを読んでみました。それはつまり、世の中とはこういうものだというふうに悟り切らないで、そして人の言うことはうのみにしないでというような立場で、この現行の安保条約というものをともかく読んでみたのでございます。そして、日本語で書いてあるんだから、私たちにはわかるはずだという気がまえで読んでみました。この条約は押しつけられたものである、私たちもそのように思っておりましたが、この前文を読みまして、実にびっくりいたしましたことは、日本の方が希望して、アメリカに軍隊を置いていただくということが書いてあったことでございます。条約というものは、私は、なかなかこれはばかにならない、ばかにならないどころではなくて、だまされてはならないものだということをつくづくと感じました。それともう一つは、ここで政府の方も、押しつけられているのだから、今度は対等に、自主的にとおっしゃる。私たちもその通りだと思っていたのでありますけれども、この政府が取りかわされた現行の安保条約に、こちらから希望するということが書いてあれば、世界のほかの人々が、つまり、日本の内情を知らない人々が見たときには、明らかに日本が希望して、アメリカがそれに乗ってきて、そしてここに在日米軍がいるというふうにしかとり得ない文章だということはこれは大へんに、私たち何も知らない女としては、びっくりせざるを得ないことでございました。そういうことを知ってから、これはともかく用心して読むに限るというふうになってきたのでございます。  それからもう一つ、その当時、つまり、昨年の春ごろでありましたけれども、この改定される幾つかの点が発表されて、そして現行の安保は無期限であるから、従って、今度は期限をつける、そういう言葉で出されれば、こまとにその通りだと私たちも思ったのでございます。それでは現行の安保条約のどこに無期限と書いてあるのだろうかと思って、また一生懸命に読んでみました。ところが、前文の中には「暫定」という言葉が出てきたのでございます。そして第四条を見ますと、そうすると、無期限とは決してないということに気がついたのでございます。これは一体どういうことなのであろうか。そして、その第四条を今さらここで読むまでもなく、皆様たち御承知だと思いますので、省かせていただきますが、第四条を読みまして私たちが考えましたことは、これが改定されるとするならば、そうすれば、これは冷戦緩和の方向に向くように改定される以外に、この現行の安保が改定される道はないのではないかということに気がついたわけでございます。ということは、国連が取ってかわるような措置ができたと両国政府が認める場合、あるいはそれに類似するようなこの措置がとられた場合、そうすると、今度は私たちは、そういったようなややこしい言葉ではわかりにくいので、では具体的にいったならば、これはどういうことなのだろうかと、また考えてみたのでございます。具体的にいえば、国連に警察軍ができたときがそのときではないだろうか。その次には、たとえばここで相対立している日米中ソというものが、不可侵条約というようなものを作るような、そういった状態をさしているのではないだろうか。これ以外に、こういった方向に向く以外に、この安保の改定のしようはないのではないかというふうに考えたのでございます。  そして、この冷戦緩和の方向へ、平和の方向へということは、私たち日本の女といたしましては、これは言うまでもなく、もう戦争はしたくない、絶対にしてはならないという立場からであることは、これまた申すまでもないことだと思います。それは、私たちが大へんひどい目にあったということで、二度と再びああいうことはしたくない、それからまた、私たちの子供たちにもああいう目には絶対にあわせたくないという、大へんに強い願いからであることは、言うまでもございません。しかし、もう一つ、ここで私たちが今度考え及びましたことは、私たちだけがひどい目にあったから、これは絶対に平和の方向に向かなければならないということだけではなくて、あの戦争によって痛められた実に多くの人々がアジアにいる。その人たちをまた再び痛めつけてはならないという立場を、同時にとらなければならないということに気がついたのでございます。  私は、八年前にビルマへ参りました。八年前というのは、それは戦争が済んでからすでに七年はたっておりましたけれども、日本の女性がビルマを訪れるというようなことが、まだあまりなかったときのようでございます。私がパスポートを出しましたところが、若い、これを監査するビルマの官吏が、私が日本人と知るやいなや、パスポートはほっぽり出しておいて、そして戦時中に日本の軍隊がどんなにひどかったかということを、長々と話して聞かせたのでございます。それと同時に、日本の落とし子のことについても触れていきました。そのときに、私は、一体何とこの人に答えようかと思ったのです。ごめんなさいということを言葉で言うことは、大へん簡単でございます。しかし、私がただそこでごめんなさいと言っても、これはよくなる問題ではない。日本に帰ってきてから、日本が今後とも平和の方向に向くように、一市民として努力すること以外に、このごめんなさいという言葉は言い得ないのだということを、このときに非常に強く感じて参りました。そして、この戦争の傷跡というものが、どんなに深く、広く残るものであるかということは、ビルマ、それからインドネシアの友たちと話し合ったときに、またつくづくと感じさせられたことでございます。中国のことについては今までにもうすでに触れられておりますが、たとえば、昨日の毎日でしたかに出ておりました宮沢俊義先生の随想にも、そのことが非常にはっきりと出ておりました。そういったようなことを私たちは再びしたくない、自分たちがひどい目にあうことがいやだけなのではなくて、アジアのほかの人々を絶対にひどい目にあうような立場に置かせてはならないということを、非常に強く感じながら、この新条約というものを見ていったのでございます。これが冷戦緩和の方向であろうかどうかというふうにして、私たちこれを見て参りました。  しかし、調印前には、もちろん、この条約の本文は発表されておりませんでしたから、私たちは、新聞記事によってこの問題についていろいろと考えてきたわけでございます。そのときに、このハンデンバーグ決議というようなことについても、私たちは知るようになってきました。つまり、アメリカが軍事体制を作る場合に、よその国と同盟する場合に、自分の国が負う義務に見合う義務も相手国は負わなければならない、アメリカにすれば当然なことだろうと考えたのでございます。しかし、それでは、私たち日本人が負わなければならない義務というのは一体どういうことなのであろうか、現行の安保には、日本が漸次軍備を増強していくことを期待するというふうに書いてあります。期待するという、ごくやわらかな言葉であったのにもかわらず、ロッキードまでも生産するようになったこの八年間を振り返ってみますと、これが義務づけられたときには、一体どのような格好になるのだろうかということは、私たちに大へん大きな不安を巻き起こしました。軍備強化が義務づけられてくる、そして、その中で最も自主的であるというような言われ方をされておるNATOを見ました場合に、これらの国々には徴兵制度があるということを私たちは知りました。あるいはまた、機密保護法もあるということを知りました。私は、戦後ヨーロッパにも何回か行っておりますが、この間オランダヘ参りましたときに、やはり、これはNATOの加盟国であるオランダで、若いむすこを持っているお母さんたちが、どれほど十八カ月の兵役期間というものを重荷に感じ、悲しいことに感じているかということを、母親の一人として、私は身にしみてきたのでございます。そういったようなことには絶対になりたくない、そういったような方向にどうしても向かわざるを得ないのではないだろうか。もちろん、憲法の範囲内でということは書いてあります。すぐ、あすにも、こういうような状態になるとは、私たち思っておりません。しかし、よもやというようなことが戦後あまりに起こり過ぎたのではないだろうかということを、私たち、戦後の歴史を知っている者だけに、そういうふうに思うのでございます。一切の軍備を廃棄するといったあの一九四五年から、戦力なき軍隊という状態に変わり、そして、小さな核兵器ならばつけても憲法違反ではないというような、そういったこの十五年間の推移というものを考えてみますと、私たちは、よもやというようなことで安心してはいられないというような不安にかきたてられてきたのでございます。そして、これは何としてでも、この私たちの力でそういったような方向を食いとめていかなければ、私たちの国はしあわせにはならないということを、日本の婦人ならば、私は、だれしも非常に強く感じていることだと思います。  しかも、この大へん重要な段階になりましたときに、黒いジェット機の問題が浮かんで参りました。これは、昨日のこの審議でも、あるいはその前の審議でもはっきりといたしましたように、日本に三機あるこの黒いジェット機の使用については、アメリカは、日本については、これは絶対に気象観測だというようなことは申しておりますけれども、しかし、去る九日のハーター国務長官の声明によりますと、今後も続けてこのスパイ行動というか、情報活動をするということは、あまりにもはっきりと言い切っているのでございます。しかも、この飛行機が日本にいるということに対して、この二、三日の新聞は大へんにその不安を訴えて、そして、これは何としてでも、私たちの中から出ていってもらわなければ、大へん不安でしょうがない、つまり、私たちと関係のない事柄で私たちが戦争に巻き込まれる危険性というものが、これほど強く象徴的に浮かび上がってきたことは、このところあまりなかったように思うのでございます。社会党は、この際に、ぜひ出ていってもらいたいというような申し合わせをしたようでありますが、私たちは、与党の皆様方にも、この際、ぜひ出ていってもらいたいということを言っていただきたいと思うのでございます。なぜならば、そういうようなことを私たちがはっきりと言うことこそ、日本の自主性を高めるということではないでしょうか。この問題について、たとえば、パキスタンの大使はアメリカ政府に抗議したということが出ております。パキスタンは御存じのように、SEATOにもCENTOにも入っている国でございます。その国が、この問題についてははっきりとアメリカに対して抗議をしている。しかしこの二、三日の新聞を見ますと、ワシントン駐在の日本大使館は、何らアメリカ政府に抗議していないらしい。また、アメリカ国務省からの情報を見ましても、日本からそういったような抗議は受けていないというようなことになりますと、今後、この事前協議というようなことの中で、私たち、これほど反対していることにまでノーといえないというならば、今後もノーと言えないのじゃないかという不安が大きく出てくるのでございます。(拍手)自主性ということは一体何なのであろうか。つまり、アメリカの言うなりになるということではなくて、日本日本の独自の立場をとる、そして、独自の立場をとるということは、外交の問題といたしましては、自分たちのマヌーバラビリティと申しますか、ともかく動ける余地をできるだけたくさんとるということこそ、これは一国の外交の自主性というのではないだろうかというふうに私たち考えてきたのでございます。  それからまた、ただ反対するばかりでは能がない、まことにその通りだと思いました。そして、それでは対案は一体どういうことなのか。もちろん、私たち、全くのしろうとでございますし、こういったことについては全然知識も学もない者ではございましたけれども、しかし、もしも私が議員であるならば、あるいはもしも私が日本国の政府の代表者であるならば、一体どういったような対案ができるだろうかということについても私たち考えてみようじゃないか、大へん大それたことのようでありますけれども、しかし、私たちが、これがいいか悪いかと判断する場合には、それでは一体自分がどう考えるかということがなくてはならないという立場から、そのようにも考え及んできたのでございます。そして、その中で、ほんとうに平和で、ほんとうに自主的な方向というものは何なのであろうかということを考えておりましたときに、それこそ、この世間なれしない私たちの仲間が言いましたことは、こういうことでございました。アメリカ戦争したのは四年であった、中国を私たちが侵略して、そして脅かしたのは十五年間であった、しかし、私たちは、それなのにもかかわらず、アメリカにすでに十五年間ここに駐留されている、そして、今後この条約ができれば、さらに十年、少なくとも十一年いられるということになる、二十六年間、つまり、これは一世紀の四分の一以上になるわけでありますけれども、これはまことにおかしなことではないのかというようなことから、なるほど、そう言われてみればおかしいことに違いない。それと同時に、私たちが東南アジアの人々と会うときに、日本が従属的な植民地であるというようなことをよく言われて、いつでも反駁するのでありますが、あるインドの人が、私が反駁したときに、こういうことを言ったのであります。自分たちの経験からすれば、外国の軍隊が駐留しているということは、これは植民地の状態なのである、そして、日本がそうであるから、自分たちもそう思うのだというような言い方にあったときに、私もはっとさせられました。つまり、あの平和条約で、もちろん私たちは独立国家になったというふうに考えておりましたけれども、しかし、世界の今まで植民地であった国の人々は、そういったような常識ではものを判断していないということも、これはやはり私たち知らなければならないことなのではないでございましょうか。  このように、日本がまた一方的に締めつけられていくというようなことになりますと、一体、今後中国との関係はどうなるかということは、これは私たちにとって非常に大きな問題でございます。このことについては、たとえば、すでに三月から軍縮会議が開かれておりますけれども、ついこの間の新聞によりますと、ネール首相とドゴール大統領との会談の中で、ネール首相が、中国の参加なくしては軍縮の議決というものはあり得ないということを言われておる。アメリカでもやはり同様な考えが出てきているということは、最近日本を訪れたアメリカの友だちからも大へんたくさん聞いております。たとえば、国連に代表として出ているアメリカの人たちのほとんどすべては、この中国の参加なしに軍縮というものは考えられないと言っているそうでございます。そうなって参りますと、この軍縮会議が何らか成果を持たなければならないし、持つようになっていくだろうと思うのでありますが、その中で中国の参加ということが考えられてきたときに、一体日本はどうなるのだろうか、アメリカは御存じのように、ジュネーブで、それからワルソーで中国の大使級との会談というものをずっと継続しておりまして、公式な線で中国と話し合いを進めるということが可能な状態でございます。しかし、日本の場合には、大へんふしあわせに、私たち、そういったような状態にございません。日本の今の場合では、民間の交流しかあり得ないのでございます。一昨年、イラクの政府が革命で倒れて新しい政府ができましたときに、日本国アメリカ国よりも一日前にこの国を承認いたしました。イラクの場合には私は一日前でもよかったかもしれないと思うのでありますけれども、事、中国に関する限り、日本がこのようにもたもたするような状態になるということは、ほんとうに悲しいことであるし、私たちの将来を暗くするものであるというふうに私には考えられてならないのでございます。(拍手)  そのような中で、私たちが、一体この日本の国の利益というもの、日本の国が今後栄えていくためにはどうしようかというふうに真剣に考えて、今度の安保にはどうしても納得できないというふうな立場をとってきておりますのにもかかわらず、そういった反対運動が赤呼ばわりされてきたという悲しい事実にも私たちは直面しなければなりませんでした。しかし、そういった状態に、私たち、ことに女は屈しない、屈してはならないというふうに考えてきたのでございます。それはなぜであるか。ということは、それこそ、一九五四年にアメリカがビキニであの水爆実験をいたしましたときに、私たちの間で大へん強く起こって参りましたあの実験反対署名運動に対しまして、やはり同じように赤呼ばわりされたことを私たち知っているからでございます。そして、あれがわずか六年前であったのにもかかわらず、そういった私たちの平和への努力、私利私欲というものが全くなくて、こうならなければならないという、そういう立場というものは、世界に認められるものだということを、これは歴史が証明してくれた、そのことを私たちは、どんなに心強く考えているか、わかりません。ということは、御存じのように、昨年の三月、ソ連が一方的にこの実験を中止したことから、英米ソの間で話し合いがつかなかったけれども、協定はできなかったけれども、みんなが一方的に実験を中止するようになったという、そういう事態を私たちは知っているからでございます。つまり、私たちがほんとうに心から平和を願って、そのために努力するのであれば、何と呼ばれようとも、これは実を結ぶに違いないということを私たちは確信するようになって参りました。しかも、その中で、ことしの復活祭のウイーク・エンドにイギリスでありました実験反対のデモというものは、まことにすばらしいものでございました。四万からの人たちが、オーダーマストンからロンドンに歩いたということ、しかもロンドンのトラファルガー・スクェアには十万の人々が集まったという新聞報道を私たちは読んでおります。私はたまたま一九五五年にロンドンを訪れましたけれども、そのときのイギリスの人たちの気持というものは、日本があんなにやっきになって反対をするのは、ヒステリックであるとか、あるいは、これは赤じゃないだろうかというようなことを私は言われたものでございます。そしてイギリスが水爆を持っているということは、これは今の場合にやむを得ないことなんだというふうな説明を労働党の議員からも聞いたことでございます。しかし、それ以後、私はロンドンに三回参りましたけれども、そのたびにこの情勢が少しずつ変わってきた。そして、ことしの四月のトラファルガー・スクェアの演説会では、その講師の多数、ほとんどの人々が、イギリスは一方的に核製造というものをやめなければならないということを言ったそうでございます。わずか五年の間に、ほんとに五年の間に、イギリスの世論というものがこんなにも変わってきたか。自分たちがやめるわけにはとうていいかない、作らなければならない、ソ連アメリカが一緒にやめるのならば、やめてもいいという考えが、わずか五年の間に、自分たちから一方的にこれはやめていかなければならない、そうでなければ、世界政治の中で道義的な立場で自分たちは発言することができないということを、この講演会の圧倒的多数が言ったということはこれは一体何を示すものか。これは、こういったような願いが世界にほんとうに強いということを物語ることだろうと思います。  また、私たち、エジプトのことを考えてみましても、あのエジプトがイスラエルと英仏から攻められましたときに、それこそ、国連の措置でこれがやまったではないか。そういったこの世界の大きな動きというものは、日本も参加いたしましたあの軍縮の八十二国決議案というものの中にも、私は示されておると思います。日本がああいった決議をしたのであるから、だから私たちは、この際もう一度そういう決議をしたい、また、できるというふうに考えたいと思うのでございます。  この私たちが原水爆反対の署名をいたしましたときに、ある小さな婦人のグループで、この署名についていろいろ考え合ったことがございます。そのときのことをちょっとここで申し上げたいと思うのです。その署名をとっているときに、これは世田谷のおかみさんたちでありますが、魚屋さんは大へん一生懸命にやってくれたけれども、肉屋さんと豆腐屋さんはやらなかったということが出てきました。つまり、魚屋さんはこれで大へん損をしたから一生懸命に反対してくれたけれども、魚が食べられなくなって、肉屋さんと豆腐屋さんがちょっともうかったから、だから肉屋さんと豆腐屋さんは署名をしなかったという話が出てきたのでございます。その経験を通して、私たちは、この世の中というものは、何Uと自分自身の利害関係というもの、実に狭い私利私欲で左右されているかということに気がついたのでございます。(拍手)よもや皆様方はそういった観点からお考えになっているとは私は思いません。(笑声、拍手)放射能が降るときには、肉屋さんも、魚屋さんも、豆腐屋さんも含めて、放射能が降ってくるということを私たちは知っております。そうしてこれほど多くの私たちが反対していること、その反対の中でこれが批准されるとするならば、私は、アメリカの人々と日本の人人との真と友好関係も阻害されるというふうに思います。(拍手)私はアメリカに多くの友人を持っておりますし、アメリカの人たちは、ほんとうに善意なよい人たちが多いということも知っております。また、そのアメリカの多くの人たちが、今までのダレス長官の政策反対してきたということも知っております。(「その通り」と呼ぶ者あり)私たちが今後十年も二十年もアメリカと真の友好関係を結びたいと思うならば、やはりそれからいっても、この際批准をやめなければならないのではないだろうか。私たち日本人のためにも、あるいはアメリカの人のためにも、世界の多くの人々のためにも、私はこれをやめていただきたいと訴えたいのでございます。(拍手)
  13. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて本日御出席公述人各位の御意見の開陳は終了いたしました。  この際、午後一時三十分まで休憩いたします。     午後零時二十七分休憩      ————◇—————     午後一時四十六分開議
  14. 小澤佐重喜

    小澤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  公述人に対する質疑を行ないます。質疑の通告かありますから、順次これを許します。鍛冶良作君
  15. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 まず、大井先生にお伺いしたいと思います。ちょっと先ほど聞いたところでわからぬところがありましたので、まず聞いてみたいと思いますが、戦争の起こらぬことは、お互いに抑制することが大事だという前提のもとで、共産側指導者は、大へん現実的であってことに戦略思想が旺盛で、何かそこで力関係を見ることが敏感であるし、戦争以外に何か協力するとか、相助け合う、そういうようなことをおっしゃったのではないかと思いますが、そういう力も旺盛だとおっしゃったようでありますが、この点もう一ぺん聞かしていただきたい。
  16. 大井篤

    大井公述人 共産側指導者たちは、力関係をよく打算して、彼我の力関係をよく考えて、そうして自分行動を決する、それにはもう一つ関連することを私述べたつもりでありますが、それは彼らの戦略眼が非常に広い、感略のビジョンといいますか、視野が非常に広くて、闘争をやるのに、要するに、相手より自分が優勢になって、相手を打倒し——自分の方か優勢になれば、それは闘争としては勝つわけてありますから、必ずしも武力のみが手段ではない、あらゆるものを手段にする。経済でも、心理戦争でも、あるいはスポーツでも、何でもいいわけでございます。そういうようなことをするのです。そこで、彼我の力関係というものをよく考えて、そうして自分の一番有利な力を、有利な場所、有利な方法闘争を進めるということにおいて、彼らはすぐれた、何といいますか、訓練と考え方、そういうものが練られておるということを申したつもりであります。そうしてその場合、武力の場合においては、私、二、三の例を申しましたが、毛沢東のごときは、どこかを攻める場合に、自分の方の力が三倍、ときには六倍までも優勢でないと、なかなか攻めないということを言っておる。従って、たとえば、わずかのことで、日本に基地があるとかなんとかいうことで、それが非合法だからとか、自分脅威があるからとかいうわけで軽々しくは行動しない。自分の方が圧倒的に強い、自分のところで今撃った方が結局損か得かということをよく考えてやるのだ、そういう点で、力の関係ということと、それから手段の選択方法を申したつもりでございます。
  17. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そう承って参りますと、勢い、力か大丈夫優勢であるということがわかれば、攻勢に出るという結論にくるのじゃないかと思うのです。今、スポーツでも何でもとおっしゃいましたが、軍力においても、間違いなく優勢であると認めたら、いつ攻勢に出るかもしれない危険性を持っておるものだ、こう解釈してよろしゅうございますか。
  18. 大井篤

    大井公述人 これはあながちそう即断はできないと思います。孫子も言う通り、戦わずして勝つという方法もありますので、威嚇だけで自分の優勢さを示す、デモンストレート、誇示するだけで相手が屈すれば、何も武力を発動する必要はないわけであります。それを示すということによって、あるいは潜在的力をうしろにかざしながら、外交のおどしとか、いろんなものをやって、相手が屈すればいいわけでありますから、そういうこともあり得る。しかし、その場合、もちろん武力に出ることもあるわけであります。
  19. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこで、大体あなたの御説はわれわれも大へんけっこうに承りました。日本は新安保条約締結しても危険性はないとおっしゃいましたが、この間からこの委員会で出る議論のうちには、一方の人々に言わせますと、日本へ来て基地を求める、そうすると、アメリカはおのずから軍力が強くなる、強くなれば侵略性になることが当然である、だから、この条約はいかぬとかいう議論があります。共産側の方は今承りましたが、自由主義側、ことにアメリカにおいてもさような危険性があると思われますか、また、そういうことはないと思われましょうか、この点を一つ承りたい。
  20. 大井篤

    大井公述人 アメリカ側の方では、私は、その力が強くなりさえすれば攻勢に出るとか、そういったような考え方は比較的少ないのじゃないかと思います。彼らの考え方は大体私どもが小学校くらいからずっと教育されているような考え方で、おそらくここの皆さんも大体同じだと思いますが、自分の力が強いからといって直ちに攻撃するというふうには考えていないんじゃないか。彼らの哲学といいますか——といいますのは、共産側のものは、この世の中を闘争だと考えておるところがあります。しかしながら、アメリカ側の方は、西欧的なものの考え方は、私が申すまでもなく、必ずしも闘争というふうには考えてないように私は思いますし、もう一つは、政治体制というものが、彼らは、一人の独裁者が直ちに決定するということが困難な体制になっておるために、世論というものが非常にきくために、そういうことはやりにくい。それから、やるにしても、わかってくる。従って、相手から警戒されるという点がありますから、そういう点はなかなか困難である。また、歴史的に見ましても、私は、あまりそういうふうにはいっていないように感じます。
  21. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 今、アメリカ歴史と申しますか、国民性からお説きを願ったのですが、この条約の本質からも同様の議論が出ますので、お伺いしたい。この条約は、先生のおっしゃった通り戦争のないようにしようということが目的でありまして、こういう条約をやっておけば、こういう体制をしいておけば、戦争が起こらぬ、これをくずせば戦争が起こるかもしれないという危険性があるから、やるのであります。戦争をなからしめることだけが目的でありまして、力を強めてほかに進んでいこうという観念は全然ないものと、われわれは確信しておるのであります。先生方のお考えでは、この点はどうお考えになりますか。
  22. 大井篤

    大井公述人 私も、全くその趣旨でこの条約はできており、安全保障体制はそういうもので結ばれておるということは、ほぼ断言していいのではないかと思います。いろいろな経験によりまして、欧州大戦前には、アメリカは中立主義の国でありました。それが、欧州大戦後に、ヒトラー歴史とか、いろいろな歴史にかんがみ、共産側の出方も考えまして、彼らがこういう手段をとらざるを得ないということで、そういう安全保障のために、平時から軍事的な相互援助の手段をとるということをやったのは、アメリカ歴史においては、一九四八年六月八日のバンデンバーグの決議が初めてたと思います。それからずっと今まで見ましても、安全保障がずっときたのでありますから、大体私はそれで間違いないと思って、全く同感でございます。
  23. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 あとは大内先生にお伺いいたします。  先ほど来先生の御議論の大前提は、日本国憲法は世界で最もいい憲法である、憲法の精神というものは大へんりっぱなものであるから、これをどこまでも厳守しなければならない、こういう御議論が大前提として出ておったようでございます。われわれも同様に感じておるのでございますが、条文は幾らりっぱにできておりましても、これが現実に実行できない国内態勢もしくは国際情勢でありますると、よほどそこに考えなければならぬものかあると私は考えます。そこで、お伺いしたいのは、日本国憲法のできましたときと、サンフランシスコ条約が成立いたしましたときとの間に、約五年間あったと思いまするが、この五年の間において世界情勢に大へんな変化があった。日本国憲法をマッカーサーが日本に作るように注文したときの、マッカーサーの考えは、先ほど先生がおっしゃった通り世界に宣言したように、これで世界の平和は保たれる、この世の中から戦争をなくされるのだ、しこうして、この憲法は、ひとり日本だけが順守することにおいて世界平和は保たれる、世界の各国がこれにならうことをわれわれは希望し、またそういう世界が出ることを信念して日本にこの憲法を施行せしめた、こう言っておりましたが、そのりっぱなことを言ったマッカーサーが、五年後におきましてはもう全然考え方が変わっておったと思います。この点に関しまして、大内先生は、憲法はよろしい、サンフランシスコ条約のできたときも、このままで実行できるのだ、これで世界は心配ない、戦争は全然なくなったんだ、こういう御信念をお持ちになっておるか、今日もなおその考えをお持ちになっておるかどうか、これをお伺したい。
  24. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたしたいと存じます。ただいま御質問の点につきましては、世界情勢の認識におきましては、私は鍛冶先生と全く意見を同じくいたします。世界情勢は、日本が憲法を作ったときと、サンフランシスコ条約をやったときとは大へん違いました。これは、つまり、世界平和共存から冷たい戦争への転換でありますし、また、朝鮮事変を契機とする世界情勢の変換でありました。それゆえに、そのこと自体において日本の態度も変わったのは、ある意味においては当然であります。しかし、その指導力を持ったものは、申すまでもなく、アメリカでありまして、そのアメリカソ連との関係においては、われわれの理想、人類の理想、日本憲法の理想とは違った方に動いたということ、その変化はあったか、その変化は、われわれの理想とは違ったところであるということを認めなければならない、これが一つでございます。第二の事実は、今や、それと反対の方に世界の振子が変わりつつあるということであります。この点については、鍛冶先生と多少認識を異にするかもしれません。しかしながら、今御質問の点につきまして、直ちに戦争がなくなるというようなことを考えておりません。それどころではありません。戦争の危険はますます大きいということを考えております。しかし、それでは日本はどうするかという問題は、これはまた別であります。そこではやはり、マッカーサーが願い、われわれも願い、そして世界の全国民が願ったその中心に——われわれがまず世界のまん中に立つということが絶対に必要であり、また日本国民の名誉である、こう思っております。そのことが不可能であれば仕方がないが、しかし、それは不可能ではないというのが私の確信であります。
  25. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 戦争の危険は絶対にないとは言わぬ、むしろ危険がある、こうおっしゃいました。あるといたしますれば、われわれは、この憲法の精神で押えることはできぬか知らぬが、何ものかによってそういう危険のないようにしなければならぬ。これは、ひとり日本人だけではない、世界の人類のこいねがうところであろうと考えるのであります。そこで出てくるのは、先ほど来、大井先生のおっしゃったように、方の平衡ということにおいて初めて戦争というものは防止できるのじゃないか、防止できる、こういう考え方をもって戦力の均衡ということに意を注いでおるのが、私はサンフランシスコ条約朝鮮事変等の起こった後の世界の大勢でないかと思うのであります。そこで、朝鮮事変等をながめまして、この憲法がいいからといって、一切何の防御もない、そういうものにしておいたら世界平和が保たれると、あなたは御信念がありましょうか。それとも、力の均衡を保つというならば、日本は攻められたら均衡が破れて大へんなことになるぞ、こういうことを現実に世界に示すような方法をとることが、一番私は戦争を防止する方法だと思う。その意味においてこの安全保障条約はできたと私は思うのですが、あなたはこれと別個のお考えをお持ちになりますか。それとも、そうではなくて、ほかに世界平和を保たれるという何かがあるならば、この点を聞かせてもらいたい。
  26. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたします。私は、戦争世界にすぐになくなるというふうには考えておりません。その点につきましては、御質問の通りであります。しかしながら、私は、日本アメリカとともに現在持っておる兵力の何十倍、何百倍というようなものを将来持たなくても、日本が現在持っておるその何分の一をもっても、よく日本を防衛することができるとかたく信じております。歴史の示すところは、第一の理由は、バランス・オブ。パワーという原則は、今や間違いであるということが証明されつつあります。それで、そういう部分的な安全保障によっては世界の平和は保たれない。バランスオブ・パワーによっては保たれない。そうではなくして、全体の世界的な共同の防衛によってのみ保たれるという方向に進みつつある。今そうなっておるというのではありません。そうすることをわれわれ人類がこぞって進めるならば、必ず到達し得る。それは方向はすでに開けておるというふうに考えるのが一つ。第二は、およそ世界の強国でないもの、中以下の国、弱い国は、世界歴史の上において、また国内の歴史の上においても、いつでも中立主義であります。バランスオブ・パワー、強い方に持たなければならないというのは、強い国の主義でありまして、今日ソ連なり、あるいはアメリカなり、そういう国がそういうことを考えるのは当然であります。強国がそういうように考えるのは当然であります。しかしながら、歴史の上において、世界のいかなる国の歴史においても、小さい国はいつでも平和主義であります。中国の論語を開いても、孟子を開いても、そう書いてあります。日本の倫理でも、すべてそうであります。弱い者は決して武器を自分が持ってはならない、強い武器を持って人をなぐってはならない、そのことが自分の安全を保つゆえんであると書いてある。そうして西ヨーロッパでも、ベルギーでもスイスでも、スエーデンでも、ノルウエーでも、そういう弱い国は、中立をもって立ってきました。東洋はむろんの話であります。何百年以来いまだかつて、無理やりに押えられたことは別でありますが、方針としては中立主義であります。今日でも、全東洋の諸国は、みな中立を主義としております。アメリカ歴史はどうでしょうか。アメリカ歴史は、第一次大戦までは、全然中立主義でありました。決して侵略主義ではありませんでした。御承知のモンロー・ドクトリンというのは、それであります。われわれ日本は、そういう主義に立つことによって、世界歴史に沿うて新しい世界歴史の運命を開く先頭に立つことができるというのが、私の信念であります。そうして、国が強いか弱いかということは、武力が大きいか小さいかということではない。それは、国内治安の維持には、ある程度武力は必要であります。しかしながら、どうせ、弱い国が攻められたならば、負けるのはさまっております。負けたって差しつかえない。武力で負けても、国民がしっかりしておれは、何のことはない。現に、われわれのような小さな国でありましても、それをあのアメリカがそう長く統治することはできない。やはり退却せざるを得ない。われわれ日本人の精神と、日本人のある程度の理性とが、ほんとうに信念に徹しますならば、日本を防ぐ方法は幾らでもあると思います。
  27. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 まことにどうも驚き入りました。私は初めて大内先生及びその他の学者グループというものの本心がわかりまして、われわれも今後そのようなつもりでながめていきますが、第三は、バランスオブ・パワーということが通用するか、せぬかということは、これは、私が言うよりか、大井先生とは全然相対立する議論でございますから、どうかそちらの方と対決していただくことをお待ちいたしております。それよりも、私の驚いたというのは、戦争すれば負けるのだ、負けたら取られてもいいじゃないかという御議論です。これは実に驚き入ったもので、われわれは祖国として日本を守っておる以上は、命の限りこれを守らなければならぬという信念を持っておる。それを、負けてもいいじゃないかということなら、これはともに天をいただかざる議論です。それと、もう一つ申しますが、あなたは、戦争があれば、取られても仕方がないじゃないかと言うが、仕方がないじゃないかということは、向こうから侵略してくるということですよ。侵略してくるから、取られるんですよ。侵略がなかったら、取られないのです。その侵略を認めて、取られてもいいというその御議論は、一体どこから出てくるんですか。それは日本国民として受け取れないと思う。
  28. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたします。私は、日本が滅びてもいいとか、負けてもいいとかいうことを言ったのではございません。そうお聞きでありましたら、私の言葉が足らなかったのです。私の言うのは、武力的に侵略されましても、その国はそのことでは滅びない。かつてベルギーは武力的に侵略されましたけれども、滅びなかった。日本でも、精神があり、そして一定のレジスタントの精神、すなわち愛国心か国民にあるならば、決して滅びないというのでございます。
  29. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それ以上は議論はいたしません。侵略を肯定し、侵略があってやむを得ないという考え、思想、われわれはそういうことは納得できない。しかし、これ以上あなたと議論しても仕方がありません。  その次に承りたいことは、この間もここでも出たのですが、南ベトナムに賠償を払うくらいならば、中共へ賠償を払えということがございました。中共は賠償を払ってくれと言っておるのですか。だれが払ってくれと言っておるのです。払うとすれば、だれを相手にするのですか。この点を承ります。われわれには合点かいかぬのです。
  30. 大内兵衛

    大内公述人 御返事をいたします。私は、法律上、日本が現在中華人民共和国を認めておるということを言っておるのではありません。認めてないから、そして払わないから、そのことは人道に反する、日本の道徳にも反するということを言っておるのです。これからそういうふうにしようじゃないかということを言っているのです。
  31. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 払うことがいいかもしれないとおっしゃいますけれども、なぜ払わぬというときは、向こうが、よこせというときなんですよ。だれがよこせと言っておるのですか。向こうはよこせと言うておらぬのに、だれを相手にして払うのですか。われわれは現実論を言っておるのです。だれが払えと言っておるのか。払えと言うておる者がおらぬのに、払うとすれば、一体だれに払うのか。そういうことを日本から言うことが正当なことかどうか。
  32. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたします。払うということをどちらから申し上げてもいいのです。そういう問題は、別にどっちが言わなければならぬということはありません。ただ、義理をよけい感じる方の人が言えばいいわけです。
  33. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 受け取る者がなかったら、ツナ海へ行って金をほうってくるのか。まあこれだけにしておきましょう。  その次にもう一つ承りたいことは、先ほど、近ごろは暴力というものが大へん横行しておる、嘆かわしい、けれども、政治の上で暴力があるならば、その国において所々に暴力の起こることはやむを得ぬとおっしゃったと承りましたが、そういう意味ですか。大事な点ですから、もう一ぺん聞かして下さい。
  34. 大内兵衛

    大内公述人 政治の上で正しい政治が行なわれず、法律が行なわれないときには、世の中にはどうしても暴力がある。それだけのことです。
  35. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私は、今の政府のよしあしをあなたと議論しようとは思いませんが、そうすると、現在の場合、暴力の横行するのを正当と認めるよりほかない、こういう議論になりますね。暴力ということは、現実の力をもって法の力を曲げるということが暴力でございますよ。だから、政治が悪かったら、法律をへこまして、現実の力で進んでいっていい、こういうことになりますね。
  36. 大内兵衛

    大内公述人 全然逆であります。
  37. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 逆とは何ですか。暴力はやむを得ないということですか。暴力をなくすることが目的たということならわかるが、今の日本では暴力はやむを得ないというのでしょう。
  38. 大内兵衛

    大内公述人 そんなことは言いません。暴力は悪いというのです。なるべくよすようにしましょう。しかし、根本的に政治において暴力がありますと、法律も行政もみな暴力的になる、それでどうしても暴力がよけいになるから、そういうことはよした方がよろしい、こういうことであります。
  39. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 今聞けば、さっき聞いたことよりか多少いいようですが、いずれにしても、暴力の出るのはやむを得ないということですよ。暴力とは、先ほど言ったように、現実の力をもって法律をへこませるということです。
  40. 大内兵衛

    大内公述人 ちょっと言わせて下さい。やむを得ないという言葉は悪かった。私はやむを得ないと言ったかもしれませんが、そういうことではない。政治が暴力を是認しますと、どうしても世の中に暴力がふえる、そういう理論を言ったのです。
  41. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これでやめておきますが、やむを得ないということは、暴力を肯定するということです。私はあなたを大学者として尊敬し、それと同時に、大教育家として尊敬しているものです。その教育の大責任を持っている人がそういうことを言われて、その影響の大なることを考えてもらわなければ困る。それだけ申し上げておきます。
  42. 小澤佐重喜

  43. 穗積七郎

    穗積委員 他に質問なさる委員がたくさんおりますから、簡潔に、まず第一に大内先生にお尋ねいたしたいと思います。時間がありませんので、先生に対する質問は一括していたしますから、先生の方でもそれに対して一括してお答えいただければ幸いと思います。それが済みましてから、あと大井さんと福島さんに一点だけお尋ねいたしたいと思います。  大内先生にお尋ねいたしたいと思いますのは、私どもの理解では、おそらく、今度の新安保条約というような一つの条約、または外交政策というものは、それ自身がとっこつとして、他から遊離して出ておるものではなくて、大きな、特に先生の専門の国際経済的な背景の中でこの政策が打ち出されておるのではないが、そういう点から見ますならば、主観的判断ではなくて、客観的に、やはり今度の新安保条約背景をなしますものは、日米帝国主義政策の再生ではないかという点をわれわれは大いに心配をし、かつ、指摘したいつもりでございます。これは先生には釈迦に説法ですから申し上げませんが、特に昭和二十七、八年以後、日本の経済というものは急速に独占化が強められておりますし、特に岸内閣が登場いたしましてから、重化学工業を中心とする、いわゆる軍事資本家の登場というものが目に見えて、客観的に出ておるように思うのです。新たなる終戦後の市場を獲得するために、その背景に、この力の新安保政策というものが使われる危険をわれわれは非常に危惧しているわけです。そういう点について、一体、新安保条約背景をなすものは何か。政府または賛成者の一部の諸君は、やむを得ざる戸締まりである、全く防衛的な性格のものである、それによって戦争を食いとめるためである、こういうような説明をなされて、おりますが、それは非常に世間をごまかすというか、隠れみのの言葉にすぎないのであって、その本質は、日本の場合においては、あくまでアメリカ帝国主義と結託した、東南アジアその他のアジア地域、A・A地区に対する帝国主義的進出の意図が、政府の責任者の説明の言葉のいかんにかかわらず、客観的にも成熟しつつあるのではないか、これがわれわれの疑問の第一点でございますので、先生の御観測を伺いたいと思うのです。  第二点は、それに関連いたしまして、こういう帝国主義的政策というものが、大東亜戦争前の古いナショナリズムの判断によって、そしてまた、国際情勢の判断も、アジア諸地域における眠れる後進国を相手にした、そういう認識の上に、再び力の政策というものが背景になって、資本の進出が考えられつつありますけれども、われわれの見ます戦後のA・A諸地域におきます一つの新たなる政治情勢というものは、やはり反帝国主義、反植民地主義による民族主義の胎動のこの力、この政治力なり経済の成長の方向というものをどういうふうに評価するかということが、日本の今後の外交政策にとりまして非常に重要な分析ではないかと思うのです。  もう一つは、国内におきまする労働階級を中心とする、資本に対決する階級的な目ざめ、団結の力、この二つの力というものは、とうてい戦前の、帝国主義の進出を黙認する、あるいはその前に圧倒されるというようなものではなくて、内外における一つの民族の立ち上がり、階級的な目ざめというものによって、帝国主義政策を夢みることは、今日、もうすでにA・A地区においても痴人の夢になっているのではないか、こういう点を先生はどういうふうにごらんになっておられるか、関連して、第二問としてお尋ねいたしたいわけでございます。  第三点は、この新安保条約に伴います国内の経済政策というものによって、予算並びに産業政策を通じまして経済の軍事化が急速に行なわれる。しかし、力の外交から経済外交に転換しようとする各国の最近の経済の動き、特に西ヨーロッパを中心とします共同市場あるいは貿易自由化連盟等による動きというものは、NATOの武力政策の経済的基礎というものを一変せしめておる。すなわち、この新たなる平和的な経済外交の方向というものが、ダレスの残した軍事政策であるNATOを根本的にくつがえそうとする傾向をすでに示しておる。日本の外交の今後の問題といたしましては、今申しましたA・A地区における民族主義なり階級主義の立ち上がりというものに目を注ぐだけでなくて、個々の国際経済における一つの平和、貿易政策に対する潮流というものを見落としておったのでは、日本は全く世界から取り残される、こういう点をわれわれは危惧しておるわけですが、この点についても、先生はどういうふうに見ておられるか、この際、安保との関連においてお尋ねいたしたいのです。  最後にお尋ねいたしたいと思いますのは、日米間における帝国主義政策の利益の非常に共通する面と対立する面とが、もうすでに現われてきていると思うのですが、このような政策を両国ともがとりますならば、その行き先は一体どういうことになるのか。われわれは、単にA・A諸地域に対する帝国主義的政策の失敗と誤りを繰り返すという心配だけでなくて、日米間における帝国主義のなわ張り争い、この傾向というものは、もうすでに現われつつあるのではないかと思いますけれども、先生はこの点をどう見ておられるか。  それから、これに関連して、日本のそういう経済の方向とアメリカ経済との関係だけでなくて、日本を取り巻いておる中国、ソビエト、特にシベリア経済建設ですか、これとの関連において、今後十一年という将来を長期にながめてみますならば、日本を取り巻く中国大陸並びにシベリア大陸における社会主義経済建設と、日本の今の予算並びに経済における軍事政策をとった十一年後の日本の立場というものとを考えてみますと、われわれ非常に危惧すベき状態が、経済的情勢として展望されるわけです。それらの点について、この際、先生のお考えを参考のためにお聞かせいただきたいと思うのでございます。
  44. 大内兵衛

    大内公述人 お答えをさしていただきたいと存じます。論点が四つありましたが、私の意見と今の穗積先生の意見とどういうふうに一致し、どういうふうに違うかということを詳しく述べることは不可能でありますし、ここでは必要でありません。そう思いますので、私自身としては、心持の上では相当違うところがありますけれども、概して申しますと、穗積さんの言われたように私も考えておる、こういうふうに答えていいと思います。  最後の第四の点について、アメリカ日本との関係において、アメリカでも日本でも、二つの考えが相対立しておるという事実がだんだんと大きくなりつつあるということは、これはだれも承認しなくちゃなるまいと思います。つまり、安保条約に関しましても、日本でも二つ意見があるように、アメリカでも二つ意見はあります。ただ、それは両国においてはよほど違うと思いますが、しかし、最近において、アメリカ日本についての研究は非常に進んでおります。たとえばコンロン・レポートとか、ロックフェラーレポートというようなものにおきましても、アメリカ日本の行き方について非常に神経を悩まし、かつ、注意をいたしておるのであります。必ずしも、アメリカ日本自分の軍事体制の中に突っ込むのが一番いいというふうに、すべての人が考えているとも思われないのであります。それはアメリカの大統領選挙ともからむと思いますけれども、かつてウイルソンの時代において、あれだけの大きな決心をしてやった国際連盟を打ちこわしたアメリカでありますからして、いついかなる情勢に変わるかもわからないというのが、今日われわれの注目すべきところであろうと思います。今そういう情勢がきているというのではありません。
  45. 穗積七郎

    穗積委員 大井さんと福島さんと一括して同様のことをお尋ねいたします。先ほどお話を伺いますと、今日の平和共存は、ソビエト側の一時的な戦術的な提案である、その証拠には、その根底においては水爆ができたから、力の不均衡または危険の前におそれをなして、世界戦争ができないのだ、すなわち、力が根底の考え方になっておるから、従って、その平和共存の考え方はにせものだというのが御趣旨のようでございました。また、福島さんの、アメリカ陣営に属するか、ソビエト陣営に属するか、さもなければ第三の中立の道かということも、すべて、その根底においては、やはり共通する力の関係、これが根底になっているのではないか。大井さんの場合は、今フルシチョフの考え方の中に力による戦争防止という考え方があるから、これはにせものであり、誤りであるということを指摘なさいました。ところが、後段において、平和を確保するものは、すべて戦争抑制する政策、そのためには力の対抗による安保条約が必要だ、こういうお考えのようでございますが、これは戦前、お互いに経験いたしました日独伊三国同盟が結ばれましたときに同様の説明がなされ、そういう考え方が軍なり支配階級の中で行なわれたわけですね。力による解決は、アメリカ戦争するためではなくて、これを背景として、お互いに相手をして戦争をあきらめさせるのだということが、実はああいう結果をお互いに経験した通りでございます。  そこで、私は、ここで新たに言いたいことは、そういう戦前の、先ほど指摘されましたような力の均衡政策というものによってわれわれの平和と安全を守るという考え方、そうであるならば、これは停止するところを知らずだと思うのです、力の上に、またこちらの力を優位にしようということになりますから。その後の国際情勢の中においては、一ぺんにすベてが平和になったということではありませんけれども、やはり国際経済なり、外交政策の中で、中立平和政策、積極的な平和政策をとり得る条件を作っていくことが一番必要ではないか。そのためには、一つは仮想敵国となっております中国との間の国交を回復すること、これだけでも、日本並びにアジアにおける平和と安全のためにどれだけ寄与するかわからない。これは、しかも、日本のみ欲するならばすぐ可能なことでございます。そういう点について、両先生は目をおおっておられるのかどうか。そうしてまた、われわれは国際的に集団取りきめ、地域取りきめをするならば、国連憲章五十一条の個別的または集団的自衛権を背景とする、あの条章を背景とするものではなくて、五十二条による紛争を起こす危険性のあるものすべてを含む——日本の場合には日・米・中ソということになりましょう、こういう取りきめをすることこそが進めるべき外交政策ではないか。そういう政策をとらなければ、フルシチョフの考え方は力の考え方がひそんでおるから、これはにせものだといいながら、平和憲法を持っておる日本の終戦後の立ち上がりの政策としては、私は、根本的に矛盾するのではないかというふうに考えるわけです。単に戦前の歴史を顧みて、そうして、中立は不可能であったというふうに指摘なさるのではなくて、または力によらなければ安全は守れないという考え方から、ここにとらわれていないで、一歩進んでやらなければ、それ自身がやはり古い考え方から一歩も抜け出てないのじゃないか、そういうことでは、新しい国際情勢の中で、国連強化といい、あるいはまた、国際的な話し合いによる、戦争の手段によらざる平和と安全を確保するということと、ものの考え方において根本的に矛盾をしておるのではないか、そういう疑問を私は持つわけです。その点について、両先生の御意見をこの際伺っておきたいと思います。まず、大井さんからお願いいたします。
  46. 大井篤

    大井公述人 大へん長い御質問でありまして、速記録でもゆっくり拝見しましてからでないと、私適切なるお答えができるかどうかわかりませんけれども、ただほっと——間違っておりまして失礼になるかもしれませんが、私のこういうことをお答えしたらいいのじゃないかという点を、まことに身勝手でありますか、お答えしたいと思います。  第一は、私は、フルシチョフ平和共存がにせものだとかなんとかいうふうには言わないで、フルシチョフ平和共存というものは、こういうふうに彼は言っておるということを申し上げたつもりであります。そうして、そのフルシチョフ平和共存と言っておることは、ここに私フォーリン・アフェアーズを持ってきておりますか、私先ほど言ったことは間違いないと思います。やはりロケットとHボンブ、その時代は、非常な惨害を受けるから、それで平和共存をしなくちゃいけないのだ、そうして、その平和共存の内容なるものを彼は一々述べております。これを私が一々ずっと申し上げますと、また長くなりますからやめさせていただきたいと思いますが、私の言ったのは、そういうことであります。それが、先ほどあなたの御説明の中に、そういうバランス・オブ・パワーというようなものの考え方でいくならば、際限なく軍備競争が続くのじゃないか、戦争前の考え方と同じじゃないかというようなことをおっしゃったようでありますが、私は、戦争前のことは、あまり戦争計画の機密なところにおりませんでしたのでよくわかりません。しかし、戦争前はどうであろうと、私は、あのころの日本の考え方はどうか存じませんけれども、今日は、あの当時とはかなり次元を変えた考え方で言わないと、前と同じようなものさしで物事を論じては誤りじゃないか、政治家として、やはりここは違った考え方を持ってもらいたい、こう思うのであります。といいますのは、先ほども私たくさん申し上げたのでございますが、水爆というものの威力を考えますと、もう天井に達したわけであります。昔は、何百個師団ありましても一国をやっつけることはできない、大和、武蔵を何十隻、何百隻作りましても、おそらくアメリカをやっつけることはできなかったでありましょう。しかしながら、今日はロケットと水爆の時代フルシチョフのいわゆるそういう時代におきましては、戦争目的というもの、戦争の意味のあるような戦争をするというようなこと、いわゆる戦争は政治の延長であるという、ああいった意味の戦争というものは意味がなくなった。そうして天井を打ってしまった。これから先のことは、先ほども私くどくどしく言ったはずでありますが、オーバー・キルである。こんなものでは競争はないのです。それでありますから、競争はデターレンスのあるところまでいってとまってしまうのです。それですから、軍備競争というものは、新しい兵器という質的な面では、これからもありましょう。しかし、それだからこそ、私は、各国が窓を開く、秘密主義をなくする、そういうことか非常に必要だと思うのであります。そういうようなことをする今日の平和に対するアクセスの一番有効な方法は、私はやはり、今日ならば、手っ取り早いところが、国連というものを強くするということだと思います。あそこにおけるヴィトー・パワーといったようなもの、安保理事会におけるヴィトー・パワーといったようなものを制限しろとか、それから国連軍をどこの国よりも強いものを作るとか、そうしてその他の国の兵力を弱めるというような、大きなスケールからいかないと、一中国とどうしようとか、どこかのベトナムとどうしようとかという個々の問題はありましょうけれども、それは小さい。これは一緒にやってもいいと思いますけれども、もっと大きな、グランドスケールで日本の政治家も考えていただきたいと思う次第であります。(拍手)それから、もっと大きなことは、やはり世界の政治、国際政治に秘密をなくするということだと思います。国境というものをなるベく少なくする、人間の交流を自由にする、そういうことをして、ほかの国の秘密かよくわかるならば、科学でもどんどん自由に交流するならば、武器の競争が幾ら激しく行なわれましても、これは大した心配はない、こういうふうに思いますので、平和の方法に対しましてはあなたと同じでもありますけれども、それはきわめて小さいことでありまして、もっと大きな構想をもって平和のことを考えていただきたい、こういう点であります。一応これで終わります。
  47. 福島慎太郎

    ○福島公述人 御質問の趣旨を誤解しているおそれもございますけれども、御回答申し上げます。平和共存がにせものであるからということでございましたが、にせものという言葉は使わなかったのですが、平和共存と申しても多分に戦術的なものであるだろうからと、こういう意味で申し上げたつもりであります。ただし、その使い場所は私の記憶しております限りでは、雪解けだから、平和共存だから安保改定などは大勢逆行ではないか、そういうまくら言葉に雪解けだから、平和共存だからということが使われるのであれば、これはまくら言葉に値しない雪解けであるという意味で申し上げたつもりでございます。なお、ソ連の平和攻勢というものは、未来永劫続く保証はないというような気がするという実例はあるように思いますけれども、時間かございませんので、申し上げないことにいたします。  なお、国連の関係その他で御質問もありましたが、どういうことでございましたか。——しかし、この安保条約も、国連のワクの中にはめて、それまでのつなぎの日本の防衛をどう考えるかということに工夫をこらされている跡は、歴然たるものがあると思います。その意味で、国連の進歩というものに期待をしながら、それまでのギャップを埋めるだけの日本の防衛努力、アメリカとの間の防衛努力だということは、この新しく改定された条約からは、読み取る努力の跡はわかると思っております。  なお、中共の関係その他について御質問もございましたと思いますが、中共の関係は、中共を承認してはならないとは考えておりません。さりながら、お触れになりましたように、中共とアメリカ協力して日本の中立を云云ということになりますと、現実政治の問題としては、今日御審議になる段階になれるかどうか、そういうような世の中へ持ってくるように、中共も、そういうような落ちついた国になってほしいという希望はございます。しかしながら、中共と台湾との関係とか、そういうものの安定を待ちません限りは、現実の政治の問題として、中共とアメリカとの協力によって日本の中立を保障させようというようなことは、ちょっと問題になりかねるのではないか。しかし、そういうことがけしからぬと言っておるわけではございません。
  48. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に、竹谷源太郎君。
  49. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 大内先生に、二つの事柄についてお考えを伺わせていただきたいと思います。  第一は、大内先生は、先ほど、今回の安保新条約締結に至る交渉が、秘密のうちに行なわれた、そうして、きまってからという意味は、調印後という意味であるかと思うのでありますが、この条約がきまってから国民に知らせるという、この政府のやり方は不届きである、こういうように言われたと存じます。私はこれに同感をするものでありまするが、国会にこの条約承認を求めて参った、提案してきたのは、きまってから、すなわち、調印後でございます。そこで、衆議院では、この条約は一体修正ができるものであるか、あるいはできないのであるかという議論が出て参りまして、まだその結論を得ていないような状態でございます。そこで、この条約調印後では、相手があるのでありますから、調印した条約を改めたり、あるいは修正したりするということは、法律論は別といたしまして、事実上なかなかむずかしい面がございます。ところで、日本国憲法では、国会は国家最高の意思決定の機関である、こういう日本国憲法の規定やその精神から見まして、これを妥当に運営するためには、仮調印後、そうして正式調印の前に、国会の承認を求むるという手続をとるのが一番適当ではないか、このように思うわけでございますが、これにつきまして先生の御意見を拝聴さしていただきたいと存じます。
  50. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたします。ただいまの点につきましては、どういう手続を一番先にするのが一番正当であるかということについては、私は、議会及び政府の運用方式をよく知りませんので、お答えはできません。ただ、私が、言葉は足りませんでしたけれども、申し上げたことは、いずれにいたしましても、条約をどういう要綱でもって国民に示すか、条文で示すかということは別にいたしまして、条約の交渉に入る前に、長い間国民の前にこれをさらしておいてもらいたかった、これをよく国民にわかるようにしてもらいたかった、また、それについて国民の議論を十分に聞くような手続をとってもらいたかったということであります。今後それをどうしたらよいかということについては、今の仮調印説がいいのかどうかということについては、何らの意見を持っておりません。
  51. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 ありがとうございました。  もう一つの事柄をお尋ねしたいのでありますが、この新安保条約が、日本国憲法に違反をしており、かつまた、日本国の平和と安全にとって危険きわまるものである、こういう考え方につきましては、私も同じ意見であり、また、よく先生の話もわかった次第でございます。ところで、この新安保条約締結されない、このまま葬られたということになりましたときには、依然として現行の安保条約、この悪い安保条約が残る、こういうことになるのでありまするが、この現行安保条約を、しからばどのようにして早くこれを解約してしまうか、あるいは廃棄をしてしまうか、こういうことにしないとわれわれの目的が達せられません。この安保解消に至る手段方法として、もし先生におかれて何か御意見があり、お考えがあれば聞かせていただきたいと存じます。
  52. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたします。そういう問題につきましては、具体的な考えを私が述べるほど準備をいたしておりません。しかしながら、いやしくも、日本国民の意思がかくのごときものであるということについて、十分の討議を経て、そういう意思と違っておるものであるということがわかりますならば、そうして、それを正式の方法によってアメリカにわかるように伝えられますならば、それに賛成するかしないかは別といたしまして、これは確かに日本アメリカとの重大なる交渉問題になり、問題は必ず発展すると思います。
  53. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 ありがとうございました。
  54. 小澤佐重喜

    小澤委員長 床次徳二君。
  55. 床次徳二

    ○床次委員 まず、大井さんにお尋ねいたしたいと思うのですが、先ほど、戦争抑制力のお話がありました。わが国が今回の安保条約によりましてとらんとするところの自衛力というものについて考察してみますと、これは第一に、国連憲章の理想の範囲、精神にのっとっておる、なお、国内的に見ますと、これは憲法の九条におきまして制限を受けておる、また、今回の安保条約によりましても、すなわち、事前協議の制限があるし、また、防衛の権利を行使する場合におきましても、いわゆるわが国の施政下に限られておるというふうにして、非常に制限が加えられておるのであります。かかる意味におきまして、戦争抑制力が発動されるということは、一般の例においては見られないところの、きわめて合理的なと申しますか、きわめて特色のある戦争抑制力だと私は思うのです。かかる意味において、私は、非常に進歩したものだと思うのでありますが、かような戦争抑制力としての事例がほかの国にあるかどうか、承りたいと思います。
  56. 大井篤

    大井公述人 お答えいたします。事前協議とかいろいろなことで縛っておりますが、これは縛ったような格好にはしてありますけれども、使い方によっては、また、両方話し合ってこれを最も効果的にするようにも働かせるというのが事前協議であって、事前協議というものは、方向はいろいろあるように私は思います。  そこで、抑制力でありますか、日本の自衛力が抑制力になる部分は割合に少なくて、アメリカが持っておる抑制力日本に対する外からの武力攻撃というものを抑制しておるということが非常に強いのだと思います。たとえば、今日、アメリカの地上戦闘部隊は日本には全然おらぬわけでありますが、それでも、基地があるということ自体だけで、やはりソ連は地上軍をここに持ってくることがなかなかできない。それから、もしこの地上軍があるとするならば、これはアデナウアー首相のよく言っておる点で、われわれの戦争抑制という考え方をかなり上手に説明しておると思いますが、ここにアメリカの軍隊が少しでもおるということになれば、アメリカのフラッグに対して向こうから攻撃をするということは非常に困難である。もし、これが、アメリカの旗も兵隊も一つもなかったならば、どこかの国が日本武力攻撃を加えてきて、一挙に、朝飯前に日本を屈服してしまった場合、その場合に、アメリカ日本を取り返しにくるということをやるか、その場合に、アメリカ武力発動をどういう形でやるかという問題が出てくるわけであります。そういうときに、もしアメリカが核兵器で大きな仕返しをしなければ日本をとることができないということになったら、これは非常に不幸なことである。その場合に、しかし、日本としては、日本のわれわれから見れば、そういうことはあり得るかもしらぬ。そういうことがあり得ないようにするためには、アメリカのフラッグというものがここにあるならば、アメリカのフラッグに対する攻撃は、アメリカ人から見れば直ちに自分たちの国に対する攻撃だという考え方を持ちまして、向こうでも思い切った武力発動をするという安心感であります。今、私は、どこまでも戦争を発動した場合を言いましたけれども、抑制という言葉は、あまり戦争をおっ始めてしまったことばかり追及して、それに頭を持ちますと、非常にこれは困難します。そういうことをさせないようにする、その前の意思をとめる、誘惑心を起こさせないという、その辺の心理作用を一つ考えながら、抑制力という問題を考えてもらいたい。これは防衛というものと非常に違ったものの考え方でございます。そういう意味で言うならば、この事前協議であまり縛るというようなことは、ほんとうは利口な方法じゃない、従って、ほかの国にはそういうものがあまりないのだ。しかし、日本は、日本の国民感情からして、これは今日としてはやむを得ない、こういうふうに私考えております。
  57. 床次徳二

    ○床次委員 大井さんから事前協議に対する考えが述べられましたが、私どもといたしましては、かかる事前協議その他のワクかありまして、いわゆる抑制力が、万一にも妙に行使せられるというようなことがない。たとえば核弾頭を持ってきて、すぐ抑制力を正面から使われるという懸念をなくする意味において事前協議があるので、ほんとうの意味におきまして、日本安保条約は効果的になる、かように考えておる次第でございます。  次に、大内先生にお尋ねしたいと思うのですが、大内先生は、サンフランシスコ条約あるいは安保条約等の本来のあり方について御反対のようであります。わが国は、安保条約またサンフランシスコ平知条約によりまして独立し得て今日に至ったということが、現実の日本の姿なんじゃないか、これが非常に効果を上げまして、今日のごとき国力の増進、発展を得られておると思う。従って、この現露というものを無視することができないと思うのであります。先生は、いわゆる学説としての立場からいろいろ御議論をたなさっておるようでありますが、この現実と学説というものをどの程度に調和させようというふうなお考えを持っておられるのか、お尋ねしたいと思います。  なお、今回の安保条約の改定等におきましては、関連した行政協定その値いろいろの規定の改正がありますために、現実におけるところの国民生活に対しましては非常に多くの改善の点が含まれておるのでありますが、そういうものも無視して、先生は学説だけに忠実な立場をおとりになろうとするのか、この現実と学説との間にどういう調和をはかられるか、お伺いしたい。
  58. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたします。戦争が終わってから、サンフランシスコ条約を経まして今日までに、日本アメリカとの関係が密接になったことによって、日本の経済が非常に早く復興した、いろいろりっぱな効果があったということを私は十分に認めます。その通りであります。しかしながら、この復興の中に、日本に好ましからざる面をも生じたということを私は先ほど申し上げたわけでありまして、片方があったということと、好ましからざる事件がいろいろ起こっておる、そういう面が出ておるということとは、社会の内部としては両立しておるのであります。私は、そのうちの好ましからざる方を除いて、私の立場において好ましい方をこれから進めたいというのでありますから、そういうところに、私の先ほど申し上げたような学説、すなわち、平和主義、中立主義並びに基地反対という三条件を入れたいというのでありますから、当然に直ちに、即時に、それを実行し得るというのではありません。それは、それを実行するためには、非常にいろいろの工夫が要りますが、それは諸君の有能なる判断によって必ずできるということを申し上げたわけであります。
  59. 床次徳二

    ○床次委員 次にお尋ねいたしたいのは、条約締結前に国民の同意を得べきじゃないかというお話、こういうことがなかったのは、非常に違憲性の大なるものがあるということを言われるのでありますが、現在われわれといたしましては、すでに憲法におきましては、条約締結前に国会の承認を得べしという規定がある。この規定にのっとっておるし、また、政治的におきましても、これを交渉するにあたりましては、すでに政府並びに党としての態度を昨年の初めに確立いたしまして、その方針に従って政府は交渉いたしておる。これは当然政府の外交権によるものであるのであります。しかも、その途中におきまして、たとえば地方選挙あるいは参議院選挙等におきまして、それぞれこの要綱等におきましては論議は尽くされておるのでありますから、従って、かかる順序によりまして、今日国会において慎重審議が行なわれておるということは、これは何ら差しつかえない。当然これは憲法そのものの規定に従っている審議だと思うのでありまするが、これが不合理だとおっしゃる点がよくわからないのでありますが、あらためて伺いたい。
  60. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたします。まさに、ただいまのお説のような点は、私も承認するところであります。しかしながら、いやしくも国の存亡に関し、国家の運命に関し、憲法の根本方針に関するようなことにおきましては、どんなに丁寧な手続をとっても差しつかえないと思います。丁寧な手続をとることが、それが民主主義の政治であると思います。そういう見解が国民の要求であります。その国民の要求からいいますと、せっかくあなた方か憲法の条章に従っておると言われましても、政治的には非常に不満足であります。それであるからして、最近において、その不満足が、前の選挙のときよりは顕著に国民の上に現われておるのであると思います。これは明らかなる事実であると私は思います。
  61. 床次徳二

    ○床次委員 ただいまの点は見解の相違であると思います。事実におきましては、十分に国民に対して侵透しつつあることは、世論調査等によってもおわかりだと思いますが、あえて今日においてここに議論はいたしません。  次に伺いたいのは、自衛力の問題でありまするが、独立国であります以上は、独立国にふさわしいところの自衛の力を持つことは、憲法第九条において認められておることと思います。この点に対しましては、先生は、第九条におきましては、自衛力を持つことがいけないのだという説のように、その説を根拠として御議論のように思うのでありますが、この点をあらためて伺いたいと思うのであります。  なお、先ほど、国力にふさわしくないところの力を持つことは、これは軍国主義なんだ、予算に対する割合、あるいは戦前等の武力に対しまして数倍のものを持つことが、軍国主義であるというようなお話があったのでありまするが、今日すでに科学の進歩等によりまして、火力等はもう数倍以上の非常に大きな激増を見て起ります。従って、いわゆる自衛というものに対しましても、近隣諸国の軍備というものとこれは比例して考えなければならぬものなんでありまして、単に戦前から比べて何倍だというふうな程度ではない。すでに原水爆というものができておりますので、全く比較にならぬ程度の大きな戦力の増加があるのであります。さような見地をお考えにありますると、先生が軍国主義というようにお考えになることの根拠が、私は非常にわからないのであります。アメリカ予算が六〇%そこそこ、しからばソ連関係はどうかということを私ども伺いたいのでありまして、先生の軍国主義に対するお考えをもう一回明らかにしていただきたい。
  62. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたします。二つあったと考えますが、最初の第九条の解釈でありますが、私は、国である以上は、自衛権を持っていると思っておりますけれども、第九条の第二項の軍隊というのは、国外に一歩でも出るような力ではないと思っております。そういうものを設け、置くことは、憲法違反であると固く信じております。  それから、その次の問題につきましては、すでに答えたつもりであります。私は、国力に比例して、長く戦争を続け得ないほどの巨大なる戦力がその国にできたとき、もしくは外国、隣国がその戦力に恐怖を感ずるようなそういう戦力ができたとき、それをわれわれは軍国主義というと申したのであります。そういう意味において、日本の現在は、確かに軍国主義の方向を持っておる、そして必ず軍国主義になるということを申し上げたわけであります。
  63. 床次徳二

    ○床次委員 ただいまの御答弁につきましては、時間がありませんので、重ねてはお問いいたしません。  次に伺いたいのは、ただいまの御答弁にありましたが、自衛力は持ってよろしい、しかし、国外に出るような自衛力は持ってはいけないのだというお考え方を言っておられるのであります。この点は、いわゆる砂川判決、最高裁の判決とも関係するのでありまして、先生が学説上、最高裁の判決に対して異論をお持ちになるということは、これはあり得ると思うのでありまするか、しかし、今日の国民の大多数というものにおきましては、あの判決において示されたことに対しまして、大体承服しておると思うのでありまするが、この点についてあらためて伺いたいと思います。
  64. 大内兵衛

    大内公述人 私は、法律家ではありませんから、最高裁判所の砂川判決が正しいかどうか、憲法に反しているかどうかということについては、意見は述べません。存じません。
  65. 床次徳二

    ○床次委員 先生の立論される根拠というものが明らかになりましたので、私はこれ以上追及いたしません。  それからなお、先生のお話の中で、日本の自衛隊の装備というものは、アメリカからもらっているんだ、装備を外国からもらっている軍隊というのは、その外国に従属しているものだ、日本は従属国だということのお話があったのでありますが、今日各国の状態を見ますると、これは共産圏の諸国といい、あるいは自由圏の諸国といいましても、自国において装備を自給自足しておるという国が、はたしてどれだけあるでしょうか。これを他国からもらっているから従属国だといえば、ほとんど、これは共産圏諸国におきましては、全くソ連の従属国だといわざるを得ないと思うのであります。この点は、多少言葉が過ぎているんじゃないかと思うのでありまするが、いかがでしょうか。
  66. 大内兵衛

    大内公述人 軍備を助けてもらっておる程度において、従属しているということであります。これは明瞭であります。(笑声、拍手)
  67. 床次徳二

    ○床次委員 大内先生が、さような意味において従属国という言葉を使っておるということが明らかになりましたから、この点はあえて追及いたしません。ただ、一般の者が誤解しやすいものでありますから、この点は非常に用語は気をつけていただきたいと思うのであります。それから次にお尋ねいたしたいのはいわゆる……。     〔発言する者多し〕
  68. 小澤佐重喜

    小澤委員長 静粛に願います。
  69. 床次徳二

    ○床次委員 次に承りたいのは、先生は、あくまで戦力を持たずに自国の独立が維持できるんじゃないか、もちろん、これは中立で維持していく、中立を守るだけ力がなくても、べルギーの例のごときは、一たん独立を失いましても、やはり独立というものは、いつの日か、これはその国民の強い精神、気魄がありますならば、回復できるんだということを、例におあげになっておるのでありまするが、昔はあるいはそういうことはできたかもしれませんが、最近の情勢というものはだいぶ変わっております。すなわち、一たん民主主義国が共産主義国の勢力下に入りました際におきましては、なかなか独立ということが困難な事情になっているように思うのでありまして、われわれといたしまして、今日ヨーロッパの事例を見ましても、共産圏に入りました民主主義諸国のあり方というものにつきましては、非常に杞憂と申しまするか、懸念せざるを得ないものがあるのであります。この点、先生は、民主主義国が独立を失いましても、やはり依然として民主主義国としての独立を、いつの日か回復し得るんだ、それで国民も安心であるし、為政者も十分政治的責任を果たし得るんだということをお考えになりますかどうか、伺いたいのであります。
  70. 大内兵衛

    大内公述人 御返事を申し上げます。そういうふうな御心配は、もっともであると思っております。私も心配しております。しかし、それは事実の認識、世界歴史の事実、現実についての認識に関することでありまして、私の認識する限り、最近においてはエジプトの例、アフリカ諸国の例、南米諸国の事実、朝鮮における事実、そういう事実のもとにおいて、やはり民族の独立ということは、武力がそうなくとも尊重されるという傾向にあるというふうに、深く信じております。
  71. 床次徳二

    ○床次委員 民族の独立が尊重されるということは、全くお説の通りだと思うのです。私の伺いたいのは、民主主義国が一たん共産勢力下に入りました際におきまして、再び民主国として独立するということは、事実上非常に困難でもあるし、今日のところは、全くそういう例がないんじゃないか、かような意味におきまして、われわれはいわゆる自由主義諸国、自由主義制度を守るという意味におきまして、この制度下において国民の幸福を追求するという立場に立って、非常な懸念をいたしておる。先生のおっしゃるようないわゆる中立主義、あるいはいわゆる自衛の限度においては、まことに不安を感ずるので、かようにお尋ねをいたした次第なのであります。
  72. 大内兵衛

    大内公述人 共産国内における民族問題は、非常に違った様相を帯びております。現在の共産圏内における諸民族と共産木国との関係は、今日までとは全然違った関係を生じております。それが独立であるか、従属であるかは、非常にむずかしい問題であります。ここでそれを議論することは困難でありますが、しかしながら、床次先生の言われる意味におきましては、必ずしも独立ではないと思いますが、しかし人民的な意味においては、完全な独立ができておると思います。
  73. 小澤佐重喜

    小澤委員長 帆足計君。
  74. 帆足計

    ○帆足委員 民主政治というものは国民各層の意見を聞きまして、実際に即し、理性に基づいて、慎重に審議するというのが、民主政治の要諦でありますので、本日各公述人から意見を承りまして、私ども大へん参考になりました。特に、松岡洋子さんからは婦人の立場から切々たる意見を伺いましたし、大内教授からは論理と理性に基づく御議論を承りました。また、福島さんからはジャーナリストとして、まあ常識的な御議論を伺いましたが、私は特に興味を感じましたのは、大井篤さんの御議論です。これはどちらかというと、心理学的に私は非常に興味を感じたのでございます。と申しますのは、大井さんは海軍大学の御出身でありまして、敗戦のエキスパートと申しますか、敗軍の将兵を語らずといいますけれども、一応日本の陸海軍が、生きて虜囚のはずかしめを受け、その体験の中からいろいろ御議論を承ったのでありますから——承知のように、海軍大学は極端な軍国主義、天皇主義でありましたのが、今では民主主義の理想に御専心になっているようでありますので、まのあたりわれ人ともに歴史博物館を見るような思いかいたします。  そこで、私は伺いたいのですか、今日のような大御議論を伺うならば、せめて二十年前にもう少し議論したかったことがあるのです。過去のことをお互いに反省してみますると、大東亜戦争の起こりましたときの私どもの認識の不足は、三つあったと思うのです。当時の日本の立地条件と、それから経済力と、それから軍事技術の発達の水準、この三つについて、三つとも認識を誤ったと思うのです。そこで、お尋ねいたしたいのですが、かつての戦争の敗戦の経験から、そういうことについて、たとえば日本アメリカの昭和十六年十二月八日の国力の開きについて、そのころどういう御認識をお持ちになっておられたか、その一、二の御感想がありましたら伺いたいと思うわけであります。
  75. 大井篤

    大井公述人 お答えいたします。私は昭和十六年は中佐でございまして、人事局におりましたので、敗戦とはいいながら、将ではありません。  それから、日米間の戦力比較をするとか、立地条件をどうするとか、戦争計画をどうするとかという立場は、それまで一度も持ったことがございません。それで、残念ながら、そのいわゆる敗戦何とかいう、その軍人としての職権的な立場としての所見を、私は述べることはできません。しかしながら、一日本人として、一人の市民としての所見は、述べることができますが、それでよろしゅうございましたら述べます。
  76. 帆足計

    ○帆足委員 けっこうです。
  77. 大井篤

    大井公述人 それならば、私は、当時、日本の、今あなたがおっしゃったすべての三つの条件からして、日本アメリカと何か戦争するなんて、とほうもないことだと思っておりました。それで、ことにあの当時の戦争というものの中に、何か戦力比較とか、戦争計画とかいうものよりは、やはり政治的因子というようなものか動いて、戦争に持っていったんじゃないか。そこは、いわゆる日本がほんとうに民主主義でなくして、やはり一つのある形においての——まあ、やわらかい形でありますけれども、国民全体か政治に参与していなかったという点で、やはり一つの、今日とはがなり政体の違ったものが、戦争に持っていった。それで、三国同盟と今日の安保条約をよく比較される方がありますけれども、三国同盟のいけなかったことは、独裁国的な立場の者同士が同盟したことにあれは誤りがあったのだ、今日は民主主義国同士が集まっているのだから、それほど危険はないという印象を持っております。
  78. 帆足計

    ○帆足委員 大井さんは、二十年前に、海軍士官として局限された御職業にあられたということを伺いまして、私がさっき申し上げましたことが、多少礼を失したこともあるかと思いますが、戦争が始まりましたときに、日本の鉄は六百万トン、アメリカの鉄は六千八百万トン、その六百万トンのうちの半分は、アメリカのくず鉄としてもらっておりましたから、やがてそれが表に現われましたときは、日本の鉄は三百万トン、アメリカの鉄は九千万トンにもなっておりました。私は、今安保条約のことを考えるにあたりまして、やはり日本の経済力、立地条件、それから武器の発達の水準、この三つは、これはもう与党、野党を問わず共通の事実でありますから、このファクトの上に立たねばならぬ。そういう点においては、戦略を専門に研究しておられる方の立場がどうあろうとも、現実の認識においては共通のものがありますから、よく伺っておくことが参考になるとかねて思っております。  そこで、お伺いしたいのですか、先ほど大井さんの御発言で、自由主義の世界を守るために、その美しい理想のために、日本はその中に同盟国として入り、その国土を基地としてささげる条約を結ぶこともやむを得ないというふうに伺いましたけれども、自由主義の世界の理想を守るのはけっこうでありますが、日本の国土と日本の国民の幸福を守るために、他国の基地となるということが、戦略的にどういうものであるか。特にミサイルと原爆下において他国の基地になるということは一体どういう意味であるかということを大井さんに伺いたいと思います。
  79. 大井篤

    大井公述人 お答えします。私は、日本が他国の基地になるということを、ただ単に任意の他国であるならば、これは確かに問題点だと思います。しかしながら、日本抑制力を与えてくれる、その基地があるということが抑制力となって、そうして日本というものに対する攻撃抑制力、それから自由陣営全体の抑制力が増すことによって、戦争の発動が避けられるということであるならば、これは直ちに平和政策だと思います。
  80. 帆足計

    ○帆足委員 続いてお尋ねしたいのですけれども、大井さんは、日本アメリカと戦って、そしてアメリカに敗れ、アメリカから侵略されておる、たとえば沖縄を侵略されておる、とにかく戦争に負けた以上、アメリカにわれわれ戦い敗れて、アメリカは戦勝国であって、われわれは敗戦国である、こういうふうにお考えでしょうか。  それからもう一つは、この前、漫画に、しこのみたてと出で立つわれはという言葉をもじって、ユーのみたてと出で立つわれはと、朝日新聞か毎日新聞に、そういう漫画が出ておりましたが、基地になることは、日本がにらみをきかすといたしましても、日本かせめてカナダか、カリフォルニアか、メキシコか、サンサルバドル島のような内線基地ならば、それは運命共同体ということができると思います。ところが、日本は五千海里隔たった外線基地ですから、アメリカの防衛辞典に出ておりますように、日本は外線基地、中継ぎ基地、補給基地、時としては犠牲基地になる、こういう立地条件にあると思うのです。戦略家としてのあなたにはこれはよく御理解できることと思いますが、であるから、われわれはアメリカのにらみを借りて、日本資本主義の諸条件をよくしようという保守党の立場については、それは一応理解し得るのです。しかし、常時基地になることは、今日あぶないではないか、また、基地を使うためにみだりにそこから飛び立ったり何かするとあぶないから、事前協議が必要でないか、また、事前協議にはこまかなブレーキが必要でないか、こういうふうにいって、保守党の中でもこの点は御議論があって、心配しているけれども、戦略家としまして、私はあなたの御議論を聞いて、あまり粗末ではあるまいか、あるいは内線基地と外線基地の区別について私の考え違いであるかどうか、一応お考えのほどを承りたいと思います。
  81. 大井篤

    大井公述人 お答えします。今の内戦基地とか外線基地とかという言葉は、今日あまり大きな意味を持たないんじゃないかというような気がいたしますので、これはあまり議論しましても、この安保条約価値判断の見地から、私は大した新しい結論が出てこないように思います。しかしながら、私は、日本に基地があるということ、そのことが、やはりソ連が、フルシチョフ首相あるいはフルシチョフ首相の前から、いつでも外国基地、外国基地といって、モスクワで非常にこの外国基地をじゃまにするということを逆に考えますと、外国基地というものは、やはり向こうに非常に効果がきいているのだなと思うのです。それで、私自身は実際日本に基地があることがどれくらい役に立つだろうか、私はほんとうのことをいいまして、実際ラルシチョフ首相その他の人たちが心配する気持がわからないのです。それで、むしろ、日本は今日——先ほど私はポラリス潜水艦のことを申し上げましたか、向こうのほんとうの抑制力は、日本の基地でないところに十分あるわけです。日本に基地を持つというのは、第五空軍でございますか、今日まだ日本の空軍に十分防空力が備わってないから、それがあるだけなんです。軍地基地というか、攻撃基地といったようなものは、ほとんど一つもないわけなんです。これからもそういう立場としては減っていくのではないかと思いますが、それを盛んに向こうの人が心配するところに、それくらい効果があるならば、これくらいのものを持った方がよほどいいのではないか。向こうでこんなものをたたいてくることはなくて、それも心理戦でやはり日本アメリカをさくためだから、むしろ、そのためなら、逆にこっちはうんと持ってやって、日本アメリカとの団結を強くしてやった方が、やはり効果的ではないかと思っているのです。
  82. 帆足計

    ○帆足委員 さすがに海軍大学の卒業生だけありまして、私は大へんいい御議論を承ったと思うのです。日本の国民は、何百万という人が請願して今心配しておること、これは事実です。そして与党の中にも、基地になることにいろいろ危険が伴う、U2号の問題でも、新聞など世論をあげて、この問題を心配しておることは事実です。それを、基地になっても何の心配もない、事前協議などない方がいいなどという、勇敢な御議論を伺いまして、なるほどわれわれと海軍大学の卒業生との御意見は、相当考古学的といっていいくらい違うということがはっきいたしました。私どもはこのことをお尋ねしたいのです。日本に対してアメリカがにらみをきかすとするならば、日本の国土が侵されるときに、かつての日英軍事同盟のように、アメリカの基地から立っていって救うというならばいいですけれども、アメリカ上院においては日本を基地として利用することについて満場一致、一つの議論もないのです。アメリカは一つも損はない。しかし、日本においては国論が二つに分かれておる。国の三分の一なり半分なりの勢力が反対するような条約で、それでほんとうに日本は安心できるでしょうか。ましてや、青年の大部分が反対するような状況のもとで、私はほんとうの国防の安全というものはあり得ないと思う。  そこで、私はお尋ねしたいのですけれども、われわれはどういう政策をとるかというと、今、中立を唱えておるわけです。東南アジア諸国はほとんど全部中立の道を歩んでおることは、保守党の諸君も御承知でしょう。それどころか、二つ世界の間の接触点にある、国境地帯にある国々は、ほとんど全部中立を保っております。北はグリーンランドからラインランドも中立です。スエーデンも中立です。それから同じ衛星国の中にあっても、ポーランドは、ゴムルカによってラパッキー案と称して、多少中立に近い政策をとっている。オーストリアも中立、ユーゴースラビアも中立、さらに南に下ってイラン、イラク、アラブ連合、それから偉大なるインド、それからわれわれに親しいインドネシア、それから王様の国であってもカンボジア、ほとんど全部の国が中立をとっておる。こういうことは、与党の方、保守党の方ももう少し謙虚に聞いていただきたいと思いますが、中立ということは空理空論でないと思うのです。しかし、与党の立場からどうしても中立がとれないならば、せめて危険の少ないようにしてもらいたいというのが、われわれの意見です。先ほど福島さんはスイッツルの例をあげられましたが、スイッツルについてはいろいろ問題があります。それはアルプスの天険によっておる、彼らはウィリアム・テルの伝統を持っている国ですし、いろいろ問題があります。しかし、今から八十年前に人形の家をストックホルムで上演したスエーデン、またノルウエーなどか、中立に近い態勢をとっておる。また、今述べた国々が中立主義をとっているということについて、福島さんの御意見は多少修正する必要がないかと思ったのですが、福島さん、中立主義についてもう一度承りたい。
  83. 福島慎太郎

    ○福島公述人 今、中立はスイッツルにできて、日本にできないということは、スイッツル人の言ったことが、ほんとうかうそかわかりませんが、スイッツルは小国であって、日本は大国だからできない、こういうふうに一応スィッツル人は見ておるわけです。しかし、その通りであるかどうかわかりません。国が大国であればできなくて、小国であれはできるのかどうかわかりませんけれども、日本の場合には、そばに中共という、将来ある国を控えておる。日本が中立ということで、幸いにしてこれが継続し得るものだと仮定した場合に、アメリカからも離れ、ソ連からも離れて、いわば孤立をしている場合、日本の経済は、将来発展していくだろうかどうだろうか。発展はしていくのでしょう。しかし、その場合、中共の経済もさらに伸びていくだろうと思います。中立、孤立した日本と、そばに大きな中共の経済とが並立していて、どのくらいの年数を見ますかわかりませんけれども、将来、日本の経済の独立を維持できるかどうかわからない。将来、中共の政治的な組織というもの、制度というものを、輸入せざるを得ない羽目に日本は陥るかもしれない。もし日本が、共産圏の衛星となることが好ましくないと考えるならば、中立は、具体的に、なかなかなりにくいのであろうというふうに私は考えているつもりでございますけれども、例におあげになりました中立国は、たくさんあるわけです。あるわけですけれども、立場あるいは実力というようなものが、日本とはかなり違う国が多いし、また、インドのように、中立ということで成功したかには見えましたけれども、中共との間に領土問題が起こり、肝心のときにだれ一人これを応援するものがないという事例は、われわれ最近見たはかりでございまして、日本のような国は、中立ということを、理論としては別でございますけれども、現実政治の問題として取り上げるということになれば、相当の勇気の要る問題であろうと思っております。
  84. 帆足計

    ○帆足委員 これで最後にいたします。ただいまのお話で、たとえば小さな国ということがありましたが、ただいまのインドのように、人口三億もある国が中立を保っておる。中共、ソ連に国境を最も強く接しておるのはインドですけれども、そして最近周恩来と事をかまえて、だれも同情する人はなかったと言うけれども、これも言い過ぎでないかと思うのです。多くの国際連合はこれを理解し、そして今では、大体円満に話し合いで解決しつつあると思います。  最後に、私は一点大井さんにお尋ねいたしておきたいのですが、かりに大井さんか沖縄人であったとした場合に、沖縄が基地であって、そしてそこがミサイル、原水爆の基地になるとしたら、沖縄人としては、これは同時に日本人ですからね、やはり反対せざるを得ないと思うのですが、ユーのみたてといでたつわれはで、自由世界と共同になる、そういう凱旋基地になっても、犠牲基地になっても、全体のしあわせのためには、日本は、その前線基地、犠牲基地になることを甘んぜねばならぬ。その端的な例は沖縄ですが、どういう御所見でしょうか、参考のために。これは心理学の問題でしょうけれども……。
  85. 大井篤

    大井公述人 私は、やはり心理学で、かなり違った考え方を持っておるのであります。これはもし、今あなたが説かれたように、ああいうミサイルの基地になったらその国が攻撃されやすいというふうに教え込まれて、自分にほんとうの判断力がないとするならば、私も実際こわいと思う。そして反対するだろうと思いますが、幸か不幸か、私は、むしろアメリカのそういう基地になっているところにはどうも飛んでこない、そういうようなことをずっと見てきているものでございますから、あまり心配しないのでございます。それで、事実の上から、歴史の教訓から、そういうことは大した心配ないんじゃないか、そういうふうに思っておらます。
  86. 帆足計

    ○帆足委員 これで基地の地価が暴騰するようになりますから、まことに不動産業者にとっては御同慶の至りだと思いますが、私は、ただいまの御議論はあまり極端だと思うのです。そこで最後に、今アメリカ日本、東南アジアと日本との関係を考えますと、日本の立地条件からすれば、アメリカとの貿易が三割、東南アジアとの貿易が三割、北アジアとの貿易が三割というのが、立地条件だと思うのです。さっき経済問題がありましたけれども、経済学的に考えれば、やはりアメリカは三〇%見当、あとはアジア諸国の気持を三%考える、あとは、北アジアその他の諸国のことも、三〇%か二〇%は考えねばならぬと思いますが、ジャパンタイムスで経済のことにも通じておられる福島さんの御意見を最後に承りまして、私は質問を終わりたいと思います。
  87. 福島慎太郎

    ○福島公述人 ただいま立地条件的に割合をお示しになりましたけれども、将来、日本の貿易というものが、そういうように構成されるようなことにでもなりますれば、これほどけっこうなことはないと私思います。しかし、現在はそうなってないこと、御承知通りであります。それに東南アジア三〇%、北の方のアジア三〇%割り当てますと、貿易というものは、たとえば中共貿易を例にとりましても、日本から中共に売れるものは幾らでもあるでしょう。伸ばそうと思えば、将来かなり伸びるでしょう。売るものはある。しかし、大事なことは、物を売れば金を払ってもらわなければならぬということなんです。金を払ってもらうか、さりとて、かわりの品物があるかということであって、貿易の分量というものは、日本の方から幾らでも売れるのだとかりに仮定いたしますれば、先方からの支払い能力、または先方から買い得るものの分量によって制限を分けるということ、中共貿易の場合は、鉄鉱石と石炭と大豆ですか、そういう三要素になる。戦前のものに戻ると仮定すれば、そういうことになる。しかし、日本の鉄鋼業を、おそらく中共の貧鉱を使うような鉄鋼業に直すことは、将来なかなかむずかしいかもしれない。補給の継続というものが保障されない限り、むずかしいということは言えると思います。大豆についても同じようなことでしょう。従って、こちらでこの土地は何%、あの土地は何%ときめましても、その通りに発達してくるかどうかということは、さよう簡単にいかないと思います。われわれの現在の貿易の各国別の割当というものはそのようなパーセンテージになっていないことは、おわかりの通りでございますけれども、こういう問題は、それぞれの地域の発展とともに次第に変わっていくことであって、ここで東南アジア三〇%、アメリカ三〇%ということをきめましても、何らの実益はないだろうと思います。
  88. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に、堤ツルヨ君。
  89. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 私は皆様に、御苦労さまでございました。今までどなたにも質問がなかったのですが、三人に質問したいと思いますけれども、レディファーストで松岡さんにお尋ねいたしたいと思う。  松岡さんは、当初公述下さいましたときに、私はいろいろ出ておる会合もたくさんあるので、私個人の意見の発表ではあるけれども、しかし、できたらそうした会合や勉強会に出たときにあった意見をも代弁したい気持だ、まあこういうことをおっしゃいました。非常にりっぱな御意見をお伺いいたしましたし、少しも松岡さんに、私は反駁するところありません。しかし、考えてみますと、きょうとあした、それから地方で三カ所公聴会がございます。非常にたくさんの婦人の有権者並びに婦人はおりますけれども、公聴会は、あなた一人でございます。従って、あなたの御意見というものが非常に大きな影響を持つと思って、私は重視をいたしております。こいねがわくは、地方においてももう一人や二人くらい、婦人の公述人にお出まし願った方がよかったのではないかと思いますけれども、私は先ほどからあなたの公述を伺っておりまして、ほんとうに日本の婦人が、あなたくらいしっかりしておったらけっこうなんだが、こう思いました。私は今の日本の婦人に対して、実に悲観的であります。それはどういうことかと申しますと、たとえば、トップレベルであるべきはずの国会の婦人代議士におきましても、U2ジェット機の問題に対して、代議士が選挙違反にひっかかったのと同じであって、大したことはないのだ、運が悪かったたけだなどというセンスのない御発言もある。これに対して何万人の婦人票が入っておる。それからまた、国会のまわりをごらんになっておりますと、毎日バスが走っておりますが、おそらく次の選挙準備のために婦人を招いておるのであろうと思いますけれども、たくさんの婦人がバスにただで乗せてもらって、事前運動にひっかかっておる場合もあります。それから主婦連などと申しまして、新聞を見ておりますと、一体日本じゅうの主婦が入っておるのかと思われるような団体もございますが、しかし、現実にいいましたら、百人も熱心な方はないのではないかと私は思っております。そうしたグループが一ぱいあるのでございますから、念のために、松岡さんは大へん指導者でございますから、どういう会合や研究会やらにタッチしていらっしゃるか、そういうものを、さいぜんはちょっと代名詞的にあげられたのでございますけれども、あなたが今までお出ましになっておられまするところの会合の名前を、一々具体的にここでおあげいただきたいと思います。
  90. 松岡洋子

    松岡公述人 私、昨年から大へんたくさん会合に出ておりますので、全部とても覚えておりません。まず、私が出ておりますそういった安保の問題の会合から申しますと、安保批判の会というのが一つございます。ここでは、私たちいろいろ去年から研究して参りました。これは女だけではなくて、男の方も入っておられます。でも女の方も大へんたくさん入っております。それから安保問題研究会というのにもたびたび出席しまして、ここでもいろいろ研究いたしました。それから宗教団体では、たとえばYWCAのようなところ、これは非常に熱心に、この問題について今まで考えてこられました。それからいろいろな地域の小さな団体、これは、私は四国にも参りましたし、それから名古屋からちょっと入ったところですけれども、大へん小さな村へも入りました。これは何という名前の団体だったか、今ちょっと記憶しておりません。それからあとは、組合どで勉強なさるとき、これにも出席いたしました。そのほかには、大学にも参りました。それから、女教師と母親の会というのにも行ったことがございます。そのほかには、たとえば、ただ地域婦人会のようなものでございまして、そういうようなところで、何か今一番問題になっておることを話してもらいたいというようなことで、私が行って、それじゃ何をお話ししましょうかということを言うと、安保の問題をぜひ話してほしいというような要求がずいぶんございました。それからあとは、お寺でやっていらっしゃるのにも行ったことがございます。あとはちょっと覚えておりません。
  91. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 私、なぜこういうことを申し上げるかといいますと、いろいろな会合がございますが、あるいは片寄っておるようなきらいがあるのではないか。たとえば、私たちの婦人局のことを申し上げて恐縮でございますけれども、世界母親大会、原水協、日中友好協会などの婦人の動きに対しましては、このごろ新たな批判を持っておりまして、極端に右に使われる婦人もございますけれども、極端に左の言う通りになる婦人もあるというところに批判を持っておりますがゆえに、こういうことを申し上げました。失礼の段あしからずお許しをいただきたいと思います。  その次に、大内先生並びに松岡さんからいただきました理論は、非常に理想的でございまして、おそらくこれは保守、革新を問わず、国民のすべてが、こうした理想をこいねがっておると私は思うのです。たとえば、岸政権を長く持続したいというようなドグマに取りつかれておる人でありましても、松岡さんのおっしゃったような理想は、否定しないと思うのです。しかし、この理想を私たちがぶって、大内先生のように、絶対反対を唱えただけでは済まない現実の上に立っておりますので、私は、この現実について公述人から、こうしたらよかろうというところの処理問題を聞かしていただけたら、非常にけっこうだと思っておった。ところが、大長老であり、日本で何人かの優秀な公述者であるところの大内先生からさえも、具体的な案が出されなかったということは、私は非常に失望いたしております。しかし、松岡さんは特に婦人でございますから、もっと違った具体的な、最終段階におけるところの——いやこの安保を通さないという基本理念においては、私は変わらないのです。今なら、通さないという基本理念においては変わりないのですけれども、通さない方法というものが、やはり知的に考えられないと、反対論をぶつたけでは通ってしまうわけなんです。たとえば、具体的に申し上げますと、十六日まで公聴会をいたしますけれども、十七日に帰って参りますと、あと議会はひどいことになる。これはどういうことになるかというと、十六日に公聴会から帰ってから、地方の公聴会を聞いたけれども、二、三カ月もっと審議をする必要があると思う人と、いや、もうすぐ通してもよいという結論の人と、いろいろ出て参ります。そのときに、今までの行きがかりから見ますと、また漏れ承る情報などによりますと、二十日過ぎには大へんなことになりそうな気配もあるのでございます。そこで、松岡さんも御存じだと思いますけれども、そうなりますと、もう委員長席もへったくれもないのです。私たちが法案を置きますこの机の上には、男の議員の方は泥ぐつで上がられるのです。(「それは社会党だ」と呼ぶ者あり)これはどちらとも言いませんけれども、そういたしますと、現実には、数の少ない社会党の議員の方が、いかに力で委員長を阻止し、それからあらゆる知恵をしぼりましても、もう二日目、三日目は持たないわけです。しかもそこへ、いつかも集めたことがありましたが、五千人の警官でも動員いたしましたら、これはいやおうなしに、自民党の附帯決議も、問題にならないで通されてしまう危険があるのではないかと思わなければならない段階にあるのであります。私は、こうしたときに、この間の二十二日のように、議長のあっせんが出て、少なくとも二十日の審議の延長をしたということは、国民の前に得策であったと思います。こういうふうな救済策をもって、原案が通らないように、現実的に乗り越えなければならないという、きびしい現実の前に立っておりますので、一つ松岡さん、独得のシャープな頭で、お考えがありましたらお聞かせいただきたい。(笑声)
  92. 松岡洋子

    松岡公述人 私は一国民でございますから、国会の皆様方が、こうしたらいい、ああしたらいいというようなことを、言う立場にないと存じます。私たち国民といたしましては、一票投票するたけでございませんで、私たちは、請願という権利を持っておりますし、これは義務だと思っております。そして、これについては、私たち力一ぱい請願していきたいと思います。それはすでに五百万からの署名があるということでありますが、私たちは、私たちに与えられたその権利と義務の範囲内で、できるだけ外からの世論を盛り上げるように努めますゆえ、堤さんは、この国会の中でどうか一番いい知恵をお出しになっていただきたいと思います。
  93. 堤ツルヨ

    ○堤(ツ)委員 公述人に聞くことじゃないとおっしゃいますけれども、りっぱな公述人が、やはり建設的な意見を聞かして下さるということが、今の非常に混乱している国会に大きなヒントを与えますので、こういうことを私はお尋ねしたわけです。  その次に、私は福島さんにお尋ねをいたしたいのでございます。いろいろ伺いましたが、この安保体制は、今のところけっこうだ、こういうことたったと思います。この新安保条約から起こるところの、日本国民が恐怖を持っております危険性については、何もお考えにならないかどうか、お触れにならなかったようでございますので、これは一〇〇%安全だと考えての新安保賛成であるかどうか、ちょっとその点を……。
  94. 福島慎太郎

    ○福島公述人 安保条約は、けっこうであると申し上げたことになっております。それでもよろしいのでございますけれども、安保体制けっこうであると申し上げました意味は、われわれのこれから国を立てていく上で、こういう世界情勢のもとにおいては、共産陣営に参加するか、中立主義を守るか、あるいは自由諸国間と一緒になってやっていくか、この三つの道しかないではないか。四つ目は、まだ発明されておらない。従って、前の二つがだめであれば、自由諸国間との協力関係ということに、国の進路を見出すという現在の状態というものが、妥当なのではないかと申し上げたつもりでございます。ほかに方法があればさらに別な案が出てくるかもしれませんけれども、中立主義、共産圏加入では自由諸国家群と一緒にやっていくという方に対抗はできない、こういう意味でございます。また改正されるべき、あるいは改正案として提案されております新安保条約が、日本戦争に巻き込む危険があるかないか、こういう御趣旨ではないかと思いますが、私は、現行の安保条約よりははるかに改善されておるのであって、その意味での危険性は、世界情勢のことでありますからどういう事態が起こるかわかりませんけれども、共産圏に加入するよりは、あるいは中立主義をとるよりは危険性は少ないと考えております。
  95. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に、戸叶里子君。
  96. 戸叶里子

    戸叶委員 時間がないようでございますから、簡単に、単刀直入に質問だけさせていただきたいと思います。  まず、最初に、大井先生に伺いたいと思いますけれども、先生の御意見は、徹底してアメリカの基地が日本にあるために安全だというふうな御意見でございますが、そういうお考えの上に立っていらっしゃるものとして、私は伺いたいと思います。  まず、第一にお伺いしたいのは、日本の場合、戦争への抑制力という場合には、どのくらいの勢力が一番必要であるとお考えになっていらっしゃるか、これをまずお伺いしたいと思います。
  97. 大井篤

    大井公述人 日本としてどのくらい必要かというのですが、私は、それは分けての抑制力を言っているわけじゃありませんので、日本アメリカと適合して、そうして、その日本兵力のみならず、日本の戦略的地位、国力、日本のプレスティージ、威信とでもいいますか、アメリカもそれら全部を総合したものが抑制力だと考えております。従って、アメリカの背後につながる自由陣営全部も、私はやはり関連してくると思います。ただし、日本としましては、私は、大体国力、国情に応じてという自衛力に関しましては、あれがやはり大体のところでありまして、それを国際情勢と見合わせて、国際的な水準を考えながら勘案して持つのが適当ではないか、こういうふうに思っております。
  98. 戸叶里子

    戸叶委員 そうしますと、だんだん科学兵器があちこちで盛んになってくるわけでございます。そうなった場合に、日本の国民を心理的に安心させるような抑制力として、アメリカ日本に対して核兵器というようなものを持ってきてもそれはいいんだというふうなお考えをお持ちになっていらっしゃるかどうか。
  99. 大井篤

    大井公述人 核兵器の持ち込みのことを言っておられるようであります。これはよく国会で議論になりますが、私の考え方を申し上げますと、こうでございます。核兵器の持ち込みを全然させないということをはっきりした方が、日本は核兵器戦争の危険があるという考え方でございます。これは、ちょっとまた心理学的な疑問もありまして、皆さんなかなか問題にされるかと思いますが、これは私のみならず、西欧諸国には私と同じような意見を持っておる軍事専門家がたくさんおります。といいますのは、日本には核兵器が全然ないと仮定しますと、ソ連とか他の国で核兵器を持っている国はあるわけですが、その国は、日本に核兵器さえ持ってくれば一挙に、朝飯前にすぐ取れる、こういう考えがあるわけです。これを使うにしても、すぐ使えるという考え方を持つわけであります。ところが、日本に核兵器を持っていけば、アメリカがこれをまた持ってくるかもしれないぞという不安があると、これはちょっと持っていけないということになる。そこで、日本には核兵器というものはうっかり持っていけないぞ、日本で、たとえば、そういうことのないようにするわけでありますが、日本にそれをアメリカが持っていくならば、核兵器は使わない、従って、これが核兵器を使うということを相互抑制するわけです。日本にゼロであるならば、抑制方が全然ないわけです。そこに核兵器を導入する。いわゆる真空理論というものかここに戦略的に出てくる。これは私は、皆さん方が考えられることとかなり違ったものを持っておりますので、皆さんどうぞ御研究を願いたいと思います。
  100. 戸叶里子

    戸叶委員 今の御答弁では、自民党の方でも大へんお驚きになった方がたくさんいらっしゃるのじゃないかと思います。私は、これ以上この問題を進めませんが、先ほどのお話の中で、一つの例を引いておっしゃいました。たとえばとおっしゃっていられましたが、軍事目標として、アメリカならアメリカが二百、ソ連ならソ連が二百というものを備える、そうした場合に、それ以上のものは余剰になってしまう、だから、そこまではお互いに軍事目標といいますか、そういうものを持っていくことが必要だ、こういうことをおっしゃいました。そこでソ連アメリカも、私の方は今度これを持ったぞ、私の方は今度これを持ったぞということは、おそらく言わないと思います。お互いに秘密でやっておると思います。そうなってくると、どうしても何とかしてあっちの秘密を知らなければ、こっちの方も向こうに達するものを持てないじゃないかというようなことで、この間のU2機というようなものが出てくると思う。U2機というものが日本を基地にして出ていった場合には、どうしてもソ連からそのU2機を追ってきて、基地があるために、このU2機をたたくという名目で日本の基地がやられる可能性がある、こういう場合は、どういうふうにお考えになりますか。
  101. 大井篤

    大井公述人 お答えします。それだからこそ、私は、国際査察というものが自由にできるように願っておるわけであります。それで兵器の進歩、それをよくわからせる。これはすぐわかりますから、お互いにそれがわかって、両方の科学兵器の進歩も科学技術も両方交流されれば、お互いに進歩が同じような背比べになります。それなら同じことだ、そんな競争をしたってだめだということになるだけであります。そこで、これは自然に自己抑制ということで、両方とも軍備競争はだんだんなくなる、やってもかいがないということになる。そこで、私は、U2機というようなものは、これを結果的に見れば、やはり国際査察みたいなものが一つ行なわれていたということであります。それで、結果からいいますと、こういう緊張を高めたということはありますけれども、この緊張を高めたということは、何かしらん、こういう時代に何か外科手術をやった、その結果いい結果が出てくる。だから、これをやったことそのことは、私は手段として感心しません、悪いと思いますけれども、ああいうことをしなくてもいいように、四巨頭会談か何か、これをなるべく早く開くようにしてもらいたい。これは平和を念願する者のすべての共通のことだと思います。  それから、もう一つは何でございましたか……。
  102. 戸叶里子

    戸叶委員 大体わかりましたからけっこうでございます。ただ、大井先生のおっしゃるように、お互いが秘密をなくして、私の方はこういうものを作った、お前さんの方もこういうものを作りなさいという形になって、お互いに自己抑制時代が早くくれば、いろいろな戦争とか、あるいは百米安保条約とか、そんなものは問題にならないわけです。それまでの段階においていろいろな問題がありますから、私たちはここで議論しているわけですけれども、そういう理想の上に立っての議論をしていらっしゃいますし、あなたのお考えの上に立っての議論でありますから、どうもこれ以上進めることはでないように思います。  松岡さんにちょっと伺いたいと思います。各地を安保の問題でお話しになっていらっしゃいますが、そこでよくお受けになる質問は、どういうものが一番多うございましょうか、ちょっと伺いたいのです。
  103. 松岡洋子

    松岡公述人 それは条約のいろいろ技術的なこともございますけれども、安保を勉強してきた人たちから一番受けます質問は、どういうふうにしたら自分たちの意思というものを表示できるだろうか、これがことにこの二、三カ月一番大きな質問となって現われてきております。私たち、もちろん投票はしたのでありますけれども、そのときはこういうようなことを考えてはいなかった、あるいは、この前の選挙のときには安保が焦点ではなかったというようなことから、こうなってしまった現在、どういうように意思表示をしたらよいだろうか。それについては、私は、アメリカにも長くおりましたし、戦後イギリスにも行ってみましたが、アメリカイギリスの人々というのは、国会の議員さんと、それから一般の市民というものが非常につながっているように思います。たとえばイギリスなんかでは、自分の選挙区から出ている議員さんのことをマイ・エム・ピーと申します。つまりメンバー・オブ・パーラメント、自分の議員というような表現をいたします。そうして、自分の選挙区から出ている人たちに、自分たちから考えて正しくないようなことをしてもらいたくないということを、手紙なり電報なり、いろいろな格好ではっきり意思表示をいたします。これはアメリカでもそうでございます。そういったことはまだ日本ではあまりされていないのでありますけれども、ぜひともしていきたい。  それから、もう一つは、請願権であります。これは、私たちはぜひこの際十分に行使して、そうして、自分たちの役目を果たしたい。ということは、国民と議会というものがほんとうにつながっていかなければ、やはりこれは民主主義ではないというような考えをみな持っているようでございます。
  104. 戸叶里子

    戸叶委員 私もアメリカなどの例を見まして、たとえば、税金問題などで奥さんたちがどんどん国会なんかに行くような例も知っているわけでございますけれども、日本もだいふそういうふうな陳情というのが行なわれてくるようになりました。けれども、まだ外国なんかの例を見ますと、婦人の場合は非常に少ないと思うのですが、何かそこを妨げるようなものをお感じになられるかどうかということが一点と、もう一つは、先ほど、よく受ける質問の中で、たとえば選挙などを通して自分たちの意思を表示する、そういうふうなことで、安保も、自分たちは選挙で聞かれたんじゃないんだから、やはりもう一度民意を問うべきだというような意見は強いかどうか、この点も伺いたいと思います。
  105. 松岡洋子

    松岡公述人 その場合に、最初は、請願というのはしなれないことなものですから、それで大へんおっくうだというようなこともあるようでございます。それからまた、署名をするというようなこと、つまり意思表示するというようなことが、何かそれこそ——たとえば、今まで投書したというようなことから警察が調べにきたとか、そういったようなことの経験のある方は、またそういうことをすれば何かこわいことが起こるのじゃないかというような、そういった感じがあるようでございます。ですけれども、この際、何百万もの方々が意思表示していらっしゃるので、そういった妨げになるものはだんだんなくなってきていると思います。  それから、もう一つは解散の問題、これは婦人団体の中ではすでに解散をしていただきたいというような声明を出したところもあります。私の記憶している限りでは、たとえば、YWCAなんかはそうだったと思います。それはやはり私たちの中で、これは民意に問うてもらいたい、つまり、解散はぜひともやってもらいたい、しかし、もし、これが国会の中で皆様方がよく御討議下さった後に、廃案になるというようなことであれは、これにこしたことはないと思います。
  106. 戸叶里子

    戸叶委員 もう一点だけ伺いたいと思います。先ほど福島さんも、アメリカは非常にコンモンセンスのある国だというようなことをおっしゃいましたし、私自身もコンモンセンスのある国民だと思いますし、また、民主主義の非常に発達しておる国だと思います。従って、ほんとうに真剣になって私たちが意見を申しますと、確かに耳を傾ける国民だろうと思います。そういうふうな意味で、今日この新安保条約が国会に初めて出てきたわけです。今まで議論されていても案がなかったわけです。案ができて初めて出てきて、ここでいろいろ議論をしておるうちにだんだん問題点が多くなってきて、世論も、これは今考え直すべきだ、急ぐべきじゃないというような声が強くなってきた。そういうようなことを率直にアメリカに訴えますと、アメリカは聞いてくれるのじゃないかと思います。アメリカの国民性からいって、私はそう思いますが、松岡さんはどうお考えになりますか。  また、事前協議の問題なんかにいたしましても、事前協議があるのだと一生懸命に政府が説明しましても、一般の婦人たちは、何かしら力関係でやられるのじゃないか、たとえば、共同声明なんかでなくて、もっと条文の中に入れればよかったじゃないか、こういうようなことも条文に入れなければ日本承知できないのだというくらいのことで交渉すれば、アメリカだって聞かなくはないのじゃないか、そういう国民じゃないかと私は思うのですが、いかがでしょうか。もっとコンモンセンスと、それから民主主義というものを利用したらいいのじゃないかと思うのです。
  107. 松岡洋子

    松岡公述人 今まで新聞に出ておりましたアメリカの特派員から打ってきたものを見ますと、安保条約について知っておる方は非常に少ないようでございます。私自身も知人が大へんたくさんおりますので、そういう人たちとこういう問題についていろいろとじっくり話し合いますと、むしろ、非常にわかりがよいというのか、そういうようなことならば、自分日本人だったら、やはり反対するだろうというような方は相当おります。これはアメリカの場合には、むしろ大へん現実的にものを考える人たちであるし、それからまた、自分の国の利益というもの、つまり、ごく狭い個人的な利益じゃなくて、自分の国の利害関係、利益というものを非常に強く考えておりますから、たとえば、中国との問題にいたしましても、フォードのような人までが、中国との貿易を早く開始しなければならないというようなことを言っていることを聞いておりますし、それから、ことにアメリカのキリスト教関係の団体、その中でもクエーカーの人たち、こういうような人たちは、こういう問題について一生懸命知ろうとしておりますし、現に、この前キリスト教の方々がここで静かな反対のデモをいたしましたときに、アメリカのクエーカー関係の方が一人加わっていらっしゃったのを私事実見ております。そういうように、アメリカの人たちによく私たちの気持を訴えて、これがどういうことであるかということを知ってもらえば、むしろ、そうしない方が自分たちと日本の国民との友好関係が続けられるというふうに思う人は、非常に多いのではないかと思います。
  108. 戸叶里子

    戸叶委員 ありがとうございました。
  109. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に、椎熊三郎君。
  110. 椎熊三郎

    椎熊委員 ごく簡単に大内先生に一言お伺いします。大内先生は、世にいうところの進歩的学者グループの中の有名な方でありますので、あなたの御意見は、私ども今日非常に参考になると思います。そこで、私、先刻のお話しになりましたうち、一点だけを、さらにもっと明確に確認しておきたいと思うので、お尋ねするのです。それは、憲法九条の解釈でございます。憲法九条の中に、この国会でも、この委員会でも、自衛権があるかないかということは、かなり憲法制定当時からの論議でありましたが、われわれは自衛権はあるのだ、独立国家には自衛権は存在するのだという立場に立って今日まできておるのです。従って自衛隊もできたわけです。大内先生は、本日のお話によると、自衛権はある、従って、自衛権というものもあり得るだろう、けれども、それは海外派兵はやってはならぬのだ、こういうお説のように私は聞きました。そうすると、その先生の御意見は、われわれが十数年来堅持して参りました憲法九条の解釈と全く一致しておる意見なんです。進歩主義の学者の中で、そういうことを大胆率直に明言された人はそんなに多くございません。そこで、私は、この御意見は、ほんとうにあなたのような学者の中に、確信を持ってそういうことをこの席上で断言せられる人があるということは、私どもの旧来の考え方に非常に自信を深めたわけでございますから、再びその点を再確認しておきたいのでございます。御迷惑でございますが……。
  111. 大内兵衛

    大内公述人 お答えいたします。今の御質問の通り、その言葉通り、私は第九条を解釈いたしております。そうして、ただ、もし注釈をつけると、自衛権という言葉それ自身に多少の疑いはあると思う。あるいは解釈の仕方はあると思いますが、日本は自衛する力及び方法を持たなければならないという意味において、第九条はそれを持つことを許しておると思います。しかしながら、反対に、外国へ侵略する軍隊を持つことは許さない、こう思っております。それは私の解釈でございますが、これは私個人の解釈ばかりでなしに、私どもが二年来、しょっちゅう集まって憲法問題を研究しておる、日本憲法学者の多数が集まっておる、その憲法研究会の多くの人がそういう薫見であります。(拍手)
  112. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、御多用中長時間にわたって御意見の開陳をいただきまして、まことにありがとうございます。厚くお礼申し上げます。(拍手)  明日は、午前十時より引き続き公聴会を開会いたします。本日は、これにて散会いたします。     午後四時十二分散会