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1960-02-23 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年二月二十三日(火曜日)     午前十時三十六分開議  出席委員    委員長 小澤佐重喜君    理事 井出一太郎君 理事 岩本 信行君    理事 櫻内 義雄君 理事 椎熊 三郎君    理事 西村 力弥君 理事 松本 七郎君    理事 竹谷源太郎君       安倍晋太郎君    愛知 揆一君       秋田 大助君    天野 光晴君       池田正之輔君    石坂  繁君       鍛冶 良作君    鴨田 宗一君       小西 寅松君    小林かなえ君       田中 龍夫君    田中 正巳君       渡海元三郎君    床次 徳二君       野田 武夫君    服部 安司君       福家 俊一君    古井 喜實君       保科善四郎君    毛利 松平君       八木 一郎君    山下 春江君       飛鳥田一雄君    石橋 政嗣君       岡田 春夫君    黒田 寿男君       田中 稔男君    戸叶 里子君       中井徳次郎君    帆足  計君       穗積 七郎君    森島 守人君       横路 節雄君    大貫 大八君       堤 ツルヨ君    中村 時雄君  出席政府委員         法制局次長   高辻 正巳君         外務政務次官  小林 絹治君  委員外出席者         参  考  人         (一橋大学教         授)      田上 穰治君         参  考  人         (法政大学教         授)      中村  哲君         参  考  人         (前お茶の水女         子大学長民主         社会主義研究会         議議長)    蝋山 政道君     ————————————— 二月二十三日  委員受田新吉君辞任につき、その補欠として中  村時雄君が議長の指名で委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び  安全保障条約締結について承認を求めるの件  (条約第一号)  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び  安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並び  に日本国における合衆国軍隊地位に関する協  定の締結について承認を求めるの件(条約第二  号)      ————◇—————
  2. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これより会議を開きます。  日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約締結について承認を求めるの件、及び、日本国アメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並び日本国における合衆国軍隊地位に関する協定締結について承認を求めるの件、右両件を一括議題といたします。  本日は、まず右両件の審査に関連いたしまして、内閣条約締結権及び国会条約審査権等の問題につきまして、ここに参考人として御出席を願いました一橋大学教授田上穣治者法政大学教授中村哲君、及び、前お茶の水大学学長民主社会主義研究会議議長蝋政道君から意見を承ることにいたします。  この際、参考人各位に一言ごあいざつを申し上げます。皆様にはいろいろ御繁忙のところ、お繰り合わせ御出席を願いまして、まことに感謝にたえません。条約に関しましては、学界方面において種々御議論があるようでございまするが、先ほど申し上げましたような問題点につきまして、何とぞ率直なる御意見をお述べ願いたいと思うものであります。  なお、議事の順序といたしましては、田上参考人中村参考人山参考人順序で、それぞれ約三十分程度の範囲で御意見の開陳を願い、次に参考人に対する質疑を行なうことにいたします。  それでは、まず最初に、一橋大学教授田上穣治君にお願いをいたします。
  3. 田上穰治

    田上参考人 条約修正につきまして、国会が国権の最高機関であるということから、自由に修正ができる、できるだけ国会審議権を広く認めなければならないという御意見を、私も新聞を通して伺っておりますし、また、この点は私も全く賛成でございます。国会最高機関であるから、その審議を十分に認め、ことに政府を監督する、コントロールすることが十分できなければ民主政治は貫かれない、この点は私も何ら疑義をはさまない点でございます。  またもう一つの、初めに申し上げますることは、修正ということが一体結論において承認なのか、不承認なのか。法律案でありますと、修正するということは、原案内容を変更して可決することであります。否決ではなくて可決である。否決でもない、可決でもない、中間の結論というものはないはずでございます。予算につきましても、修正するということは、修正して両院の意見が一致いたしまするならば、結論可決であります。この意味条約の問題を考えますると、承認一つの形として、修正して承認するということがあるのではないか、一応これを問題にするわけでございますが、要するに、これは不承認ではない、そして承認でもないということになると、何のことかわからなくなるのであります。だから、原案をそのまま承認するのではないが、しかし、修正した上でこれについて承認をする、こういうことができるかどうか、この問題につきましてお答えを申し上げたいと思います。  私の結論は、大体御承知かと思いまするが、もし国会の方で修正承認というふうな議決をなさいますならば、それは法理論としては、一応承認否決した、つまり不承認意味であって、ただ、これに加えて、将来しからばどういう条約を結ぶかについての国会希望政府に申し述べる、その意味で、希望意見一種附帯決議があるものと考えるのであります。この点は、しかし、非常に御議論があるところでありますから、理由を簡単に申し上げます。  第一に、政府が、国会のそのような一種修正と申しまするか、その結論に拘束されて、将来再び相手国と外交的な交渉をし、そして国会の御希望に沿うような新しい条約調印するように努力することになると思うのでありますが、しかし、その場合に、修正されたその内容に多少とも違反する、違ったような内容条約調印することはもはや許されない。修正法律的に拘束力を持つといたしますと、原則としては、ほとんど修正内容に従って新しい条約調印しなければならない。また、そういう場合に、将来そういう意味外交交渉を投げてしまう、見送りにして、それにまた、相手国も非常にむずかしいことを言うから、今回の条約は一応不承認だ、新しいものを作れないということが、実はできないのである。法的拘束力があるといたしますと、あくまでも、何年かかっても、国会修正の御希望に沿うようにもっぱら外務省は一本で交渉していかなければならないといたしますと、これは国会が積極的に、将来、内閣の持つ条約締結権権能を代行することになるのではないか。言いかえますると、憲法七十三条で、内閣条約締結する、国会承認権を持つ、この承認権限界を越えるものと思うのであります。言いかえますると、修正でなくて、単純な不承認の場合には、具体的な調印の結果について批准ができない、現実に批准ができなくなるだけであって、自後の新たな外交交渉は拘束されないのでありまするが、もし修正して承認ということが可能でありまするならば、それはかえって単純な不承認よりも一そう政府を将来において拘束することになる、これは権衡を失するのではないか、このように考えるのであります。  それならば、どういうふうに私が結論を出すかと申しますると、むしろ、政府は、そういう場合に、国会修正があるといたしましても、それにかかわらず、自己の責任において、再び新たな内容条約調印することができる、そして国会の方はどうかと申しますると、一事再議適用がありませんから、従って、かつて一たんある修正をつけたといたしましても、それにこだわらないで、むしろ、それとは独立な立場で、また新たに、その第二の調印された結果に対して承認不承認をきめる、こういう、つまり新たな条約調印内容につきまして審議の自由を持ち、承認不承認は、初めの、あるいは今回の条約に対する態度とは一応別個に、自由な立場結論を出すことができる。これが一事再議適用がないということから見まして、また、そういう場合に、新たな国会というのは、今度の国会会期中であるかどうか、むしろ、別の会期の場合もあるでありましょうから、会期不継続というような点から考えましても、将来の会期における国会審議に百パーセントの自由を認めることから見まして、そういう解釈が私は必要だと思うのであります。  これが第一の理由でございまして、要約いたしますると、修正——厳密な意味修正ということになりますと、これは政府の、憲法七十三条第三号によりまする条約締結権を拘束することになって、承認権限界を越えるということでございます。  それから第二の理由は、逆でございまして、もしこのような修正承認ができるといたしますと、これはかえって国会審議権をも拘束することになるのではないか、むしろ私は、この点を特に心配するものであります。と申しますることは、かりに政府が、国会修正されました場合に、そのいわば国会の指示に従って相手国とあらためて交渉し、その同意を得て新しい形の条約を再び調印したといたします。その場合は、いわば停止条件の成就によって当然に承認効果が生ずる。つまり、それは、修正というのが一つ承認でございます。条件付承認でございますから、条件が成就されれば、当然承認効果が生じて、政府は新たに調印された内容について、再び国会承認を求めることは必要がないと思うのであります。憲法では、同じ条約につきまして、二度国会承認を求めよとは書いてない。だから、条件付承認と申しまするか、そういう形でありますると、その条件が成就されれば、もはや自動的にその批准ができるのでありまして、再び国会承認あるいは国会審査をする機会がなくなる。少なくとも、憲法七十三条第三号による審査機会は失われることを私はおそれるのであります。もしそうでなくて、そういう場合には、一応国会としては修正と申しまするか、理想的な条約内容政府に指示し、決議によって政府を拘束し、それに従って外交交渉を行なわせる、こういたします。しかし、その場合に、なおその趣旨に従って政府調印いたしました新しい内容が、はたして最初国会趣旨にかなっておるかどうか、この点を審査する必要がある。今日の政府を私どうこう言うわけではありませんが、必ずしもその通り国会決議に従ったかどうかわからない。表面は従ったといっても、実際には、必ずしもその趣旨をくんでいないかもしれない。だから、やはり慎重を期するには、確定した新しい調印内容につきまして、もう一度国会としては憲法審査権を行使し、承認するかどうかをきめる必要があるのではないか。私は、国会を重んずる、国会審議権を尊重いたしまするから、条件付承認というのは、はなはだその意味においてあぶない。むしろ、政府に、白紙委任とは申しませんけれども、まだ不確定で、これから先方の出方によって、必ずどうなるかということがちょっと言えないような状態で、条件付承認を与えることになるのをはなはだおそれるものであります。要するに、修正議決ということは、承認一種であり、しかも、その修正はもう御承知のように、国会議決のみで確定はしないのでありまして、修正内容は、さらに政府相手国交渉をして、その間に調印——つまり同意が得られなければ効果は実現しない。その意味におきまして、私は停止条件付承認と思うのでありますが、こういう条件をつけて承認してしまうということは、はなはだ国会立場といたしまして、まあ強い言葉で申しますと、危険ではないか。国会が、やはりそういう場合に、一応希望としてこういうふうな条約に作り変えてもらいたいということを政府に述べ、そして、しかし承認はしていないのだ、新しい内容で再び調印された場合に、はそのときに初めて審査をし、そしてこれを承認するかどうかをきめる、こういう態度に出ることが、国会権能を確保するゆえんではないかと思うのであります。要するに、一般に、調印に先だって、条約内容が不確定段階、それから相手がどう出るかわからないという段階において、条件付承認を与えるということは、政府に対する国会承認権を半ば放棄する結果となるのではないかというふうにおそれるのであります、また、議院意思、衆議院なり参議院意思は、御承知のように、必ずしも後の会期に継続しないのでありまして、調印前における、あるいは現在は修正しなければ承認できないというふうな、調印以前における議院意思が、将来本格的に新しい理想内容のものが調印されたときに、そのときの議院意思とはたして同一であるかというと、先ほどから申しますように、常に変わらないとは断定できない。でありまするから、かりに今回、この会期においてある種の修正をつけたといたしましても、その修正内容というか、国会意思が、その次の会期まで変わらないかどうか、この点、その修正内容にもよりましょうが、一般論としては、必ずしもそういうことは言えないのでありまするから、現在は、はっきりと理想案とお考えになるものを政府調印したときに、初めてそれを認めるならば承認ということがあり得るのであって、これから交渉して、そして一定の条件を満たすならば、すでに今日あらかじめ承認を与えておくという意味議決は、私は国会権能を重んずるゆえんではないと思うのであります。  要するに、結論をもう一度申しますると、国会による修正が、その後の条約締結手続において政府裁量権を認めない、初めから答えは一つ結論一つであって、それはただ先方にのんでもらうほかはないというふうな、そういう、きわめて修正内容がきびしいもので、幅の狭いものであるといたしますると、最初申し上げた、内閣憲法第七十三条で保有する条約締結権国会が代行することになると思いまするし、また反対に、修正がかなり幅の広いもので、政府にある程度の、かりに裁量の余地を残すような形といたしますると、これは逆に国会承認権が半ばその実効性を失うことになりまして、いずれも憲法解釈としては正しくないと思うのであります。従って、いわゆる修正議決は、最初申し上げましたように、承認否決ということと、それにあわせて希望意見附帯決議政府に出すものであり、これは法律的には政府を拘束しない、政治的には、もちろん十分に政府は尊重すべきでありますけれども、拘束しない。このことが、政府にとって有利であるのみならず、国会の将来における審議権を確保する意味においても、私は必要であろうと思います。  なお、以上が要点でございまするが、関連いたしまして問題になりました点をちょっとつけ加えますると、先例によりますると、調印前に国会承認を求めたことがあるということでございます。私の今申しましたのは、内容が不確定条約案と申しますか、そういう、将来の条約締結にあたって、事前承認を与えることが国会の有効適切な監督とはならない、政府をコントロールする道ではないと思うのでありまするから、調印前に承認を求めるということは、原則として憲法の精神ではないと思うのであります。しかしながら、御承知のように、この調印書の交換によって直ちに効力を生ずる条約、つまり批准を要しない、これを条約と申しまするか、あるいはこれを区別して、協定のような他の名称によるかはしばらくおきまして、われわれは、批准を留保しない条約というものがあると思うのであります。その場合には、調印後におもむろに国会に出して承認を求めるというのは、常識的に申しまして手おくれになる。だから、もし、そういう批准を留保しない条約につきまして国会立場を尊重するならば、政府として、調印の直前に、しかし、すでに内容はほぼ確定しておる、そういう状態において出すことが許されなければならないと思うのでありまするが、批准を留保する条約の場合には、先例を詳しく存じませんけれども、私の解釈では、これは調印後であって、内容確定したときに初めてにそれを国会がお認めになるかどうか、確定案についての承認不承認ということがありまして、もしこれが修正承認ということになると、実は一応現在調印された内容を御破算にして、そして新しいものを予想し、新しい内容のものができるならば、それに対して承認するという形になりまするから、私は賛成でないのであります。  なお、国会法の八十五条が問題になっておりまするが、八十五条に条約案回付ということがあるために、これがしばしば修正権を認める根拠になっておるようであります。実を申しますと、私は、以上申し上げましたような意味で、憲法修正はできない、修正して可決と申しまするか、承認することは、政府権能を拘束するだけでなくて、国会審議権に対しても非常な制約となると思うのでありまするから、その意味で、一般には認められないと思うのでありますが、しいて申しますと、もうすでに御議論になっておりまするように、条約につき回付案があることを認め、予想しておる。これはあるいは複数の条約を一括して提出した場合の問題のような、あるいはしいて申しますると、一般条約において、あらかじめわが政府特定事項について留保をつける裁量を認められておる、つまり当事国の間で一応了解がある、そういうふうな場合、つまり、きわめて例外的な場合には回付案が可能であると思うのでありますが、おそらく私は、こういう場合はほとんどないと考えておるのでありまして、原則としては、憲法条約承認に関して議院修正を加えることはできないものと考えております。  簡単でございますが、以上、私の概略意見を申し上げさせていただきました。(拍手)
  4. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に、法政大学教授中村哲君にお願いいたします。
  5. 中村哲

    中村参考人 私は社会党推薦参考人ということになっておりますが、経過はそうでありましょうけれども、主張の内容が、現在社会党の、国会において発言しておることと同じであるかどうか、これはまた別問題であります。私は、今、田上教授が言われました論点よりももう少し広い見地から、議会政治はいかにあるべきかということを含めて申し上げたいと思うのです。  もともと条約締結権というものは、十八世紀の末までは、各国において君主の特権であったわけです。これが近代国家においては、議会権限に移行していくという傾向を、示しているわけです。今日、日本憲法で、条約批准に際して議会承認を与えるという制度はそのような民主政治、あるいは議会政治の発達の経過を示しているものです。かつて君主が、国民意思と無関係に条約締結した時代と違って、国民を代表する議会意思によって条約が結ばれるというのは、民主政治にかなったことであるし、現在の憲法趣旨とするところであります。しかし、今日各国憲法が、そういう国民意思を代表する議会そのもの条約締結権を認めていないということはこれは条約締結に際して、国民を代表する議会意思を尊重する必要がないという意味からではなくて、議会議決機関でありまして、執行機関ではない。外国との条約締結に際して、交渉を行なうというようなことが技術上不可能なためであります。このために、民主的な国家であっても、条約締結を行なうのは憲法国家元首であるか、あるいは日本のように、元首ではないけれども、国家を代表する執行機関としての内閣であります。英国においてはそういう元首としての君主でありますし、アメリカフランスドイツ——西独でありますが、これらは大統領条約締結権を持っているわけです。しかも、これらの国にあっては、事実上議会意思を尊重する傾向を示しているということには変わりはないのであります。英国においては、君主が、憲法形式的には条約締結権を持っていますけれども、実際には、議会政府に対する信任、不信任の決議によって政治的にコントロールするということが行なわれて、条約締結に際して議会意思を政治的に尊重するというだけでなくて、法的にも、たとえば法律に抵触したり、財政的資源を必要とする条約に対しては、国会承認を必要とする慣行ができているわけです。ことに、一九二四年、労働党政府は、条約議院に提出する義務のあることを声明し、秘密条約には調印しないという声明をしているくらいであります。これに対してフランスでは、大統領条約締結権について、わが国のように承認という形式をとるかわりに、大統領批准に先だちまして、その大統領条約締結することを授権する法律を制定する形式をとり、そのことによって条約締結議会意思にかからしめているわけです。この場合、日本憲法のように承認という形をとらないで、法律形式をとっているのは、これは条約締結権行政権作用であって、行政権作用というものは、法律に基づいて行なわれねばならないという、憲法近代国家における一般原則に従ったものだと解釈されているわけです。また、西独においても、フランスと同じように、大統領権限によって条約締結されるわけですけれども、しかし、立法事項に関係する条約、これは法律形式をもって立法機関同意、または関与を必要とするといっておりますので、これまた、フランス憲法と同様であります。  そこで、今ここで日本憲法解釈に関連して問題となるアメリカ憲法の場合を考えなければならないわけです。アメリカでは、憲法によって、大統領は、上院助言同意によって条約締結するといっております。これが、わが国憲法七十三条の規定に当たるわけです。わが国憲法では、御承知のように、七十三条の三号によって、内閣が「条約締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会承認を経ることを必要とする。」というふうにいっているわけです。このわが国承認という言葉、これは英文ではアプルーバルという言葉を使っております。アメリカの場合には、先ほどの助言同意と言いましたのはアドバイスコンセントという言葉を使っておるわけです。実は日本憲法の作られるときに、マッカーサー草案と称せられるものが、最初は、このアメリカ憲法と同様な、コンセントという言葉を使っておりまして、これを訳すのに、これは閣議配付案として伝えられているものでありますが、協賛という言葉を使っている。協賛という言葉は、旧憲法において、法律議決する場合の言葉であります。いずれにしましても、このマッカーサー草案最初コンセントという言葉を使おうとした、このコンセントという言葉に当たるものが、日本憲法承認英文でいうアプルーバルに当たるわけです。このコンセントとか、アプルーバルとかいう言葉そのものについて、解釈の相違があるとは私は考えません。それらはいずれも、厳密に言えば、賛成するか反対するか、イエスかノーかということであります。言葉の文字の本来の意味から一言えば、そうであろうと思う。ですから、マッカーサー草案で、コンセントという言葉協賛という言葉に訳したのは、むしろ間違いで、これは同意とか、承認という言葉で訳すべきものでありましょう。ところが、そういう言葉の本来の意味にもかかわらず、アメリカにおいては、上院は、このアドバイスコンセントという言葉の中に広い修正権限を含むものとして解釈しておりまして、そうして一八七〇年以来、最高裁判所はこれを支持しているわけであります。判例によっても、このアプルーバルとか、あるいはコンセントというような言葉同意あるいは承認という言葉に当たるものの中に、実際には修正という意味が含まれているという取り扱いをしているわけです。このことは、アメリカにおいても、議会政治の大きな立場から、ただ同意という言葉だけをとらえて、その言葉じりだけにとらわれた議論をしているのではないということを意味すると思います。  アメリカの実際の例を見ますと、一七八八年から一九四四年までの条約の統計において、千四十七件結ばれました条約のうち、修正の行なわれなかったものが七百五十三件、そして、まさに、今この国会で問題になっているような修正の行なわれたものが百六十七件であります。従って、修正も行なわれるということが、決して例外的な現象ではないということです。拒否された件は十四にすぎません。従って、拒否するまでに至らない場合には、修正という形で、周り民の意思を代表する議会が、条約締結に対してその国民の声を反映さしているわけです。  アメリカ条約締結の手続を大ざっぱに言いますと、まず最初に、どこの国でも行なうようにネゴシエーション、すなわち、交渉あるいは商議ということをするわけです。これは、しばしば国会決議に基づいて、最初から行なう場合もあるとされています。このことが、あるいはアメリカ憲法にいうアドバイスという言葉の入っている意味ではないかとも思われるわけでございますけれども、しかし、このアドバイスコンセントという言葉のうち、アドバイスということは、それほど行なわれているわけではないようであります。そうして調印の後、上院同意を求めるわけですが、その同意を求めた場合に、上院修正意見を出しますと、これを加えまして、そうして条件付同意する場合があるわけです。このように、条件付同意を与える、つまり、日本憲法でいえば、条件付承認を与えたという場合には、政府は再び相手国と再交渉をする場合があるし、また、この条約締結権を持っている大統領は、この条約案を廃棄することもあるわけです。  ここで注意しなければならないと思いますのは、修正という条件付承認が出た場合でも、条件付承認不承認であるというようなことを、これまで政府筋では言ってきておるのではないかと思いますが、しかし、アメリカにおいて、条件付承認が出たからといって、それは不承認なんだという取り扱いをしておるのではなく、これは率直に条件付承認として相手国交渉しているわけです。そういう意味において、私は、条件付承認不承認であるという解釈をするのは、どういう意図で言われておるのか、その趣旨を理解するのに苦しむものであります。というのは、条件付承認は部分的承認であって、それは、ともかくそういう形で、国民を代表する国会承認するんだ、こういう意思なんだ、それを、そういう条件がつけられたなら、これは不承認だといって黙殺するというのであれば、政府が、国民意思を反映する議会を無視することになると私は思う。  話題を変えまして、一体、条約締結権というものはどういう性質のものか。普通は行政権の中に加えられておるわけです。ところが、これは日本憲法の七十三条の三号に、条約締結権というものが内閣の行なう行政権の範囲に含まれてはいるんですが、しかし、この七十三条の言葉を見ますと、一般の行政事務というものと区別した、特別な行政事務であるということがいわれておるわけです。このことは、行政という概念の中で言おうとするから、一般の行政事務と違う、特別な行政事務だということになりますけれども、本来、条約締結するというようなことは、単なる行政権ではありません。旧憲法においては天皇の大権とされていたことでありまして、いわゆる狭い意味の行政に対する政治——政治学的に言えば、文字通りの政治であって、法律に基づいて形式的に——ただ形式的にといいますか、補足的に事務を行なうというような意味の行政ではない。従って、この条約締結ということは、憲法上の概念で言えば、いわゆる統治行為という概念にも当たるわけで、先ほどの砂川裁判の最高裁の判決においても、条約の問題というものは、高度に政治的な問題であるということを言い、また、統治行為という概念が、日本憲法の上にまだ固まってはいないけれども、言うなれば、統治行為といわるべきものである、こういうことを言っているわけです。従って、こういう条約を結ぶというのは非常に大きな政治の問題、まさに国民の権利義務に関係し、国民の生活に関係し、ことに安保条約のように、平和の問題に関係し、日本国民が下手をすると戦争に巻き込まれる、こういうふうな大きな問題、これは単なる行政の概念においてとらえべきものではないのです。ただ、憲法は一応三権分立という建前をとっていますから、無理に入れるとすれば行政であるけれども、七十三条がいっているように、単なる行政でなく、一般の行政事務とは区別しておるわけです。そういう条約締結ということを一体だれがするかといえば、内閣が組織論的にやっておりますけれども、実際には、これは国民の生活に一番大きな問題、日本国家の存立に一番大きな問題でありますがゆえに、これは国会意思でやるべきものでなければならない。憲法の四十一条は、御承知のように、国会は国権の最高機関である、また唯一の立法機関であるということもいっておるわけです。従って、この国会意思というものが条約に反映しないで、それが修正という形であろうと何であろうと、反映しないで、外国とすでにそういう交渉をしたからといって、そうして、こまかな論議を尽くさないような形で、たとえば議案を一枚の紙きれとして出してきて、条約内容については、これを付属文書として片づけるというようなことを行なうということは、これは国会が国権の最高機関であるという本旨に私は反すると思うのです。  また、国会は国権の最高機関であるというだけでなく、国会は唯一の立法機関であるということをいっておるわけです。この点については、もちろん例外はあります。たとえば最高裁が規則の制定権を持っておるとか、あるいは地方公共団体が条例制定権を持っておるとか、また、こういう議会そのもの議会規則を制定するというような、国会自身が唯一の立法機関であるといいながら、他の機関に立法の権限を認めておる場合もあります。しかし、これは最高裁の規則にしても、地方公共団体の条例にしましても、それぞれ限界のあることである。地方公共団体の条例というものは、法律の範囲内で、しかも地方公共団体の事務の限界の中に限られておる。最高裁の規則制定権といっても、これは訴訟に関すること、司法に関することに限られておる。議会規則は議会の内部のことに限られておる。しかるに条約というのは、これは先ほどから申し述べますように、単なる行政ではなく、いわば立法的な要素を含んでいるから、まさに立法であります。その立法的な要素を持っておるがゆえに、私は単なる行政権ではなく、統治行為とも言ったわけでありますけれども、そういう立法が国会と無関係に行なわれるということになれば、全然無関係というわけではなくても、国会意思を中心としてきめられるのでなく、単に内閣の処理によって行なわれるというのであれば、国会が唯一の立法機関であるということも矛盾してくると思う。この条約内容というものは、最高裁の規則や、また条例などと違いまして、あらゆる範囲にわたり、しかも国民の生活、いわゆる法規といわれるような、国民の権利義務に関することに関係し、また国家に関係することを規定する、こういう問題を国会が可能な限り自主的に審議していくというのは、当然であると私は思うのです。  また、承認という概念そのものでありますが、承認という概念は、同時に不承認を予想するわけです。承認するということは、承認しないという場合があるからこそ、承認ということをいっておるわけです。ところが、部分的に承認するという意味修正は、全面的に承認しないということから比べれば、そこに出されておる条約に対しては、一部あるいは大部分肯定することでありまして、これは、そこで国会審議にかけられておるその趣旨を生かすことになると思うのです。従って、全面的な不承認ということを可能とするならば、なぜ部分的な承認がいけないのか。全面的不承認という概念の方が、部分的な承認ということよりも、もっと極端な場合であります。そういう意味から、私は、そこに提出された条約文を、一部を削減して一部を承認するという、そういう部分的承認、言いかえますと、削減承認というか、あるいはマイナス承認というか、こういう場合は、これは当然認められていいことだと思います。ただ、条約というものの性質上、一部分を訂正するといっても、それは全体の体系の中で書かれておるものであるから、相手方と交渉する必要はあります。これは交渉すればいいのです。交渉するのはめんどうだから国会は黙っておれというのでは、国会審議権を侵すことだと思います。  このマイナス修正の場合は問題はありますが、もう一つ問題となるとすれば、修正によってある新しい条項を加える場合であります。これが実際には法理論として問題になると思います。よく修正といわれておる言葉の中に、どういう意味修正があるか。部分的修正修正というのならば、これは問題ありませんが、新しい条項を加えるという場合の修正、これは確かに問題になることを私は認めます。それは一つには、新しい条項を加えるということになると、この部分について、内閣の持っておる条約締結権と、ある場合に矛盾するように、議院の方がその増補する部分について発案することになるわけです。そのことが、条約締結権という概念と矛盾しないかどうかということであります。しかしこのことも、私は大局から見て、国民意思を反映して、そこに国会が積極的な修正意見を出してくるということが事実あるならば、これを取り入れるということが、まさに憲法のいう民主主義の要求であると思う。従って、そういうことを、狭い見地から、内閣条約締結権のうちに含まれておる発案権に抵触するということだけで問題にすることは、私は、議会政治のあり方として末梢的であると思う。  それからもう一つは、条約内容が、すでに調印の後ある程度きまっておる。そこへ持ってきて、審議の途中で新しい条項を加えるということになれば、これは全く新しい異質のものをそこに加えることになる。いわば条約交渉から、調印から、そして今や国会審議にかけられた、そういう過程を経て、いわばマラソンの場合には、到達点のまん中くらいに来ているのに、そこへ選手がいきなり横から入ってきたというのと同じような意味で、増補されようとする部分というのと、それから本来の条約文とは、質が違う、こういうことの不自然な感じ、これは否定できないと思うのです。しかしこの点も、そういう不自然さを解決するためにはその増補されようとする部分について、それをそのまま内閣はうのみにして、そして批准をしてしまうというのではなくて、なおもう一度、これはマラソンと違いまして、戻って外国と交渉して、そしてそこの増補されようという部分について、同じ質のものとして、全体として条約内容国民意思に沿うたものにするという余地があるのでありますから、形式的に、横合いから審議の途中で新しい条項が加わって、異質的なものがそこに加わったといって済ます必要はないと思う。また、アメリカの場合でも、各国の例でも、そういう積極的な修正条項、プラス修正ともいうべきものが出てくれば、それを理由にして相手方とちゃんと交渉するわけなんです。相手方と交渉しないのだとか、相手方と交渉をするのは面子が立たないとか、あるいはアメリカ側とそういうことをするのは今さら大へんだとか、そういうよけいな考慮をするのではなくて、そういう問題が現に国会において出てきたならば、これはそれを国民意思として、逆に国際的に日本の主体性を持って発言して、そうしてほんとうに国民意思に合致したように条約を作るべきであると思うのです。この点について、もし現在いわれております議論の中に、そういう修正条項というものは、附帯決議としてすればいいのだ、こういう議論もあるようであります。これも私は一応もっともだと思います。ただ附帯決議の場合には、法的拘束力を直接には持たない。そういう意味において、附帯決議として認めることによって、国民意思を反映した条約修正をしようという場合に、それが政府にちゃんと反映しないで、そして条約文が、ほんとうに国民希望するようにもしならないというようなことになるとすれば、そういう理由をもって、逆に私は附帯決議という方法でやることについては、反対するわけです。しかし、附帯決議という形でやっても、政府はそれに対して十分尊重する、そういう慣習を今後確立する——憲法問題は、単なる条文の問題ではありません。つまり、国会を背景として、慣習をそこに確立しなければならない。そういう場合に、附帯決議があればそれを十分尊重する、こういう気持を国会全体が持ち、あるいは内閣がそれだけの態度を示すならば、私はこれは次善の方法としていいと思います。     〔発言する者多し〕
  6. 小澤佐重喜

    小澤委員長 御静粛に願います。
  7. 中村哲

    中村参考人 憲法解釈というものは、単なる法律解釈だけではありません。憲法は、普通の民法や商法と違いまして、国家の問題を取り扱い、また政治の問題と接触します。そうして憲法というものは、実際の条文だけでなく、どういうふうに慣習を作ることによって国民の生活が幸福になるかということで、たとえばイギリスの憲法のごときは、条文はなくてもそういう慣習を確立していくわけです。そういう慣習を確立していくということがちゃんと行なわれるならば、こまかな法律論はいいといってもいいわけです。  大体これで終わりますけれども、次に、この七十三条の三号にいう事前あるいは事後という概念であります。この点については、現在政府の取り扱いも、また各党の取り扱いも、そうではないかと思いますが、批准を境として事前事後をきめているように思います。批准というよりは、もう少し正確に言いますと、批准書の交換による条約締結効果が現実に生じたとき、これを境にして事前と事後をきめているようであります。しかし、これは憲法の条文の文字づらだけからいえば、七十三条の三号は、内閣条約締結することと書きまして、そのあとに続いてすぐ、事前あるいは事後といっているのでありますから、これは締結を基準としているように見えます。しかし、私の個人の考えでありますけれども、むしろこの事前事後というのは、普通世間で考えるように、調印を基準として考えた方がいいのではないかという意見を持っております。それはなぜかと申しますと、事前事後というのが、条約というものに関して事前事後ということを言っているのであって、条約締結に関して事前事後と言っているのではないと私は考えます。条約についての事前事後といいますと、条約文の内容確定するというのは、実際のところ調印であります。このことは、国民のだれも感じていることだと思う。そうすると、その事前というのは、条約条約として一応内容確定する、その調印のときを境として見るべきだと思う。そこで私は、事前あるいは事後という場合には、調印前においてもできればやるべきである。現に安保条約も、条文内容のごときは政府意見では、調印するまではわからないというけれども、あれだけ新聞に、ほとんど現在の条文と同じものが発表されていた。そうだとすれば、そのときになぜ国会審議を尽くさなかったか。もしそのときに尽くしていたならば、そこで修正するといっても、修正したらば、外国とも交渉済みであるから、またそこで交渉することが大へんであるというようなことは、起こらない。ですから調印前に、そういう大本、基本について、国会承認を求むべきであったと私は思う。そして事後という場合は調印後のことと考えていいのではないかと思う。現在第三のケースとしまして……。     [発言する者多し〕
  8. 小澤佐重喜

    小澤委員長 静粛に願います。
  9. 中村哲

    中村参考人 批准の後においても事後承認ということがあり得るように考えて、政府はその点非常に混乱した取り扱いをしています。つまり、調印前と、調印批准があるまでと、批准のあとと、この三つのケースを実際に行なっていて、しかも事前事後と言っている。非常に混乱している。私は批准後の承認ということは、意味をなさないと思う。なぜかといいますと、憲法の九十八条は、別に、締結された条約は誠実に順守しなければならないということをいっている。ところが、締結されてしまったあとで承認を受ける場合に、その九十八条の条文と抵触しないかどうか。九十八条は、締結されてしまえばそれは従うべきであるのだということをいっているのです。そうすると、一体、国会審議権とどういうふうに矛盾するか。従って私は、どうしても国会の自由な審議権ということを確保する意味においても、また国民の要望でもあると思いますが、調印前にやるか、調印批准までにやるかという、二つの方法があるというふうに考えます。  それからもう一つ国会法の八十五条の件でありますが、これも立法者の趣旨は、まさに部分的修正を認めたものであります。そう以外には考えられない。フランス憲法は、先ほど申しましたように、国会法律によって、大統領条約締結の授権をするわけですが、この場合、その法律審議に際しては修正は認めないという、そういう議院規則を設けております。これは積極的に、フランス議院規則においては、修正を認めないということが明示されている。しかるに、日本憲法を実現する、憲法に伴う基本法であるような国会法においては、その憲法趣旨を受けて、修正を積極的に認める条文を八十五条へ入れている。こういう条文がありながら、修正はできないのだということは、私は大きな間違いであると思います。  以上、私の大体の趣旨は申し述べました。(拍手)
  10. 小澤佐重喜

    小澤委員長 次に、前お茶の水女子大学学長民主社会主義研究会議議長蝋政道君にお願いをいたします。
  11. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 参考人として意見を求められております問題は、条約締結権条約審議権、つまり、内閣国会との権限に関する問題でございます。この問題につきましては、新憲法が制定せられました過程におきましても、今日のような事態を十分に予想した論議は見当たらないのであります。また学者の意見も、そのテキストブックなどが書かれましたのは大体数年前でありまして、私の想像ではございますが、おそらく今日の日本憲法学者のいずれも、今日のような事態を予想してその論議を進めているとは考えられない節があるのであります。また、新憲法が施行せられまして以来の先例と申しましても、その重要性におきまして、今日の当議会が当面せられておりますような問題を処理するに足る重要性を持っている先例はないと思います。従いまして、国会といたしましては、十分にこの重大な問題について審議せられまして、統一ある見解に到達せられんことは、私ども憲法の問題を重要視する国民の一員としまして、深く希望するところでございます。そういう趣旨から、私の意見も多少なりとも参考にしていただきたいと思うのでありますが、前二人の参考人意見と重複する点もあるかと思いますが、一応用意して参りました意見でありますので、その点御了承願いたいと思うのであります。  私の論点は数点ございますが、第一の点は、条約締結ということであります。この締結という文字は、かなり伝統的な、わが国に使われた文字でありますけれども、これをわかりやすくいえば、条約を作るということであります。英語ではトリーティ・メーキングあるいはトリーティ・フォーメーションという言葉が、広く世界的に用いられておりますが、これに該当するものと私は考えております。ところで、その締結権限は、行政権の主体である内閣一つの義務とされているのであります。そこからおそらく内閣条約締結権という概念が生まれたのであろうと思いますけれども、しかし、締結ということが、条約を作る、つまり、効力のある条約が作られるという全過程を意味するものであるとするならば、いわゆる七十三条のただし書きの趣旨は、非常に重要であろうと思います。すなわち、国会審議権という問題が、そこに必要欠くべからざる要件としてあるわけであります。  一体、条約締結の全過程を考えてみますと、これは多くの学者が世界的に共通の意見であろうと思いますが、国際法学者を含めまして、二つの段階があるのであります。第一の段階は、いわゆるネゴシエーションとシグナチヤを含めた、いわゆる交渉から調印までの段階を、第一段階とすべきであると思います。それから調印から批准に至るまでの段階が第二の段階であります。この二つの段階をもって、条約締結ということは終了するのであります。そこで学者によりましては、第一の段階行政権の事務であるけれども、第二の段階国会の任務である、こう截然と区別しておる議論もあります。有名な米国の憲法学者エドワード・コールウィンの本の中にも、そういう説が紹介されております。しかし、これは少し極端でありまして、二つの国家機関が、全く一つ一つ段階を受け持つということは考えられないのであります。要するに、この二つの段階をもって終了するところの条約締結については、行政権も立法権も、また行政機関も立法機関も、協力してその問題の解決に当たるべきであるという趣旨でなければならないと思います。その意味におきまして、その第二の段階に主たる任務を持ち、権限を発揮すべき国会権限というものはどういうものだろうか、いわゆる国会承認権承認のための審議権というものの本質は、何であるかということを考えなければならないと思います。  この点について、私は、国会の議案に対する権限というのは、御承知のように四つあると思う。一つ法律案、第二は予算案、第三は条約案、さらに第四は一般決議案であります。この四つの議案に対する国会権能の基本的な権限は、少しも異ならないと思う。法律案条約案との違いを強調されておるのでありますが、それは私は後段に述べます。しかし、それは特別の事情があるだけのことであって、議会権能といたしまして、この議案に対して議会権能に差別はないと私は考えておるのであります。その理由を少し考えてみますと、なぜ条約案について国会権能を認めたか、承認という文字ではありますけれども、新憲法がこれを認めた理由を少しく考えてみますと、私は、大きく分けて二つあると思う。一つは、やはり新憲法がその前文に申しておりまするように、主権の所在する国民というものを非常に重要視いたしまして、その代表者であるところの国会地位を非常に高めておる。これが四十一条に表われて、いわゆる国権の最高機関となっておる規定であると思います。特にその前文におきまして、政府の行為によって、いわゆる戦争のような惨禍を再び繰り返さないようにと、こういうようなことが前文にうたわれておることを考えますと、ここに行政権というものだけで条約締結がなされる、たといそこに承認ということがあるにしても、もっぱら行政権立場条約締結を考えるということについては、いささか、私は、この前文の趣旨をよくわきまえないきらいがあるように思うのであります。  いま一つ理由は、もっと国会にとっては身近な問題、すなわち、立法権の行使に関係するのであります。申し上げるまでもなく、また、皆さんが、これからたくさんの関係法律——この条約承認に伴いまして、あるいは発効に伴いましていろいろの立法をこれからなさらなければなりません。その立法の根拠をどこに求めるかという問題が起こってくると思います。それは母法であるところの安保条約とその行政協定の二つから発生するのであります。それが各般の、各種の国民生活にわたり、国民の権利義務及びその行為を拘束することになる法律の制定にあたりまして、何を根拠として審議されるかということになりますと、どうしても、それが憲法の命ずるところに従いましてその権限を行使する場合には、この条約憲法違反でないか、あるいは既存の法律とどのような関係に立つのかというような、種々なる点に考慮を払わなければならないと思うのであります。そういう点から考えますと、どうしても、ここに単に条約締結に関して承認を求むるの件という形式意味するところはいろいろあると思いますけれども、それだけで足りないことはあたりまえなのでありまして、やはり国会は独自の権能を発揮いたしまして、独自の立場から、あらゆる方法を用いてこの議案に対処しなければならないものと思います。すなわち、そこには、言うまでもなく、全面的に賛成する、全面的に承認する、あるいは全面的に反対するという、きわめて明白な立場があります。しかし、その中間におきましても、あるいは部分的に修正するという、修正権という問題もあり得ると思います。また、修正ではないが、留保をする、アメンドメントではないが、リザーべーションをする。これはアメリカ議会の用語でありますが、これもまた、わが国においてもあり得ることであり、また先例もあることと思います。そこで、この四つの方法のいずれを用いるかは、これは議会自身の判断すべき問題でありますが、憲法として国会に与えた権能は、このいずれを用いても差しつかえないということではないかと思います。  そこで、問題になります点は、一体、修正をすることが法律案のような場合とは違うのだ、条約の場合において修正することは不可能である、できないのだ、こういうことが論議されたようでありますし、政府の見解もややそれに近いように私は新聞で拝見し、会議録で拝見いたしましたが、その理由を少し考えてみますと、ここに一つ大きな問題があるように思うのであります。つまり、調印という段階におきましてこの条約審議一つの展開を見ます。それはすなわち相手方、相手国意思が加わったということであります。従って、その相手国意思の加わった条約案なるものに対して単純なる修正は加えられないじゃないか、すなわち、普通の法律案の場合における修正というのは、直ちに効果が発生する、しかし、条約の場合であると、相手方の同意がなければできないことであるから、それは普通の意味における、法律案意味における修正とは言いがたい、だから認めないのだ、こういうロジックのようでありますが、そこに少しく飛躍があると思うのです。行政権立場から、おそらく当然な、また、希望すべき見解であろうと思いますけれども、私の考えでは、国会立場がどう考えるかにあるのであって、行政権立場ではありません。問題は、つまり、相手方の同意を必要とするがゆえに、どうも修正は困る、すなわち、相手方の同意を待って初めて効果を発生するようなものは、通常いうところの修正ではないのだ、こういう議論は、何のためであるかが私には理解できない。理解し得る点は、行政権が便宜的にそう考えておるというしかないと思う。技術的に困難のあることはわかります。場合によっては、政治的困難を生ずるかもしれない。だが、国会としては、別の根拠から、どうしてもこれを修正しなければならない、あるいは留保をつけなければならないと感ずることの方がより重大だと思うのです。そして、その見解を、国会国会意思として行政府に通ずる場合、行政府にとってはそれは事実上否決と同じようになると、こう考えても、それは行政権の見解にすぎないと思います。その点が、どうも便法論と行政権立場との、あるいは行政権だけの見解とが混同されておるように見えますので、この点、私も十分まだ研究した見解ではございませんけれども、若干その点について、そういう行政権的な立場から、法律案と違うのだという意見については、納得し得ないのであります。  そこで、私は、問題としてよく議論されて、——これは米国の議会議論されておる点でありますが、修正と留保との違いの問題、なぜそんな二つの、結果において同じような、ことに行政権立場からいうと同じ結果になるようなことにどうして違いが生ずるのか、また、そういう区別をして使うのかという点が非常に微妙だと思うのです。それは私は、やはり国会立場から出てくる見解だと思います。すなわち、修正ということになりますれば、条約そのものが変更されるのでありますから、新たなる提案となります。行政府にとりましては、それをもって新しい交渉を再開しなければならないのです。ところが、留保ということになりますと、それは政府だけを拘束、行政府だけを拘束するのであって、相手方を拘束するものではありません。そういう違いがあるので、場合によっては修正といい、場合によっては留保ということになるのではないか、こう考えております。現に非常におもしろい例は、例のベルサイユ条約における米国議会の問題であります。最初に外交委員長のロッジ氏がたくさんの修正案を出しました。しかし、これはやがて反対を受けましてその修正をだんだん改めまして、最後は、いわゆるフォーティ・ポインツという、ウィルソンと同じような工合いのフォーティ・ポインツに留保条項をつけた。そして、それが最後に国会上院を通過したのであります。ただし、米国は非常に少数党を尊重しております建前から、三分の二の多数を必要としますので、三分の二に達しませんために、条約案否決ということにはならなかったのであります。しかし、有効としての承認もなされたわけでもありませんで、大統領にそれは突っ返された。そういう大きな修正、いわゆる留保条項がついておりますと、特に連盟規約第十条のような、例の出兵の問題でありますが、そういう重要な条項に対して、国会承認を必要とする、こういう大きな留保条項がついておりましたのでは、そういう連盟の機構は非常に弱体化するというおそれがあるので、とうてい大統領としては承認できない、こういうわけで、これは廃案になった。アメリカが結局国際連盟にも入らず、すなわち、ベルサイユ条約を否認したということになる経緯の問題であります。  そこで、修正ということと留保ということの間には、政治的に見ますと非常に微妙な問題があって、いわば、強い留保ですと修正と同じような結果になるのでありますが、しかし、考え方としては、あくまで、修正条約そのものに関する新提案である、留保、ただ行政府を拘束するだけだ、こういう違いがあるということは非常に興味のある点ではないかと思います。いずれにいたしましても、私は、国会といたしましては、この条約承認にあたりましては、その権限として、あらゆる権限一般議案に対する権限と同じくあるのだ。ただ、そこに法律案と違う点、純然たる国内法と違う一点を考慮しなければならない。それは決して議会権能を制限するものではないのです。議会みずからが、それについて自粛しなければならない問題にすぎないと私は考えております。  たとえば、批准ということであります。批准をするかしないか、つまり、承認をしなければ批准をしないことになるのでありますから、批准をするかしないかは承認をするかしないかと同じことだと思うのです。そういう、いわゆるこの国会などが承認憲法上は言っておりますけれども、批准国会だといわれておるのはその意味だと思う。いわゆる憲法にいうところの批准というのは、大へん古めかしい言葉で、背の元首が儀礼的に行なったのを批准というのであって、事実上は、国会承認をもって批准になると見て差しつかえないくらい重要な内容承認が持っておると思います。そうした場合において、批准ということは一体国会としてどう考えるかというと、つまり、批准がなされない場合におきましても、国会としては、それに対して何ら左右されると申しますか、影響される点は、法律的にも道徳的にもないと私は思います。なぜないか、なぜ道徳的にもないかという問題は非常に微妙だと思います。やはり古典的な慣習だと思いますが、いわゆる全権団というものが、出ておる。つまり、昔の元首の全権を帯びて外国に使いして調印署名してきた、そういうことに非常な重要性を行政府立場から考えるわけです。しかし、国会としては、その条約案内容確定したかどうかということについては大きな違いがあり、相手方の意思が加わっておるということについても大きな変化がありますけれども、それを承認するかいなかということについては、全権団が何をしてきょうが、それは何ら拘束されないと思います。ここに大きな問題がありまして、国際法学者でも有名なリアリイ教授は、ラティフィケーションということは、それは決して、法律的にも道徳的にも、全権団が署名調印したからといって何も拘束されるものではない、ただし、批准が行なわれなくなったということは、国際的に大きな問題が起こるのだから、軽々しくやっては困る、そういう問題だということを、このリアリイ教授の国際法はスタンダード・ワークの一つとしており、われわれはそれを金科玉条として見ておる本でありますが、そういうことを書いているわけであります。そういうようなわけで、今、国会がその権能のいかなるものを行使するかということは、十分判断していただかなければなりませんけれども、その審議権に制限があるとは、私は考えていない。条約案であるがゆえに制限があるとは考えていないのであります。その審議権を行使することについては、慎重な考慮を払わなければならないと思いますけれども、ここに何らの制限がない。これこそ、新憲法国会に期待しておる点であり、国会に対して付与した権限解釈であると私は考えておるのであります。  以上、簡単でありますが、一応これで終わります。
  12. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これにて参考人の御意見の開陳は終了いたしました。     —————————————
  13. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これより参考人各位に対し質疑を行ないます。質疑の通告があります。これを順次許します。鍛冶良作君。
  14. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 まず、私は、田上教授に承りたいと思います。よくわからなかったからかもしれませんが、もう一応確かめておきたいことは、修正承認ということは、法律的に不承認である、単に国会希望を述べる、附帯決議ともとれるというように聞こえたのですが、そういう意味でございますか。
  15. 田上穰治

    田上参考人 先ほど、そういうふうに申し上げましたその通りでございまして、附帯決議と私は申しましたけれども、国会意見政府に対して表明することは、もちろん最高機関でありますから自由でございます。ただ、それを修正というふうに受け取ることは、かえって国会審議権を将来において拘束することになる、そういう解釈におきまして、これは修正というべきではない、さように申し上げたわけであります。
  16. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうしますと、附帯決議でありますから、いやしくも国会決議であります以上は、これを尊重すべきことは当然でありまして、法律上、これに拘束を受けるということはないものと解釈いたしますが、その点はいかがですか。
  17. 田上穰治

    田上参考人 その通りに存じております。政治的に政府を拘束する、しかし、この政治的な拘束ということはきわめて重大なことでありまして、その意味で、最高機関としての御意見政府が守らないと政治的な責任を追及される、こういうふうに考えております。
  18. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 政治的な責任はありましょうが、それを無視して批准いたしましても違法ということにはなりませんか。
  19. 田上穰治

    田上参考人 それは、憲法上の承認がなくて批准するわけでございますから、憲法違反でございます。ただし、憲法の字句としては、事後の承認というあいまいな、幾分不明確な表現でございますから、解釈上、なお、もう一度批准後にさらに承認を求めるという理屈もあるかと思いますが、これは私の解釈では、きわめて例外の場合でありまして、ただいまの御質問に対しましてはまず九分九厘まで憲法違反と考えております。
  20. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 ちょっとふに落ちませんが、政治上の責任があることは先ほど確かめた通りであります。しかし、法律上の拘束はない、こういうのですから、あとで政治上の責任として追及せられることはありましょう。しかし、その条約法律に違反してやったことにはならぬと思いますが、これはどうですか。
  21. 田上穰治

    田上参考人 ただいまの御質問、はなはだ不用意に伺いまして失礼申し上げましたが、今のは修正でなくて、私の解釈では、これは附帯決議と考えるのでございますが、それならば、それに違反した場合には、もちろん法律的には何ら違法でないのでございますけれども、しかし、今の御質問はただ不承認不承認であって附帯決議がついているというふうに私は考えておりますので、まだ承認を得ていないから批准はできない、こういう意味でお答え申し上げたのでございまして、もしそうでなくて、どういう御質問になりますか、ただその附帯決議に違反するということだけであれば、何ら違法でも違憲でもない。しかし、前提が不承認であって、附帯決議というふうに考えますと、要するに承認がないのでございますから、批准憲法上不可能である、こういうことを申し上げたわけでございます。
  22. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこをはっきり言ったつもりですが、普通の場合は、修正をすれば、それは不承認であると認めなければならぬ。ただし、附帯決議を付して認めるということは、承認附帯決議をつけたものだ、こう見るつもりだから、法律上における拘束はないんでしょう、こう聞いた。法律上の拘束がないならば、政治上の責任は残るかもしれぬが、違法というわけにはいきますまい。私は、当然のことと思いますが、だめを押したわけです。
  23. 田上穰治

    田上参考人 はなはだ御質問を不用意に伺いまして申しわけございませんが、今の最後のお言葉でございますると、もちろんこれは合憲でございまして、憲法違反はもちろん、違法という問題も起きないと存じます。
  24. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうしますと、当然のこととは思いまするが、今よく言われておりまする条約に対する修正権があるかないかという問題ですけれども、結局は、修正権というものはないという御結論だろうと思いますが、いかがですか。
  25. 田上穰治

    田上参考人 修正権はないという考えでございます。
  26. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 一応田上さんには、これで終わります。  次いで中村先生にお伺いしたいのですが、先生は、おっしゃるうちに、だんだん変わってきましたので、はっきりしないから、最初の方から承っておきたいと思います。十八世紀までは条約締結権は皇帝にあった、しかるに、その後だんだん変わってきて、現在は締結権議会に移行しておる、こういうお話でありました。移行という意味ですが、だんだん議会を尊重しておるという意味ならば私は聞こえますが、移行しておるということになると、これは議会にのみあって、ほかにないということに聞こえるのですが、この点はどういうお考えでしょうか。
  27. 中村哲

    中村参考人 近代国家の歴史を見ておりますと、近代の初期には、君主である元首条約締結権を専断的に持っていたわけです。ですから、君主の特権とさえも考えられていたわけです。それが、そういう条約締結というような大きな問題は、国会意思を尊重してやるべきであるということで、方向としては、そういう条約締結というようなことをするときに、国会意思に従ってやるという方向に進んできているということを申したわけです。それならば、なぜ国会自身が締結権を持たないのかといえば、これは国会締結権を持っていけないのではなくて、本来は国民を代表する国会こそが締結権を持っていいわけですけれども、ただ国家の組織上の問題としまして、国会とか議会といわれるものは決議機関で、執行機関でありませんものですから、そこで外国と交渉するというようなときには、国会にかわって政府がやるほかはないわけです。それで、政府だけがやるのでなく、たとえばアメリカの場合にも、上院の事実上の代表者、あるいは外務委員会の事実上の有力な議員が条約調印に立ち会うというように、事実上、議会意思が尊重される方向に進んでいる、こういうことを申したわけです。
  28. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 尊重されるというならばわかりましたが、私は移行すると言われるから、もう国会へみな移ったという意味であろう。そこでどの程度に移行しておるかということは、私は、その国の現在の憲法によってきまっておるものと思うのですが、この点は間違いございませんでしょうか。
  29. 中村哲

    中村参考人 もちろん、憲法の条文の変化を見ましても、そういうふうになっているわけです。それと同時に、憲法というものは生きた法でありまして、その憲法の条文を実際に生きたものたらしめているのは、いわば憲政といいますか、憲法をめぐる実際の政治の慣行、慣習であります。そういうものが、ただ条文だけに即して現在各国が行なっているだけでなく、条文の形式的な言葉にも拘束されないで、事実上議会政治民主政治を実現するために、アメリカの場合も、本来の同意あるいはアドバイスという言葉にもかかわらず、実際には修正を認めるという形で、これが憲法上の原則として、しかも、最高裁がこれを正式に採用する法的な解釈として進んでいるということを申したわけです。
  30. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それはアメリカ憲法をおっしゃっておるのでありまして、アメリカ憲法には、日本憲法とは違いまして、大統領上院助言承認によって条約締結する、こうなっております。その条文に基づいて今おっしゃったようなことになるのでありましょうが、日本では、憲法第七十三条の第三号の規定によって、いわゆるあなたのおっしゃった立法府が条約の成立に関与する、この規定によってきめられておるものと思うのですが、この規定以外に、何か特別の解釈がございましょうか。
  31. 中村哲

    中村参考人 憲法の条文は非常に簡潔な短いものであります。そこで、憲法の条文と一緒に、制定の経過から申しましても、事実上の実質的意味憲法と申して学者の通説になっております、ただ日本国憲法という法典だけでなく、国会法であるとか、皇室典範であるとか、そういう基本法を含めまして実質的意味憲法というふうに解釈しておりまして、これは明治憲法解釈以来一貫しているわけですが、そういう場合に、国会法を含めて、実質的な国家の基本法はどういうふうな方針できめてあるかということで、国会法趣旨というものも同時に考えなければならないわけです。しかし、その国会法も、それは形式的には法律でありますから、その法律憲法趣旨に違反している場合、明白に憲法の条文に違反している場合には、実質的に憲法を形成していると見られるような基本法であっても、これは違憲の問題が生じて無効になる場合もあります。しかし、これは最高裁の言いぐさではありませんが、一見明白に違憲である場合でありまして、国会法の八十五条が条約修正を認めているということが明瞭に憲法に違反し、最高裁がそれを違憲だとして判断をするほどでありますならばともかくも、そうでない限り、こういう国会法の基本的な条文を含めて今日の生きた憲法を理解しなければならないというのが一つの面です。もう一つは、この憲法の慣行を確立するという意味におきましても、今度のこういう国会の論争を通じまして、まさに慣行がどういうふうに確立されようとしているか、そのことが生きた憲法一つの要素であります。
  32. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうしますると、憲法第七十三条の三号以外に、国会法にこれに関する規定があるから、それと相待って国会条約に関する関与権がきまる、こういう御議論ですね。
  33. 中村哲

    中村参考人 それだけではありませんが、憲法の六十一条もそうでありましょう。さらに、他の条文もよく参照したならば、おそらく連関のある規定があると思います。
  34. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 しかし、それはどうありましょうとも、私は、先ほど蝋山先生のおっしゃったように、条約締結という中には段階がございます。予備交渉もありましょう、その次はほんとうの交渉もある、それから調印する、その次に、調印してから、それは前後もありましょうが、国会承認を得る、承認を得たら批准をする、大きく分けてこれくらいのものだろうと思いまするが、このように分けて参りますと、私は、国会条約に参与する権限、これは締結にあたって承認するという、この大きな権限があるのだと思いまするが、そのほかに何かありますか。
  35. 中村哲

    中村参考人 先ほど田上教授が、修正不承認であるということを申されましたが、これは、私は修正は部分的な承認であると……。
  36. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 いや、私は修正を聞いておるのではないのです。承認以外にあるかということです。
  37. 中村哲

    中村参考人 いや、わかりました。それで承認という場合に、不承認承認ではない、言葉だけから言えば、承認しないということは、憲法にいう承認でないようでありますけれども、憲法上の承認というのは、承認承認しない場合を同時に含むわけです。ただ承認ということだけであるならば、これは国会意思を拘束してしまうと私は思うのです。
  38. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私の言うのは、七十三条の三号に書いてある「国会承認を経ることを必要とする。」、承認を経なければならぬ、承認を経なかったら条約締結にならぬ、こういう大きな権限国会に与えておられる。これが国会条約締結に関与する権利の根拠であろう、これだけでありましょう、こう聞いておるのです。修正する、せぬはあとで聞きますから……。
  39. 中村哲

    中村参考人 その点はそれでいいと思いますが、そのことがどういう意味で言われているのかを、もう少し聞かないと、そこのところだけ先に聞いておいて、次に何を言われるかわかりませんから……。
  40. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこで、私の方から承りますが、承認ということですが、なるほど、承認には承認を与える、こういうのですか。与えない場合もございましょう。それから、意見としては、国会でいろいろな意見も言われましょうが、これは修正すべきものだという意見もございましょう。いろいろありましょうが、承認するか、せないか、これがある。そうしてみると、あなたの先ほどのお答えとその中間で、一部分の承認をし、一部分を承認しないということもある、こうおっしゃるのですが、そういう権利が国会においてはある、こういうことですね。
  41. 中村哲

    中村参考人 そうです。
  42. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それを名づけて修正権、こう言われるのですか。
  43. 中村哲

    中村参考人 それについては、修正権という場合に、現にそこに提出されている議案について、それをその範囲内で修正をする場合と、それに新しい条項を加えるという場合と、私は違うと思うのです。概念的には違うと思うのです。しかし、現実の問題といたしまして、その判断は非常に微妙だと思います。理論的には、やはりそれは分けて考えるべきものだと思います。
  44. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 いずれにいたしましても、そういう権利は国会にあるのだ、こういうことですね。
  45. 中村哲

    中村参考人 そうです。
  46. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこで聞きたいのですが、修正の権利があるとしますならば、その権利を国会が行使したことによって、承認を求めておる条約修正されたということにならなければならぬと思うのです。それは権利である以上、そうでなくては権利とは言われぬと思うが、この点は、そうすると国会修正権を行使いたしましたる以上は、承認を求めておる条約内容修正されるのでしょうか、どうでしょうか。
  47. 中村哲

    中村参考人 それは修正されるのは、最後に、つまり相手国と、その議会において出てきた修正意見、その部分について相手国交渉し、そして政府が最終的に批准をすればそのときに修正されたという事実ができるので、それまでは別に修正されたわけではありません。条約修正されたわけではありません。修正される経過にあるわけです。
  48. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうすると大へんなことになりますが、はたして効力が及ぶやら及ばぬやらわからぬものを、それを修正権とおっしゃることは、われわれには合点がいかない。
  49. 中村哲

    中村参考人 私は修正権というふうに断定しては申しません。私は、一部の部分的な承認というものを修正権というならばと申したわけであります。それは別に修正権とは私が言ったのじゃないのです。ですから、あなたがどういう意味で人に議論をしようとしておるのか、よくあとで聞かないと、ただその順序で……。
  50. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私は分けて言っておるのです。私は分けて言っておるんですよ。承認する権利がある……。     〔発言する者多し]
  51. 小澤佐重喜

    小澤委員長 静粛に願います。
  52. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これを拒否する権利がある。この両方があるならば、その中間である部分的に修正する、部分的に拒否する権利がある、こうおっしゃったんだから、しからば、それを名づけて、今やかましく言われている修正権と申すのでございますかと言ったら、そうだ、とあなたはおっしゃった。そうじゃないのですか。
  53. 中村哲

    中村参考人 修正権というのは、つまり、憲法修正権ということを言っているわけではないのですね。だけれども、議会修正するという、そういう権限が実際にあれば、それは修正権という言葉を使ったっていいと思う。ただ憲法上の締結権の中に入るような意味修正権ではないということです。
  54. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 しからば、修正権があるといえば、その修正権を行使したら条約の効力が変わるものでなければ権利ではないと私は言うのです。それを、どうしてあなたは権利とおっしゃるのですか。
  55. 中村哲

    中村参考人 それは、修正権修正権でないかと言われたのは、あなたが言われたので、私が言ったのではないのです。
  56. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 だから、権利と言うておるのは、それを言うのですか。
  57. 中村哲

    中村参考人 ええ、ですから、こっちが言ったわけではない。
  58. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうなりますと、それは政府は、国会意思でありますから、これを尊重して、あなたの先ほどの御議論を聞いておると、相手国と、こう言われたのだから、この通りでもう一ぺん交渉し直そう、こういうことになりますな。
  59. 中村哲

    中村参考人 そうです。
  60. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 相手が聞いてくれればよろしゅうございますが、聞かなかったら、それは実現できませんね。
  61. 中村哲

    中村参考人 ええ、そういう条約を——相手国の考え方と、それから日本国民を代表する国会の考え方と本来食い違うような、つまり修正のところで食い違うような条約を作ろうとしておるところに問題があるので、私は、法律問題よりも、そこを合致させることが必要だと思いますけれども、合致しないならば、そこに条約一つの盲点があるわけです。そういう問題が出てくれば、そのことは、やはりはっきりすべきだと思うのです。これは法律論ですね。
  62. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 相手方が承認しなかったら、せっかく国会修正権を行使いたしましても、効力が現われませんね。
  63. 中村哲

    中村参考人 現われません。
  64. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 効力が現われないのでしょう。効力が現われないような修正権というものを法律上認められますか、いかがですか。その点を私は聞いている。
  65. 中村哲

    中村参考人 ですから、そういう意味の、あなたが言われるような効力は実際に生じないでしょう。生じないことは事実でしょう。ですから——それはどういうことですか。
  66. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そういうものは一体修正権と言われるかということです。
  67. 中村哲

    中村参考人 だから、私の言うのは、結局そういうのは修正権ではないと申しておるのですよ。あなたが修正権だと言われて……。
  68. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それでは修正権じゃないと訂正されますね。
  69. 中村哲

    中村参考人 してもよいですよ、それは。だから先ほど言ったように、憲法上の修正権という言葉じゃないですよ。
  70. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうしてみると、修正権でないならば、効力が現われるか現われぬかわからぬものだ、わからぬものだとすれば、先ほど田上さんが言われたように、希望だと受け取る方が順当じゃないのですか。
  71. 中村哲

    中村参考人 それは私は、憲法上積極的に、憲法上の締結をする権利がある内閣自身が修正するという場合と、国会修正意見を出した場合とは違うと思います。違うけれども、そういう修正意見を無視して、そうして事実上こういう条約締結することがいいかどうか、そのことについては、単なるそういう法理論でなくて、もっと一番重要な憲政論といいますか、私は、そういうことが重要だということを申し上げておるわけで、まさに、そういう議論については、蝋山先生のお説が私の言おうとすることを詳しくおっしゃったと思います。
  72. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そういう、はたして効力が出るか出ないかわからぬものをとらまえて権利と言われますが、相手方が聞かなかったらどうしようもないものであるならば、それはこう修正したらいいとか、国会意思はこうであるということは、それは言われてもよろしゅうございますが、条約そのものに直ちに効力を及ぼすということはないわけです。そうすると、それは一種希望条件か、さもなかったら、この条約はだめである、われわれは承認せぬ、こういうところにいく以外にないものと私は考えますが、どうですか。
  73. 中村哲

    中村参考人 どうもよく要領がわかりませんけれども、そういう修正意見が出たならば、それを政府としては、政治的といいますか——政治的といいましても、これはむしろ憲法の慣行上と私は先ほどから申しておる言い方ですが、そういう修正意見のでたものを、憲法の条文そのものに基づいてでなくて、憲法の慣行として、憲政の一つのルールとして、そういう修正意見がでたらば、それを相手国交渉する、こういうふうなことが確立していくならば、あなたのおっしゃるような修正が実際に功を奏すると思う。そういう慣行を確立すべきではないかということを私は申し上げておるのです。
  74. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 ああ、そうですが。それならば、それは法律論ではなくして、あなたとしての希望ですから、学者としての御希望であるならばつつしんで承っておきます。われわれがここで吟味しておるのは法律論なんですから。
  75. 中村哲

    中村参考人 法律論といいましても、憲法法律論といいますのは、これは、たとえばアメリカにおいて修正権があるかどうかというようなことでも、あるいはイギリスにおいてどうであるというような場合でも、憲法の慣行というものを含めて言うわけで、現に、私はこの話の初めに、英国憲法によれば君主が専断的に条約締結権を持っておるが、それが議会の方に事実上移行してきて、そういう憲法慣習が確立しておる、そういう場合に、この憲法の慣習、コンスティテューションに対してコンベンションといわれるような憲法慣習というものを含めて憲法学では問題にするわけで、そういう慣習、慣行こそが重要だということを申し上げたので、ただ条文のその言葉がどうかというようなことだけを申したのではありません。ことに最高裁が憲法解釈をする場合ならば、条文の言葉だけでよろしいでしょうけれども、国会は最高裁自身が言っておりますように、安保条約締結——今の安保条約が違憲かどうかという判断を求められたときに、最高裁は、そういう政治的な問題は、内閣国会が政治的に判断する自由裁量的なものであるということを申しておるのにかかわらず、国会自身が非常に狭い意味法律論をやるというのはおかしいので、まさに、自由裁量的な慣行をここで確立しようとしておるわけです。
  76. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 だから、あなたが学者として、そういう慣行のあることを御希望になるのは、私はつつしんで承っておきます。
  77. 中村哲

    中村参考人 それが私の学説です。
  78. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 本日は、われわれはそういうことでなく、現憲法解釈していかにやるかということを聞いておるのですから、私は、これ以上あなたと議論することをやめます。  あとは蝋山先生にちょっと承りたいと思います。今先生のこまかく分けての御議論、われわれは大へん尊重して承りました。憲法制定の際の議論もあまりできておりませんし、その後、これに関する慣習もないとおっしゃいましたが、それはどういうことをさして言われるのか。新憲法になりましてから、内閣から承認を求めて、そして国会承認しまして条約締結しておることは相当ございます。そのためには、すべて条約締結権内閣にある。しかし、その締結権を完成するまでには国会承認という、国会意思を聞いてかからなくてはできない。こういうことで、締結のすべてのことは内閣にある。その間に国会承認を得る、こういうことが慣行になっておると私は認めておるのですが、あなたは、この事実は慣行でないとおっしゃったようですが、どうお認めになっておるか。
  79. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 私は先例という言葉を用いたのですが、慣行と同じ意味です。いろいろの先例があるようでございますが、しかし、今日のような重大な問題に対して、先例として役立つような重要な先例がないという意味から申したのでございまして、たとえば具体的に申しますと、調印もしくは調印前の交渉におきまして、国民の世論においていろいろ疑問になっておるような問題を、政府がどの程度まで相手方に申し伝えてあるかどうか、簡単に、形式的に申しまして、たとえば条件をつけているのかどうか、そして、その際に事前同意が得られているようなものか、同意は得られなくても、このような問題については日本政府意思はこの辺にあるのだというようなことが明瞭になっておるような問題がありましたならば、私は、行政権というものがかなり中心となって条約締結しても差しつかえないと思うのです。しかし、今日のような場合におきますと、まだまだいろいろな問題が疑問になっておるときにこそ、国会承認ということが非常に重要になるのです。従って、国会がどのような、たとえば具体的にいって修正をするとか、留保するというようなことはあり得ると思うのです。それはつまり政府といたしましては、相当そういう点について、相手方に向かって明らかにしているというようなことがどうもよくわからない場合には、どうもそうせざるを得ないと思うのです。それが一つ政府を拘束する立法権あるいは国会権能ではないかと思うので、従来の先例で、そのようにいろいろ国民の世論が問題にしたようなことについて、外交交渉上明らかになっているような点があったかどうか。そうでない場合において、従来の先例先例とするに足りない、まだ慣行は確立していないということが私の見解なんであります。
  80. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私は、先生の御議論は、これは学者の御議論として尊敬いたします。あなたの御意見でいいとか悪いとかいうことをおっしゃるのは、これもあなたの御意見ですから、それはつつしんで承りますが、先例がないとおっしゃるが、先例があるじゃありませんか。今まで日本国会ではそういうことできておるのが先例がございます。それを今日特にそういう議論が出て、あなたは先例がないとおっしゃるから、その先例を何とお認めになるか、こう聞いたわけです。
  81. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 私は、先例がないと申したのではないので、われわれが重要な先例として認めるものがない。そこに多少の判断の相違があるかもしれません。
  82. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それじゃ、学者の意見として、(笑声)重要と認めぬとおっしゃるなら、それはよろしゅうございます。  それから、締結権が幾ら内閣にあっても、国会国会としての自由の立場意見を述べ、行動するということは、これは当然のことだ、これは私も賛成でございまするが、そこで修正してもいいというのは、これは先ほど中村先生にも聞きましたが、今俗にいわれているそういうことであるから、国会修正権ありという御議論にお立ちでしょうか、そういうことはお考えにならぬのですか。
  83. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 私は、修正する権限あり、すなわち、修正権ありと考えております。
  84. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうすると、先ほど申しましたように、修正権があるとすれば、その権利を行使すれば、直ちに権利によって効力が生ずるということになる。ところが、幾ら修正いたしましても、相手のあることでございますから、相手に聞いてかからなくては、今幾ら修正をされましても修正の効力は発生いたしませんね。それでもやはり修正権といわれましょうか。
  85. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 それこそ、締結の事務というものを行政権に与えている理由だと思うのです。つまり、議会意思が明確になって、しかも、修正のように、条約そのものについて新しい提案と考えらるべきもの、つまり、条約そのものに全体の変更があるのですね。そういう場合に、行政権がこれをどう判断するかは、行政権の問題なんです。その場合に、同じ国家の機関である立法権も、全然内閣のことを考えないということは、実際上あり得ないと思います。しかも、国会としては、権能としては行政権の判断にまかせる問題になると思います。それだけのことはできると思うのです。
  86. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そうすると、その行政権の判断にまかせることになるという権能ですね。
  87. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 ちょっともう一度私の考え方をはっきり申しますが、この場合御質問の、さきにもありましたように、直ちに効果がないではないか、相手国承認を得られるかどうかわからない。そういう効果のないものは、修正権というような権能を行使するに足りないじゃないかというような御意見ですが、私は、重大な効果がある、政府を拘束するということがあると思います。
  88. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 それは先ほど中村先生も区別して言っておりますが、政治上において政府に大きな責任が起こるということは当然のことであります。けれども、条約そのものがそれによって変わるということはあり得ない。これは先ほど言ったように、相手方と交渉したが、相手方がどうしても聞かなかったら、幾ら国会において修正されても、その修正の効力は出ません。政府を拘束したであろうが、相手国までも拘束はできないのでありますから、そういうものを憲法上における修正権と認められるかいなや、これを私は法律論として聞いておる。
  89. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 修正をしまして、その結果、行政権の判断にまかせられるわけです。行政権が、いま一度相手国と相談することが必要であるか、あるいは不可能であるかを判断しなければなりません。その結果、これはとうてい相手国同意が得られないだろうと判断した場合には、その結果としてこれは否認と同じ結果になる、不承認と同じ結果になる。しかし、それは行政権の問題であって、議会権能を行使することを制限することにはならないと思います。
  90. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私の言うのはその通りです。内閣を拘束するでありましょうが、直ちに法律上の効力は出ない。そして内閣がどうしてもそれができぬということになれば、否認と言わざるを得ない、こういう結論になるでしょう。それを私は確かめたかったのです。
  91. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 しかし、私は最も極端な場合を申したのでありまして、すでに、外交交渉の際に、日本側の政府がどのようなことを言っておるかは、大がい相手側の米国は知っておるであろうと思います。その際に、議会が一定の修正をした、それを政府が再交渉したときに、はたして、政府が判断して、これは否認と同じようにみなさなければいかぬと考えらるべきものかどうかについては、私は政治的の問題にまかせたいと思います。当然、議会もその点は考えるでしょう。ですけれども、そのために、議会権能がないのだ、修正権はないのだということは、憲法上の問題になりますので、そういう憲法上の問題を、政治的な困難さの問題、その事情から判断してはならない、これが私の考え方であります。
  92. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その上は議論になりますから、なんですが、政府を拘束するということと、法律上の効力が現われるということとは違うのだ。私はその点だけは明瞭になったからよろしゅうございます。  もう一つ、続いて私は聞いてみたいと思う。先ほど、もし承認ということが、イエスかノーか、それだけだということになると、国会はでくの坊じゃないか、そんなことは許されない、こうおっしゃいましたが、そのイエス、ノーを言うまでには、国会審議の過程において国会意思は十分政府に伝えておるはずなんです。さらにまた、イエス、ノー以外に、修正をすればよいということも、これも述べられることは一つも妨げておりません。かりにその修正権がないという議論にしましても、それはもう御議論なさることは御随意です。そこまではとめておりません。しかるに、承認するかしないかだけならば、国会権限を無視するものであるといわれる議論は、飛躍しておると思う。われわれは、最後はイエスかノーを言うのですよ。言うのだが、それに至るまでには、国会意思というものは、十分審議の過程において現われておる。私は、その現われるということは、憲法七十三条の第三号において、承認をしなければならぬという、その大きな効果をねらっておるものだと思うが、あなたの御議論からいくと、そういうものは一つ効果にならないのだ、こういうように聞こえますが、これは私の意見と違います。どうですか。
  93. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 どうも大へんむずかしい問題が入っておると思うのですが、私は、こういう憲法論が問題になるのは、大体形式的な効果を伴わなければならないと思うのです。今まで国会において、この条約についていろいろ論議があったことは、私も承知しております。行政府も当然知っておると思う。しかし、これがたとえば承認なら承認というような形式的な効果を求める要求をしたかどうかというと、していないのです。また、あるいは全権団その他、外交交渉の際に、議会意思を体現しておるような人たちを加えているかどうか。何か形の上に現われたことがないと、ただ議論は十分尽くされたとは言いがたい。こういう実質的な問題と形式的な問題との区別は、法律家である鍛冶さんはよく御存じだろうと思うのです。
  94. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 だから、私は、形式的には、権利という以上は、そこに効力が発生しなければ、権利とは認められない。政治上の効力が出るということと、修正権があるということとは違うでしょうということを申し上げた。これ以上は水かけ論になりますから……。  ただ、もう一つ私はあなたに聞きたいのは、あなた自身もおっしゃったが、条約承認するということと、予算を議決する、法律案議決するということと、広い意味における議決ではございましょうが、観念上において大へんな相違があるとわれわれは解釈しておるのですが、この点はいかがです。
  95. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 観念上の相違ということは、私もはっきり了解しかねることですが、私は、むしろ、観念上はみな同じなんです。ただし、限界、その方法等について相違があるということを認めるのです。
  96. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 その相違は、根本的に違うのです。われわれが法律を習いましたとき、承認という言葉と、意思表示という言葉とは違う。議決をするということは、意思表示をして、その意思の通りの効力を発生せしむるということです。承認ということは、相手方にある、対象にあるものを認めるか認めぬかということです。あなたとそんな議論をしてもしようがないか知らぬが、ここに根本的の相違があるものであるということを言って、御考慮願いたい。この点からいたしましても、根本的に、承認ということで、そういう法律上の効力を変更せしむる力はないものだ、承認というものはそういうものでない、こう私は断言いたしておきますが、しかし、それが間違いだとおっしゃるならば、承っておきます。
  97. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 私は、あくまで国会権能という立場から、それらの議案の性質によって議決権に相違はないと考えておる。予算案でも議決承認でも議決をしなければならないのです。つまり、国会意思を決定する点において変わりはありません。そのことを私は言っているのです。
  98. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 私の言っているのは、広い意味議決ではありましょうが、何ゆえに、法律法律案議決すると書き、条約承認すると書いたか、この区別は必ずなくてはなりません。これ以上あなたと議論してもしようがないが、必ずあることを私は断言いたしておきます。いずれまた明確にいたします。きょうはこれ以上申し上げません。
  99. 小澤佐重喜

  100. 穗積七郎

    穗積委員 お忙しいところ、三先生の御意見を開陳していただいて感謝いたします。同時に、疑点を数点、特に田上先生にお尋ねいたしたいと思います。先生も時間をお急ぎのようですし、他の委員からも質問の通告があるようですから、簡潔に数点にわたってお尋ねいたしますので、結論だけ一つ御開陳をいただきたいと、あらかじめお願いいたしておきます。  第一点ですが、先生も、他の二教授はもとよりですが、おっしゃいましたように、現在の憲法におきますわが国会は、国家最高の機関といたしまして、条約締結権を含むすべての統治権の行使について、政府をコントロールする権限がある。その場合に、従来の考え方で参りますと、条約締結権であるとか、軍に対する指揮権であるとかいうものが、元首の特権であるかのごとく、すなわち、国会審議決議条件をつけるかのごとき、特権であるかのような考え方が今まであったわけでございますが、新憲法におきましては、こういう宮廷政治的な考え方というものは根本的に否定されておる。すなわち、そういう意味解釈いたしますならば、条約締結権というのは、これは行政執行部としての行政府調印または批准の行為を担当しているのであって、その意思を決定するのは、政府によってのみ決定さるべきものだと規定しているのではないと私は解釈いたします。すなわち、条約調印すること、条約批准することを行なう行為は、政府にまかされておる。これが七十三条の三号だと思います。しかしながら、いかなる条約を結ぶべきか、結んだ条約が好ましいか好ましくないか、あるいはまた、それを批准するかしないか、それらにつきましては、政府意思のみならず、国会も、政府のいわゆる締結権に制限されることなしに、無制限に、この意思決定には、自由なる発言権と決議をする権限が明瞭に残されていると私は思うのです。その点につきましては、先生のお考えにおきましても間違いはなかろうと思いますが、あとの御質問をいたしますために、締結権が、国会審議内容並びに決議の方法について制限を加えるような特権ではない、そういう意味に私どもは理解いたしておりまして、それに間違いはないと思いますが、念のために伺っておきたい。
  101. 田上穰治

    田上参考人 私の申し上げましたのは、条約締結権と、それから国会承認権というものは、これは一応やはり憲法では区別さるべきものである。しかし、国会審議を——と申しますることは、つまり、国会条約締結の当事者の立場にはないということだけでありまして、もちろん、だから国会は、審議をする場合に十分に意見をお述べになり、あるいはこれを無条件承認するのではなくて、しかしまた、さればといって、無条件に拒否するのでもなくて、その中間の考えを表明するということもあり得ると思うのでございます。ただ、繰り返し申し上げますが、その場合に、先ほどから修正ということについてだいぶいろいろ御問答を伺っておりますけれども、この修正ということが、私の疑問は、やはり承認一種であるかどうか。つまり、普通の法律案などでありますと、修正可決でありまして、内容を変えるのではありますけれども、否決ではなくて、これは明らかに可決であります。そういう意味で、条件付ではあっても、修正することによって国会承認してしまったということになると、これはその後の国会審議権をかえって拘束するものである。私は、国会審議というか、国会によって政府をコントロールすることを十分に行なわなければならないと思いますから、そういう特別な意味において、条件付承認ということは言いたくない。やはりそれは不承認というふうにしておきませんと、将来の承認権が失われるおそれがある、この点を申し上げておるのでございます。
  102. 穗積七郎

    穗積委員 そこで、続いてお尋ねいたしますが、今の前段のお話で、先生も、政府条約締結権があるということを規定していることは、国会審議権内容並びに決議形式に対して何らの拘束をするものではない、制限を加えるものではないという基本的なお考えについては、私どもの考えと同様であると私は理解いたしました。そうであるといたしますならば、第二点にお尋ねいたしたいのは、今日の国際法上、条約批准の場合におきましては、無条件承認をする場合と、全部を否認する場合、すなわち全部承認をしない場合と、それから中間に留保または制限を加える——これは一部でございます。ともに修正内容を持ったものだと思います。すなわち、批准の場合におきましては、中間の留保または制限、これは国際法上すべて認められておる定説であり、慣例もそういうふうになっておりますから、疑いがありません。そのときに、問題は、留保または一部制限の、いわゆる条約批准の場合における修正を行なうことは、政府意思のみによって決定さるべきものではない。政府は、もとより、一ぺん調印いたしましたものに対して、留保または制限をする権限はあります。それによって批准をする場合もあります。もとより、相手の合意は当然なことでございますが、そういう権限がある。ありますけれども、それだけではなくて、その留保または制限をする意思は、政府意思だけによらずして、国会国会意思によって留保または制限をすることができる。すなわち、留保または制限を国会意思によって政府をしてせしめることができる。国会審議権内容というものはそういうものだと私は解釈いたしますが、いかがでございますか。
  103. 田上穰治

    田上参考人 ただいまの御質問の中の、留保でございますが、多数当事国なり、あるいは一般条約のお話しでありまして、もちろん、ただいまは何も安保条約だけをお考えになっているわけではないと思いますから、そういう意味においては考えられることでございます。ただ、今の国会審議権という、御質問の意味でございますが、審議権はもう完全に徹底的に認めなければならないと私は思うのでございまするけれども、しかし、この留保なり、あるいは修正と申しますか、そういう形で国会承認議決をされるということに疑問を持つのでありまして、承認ということになると、その条件が成就されれば、もはや事後に承認は必要がない。つまり、同一の条約で複数の承認は必要つがない。調印段階承認をし、さらに批准段階承認するとか、あるいは内容が変われば、そのときにはまたそれを承認するというふうなことは私は考えないのでございまして、条件付でも承認すれば、それで一応政府にある程度の権能が与えられる。これは国会の監督権とか承認権の上で非常な制限になる、これをおそれるものでございます。
  104. 穗積七郎

    穗積委員 その御所論は、先生が最初に、修正は不適当である、認められないとおっしゃった第二の理由。先生の第一の理由は、条約締結権に対して不当な義務を負わしめる結果になる、それが第一点。第二点は、国会審議権国会みずからこれを拘束、放棄することになるというのが第二の理由でございました。私が今お尋ねいたすのは——第二の点については後にお尋ねいたします。私のお尋ねしているのは、第一の点について、すなわち、国会修正または制限、留保をつけることは、これは政府締結権に対して不当な義務を負わしめるものであるという点を私は今お尋ねしておるのです。その点についてお答えをいただきたい。私は、もとより、政府国会の場合におきましては、条約については締結権政府にある、しかしながら、いかなる条約をいかなる国と締結するかということについては、国会は、政府に拘束されることなしに、完全なる自由を持って無制限にこれを審議、決定することができる、そういうことなんです。予算の場合においては、提出権は政府にあるけれども、国会はこれに拘束されることなしに、自由にこれもまた修正権がある。法律の場合においては、両方が提出権を持っておるけれども、これについても国会は無制限に修正権がある。審議権は無制限である。それから決議については、国会のみがこれを提出いたしまして、国会のみが自由に決定する権限がある。そういうふうに見まして、今、私の問題にしておるのは、政府締結権国会修正をするならば、不当にこれを義務づけるものであり、政府締結権に対して不当な拘束を加えるものである、すなわち、審議権の乱用である、こういう点を私は問題にしているのです。すなわち、その場合には、国会はすべてを承認しない場合と、無条件に全部を承認する場合と、その中間に、留保または制限の修正を加えてこれを承認するというか、政府から見れば承認でしょうが、国会議決にすぎません、そういう場合とある。その場合に、留保または制限の修正を加えたからといって、政府条約締結権を何ら脅かすものではない。政府締結権も自由である。国会審議権も完全なる自由を持っている。そこで、それが合致した場合においてのみ、そして相手国同意条件としてのみ、条約というものは成立するのです。それが七十三条の後段の趣旨だと思うのです。すなわち、条約締結並びに批准につきましては、調印から批准の場合におきましては、すべてこれを一括して締結ですが、締結の場合には国会意思と完全に一致しなければいけない。相手国同意だけではいけません。それが条件になっておるのですから。すなわち、審議権内容並びに決議形式には何ら拘束されるべきものではないと私は思うのです。それに対して、今言ったように、締結権について不当な義務を加えるものだという理由によって、国会審議内容並びに決議の方法について制限を加えるということは、七十三条並びに六十一条の規定から見まして、それを解釈することは、私は不当な憲法解釈ではないかと思うのですが、いかがでございましょうか。
  105. 田上穰治

    田上参考人 私は、この条約締結は、国会内閣との共同で締結するのではなくて、内閣原案を作る、それに対して、それがよろしいかどうか、もちろん、これは憲法だけじゃなくて、国民全体の利益から見て適当であるかどうかということを国会審査をして結論を出すわけでございまして、その意味で、国会には、つまり内閣の方に一応確定の案が出されなければならない、こう思うのでございます。修正の場合に、ただいまの御質問でございますが、法律ならば、しばしばここで御議論になっておりますように、その修正効果、ことに先ほど中村教授が言われましたが、プラスの修正ではなくて、削る方の修正でございますと、直ちにそれでその関係の条項なり部分が落ちてしまう。そこに確定的に効果が生ずるのでありますが、条約の場合には、常に相手国に対して同意を取りつける義務というか——が生するわけでありまして、これを裁判にたとえるのは適当でございませんけれども、国会修正議決は、単なる形成的な判決とか、一部取り消しの判決のような性質のものでなくて、政府に義務を負わせる給付判決的なものだと思うのでございます。そうなりますと、これは政府条約締結権をその限度で代行する一種の代執行のような形に私はなると思うのであります。だから、条約につきましては、その意味締結権承認権との区別がここにある、こう思うのでございます。
  106. 穗積七郎

    穗積委員 それは私は非常に不当な解釈ではないかと、失礼ですが、思うのです。法律であるならば、国会議決があり、その公布行為の手続が終われば直ちに成立いたします。ただ、条約の場合、相手国同意を必要とするということは、条約の本質的な性質上からくる当然の結論であって、政府国会の間における、すなわち政府条約締結権国会審議権との関係ではございません。すなわち、国会審議権は、相手国同意条件とするという条約の性質に拘束されて、従って、国会においては修正または制限はできないのだという結論は、これははなはだしく曲解であって、国会は、外国の政府または外国の議会に対して審議をしたり発言したりするものではない、日本国政府に対してのみ発言し、審議する関係でございますから、従って、法律条約との国会における取り扱いについては、政府との関係においては何らこれを区別すべきものではないとわれわれは解釈いたします。その点についてはこれ以上——もし違った御意見があればなにですが、前の御意見の繰り返しであるならば、これは必ずしも必要でございませんから、次の問題に移りたいと思います。もし前の御発言と違った御解釈がございましたならば、あと次に一緒にお答えをいただきたいと思います。  それでちょっとお尋ねいたしますが、一部修正決議したことは、これは否決だとおっしゃいますけれども、否決の場合には、条約の一部も生かすことができません。全部を殺さなければならぬ。ところが、修正議決が行なわれましたときには、政府は、相手国同意条件として、その条約の一部を生かすことができます。その場合の違いがあるわけですね。修正もこれ否決なりと解釈いたしますならば、全部単純なる無条件否決の場合と、条件付の、制限をつけた修正の場合と、これを区別いたしませんと、すべて否決であるならば、条約全部が死ぬのですが、修正議決の場合には、条約の一部は生きるのです。生きる可能性が残されておる。もとより、相手国同意条件といたしますけれども。その違いはどういうふうに解釈されるか。それは非常に私は無理が出てくると思うのです。いかがでございましょう。
  107. 田上穰治

    田上参考人 これはおそらくおわかりになっていることを申し上げるのははなはだ失礼でございますが、私の申し上げておりますのは、不承認というか、否決、これは確定的なものではなくて、一事再議の原理によりまして、一たん国会不承認否決したために、将来はその種類の条約についてはもう絶対に受けつけられないのかというと、そうは思わないのでありますから、そういう意味で、何回でも不承認ということもあり得るし、また、一たん不承認になったものを再度提出して可決することもあり得るのでありますから、そういう意味で、国会が半分だけ承認したいというふうなお気持の場合に不承認で、そして完全なものを政府から持ち出してきたときには、これを全面的に承認という自由が当然残っておるわけでございますから、国会審議権は何ら制限を受けない、こう考えております。
  108. 穗積七郎

    穗積委員 先生のおっしゃることは、私の主張と矛盾していないと思うのです。国会審議権の問題に触れておられる。私は、締結権の問題で、締結権に対する不当な義務を負わしめるものではないということを言っているのです。  それでは、場合を変えて考えてみましょう。国会修正議決いたします。そのときに、全面否認の場合、不承認の場合と違って、一部を生かすことができるとともに、そのことに必ずしも拘束されない。国会がつまり制限を加えました修正に対して、政府は、この条項を削られたのでは、もうこの条約を結ぶ意味がないという判断をいたしました場合には、修正承認された場合でも、政府締結権を発動いたしましてこの条約締結批准しない自由がございます。何ら拘束しておりません。たとえば、今度の条約で第三条、第四条、第五条、第六条、これらのものはすべて不当だというので、削除したと仮定いたします。制限をした決議国会がしたといたします。そこで政府はあとの条文を生かす交渉をして、相手同意が得られれば、この条約を生かすということもできるけれども、三条、四条、五条、六条を切られたのでは、これはもう無意味であるというので、国会は全部否認ではない、一部を生かすことができることは残されておるけれども、みずからの締結権の自由によってこれを批准しないことができます。すなわち、何ら不当な義務を負わしめてはおりません。すなわち、国会審議権も、政府締結権も、この場合において修正議決が行なわれたといって、おのおのその自由に不当な制限を加えるものではないと私は解釈するのです。締結権について不当な義務を負わしめるものであるから、修正はできないという御議論については、われわれはいささかどうも納得がいかない。  次にお尋ねいたしたいのは、国会審議権をみずから拘束するものであるとおっしゃいました。これも私ども納得できない、先生のおっしゃった第二の点です。すなわち、確定されたる条文が国会に提出されて、そしてそれを審議して、その中の一部を留保または制限を加える決議をいたします。そしてこれこれの内容を持ってやれという場合には、国会意思は、不確定なものに対して政府白紙委任をするものではない。もうすでに確定されたる条文については、審議を尽くし、不当なものについては、制限を加えて、審議をして決議をしておりますから、その通り政府が行なうならば、もうこれ以上国会審議する必要がない。従って、審議権の放棄ではございません。そこで、次に起こる問題は、国会の制限修正議決が行なわれたときに、それに反する、またはそれを乗り越えた締結が、再交渉の結果、行なわれた場合には、その乗り越えた分、修正決定以外の交渉調印については、これは再審査をするのは当然です。この条約そのものが一ぺん修正議決が行なわれたからといって、再審査を放棄するものでない。確定した部分だけであるならば、再審査する必要はない。修正議決のもの以外のものを交渉して締結して、調印いたしました場合には、その部分については、当然政府国会承認を求める義務があります。国会審議の権利がございますから、何ら審議権を放棄するものではないと私は思います。その点についていかがでございましょうか。
  109. 田上穰治

    田上参考人 私は、もちろん、今の御意見は、その限度においては全く同様でございますが、先ほど申し上げましたのは、その修正なり、あるいは留保と申しますか、条件がついておる、その条件がはたして政府において守られたかどうか、その点をさらに国会は確かめる必要がある。つまり、政府の方で条件と違った条約調印したが、これをそのままでもって押し通すということは、もちろん許されないことであり、まさに御意見の通りでありますが、政府の方で、一応修正と申しますか、あるいは条件に従って新しい内容条約調印したという場合でありましても、私は、事重大でありますから、もう一度国会において審議をし、そうして承認不承認を決定する必要がある、こう考えるものでございます。
  110. 穗積七郎

    穗積委員 それは私と全く同意見です。  それでは、次に条約例についてお尋ねいたします。とっさのことでございますが、大体記憶に間違いないと思います。一九五三年に、アメリカ日本との間において通商航海条約締結され、そうして国会承認を求められた。国会は、衆議院、参議院とも、これについて全面的な承認を与えたのです。不承認意見社会党から述べられましたが、多数をもって国会はこれの承認を決定いたしました。ところが、その後アメリカ議会におきまして、その条約の条文中の一条項について留保条件が出て参りました。そこで、アメリカ政府から日本政府に対してそのことの通告がございました。そこで問題になって、国会では、次の国会においてこれを再審査いたしまして、アメリカ側が留保いたしましたものをもう一ぺん日本国会審査いたしまして、日本側もこれを留保して承認を与える議決をしたことがございます。国会において一ぺん無条件で単純承認をいたしましたものを、次の国会においてもう一ぺん留保、修正をして議決をいたしました。これは二国間条約ですが、留保条項付の修正議決をいたしました。そうして他の部分は全部生きたんです。不承認じゃございません。他の条文は生きて、その中の一条項だけが留保という議決をしたわけです。先生の御所論によりますと、この国会議決は不当な議決になるわけでございますね。これは一体どういうわけでございましょうか。
  111. 田上穰治

    田上参考人 実は先ほどの前の御質問に対しましても、私の答弁が途中で切れてしまったのでございますが、つまり、条件が成就されたかどうかについてもう一度国会審議を求める必要があると申しますことは、その前提において、修正承認不承認であるということを実は私申しておったわけでございます。承認をしたものをさらに承認するのじゃない。ところで、第二の御質問がただいまその点についてございましたが、私は、承認されて、そうして完全に一応成立した条約、つまり批准された条約について、さらにその事後に留保をつける、これは成立した条約についてのまた新しい変更でございますから、第二の別の事案でございまして、もちろん、その限度で国会承認を求めるべきだと思います。その意味で、これは当然のことである。私の申しましたのは、最初に、国会修正議決をなさって、政府がその条件に従って一応修正をし調印をしたと称する場合には、もはや国会承認を受ける必要がないのではないか、最初の場合が修正承認でありますると。——不承認ならば、その場合にあらためてまた国会承認を求めることになるのであります。ただ、今の第二の御質問は、そうではなくて、それにさらに留保をつけるということでございますと、これはその限度でまた新たに国会承認を求めるのが当然だと存じております。
  112. 穗積七郎

    穗積委員 最後に一点だけお尋ねいたしておきます。今の御所説は、事前であろうと、事後であろうと、国会議決権は無制限である、決議形式も無制限であることを立証するものであると私どもは思っておる。単純不承認、単純承認の場合以外もあり得るのだ。それは事後であろうと、事前であろうと、何ら本質的に変わるわけではございません。  最後に、三先生にこの際お尋ねいたしておきたいと思いますのは、政府国会条約批准についての承認を求める案件を提出いたしておりますが、この手続上の問題について、これはこの前から当委員会で問題になりましたが、実は承認を求める案件は、条約本文は含んでいないのです。対象になっていないのです。これは付属文書としてのみ提出されておる。この提出の仕方は、今まで慣例として行なわれたからといって、誤りがあったのではないか。国会において承認を受くべき条件のついた、批准条項のついた、承認を求めることが適当であると思って国会審議を求めておる条約本文は、当然議案の中に加えて出すべきものであって、付属文書として議案の中に入れないで取り扱うというのは、これは国会審議の手続上、不当な方法ではないかというふうに考えるわけですが、この点についての三先生の御所見を伺っておきたいと思います。内容的に不可分一体だというのであって、形式は、明らかに承認を求める議案は紙一枚の承認を求める件であって、本条約文は付属文書だ、こういう説明をしておるわけです。これは誤りであって、当然議案の中へ加えるべきだ。少なくとも国会承認を必要とする条約文は、議案の中へ加えて提出すべきであるとわれわれは考えますが、いかがでございましょうかという質問です。結論だけでよろしゅうございます。
  113. 小澤佐重喜

    小澤委員長 これは、ただいま穗積君の意見のうちには、今までの審議に多少違った点もありますが、かりにそういう事態として御答弁を願いたいと思います。
  114. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 条約承認の提案形式は、私よく存じませんが、かりに承認を求めるの件とありましても、何を承認するかという内容を当然伴うものと思いますから、付属文書であるとかないとかという形式は、どういう形で明らかにされているのか知りませんが、条約あるいは関係資料の内容を吟味せずして、当然審議はできないものと思っておりますが、よくわかりません。
  115. 田上穰治

    田上参考人 はなはだ恐縮でございますが、ただいま穗積委員が御発言になりました中で、私の申し上げたことが、あるいは速記録で違った形になることをちょっとおそれるのでございますが、私は承認と、それから不承認、単純不承認、両方であって、その中間のものはないということを初めに申し上げましたが、なお念のために申し上げておきます。
  116. 中村哲

    中村参考人 議案の提出の形式でありますが、現在提出されている形では、承認をするかしないかということだけを問うているような形で出ているように、これは誤解かもしれませんが、そう受け取れます。そこでそういう誤解のないように、提出の仕方を改めたらどうか、私はそう思います。
  117. 小澤佐重喜

  118. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 主として田上さんに、二つばかりの点についてお尋ねをいたしたいと思いますが、田上参考人のお述べになりました中に、調印前に国会承認を求めるということは、調印によって直ちに効力を発生するものは別として、批准を要する条約は、調印前に承認を求め得ない、その理由は省きますが、そのように承ったのでございますが、その通りであるかどうか、ちょっとお伺いいたします。
  119. 田上穰治

    田上参考人 先ほどそのように申し上げました。私も現在もそう考えておりますが、それはいやしくも国会承認を求めるには、確定的なもの、確定案でなければいけない。不確定な、どうなるかまだ未定のものにつきまして承認を求めることは、政府立場としてはなはだ好ましくないことであり、感心できさないことであり、また国会審議を求めるにつきましても、これは審議権を十分に行使する上において、私は賛成できないのでございます。もちろん、憲法のどこにはっきり書いてあるかとおっしゃられますと、条文の字句には現われておりませんけれども、しかし承認が、先ほど申し上げました、調印について承認する、さらに批准について承認するとか、何段階にも分かれて同一の条約について承認ができるならば、それは別でございますけれども、そうでない限りは、承認は、やはり確定的な、確定した時期というか、段階において、承認不承認を決定すべきものであると思うのでございます。
  120. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 条約の成立までには、交渉あるいは仮調印調印批准というような順序があると思うのでございますが、不確定のものであっては、調印前に承認を求めがたい、このような御意見でございますが、仮調印をして、大体原案確定に近いものができて、調印前に仮調印をやる、次に調印というような場合が相当多いのでございます。重要なものはそのようにしておるのでございますが、不確定であるから困るというだけの理由であるならば、仮調印を、調印前に国会承認を求めてはいかがであるか、この点お伺いいたします。
  121. 田上穰治

    田上参考人 ただいまのような御質問でございますと、絶対にできない、もしそういうことをやれば憲法違反であるというような意味で、できないと申し上げておるのではないのでございまして、国会審議をいただくものとしては不適当である。政治的に見て不適当だということを申し上げたのでございます。と申しますのは、一たんその点で国会が御承認になりますと、それは政府にとっては全権を、与えられたことになるわけでございまして、私はそれでもうよろしいという御議論があるかと思いますけれども、やはりできるだけ慎重に、最後まで国会の方では条約締結手続というものをよく検討する、そうして最後を見きわめた上で、はっきりと承認不承認をきめるというふうに考えますと、時期は調印後の方が、国会の政治的なコントロールというか、承認権を実効あらしめるために、必要であろうと存じます。
  122. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 そうしますと、田上さんの御意見、妥当であるかどうかというだけであって、仮調印調印前に承認を求めることは、憲法違反ではない、ただ政治的に妥当であるかどうか、こういう問題である、こういうことでございましょうか。実は先ほど、調印前の承認憲法の求めているところではない、そのようにおっしゃった。その意味は、憲法には違反しないが、調印後の方が、そうして批准前がよかろう、このような程度の御意見であるかどうか、重ねてお伺いいたしておきます。
  123. 田上穰治

    田上参考人 ただいまの御意見は、私は修正に関連してくると思うのでございます。無条件承認されるのであれば、それは調印前でありましても、承認によって批准ができる、締結ができる、こういうふうに思うのでございます。従ってそういうことが絶対に不可能と思いませんけれども、一応はやはり国会審議権を拘束することになって、私は政治的に、あるいは憲法民主政治、あるいは議院内閣制と申しますか、これは単なる政治と申しましても、憲法の基本的な原則だと思いますが、それに反する、しかし、もしそれがそうでなくて、おそらく私、御想像を申し上げるのはあるいは失礼かもわかりませんけれども、早い段階国会に出せば、そうすれば、まだ内容が十分固まっていないのだから、直しやすい、従って国会の方も修正意見を出しやすいというふうにも、これは私も実は思うのでございますが、その方になりますと、別の議論を先ほどから申し上げておりまして、つまり、修正条件付承認ということは、やはり国会審議を十分行なうのには適しない、つまり、国会をできるだけ最高機関としての実あらしめるためには、賛成できないということを申し上げたのでございます。
  124. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 国会意見を尊重するという意味で、国会が自由な審議をし、また修正をし得るという方が、むしろ国会は尊重されるので、国会はイエスかノーしか認められないというように権能を制限されたのでは、これはかえって国会尊重にならないと思うのでありますが、それはそれといたしまして、調印前に仮調印国会承認を求めることが憲法違反ではないといたしますならば、むしろ国会で自由に審議をし、修正をさせる方がいいのじゃないか、こう私は考えるのです。と申しますのは、先生お急ぎになりますから、なるべく簡潔に申し上げますが、先ほど来お述べになりましたこと並びに今までの質問応答を聞いておりますと、田上さんは、批准前の国会承認にあたって、その修正憲法上認められない、このような御意見でございます。しこうしてなおかつ、仮調印調印前、そのときにも修正は妥当でない、そのような時期の承認はおもしろくない、こういうことになりますと、国民外交であるべき今日の日本の外交につきまして、国民の意向が十分に条約には盛られない、こういうことになるのです。むろん、世論調査あるいはいろいろな国民意見の発表によりまして、大まかな国民意見は、政府が感知しておるところではございましょう。しかしながら、やはり正式の場でそれぞれの議論をし、場合によっては採決をする。それによって初めて、国民の代表である国会意思がどこにあるかということがわかるのでございまして、ただそこらのうわさや意見だけでは、確定的に国民意見はつかめません。その意味合いにおいて、大体文案ができた仮調印後、調印前、このときこそ、先生の御意見からすれば、国民の要望する、国民意見に最も沿うような条約締結するために、その意見国民に求める絶好のチャンスではないか。そういう意味合いにおいて、先生の御議論からすれば、批准前の国会承認において修正ができないとすれば、調印前に国会承認を求めることによって、国民の意向が十二分に条約に盛り込まれるということになると思うのでありますが、それにいたしましても、調印前の承認はどうしてもいけないとお考えかどうか、承っておきたいと思います。
  125. 田上穰治

    田上参考人 大体御趣旨はわかりましたし、またお気持は実は私も賛成であります。ただしかし、ちょっと技術的に見まして、——修正、つまり、現在進行中、交渉中の条約内容、あるいはもうすでに調印段階になっているかもしれないが、そういったまさに批准しようとしている条約内容について、国民を代表して国会の方で修正希望する、修正を要求でもよろしゅうございますが、そういうことが政府に向かって替えないかという御質問でございます。それはもちろん私は言えると思うのであります。私の問題にしておりますのは、修正が、同時に承認一種の形になるかどうか、つまり、普通の法律案その他でありますと、繰り返して申し上げますが、可決否決、いずれかであります。修正はございますが、修正可決一種でございます。内容を変えて可決をする。未確定状態で、ただ一応修正してみろという政府に対する要求ではない。ところが条約の場合のお考えは、修正したらどうかということであって、承認はまだ与えてないように私は伺いましたし、また私はそういうふうに考えるのでございます。だから、修正できるかできないかというよりも、むしろ問題を変えまして、修正をして承認ができるかどうかということでございます。私は、承認はできない、不承認であって、ただしかし、修正せよということを政府に求める。その求めるのは、私は繰り返して申し上げますが、政治的に十分国会意思を、政府はその場合に尊重すべきである。これは当然でございますが、法理論として、法律的には拘来されないということを申し上げておるのでございます。しかし、法律的に拘束されないから、政府は幾らでも逃げられるかというと、これは国民の良識なり、また国会地位から考えまして、政府として十分それに沿うべきであり、また沿わなければ政治的な責任を追及される、こう思うのであります。繰り返して申し上げますが、修正できるかどうかというよりも、むしろ承認という形の修正、あるいは法律案修正可決のような意味における修正ができるかどうか、この御質問でありますと、私はできないと申し上げておるのでございまして、国民を代表して修正意見政府に強く申し入れることができるかということでございましたならば、これはもちろん十分国会においておやり願いたいということであります。
  126. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 仮調印あるいは調印といいましても、仮調印は、文案は確定しているはずでございます。調印はほとんどセレモニーの場合が多い。だから確定しているのであって、私はちょっとその意見はどうかと思うのですが、この点について蝋山さんにお伺いしたいのであります。  仮調印後、調印前に国会承認を求めるということが憲法上許されるかどうか、また、それが政治上妥当であるかどうかという問題について、お伺いしたいのであります。
  127. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 調印あるいは調印前というようなことは、調印ということの法律上の効果がはっきりしていないと、それが憲法国会に許されるかどうかといったようなことに、はっきりお答えできないのであります。私は、調印効果というのは、国内法的には、調印前であろうと調印後であろうと、異ならないという考え方であります。ただ国際関係において、国際法上、信義の問題が発生いたしますし、また相手方の同意を必要とするという条件がそこに伴っている、それだけの相違だと思うのであります。調印前であるとか、調印国会同意を求めるのに、どちらが適当であるかというようなことは、その条約案のでき工合により、また這般の情勢によるべき問題で、そう私自身根本的に調印ということはあまり重要視していないのであります。
  128. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 そうしますと、蝋山さんのおっしゃる通り、調印前も後も国内的には変わらない。しかしながら、調印後は対外的の関係がそこにできてくる。こうなりますと、対外的な関係ができてから修正あるいは留保ということは、なかなか折衝を要するから、行政機関としてはなかなか事めんどうだということになりますけれども、対外関係ができる調印の前、しかも仮調印がされて文案が確定したこのときに、国会において十分審議をし、自由な修正をしても、対外関係を生じないから、行政機関としてはかえってやりよい、こういうことになるから、調印前の方がよいということになると思うのでありますが、この点は田上さんいかがでありましょうか。
  129. 田上穰治

    田上参考人 先ほどからその御意見はよくわかりましたし、私もその意味で御同感なのでありますが、しかし繰り返して申し上げますように、それはただ修正せよという国会のお考えを表明されることでありまして、修正承認ではない。ところが憲法で認めておりますのは、承認するかしないかということがございますから、修正承認ということならば一応考えられるようでございますが、これは別問題です。そうでなくて、承認不承認には触れないで、ただとにかく内容について修正せよというお考えでありますと、これは直接憲法七十三条の第三号の問題ではなくて、これに関連して、国会最高機関として一般行政についての監督権を持っている、その立場決議をされる、あるいは申し入れをされるということでございますから、繰り返して申し上げますが、政治的にはもちろん政府が十分尊重しなければなりませんが、法律的な拘束力がある決議とか、あるいは修正とは考えないのでございます。
  130. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 お急ぎのようですから、別の質問に移りたいと思います。もう一点お伺いいたしたいのでありますが、先ほどお述べになりました中に、国会法第八十五条につきまして、両院協議会を開くというような場合は、これは複数の条約を一括して提案された場合、あるいは特定の事項について留保があらかじめ認められている場合にのみあり得るのだが、これはほとんど少なかろうというような御意見でございました。そこで、複数の条約が一括して一議案として提案された、そういう場合に、一方が一院において否認せられ、一院において可決されておる、こういうような場合ではないか、こういう御趣旨と考えるのでありますが、複数の議案が一括議案として提案せられるということはすでに、複数ではあるが、その条約二つは緊密なる関連性が当然あるわけです。関連のないものを一議案として出す例はほとんどございません。非常に緊密な関連のある議案である条約が、二つ一括して出されておる。その場合に、一方の条約否決し、他方を可決するということが可能であるならば、一つ条約についても、相互可分の場合もあるが、大体一体をなしておる。二つの条約が密接で一体をなしておると同じように、一つ条約においても、大部分は可決をする、一部分は否決をする、すなわち修正になるわけでございますが、そういうことが可能になってくるように思うのでございますが、これはいかがでございましょうか。
  131. 田上穰治

    田上参考人 ただいまの御指摘の通りでございまして、私非常に、御説明というか、意見を不正確に申し上げましたが、もちろん多数の条約を一括提案いたしました場合でも、その条約内容が関連しておる、不可分のものでありましたならば、私は、そのある一部の議案を承認し、他を不承認ということは、先ほどから申し上げておりますような意味で、一種修正であり、できないと考えるものでございます。従いまして、国会法八十五条が、実際の回付案というものは、私の考えではきわめてまれな場合であり、実は国会法には格別そういう断わり書きはないのでございますが、予算と違って、条約の場合は、あの条文は、文字通り回付案というものを広く考えますると、憲法の精神に反すると実は思っておるものでございます。
  132. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 そうしますると、関連のない議案、条約二つが一括して一議案となるというようなことは、ほとんどないのであるから、こんな場合は生じてこない、こういうふうになる、こういうような御意見かと承りました。続いて国会法の第八十五条でございまするが、これは衆議院可決して参議院に回して、参議院否決をした、それで協議会に持ってくる、こういう場合に、先生の説によれば、協議会が開かれるというだけで、修正というものがあり得ないから、この場合だけに限る、こういうことに第八十五条はなる、こういうようにお考えになっておるかどうか、その点承りたいと思います。
  133. 田上穰治

    田上参考人 大体そのように考えております。つまり、回付案ということは、通常の場合には予想されないように私は考えております。送付案はございますけれども、回付案が出てくるということは、ちょっと普通ならば考えられないように私は存じます。
  134. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 そうしますと、八十五条の条約に関する両院協議会というようなものは、ほとんど意味ないわけですね。衆議院可決をして参議院に回した、参議院が反対をする、反対をしても、国会法の手続に従って、衆議院議決がそのまま通る、こういうことになるのであります。しかし八十五条の両院協議会というものは、そういう一方が全面的に賛成、他方は全面的に反対、そこでオールとナシングと、この二つが話し合っても話し合いができるはずがないのだから、およそ八十五条はそんなものを予期してはおりません。必ず一方は全部賛成だが、他方は一部反対、あるいはその反対の仕方で少し意見が違う、こういう場合に、折り合うためにできたのであるから、八十五条は不必要な規定である、こうお考えになっておるかどうか。  それから憲法の第六十一条も、また六十条の予算に関する両院協議会の規定を設けておることも、ほとんどナンセンスになっておる、このようにお考えであるかどうか、承りたい。
  135. 田上穰治

    田上参考人 八十五条につきましては、これはもちろん予算の規定もございますし、また条約についても、逆の参議院先議という場合も、規定の上ではたしかあったようでございますが、大体今の回付案のみならず、送付案につきまして否決、そうして両院協議会ということも、協議会の成案というものは、普通きわめて得にくいものであると思うのであります、  なお、憲法第六十一条につきましては、これはやはり両院協議会だけでなしに、六十一条の規定が、衆議院優越の原則を認めたということについて、きわめて重要だと思うのです。ただ、六十条を準用いたします結果、そこに御指摘のような両院協議会の制度も当然出てくるわけでありまして、この限度では、国会法八十五条と同じ問題というか、あまり実効性が認められないということは言えると思います。
  136. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 もう一言田上さんにお伺いしたいのですが、修正して承認するということになると、修正の部分については、これは将来国会議決を拘束する、従って審議権を制限する、こういうお話がございましたが、これは私ちょっと解し兼ねるのであります。そのような修正意見が、将来における政府の外交にいて国会意思表示をなしておる、それで会期が変われば、一事再議で別の意見が出し得るのだが、そういう別の意見が出し得なくなるということですが、一事再議はその会期中だけですから、他の会期になれば違った意見を——前に修正意見として出したその意見と違った意見を、次のあるいはその次の会期にきめても、一つも差しつかえないので、この点は別に国会権能を制限することにはならないと私は考えます。それからまた、同じ議案でありましても、一会期にその議案をきめる、同じものを別の会期できめても差しつかえないのであって、その点ちょっと理解しかねたのですが、御説明願います。
  137. 田上穰治

    田上参考人 私の申し上げましたのは、修正承認という形になりますと、そこでもうすでにその議案は国会から離れまして、政府の方に移ってしまう。だから政府があらためて将来その修正趣旨に従って直したか、その点問題でございましょうが、あらためて将来これを国会に提案しない限りは、国会でさらにこれを、先ほど御指摘のように修正するということもないし、また、政府が提案する義務もない。もちろん修正趣旨に反して、もっと不手ぎわな新しい条約調印されたような場合には出す必要はございますけれども、そうでない限りは、提案して承認を求める必要はないと考えるのであります。この点で、この不承認ということになっておりますと、将来とにかくもう一度承認を求めなければ批准はできないという点で、国会権能が確保されると考えております。
  138. 小澤佐重喜

    小澤委員長 松本七郎君。
  139. 松本七郎

    ○松本(七)委員 ごく簡単に、一点だけお伺いしたいと思います。結局この問題は、立法府と行政府との関係、憲法でいえば、四十一条と七十三条、この関係をどう規定し、運営するかというところにかかっておるようです。そこで非常に重要な問題でございますので、いずれ国会独自で結論を出さなければならないと思いますが、それについて、三先生の非常に貴重な御意見を伺って、私ども非常に益するところがあったのでございます。  そこで、田上先生に一点お伺いしておきたいと思いますのは、先生もやはり国会意思を尊重するという点にはお触れになりましたし、これを無視しようというのではない、この点はよくわかるのです。しかし、この憲法四十一条で規定したところの、国権の最高機関として、また、唯一の立法機関としての国会意思というものが、ただ道義的に、あるいは政治的に尊重されればそれでいいか。あるいは条約についても、締結権は行政府にあるけれども、その内容にわたっては、最高機関である国会意思もこれに十分関与させる道を、言葉をかえて言えば、ある場合には政府を法的に拘束する道をつけなければ、私どもの考えでは、この四十一条の規定を、主権在民の現在の憲法に照らし合わせて考えても、この規定を真に尊重したことにはならないのではないか、こういう疑いが出てくるわけです。そこで、この七十三条の締結権という規定だけでは、主権在民の憲法の基本精神に反するおそれはないだろうか。ほかにまだ、この条約締結について、内容にわたって国会意思表示をなし、それで政府を拘束することを積極的に禁止しておる条項が、他の憲法の条項にあれば別でございますけれども、それはおそらくないと思う。ただ七十三条の締結権云々の規定だけで、そこまで広い権限政府に認める結果になるということは、憲法の基本精神に違反するおそれが生じてこないだろうか、ここが結局一番の問題点になると思います。そこで、この点に対する先生のお考え方を、ここで明確に伺っておきたいと思います。
  140. 田上穰治

    田上参考人 その点は、やはり私は七十三条の第三号の解釈だと思うのでございますが、幾分重複いたしますけれども、条約締結権承認権とは、同一ではないと考えております。どういうふうに表現いたしますか、イニシアチブというか、条約内容についての新しいものをまず一応作ってみる。もちろん、国会承認しなければ法的には効力がありませんけれども、原案を作成するということは政府条約締結権に含まれておるのであって、その場合に、これからこういう案でもって条約締結するように、事前内容を具体的に示しまして政府に指示することは、これは私は、条約締結権そのものを国会がかわって行なうということになると思うのでございます。憲法四十一条は、確かに最高機関でございますが、最高機関はやはり憲法の規定、ワクの中で考えられることでございまして、七十三条でやはり承認権条約締結権というものは全然同じではなくて、そこにイニシアチブというか、案を初めに作成するということは政府の責任においてなすべきことであり、それが悪ければ国会が十分にこれを批判し、これを握りつぶすということはおできになる。ただ、その場合に、これも重複いたしますが、どうもそれだけでは物足りない、やはり安保条約なるものに、正面から反対ではないのだが部分的に変えてもらいたい、そういうことがどうして言えないかということだと思いますけれども、私は、もしそれならば不承認、何回でも不承認ということがあり、また、一たん不承認になったものを次の機会承認するという自由はもちろんあるのでございますから、その点格別の不都合はなかろう、そして、もちろん、政治的には強く国会が、決議をもって政府に迫るということはおできになる。それは憲法七十三条の承認権の行使というか、承認一種ではないということを申し上げておるのであります。明文の規定がなくても、国会が、政府の行政あるいは内閣権能に関する事務につきまして意思表示をされる、決議をされることは、もちろん当然おできになることであり、また、それが政治的に十分効果のあることは、私どもも当然だと思うのでありますが、ただ法律的に、あるいは七十三条に基づく決議とか、あるいはこの承認一種であるとはとれないということであります。
  141. 松本七郎

    ○松本(七)委員 ちょっとその点関連しますので、両先生の意見を簡単に伺っておきたいのですが、私どもの考えでは、この締結権ということは、内容にわたって自由裁量と申しますか、それをもう全面的に政府にゆだねて、それには立法府は全然関与できないというふうに解釈すべきではない。たとえば、国会がこういう内容のものであるべきだと意思表示をはっきりした場合に、それに法的な拘束力政府に対して持たして、政府は、この国会の意を体して交渉する。交渉することが、その締結権としてゆだねられておるのであって、その内容については、政府だけにゆだねられておるのではなしに、国会独自の形式と方法をもって、意思表示をなし、これが法的拘束力を持つようにしなければ、四十一条の憲法の規定というものはほんとうに生きない、こういう観点を私どもりは持っておるわけです。  そこで、先生のお考えはこれでよくわかりましたが、中村、蝋山両先生に、その点についてちょっとお伺いしておきたいのです。そういうふうに、今の論争は、どちらかというと国会立場と、それから行政府立場というものがこんがらがっておる。私どもは、国会立場から言うならば、今私が述べましたような基本線をもっと積極的に伸ばしていくとすれば、あるいは中村先生は付加承認、それから削除承認というふうな言葉で述べられましたけれども、これは区別すべきものではない。むしろ国会独自が、独自の案として、かくかくしかじかの条約締結すべきである、そういう発案もなす権利は持っておるのではないか。そこまでいかなければ、この四十一条の憲法の精神というものはほんとうに生きてこない。そういう意思決定を国会がなした場合には、それを実現すべく、政府は極力交渉に乗り出して努力しなければならない義務を負わなければならない。しかし、政府にその意思がない場合、あるいは交渉が難航して見込みがない場合には、国会政府というものが対立するという結果になると思います。現実には、日本のように議院内閣制をとっておる場合には、そういう場面は出てこないと思いますけれども、やはり制度上、法律的には、国会がそのような権限を持っておるということをはっきりさせなければ、私は終始一貫しないと思うのでございます。この点についての御意見を両先生からお伺いしたいと思います。
  142. 中村哲

    中村参考人 憲法の七十三条は、憲法四十一条との関連において、国会が国権の最高機関であるという、その基本的な面から解釈するというのは、私ども全く賛成であり、また、先ほどそれを申したわけです。それから、ことにアメリカ大統領日本内閣総理大臣を比べました場合に、アメリカ大統領は、いわゆる大統領制といわれて、イギリス流の議院内閣制とは違いまして、国会とは別の系統で国民から選ばれているものです。ところが、日本内閣総理大臣によって代表される内閣は、議会の信任に基づいて、議会意思の上に存立しておるわけです。従って、こういう日本のような議院内閣制をとっている国の内閣の場合には、自分たちの意思国会意思であるというのではなく、逆に、内閣自身が常に国会意思を尊重してやるということがなければおかしいと思うのです。  それから先ほどの修正という場合の、削除する場合の修正と、それから増加する場合の修正ということにつきましては、先ほど理論的にはそういうことは分けられるけれども、現実の問題として、それは非常に微妙で分けられないんじゃないかというふうにも私はちょっと触れたわけです。というのは、たとえば、今の安保条約の期限が十年というのを三年に限るというような場合、部分的な不承認というか、あるいは三年というものを加えたというふうに見るか、そういう点で、実際問題としては非常に微妙だというふうに私は考えておるわけです。そういう意味で、そういうことに対する判断も国会自身で解決されるといいと思いますし、そして、方向としましては、今や国会審議権というものがどの程度のものであるかということが論議されているので、そういう場合に、国会自身が自分の審議権を狭めるように解釈される必要はない、私はこういうふうに思います。憲法趣旨は、まさに国民を代表するのは、直接には国会です。それの上に内閣が存立しているわけでありますから、国会自身の審議権とか発言というもの、その国会の考え方というものを、条約締結する場合に大いに反映させるということ、これはまさに憲法の基本構造から見て当然だと思う。ただ、七十三条の言葉じりだけをとらえて解釈するのは間違っておる、私はそう思っております。
  143. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 松本委員のお尋ねは具体的には、条件付承認または修正承認というようなことが、七十三条の建前からも、また四十一条の建前からも、できるかどうかということに帰着するのではないかと私は考えるのであります。こういう問題について、今の憲法の規定もしくは文字解釈をいたしましたのでは、なかなか議論は尽きないのではないか、水かけ論になるおそれがあると思います。  ここで私が、この問題について二つの極端な場合を考えてみます。  一つは、政府がまだ全然この条約について提案をしない場合に、国会が一定の案文を付した条約の提案権を持っているかどうか、こういう種類の条約締結すべしと政府に向かって提案することができるかどうか、こういう場合を想定いたします。私はこれに対して、できると考えるのであります。ただし、七十三条によりまして、その後政府がそれをいかに受け取るかという点は、手続的に七十三条が動いてこなければなりません。国会が、直ちにそれによって交渉するとかどうとかということは、これはできないことは明瞭だと思います。かつて米国におきましても、この点が争われて、国会がみずから提案したことも何度かあります。しかしそれは、実際上非常にめずらしい、必ずしも適当でないと思いますが、権能としてはあり得る、そういうふうに解釈いたします。  いま一つの極端な例は、批准の場合、もういよいよ批准書を交換するという場合、その批准の場合に条件をつけることができるかどうか。国際法のテキストを見ますと、大がい無条件的でなければならないということを、批准ということについていわれております。一応そうはいわれますが、実際の例を見ますと、批准の場合でも、条件がついておる場合もあるのです。それはどういう場合であるかというと、一つ調印の際に条件をつけた場合、これはもう当然なことだと思うのです。ところが、いま一つ条件をはっきりつけて相手方の同意を得たわけではないが、とにかく調印の際にこういう条件をつけたいということを意思表示している、ですから相手は全然知らないことじゃない、いわゆる知っていることなんです。そういう場合においては、批准の際においてさえ、つまり交換せらるべき批准書の中にすでにその条件がつくということ、そういうことすらあり得る。最後の段階においても、条件というものが絶対的な無条件ではない。だとすれば、その中間において、今国会承認を求められているような場合に、条件をつけるというようなことが、憲法上できないということはあり得まないと私は思っております。(拍手)
  144. 小澤佐重喜

    小澤委員長 この際申し上げます。田上参考人は、時間の都合上、この際退席をいたします。  田上参考人に申し上げます。御多忙のところ、本日は長時間にわたりまして御意見を拝聴し、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。(拍手)  椎熊委員
  145. 椎熊三郎

    椎熊委員 私は主として蝋山先生にお尋ねしたいと思うのです。先生も、もう時間がおありにならぬそうですから、ごく簡単に申し上げます。率直にお答えを願われればけっこうであります。  新憲法になりましてから、条約の問題で承認を要求されておる問題に関連して、国会修正権があるかどうかということを論議したのは、今回で四回目でございます。第十三回以来これをやっておるのですが、現実にはまだその結論に達していないような状況で、私ども非常に多くの疑問を持っておるのであります。そこで先刻、先生の御説明によりますると、条約締結とは何であるかという御説明がありまして、大へん貴重なお話でありまして、私どもは参考になりました。そのお話によると、条約締結とは交渉調印、それから国会承認批准書の交換、それだけを全部総合して条約締結というのだというお話のように承りましたが、そういたしますると、条約締結の権利とは、時の内閣、行政府だけの一方が持っておる権利ではなくして、その要件を満たす、承諾を与えるという国会にも、また条約締結の権利があるかのように聞こえる節もあるのでございまして、私はその点は、先生の御議論でありますが、別の考えを持っておるのです。それは、憲法では「内閣は、他の一般行政事務の外、」と、わざわざ締結権について一般事務と分けて規定してある点、それから「条約締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、国会承認を経ることを必要とする。」と定めておって、六十一条には、なお「条約締結に必要な国会承認については、」という文字も使っておるのですから、条約締結の権利ということでそのことを表現するなら、権利はまさに行政府たる内閣にのみあって、国会の行動は、それを締結する要件を満たすだけの重要な要素であるというふうに私どもは今日まで考えて参りました。そこで、その考えが間違いであるかどうか。  それから、それに基づいて私ども今日まで、新憲法以来、幾多の条約批准して参りまして、承認を与えて参りました慣例から申しますると、今のように、政府は、これこれの条約について承認を求めるの件ということで議案が出て参っておるのです。これがもうほとんど今日まで、疑いもなく国会の慣例ともなり、その点では疑問がなかったのですが、本日、はしなくもこの問題に中村先生がお触れになりまして、こういう出し方はいけないのではないか、出し方をもっと別に考えるべきだという御議論もありました。これは大へん重要な問題になりますから、今日まで国会が、慣行として政府がこういう出し方をして、それに何らの疑問もなしにわれわれは審議を続けて参りました、その行動が間違いであったのかどうか。先生のお説からいうと、条約締結権というものは、内閣専属の権限ではなくして、この権限は一部国会にもありそうに聞こえます御説明、私の聞き誤りであるかもしれないのですが、その点を一つもう一度御説明願えればけっこうであります。
  146. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 条約締結権というものは、私は国家にあると考えております。従って、最高の権威は国家になければなりません。その国家をだれが代表するか、また、国家の作業をいかなる機関が行なうかということで、いわゆる三権分立という考え方も出てくるでしょうし、なかんずく、主権を持っておる国民の代表者である国会が、国民最高機関であるという考え方もそこから出てくるのです。私は、条約というのは、対外関係という意味で、単なる国内法的な問題と違うと思っております。そういう関係から、条約締結ということの最後の決定者は国家である、最高の権威者は国家である、こう考えておるのでありますが、そこで問題は、七十三条のようなものを一体どういうふうに国会は今までお考えになってきたのか。今お尋ねのような提案形式が、つまり国会というものの承認が必要ではあるけれども付随的なものであって、主たるものは行政権にあるのだ、こういう意味をその提案形式意味して、おるのだとすると、大へん私は間違いじゃないかと思うのです。というのは今申しましたように、条約締結は行政上の事務として行政権の主体である内閣がいたしますけれども、条約として成立するためには、国会承認という形式において国会の参加を待たなければならぬ。その意味において、どうしてもこれは行政権の専決事項ではないのです。その意味で、その形式が、内閣行政権の手にのみこの条約締結ということがあるのだというふうなことを表わすものだとするならば、少し間違いではなかったろうか。また、国会としても、その形式を認めることは、みずからの権能を狭めてきたのではなかろうかというふうに私は解釈せざるを得ないのですが、先ほどもちょっとほかの機会にお答えいたしましたように、形式は大して問題じゃないのじゃないか。むしろ国会が実質的に、その形式にもかかわらず、承認を与えるためには条文、法案そのもの一切を審議されてきたのではなかろうか、こういうふうに私は考えておりますので、その形式にあまりとらわれて考えておらないのであります。
  147. 椎熊三郎

    椎熊委員 大へん明確になりまして、ありがとうございました。そこで、提出の問題については、政府がいかように考えましょうとも、国会自体は条約そのものを審議して、それに可否の決定を与えるということだろうとわれわれは心得ておる。しかるに、過去においては、政府の出し方においてもわれわれと意見を異にした場合もございました。今回の場合は、政府におきましては、その答弁の中に、承諾を求める件というものは、一緒に出しております条約であるとか、行政協定とかという実質的のもの、それ自体が、今審議の対象としては不可分一体のものであるということも政府側では言っておるので、私どもは、それはその通りでよかろうと思っておる。そこで先生は、提出上の形式いかんにかかわらず、形式には違憲とか、違法とかということはないというような御議論のように私は受け取りました。  そこで次に進みますのは、先生は、国会条約修正権ありと御主張なさいます。そこで、先生のいわゆる修正権とはいかなるものか。私は、条約というものは、一国と一国との間に結ばれた一つの約定にほかならないと思う。そういう相手方のある一つの約定というものを、相手方の意思も、考えも、また行動も考えずに、ただ一方的に、いかなる権限があるといいましても、具体的には日本国会がこれを修正するということは、われわれが、常に議案、法律案あるいは予算案その他の問題のときに用いておる修正権というものとは本質的に、また、内容的に差別のあるものではなかろうか。予算であるとか、決議であるとか、そういうものは、もしそれ私どもが修正するとなるならば、院の最終決定で即それが効力を発生するのでございます。しかるに、条約の場合におきましては、国会はいかなる権能があると申しましても、相手方と交渉なき一方的の考え方における修正というものは、予算の修正その他の案件の修正とは全く違ったものであって、たとえば、言うことができるならば未確定権利のような、条件付の権利のような状態に置かれている一つの行動であるのではなかろうか。そうすると、先生は修正権ありとおっしゃいますが、その修正権とは、予算の修正権その他の案件の修正権とは、実質的には違ったものであると解釈する以外に道はないと思うのですが、その点はどうでございましょうか。
  148. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 結論としては、実質的に変わりがないという私の考えでございます。行使の仕方、あるいはその内容において、あるいは限界等の点について相違があるということは、私がさっきから申し上げておるのでございます。そこで問題になります点は、もし修正を行ないました場合に、その修正された条約案を受け取った行政府がどうするかという問題が、国際法上あるいは国際信義の上からどういう効果を持つかということについては、修正をされるときには議会も十分考慮されるだろうと思います。しかし、それは問題でない。今、私ども問題にしておるのは、修正することが可能であるかどうか、それを政府がどのようにして再交渉をするか、あるいはもう再交渉を断念してドロップするか。その結果、不承認ということになると思いますけれども、そこは行政府の判断に待つべきもので、そういう判断を下して政府の行動に拘束を加えるということが、国権の最高機関である国会の立法権ではないかというのが私の考えであります。
  149. 椎熊三郎

    椎熊委員 最高機関たる国会権能は、自由にして非常に広範なものであることは、私ども期待しておるのであります。しかしながら、国会権能といえども、おのずから限界があるのではないか。現に私どもが扱っております案件といえども、必ずしも、先生のおっしゃるように、何事でも修正もできれば、可決否決も何でもできるというものではなくして、その案件により、問題によっては、われわれの修正権などは全然認められない問題がございます。たとえば、私どもの審議の対象である国民国会に対する請願のごときは、これを採択するかどうかは、われわれの審議の対象であります。しかし、その内容については、国民がお願いすることでありますから、修正できないのです。いかなる権限があるこの国会といえども、出してきた請願の内容修正することはできない。それから決算の場合におきましても、すでに政府が支出してしまったものに、不当であるとか、承認するとかいうことはできますが、その支出の内容について修正を加えることはできない。そういうふうに、おのずから、国会といえども何でもできるというものではなくして、案件の種類により、内容により、性質によっては制約を受けておるのです。憲法上、特に条約締結はという字句を使っているのは、私は政府締結権があるという考え方で、先生は、それは政府国会と両方にあるというふうに受け取れる御説明のようでございましたが、その点、私の意見は多少先生とは違っておりますけれども、そういう場合におけるわれわれの審議権能は、何でもできるというものではない。いわゆる予算を修正するがごとき、われわれが決定したら即それが実現するということではなしに、それに対する政府の政治上の責任は別です。しかしながら、憲法上、政府国会に対して責任を負わなければなりませんから、最高機関たる国会がそういう意思表示をしたら、それを尊重するということは建前でございましょう。そうして、その方向に動くということも当然でございましょう。しかしながら、それをしない場合でも違憲ではありません。そうして政府としては、しない場合には国会を解散することもできましょうし、みずから内閣を瓦解することもできましょう。従ってわれわれが言うところの修正権とは、条約に対する修正権というものとは本質的に内容が違っておるものであって、条件付かあるいは不確定な権利であるというので、本来持っておる修正権というものとは別個なものだ、私はそういうことを感ずるのです。その点は、どうも先生と平行線のようでございまして遺憾でございますけれども、仕方ありません。そこで政府修正を受けた場合をどう考えるかという先般来の質問に対して、外務大臣はこう答えておるのです。修正原案に対して承諾を与えざる行為である、従って、承認を与えざるものとみなすということを答えておる。政府の答弁ですから、どのように答弁しても国会はそれは関係ありませんけれども、一応政府としては、そういう見解をとることもまたしかるべしであろう。従って、先ほど田上先生のお説のように、修正というものは可決でいくのだ、可決修正ということであるならば、その通り政府が動いて、相手側も承知したら再び国会にかける必要がないという結果を生ずる、それはむしろ審議権の縮小を意味するものであって、それよりも、この条約審議にあたっては、承諾するかしないかの二点に帰着する以外に案の扱い方法がないというように聞こえるお話もありまして、私は、まさにその通りだと思う。政府の要求するところは、条約承認するかどうかという——修正するとか、しないとかということは、意思表示としてするならよろしゅうございます。国会意思表示は、いかなる意思表示もよろしゅうございましょう。けれども、これが決議であったとするならば、その決議というものは、条項そのものをどう直せという希望意見にすぎない。いわんや、これが附帯決議であるならば、附帯決議決議そのものではないので、全くの希望でございましょう。そういうことは自由であるけれども、案そのものを直すという場合に、それでは先生は具体的にどういうふうに直すか。国会法の規定するところによると、修正案を審議する場合には、修正案を具して議長に申達しなければならない。それでは、この際、修正案を国会が作って、そうしてそれを添えて議案としなければならぬのです。先生の先ほどの意見によると、国会自身が条約の案文作成の権利さえあるとおっしゃいましたが、それには私は同感できないので、そういう点はわざわざ憲法で明記して、行政府のやることであると明確に規定しておる点だと思いまして、それらの点をあまり拡張解釈することは、三権分立の立場からはとるべき説でないのではなかろうかと、まことに粗雑な頭ですが、私はそう考えておる。そこで先生は、修正するときの具体案は一体どうしますか。  もう一つ承りたいのは、修正可決した場合に、政府が出した原案というものの運命は一体どうなるのでしょうか。修正された案というものと政府原案とは全く別質のものである。この案の所在は一体どうなるのか。案が行方不明になるという結果になるのであって、どうしても承認不承認か以外、何かそこに処置をつけていかないと、この条約審議というものを結了することにはならないのではないかと私は思うのです。修正した場合の修正の方法と、修正した場合の本案の運命ははたしてどうなるかという御説明を、いただければけっこうだと思います。
  150. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 どうも議員諸公に向かって国会権限を説くなんて釈迦に説法のきらいがあるのですが、お尋ねでございますから……。  まず第一点として、国会は、何事もできるとは私申し上げておりません。昔から、少しグロテスクな言い方でありますけれども、男を女にしたり、女を男にすることは、いかに主権国会といえどもできないということがいわれております。また道徳に反し、あるいは国際道徳に反するようなことを立法することはできないと思うのです。しかし、それらの制限があるということは、何も国会が、今具体的な案件になっておりますような問題について、あるいは修正することもできないとか、そういうことにはならないと思うのです。私は国会権能というものは、理性の許される限り、あらゆる問題について立法し得るのではないか、いかにするか、どの機会にするかは国会の判断に待つべき問題ですけれども、権能としてはあり得ると考えております。従って、今回のような場合に、やはり修正ということの権能ありと私は考えております。どのように修正をいたすか、私考えておりません。これは別の機会に申し上げることが適当かと思います。この席は国会修正権ありやいなやということなのであって、修正をどのような形でするかということは、今の国会法の手続による以外に、別に内容的にお話しをする必要はないと思っております。ただし、今、国会がかりに修正をいたした場合において、修正内容によりけりだと思いますけれども、政府は、従来それが調印あるいはそれ以前に、もう何回にもわたって交渉してきた問題ですから、これは日本国民の代表者である国会意思として、ちっともふしぎではないというような問題がありました場合には、おそらく再交渉の可能性ありと考えるだろうと思います。それから、それはもう議論し尽くした結果であって、とうてい同意を求めることは不可能であるという場合には、不承認と同じ結果をみなすだろうと思います。そのほか、これはいろいろの先例もあることでありますが、行政の万能のように考えておる今の政府でも——これは私評になりますけれども、こういう点ならば、これはおそらく異議がないだろう、それはいわゆる註釈的、解釈的留保条項です。いわゆる極東の範囲というのは一体どこだとか、十年間に国際情勢というものはどういうふうに変わるとか、そういったような、ある一つ議会の見解を二つの留保としてやるような場合、それはある一つの条項に対する解釈なんです。インタープリテーションにすぎない。別に条項そのものに変更を加えるのじゃないのだというような場合ならば、あの頑強なウィルソンでさえもそれは譲歩したのです。ところが、内容的にわたるから譲歩できないというのでがんばって、ほんとうに修正されてしまったわけなんです。ですから、そういう問題がありますので、実際修正の形、あるいは内容をどうするかなんということは、これはもう皆さんが適当にお考えになれるので、行政権立場に同調されて、どうも、あらかじめもう制限されておるのだというふうに条約についてお考えになることは、議会権能という問題と、国際条約とか国際関係とかいうことと、やや混同された議論でさはなかろうかというふうに考えております。
  151. 椎熊三郎

    椎熊委員 ありがとうございました。後段における先生の政治論は、敬服に値するものだと私は思います。ただ、この修正権の問題で、経過的のことを学者先生方に参考までに申し上げたいのは、これで四回この論争を繰り返しておりますが、一番白熱化したのは、二十八年の奄美大島の条約に関するときであったのです。このときの外務当局の案の出し方に対する説明についても、国会と全く対立いたしました。そして、われわれは独自の見解を持って、条約文そのものは審議の対象であると国会自身がきめて、各党とも了承してその審議に入ったのであります。しかしながら、その際もやはり修正権があるかないかということで非常な論争になりましたので、その速記録は今も議会に残っておるのですが、結論といたしましては、当時社会党から出ておりました議運の委員の土井直作君という方が、非常な研究で深い掘り下げ方で論争をしたのですが、結論は、これは国会法の不備だということに落ちついて、幸い運営委員会の中には国会法改正の委員会があるから、ゆっくりこの委員会で研究して、国会法を改正しようということになっているのです。その後、その国会法改正の委員会はただたび開かれましたが、この案件についての審査がいまだに始まっておりません。従って、国会としては、修正権ありやなしやの問題は長い間の懸案であったが、結論はない問題だ。そこで私ども、今日までそれでは何もわからずにやってきたかということになりますが、私は、一つの見解を持ってこの条約審議してきた。それは修正権ありとする意見もありましょう。そうして修正権ありと確信する人は、修正したいならば修正案を出すべきでございましょう。修正論を展開すべきでございましょう。修正権なしと信ずる人は、それは修正権がないのだと議論すべきであって、終局は、院の多数がどちらに賛同するか、それによって院の意思決定をすることが正しいのであって、学者諸先生の意見を聞きましてもほとんどこれには定説というものはない。国会の事務総長の意見におきましても、事務総長は、今日は本質的にはある、調印後はない、こういうようなことを言っております。そこにも私は、法律解釈の上からは、どうも納得しかねる点がある。今あるとおっしゃいます 山先生のお話を聞いても、私は直ちに同感はしておらぬのであります。そういうふうに区々まちまちの意見国会にあってもしかるべきだ、当然統一される必要があれば統一されたら非常に便利ではあるが、こういうデリケートな問題は、あえて必ずしも努力をして無理に統一しなくても、意見は個々に持っておって、その意見の上に立って論議して、それが多数で決定されるならば多数決で、それは堂々と院の意思を決定したということになり得ると私は信じて、今日まで条約審議して参ったのですが、はしなくも今回この問題が議論になりましたので、諸先生の学問的な御意見を拝聴いたしまして、大へん参考になりました。ありがとうございました。ただ、今日の国会法上からは、先生のおっしゃるように修正権ありとするも、これを具体的に案件として提出するのは、今の国会法では不可能な状態ではなかろうかと、私の解釈を持っております。実際には修正権が行なわれないので、案を処理するためには、政府が要求しておる承諾するか、しないかという一点に帰着するものであると私は信じておるのであります。私のささやかなる卑見をも申し添えて、御参考に供した次第であります。
  152. 小澤佐重喜

  153. 中村時雄

    中村(時)委員 田上先生が急用のためにお出かけでありますし、また 山先生も非常にお急ぎなので、簡単に私は二点についてお尋ねをしておきたいと思うわけであります。  憲法の六十一条、国会法の八十五条では、この条約承認案件について両院が異なった議決を行なったときは、まず両院協議会を開いて妥協案の成立を諮らなければならない、こういうふうになっているわけですが、今までの政府やいろいろな議論の中から考えてみますと、この両院の協議会は、衆議院がイエスと議決し、参議院がノーと議決した場合のみに開かれるもの、このような想定のもとにいろいろな答弁をなさっていらっしゃる。もしかりにそうだとするならば、この協議会というものは、先ほど私たちの竹谷委員が申しましたように、オール・オア・ナッシングという全面的対立の中で両院協議会が開かれて、どういうことに対するところの妥協も期待ができない、そういうような行き方になるのじゃないか、私はこのように思うのであります。そこでこの場合の協議会は、程度についての話し合いの態勢のものではなくて、イエスかノーかという質についての、質的な問題について論じ合う場所になってしまうのではないか、このように危惧をしているわけなんです。すなわち、この協議会は、妥協案を発見し得るところの規模の問題でなくして、一方が自説を全面的に変更することを期待する以外に、その妥協案というものが成り立ってこないのじゃないか、このように考えられてくるわけです。従って、この協議会は、一方が全面的にその意思を変更することを期待して設けられるものかどうかというところにその問題点が集約してしまう、こういうふうになってくると思うのです。そこで、その問題を考えた場合に、新憲法は、予算案と条約承認案件については六十条で衆議院の優位性を認めておるのです。衆議院において議決後、三十日間を経過したときは衆議院議決国会議決ときめるという点から成り立っておる。そういたしますと、今言った両院協議会というものは必要はない、実際には衆議院議決が優先的になってしまう、ほっておけば、三十日において衆議院の優先権によってそれが議決になる、こういうことになってしまう。それじゃ、なぜ、それにもかかわらずこの協議会の規定を定めておるかということが問題になってくると私は思うのであります。そこで、この程度的な、部分的な修正が認められないとなれば、このような協議会制度というものの意義はないし、効果もない、こういうことが考えられてくる。こういうような無益なものを憲法に何も制定する必要はない、こういう結果が出てくる。それゆえに、私たちは、この条約承認案件には法律案と同様に国会修正権を持たすことができるのではないか、また、それが私たちの当然な責任であるのではないか、このように考えられる。また、もしも百歩譲るといたしましても、予算案と同様の修正権、あるいは組みかえ要求権を持つのではないか、こういうように考えられてくるわけなんです。一つ一つお尋ねしたいのでありますが、大体全般的にながめて見ました場合に、その協議会から割り出してくるものの中には、そういう立場から考えますと、当然竹谷委員がおっしゃったように修正権がその中からも生まれてくるのではないか、こういうことに対するお考え方を、第一点にお聞きしたいと思っておるのです。
  154. 中村哲

    中村参考人 国会法の八十五条の場合には、私先ほど申しましたように、部分的修正ということ、一部を承認するが、一部を承認しない、つまり、四条は削除してほしいとか、そういうふうな問題が出た場合に、ここで両院協議会が開かれるというような必要が出てくると思うのです。もし、今、政府が出しておりますようなやり方で、全面的に承認するかしないかとして、その内容はむしろ付属文言なんだ、承認するかしないかだという出し方であると、個々の条文について、この部分は承認しないが、この部分はいい、そういうような議論がしにくい。そこで私は、八十五条の予想していることと、それから政府提出の、承認を求めるの件の提出の仕方が矛盾しているようにさえ思っているわけです。以上です。
  155. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 私、国会法の問題について詳しくその趣旨を理解しておりませんが、とにかく、両院制度を設け、同時に議院内閣制をやっている以上は、予算案のようなもの、場合によっては非常に早急を要するような条約のような場合において、両院協議の成り立たない場合をおそれて、こういう衆議院優越の権能を与えたのじゃないかと思うので、その両院協議の中に修正権の可能性を暗示するような意味修正があることが予想されているかどうかについても、私はどうもそこまで考えておりません。そうかもしれない。それからまた六十一条の問題でも、やはりそういうことを予想してやっているかどうか、国会法からそういう根本問題を考えるということは少々無理じゃないかと思う。問題は、国会修正権があるということが正しい見解であると私は考えておりますが、もしそうだとするなら、国会法を適当に改めるという方がいいのじゃないかというふうに考えております。
  156. 中村時雄

    中村(時)委員 それで、今、中村先生のおっしゃった提案権の問題が非常に疑義があるという問題の解明もはっきりしてくると思うのです。同時にまた、その修正権というものが国会にあるという蝋山先生のお考え方から国会法の問題に入られたわけなんですが、そこで私も、当然そういうふうな方向に行かざるを得ないのではないかと思っているわけです。  もう一点は、今までのいろいろな皆様のお話を聞いておりますと、単独の条約案に対する修正権国会にあるかないかの問題が中心の議題になっている。幸いにいたしまして、竹谷議員から、その条約案件が複数であった場合にはどうかという問題が提案されたわけなんです。そのことは、私は非常に重要な問題であろうと思うのです。そこで、その点に関して一、二お聞きをしておきたいのですが、少なくとも、二つ以上の条約案件がありながら、これを特に一括して承認を求めなければならないという理由、この各条約が相互に関連しているから、すなわち、一体不可分の関係があるから、分離しがたいから、一括議案として私は承認を求めているものだろうと思う。ただめんどくさいから十ぱ一からげでやってしまうという意味のものではないと思います。だから、そういうふうに不可分のものだという見解から複数のものをとっている。ところが、ここにまた岸法律学者の新しい学説が出てきておる。国会は独自に、一つ承認し、他の一つを否認することができると言っている。私は不可分だと思っておりますけれども、そういう可分論も出てきておるわけであります。そこで百歩譲りまして、その見解というものを一応認めるということになりましたならば、当然これは両方が分離して認められるわけなんですから、一つの単独のものにおきましても、部分的な承認というものも当然その中から出てくるであろう、このように考えられるわけであります。だから部分的承認、部分的否認も、そういう見解の中から生まれてくるんじゃないかと思いますが、御見解を伺いたいと思います。
  157. 中村哲

    中村参考人 私は全く同感です。
  158. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 私の言うのは、個々の法案の関係を一括して出して、それが分離あるいは可分、あるいは不可分というようなことが、一体どれだけの意味を持っているのか、きわめて常識的に考えて、関連している法案というものは一括して出すということはいい。しかし、一括して出したからといって、それで何か審議権能に対して工作を加えるという考え方もいけないのじゃないかというふうに私は考えております。
  159. 中村時雄

    中村(時)委員 私もその通りだと思うのです。そういうふうに、部分的なものに分割されるという考え方そのものに問題があると思う。だがしかし、先ほど言いましたように、それが部分的にもでき得るのだという政府の見解というものが発表されている以上は、それを一応舞台の中心にして、それを百歩譲って私たちが考えた場合には、今言ったように、内容的なものからくる部分的修正というものもあり得るのじゃないか。部分的修正があり得るということは、ひいては、私は、修正というものができる権利がその中からも生まれてくるんじゃないかという、法的根拠に基づいた一つのあり方がその中から導き出されるのではないかと思う。これは非常に重要な課題として将来の問題になってきますので、なお重ねて、しつこいようですが、御見解を伺えればけっこうだと思います。
  160. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 私は、大体結論においてはそうなんです。部分的な修正が可能であるということが、そのような形式からくるんじゃなくて、その形式にもかかわらず、国会権能からくるという意味において、結論としてはあなたと同じ考え方なんです。
  161. 中村時雄

    中村(時)委員 関連でありましたから、いずれまた……。
  162. 小澤佐重喜

    小澤委員長 大貫大八君。
  163. 大貫大八

    ○大貫委員 蝋山先生にちょっと二、三点お尋ねいたします。  特に第一は、憲法七十三条の事前、事後というのは、一体いつを基点とするかという解釈であります。この点につきましては、先ほど中村先生は、調印のときを基点とするということをおっしゃられました。私は、学者の説をいろいろ見ますと、この基点というのが、条約の効力確定のときであるというのが大体通説のようになっております。しかし、私は、これには非常な疑問を持つのであります。というのは、もし条約の効力確定のそのときを基準として事前、事後ということになりますと、もし批准をして、条約確定してしまってから国会承認を求めて、国会から承認をされなかったり、不承認の場合には、その条約は国内的には効力が発生しないでしょう。しかし、国際的には、相手方に対して、これは国際法上の特別の事由がなければ、もうすでに相手国との間に効力が発生してしまった条約をみだりに廃棄するということはできないはずだ。そういう点から見ますと、私は、やはり中村先生のおっしゃられるように、事前、事後というこの七十三条の解釈は、調印のときを標準とする、こういう解釈が私は正しいと思うのですが、  蝋山先生の御意見をお伺いします。
  164. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 私は、それほど詳しく研究したわけではありませんが、御指示のような考え方ではありません。やはり、こういう事前、事後ということを分けた理由は、原則として事前なんです。しかし、事後というのは、緊急やむを得ざる状況があると思うのです。そこで事後ということが起こったのです。つまりそれは、もう批准が行なわれて、条約としては国際的に成立しておるのです。しかし、国会承認が得られない場合は例外としてはあり得る。そういう場合をやはり予想していいんじゃないか。しかし、そういうことは珍しい、おそらく例外的じゃないかと思います。
  165. 大貫大八

    ○大貫委員 そういたしますと、国会承認を得られなかった場合に条約の効力はどうなるのですか。国際間においては、一方的にそれを廃棄するということはできないと思います。やはり無理がなく解釈をするのには、国会承認を求むるということが、この条約の効力条件だと私は思うのであります。そういう意味では、調印のときが基準になるというのが正しいのではないかと思いますが、どうでしょう。
  166. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 私は、事後承認と同じように、おそらく、事後において承認があった場合においては効力があるし、承認が得られなかった場合には効力を失うという、普通の解釈がこの場合にとられるのではないかと思います。
  167. 大貫大八

    ○大貫委員 次に、七十三条の内閣条約締結権のことについてお尋ねいたしますが、この場合の締結というのは、外交交渉をして、政府条約についての合意を成立せしむる、これが私は締結だと思いますが、どうでしょうか。つまり、批准というようなものは、これは形式的要件であって、条約締結そのものではない、こういうふうに私は思うのですが、いかがですか。
  168. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 批准という問題は、批准書の交換というものは儀礼的ですけれども、この場合ですと、国会承認ということが事実上の承認だと思うのです。批准だと思うのです。ですから、批准書の交換ということは、儀礼的なものでありますけれども、承認批准というものが不可欠の関係に立っておると思います。
  169. 大貫大八

    ○大貫委員 つまり、政府の持っておるものは締結——外交交渉をして条約を成立せしむるというか、相手国と合意を成立せしむる、これが私は政府の持っておる締結権だと思う。それに対して国会は、自由自在に、あるいはノーと言い、イエスと言い、あるいは修正するということは、これは当然国会権能として自由ではないかと思います。その点は、先ほどからおっしゃられたと思いますが、どうなんですか。そう解釈してよろしゅうございますか。
  170. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 それはおっしゃる通りであります。
  171. 大貫大八

    ○大貫委員 もう一つ。これは先ほどの田上教授意見なんですが、帰ってしまわれたので、私はこの点をお聞きしたかったのですが、国会修正権がないという第二の理由として、もし修正をすると、その修正政府が拘束をされて、かえって国会自体の審議権が拘束されるような結果になる、こういうふうな議論をしておったと思います。いわゆる停止条件付承認だ、こう修正のことを規定しておったと思うのですが、そういう規定の仕方は少し飛躍しているんじゃないか。つまり、国会修正をした場合において、その修正された趣旨に従って政府はさらに外交交渉を始めて、かりに修正通りの相手国同意を得られた場合においても、これはもう一度国会承認を求めるという形式をとるのが私はほんとうだと思うのですが、どうですか。
  172. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 田上説に批判を加えるようですけれども、一応の法律論としては、ああいう考え方もできると思うのですが、ああいう考え方にいたしますと、絶えず不承認々々々ということを繰り返すわけです。そういうことが実際上外交関係において正しいかどうか、国会がそれを好むか好まないかということが大問題であって、それがかえって国会審議権を拘束するというのは、かなり形式的な法律論かと思うのです。むしろ、そういうふうに考えます。
  173. 小澤佐重喜

  174. 竹谷源太郎

    ○竹谷委員 昼御飯も上げないで、まことに恐縮ですが、蝋山さんに一言だけ……。  条約締結権能国家が当然持っておる、この権能の行使は、行政機関と立法機関と共同行為である、このような御説、私はこれは大賛成でございます。そこで、国会は、このような条約政府締結すべきであると、こういう発案をする、その形式決議案ということになるかと思いますが、これを提出することが私はできると思う。国会はこのような決議をなし得るかどうか、そうしてまた、政府締結権侵害というような問題は私は起きないと思うが、この点御意見を承りたい。国会としての条約に対する権能をはっきりさせる意味でも、御意見をお伺いしておきたいと思います。
  175. 蝋山政道

    ○蝋山参考人 先ほど申し上げました通り、そういう発案権も国会にあると私は考えております。ただ、その場合に、行政権として内閣がどのようにそれを受け入れるかは、別個の問題であります。
  176. 小澤佐重喜

    小澤委員長 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位には、御多用中、長時間にわたって御意見の開陳をいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。(拍手)  この際、暫時休憩いたします。     午後二時五十四分休憩      ————◇—————     〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕