○
柳田委員 それでは、私、今わが党の
八木君が言った点を
局長に
お尋ねしたい。
法律案、
予算と同じように
修正できるかどうかということに関連するわけですが、二十三日の閣議で、
内閣の方の
法制局の
意見としては――われわれ
国会は
国会独自で将来きめることですけれ
ども、
締結権を持った
内閣の方の
意見も
参考にはなるわけです。
決定するのは、われわれ
国会としてきめる、そういう
意味でございます。その中で「米国の
上院規則には
条約の
修正という言葉が出ているが、これは実際には
条件付き承認を
意味している。つまり
条約のある
部分を
政府が直す、または削ったら
承認を与えようというものである。このような
条件付き承認は
日本の
国会に」ここから大事なんです。「あるともないともいえない。しかしあるとしてもこれは
国会の
条約修正権とは全く別なもので」あって、
政府を法理論的には拘束しない。こういうふうに、
政府の方の
法制局側の
解釈はなっているわけですが、これは
政府の方の
解釈です。そこで、これは
参考に述べただけですが、そういう
国会に
修正権があるのかないのか、あるいは
部分的修正権があるかどうかということは、将来の問題です。それに関連してくると、今ここで
八木君が言ったように、この
条約の出し方が問題になる。ところが、われわれ
国会議員も、この点はある
意味においては
お互い共通の責任があるということは、従来の
先例では、確かに今回
安保条約等の
承認を求めたと同様の求め方をしてきておる
先例はあるわけです。その点は率直に認めます。ただし、今回この問題が非常に
憲法並びに
国会法との関連の、ある
意味の盲点としてことに
立法府と
行政権との関係のいわば盲点のような形で浮かび上がったので、そこで、そういう
先例のあることは率直に認めますが、将来は十分
検討しなければならぬ。ことに、われわれが、この
回答でも、慎重に
検討しようというのだから、そういう
意味で私は
局長に
お尋ねしますが、そうなってくると、かりに百歩も二百歩も譲って、
部分的
修正というようなことになってきても、そうなると、今のような
議案の出し方、この「
承認を求めるの件」一枚が
議案書とするならば、これはかりに百歩譲って
部分的
修正にしても、これは
修正のしょうがない。そうなってくると、どうしても
条約案文そのものも、
議案の内容じゃなしに、
議案そのものになってこなければいかぬ。これはしても別に悪いことはないわけですが、
先例は確かに「
承認を求めるの件」紙一枚です。その辺のところがどうも不明確です。こういう問題は、第一
国会のときにもっと
審議しなければならぬ問題であった。その点は私も率直に認めます。やはり
議案書というものは、「
承認を求めるの件」だけが
議案書じゃなしに、「
承認を求めるの件」と同時に、その
条約案文そのものも
議案書としておいた方がさらによいのではないか、また、そうすべきが当然じゃないか、こういうふうに
考えるわけです。
政府の
説明によると、出てきましたものは、そういう「
承認を求めるの件」という二つの
議案書で、それに付属していろいろな文書があるのです。そうしてその中には、
政府の答弁によると、最初に、参議院で昨年の十一月でしたかの、ベトナムのときのわが党の
小林孝平君の
質問に対しては、その当時、それぞれの案文等は
参考書類でございますと、こういう答弁があった。それから先般の安全保障
条約等
特別委員会では、これは
条約案文は
付属文書でございます。ところが、
交換公文だとか、合意議事録だとかいうものは
参考資料でございます。こういうふうに、
政府の答弁も必ずしも明快でない。この点を少し明らかにしておきませんと、
修正権ありゃなしやという問題の前提条件として、今のような紙きれ一枚の「
承認を求めるの件」が
議案だということになってくると、ここに問題が出てくる。そういうことですから、これは私は党利党略で言っておるのではなしに、この問題はやはりこういう機会に解明しておく必要があるのではないか。しかし、この解明も、今直ちにきょう解明できるとは思っておりません。これから、われわれの
考えとしては、わが党においても、自由民主党さんがおやりになったように、それぞれ専門的の学者の
意見を聞くこともありましょうし、また、当
委員会においてもそれぞれのそういう専門家の
意見を
参考に伺うこともあり得るでありましょう。まず、きょうは当面、衆議院の
法制局長に、
議案書というものは、どれが
議案書なのか、この点に関して御見解を承っておきたい、かように
考えます。