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1960-03-11 第34回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和三十五年三月十一日(金曜日)     午前十時三十七分開議  出席委員    委員長 村瀬 宣親君    理事 西村 英一君 理事 保科善四郎君    理事 前田 正男君 理事 石野 久男君    理事 岡  良一君 理事 北條 秀一君       秋田 大助君    天野 公義君       小平 久雄君    橋本 正之君       細田 義安君    八木 徹雄君       石川 次夫君  出席国務大臣         国 務 大 臣 中曽根康弘君  出席政府委員         科学技術政務次         官       横山 フク君         総理府事務官         (科学技術庁原         子力局長)   佐々木義武君         総理府技官         (科学技術庁原         子力局次長)  法貴 四郎君  委員外出席者         参  考  人         (電源開発株式         会社企画部原子         力室日本学術         会議原子力特別         委員会幹事)  大塚益比古君         参  考  人         (東京大学工学         部教授日本学         術会議原子力特         別委員会幹事) 向坊  隆君     ————————————— 三月十一日  理事原茂君三月十一日理事辞任につき、その補  欠として石野久男君が理事に当選した。     ————————————— 本日の会議に付した案件  理事の互選  参考人出頭要求に関する件  原子力委員会設置法の一部を改正する法律案(  内閣提出第一四号)について参考人より意見聴  取      ————◇—————
  2. 村瀬宣親

    村瀬委員長 これより会議を開きます。  この際、お諮りいたします。  理事原茂君より、理事を辞任いたしたい旨の届け出がございますので、この際これを許可いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 村瀬宣親

    村瀬委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。  なお、その後任につきましては、前例により委員長において指名いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 村瀬宣親

    村瀬委員長 御異議なしと認め、委員長理事石野久男君を指名いたします。      ————◇—————
  5. 村瀬宣親

    村瀬委員長 次に、御報告申し上げます。前回の委員会におきまして参考人決定しておりました東京教育大学学長朝永振一郎君から、本日出席いたしかねるとの連絡がありましたので、さよう御了承願います。  次に、参考人出頭要求の件についてお諮りいたします。  すなわち、原子力委員会設置法の一部を改正する法律案について、本日、東京大学工学部教授日本学術会議原子力特別委員会韓事向坊隆君を参考人決定し、意見を聴取いたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 村瀬宣親

    村瀬委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。      ————◇—————
  7. 村瀬宣親

    村瀬委員長 これより原子力委員会設置法の一部を改正する法律案を議題とし、参考人より意見を聴取することといたします。御出席参考人電源開発株式会社企画部原子力室日本学術会議原子力特別委員会幹事大塚益比古君、及び東京大学工学部教授日本学術会議原子力特別委員会幹事向坊隆君、以上の方々であります。  この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は御多用中のところ、本委員会法律案審査のためわざわざ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。厚くお礼申し上げます。本委員会はただいま原子力委員会設置法の一部を改正する法律案について審査をいたしておりますが、本案につきまして参考人各位の忌憚のない御意見をお述べ願いたいと存じます。なお、おもに原子力委員会原子力基本計画及び安全審査機構に関しまして御意見をお述べ願いたいと存じます。御意見の発表は約十五分程度といたしまして、そのあと委員諸君質疑によりお答えを願いたいと存じます。  まず、向坊参考人よりお願いいたします。
  8. 向坊隆

    向坊参考人 向坊でございます。本日は、原子力に関する研究長期計画取り扱い安全性の問題について意見を述べるようにという御連絡をいただいて参った次第でございますが、安全性の方の問題につきましては、あと大塚さんから御意見があると思いますので、私の方は主として長期計画に関する問題について意見を述べさせていただきたいと存じます。  学術会議におきましても、御承知のように、本年の一月より数回にわたって原子力長期計画に関する意見を述べ合う会を始めておるところでございまして、国会においても、このような問題が取り上げられておりますことは、私どもにとりましても非常にけっこうなことと存じておる次第でございます。最近、諸外国事情から、原子力開発速度が諸外国において鈍っているということが盛んにいわれておりまして、わが国におきましても、原子力委員会におきまして長期計画を練り直しておられるところと承っております。実際、外国からの資料によりまして原子力開発事情を見てみますと、確かに各国とも開発速度——開発速度と申しましても、主として発電計画でございますが、発電計画速度は鈍っておるように思われるのでございます。しかし、よく見てみますと、それは国によって事情が非常に違っておるのでございまして、一がいに言うことはできない。わが国長期計画を考えます場合にも、国による相違というようなものは、よく考えた上で行なわなければならないのではないかと存ずる次第であります。  一、二の例を申しますと、たとえば、アメリカは、比較的に原子力発電開発速度の変化というものは見られないといわれております。それはいろいろな事情があると思いますけれども、元来、御承知のように、アメリカは天然の燃料資源の非常に豊富な国でございますので、原子力発電計画も、国の経済力から考えますと非常に小さいものしか今まで立てておらなかったわけであります。従って、その他の燃料に関する世界の事情が変化いたしましても、それにはあまりアメリカ計画は影響を受けておらないということも一つの原因であると思われます。それから、もう一つは、アメリカ原子動力開発というものは、やはり軍事的な計画と不可分でございまして、発電所技術よりは、むしろ潜水艦推進動力技術の方が進んでおる。発電所は、まだ実用には経済的べースに乗っておらないかもしれませんが、潜水艦の方は実用になっておる。しかも、潜水艦動力の注文の方が非常に多い。そういうようなこともありまして、アメリカ全体の原子動力開発速度というものを見ますときに、そういう軍事計画速度が衰えない限りは、あまり目立ってこない。そういうようなことがあるのだろうと思うのであります。  それから、英国及びソ連の計画も、最近割合開発速度が鈍っておるように見えますけれども、これは米国と同様に、英米ソともに、原子力開発というものは軍事問題と不可分の関係にございますので、わが国事情を考える上に直接参考になるとは私は思わないのでございます。むしろ、わが国にとって一番直接参考になるようなものは、英米ソを除いた西欧諸国計画ではないかと思われるのであります。そういう西欧諸国計画として一番大きなものは、御承知西欧の六カ国によりますユーラトムという共同団体計画でございます。三年ほど前にこのユーラトムができましたときには、十年間に約千五百万キロの原子力発電をやるという大きな計画を発表いたしまして、世界じゅうを驚かせたわけであります。そのときに、すでにアメリカなどでは非常にその計画には批判的でございまして、ユーラトム代表者三人がアメリカに相談に行きましたときにも、ヨーロッパの主賢人が来たという皮肉たっぷりな表現で迎えられたわけでありますが、はたして、数年を出ずしてユーラトム計画というものは非常に縮小されてしまいました。これは、もちろん、社全情勢にもよるわけでございまして、ユーラトムができましたころはスエズ問題なんかがありまして、ヨーロッパ燃料危機というものが非常に切実であった。それが最近は、そういう危機もなくなりましたし、世界的に見まして石炭、石油の価格が非常に下がってきておる、資源の見通しも、むしろだんだん楽観的になっておるというようなことが非常に大きく響きまして、現在いわれておるユーラトム計画は、初めの計画の六分の一程度になってしまっております。わが円にとりましては、このユーラトム計画が、どうしてこういうふうに縮んできたかという事相をよく勉強することは非常に参考になるのじゃないか、そう考える次第でございます。  ただ、ここで注目しなければならないことは、ただいま申しましたのは、発電ないし動力に関する問題でございまして、研究ということになりますと、非常に違っておりまして、各国とも非常な勢いで研究は進めておると思うのであります。ただいま申しましたユーラトムにつきましても、研究の方は非常に進んでおるわけでございまして、中央研究機関がベルギーで活躍しておる以外に、英国あるいはノルウエーとユーラトムとの共同研究計画というようなものも進めております。研究計画というものは動力計画と一応切り離されて盛んに進められておる、そう判断してよいのじゃないかと思うのであります。従って、わが国におきましても、この際、動力開発長期計画を考え直されると同時に、もちろん、これと不可分ではございませんが、分けられるものは分けた研究長期計画というものがあっていいのじゃないか、そういうふうな感じがするのでございます。エネルギー資源産出状態とか、石油の値段とか、そういうようなものとは無関係に、原子力開発としてぜひやらなければならない問題と、それをどうやって進めていくかという問題が必ずあるわけでございまして、そういう問題は動力計画とは切り離して計画していただきたい、そう感ずる次第でございます。  次に私の申し上げたい点は、私は大学におりますので手前みそになりますけれども、大学原子力研究及び教育、そういう問題にこの際少し目を向けていただいていい時期にきたのじゃないかという気がするのでございます。一応、大学における研究教育は、日本原子力委員会のなさる仕事の範囲からははずされておるように私は存じておるのでございます。もちろん、大学研究というものは自由でなければいけないという立場から、国家によって、その研究の問題とか、やり方が統制されるということは非常に好ましくないわけでございますけれども、原子力というものが非常に特殊なものであり、それをやる上に非常に設備に費用がかかるとか、わが国は諸外国に非常におくれて出発したので、相当力を入れてやらないと、追いつくのだけでも容易でない、そういった特殊事情を考えますならば、大学の個々の研究計画でありませんで、国家として、大学研究というものにどの程度力を入れなければならぬかというような問題は、その他の原子力の問題と切り離すことができないのではないか、その点にもう少し目を向けていいのではないかという気がするのであります。もちろん、現在までは、研究原子力研究所を中心に、日本全体としてほとんど一本にやってきたわけでございますが、今まではそれでよかったと思うのです。急速に外国に追いつかなければならぬ事情からいえば、それでよかったと思いますが、長期計画を立てていくということになりますと、研究の面では、どうしても大学役割というものは見のがすことができないわけでございまして、その点、そろそろ国全体として考え直していい時期にきたのではないか、そういう気がするわけでございます。  その次に申し上げたいことは、大学の問題とも関連しておりますけれども、わが国として急速に原子力開発をやっていく上には、分担と協力とのけじめを、もう少しはっきりさせる必要があるのじゃないか、どこでも同じようなことをやって競争しているというのでは、どうも非常に非能率的でありまして、これは研究技術開発とにかかわらず、どういうふうに分担して全体として協力していくかという問題をもう少しはっきり考え直してよいのではないか、そういう気がするわけでございます。  最後に、原子力委員会あり方というものについての意見を述べるようにという御通知を受けたわけでございますが、私は、そういった大きな問題について申し上げる立場にはないわけでございますけれども、一つだけ述べさせていただきますならば、日本原子力委員会やり方をもっと能率的にすると申しますか、力の強いものにすると申しますか、そのためには、今考えられておりますような委員の増員とかいった問題よりも、むしろ、その性格と申しますか、そのあり方と申しますか、そういった方を検討していただいた方がいいのではないか、そういう気がするわけでございます。と申しますのは、外から見ておりますと、原子力委員会というものが少し中途半端的なもののように思われるわけでございます。もし、原子力委員会というものが政府諮問機関のようなものであるならば、もう少し外部と密接な関連を持って施策がきめられていくべきであるし、政府施策に直接関係するというものなら、もう少し現在よりも政府に直結した組織であった方が有効と思われるわけですが、中途半端なものになっているのではないかそういった気がするわけでございます。  簡単でございますが、私の意見はこれだけでございます。
  9. 村瀬宣親

    村瀬委員長 向坊参考人は午後から所用があるとのことでございますので、大塚参考人の御意見あとで伺うこととし、直ちに向坊参考人に対する質疑を行ないます。  質疑の通告があるので、これを許します。岡良一君。
  10. 岡良一

    岡委員 実は、この間もこの委員会中曽根原子力委員長の御所見を求めたのでありますが、たまたま今向坊先生の御所見にも関連いたしておる問題でございますから、この際、率直な御意見を聞かせていただきたいと思います。  問題は、たとえば日本産業界における原子力開発の動きがこのままでいいかどうかということ。それは、御存じのように、ことしになってから、成規株式会社として発足した原子力産業会社が六つかあるはずでありますが、一方では、たとえば英国の例を見ると、五つあったものが三つに整理されておる。これでは、市場という関係から見ても、英国は非常に合理的な行き方をとり、日本では全然それを無視した、過当競争をも覚悟したような、まことに文字通りの自由放任の姿である。こういう形をそのままに認めておけば、結局、それぞれの会社は従来の因縁をたどって、またアメリカなどのビッグ・メーカーとの間に技術提携を急いで競合する、そういうことになると、日本原子力計画というものが、そうした自由放任原子力産業会社自由競争の中に非常にゆがめられてくるのではないかという懸念を持っておるわけです。今御指摘の、大学における基礎研究をもう少し統一ある体系にまとめていくべきだという御所見に関連して、現在の日本産業界における原子力取り扱いはこれでいいのかどうか、こういう点を、これは大塚さんにも御意見があれば、御両所からお伺いしたいと思います。
  11. 向坊隆

    向坊参考人 私は、経済界のことにつきまして批判する資格はないと思うのでありますが、大学におります人間の、しろうと的な意見としてお聞き取り願いたいと思うのであります。幾つかのグループがありまして激しく競争しておるという形自身は、そういう激しい競争から進歩が能率的に生まれてくるという意味で、私はけっこうではないかと思うのでありますが、グループの数が多過ぎるということは言えるのではないか。そうして先ほど申しましたように、たくさんのグループが同じようなことで競争しておるということは、どうもよそ目には非常に非能率的に思われるわけでございます。幾つかのグループ競争するのは非常にけっこうですが、それぞれのグループがもう少し特徴のある競争の仕方ができないものか。たとえば、一つ会社原子炉本体自体について一生懸命やっておるならば、他のグループは全体として燃料についてやっていくとか、そういった、もう少し何か特色の強い競争の仕方があるのではないかと思いますけれども、競争自体は、私は別に不賛成ではございません。  それから、岡先生は、大半のやり方をもう少し統制のとれたものにするとおっしやいましたが、私の申し上げましたのはそういう意味ではございませんで、国の計画の中で、大学の分担する割合というものをもう少しはっきりしていただきたい、そして、それが予算の面でも考慮されていただきたい、そういった意味でございます。
  12. 岡良一

    岡委員 向坊さんと別に討論するわけではないのですが、私の申し上げたことが少し言い足りなかったと思うのです。前段の問題は、要するに、原則的には、お互いが自由競争することは励みになっていい、これはそう言えるでしょう。しかし、それにはやはり自主的な技術基礎がなければならない。ただ自由放任の姿をそのままにしておけば、外国から高い技術料を払って特許権なりノー・ハウを買い入れるという形の、自分の自主的な基礎を築き上げないで、ただ、でき上がったものを受け入れることだけに急だと、日本の自主的な原子力研究開発計画というものがそこで大きくチェックされてくる、そういう心配がありはしないか、これをどうしたらいいかということが一つ問題点。  そこで御指摘のように、たとえば炉体なり、燃料なり、あるいはまた減速材なり、そうした原子炉についての必要なる部分について、ジョイント・リサーチというような形で共同研究をやる。それは燃料公社もあるわけですし、いろいろなものがありますが、共同でそういう協力態勢をとらないと、今の場合は、御存じ通り土建屋から始まって銀行まで入っておるという原子力シンジケートができておるわけですね、そのシンジケート競争するということになると、全く古典的な自由経済というものが原子力産業計画に再現するということで、どうも日本の立ちおくれを克服することにはならないのじゃないかという懸念があるのです。この点、大塚さんにも御意見があったら一つ付いたいと思います。  それから、もう一つは、学界協力という関係も、やはり私が申し上げたいことは、原子力研究開発基本計画というものが五年前に一応発表された。あのときには五里霧中、暗中模索の態度で一応の作文を出した。ところが、その後各国研究開発計画というものを漸次具体的にわれわれは把握することができる段階にきた。そこで、新しい現実に即した研究開発計画というものを原子力委員会は立てなければならない、その研究計画の中に、やはり大学における基礎研究というものをどう包含していくか、具体的には一体どうしたらいいかということが一つの問題じゃないか。  第三の問題は、御指摘のように、原子力委員会行政組織——向坊さんも御承知のように、アメリカ原子力委員会とは権限、権能が全部違っていて、全くこれは諮問委員会のような権限しか持っておらないわけですね。ここに原子力委員会一つの大きな悩みがあるわけです。しかし、これはこれとしても、従来の慣行としては、やはりコールダーホールの炉を導入するという決定については、原子力委員会意思決定というものが、炉の許可権者である内閣総理大臣意思決定することにもなっておる。慣行上からいえば、かなり権限は持ち得る状態にあるわけです。そういう原子力委員会をさらに強化するには、具体的にどうしたらいいかという問題が、やはりわれわれとして一つ悩みの種です。私の前段の質問では少し申し上げ方が足らなかったので、後段において少し具体的に申し上げたわけですが、そういう点、具体的にどういうふうに思われますか。
  13. 向坊隆

    向坊参考人 第三の点につきまして、ちょっと私の意見を申し上げたいと思います。わが国におきましても、原子力開発上、たとえば燃料は、少なくも当分の間は外国からの輸入しかないわけでございますが、その場合に、政府がどうしても責任をとらなければならないということが一つございます。それからもう一つは、原子力をやる以上、原子力から起こり得べき災害から国民を守らなければならないという、これは政府一つ責任があると思うのです。少なくも、その三つの点におきまして、やはり政府のやらなければならない仕事というものは非常に重大なものがあるわけでございます。しかし、私はアメリカにおりましたので、アメリカのことがすぐ頭にくるわけでございますが、アメリカ日本の場合とは非常に事情が違うわけでございまして、アメリカの場合は、何と申しましても軍事計画から原子力開発というものが始まってきており、かつ、現在でも国全体の原子力事業のうちで軍事的な部門というものが相当大きな部門を占めておりますので、それに原子力委員会というものが責任を持っております。そういう意味で、アメリカ原子力委員会あり方面接日本の場合には参考にならないと思っておるわけであります。それで、私個人の見方といたしましては、日本では、原子力委員会というものは、諮問機関のような形として政府とはっきり独立しておる。アメリカの場合は、学界なり民間なりと非常に密接に連絡して、その意見を代表して一つ原子力委員会というものの行き方をきめる。これは政府と対立するわけじゃありませんけれども、政府に対して非常に強い発言力を持った委員会である。そういったものの方が日本原子力開発の上では適しておるのではないかといった気がするのであります。
  14. 岡良一

    岡委員 ただ、そういう一応の態勢にはなっておる。そこで原子力委員会がある。日本には日本原子力産業会議があり、日本学術会議には原子力関係担当部門がある。この二本のレールが離れると脱線する。それが並行的に進んでいって、その上に原子力委員会というものが乗っかって、そして直接指導し得るような日本原子力研究所のごときものが、具体的には、産業界学界研究の大きなくさびの役割をなすというような方向づけが必じゃないか、原子力委員会あり方としても、そういう任務が今日非常に必要になっておる。ところが、学界考え方というものと、原子力産業会議考え方というものが、今日までは、たとえば、動力炉の問題をめぐっても非常に大きく離れようとしておる。そうなってくれば、日本原子力研究というものは、基礎研究から具体的な開発までの一貫性というものがそこにそこなわれてきはしないか、そこに現在の原子力委員会運営問題点があるのじゃないかという懸念を感じておるわけなんですが、そういう点は、大学の窓口から見られて、率直にどう思われますか。
  15. 向坊隆

    向坊参考人 今、岡先生のおっしゃった、学界産業界との意見がうまく一致しなかったという点は、特にコールダーホール改良型炉の導入において見られたと思うのでございますが、これは両方にやはり責任があったように思うのでございます。両方協力的な態度を示さなかったように思われる。両方でもう少し話し合っていくような機会を作っていくことが必要だったのじゃないか。学術会議でも、少なくも、今度の長期計画のシンポジウムを計画するときなんかには、そういう機運が非常に強いのでございまして、学術会議だけで独走しようというところは見えないのであります。よく相談して意見を交換して、日本としての道を見つけていこうじゃないかというところがあると思うのでございます。   先ほどちょっと申し忘れた、と申しますと失礼でございますが、国会役割というものを申し上げるべきだと思うのでございます。私の血の中にありますイメージは、原子力委員会というものは、むしろ政府とは独立して、学界なり民間団体なりともう少し密接であって、その意見を取りまとめるようなものであってほしい。そして政府に対して相当強い発言ができる、それで、国会もこういう委員会を持っておられるわけでございますし、よく政府原子力委員会の見方を見て最高方針をきめていっていただく、そういった行き方ができるのじゃないか、そう思うのであります。
  16. 岡良一

    岡委員 それから、発電計画のことで先ほどいろいろ御所見を承ったのですが、この間いただいた産業会議の「原子力海外事情」をちょっと読んでみますと、こういう情報が書いてあるわけです。端的にこれの結論を申しますと、フランスでは原子力相の「スーステル氏は、既存建設中のフランス電力庁の発電所(EDF—一およびEDF—二)からの、電力は、在来型発電所からの電力と競争し得るようにはなるまい」という見通しを述べておるわけです。そこへもってきて、サハラ砂漠からは石油がとれる、天然ガスも出てくるというようなことになってくると、おそらく経済的には、フランスにおいても原子力発電というものは、計画はまだ公式には変更されておらないけれども、計画がかなりあとに繰り延べになるのじゃないかという予想が立ってくる、ただ、プルトニウムの需要というものがございますから、この点から、発電はむしろ副次的なもので、プルトニウム生産を主要の目的とした、そういう意味での原子力発電というものが考えられる、これがフランスの最近の現状じゃないかと思うわけです。  それから西ドイツでは、一九五九年三月の発電原子炉計画というものを見ると、一九六五年までには、結局ドイツ自身で設計したプロトタイプの原子炉を作り、これで五十万キロワットの発電計画をまず初期に達成したい、そのプロトタイプは、気体冷却黒鉛減速天然ウラン炉、重水減速冷却天然ウラン炉、軽水減速冷却低濃縮ウラン炉、町温気体冷却濃縮ウラン炉というようなプロトタイプを作ろうということで、従って、実用的な原子力発電は、九六五年後にむしろ譲られておるという状態ですね。  それからイタリアも、結局コールダーホール型を入れる契約を済ませたし、それからBWRも世界銀行の融資等によって入れることにきめた。いま一つきめた。でも、その後の千画というものは、今のところ全然未定だというようなことになっておる。  それからアメリカは、向坊さんも御存じのように、一応今日まではシッピングポートやドレスデンや、あるいはインディアン・ポイント、パレストス、ヤンキーその他で若干実用向きの発電炉ができておるが、しかし、また新しい最近の計画では、やはりプロトタイプ的なものを原子力委員会が相当の援助を与えて各メーカーに発注を促しておるというふうな状況であります。新しいスタートを切ろうというわけです。  英国御存じのように、大体送発電量も一九六五年が一九六六年になり、炉型も、最近英国の下院あたりの特別委員会でもAGRに切りかえようというようなことになっている。  こういうような形で、原子力発電というものの計画が、いわば非常に大きな再検討をされて、新しいスタートを求めておるという、今大きな転換期にあるということは、向坊さんも先ほど御指摘になったところであります。しかし、これらの国々における原子力発毛の修正計画というものは、大むね経済性の問題というようなものが中心になっている。日本の場合、原子力発電のエネルギー有給というような問題、外貨の節約というような問題も大きな要点となって急がれたけれども、エネルギーの需給も、実際はこれまで考えられておったように、鉱工業の生産の伸びが直ちにエネルギーの需要を増大するというカーブが、鉱工業の仲びにかかわらず、エネルギー需要がぐっと減ってくるというような状態が明らかになった。特にオートメなんかがどんどん発展してくると、エネルギー需給は、必ずしも過去のような鉱工業の伸びとはそぐわない状態です。それは日本だけでなく、アメリカにも出てきておるということが統計に出ておるわけであります。それから外貨の節約という面でも、御存じのように、新鋭火力の発電なり、あるいは油の問題なりが、日本もアラビア石油というものができてくるということで、いろいろな状態で化石燃料のエネルギーというものが相当安価に入ってき得る、資本費も安くできるというような状態が出てきている。それだから、経済的な問題だけでなく、技術的な問題として、日本原子力研究開発計画技術的な分野において、日本原子力発電はいかにあるべきかという原子力発電計画そのものの再検討でなくて、原子力発電そのものを日本原子力全体の研究開発の中においてどう評価すべきかという再検討が、今日における日本原子力研究開発長期計画を立てるための大きなめどじゃないかと私は思うのであります。問題は、原子力発電計画が経済的な諸条件によって変更したから発電キロワットの年次を繰り延べるとか、その送発電量を低めるとか低めないという問題ではなくて、むしろ、日本原子力研究、平和利用の研究開発計画の中で、原子力発電というものが技術的に研究開発計画の線に正しく沿うか沿わないかというところまで掘り下げて再検討することが、今日与えられた日本原子力研究開発計画の大きな太い柱でなければならぬ、よりどころでなければならぬ、こう私は考えるわけであります。その点、向坊さん、それから大塚さんも電源開発においででございますので、いろいろ日本の電力事情御存じでありますが、二人から率直な御意見を聞かせていただければしあわせだと思うわけであります。
  17. 向坊隆

    向坊参考人 ただいまの岡先生の御意見には別に異議を申し上げるような点もないと思うのでございますが、エネルギー資源の使い方が上手になったために、工業の伸びに対するエネルギーの使い力というのは従来よりはずっと少ない。これは事実でございますし、技術の進歩からいえば当然そうあるべきと思うのでありますが、原子力は、何と申しましても、従来の化石燃料に比べますと、御承知のように百万分の一くらいの量で同じ熱を出すといったエネルギーの点からいえば、非常に特殊と申しますか、非常に貴重なものでございまして、これを何とか経済に役立つように使えるようにしていくということは、どうしてもやはり見のがすことのできない問題だと思うのでございます。そういった意味で、少しでも早くこれが経済に役立つようにするという意味からの長期計画というものはやはり必要なんじゃないか。これは年々いろいろな事情計画そのものは変わってくるということはあるでしょうけれども、そういう計画を無視することはできない、真剣に、絶えず考えていくべき問題であるのじゃないか、そう思うのでございます。
  18. 大塚益比古

    大塚参考人 私の意見は、あとで私のまとまった活をいたします中でいたします。
  19. 石野久男

    石野委員 二つ、三つお尋ねいたします。先ほどお述べになられました中で、わが国長期計画にとって、諸外国長期計画の中では、ユーラトム計画の縮小過程というものを特に研究することが大事であろうというお話でございました。時間もございませんでしたので、向坊さんはあまりその点を詳しく述べておられませんけれども、その中で、どういうような点を特にわれわれが参考にしなければならないだろうかという点の骨子だけでもよいですから、一つお述べいただければと思うわけであります。
  20. 向坊隆

    向坊参考人 私も今大学におりまして、ユーラトムの詳しい情報を知っておるわけではございませんが、先ほど申しました中で、参考になるという意味は二つあるわけであります。一つは、ユーラトム発電計画というものは、プルトニウムを核兵器に使うといったような意味での軍事計画とは独立に立てられた計画であって、そのものが変化しておるということが日本参考になる。もう一つは、発電計画研究計画とが分けられておりまして、発電計画に異動が起こっても、研究計画の方はどんどん進められておる、その二つの点を申し上げた次第であります。
  21. 石野久男

    石野委員 わが国長期計画をどういうふうに考えるかという場合に、日本原子力開発というのは、外国から見ればどうしてもずいぶんおくれておるものだから、自然、外国技術なり研究というものを土台にしてやってきているというのが現状だと思うのです。わが国における長期計画というものは、そういうものを土台として今後とも長期計画にいくべきなのか、そういうことを参考にしつつも、わが国独自のものをここではっきりと長期計画の中に盛り込むべきかという問題は、長期計画を立てる上にとっても、政策上からいっても、非常に重要な問題だと私たち思っておるわけです。その点、どういうふうに長期計画を打ち立てるための考え方を持つべきかということについて、先生のお考えがありましたら、一つお教えをいただきたいと思います。
  22. 向坊隆

    向坊参考人 ただいまの点について申し上げます。ただいまおっしゃいました点は非常に重要な問題でございまして、原子力研究所を初め、原子力研究に携っております者は、みな一生懸命考えているわけでございます。日本はおくれて出発したのだから、ある程度までは外国でもう開発されたものをできるだけ早く取り入れなければいけないのでございますが、それは外国でもどんどん進んでおりますから、それだけでも容易なことでないわけでございます。それと同時に、一方で日本独自のものを研究もし、技術開発も育てていかなければいけないわけで、どこでも真剣に考えているけれども、解答は簡単に出ておらないと思うのでございます。ですから、長期計画を立てられる場合には、どうしても二つの線を並行的に考えなければいけない。具体的に申しますと、たとえば外国留学のようなものは、長期計画の中ではもうだんだん縮小していいかというと、なかなかそういう時代にはならぬだろうと思うのです。日本大学で勝手な研究——勝手といっては語弊があるかもしれませんが、自由な研究をやっている中から独自なものが生まれていくのを助長していただくと同時に、一方、外国にもどんどん人を出して、外国のものを学ぶという方面も今後とも相当重要ではないか。それは一つの例でございますが、そういった意味で、どうしても両方考えていただかなければいけないのじゃないかと思います。何しろ、非常におくれて出発して、人一倍の努力をしなければ追い抜けないというような性質のものでございますから、どうしても一方だけで済むという問題ではないと思います。
  23. 石野久男

    石野委員 非常に幼稚な質問なんですが、今の先生のお話はよくわかりますし、私たちが今後長期計画を立てるには、どうしてもそういうことを考えていかなければならないと思いますけれども、その場合、科学技術の振興というような問題の中で、基礎的な研究というものが問題になるわけであります。この問題は、もちろん、どんな場合でも必要なことでありますけれども、特に原子力開発につきましてはそれの必要性があるにもかかわらず、外国から学ぶということと、外国がより以上の速度で発展していくということのために、やはり日本における基礎的な研究というものは、どうしても長期計画の中に盛り込むという具体的な技術的操作が困難になってくるだろうと思うわけなんです。そこで、その場合に並行してやるということはわかっておっても、それに力を入れていると、どうしてもおくれてしまうから、この際は、いっそのこと外国にすべて学んで、基礎研究の方は、とにかく間を合わしていればいいのじゃないかというふうになるのが現在の政策の実態だと思うのです。そういうところに、わが国原子力開発というもののほんとうの意味における開発ができていくだろうかどうだろうかということが、われわれ専門家でないものですから、わからないわけです。従って、その場合における基礎研究の必要性というものはどの程度のものであろうかということについて、私たち迷うわけでございます。そこで、基礎研究の必要性の問題について、先生のお考えをもう一度聞かせていただきたい。
  24. 向坊隆

    向坊参考人 非常にむずかしい御質問でございます。ただ基礎研究の重要性ということでしたら、もう方々でやかましくいわれておりますので、特につけ加えて申し上げることもないと思うのでございますが、ただ早く進めるということだけに目をつけて、外国から導入をすることばかりでしたら、いつまでたっても日本原子力の面での独立ということはあり得ないわけでございます。いつ日本外国にたよらないで独立した事業として原子力開発できるかというのが問題なわけでありまして、日本として独自なものを出すためには、どうしても基礎研究から重ねていくほかにないんじゃないかと思うのでございます。  具体的な例を一つだけ申し上げますと、ロケットの問題で、現在では御承知のように、技術開発という面では、ソ連の方がアメリカに対して優位に立っているわけでございます。それについてちょうど私がアメリカにおりましたときに、アメリカは何でも世界一だと思っておったところが、ロケット技術でソ連に負けたというので大騒ぎがありまして、そのときに、アメリカのロケットのうち、陸軍の計画責任者をしておりますフォン・ブラウンという人が、たしか「ライフ」だったと思いますが、雑誌の中でその問題を論じておりましたのですが、アメリカが現在持っておる知恵を総動員しても、そしてあらゆるお金をつぎ込んでも、すぐソ連のに追いつくというわけにはいかない、それはなぜかというと、基礎研究がスタートでおくれたからで、基礎研究の上で差がついているために、そこから追いついていかなければ、先だけ幾ら急いでもとうてい追いつけないということを書いておりましたが、それと同じことが原子力の面でもいえるだろう。そういった意味で、基礎研究を重視していただかなければいけないのではないか。進んだ国で、十の力のうち一だけを基礎研究に向けておるならば、おくれて出発した国は、その一の力は二なり三なりにしなければ追いつけない道理だと思うのでありますか……。
  25. 石野久男

    石野委員 原子力委員会の性格の問題について先生から御意見がございましたが、この原子力委員会諮問機関として、政府に対してもむしろ強い態度で、ことに学界とか産業界と力を合わせてやるべきだというような御説のように承ったわけです。この場合に、原子力委員会の性格づけをそういうふうにすると同時に、原子力研究なり、あるいは動力開発というようなものとの関連性の中で全体的に見る日本計画というものは、先ほど岡委員からも話があったように、分散的になっておったのではいけないのではなかろうか、もっとやはり統合され、統一された研究に——先ほど先生が言われたように、分担と協力というけじめの中で規制されていかなければならないのではないかということを私どもも考えるわけです。その際、私は、日本のようにおくれているところで、競争というものが——たとえば、原子力産業会議なんかにおけるところの各グループ競争、こういう競争というものの成果と、それから、一つに全部集めて、その中で分担と協力といいますか、そういうものに統一して規制していく場合と、どちらが原子力開発のためにいいだろうかという問題は、私たちにとって非常に大事だと思う。先生は、そういう問題について、先ほど、競争というのは今日の段階ではむしろいいんじゃないかというような御意見もあったのでございますけれども、それにもある程度の限界はあるんだろうと思いまするし、そういう競争協力という問題といいますか、研究態勢なり、長期開発計画の中において、そういうものをどういうふうに考えるべきだろうかということについての先生の御所見を、もう一度お聞かせを願いたい。
  26. 向坊隆

    向坊参考人 この問題も、一がいに、こうあるべしと申すのは非常にむずかしいと思うのでございますが、私が協力と分担のけじめをはっきりするということを申し上げましたのは、分担がはっきりしているということが協力を非常に能率的にやるもとじゃないか。原子力開発なんというものは非常に大きな問題ですから、どっちみち一人や二人、あるいは一つの機関でできる問題ではないので、協力というものはどうしても必要だと思うのです。しかし、その協力をする上において、みんなで同じ問題を議論しておるとか、どこでも同じようなものを競争してやっていくというのでは、協力ではあるけれども、非常に非能率的な協力なんです。協力する上には、分担をはっきりして協力したらいいじゃないか、そういう意味なんでございます。お答えになっておるかどうかわかりませんが……。
  27. 石野久男

    石野委員 もう一つだけ……。今のその意味というのは、結局、どこかで分担と協力のけじめをつけるためにかちっと押えろということにも通ずるように理解していいわけですか。
  28. 向坊隆

    向坊参考人 その点につきましては、たとえば、原子力研究所ではこういった問題をやる、大学では、それに対してこういった方面の問題を主としてやる、そういうふうなことがまずきめられるわけでございますね。民間研究所では、主としてこういった問題の方がいいというようなことは、みんなで相談してみると、おのずからわかるんじゃないかと思うのですね。そうして、その上で、今度は大学としても、全国に方々大学がございますが、みんなが同じことをやったんじゃ非常につまらないので、個々の問題を規制することは望ましくないのですけれども、少なくとも、それぞれ特徴のある行き方というものはあるんじゃないかという気がするわけであります。たとえば、全国が少なくとも三つなり、四つなりのグループに分かれて、それぞれが原子炉を持つ、それは、ここの原子炉はどういったタイプの原子炉で、ここのものはこういったタイプの原子炉というふうに、できれば、違うタイプの原子炉を持って、それを中心にしてそれぞれのグループが勉強していく、そういう行き方がみんなで相談してみれば出てくるんじゃないか、そういう相談なしにやるのは非能率的だ、そういう意味でございます。どこかで統制をとって、お前そこ、お前そこ、そういう意味では決してございません。
  29. 石野久男

    石野委員 そういたしますと、そういうような、びしっとどこかで統制せよということではないけれども、少なくとも、原子力委員会などはそういう相談の場にするようにせよというように理解していいわけでございますか。
  30. 向坊隆

    向坊参考人 私が先ほど申しました原子力委員会あり方というものは、実情に即しておるかどうか、あるいは、日本としてそういった行き方が実際問題としてできるかどうか、それは私にはよくわからないのでございますが、私の個人的な頭の中でのイメージといたしまして、政府原子力委員会というものがありまして、この原子力委員会が、今おっしゃいましたような協力と分担のデスカッションの場になると申しますか、そういったものの意見を取りまとめるところになると申しますか、そういったものを描いておるわけでございます。
  31. 岡良一

    岡委員 関連して具体的にお聞きしてみたいのですが、たとえば、向坊さん、日本原子力研究所に材料試験炉をまず置いた、こう仮定する。そうすると、日本には幾つかの原子力産業株式会社がある。その銘々が、間仕切りをした利用室を持つわけです。ところがこの中でやっておることは同じことをやっておる。たとえば、炉体の金属材料なら金属材料について同じことをやっておるということになれば、あなたの御指摘の通り、きわめて非能率的なことになる。わずか一つしかない材料試験炉だから、それの実験孔は別々に、しかも、統一された目標に向かって利用されていくという方式がとられなければならぬ。そういうようなことになると、何としても、原子力委員会学界なり産業界意見を集約した一つ開発計画というものをはっきり持つ、この千画に従って材料試験炉の利用者は従属しなければならぬ。だから、燃料の実験はみんなが協力態勢で、間仕切りをした幾つかの実験孔で実験をやる、金属材料をやる、減速材をそれでやるという形の運営をやらなければ、日本としてはなかなか追いつかないのではないかということを、僕はさっきから概念的に申し上げておったのだが、具体的には、そういう方向に進めていくべきじゃないかということ、常識的にそういうことになるのじゃないかと思うわけなんですが、そういう点どうなんです。
  32. 向坊隆

    向坊参考人 それも、発電のような大きな事業と基礎研究のようなものと、一がいにそういった問題は論ぜられないと思うのでございます。たとえば、今原研で持っております。RR—1につきましては、学術会議がお世話して共同利用の委員会というものができまして、そこで相談して使われておるわけでございます。材料試験炉のような大きなものになりますと、一つの実験孔を使うのに一日に百万円もかかるといわれておりますので、そういったものになると、そのお金がどこから出るかによってもその使い方は違ってくるわけでございます。ですから、今おっしゃいましたように、相談ではっきりそういう使い方をきめていけるものなら非常によろしゅうございますが、自由競争によって計画が進められていく部門もやはり残さなければならない。統制をとって、こうやっていくというのには僕は一がいに賛成はできないわけです。しかし、統制をとってやっていくというわけではなくて、みんなで集まって分担をきめてやっていくという行き方が望ましい、私の言いたいことは、こういう意味なんです。
  33. 村瀬宣親

    村瀬委員長 向坊参考人に対する質疑はこの程度にとどめます。  向坊参考人には、お忙しいところ長時間にわたり、しかも、貴重な御意見を賜わりまして、ありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次に、大塚参考人より御意見を伺います。大塚参考人
  34. 大塚益比古

    大塚参考人 大塚でございます。主として安全審査機構についての意見を述べよということでございますので、それにつきまして、日ごろ私の考えておりますことを、できるだけ腹蔵なく申し上げてみたいと思います。  初めにお断わりをいたしますが、私のきょう述べます意見は、すべて私の個人的な意見でございますから、そのようにお含みを願いたいと思います。  原子力に関する安全審査、つまり、具体的にいえば、原子炉なら原子炉安全性を確かめるという仕事が非常に大切であるということは、ここで繰り返す必要もないことでありますけれども、その安全審査をいたします場合に、どういうことが大きな問題点として出てくるかということを二、三あげて、できるだけ具体的に考えてみたいと思うわけであります。  まず第一は、安全であるかどうかということを、何をよりどころにして判定するかという問題であります。つまり、実際の審査をいたします場合に、いわば、ものさしに相当するような幾つかの数字的な基準が用意されておりまして、その基準に照らし合わせて判定をする必要が出てくるわけですが、その数字をどういうふうにきめるかということの前に、どういう基本的な考え方に立ってこの問題を扱うかという、基本的な考え方を打ち立てるということの方が先決であります。その基本的な考え方というものは、どなたかが、ただおきめになったというようなものでは、やはり安全審査の場合には不十分なのでありまして、できるだけよく討論をして練り上げる、しかも、その討論の過程なり結果なりの段階で社会的にも広くそれが認識され、理解されていなければいけないわけです。こういう基本的な考え方に立って原子力の安全審査が行なわれておるのだということが広く理解されていない限り、どうしてもその結果に対して十全な信頼は得られないということになると思います。ものさしに相当する数字の方は、わが国の場合には、外国の数字を借りるということは、実に抜かりなく行なう習慣が多いわけですけれども、基本的な考え方を練り上げるという点については、わが国の場合、実に不活発ではないかと私は考えております。にもかかわらず、逆に、日本の場合には、御存じのように人口の密度が非常に高い、しかも、地震のことをいつも念頭に置いて安全性を考えなければならない、そういうふうな理由によりまして、特に大規模な原子力発電所の場合には、その立地条件という点で、諸外国に比べてきわめて不利な立場にあるわけであります。しかも、わが国の場合には、敗戦後、講和条約のできますまで原子力研究は禁止されておりましたために、原子力研究開発というものは、わが国の場合、歴史が非常に浅い。しかも、一たんスタートしたからには、先ほどからも何度か話がありましたが、できるだけ早く追いつこうということで、主として輸入にたよりながら急激に開発、利用を進めつつあるわけであります。つまり、経験に著しく乏しく、歴史の浅いところへ、しかも、急速に開発しなければならないという事情があるわけでありますが、安全性という点から考えますと、これは一番不利な条件にあると思います。立地条件が不利であり、かつ、そういうふうに歴史の浅い、経験の乏しい中で、どうしても早く物事を進めなければならないという安全性立場から見ての不利な条件、それを考えてみますと、やはり、わが国の場合には、よその国以上に安全審査の問題については神経を使うべきでありますし、よく討論をすべきであると考えるわけであります。たとえば、去年の七月にコールダーホール改良型原子炉の設置に伴う安全問題に関する公聴会というのがございましたが、私が公述人として参りまして申しましたことの一つに、原子力委員会の安全審査の体制があまりにも無原則過ぎるのではないかということを申しました。それは、ある一つの場所に潜在的な危険性を持つ原子力施設を集中するということから生ずる公衆の危険の可能性のふえることについて、どのあたりまでがはたして妥当な限度だと考えるのかどうか、原子力委員会は一度も明らかにされたことはないのではないかということを申したわけであります。この問題につきましては、いまだに私ははっきりしたお答えを聞いておらないように思います。一カ所に集中することからくる利益というようなことは、私もよく承知をしておりますけれども、しかし、一カ所に集中したことからくる公衆の側の危険性の増大をどう考えるかということについて、基本的な考え方がいまだに打ち立てられておらないように思うわけであります。  それは一例にすぎませんけれども、いわゆる原子力時代に入りまして、原子力発電にせよ、あるいは放射性アイソトープの利用にせよ——アイソトープの利用の場合には、産業面への利用もございますし、医学的な診断、治療の方向への利用もございますが、人間社会がそういう面から受けつつある利益は非常に大きいということは、よくわれわれも認識するところであります。ですから、その活動を停止するというようなことは決して考えられない。けれども、そういうふうな利用面が増すにつれまして、より多くの人々がより多くの放射線を浴びるようになる。そのために放射線による身体的障害、つまり、その人の一生の間にからだに故障が起こるという障害の問題や、その子孫までに故障が及ぶ遺伝的障害を問題にしなければならなくなるわけであります。原子力発電事業やアイソトープの利用が将来広がれば広がるほど、人間の集団全体を守るための手段が必要になってくるわけでありまして、その場合には、特に遺伝的な障害が問題の中心になると思います。そこで、だれしも考えますことは、そういう原子力利用のプラスの面、それに伴う、どうしてもつきまとう放射線障害のマイナスの面等を考えて、そのバランスをとったところで物事をやるべきではないかという考えがだれしも浮かぶわけであります。けれども、この考え方自体は、もちろん正しい考え方で、健全な考え方でありまして、反対する方はおらない、平和利用に関する限りおらないと思うわけでありますが、実は、世界の現状は、このバランスの勘定ができるほど知識が発達しておらないのであります。これは日本の例ではなくて、世界的な権威を持っております国際放射線防護委員会、ICRPと略されておりますが、このICRPの一九五八年の勧告の序論の中にも、はっきりとそういうふうに書かれております。そういう現状の中で、しかし、利用面をやはり進めなければならないのだという事態におきまして大切なことは、結局、現在の学問の知識と、それから慎重な立場をとりながら導いてきた推論とに基づいて、職業人なり一般大衆がそれぞれ、このあたりの線までは放射線を浴びることは十分がまんできるだろうという線を引く、その範囲内で利用面を推し進めるという方向をとらざるを得ないわけであります。わが国の場合にも、そういう原則的な立場の点では、今申しましたことの例外ではございませんで、特に、わが国の場合には、ICRPの勧告をすなおに受け入れる、これは今までそうでありましたし、今後もそうであろうと思うわけでありますが、その点では非常にけっこうだと思われるわけであります。その場合に、どこでがまんをするか、そういう線をICRPにだけたよっておるわけには残念ながら参りません。それは、ICRP自身もそういう基準のすべてを明らかにしてくれておるのではございませんでして、肝心かなめの最後のところは、やはり各国々々によって事情も異なることでありまして、最終的には、その国でそれぞれ責任を持ってきめなければならないということをはっきり言っておるわけであります。  御存じのように、わが国の場合には、実際的な仕事原子力委員会の下の安全基準部会がそういう仕事をしておられると思いますが、この部会のこの面での活動が今まであまり活発ではございませんでしたために、どうしてもおくれがちになっておるという印象を与えてきたかと思います。そういう、どの線で職業人なり大衆ががまんをするか、あるいは、もう少しはっきり申しますと、その線程度であれば十分がまんができるのではなかろうかという線を引く場合の問題として一番困りますことは、万一の事故の問題であります。その事故による災害をどう扱うかという問題であります。何事も予定通り正常に動いておる限りにおきましては、先ほどから何度か引用いたしました国際放射線防護委員会の勧告に従うということで、大体物事は片づきますが、そういう事故時の問題、緊急時の問題ということになりますと、ICRPもまだ手をつけ出した程度でありましてどうしてもわが国わが国なりに頭をひねって答えを出していかなければならないわけであります。しかも、先ほどからこの問題のむずかしさを少しお話しをしたつもりでありますが、だれにやらせても簡単にすぐ答えが出るというような問題ではない問題に、どうしても答えを出さなければならないというところが、今の一番むずかしい点であります。  これにつきまして私が参考のために申し上げたいことは、イギリスにおきまして一九五七年の暮れにウィンズケール原子炉の事故がありましたことは、皆さん御承知の通りであります。それによって公衆に損害を与えたわけでありますが、その場合には、原子炉の事故、つまり、燃料が化学的に燃え出したわけでありますが、その消しとめる措置が非常に適切でありましたために、あの程度の被害でおさまりました。その意味では処置が非常に正しかったために結果が好運であったといえると思いますが、それにこりまして、イギリスの原子力公社と訳されておりますアトミック・エナージー・オーソリティがイギリスのメディカル・リサーチ・カウンシル、医学研究協議会とでも訳すそういう組織に諮問をいたしまして、事故による緊急時の大衆の受ける線量がどの程度までなら容認できるものかという点を問いただしたわけであります。その問いを受けまして、イギリスの医学研究協議会の下の電離放射線に対する防護委員会というところが作業をいたしまして、ある線を引きまして答申をいたしました。その線は、総体的に申しまして、きわめて慎重な側に立つものだといっていいと思いますが、国際放射線防護委員会もまた、医学研究協議会の出しました線を、この問題の有益で、かつ健全な解決への道と考えるというふうにいっております。私の申し上げたいことは、実は、この医学研究協議会の勧告の中に、こういうことがある。それは、事故によりましてイギリスの全人口の五十分の一——イギリスの人口の五十分の一と申しますと約百万人でございますが、それに比べて少ない人数の人がかなりの放射線を浴びた場合——かなりと申しますのは、原語ではシグニフィカント・エクスポジュアと書いてございますが、そういう場合を仮定いたしまして、幾つかの線を出しておるわけであります。そうなりますと、原子力開発を担当している側の人間から見れば、百万人に比べて少ない人数などという、大げさなことをなぜ考える必要があるのだろうかという主張が出てくると思います。百万人に比べて少ない人数というものは、もちろん、二人か三人もそうでしょうけれども、やはり五十万人というような感じ、あるいは何千人という感じがこの中に含まれるわけであります。原子力開発利用を担当して、これを推進している側の人間にしてみれば、われわれがこれほど慎重に安全の対策を考えてきている、設計にしても、建設にしても、運転にしても、保守にしても、これだけおれたちは真剣にやろうとしているのに、なぜ百万人に比べて少ないというような大げさなこと、大災害を考える必要があるのだろうかというふうに思いがちであります。また、実際、逆に、そういう原子力開発利用を進める側の立場の人が、かりに全人口の五十分の一、あるいは百万人より少ない人数というものを対象にして考えたなどということを口に出したりいたしますと、たといそれが全くの仮定の上のことなのだと弁解をいたしましても、世間はそうはとりませんで、それ見ろ、あいつらは非常に危険性のあることを承知の上でああいうことをやろうとしているのじゃないかという疑いを生み出すわけであります。だからといって、今度は逆に、それでは開発利用を推し進める立場の人たちが、かりに、たかだか何百人なら何百人でもけっこうでありますが、どんなにころんでも何百人以上には影響は及ぼさないのだと言ったといたしましても、それに基づいて大衆の容認すべき線量を引くというような作業をいたしますと、今度は逆に、国民の側は承知ができない、信用することができないわけであります。つまり、大事なことは、大衆の、あるいは従業員も含めてでありますが、それが容認する、そこまでは許すという線というものは、その人たちの健康を守る立場にある人々なり、組織なりが作業をして基準をきめ、これを勧告して初めてうまくいくわけであります。昨年イギリスからファーマーという人が日本にやってきたことがございます。私は、残念ながらその方にお会いするチャンスを持てなかったのでありますが、人づてに聞いた話では、彼は原子力公社の中で安全を担当しておる人間でありますけれども、この緊急時の基準の問題につきましては、医学研究協議会の基準を紹介いたしまして、それを批評することさえ決してしなかったと私は了解しております。つまり、それに従って対策を考えるという一貫した態度を彼は持っていたと思うのであります。ところが、日本の場合を申し上げてみますと——先ほどから、委員長から忌憚のない意見を言えということでありますので、申し述べるつもりなのでありますが、原子力委員会の安全基準部会の下に一つの小委員会がありまして、そこで緊急時の大衆の容認すべき線量を扱っておられるわけでありますが、この件につきまして放射線審議会の方へ諮問をされました。そこで放射線審議会の方では、それを受けて作業をやるグループをお作りになったわけでありますが、諮問を出した側の基準部会の小委員会委員長が、諮問を受けて作業をする側のグループの有力なメンバーとして入っておる。つまり、自分がボールを投げておいて、ボールより早く走っていって、またそのボールを受けて投げ返す、そういうふうなことをしようとしておられるようにお見受けいたします。これは、私は決してその人個人を問題にしておるのではございません。むしろ、その個人の方は、かえってそれは非常な迷惑であろうかと思うわけでありますが、私の申したいことは、そのような体制のあり方に反省すべき点が多々あるのではないかということを申し上げたいわけであります。イギリスにおけるファーマー的な立場に相当する日本の方が、イギリスにおける医学研究協議会がやるべき作業に相当する作業にまで入っていかれるということは、どうも私としては納得が参りません。つまり、大切なことは、見かけの体裁を整えた体制ではなくてこういうことをやれば大衆は信用するかしないかということをあらかじめ念頭に置いた、きめのこまかい、神経の行き届いた体制をおとりになるべきであると考えるわけであります。安全審査が公正でなければならないことは申すまでもありませんけれども、公正ということは、公正だ、公正だと叫んでみても何らいい結果は得られないのでありまして、だれが見ても、なるほどと思うような公正なやり方のできる機構と、そう思われるだけのりっぱな作業の進め方をしなければならないのではないかと思います。いかに個人的に誠実な人間が仕事をしてみたところで、こういう問題につきましては、やはり機構と作業の進め方ということが正しくなければ、結果はいいものにはならない、信用されるものにはならないと思うわけであります。安全審査の公正ということを述べましたことに関連いたしまして申しますと、わが国のこの前のコールダーホール改良型炉の経験によりますと、資料の公開ということをめぐってたいぶ紛糾したと思います。学術会議を通して資料の公開を要求、お願いをいたしましたが、ほとんど必要な期間中には見るべき結果は得られなかった、そのために無用な摩擦を生じたという印象を持っております。これは、わが国の場合には何しろ初めてのことであり、しかも、肝心な部分が輸入によるものでありましたために、先方からの商業的秘密を守れというような事柄がからみまして、非常に処置に困られたのではないかということも重々察しておりますけれども、今後はそういう苦い経験を生かされまして、たとえば、アメリカ審査制度を見習われまして、よりよい資料の公開の原則を立てていただきたいと思うわけであります。アメリカにおきましては、原子力局でお作りになった資料を参考にいたしますと、この安全審査の場合の資料の公開ということや、あるいは公聴会の開催ということが、ずいぶん進んだ形ででき上がっておるように伺います。つまり、申請者の方から特別な要求のない限り、災害総合報告書を含む申請書がすべて民衆の閲覧に供せられるようになっており、公衆の閲覧を差し控えてほしいという部分があれば、その理由をつけて出すべきなのであります。そして、原子力委員会がその理由を検討いたしまして、資料を公表することが公共の利益から要求されない、しかも、かえって利害関係人の利益をそこなう可能性があると決定するに十分な理由がある場合に限ってのみ一般の閲覧を避けることができる、それ以外には、原則として一般の閲覧ができるようになっておるわけであります。そういうことをぜひ取り入れられまして、無用な摩擦を避ける努力をあらかじめよく御検討下さって、機構を打ち立てていただきたいと思うわけであります。  それから、もう一つの点は、安全性一を確保するという問題は、非常に長い期間にわたって根気の要る仕事でございます。もちろん、そういうことも皆さんよく御承知のことではございますが、設計、建設、運転、保守のすべての段階で、いつもいつも慎重な考え方と慎重な処置をとっておりませんというと、安全性は確保できません。安全性というものは、事故を起こしますと、とやかく非難を受けますが、事故のない間は、それほどみなからほめられるわけでもなし、賞讃されるわけでもない、非常にじみな仕事であり、しかも、この施設の最後の瞬間に至るまで、よくそのめんどうを見ませんと、いつ事故が起こるとも限らないという、非常に根気のいる仕事でございます。けれども、わが国の場合に、安全審査の機構が、まだそういう長期間にわたる安全性を見守っていく機構にはなっておらないように思います。一度手をつけた原子炉の最後まで安全を見届けていくということを、今のままの安全審査部会にやらそうというのでは、今の部会の機構からいって、あまりにもお気の毒であります。けれども、国民の側からいえば、だれかが、どこかの公正な機関がその仕事を持っておって、長い期間にわたって安全を見続けていくということをやっていただきませんと、安心がならないわけであります。そのことは、決してその事故が起こった場合の責任の所在を明らかにして、そこを処罰するというようなけちな量見から出ていることではありませんで、安全性の確保ということは、本来そういう形であるべきであると思うわけであります。つまり、ある機関が作業して、その結果は、ある程度文書に残して次に回したと申しましても、そういうことでは、やはり安全性は確保できなくて、やはり、もっときめのこまかな安全の監督の仕方、監視の続け方をできるような機構を用意されるべきではないかと思うのであります。学術会議では、先ほど向坊さんからのお話にも出ましたように、ことしから原子力研究開発長期計画に関する一連のシンポジウムを用意いたしまして、近く第二回目を開催いたしますけれども、そのときには、わが国原子力組織あり方について少し扱う予定になっております。私の考えによりますと、きょう私に与えられました問題であります安全審査機構ということについても、もっと広く、原子力委員会あり方全体にまでさかのぼって考えませんと、十分な答えは出てこないのじゃないかと考えておる次第であります。  私の用意いたしました意見はこれだけでございますが、先ほど私に対する御質問がございましたので、それについてつけ加えさせていただきますと、まず、一つは、原子力委員会あり方の問題でありますが、原子力委員長原子力委員会責任者であるばかりでなく、一方において国務大臣であるということで、つまり、行政の権限を持っておられますが、あと原子力委員はそういう立場にはございません。私は、原子力委員会諮問機関であると了解しておるのであります。にもかかわらず、原子力委員の方々が、日本原子力の基本的な方針なり、大きな計画について所信を明らかにされた例がないように思います。そういうことでは、日本原子力をまとめていくという仕事はとてもできない。これが純然たる役所である場合には、その立場にある人がいろいろ抱負を述べたり何かするのは差しさわりがあるかもしれませんが、原子力委員というものは、もっと先を見越して、自分の意見をおおらかに述べる、そうしていろいろの意見を聞くという態度をとらなければならない人たちではないかと思うわけであります。たとえば、長期計画の問題にいたしましても、長期計画はある程度内輪でお練りになって、それを案としてお流しになって、形式的に意見を求められるというのでは不十分でありまして、大切なことは、練っていく途中の段階で広く意見を聞き、討論を重ねるという点にあろうかと思います。でき上がった最後の印刷物は、記録としては貴重かもしれませんが、そのこと自身にはそれほど大きなウェートを置くべきではなくて、その過程に持っていく途中の皆さんの話し合い、討論をまとめ上げていくというところが一番の眼目であるべきだと思うわけであります。  もう一つの問題は、日本産業界グループの数が多過ぎるがどうかというような御質問、及び発電計画をどうするかというような御質問があったかと思いますが、そのいずれにつきましても、私が申し上げたいことは、もっと広い討議をすることであります。原子力委員の方々が、日常非常に御多忙のようではありますが、そういうことよりも、もっと気軽に外のシンポジウムなり討論会に出られまして、じかにその問題を扱っており、考えておる人たちの意見に触れる、そうして意見を交換するということになっていただきたいと思うわけであります。先ほど、向坊先生も分担と協力ということを強調されたと思いますが、私もまた、その点では非常に同感であります。それは、どこかで話をつけておいて、それを強制するというのでは決してなくて、それをやる人たちが話し合いをした上で、それをやっていくという体制になっていただきたいものだと思うわけであります。どうもありがとうございました。
  35. 村瀬宣親

    村瀬委員長 以上で大塚参考人の御意見の発表は一応終わりました。  引き続いて質疑を行ないます。質疑の通告がありますので、これを許します。石野久男君。
  36. 石野久男

    石野委員 大塚さんにお尋ねいたしますが、結局、安全の問題というのは、日本の場合、何よりも先に安全の基準になるべき線をどう引くかという問題だと思います。私どももそういうふうに思うわけなんです。ところが、その安全基準を設定するという問題がなかなか進んでいないのが現状でございます。これについてはいろいろ各方面において研究もしておることではありますけれども、この安全基準をどのようにして設定するか、また、その設定の見通しですね、これがどういうふうに見通されるのかということ、わが国の現状において、先生はどういうようにお考えになっておられますか。
  37. 大塚益比古

    大塚参考人 今の御質問について私の考えを述べさせていただきますと、先ほども申しましたように、確かにその面は日本はおくれておるわけでありますが、ようやく少しずつ動きが見えておりまして、最近も日本原子力学会と日本放射線影響学会の連合の主催で、事故時における被爆線量の取り扱い基準に関するシンポジウムというものが開かれまして、ずいぶん盛りだくさんな話が行なわれたわけでありますが、その場合にも感じましたことは、一つは、数字いじり——数字いじりというのを軽べつして言っておるわけではありませんが、数字をどうきめるかということと、そういう数字をきめる前の段階として、基本的な考え方をどう立てるかということをはっきりとけじめをつけて、分けて考えることであります。もちろん、具体的にやり出しますと、その二つの問題はからみますけれども、そこはできるだけきっぱりと分けて考える。そうして、基本的なものの考え方という問題につきましては、これはだれが専門家であるとかないとか、そういう狭量なことではいけないのでありまして、しかも、先ほどから私が申しましたように、基本的な考え方というものは、今の場合、広く国民の理解が得られなければ意味がないわけであります。従いまして、できるだけ多くの方々の意見を討論  の過程で聞いていくことを考えなければいけない、放射線の専門家だけが考えていたのでは決していい結果が出てこないわけであります。今、日本にとって一番不足をしておりますのは、その基本的な考えを話し合いで打ち立てるというところが不足をいたしております。もしもそれが打ち立てられましたときには、次には、その基本的な考え方に沿っていろいろの数値的基準をきめていく段階になります。その点になりますと、決して外国に比べて余裕があるわけではございませんが、かなりすぐれた先生方がおられると私は思っております。そういう専門の先生方がおられると思いますが、今度はそういう先生方を今申しましたような公正な機構の中で働いていただきまして、数値的基準を出していただく。数値の問題につきましては、専門的な立場から出ておるわけでありますから、その結果なり、過程なりは公表されるべきでありますが、そこでは、おのずから専門家とそうでない人たちとの相違出てきて当然あろうかと思うわけであります。それが非常にごったに扱われておるところに、今のこの問題がすっきりしない点があろうかと思います。
  38. 石野久男

    石野委員 そういたしますと、数字の問題になれば、日本にも相当な、それに対応するだけの知識人もおるわけだから心配は要らないけれども、問題になるのは、基本的な考え方が大衆にも理解される中で討論されるような場がないということになってくるわけだろうと思います。その場合の原子力委員会などの役割がどういうふうになるのだろうか、また、先生はどういうふうにそれを役立たすべきだとお考えになっておられるか、そういう点でちょっと先生の御所見を聞かせていただきたい。
  39. 大塚益比古

    大塚参考人 その点につきましては、われわれは昨年のコールダーホール改良型炉の経験があるわけでございますが、その場合にも、むしろ、原子炉の安全審査部会の先生方は、直接第三者の前にまで立たれていろいろ質問を受け、説明もされて、みなの納得を得ようと努力されたにもかかわらず、忌憚のないことを申し上げますと、原子力委員の方々は、そういうことをなさらなかったというふうな印象を私たちは持っております。それは原子力委員の置かれておる立場が、先ほど向坊先生も言われましたように非常に中途半端なものであって、外から見ておる人たちにとっては、原子力委員会は何か行政的な結果に対する責任を持たされておるかのごとき印象があるわけであります。けれども、原子力委員会は、法的には決して行政の権限は持っておらないものでありますために、その間で原子力委員の方々もずいぶんお困りになるのではないかと思いますが、原子力委員がもっと直接そういうまわりの人たちの、大衆の心配しているところを察せられて、基本的な考え方を打ち立てる方向に努力をされ、それの了解を求めるように働きかけられれば、もっと事態はスムーズにいったのではないかと思います。その点で、逆に、そのときには、そうではなくて、わが国の破局権威者を集めてやったのだから、みんな納得をしろというような言い方をされたのでは、これは期待されるところと逆の結果に相なってしまう、そのことを、先ほど幾らか例をあげて御説明したわけであります。
  40. 村瀬宣親

  41. 岡良一

    岡委員 安全審査部会が、現在のように何ら政令あるいは法律的に根拠のない部会であるというような機構のままでいいだろうかどうかという点に一つ問題があるわけですが、これは大塚さんはどうお考えでしょうか。
  42. 大塚益比古

    大塚参考人 機構をどういうふうにきめるかという点につきましては、いろいろからむ問題もあろうかと思いますし、私自身、具体的な意見を持っているわけではございません。原子力委員会自身が今中しましたように非常にあいまいな性格を持っておる以上、安全審査機構だけをどういう機構にするのがいいという結論が出ないのはむしろ当然だと思います。ただ、安全審査の機構、あるいは審査に限らず、安全を見続ける組織の機構がどうなりましょうとも、それを考えます場合に、私が先ほどから申しておりましたような、つまり、放射線から人間を守る立場の人たちによって、守る立場から勧告が出ておるのだということがわかるような機構からの勧告をおとりになって、その勧告を受け入れられて実際の審査を行なうのだ、そういう機構を考えていただきたいと思います。
  43. 岡良一

    岡委員 先ほど御指摘アメリカ原子炉安全防御諮問委員会でございますか、あの発展の歴史を見ますと、やはり、まず最初に小規模な諮問機関のようなものができた、ところが、それがある炉の設置にからんで住民の反対を受けた、そこで今度は、炉の立地条件についての委員会ができた、さらに、その後高速中性子炉の設置についてまた大きな問題が起きた、原子力委員会は安全諮問委員会の反対意見を押し切って設置を許可しようとした、そこで問題が非常に大きくなり、AFLやCIOまでも立ち上がるという状態になった、そこで二年間ばかり繰り返し繰り返し公聴会を開いた結果、原子炉の安全防御諮問委員会が一昨年、かの原子力法の改正によって原子力法の中にその存在が規定され、法律的な根拠を与えられた、こういうふうな発展の歴史をたどっておるわけです。アメリカのその行き方に到達するまでの経過というものを考えてみると、日本コールダーホールをめぐっての論争、紛争をも経験とすると、やはり一つの法律的な根拠のあるものを作る、その法律的な根拠のある委員会の結論については、原子力委員会が十分これを尊重する、まず、何をやるかといえば、法律的に根拠のあるその委員会が、先ほど御指摘のものとなってくればいいのじゃないか。そういうような仕事を逐次進めていって、原子力委員会も御承知の通り、単に人をふやしたところで仕事は手一ぱいで、手当は少なくて、局のスタッフもいないということでは、なかなか手が届きかねる面も多々あると思うのです。そういうことも考えましてとりあえずは、そういう方向でもっていったらどうかというふうなことも考えてみるわけですが、その点はどうでしょうか。
  44. 大塚益比古

    大塚参考人 アメリカの場合、幾つかの苦い経験に基づいていろいろ機構を打ち立てていったことは、結果的には非常にいいものになったということでありますが、日本の一場合にも、私は、去年のコールダーホールの経験が決して全部がマイナスであるとは考えておりません。実際、最初話が出ました当時よりも、終わりごろの段階の方がはるかにいいものになったという点については、その責任に当たられました東大の矢木先生もまたよく言っておられるところであります。実際、そういう国民に大きな影響を及ぼす安全の問題は、アメリカのような歴史のある国でも、やはりある事件によって今までの機構の不備が現われ、それの手直しが行なわれるわけでありますから、日本のように歴史の浅い、しかも非常に早い速度で進めなければならないという国におきましては、その具体的な事件のたびごとに不備な点が明らかになるのはやむを得ないことでありますし、それをむしろ生かして、早く正しい体制、よりいい体制に持っていく努力をすべきであるという点では、私も人後に落ちないつもりでございます。ただ、安全審査機構を法律的にどうするという問題になりますと、これははっきり申しまして、私の専門的な能力を越えておる問題でございますので、お答えをいたしかねるわけでございます。
  45. 岡良一

    岡委員 これから大いに国民の声を聞く機会ということになれば、一つは資料の公開が大前提になるわけであります。それで、資料の公開については、アメリカの場合のように——ただいたずらに商業上の機密だなどということで、実際向こうに照会してみたら、そのほとんどが機密でなかったということになってしまったのでは、これは公聴会の権威も何もないわけですから、とにかくアメリカやり方をそのまま学んで、やはり当事者の利害よりも住民の利害を重視するという立場においては、商業上の機密というものも排除し得るだけの権限を持たなければいかぬと思う。  それはそれといたしまして、公聴会の問題ですが、私どもが規制法の成立の際、この委員会で公聴会等、民主的な手続を経ろという結論を得ましたわけであります。そこで昨年の七月三十一日公聴会を開いたところが、皆さんからいろいろ公聴会そのもののあり方についての御批判が出たわけですが、アメリカの場合なんかは、先ほど例に引きました最後の場合、高速中性子炉の設置では、二年間これが安全性をめぐって論議された。何回か知りませんが、おそらく相当の回数にわたって聴聞会が開かれた。日本の場合は資料も十分ではない、しかも、安全審査部会の結論が出ない。従って条件付中間報告を、それも発表されてから二日目に公聴会を開かれるなど、公聴会そのもののあり方についても非常に大きな教訓をわれわれは学んだと思うのですが、そういう経験から学んで、今後この公聴会を開くとすればどういうようなものであるべきか、こういう点について御所見を伺いたいと思います。
  46. 大塚益比古

    大塚参考人 公聴会の話の前に、先ほど私が資料の公開と申しましたが、今、商業秘密に立ち入ってというようなお話に伺いました。けれども、私はそうは申しておりませんで、商業的な秘密というものは、その人たちの持っている一つの権利でありますから、それにそう簡単に立ち入る筋ではないと思います。ただ、アメリカの場合には、その内容を発表しないことが公共の利益に反するという判断の場合には、みなが見れるようにするのだということだと思うのです。また、実際問題といたしまして、大衆の安全の問題を論ずる場合に、本来、ほんとうの意味での商業秘密を出さなければほんとうのところがわからないかと申しますと、私はそうではないと思っております。むしろ、そういう大衆にからんでくる安全性の問題の論議に必要な資料というものは、そういう商業秘密という問題がありましても、それ以外の資料で十分間に合うものではないか、それを原則として、公共の閲覧に供せるようになっているかいないかということが一つの非常に大事な点であろうと思います。  それから公聴会につきましては、一度の経験でございますが、私は非常に失望いたしました。つまり、単に聞きおくという印象が、どうしてもああいう公聴会では出て参ります。時間に制限をされ、かつ、ほんとうに聞きおかれるだけでありまして、何の意見の討論も行なわれない。かりに公聴会が何らかのルールによりましてああいうものであるとし、それが変えられないのであれば、それにとってかわるほかの方法をどうしても考えていかなければならないと思います。先ほどから私が何度も申しておりますことは、こういう問題は広い理解を得ることが大前提であります。ですから、公聴会を聞くということは、決して、その席で批判的な意見を聞いて、それでとどめるということではなくて、もっと積極的な意味合いを当局の側の人もお持ちになっていいと思うのであります。そういう広い席で、しかも、よく報道の行なわれる席を利用して、いかに公正妥当な判定をしようとしておるのかということを原子力委員会側の方が発言をされ、趣旨弁明をされることが一番肝要なことであり、批判的な質問にしろ、賛成的な質問にしろ、よくその質問に答えられることが大切ではないかと思うわけであります。そういうふうな公聴会を何とかして開いていただきませんと、だんだんとみな発言すること自身にまで遂に興味をなくしまして、一般の意見は表に出ないでこもっている、そういう方向に行くことが原子力の発展にとってよくないということは皆さん方納得のいかれるところではないかと思うわけであります。ですから、先ほどの公聴会のあり方につきましての御質問に対しましては、私といたしましては、もっと抜本的な形で改めていただきたいということを申し上げたいと思います。
  47. 岡良一

    岡委員 中曽根委員長はおられませんが、私、ただこの際要求をいたしておきます。非常に啓発的な大塚参考人の御意見でもありましたので、中曽根委員長から、次の機会に、この安全性審査の問題についての公聴会のあり方について、御所見をあわせて承っておきたいと思いますから、そういう機会を一つ作っていただきたいと思います。
  48. 村瀬宣親

    村瀬委員長 石川次夫君。
  49. 石川次夫

    ○石川委員 大塚参考人から大へん啓発されることが多い御意見を伺ったのでありますが、安全基準で、いわゆる国際放射線防護委員会、ICRPの一応の基準がわれわれの参考になったのですけれども、それだけでは、御意見のように日本の基準としてきめるわけにいかない。それで、安全審査部会の機構の問題、それから日本における危険度の問題、こういう点についての検討が今行なわれたわけでございますけれども、にもかかわらず、一方ではぐんぐん実際の設置が進んでいるわけであります。最初に御意見がありましたように、集中された場合の限度は一体どうなるのかという点で、現実の問題として、東海村では現在ウォーター・ボイラー型、あるいはCP5、それから国産第一号炉あるいは第二号炉というふうな計画が着々として進んでいるわけであります。大体においてコールダーホール発電炉を除いても、七つぐらいの実験炉ができるのではないかというふうな見通しが現在持たれている。しかも、そのうちの一つが暴発をした、暴走をしたということを仮定いたしますと、実験といえども広島の半分くらいの被害があって、放射能が出てくる。しかも、水戸とか、その近辺にある日立製作所、日立鉱山のある日立市あたりまで汚染されるという危険があるわけであります。そういたしますと、日本で今機構の問題とか、基準の問題が盛んに議論をされているさなかに、一方的にぐんぐん表現をしてしまうということは、非常な不安をわれわれとしては感じているわけであります。それで、大塚参考人にお伺いすることが妥当かどうかわかりませんけれども、東海村に、先行き予想されるように実験炉が集中される、あるいはまた、コールダーホール発電炉というものができる、一カ所に原子力関係施設がこのように集中したという例が世界にもあるかどうかという懸念があるわけなんですけれども、それについて御存じであったならば伺いたいということと、それから、安全基準における集中された場合の限度というものが、今のところでは全然確立されていない、その一歩前の単純な基準すらもまだ権威のあるものができていないというときに、このように集中してしまうということは、どうしても危険きわまりないというふうに私は考えるわけなんです。私個人の意見としては、一つ一つの実験炉それ自体は安全かもしれないけれども、集中した場合に起こり得る非常な危険の可能性の見通しというようなことを考えますと、実験炉を大いに作ってそうして日本原子力開発に寄与するということの必要性は、もちろん、われわれといえども認めないわけにいかない、協力するわけなんでございますけれども、こういうふうな、基準もはっきりさだかでないうちに、そのようなことが現実にどんどん進行するということに対しては、どうしても危険きわまりないというふうに考えられまするし、どうしても奥中するという場合には、一応今、東海村は限度ではないかというふうに感ぜられるので、この一応の基準ができるまでは、こういうふうな計画というものは相当慎重にするという前提で一応中止をすべきではないか、これは私個人の意見でありますが、そういうふうに考えている。その点についての大塚参考人の御意見をお伺いしたい。
  50. 大塚益比古

    大塚参考人 一つの場所に原子力の施設が集中する問題に対する基本的な考え方につきましては、かねてから私が非常に心配をしているところなのでありますが、最近でも、一月の学術会議のシンポジウムの席上で都築正男先生が、今までわが国では一つ一つ原子炉安全性ということはかなり考えてきたけれども、二つ並んだときはどうか、三つ並んだときはどうかというような、複合的な問題を今まであまり手がけてこなかったように思う、今後やるべき一つ問題点であるというようにお話しになったと思います。実際、そういう問題の認識がようやく広まってきたというふうに思うわけでありますが、わが国の場合に、今の東海村が限度であるかどうかということは、私一人がある答えを出してみましても、それは何の意味もないわけでありまして、日本の全体の立地条件をもっとよく調べ上げる、そして日本原子力をやる場合に、どういう意味を持って、どういうふうにやるのだという認識を打ち立てることの方が先決だと思うわけであります。ただ、実際問題といたしましては、たとえば、コールダーホールにいたしましても、実際にあすこで建設が完了し、運転に入りますまでには、まだ時間的な余裕もございます。その意味で、ある面だけをきっぱりと、たとえば、そういうものがきまらないうちは中止だというようなことをいたしますと、それが逆に、問題をスムーズに解決する道にはならないと思います。原子力に限りませんことですけれども、理想を言い出しますと、あらゆるものを、ある意味でストップさせなければならぬことになりかねないのでありまして、ある程度は、もちろん妥協していくべきでありますが、私がさっきから何度も繰り返しておりますことは、妥協というものは、一方から一方への押しつけの形を持ってはならないということであります。その点で、東海村の問題につきましては、そういう既成事実に押された形で、たとえば、あとになって、もっとはっきりした方針が打ち出されたといたしましても、それが既成事実に押されたのではなかろうかという誤解を受けるということは、非常に不利であります。初めにそういう基準、基本的な考え方を打ち立てておけば、無用な誤解を避け得たものが、そうではなかったために、まわりからの要求がどうも強くなって、どうにもならなくなって出したというように受け取られるような、時間的なおくれをもって出されたのでは、せっかくそれを真剣に考え、公正にお出しになっても、あと、それの納得をとることは非常にむずかしくなるわけであります。その意味でも、コールダーホールの運転が何年か先だということで、当局の側の方が決して安心をされてはなりません。できるだけ早い時期によく意見を聴取されて、その問題についての基本的な考え方を打ち立てていただきたいと思っております。
  51. 石川次夫

    ○石川委員 原則的には、今の大塚さんの御意見はわかるのですが、具体的な問題では、私は非常に心配をしておるわけでございます。大塚さんの御意見の、どこに実験炉を作るにしても、根本的な基準というものがきまらないうちは問題があるということは、原則的にはわかるわけです。しかし、現実に東海村の方を見ます、既成事実としてどんどん実験炉を次々と作っていくというのが既定の方針のようにうかがわれるわけでございますけれども、ほかの場合とはちょっと事情が違って、東海村の場合は特殊だというふうに考えているのでございます。従って、集中の限度というものがはっきりしない限りは、どうしてもこれ以上ふやすということには非常に不安がある。決して原子力開発について協力しないという意味では毛頭なくて、大いに協力すべきだという前提のもとに私は申し上げているわけなんですけれども、それでも、なおかつ非常な不安があるということだけは言えるので、どうしても基準というものが、さらにまた、集中の限度というものがきまらない限りは、これをどんどん進めていって既成事実を作ってしまいますと、今度は安全基準を作る場合に、それにさらに迎合する、といっては非常に語弊がありますが、その既成事実を何とか是認するような形で集中の限度、基準というものがきまってくるのではないか、これは邪推かもしれませんが、そういう危険性がないとはいえない。今のような妥協という形でなくて、いい意味での妥協ということをおっしゃったわけなんですけれども、ほんとうに集中の限度、基準というものがきまらないうちは、このまま政府の方針によってどんどん進めていくということには非常に不安を感じておるということだけは、妥当だというか、先生はそういう危険を感ずることは当然だというふうにお考えになるかどうか、その点を一つ伺いたい。
  52. 大塚益比古

    大塚参考人 きわめて当然なことだ、妥当なことだと思います。
  53. 石野久男

    石野委員 先ほどから基準の問題で、先生は、社会的に理解を深めるように、十全の信頼性を持つようにというふうにおっしゃられているわけです。その場合に基準設定について、現在行なわれておる安全審査部会の進め方の中に、そこの長をしておる者が、また別な場に籍を置いているというようなことは非常に解せないというようなお話もありました。そこで、わが国における安全基準を設定するにあたってどうすべきかという問題が具体的に出てくると思うのです。先ほどから言われておるように、社会的に理解をされるようにというような意味からいきますると、安全基準を設定する場というもの、たとえば、原子力委員会と、それから学術会議とかいうようなものとの関連性、その他の一般的な社会的な関連性というようなものをどういうふうに接合させるかということが非常に大事になってくると思うのです。また、そうでないと、今言われたように、東海村なんかにおけるところの集中の限度というものがどうだということがよくわからないというのが現実ですから、そこで、大塚先生が今お考えになっておられます安全基準を設定するにあたって、具体的に、今ある委員会制度とか、あるいは学術会議とか何とかいうようなものとの関連性をどういうふうに考えていったらその設定ができるのだろうか、また、現状に対して、先生はどういうような御不満を持っておられるかというような点について、お考えがあれば一つ聞かせていただきたい。
  54. 大塚益比古

    大塚参考人 私が現状に対して一番不満を持っておりますのは、原子力委員会であります。今年の一月の学術会議のシンポジウムにおきましても、いろいろの方々から反省ないし批判と申しますか、そういうものが出ましたけれども、不幸にして、どなたも原子力委員会そのもののあり方についてはお触れにならなかった。私は、個人的に原子力をやっておられる方々とお話をしておりまして感じますことは、みんな原子力委員会にいまだに期待を持っている、それは変わらないと思うのです。けれども、その原子力委員会が、われわれの期待に沿った活躍をしてくれていないという点で相当大きな失望を抱いている。今の時期において原子力委員会あり方について広い討議をし、原子力委員会の立て直しをやらなければ、原子力委員会は名前だけあって、しかも、実際の責任、結果に対する責任は、形の上で原子力委員会にしょわされるというような、非常に無益かつ有害ものになりかねない段階にきているのではなかと思います。これは決して原子力委員会を廃止せよということを言っておるのでは毛頭ございませんで、今の日本原子力を進める上に、原子力委員会を廃止したからといってそれが積極的に何のいい結果も生み出さないと思うわけでありますが、原子力委員会委員の方々が、自分たちの職務をもっと自覚をされることと、それから、もっと自由に活動できるような条件を作って差し上げなければいけないというふうに思うわけであります。大事なことは、わが国のように伝統のないところに非常な早さで原子力を打ち立てなければならない、しかも、それが平和利用に限られておって、決して国防とか、国家の安全とかいうような大なたを振りかざしてやるものでないというときには、いっそのこと、とらわれない精神の、バランスをよく考えた頭脳の人たちが、絶えず先を見て指針を述べ、かつ、それに対して積極的な立場で、あちらこちらへ出かけるくらいにまでしてそれに対する批判を聞く、話し合うということをいたしませんと、どうしても満足なものにならないと思います。その意味で、私としては、原子力委員会がどういうふうな法的な形をとるべきかということについては何の意見もありませんかわりに、同じように安全審査機構についても同様なのであります。学術会議原子力委員会あり方につきましても、昨年はコールダーホールという非常に差し迫った問題がありましたために、両方とも非常に対立的な形をとらざるを得なかったのは、ある意味でやむを得なかったと思うわけでありますが、すでに正式な契約も終わりまして、当面の現実的な物事が一段落をしたわけでありますから、今の時期こそ、お互いの意見を積極的に聞こうという態度をとって、今いろいろ御質問がございましたような点について、まず、みんなの意見を率直に出してみるということから始めるべきじゃないかと思うわけであります。それ以上に、きょう、この席で私が具体的な一つの名案を持っておるというようなわけには参らない問題であるということを、御了解いただきたいと思います。
  55. 村瀬宣親

    村瀬委員長 他に御質疑がなければ、参考人からの意見聴取はこの程度にとどめます。  大塚参考人に申し上げます。本日は御多用中のところ、長時間にわたり率直な御意見の開陳をいただきましてまことにありがとうございました。本委員会を代表して、私から厚く御礼を申し上げます。  暫時休憩して、直ちに理事会を開きます。     午後零時四十一分休憩      ————◇—————     〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕